地場・旬・自給

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JR事故報告漏洩

2009-09-30 04:23:08 | Peace Cafe
福知山線事故調査委員会の中立性に問題があった。気軽に事故責任者が会える、元同僚を調査委員長にすることがおかしい。これでは内部調査の域を出ていない。内部調査だけで被害者に対応してきた事になっている。この事故の焦点は二つ。1、運転手の勤務状態に問題がなかったか。2、JR西日本の安全軽視問題の本質調査。どちらも、充分な調査がされたようには思えない結果だった。運転手がどんな勤務状況で、どんな心理状態でいたのか。なぜ、あのような急カーブ地点で速度を上げたのか。この解明こそ、今後の安全管理に不可欠なところだろう。ところが、明確な解明はないまま、うやむやになってしまった感がある。運転手が速度を上げて急いだ可能性の一つに、自分の運転ミスを取り返そうとしたかもしれない点が指摘された。運転ミスをしてしまい、運行に遅れが出た場合の、罰則や社内での評価問題。

記憶だけで書くのも気がひけるが、指摘があまりないので、書いておく。国鉄時代から引き継いだ日勤教育問題。再教育的意義とはかけ離れた懲罰的・暴力的な内容が行われていた。安全教育とは無関係な研修内容が非人道的な職場内暴力があった可能性。国会などでに取り上げられた記憶がある。運転手はホームで行きすぎて、戻るミスを何度か犯していた。その時の指導がトラウマになっていたために起きた事故。JR西日本では懲罰的指導が行われていた可能性がつよい。こう言う職場は空気が悪いものだ。そのためか、又ミスを犯してしまったとき、速度を上げて、カバーしようと言う心理が働いた可能性がある。乗客の安全よりも、懲罰の方が先に意識に来ていた可能性。もしそうであるなら、ミスを犯した時の指導のあり方を直す必要がある。この点の充分な掘り下げ調査と、改善策の指摘があったんだろうかと言う疑問。

もう一つは直接の事故原因と会った、ATS装置の設置基準の問題。前社長山崎正夫氏が本部長当時、設置不要と判断したATSの設置がなされていれば、事故はなかったのではないか。と言う問題。事故調の最終報告書は、現場が急カーブに改造された際にATS(自動列車停止装置)を優先的に設置すべきだった。と指摘きしている。山崎前社長は元委員を接待して報告書の内容を公表前に知り、自分が鉄道本部長時代にかかわったATS設置問題と事故の因果関係の記述を削ることも依頼した。とされている。何たることか、一番の焦点になっていた所が、事前に山崎氏は情報を得て、発表前に手を打とうとしたことになる。記述が削られていないとされているが、中立性のある調査報告がされたとは言いがたい。社長としては止めることになったが、まだ明確な責任を取ったとはいえない状態のままだ。

今回の情報漏えい問題は事故調査委員としての犯罪行為である。鉄道の関係者が加わるのは、当然の事である。しかし、ここに元上司だの、元部下と言うような関係者を加えること自体が、公正な調査を意図しているといえないだろう。鉄道会社は複数ある。むしろ、経営的には対立するような会社の人間が調査をすべきだ。徹底解明しなければ事故の再発を防ぐ、事故調査にならないだろう。結局身内でごまかしあってきたと言われても仕方がない人選だ。こんな人選をしている監督官庁の責任を先ず明確にする。まして、佐藤泰生元部会長の会見での、情報漏えいがなければ問題なと言わんばかりの、弁明は話にならない。誤解を与えたのでなく、会うこと自体が犯罪行為と言う自覚が足りない。軽率とかいう範囲で済ませることではない。
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鶏の遊び場

2009-09-29 03:53:04 | 自然養鶏
鶏を小屋の中に閉じ込めておくのでは、良い鶏を育てる事はできない。平飼い養鶏の問題点である。鶏は本来、草原や茂みの中で、一日中地面を掘り返して餌を探している。掘った地面にもぐりこむように、土浴びをしている。自然の土壌というものがどれほど鶏の生活に不可欠なものであるか。ところが、放し飼いと平飼いでは、その手間暇が大きく違う。鶏の視点で見ていない人のなかには、外に出しても同じことだと主張する人も多いい。それは、外に出すと言ってもただ出せばいいと考える人である。茂みや草原に出さなければ、外に出す効果は半減する。そこで考えたいのが、遊び場のローテーションである。遊び場が草一本ないような状態になったら、遊び場を休ませ、自然回復を待つ。そして、草や茂みが回復したら、又鶏を遊ばせる。これを上手く回してゆけば、本当の放し飼いが出来る。

遊び場の大きさは、当然広いほどいいが、最低どのくらい必要か。せめて鶏小屋より広い必要がある。鶏小屋は寝に帰る場所だから、10坪100羽でもいい。しかし遊び場は、20坪が3箇所が必要である。そして出来れば遊び場は全体がネットで覆われる必要がある。上から鷹が狙うからである。中国では広いお茶畑に鶏が放されていた所があった。お茶のような低木の隠れ場があれば、上部からの外敵を防げる可能性はある。遊び場全てがネットで覆われていないでも、春に出す場所は必ず、全てをネットで被う必要ある。ネットはいわゆるゴルフネット程度である。しかし、とても高価なものだ。それで、魚網を貰いに行く。大抵の漁港では、魚網は産廃になっている。お願いしておけば、廃棄が出たときに分けてもらえる。魚網がいくら丈夫なものであると言っても、ネズミなどに必ず食い破られる。だから、金属の網と2重にしなければならない。

この金属の網も結構高価なのだが、コンクリートの中に埋め込む、鉄の網が案外に安い。これを外側にぐるりと回して、さらに内側に魚網で囲う。屋根トタンの廃棄品が手に入るなら、下部だけトタンで回すのもいい。もしそこが人家から離れた場所であるなら、その外には電気柵がさらに必要になる。電気柵をつけると、草が触れないように管理しなければならないから、管理に手間取ることになる。年5回の草刈が必要。これはあくまで環境によるが、生活をかけて本格的にやるなら、増えている獣の害を考えて、設置した方が安心である。現在、新しい鶏小屋に、二つ目の遊び場を増築している。鶏が少し増えたので、遊び場を増やさなければならなくなった。昨日は3人で片づけから、一気に支柱の設置にまで進めた。一番の課題だった、その遊び場への人が歩ける道も作った。この竹やぶの中の道が、なかなか美しいもになった。そうなると竹薮ももう少し綺麗にしたくなる。

