地場・旬・自給

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里山づくり・里山保全

2006-08-31 05:21:05 | 里地里山
里山づくりの話し合いが29日夜、7時から久野公民館で行われた。参加者は神奈川県、小田原市、行政から、11名、住民が16名だった。9時過ぎまで、話し合いがあったが、私は少し発言をしすぎて、家に帰って少し落ち込んだ。私のようなよそ者は、発言しない方が良い。と思いながらも、前回のように、盛り上がらないものになれば、この可能性のある計画も、立ち消える焦りがあったからだ。

そもそもこの計画は、行政の予算不足に端を発していると見ている。
従来の行政手法では、公園を作れば、その後の管理の問題が出てくる。これが草刈ひとつ手におえない、そのため二の足を踏む事業が多い。行政がやると、なんでも4倍の費用がかかる。と私は見ている。

行政の草刈のシステムでは、その専門業者が居る。入札で仕事を取っているのだが、これでほぼ民民での仕事の倍になる。当然で、仕事の成果の管理、これも一仕事だ。証拠写真を黒板を掲げて、写真を撮っている。一方、我が家で、草刈を人に頼むのと、自分でやるのでは、労賃計算で、半分の値段になる。人なら、1万円払う仕事が、自分の労賃なら、5000円で済む。そんなことで、行政がやるのと、自分がやるのでは、4倍違う。5千円の仕事が、2万円の仕事になっている。

そこで、地元の人にやってもらおうと言う発想になるのだろう。悪いことではないのだが、地域の経済で、無理に成って荒れてきている、里山を、再生するには、ボランティア方式などと言う、甘い考えを行政が持つとすれば、捨てなければ成らない。

里山がこんなに荒れてしまったのは、業としての管理が出来ない状況に、里山がなっているからだ。里山地区の集落に、専業農家がいなくなっているからだ。久野の山林は個人所有の所が多いい。その方達が、クヌギを切って、杉檜を植えたのは、行政の指導もあるが、管理が出来なくなったからだ。そもそも、久野で、今里山と考えているところは、従来、ミカン山だったところだ。

業として管理できなくなって、荒れてしまっている里山を、従来のように戻したい。と言うなら、新しいシステムが居る。ボランティアを募って、里山が再生されるなら、簡単だが、これは発想の停止だ。逃げだ。里山が保全できる、合理的なシステムが、必要とされているのだ。

里山保全がお金になれば、誰だってやる。農の会が探求してきたのは、放棄された畑や田んぼを、借り受けて、業にしようと言う事だ。業になれば、耕作放棄地は無くなる。業としての成立を阻んでいるものを取り除けば良いだけだ。

結論だけ言えば、久野の里山に人が住めるように法を変えれば、里山は管理される。但し、里山づくりなのだから、その里山の保全を行う人なら、と言う範囲で人が住めるように、条件を付けることだ。家の規模、排水の管理、環境への配慮。細かな条件を付けて、許可をすれば良い。里山管理組合の、所有にして、貸し出すと言うのもある。

小田原の里山は、資産管理なのだ。これが不良資産になってしまい。にっちもさっちも行かないのだ。それで荒れている。しかし、大切な資産だ。これを適正な形で、動きが取れるほうに法を変えれば、徐々に良い所に収まるはずだ。もともとの土地の持つ潜在能力が高いところだ。東京近郊で、これほどの所は少ない。しかし、問題は、適正な住居作りの方策に尽きる。これを充分練って、田園居住を提案してゆけば、小田原の里山の問題は解決する。
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オーマイニュース 始まる。

2006-08-30 05:40:13 | Peace Cafe
日本のオーマイニュースが始まった。市民記者も、1100人は越えた。誰もが、記事を書いて発信できる形の、インターネット新聞だ。このシステムが日本で定着できるのか、むしろ、これからのメディアの実験と言う意味で、注目したい。

実は、私は市民記者にもなって、記事も送ってみたのだけれど、この全貌を見ることも出来ていない。当然、自分の以前送ったものが、どのように処理されて居るのかも知らない。記事を送った際に、返信のメールが送られてきて、特別のルール違反が無い限り、どこかに掲載されると書かれていたので、どこかにはあるのだろう。

所が、どうも、ログインと言うと、IDに暗証番号、これが苦手だ。忘れてしまうのと管理が苦手、言うのもあるが、どうも心理的に大きな壁が生じる。エイ面倒くさいから、次だ。今もそうやって、こちらにきて書き始めた。これをもう4回も繰り返している。その内行かなくなるか、気軽に行けるようになるか。結局、面白さうなら、壁を乗り越える努力をするだろう。

スタートの28日に、アクセスできなかった障害がおきた。これが私には、気持ちの上で打撃だった。訳が分からん上に、朝から何度行こうとしても行けない。朝の4時にアクセスが集中するなどと言うことがあるのかしら。と思いながら、厭な思いをした。何と28日は知っていたが、10時からとは、知らなかった。そんな表示は無かった。多分どこかにはあったのだ。10時から、集中でダウン。結局翌朝、一ページ目は見ることが出来た。

所が、今度は私の家のパソコンでは、表示が上手くない。文字が重なるのだ。こんなページ、行きたくない。いちいち文字表示を変えてみると、少しは見やすくなるが、それでも相変わらず、文字が切れて見ずらい。どうもページのデザインも良く無い。さすが素人新聞と言う体裁だ。まともなデザイナーが居ないのだろう。整理が悪く盛りだくさん。こうしたことは、ブラックボックス相手に、パソコンをやっている私のような者には、実に壁が高くなる。

以上の結果、ここに行く人は、おおよそ選抜されることになってしまわないだろうか。もちろん内容しだいだが。表面を少し見ただけだが、ここの表題で、どうしても読みたいと言う感じはしないのだが、その点は、「日刊リベタ」の方が、有料記事だが、読みたくなるようなページの組み立て、具合になっている。整理がいいのだろう。

なんだかんだ書いて来たのは、結局このメディアを自分のものとしたいと、感じているからだ。トリインフルエンザの事が、気になり続けている。多分そうしたマスメディアの記者も少しは居るのだろうが、鶏のことを知らないだろうから、無理に思える。
今の実態を知らせる義務を、養鶏業者として感じる。「違法ワクチンの不法摂取」「弱毒ウイルスの人感染を発表している厚生省」この経過を、誰かが確認して、伝える義務を感じている。マスメディアがやろうとしないなら、私がやるしかない。
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アメリカンピットブルテリア

