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地場・旬・自給

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下の畑

2008-02-29 05:16:38 | 自給
下の畑は、ほぼ四角い畑で20メートルかける25メートルの5畝。南傾斜地で一番下のはずれに、みかんが6本ある。暖かくなったら、5月になるか。根本にはこんにゃくを植える予定。20メートルの畝が、16本取れそうだ。上から、畝に番号を振れば、2番3番4番にジャガイモを植えた。1番はサトイモにしようと思っている。5番ほうれん草、コカブ6番、なす、ピーマン、オクラ、空芯菜エンサイ。7番、ごぼう、8番、キャベツ、9番、トウモロコシ、10番ネギ、11番インゲン、12番、大根、13番、中玉トマト、14番ニンジン、山芋15番カボチャ、のように割り振るつもり。庭の畑の方は、今は冬野菜とタマネギだが、今後はショウガ、ミョウガ、アスパラ、シソ、ハーブ類、山椒、ふき、にら、など、長く畑にあるものにしたい。昨日はアスパラを5本植えた。

2月が今日で終わるけれど。2月は思っていたほど農作業がなかった。土の準備畑の準備が大半で、畑にはジャガイモを植えただけだ。タマネギ、絹さや、そらまめの草取り、をした。昨日はもの足りなうなって、夕方暗くなってから畝たてをした。いい季節だ。もうそれほどは寒くない。身体を動かしていれば丁度いい。畑からは夕やけ空に黒々とした、明星だけが見える。この景色が良くて、少し耕しては、眺めていた。この山は形がいい。大きな山ではないが、風格のある山形をしている。上部の自然林の色合いも、面白く、頭の中では何度も絵を描いている。の人と話すと、あそこが学校林で、何度も下草刈りにいった。学校を建て直すための山だそうだ。山火事があったのはあの辺りだと、もう少し下を指していた。

今食べているのは、コカブ、サニーレタス、菜花、秋じゃがいも。サトイモは掘ればまだあるはず。たまねぎがついに終わりそう。カボチャは味は落ちてきたがまだある。大根と、キャベツはそろそろ食べ始める。いよいよ端境期、やはり3月が一番物がない。農の会の集荷場では、相変わらず、8品近くが集荷されている。すごい技術力が付いたものだ。大根、キャベツ、白菜、にんじん、長ネギ、山芋、サトイモ、菜花、ジャガイモ。今年はまるで私のところは出せるようなものがない。去年はそれでも菜花の、割に品質のいいものを作ったので、少しは出荷した。今年はそれも無理そうだ。

セルトレーの蒔種器を作っているが、なかなか難しい。最初の試作品は板の厚さが、よくなかった。むしろアクリル板で作った方が上手く行きそうだ。種籾が引っかかる。2粒程度という穴に、均一に入れるというのが、案外に難しい。もう少し頑張らないと種蒔きのときに大変なことになる。セルトレーは300穴と思っていたら、288穴だった。根巻き防止セルトレーと書いてあるが、根がすんなり下の穴から地面に伸びる。と言う意味なのだろうか。とすると、脇にある溝が根を導くと言う事なのか。500枚のセルトレーと言うのもすごい量だ。去年の100枚と併せると、600枚。苗取りにいかに苦労してきたかだ。昔の人は早朝に、先ず苗取りをして、その日に植える分を取ったと言う。苗床が違うのか。どんな工夫をしていたのか。これはどうにもわからないところだ。
今日明日には、雛の孵化を始める。

書き忘れた自給作業。稲の苗土づくり、2時間。ジャガイモの植え付け。1時間。畝たて、1時間。田んぼのそばかす撒き、30分。タマネギの草取り、30分。2月自給作業の累計11時間。
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イージス艦衝突事件

2008-02-28 06:07:32 | Peace Cafe
まだ漁船のお二人は見つからない。関係者の心配を思うと、耐え切れない思いが広がる。この事件に対する、防衛省の公表内容が最初から、不自然だと思った。真っ先に、大臣や、首相への連絡が遅れたこと、危機管理を問題にした。その後、強調していたのは2分前と漁船の緑の明かり。後から考えれば、暗に漁船側に回避義務があるかのように、情報操作をした。そこだけの公開。それでは赤色の明かりは見えなかったのか。このことには一切触れない。こればかり言っていて、海保の事情聴取が始まり、やっと12分前に発見していた事がわかる。所が、そのことを一番先に知っていたのは、石破防衛大臣を初めとした、防衛庁の幹部。海保に了解を取って、航海長から状況を把握をしていた、と虚偽の報告をした。しかも、10時前には事故現場のあたごから、ヘリコプターで呼び寄せての聴取したと言う。加えて、これもけが人の搬送を装ったと言う、話もでてきている。自衛隊らしい、軍隊ならではの超法規行動だ。

これが、もし事故を起こしたのが、民間の会社であり、責任者を現場から連れ去ったら、何と言われるだろう。社長が状況把握の為に、急遽やっていた、など通る話ではない。今、行方不明のお二人を操作中だ。何より優先して、そのことに取り組まなくては成らない。その緊急場面に、大臣が連絡が遅いと怒っている。航海長をあせって呼びつけ説明をさせる。現場では一番重要な航海長が、連れて行かれてしまい。優先すべき人命救助に手抜かりは起きなかったのか。本当に後手後手に回っている。何が起きたかを把握したかったのは、責任の問題が先ず頭にあるからだ。隠蔽しようとまでは思いたくはないが、情報操作のほうは、緑の明かりだけを強調した所からでも、推測は出来る。出来れば漁船の責任にしてしまえないかと考えていた節が、大臣の発言にはある。所が、海保の捜査で状況が見えてくると、紛れもなくイージス艦の責任だ。仲間の漁船からの目撃情報なども、全てがその結論に向かう。ここに至って、おかしな事実が、ボロボロ出てきた。

軍隊はこれだから困る。きっと戦争を始める時もこう言う調子に違いない。敵の明かりが緑だったので、しょうが無く発砲した。などということになる。背広組みや、文民統制等というが、あの石破大臣を見ていると、背広は着ているが本心では、軍服を着て勲章でも付けて、閲兵でもしたそうだ。そういえば、軍事クーデターが終われば、軍服を脱いで、背広で現れると言う人が多いいのは何故か。石破独裁者のにおいがする。自分に連絡が遅れたことを、激怒して、航海長を呼びつけて知ろうとした。任せることが出来ない。軍隊と言うものは誰が統治しようが、代わり無く独裁的になるのだろう。権力者の、しかも武力を持つた、軍隊のこうした、緩みと、横暴が一番危ない。イージス艦秘密漏洩事件。守屋次官の恐るべき、賄賂体質。自衛官の精神的負担は大丈夫か。国民に銃を向けるようなことにならないか。