作っている遊び場の上には、少し平らな土地がある。何となく雰囲気のある場所なので、いい利用法がありそうだ。そこから遊んでいる鶏を眺めているだけでもなかなか良さそうだ。そう、お茶お飲む場所。ともかく鶏を飼うには長くそこに居ることが一番だ。ゆっくり鶏と一緒に居れば、鶏の事が分かる。鶏からもらえるものも出てくる。今回の鶏の遊び場は周りが、竹林だ。鶏小屋の中にも、すぐ竹が生えてくる。この環境が素晴しくいい。竹林の中と言うのは、実に静寂なものだ。竹の持つ独特の力がある。他の土地とは全く違う、竹には独占してゆく力がある。この清浄力とでもいう生物の力を上手く取り入れたいものだ。病気を起こすウイルスなど、竹やぶの中では到底存在できないだろう。こうした自然力こそ、自然養鶏の一番大切にする力である。
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奇跡のりんご

2009-09-28 06:17:01 | 
「すべては宇宙の采配」(東邦出版)奇跡のりんごの木村秋則氏の本を読んだ。農の会一の読書家の高橋さんが貸してくれた。なかなか面白い本で、あっという間に読んでしまった。木村氏ご自身の「奇跡体験」が書かれた本である。龍を見たとか、宇宙人に時々会うとか。言う話である。奇跡のりんごとよく言われている。りんごがりんごとして実る、と言う事実が奇跡なのかと思っていた。超自然の力としての奇跡が、木村さんの畑に作用している。そういう意味での「奇跡のりんご」らしい。神経衰弱に陥り様々な妄想が去来した。と読むほうが普通の事であろう。自殺をしよう岩木山の奥に入ってゆく。そして紐を投げ上げた所、野生化したりんごの木が3本たわわに実っている。何故、こんな所に、りんごの木が。畑ではどうしても実らない、花も咲かないりんごが、何故山のなかでは、病虫害もなく、見事に実っているのか。

なるほど、人為を捨てることが、自然栽培への道と気付くことになる。しかし、再度確認のため、その野生のりんごの所まで行ってみると、りんごの木はなく、クヌギが3本あるだけである。これを宇宙人の采配と読むか、気を病んだ妄想と読むか。10年間の艱難辛苦を経て、全ての人為的操作を捨て去った時、りんごの自然栽培を達成する。と言う事に物語りは終わる。これではりんごの自然栽培の参考書にはならない。福岡さんの本も、川口さんの本も、栽培の参考に成る本ではない。自然界に起きている事を、論理的に解明することが、科学である。農業を科学する姿勢を捨てた時、奇跡のりんごが実る。ちょっと困る農業のカリスマの登場である。どこの誰でも、同じことをやれば同じになる、農業技術の確立。これでは話として面白くないので好まれないのか。

技の蓄積が、伝統農法である。同じ畑で同じものを、何百年も繰り返し作り、これしかないと言うように、一子相伝に伝えられた技。それは生き方暮し方を含めたた伝承的世界。この伝統農の世界は、江戸時代に豊かに充実を向かえていた。鶏の世界を考えても、今も再現できない技術が秘伝として、山のように存在した。一切が変わる明治維新以降の日本農業。西欧の近代農法の導入。特に戦後食糧増産。伝統的鶏飼いの技は過去の遅れたものとして、蔑まれ、捨てられ消えてしまった。経済合理性。配合飼料。合成化学物質の添加。消毒、ワクチン。大規模化。こうした背景によって、ごくごく当たり前の世界が、奇跡の世界として登場する。りんごが自然農法で実ることは、当然の事で誰にでも出来ることでなければならない。フランスのナンシーでは自然栽培のりんごがいくらでもあった。

村八分。木村さんが一番苦しんだ事。違うものを排除する思想。違うものが、宇宙人と交信しているとなれば、深刻なことになる。自然農に挑戦し、挫折する若者は相当数いる。自然農がすばらしいのなら、誰にでも出来るものとする必要がる。福岡農法に憧れる。これは一度は誰でも通る道だ。福岡氏は科学者である。しかし、宗教的色合いを持って、その自然農を主張するカリスマになった。そこで科学性が後退する。農業者を持ち上げる、報道。出版。特異な位置に受け入れたがる社会背景。りんごがりんごとして実る当たり前の事を、出来るだけ、平静な事実として受け入れる必要。村八分に対抗し、耐えるには、宇宙人との交流するしかなかったのかもしれない。そのどこか違う者が、今持ち上げられた違うものになったが。これもまた村社会にとっては好ましいとは限らない。
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水彩人展審査

2009-09-27 06:14:51 | 水彩画
第11回水彩人展の審査が、東京都美術館の地下で行われた。このあと、都美術館は大きな改装が予定されている。これが我々としては、最後の都美術館利用になる。旧都美術館を記憶しているものには、今の都美術館が新都美術館と思っていた。それが既にほぼ取り壊されるのだから、こういう箱物は美術館というより、パビリオンと呼んだほうが良い。使い勝手が悪いという不評のまま、改善されることもなく役割を終える。今度の大改装は地下4階、地上4階建になる、と言う情報があるので、建て直しに等しい事になるだろう。あえて改築と言っているのは、建築基準法か、都の予算の上での何かがあると、想像している。いずれ、新国立美術館に多くの公募展は開催場所を移した。これを引き戻せるような、みんなが戻ってきたくなるような、都美術館に生まれ変ろうとしている。

2年間かかる。この間水彩人展は当面のメイン会場を失う。どの会も同じことなのだが、この2年間をどうするかで、それぞれ深刻な課題をかかえている。公募展という仕組みで運営されている組織が、2年間公募をしないでいた場合、会としての存続が可能かどうか、まで議論されている。100年に近い歴史のある組織も有る。組織そのものが、公募すると言う事を巡って成立している会も在る。今思えば、この2年間の休止を予測して、新国立に多くの団体が不安をかかえながらも、場所を変えたのだ。水彩人では12回展を来年6月に北海道での開催を予定している。神田日照美術館で同人展の企画がある。話は組織が行政なので、予算的にまだ本決まりではないが、予定はしている。この機会に同人みんなで、北海道まで行こうと楽しみにしている。その後13回展は出来れば、銀座でやりたいという話が出ている。

11回で新生した水彩人は、同人は15名である。会員も審査の結果15名となった。一般公募に応じてくれた人は50名。招待等の作家が、9名。日本の水彩作家の代表的な展覧会になったと、自負している。自負だけでなく、多分、周囲からの目もそういう物になってきていると思う。一番の理由は、公募展というものが、大作主義できた間違いがある。見栄えと言うだけで、水彩の特徴である。小さな作品を排除してきた。例えば水彩連盟展や日本水彩展では20号以下の作品は、受付ける事もしない。しかし、個展を中心に活躍している水彩作家は、20号以上の作品を描くことは少ない。水彩画の力を発揮する条件が、むしろ小さい作品にあるからだ。これには、公募展という会場が、大作向きに作られていて、画廊というものが、小品向きに造られていると言う事が、原因している。

