地場・旬・自給

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スーパーやまとの見学

2008-07-31 07:35:19 | 環境関連
スーパーヤマトは韮崎市を中心に10店舗ほど展開するスーパーだ。このスーパーは生ごみを持ち込めるスーパーなのだ。買い物ついでに、生ごみをもって行けば、捨てられる。しかも、買い物カードに5ポイントたまる。このことがテレビで取り上げられたのだ。この生ごみの堆肥化のアイデアは、以前から、小田原のごみフォーラムでも話し合ってきたことだった。早速見に行くことになった。市議の佐々木ナオミさんが全て、段取りをつけてくれた。何しろ、テレビの情報と言うのは、はっきり名前をいう訳でもなく。場所も漠然とだ。これを調べ上げて、連絡をつけるだけでも大変だったと思う。生ごみの堆肥化を見る以上。その堆肥の作る場所。使う圃場。その生産物を売る場所。そして食べて見る事。これが全部出来なければ、見たことにはならない。この全ての流れを、一日で見る事が出来たうえに、副市長による韮崎のごみ処理の方向の説明までいただけた。

まだ頭が満杯なくらい、勉強してしまった。皆さんから時間を戴き、貴重なことだった。やまとでは、社長さんが何と2時間30分もこの仕組みを説明してくれたのだ。44歳と言われていたが、人間がおもしろい。やるきの塊で、率直。しかも商売人でもある。魚屋のせがれだ、を強調していて、キップもいい。魚屋の兄ちゃんのような気もするが、やはり、スーパーの社長。久し振りにいい人物にあった。日本もまだまだ大丈夫。前向きな気分になれた。スーパーの入り口に、ドデンと何しろ生ごみ処理機があるのだ。これは説得力がある。においとか、汚いとか、そんなことがあれば、スーパーにマイナス。社長の小林氏の説明の間も、次々に利用して行く。みんな手馴れた様子だ。ビニール袋に入れてきた人3名。ポリバケツの人3名。屋根の上ににおいは抜いている。下では臭わないが、上に窓があれば臭うだろうというレベル。20分に1回逆転させて、詰まりを取るらしい。そのときに臭う。

堆肥化の方法は大量のチップに生ごみを混ぜると言う考え。チップにはカフェー・ジャームと言う菌が混ぜてある。ある意味剪定枝のチップ利用で、私の養鶏場での発酵と似ている。処理機が1,500リットルの容量なら、500リットルのチップを入れておく。ここに生ごみが、1,5トンぐらい順次入るが、チップに吸収されながら、全体量の増加は少ない。生ごみの投下量の集計が1,5トンになった所で、回収、新しいチップの投入が行われる。電気的に加温と、回転が行われている。機械はヤマタケ製だ。そうした投入から堆肥化までの日常管理はNPO法人が1,5トン一台15万くらいで、請け負っているそうだ。出来た堆肥は無料で、農家に出している。農家は好きな時に、取りに来る。どんな堆肥か知りたかったが、何と全ての堆肥が、農家が取りに来てしまったと、説明していたが。今の時期そんなことはないはず。悪臭の問題があり、堆肥の出来が悪いのかもしれない。

4軒ぐらいの農家が利用していて、足りないくらいだそうだ。数字的な実績を質問すると、後で、説明書が出来ているからと言う事だったが、そうした物は結局無かった。どうも稼動が始まったと言う所で、まだこれからと言う事だろう。何か本当でない、繕っているところが全体の背景にある。生ごみは堆肥化したとき、ごく少量になるが、重量比5%程度と言っていたが、チップが堆肥の全体量を占めている。イメージとして、チップの堆肥化の促進に生ごみが入る感じ。もちろん総量としては、500リットルのチップに1,5トンの生ごみが入り込む。1,5トンの生ごみは最終的には75キロに減少する。そこに500リットルのチップはほぼ等量で存在している。その後3ヶ月から6ヶ月かけて、堆肥化しても、その後の減少は2割ぐらい。5トンぐらいの堆肥が置ける場所が10あった。これが現在の稼動の状態。農家の引きとりが、偏る点難しい所があるそうだ。農家での保存が課題。

スーパーやまとにアスパラガスを入れている。農家の桜本氏が又なかなかの人物と見た。食べた感想は柔らかい所が特徴。若干味の濃度に欠ける。雨の無さと、暑さの為か。アスパラは1反3畝と言われていたが、ここに10トンの堆肥を入れるそうだ。土の様子では、それは最初に入れたと言う事で、その後は表面施肥しか出来ないのだから、それほどは入れられないはず。また、土の状態からも、それほど堆肥を入れたようにも見えない。山梨の油川の家のスイカ畑の水はけの良い土壌を思い出した。何か事情があるとおもう。果樹の方に入れたと言う事かもしれない。いずれ最終処理をする、農家との連携無しに、全く成立しない。農家がこのシステムをどう理解して、循環を担うのか。重要ポイントになる。

まだ、書いておくべきことがある。やまとの営業成績は伸びている。長くなったので。ここまで。
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福祉駐車

2008-07-30 05:22:48 | Peace Cafe
良く行くコロナの湯ビーバートザンには福祉駐車の駐車場所がある。当然一番いい場所である。スーパーなどでも、入り口のすぐそばに止めようとすると、車椅子のマークが白く描かれている。これが始まったときに、さすがにそこに止める人は少なかった。最近では、空いている方が少ない。たぶんなんでもない人が平気で止めるようになった。心は少々ゆがんでいる。別に正義を振りかざして、あれこれ言いたい訳ではないが、こう言う事が一番してはいけないことだと思っている。止めている人をたまたま見かけることがあれば、つい顔を見てしまう。本当なら、一言声を掛けるべきなのかとは思うが、声を掛けられないから、せめて顔だけを見る。どんな年齢の、どんなタイプの人か、興味があると言えば変だが、顔は見る。不思議に似たような怖ろしげな人相をしている。

類似の事ではあるが、もう少し事件化したものが相次いでいる。福祉車両をわざわざ偽装した脱税事件。車検時に福祉車両に見せかけて、優遇税制を悪用する。それを、自動車販売会社がセールスにしていたらしい。さすがにひどすぎないか。生活保護費の不正受給も、相次いでいる。タクシーで病院に行ったようにみせかけて、1000万円以上の大金を詐欺している。障害があるかのように偽装した証明書を出していた医師もいた。こういう犯罪は、取締りの問題とは思わない。心根とか、志の事だろう。今の世情のおかしな所が良く出ている。又江戸時代かと怒られるが、江戸時代はなかった、とまでは言わないが少なかったはずの事件だ。バチが当ることになっていた。やってはいけない第一の事だった。弱者に対する気持ちは、全体で言えば暖かいものがあった。みんながぎりぎりで暮しているのだから、明日はわが身で、人事ではなかった。目の悪い人が、按摩さんをする。ルールではないが、自然成立していた。廻ってきた物乞いに何がしらの物を、渡すというのは誰でもしていた。

