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地場・旬・自給

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いのちの満足

2013-04-30 04:23:43 | 
くだかけ生活舎の和田重良さんから、「いのちの満足」という本が送られてきた。高杉という山の中に暮らして30年目ということで、出されたものだそうだ。と言って山暮らしが書かれているわけではない。30年前には、まだ重正さんというお父さんがいて、一緒に暮らし始めたということだろう。今は、息子さんと一緒にくらしているということだ。重正さんはさらにそのお父さんの八重造さんという方と暮らしたようだ。その頃にすでに、「一誠寮」というものがあったらしいから、親子4代にわたって、寄宿寮のような、教育組織をやってきたことになる。こういう何か思想運動のような、塾というような活動には、私にはちょっと避けたいという気分がある。しかし、和田重良さんは平和運動にも参加されるので、この点で共感している。重良さんから、時々送られてくる文章にはさすがというような実にうまいことが書かれている。

上手いといえば語弊があるが、他にもっと適切な言葉が捜しにくい。いいことというか、なるほどということが書いてある。とても鍛えられた言葉だ。読めばどこの部分も、そうだよなー、うまく言葉にするなあーと思ってしまう。まあ、たとえ話が上手だ。上手というのは怪しいということでもあるのだが、重良さんはお会いすると、実に言葉どうりの率直で、実直な方だ。必ず、なにかしらいただけるものがある方だ。私などは、批判ばかりしていて、根性が曲がっているから、時々お会いして気付かなければいけない方なのだろう。そういう方だから、やはりお会いするのは少し勇気がいる。偉そうにしないし、当たり前にしてくれるのだから、恐れることはないのだが、やはり立派な人に会うのは少し気が引ける。その点本はいい。気が向いたときに読めばいい。読めばどこかは納得がいく。教えていただける。

こういう内容を寓話として表現できないものだろうか。「あそぶ心地よさ」というのが第一章にある。思い出すのは、中学校の入学試験の面接で、と言っても曹洞宗の中学校であるが。「何が好きですか。」こういう質問をされた。本当のことを言わなければならないと思い、グーと考えて、遊ぶことです。と答えた。面接をされていた方は、びっくりしたようだったが、正直である方が大事だと思ったので答えた。次の章には、「雑巾がけのここちよさ」という、一灯園のような言葉もあるから、この遊ぶは油断ならない遊ぶにちがいない。そういう寓話を作れないかと思う。三年寝太郎である。寝ていて良かったというような寓話の方が重良さんの言葉は生かされるような気がする。そういえば、茂吉という俳号のようなものを持たれていて、時々句のようなものを書かれる。文学者でもあるつもりのようだ。寓話が向いているような気がしてならない。上手い話良い話が、面白い物語のお話として書かれていた方が、重良さんらしいと思うのだが、余計なことだろう。

三〇年間山の中で暮らしている人の、暮らしというものに興味がある。円空はおなかが減ると、掘り上げた仏像を川に投げ込んだそうだ。そうすると流れ着いたふもとの村に住む村のものが、やれやれ、和尚はおなかが減ったらしいと、食糧を持って出かけた。このやり取りはとてもいい。寓話だ。誰が拾うかわからない川に投げ入れられる仏様。流れて海に出てしまってもそれはそれでよい。拾い上げた村の者が、食糧を持って出かけるのもなかなか面白い。人間のやることはほとんど、意味がないという話。山の中で30年無意味に、仏像でも彫って暮らせれば、すごい。無意味で平気ということはすごいことだし、生きる目的なような気もする。重良さんが、山から川に投げ込んだ仏さんが、「いのちの満足」であるということは確かだろう。仏像を見つけれるかは偶然である。食料を担いで、山まで行くかは村人の判断である。
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公的農地集約組織の構想

2013-04-29 04:19:39 | 自給
林芳正農相は4月23日、首相官邸で開かれた政府の産業競争力会議で、農業の競争力を強化するため、大規模生産者と小規模農家の間で農地の貸し借りを仲介する新組織「農地中間管理機構」(仮称)を各都道府県に整備し、農地の集約や耕作放棄地の解消を加速する方針を表明した。新機構には国費を積極的に投入し、農業用水路などの基盤整備も行って、意欲のある農家が農地を借りやすくする。環太平洋連携協定(TPP)交渉参加をにらみ、小規模農家が分散する日本の弱い農業構造の改革に本腰を入れる構えだ。農地集約と耕作放棄地の解消に関する数値目標を定める意向を表明した。東京新聞記事

農水が打ち出した政策が、考えていた対策に似ていたので驚いた。しかし肝心の耕作放棄地の大規模農家への集約という視点は、見当違いである。耕作放棄地は大規模機械化農業ができない農地から始まっている。機械化しやすい、集約しやすい競争力の高い農地であれば、政府が乗り出さなくても放棄地にはならない。当たり前のことだ。つまり、大規模農業の優遇がされると、競争力を失う不利条件農地が登場し、放棄せざる得なくなってくるのだ。この政策だけでは、政府の目指す耕作放棄地を無くすという数値目標が、農地面積を減らす政策ということになってしまう。耕作放棄地呼ばれている期間も数年のことだ。原野に戻れば農地ではなくなる。政府の政策の本当の狙いは、条件不利農地の放棄を促進し、自然に戻ることを目指しているということが、本音ではないのか。国際競争力のある農産物という主張は、実は大規模集約化に良い農地だけを農地として残し、後は農地ではなくすという考えである。競争力のない農地や農産物は生産を止めようということだ。

農業にも競争原理を徹底しなければならないという考えだろう。この政策は不利条件の農地で頑張ってきた農家を切り捨てるということになる。そう正面切って主張してしまえば、ひどい話なので、冒頭の言い方による、政策が出されたのだろう。問題は今後起きてくる、集落の消滅と、日本の山間部の管理の問題である。不利な場所での農業は止めろ。これをわかりやすく言えば、棚田は止めろということだろう。その方が、政府の考える国際競争力は生まれる。しかし、不利条件の農地が維持されてきたことで、作られてきた日本の里地里山は消滅して行くだろう。自然環境の維持はどうなるのだろう。それを支えてきた、不利地域の日本人を切り捨ててしまうことになる。地方はどうなるというのだろうか。日本の棚田における耕作は国際競争力はない。大規模化は出来ないし、機械化も限界がある。それを止めるのも一つの考えだろうが、それで日本という国全体の合理性があると言えるのだろうか。

今回の政策を大きな方向でみれば、中山間地と呼ばれる地域には人がいなくなる結果を引き起こすだろう。国際競争力のない日本の林業地帯の山は、さらに荒れてゆくだろう。川も、海も豊かさを失い、貧弱ななものになるだろう。本来政府が目指すべきは、耕作放棄地を政府が介在して公的機関が、自給的農民に貸し付ける方向を打ち出さなくてはならない。この方針は大規模機械化と逆方向であるがゆえに、存在意義がある。農地を管理する意味を、中山間地を維持する価値を評価しなくてはならない。国は多様であることが重要である。様々な価値観が共存することが、日本という国の豊かさになる。都市から離れた山奥でも、最先端の研究や、技術開発が可能である。そういう情報システム作り出すことはできる。自然環境というものの価値は深い。人間が自然と切り離されてしまえば、豊かに生きるということが難しくなる。そうした、自然と一体化した自給農の生き方を可能にすることが、国の役割のはずだ。