なだしおの事件、あたごの事件。ともに自分たちを特別のものと勘違いする所から始まっている。国民等しく対等である。そうは感じていない所に怖さがある。別枠の特別な任務を帯びていると考えている。超法規行為が許されているのが、軍隊。まったく、何処から考えても、軍隊はないほうが国民は安全だ。あったらば安全などという根拠はない。暴力は、みんなが持つから恐くなる。みんなで止めれば怖くない。日本人が何か思いつかないほど、どうしちゃったのかと言うほど、ひどい状況を起こす。その起き方が、信じがたい欠落による。漁船団のいつもいる海域に、入ろうとしているのに、自動操舵のままで突っ込んできて、平気でいる。この神経の事だ。漁船の明かりは見たが、避けるだろうと勝手に考えて連絡はしない。危険海域の中での人員交替。後で考えれば、何でこんな事をしたのかと思う、単純な抜かり。そのように人間をしてしまう要因が、自衛隊の中にある。
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「自給農業のはじめ方」

2008-02-27 06:46:57 | 
中島正さんの今度出した本が「自給農業のはじめ方」だ。中島さんは「自然卵養鶏法」と言う名著を書かれた方だ。自然養鶏を志すもので、この本で学ばないものはいないと思う。100回以上読んだ。実際やっている人が、やっていることをそのまま文章に書くと言う事は、案外出来そうで難しい。実践の名人の多くはあまりに名人のため、自分が何をやっているのか、良く把握していない場合が普通だ。もう何気なく、習慣のように、すごい技術を行う。職人芸と言うのは、そういうもので、文章化など大抵の作業が出来ない。「名人伝」(中島敦著)の中にその姿は良く書かれているところだ。しかし、中島さんは違う。全ての作業を言語化されている。それに加え更にすごい事は、その技術が全て都市崩壊の論理に貫かれている点だ。羽生五郎氏の鶏の飼い方のようなものだ。そういえば、中島さんは「都市を滅ぼせ」と言う本も出している。

その中島さんが、自給農業について本を出したのだから、当然、読みたくなった。一番の観点は、自給農業の哲学についてだ。名著「百姓入門」(筧次郎著)の農に生きる原点の論理を、どう自給農業の技術に表わしているか。ここが読みたかった。一番ビックリしたのは、黒マルチ農業を提唱している点だ。黒マルチは都市が生み出した、農業を駄目にした産物だ。などと切り捨てない所が、中島氏らしい切り口だろう。黒マルチを使い切れと言う考えのようだ。ペットボトルが悪いのではない。ペットボトルを使い捨てにするからいけない。これと同じ考えで、黒マルチを利用すれば、楽な自給が出来るという訳だ。さて、難しい。なるほど岐阜の山奥で、自給するとなれば、そうなるか。実践の書だ。

私が「発酵利用の自然養鶏」を書いたのは、実践の書は一つではいけない。と言う考えだ。実践においては、逆の事が普通だ。餌は夜やる方がいい。餌は朝やる方がいい。いや、昼がいい。全てが正しいのだ。実践の技術は、総合的に形成されていて、自分の必要な、あるいは都合のいい部分だけ抜き出して見ても、案外に整合性が取れないものだ。だから、私は鶏好きの、鶏の飼い方を書きたかったわけだ。中島さんの自給の本を読んで、随分うずうずさせられた。つまり、農業好きの自給の本がいる。こういう思いだ。ただの自給なら、今だって、この舟原にだって、20軒ぐらいは存在する。ただのというのは、尊敬を込めての事だ。農家の好きでやってきた、ある種の合理性のある自給の姿だ。

しかし、実際の所、趣味が嵩じた、物好き農業の姿は、又別なのだ。どう別とか言いにくいが、訳のわからん草花があったり、ハーブがあったりする。草だらけであるのが好きだったり、いかにも乱雑であったり、おおよそ毎年様子が違うのだ。庭なのか畑なのか、わからないような、自給の姿だ。だから、幾ら草取りが楽だからと言って、庭に黒マルチを張る人はいないだろう。最近は、コンクリート化して、筋に土を残して、玉竜を植えたりするが。庭と言うより、あれは駐車場か。農家の方から見れば、駄農の見本のような、農業の姿が、手間暇かかる自給農業の姿であったりする。筧さんのように、機械力を使うことがおかしいと言う論理もある。たぶん中島さんの本はこれから、何十回と読むだろう。この中にある。稲と麦の輪作、一体これは何だ。何と、稲と言うのは陸稲のことだ。この米あまり時代に、陸稲を推奨するのだから、ともかく、中島さんは独自の道を行く。
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湯快爽快茅ヶ崎

2008-02-26 06:56:46 | 日帰り温泉
近在で一番の日帰り温泉は湯快爽快茅ヶ崎だ。同じ湯快爽快でも、以前あった小田原酒匂のものとは、物が違う。規模も設備もお湯の質も全くに違う。同じ名称だから似たようなものと考えていたら損をする。でも、遠い所が難点。家から、30キロある。1時間かかる。西湘バイパスを使って250円で、45分。めったに行けない。それでも、背中が怪しくなったら行く。背中の丁度心臓の裏側辺りの背骨の横に、しべれの塊が出来る。触るとぴりぴりとだけして、触角がなくなる。これを取らないと、肋間神経痛の再発がある。誰にでもお勧めれできる。モデル的日帰り温泉と言える。日帰り温泉は、温泉の真似をしてはいけない。家庭のお風呂で出来る事をやっていては始まらない。こういうのは誰にでもと言っても、若い人にはあまり関係がないようですが。

1、清潔度「6」先日お会いした人から、笹村さんは清潔を一番に考えている。と言われた。ここでの清潔感は衛生的とは全く違う。消毒で、菌がいないというようなことは、不衛生。塩素のにおいがしたら、不潔。掃除が良く行き届いているか、と言うような意味で、湯快爽快はそこそこ。

