地場・旬・自給

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東京オリンピックは何故夏開催に決まったのか。

2018-08-31 04:34:07 | 身辺雑記

これほどの暑い夏は経験がない。暑かった、2018年の7月そして8月がなんとか終わろうとしている。昼の暑い時間は冷房機を頼りに過ごした。よる冷房を付けて寝るという経験を初めてした。この暑さは年々さらにひどくなると予測されていて、2050年には44度にまで上がると気象庁は予測している。地球環境の調和を壊している姿なのだろう。東京オリンピックは残念ながら、過去にない過酷なオリンピックになることが予想される。東京の夏は到底スポーツをするような環境ではない。気象庁も命の危険のある夏と繰り返し言っている。しかし、これを変えようというようなことは誰も言わない。たぶんできないことになっている。日本オリンピック委員会が誘致の条件として提案した期日だからだ。前回の東京オリンピックが10月10日の開会式だったのにもかかわらず、何故今回は最も熱くなる7月24日開会式なのか。余りにひどい期日なので理由を調べてみた。

支持が一番もらえる期日にしただけなのだ。ーー「国際オリンピック委員会(IOC)では、立候補都市は夏季五輪開催日を7月15日~8月31日までの間に設定することを大前提としているからだ」その理由はIOCが利益を上げるために、欧米各国のテレビ放映権を当てにしている。他のスポーツイベントが少ない、この真夏の期間にオリンピックを設定するという事だ。それが嫌なら立候補をしなければいいという事になっている。みんなでオリンピックで一儲けしようというのが、この選手を無視した馬鹿暑い最中の開催という事になる。商業主義丸出しオリンピック。アスリートファーストどころか、エコノミックファーストのオリンピック。オリンピックを冷房の効いた涼しい場所でテレビで見させていただくだろうと思うので本当に申し訳がない。焼け石に水と言われている、サマータイムはどうだろうか。これはなかなかのJOCのテクニックなのだと思う。各競技の開催時間は先日すでに決められ発表されている。何故午前中から水泳決勝なの、選手が本領を発揮できないのではないかなど少しもめたようだが、アメリカのテレビ観戦時間を配慮したのだそうだ。欧米の人がテレビを見やすい時間に決勝が行われるという配慮だそうだ。

アメリカとの時差は16時間。日本の朝の10時がロサンゼルスの夕方6時。ニューヨークの9時。もし2時間日本で夏時間が出てきた。2時間ずらしたら、アメリカの方はロサンゼルスは4時という事で怒り出さないのだろうか。多分日本の方で12時開催に変エルとなるのだろう。東京五輪招致委員会は開催計画書に「この時期の日本は温暖でアスリートに理想的な気候」と記載して提案したそうだ。こんな嘘を書いてまで招致したかったという事なのだろう。異常気象という事ではない、日本はこの時期一年で一番熱い、熱中症危険注意報発令中である。申請したころはこれほどの暑くはなかったとでも言い訳するほかない。事故が起こる前に何らかの手を打つべきことではないのだろうか。これから選手は東京の暑さ対策であろう。この耐えがたい暑さになれるためには、練習用サウナ施設でも必要になるのだろうか。気圧の低い部屋で肺の能力を高める練習もあるくらいだから、高温体育館があっても不思議はない。

外国選手がなれない暑さで力を出せなければ、日本選手のメダルが増えるという事になるかもしれない。熱さで敗れた選手は日本に悪い印象を残すことだろう。日本選手が活躍すれば、多分最悪の季節の開催を意図的に行ったと、そういう言われ方をするかもしれない。本当に喜ぶことのできない、金儲け主義のオリンピック。選手にとっては2重3重に辛いことになる。今からでも10月開催に変えるべきだ。誰だってそれくらいのことは分かっている。金儲けの為に我慢しているのだ。いったん決めたことではあるが、これほどの異常気象は予測できなかったとか理由付けは出来る。それが選手を大切にするオリンピックではないのか。それが出来ないというなら、2度とアスリートファーストなど笑いながら言うな。心にもないことを平気で口にする政治家というものの、無神経が不愉快だ。

思い出したことがあるので付け加える。朝日新聞が夏の甲子園を主催しておいて、オリンピックの夏開催を批判しているのはおかしいという意見があった。それは野球もマラソンもやったことのない、想像力の欠落した人間の言い草だ。野球は休み休みやるスポーツだ。半分はベンチの日陰で休んでいる。マラソンは2時間以上炎天下を全力で走るのだ。これを同じと考えるとすれば、無知な人間の証明である。

 

 

 

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有機稲作の畔管理法

2018-08-30 04:08:15 | 稲作

有機稲作の畔管理法

 

田んぼの畔の岩手ミドリ大豆

田んぼの畔は出来るだけきれいに草刈りをしておくというのが、普通の農家の意識である。畔に草が生えていれば、だらしがない家の田んぼだと見られてしまう。家の庭が草だらけであっても、畔に草を生やさないというのが農家の意識である。しかし、果たして畔に草がないことが、有機稲作としては問題があると考えている。最近、畑の有機農業ではバンカープランツという事が言われるようになった。野菜畑の周辺にグリンベルトのように、緑肥作物を緑肥として蒔く。このグリンベルトが、野菜畑の虫の害を防いでくれるという考えである。それは、有機農業では生き物の多様性が大切だという考えに基づく。生物の多様性が畑の環境を調整するという考え方である。多様な生き物が存在してこそ、畑の害になるような、害虫が特出することが抑えられるという考え方である。畑というものはどうしても、単純化する。トマトを作ればトマトだけの世界になる。畑の生き物調査をするとむしろ生きもの種類は大学構内よりも少ない状態というデーターが横浜大学にある。村の鎮守の森が一番多様性が保たれているという事である。山林であっても、杉檜の単純林であれば、畑と同じぐらいの生物の種類で、案外に生きもの種類は少ない世界になっている。

ここはある程度草を刈っている。通路から、大豆を観察をするためにはちょうど良い高さである。

耕作地であっても、有機農業を行うのであれば、多様性を大切にしなければならないという考えが広がってきた。このことは田んぼでも同じである。昔の田んぼでは水があるために、ある程度の生きものの多様性が保たれていた。しかし現代の大規模水田であれば、畔がコンクリート化され、さらに地中パイプ化されるようなことになり、秋田県での調査では大規模田んぼ地帯では生き物の数の激減が起きて居るそうだ。カエルも赤とんぼもいない水田地帯の出現である。農業があることで自然の多様性が保たれるどころか、農業が自然破壊の先端を行きかねない状況が農村地帯に生まれている。これが進めば、農業が自然環境の保全につながるとは一概には言えなくなる。自然環境と調和する美しい農村の価値を都市住民に理解してもらえるえなくなる。税金を投与せざる得ない日本農業の維持は不可能になる。

 

白クローバーの畔。冬の間はそれなりに繁茂していたが、9月の段階ではここらあたりだけ残っていた。

田んぼの畔は草がある方が良いという考え方である。もちろん冬場の田んぼでは畔も草に覆われていた方が良い。春になれば、レンゲや菜の花が咲き乱れるという事が、大切な美しい農村の景観を形作る。それは田んぼの畔も同様である。田んぼの畔にも緑肥は撒かれなければならない。畔は白クローバーが良いのではないかと考えている。つまり、畔は作業に差しさわりのない範囲で、草があった方がよいのではないか。クローバーのようなカバークロップを年間を通して再生できれば、イネで単純化してしまう田んぼ環境を畔の草でいくらか補う事が出来る可能性がある。畔のクローバであれば、コンパニオンプランツであり、カバークロップと考えた方がよいのかもしれない。畔にイネ科ではない植物があることは田んぼ全体の環境緩和になるのではないだろうか。

