地場・旬・自給

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養鶏場の見学

2007-08-31 05:47:29 | 自然養鶏
火曜日の午後は、見学の日にしている。色々の方が、来てくれる。今週はブラジル人の男性と、日本人の女性の方が、二人できてくれた。鴨川の方で、農的な暮らしをしているそうだ。とても暖かい印象の方達で、気持ちの良い一日になった。作っている、蜂蜜をお土産にくれた。20箱ミツバチを飼っているそうだ。ミツバチはやって見たいと思いながら、ついに手がけられない一つだ。地元久野の養蜂家宮川さんに止められたことが一番だが、躊躇している間に、10年以上が経ってしまった。やはりやりたいと思ったときに、すぐに始めないと何もできないうちに終わってしまう。見学に見えたと行っても、養鶏を見てもらうと言う事もあるが、むしろ、話を色々聞かせてもらうことが多いい。これが大抵は実に面白いんだ。今の時代に自然養鶏に関心を持つ人というのは、自分の生き方を持っている。

ブラジルの奥地で暮す小さな家族に可能な養鶏の形を、捜したいと言われる。これは面白いと思って、あれこれ方法を話した。生活から出るごみも全く違う。何をエサにするか。色々な木の実や草の実があるらしい。それは、現地で捜せば、きっと面白いことになるに違いない。いずれにしても、試行錯誤してみることだろう。アマゾンの奥の小さな集落の、輪のように広がる集落形態の話があった。中央に広場があり、それを取り囲むように、建物がある。その周りに、畑がある。そして、その更に周辺には果樹のようなものが植えられる。そして、ジャアングルに成る。家畜を飼うと言う習慣がない。そこに鶏が加わるとどうなるか。小さな集落が崩壊し、街へ出るそうだ。そしてスラムに住むようになる。世界共通の暮らしの崩壊現象。アマゾンへ行って試してみたいぐらいだが。蜂を飼う事も出来ないのだから、無理なことだ。

日本人の女性は金沢出身の方だと言うので、先週は同窓会で金沢に行ったと言う話になったら、何と大学の後輩の方だった。更に親近感を深めた。私の本を購入したのが、宇都宮書店と言う金沢の本屋さんだったそうだ。私もよく行った本屋さんだ。びっしりとポルトガル語が書き込まれていて、こんなに苦労して読んでくださったと思うと、嬉しくなる。言葉をこれで覚えたと言われる。普通に日本語を話される。すごい事だ。説明しがたいブラジルの話になると、2人でポルトガル語で話される。ポルトガル語を話される日本人と言うのもすごい。「百+1」農場と言うから、この+1が奥が深そうだ。ブラジルの話を聞いていても、文化人類学をされているのかと思った。

見学を続けているお陰で、素晴しい出会いが、今までも何度もあった。何百人との出会いをいただけた。自然養鶏の嘘偽りのない姿を見てもらいたい。ささやかなものではあるが、こうしたやり方で、養鶏をやることが可能なのだ。と言う実際を見てもらいたい。業として始めて20年になるが、それでも今だ、不可能だと言う人が居る。自分の目で見ていても、その考えを捨てようとしない。そう、有機農業を業として行う事も不可能だと決め付ける人が、相変わらず多数派だ。特殊解だと言うのだ。そうじゃなくて、むしろ自分の暮らしとしては、ずっと楽だから、自然養鶏をやっているんです。有機農業をやっているんです、と言う事を知ってもらいたい。それには、有機農業の技を、誰にでも可能などこでも応用が効く、再現可能「技術」にする事が大切だと思う。
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ブッシュ大統領の歴史観

2007-08-30 03:56:59 | Peace Cafe
ブッシュ大統領が、大変な日本の歴史発言をした。退役軍人の会合と言う事で、本音が出たのだろう。長いので引用できないが、こんな粗雑な、世界観の人間が、世界を暴力で牛耳ろうとしている。まことに恐ろしい。日本政府は早速抗議をしなければならない。最近、フランスのサルコジ大統領も粗雑な発言が多いい、いずれも世界をリードしてゆく自覚がないとしか思えない。としても、日本の安倍政権はブッシュ大統領発言に、すばやく反応が出来ない。さらに情けない状況のようだ。自分の内閣の人事で、他所の大統領の発言まで、反応できる感性の余裕がない。こんな状況を見れば確かに、ブッシュの言う事に一利ないともいえないが、それは戦前戦後を問わずのことで、日本人の民主化は相当遅れている。遅れているから、愚かなブッシュに追随した。

イラク侵攻がどれほど馬鹿げていたかを思えば、アルカイダと比較すべきなのは、むしろブッシュアメリカだろう。いまや、イラクのテロを引き起こしているのはアメリカと言う事だろう。今の泥沼状況が予測できなかったのは、ベトナムでの、学習が全くないからだ。ベトナム戦争でさえ、アジアでの勝利に加えているようだから、話にもならない。こんな知性のない、幼稚な人間が、大統領に成る国が、世界一の軍事大国と言う事が恐ろしい。アメリカが武力を捨てることが、世界平和に一番近い道だ。アメリカは100人に90丁の武器を持つ国だそうだ。はるかダントツの世界1だ。憲法9条を日本にもたらした国とは、到底思えない状況だ。

アメリカと言う国は底抜けに善良な部分も確かにある。どうもこの善良が裏目に出ると、大変な暴力国家に変貌する。アメリカでは124名の死刑囚が、実は冤罪だったと言う事で、最近無罪になったらしい。なんと言う国だ。これは耐え難い恐ろしさだ。アグネスティーは何をしていたのだろう。どうも粗雑な陪審員制度で、冤罪が続出しているらしい。こんな国家による殺人の国は、フセインとどこが違うのだろう。この数からして、何千人の人が、冤罪で死刑になっている可能性が高い。これでは北朝鮮を批判できない状況ではないか。確かに民主主義国家ではあるのだが、様々な杜撰さも共存する。このとんでもない杜撰の象徴が、ブッシュ政権だ。