2、泉質「9」なかなか暖まるお湯だ。塩素臭がしないところがいい。地下1500㍍からの塩化物泉。ぬる湯でも充分に暖まる。原湯かけ流しで、贅沢にお湯を使っている。

3、環境「4」静かな所ではあるが、自然環境がいいとは言えない。これがここの唯一の弱点である。

4、食事「5」特別ではないが、価格は安い。何でもある。味は普通。海鮮丼がやはりお奨めか。お好み焼き屋さんが別にあるが、お奨めとまではいえない。

5、湯船施設充実度「10」たぶんここ以上の湯船は考えられないほどだ。温泉関係者なら、一度見学する必要あり。例えば、湯口をわざわざ泡立てるように、2段にして工夫している。湯もみではないが、酸素と絡ませる事は大切。サウナは3つあり、高温は常に90度以上。ごろ寝のミストサウナは暖かい石の効果。塩サウナは、体がつるつるになる。

6、従業員の対応力「7」なれた従業員が多く。利用者との関係がいい。邪魔にならない心配りがある。おんりーゆーのように、お帰りなさい。と迎えてくれるような事は、サービスに見えて、実は違う。普通が大切。

7、コンセプト「9」徹底した、設備主義。15種の風呂施設。しかもそれぞれが徹底した品質。

8、価格満足度「10」回数券だと何とこれだけの設備で、600円で1回入れる。温泉だけでこの価格をを実現しているのはすごい。原油高騰の折、健全経営で、永続を祈るばかり。

9、全体施設「8」仮眠のできる、休憩室もある。タイ古式ヒーリング、ぼデーマッサージがある。岩盤浴、ゲルマーニューム入浴施設まである。何故か考えられる全てをそろえた。これで、健康管理センター施設を併設すれば完璧。

10、アクセス「8」北茅ヶ崎駅前にある。茅ヶ崎駅との間には無料送迎バスあり。駐車場も無料で、いつでも入れる100台分ある。

総合点:76点。私の経験では最高点。75点以上は合格点で、ある意味100点ライン。誰でもが一応の満足は得られる日帰り温泉。後は各自の好みの範囲で、受け止め方が変わるだろう。平日でもかなりの入浴客はいるが、ともかく広いので、入れないという事はない。平日は意外なほど、子供は少ない。何となく日帰り温泉のプロのような人が多い。常連なのだから、会話があっても良さそうだが、都会的に誰もしゃべらないのは、小田原との違い。この辺に田舎と都会のラインがある。もちろん私は田舎組。
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9条世界会議

2008-02-25 08:14:19 | Peace Cafe
9条世界会議が5月4日から幕張メッセで開かれる。その会議に向けて、昨日の日曜日、広島の平和公園から、ピースウォークが出発した。200人で歩き始めたが、広島駅に着いたときは400人に膨れ上がっていたそうだ。小田原のピースパレードもそうだったが、みんなの思いが一つに成ると、どんどんパレードに参加する人が増えて、パレードが長くなってゆく。これから、幕張まで、71日間のピースウォークが続く。小田原には、4月23日到着となる。ピースカフェではこの受け入れを依頼されている。平和の事、しかも小田原の事で依頼されたら、引き受けないわけにはいかない。22日には元箱根に宿泊する。そして朝出発となる。そして、予想では、3時頃に風祭の駅辺りに到着するのではないだろうか。駅辺りで皆さんを出迎えて、風祭の駅あたりからピースパレードを出発する。

ここから、一時間ぐらいのコースで、小田原教会までピースパレードを行う。ここで「平和の集い」を行う。そして泊まっていただく。明朝、次の茅ヶ崎へと出発してもらう。出来れば、国府津の駅辺りまで同行し、出発してもらう。こんな事をイメージしている。この初めての打ち合わせを、2月27日(水)小田原サポートセンターで夜7時から行います。関心のある人は、是非参加してください。小田原では、無防備平和条例の制定要求の署名活動が、この1ヶ月行われていた。なかなか協力も出来ないで、申し訳なかったのですが。8001名の署名が集まったそうだ。有権者20人に一人が、署名を行ったことになる。たぶん、小田原市民でもこの署名活動が行われていた事を知らない人の方が、多いいに違いない。全くの普通の市民活動で行われ、政党とか、団体とか一切の関係がなかった。

それでいて、これほどの署名が集まる、小田原の市民的な状況がある。他の地域でも当然そうなって来ているのだろうが、少しづつ空気が変わり始めているのではないだろうか。政治や、政党の方は、どうにも近づきたくないが、今の社会状況はなにやら胡散臭い。普通に暮している人達こそが、そんな風に感じ始めているようだ。先日の六ヶ所村ラプソディーの上映会も、本当にささやかに始めた事だけれど、満杯の上映会になった。しかも、はじめてみる若い人が多いことには、誰もがビックリした。託児も子供がいつも以上に集まった。格差社会のおかしさに対し、目立たない形での、今までとは違うサイレントマジョリティーが形成され始めている気がする。

これは言い換えれば、民主党か、自民党かと、言うような2大政党では収まり切れない、多数派の形成ではないか。当然の事、社民党も、共産党も、今のところ距離がある。しかし、この多数派の「ちょっと変だ」の常識観が、動き出している気がする。しかし、小田原で言えば、ネットの人や、共産党の人達ですら、この新しいそれは様々な人の混在する、多数派から見れば、古臭い、自民党の叔父さん達と同じ、政治的人種そのものに見えていることだろう。たぶんその臭覚は、正しいのだろう。この新しい人達は、今の政治の枠に収まることを、嫌う人が多数ではないだろうか。署名はしても、選挙にも行かないのかもしれない。
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六ヶ所村ラプソディーあしがら

2008-02-24 07:39:08 | Peace Cafe
六ヶ所村ラプソディーは思いの繋がる。いい上映会に成りました。若い人達が、一生懸命やってくれて、とても良いものになりました。大体に私はあまり役に立たないのだけど、今回も何もするでもなく、おろおろしていました。お茶の準備係りであったのですが。これも全て、小野田さんがやってくださり、全く申し訳ない限りでした。藤村靖之氏(非電化工房)のお話がすばらしいものでした。脱電力に関する、幾つかの考え方を戴きました。これは大きい大きなものでした。お話を聞くというだけで、これだけのものをもらえると言うのはありがたいことです。まだ葉山に居られたころ、安藤さんから是非お話を伺おう、と言われていました。それが今回こういう形で実現できた事は、最高の形をいただけたかもしれません。