手前の田んぼが水が湧き、倒れてきた田んぼ。

さらに自給農業としてこの考えを進めると、畔での大豆栽培を考えなければならない。畔で大豆を作るという事は江戸時代から奨励されてきた農法である。良い田んぼになるという考えである。1反の田んぼがあり、その周辺に大豆を作れば、一つの家族の味噌醤油が確保できると言われた。大豆が安定して栽培できる。畔であれば、水がいつでもあり水を好む大豆としては絶好の場所である。しかも、畔の土は入れ替わるものだから、大豆の連作が可能になる。畔にイネ科ではない植物を栽培することで、多様性が維持されるかもしれない。自給的な田んぼであれば、1メートル以上の広い畔を作る。畔に高低差を付けて、水がある方がいい作物は低い畑。乾いた方がいい作物は高い畔としての畑を作る。田んぼの周囲が家庭菜園という形もあるのではないだろうか。

 

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有機稲作の葉色の変化の考察

2018-08-29 04:29:23 | 稲作

出穂期の苗床田んぼの様子。8月7日朝

有機農業の田んぼを探すには、周囲より葉の色が濃い所を探せば一目瞭然である。田植えの直後から一貫して葉色は濃い。その理由は窒素が多いいからだと片づけられてしまう事が多い。しかし、長年様々な農法で有機農業をやってきた結果、どうも窒素投入量ではないという事が分かった。欠ノ上田んぼの農法は窒素成分に限って言えば、投入窒素量はむしろ少ない。極端に言えば、無肥料の田んぼでも色は濃い。ただし、無肥料と言っても冬の間緑肥を作り漉き込んではいる。緑肥が出来なければ、ソバカスを反当り15袋ほど撒いている。この緑肥が田んぼで分解され窒素成分になり、色を濃くするという事が考えれられる。緑肥というものが田んぼの中でどのような変化をしているのか考えてみなければならない。この田んぼは苗床を作った田んぼである。わずかに黄色い線が4本残っている。ここが苗床ではなく管理通路だった部分である。この通路は年によって、3本になったり、4本になったりしている。そして穂揃い期を過ぎた状態でも、通路であった場所は見てわかる色の違いが残っている。苗床に肥料を入れているからという事ではない。ソバカスは入れているが、苗床部分だけに入れるという事はしていない。

この田んぼは今年は菜の花を緑肥に使っている。だから窒素固定と言っても、マメ科植物の根粒菌とは関係がない。通路と苗代部分の耕作の違いは、苗床部分は3度代かきを徹底して行っている。通路部分は田植え前日に1回代かきをしている。この代掻きの違いが葉色に現れていると考えられる。早い徹底した代掻きによって、緑肥は腐食を速め、稲が利用しやすい形になるのではないだろうか。又田植え前日に行う、一回代掻きでは十分に緑肥の腐食が進まず、イネが利用しにくい状態になると思われる。この田んぼは苗代後なので、葉色の違いが明瞭に出るが、有機の田んぼでは色ムラが出ることが多々ある。それは肥料分の多少より、代掻きの違いによると考えた方が良いようだ。

苗代を作るために、他の田んぼ部分より1か月以上早くアラオコシ代掻きを丁寧に行っている。これは播種日の朝の苗代の状態である。ここに、バラ蒔きで種をまく。あるいはセルトレーや、苗箱を置いている。一番左と、2番目の苗代が欠ノ上田んぼの苗代である。この土の状態に浸種して鳩胸状態まで発芽した種籾を、ばらまいてゆく。ばらまいた上から、ぼかし肥料を入れている。そしてその上から燻炭を撒く。その上から穴あきビニールを被せる。発芽しても、水やり程度で水は辛目に管理する。他の3本の苗代はそのままでセルトレーや苗箱などを置いて、利用している。

発芽してきたところ。まだしばらくは水やり程度である。

稲の成長に合わせて、徐々に水を深めてゆく。水を早朝一度入れても、すぐに止めて、乾かす。苗代の水やりはとても細やかにやらなくてはならない。観察のための通路部分を楽に歩けるように、代掻きをしない。

8月29日朝5時30分曇り。穂揃いが終わっているが、いまだ苗床通路の後が残っている。

今年は、猛暑の為に早く土壌の肥料成分が消化されたと思われる。有機農業でやっている田んぼを見て歩いたが、色が周辺の田んぼと変わらないところも多かった。そこで、穂肥は特に必要な年と考えた。1反に窒素成分で2キロ検討でソバカスを13葉期、田植えから8週目に与えた。その結果穂が出てから、15枚目にあたる、最後の葉の止葉の色がそれまでの葉より一段濃くなった。穂が黄色く色好き始めてからも、葉の色が濃くなるという事は初めて経験した。ここでも通路部分と苗床部分では緑の戻りが違った。根が活性化していない通路部分では緑の戻りはほとんどなかった。有機農業では穂揃いの時期になっても、根の活動が活発なのだと思われる。稲刈りの時でも、止葉は緑が残っている。穂に付いているすべての籾が黄色く変わった後でも、止葉は緑を維持している。このように稲刈りのころまで根が活性化している状態を作り出すことが、有機農業の特徴ではないだろうか。

 

 

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建設的ジャーナリズム

2018-08-28 04:18:10 | Peace Cafe

報道というものに問題解決能力があるかが問われている。情報をある意図を思って伝えるというのが報道である。例えば、報道機関であれば、日本の食糧自給率38%問題に関して、あらゆる角度から調査して、どうすべきかの結論を持ち、提案を社会に伝える。これが出来るとすれば批判精神のある問題解決型報道である。政府は一番情報を多く持っているだろう。情報分析の結果、他の重要な課題を尊重するためには、食糧自給率がさらに下がるとしても止む得ないと考えることもありえる。ここで報道機関は食糧自給の意味を建設的な課題であるのかどうか。分析しなければならない。食糧自給は国の安全保障であるという考えもある。そうした情報を伝えられた国民が食糧自給こそ重要だと納得できれば、政府に対して投票行動で意志を示せる。

こんなやり方が解決能力のある、建設的報道機関なのではないか。日本の未来社会を想定できなければ、何が建設的なのかの判断はできない。この建設的であるという事が、大企業にとっては、当面マイナスになる意見かもしれない。この時大企業は報道に対して、広告費を削減するという事になるのだろうか。最近、大手新聞社は記事の頭だけを無料にして、この先を読みたいなら金を払えという記事が増えた。そして無料で読める範囲を徐々に狭めてきている。有料でも読もうという人がいるから、これで何とかなるという判断なのか。独自の資金源が出来れば、経済的独立性を確保できるという事になる。情報が有料であるという事は当然なのかもしれないが、お金を払っても読みたいと思うような、新聞社の記事の頭出しを見たことがない。ネットにあふれている無料の情報以上の内容を新聞社は発信しているのだろうか。とするとネットにあふれている無料の記事の意味はやはり大きな意味がある。ネットにある様々なニュースや、意見を日々読んでいる。私も身の回りのことを日々情報発信している側面がある。これら情報もささやかな報道と言えないだろうか。