耕作放棄地は、条件不利地域にこそ存在する。だから、大規模機械化農業に放棄地を集約するというのは、現実を無視した建前論である。新規産業の提案を伴わないアベノミクスとよく似ている。、打ち上げ花火である。実質経済を活性化するとは、新しい産業を創出することである。これが出来ない。農業も同じで、国際競争力のある農業の、言葉だけでは何も変わらない。当たり前に日本の条件下でやる以外にないのが、地道な農業である。一番にはなれないのだが、その範囲で十二分にやるしかない。競争に勝つということが大事なのではなく、日本人がこころ豊かに生きるということが大切なのだ。そのためには、食糧の自給が農業で一番重要なことだ。どうやって条件不利地域の農業を維持するのか。あるいは切り捨てるのか。この部分の議論が必要である。
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中国での鳥インフルエンザの展開

2013-04-28 04:18:26 | 自然養鶏
今回の鳥インフルエンザの展開は今までの大流行とはかなり様子が違っている。確かに人間への感染があり、死ぬ人もいるが、過去の新しいインフルエンザとはだいぶ様子が異なる進行状況である。感染の速度は弱い。年齢が幅広く感染する傾向がある。香港風邪と言われるぐらいで、中国の南地方はインフルエンザの発生地点になぜかなる。シベリアからの渡り鳥と、養豚が原因とされてきた。過去のインフルエンザとウイルスとは、相当に型の違うものと考えた方がいい。人にも感染しているが、その広がり状態から見て、人ひと感染はあるとしても、現状では極めて少ないということ。また、鶏の中での感染爆発が起きていない。どうも同じ養鶏場の鶏でも、一部だけが感染しているようだ。つまり、感染力はかなり低いところが特徴のようだ。新しいタイプのウイルスのため死ぬ人もいるということだ。鶏はこのウイルスで病状が出ることはないらしい。

感染の広がり速度を見ると、人ひと感染はよほどのことがない限りないことがわかる。生きた鶏からの感染が主たる原因と言っていい。その理由もわからないが、よほど濃厚なウイルスの量が感染に必要なのか。4月28日現在122人が感染し、うち23人死亡した。確認から2か月が近くが経過してこの程度なら、上手くいけば中国から出ずに抑え込めるのではないだろうか。台湾の人が感染したが、この人の行動を徹底的に調べる必要がある。生きた鶏との接触がないと言っているそうだから、とことん何から感染が起きたのか調べれば分かるかもしれない。もう一つには、感染する人のタイプがどうもあるようだ。これも感染が確認した、120人を良く調べれば、何かが分かる可能性を探ってみるべきだ。今後の抑え込みには重要な材料である。感染者数と死者の数からして、重症化しやすいのは、新しいタイプのインフルエンザであり、特徴のある病状を起こしているのではないだろうか。

同じように感染鶏との接触のある人の大多数の人が感染していない。これは以前にもあったのだが、ワクチンから派生したウイルスということはないのか。どういう人は感染しないのか。今後の対策としては、中国で鶏肉を扱う場合の今までのやり方を変える以外にない。まず、生きた鶏の鶏肉としての販売をやめることだ。これは日本では当たり前のことだから、鶏肉の流通を変えれば済むことである。冷蔵庫の普及や、冷凍輸送技術の確立ということになるのだろう。安全な食肉センターも必要になる。また、豚が介在して居ないのか、居ないとするなら、今後豚に入らないように、徹底的な対策が必要になる。今回のウイルスが、豚の中で人人感染を起こししやすいように変異する可能性がある。日本での注意点は、中国からの帰国者の厳重なチェックと、渡り鳥の調査である。中国からの渡り鳥が今の時期少ないということであるが、死んだ鳥に触れるなどしないことだろう。

新しいウイルスが登場したとき、誰もが同じに感染する訳ではない。この原因を探るべきだ。免疫力の意味が見えてくる可能性がある。ワクチンによる免疫と、かつて感染したことによる免疫は、完全に同じとは言えないと考えている。ワクチンによる免疫は応用力がないように見える。わずかにウイルスが変異し形が異なるだけで、また感染をしてしまうように見える。しかし、自然に感染し克服したために出来た免疫は、ウイルスの少々の変異なら、対応するように見える。そういうことは医学的にはないとされているのだろうが、そういう感触がしてならない。免疫に関係しているマイクロバイオームのことがどうも気になるのだ。体内の微生物が、ワクチンに対してどのように反応するのか。同時に、ウイルスの感染に対してどのように対応するのか、体内微生物の研究が進むと、免疫に対して新しい見方が出来る気がする。
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下田の絵

2013-04-27 04:15:29 | 水彩画


「春の海」着いて最初に描いた絵 中版全紙 ファブリアーノクラシコ 絵具はニュートン
とても風の強い日だったので、白波が立っている。沖合の方まで、白波の白い点が連なっていて、しだいに小さくなっている。不思議なことなのだが、沖合の海の色は、濃紺という時もあれば、ほぼ白という時もある。水平線は明瞭に出てくることもあれば、全く見えない時もある。何故なのか分からないから気になる。そもそも海の何を感じて、何を描きたいということなのだろうかといえば、あくまで海は器であって、自分の心の中を描いている。見ているという自分と向き合う意味で、画面がある。




「春の海」2 次に描いた絵 中版全紙 ファブリアーノクラシコ
ほぼ同じ場所をたて構図にした。その方がこの厳しい感じにふさわしいような気がしてきたのだ。2日目に描き進めて、どんどん水の持つ感じに近づいて行った。描写しているわけではないのだが、目の前に海があるというのは、かなり参考になる。大きな下から上への抜けてゆく力のようなものを探していた。家に帰ってからさらに描き続けてみたいと思っている。海を怖いと思っていたが、向き合えば、受け入れられるものがある。諦めるというか、こういうことなのかと明らめることがある。どうしても津波のことが浮かんでくる。日本という国は、こうしていつも再出発しろという国になっている。




「風の海」その次の日に描いた絵 中版全紙 ファブリアーノクラシコ
まだまだこれからの絵であるが、一番気持ちは出てきた絵だ。この先どういう絵になるのか。描くとすると、もう一度行くしかないのか。きっかけは描いてみたが、水彩というのは、ここでもいいと言えばいえるし、この先が大切なことだともいえる。大体の場合、描けば描くほど、自分の見たものから遠ざかってゆく。しかし、遠ざかりながら、もう一度立ち返ることもある。



「岬の家」 途中 P10号位 
海の方ではなく、岬越しに見た風景である。不思議な家が山の中にあり、どこから登るのかすらわからない。どんな人が住んでいるのかなど思いながら描いた。とても気軽に描いたので、何か面白いところもある。家に戻ってさっそくこの先を描いた。すでにだいぶ変わっている。