2006-08-29 05:39:02 | 身辺雑記
今は犬と2匹と暮している。子供の頃から犬が好きで、飼える状態なら、必ず飼ってきた。今居る犬は、雌の一頭はブルドックとブルテリアの雑種だ。名前は「ドンチャン」鈍に、ちゃんが、ついたのではなく、ドンチャン騒ぎをするせいだ。もう1頭の雄はアメリカンピットブルテリアと言う犬種だ。こちらは「雷田」相撲の雷電とは一字違いだ。丁度、田んぼに雷があり、雷があると豊作になるという、話を聞いたことがあるので、付けることにした。

アメリカン・ピットブルテリア、はちょっと不幸な犬種で、日本の犬の登録団体JKCでは犬種として承認されていない。この犬はいわゆる闘犬として成立した。アメリカでは非合法に今でも闘犬が行われていて、これが又、殺しあうような闘犬で、とても日本の土佐犬の闘いとは違うらしい。それ故に、この犬種を飼う事はちょっとはばかれる空気がある。この犬種を無くしてしまおうと言う考えの人も居る。

ブルドックもイギリスで牛と戦わせる、ブルバイティング用の犬種として成立した。父の叔父が、横須賀で、大津ブルドックケンネルと言うものを明治から、大正にかけてやっていた。そのときに子供だった父も、ブルドックを飼っていて、家には、ブルドックの彫金による絵の彫られた、銀のトロフィーがあった。キングウエアーパッセイーという、すばらしかった、ブルの名犬の話がいつも聞かされていたので、子供の私もブルドックを飼うようになった。しかし、ブルドックは虚弱な体質で、健康に長生きすることは難しかった。

山北に住んで、すぐ飼ったのはラブラドル・レトリバーの雄雌だ。昔飼った時最も飼いやすい犬だったからだ。単独で犬を飼うのは私は好きでないので、いつも2匹以上の犬を飼う。盲導犬協会から来た犬で、長生きしてくれたのだが、相次いでなく亡くなった。私の年齢からして、最後に飼える犬として、丈夫なブルドックを飼いたいと考えた。何故、ブルにこだわるかと言えば、犬は犬種によって性格が全く違う。逆に言えば犬種によっておおよそ性格は決まっている。ブルドックの性格が好きなんだ。しかし、弱い。そこで、ブルテリアとの交配は居ないか探した。雑種は丈夫だ。そこはネットのお陰で、和歌山でそうした交配をした人がいて、分けていただいた。

1頭では寂しかろうと、相棒を探して、見つけたのが、アメリカンピットだ。ブルと、ブルテリアの交配を固定した犬種と言ってもいい。そして、すばらしいブリーダーに出合った。この不幸な犬種を、何とか認知させることに生涯をかけている。グローリタッズさんだ。闘犬として生まれたが、今はショウタイプとして、すばらしい性格に固定されている。交配をしないという約束で分けていただいた。

随分たくさんの犬を、飼ってきたが、アメリカン・ピット、これほどすばらしい性格の犬に、出会ったことがなかった。体質も極めて強健だ。子供の頃からそうだったのだが、生き方を犬から教えられることが多かった。彼らのまじめさ、一途さ、辛抱強さ、誇り高さ。今も雷田から、教えられることがある。彼は全てを受け入れる。しかし、高い誇りが揺らぐ事がない。

ふたりとも3歳を越えた。少なくとも、あと10年は生きるのだから、その間は私も死ぬわけには行かないと思っている。
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格差社会と再チャレンジの問題点

2006-08-28 05:21:42 | Peace Cafe
あしがら農の会は新規就農者を支援している。この地で、様々な世代の者が、現在、14家族、農業分野を生業として暮そうと、それぞれにやっている。会として各自の生活を直接支援すると言う事は、出来ないが、普通に農業分野で働いてゆきたいと言う者が、何とか農家として成立するよう、土地の斡旋や、最低限の機械の提供、あるいは技術力向上の為の場の設定など、精一杯の手助けはしている。大したことも出来ないわけで、当然のことだが、各々方向は違うが、それなりの努力の人、あるいは最大限の努力をしている人がいると思う。

少し、生業としての、活路が見えてきた人も居る。相当困難そうだ、と言う人も居るのが現状である。私自身もそうだが、農業分野で生計を立てるということはきわめて難しい現実がある。それは実はどの分野でも同じで、喫茶店をやりたいとしても、それを生業にするのは、それなりに難しい。しかし、農業分野は少々状況が違う。たとえれば、炭鉱夫になりたいと日本で言っているような、傾向がある。

しかし、炭鉱夫が好きだから、どうしてもやりたいと言う気持ちがあるとしても、これはもう日本では諦めるしか無いだろう。それに近いものが、林業にある。林業家を夢見て、山仕事に精を出しても、生業としてやり遂げるには、不可能に近い困難が予想される。農業もその次ぐらいに困難な仕事だ。農地は貸してもらえる。こんな時代はかつてなかった。その点はいい。

私の家の養鶏を例に挙げると、現在、鶏は380羽位居る。その内、まだ卵を産まない鶏が、180羽居る。その他、雄鶏が、20羽、鶏種保存の為の笹鶏が50羽。だから、主力の産卵鶏は、130羽程度だろう。現在、産卵は日に50個程度に落ちている。1個55円で販売する。日に3000円に満たない事になる。産卵の多いい時は、150個は越えるが、それでも、8000円ぐらいです。この間が平均として、日に5500円位が荒利である。労賃を除けば、(この考え方がすごい事なのだが)一日の出る費用は、1000円程度。それで、建築費(10年で償還として)やその他の整備費を一日1000円と見て置くといい。すると、月に10万円の収入に成ればいいという状態だ。

果たして、この状態で、生業として取り組める人が居るだろうか。私は鶏が好きで、自分の鶏種を作りたいという夢があるから、それでもやってきたが、もうだめかなと思いながらの継続である。こんな状態だから、人に薦めるのは、本当に心苦しい。自然養鶏に取り組むと言う事は、誰がやってもこんなことになる。それならもっと卵を産む様にしよう。大量に飼おう。鶏を虐待的に扱うのも止む得ない。こうして、企業養鶏になって、食べ物を作っていると言うことの本質を忘れてゆく。