これで紙媒体が無くなるとすれば、それはそれでネットのもたらす合理化なのかもしれない。大きな流れとしては、かわら版のような手仕事から、ネットのような情報だけの伝達できれば良しとする両極に分かれるのだろう。必要とする情報は受け手によってまるで違う訳だから、すみわけも当然進むことだろう。人間が生きる場が、社会という塊である以上、必ず問題が生じる。その問題を整理し解決する役割が、政治、行政、司法、の三権に一義的にはゆだねられている。その三権を担う人々が、理想的で問題もないものであるならば、報道というものは無用なものなのかもしれない。しかし、権力は権力であるが故に必ず腐敗する。権力は監視しなければならない。ここにジャーナリズムの役割がある。建設的ジャーナリズムを考える場合、権力を批判的に監視する役割を見失えば、体制翼賛ジャーナリズムとなる。批判勢力としての報道の役割をそぐ目的で、建設的という言葉が使われるので気お付けなければならない。

もう一度食糧自給について考えれば、建設的報道という視点から以下の5つの観点でチェックすべきとある。1、独自の発想。2、具体的解決策。3、他の事例。4、なにが学べるか?5、できないとすればその理由は。

自給農の直接のささやかな報道という観点で言えば、独自の発想である。具体的な解決策は自給農だと考えている。他の事例はどうだろうか。食糧生産という意味ではいろいろ調べて入る。私のやっている自給農の体験から学べるものは多いはずだ。何故日本の社会が食糧自給出来ない理由はないはずである。できないのではなくその様な選択をしているという事だろう。気候的にも、農地の面積にしても、食糧自給はたやすい国である。農業従事者が不足するから、外国人労働者を入れるというのは、食糧自給ではない。自給農業者に農地の利用を認めるように農地法を変えない理由はどこにあるのか。大規模農業が出来ない農地は自給農業者が利用できるように農地法を変えるべきだ。自給できないという前提のまま、農産物の国際競争力という意味付けは何を意味するのだろうか。ここに政府の恣意的な農業に対する、企業優遇の発想が潜んでいないか。この辺を報道機関が調査報道すべきという事になるのか。

 

 

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瞑想は危険があるかもしれない。

2018-08-27 04:23:08 | 暮らし

瞑想教室が日帰り温泉施設でも、開講されている。現代人の暮らしに何か役立ちそうな印象があるのだろう。本当は瞑想というものは結構危ういものではなかろうか。オウム真理教が信者の誘導に瞑想を利用していた。おおよその新興宗教が何らかの瞑想の類を用いて居る。瞑想が心の世界にかかわりがあるとされているのだろう。私の禅の師である山本素峰先生は指導者なく座禅をやらない様にと言われた。座禅を間違って行い、精神障害になる人を見てきたと言われていた。座禅は一人でやるものではないとも言われていた。山本先生は世田谷学園の座禅の先生であった。本当の禅坊主という人間が高校に現れたのだから、私には衝撃的だった。永平寺で長く修業をされていて、そのまま世田谷学園に現れた。異質な人間力に衝撃を受けた。人間も様々なものだと知った。山本先生の威力のようなものが何かは分からなかったが、こういう岩石のような力量みなぎる人間になるためには、座禅の修業が必要らしいと思うようになった。得度は先生に出会う前にしていた。

座禅のことは今も少しもわかった気はしない。徹底してやったわけでもない。最近は特段座ろうという気もない。ただ、座禅をやっていたころの心の在り様と、何かをしている自分が重なっていると自覚することはある。田んぼで草取りをしているとき、座禅をしていた時のようだと思う事がある。絵を描いているときにも、いつの間にか座禅をしているままになることがある。コロナの湯のサウナの中や、水風呂の中にいて、座禅をしているのと近いと感ずることがある。誓うという事は分かっているのだが。と言ってわざわざ座禅のような状態になろうとする訳ではない。突然そういう感じに入り込むことが最近ある。ボケてきたのかもしれない。頭の中が空白化している感じからしてボケなのかもしれない。中学生の時には禅は足が痛いという印象以外になかった。座禅は辛さを我慢するものだった。静かにしているという事自体が苦行のようなものだった。この無意味さと足の痛さという、馬鹿げたものを耐えきれれば何かになると思っていたのかもしれない。そんなおかしなことがある訳がない、まさに乞食禅である。

乞食禅とは何かを得るがために行う禅のことで、最も禅の世界から遠いものだとされる。だから、私は禅から離れた。何かになりたいが強すぎる自覚から、座禅をしていたらとんでもないことになると考えた。同時に何かを得たいがこれほど強い人間であるのだから、むしろそれを避けて生きることには不自然なこととも考えた。勉強をするというのは何かを得たいからだ。よく目的は分からないが、勉強をして成績が良くなり、良い大学に入る。これはまさに乞食禅だとも思った。目的のために努力することを良くないとする考え方に、行き詰まった。しかも、絵を描くとか。鶏を飼う。本を読むということさえ、やってはならない。となると、禅の方角に進む気にはなれなかった。高校という場に禅坊主が登場すれば、こういうことが起こるのだろう。世田谷学園という曹洞宗の僧侶育成期間の高校で、本山で評価された禅坊主は尊重せざる得ないのだから、何かつじつまの合わないところがあったのだろう。丁度大学闘争の時代だから、何が何やら分からない混沌の中に居ることになった。

何で経験を書いたたかと言えば、瞑想は安易に近づかない方が良いと思うからだ。座禅というものは、危ういところのあるなかなか大変なものと思うからだ。下手をすればオウム真理教になるし、高校生が勉強をしてはならないと考えるようにもなる。生活に役立つ範囲というような、具合の良い領域はない。瞑想は何かになるより、迷路に入る道になることの方が多いはずだ。極楽とんぼで生きているものが、本当の自分というものを見つめることになる。それを乗り越えるのはそう簡単なことではなかった。無であるという世界は実に厄介なことだ。しかもそれを頭で考えるのではなく、体感しろという事になる。ある意味指導者には都合の良い考え方で危険に満ちている。静かに瞑想すれば、日ごろの憂さが洗い流されるだろうとは私には到底思えない。まさか風呂屋の瞑想教室の奥にそんな怖いことがあるとはだれも思わないだろう。もちろんこれは営業妨害ではなく。瞑想の奥にある、すごい価値を認めてのことだ。

 

 

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好きな雑誌の見つけ方。

2018-08-26 04:05:52 | 

権威ある雑誌というものがあった。雑誌に書かれたという事で、評価が定まるような雑誌があったのだ。雑誌の中に世界観が広がっていた。FMファーンという音楽雑誌はよく読んでいた。一ヵ月の放送予定表がある。録音チェックをこの雑誌で行う為にこの雑誌を買っていた。当時はクラシックファーンだったので、FM放送でリリークラウスのモーツアルトの演奏があるというのを調べて、それを聞くために家に戻る。あの頃はモーツアルトファーンだった。余りに大事で、これという時だけ聞くことにしていた。音楽好きの友人がいたわけでもないので、一人でその演奏をただ聞くだけなのだが。誰の演奏がどうだこうだというような、高いレベルでもない。ただ音楽を聴かないといたたまれない気分だっただけだ。蘊蓄も全くなかった。それでもFMファーンの音楽評論がどこか面白かった。季刊芸術は高校生の頃から買っていた。それが新刊で買うのではなく、売り出されてしばらくすると三宿の古本屋さんに100円で必ず出るのだ。今でも捨てられず全巻残してある。あの雑誌で現代美術と言うものの存在を知った。美術雑誌というものがなくなり、芸術論など存在しない時代になった。