日本の天皇制批判もしてくれた。[国家宗教の神道が狂信的すぎ、天皇に根ざしていることから、民主化は成功しないという批判があった。]日本の軍国主義は天皇制を背景にした。明治以来の富国強兵政策に起因する。この歴史観は間違いとは言えない。しかし、この狂信的な軍国主義への道を歩ませたのは、同時に欧米の帝国主義的アジアの搾取でもあった。だからと言って、日本の脱アジアの近代化路線を肯定する訳ではないが、世界史は一面的に捉えても、真実は見えない。イラク、および中東を単純なイスラム原理主義の狂信から、テロ国家になった。などと考えて、侵攻するから、今の泥沼状況になる。日本人等しく、平和的手段で国際紛争を解決する義務を負っている。狂信的ブッシュに意見を言えるのも、日本の役割だろう。インド洋での燃料補給など、やっている事態ではなくなっている。
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農相に遠藤武彦氏

2007-08-29 06:03:47 | Peace Cafe
農相に遠藤武彦氏がなった。米沢の方らしい。「これだけはこないほうがいいくらい」と言う新任会見で、ビックリさせた。しかし、経歴を見れば、他のポストなら来て欲しくても来なかった人だろう。たたき上げ、地方農業族代表のような人だ。地方農政重視そのものだ。「市場開放を最小限にとどめる。」これを第一の農業政策に掲げている人だ。たぶんこれだけ具体的に農業政策を上げている議員は他には居なかっただろう。気が付いていなかった。所がこの農業政策論が、まるで自民党我田引水論で、小泉から安倍政権も受け継いだ、新農政の精神をまるで無視している。この辺の2面性が、今後どんな乖離をもたらすのだろうか。

遠藤氏のような、地方の農業関係者は多い。たぶん殆どだ。しかし、この遠藤氏が大いに押した、参議院選挙の自民党候補は大差で敗北している訳だ。当の山形の米沢の支持基盤ですら、遠藤氏の農業政策を支持しなかった。従来の農業政策では、駄目だと言う、憤慨の悲鳴が、満ち満ちているはずだ。地元向きの建前では鉢巻をして、「WTO・EPA・FTAなど、農産物の市場開放を最小限にとどめる。」など言っているのだ。そのようにホームページに書いてある。しかし、農業基本政策小委員会 委員長としては、そんな発言はしていないはずだ。そんな発言をしているなら、あんな自民党の農業基本政策にならないだろうし、遠藤氏が農水大臣にもならないだろう。

バイオエタノールの製造支援、えさ米への転換、中国・台湾などへの輸出の拡大支援。これが遠藤氏の農業政策です。何と物足りない発想でしょう。24日答申のあった、株式会社の農地利用の自由化について、遠藤氏はどう考えているかも聞きたい。遠藤氏なら、日本農業の行く末が、どの位困難かよくよく知っているはずだ。その方策が、「バイオエタノールの製造支援、えさ米への転換、中国・台湾などへの輸出の拡大支援」しか思いつかない。現場を知っているだけに、具体的展望が持てないのが本音だろう。だから、このポストだけは来て欲しくなかったと言う事か。今までの嘘がバレル。

バイオエタノールが日本の農業の可能性になると、もし本気で考えているなら、恐ろしい農水大臣だ。今、日本農業の第一目標は「自給率の向上」だ。ついに40%を切った。しかも、上昇させる手段が打ち出せない。バイオエタノールなど農水が支援すれば、更に自給率が下がる。日本の農地で、バイオエタノールなど生産しても、全くコスト的にも無理だ。もし、企業が「政府の補助金」があるからというので、優良農地で、バイオエタノールの生産でも始めたら、これは恐ろしいことになる。せめて、これだけはやらないで欲しい。
現在すぐにでも農業可能な土地の10%が耕作されていない。もしこの土地で有効に農業が行われるなら、自給率は間違いなく、向上する。問題は、担い手だ。農業の未来が明るく、分かり易く展望できるようにすることが、政府のやることだ。既得権の擁護だけでは駄目なのだ。
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ことしの雑草と蓮池

2007-08-28 06:39:56 | 自給
今年は草に敗北した。コントロールを失い、一時茂に任せざるえなかった。特に竹薮跡の中段が、草にやられた。だいずを栽培した所は、まるで草原になっていた。暑さの言い訳があるので、まあそう言う事だ。舟原田んぼの周辺も結構大変だったが、近所の皆さんの目があるので、そうほっとけなかった。私としてはそこそこ許容範囲と思っているが、近所のゴルフ場のグリーンのように、刈り込んだ畦を見ると、あれでも駄目なんだとは感じる。田んぼの畦は3回草刈をした。この後1回。年に5回はやらないといけない。畦は1時間程度だから、まあそれでも済む。養鶏場は草刈の面積が広いし、竹がすぐ入るので、極めて大変。先日ついに、コッコ牧場の皆さんでやってもらった。幸い、雨交じりの涼しい日だったので、案外早く終わることが出来た。それから、少し涼しい時に家周りをやっている。

先日、穂田さんに種をつける前にやれば、たいした手間にならない。一度来てやろうか。と言われた。以前、石綿さんにもやってやろうか。と言われた。これは恐い。先日は、いつも草刈に熱心なお隣が、私のところの一部をやってくれた。草の種が飛んでくるので、やってもらいたいと言う事だと思う。それから必死でやっているのだけれど。まだ草に勝ったと言うところまでは行っていない。しかし、私は、草ボウボウは好きだ。この草の活力を見ていると、なんとも言えない喜びを感じる。だからせめて家周りは、草と共存した、畑にしたいのだ。自然農と言うと何かほって置く農法のようだが、大変知恵のいるやり方だと思う。手間暇は、草を刈ってしまう、あるいは抜いてしまう。それならまだ簡単だ。草と共存して、畑をやると言うのが、どれほど効率が悪いか。つい草に負けてコントロールを失う。

その点、田んぼは好きだ。コントロールの範囲で済むからだ。水を上手く調整してやることで、草の出は明らかに畑とは違う。福岡さんまではいけないでも、自分の始末の中で収まる。同じ事で蓮池はいい。そこはほっておける状態が作られている。特に草取りに入るわけではない。ヒエ、コナギ、オモダカはわざわざ生やしてある。姿も花もいいのだが、ただ観察している。じっくり時間をかけて、生えてくる所から、枯れるまでを眺めている。蓮も、一部去年のものを残しておいて、自然に生えてくるに任せている。それでそこそこ全体に広がった。水というものはすごい能力がある。水のありがたさだ。以前、ブータンだかネパールの田んぼで、これから食べるので、田んぼにお米を取りに行く姿があった。あれが私の理想だ。