一番大切な、食べ物を作る思いを、捨てなければ、養鶏は生業に出来ない。こんな状況が、日本の農業を取り巻いている。「こんな野菜、家じゃ食べないよ。」と言いながら、商品として野菜を販売する農家だけが、何とか生き残れる社会。

こうした、社会条件を今のままにして、安倍晋三氏の再チャレンジとは何を意味するのか。要領のいい人間の再生産をすることに成るだけだろう。再チャレンジの場も用意した。生きてゆけないのは、社会に順応できない、無能なお前が悪いのだ。いよいよ、逃げ場の無い社会を、言い訳できない条件を作ろうと言うだけになる。

格差の根源は食を40%しか自給しないと言う、日本の社会構造と、それを良しとする、政治にある。
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ピースカフェの現状

2006-08-27 05:36:43 | Peace Cafe
ピースカフェも10号が出ました。始まって一年です。今日これからのことをしっかりと話し合うために、集まりを持ちます。
○発行部数の推移は、当初1500部から始めて、3400部に7号からなりました。現在は、駅で配布すると。もう少し必要と言う状態です。
○郵送発送は12通です。
○Peace Café の置いてある所 は54箇所です。
○常連は39名となりました。

1、あしがらと言う地域性を基盤とする。
2、平和な暮らしを希求する、そのことが政治や憲法とどう結びつくか。実感の無  い、普通にくらす人々(グレーゾーン)を対象に作る。
3、具体的な暮らしを材料にした、日常を大切にし、この地域の様々な活動の情報  を発信し、平和に対する思いを、繋いで行くこと。

この3点がスタート時の共通認識でした。今後もこれでいいかどうか。

これは常連の間でも、ブレが生じてきている点だと思います。むしろ、初めから違っていたが、違っていることを良しとして、進めてきたと言う事だろう。これ以上、方向を煮詰め狭める事が、それ以外の考えを持つ者に対して、排除的に成る事もおそれた。

10号出た紙面で、私はほぼ回答が出ていると思っている。この紙面で伝わる意図が、ピースカフェの探ってきた方向だと思う。それで、この紙面に可能性があるかどうかが、今日検討することだと思う。

具体的には以下のようなことが、出ている意見であり、検討課題である。

○隔月出版にするか。一時休止にするか。現行どおりで行くか。
○ピースカフェの17日の集まりの性格をどのようにするか。場所の変更。
○編集の体制と責任。   
○駅での歌いながらの配布の今後。   
○プチ・ピースカフェのこれから。
○今後のテーマについて、いかが今出ている案です。   
1、足柄の好きな場所。100字ぐらいで、10名はどうでしょうか。2、教育、いくつか視点があると思うのですが。意見を下さい。 3、伝統工芸・芸能。伝統の可能性 4、音楽活動、 5、足柄の植物、身近な環境を知る事の意味。帰化植物など、6、地域自給、エネルギー 7、足柄の中世の重要性 8、遺跡めぐり、交流拠点としての足柄の未来へ  9、環境保全10、素敵な店 11、ゴミ特集12、福祉、介護 13、足柄の生き物の歴史、外来動物 14、農業の変遷 15、足柄の水源 16、共同浴場 17、私の町の行政のよい点。
1.身の回りの美しい物(醜いものにもふれて)  2.テクノロージー  3.グローバル  4.時代性  5.集いと対話

平和活動の基本は、自らが平和に生きることだと思っている。平和な暮らしを希求して、日々を生きる。その表現が、ピースカフェとして現れると言う、順序だ。足柄地域が自給圏として、成立すること、これが私自身の目標である。そのことが日本の自給につながり、世界平和に繋がってゆくと考えている。

本来そのことだけをして居たかった。可能かどうかは分からないが、それしか、平和への道は無いと考えている。声高に平和を叫ぶような、平和運動に可能性は無いと考えている。それなのに、ピースカフェを始めたのは、長期目標の活動だけでは、今の政治状況の急変に、対応できないと考えたからです。
旧来の平和運動が、むしろ、反感を増幅し、一般市民の拒絶反応を生み出している。ピースカフェはそこから隔絶した、様相で居なければ意味が無い。

迷走飛行の日本が空中分解することなく、不時着できるように、不時着後ささやかに、平和に生きてゆけるように、その道を進みたい。
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穂揃い期:出穂期

2006-08-26 07:01:39 | 稲作
今日を坊所田んぼの「穂揃い日」にする。今年は大分遅い。と言ってもこの穂揃いをいつにするかは、どのくらいの状態を穂揃いと見るかで、ずれてしまう。数えるわけではないが、70から80%の穂が出た頃を、穂揃いと一応は決めている。水口が極端に遅れるので、この辺りをどう見るかで、また変わってしまう。

出穂期(しゅっすいき)を記録して基準にする人が、普通かもしれない。しかし、出穂がばらつきが大きく、どうも特定が難しい。走り穂が、今年は10日ぐらいからあった。しかしあったと言っても、その後が続かないので、これは明らかに、他の品種が混入したと思われる。18日ぐらいから、出穂が始まり、26日を穂揃いと特定したい。

穂揃いは早い年で、15日の年もあり、25日ぐらいの年もあった。いずれにしても稲作を始めて一番遅い年に今年はなった。7月の日照不足の影響が大きく出ている。6月は天候のせいだと思うのだが、、水温が上がった。入水口18度の日があった。稲の活着、動き始めが早く、分結が始まった。このときは、冬場に育った、菜の花の肥効の影響も大きいと、考えていた。つまり、2反に満作に育った菜の花をそのまま漉き込んだのだから、その菜種の量でも、150キロぐらいはあったと考えた。油粕でもこれくらい撒けば、充分なところだ。