大学の頃はアルバイトの収入があると本屋に行って雑誌を買うのが楽しみだった。本屋さんに行くのは雑誌を立ち読みするためだった。それで何か一冊買ってかえる。雑誌黄金期だったのだろう。愛犬の友と美術手帳と将棋世界を一番買ったかもしれない。情報は雑誌からではなく、ネットから得ることの方が多い。将棋連盟のホームページを見れば、昨日の羽生竜王の勝敗が分かる。棋譜も出てくる。講評もある。自分の見解をコメントすることさえできる。こうした社会の情報機能の変化の中、週刊誌ジャーナリズムはどうなるかである。文春砲と呼ばれる、スキャンダルの調査機能を高めて、新聞とは違う脇から足をすくうジャーナリズムの誕生したかにみえたのだが。新聞に持ち込んでも取り上げてもらえないような際物も、雑誌なら掲載される。雑誌の低俗化が、ジャーナリズムの健全性を保っているともいえる。雑誌を売らなければならないという必死さが、週刊誌世界の調査報道を生み出している。

雑誌編集者は新たな若い購買層を探すことは諦めているようだ。残ったパイをちぎり合っているのが現状であろう。中高年向きの雑誌の生き残りは健康志向である。どの雑誌にも健康欄がある。今でも何かないかなと、つい本屋さんの雑誌欄を一渡り見る。残念ながら、買いたい雑誌がないまま帰る。もちろん様々な健康本が溢れている。そこに週刊誌も割り込もうというのだ。こうした情勢の中、ネトウヨの雑誌化と言えるような傾向が新潮45に生まれた。 自民党の杉田水脈衆院議員の記事が掲載された理由だ。ざっと読ませてもらった。自民党議員の知性の低さを証明したような記事だった。ネトウヨレベルの鋭さもない。こんな国会議員も存在することが証明されたことは良かった。もう自民党はまともではないなと思う。しかし杉田氏を良いという層があるらしい。ご本人の話では自民党内にも、もっともな意見だとしてくれる先輩がいるという事だ。これだから新潮がネトウヨ化したのだろう。

今も継続して買っているのが、「現代農業」である。40年前から私を農業に導いてくれた雑誌である。三軒茶屋の甲文堂書店で出会った現代農業。現代農業を読んで、いつか自給農業を始めてみたい。鶏を飼うような暮らしがしたいという思いを高めた。きっと現代農業は今も若い人の灯台になっている気がする。自給農業を考えるようになったのも、現代農業を読んできたからだ。人間が精神の自由を保って生きることができる社会が遠のいている。日本もすでにそうなっていると思う。捨てられないで季刊芸術を今も持っているのは、こんな時代があったという証だ。良いものが存続が難しいのは世の常であるが、次の世代の人に申し訳の立たないことだ。私たちがだらしがないから、こんな事態になったのだろう。一寸の虫として、ブログを書き続けている。ブログであれば、お金がかからず自分の考えを発信続けられる。

 

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有酸素運動のフィットネスレベル

2018-08-25 04:40:44 | 暮らし

フィットビットを付けて一カ月がたつ。実は自分自身への誕生日プレゼントが、フィットビットによる一ヵ月の身体測定結果である。昨日、数値については記録しておいた。その他のことを書いておく。好奇心で手首がうっとうしいが頑張って付けている。やはり、腕に何かを付けたという事がないので、少し肌が赤くなっている。それで左腕から右腕に変えたりする。それで数値がどう変わるのか。まだよく分からない。何故つける腕を決めないといけないのだろうか。手首から指2本分上に着けるように決められているのだが、そのあたりが一番脈が取りやすいのだろうか。それなら、むしろ腕の手のひら側に付けておいた方がいいのではないだろうか。バンドについては、穴あきバンドの方が、風通しが良いのだろうか。いくらか付け心地は良い。お風呂にはそのまま入るが、その程度の防水機能はあるようだ。手首を顔に向けると文字盤が見えるようになるとあるが、この点はうまく機能しない。1か月練習したが、どういう腕の振り方で画面が表示されるのかが熟達できない。指で敲くと画面が表示されるが、これもどういう叩き方が良いのか、その時々で調子が違う。

フィットビットではいろいろ機能があるようで、よくわからないが、面白い機能がある。有酸素運動のフィットネスレベルというものが出てくる。意味は心臓の運動能力と見ればいいのだろうか。私は63~67という風に出ている。自給農の私は心拍数が100を超えるぐらいで続けて働いている。普段の働き方が、有酸素運動レベルだろう。そして疲れると休む。心拍数が70ぐらいまで下がったらまた働く。数値がどう変わるかに興味があるが、これで30年だから変わらないのだろう。マラソン選手の瀬古選手は82であると書かれている。どういうことなのだろうか。何が82で私の何が65なのか。この17の差はもちろん年齢ではない。大きい方が運動機能が高いという事は確からしいがどうもよく分からない。ネットで調べていると、30代のマラソン趣味の人が、58で結構自慢げである。どういう事だろう私よりも低い。マラソンより自給農の方が身体によいとすればそれは当然のことだ。しかし、自分の年齢を変えてみて数字が変わるのかと思いきや、変化をしない。特に運動などやらないが、65はどういう数字であろうか。もう少し調べてみる価値がある。

自分が良いと思う事だけをやっていて、健康的にもよい状態であれば悪くはない。わざわざ運動するなど身体に悪いだけだ。マラソンなどは身体を消耗させて害があると考えている。フィットビットでも脂肪燃焼が赤ラインまで上がり表示がでることがある。これは過剰な運動で避けたいと考えている。高校の時の陸上部以来、走るというようなことはやったことがない。性格的に運動を始めると体が壊れるまでやってしまうのだ。自分の身体に心地よいように暮らしているだけで良い状態なら嬉しい。心地よいを判断できるように暮らしてきたつもりだ。畑仕事も無理はせず、すぐ休むようにしている。疲れるほどやる必要もないし、やってはならないと思っている。まあ年に数回なら問題はないが。草刈り機は満タン一回で止めることにしている。それ以上は身体に良くないことになる。農業は面白すぎて、ついついやり過ぎる。百姓仕事が身体を痛めて早死になるというのは、江戸時代の百姓の姿である。身体に楽な範囲の仕事でなければ、身体は消耗する。暮らしの在り方を心地よく、心地よく進めて、それが自分の体調管理になるようなものでなければならない。

それには自給農くらいがちょうどよいとフィットビットは示しているのではないか。わざわざスポーツジムに行くようなことは、身体に悪いことだ。こんな自給農の暮らしが健康的なのであれば、自給農生活は医療費削減になる。誕生日祝いに自らフィットビットを購入した。何でもかんでも計測好きには良いプレゼントだった。年寄りにはチップを埋め込むという事も出来ないのだから、せめてフィットビットをしていることだ。いつ徘徊を始めるかなど誰にも分らない。一ヵ月装着して、データーをそろえて69歳の誕生日を迎える計画。あと一年、70歳で石垣暮らしが中心になるが、石垣でどんな暮らしをすれば良いかを、フィットビットは記録してくれると思っている。小田原の自給農暮らしと、同じような数値を継続できるように、暮らしたいと思う。

 

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自給農業者をフィットビットで計測してみたら

2018-08-24 04:13:35 | 自給

自給農業者の労働状況を記録してきた。ひとりの人間がどのくらい働けば、食糧の自給が出来るのかを実証実験している。時間的に言えば、一日1時間自給農業の為に働けばよい。つまり、年間365時間働けば、食糧は自給できる。面積はどうか。1人分で100坪である。例えば3畝の田んぼで回りにぐるりと1メートルの畑部分をとる。田んぼの畔を兼ねた畑で、野菜を作り、中の2畝ぐらいの田んぼで稲を作る。これで120キロのお米がとれる。お米が80キロでいいなら、畔をもう少し幅広にしたらいい。こういう仕組みを考えて、試行錯誤するのは楽しいことだ。ただし、これは私自身の実践記録である。たぶんやってみても自給農業ができない人が半分ぐらい居るだろう。そして、自給はなんとか出来るけれども倍の面積がなければだめな人が半分いるだろう。その上に、熟練になるまで時間が倍かかる人が普通であろう。現在の私のように合理化できたのは、一人の自給ではなく、協働の自給になっているからだ。