配慮がない。おもんばかる心が薄れる。障害がないのに、障害があるごとく証明書を出していた医師。何故そんなばかげたことに手を染めたのだろう。医師という職業は命を預ける仕事だ。信頼が無ければ成立しない。医師の脱税ぐらいはまだいいが、こういうことだけは、ない事でないと、医師という職業が成り立たない。お金が欲しいだけではなかったような気がするのだ。気持ちに歯止めがなく、善悪と言うものの量り方が、狂って居るように思う。福祉駐車に平気でとめる気持ち。どうせ空いているから、大したことはない。近い方が都合がいい。車に乗っていると、そうした自分の地が出がちなものだ。この生きてゆくのに、どうでもいいようなだらしない気持ちの蔓延が、目立つと思う。

平塚でも死にたくなったので、人を刺した女の人が現われた。通り魔自殺と言える犯罪。全部どこかが繋がっているように思う。暮してゆくのが、どうでも良くなる。全てが後ろ向きの気持ちになる。これが、自由競争の結果だ。弱者とか、敗者とか、階層社会の顕著化。がんばって農業をしていて、日々の努力と言うものと、決裂したらしいWTOの交渉とが、もうどうにもならないように、絡み合っている。実態は見定めがたいが、日々のわずかな努力など、経済的には一瞬に無になるような、世界が空想される。そうしたまともな努力が報われない社会。社会において、稲作は無駄だから出来るだけ辞めてください。こういわれてきた、減反政策。こう言われながら、稲作を続けるうちに、失った誇り。たぶん工場でも、抜きん出た修練の技術が、ある日、価値を失う。生きる誇りが大切に出来ない社会。相当に深刻な状況だと思うが。
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田んぼの何故だろう

2008-07-29 04:22:43 | 稲作
    今朝やっと見つけた、コナギの様子。
田んぼの中は不思議な世界が広がっている。それは稲作と言う、何千年かけて作り上げられた、独特の農法に由来している。例えば、中干しと呼ばれる、3,4日水を止めて土を乾かしてしまう、栽培法が一般に行われる。ひびが入って、根が切れるほど乾かす。稲という植物はそんな環境に自生したものとは思えない。機械化と言う事も加わり、奇妙な技術と言える独特の方法の集積で、田んぼは出来ている。種蒔きから、田植えまででもたぶん100通りぐらいの多様な手法が存在する。化学肥料や、農薬が登場して、随分単純化したとは言え、稲作の技術は他の作物に較べればて、はるかに多様で、複雑だ。水の駆け引きでも。深水がいいという人も居れば、浅水がいいとも言う。間断潅水と言って、乾いたら、水を入れると言うやり方もある。朝だけ入れる人も居れば、夜間に入れる人、流し水の人。出来る限り深く長期間入れるのもある。いずれ、連作が可能で土壌を育む優れた農法である。

田んぼのおもしろいのは、そうした様々な技術が、大きく言えば収益と言う形で結論が出る。何かで比較できると言う事は優劣があると言う事で、本当は科学的分析可能な技術のはずだ。所が川口由一氏の川口式が、宗教のような雰囲気になっているように、田んぼの手法から、生まれた宗教はいくつもある。要するに奥が深いのだ。奥が深いから、結構摩訶不思議な理解不能の事が起こる。種籾をまず、手かざしで祈祷するなどと言う技術が、術が登場しても、あながち否定しがたいところがあるのだ。私だって、先ず種籾を海水につけるなどと、変なことをやっているのは、根拠と言ってもインチキ科学のようなものだ。あれもこれもありでは、訳がわからないだけだが、全ての手法が科学的な筋道も、わずかに推測できる所が面白い。出来る限り科学に準拠したいと思っているが、これが宗教とどれだけ違うかと、つい思うほど田んぼは多様ということだ。

今度、柿野亘氏による「田んぼの見方、感じ方」と言う勉強会を、8月3日に行う。興味がある人はどなたでも参加できるので、笹村まで連絡を下さい。柿野氏が言われるところでは、技術と言うより、「自分の見方を持つ」と言う事が大切と言われていた。田んぼは思わぬことが起こる。その思わぬことを何が起きたかを常に、判断しなくてはならない。そのときに、見て行く視点が大切だという。名人はそれぞれが、皆さん一定した視点を持たれている。その視点を持つためにはどうすればいいか。そのヒントをもらえればいいと思う。田んぼの中で起きている、土壌の中で、水の中で、どんな世界が広がっているか。これが模式的に見えるようになりたい。水を入れたらどんな事が起こるか。浸透してゆく水で、喜ぶ生き物、死に絶える生き物、孵化する卵、発芽を準備する種子。

田んぼで不思議に思っていること、1、何故、干しを行うのか。干しを行うと土壌はどう変わるのか。2、無効分結は何故起こるか。どうやっていらない分結をとめればいいのか。3、深水にすると、分結が減ると言うが、本当か。4、光を遮断すると、分結が減ると言うが本当か。5、トロトロ層は、どんな仕組みで出来るのか。生き物が作り出す、トロトロ層と機械的なものでは作用は違うのか。6、粒張りを良くするには、なにが重要か。7、種籾の更新は何故必要か。8、田んぼにメダカは卵を産むか。9、ヤゴはあまり田んぼでは見ないが、なぜか。10、冬の緑肥栽培はどうあるべきか。11、美味しいお米とはどんな物を指すのか。12、トロトロ層で、何故雑草が抑制されるのか。13、田んぼの浸透性はどの程度を理想とするか。14、水温は何度の入水が、いいか。夜温、昼温の差はどうあるべきか。15、水を長く入れていたほうが、根が枯れないが稲にはいいのか。
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少数意見

2008-07-28 08:04:48 | 身辺雑記
ブログに、意見をもらえると言う事は実にありがたい。自分が1人で考えていた事に、違った角度が入る。そのことがしばらく頭の中で、巡り回る。これは大切な、ありがたいことだと思う。大体に私が考えている事は、少数意見に属する。私の頃の小学校の通信簿の5段階評価では、5か、1にあたる。50人居て、3,4人の考えだ。これは無くなった日産保険に勤務していた友人が、良く言われていたが、全ては統計だ、と言うのだ。どんな考えでも必ず、反対する人、賛同する人、中間の人。統計的比率だと主張するのだ。これが私には付いていけない考えだった。心理学がやはり、似たようについていけない。こういう時には人間はこう反応するもの、と分析する。いつも少数派的に属する性格らしいのは自覚がある。だらから大抵の事に反抗的である。その自覚もある。こうした人間のつぶやきに、意見がもらえると言うのは、ブログと言う形の優れた所だ。

少数意見の例として、私は消費税10%賛成である。もっと上げてもいいと思っている。消費税が登場したときから、一貫して賛成だった。珍しく経団連とは、同意見だ。しかし、消費税の値上げが選挙にまずいから、当分凍結らしい。こういう政治家の計算高い対応が、どうにもいただけない。選挙では難しいとして、選挙の争点にはせず、実行しようと言うのは、あまりに姑息だ。しかし、そんなものだと、それが世の中というものだ、ときっと多数派の人が考えていると、踏んでいるのだろう。消費税の値上げは賛成できないが、消費税をなし崩し的に上げるのは、止む得ない。こんな不思議な、受け入れ方をするだろうと、政治家は見ている。選挙が終われば値上げになるが、選挙前には値上げには触れないで置く。こういう対応が一番嫌いな事だ。