7月の日照の少なさは、この地域では新記録だ。低温傾向もあり、水温は全くあがらないまま、稲も停滞した。分結も7月には殆どしない状況となった。8月になって、梅雨が明けが宣言され、その後は例年の夏ほどではないが、天候が持ち直し、稲は待っていた様に株を太らせて行った。葉色も落ちることなく、充分肥料があることを示している。秋落ちは無い。これで採れないという事は無くなり、ホットはしたが、分結は平均15程度かもしれない。18ぐらいと見ていたが、慾目かもしれなかった。救いは穂の大きさで、これは例年以上になっている。130から150の穂もある。

この所悩まされた、すずめも今のところは付いていない。それでも9月には行ったら、対策が必要かもしれない。草は相変わらず、目立つ年だった。菜の花抑草を失敗した。どうも、赤木さんの言われる、代掻きをしてから、2週間して田植え、この感覚が、今のところ怖くて、馴染めない。菜の花を刈り倒す、時期は、菜の花の状態は、枯れかかっていたらどうなるのか。今年はこの考えで進めた。花の時期がいいのか。それなら、いつ播種するのがベストか。春播きでは到底大きくはならない。この辺の目安が、案外に難しそうだ。

それなら、レンゲの方が、やはり安心に感じてしまう。ともかくこの辺を、良く検討してみたい。一年で、撤退と言うのも情けないが、今のところ、菜の花抑草のシステムが、頭に整理できないでいる。

今年もう一つ気付いたのは、アキニシキと、キヌヒカリで天候の影響が大きく違ったことだ。キヌヒカリは極端に遅れている。アキニシキはそれほどの遅れでもない。早稲品種と、中手では、日照に対する反応が違うのだろう。このままだと、同じ時期の稲刈りになりそうだ。例年2週間は違っていたのに不思議なことだ。
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坂東眞砂子氏の「子猫殺し」正当化

2006-08-25 05:33:45 | 身辺雑記
坂東眞砂子氏「子猫殺し」のコラムを日経新聞が掲載した。
坂東氏は、直木賞作家でタヒチに住んでいる人だ。この人が雌猫三匹を飼っており、子猫が生まれるたびに家の隣のがけに放り投げている。と告白したコラムを日経新聞が掲載した。

「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない」「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した」などと記した。「タヒチ島に住み始めて八年。人も動物も含めた意味で『生』、ひいては『死』を深く考えるようになった。動物にとって生きるとはなにかという姿勢から、私の考えを表明した」とコメント。

この坂東氏は、少し心を病んでいる人のようだ。犬も殺していると公言しているし、鶏が車にはねられ殺されているのを、見つけて歩くのを楽しみにしているそうだ。ホラー作家の自己演出なのか、とてもまともな神経の人とは思えない。坂東氏はこのように、犯罪の告白をしたのだから、後は司直の手で処理してもらうしかない。

養鶏をやっていれば、たくさんの鶏を殺さざる得ない暮らしでもある。人は生きてゆく為に、他の生命を殺し続けているのだから、何も生き物を殺すことについて、あげつらう気は無い。しかし、そうしたことに対し、痛みを感じない神経が、何んとも痛々しい。

問題は犯罪告白を注釈抜きで掲載している、日経新聞の責任だと思う。こんな不快な病的な記事を、何故平然と掲載したのか、いまだ、報道機関として弁解もしないのは何故か。おごりと判断力の衰退の表われでは無いだろうか。もし、この記事の掲載に対し、正しい判断だとすれば、その立場から、日経新聞の考え方を、表明すればいい。

8月15日を前後して「何故日本は戦争をしたのか。」こうした大切な話題が出ている。今までは殺された日本人の追悼ばかりに目が行っていた。日本人もようやく、本質に目が向いてきたのだと思う。なかでも報道機関の戦争責任問題を、私なりに調べてみた。

「大本営発表」を臆することなく大々的に報じ、国民を間違った道に、進めた。戦争賛美に荷担していたマスコミで、戦犯になった人は居ない。戦争責任を問われた者はない。また、自らの戦争責任を進んで償う報道機関もない。平然と、敗戦後も、報道を継続しているだけだ。

報道機関は、軍部の強い圧力によって、やりたくも無い戦争賛美を続けた。このような、自己反省の無い言い訳を、今もしている。1938年当時739紙あった新聞は、敗戦時までには57紙に統合された。紙の割り当て制度を操りながら、統廃合されていった。骨のあるところ、小さいところは、廃止され行く。軍に従うほか出版を続ける道はなかった。こうした言い訳が聞こえる。

この発行を続ける為という言い訳は、今の時代、スポンサーの為となっていないか。自ら、公器などと言いながら、実は、経営を目的化していないか。こうした、特定の方向に頭を向けながら、編集をすることに慣れる事によって、今回のように記事に対する責任と、社会的な意味を見失う事になる。

安倍氏が有利と成れば、哀れなほど、勝ち馬に乗ろうと群がり始める。安倍氏の統一教会への祝電はどうなった。靖国参拝はどうなった。右翼との繋がりはどうなった。女性問題はどうなった。出かかった偽念も全て消えてゆく。こうした事を調べる力こそ、報道の役割ではないか。不利益な方向は探ろうともしない。こうした、報道機関の病巣が、今回の「子猫殺し」には現れている。

しかし、インターネットと言う個人の責任による、発信はおもねることなく、意見を伝えることが出来る。次の報道の方向は、ここにあると思っている。
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酒匂川の水難事故

2006-08-24 05:46:51 | 環境関連
酒匂川の一番の遠くの水源は富士山麓にある。自衛隊の富士駐屯地内にある。今も立派な水源として、祭られている。15年位前に、酒匂川グリンフォーラムの企画で見学させてもらった。水源を自衛隊の隊員が、常時警備している様子に驚いた。神社もあり、古い水神信仰の状態が残っていて、その神聖な雰囲気は、緊張させられるほどのものがあり、水を守ることの原点を強く感じた。水量の豊富なことは、すごいもので、毎秒100リットルは越えているだろう。

多分、日本中の水源がこうした神聖な場として、守られていたのだろう。しかし、いつごろからか、この神聖を平気で汚し、空き缶を投げ込むような、恐れを知らない輩が現れた。たまたま、自衛隊が駐屯し守っているので、古い姿がそのまま残されたのだろう。池子弾薬庫跡地と同様な経過だ。たまたま接収でもされない限り、大切なものが守れないと言う情け無い現状がある。