水彩人では、むしろ小さい作品に焦点をあわせてみようと考えている。水彩と言う素材を問い直してゆく課程で、作品の大きさと言う所に重要な観点が存在し、20号以下を排除する今の公募展の考え方は、間違っていると考えるようになった。水彩の持つ色彩感は、むしろ小さいものにある。近づいて鑑賞するところに、その特徴を発揮する。公募展であっても、そうした水彩らしい絵画が見やすいような、特徴ある展示をするべきではないか。そう考えるようになった。既に、他公募展の中にもこうした考えに追随する所も現れてきている。これは絵画の展示と言う事が、内省的なもの、自己確認的な傾向。こうした美術史的背景もある。今度の、都美術館の改装が、こうした時代の傾向を反映した、小品の展示に適することを望むばかりである。

昨日の自給作業:草刈1時間 累計時間:13時間
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南足柄市文化会館閉鎖

2009-09-26 04:29:54 | 地域
92年に開館した南足柄市文化会館が、突如閉鎖する事になった。年間3千万円余の赤字補填をしているうえ、古くなった照明・音響設備のリース更新に4億円かかる。高価なピアノも売却らしい。市長が記者会見で2年後に「当分の間」休館にすると発表した。議会ではまだ決まった事ではないとしている。隣町の事ではあるが、小田原市民にとっては、大いに利用させてもらってきた施設の閉鎖である。私などは、小田原の市民会館に行った数より明らかに多い。駐車場も完備した立派な施設である。駅から近く歩ける。何故こう言う事になってしまったのだろう。残念だし、驚きだ。確かにフジフィルムの企業城下町の南足柄としては、起こるべくして起きた事なかも知れない。税金の70%がフジフィルム関連だと聞いた事がある。閉鎖と言う前にやれることがなかったのか、本気で残念である。

南足柄市の職員の月給は、県内の市町村では一番の給与水準となっている。平均給与額が50万円を超えている。それでいてあれこれ閉鎖。市民プールが閉鎖され。駅前の図書館も閉鎖すると言うので、本を貰いに行った事があった。そして今度は文化会館も閉鎖する事になった。他にも地域の公民館を閉鎖して、底地の売却。行政のサービスセンターなども閉鎖される。小田原市でも他人事とは到底思えない。小田原では駅前の大きな再開発も予定されている。閉鎖された地下街の再開問題もある。同じくホールの建て直しも緊急課題である。状況としては、今行うような時期ではない。今まで小田原評定で先延ばしにしてきたのは、大いなる先祖伝来の知恵が宿った。このさい先送りが一番の選択である。日本経済の質が変化を始めている。麻生政権が無理やりの最後っ屁のような15兆円をばら撒いたから、小田原市も電子黒板を買うらしい。黒板で勉強してもらえば充分である。

ホールについては、南足柄文化会館を小田原市は共同利用させてもらえば良い。当分の間でも、そう言う事にする。その間に合併論議が進めば、同じことだ。4億円の修繕費の半分は出す。その後の管理運営費も半分は出す。名前もあしがら文化会館ぐらいにしてもらう。大雄山線もあるし、車の人ならかえって便利と言う人が多いはずだ。一番の問題は、面子と言う事になるのだろう。しかし、今はそういう状況ではない。緊急事態である。今後も経済が良くなるなど考えにくい。市町村合併については、こういう文化面の合併からだ。ピンポン外交と言うのがあった。先ず文化面で、共同して行く。文化祭などから、あしがら総合文化祭など企画するのが良い。一方に、明確な小さな久野コミュニティーの再生を打ち出す。広げる分だけ、細部に力を入れる。久野が里地里山地域として、くっきりと独立して評価される。各地域が、それぞれの特徴で一目置かれる地域になる。

ついごみの話になるが、ごみは行政単位を超えて、広域処理することになっている。これは、民主党に成って変わる可能性がある。25%CO2の削減だ。ごみと言う性質から言えば、広域処理はおかしな事だ。本来ごみは小さく処理した方が安上がりだ。一番は家で処理をして出さなければ、ただ。遠くまで運べば処理費が上がる。大きな焼却場を作れば、建設費が膨大になる。これは基本だ。ただし、広域化するしかないような、医療系のごみなどは別。県に1つぐらいの処理場で処理する。これからの時代。生ごみは出来る限りごみとして出さない。出すにしても燃やさない。ごみの処理費の半分は生ごみ関連。生ごみは運ばない。各地域で小さく堆肥化する。どうしても燃やすしかないごみだけは燃やす。面倒だからお金で解決する。つまり、何でもかんでも溶融炉で燃やす。こう言う考えは通用しなくなる。

昨日の自給作業:草刈 累計時間:12時間
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八ッ場ダム建設中止

2009-09-25 05:27:30 | Peace Cafe
民主党がマニュフェストに従い、八ッ場ダムの建設中止を進めている。国として、納税者としては当然の事だ。中山間地の不用な公共事業の代表がダムだ。長野県も田中康夫知事の脱ダム宣言で、一時評判だったが、結局住民は田中知事を嫌った。ここに日本の公共事業問題の縮図がある。「ダムを止めないでくれ。」と一部の住民がつよく反対している。この構図はどう考えても不自然ではないか。ふるさとを水没させないでくれと言うのが、かつての住民運動の普通の感覚である。「蜂の巣城」闘争を覚えているだろうか。1955年。子供の頃のダム反対運動の象徴である。子供心に蜂の巣城を応援した。ついに落城しダムは建設された。今、全国で起きているダム中止反対の原因は何か。

政府は八ッ場住民がダム反対を主張してきたなか、無理やりダム建設を説得強行した。住民は喜んで承諾したのではない。泣く泣く受け入れた。それを今になって、民主党政権になったからと言って、ダムは要らないので中止にします。では住民の翻弄されてきた生活はどうなるのだ。こんな憤りが背景に感じられる。もう一つに、中山間地の日本人の暮らしを崩壊させていいのか。こう言う怒りも感じられる。限界集落などと言う言葉が生れ、小さな山間地の暮らしは立ち行かなくなっている。今起きている日本の革命的方向の転換。普通に暮す人間の血が沢山流された結果だ。この10年で、30万人の自殺者である。この血は革命の代償。誤った国の方針の犠牲者と言えないか。国のダム推進教育がある。私が受けた教育では、「ダムと植林」は国家事業として取り組む正義の象徴であった。

ダムが正義だけではなく、環境破壊の原因にもなりかねない。こう言う視点は1970年代からの事だ。それまでの国の作るイメージ「共感の装置」明治政府が国家、国土と言う空間的統一イメージの形成に力を入れる。ここに水の管理。山林の管理と言う、日本国家と言う山紫水明の地の強調。特に戦時中の造林運動から国土建設。そして、戦後の「国土緑化運動」。なけなしの10円をだして、教室で緑の羽根をみんなが買った。1895年に既に学校林運動が起こっている。大日本山林会の設立。国土を守る造林と教育。緑化の背景にある国家意識の醸成。水を治める、国家事業。ダムは現代のピラミッド。あるいは古墳。この地域で言えば丹沢ダム。あるいは宮が瀬ダム。神奈川県の水道使用量は予測に反して減少している。そこに宮が瀬ダムの年間約60億円の受水費負担増。不用なダムをつくり、その費用の為に水道料金の値上げ。