「夜の海の風」 かなり途中 P10号位
波の強い日の夜、見えない海を描いている。見えないのだが、吹き抜ける風の音と波の寄せる音が聞こえる。聞こえていないのかもしれないが、見得ていないのかもしれないのだが、絵としては頭の中にある絵。頭の中にあるイメージを描くのが水彩画ではないかと話したら、いや、頭の中には説明的なイメージしかない場合もあるということだった。たぶんそういう人には、そもそも絵を描くくことは無理だろう。絵は誰にでも描けるものではない。まず、素晴らしい景色に何かを感じない人には無理だ。そしてその景色を見て、頭の中に描く画像がイメージできないようでは絵を描くことはできない。そんなことはない、絵の描き方にもいろいろあると、いう反論が聞こえるが、そういう人と話しても私の絵にとっては仕方がないことだ。




「海の庭」全くの描き始め P10号位
絵にもなっていないが、描き始めのメモのようなもの、あえて写真を撮ってみた。水面を見ていて見えてきた庭である。たぶんこの先描けないだろう。
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浜松の土砂災害

2013-04-26 04:09:15 | 地域
浜松で大きながけ崩れがあった。前日には崖上の茶畑に割れ目が生じ、20センチほどの段差が出来ていたという。そして、大きな崩落が起きた。この河岸の周辺の崖にある樹木の様子では、相当長い期間崩れたことはなかったと思われる。地域の住民の方が、がけ崩れは聞いたこともないと答えられていた。これは深層崩壊のような性格のものだろうか。崖の淵から、20メートルぐらいの厚さで崩れてしまっているように見える。何故そこに亀裂が入ったのだろうか。川に向かって水が入り込む層があったのだろうか。こういう地形は久野にもある。同じように茶畑があり、下に川がある場所もある。90メートルの高さの崖に近いところもある。浜松で崩れたからと言って、久野で崩れるとも思われないが、かつて例を見ない災害が頻発する以上、起こる可能性は考えて置く必要はある。私の暮らしている舟原は、土砂災害危険地域である。これは、久野川の土石流災害を想定してのものである。

久野川の上流でがけ崩れが起き、川をせき止める。そして、氾濫し舟原地区に土石流が押し寄せる可能性を考え、土砂災害危険地域指定がされた。指定されて2年以上経った。その指定の説明会では、がけ崩れの調査は含んでいないということだった。久野川の水源地域の上流部で、昨年6月の豪雨でがけ崩れが起きている。幸い川をせき止めるような位置ではなかったので土石流は起きなかった。しかし、久野川下流部でも4か所河岸が崩壊し、かなりの土砂が流された。時間雨量が100ミリに達するような豪雨の可能性が高まっている。温暖化の影響なのか、降る雨の激しさは、かつて見ないものである。今まで考えられなかったような災害も、想定する必要がある。もう一つは、地震の頻発である。3,11以来日本全国いたるところで、大きな地震がある。特に久野川上流部の箱根では、群発地震があった。地震で地割れが生じて、そこに雨水が流れ込み、地滑りを起こす可能性もあるかもしれない。

災害は起こると考えて、対策をすべきではないだろうか。まず、自分の家としては、裏山の崩壊を考えて、対策をすることにした。しっかりしたコンクリート壁を現在作っている。5月一杯に完成の予定である。土砂や水が裏から流れ出ることがある。がけから水が噴き出ることもあるから、心配であった。一部家を取り壊し、裏に重機が入れるようにして作っている。大工事になり大変だがまずやれることは、自分がやらねばならない。今年は副自治会長と来年は自治会長をやることになっている。こうした場合、地域防災に対して責任を感ずる。もし、災害が起きてしまえば、知らなかったということでは自分の中で納得が出来ないものがある。何が役割になるのか、行政に聞きに行ってみたい。当面の問題点は、久野川沿いの公民館が避難場所、防災拠点になっていることだ。川沿いの危険個所の公民館に近づく気にはなれない。そこに避する人はいないとは思うが、どこか他に逃げるところがある訳ではない。自己責任で行動する必要がある。

久野川上流部では河岸の工事に、一貫したものがないと思う。砂防ダムや一部の河岸のコンクリート化はあるが、河岸の崖の崩壊の可能性の調査が必要ではないだろうか。そして、危険個所があれば対策をする。4月29日には河岸の遊歩道の整備が行われる、整備をしながら、川をせき止める可能性なども調べる必要があるの気がする。さらに山の管理である。戦後植林された山が、経済的な意味で、循環しなくなっている。そのために管理が十分でない個所がある。間伐も遅れている場所もかなりある。小田原の西側を占める広大な森の将来的構想を立てることだろう。すでにあるのであれば、市民全般が共通の認識を持てるように、提案をしてもらいたい。林野庁から市役所に出向でこられている職員の方は、地域でもとても評判がいい。どう進めるべきと考えているのだろうか。一度話を聞いてみたいものだ。

昨日の自給作業:苗の植え付け、じゃがいもの草取りなど、草刈り 3時間 累計時間:23時間
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靖国参拝と英霊

2013-04-25 04:16:09 | Peace Cafe
靖国神社の春の大祭に際し、国会議員が168名の参拝。副総理の麻生氏の参拝。閣僚3名の参拝。安倍首相は真榊と呼ばれる供物を奉納。過去に例のない規模である。これで外交問題にはならないというのが、政府の見解である。あまりの鈍さににあきれる。外交問題化の覚悟で参拝したというならまだ話はわかるが、これで中国、韓国が反発して外交問題がこじれると誰もが心配している。現政府には外交問題化しても解決する能力はない。政府の一番大事にしているのは、アベノミクスという経済政策ではなかったのか。最も重要な要素が国民のマインド、とか言われる気分である。これから良くなるぞという気分を作り出すという矢先、中国韓国に反感を受けてマインド低下にならないのか。予算委員会での、気の乗らない答弁のように、こうなる覚悟がなかったと言うのなら、政治家として失格だろう。いよいよ安倍政権の隠してきた国家主義が噴出してくる予兆なのか。

靖国神社というのは、日本の軍人、軍属等の戦死者を祭神として祀る神社である。戊辰戦争・明治維新から始まり、太平洋戦争に至る軍関係者246万6532名が祭られている。明治に始まる帝国主義を象徴的に意味するものだ。靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であると考える。さらに悪いことには、国家や天皇と靖国神社を結び付ける傾向など、危険な要素を含んでいる。神社と言っても日本における、村の鎮守としてのの神社は、いわゆるヨーロッパ的な概念の宗教とは言えない。原始宗教的なもので、アニミズム的なものと考えた方がいい。その古代的な日本人の土俗的民俗意識と、天皇の存在は微妙に関係している。明治政府の帝国主義的思想が、天皇を利用したことには、大きな間違いが存在する。本来の天皇は、稲作の技術と文化の要として影響が深く、自然にゆだねる食料に対する祈りに通じている。

仏教を国家宗教として利用しようとした、古代日本社会と天皇の関係を見れば、神道がいわゆる宗教でないことはわかる。この曖昧な日本人的意識を日本人の天孫思想とを結び付けようとした明治政府の富国強兵政策。靖国神社はそうした思想的背景をもとに、帝国主義的意図をもとに作られた、日本的ではない軍国神社である。現代日本の政治家がこの神社にこだわる不自然さの方に気がかりな点がある。何故、国粋的な思想と靖国神社が結びつくかである。日本主義のようなものは私にもあるが、死んだ軍人を祭る神社を、日本と言う国と結びつける気持ちはない。靖国神社には、第2次世界大戦の戦争責任者たちが祭られている以上、近隣諸国が侵略された立場で不愉快な存在であるのは当然のことである。靖国に参拝するような人は、侵略ではないという立場であるのだから、なおさら近隣諸国にしてみれば、許しがたいことである。しかも、今回のように私的立場の行為まであれこれ言われたくないなど、居直る日本政府の態度に、近隣諸国が不安を感じて当然のことだろう。