多数意見に自分が属する安心感と言うものに縁がない。長いものがあれば、巻かれないように、対抗心に燃えるところがある。そういう位置が習い性になって居るかもしれない。食糧自給率を上げる。国を挙げて取り組むというと、どうだかな。とへそが曲がる所がある。さらに顕著なのが、温暖化対策だ。世界の正義のように言われると。どう考えても怪しげな気がしてくる。少数意見に立ちたいとむらむら反抗心が高まる。突き詰めてみれば、暮らしの方の肥大化は止めないで、脆弱な暮らしを維持するための、温暖化防止であったりする。ゴア方式とでも言うのか、冷房生活のためのソーラー発電だ。大多数を占める、途上国の人は今のままの暮らしで凍結で止むえない。さすがにこれはまずい、とすれば原発の登場になる。六ヶ所村再処理工場の稼動になる。

そんないつも少数派ではあったが、少し風向きは変わってきた感じがする。少数派が主張するようになった。主張できるようになった。今でも、「共産党なんですか。」と圧迫しようとする人に結構出会う。さすがに、そういう発言は60歳以上の人だけになった。共産党の存在がちいさくなった。と言う事と、少数意見をレッテル付けで圧迫する発想が、通用しなくなってきた。先日の小田原市長選でも加藤候補は共産党だ。と言う豊島陣営の戦略が裏目に出て大差になったぐらいだ。村八分になっても何も困らない、社会と言うのはいい。ごみ捨てをさせないと言われたぐらいでは、たいしてへこたれない。少しは、少数者の暮しやすい社会に近づいている現われだ。多数派が見えない何かで、圧迫してしまう。圧迫してしまうために、見えない形で、多数派意見の形成を計ろうとする。小田原で言えば、自治会総連合の、陳情書の提出などがそうした古い手法だった。こういうのが、通用しないどころか、逆効果になる社会になって来ている。

昨日の自給作業:草取りなど1時間 累計時間:23時間
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野焼きとうどん作り

2008-07-27 06:25:02 | あしがら農の会
昨日は終日、小宮農園に居た。楽しい一日だった。毎日がこういう具合に過ぎてゆくなら、もう何も言う事はない。大満足である。まず、うどんの美味しかったこと。小麦の味がこんなにも充実したものだと、嬉しかった。美味しい物を食べると言う事は、生きている楽しみだ。昨日のうどんは、杉崎さんの苦労のお陰だ。小麦を提供してくれたからこそ出来た事だ。地場の自然農法の小麦を手に入れると言う事は、足柄地域では自分で作る以外、方法がない。杉崎さんとしては、半年の苦労の結果を、みんなに好意で振舞ってくれた、と言う事だと思う。全部家族で食べたい。こう言われていたのは、本心だったと思う。家族の協力で出来たものだ。佐保さんが、定例会でうどんの販売は良くないのでは、と発言された気持ちも良く分かった。私自身は、田んぼに興味が集中して、小麦に手がかけられなくなり、止めているから、身に染みる。今年は作るのでお許しを。

何故、無理をお願いしてまで、うどん作りをやりたかったのか。それは、本当のうどんと言うものを、その美味しさを知って欲しかったことに尽きる。本当のうどんと言うものは、私の知る限り食べれる所がない。毎晩うどんで育ったことがあるから、うどんに思い入れがある。あのうどんが消えてゆく事は、残念でならない。そらやさんから、粉を分けてもらえたときに、大切にうどんを打つ。特別なものではないが、他にはない、すばらしいものなのだ。消えるものは消えるしかないのだが。やはり、ひとつの文化が消滅すると言う事は、寂しい。もし、本当の味を知らないが為に、うどんが消えてゆくとすれば、何か出来ないか。これがうどん作りになった。すごい高温の野外でうどんを作ると言う事で、困難はあったが、満足の出来だった。粉の含有水分量で苦労した。相当に水が多かったのだ。一日中協力いただいた。特にOさんありがとうございました。

この最中、野焼きが進行していた。こちらはもう皆さんにお任せだったので、お世話になりっぱなしで、感謝、感謝、感激でした。うどんが終わり、野焼きの方に行くと、今年も、1000度を越えていた。しかも今年の越え方は、長時間釜全体が、1000度を越えた。周辺の低い部分で測定していたから、高い所は、すごいことになっていた。去年まで、2釜作っていたものを、一回り大きな一釜にしたから、新しい挑戦だった。稲藁の2段積みが、相当心配要素だったが、何と最後まで釜もくずれなかった。泥窯の可能性を一歩広げた挑戦だった。泥窯プロジェクトを展開しているのは、兼藤忍氏だ。泥窯そのものが、作品なのだ。実にいさぎいい作品で、出来上がり、燃え上がり、炎を噴出し、作品として命をまっとうすると、壊されてしまう。

取り出された作品の質の高さにはビックリ。繊細な作品もあれば、ワイルドなものもある。いずれも参加者全員の祈りのようなものが、加わり、素晴しい色合いを発現した。偶然ではあるのだが、人為的でもある。炭や藁や、入れたミカンの枝や、積み重ね方や、寄りかかる具合やそれなりに計算をしながら積み込む。これが、何回もやってみると、結構人為的にもある程度は作れる。取り出しの具合や、いぶしの調整。作為的なものと、それを裏切りながら、思いもよらない神の采配の妙。作品は去年同様に、しばらくは小宮農園で展示してくれる事になった。作品のそれぞれがまだ離れがたいと、主張していたのだ。小宮さんも、兼藤さんもお陰様です。ずーと頭にあったものが、形になりました。今日もう一度明るい所で見るのが、楽しみです。
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田んぼの生き物図鑑

2008-07-26 04:54:47 | 
最近は本はインターネットで買う事がほとんどだ。昔は本屋さんに行くのが楽しみだったが、時間がない。田舎の本屋さんで「田んぼの生き物図鑑」農文協は買った。2度目の購入だ。前回のものが何処かに行ってしまってどうしても出てこないので、もう一度買った。もう一度買うぐらいおもしろい。「おもしろ」と言う題名だった。田んぼをつけたのは無理やり、と言う感じがするくらい。里地里山の生き物図鑑になっている。狐やタヌキや、シマヘビ、フクロウまで出てくるから、編著者の湊秋作氏の趣味本といった趣がある。小学生向きに編集されている。この本で田んぼ好きが一人でも増えて欲しいと言う思いが籠っている。田んぼに行くマナーなどと言うページまであって、畦を大切にとか、お百姓さんに挨拶しよう。などとマナーが上げられている。

小学生向きだからと言って、百姓でも知らない事がいくらでも出ている。むしろ田んぼ百姓必携と言うべきものだ。先日の、地縛りの刈り方、などという柿野氏の話も、ジシバリがあれだなとわからないと、おもしろくない。あれだろうとは思うが、花のないときに、この葉っぱだと言うのは、確かに難しい。青浮き草と、浮き草の違い。青の付くのは、まだ浮き草稼業になれていない初心者という訳ではない。青い訳でもない。両方とも黄緑色だ。根が違うそうだ。確認すると確かに舟原田んぼのものは、タダの浮き草のほうだ。雑草の繁殖を日照をさえぎり、抑える。とある。微妙なところ、大抵の農家は分結を抑制するから、雑草と見ている。春先の水の冷たい内はたいしたことはないが、温まってくると一気に増える。これが地面からフワーと浮き上がってくる。落下傘の逆の感じだ。喜んでいいのか、悲しんでいいのか微妙な所だが、田植え3週間からの日照制御には大いに役には立つ。