脱原発、これにつきます。その手段は一人一人が暮らしを変えることしかない。我が家も電気の総点検を行い。先ず契約電力を下げる事にする。何かおかしい。藤村氏のお話だと、電気釜でお米を炊飯するのを止めただけで、原発が2,5基止められるそうだ。テレビは5基。電気トイレで1基。これを聞いて、電力を出来る限り遣わない決意をした。行動が伴わなければ意味がない。今流行のオール電化住宅これに日本中の住宅が変わると、ご近所に原発がなければ収まらない。日本の政府も電力会社も、増加する電気使用に対し、原発以外に政策が思いつかない。正直私が政府関係者ならそう思うだろう。でも、これは破滅への道。経済の方向に任せれば、暮らしは楽な方へ、快適な方へ、と流れていく。楽はいいけど、もう少し奥にある、深い喜びは少し大変も伴うもの。それを知れば、暮らしを大変だけど面白い方へ、方向を変えられるかも。私は今日から電気使用を減らす。

六ヶ所村の農家や漁師の人達が、暮らしを語られていた。日本全国にある、普通の暮らし。暮らしが変わったわけではないが、都会の暮らしが先ず変貌した。昔の暮らしに基づいた「しあわせ」を、強引に、今の消費的幸福に、錯覚させていった。古い価値観を、旧態依然として何もかも否定した。否定された暮らしにトドマル、地方の暮らしは、都会の生活に憧れて、ゆがまざるえない。大量消費こそ善とし、利とする、経済社会は日本人の洗脳に走る。オオール電化住宅の快適さを幻想させる。ありもしない、便利さに乗り遅れまいと、あせらせる。既に新築の住宅の半数以上が、オオール電化住宅と言う、原発併設住宅。住宅会社は人口減少社会到来で、不用な住宅の建築を幻想させなくてはならない。そこで、オオール電化住宅こそ未来型の暮らしであると、テレビコマーシャルを重ねる。おかしな幸せ感を作り出す仕組み。六ヶ所村でも暮らしを変えざる得ない。

「もみすりクラブ」藤村さんの考えるおいしいお米の食べ方。籾付きのお米を1俵単位で購入する。食べる人が、一年分を籾保存する。それを手動の籾摺り機で籾摺りをする。ここがすごい。早速この手動の籾摺り機は注文したい。籾摺り機は実は江戸時代一番苦労した、農業機械だ。水車でつく方法では時間が掛かる。これと言う機械がないまま、今に至る。土臼というものが中国から、江戸時代に入る。性能はきわめて悪い。それを、藤村さんが手動式で作ったと言うからすごい。これこそ発明家の本領発揮。非電化住宅の話も面白かった。藁を使った野菜保存庫もいい。良くでる、非電化冷蔵庫。これも直接話を伺うと、一段と興味が湧いた。那須のほうである、ワークショップには一度伺いたい。
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「いきものがかり」のコンサート

2008-02-23 06:09:38 | 環境関連
グリンパワーキャンペーンに東京国際フォーラムまで行ってきた。自然エネルギーには、非常に興味が強いので、このキャンペーンの中で、原子力発電が、どう扱われているか。まぁー、どう避けられているかかを、確認しておこうと言うのが主目的。それは、グリーン電力と言うのができてすぐ、登録をした。原子力発電を止めて、自然エネルギーに転換すること。原子力発電所で、大地震が起きる前に、片付けるためには、それしかない。それで、グリーン電力に登録した。登録すると、電気量から、一定金額が、クリーン電力購入として、新エネルギー財団に行くようになっている。私はそれを2年前止めた。原子力発電所の事故隠しの際。この対応を問い合わせたところ、全く何もしていないと言うのだ。する気もないというのだ。グリーンエネルギーのゆりかごに、ぬくぬくしていたいらしい。

「いきものがかり」の無料コンサート付だ。厚木辺りの若者達だ。今爆発的人気らしい。何となく名前が気に成っていた。この辺の若者が世間で評判になる。どういう感性なんだろうと、思っていた。なかなかパワフルだった。リーダーの一言「今そでで、話を聞いていたが、自分が知識を持ち、自分の頭で考えたい。」こう発言した。鵜呑みにしたくない。偉そうな先生の講演の直後、こう言う事を発言できる。何かをもっている。ボーカルの女性は、ブースでガスを30%節約できる、機器の説明を聞いた。「その仕組みをすこしづつ理解できると、説明してくれるおじさんが、本当に嬉しそうなので、私も嬉しかった。」なるほど。いい青年達だな。「いきものがかり」私も小学校では生き物係だった。飼育係と言った。ここが引っ掛かっていた。

何故、グリーン電力を考える時に、緊急的に迫っている、原子力の問題に触れないで居られるのだろう。政府が嫌がることを、財団法人としては、やりたくないという事だろうが。そんな生ぬるい態度ではなにも変わらない。柏崎原発では、活断層の調査の委員の一人は、知っていて資料をごまかした事を、告白している。そもそも日本のような巨大地震の多発地帯で、危険極まりない、不完全技術の原発と言うような施設に、エネルギーを依存する。こんな危ういエネルギー政策に触れずに、グリーン電力だけ、よくも正義のように言っていられるものだ。フォーラムでも、分科会でも原発に触れるものは全くない。もう一つの空気はエコビジネスのゆがみ。変えなければいけないのは暮し方の方だ。グリーンエネルギーだから、もっと使いましょう。違うのだけど、こんな空気のキャンペーンに見えなくもない。

竹村真一氏の話を聞いた。この人は大切な所をきちっと押さえて、わかり易く話してくれた。地球が、いかに素晴しい星であるか。地球の循環システムを発見したのが、20世紀の成果。太陽がくれるエネルギーは人間が毎年使うエネルギーの15000倍。大きなエネルギーを地球に降り注いでくれている。これを上手く取り入れれば、エネルギー問題の未来は開ける。しかし、基本は暮らしを変えること。分かり易く言われていた。と言っても、聞いていた人はいただろうか。ところで、風力発電に協力したくなった人居ます。と呼びかけたけど、あまり手は上がらなかった。どうしてああいう構成なのか。まず、KATの歌があり、その後竹村真一さんの話で、いきものがかりと続く。後がいきものがかりだから、誰も帰らないが、あそこで話すのはほとんど不可能だと思う。上の空。むしろ司会の王理恵さんの方が、目立たざる得なかった。
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小田原の農業とジョイファーム

2008-02-22 05:37:06 | 地域
小田原の農業は傾斜地農業だ。ジョイファームの長谷川さんはいつもそう言われる。長谷川さんは「小田原の農業」が特別に好きで、何とか「小田原の農業」の永続を夢見ている。「小田原の農業」が継続されるなら、有機農業だっていい。こういう感じで、有機農業を始めたのだと思う。先日の、県の有機農業の聞き取り調査の集まりには、県の予定では、専業の農業者の有機グループは常日頃、行政とは連絡がある。農の会や、その他の今まで、行政とのつながりの薄い団体から、今回は話を聞く機会にしたい、とそう言う事だった。変な話なのだが、実にその感じは理解しやすかった。私だって普通の農家の積もりだし、有機ネットの相原さんなどは、お父さんの代から有機農業をされてきた、専業農家だ。何処がジョイファームなどと違うのか。小田原の自然農法グループも、私たちとは別扱いだった。そういう理屈はあるが、県の担当者がどこかで線を引いた感じはわかる。