英霊を思いやる心と言うなら、靖国神社とは別に、戦没者霊園を作ることが必要である。靖国の軍神にさせられたことを苦々しく考えている戦死者もいるだろう。何度も無宗教の戦没者霊園の話が出ながら、いつも立ち消えになるのは、日本の政治の裏の本音を感じる。戦没者に対して敬意を表することと、日本を戦争に導いた責任者に参拝するのでは、意味が違う。本音では、軍国国家に日本を導いた人たちを尊敬しているのだろう。思いやるべき英霊は近隣諸国にもいる。特に、歩み寄りを見せてくれた朴槿恵政権に対して、政治的な失策である。日本の国会議員の靖国参拝を容認することでは、韓国の世論は収まりがつくはずがない。北朝鮮が危機的状況に進んでいる今の時期、大切なことは、日韓の連携である。第一は、すべての戦死者を尊び、恥じない行為である。もちろん中国に対する外交戦略としても韓国が重要な存在である。安倍政権の靖国参拝問題は、日中関係の悪化をもたらすだろう。
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苗代の水管理

2013-04-24 04:07:58 | 稲作
「田んぼは水で採る。畑は土で採る。」という言葉を読んだことがある。その通りだと田んぼをやればやるほど思うようになった。田んぼに入る水が良ければ、この言葉通りで、田んぼの土壌に何かを加える必要はない。それだけで、10俵まで採れるはずだ。山が良い落ち葉の堆肥場になっていて、そこからの絞り水が田んぼに入るなら、その水で最高のお米が畝どり出来る。屋根などに落ちる雨水だけで田んぼを作った経験がある。この場合、田んぼの土に肥料を加えて作るしかなかった。山が海の恋人だとするなら、山は田んぼの母親である。水は母乳のようなものである。田んぼに入る水の大元にある山がどういう状態であるかを判断しなくてはならない。針葉樹だろうが落葉樹だろうが、木が十分にあればまずは良い。黒木ばかりの山では、確かに良くはないが、全くダメという訳でもない。田んぼに良い山は、単純林でないことだろう。草でもいい、表土が何かに覆われているということは大切なこと。

水の透明度で気づいたのだが、ただ上から見て透き通っているは間違えのようだ。今年は種もみをきれいに澄んだ久野川に浸して置いたのだが、溜まる泥の多さは驚くほどだった。これは、昨年6月に4か所?で山が崩れたためと考えられる。最近までの川の濁りは、林道の土木工事のためだった。これが終わり、だんだんきれいになってきたと言われていたのだが、今度は豪雨による山崩れが起こるようになった。これは今後さらに深刻になるだろう。林道の作り方と、残土の処理の仕方には工夫が必要である。ますます、山の管理が重要になると思われる。母親が荒れていたのでは、良い田んぼの水はできない。豊かな森のある山は田んぼを行う最も大切な要素だ。ミネラルが豊富で、腐植質が混ざっている。しかし、泥は入らない。

4月21日より苗代の水管理が始まった。当面の目標は出来るだけ早く芽を出させることである。早くて5日ぐらいかかる。保温と水管理。陽が当たった時の午後2時に水温は27,5度あった。水は苗箱が濡れているくらい。水没するほど水を入れるのは良くない。水やりのような気持ちで水管理するのがいい。セルトレーのそこ穴から、水を吸い上げる状態が良い。水温は上げられるだけ上げる。今年は一枚上の田んぼで貯め水にして、温めた水を入れている。苗代の水は排水はしないで浸透と蒸発で無くなるぐらいの量を入水する。川の水位や湧水の量を見ながら、入水量を調整する。保温のことでついでに書いておけば、どのようなシートであれ、べたがけはだめ。シートによっては芽が絡んで取れなくなる。またテント状に空気層を作り温めたほうが、良い状態になる。穴あきビニールでもできる。この場合風邪対策とシートで完全に水を閉じては良くない。また外す時期の見定めが必要。

芽が出たなら水は少しづつ増やしてゆく。あまり深くないのであれば、水没しても大丈夫である。水没させ、また水を抜くを繰り返してゆくことが良い。そして2葉期を過ぎる頃には、ひょろひょろせずがっしりした感じになるように持ってゆく。その頃からは、常に水がある状態にしておく。5月に入れば、それほど寒い日はなくなるので、しっかり水を貯めてゆく。4葉期から5葉期の分げつが始まるような苗を目指すには、根元は水没するくらいの水位がある方がいい。根がしっかりとセルトレーの底から伸びて、苗代に広がってゆかなくてはならない。以上の考え方は、野生の稲が河岸に昨秋種もみが落ちて、やがて眼を出してくる過程を想像して考えた方法である。苗作りは稲作全体に影響する重要な作業だ。良い苗を作るには、良い水と水管理こそ重要である。野外で滞りなくすくすく育つ状態が一番だと思う。苗箱で成苗を目指す場合は、2葉期まではハウスで管理することにしている。その後、苗代に置く。田植え以降の水管理は、改めて。
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未来党の総括

2013-04-23 04:05:26 | Peace Cafe
未来党の失敗を教訓にしなければならない。失敗の主因は未来党に投票しなかった選挙民にある。選挙民が未来党を選択できなかった。未来党の嘉田氏と小沢氏の合同の失敗が言われるが、それならまだましな話である。選挙民が反原発を支持しなかった。さまざまな要因から、こう判断した結果だと思う。今回のことで現実政治へ絶望した人は多いいだろう。自民党から変化を求めた民主党も駄目だった。あれほどの原発事故があっても、のど元を過ぎれば二度と事故がある訳がない位の、根拠のない願いにゆだねようと言うことだろう。海岸近くに住んでいる人多数の方が、津波来たら住んでいる家など流されてしまうけど、その時はその時で仕方がない。このように本気で話されることがある。どうにもならないことを心配しているより、忘れている方がましだ。こんな日本人らしい諦めの心境と同じなのではないだろうか。

報道の多くは自民党の復活を望んだ。それはマスメディアが誰よりも自らが滅びることを予測し、不安の中に居る存在だからである。新聞もテレビも時代に取り残されそうである。かつての存在意義を失い始めている。多くの既存組織は生き残りへの不安の中に居る。自己保存本能が強く働く。生き延びるために、過去の社会への回帰願望である。未来は困るのである。未来には自分の居る場所がなさそうである。これが選挙民共通の不安である。昔は良かったとなれば、未来党の選択はない。原発は問題ありだが、年金が無くなるより、ましではないか。明日の仕事が無くなれば、未来の原発事故どころではない。これが、自民党を選択した人の願望だったと思われる。現実を見たくない。残念ながら、現実の日本は後退せざる得ない。後退しながら、日本のあるべき位置を見つけるしかない。これはつらい作業だ。