桑原の田字草もそうだ。絶滅危惧3類だかに入っている。単純に水田雑草と扱われてきた草だ。たかさぶろうと言うの草も、雑草だが、いまは危惧種。これがコナギや、ヒエならどうだろう。この2種が無くなれば、除草剤は無くなる。どっちがいいのか難しい。迷惑ではあるが、たぶんコナギやヒエの役割もあるのだろう。除草剤を使ってはいけない。こう言う事を農家に言う人は、田の草取りをした事のない人だ。「やってみてから言え。」やりもしないから、生き物のために除草剤は良くない、などと、平気でのたまう。自分が食べる分だけでいい。1畝だ。100平米。是非ともやってみて欲しい。考え方が変わるはずだ。それぐらい辛い。私は変わった。それで除草剤など使わない江戸時代のような農法を目指して、ひたすら努力する事にした。それが、ソバカス抑草法だ。

田んぼと言うのは実に多様で、2つとして同じ所がない。だから、ワザがなかなか技術に洗練されない。全く意外なことが幾らでも起こる。しかし、除草剤はそうではない。安定的に草を抑えることが出来る、技術化されている。必ず除草剤を使わないでも、安定的な抑草はできると思っている。それには、先ず田んぼの生き物の世界を充分に知る事。田んぼの土の中、水の中はどんな世界なのか。充分に知る事。田んぼを感じる力を、あらゆる角度から育てる事。何処に視点を向ければいいか。何がポイントか。生き物は大きな情報源である。ミジンコの盛衰を見ていれば、それだけでも田んぼの生き物世界が開けるような気がする。アチコチでかえるが少ないと言う話を聞くが、舟原田んぼには沢山居る。何故、居るのだろう。必ず原因がある。田んぼの生き物図鑑は参考になるいい本だ。
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公共事業の是非

2008-07-25 05:15:31 | Peace Cafe
国家予算の事など、基礎知識もないし、数字にも弱い方です。しかし、ずぶの素人が、無知承知で発言してゆくべきことだと考えています。「公共事業を削減すると、建設業に勤める多くの労働者が失業します。」もしこれが公共事業を削減できない、理由だとすれば。公共事業はすぐにでも止めたほうがいいでしょう。何故なら、労働者の失業対策の為に、足りない税金を廻しているとしたら、早晩国の財政が崩壊するからです。崩壊してしまえば、もう仕事どころではありません。そういう瀬戸際に来ています。昨日も書いたように、地場産業が公共事業というような地方が幾らでもあります。公共事業があるから、やっと生活が成り立っている。公共事業以外に仕事がない。そういう、膨れ上がった状態にこの国をしたのが、公共事業をばら蒔いてゆく、この国の一時しのぎの運営法だったと思います。仕事がない、特に地方に仕事がない。それなら、公共事業など当てにせず、仕事を創出するの本道だと思いますが、いかがでしょうか。これから、この国はさらに困難な状況に向かうと思っています。

「国債費、社会保障費、地方交付税交付金の3つは、国にとって、いわゆる義務的経費、つまり削減することのできない経費なのです。」良く分かりました。ありがとうございます。言われて見れば、そんな説明を聞いた事がありました。と言う事は、他のものは削減可能な、経費と言う事でしょうか。政府は社会保障費を2200億円抑制する方針と主張している。何故削減できないものを、削減するのだろうか。社会保障費の中に義務的経費部分が多い。と言う意味だろうか。それなら、あえて国債費や地方交付税と並列する必要があるのだろうか。義務的経費を抑制してまで、着工を待つことが出来ない公共事業は少ないと思うが。災害対策的補修は最小限必要でしょうが。

東国原知事は道路特定財源の維持を何度も言われていた。地方行政の代表の形で、主張されていたはずです。ひも付きでない財源を主張されるなら、道路特定財源こそ紐付きそのものではないでしょうか。要らない道路を作る根拠になってきたものだと思います。離れた所の状況は知らないが、近くでは、国道255号に平行して、もう一本道路を作っている。東名高速道路に平行して、もう一本高速道路を作っている。全く緊急を要しない道路です。緊急性がないだけでなく、残されたわずかな良好な自然環境を破壊してゆく道路です。何処にでも自分の周りに、緊急性のない道路建設があるはずです。地方には生活には不急な道路作りは、本当にないといえるのでしょうか。たまに行くと、何故こんな道路が、と思うことがあります。神奈川県でも足柄地域は決して中央集権で恵まれたとは、言えない地域です。

中央集権で恵まれると言う意味が、大企業の本社がある。国、県の行政機関がある。と言うような意味だとすると、足柄地域は、神奈川県と言う都会枠で一くくりにされる。「お金と権力が自然と集中する。」と言うような先入観で見られます。その意味で却って不利条件地域です。恵まれているのだから、予算は要らない。神奈川なのだから、農家の補助金は当然要らない。そう一律に見られています。もちろん全国見て歩いて、最高の場所だから、選択した日本で一番暮しよい土地です。通勤圏と言う点が恵まれています。東京まで少し遠い行けど、環境がいいから足柄に暮らす。という選択は大いにあります。宮崎県とまでは行かないかもしれませんが、足柄はまだ自然に恵まれた地域です。こちらでも昨年は、西湘バイバスが崩壊。酒匂川にかかる十文字橋が落下。確かに緊急的に補修は必要です。財政が健全化するまで、(これもプライマリーバランスとか言う分かりにくい言葉に変えてある。)公共事業は緊急対策だけ。新たな建設は凍結これしか道がないと思うのですが。
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国家予算

2008-07-24 06:29:17 | Peace Cafe
平成20年度一般会計予算における歳出は約83兆円です。このうち、国債の元利払いにあてられる費用(国債費)と社会保障関係費と地方交付税交付金等で、歳出全体の3分の2以上を占めています。

財務省のホームページはこう始まっています。しかし、あまりの巨額な上に、特別会計と言う、複雑な形の会計が加わるようになっているので、どうも実態が良く見えてこないのが、国家予算である。借金がすごいと言う事は誰でも知っている。財務省が全てを見えにくくしているのは、あまり健全でない会計で、恥ずかしいからだろう。国債費と呼ばれる借金返済と地方交付税は、別枠で考えるのは、財政上当然の事だが、これに、社会保障関係費をするっと、並んで書いてしまう心理の裏に、社会保障はいいことだから、この言葉で緩和しておこうと言う気持ちが見て取れる。

20年度の一般歳出は62,6兆円(地方に廻すのを抜くと47兆円)社会保障費21,7兆。公共事業費6,7兆。文教等5,3兆。防衛4,7兆。その他8,6兆。となっている。歳入の方は57,7兆円。所得税16,2兆。消費税10,6兆。法人税16,7兆。その他9,8兆。5兆円の不足が見える。あらゆる歳出を削って、この借金体質を止める。国債と言う借金については、別にして、この現実の5兆円と言う、毎年の使いすぎについては、必ず、2,3年で失くす。こう国際公約した。それで、日本の信用も徐々に回復して来た。所が、最近財務省はその公約が不可能だと、おととい苦しい説明した。増えるはずの税収は増えないし。支出の切り詰めも出来ないと。こうギブアップ宣言をした。こんな馬鹿げた事はあってはならないだろう。誰が考えても、使うものを減らす以外ない。社会保障費を減らすと言う事が、どう言う事になるか。老齢化時代自然増だけでも、大変巨額になる。