この富士山麓の水源は公開させているものでなく、特別な申請許可だった。実は久野にもいくつかの水源がある。これが管理も公開も出来ないということで、人目に触れないように、地域の人によって保存されてきた。水神様のお祭りが、行われているとも聞くのだが、どういう範囲で行っているのか、新しく来た私のような者には全く解らない。水源の場所は知っているが、こういうところに書くことはできない。

隣の荻窪は水のことでは、古くから苦労があり、箱根からの荻窪用水が出来て、田んぼが出来るように成ったそうだ。この用水は意外なところをトンネル状に通っていて、驚く事がある。水がいかに重要だったかがわかる。荻窪ではこの水で、水車を作り、エネルギーとしても十分利用していた。久野は幸い水が豊富で、それだけで豊かな土地であったはずだ。水車も舟原だけで、5機あったそうだ。縄文からの古い遺跡も多数散在する。
久野の水の豊かさは、暮らしの余裕を生み出していて、多くの人が、江戸初期から、確かにこの地で暮してきて、人の出入りは少なかったと言う。

酒匂川の水難事故で、2人の方が亡くなられた。事故のあったのは、11時前後だ。その日私は、10時30分と12時に富士道橋を渡った。事故の起こったのは山北の高瀬橋下流700メートル、富士道橋はその下流10キロほどのところだ。小雨の中、大勢の鮎つりの人がいた。12時には雨は止んでいた。昨夜のすごかった雨を思って、大丈夫なのかな。と話した。山北町内の鮎沢観測所で、午前9時の段階で18センチだった水位が、午前10時には57センチに上がった。 その45分後、最上流の事故現場に近い平山観測所でも、1時間前より72センチ水位が上がり、1.12メートルになっていた。(朝日新聞) 結局この急激な水位の上昇に釣り客は、気付かなかった。

その場のその時の雨は大したことは無いし。他の地区から来れば、昨夜の雨のことも、知らなかったのだろう。まして、ダムが放流していたのも、放水警報が出てい無いのだから、気付かないだろう。私が何故通る時川を良く観察したかと言えば、どの位水位があがっているかが、農業をしていると気に成るからだ。水没する田んぼもある。

酒匂川では以前も同様の事故があった。大阪で、一時間雨量が、110ミリと言う雨があった。集中豪雨については、今までの経験は捨てたほうがいい。併せて、山が荒れてきて、保水力を失っている。降ればすぐ川に押し出してくる。酒匂川の大きな水源になっている、丹沢山塊が、人の手が入らない、人工林と言う、悪い状況だ。新しい状況になっている。

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住みたい町・小田原

2006-08-23 05:27:52 | Peace Cafe
土地探し、家探しは、随分した。あちこちに住んだ。全国を絵を描きながら、歩いていた。その上で、住もうと決めたのが、小田原だった。小田原生まれの人は、余り小田原をよく言わない。よく言わない人が多い。青い鳥ではないが、どこかにもっといい町があると、思い込んでいるのかもしれない。

以前、土地探しで歩いた房総では、土地の人と話をすると、必ずこんないいところは無いと言われる。あまりに好い、好いと言われるので、これは気質の問題だな、と感じた。自己肯定的であるか。懐疑的であるか。それからすると、小田原の人は懐疑的だといえる。懐疑的といえば、北村透谷が小田原の人だから、うなずけるのだが、文学的気質の町と言える。

北原白秋は、殆どの詩作を小田原で行った。尾崎一雄氏はいかにも小田原風だと感じている。小田原の人を不思議だと、思ったとき読んで見ると思い当たるところがあるかもしれない。小田原の人は、なかなか複雑なのだ。他の町と明らかに違うのは、よそ者が、常に通り過ぎてゆく町であった所だろう。

先日、考古学をやられている、Sさんから教えていただいたのだが、この地域には、3つのの交流の道筋があった。一つは、丹沢の山越え、これは山梨、長野、との交流。メインが、箱根の来たの足柄越えルート。これは、中世までの大きな東国への入り口になる。そして、古代は重要視しなければならないのが、海ルート、伊豆を廻って海岸沿いに、入ってくる。そして、河川をさかのぼり、港を作っている。
いずれにしても、地理的に足柄地域が、交流の要のような地点であったことは確かだ。

鎌倉に幕府が出来た中世以降、より足柄地域の地理的重要性は増す。江戸期も箱根越えの、足ごしらえの地として、役割が増す。そして現代の足柄を考えると、東京、横浜と言う、限界を超えた巨大都市からの距離が、絶妙に位置する。通勤圏としては、若干離れている。高崎、宇都宮、水戸等とほぼ同じ距離に位置する。この距離から、ある程度の自立性を必要とされ、東京に同化されることなく、それなりの気風を維持出来ている。

足柄は農地と宅地、自然環境のバランスが、人がまともに暮すことを可能にする、ぎりぎりのところを維持している。酒匂川と言う、大きな流域を持つ川が中心に流れる。両岸には30万人ぐらいは自給できる。平野が存在する。その背景となる。山麓は広く、3方を囲んでいる。南は相模湾が広がる。これからの日本人が暮らしを模索するとすれば、足柄ほど、可能性を秘めた地域は無いと、考えれれる。

この地域が目指すものは、ありきたりの路線では無いはずだ。多分どの地域もまだやったことの無い、未来の日本人の暮し方の、モデルケースを問える、地域だと考えるべきだろう。これはスローライフの町とか、癒しの町づくりとか。行政なら言う所だろうが。難しいのは、先頭を切るということだ。どこぞにあると言う事でなく。これから新しい事をやると言うのは、前例主義の行政には無理なことだ。暮らす一人一人が作り出すものだろう。

新しい暮らしを求めて、関東では長野や福島や、岩手に行く。しかし、そこでの暮らしはあくまで田舎暮らしで、日本の今動いている社会と、距離のあるものになる。足柄は、生々しい現実の中で、次の暮らしを模索できるところが、面白い。

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もんしぇん

2006-08-22 06:19:21 | 身辺雑記
山本草介監督の作品です。 「もんしぇん」上野の国立博物館の中にある、一角座という映画館で上映されています。まだ28歳という若い監督で、天草の小さな入り江から生まれた映画だ。