反小沢の検察に始まる、追い落とし作戦は成功した。良くみんなの党の渡辺氏は政策の一致という事を発言する。今後、小沢氏とは政策が一致した所で、合同出来ないであろう。小沢氏の生活の党の政策批判より、小沢氏に付きまとうイメージ作戦が成功したのである。日本的政治なのであろう。田中角栄氏も同様の方法で葬り去られた。アメリカに対抗しようとした政治家は何らかの形で、政治生命を断たれてきた。鳩山氏もそうだろう。原因も方法も様々であるが、結局はそうした結果になる。アメリカに対抗しようというような骨のある政治家は居なくなった。国粋的な政治家というものが居ない。石原氏も、安倍氏もアメリカからの自立などとは間違っても言わない。むしろ、集団自衛権を主張し、アメリカの傘下に入り、一緒に戦うので保護して欲しい。というような属国主義である。右翼的と言っても赤尾敏氏の愛国主義とは大違いである。今回の選挙の間違いの結果が、しばらくの日本政治の立ち直りに影を落とすことだろう。未来党と小沢氏に対する嫌悪感を作り出したことは、報道の自己防衛本能である。

滋賀県知事としての嘉田氏は、国政に加わる政治家としてのしぶとさが欠けていた。反原発のスローガンが曖昧になり見えなくなった。60%の国民が原発をやめようと考えた。にもかかわらず、自民党が大勝した。その結果は良くとも、悪くとも、選挙民の責任である。自民党的政治に戻ることを選択したのだ。政策ではなくお上を支持する感覚への回帰。何を発言しているのかなど、紛れ込んでしまった。経済がすべてという所に日本人全体が迷い込んでいるのも現実なのだろう。選挙はおかしいものだが良くできている。民主党の幼稚な政治的な能力にあきれ果てた。維新だろうが、みんなだろうが、同類のお子様政治では無理だという心理もあると思う。まだ自民党の方が、お上として政治を託せる。つまり、民主党にあきれた反動が今の政治状況。しかし、アベノミクスとかいう政策は必ず失敗する。実体経済の伴わない、円安、物価高は今後国民を苦しめるに違いない。それでも政治をあきらめない粘り強さ、大変であるが耐えるしかない。
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稲の種まき

2013-04-22 04:21:26 | 稲作
冬のような冷たい雨の中、稲の種まきをした。冷たいい雨の中と言ってもセルトレーや苗箱に種を播いていたのは、屋根のある機械小屋である。機械小屋を増設出来たことで、ぎりぎり助かった。苗土の準備から、苗土の発酵。今までに比べてずいぶんやりやすくなった。やりやすかったので、理想を目指して徹底した。種まきは蒔く時期がとても大切だと思う。播いてすぐ寒いなら、問題はない。しかし、芽が出てしばらくしてから、氷が張るような寒さがくれば、枯れるまでは行かないが、生育が止まってしまう。回復するのに、相当の時間がかかるうえに、良い苗になるとは言えない。そこで、今年は4月21日の種まきに変えた。最初のころは4月入りすぐに種まきをやっていた。1週間づつ遅らせてきて、ついに3週遅らせたことになる。その年の気候にもよるが、この3週遅れは、田植えの1週間遅れぐらいになるとみている。田植えは6月2日となる。その頃、4葉期以上の苗になっていることが目標である。

もう一度種まきまで手順を整理しておくと、春分の日の3月20日に海水に浸けて籾洗い。浮いた種を取り出して海水選別をした。海水は普通の塩水選よりも濃度は薄い。それでも浮いてしまう籾もある。10キロの種もみが、8キロぐらいになった。さすがにそれは使わない。そして、久野川の上流の安全なところの流れ水にさらしておいた。野菜ネット3つに分けて、2重にして縛っておく。1ヶ月の間には大雨もあるので、毎日泥を流してよく洗う。全くの清流のように見えるのだが、毎日洗っても泥がたまる状態である。昨年の6月の土砂災害以来、山の崩壊個所3か所がそのままになっているようだ。この間気温の高い夏のような日もあり、川の水は午後高い日には14度。朝は低くて10度ぐらいだった。14度を超えるようでは良くない。種が動き出してしまう。わずかに芽が出た鳩胸状態を狙っている。前日に川から引き揚げた、引き揚げたときはほとんど動いた様子はなかった。もち米の方は少し動いていた。

種まきまで24時間外気に出している間にわずかに芽が動いた。外はとても寒い日で、10度ぐらいまでしか上がらない日だった。種まき当日も寒い日だったので、このタイミングで川から引き揚げた。もう少し水が切れているかと考えたのだが、雨のせいもあって、濡れたままだった。来年は少し広げて、播きやすい状態でやりたい。苗土は3月20日に山土をふるって、1坪ほどの小山に米糠1体を混ぜてブルーシートをかけて置いた。その2週間後真っ白い山になっているのを確認して、ほぐしながらよく掻き混ぜる。その後、雨ざらしのそばがらたい肥4分の1、籾がらくん炭を4分の1加えて、かき混ぜて置く。この苗土皿にふるいながら、セルトレーに入れて軽く平らにならして、上から2重にしたセルトレーで押し込む。そこにセルトレーに合わせた、穴あきの透明板を載せて、種を播いてゆく。一穴に2粒から4粒を播く。1枚蒔くのに3分から8分くらいかかる。今年は苗箱に20枚に種を播いた。これは実験である。上手くゆけば、これをさらに増やす。

9時に初めて、3時に苗代作業が始まった。苗代は出来る限り水平。しかし深すぎ、柔らかすぎだと苗箱を置くことが出来ない。少し隙間を空けながら、置いてゆく、くっつけると水の廻りが良くない。全部が置き終わったら、コンパネを載せてさらに4人が乗って密着させてゆく。水平に密着させる。そのあと、中央に樹脂製の曲がる棒を半円にしながら刺してゆく。それを頂点にした、テントのようにラブシートを張ってゆく。長さは25メートルが1本。もう一本が10mくらい。苗箱は家の方で、芽が出るまで管理する。芽が出てから苗代に持ってゆく。今年は3反分の種まきをした。12人で、朝9時からの作業で、終わったのが4時だった。大変ではあったが、みんなで本気で取り組んだので、とても良い状態で作業が出来た。後は悪天候が来ないように願うばかりである。

昨日の自給作業:稲播種7時間 累計時間:20時間
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将棋はコンピューターに敗れた。

2013-04-21 04:44:36 | 身辺雑記
将棋はついに、コンピューターに征服された。この日が来るということは、予言されていたことだが、さすがにこうなってみると、相当に辛いいやな気分だ。その内、政治も社会もコンピューターが支配するようなことなるのだろうか。その方が合理性があるといわれるような恐ろしいことが待っている。20年前には、こんなことが起こるとは私のようなアナログ人間には想像もできなかった。その後、市民活動をやるには、まずパソコンを始めなければだめだ、という話を、山北の奥に住んでいるデザイナーに教えられた。そこで駅前で薬局をやっていたコンピューター教室の方に教わったのが始まりだった。その後、小田原に移って、タケさんとの出会いがあり、本格的に教えていただいた。しかし、相変わらず、そこより進歩せず、先日も立ち上げた掲示板の閉鎖が出来ないで、消していただいた。今持って自分で立ち上げた掲示板が何故消せないで、タケさんには何故消せるのかが不思議だ。