自給農業者をフィットビットで計測してみたら、どんな状態なのか興味があった。1か月計測してみた。私一人という特殊例ではあるが、参考にはなる。7月24日からつけ始めて、8月23日までの1カ月30日間の記録だ。フィットビットを69歳の誕生祝に購入したので、こういうことになった。毎日、10,942歩歩いている。カロリーで2113カロリーの消費量だ。ただ基礎的な消費量を年齢と体重から割り出しているようなので、筋肉量を勘案すると、もう少し多くなるかと思う。安静時心拍数は55~58。何故このように振れるのかに興味がわく。睡眠時間は6時間数分。有酸素運動フィットネス値というのが、63~67。併せてタニタの体組成計での記録では、体重が54、3キロ。BMIが18,9。体脂肪率が10,3。筋肉量46,5。内臓脂肪率5,0。体内年齢が54となっている。数値はあくまで参考記録である。例えば、体内年齢など、誕生日前は53だった。数値が変わらないのに、歳をとるという事は、年齢から、15を単純に引いたものだ。狂いがあるといえるが、興味ある数字だ。

自給農業者は実に健康生活という事は数字に表れている。スポーツランナーの若い人と比較しても、数字的には劣らない。特段運動はしない。無理に働いて居るわけではない。好きに自給的に動いていて健康が維持できているようだ。後30年後私が100歳になった時、自給農生活は健康な暮らしだと証明できたことになる。あくまで、中間報告である。田んぼの草取りを先日一日行った。夏の田の草取りほど厳しい労働はない。ところがこの日の消費カロリーが最低記録で、1861カロリーとフィットビットでは出ている。歩いた歩数で言うと、7574歩で30日間の最低記録である。あれほど働いて、全く機械の記録できるのは偏ったものだ。田んぼでのろのろ草取りしている状態を、計測できないという事だろう。田の草取りは苦しい労働ではあるが、疲れない様にしか動かない。想定外になった気がする。自分の内観を重んじて、今日は働いて疲れた。これこそが最も大切な感覚である。疲れていたら、翌日はグータラと寝ていればいい。働きたくなったら働けばいい。健全な人間であれば、動きたくなるものだ。そこが自給農業者の良いところだ。

早く、オムロンの血圧計が出ないかと思っている。こうして自分のことをあれこれ調べるのは、少々自己執着病的な性癖なのかもしれないが、その結果、自給生活者の実態が記録できるのかと思うと楽しくなる。スポーツジムに行くより畑に行く方が健康的だ。毎日1万歩歩く程度で自給は出来る。今度から人に聞かれたらこう説明できる。私の数値を見る限り、自給農は最高の健康生活と言い張れる。こういうことが小さな実践情報として貴重だと思う。ただ、性格的に思い込みが強い。ついつい大げさになる。そこで客観データーが必要になる。この点でフィットビットが役立つのではなかろうか。少々おかしなデーターも出す機械だが、良いところもある。一時間少しも歩かないと、歩くように促す機能がある。3時間動かなかったと記録にある。これなどはなかなか良い機能ではないかと思う。ついつい、3時間も車の中に座り続けて絵を描いているというようなことに、いいことのがないと決まっている。

 

 

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穂揃いから水切りまで

2018-08-23 04:06:22 | 稲作

穂揃いした朝の田んぼ。緑が広がりこの緑の波に飲み込まれるような恐怖感がある。余りに美しいと恐怖を覚えるという事なのかもしれない。この美しい風景を作り出し、毎日この中を3回は歩いている。朝、昼、番と違う美しさがある。田んぼには3回も行かないでもいいのだが、ついつい行ければゆく。穂揃いが最後になっているのは、3番田んぼの水口付近である。ここはまだ完全に穂が揃っていないが、他の田んぼとのバランスもあるので、23日を穂揃いしたという事にしたい。 

 3番田んぼである。この写真の上のあたりが、まだ穂が揃っていない部分だ。辺りを埋め尽くすような生命の力が出ている。オーラが出ていると言えるのだろうか。ここは苗床をやっていた田んぼで、苗床だった場所と、通路だった場所ではここまで来ても葉色に違いがある。苗床だったところの方が、止葉の色が濃い。そのことがイネの穂に違いを与えているのかというと、あまりよく分からない。分からないが、緑の色の濃い方が根の活動が盛んなのではないかと想像している。

 

こちらは一番田んぼだが、水口も穂揃いは終わっている。この写真の手前の所が、まだ穂が出ていない場所だ。田んぼに行くまでの間に、クワイの水路が10mほどある。ここを通過している間にいくらか水温が上がる。一番の水口が遅れる状態も稲の生育が悪いという事ではない。穂の数は最後はほぼ似たような状態になる。穂の大きさも粒張りも違うというほどのことはない。

 ここまで間断灌水を続けている。水尻の排水調整版を下げて、水位を下げてある。水を入れる時間も減らして来ている。あちこちから水漏れが起こるから、下の田んぼほど、水のない日が多くなる。10番田んぼは一番乾く田んぼなのだが、水が沸く田んぼでもある。丁度良いような不思議な結果になっている。

ここが種籾をとる、10番田んぼである。止葉の下に穂がかしいできている。水が沸いてくるのは、この写真では右下あたりである。今年は少し土を入れて高くしたので、改善されたようだ。右側が1本植で、左側が2本植である。違いは全くない。これでどちらが倒れるかもこの後よく見ておきたい。10番から11番に水を落としていたのだが、それは水温の低い間だけで、11番田んぼは湧水だけで現在栽培している。

昨年倒れてきたのは、9月8日だったと思う。台風が通り、倒された。この後の田んぼ管理は、充分に最後まで穂を実らせながら、同時に倒さないで行けるかである。今年は稲は120㎝になっている。確かに背が高い。これで倒さない管理ができるかどうか。どうしても田んぼに沸く場所がある。こういう場所がいつまでも地面が固まらない。

側面から見ると、葉の色がわかるので、今朝写真を撮り後で掲載した。穂の色と葉の色の違いを見て欲しい。普通の田んぼは穂の色と葉の色がほぼ同じである。

色は出ていないのでわかりにくいのだが、止葉が多き上に突き出ていることがわかる。この止葉の大きさこそ、良い稲穂を作る大切な要素だ。 

 

 

 

 

 

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アジア大会買春行為の衝撃

2018-08-22 04:11:52 | Peace Cafe

アジア大会選手の買春行為。これはさすがにひどい。健全なる肉体に健全なる魂が宿るはずではなかったのか。日本代表4選手の頭が空っぽとしか思えない。状況が全く見えていない。善悪の判断が出来ない。何故こういう頭の空白な人間が日本代表になれたのだろうか。プロバスケットの世界の実態が反映しているのではないか。日本国内の試合の後も似たようなことはないのだろうか。それを許すような社会環境が生まれていないのか。これほどの事件は過去記憶にない。まじめな大多数の日本代表選手にどう言い訳が出来るのか。もうこういうことが起こるようなら、スポーツに国がかかわる必要もない。何のためのスポーツなのか。ボクシングでは会長が暴力団ほぼ関係者という事で、大問題になったばかりだ。あの時もどこの団体だって同じだとホザイテいたが、こういう実態なのか。強いという事が、すべてに優先する世界では、こんな人間達が出来るという証という気がしてならない。4人とも日本代表ユニホームを着て出かけた。その上での買春行為である。4人の中に一人でもまともな判断力の人間がいたら、止めたはずだ。こんな馬鹿なことが起こる訳がない。