地方に行けば行くほど、庭を人工的にするようだ。自然の山と隔絶していないと、庭にならない。草を見ているぐらいなら、野良を見ているようなものだ。都会に行くと山そのものが、庭に来た様にする。もちろんこれは最近の庭造りの傾向で、昔のように黒木を刈り込むような、庭を好む人はめったにいなくなった。雑木の庭。柳田國男氏の成城学園の庭は、自然のままだったそうだ。手を入れない自然を楽しんだそうだ。私も真似をしているのだが、単なる不精モンにしか見えないところが、残念な所だ。私の程度なりに、畑の庭にしたい。ここがちょっと欲張りな夢なので、苦労している。その日食べる野菜ぐらい、庭に行けばあるというようにしたいのだ。野菜とまでは行かないでも、食べられる雑草ぐらいでも我慢する。秋から再挑戦に入るつもりだ。
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山口小夜子さんの死去

2007-08-27 09:53:50 | 身辺雑記
山口小夜子さんは同年代だ。大昔、パリで何度かお見掛けした。私の暮していたアパートは、実に不思議な場所だった。サンフロランタン通りに面していて、サントノーレ通りからドーモ広場に抜ける賑やかな通りだ。実はここは娼婦の家で、それをカモフラージュする為に、外国人に貸していた。何年か前に通って見たら、一回に羊羹のとらやがあったので驚いた。虎屋の上の5階に住んでいた訳だ。ボザールに美術学校に通っていたので、セーヌ川を挿んで反対側と言う事になる。学校には毎日勤勉に行っていたので、行き帰りどこを通ろうかと言う事になる。ルーブルの中を抜ける近回りもあって、かなりの頻度で通った。オランジェリーもそばと言う事で、よく休みに行った。時に、サントノーレ通りを回って帰る事がある。画廊が沢山ある通りなのだ。衣料品のお店も沢山あって、そこに、高田賢三氏のお店があった。

そのお店は、ちょっとコの字に通りから回り込んだところだったが、通るとわざわざ回って見た。ファッションなど全く興味が無かったのだけれど、隣の部屋に暮していた。Kさんというかたが、デザイナーの方だった。その人が親切に門外漢の私を、案内してくれたのだ。kさんは足が悪かったので、あちこちと一回りする時に一緒について行ったりもした。それでファッションデザインという世界に、関心が開かれた。賢三さんのお店は素材がすごいのだ。今では結構普通に成った、素材そのものを感じさせる、デザインが目立った。その頃、山口小夜子さんが、パリで一番のモデルに選ばれた。そうしたコレクションにも当然Kさんは出かけていたので、山口さんがすごいという話を何度も聞かせてくれた。室町のようないでたちで登場するのだそうだ。それで、賢三さんのお店で2,3度見かけた。なるほど、オーラを放っていた。

でも私は三宅一成氏の方が好きだった。その頃は山本寛斎氏の事は気づかなかった。ともかく日本人のデザイナーがパリで活躍する。そのことは嬉しかった。そうだ、頭髪のデザイナーも日本人のすごくい人がいて、ボーグの表紙を飾る女優さんのかみを、日本人の方がやっていた。何と私はその人に頭を刈って貰ったことがある。カトリーヌドヌーブやミレーヌダルクをやる人が、私の汚い頭を刈ったのだ。日本人も絵を描くの、と言うぐらい日本人の位置は低い状況だったので、藤田がいるというぐらいで、日本の絵画に関心を持つ、ボザールの学生はいなかった。その中で、山口さんの活躍は、何となく誇らしかった。

最近ではパリのファッションショウにでる人も結構いるようだ。と言って、山口氏のように、表現者として、出て行っているわけではない。山口氏がいたから、パリでの日本人デザイナーの活躍は始まったといわれていた。日本人らしさが、個性として表現される。その為には山口さんの存在は不可欠だった。その頃考えていた。「よりナショナルな物こそ、インターナショナルだ。」その言葉を久し振りに思い出した。それは、棟方志功さんの作品がセンセーショナルな高い評価で迎えられ、東山魁夷さんが、評価なしだった。展覧会には人影も無く、石の壁に弱弱しく掛けられていたのが、印象的だった。本当の世界に通用する文化というのは、土から生まれてくるような、根の張ったものだと言う事を理解した。カヨ子さんの話だと、山口氏が楊先生の太極拳の教室に見えたとき、「今日は良い空気を感じさせてもらいました。」そう挨拶したそうだ。
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北陸の稲とJAS有機認証制度

2007-08-26 17:05:03 | 稲作
昨日、金沢に行った。金沢の町の変貌は、驚くほどのものがあり、待ちに人が溢れていた。6年ぶりにもと大学キャンパスだった、金沢城公園にも行って見た。自分が毎日暮した場所がこうも変わると、衝撃がある。色々感ずることもあったが、こちらは後日。行きは米原経由。帰りは越後湯沢経由。一回りしてきた。どこも稲が黄金色に変わり始めていた。福井辺りは早くも稲刈りをしていた。最近、すっかりと田んぼにはまっているので、窓からの稲の様子が、気になってしょうがなかった。出来はどこもいいうようだ。福井では随分倒れている田んぼもある。それにしても穂が溢れんばかりの田んぼが多く。米所はさすがに違うと思う。足柄平野では、せいぜい数名が畝取りをする。北陸では、普通畝取りという感じだ。この辺何が違うのか良く分からないが、田んぼの様子が、まるで違うのは、久野辺りの田んぼを見ながら、ちょっとショックを受けたくらいだ。

鯖江市も当然通った。田んぼを見ながら藤本農園の有機認証詐称問題を憂鬱な気持ちで、考えた。昨年までの藤本農園の圃場構成は自称、以下の通り。・有機栽培25町歩・無施肥・無農薬栽培15町歩(最長6年間)・作業受託の慣行栽培圃場における各種作業。どんな耕作をしているのか、どんな考えでこれほどの広大な田んぼを有機栽培でやっているのか。いつも気になっていた。有機農法は有利販売を主目的にしたものではない。有機農法は哲学思想の背景がないと、継続は難しい。現在の有機認証制度は、生産者がごまかそうと思えば幾らでもごまかせる。各農場に抜き打ち的につき1回の調査に入るぐらいの事は最低でも行わなければ、ごまかしが起きた時に、見抜くことなど出来ない。