唯一の方法は、借金がなくなるまで、公共事業を止めるしかない。借金をしてまで、公共事業をやることはない。これが基本だろう。収入の何10倍も借金していて、さらに家を建て直す必要はない。それでも家を建て直す理由は、土建国家維持のためである。自転車操業だ。公共事業が地場産業という不思議な地域が、日本の多くの地域である。公共事業を引っ張ってくるのが、良い政治家の姿となっている。耐震性が問題があろうと、学校だって建て直せない。自分の住んでいる家を考えれば良く分かる。耐震性が完璧な家に住んでいる人の方が少数派だ。それだって仕方がない。覚悟を決めるだけだ。これはタダだ。覚悟さえ決めれば、お金は要らない。道路が無ければ、地方経済が活性化しない。人気者の東国原知事は叫んでいたが。そんな地方活性だけなら、元きた道だ。

自分の廻りにある、無駄な建物、道路を上げれば切りがない。小田原では、一番広い、255と言う幹線国道に平行してもう一本道路を作っている。農地を壊し、家を壊し、工業団地誘致が主目的だろう。今更本当にいらない。無駄な公共事業の典型例だ。諏訪の原公園と言う馬鹿げた、自然破壊をしながら、広大な公園も作っている。以前は豊かな農地と、自然林のある素晴しいのどかな場所だった。借金をしてまで、馬鹿げた人工的な都市公園を作らなくてはならないのか。後の管理費だって莫大なものになる。どうしてもやりたいなら、里地里山公園のはずだろう。借金してまで、何故こんな公共事業をし続けなければならないのか。たぶんこの公共事業を仕事にしている、多くの国民の為にだろう。何という悪い循環にはまっているか。さらに借金をしてまで、公共事業をしろ。地方を活性化しろ。こうまくし立てる衆議院議員が増えてきた。選挙も近く、これが票になるからだ。今回は、分かりにくくなるので、特別会計には触れなかったが、これは次回。

昨日の自給作業:畑の肥料振り1時間 累計時間:22時間
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サウナ入浴法

2008-07-23 05:05:47 | 日帰り温泉
サウナに入る事で、身体の方が、何とか毎日を無事こなせている。これは健康的なのか、それとも、肉体の足掻きなのかは、わからないが、ともかくサウナ無しには、日々の労働に耐え切れない状態にある。これも中毒の一種か。何故サウナに入るようになったかと言えば、そもそもひんぎゃのサウナが始まりだ。青ヶ島の中央部は噴火口で地温が高い。その高い地温を利用してサウナがある。それまでサウナと言うものには入った事がなかった。熱いであろうし、そもそも何が良くて、暑さを我慢しなきゃならないのかが分からなかった。我慢と言うことが好きじゃないたちなのだ。所が、入ってみると汗をかく。子供の頃から汗をかけない体質だった。陸上の夏合宿などで、塩を吹くほど練習しても、汗らしきものをかかない。顔がじゃりじゃり白く塩の結晶状態でも、ランニングが濡れると言う事がない。だから体温が上がってしまい火照る。登山でもみんなが汗をかいて着替えが大変だ。と言う時でも、火照るだけだ。

それが、ひんぎゃのサウナで汗が、初めてダラダラとでた。汗をかくのは、悪くないと思えた。それから、酒匂の湯にあったサウナに入ってみた。肩こりがとれた。背中の痺れの塊が無くなった。神経痛にもいいかもしれない。そう思って、少しサウナの入り方と、体の変化を観察し始めた。それからが病み付きと言うか、サウナ無しでは身体が持たないと言う、良いのか、悪いのかはわからないが、体調が悪くない。サウナは身体に良くないという説も聞く。だから、今でも慎重ではあるが、もう4,5年続けてみて、悪くはないのだから。入り方によっては、いいものじゃないかと思えてきている。あくまで私の身体においては、と言う限定的なことだ。汗をかかないと言うのは、膵臓あるいは胆嚢の機能が問題なのではないか。このように言われたことがある。何かが問題ではあるのだろうが、それがサウナによって補われてきた、と言えるかもしれない。

サウナには77度前後の「おんりーゆー」と90度ある「コロナの湯」のどちらかに入る。体力が衰えている状態では、おんりーゆーに行きたくなる。一日働いて、筋肉がこわばるような日は、コロナの湯に行きたくなる。田植えや、穴掘りを一日中やっても、サウナにさえ行けば翌日筋肉痛のようなことはない。現在の入り方を整理すると、12分を一単位として、4回はいる。と言ってもそんなには入れるものではない。辛ければすぐ出る。12分を3分毎に分けて、最初の3分が「慣らし」次が「味わい」次が「佳境」最後が「治癒」言葉の力は重要で、いまは「味わい」の時間だと考えると、体の各部がその暑さを味わおうとする。治癒の時間だと思えば、治癒になるやも知れぬ。一回目なら、治癒の3分までを全うし、治癒が6分になる事もある。4回目では、佳境を体験できない場合もある。夏冬では当然違う。身体に従う。サウナから出たら、まず、ぬる湯で半身浴を10分。その後水風呂で、足だけの運動浴を400歩数える。この繰り返しで、サウナ4回。

以上を集中して行う。この間呆然と、リラックスしているだけだが、これが結構心理的にいいと言えばいい。ただからだの状態だけをおもん計る。かいた汗をときに舐めてみる。味が状態で違う。最初はわずかにしょっぱい。苦い時もある。4回目の汗は味がしない。汗とともに排出するものが重要ではないだろうか。体重を測定すると、1キロから、1,5キロの減少が見られる。終了後あるいは途中でも、水分補給を行う。今は自分で配合した、特製ヨーグルトジュースを、500ccほど飲む。心配はこうして自分の元気を、無理に搾り出していやしないか、と言う事だ。このあたりの事は、いまの所わからないが、ともかく体調はいいようだ。60歳の定年まで、後一年。搾り出してもやらなきゃならない事も多い。後一年間このサウナ法で、しのぐしかない。
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WTO交渉始まる。

2008-07-22 05:29:11 | Peace Cafe
農業者にとって、生活のかかったWTO農業交渉が始まった。今回の交渉が決裂すると、通商交渉全体が、決裂の恐れがあるといわれている。ドーハ・ラウンドと言われている自由貿易の確立を、目指している。問題点を整理すれば、農産物にある関税を、世界中一律の上限を決めようと言う、荒っぽいことが進められようとしている。甘利明経済産業相の閣僚発言では「農業交渉の結果は日本国内に痛みをもたらす」と指摘。「鉱工業やサービス分野でその痛みを十分に相殺できなければ、ラウンドの成果は国内で評価されない。」具体的にお米でいえば、現在の関税額は1キロあたり約340円。 日本政府の妥結目標は約180~260円程度にしたいと言う事らしい。最新の交渉議長案では、先進国の農産品については、「一般品目」と、各国が保護したい「重要品目」に分けて関税を引き下げる。重要品目の関税の削減幅は、一般品目の削減幅の3分の1~3分の2にとどめる仕組みのようだ。