何処で線を引くかと言えば、業として参入した所謂普通の農業者と、有機農業原理主義者との線引き、と考えるしかない。原理主義、理想主義、完全主義、今時はやらない、お金やお上の権威で動かせない、手に負えない連中と言う感じだろうか。しかし、実際の所あしがら農の会はごくごく普通の農業者だと思う。農業が好きだと言う点が少し強いだけだ。一般農業者とはすこし違うかもしれないが。特別のこだわる農業者は居ない。原理主義者と言う意味では、この時代に今までの農業の形を死守している、普通の農業者の方が、よほど原理主義的だと感じる。経営とか、好きだとか、わかりやすい理由はないが、今までの農地の管理をともかくやる。ところが、長谷川さんのすごい所は、可能性がるなら、有機農業だって取り組もうじゃないか。こうやって「小田原の農業」の可能性を探ってきた。

その長谷川さんが、何故か有機ネットの一員として、その席に見えた。県としては断る訳にも行かないし、戸惑いがあったと思う。長谷川さんは早く協議会の設立をしたいといわれていた。私も同感なので動き出さなければ成らない。行政も含めた協議会と考えていたが、待っていたのでは始まらない。小田原の農業の可能性は傾斜地農業だ。長谷川さんの持論だが、含蓄が深い。今山に見えているところも、かつてはほとんどが、農地だった。私の住む舟原も、現在は杉檜の人工林ばかりだが、その大半が、農地だった。傾斜地を生かす農業こそ、小田原の可能性だ。傾斜地の素晴しい事は、先ず景観。海や、足柄平野の広がりが、農地から一望できる。この景観を生かした農業こそ、小田原のこれからの農業だと思う。

それは、観光的農業であり、市民的農業であろう。その合併方式が広がってゆくのは、社会の方向だと思う。関東一の景観を財産としながら、何故今まで、その有利さが生かされないのか。それは法的な規制が一番。又、行政サイドから言えば、滅び行く生産性のない、農業分野に予算をさけなかったと言う事もあろう。失敗はしたが、工業団地にする、あるいは住宅地化する方が、可能性が在るように考えたのも普通の感覚だろう。所が、状況が一転している。工場や住宅はもう増えない。日本の社会が転換期にある。次は見えないが、今のままでは、駄目だと言う事は、誰の目にも判る様になって来た。子供に農業を継がせようという人が、小田原にも必ず現われる。そして、長谷川さんのような、次を見ている農業者が、時代の要になる。それが、迷走日本の不時着地点。
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中国製食品の農薬問題

2008-02-21 07:29:04 | 身辺雑記
「生活協同組合連合会 ユーコープ事業連合」(横浜市)が販売する冷凍食品「レンジDEロールソースかつ(アスパラ入り)」(8個入り)から、食品衛生法で定められた基準値を超える有機リン系農薬「ホレート」が検出されたと発表した。

みやぎ生協(仙台市)で回収していた中国・河北省の天洋食品製「CO・OP手作り餃子」の包装材から、新たに猛毒の有機リン系農薬「パラチオン」が1.6PPM、「パラチオンメチル」が1.1PPM検出されたと発表した。

中国製の業務用冷凍肉まんからメタミドホスを検出したと発表した。メタミドホスを検出したのは、中国山東省の「山東仁木食品」が2006年8月2日に製造した「青島ニラ肉焼まん」。ニッキートレーディング(大阪市西淀川区)が輸入した。

餃子での健康被害がでてから、やっと食品の検査が始まり、次々に新たな農薬が検出されている。今まで、平気でこういうものを食べていた。それが日本の情けない食糧事情だ。正直今更の事である。「食は自己責任」食べ物に関して、検査する国が悪い。そんなものを販売する、食品会社が悪い。まして、それを生産してくれている、中国が問題ある。そんな方向にこの問題が摩り替えられるのはよしてほしいものだ。平気で食べてきた。消費者が悪い。メートホープの社長の言うとおりだ。「安いものばかり求める消費者が悪い。」

「食べ物は自分で作るのが、人間の暮し。」それを出来ないから、人様にお願いして、なんとか食べさせてもらっているのが、消費者。食べ物は、どんなに頑張っても食べる量は、倍にはならない。どんなに我慢しても、半分にもならない。どんなに努力しても、倍の生産は出来ない。どんなに急いでも、半分の時間での生産は出来ない。工業製品とは、本質的に違う。品質でも、コストでも、本来同列に並べて、比較するようなものではない。日本政府の政策は、工業製品優先の発想。工業製品輸出のためには、少々食糧生産に障害がでても仕方がない。そういう政策を打ち出してきた。例えば、工業団地のためには、日本全国の優良農地が、無残に潰されている。足柄平野でもアチコチにそうした風景がある。農業は生産性が低いから仕方がない。農業では食べれないのだから仕方がない。こうした諦めを、日本国民に蔓延させた。

小泉内閣では、更に外国に輸出できるような農業生産をしろ。米まで中国に輸出だ。農業も国際競争力だと、繰り返し要求した。馬鹿げた事だ。基本的食料と、余分な一個何千円のりんごとを同列に考える、大雑把なごまかしだ。基本的食料は、輸出入は出来る限り少なくする、これが世界の調和にとても大切な事だ。中国の富裕層の為に、魚沼産のコシヒカリが、輸出される姿が健全とは到底思えない。この逆の事を世界各国で起こしているのが、日本人だ。モーリタニアでタコ漁をして貰い。オーストラリアで、和牛生産。中国では、餃子は当然にしても、肉じゃがまで。「はやい、やすい、うまい」確かにそういうものだけれど。

日本の農業は、相当の危機的状況にある。その一番は生産者だ。素晴しい生産者が居て、何とかここまで維持されてきた。すごい農業者がいたから、滅茶苦茶な政府のやり方を、我慢して、工夫して、ここまでは来た。それでももう限界に来ている。もういなくなる限界だ。次に現われる農業者は、たぶん利益優先の農業者だろう。儲かれば何でもする農業者が現われるだけだろう。それを待ち望んでいる、国の政策であり、消費者の姿だ。食べ物は人間が作る。何処まで行っても、こつこつとやるしかない。生命の愛情が食べ物になる。そうした思いを、断ち切って、裏切って、やってきた結果、もう確かな生産者が居なくなる日が近い。
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久野里地里山の集まり