ダム建設の必要性の検討。水力発電をしている訳でもない。水道使用量は減少して水は入らない。農業用水は改めて必要なわけもない。と成るともう一つ曖昧な治水機能に限定される。河川管理自体がおかしくなっている。コンクリートで3面全てを固め、ゲリラ豪雨のたびに河川事故が起きている。本来地域全体での環境的治水のあり方の検討が必要。豊かな山があり、平野に広がある田んぼ。全体で受け止めるべき治水。これを針葉樹の管理されない植林地帯。田んぼを分断するような、工業団地。住宅開発。その結果の治水が、ダム建設。川を自然から分断しての人工的管理。これが、公共事業の御旗。公共事業がなければ、生活ができない地方の状況。全てが本末転倒。先ず、中山間地の暮らしの再建。ここを政府は明確にする事が必要。ダムが作られることに望みを託さなければならない。これでは不時着地点は見つからない。

昨日の自給作業:収穫及び整理1時間 累計時間:11時間
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有機農業研修施設

2009-09-24 04:59:12 | 地域
農業者は自分の子供に農業をやらせようとは思わない。10中8,9はそう考えている。一子相伝ではないが、先祖伝来の農地で、その作り具合の癖まで含めて、農業技術は自然に身体で覚えてゆくものであった。その仕組みが崩れてから、農業技術は改めて学ばなければならないものになった。そこで、体系化され科学的要素の大きい、西欧の農法が取り入れられた。それが教材として指導される農業教育は、伝統農法を育む方向には進まなかった。日本の国土のように、四季のくっきりした区分けがあり、水が豊かで、土壌が生きている地域はなかなかない。この豊かな環境に育まれた、日本独自に発達した日本伝統農法は、農業教育の中に取り入れられることなく、いつの間にか失われつつある。この江戸時代に発展した、工夫と総意に満ちた、伝統農法はまさに循環農業の手本でもある。その伝統農法に近代農法の成果を融合させる事が、日本の有機農業の技術であろう。

有機農業の研修施設は、際立って優れた農業者の下で幾例か行われている。それは、思想的なものであり、宗教的な性格を持つものが多いことになる。そうした指導者としての農業者は、大抵の場合、独力で、独特の農法を編み出し、大きな成果を生み出している。一種信仰的な信念に支えられる事で、作り出した農法である。農業は自然界と言う、巨大な受容力を持つものが相手であるため、どのようなものであれ、ある観点で統一されていれば、それなりの体系ができるものである。そのために、雨後の竹の子のごとく、究極的農法と言われるものが生み出されている。それはそれぞれにすばらしいものではあるが、どこにでも応用できるものでない可能性もある。農業はあくまで行う自然が相手のものである。福岡正信氏の自然農法を引き継ぐものが表れないごとくである。

本来何かを学ぶ為には、学ぶものが集まって、教師を招くと言う形がいい。教えたい者が、生徒を集めると言う形は良くない。今の学校の姿はこの点に限界がある。かつて、足柄地域には農家が集まり、教師を呼んではじまった農学校があった。1907年 足柄上郡農業補習学校として創立。この学校も農学校としての歴史は閉じようとしている。新しい農業が模索されるこの時代にこそ、未来を見据えた農業を学ぶ、研修施設が必要となっている。小田原では有機農業4団体があつまり、有機の里作り協議会が設立され活動をしている。ここには多様な有機農業の形が揃っている。有機農業者の総数は100名を超えている。これは全国1の組織ではないだろうか。もし、この組織で研修が行われる事になれば、自分たちも学ぶ所は大きい上に、次の有機農業者の育成には、またとない施設に成ると思われる。

営農的に成功を収めている、農業法人ジョイファーム。長い伝統のある、MOA自然農法。地元スーパーから始まった、報徳農場。自給的農業を目指す地場・旬・自給の「あしがら農の会」。それぞれの分野での技術レベルの高さは、全国的に見ても注目されるものがある。来年度の事業計画では、研修機関の設立を目指したい。と考えてきて、事務局の小野さんに相談した所、今の若い人は違うのではないかと、指摘を受けた。私が目指してきたものは、大根の具体的な作り方を伝えるのでなく、大根を見る目を、その育む自然を感じる力を育てる事が、大切だと思っていた。感じる目が育てば、後はそれぞれの人間が、それぞれの農法を編み出す。そう考えてきた。それではだめだというのだ。若者が求めているのは、大根を作るマニュアルだという。これにはショックがあった。まだ、ちょっと立ち直れないほどである。さてどう考えればいいのだろう。
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小田原城址公園のゾウのうめ子が死んだ。

2009-09-23 04:29:47 | 身辺雑記
ゾウのうめ子が死んで小田原市民はとても悲しんでいる。うめ子が死んだと言う話はその日のうちに、市内を駆け巡り、報道とは別の形で全市民が知る事になった。当然風呂屋でも話題になっていた。他の集まりでそのことが話題になって持ちきりだった。それぐらい、小田原で育った人には、うめ子は身内のような親しい存在だった。お別れに沢山の人が、駆けつけて、緊急にうめ子と触れ合ってお別れをした。係りの人もあまりの沢山の人が駆けつけるので、中までみんなを入れてくれて、触ってお別れをさせてくれたのだそうだ。静かな死で苦しんだ様子もなかったと言う事で、少しホッとする。一度見たことがある。まだ山北にいた頃だ。小田原城址公園に鶏がいると言うのを聞いたので、見に来た。鶏は少しいたのだが、余り良い鶏ではなかった。私の飼っている鶏を差し上げたいと思って、係りの人と話したが、いつやめるかわからないといわれた。

熱心に飼ってはいるのだが、趣味家といううるさ方が満足するレベルに、鶏の良さを保つ事は、とても難しい。鶏にしてみればそんなことは勝手な話だ。その時うめ子にあった。ゾウと言うのは悲しそうな目をしている。頭がとてもいい動物だから、自分の境遇が良く分かるのだろう。動物園にいるゾウは、必ず泣き顔をしている。それにしても、小田原城址動物園では色々の動物が哀れに飼われていて、二度と近づく気になれなかった。もともと動物園と言う趣向がどうしても好きになれない。ああした形で動物を見たいとは思わない。悪趣味だと思う。うめ子がかわいいなら、もう少し増しな飼い方をしてやれなかったのか。許せなかったので、抗議をしたことがある。その時二つの理由を聞いた。一つが職員の雇用問題。もう一つは今いる動物が死んでしまったら止めるという話。