日本農業など、トヨタ一社よりちいさい。こう発言した経団連の役員が居た。海外現地法人からの配当や利子など対外直接投資であげた収益額は2007年度に初めて5兆円を突破。利回りにあたる収益率も9%強と5年で倍増し、債券などの対外証券投資利回りを大きく上回る。法人企業統計でみた07年度の全産業の経常利益(四半期ベースの合算)、約57兆円の1割近いものが、日本企業の海外からの収益だそうだ。日本人の暮らしの、海外依存が急速に進んでいる。良かれ悪しかれ、こうした方向は、さらに進んでゆくだろう。農業分野で考えても、日本企業が、海外で日本向けに生産する形が登場するだろう。関税が低くなれば、安い賃金を求め、安い土地代を求め、より適する気候を求め。農業の海外進出が起こる。日本人にとってそれでいいのか。人間にとってそれがいいのか。大いに考える場面だ。

日経新聞では「WTO交渉を農業改革の好機とせよ。」こういう社説を掲げている。どういう改革かと読むと、日本は国内農業の生産性を高める改革を進めるべきである。と書くだけで、具体的にどんな農業改革をすれば、生産性が上がるのか。一切が書かれていない。書こうにも具体的には何一つ書けない筈だ。生産性の効率化を求めて、企業の海外移転が起こった。農業だけが別物とはいかない。生産性だけで全てを図れば、企業は海外生産になる。まるで、農業分野の努力が足りないようにも受け取れる、発言をするなら、具体的な農業改革を書くのが、報道の責任ではないか。農産品の関税が高い事は、消費者の不利益だと書いている。今時、こんな古臭い、カビの生えた論拠とは、驚く。経済の基本も理解していない、日経の論説委員とは、日経新聞の最近のレベル低下はすごいものだ。

関税が下がれば、食糧自給率がさらに下がるだろう。工業品が売りやすくなれば、その方が日本経済には有利で元が取れるのだからかまわない。国家経営を企業経営のように考えている。何故、食糧は国内で生産すべきか。お金があっても、買えない時代が、遠からず来るからだ。無いとなれば、石油の比ではない。投機対象にもなるし、背に腹は変えられない。穀物価格は忽ち数倍になるだろう。それでも食べない訳にはいかない。食べ物を抑えられれば、ぐうの音も出ない。人が暮す。人間が生きる。この基本線は食糧の自給だ。その上で、自由貿易もいい。食糧の自給をないがしろにして、これ以上進む事は、日本人の崩壊に繋がる。この食糧自給の前提は、消費者の利益でもある。本来、WTO交渉から、食糧ははずすべきだ。入れるとしても、他の工業製品と同列に扱う事は、間違っている。

昨日の自給作業:ジャガイモ堀り等2時間 累計時間:21時間
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大豆の会、定植

2008-07-21 04:21:56 | あしがら農の会
昨日の大豆の定植は、65名(大人49+子供16)が集まった。1反ほどの畑に、一杯に広がった。大豆の1反、10アール当たりの収量の全国平均は166キロである。価格は60キロ1万円前後が農協の買い付け価格。補助金の額は60キロ当たり7990円。併せて、補助金がある農家は1キロ300円が手取りのようだ。一般的に売られている国産大豆価格は1キロ1000円程度まで色々ある。ここに見える価格だけでは、小麦の場合と同じことで、生産者が続けて作って行ける値段はどこにあるのか。ほとんど見えてこない。大豆の会では味噌作りをすることが主で、大豆の生産をしている。昨年はわずかに、納豆、あるいは醤油を試作してみた。自分たちが作って味噌、醤油にするとすれば、当然安いものになる。働く経費を考えないのだから、当然の事なのだが。この仕組みをもう少し考えてみたい。大豆の場合、畝上げ、苗作り、草刈、定植、草刈、収穫、選別。これが大体の作業だ。7回の作業になる。大体に1回2、3時間程度の作業になっている。

14時間から、20時間の作業時間。これで、4キロ程度の大豆になる。50軒として、200キロの収量があったとしてだ。今までのところ、作業に出れない人が、大豆購入と言う事で、地代などの経費を負担している。作業にたくさん出る人は、無料で大豆がもらえる。作業を労働と考えてしまえば、割に合わない仕事だろう。農家的な人は、自分で独自に作った方がいいという事になる。しかし、私のような自給的な者が、ひとりで大豆を作れるかというと、これが大変なのだ。草取りや、水分不足、茂りすぎ、肥料不足、作業が遅れたりして、大豆は作りにくい。自給的なものにとって、お米、小麦、大豆、お茶、こうしたものを1人で作るのは、案外に大変なのだ。みんなで作業するとは、様々な協力によって、出来あがっている。遊びに着た、大いに喜んで騒いでいる子ども達も、仕事の手助けに、励みになっている。

みんなでやればそれだけではない。あれこれ積み重ねてきたノウハウがある。田んぼでやるというのも、大きな要素だった。畦豆ならよい出来に成る。それなら、田んぼに畦をたくさん作り、栽培したらどうだろう。そう言う事になった。これが意外な解決だった。もうひとつが苗づくり。種100粒とセルトレーを配り、7月10日に一斉に蒔いて貰う。これは、種蒔きを誰にでも体験して欲しいと言う事から始まった。味噌作りの全てを自分のものにして欲しい、という気持ちだ。これが好評で、今年は48軒で蒔くことになった。畝を立てるという作業がある。これも昨年は手でやった。しかし、今年は機械でやった。だいぶ楽になった。同じく収穫の作業や、選別も以前は随分苦労していた事だが。去年は専用の機械でやれたら、ビックリするほど楽になった。機械化したほうがいいこと。人数が居るのだから、人海戦術がいい場合とがある。

メイン行事の味噌作りは小宮農園を借りて、一大イベントとして行う。これも小宮農園だからこそ出来る、素晴しい活動になっている。今の冬には、小宮農園に味噌をしまう、穴倉作りをお願いしている。味噌の保存も家庭では限界がある。マンションでは、発酵には不向き。これがまとめて置けれる場所が出来れば、いい味噌になるし、参加者の巾も増える。小宮農園にとっても、縄文の展開の大きな要素になる。小宮農園の冬場の事業になるかもしれない。醤油まで行けば、当然樽を置く場所が居るだろう。これも穴倉があっての事だ。今年の冬には穴倉作りを敢行する。大豆の会は進むほどに穴倉のように奥が深い。掘り下げれば、くらしを楽しくする事がどんどん発見できる。他所の地域の人がうらやむような、素晴しいあしがらの暮らしにつながっている。植えつけた今年の苗が、無事収穫まで行くように、祈っている。

昨日の自給作業大豆の定植3時間 累計時間:19時間
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梅雨明け

2008-07-20 04:49:53 | 身辺雑記
    (写真はソバカス撒き)
昨日7月19日、気象庁の判断では、関東、東北、東海、北陸の一斉に梅雨明けと言う事になった。この辺では平年並み。夏休み入りが、梅雨明け。子ども達の歓声とプールの水しぶき、そしてかっと照った青空。イメージどおりではあるが、私の梅雨明けは、7月6日だった。昨年もそうだったが、気象庁ははっきりとしたことを出せないまま、なし崩しに梅雨明けを宣言している。それでは、農業をやる身として、ちょっと困る。雨が降らなくなる分かれ目は、確実にしたい。それが梅雨明けかどうかは別にして、農作業的に、あれこれ予測を立てないとならない。今年も少し変則的に、気温の上がらない梅雨だった。7月初めは嘘のように、肌寒い日があった。この朝からの暑さでは、ついこの前の事なのに思い出せないくらいだ。結局、この2週間、夕立はあったが、梅雨らしい雨はなく、私の梅雨明け宣言の方が、実際的だったのではないか。