藤本農園は現在、圃場に民間稲作研究会のJAS有機の認証機関の看板が立てられている。どのような対応をされるか、認証機関の対応も含め今後の様子を、注視する必要がある。そもそもJAS法は、生産者の善意の上にできている。生産者が間違うことや、しらないという事はあっても、意図的な不正を予測していない。不正に対応できるほど、認証機関に実力がないし、人材もない。では何でこうしたバカバカしい、JAS法が出来たかといえば、輸入有機農産物のためだ。海外の生産者の為の法律だ。少なくとも、あしがら農の会のように地域で、共に暮してゆく仲間として、いつでも消費者が見ることが出来る条件では、高い認証料をかけて、書類のために無駄な時間を費やして。JAS法などやる意味はまったくない。

どこの田んぼもスズメの対策などしていない。これも、越後湯沢周辺まで来て、初めてあの光るテープを見かけたくらいだ。広大な面積をやれば、さすがのスズメもどこかに集中する訳に行かないのだろう。都市近郊の小面積の田んぼという、辛さが、足柄地域にはある。田んぼはすでに水が切られていた。倒れた田んぼが多いい北陸地方では、コンバインで刈るためには、徹底して水を切る必要があるだろう。耕作しない田んぼが減り、奨励の大豆栽培が結構広がっていた。一面の大豆がどのようなものか。始めて見るとこれはこれですごいものだ。雪が少なかったので、水不足が心配されていたが、その点では無事乗り切ったようだ。頼りの北陸4県が豊作。瑞穂の国、日本。一先ず安心できそうだ。
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案山子

2007-08-25 06:01:47 | 自給
いよいよ田んぼでは穂揃いの時期だ。今年は稲にとっては乱高下する、前代未聞の天気の推移だった。苗代での種蒔き後の低温傾向、田植え後の晴天続きの高温、分結を期待した7月に低温日照不足。それからの高温と晴天。結局それなりの稲作になってきた。かなり軸の太いがっしりした、しかも穂数平均18のスッキリしたいい稲の姿だ。出た穂も大きいほうだ。あれこれ、対応で気苦労はあったが、順調な経過になっている。この時期いつも頭を悩ましてきたのが、スズメ。昨年までの坊所では、ひどい年は3分の一は食べられた。一度頭を下げた穂が、段々に立ち上がった。稲刈りの時に、地面が籾で真っ白だった。この時の精神的ダメージは大きかった。田んぼに行く都度、グアーングアーンと唸るような羽音で一斉に飛び立つ。それでも最初の頃は竹ざおを振り回して、追っていた。もう最後は、田んぼに行くのが辛くて、行けなかった。

狭い田んぼなら、ネットを張る所だが、2反一枚で、ほぼ四角。そんな大きいネットはないだろう。在っても張る技術がない。紐なら色々張った。光るテープ。黄色の蛍光色。赤もやった。黒いビニールの旗もやった。どれも一時の事で、慣れが早いか遅いかだけ。結局は取り付いてしまう。今度の舟原は坊所ほどではないが、それなりにスズメはいる。スズメ対策の結論は、案山子だ。但し、案山子と言っても、風船叔父さんがいい。これを動くようにするのだ。しなう竹の先にぶる下げる。風でゆらゆら、ぐるぐる動く。出来るだけリアルなものがいい。特に重要なことは、立ててやるタイミングだ。案山子で防げるか。と思う所だが、一番効果が高かったのだ。

スズメも毎日の食生活。なかなか賢いし、用心深い。先ず、よそより早く出穂させては駄目。一度餌場にした田んぼからはなかなか離れない。無農薬のお米の方が好き。同じ条件なら、無農薬に来る。そんな馬鹿なと思うかもしれないが、長年の観察結果で、その傾向は間違いなくある。同じ品種になるなら、他所より種蒔きを遅くする、早稲は作らない。と言っても結局は来るので、この他所から回ってくるタイミングを見定める。スズメは、最初は用心深く度胸のある先発隊が来る。何羽かが度胸を決めて食べ始めると、スズメ算で増え始める。早く立てるのは、最悪。勝負は2週間ぐらいだから。ともかく、慣れる前に稲が進むようにする。今年は昨日立てた。穂揃いが19日だったけれど。なかなか来なかったので、立てなかったのだ。

子供の頃村では、秋口に谷間全体のスズメ追いをやった。2キロぐらいある集落のフジヌタ村の一番下から、追い上げるのだ。扇状地上の集落だったから、上に行けば、狭くなる。一番上の大久保境に霞網を一面に張っておく。村総出で声を上げながら、追い上げる。そのスズメの数は、すごい。何千羽だろう。むらの一番上にあった我が家のところを通り過ぎる頃には、あたり一面のスズメが通過して行く。もう少しで霞網の所だとも知らずに、案外のんきそうなスズメ達だった。スズメは甲府の焼き鳥屋で買ってくれると言う事だった。
ついに昨日の朝、隣の田んぼの淵まで来て、偵察隊の30羽ぐらいの群れが様子を伺っていた。油断がならない。最後の頼りが案山子だ。3つ立てた。これを時どきに位置を変える。いかにも、作業をしているように感じさせないといけない。この風船叔父さんの顔がすごいのだが、この顔でスズメが逃げるというが、それはどうだろう。
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シベリアの抑留

2007-08-24 06:37:19 | Peace Cafe
親しく接した方に、4人のシベリア抑留体験のある方がいる。一人は最初に私に絵の事を教えてくれた。加藤嘉夫先生。私が、世田谷学園で教師をするきっかけになった。暗い地肌の抽象画を描かれていて、陶器で作った地雷のようなものを、油絵の画面に貼り付けていた。直接は言われなかったが、その絵がシベリアというか、戦争体験を語っていた。もう一人が、その世田谷学園の英語の教師だった。横井先生。極めて難解な方で、その難解さはシベリア抑留体験から、生まれたように思えた。そして、父の友人だった。榎並さん。清水建設で現場監督をされていたかただ。一番シベリア体験の本当の所を聞かせてくれた方だ。ドイツ兵の毅然とした、態度を高く評価し、日本人のロシア人に擦り寄る情けない態度を、いつも憤慨して話してくれた。それに引き換えロシア人の庶民の暖かさが格別だった事も。