職員の事なら、家畜動物園を是否やるべきと提言した。人の暮らしが、家畜というものに触れる機会がなくなっている。牛を見たことがない、触ったことがない。乗ったことがない。これは良くない。本来の人間の暮らしは、家畜と共にある。そうした暮らしの良さを忘れないためにも、家畜動物園は意義がある。いこいの森の山の方にでも家畜動物園を継続して、ゾウのうめ子も連れて行ってあげれば良い。と話したが、相手にもされなかった。死んだら終わりになる、動物園は哀れなものだ。城址公園で菊花展等があり、行くことがあっても、動物園は見ないようにしてきた。ゾウのうめ子はそう言う事を全部知った上で、死んでいったに違いない。それぐらいゾウは立派な生き物だ。どうしようもない人間のあり方も、分かってくれている。だから、うめ子に会いたくはなかった。

動物園は見世物として出来たのだろう。甲府の動物園には最後の日本狼がいた。私が見たのは剥製だったのだと思うが、記憶が定かではない。狼と言うから大きなものに違いないと、おそるおそる見に行ったのだが、以外に小さくて、飼っていた甲斐犬と大して違わなかった。実はオオカミと甲斐犬との交雑種だった。物語のオオカミの恐さが大げさなだけだと決め付ける、生意気な子供だった。動物園というものが、いまや動物保護施設になっている。野生で生息できる環境が、一気になくなる。哺乳動物の種の数4500として、その4分の1は絶滅の危機にある。アフリカゾウ絶滅ランクB。インド象は家畜として残っていけるだろうか。ともかく人類が増えすぎだ。アメリカ人は世界人口の僅か4.4%で20%のCO2を出している。アメリカ式グローバリズムで行けば、世界の哺乳類は全て滅びる。
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生物多様性

2009-09-22 04:09:43 | 環境関連
「生物多様性」について、先日森谷氏からお話の一部を伺った。とても面白い考え方だったのだが。何せ時間がなかったので、消化不良のまま色々考えてみている。環境と言うと、温暖化問題が中心課題であるが。生物多様性の観点こそ、はるかに重い根源的課題だと考えている。生物多様性条約は、(1)生物多様性の保全(2)生物資源の持続可能な利用(3)遺伝資源による利益の公平な分配の3つを大きな目的の柱とする。と書かれている。実に曖昧で、190カ国も加盟しているが、何の成果もない精神的条約になっている。生物多様性について、肌身をもって重要と感じている人の方が、地球上では大多数であるのに、こうした条約を決める人が、都会の人だから、きわめて観念的な話になる。誰しも自給自足で暮してみれば、眼前の自然の姿が全ての大前提である事が、当たり前に分かる。

その眼前の自然が急速に衰えている。一番は人間の増加にある。だから、人口減少を困るように言う人の気が知れない。人口はもっともっと減らなければならない。日本で言えば、江戸時代に戻る必要がある。昨日は敬老の日で、65歳以上の女性が4人に1人。男性が5人に1人。何度も聞いたので覚えてしまった。思ったのはこの少数で日本の農業を支えてくれていると言う事。お前がいなくなればいい。と言われそうだが、人口が増やさない政府の方針が必要だ。少子化対策というのは、少ない子供を良く育てるにはどうするかが本来で。少子化はいい事だと考える必要がある。山が杉山ばかりになったのは、家が沢山要るだろうという予測だ。日本の自然の山はありがたいことに、わずかな手入れをしながら、放っておけば徐々に自然を回復する。何ともありがたい状況だが、これが遠からず、回復できないことに成ると言う事。

生物多様性を考える上で重要な事は、目の前の事を考える。都会で暮している大多数の日本人は既に自然という物を、身をもって感じる事ができない、哀れな状況に暮している自覚が必要。そうした人間には生物多様性については考える事も出来ない。そういう種類の事だと思う。世界の生物多様性云々など、言ってみてもはじまらない事だ。暮している場で感じて反応する。多様性10レベルを最高として。舟原で暮していると言う事は、多様性レベル4の辺りにいる。赤点すれすれ。世田谷辺りで暮していると言う事は2ぐらいか。銀座なら1ぐらい。箱根の上まで行けば、6辺りかも。この辺から、何とか合格点とい所。人間が暮すと言う事は6ぐらいないといけない。やるべきことは舟原を6レベルにすること。舟原にも何箇所か6はある。鎮守の森はそうだ。人の手の入らない川沿いもそうだろう。

守屋氏の話で興味が引かれたのは、多様性の哲学部分。多様性は思想だと言う事。人間が多様でなければいけないと言うように考える事と、自然が多様であると言う事は同じことである。違っているものが様々存在する事が、社会であり、自然である。と言う事は都会暮らしのような、ほぼ同じ人間が大量に必要な社会は、だめだと言う事。舟原なら、レベル4ぐらいの多様さで、人間が存在できる。翻って、水や、土壌の多様性のレベルも実は同じ。自然を多様性という前に、自分の中の多様性の確認。精神の硬直レベルも、4ぐらいか。世界で一番恵まれた、日本という自然は、かつての江戸時代までの日本人と言う、レベル8ぐらいの多様性のある人間を生み出した。これが、西欧文化にかぶれて、都会では1レベルの人間になっているのだとしたら、恐い。
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生ごみ堆肥化の課題整理

2009-09-21 05:46:08 | 地域
生ごみ検討委員会は10月5日3回目の検討委員会が開催される。公開されている。3回目は外部から人に来てもらい話を聞く。こうした事も、全て行政の出すスケジュールに従い行われている。行政から、第2回行われた。各委員が提案した意見を整理したものが、送られてきた。第2回では、事前の議題の通知もなく。第1回の取りまとめもなかった。突然委員会の進め方を、行政から提案され、それに従い、委員会が行われた。
その議題は〇堆肥化による課題整理を行う。「家庭の課題。」「地域での課題。」と言う提案であった。議論もなく今から15分で、紙に書けと言うのである。無理だからダメダと言うが、強引に進められる。それで良いという委員がいたの不可思議。それなら、「行政の課題」を入れるべきというが、どうしても入れない。案の定取りまとめの文章では、完全に行政の視点での課題が欠けている。トライフォーラムでも同じだが、行政は自分に意見が向いてくることを極度に怖れ、ごみの減量の責任を、地域と住民に限定しようとしている。

1、 地域での取り組み、家庭での取り組みと言う区分けが、やはり生ごみ堆肥化の問題の分析に問題を生じている。「行政が行うべき取り組み。」と言う形が委員会で指摘したとおり必要。そのために肝心な部分が抜けた課題整理になっている。

2、 ごみの問題の一番の当事者が行政である自覚が必要である。ごみ処理は小田原市行政がその責任で処理を行っている。にもかかわらず、家庭と地域の問題として、とらえる事では矛盾している。家庭と、地域で解決できるような問題ではない。

3、 また、検討委員会において、行政が議論の方向を決めている。こうした形で、一方的にリードする事は許されない。今後は委員長が指導力を発揮して、議論の方向を作り上げてゆかなければならない。そのための議論が行われる必要がある。時間が足りないので、そのための臨時委員会の開催が必要である。

4、 このままでは形式的な議論に終わる可能性が高い。生ごみの堆肥化に取り組むという前提で、どうすれば可能かという検討をしなければならない。その経費的な検討を含め、実現案を提案する所まで進める必要がある。