好きな、平戸や生月島の事も出てくる。向こうに住もうかと考えて、本気で計画したぐらい、惹かれるところがある島だ。山本監督も、向こうに長く住み込んで撮ったという。ただ、水平線だけの映像が出てくるけれど。あの空気は確かに、あの辺りの水平線で、小田原の水平線とはぼやけ方が違う。あのぼやけた、海を撮ろうという感覚は、住んでいないと見えてこない、ものじゃないかな。

ネット配信もされているようだけど、できれば一角座に出かけてみるのが好い。あの妙に権威的な博物館の裏に、こんな映画館が出現していたとは、全く驚きだ。高校生の頃、博物館に毎週のごとく、通った時期がある。同級生だったI君の叔父さんが学芸員で、裏から行くと、無料で入れてくれたのだ。印象の強いのは、ミイラぐらいで、あとは仏像を見ていたぐらいなのだが、無料で入れてもらえるというのが魅力で、裏口から通った。

その裏口が実は、一角座に変わっていたのだ。よく見ると建物もいろいろ変わって、正面以外は随分変化していたのだが、映画館がこんなところにあるのはおどろく。建物は何ともこの場には違和感のある。仮設のような建物で、そう古くは無いが、一年ぐらいのものか。客席は、広くは無い。200人ぐらいの椅子かな。不思議な感じで、一見の価値はある。入場券で、博物館も見れるというのだ。やはり裏口入場かな。

若いスタッフが、炎天下、案内に立ってくれている。この映画にかける思いが、ここで強く、伝わった。若い人達が、炎天下出迎えようという、本気で何かを作り上げる姿で、期待感が高まった。

美しい映画だった。詩的な映画。古い幻燈写真を見るような。懐かしい感性の映画だ。この場所はあそこだな。この角度から、絵を描いた事あるな。そうだ、絵のよな映画だ。ストーリーもあるのだが、なくてもいい。無いほうが伝わってくる本質というものもある。と言って軽い映画というより、重い映画だ。生きる重さを色々の角度から問いかけているのだが、問い方が美しい。

主演女優は玉井夕海という人で、これはすばらしい。不思議な感覚を生み出していて、哲学的というか。若い人でこう難解な人は珍しい。いや、案外最近は多い若い人の表面柔らかく深く難解。そうだ、今の若い人の難解さを代表しているところが、さすが女優だ。希薄な存在感が生み出す不安をリアルな、調子で表している。思い入れを感じさせない、日常的なリアルさが、複雑怪奇と共存している。

山本監督の父親は彫刻家の山本良明氏だ。金沢の頃からの友人で、先日は、一緒に「9条の応援歌展」やらせてもらった。山本さんの作った。冬瓜の石彫が今も目の前の机の上にある。山本さんが、親ばか覚悟で息子を応援すると言われていた。
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除草剤を使わない稲作り

2006-08-21 04:30:27 | 自給
おらが田んぼでもできそうか。あなたにもできる無農薬有機栽培をめざしてその合い言葉は、「あなたの失敗は、わたしの肥やしです」   

農家同士の相互交流(ネットワーク)のためのホームページ と銘打ってあります。「除草剤を使わない稲作り」のタイトルです。

このホームページは、井原基金」の援助をいただいて,運営されています.
「井原基金」とは,追悼集「井原死すともへの字は死せず」の出版の収支が黒字になったので,その剰余金を当てたものです.まだ少し残部あります(2006年7月26日現在4部)。
定価2000円のところ、1000円(ただし送料340円)でお送りします.
振り込み用紙同封で送りますので、本が着いたら、ご送金ください。申し込みは、メールでどうぞ。
   
世話人  山下正範  〒672-8002 兵庫県姫路市北原328ー4
   TEL&FAX 0792-45-0576 
   メールアドレスは yamachan(アットマーク)vanilla.ocn.ne.jp


このホームページは形式に、すごいものがあります。農業をやられている方はご存知だと思いますが。是非一度見てみると参考になります。私も井原さんの本には随分お世話になり、そこから、このホームページに到りました。このホームページのすごいのは、メーリングリストと、微妙に使い分けられているのです。

メーリングリストのメールは全てが、山下さんという、驚異的に親切な方が、一度確認して、その上で皆さんに配ってくれるのです。更に整理され、それが記事となって、ホームページに掲載されるという手順になっている。だから、有機農業の稲作で、分からない事があれば、ここに行って調べるのがいい。加えて、解らなければ、質問をメールすれば、それは本気で答えてくれる。

しかもここに集まってきている人は、本当の百姓の人だ。広く田んぼをやられている人達だ。その実践的ノウハウはすばらしいものがある。ここでの知恵の寄せ合いの仕組みは、どの分野にも生かせる、庶民の研究所システムだと思う。山下さんが、イネミズゾウムシの油による防除のアイデアを様々に、提案されていたのは、発想の展開という意味で、大変参考になった。

当然というか、素人百姓の私の出る幕は無いのですが。読ませていただくばかりで、申し訳ないという気持ちもあり、先日今年の失敗を報告した。と言っても、原因がわからないので、失敗した訳で、要領の得ないものなので、恥ずかしいのですが。書いてみて、前後の様子もブログに書いてあるので、それも添えておいたら、何と、そこまで読んでくれて、原因の類推をしてくれた。お忙しい方々に迷惑をかけてはいけないと思いながら、尊くて、涙がこぼれてくる。

農業は面白い。百姓仕事は奥が深い。論理性も必要だが、理屈だけでは上手く行かない。感もいるし、観察力は肝心になる。その上に体力がなければ、実行できない。だから、オリンピック選手のように、人間業を越えた人も現れる。それが、人が生きる根源である、「食べるものを作る」という事なのだから、こたえられない面白さがある。勿論そうあってはいけないのだけれど。すごい農業者が神格化されるというのも肯けるところがある。

除草剤を使わない稲作り の仕組みを、農の会でも、ピースカフェでも、参考にしているが、まだまだ到らないところだ。
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湯快爽快が止めるって

2006-08-20 07:14:42 | 日帰り温泉
湯快爽快が止めて、マンションになるそうだ。最近起きた一番の悲しい出来事だ。まだ、がっかりが続いている。湯快爽快に行く事が、唯一と言ってもいい楽しみだった。このところの燃料費の上昇が、最終判断をさせたようだ。などと、湯船でも、サウナ室でもこの噂で持ちきりだった。この情報がデマだと好いなぁー。