2008-02-20 07:12:20 | 里地里山
里地里山の集まりは、大変熱の入ったものだった。ただ、行政がこの事業にどのようにかかわる覚悟なのかが、この点に不安が残った。今回は行政の作った。事業案と笹村私案との検討が主な議題だった。行政案はよく出来ていると思う。行政案なら、何処に持って行ってもほぼ通用できる事業計画だと思う。問題があるとすれば、久野地区という特徴に欠ける点だと思う。もう一つは、事業主体が見えないことだ。誰がこれをやるのか。つまり、昔の行政の事業案であれば、行政が費用を出してやるのだから、住民は協力者程度の、かかわりでかまわない。所が、今回の事業には、基本的に予算はない。行政も何か行うとは言うが、本質的には何もしてくれないと考えて置かなければならない。それで、その上で、一体ここまで崩壊が進んできた、里地里山を住民に再生しろ。と言っているのだ。会議でも、「国の政策が悪いからこうなったのだ。」こういう意見が出た。

久野の地区内の諏訪の原には、諏訪の原公園が作られている。たぶん何10億の予算だろう。こういう所に、予算をたっぷり注ぎ込んで、何故久野全体の事業に幾らの予算もないのか。この辺の配分がわからない。まして、県立公園を作るなら、この公園内に、里地里山事業のセンターハウスぐらいは設置するべきだ。やることがバラバラだ。では市のフラワーガーデンは利用できないか。これもどうも駄目そうだ。結局は自分たちで作りなさいと言う事だろう。そういうものかもしれない。市も、県も、今のところ当事者意識がない。市も県も、何とかしなければならないのは、住民と同等に責務を負っている。国の政策に問題があり、里地里山が崩壊したとするなら、それに対して間違っていると、声を上げなければならない。

地域で茶業を担っているTさんは、会議の席で「この地域の農業は消えてゆく。可能性はないと。」断言された。長年この地域で農業で生きてきて、スーパーマンのような農業者の方がそういうのだ。たぶんその認識は、行政も里地里山私案まで作る私でさえ、大きくは違わない認識だ。農業が消えてゆく中で、行政は都市公園のような里地里山を想定する。「しかし、予算はないので、都市公園を住民のボランティア主体で作りませんか。」こういう話だろう。笹村私案は、「可能性の理想をかざす事は、意味がある。」こう書いているのだと思う。森林ボランティアの事を否定的に書いたが、私は友人だし、その行為を高く買っている。しかし、そうしたボランティア行為に依存して、森林を再生しようなどと、行政が主張するのでは馬鹿げている。同じく、久野の農業はなりわいとして成立しないが、ボランティア的に守って欲しいでは、住民の負担が増えるだけで、何も改善されない。

CLCの田んぼを行政はボランティアの田んぼと記載している。ここなのだ。これは教育の田んぼだ。教育という中で採算の合理性がある。農の会の田んぼも、ボランティアではない。自給という中で採算の合理性がある。笹村私案では、4つの事業を提案したが、どれも今あるものを、名前を変えただけだ。「ハードルが高い」と言う意見があったが、今ある活動を、今ある生業を、里地里山事業と言う付加価値をつけただけのものだ。新たに何かをしようという所はない。それぐらい、久野には見直せば、素晴しい可能性に満ちた活動が既にあると言う事だ。その可能性の育て方に、みんなの力を寄せよう。と言う事業案のつもりだ。Tさんの茶園の景観は神奈川県下一番だ。ここを新しい茶園リクレーション施設に育てる事は、夢ではない。しかも、Tさんの生業を発展させる可能性も大きい。
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いよいよ材料到着

2008-02-19 08:15:05 | 最小限の家

プレカットしてもらった。柱材の塊です。まるでプラモデルのように、いノ1はアー1と繋げと言う具合に出来ているようだ。立ち上げる順番も記載されている。これは意外と簡単に柱が組みあがる気がする。

床や壁の板材です。板の厚さが40ミリ。板巾は様々だが、100ミリ位から300ミリぐらいまで様々です。この辺りに生えていた。檜です。長さは33300ミリでそろえて取る予定。両端を切り落としてから、加工に回します。加工費は一枚が700円。枚数はおおよそ100枚。

デッキを作る。材料です。100ミリ巾の厚さ40ミリの檜材です。こちらはもう少し先になりそうです。

こちらはついでに、自給畑のジャガイモの畝たてをしたところ。畝を立てて、鶏土を撒き、土を混ぜてあります。このように周辺の草や、枯れた草はそのままです。あえて、全体を耕運することはしません。畝の長さが、おおよそ20メートルです。写真を撮った高い位置が、最小限の家を作る位置です。

最小限の家は暮らしの展示場です。自給的な暮らしを誰にも見てもらえる。そんな場所にするつもりです。今検討しているのが、ソーラーパネルです。毎時間400ワットの電力を使用可能なセットで、20万円で出来そうです。この最小限の家は100万円を総予算と考えている。今の計算だと、何とか組み入れることが可能になってきている。電気は来ているのだから、引き入れれば簡単に済んでしまう事だが、それでは面白くない。将来的には水も天水利用を考えている。一応の暮らしが、その場で完結できる、自給自足の家を目指している。山の中に、この家のキットを手に入れれば、どんな素人でも、根気さえあれば建築可能な家を考えたい。その点では、私が出来る程度のものならば、大抵の人が出来るものになるはずだ。プレカットのように、お願いした方が、賢明なところは専門家に頼みながら、何とか出来る所は救援無しに、この先も進めたい。
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焼土の苗土つくり

2008-02-18 07:06:03 | 稲作
苗土作りは、有機農業を行う上で大変重要な要素になる。先日あった福井でのJAS法違反は、苗土への化学肥料の混入だった。苗に化学肥料が混入したぐらいたいしたことはない。そういう考え方もある。確かにその程度の化学肥料が、半年先のお米に残留する事は先ずない。そうした極端なこだわりは、こだわりすぎる消費者的発想で意味がない。ともいえる。しかし、苗を作るために化学肥料を使うことは、後々まで生育に影響するからだ。最初に甘やかしてしまうと、後から厳しくしても、苦労するばかりなのは、人間だけではない。私も買ってくるので、大きなことは言えないのだが、種苗店で売っている野菜苗。これは化学肥料で大きくしてある。当然の事でそれの方がはるかに楽できるからだ。見栄えもいいから、お店では売り安い。所が、これが畑では作りづらい。苦労しても実りがすくないという事がある。若い内の苦労は買ってでもしろ。とはよく言った。