そもそもロシアという国は許しがたい国家だ。戦勝国だからと言って、満州にいた、ロシアにいた訳ではない、日本兵を無理やりシベリアに抑留し、強制労働をさせた。こんな事が国際法上許される事なのだろうか。公式には民間人を含む65万人が抑留され、1割の6万人が死亡した、とされるが、200万人が抑留され、34万人が死亡したと言う事も言われる。帰還した人は47万人。捕虜には共産主義教育が、行われ、共産化したと見られる者を、日本人の管理に当らせた。その日本人のなかにはそのまま日本に帰れなくなった者も多いい。残るもう一人の抑留者は樺太から抑留された人だ。まだ、お元気で、ロシア人への怒りは強く。ご夫婦で樺太生まれではあるが、2度と行きたくないと言われている。ロシア人の行った暴虐行為について、色々話してくださった。

帝政ロシア時代からすでにあったラーゲリ(一般強制労働収容所)に送られた。その内容はソルジェニーツインの「収容所群島」に詳しい。元シベリア抑留者、政府に激怒 遅れる慰労品、書状突き返す。戦後のシベリア抑留者や海外引き揚げ者を対象にした総務省所管の「特別記念事業」に批判の声があがっている。旅行券や銀杯などの「慰労品」を贈る事業だが、春に申請してもまだ品物が届かない事例が少なくなく、やっと届いても同封されるカードに安倍首相の名前も交付の日付もない。「あまりに誠意がなさすぎる」と元抑留者たちが22日、官邸にカードを突き返した。 国際法上は捕虜が労働を課された場合は、所属国日本政府が賃金を払わなくてはならない。しかし、最高裁で日本政府の補償は否定される。シベリア抑留の法的な処理が、どこに責任の所在があるかが、不明瞭なのだ。最高裁の判断では、日本政府には補償の義務はないという。

シベリアに抑留された人に対する、国家の道義的な責任も無いと言えようか。もし、ロシア政府が、賠償としての労働だとするなら、個人がその責務を負うので無く日本政府が、負うべきものであろう。こうした背景があり、様々な形で踏みにじられてきた、シベリア抑留者に対し、無神経な「慰労品」を贈る事業が行われている。
シベリア抑留歌人宮城県栗原市栗駒在住の歌人千葉徹夫氏
「 敗れたたる国の兵なり言挙げず吹雪の中に樹を切りつづく」 徹夫
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農地の貸借

2007-08-23 05:31:30 | あしがら農の会
企業の農地借用、来年度にも自由化…戦後農政を転換へ:農林水産省は22日、企業の農業参入を促進するため、株式会社などによる農地の借り入れ制限を原則撤廃する方向で検討に入った。指定区域の条件を撤廃し、優良農地の貸し出しも認める。また、企業が安定して農業経営をできるように、農地を20年程度の長期にわたって借りられる定期借地権制度も導入する。企業が借りている農地の面積は595ヘクタールと全農地の0・01%程度に過ぎず、制度活用が課題となっていた。読売新聞
こうしたニュースというのは、どこから取材するのだろう。農水省の記者発表にはない情報だ。他の報道機関も触れていない。第4回農地政策に関する有識者会議・第8回専門部会が8月24日に開かれるというから、ここでの資料がもれて来ているのだろうか。有識者会議で何でも決める方式。これもいいのかどうか。小田原市行政のように、有識者会議も無くて、担当の係りレベルで、決めてしまうというよりはましか。

農水省では「食糧安保課」を新設するという。自給率低下に危機感が高まっている。今のままで、今の農業政策で、自給率が向上するなど、誰も考えていない。その意味でも企業が農業に参入する。そのこと自体は悪い事ではない。先に行き詰まった林業は、更に深刻な事態となっているらしい。林業家が山を持ちこたえられなくなっていて、そうした土地を企業が購入してくれるらしい。大きな林業家はそもそも企業であって、別段珍しいことではないが、林業以外からの参入と言う事が始まっていると言う。お金が余っている所には余っている。良く理解できないのは企業がと言う事は、株式会社と言う事で、個人ではない。個人は駄目で、株式会社なら、許されるという、法的な平等性の根拠はあるのだろうか。

企業が農地を借りて、例えば農業以外の目的に使用してしまった場合。よくある例としては、残土置き場や、作業施設。そして、その企業が倒産してしまう場合。後処理は出来るのだろうか。産廃業者の倒産。先日、銚子での産廃業者に対する、県の許可が、経営できる財政力がないという事で、業者敗訴の判決が出た。銀行ですら、貸付の焦げ付きがあるぐらいだ。県の担当部署に、企業の経営状態までも審査する能力はない。企業でも大企業なら安心として。大企業なら日本で農業はやらない。ベトナムとかを選択するだろう。日本で農業をするだろう企業は、本業に冬中心のムラのある業種と言う事か。そもそも、企業が農業法人資格を取得することは可能だ。それではいけない理由は何かあるのだろうか。

こうした企業の進出の背景に、農地を農業以外の利用に道を開こうという流れを感じる。例えば、バイオエタノール。食糧生産ではなく工業生産と考えるべき内容。日本の農地で行うべきでない事業。今回の有識者の考えは、定期借地権と言う事らしい。農地の定期借地権というと、まるで、中国の土地の企業利用に道を開いた方式のと同じだ。借地と言いながらも、売買の別方式というほうが正しい。小田原市では駅前の所有の土地を、企業に定期借地権で貸し出す。そこに企業がビルを建てる。そのビルを企業は証券化して販売するという。同じような事が農地でも起きないか。農地を投資の材料に転換してしまう。もっと率直に考えれば、これが第一段階で、農家側で企業所有に慣れた所で、土地の企業購入に道を開くと言う事になるだろう。
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「耕地中」での環境の集まり

2007-08-22 07:37:22 | Peace Cafe
昨夜、ピースカフェの仲間の志村さんから教えていただいた。「耕地中」というカフェレストランでの集まりに参加した。20代のと思われる人達が、集まっていた。「30秒で世界を変えちゃう新聞」の配布で集まった仲間だそうだ。それを聞いて、なるほどと何となく理解できた。この企画賛否両論を聞いてはいたけど、こうやって配布が終わってからも何かやりたいという、思いが継続している。私たち団塊世代には想像もつかなかった、展開で、目を開かされる体験だった。興味深かったのは、個性的な、あるいは人間的な青年達だった。それぞれが違っている。当たり前の事だけど、人前で自分を表現する事が普通に出来る、青年達に出会うと言う事はすくない。