一時スーパー銭湯などといわれた、共同浴場のことだ。関東一円に7店舗あるチェーン店のようだ。平日の回数券を買えば、380円で入浴できるというありがたさで、私の家では、家で使うのはほぼシャワーだけになった。さっぱりしたい時は、湯快爽快に出かけてゆく。このほうが、経済的にも、合理的だと思う。止めるとしてもこの間利用させてもらった事は深く感謝したい。

農業は毎日泥だらけになる。汗もかく。筋肉疲労も起こる。ゆっくりお風呂に入るのは、どうしても必要な事だ。湯快爽快に行ってさっぱりして、明日に備えることは、身体の調整から行っても、私には必要な事だ。10年前肋間神経痛をやってから、気を付けないと、再発しそうな恐れを感じてきた。

湯快爽快の様々な施設は、とても家の風呂に供えることのできるものではない。広いサウナ。5メートルはありそうな大量なお湯の落ち続ける、打たせ湯。すばらしい勢いのジェットバス。薬草露天風呂。水風呂。蒸し風呂。背中を暖める擬似岩盤浴施設。恐ろしいくて、入った事の無いのに、電気風呂というのもあった。在りそうな物は全部ある。

これだけの施設を稼動させて、どうして、380円でやって行けるのか不思議だった。みのやさんという梅干し屋さんがさかわは経営しているようだ。経済的には余裕がある会社なので、湯快爽快を運営していたと、何か事情通の人が説明してくれた。
このお風呂屋さんというのは、不思議なもので、江戸時代以来、地域の社交場だ。知らないもの同士が、結構話をする。鎧が取れるというか。裸の付き合いというか。とってもいいものだ。

日帰り温泉は足柄地域にも、散在する。山北の桜の湯は行政が経営。大井町 いこいの村あしがら、これも行政経営。小田原市 コロナの湯 、万葉の湯 、ヒルトン小田原リゾート&スパ 箱根町まで行くと、何十とある。地域の人が、ゆっくりとお風呂に入れる施設は、内湯が普及したからと言って、地域社会に必要なものだと思う。

久野に温泉があるといい。掘れば出るはずだ。登り切った箱根側の宮城野には出ているし、岩原から登った明星山標高640メートルでは、鉱泉は出たそうだ。大正時代までは、大雄山最乗寺の上の方に、温泉が出ていたという話を、僧侶だった祖父から聞いた。1億円あれば、ほれるというから、100万円で100人出資者を募り、末代の為にも、やって見れないだろうか。

久野は迷惑施設の集結地に成っている。焼却場の余熱が、共同浴場に使われるなら、迷惑施設の印象も大分変わるのではないだろうか。大井町や、山北ではやっているのだから、小田原でも行政主導で考えられないだろうか。

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2006年の、田んぼ

2006-08-19 05:41:04 | 稲作
早稲のキヌヒカリの田んぼは穂ぞろいに入った。アキニシキはまだ走り穂ぐらいで、例年より大分遅れている。昨年の坊所田んぼは8月15日が出穂だったので、一昨年は8月19日だった。今年は10日は遅れるかもしれない。月末が穂揃いというのが、平年なので、今年は、9月にはいっていうことになりそうだ。

8月初めの全国の作況指数によると、神奈川県は100の平年並みとなっている。農水の発表は9月半ばだから、中間発表なのか。7月の日照不足が、何故影響していないというのか。ちょっと驚いた。確かに、6月は好天が続いたので、5月田植えを、しかも早めに田植えをしたところは、充分に分結が取れたところで、7月に入った。所が、私たちのように遅い田植え、6月2週目が中心となると、やっと活着して、これからというところで、日照がなくなった。それから停滞が始まり、8月にはいってやっと動き出したが、分結不足になったのではないか。

7月に葉イモチが出て、水口は隋分やられてしまった。これが完全には回復できないまま、穂が出る状況になってしまった。水のやり取りで、対応はしたつもりだが、水温も20度以下、7月は低すぎて、手に負えない感じだった。やはりこのあたりも谷の奥の田んぼの条件だから、止む得ないだろう。

8月には入って、やっと夏が来て、4日間晴れた時は、これで今年もお米が食べられる、とホッとした。その後も8月らしい天候はやってこない。このあと少し良さそうなので、穂が大きく成ってくれて、粒も張ってくれれば、去年の2割減ぐらいで済みそうだ。株ががっしりして、葉の厚みも充分ある。握った時のバリバリ感もある。葉色の落ちて着方も、悪くない。

分結不足には、雑草の初めてといえる程の大量発生も影響した。菜の花抑草を始めて行い、大失敗に終わった。すき込まれた菜の花の塊の上に、猛烈な勢いで、コナギが繁茂したのには驚いた。田んぼは夫々で、やはり欲をかいて、他でいいからと言って、簡単なことではない。

作況指数74が1993年の冷害年だ。農の会が出来た年だ。このとき自然農法の人から、自然の稲はこういう年でも収穫が出来た。自然の稲が冷たい気候に対応したのだ。こういう報告がいくつもあった。そのまま聞くには眉唾な話だと思った。自然農法をやられている人は、気候に対して、すばらしい対応をしたのだと思う。長年の自然栽培の経験が、冷涼な気候に最善の対応を見出せたのだと思う。作る品種も自分なりのものであったかもしれない。

今年は90を割るような年になるかもしれない。まだ、その恐れはある。今のところ、8月の天候は悪くない、しかし、南の地域に大きな台風が来るかもしれない。このところの大型台風はあなどれない。そうなれば、大変苦しい結果になる。現在、869万トンが予測値だそうだが、830万トンという農水の収量目標も下回るかもしれない。

しかし、93,94年の冷害年に言われた事だが、農水が政治的に、指数を操作していないかということだ。あるいは中間発表する、米業者が数値をいじっていないか。米の市場開放や、米の備蓄制度、こうした思惑が、指数を動かしたのではないか、という話だ出ていた。93年も無いはずのお米が、後から大量に出回り、結果的には輸入したタイ米が、捨てられた。結局国産米の最終量からすると、輸入する必要はなかったのだ。私は鶏のえさに随分使わせてもらったので、よく覚えている。