学生の頃山に登るのに、必ず梅雨明け1週間を、目標にした。雨が先ずは降らないからだ。この1週間で一番長い縦走登山を計画する。後ろ立山連峰もやったし、南アルプスもやった。もちろん北アルプスの縦走も、その時期に登った。良く一緒に行った、美術部の登山仲間の松木さんや般若さんがそう言うので、いつの間にか身に付いたことだ。山北の山の中に暮らすようになって登山はやらなくなったが、山はいい。今度、里地里山の活動で、久野の明星岳までの登山ルートを整備する事になっている。やはり森林組合で、管理してきたらしいが、登山道は完全に消えている。林道が通るようになれば、当然昔の、歩き道は要らなくなる。不老山に登った時、それでえらい大変なことになった。そういえば、登山道整備の日程の連絡が来ないが、どうなっているのだろう。実際進めていた、市役所の担当が、農政課に変わったことが、影響しているのでなければいいが。

今は梅雨明けは畑作業のほうだ。雨がどの程度で降るのかは、種蒔きや、土の耕運には重要な判断になる。田んぼでは、蕎麦カスを撒くタイミングは、雨を見計らってと言う事になる。雨が降ればせっかく広がった、そばかすが沈んでしまう。田植え後2週間程度は、何があっても、ソバカスで覆いたい。雨で沈んだら、すぐに又撒く事もある。梅雨時だから、この作業は天気の様子見ながらとなる。誤解する人がいるが、ソバカスというものはそば殻ではない。そば殻ならそば殻とかく。蕎麦ヌカでもない。あくまでソバカスで、そば殻の周りについている毛羽のようなものを、削り取ったパウダー状のものだ。間違えて、蕎麦ガラを撒いた人が居たが、これは分解が遅くて効果がない。蕎麦ヌカならまだいいが、これは水に浮かない。水に5日間浮いていて、沈んだらすぐ分解してしまう。これが抑草に効果が高い。トロトロ層の形成にも影響する。

気象庁の梅雨明けは、きっぱりしていない。太平洋高気圧が張り出してきた時。こう考えているようだが、雨が降らないと言う事が、一番ではないのか。高気圧の張り出しが、明確に成れば、雨は降らないだろうが、雨が降らない気圧配置は、それだけではない。日和見しがちなお役所が、日和見が出来ないのがおかしい。気象が荒くなっている。これだけは確かだ。荒いというのは、極端と言う事だ。暑ければ暑すぎるし、寒ければやたら寒い。春先台風が来たり。突風が竜巻だったりする。今年の夏は、暑そうだが、案外に早く終わるようにも思う。稲の方はこの1週間が勝負だ。8月3日の田んぼの勉強会の頃には、ほぼ結論が出ているはずだ。今の倍になっているはずだ。去年より分結が取れそうな雰囲気だが。干しはしない。深水は続ける。結果がどう出るか。心配だが、楽しみだ。
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最小限の家

2008-07-19 06:29:10 | 最小限の家
最小限の家にテラスが出来た。実はこれは自分が作ったのではない。何時までも進まないので、見るに見かねて作ってくれた。これ以上ほっておくと、あちこちが傷んでくるので、やらなければダメだとなった。田んぼも一段落して、丁度いいタイミングだったので、テラスをやってもらうことにした。テラスは家が出来てから作る気でいたのだが、廻りが傾斜地で壁板を打つのもままならないという、状況に到った。つまり、危なくて、はしごをかけて仕事が出来ない。重い板を持って、3メートルも登って、フラフラしながら、壁板を打つようなことは、素人には出来ない。専門家ならそんなことは端からしない。怪我をする前に、周辺を平らにするための、テラスを先行させる事にした。足場を作ろうという訳だ。所が傾斜地にテラスを作るというのは、土台の事から考えると、とても複雑で、手に負えない。最小限の家は、平ら地に作らなくてはならない。

穂田さんが一気に進めてくれた。なかなかの美しい家になって来た。これがちょっと美しすぎる家なのだ。始まりは檜の板にある。檜はそこにあった。それを伐採し。製材し。乾燥し。3年も寝かせた。その間積んである材木を見てイメージを展開した。結構ワイルドな、小屋を思い描いていた。大草原の小さな家のような、継ぎ足し、継ぎ足しの、荒削りのいえだ。大体に、かんな掛けをすると言う事を考えて居なかった。本ザネ加工を湯河原の方にお願いした。これが帰ってきて、あまりにも美しい材に生まれ変わって戻ってきた。これ程のものとなるとは、思わなかった。材に申し訳なくて、繊細に作らざる得なくなった。釘一本打つのも何か材を傷めている様で、失敗が出来ない。流木をおっつけたような、「浜のとまや」のようなわけには、行かなくなった。家作りも材に反応すると言う事があるようだ。

残りは、窓やら扉という、建具だ。だいぶあれこれ試行錯誤したけれど、大体の形は見えてきた。窓は以前から、跳ね上げ式にしたいと思っている。窓からきられた景色はまさに絵の様だ。家の角度の決め方。風景を切り取る形まで、考え抜いた窓だ。舟原の絶景になるように、切り取った。いい風が通り抜ける。日が落ちると、夏でも寒くなるほどの、いい風が抜ける。窓が完成しなければ、風邪を引きそうで、寝てみる訳にもいかない。一箇所は明り取りで、アクリル板をはめた。もう一箇所は壁画を描く予定でいるが、材料の調達待ちだ。丁度はめ込めるパネルで絵を描いて、入れ込みにしたい。窓は縦長がひとつ。横長がひとつある。横長の方はステンドグラスにする予定。バンス礼拝堂のような、ステンドグラス。光が映る位置が大切。縦長の方はガラス入りの、繊細な窓に挑戦したいと思っているが。羽目殺しならできそうなのでやって見たい。

そして、扉。扉は私にとってはとても重要なイメージだ。両開きにする。1460×2170の開口部だ。730で左右に振り分ける。下の方は、縦張りの3枚の板の張り合わせ。上部は横張りで隙間あり。上部は出来れば、枝のようなものを寝かせて、隙間を作りたい。少なくとも、檜の皮を剥いたときの光るよな感じが出ればいい。大きい扉はいいのだが。重いと取り付け部分が心配なので、くぐって入るぐらいにした方がいいだろう。最初のイメージでは、舟の廃材を張り合わせたような、隙間だらけのはずだったが、今は材料の繊細さに推されて、それなりのきれいさのある扉になりそうだ。最初は塗料は塗らない予定であった。腐るに任せるのが感じがいいと。しかし、それではこの材に申し訳がない。そこで、キシラデコールを塗る。水土社の岩越さんが聞いたら、激怒しそうだが。わからないうちに塗ってしまう。