「耕地中」という不思議な名前のカフェレストラン、耕地中は中曽根にある地名だ。このお店の前は実は、卵の配達の途中、週に2回必ず通る。もう何年もそういう習慣だったけど、入った事はなかった。構えが入りにくい店なのだ。喫茶店に入ると言う事が、先ずないので、それもあるけれど、住宅地の中に、大げさなお店なのだ。話から、志村さんと同年代の方が、やられているのだと思い込んでいたのだけれど、実は年配の女性がやられていた。お店の中は、ある意味ありがちな、装飾過多な、すごく意味不明な空間が占めている。玄関を入ると、大きな螺旋階段があり、その階段を取り囲むように、西洋陶器風の、あるいはアンティク風のあれやこれやで埋め尽くされている。ここで、大抵の人はしり込みをするだろう。それでもう一つ扉を明けた所が、お店のようだ。だから、外から見たほど巨大なお店ではなかったのだ。

集まりは自己紹介とやりたいことを話す会だった。余りに年齢差があるので、上手く適合するのはさすがに難しく、互いにぎこちなかったわけだが、沖縄出身の箱根の方で、マッサージの仕事をされている方。小さな子供を連れた、動物実験問題や、三宅島の珊瑚の復活を話されたお母さん。秦野の中学の先生でクリーンピース活動をされている先生とは思えない青年。ヨサコイソウラン祭り参加している、祭りのごみを考えている、集まりでは司会をしてくれた女性。そうだまだ名前はないが、この会の代表だそうだ。屋久島の縄文杉に会いに行く大学2年生。山高のバスケットボール部出身の若い女性。中では年齢が少し上の志村さん。横浜の自然住宅建築会社に勤め始めた青年。前回は20名位いたそうだ。この集まりが、何かに育ってくれることを祈っている。

9月15日のごみフォーラムの話をさせてもらった。興味を持ってくれた人がいてくれた。すごく嬉しかった。今この地域で起きているごみの枠組みの変化。こうしたことが、お祭りのごみをどうしようか。こう考えた時に、大きな影響を与える。お祭りのごみが、分別されていない。これをきちっとできないようでは、折角のお祭りが楽しくないじゃないか。祭りを環境を見直す機会にしたいというのは、農の会の祭りでもいつも話し合われることだ。こうした気持ちが、生かされるゴミ処理になるかどうかだろう。分別して、資源化する。それが溶融炉で全て混ぜこぜになって、燃やされるでは、ちょっとまずいだろう。大量消費社会が地球の破綻まで続くことになる。ごみがどうすれば減量化できるか。これは、今行政が取り組んでいる。広域ごみ処理の仕組みに、大きなウエートがかかっている。
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元サマワ派遣隊長、佐藤正久参議院議員の発言

2007-08-21 06:12:11 | Peace Cafe
「集団的自衛権に関する政府の有識者会合はPKO=国連平和維持活動を行う自衛隊に対して、憲法上できないとしてきた「駆けつけ警護」を認めるべきだ、という意見で一致しました。」 「その上で、正当防衛を超えるとして憲法違反とされるいわゆる「駆けつけ警護」は認めるべきだとする意見が相次ぎました。これは、味方である他国の軍隊が攻撃された場合、駆けつけて応戦するものです。」「自衛隊とオランダ軍が近くの地域で活動していたら、何らかの対応をやらなかったら、自衛隊に対する批判というものは、ものすごく出ると思います」「巻き込まれない限りは正当防衛・緊急避難の状況は作れませんから。目の前で苦しんでいる仲間がいる。普通に考えて手をさしのべるべきだという時は(警護 に)行ったと思うんですけどね。その代わり、日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」(以上はJNNの取材に答えた、佐藤正久参議院議員の発言である。

イラク派兵を即刻やめないと危険だ。まだ、空自は輸送任務についている。つまらない戦争に、自衛官の意図的な暴走によって、巻き込まれると言う事になる。今のイラクの状態は、当のアメリカですら、手に負えずに、どうやって引き上げるかを、模索している状態だ。佐藤氏は参議院選挙に当選し、国会の前で、長らく最敬礼していた。全自衛隊員の象徴であり、誇りのつもりなのだ。佐藤氏個人の武士道的潔さを、大いに示そうとした発言なのだろう。安倍首相の作る有識者会議とやらが、憲法解釈を更に広げようとしている所だ。「PKO活動の自衛隊の駆けつけ警護は憲法解釈上可能」現場の自衛官からの、この考えに呼応した意見表明のつもりだろう。

佐藤氏の国会登院最敬礼は、いかにも全自衛隊の屈辱を晴らして、又その意思を反映し国会に登院する、という気持ちの表れであったろう。盧溝橋で暴発し、日本を戦争に巻き込んで行った、関東軍と同様の発想である。大東亜共栄圏という、西欧の暴虐から、アジアの民を救済する正義の戦いである。その為には、何らかの戦闘事態を演出しなくてはならない。シビリアンコントロールへの挑戦だ。もし、佐藤氏が望む事態が、サマワで起きたとする。オランダ軍の危機を見事に救い、水道建設、道路作り、という「さえない」と感じる任務だった派遣部隊が、英雄視される。こうして自衛隊の武力的存在意義を主張できる、と考えていたのだろう。自衛隊の使ってはならない、小火器が、使ってもいい兵力に変わる。

イラクの派兵は、当のアメリカですら、間違っていたという考えが、大勢を占めてきた。軍事力で、国際紛争が解決できないという、繰り返しの証明。独裁者が人権および、隣国への問題行為があり、何とかしなければならない、こう言う事はある。フセインもその一例であったろう。しかし、軍事力を持って、押しつぶしても必ず、独裁者を生み出した根源、構成する人間、社会的状況が変わらない以上。問題は再度噴出してくる。新たな独裁的暴力として、アメリカが介入しても、問題の質が変わるだけで、問題の深刻化は避けられない。アフガニスタンのタリバンの復活などみると、暴力による国際紛争の解決は、不可能なことが良く分かる。確かに日本国憲法のいう、平和的手段は、いかにも頼りないが、これしか方法がないのだ。佐藤氏のような誤った英雄主義が、どのように扱われるか、着目しなければならない。
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ごみの民主主義

2007-08-20 07:32:08 | 環境関連
18日にごみ広域化についての勉強会があった。『神奈川県ごみ処理広域化計画の概要(平成10年3月策定)』には、計画の期間として、平成10 年度から平成19 年度までの10 か年とし、期間内に広域化実施計画の策定をめざす。とされています。もう時間はありません。この計画は150億円から200億円の予算がかかるかもしれない、巨大事業になります。これは市民が、毎年1万円の負担増と言う事になります。この実施計画が、市議会に対しても、市民に対しても、具体的な所は何も示されていません。迷惑施設の計画は行政が素案を作るまで、一切公表しないで、進めることを小田原市の方針としているからです。この市の方針は明らかに県行政がこの広域化計画の中で示した。行政と事業者と県民が共同して進めるとした、考えから外れています。