将棋は相当に熱心にやった時期がある。千駄ヶ谷の将棋会館の道場にまで、通い詰めたことがある位だ。5段までいったのだから、将棋を指した時期は確かにあった。その後は、コンピューターとだけ指した。ただし、米長氏が将棋連盟会長になって不愉快で止めた。10年くらい指したことはない。今後も指さない。その間に、人間を機械が追い抜いて行った。その経過をみることが出来たことは参考になる。初めの頃は囲碁の方が機械が強くなるだろうと言われていた。ところが結果をみると、囲碁は今だに弱い。まだまだ、機械的というかへんてこりんである。この機械的、人間的が怪しくなった。最新鋭囲碁ソフトでは三段レベルというようなことが書かれているが、初段レベルと機械が自称していたころやってみたが、初級者の私よりはるかに弱かった。本当だかどうかそのソフトは、北朝鮮が開発したものだと言われていたがどうだったのだろう。しかし、囲碁の方も10年もすれば、プロでも勝てなくなる可能性が高い。

最初にオセロとか、五目並べとかは、征服された。そして興味がそがれて行った。そしてチェスは、良くは知らないが、プロがコンピューターを使うらしい。さらにチェスを進化させた複雑なゲームが提案されている。コンピューターに凌駕された将棋は今後どういう経過をたどるのだろうか。ファーンを失ってゆく可能性がある。人間業とは思えない強さを将棋指しは持っていた。その驚異的な発想力に感動していた。羽生マジックと言われるような、まさかと思われる既成の思考法を、超えた発想の発見に、人間の頭脳の凄さをまざまざと味わった。ところが、機械の方が確かに人間業とは思えない強さを、当然のごとく発揮するのでは、人間の将棋に掛けた努力というものが空しくなる。私が将棋にはまってしまったのは、一種の依存症である。やらずと居られなくなる病気だ。寝ていようが、他のことをしていようが、将棋盤が頭に浮かび、将棋をやらずにはいられない。そして、勝ち、負ける。この精神的な起伏を味合わずにはいられ無くなった。

将棋を含めて、ゲームというものは人間にとって遊びなのだろうか。最近のゲームの世界はまさにコンピューターの別世界だろう。仮想世界の中で、自分の頭脳を当て込んで勝負する。アナログの将棋だって同じことである。生きているということとどうかかわりがあるのだろう。これを尊ぶべき文化と呼んでいいものだろうか。学校教育に取り入れるとか言われるが、遊びと教育の関係はどうなる。頭の訓練になるのか、悪い影響があるのか。太鼓の達人というゲームがある。太鼓をたたくリズムの正確さを競う。コロナの湯の入り口にあるので時々やっている子供を見る。中学生の頃、ドラムのステックで速さと正確さを競争した。自分用のステックを削りだすほど凝った。同じだなーと思う。手先が器用になったのは、ベイゴマにハマった時だ。子供のころから、そういう遊びへの依存症的な傾向があった。遊びに良いものと悪いものがあるのだろうか。
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パチンコ通報条例

2013-04-20 04:11:15 | Peace Cafe
すごい条例が出来たものだ。兵庫県の小野市というところの話だ。「福祉給付制度適正化条例」が施行されることになった。パチンコをしている生活保護者を見つけたら、行政に通報する義務を市民に課したというのだ。トントントンからリンの隣組である。恐ろしい時代が近付いていること予感させる事件だ。これは、小野市が特殊なところかと言えば、ごく普通の地域である。市長の意見がホームページに掲載されている。「見守り」社会を目指しているのだそうだ。人口5万人程の町だ。保護世帯が120世帯(人口の0.29%)という健全な地域で何か問題が起きているような街ではないようだ。ごく普通の日本の地方都市で、このような条例が、町議会で圧倒的な賛成多数で作られるという社会的雰囲気があるということだろう。政府の不正受給キャンペーンの結果である。

生活保護費が現状おかしい。それは確かである。新規就農者より、貧乏絵描きより、非正規雇用の人間より、生活保護者の方が、収入が多い場合がある。このことは論議する必要がある。しかし、政府はこのことを問題にする前に、不正受給の問題をキャンペーンした。いかに不正受給が多いのかということは、行政の対応の限界があるということだ。小野市でも行政職員がしっかりしていれば、120世帯に対して、きめ細やかな対応はできるはずである。そんな条例を作る前に、担当職員を一人増やせば済むことである。もちろん市長の本音はそんなところにはない。不正受給が問題ではなく、「見守り」社会を作りたいのだ。それは後で考えてみる。不正受給と、受給者の生活再建とは別問題である。不正受給を切り口に、生活保護費の削減をはかろうというのが、政府の本音である。不正受給を許せないのは、誰しも同じだ。不正受給を無くす直接の責任は行政と政府にある。生活保護受給者の生活再建を、市民に監視させることは問題を悪化させる。

不正受給は担当職員の能力の低下と、人員の不足が第一原因である。地方の行政にしてみたら、人件費の削減も緊急の課題である。小田原市の現状を聞くところでは、今の担当職員数では丁寧な対応はとても無理な状況らしい。個々の事例に接したことがあるが、さまざまな社会的な矛盾を、各人が抱えている。丁寧な対応をしようとすれば、担当者は寝る時間もなくなる。職員の中に良くやられる人がいることも知っている。やらない人もいるのだが、やりすぎる人がどうかと言われることもある。一通りにしておけという空気はあるはずだ。いずれにしろ課題は生活再建である。再建の可能性のある人に出来る限りのことをする。ここに対応するのはむしろ、健全な地域社会ではないだろうか。生活再建のための、農業系のNPO法人にかかわってきたが、再建できたものは自立し、弱者が残ってゆくのだから、法人そのものの経営の限界もでてくる。

地域社会がどうあるべきかということも密接に関係する。小野市市長のいう「見守り」社会である。人間はダメでありたいと思うことがある。堕落したいと思うこともある。そうしたものも含みこんで社会である。勤勉な優等生だけで社会はできていない。ダメだっていいじゃん。こういう部分が必要である。絵を描いて生きているなどというのは、後ろめたい暮らしだ。小野市には窮屈そうで住めない。社会には、猶予部分が必要である。例えば、刑務所から出てもまたやくざに戻る人が、かなりの数いる。猶予部分の小さい社会になればなるほど、そういうことになる。小野市が見守り社会になったとすれば、たぶん若者は出てゆく街になるだろう。生活保護費が無くなれば生きてゆけない人も、存在するのは当然のことである。そういう人が、パチンコに入り浸るとすれば、それはギャンブル依存の病気なのだ。受給審査で把握し、健全化の医療対応をすべきだ。
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研修の人と話していて

2013-04-19 04:21:47 | 自然養鶏
先日から、研修の人が2人見えている。手伝ってくれるのでかなり助かっている。助かっているのだが、あまり楽をしていると、後が少し怖い。研修の人がどういう人であるかはあまりよく知らない。話してくれれば、そうですかということだが、こちらから聞くことはない。聞いても大体忘れることにしている。どこの誰であれ同じでありたいからである。人は様々であるし、誰だって言いたくないこともあるし、人間は説明の言葉わかることなどほとんどない。この時代に自然養鶏に興味を持つ人というのは、やはり特別な人である。研修の長い人もいれば、一日だけという方もいたが、畜産関係の専門の方や国の畜産研究の仕事をされていると言われていた人もいた。大学の先生らしい人もいた。タイの人も見えた。名前もわからないし、今どうされているかも大体の方はわからない。それの方がいいと考えている。年2,3名としても、50名以上にはなるのではないだろうか。業としての自然養鶏は規模を縮小してしまい、参考にならないので基本お断りしていたのだが。