日本人総点検。何故こんなあきれた国になってしまったかである。競争主義に第一原因がある。バトミントンの賭博事件の選手が、勝ち負けにこだわる生き方だから、賭博への道は近かったと話していた。人間は勝負だけでは劣化する。勝負を超えた世界があることを武道では言うではないか。この4人はバスケットリーグのプロ選手である。プロ選手のなかでも能力が高いので日本代表に選ばれた選手であろう。そういう立場まで勝ち抜く過程で、どんな環境で、どんな人間に育ったかである。強ければ社会性などいらない。大きい人たちである。目立つであろう。日本のユニホームを着ている。どのように浮かれていたとしても、旅の恥は掻き捨てと考えたとしても、まともな判断力が欠落している。判断力を捨てたロボット選手が良いのか。この4選手だけとは到底思えない。スポーツの選手として、勝ち抜く過程で、何かを失うと考えなければならない。強ければ後のことはすべてよしという考え方に問題があるのだろう。強くなれば、大金を得られる。この構造の中で育つ人間というものの在り方に、問題がある。過去のスポーツ選手の育成とは違う次元で考えなければならないとこまで来ている。

日本の代表選手になるという誇り。一銭にもならなくとも、この誇りの為に努力をする。前の東京オリンピックの時の選手の方々はみんなこういう思いだった。こうした姿が古臭い考えであり、それでは強くなれないよという事になったのだろう。金足農業が負けて、大阪桐蔭が勝てば、一番以外は意味がないという事になるのか。前回のオリンピックでは、プロ選手というものはオリンピックに出られなかったのだ。お金の為にスポーツをやる選手はオリンピックの対象外だったのだ。50年前までは、そういう世界があったという事自体が信じられないだろう。いつの間にかオリンピック自体がお金が主目的になっている。選手もお金のために頑張るし、オリンピック委員会自体が賄賂や収賄行為が話題になる。この50年で世界が拝金主義に変わった。この変わったがために、起きてきていることに向かい合わなければ、さらにくだらないことが起こる。金儲けの為に、カジノ法案を作るような国なのだから、もうどうにもならないのかもしれない。今回の事件は日本がこんな社会になっては仕舞ったことを示しているのだろう。

こんな社会の中で、まともな人間もたくさんいることも知っている。若い人たちは競争の中でつらい状況の中に生きているのだろう。敗北主義と言われようとも、自らの真実に向かうべきだ。好きなことを見つける。好きなことをやり抜く。好きなことがあれば何とかなるものだ。好きなことをお金で判断しないことだ。お金になるから好きになるという選択をしないことだ。農業分野だって、金の亡者が徘徊している。そして金にもならない自給農業をしている人間を、蔑んでみている。こうした視線は政府の公認になっている。お金になる農業だけを価値あるものと思い込んでいるのはつまらないことだ。有機農産物は高く販売できるという事で、販売品は有機認証を受ける。しかし自家用には平気で農薬をかけ、化学肥料を使う人が多いのだ。自給農業はそんな馬鹿げたことをしなくとも、生き方として有機農業で生きて行ける。1日1時間、100坪の土地で一人の人間の食べるものは生産できる。食べるものさえあれば、後は好きなことで自由に生きる方がよほどましだ。

 

 

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石垣の暮らしにたどり着くまで

2018-08-21 04:23:39 | 石垣島

今日は69歳の誕生日である。おおよそ後1年で石垣島中心の暮らしになるのだろう。38歳の時にいわゆる画家になることを諦める。天才ではないという事が分かったからだ。このままでは絵は下り坂になると考えた。生き方を変えようと自給生活に入る。40~66歳まで養鶏業を行い、やめた。70歳までは田んぼをやる。70歳になったら石垣に引っ越して絵を描く暮らしに入る。決めすぎな生き方なのかもしれないが、このようにおおよその目標を定めてやってきた。少々のブレはあるが、なんとなくこんな具合に進んだ。と言っても来年は最後の田んぼはやるつもりでいる。という事は田んぼが終わる来年の10月末までは小田原暮らしである。段々その時期が近づくと、少しづつ自分にも未来がはっきりとしてきた。今は養鶏業も自然養鶏というものを、限界まで追求した気持ちが持てる。幸運で、周りの人たちに助けられたから可能だったことにちがいない。何時もダメかなと思うと、助けてくれる人が現れてくれた。お陰様で、少々変わり者の発達障害気味の私でも納得行くだけ、やりたいことをやらせていただくことができた。

世間は世知辛いようだが、親切な心が満ち溢れているものだと今更ながらに感謝の気持ちになる。そうでなければ、到底養鶏業は出来なかった。本当に助けられたことばかりだ。畜産試験場の技官の方々ありがとうございました。農文協の編集の方々ありがとうございました。日本鶏の保存会の方々ありがとうございました。自然卵養鶏会の皆様ありがとうございました。お世話にならなければ、何もできなかったことは確かだ。地主さんをはじめ地域の方々の、支えがなければ養鶏を始めることもできなかった。恩返しも十分にできていないまま、養鶏をやめることになった。これ以上続ければ、何か問題を起こしかねないという不安が発生した。66歳の時様々な衰えを感じた。あの時無事止めることができたことは、やはり良い選択であった。考えてみれば一番支えてくれた方々は、卵を買ってくれたお客さんだ。そうだ、忘れてはいけない。最初に卵を売ってくれて支えてくれたのは、代々木上原の兄だ。私より若かったのに、早く死んでしまった。

今は自給の田んぼについても、出来得る限りのことがやったという気持ちが持てる。自給生活の中、この田んぼと養鶏の二つのことがやらせてもらい得たのは、幸せなことだとおもう。田んぼについては30年近くやったことになる。最初の5年は全く他人とかかわらない山の中の自給の田んぼだった。自給の田んぼが5年で何とか出来るようになって、みんなでやる田んぼに進んだ。ずーと一人でやっていられないのが、自分の性分なのだと思う。あしがら平野一体で、10数か所だろう。仲間が集まっては様々に田んぼをやってきた。そして今、久野欠ノ上で4反の田んぼをやっている。16家族の仲間がいる。家庭イネ作りの田んぼとして、最高の技術水準の田んぼだと思う。農家の田んぼよりも収量が多い。有機農業の優れた技術をまとめたと思う。このやり方は農文協から出版する予定だ。読めば誰にでも農家以上の田んぼが出来る本のつもりだ。それでも田んぼは実際に一緒にやらなければわからないことだと思う。

来年がその最後の機会になる。もし家庭イネ作りに興味がある人がいれば、来年一年が最後の機会になる。名人の農業ではない。全く経験のない人が初めても可能な田んぼを追求してきた。手間はかかるが、最高の田んぼになっている。学んでみたい人は来年が最後の機会になる。会費1万円前後。お米120キロ差し上げます。月1回から2回の作業日となります。養鶏の方は終えてから、教えてもらいたいという人がいる。田んぼも終わる前ならすべての技術を伝えることができる。笹村までメールで申し込んでください。sasamura.ailand@nifty.comこの後石垣で絵を描くという事が、何処までのものになるかはわからない。ただ私以上に田んぼのことを理解していて、田んぼの絵を描いている人間はいないだろう。田んぼをやる人間の目で見ているたんぼの景色を描いてみたいものだ。

 

 