5、 今後の取り組みにおいて、後3回で検討をまとめる事は到底不可能である。実質6時間程度の検討で、小田原の生ごみの堆肥化案が決められると考える事が、おかしい。至急、検討委員会自体の枠組みの変更が必要である。

6、 検討委員会に課題ごとの小委員会方式を取り入れる。課題別に充分精査する必要がある。時間の制限なく、とことん議論し煮詰めて、委員会に提案する。このままでは、形式論議に終わり、後で後悔する様な、結論が委員会のとりまとめと言う形で出されかねない。

7、 第2回では行政が進め方を一方的に決めた。行政は検討委員会に口を出すべきでない。第3回以降の進め方は委員が協議して、決めるべきである。第2回のような拙速な進め方では、重要な課題が抜け落ちる可能性が大である。

8、 広域化が堆肥化の結論を待たずに進む事がない様にする。広域化自体が、政府の方針の変更で、大きく変わる可能性がある。補助金だけを目標にする広域化でなく。ごみ自体を小田原はどうするのかと言う、大前提の議論がなされていない。その意味で、この堆肥化委員会は小田原のごみ処理がどのように行われるかを、検討せざる得ない。

9、 今の進め方では行政の指示による、行政の方向付ける結論ありきの委員会になっている。他の委員会では、進め方自体を委員が決めている。

10、 専門委員がいない為に議論の進行を、大所高所から見れる人間がいない事態に陥っている。

11、 行政の役割としての課題整理を行う必要がある。トライフォーラムでも、市民の減量化において行うべき事と、議論を限定していた。ごみを減量するには行政の仕組みが一番の課題であることに自覚が欠けている。

12、  課題別小委員会は、1、堆肥化施設。2、生ごみの集め方。3、コストの精査。 

昨日の自給作業:田んぼ草刈、1時間 累計時間:10時間

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畑の土壌調査

2009-09-20 04:25:14 | 地域
有機の里作り協議会で、畑の土壌調査を行った。本格的な土壌調査という物を一度は行ってみようと言う試みである。いつも行う土壌調査と、どこが違うのかが注目点である。曽我丘陵の尾根に近い場所にあるキューイ畑で行った。一本松と言う所に近いジョイファームのメンバーの畑である。その畑に入ったとたん全員がその素晴しい、畑に息を呑んだ。立派なキューイがたわわに、まさに他に言葉がないほど、たわわに実っていた。畑の明るさに驚く。ジョイファームのレベルの高さに感銘を受けた。何しろ1反2,5トンのキューイを安定して収穫しているそうだ。これほど実らせて、充分に肥大している事がすごい。有機農業の本当の可能性を感じることが出来た。有機農業で高収入を上げてゆく実際の圃場を始めて見たのかもしれない。

土壌調査した畑は江川到(えがわいたる)氏のキューイ畑であった。下中という曽我山の東側にある集落の方である。江川氏はジョイファームでも技術的に頂点の一人である。この方の背景にある技術の集積がすごいことだろう。いかにもスポーツマンと言う感じで、快活で爽やかな方だ。ともかくこの組織の方は率直である。他所の畑の事でも遠慮なく話す。これが技術向上には不可欠だと感じた。よほど互いを認め合う信頼関係が成立しているのだろう。ジョイファームにはこうした生産者が、100人以上居られるというのだから何とも素晴しい。それだけ、キューイと言う産物が小田原が適地でもあるということなのだろう。中心に長谷川さんと言う、実に信頼出来る親分のような社長がでんと存在する。率直であり、しかも簡単に結論を求めない強靭さ、小田原人気質のようなものがジョイファームに行くと感じられる。これが小田原有機の里作り協議会につながれば、その可能性は大きい。

土壌調査は先ず畑の中央で深い穴を掘った。そして畑の断面の観察を行った。側面の土の固さを測定。耕作土と真土両方とも調べる。20ミリ以下であれば根が入れると言われていた。真土でも柔らかかった。耕作土が33センチ平均。これは厚い。その下が赤土の土壌。33センチの耕作土は長年の耕作と、草の根と、緑肥の堆積からできてきたものと言われていた。4台この畑を耕作されてきた事がわかっているそうだ。33センチの団粒かした土壌の歴史と蓄積。普通この辺りでは、表土までも赤土の畑も多い。さらに畑の特徴が出ている、5箇所から土壌を採取した。表層は20センチの土壌採取。それより深い真土からも採取。5箇所を混合して、日陰干にするそうだ。それから科学的な分析。やってくれるのは自然農法研究センターの組織。

調査の間。江川氏から畑の考え方など聞く事が出来た。ゆるやかな東南傾斜地なのだが、その土は動かした事がないそうだ。ゆるやかに全体がうねっている。その傾斜の加減と僅かな地形の変化が、キューイに与える影響が強いそうだ。畑の淵と中央部分の違いもあり、全体の水の移動が重要だそうだ。地面をテラス状に平らにして植える場合と、傾斜のまま植える場合の違い。木の枝が山の上に向って上ろうとする性質。様々なキューイの特性に配慮しながら、畑全体をとらえているようだ。キューイは肥料を増やすと、潰瘍病が出る。肥料を少なくしての多収穫技術。土壌の作り方。土壌の分析が出て、これまでの事と今後の事が、専門家から分析が出る。そこでもう一度勉強会が予定されている。この後、10箇所の圃場で土壌採取、分析が行われる。有機農業を行う上で、今の状態の把握が、一番重要になる。土壌分析は常に行ってゆく必要がある。
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11回水彩人展近づく

2009-09-19 04:22:46 | 水彩画
水彩人展出品作を描いている。二つのシリーズを書いている。6点の2シリーズのどちらにしようかと考えている。林の景観を描いたものと、水の渦巻く姿を描いたものである。「水のシリーズ」は以前から描いていたものを、すこし新しい観点でまとめなおしている。「林のシリーズ」は新しい試みで、何かありそうで探っている。どちらも、構成的なものが興味で、進めている。林の方が新しい考え方で描いているので、どちらかと言えば、こちらを出したいのだが、完成できるか、せめて一定のまとまりまで行けるのかはまだわからない。水のシリーズが描きやすく、面白くなり安いのは、どうにも出来る点である。水とか、雲とかいう物は、どんな形であれ、色であれ、一応観念として各自が持っている情報と、繋がる事ができる。絵を描くと言う事は、見るものは頭の中にある、情報と結び付けて見る事になる。

林のシリーズと言っても、別に本当の林を書いているわけではない。手前の線とその向こう側の色との関係を描いている。だから、その手前に位置づけれる、線は木であったり、船のマストであったり、当然、意味のない線であったりする。しかし完全に抽象として、意味を持たせないように描く事も面白くないと考えている。何故そうなのかは、認識している訳ではない。ただ、意味を持った線でありながら、無意味でもあるのが面白い。最初から、無意味に根拠なく線を引くと言う事が、性格的に、生理的に合わない。だから抽象画と言う表現には、興味がない。大半抽象画という物は、デザインだと思っている。具合のよい、自分の心象に適合する、デザインをしている。それは私の考える絵画表現とは縁がない。あくまで絵を現実との呼応と考えている。それは目に映る現実というものがあまりにすごくて、実はこれを見ていれば描く必要がないのかとも思う。