断る気持ちになるのは、自然養鶏を業としてやってゆくのは、無理だと思えるからだ。日本という国の現状を考えた時、若い人が農業に進んでも食べてはいけない。食べてもいけない仕事を人に研修するというのは、どうかと思うからである。ただ、鶏が好きで飼いたい、鶏の飼育方法を知りたいというなら、伝えられることはある。母方の祖母と父の影響で子供のころから生きものが好きになった。そういうものを研究する学者になりたいと思ったこともあった。しかし、学問するというより、生きものと一緒に居るのが好きだと気がついた。好きなことを見つけるのが若い時の仕事だ。これが父の口癖だった。生きてゆく仕事になる訳ないのだが、好きなことをやっているのが一番と考えて、鶏を飼っている。自然養鶏業をひねり出した。何とか、ここまで来たのだから幸運だったし、間違っていなかった。好きなことしかやらないのだから、身体的にはつらい時もあるが、楽しい毎日なことは確かだ。

葬式で母方のいとこが全員集まった。9名である。それで気づいたのだが、自分の料簡の狭さのようなものをしみじみ感じた。みんながあまり優しい人なので、自分が優しくない人間であるということに気付かざる得なかった。これは父の系統の家が極端な家だったからではないかと思う。極端な家で育ったので、その偏向に気付きにくかった。自分が当たり前だとつい思いこんで、60歳を過ぎた。私が権力志向とか、出世主義を毛嫌いするのは、むしろ、そういうものに洗脳されていたからではないかと思った。従兄弟たちは端からそんなものにはかかわらない人ばかりだった。生きてゆくということを、大げさに重荷にと感じすぎているのかもしれない。普通にやることが難しい。やりすぎ位でないと、どうも面白くない性質のようだ。建前や、言い訳を一言付け加えて、何事もやるような面倒くさいところがある。いろいろ反省しなければならない。

研修の人は何かをやめて、養鶏を始めようという人だろう。これはリスクを伴うし、大変なことである。参考になるかどうかもわからないが、まだ鶏は飼っているので、少しでも参考になるところがあれば、いいかと思う。鶏に接してみなければわからないということがある。発酵ということは、体感的な、経験的なことだから、映像で見たところで、よくわからない。餌の発酵の状態を、自分で仕込んでみれば、昨日と今日の微妙な違いがどこにあるのか。少しは知ることが出来るだろう。研修と言ってもその程度のことだ。日本一の卵を作っているという気持ちはある。それをやると経営が出来なくなるというところが、煮え切らないところだ。私はそれでいいが、これからの人にそんなことを言っていたのでは、と思うが自分のやり方以外伝えることもない。
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水彩人の制作

2013-04-18 04:27:55 | 水彩画
水彩人の研究会で、下田に行ってきた。いそかぜというホテルに泊まった。少々古くなったホテルだが、海を描くには良いホテルである。伊豆では一番の場所だと思う。海越しの富士山を描くなら三津浜とか、海の夜景とか花火の熱海、みかん畑の段々畑なら根府川とか、色々ある。しかし、海だけというなら、下田のいそかぜがいい。伊豆半島の太平洋に突き出した突端にあるホテルである。海しか見えない。恵比寿島とかいう信仰の島があるのだが、むしろ、それは邪魔なようなもので、とことん海である。例えば、空を描きたいと言うなら、世界中どこの海でも同じだという人もいるだろう。しかし、この辺でいえば、南足柄の空と、小田原の空はまるで違うのである。智恵子抄ではないが、やはり阿多多羅山の上の空がほんとうの空だという。私のような俗物には、どこの海が本当の海だという程のものはないが、これほどの海は他にないのである。

一つには、岩場の様子がいい。港も作られているのだが、ホテルの前あたりは、岩場が残されていて、アオサ?が密生している。岩場の間で猟師の人がとっていたので聞いてみると、ヒジキを取っているといわれて、大きな袋に詰めたものを6袋ほどケイトラの荷台に積んでいた。そのヒジキはスーパーで干された商品から見ると、似ても似つかない1メートルぐらいの大きなものであった。海藻というのは、干されてあんなに小さくなるのだから、ミネラルの豊富さもなるほどと思う。その岩場が溶岩が流れ出したもので、色も面白いのだが、海水からの顔の出し方が絶妙なのだ。一日眺めていると、水位が1メートルも変わる。つまり水を打った苔庭のようなもので、千変万化の深い色彩を現す。そして水である。水を通して見える岩の様子が、水位によってまるで変わる。光の角度でも変わる。朝日は左手の爪木崎の方から出て、弓ヶ浜の方に沈む。つまり、朝日が見えて、夕日が見える場所である。その開けた大空間を照らすように、右手から左手に照明が変わる。

24時間海を見ていると、その変化というものがいかに大きいか。ただ海と言っても、刻々の変化に驚かされる。特に射光が海のうねりに絶妙なリズムを作り、とろっとしたいぶし銀に輝く。さらに太陽が低い時には、赤みを刺し、黄金に輝く。これがまた、季節によって全く変わってくる。冬が格別いいと思っている。しかし、研究会となると、外で描ける季節となれば今頃か、秋と限られてくる。もちろん春も今頃が最善の季節だ。これより夏になると光が強すぎるようだ。そう思って行ったことがないから本当のところはわからない。海と対するという気持ちで描けることに驚きがある。3月11日の後、行くことにしていたのだが、行けなかった。もう昼の海をしっかりと見ることなど出来ないかと思っていたが、二年経って気持ちが落ち着いた。大津波の前とはたして違ってみているのかどうか。そういうこともむしろ、絵が答えてくれると思っていた。

水彩人の研究会で行くことは、自分の勉強である。講師という立場で参加するのだが、自分も同じに描く。いつも一人で描いているから、年に一度くらいは、一緒に描くのもいいものである。みんなの絵を見せてもらえる。これがまた面白い絵がある。一気に良くなる人もいる。一人で描くより、互いの力を引き出す、高める空気のようなものがあるのだと思う。それは、春日部洋先生と描きに行くとき教えられたものだ。人間の奥にある本質を引っ張り出してくれるものがあった。私自身そうして自分の絵に近づいてきた。人間というものは、群れで生きてきた動物だ。たがいに影響するものがある。これは近代的な西洋の個人主義とは、異なる考えかもしれないが、日本の絵画はそうして生まれ育ったもののはずだ。個人の自由を束縛するのではない、一人を尊重する集団の力というものを信じている。水彩人はそうしたグループとして生まれた。個人の制作を尊重するあまり、互いの絵に対し、黙ってしまってはいけないのだと思う。どんな絵を描いたかは、今日写真を撮ってまたアップしたいと思う。
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イラク戦争の結果