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秋田金足農業の快進撃

2018-08-20 04:03:35 | 暮らし

秋田、金足農業高校が甲子園の高校野球で活躍をしている。今日、日大三校と準決勝である。強いと言われていた横浜高校が、逆転ホームランで崩れ去った。そして準々決勝では、やはり逆転サヨナラの、ツーランスクイズである。粘り強い泥臭い野球をする。まさに雪国秋田の農の伝統を感じる粘りだ。何処までも諦めない芯がある。これぞ農業高校野球だ。農業にかかわるものとして、農業高校の活躍には格別嬉しい。逆転ホームランの高橋選手は養鶏担当というからなおさら興味がわく。週2回鶏の餌やりや掃除をすると書かれている。どんな授業をしているのだろうか。そっちでも頑張って欲しい。ピッチャーの吉田選手のおじいさんはナシ農家だそうだ。米どころ秋田も厳しい農業環境であろう。そうした環境の中でも農業高校に進学してくれる若者がいる。全国に農業を目指す若者がいる。全国の農業高校の仲間を励ましてくれる金足農業高校である。金足の選手が全国の農業高校の仲間のことを語っている。こういう連帯がうれしくなる。そもそも県立高校が勝ち進むことが難しい。

野球に特化したような高校が全国にはたくさんある。その地方の高校生だと思っていたら、全国からスカウトされた生徒のチームという事もある。ところが野球というスポーツの面白いもので、強化する私立高校だけが強いともいえないのだ。凄いピッチャーが表れた時だ。野球というスポーツは投手の良し悪しが大きく左右する。高校生で最強打者であった松井選手はすべての打席敬遠されてしまい、星稜高校は敗れた。三沢高校の太田幸司投手は東北勢としては初の決勝進出を果たした。連続45イニングを1人で投げ抜いた熱投も実らず、準優勝に終った。金足農業の吉田選手も今大会一番の投手と言われている。評判通りの素晴らしい投手で9回の投球で150キロの剛速球を記録している。全て完投勝利だ。ただ問題は一人の投手で投げ抜くことの難しさである。この暑さの中、4連投などという無理をしなければならない。作新学園で活躍した江川投手がプロ野球でそれほどには活躍できなかったのは、高校の頃投げすぎたのではないかと言われた。

「金足農業高校校歌」

作詞/近藤忠義
作曲/岡野貞一

可美しき郷 我が金足
霜しろく 土こそ凍れ
見よ草の芽に 日のめぐみ
農はこれ たぐひなき愛
日輪の たぐひなき愛
おおげにや この愛
いざやいざ 共に承けて
やがて来む 文化の黎明
この道に われら拓かむ
われら われら われら拓かむ

もう一度この歌を聞きたい。勝利して反り返って叫んでいる姿が、印象的である。到底歌っているとは思えないが、多分叫んでいるのだと思われる声が歓声に消されて聞こえない。画面に現れる歌詞には惹かれるものがある。「農はこれ たぐいなき愛」と書かれている。「日輪の たぐひなき愛」雪国秋田らしい思いがある。この道を農で拓くと歌っている。その意気や良し。と思わず言いたくなる。この歌には思想がある。農業というもののにかける哲学がある。農業には人間が生きる姿の、原初の姿が反映している。その地域に農業が無くなった時にその地域は失われる。もし、農業よりも経済に有利だからと、その地域がカジノを誘致して経済が活性化したとしても、暮らすべき場所である地域ではなくなる。日本が進むべき道の基盤には、瑞穂の国としての稲作農業がなくてはならない。金足農業あと2勝だ。

 

 

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尾畠春夫さんの感謝

2018-08-19 04:07:09 | 暮らし

周防大島で行方不明の子供を発見した尾畠春夫さんの感謝は深い。お盆の日本全体がご先祖様へと同時に尾畑さんへ感謝をしている。こういう生き方で暮らしている人が同じ社会にいたという素晴らしさ。尾畑さんのテレビに映る姿を見て、思わず手を合わせて、涙した。最近日本の社会の行く末に悲観的になっているが、希望を持たなければと思い直す。尾畑さんは行方不明の子供を探しに行かなければと思った。あと1日待っても見つからないのであれば、出かけようと決意して、大分から駆け付けた。もう時間のない3日目の早朝20分間で子供を見つけてくれたのだ。家族には必ず自分が探すからと伝えて、捜索に入り、一直線で子供の所にたどり着いた。2歳の子供が、尾畑さんの声に「おじちゃん僕ここだよ。」と答えたという。まさに奇跡が生まれた瞬間であろう。尾畑さんの子供の命に対する純粋な思いが、尾畑さんの感性を解放し、子供の居所が降ってきたとしか思えない。

尾畑さんの生き方が磨き上げた尾畑さんの感性のすごすぎる世界ではないか。尾畑さんは修業に生きている。まさに修験道の行者である。65歳から、78歳の今日まで、千日回峰行を続けているのであろう。ご本人の意識としては、ボランティアに生きているという事のようだ。65歳まで魚屋さんをされていたという。後の人生は人の為に生きようとただひたすらに、困っている人に寄り添い生きている。連続的に起きる災害に駆けつけている。軽自動車で出かけて、シュラフで寝泊まりしながら、救援活動をされている。まさに情けは人の為ならずである。この純粋一途な生き方が、尾畑さんを磨き上げている。生き仏である。65歳ですべてを捨てることができた凄さである。孫を見つけてくれた尾畑さんに感謝を表現しようとした。雨の中探してくれた尾畑さんにお風呂でもと言われた。とんでもないと、頑なに断っていた。これが私の生き方ですのでと、差し出された傘を雨が好きですからと断った。

65歳で魚屋をやめる。私も養鶏業をやめた。この点ではたぶん私も近い思いがある。尾畑さんは人の為だけに生きようと考えたようだ。先ずは、自分が生まれたこの国を歩いてみようと日本を歩いて縦断したという。この歩くという事から、その後の生き方を見つけたのではないか。本当の意味の回峰行である。行者の方が自らの修験道に生きて、霊験を得る。行方不明の人がどこにいるかが分かる人の話というのは、時々ある。家出をした友人の件で、経験をしたことがある。家族の方が、京都のまったく状況を知らない行者の方にお告げを貰いに行ったら、なんと、私の家に来るからと告げたというのである。その通りに私の家に来たのである。私も行方不明になったと聞いた時から、私の家に来るだろうと、確信していた。そういう思いが充満していた。彼は惑いの時期を抜けて、現在活躍されている。人の為に生きる道を見つけた、尾畑さん。絵を描いてみようと考えた私。

ずいぶん立派さに違いがある訳だが、これが私の業のようなものであろう。私というだけでなく、笹村の家の業のようなものだと感じる。自分というものが異様に肥大化している。ただただ、この肥大化してゆく自分というものに向かい合うほかないという明らめである。そもそも15で得度して禅に生きてみようと思ったことがおかしいではないか。禅寺で生まれたことは確かだが、すでに寺を離れ、東京で暮らしていたのだ。自己の肥大化の表れであろう。自分の為に生きてみようと決めたわけだ。確かに人の為に生きてみようと考えた尾畑さんから較べて見れば、ずいぶんひどい奴に見える。世間的に見れば、その通りである。それでも人真似は出来ないと思う。自分の業を突き詰めれば、たどり着くところは意味ある世界があると思っている。私の描く絵が、尾畑さんの言われるところのボランティアになるかもしれない。こういう期待はある。子供の命を救えるような絵が描けるかどうかは分からないが。ゴッホの絵を見て命を救われた人は居る。ともかく78歳の尾畑さんまで、純粋に10年絵を描いてみようと思う。

