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麻生首相の朝令暮改

2009-05-31 03:12:59 | Peace Cafe
麻生首相は舌の根の乾かぬ内に、前言を翻す。厚生労働省の分割発言の事だ。厚労省は大きすぎる。あらゆる分野に仕事がまたがり、結局、肝心なことが疎かになっている。政府の今年度当初予算では、一般歳出52兆円のうち厚労省予算が25兆円を占める。年金問題では舛添大臣の公約まがいの年内解決発言は、どこかに消えてしまった。問題が多すぎるからだ。防衛大臣が食糧問題まで、国防に関する問題だからと、担当しているようなものだ。全ての問題が関連はしている。しかし、責任の所在は分かりやすく、分割した方が良い。豚インフルエンザが発生して救われたのかもしれない。そもそも、厚労省分割案を発言したのが、読売新聞の渡辺氏らしい。そこで、今になって、各報道機関は問題点ばかりを、このときとばかりあげつらっている。何たる哀れな反応であろうか。厚労省に問題がないと考える者などいるだろうか。官僚は組織防御が第一の仕事だ。日頃官僚批判でお茶を濁しているくせに、報道機関はこの問題の本質を見抜けない。

それにしても麻生氏のレベルは、床屋の政談。風呂屋の放言。自分の発言したことには、責任が生じることが分からないのだろうか。うっかりしたことを言い過ぎる。オオカミじじい。今では、誰が厚労省分割など、馬鹿なことを言ったのか。と言わんばかりの態度である。厚労省分割は必要である。
「健康 食品 医療 医療保険 医薬品・医療機器 雇用 職業能力開発 労働基準 雇用均等・両立支援・パート労働 労働政策全般 障害者福祉 子ども・子育て支援 戦没者遺族等への援護 生活保護・福祉一般 介護・高齢者福祉 国際関係 社会保障全般 年金・日本年金機構関係・ 研究事業」これが仕事一覧である。国際関係という仕事内容を見ると、ILOやWHOやOECDと関連してくる。守備範囲の広さは目が回るほどだ。舛添大臣がいくら頭脳明晰を誇ろうとも、全てという訳には行かない。

年金、C型肝炎、少子化、後期高齢者、病院閉鎖、派遣切り、インフルエンザ、郵便不正。と最近の問題独占の感がある。問題が表面化するたびに、前の問題がおざなりになっている。これが社会のイライラを増幅している。スッキリした解決など、なかなかできないのは誰にもわかる。問題をごまかしてしまうように見える所が、今の厚生労働省の姿になっている。不幸なことだ。以前このブログにも取り上げた。現役職員が「インフルエンザ水際作戦をパフォーマンスに過ぎない。」と国会で発言した。前代未聞である。組織が機能していないことを意味する。職員木村盛世氏の当初からの指摘に対し、担当の上司はどのように考えていたのだろう。今になって国会で発言するくらいだから、厚労省内部がぐちゃぐちゃなことが分かる。木村盛世氏のブログによると、「国会議員から出席を求められた場合それに対して応じるのが国家公務員の職務です。ところが、こともあろうに厚労省健康局長はこの案件を握りつぶしたのです。」

インフルエンザにおいての対応は、次に来る強毒のインフルエンザの予行演習になった。水際では防げない。発熱外来を増設したとしても、電話対応だけでパンクする。強毒であれば、数百万人の死者に成るという予測である。現在可能な対応は「運命として、受け入れ、あきらめること」。厚労省は、強毒の発生原因の探求と防御に目が向かない。木村氏もそのことには全く発言がない。渡辺氏が発言者であるとしても、厚労省の分割は早急に行う必要がある。政局的発言であるとしても、選挙向けの発言であるとしても、方向は間違っているとは思えない。拙速な対応とか、短兵急にとか。もっと腰を据えて、分割・再編による功罪や是非を議論すべきだ。衆議院選挙後だ。要するに上手いこと官僚の誘導に乗せられている。権益死守。しっかりお願いします。麻生総理。
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稲苗の考察