2013-04-17 04:06:41 | Peace Cafe
イラク戦争が終わり10年が経つ。アメリカのこの戦争の理由は、フセイン政権が大量破壊兵器を保有しているということ、アメリカをテロ攻撃したアルカイダを支援していた。という2点であった。しかし、その後の検証の結果この2点とも、間違えであったこと確定されている。そもそもこの戦争は、国連の決議を得たものでなかった。にもかかわらず、日本はアメリカに促されて、イラク戦争に参加してしまった。当時もこの戦争はおかしいということで、ずいぶんと政府批判が続いた。しかし、当時の自民党政権は意味不明の説明を繰り返した。自由世界を守り、テロを許さないという正義の理論で、自衛隊はサモアに駐留し、輸送業務をになった。戦争とか、武力とかを考える上で、イラク戦争はとても重要な意味がある。政府はその結果はどうなったのか。戦争というものが、どういうものかを徹底して検証すべきことだろう。

アメリカの判断が間違いであり、それに乗ってしまった日本の外交が問われるべきではなかったのか。何故事実を見つめ、分析をしようとしないのか。現在、北朝鮮で似たようなことが起きている。イラクのことを振り返って考えてみることは、今後の北朝鮮を考える上で、重要なことになるはずだ。アメリカは同じ正義を主張している。結局のところイラクはその後の10年どうなったか。フセインという独裁者が良くなかったというのは事実であろう。しかし、フセインがいなくなって、イラクはさらに貧しい国になった。石油は以前より販売量が伸びている。だから、イラク国内にはお金は入っているはずである。しかし、国民生活はフセイン時代よりもひどい状態だという。政権内部の腐敗が横行し、国民が恩恵を受けられない状態。その上、宗教的、民族的対立による内戦やテロが続き、イラクをだ出する難民もいる。その対策もままならない状態が、今のイラクの状況は改善されたとは言い切れない。しかし、JACAの見解では、イラクの復興は進んでいるそうだ。NHKの時論公論では、都市部は表面的には復興したように見えるが、国民生活は混迷を深めているという見方のようだ。イラク戦争に参加したアメリカ、韓国の企業の進出に比較して、日本企業の進出が遅れていることを嘆いている。何を見ているのかよくわからない。ヨーロッパ企業の進出を見落としている。

イラク戦争を検証する活動がある。二度と戦争に加担しないための活動である。イラク戦争への自衛隊の派遣の一番の思惑は、石油であった。アメリカの指導もあったのだが、フセイン後のイラクの石油利権の確保が目的であろう。アメリカがイスラム国家を支配できると考えたことが間違えであろう。日本人と、イラク人は全く異なるのだ。実際にイラクの日本企業の進出は不発に終わった。アメリカと対立して、派兵しなかったヨーロッパ企業の進出の方がはるかに多い。ヨーロッパと中東とのつながりと対立の歴史。アメリカとそれに便乗しようとした利権獲得の失敗。アルジェリアでもシリアでも、似たようなことが今も繰り返されている。戦争によって、武力行為によって、何かが解決するということはない。問題を悪化させるのが武力だ。このことを肝に銘じておかなければならない。

イラク人はアメリカの行為を批判する人が多い。しかし、問題はイラク人自身にある。フセインという独裁者を生んだのもイラク人である。その反省を踏まえなければ、その後のアメリカ支配を批判しても始まらない。今のイラクをどうするかはイラク人が考えるしかない。独裁者フセインが悪かった、アメリカが悪かった、こういってみたところで、イラクはよくはならない。それは今の北朝鮮も同じであろう。独裁者3代を受け入れているという近代国家はあまりに不自然である。だからと言って、北朝鮮の人たちのなかに、何とか国を変えてゆこうという動きが生まれない以上、武力を持って圧迫したところで、問題は解決できない。アメリカが軍事圧力を高めていることは、とても危険である。
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沖縄米軍基地返還

2013-04-16 04:39:29 | Peace Cafe
沖縄の米軍の基地の返還の日程が出てきた。一歩前進であるような、そうでもないような不思議な文面である。つまり、「2022年度」の後に「またはその後」と付け加え、期限を決めない表現で折り合った。というか折り合いがつかなかった。「またはその後」ということは、日本語では、時期を明示したとは言えないではないか。近いうち解散の時と一緒である。「またはその後」というのは、その内いつかは返すという意味にしか取れない。米軍の基地返還はそう簡単なことではないということを改めて、示した結果だろう。そこまで明確にしたのは、安倍政権の努力だと思う。そもそも、沖縄返還後40年、日本政府が基地移転を進めようとしなかったことが異常事態だったのだ。今回無理にアメリカに出させた返還計画には、2つのごまかしがある。嘉手納基地以南の米軍基地と言えば、普通嘉手納基地が入るはずだが、嘉手納入っていない。その上、辺野古移転が出来たならという、条件がすべての前提ということだ。

結局のところ、世界情勢次第ということなのだろう。アメリカが沖縄の基地を戦略的にとても重視している。いままでは、国民向けには、米軍基地返還の建前は出ていたが、アメリカに対しては、お願いして駐留してもらっていたということだろう。今回は、はっきりと出ていってほしいということを示したようでもある。しかし、アメリカはアメリカの方針として沖縄基地を、10年間ぐらいは南の方の基地であっても、返さない。「またはその後」返すことがあるかもしれないというくらいの方針である。辺野古移転には、沖縄の南北問題がある。嘉手納以南は人口密度が高い。辺野古移転は沖縄の北地域の開発計画と組み合わさっている。やんばる地域の展望に、将来構想に、迷惑施設である、米軍基地の誘致の見返りを考える。

小田原でも私の住んでいる地域は、迷惑施設が集中している。その一つに火葬場があるが、必要だがあまり歓迎されない。本来であれば平等に配置すべきだが、何故か弱い地域に来てほしくない施設が集中する。弱いというのは、産業の展望とか、地域の将来像とか、政治的にとか、人口比率的にとか、要因は様々だが結果がそうなっている。国全体として、基地をどうするかを考えるべきだ。必要だとするなら、日本全体で分担すべきだ。自分のところに来るのは嫌だが、基地は必要だという考えは、あってはならない。火葬場は広域の斎場になるという。そうであるなら、ごみ焼却場や、灰埋め立て場所はどこか他に移転すべきだ。沖縄には大きすぎる負担を課している、本土全体がひどすぎないか。今回の普天間移転をせめて県外移設と主張する、沖縄の声は全く正当なものだ。これを、聞こうとしないことは恥ずかしい。

沖縄の負担軽減のために、嘉手納基地を除いて、それより北の基地をなくすというのはまず一歩である。10年かかるというのだから、それを先行させる。そのうえで、普天間の移設先を国が模索する。韓国に移設したらいい。韓国では北の脅威が高まっている。米軍を受け入れたい気持ちが、ないとは言えないのではないか。もちろん、韓国の考え方次第ではあるが。共同防衛ということで、財政的に応分の負担を負えばいい。そういう交渉をしているとも思えない。政府の本音は沖縄で我慢してもらって、そこに基地を置いておきたいのだ。名護市のホームページには、故郷納税者一覧が出ている。納税した方のコメント欄には「基地反対で頑張ってください。」など載っている。私も今年からは、名護市に故郷納税をしたい。
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