市民に対する、不信感が小田原市の中枢に、根強くはびこっている。「市民は利己的で、何でも反対するから、情報が漏れれば、いい事はない。」こう考えているのでしょう。こんな行政が今どきあるでしょうか。市民参加とか、建前では言いながら、自治会中心の上意下達の行政の古臭い有り方が、こういう形で現れています。この間20回も小田原市の環境政策課に行っています。一年半ほど前から対応が変わりました。市民には一切情報を伝えない方針を決定したようです。「もう来ないでくれ、来ても何も話せない。」職員が私にこう宣言しました。それ以来行っておりません。

ごみの事を考えてゆくと、民主主義に突き当たります。誰でも出します。他人事には出来ません。どのように処理するかは、暮し方の問題です。国の方針と、地方公共団体の自立性の問題もあります。ごみ処理は市の専権事項になっています。又大きくは地球全体でごみを減らすという、大前提があります。めんどくさいから、とか、経済効率的に、燃やすのが一番いいのだと考えても、そんな考えの国はこの先許されなくなります。小田原市行政の考える、信用が出来ない「市民」一人一人が変わる以外、ごみには解決がないという、民主的な重大な問題があります。身勝手で駄目な市民だと思うなら、どうやってそうじゃない市民になってもらうかの、すごくいいテーマです。ごみの民主主義を、そこから市民が変わってゆく。そんな機会にできないものだろうか。

ごみの半分は生ごみです。これは地域によっては、全く出さないでもすむ、農村部もあります。生ごみを出さない人には、何らかの恩恵があってもいいはずです。更に残りの半分が紙ごみです。この中の半分は事業系と思われます。事業系のごみは本来行政に処理をする責任はない。事業系ごみは多いい地域では18%ぐらい家庭ごみに混入してくるという、データーもあります。ごみには努力する者が、有利になるという、経済的な流れも必要です。家庭ごみを有料化したら、事業系のごみの混入がなくなったという、データーもあります。手間暇をかけて分別したら、節約できる。こういう仕組みも必要です。戸別収集をやることで、ごみの減量化が出来た、地域もあります。収集を止めて、ステーション持込のみにして、減量化した地域もあります。ごみを集めたり、分別する仕事を、増やすことで、燃やす量が減るなら、経済性だけで考えないほうがいい側面もあります。

いずれにしても、ごみは小さい領域で考えれるほど、減らすことができます。
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水彩画の構図

2007-08-19 06:27:17 | 水彩画
絵画の構図について、もう少し考えて見る。日本画がデザイン的である、という所から、そもそもデザインという呼ばれ方は、何を意味しているのか。配置するというような、意味合いから、意匠性と言う事になる。装飾という目的に向けて、配置すること。絵を描く人が、デザインというと、概ね否定的なニュアンスを含んでいる。これは私たちの世代で言えば、小林秀男の『近代絵画』の影響が強いと思う。つまり、芸術というのは個人の自己表現。内なる自己を搾り出して、他に対し表現するのが絵画だと。デザインは他者の目を配慮して、あるいは主目的化して、意匠化するところに、芸術として考えれば目的性の純粋性がない。そんな感じなのだろうか。日本の伝統的絵画では、近代絵画で言う所の芸術をどのように考えていたのか。

用の美ということ、茶の湯や禅に見られる、精神世界との関係がある。琳派の絵画と、雪舟の絵画との違い。掛け軸というものがある。実に良く出来た形式だ。この独特の縦長の構図に当て込む、これこそ、日本的デザインの良く現れたものだ。床の間という前提がある。季節ごとに架け替えるという、風習がある。正月には正月のめでたさを、意匠化した絵画が、床の間という独自の空間にかけられなくてはならない。そもそも床の間の考案に、仕掛けがある。茶道から来た者だろうが、見立てると言う事がある。同じ部屋でも、何か濃密な場を見立てる。そこには、生活者が立ち入れない、不思議な改まる空間を作る。形式的な、様式化された場である事で、むしろ精神的な場を作り出す。それが、仏壇とは別個の世界であり、現世的な、生身が向かい合う扉である。

床の間の縦構図の掛け軸の、花鳥風月。そこでは構図的な創作意図は、すでに設定が完成している。原案があり、その原案になぞらえることが、絵師の仕事。あくまで職人に徹する事で、それは作業であり、創作ではない。しかし、そのとことんデザイン化された世界に、宇宙的な空間を、却って想像しようとする発想も存在する。掛け軸は文字の事もある。これは掛け軸に求められているものが、意味的なものであることの、表れでもある。めでたい鶴亀という絵を描く、用の美。個々に極端な縦構図で、風景を描く意図がある。写生とは違う、様式化した風景。観念化した風景。記号化した風景。

この予定調和のような、絵画世界の約束の崩壊が始まる時、意味性は崩れる。鶴亀がめでたいという約束がない人には、妙な組み合わせの風景画に見えるだけ。明治以降の絵画の展開は、約束事の社会的なものを、どのように個人のものに取り戻すかの苦闘。たぶん、日本的油彩画とか呼ばれる、岸田劉生、梅原龍三郎、中川一政、などの系譜はそのさらなる統合の事例なのだろう。掛け軸をもう一度新しい日本人に向けて、作ることが出来るのかを試していたような仕事。この時の、大きな拠り所が、動静と構造だったのではないか。日本的自然観から来る、自然の持つ力への反応。画面という個人世界に持ち込む時の解釈が、構造。このせめぎ合いに、各々人が現れてくる。せめぎ合わなければ、絵が作り出せない。絵という意味の変化。この不確定ではあるが、どこかに結論が見えそうな、世界である事が、今までの張り合いの在る絵画世界であったのかもしれない。
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本日、未熟者