最近描いていて思うことは、世間で絵といわれているものと、自分が描こうとしている、絵と考えているものがあまりに違う。だから、今は人の絵に関心がほとんどない。こう言う事は周期的にあったのだが、今回は、もう今後他人の描くものに興味が湧く事はないのかもしれない。と思えるぐらい、人の絵は関心がない。何かの偶然で、人の絵が目に入る事があるが何でそんなことが面白いのだろう、としか思えない。展覧会の案内状が時に来るが、そんな状態なので、見に行く気にはなれない。絵を描く人間としては、末期的病状かもしれない。あまりに自分のやっていることと、世間で絵とされているものが、違いすぎて絵に見えないと言う状態。いわゆる飾り物の商業絵画云々でなく。自分の好きに描いて入ればいい立場の人間が、何に向おうとしているのかが、不思議で仕方がない。

何故、見えているもののすごさを描けないのだろうか。見えている現実の素晴しさを、それは草一本であろうが、雲ひとつであろうが、その現実はどんな絵よりも圧倒的実在感がある。当たり前の事だ。そのものを通して、示されているものはやはり、自分と言う人間の目にぶつかった現実である。この現実を、見えている現実を僅かなりとも描いてみたいだけだ。どんな露骨な直截な方法でもいいのだと思う。それがなかなか、出来ない。できたと言う感じに成れないもどかしさ。見えているのに描けない。悔しさ。多分、林のシリーズは出せないで、妥協的に水のシリーズになる気がする。これの方が進むに違いないからだ。いつ絵を取りに来てくれるのか、もうすぐだろう。その日の電話があり次第額装をする。
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欠の上(かきのうえ)の田んぼの再生

2009-09-18 05:56:31 | 地域
小田原久野欠の上(かきのうえ)の田んぼの再生がいよいよ始まる。久野川沿いに三国工業の前の道を舟原に向って登ってゆくと、右側に小さな美しいお堂がある。お堂の前に大きな柱が立っているので、とても目立っている。ときどき祭事の後が見られるし、掃除も良く行き届いて、綺麗に草花が植えられえいる。このお堂の前まで来ると、つい左下の久野川沿いに広がる農地に目が行く。昨年、農の会の仲間が農地を探していて、このお堂のお隣に住む、長く連合自治会長さんをされていた瀬戸さんをお訪ねした。それで、川沿いの農地を紹介していただいた。その時の話はまとまらなかったのだが。そのことが、里地里山協議会での田んぼの再生の事業に繋がった。そうしていたら、今度は国土交通省の補助金で、農地が再生されることになった。その事業も併せて、この地域に適応される事が決まった。全体では1.5ヘクタールほどに広がる川沿いの、とてもいい農地である。

今回国交省の補正予算で行われるのは、現在ミカン畑の場所2反である。昔は当然全てが田んぼだったはずの場所だが、ミカンがいい時期に田んぼにミカンを植えた。個人ではミカンの片付けはなかなかやりきれないので、負担になりながらも、ミカン2反を続けてきたと言う事らしい。そのみかん畑を田んぼに戻した後は、農の会で管理する約束になっている。一部は耕作されているが、全体的に田んぼに戻す事が、この地域の農村景観的として最善の方法だと思う。久野川を蘇らせるためにも必要なことだと思う。多分川沿いには水車もあったであろう。水路を使って、発電を行えそうな場所だ。全体では4枚のミカン畑だ。大きなミカンが全てに植わっている。どうやって再生するかを、一緒にやる予定だ。田んぼに戻すために石が入らないこと。畦をしっかり作ること。平にする事。水が洩らないように固める事。あれこれあるが、なかなかの大事業である。

今回の国土交通省の事業は、地域の建設業界の緊急支援的意味合いが強い。公共事業を否定してきて、又、今回の15兆円の補正予算に反対でいながら、まさかその事業の一翼を担うとは、不思議な巡り会わせだ。農地を再生しても、継続して耕作できる条件がなければならない。また、個人的な利益になってしまう事も、問題がある。そうしたことで総合的に、農の会が請負う農地と言う事で、この田んぼが選ばれたと聞いた。ミカン畑を田んぼに再生するという事業の目的にも、この場所が適合していたと言う事は大前提である。先日初めて、工事を指導する建設業組合の方と、打ち合わせをした。田んぼの再生など、したこともない業者が行うので、これは相当に大変なことになりそうだ。鬼柳の田んぼの再生では県土木と業者にお任せして、大失敗をした。今回はそうしたことがないようにと思ったら、口うるさくて迷惑な感じになっている。

1、全体が完全な平らになるようにお願いします。
2、木を切り、完全に抜根すること。大きな根が残ると、トラックターがはまります。
3、その後、水漏れが起きないように、しっかりとローラーをかける。
4、その上に耕作する土壌を30センチ入れること。土壌は石が入らない細かなもので、
5、耕土は柔らかいままでいい。(緑肥作物を10月末に播種する。)
6、当然ながら、田んぼには水が入り、水の排水が出来るようにお願いします。
7、入水口、排水口をきちっと整備する事。そうした器具があるので利用する。
8、田んぼ周囲の畦は「安全畦畔ブロック」
9、あるいはつき固めた土で、巾60センチのものにする。
10、畦の高さは耕作面より15センチ高くするようにお願いします。

どこまでやってもらえるかは、別にして、ミカン畑を田んぼにするには色々手がかかる。私の見立てでは200万円ほどの仕事になる。
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農林水産大臣赤松広隆

2009-09-17 04:59:44 | Peace Cafe
「農林水産大臣、赤松広隆」この人事を聞いた時思わず、声を上げてしまった。まさかのことであった。農政はとても複雑な所にある。誰もが、民主党の考える戸別補償が日本の農業の展望を開くのか、疑念を持ちながら見守っている。その重大な時に、何の農業に関心もない人間を、農林水産大臣に当て込んだ。失望と言う以上に、国民主権を繰り返す、鳩山氏の腹の底が見えない。鳩山政権の当面の対決相手は、官僚である。したたかな官僚である。恭順を示した振りをしながら、利益誘導をする面々であろう。官僚はその道の専門家である。農政について知識は相当にある。知識が役立っている訳ではないが、素人をちょろまかすぐらい朝飯前と考えなければならない。民主党の言う、戸別補償は現実的でないと、明確に否定されている所に行くのだ。その大臣が何も知らない人物を配したとは、日本の農政をやっぱり本気では考えていないのか。