 

 

 

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田んぼ穂揃い期

2018-08-18 04:20:43 | 稲作

田んぼは穂揃い期まで来た。18日を1番、2番、4番、5番、7番、8番、9番、10番、11番。穂揃い日とする。田んぼもいよいよ最高潮である。穂揃い期とは稲穂が、出そろった時期のことである。穂が出ていることは誰でもわかる当たり前の姿だろう。簡単に判断できそうだが、これが案外にばらつきがある。一本植えの苗では最初に穂が出てから、10日は穂が出るのに時間がかかる。その上に、出穂が遅れる水口から、最初に穂が出る水尻まで穂が出ることにも10日の差がある。だから、2週間近く出穂から穂揃いまで時間がかかる。このばらつきをどのように見るかは人によって判断が異なるようだ。私は出穂期も厳密に半分穂が出た時期とする。そして穂揃い期も穂がだいたいではなく、完全に出たなというところで見ている。これは毎年自分で同じ基準で決めれば良いことである。毎年のことで、同じ基準で稲の生長が判断できれば、田んぼの作業の適切な時期が決められる。

穂揃いを決めるという事が出来れば、水をどこで落とすのが最善かが判断できる。田んぼのイネを倒さない管理が見えてくる。出穂から穂揃い10日後までは水は切れない。稲が穂を作る時期は水が必要になる。走り穂の頃から、深水管理を終わり、徐々に間断灌水に入る。間断灌水をするという事は、田んぼの隅々まで新鮮な水を行き渡らせるという事だ。夏の田んぼでは水がよどんでいれば、すぐ死に水になる。だから流し水をする訳だが、流していても、田んぼの水がすべて変わる訳ではない。淀んでしまう場所がどうしてもある。そこで水を一度落しては、再度入れるという間断灌水を繰り返してゆく。一度水を抜くという事で、土壌もいくらかは固まる。土を固めながらも、十分な水で大きな穂を育てる。この少し矛盾した管理をが重要になる。徐々に水を切る間隔を広げてゆく。田面に軽くひびが入る所まで水を抜くことができるようになるんが、穂揃い10日後である。

穂揃い10日後は例年8月末になる。ここまで来ればかなり田んぼを乾かすことができる。それでも干田にするほど乾かし過ぎる十分膨らんだ穂にはならない。粒張りの良い穂は最後まで水のある田んぼのイネである。そこで、水はあるが田んぼが固まってゆくという気持ちで水を落としてゆくのが、田んぼ後半の水管理になる。この矛盾した状態を自分の田んぼのやり方という事で、確立したい。しかし、上手く行きそうだと思えば、豪雨がきたり、台風がきたりして、すべてが水泡に帰すことがままある。今年は果たしてどうなるのであろうか。

今年は田んぼの草がすさまじかった。初期段階で、徹底したコロガシをしなかったところは草が出た。コロガシはやはり4回は必ずやらなければならない。草がなさそうだからやらないというのでは、後で大変なことになる。草を見ずして草をとる。転がしをやった後に草が出たあたりでは、拾い草が必要であった。拾い草をやらなかった田んぼでは、今すざましい勢いでコナギが生育をしている。イネの分げつを半減させるほど抑えている。穂も小さくなっている。この時期になって草取りをやると、数倍の時間がかかる。また稲の痛みも出る。初期段階のコロガシならば、稲を痛めるどころか、稲の生育にプラスになる。4回やっても10時間で済む。ところが、これを手抜きすると、20時間でも草は取り切れなくなる。しかも稲の生育は疎外されてしまう。やるべき時期にやるべきことをしなければ、良い稲作は出来ない。

草取りをして乱れた田んぼ

 

 

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日本はダメになるのだろうか。

2018-08-17 04:23:49 | Peace Cafe

どうもこの先の日本はダメなんではないかと、思わざる得なくなっている。何しろアメリカ一国主義を主張するトランプと唯一の友人であるというのが、自慢という日本のアベ政権である。アメリカは以前にもましておかしい。中国の国家資本主義への変貌もあり、日本は中国と関係を作り出すことが出来なくなった。アメリカからの圧力もあったのだろう。この20年間日本は中国を仮想敵国とすることになって進路を誤った。米中の対立関係の中で、日本は極めて危険な立ち位置にあると言えるのだろう。アメリカの一国主義は失敗に終わる。自由主義経済という枠の中で、一国主義が成り立つ訳がない。中国の国家資本主義にも未来はない。独善は資本主義の一番悪い側面である、目先の利益に振り回される方向に進んでいる。アベ政権はほとんど理念のないまま、中国に経済関係を持とうと図ろうとしている。中国と良い関係になるのは良いことであるが、そこには日本の未来図がなければならない。妥協は良いのだが、方針がなくアメリカに振られたから、中国に乗り換えるでは上手く行くはずがない。

アメリカという国はあと数年でバブル崩壊になる。無理やりの一国主義経済政策だからだ。確かに目先の経済では良い面が表れるだろうが、反動でひどい経済破たんが起こることは間違いがない。協調性のない自由主義経済は崩壊するはずだ。資本主義が修正的に競争ではない協調路線を取り入れてきたのは、資本主義をなんとか維持させるためであった。ただのハゲタカ能力主義にしてしまえば、必ず格差が広がる。今のところ、格差の下の階層も、もしかしたらおこぼれがあるかもしれない。引き連れて自分たちにも恩恵が来るだろう。こう想像している。ところが、そんな棚ぼた的な事はない。格差は広がり、対立が激化する。このままアメリカが進めば、内部崩壊的にアメリカは崩れ去るだろう。同時にアメリカによって行き詰まった国が冒険主義に走る可能性も高まる。テロの拡大。戦争の勃発。

日本には困難な進路が想定される。日本が自分の国をどうするかの方針が持てないからだ。アベ政権の9条に自衛隊を加えるという矛盾はまさに、国家というものを泥縄でしか考えていない証拠である。自衛隊員の子供が学校で可哀想であるから、憲法を変えるというようなことでは、本末転倒である。アメリカがさらなる一国主義を強化して、力の政治で世界情勢は混乱がたかまる。世界が不安定化する。日本はトランプに隷属し引きづり込まれ、国家としての経済は恐慌に至る。日本が日本であり、世界から尊重される国の方角はどこにあるのかである。日本が日本である為の国の安全保障はまず人間である。食糧である。防災である。国家の基本インフラの整備である。武力による安全保障は必ず破たんする。日本国に普通に日本人が暮らしてゆく原点に戻るという事ではないだろうか。

日本は大きく間違った方角に進み始めている。残念なことに国という単位では希望はないと思うようになった。日本が独自の道をみつける。アジアの普通の国なる。アメリカと縁を切り、中国やアジア諸国と新たな関係を作る。こういう当たり前が、追い込まれる経済の為に取れなくなる。多分もう日本はダメなんだろう。日本がだめでも人間として尊厳をもって、生きてゆかなければならない。とすれば、自給的な生き方がいよいよ重要になるだろう。日本が崩壊して、最貧国に落ち込むとしても、自給農の生き方は可能である。良い気仲間を見つけることだ。どのような状況になろうとも、ひとりで生きることは不可能である。自給農で一人で生きることが可能になった人間は、是非ともこれから自給農を目指す人間を誘ってあげて欲しい。農の会も私の役割は終わろうとしている。自給農の可能性は証明できたと思う。社会全体にはもう期待できないようだから、自給的に生きるという事で、自分の人間の尊厳を見つめ直すほかないのではないだろうか。

 

 

 

 

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