2007-08-18 06:18:09 | 身辺雑記
野望はあるか 義はあるか 情はあるか 恥はあるか ラジオからの歌で驚いた。本日、未熟者というTOKIOの歌う、中島みゆきさんの作った歌だ。トキオというグループはダッシュ村で、時どき見る。丁度風呂屋のテレビでやっているのだ。何か親しみがある。ダッシュ村で以前ひよこを孵化して、育てたことがあった。そのやり方が、実に私が子供の頃、年寄りがやっていた方法なのだ。手抜きが少しも無くて、良く調べたとビックリしたことがある。先日そうめん作りをやっていた。その時に、当然麦を育てる所からやった訳だ。その精神がいいと思う。そうじゃないと面白くないし、肝心な所が見えない。以前のかまど作りも、今の時代のかまど作りの専門家が、ビックリしたと言っていた。

歌詞だ。「野望はあるか 義はあるか 情はあるか 恥はあるか 」この4つが揃うというのは、難しい。だから未熟者なのかな。などと、思ったわけだ。歌も、突きつけるようでいい。もちろんそれで、調べて中島みゆき氏だと分かったのだけど。なるほどと思った。歌はすごい力があるものなんだと再確認したのは、酒井泉水さんが亡くなられて、酒井さんの歌で救済されたという人が、沢山話しているのを聞いた。確かに「負けないで」と励ましてもらえるのは嬉しい。平原綾香さんの歌うジュピターの歌詞もすごいと思う。 「私のこの両手で 何ができるの? 痛みに触れさせて そっと目を閉じて 夢を失うよりも 悲しいことは 自分を信じてあげられないこと 愛を学ぶために 孤独があるなら 意味のないことなど 起こりはしない」吉元由美さんの作詞だ。

吉元由美氏が韓国の青年の輝きを、自分のブログに書いている。板門店の兵士の美しさだ。韓流と言う事がしばらく言われている。韓国人の素晴しさを、再認識することは、当然だけれども、その根底にあるものが、緊迫した日常にあるとしたら、その引き締まった苦悩を秘めた深い表情も、少し考えてみる必要がある。こうした時、軍隊経験が当然のように出てくる。徴兵制度を評価するニュアンスの文脈になる。自ら望んで軍役を選択をする人の事は仕方がない。否だと考える人間にも強制力を持って、武力行為に付かせることは、人間性に対する侵害以外の何者でもない。こんなにも素晴しい詩をかかれる吉田氏が、何故。と驚いてしまったし、信じられないものがある。

歌詞では今評判は「千の風になって」だろう。あの歌い方が肌に合わない。近寄りにくい。クラシックというらしいが、どこが古典的なのかがよく分からない。もっとさっぱりした歌い方して欲しいな。そもそも、死んだ人が、風になる。こういう発想が私は嫌いなのだ。死をロマンティックに捉えるのがいやなのだ。しかし、親しい人を亡くして、本当に辛い人が、この歌で慰められるのであれば、私がとやかく言うのも余計なことだろう、とは思うが。風になるなら死ねばいいや、という感じにならないか心配だ。この時代は、大変生き辛い。どこか損傷を受けて生きている人が普通だ。更に、競争に拍車をかける、企業社会。毎日告発される不誠実な、企業。この中に巻き込まれて、心ならずも、辛く生きている人の事を考えてしまう。
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IAEAの柏崎原発報告

2007-08-17 05:45:49 | Peace Cafe
IAEAの報告がどのような報告をするのかと、注視していたが、「被害は予想を下回る」というコメントだけは出た。朝日新聞では同時にかなり詳しい報告を書いている。これを読むと、相当に大変なことが起きている。予想以上の被害だと思う。と言う事は、IAEAの予想はどんな予想だったのだろうか。当初日本政府が視察を断ったときには、どんな不安を抱いただろう。いずれにしても原発に関する情報が、正確には出てこない感じがする。以前、河野太郎氏がブログの中で、海外の原発事故報道を日本の報道がしないことを、怒っていた。柏崎原発では、まだ炉の内部の調査は行われていない。この炉内で起きた事こそ、重要な問題。良くぞ原発を停止できたと言う事だ。地震発生より、20時間後、全ての炉が停止できた時には、拍手が起きたという。

傍目には、外で起きている火事が目立ったが、内部でその時起きていたことは、もっと深刻な境目があったようだ。IAEAでもう一度、この炉の内部の確認をしてもらいたいと思う。恥ずかしいことだが、日本政府も、東電も、信用が出来ないのだ。事故を膨大に隠していた事件が、その現われだ。原子力発電をやる場合、これ以上の安全対策はない。こう断言できるレベルのものでなければ、いけないはずだ。ところがどうだろう。想定以上の3倍もの地震の揺れが起きた。想定外の事が起きていい施設ではない。最近流れるプールの吸い込み口の管理のニュースが流れる。万全であると言う事だ。ジェットコースターも、海外の事故まで報道される。エレベーターの事故。エスカレーターの事故。機械という物は必ず壊れる。アメリカの橋の崩落も想定外だろう。そう考えると、点検のシステムが重要だ。点検を怠るから、運転している者に対する、信頼も揺らいでいる。

即刻止めて欲しいというのが、私の考えであるが、止める訳がない。これから、温暖化対策、重油依存からの脱却、などと言いながら、原発に擦り寄ってゆく気配すらある。それなら、せめて、コストは無視して、安全対策に本気になるべきだ。先ず、事故が起きたときが、改善の為の一番良い機会だ。大きな揺れが起きたらば、どのようなことになるか。想定する揺れではない。どんな揺れでも問題の起きない原子炉でないなら、それは危険な炉と言う事になる。柏崎原発の建設位置は、市民が断層があると指摘して、問題化していたにもかかわらず、断層がないとされていた地点だ。今になれば、断層はあったかもしれないと、揺らいでいる。他の原発でも同じ事だ。私の家に一番近い浜岡原発は、危険な場所にあるらしい。少なくともそのように指摘している専門家が沢山いる。確か、想定の揺れも、かなり大きく採ってある。

水力、風力、太陽光、と再生可能なエネルギーはある。全ての、日本の家屋の屋根に、太陽光発電装置をつけると、コストも、(コストは原発の後始末も入れてだが)総発電量も原子力と同じになる。原発以外方法がないと考えるのは、電力会社という企業の発想だ。企業の合理的利潤から来る限界がある。もし、大半の生活者が、太陽光にして、電力を販売する立場になれば、今の余剰購入制度は成立しない。技術力も、管理能力も、日本より低い国もある。テロの危険も高い地域もある。その国も、今のままでは原子力発電を始めるだろう。それは人類の危機になるに違いない。次の再生可能エネルギーに向けて、全力で産業化するのが、日本の方向ではないだろうか。
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