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自然卵ネットワーク

2006-08-18 05:59:29 | 自然養鶏
自然卵ネットワークという集まりがある。私も入れていただいているのですが、茨城の方で名越さんという方が、作られた自然卵養鶏をする者、あるいはこれから始めようという人、を中心にした、いわば業界団体のようなものなのでしょうか。この組織は名越さんと言う、こうした組織に対し、理想を持たれた方が、運営されていて、私はその意図に、共鳴し参加させていただ来ました。たいした協力も出来ず、申し訳ないところです。

この会は、というか、名越さんのすごいのは、季刊で出されている分厚い通信を、紙媒体、とホームページ掲載と両用で、一貫して続けられていることだと思います。これは、こうした会の運営を、新しい局面に対応しながら、切り開いてきたという事でもあります。ここでは、養鶏を始めれば、出てくるさまざまな疑問を、多くの先輩に聞くことが出来ます。そうした今までの蓄積も掲載されています。

一人の回答も、議論の始まりになる場合もあります。生き物相手の場合、正反対の答えが、両方正しいわけです。この両方の正しさこそ、実践的には、重要な観点だと思います。他の人がすでにAと回答しているのに、加えて、Bとは言いにくいのですが、これが大切なポイントではないかと思います。しかし、これはさすがにやりにくいことなので、ずうずうしい私でもつい控えてはしまいます。ネットの言葉の行き違いには、怖いものがあります。

私は入れていただいた頃は、パソコンもやっておらず、簡単だからやりなさいよと、お尋ねした時、名越さんから言われたことが、パソコンを始めるきっかけになっています。農の会の事務でも、運営でもお陰で、随分助かりました。紙媒体は止めネット会員になっています。これは、会費も安く助かります。

あるときから、メーリングリストをやろうという声があがり、今も細々続けられてはいます。もう一つ上手く機能していません。そこにブログの問題があるのではないか、と名越さんが話を振られました。ブログに各人が力を入れて、書いているので、中々メーリングリストで書かない、というのです。確かに、メールで気楽に書いたことが、ホームページに残ると思うと、私には書くのがためらわれるところはあります。

ブログを連結したらどうだろう。こう私は提案しました。しかし、知識不足でどなたか詳しい方に教えていただきたいのですが。グー・ブログにはカテゴリーがあります。これはどの会社のものでもあるのでしょうか。このカテゴリーに「自然卵ネットワーク」という枠を取り、この枠を連結すること。つまり、自然卵ネットワークのホームページにブログ一覧の表を作り、これをクリックすると、各自の自然卵のカテゴリーに飛ぶ。出来れば、そのカテゴリーが新しく、更新したら、自然卵ネットのホームページの名前が、色が変わる。こうした事は可能でしょうか。

これが出来ると、ブログを書いている自然養鶏の仲間の、本音の考え方を知る事が出来る。ブログの自己責任の所在感覚が、思いきったことが書けて、いいと思うのです。かなりあやふやだけど、こんなかも知れない。この辺の微妙な思いつきは、ブログでしか書けない。しかし、その辺に養鶏の実践上の大切な疑問はある。
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第8回水彩人展案内

2006-08-17 04:42:06 | 水彩画
9月4日(月)から9日(土)まで、水彩人展が開催される。場所は銀座東和ギャラリーです。水彩人展は水彩画の展覧会としては、最高のレベルの展覧会であると自他共に、否、自負している。



写りがいまひとつだが、案内状です。
この案内状は一枚一枚描いている。これは1回展のときからそうだったのだが、案内状の絵は手描きにしてきた。今回も600枚描いた。興味のある方がおられたら、まだ32枚残りがあります。必ずお送りしますので、メールで、住所お名前をお知らせください。
sasamura.ailand@nifty.comまで。

いつも、絵には明確なメッセージを描くようにしている。この案内状の絵は、中央に3つの8ミリの四角が、置かれている。3つの四角というと、この所色々考えている。農の会の、「地場・旬・自給」のことだ。これを3つの色に置き換えて、一つの点として、表現してみようと思った。点の筆触には、期待するものがある。言葉と同様に色々のことが託せると思っている。それを取り巻く、あいまいな形は、集まる人間であり、足柄という場、を表現している。取り囲む雲のような、曖昧ではあるが、美しいものだ。

絵の方もほぼ完成した。30枚ほど描いていて、3枚を出品する。どれにしようかと思っているところだ。いつもそうなのだが、こうして、選択しないで、箪笥にしまわれてしまった絵は無数にある。余計なことだが、この絵の保存用の箪笥は、私が理想と考えて、設計し、静岡の指物師さんにお願いして、作ったものだ。すばらしいものなので、いつか紹介する。

今回も、放棄された畑が、山にもどっていくところを描いている。今の今の日本を描いているつもりだ。これが無闇に美しくて、醜いならまだしも、日に日に自然に占拠されて行く姿は、どうしても美しく見える。柳田國男氏が人間の手が入った自然は美しいと、書いている。しかし、人間が何百年かけて、作った畑が、自然にもどってゆく姿も、又美しいのだ。哀れな美しさだが、悲しいような美しさだが、自然そのものより、私には強く伝わるものがある。

人によっては、手の入らない自然こそ美しいと、感じる人もいるだろう。北アルプスの白馬岳が美しい。知床の海岸が美しい。何故か今回はそういうところを描きたいとは思わなかった。動いているところに惹かれる。これはずーとそうなのだが、このある状態が、次の状態に変わる為に、戦いを起こすような瞬間がある。陸地と海が、戦う場所、岩場であったり、河口であったりする。この所に、凝縮された空間があると思っている。

人間が、何百年かけて構築したといっても、ビルや家などの崩壊過程は見るも無残だ。人が、自然と折り合いをつけようと、わずかに石を積んで、作った畑に、篠だけが入り、葛が入る。このときに凝縮された、人間の生きる姿を感じる。生きるということは悲しい事だが、涙ぐましいことだが、そのすさましいような姿が、自然によって洗われて行く様な気がするのだ。

どんな絵だか、見てみたい方は、水彩人展を是非ご覧下さい。私は4日(月)6日(水)7日(木)の午後は会場におります。
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