種が、発芽する時の環境は、孟母三遷で、その後の作物の態勢を作る。なかなか厳しいぞ。頑張って肥料を吸わなければ生きていけないぞ。こう根の細胞が感じた方がいい。このために、初期の土は肥料は少ない方がいいと考える。しかし、少ないからと言って、なければ成長できない。根そのものの吸肥能力で頑張って、肥料を探して土深く根を伸ばす。根量を大きくする。これを可能にする苗土を作る。稲の種は発芽して、1,5葉までは種にある養分で生育する。根も2,5センチぐらいは伸びている。そこで、そろそろ肥料分が必要になるのではないか。植え替えをするか。少し伸びて、肥料分のある土に根が届く構造にしてやるか。

焼土は、田んぼの土で行った。大きなカマドに1畳の鉄板を載せそこで、湿った土を焼いた。1、土を70度まで上げる。当然ゆげがもうもうとでる。2、土を切り返す。3,10分程度焼き続ける。それで出来上がり。袋につめて、蓋をする。
雑草の種が死滅する事が一番の目的。苗土としては、これに、籾殻薫炭を加える。軽くする事と、ペーハー調整の役目。苗土の再発酵も抑えられる。病気の広がりも起こらない。朝9時前から、夕方5時まで、みっちり行った。久し振りの一日の外作業。たぶん重量で、25キロ袋で、30袋。として750キロぐらいの焼土を作った。これに体積で4分の1の籾殻を混ぜて、セルトレーに500枚ぐらいになる予定。これはやって見なければわからない、おおよその推量だ。

今回の仕事、買ったほうが安いという話が出ていた。苗土を買うのはともかく。赤土を買えばいいじゃないか。こういう意見はあった。正にその通りだ。何故そうしないか。いや、出来ないか。田んぼの循環と言う事がある。他所から、土を入れ続ける農法は嫌だ。そんな農法は永続性がない。とはいえるが、確かに、若干こだわり過ぎ発想である。出来る限り、自分でやりたいと言う気持ちじゃないだろうか。今まで苗床で作り、それが、苗とりで限界が来た。それでセルトレー方式がでてきた。その土はせめて、自分で作りたい。こう言う事じゃないか。初めから、安いというなら、お米を買うのが一番安い。外米を輸入して食べればいい。全く経済とは違う所で、稲作をしている。自給で暮らしたいと言う思想は、生き方の事だ。坊さんに、お金にならないから、座禅などしている場合ではない。と言った所で、次元が違う。と言いながら、実は、焚き火が好きでやっている。一日火が燃せて満足した。
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神奈川県有機農業意見聴取

2008-02-17 07:22:53 | あしがら農の会
平塚で、神奈川県による有機農業推進法に基づく、推進計画策定の準備のための、有機農業実践者に対する意見聴取があった。昨年アンケート調査を行い、それに基づき有機農業3団体から、推進計画の前段階として、県下の有機農業の実情は開くという形で、直接の意見を聞きたいと言う事だった。初めての集まりで、県の担当者も、会議の進行は戸惑い気味という感じだった。農協の関係者や、農総研の関係者も参加してくれて、県がこういう集まりを持ってくれると言う事だけでも、有機農業に対する理解が、少し進みかけているのかと感じた。今回の呼ばれた2団体と言うのは、今まで行政と、関係の薄かった、市民形の団体と言う事だろうと思う。あしがら農の会、有機農業ネットワーク神奈川、実際には大きな組織として、小田原でも、専門家集団と言う感じのものが、2,3つあるから、今回のものは、先日の有機農業フォーラムに県の関係者が答えて、くれたと言う感じもする。

2時間と言う短い時間のなかで、自己紹介やら、アンケートの解説。技術講習のようなものまであったので、実質話せたのは、30分足らずであった。農の会では事前に打ち合わせがあったわけではないが、専門の技術者による、有機農業技術の検証を、実施農家の事例研究を通して行ってもらいたいと言うものだった。私は農業総合研究所の技術者の技術レベルの高さをよく知っている。専門研究者が、有機農業について少しでも研究の手助けをしてくれたら、有機農業の現場は様変わりすると思う。それは農業ではデーターのとり方が、極めて困難な事にある。実験の条件があまりに様々で、何をどう条件付ければいいか。これが素人には無理だ。

ところが、今は実学の時代で、経済性のない研究は大学などの研究機関は行わない。例えば、農薬の研究なら、産学協同で研究費も潤沢にある。そういう研究をしていれば、学士院賞ももらえる。所が、いわば一文にもならない、米糠による田んぼの抑草の研究など、専門の研究者は見向きもしない。過去兵庫県の農業試験場のデーターが唯一のようだ。所が、有機農業推進法が作られるように、国レベルでは、少しづつ風向きが変わっている。やはり大きな方向は、誰かが人為的には動かしがたい。農薬や、化学肥料を使わない、農業形態を求める潮流は出てきている。しかし、技術としての確立がされていない。良く昔は有機農業だったと、簡単に言うけれど、これは間違っている。今の消費者の好む品種の作物を、今の収量で作れと言えば、昔の農家では出来ない。

現代の有機農業技術は、江戸時代の農業を再現するわけではない。かつての技を、否定的媒介にして、全く新たな方法として、技術化しなくてはならない。これは長年養鶏をやってきて、つくづく感ずる所だ。昔のやり方は、大いに参考になるが、そのままでは通用しない。今回、県の方でも、農総研の専門家の研究の方向、一つに、有機農業技術が入る可能性がでてきた。これは実現できれば、画期的なことだ。そう、畜産試験場に居られて、親切に手助けしてくれた、Oさんが県の担当者として居られた。農業は一人でやることだから、そうした理解者が存在すると言う事だけでも、本当に助かる。農総研には藤原俊六朗先生が居る。以前堆肥作りで指導をいただいたことがある。食品廃棄物の堆肥化には欠かせない方だ。有機農業推進計画と、土づくり、は連結している。ともかく、早く協議会作りに進まなくてはならない。

昨日の自給作業:堆肥まきと、絹さやの網2時間 2月の累計時間:実は2時間忘れていて、6時間
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グリーン電力