何故こういう人事になったのかを想像するに、既に民主党への絶望感が広がってきたが、少しこらえて考える。官僚以上の知識がない限り、官僚へお任せする以外にない。今日本の農政の現状は、どの省庁より深刻なところである。根本的な機構改革が必要。地方農政局の廃止はどうなったのか。やみ専従問題はうやむやで告発なし。食品偽装に対する対応の部署は消費者庁に移管。根本は日本農業の展望が定まらない。戸別補償は正直面白くない仕組みだ。面白くない制度だけで農業を下支えできるのだろうか。例えば環境補償の方は、努力のし甲斐がある。お金だけではなく誇りがある。農業を継続する事に誇りが持てるような、つまり農業が文化であることを踏まえた政策が必要なのだ。赤松氏にそんなことは想像もできないに違いない。今農林省のホームページには石破氏の最後の記者会見が載っている。内容が濃い。とても農業を認識している。この人でもだめだったことなのだ。

赤松氏は末期のというか、社会党を崩壊させた議員である。自民党を崩壊させた、麻生氏と同じ功績である。衆議院議長になった横路氏の仲間であろう。労働組合活動をしてきた人だ。ホームページの隅々まで見たが、農業問題への発言はなかった。何故、と絶句したまま、推測の道すらない。あえて考えれば、これまでの農協と民主党との関係は最悪だ。民主党は08年11月、農協に政治的中立を義務づける農協法改正案を国会に提出した。再度出せば通るだろう。今回、自民党の農林議員は総崩れのように落選した。農協の持つ集票力が失われた。今更農協は民主党支持も出来ない。農協組織の抜本改革をこの機会に行うと言う事かもしれない。その意味で、組合制度の専門家の赤松氏を農林水産大臣にしたのか。農協と戸別補償の関係はまだ良くわからないが、農協の経営基盤を崩す可能性が大である。所得保障は農家に直接入る事になる。一方農協の取扱金額は激減する。

民主党の農林関係議員は農協との関係は当然良くない。次の参議院選挙でも、農協は自民党議員を推薦すると見なければならない。農協と協力関係を作らない限り、日本の農政を考える事などできない。農協の力は想像以上に大きい。しかも、民主党とは敵対してきた。民主党に投票した、多くの農家の意志を農協がどのように受け止めるか。この辺に赤松氏の役割があるのかも知れない。想像の範囲を超えるが、もしこれが、グループバランスに基づく、配慮の人事の押し出されが原因なら。立ち上がり早々に国民を裏切った事になる。今後の赤松氏の言動をよくよく観察しなければならない。それにしても、事務次官の記者会見を止めにしたと言う事は、戦略だろうが、どちらかと言えば自信のなさにも見える。

[赤松広隆農相は17日、農林水産省での記者会見で、民主党の農業政策を批判したとして党内に更迭論もあった井出道雄事務次官について「本人と話をしたが、献身的に徹底的に(赤松)大臣を支えたいということだった。歴史的和解をした」と述べ、続投させる考えを示した。]こりゃだめだ。

昨日の自給作業:タマネギ、大根、コカブの種蒔き1時間 累計時間:9時間
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「農地争奪」

2009-09-16 04:30:11 | Peace Cafe
新興国を中心に途上国を舞台にした農業投資の動きが広まっている。これを世界のメディアが「農地争奪」という表現で伝えている。主な投資国は中国、韓国、UAE、サウジアラビアなど。日本も「食料安全保障のための海外投資促進に関する指針」をとりまとめた。逆に主な被投資国はアフリカやアジアに集中している。例えば中国はコンゴ(旧ザイール)において農地280万ヘクタールを利用したパーム油栽培の権利を確保している。これは日本の農地面積の約60%に当たる。中国は農地の確保とともに、アフリカに数百万人規模の農業労働者を送り出す構え。またサウジアラビアは「サウジアラビア農業海外投資基金」を約53億ドルで設立。インドネシア(160万ヘクタール)やスーダン(1万ヘクタール)などの農地貸借権を確保している。国際食料政策研究所(IFPR)の推計では、2006年から今年までに主な投資国(中国、韓国、UAEなど)が取得した土地は1500万~2000万ヘクタールにも及ぶという。これは日本の農地面積の3~4倍にあたる規模だ。

日本で耕作放棄地が広がっている間に、世界では食糧危機を予測した、新しい農業形態の模索が、新植民地主義のような形で広がっている。今起きている現実を、考えてみても日本のここ10年の農業政策の方向、「国際競争力のある農業生産物」と言う考え方がいかに間違っていたかが分かる。今世界は基本的な食料の確保という、基本に戻ろうとしている。現在のWTOの協議も食糧不足の場面においては、全く違った事になるだろう。食糧の自由貿易ではなく、足りない食糧をどう供給を割り当てるかと言う、協議になってゆく。食糧不足を見通して、起きているのが農地の独占的使用の「農地争奪」である。民主党の言う、農家の戸別補償の考え方が、具体的になった時私の家では何かが起こるのか、あるいは起こらないのかが、よくわからないが。この遠からず起こる世界の食糧事情の変化は、おさえておいて貰わないとならない。

先日の小川町の見学で、大豆を1キロ500円で地元の渡辺豆腐店に独占的に、販売していると言う話だった。私が大豆を作った体験では1キロ1000円でないと経営が成り立たない。その理由を知りたかったのだが、様々な助成金、補助金を受けているからこの値段で、販売できると言う事らしい。これが、北海道の有機大豆と成ると、1キロ400円とかになる。それでも補助金があるから経営できる。こう言う公平でない仕組みが良くない。補助金を上手く獲得できる農家が生き延びる。私のようにボケーとしている農家は追い込まれる。大豆用のコンバインも補助金で買えたそうだ。しかし大半の農家は私同様で、どうしたらいいのか分からないままだろう。国の助成金を貰うには、膨大な書類がいるらしい。普通の農家に出来る訳がない。農業がボケーとしていてもやれるような方式にする必要がある。堆肥場を作りたいと思うが、補助があるらしいがこれが見えない。これも小川町では上手く進めたらしい。

農業者が普通に農業をしていれば、暮してゆける状態を作り出す。農業は文化であって、経済ではない。同時に大儲けなど農業では出来ないようにする。農業をになう事は、一種の公務員的役割である。水を作る、水道局と同じことである。昔なら必要な水のある所でくらした。食べ物は誰もが自分で作るしかなかった。手分けしてやるにしても、暮してゆく最小限のものは、国がきちっと確保する必要がある。それが主要作物であろう。米、小麦、大豆、現状お米を食べなくなって作り過ぎの問題がある。米は作れるだけ作る必要がある。田んぼにはそれだけの環境調整能力がある。お米は足りない国にあげればよい。日本の国際貢献は全て食糧で行う。食糧生産が出来る土地は世界中では、既に足りていない。憲法に基づく平和的貢献は食糧援助を基本に考える。世界での飢餓は広がる中、食糧援助は急激に減少している。せめて10年先を見据えて、考えたい。
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