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食糧の国際競争力

2008-07-18 05:05:28 | 自給
お米の中国追加輸出した100トンを北京、上海だけでなく、天津や広州など計13都市で今年から販売している。しかし、追加輸出分は2月の春節(旧正月)後に販売が落ち込み、6月末までに約30トンが売れ残った。と言う事だ。案の定だ。農水省はこんな馬鹿な事に、翻弄されてきた。食糧の輸出入の問題点を良く表わしている。日本の高級果物が、アジア市場で良く売れるというので、鳴り物入りで、そうしたアジア富裕階級市場を目指して頑張っている。そんな農協が良く報道で取り上げられる。あくまで提灯記事だ。報道は無責任なものだ。実需にはなり得ない。間違ってそんな方向にカジ取りする農家が出たら、大変悲惨なことになる。もちろん大儲けしたい人は、危ない橋も渡る必要があるのだろう。農業は儲けるものではない。しかし、生きてはいける。そうした地味なものだ。アメリカの農業は、ばくちの様なものだ。これはアメリカから里帰りした、親戚の人が50年前に言っていた事だ。

食糧は本来は自分が食べる分だけ作るものだ。人に販売すると言う事はできれば避けるべきだ。しかし、ある程度分業した方が合理的と言う事もある。あくまで仕方がない範囲にしておくべきだ。忙しくて、百姓仕事をしていられないようなくらしは、そもそもどこかがおかしいのだ。半農半工、佐渡の大工さんのような具合が理想だ。その意味では、兼業農家というのは、なかなかの日本的な仕組みなのだ。この柔軟性をさらに膨らませる事が、日本の自給の方向のはずだ。今専業農家をより大型化しよう。さらに集落営農にして、規模の拡大をする。株式会社が農業に取り組めるようにして、工業分野のように生産性を上げる。こんな事が進められている。その結果は、大失敗だった米減反政策の再来。農家の農業に対する気持ちを萎えさせている。農業従事者数が、減少している。これを結論と瞑すべし。

日本の農地で、大規模農業会社が農業をするようになる。そのとき働いているのは、間違いなく外国人労働者だろう。それは自給とは言わない。日本人が本当に働けるかは、自分の知っている子ども達を想像したらすぐ分かる。農業分野の後継可能な人材はない。ばくち打ちのような農業ならやる人は出てくるだろう。しかし、「農業だけをして一生終わっていいのか。」というような、和田傳的地味な農村の暮らしを、よしとするような人間は、見当たらない。やはり、可能性は兼業農家ではないか。兼業農家は多様だ。収入的には農外収入が多い人が多数だ。年金農業だって、兼業農家の一形態だ。その意味で、自給農業者を兼業農家として考えた方がいい。少なくとも、農水省にはそれの方が都合がいい。兼業や、自給で作る農産物は、生産農家の作る販売用の農産物とはそもそも違う。良く言う、「農家の人は自家用野菜に農薬を掛けない。」

売らないでいい商品なら、見栄えなどどうでもいい。みかんの皮がソウカ病でダメでも、かまわない。自分で漬ける梅なら、黒星が出てもかまわない。そもそも農薬の手間暇がもったいないのだ。品種だって、作りやすければよかったり、辛い大根だから作っていたり。出荷しないなら、どんなに崩れやすい完熟トマトでもかまわない。輸出するような、高級果樹は食べたくない。あまい、やわらかい、いわゆる美味しい物ほど、農薬を必要とする。中国だって、農薬などかけていなかった。それを日本の商社の品質管理で、曲がったのはいけない、大きすぎるのはいけない。わずかな虫食いもいけない。どうせ自分達の食べるものではない、そこまで言うならやりましょうと言う事になった。日本の間違った、作られた消費者の好みに併せて、中国の野菜作りが変えられた。国際競争力など、一時の幻想に過ぎない。

昨日の自給作業:ジャガイモ掘りなど、1時間 累計時間:16時間
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7月の自給畑

2008-07-17 05:38:23 | 自給
畑の草取りもままならないほど、勢いがすごい。とてもきれいなトオモロコシができた。採り立ての美味しい事。食べる時にもいでくる美味しさが一番はっきりしているのが、トオモロコシ。だからこれだけは買って食べるという訳にはいかない。結構あるから、中原さんと小宮農園の夏祭りに出したいと話している。トオモロコシが虫にほとんどやられなかったのは、珍しい事だった。去年はやっと出来たと思ったら、たぶんハクビシンに食べつくされた。今年はたぶんウリ葉虫に、ウリ類は全て食べつくされたという感じだった。苗を植え付けると、一斉に現われて、葉をやたら食べるから、枯れてしまう。そのときやっと逃れたものから、胡瓜が食べ始められた。日に日に勢いうが増しているから、4本ほどしか残らなかった胡瓜だが、食べたいだけ今は取れる。ピーマンも良くなってきた。しばらくは毎日ピーマンのバリエーションで。

肝心のトマトは、少し勢いがないのだが。採れだした。中玉トマトだから、樹のほうは元気なのだが。30本もあるのに、まだ食べきれないというほどではない。スタートが遅れたためだ。苗に一度失敗して、再挑戦だから仕方がない。味はすっぱさが強いが濃い目。これから美味しくなりそうな味がする。写真のもうひとつが、ミョウガ。まだ出ていないと思っていたが、集荷の時にあるはずだと中村さんが言われていたので、良く探してみたら、結構採れた。したらしばらくはすごい量になる。子供の頃、叔母さんに当たるヤスコサンは、甲府まで毎朝ミョウガの出荷をして、中学の修学旅行に行った。それでお土産までくれた。ミョウガを食べるとその事を必ず思い出す。ミョウガ出てくる辺りに、冬の間に大量の落ち葉を入れて、まん丸のミョウガを作り、評判が良かったそうだ。

バカバカと声を掛けた。自分の事をバカが売りにきたと言っているのか。本当にそう思った。甲府ではミョウガをバカと言った。どんな野菜市場だったのかと思うが、何も知らない、中学生がミョウガを持ち込んで、売れたというような場所だった。最初は箱にも入れない。中学生の女の子が2人で、来ているのだから、八百屋さんも買ってくれたのかと思う。帰りに翌日入れる箱を買ってきた。それに檜の葉を引いて、きれいに並べてもってこい。そうすれば倍に売れるから。こう教えられて、翌日から箱につめては、自転車に自分が見えなくなるほど積み上げて、出かけて行った。お坊さんのおじいさんは、みっともないから止せ、こういつもぶつぶつ小言を言っていた。私も早く大きくなってやりたいと思うばかりだった。

出来ているのに掘れないのが、ジャガイモ。今日にでも掘る予定。今年はイモ類は豊富に育っている。大和芋。たけのこいも。赤芽。台湾山芋とさつまいもは、相原さんから苗をもらったものだ。芋といえば、こんにゃくもだいぶ大きくなった。ミカンの下がいいと言われて、20本ほど植えてある。なくなられた一寸木さんからいただいたものなので、大切にしている。ごぼうは随分大きくなって居るが、採り時が良く分からないが、もうそろそろという状態だ。それから池の蓮。毎日1枚葉が増える。しかしアブラムシがびっしり付いている。弱るようでもないので、そのままにしている。インゲンが最盛期。あまり味の方が感心しない。子供の頃食べたような、豆の味がするのだが、柔らかいような。あのインゲンは何処に行った。桃は結局、大半がカビが来て、4個ほど食べて終わった。そろそろブルーベリーがいいようだ。あれほど身のついたヤマモモが今年はなぜか実が付かなかった。プルーンが3個だけなっている。柿は花はだいぶ咲いたのだが、まだ実にはならなかった。

昨日の自給作業。畑の収穫整備1時間田んぼの整備1時間 累計時間:15時間
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