2008-02-16 07:45:28 | 環境関連
風力や太陽光など自然エネルギーからつくる「グリーン電力」を知ってもらうため、最新の取り組みや技術を紹介する「グリーンパワーキャンペーン」(資源エネルギー庁主催)が21、22の両日、東京都千代田区丸の内の東京国際フォーラムで開かれる。両日とも午前10~午後7時。入場無料。イベントで使う電気もグリーン電力で賄う。 これは行って見たい催しだ。グリンエネルギー。自然エネルギーとか、再生可能エネルギーともいう。風力、水力、太陽光、地熱、波力などの自然界のエネルギー。バイオガスや燃料電池という考え方もある。使えば終わってしまう、化石燃料やウランなどの、埋蔵資源を利用する発電と対比させて言われる。見方を変えて、マイクロ発電と言う言い方がある。今度小田原で講演をお願いした。藤村さんは非電化を言われている。いずれ、次の暮し方を考える上で、こちらの可能性を考えて行かなければならない。

所が、電力会社の方針としては、一方的に原子力を目指している。静かに、と言うか、目立たないように、今六ヶ所村での再処理工場の稼動が計画されて言る。日本全国の原子力発電所で燃やされた使用済み核燃料を集め、その中から核燃料のウランとプルトニウムを取り出す再処理工場である。この施設に対する反対運動は発電所以上に強い。発電施設より、再処理工場の方が、放射能の排出が格段に大きいからだ。イギリス、フランスの再処理施設では、疫学調査によって、放射線の影響が人体に及んでいる事が、確認されている。又この工場はあまりにも莫大な費用がかかる。2兆1900億円と言う途方もない建設費を投じてきた。にもかかわらず、事故が繰り返されて居る。操業開始が、2月に予定されていたが、まだ本稼動には入っていない。小田原では23日、「六ヶ所村ラプソディー」の上映会を行う。

再処理で、プルトニュームが取り出せたとしても、プルサーマル発電が拒否される自治体もある。又、高速増殖炉は更に問題がある。これも稼動出来ないでいる。未成熟技術だ。新エネルギーの開発に、2兆円かけた方が良かった。同じエネルギーへの投資であるなら、それの方がよほど賢明な選択だった。以前調べたら、日本の屋根全てで、太陽光発電を行えば、原子力発電と同じ量の発電が出来る。視野を変える時だろう。藤本さんの、非電化工房によると、電気を控えた、様々な提案がある。是非小田原での講演の機会に、一人でも多くの方に、新しい暮らしを考えていただきたい。
以下は、藤村さんのホームページにある詩です。

ひとが 電気を うみだした
電気が 便利を うみだした
便利が 肥満を うみだした
そうか ‥‥ 電気を へらそう
   
ひとが 電気を ふやした
電気が CO2を ふやした
CO2が 厄介を ふやした
そうか ‥‥ 電気を へらそう
   
でも  ‥‥
    
電気を へらすと 便利が へるぞ
便利を へらすと 時間が へるぞ
時間を へらすと お金が へるぞ
お金を へらすと 幸せが へるぞ
       
‥‥‥ ほんとかな?
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冤罪「志布志事件」

2008-02-15 06:32:55 | Peace Cafe
 鳩山邦夫法相は「志布志事件」の無罪判決に言及し「冤罪(えんざい)と呼ぶべきではないと思う」と述べた。 鳩山法相は同日午後、自らの発言の趣旨について「冤罪という言葉は、全く別の人を逮捕し、服役後に真犯人が現れるなど百パーセントぬれぎぬの場合を言い、それ以外の無罪事件にまで冤罪を適用すると、およそ無罪というのは全部冤罪になってしまうのではないか」と釈明。「踏み字など捜査上問題があり、被告とされた方々に大変なご迷惑をおかけしたという痛切な気持ちは持っている」と補足した。
冤罪は国家による犯罪である。何がどうあっても、あってはならないものだ。無罪が全て冤罪かと言えば、確かに鳩山氏の言うように、そうではない。しかし、志布志事件は証拠が不足したため、とか、捜査の経過で不適切行為があったから、無罪になったという種類の事件ではない。明らかに、警察、検察が、でっち上げた恐ろしい事件だ。それは裁判で確定し、関係した警察官達は処罰された、冤罪事件だ。これは推測だが、当選した議員を選挙違反にして、落選した議員を繰り上げ当選にしようとした意図がある。

個人が行う犯罪と、国家権力が行う犯罪とは、意味が違う。国家のその責任の重さは、桁外れに重い。権力の意味を充分に考えておかなくてはならない。例えば、警察官が、住民に暴力を振るう事件と、ただの暴力事件では、その本質が違う。その大前提で考えなければならない。例えば、今沖縄で、アメリカ兵による少女暴行事件が、又、起きた。これもそうだ。暴行事件というだけなら、かなりの数ある。しかし、在日米軍という、特殊な権力が、そこに暮す住民に対し、起こした事件は違う。国家権力による犯罪。冤罪は、一国民には、常に恐怖としてある。

私自身、警察官に不法侵入された体験がある。これは署長の謝罪で、けりをつけた。盗聴されていたと思われる体験。要注意人物として、監視された経験がある。これは後に、友人に成った警察官から、聞いた。こうした日常に対する恐怖感は、はかり知れないものがある。このような過去の体験を書くこと事態、ある種の恐怖感がある。権力に監視される人間と言う事で、既に、怪しげな人物ではないかという、レッテルが貼られる。小田原ではオウム関係者だと言う、デマで大変苦労したお店がある。鳥インフルエンザの時は、警察がパトカーで、養鶏場をまわった。これだけで、集落では、何があったのかとあれこれ詮索された。

権力とはそういう恐怖を与えるものだ。本当に気おつけなければならない。法務大臣が、志布志事件をわざわざ取り上げて、冤罪ではない。と発言する。当然「法務大臣だから、何らかの証拠を持ってして言うのだろう。無罪にはなったが、やはりそうか。」こんな風に風評が流れるのが、予想される。新聞や報道は、鳩山氏批判はするだろう。しかし、社会の背景では、こうして差別が起こる。冤罪は罪が重い。そうした家とは付き合えない。婚姻は出来ない。鳩山氏は何故こんな恐ろしい発言を、あえてしたのか。誰かそそのかす人がいて、あまり知性がないから、簡単に乗せられると言う事か。それとも、意図的に発言を繰り返すのか。アルカイダ友人発言と繋げて考えて見ると、単純に「ビシバシ取り締まれ。」と叫んでいる。それを強調したいがあまり、センセイショナルなぎりぎりの事例をだす。相当にたちが悪い。こんな人を法務大臣にしたという、福田総理の責任も大きい。
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