2009-05-30 05:26:54 | 稲作
苗の事をあれこれ考えている。昨日、中原さんや、岩越さん、石井さん、空豆さん、ミキさん、そして柿野さんと苗床で色々の方にお会いした。意見も聞いた。いよいよ田植えシーズンで、皆さん苗の出来の確認がしたくなっている。柿野さんにはこちらから、一度見てくれるようにお願いした。柿野さんの意見は、「比較実験をして見る事。」これが出来そうでできないことで来たことである。さすが学問のある方だ。アプローチが学者らしい見解である。毎年の農作業を比較実験する農家になれ。良いと思ったことはやる農家は多いいだろうが、幾つかの条件をつけて、比較して結論を出す。こう言うアプローチは農家の場合できない。たいていは偶然が基点となる。「私ならたまたま、戴いた竹炭のパウダーを深い考えも無く、餌に混ぜてみたら、発酵が思わぬ方向に変わった。」そこを基点に炭という物の違いを実証した。すると、あんず炭は飼料に使うといい結果がでる事がわかる。こんな流れである。

稲の苗の事であった。比較実験は今年も色々している。苗箱とセルトレーの違い。だいぶ分かってきた。苗土の比較。そして一番は初期に水が多い意場合どうなるか。私は徒長稲になるのではないか。と考えてきた。そこで初期は水を辛く。水遣り程度。ところが、柿野さんは初期水張りをしてきたそうだ。まるで逆である。私が初期水を辛くして居る原因は、稲という植物を想像した時、自然の環境では川辺の植物だろうと推測する。長江のやや下流域では確認がされている。川辺の季節による水位の変化が、発芽のきっかけになる。水位が徐々、間断しながら増してくることにあわせて、稲は発芽し、生育する。又水位が下がり始めて、実りを迎える。日本で栽培すると言う事は、本来より、かなり寒い気候の中で生育可能なものが、選抜されてきた、結果なのだろう。柿野さんの水を張ると言う考えは、寒さに耐える環境を作る。と言う事であろう。

苗作りでは、「ギリギリの環境で耐える力のある育て方が良い。」というのと、「充分整った環境を作り、いわば温室育ちにする。」という考えがある。松本さんの野菜苗の作り方を見せていただくと、環境を十二分に整えることの重要さが、にじみ出ている。私は育ちが育ちのためか、ギリギリ環境派である。甘やかしはいかん。とどうしても成ってしまう。先入観を捨てて、比較実験をしてみろ。これが柿野さんの指摘であった。来年の重要な課題である。柿野さんが舟原田んぼに入れて欲しいと言う事である。谷戸田での稲作りを体験したいと言う事である。久野の為にもありがたいことだし、特別に入って頂く事でお願いした。その分、皆さんの分配量は一割減ることになるが、来年は田んぼを増やさざるえない。増やした田んぼで、柿野さんには独自で耕作してもらう方向で、考えたいと思っている。

比較実験という意味では、育苗を7週、8週、9週、との比較は実験している。田植えは5葉期で行いたい。これが春先の暖かく変化する気候の中で、タイミングが実に難しい。2週の差が、田植え時点ではかなり接近する。この2週遅れ苗が、他への水遣りを増やす時期に入っていたので、初期湛水育苗になってもいた。これも良く観察の価値がある。確かに初期すんなり伸びた。問題は3葉期以降の事である。肥料が必要になった4葉期セルトレーの底を根が突破する。苗代の土で肥料を吸い始める。そうしたことはあまり無いのではないか。そういう推理もあり得るが。体験的には苗代の肥料は大きな要素になる。ともかく水の入れ方は来年はもう少し工夫をしよう。他所のよい農家の苗を見せていただけ。これも言われていた。確かに、他所の苗を一度も見た事がない。たいていの農家という物はそんなものであろう。
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苗代の苗の様子

2009-05-29 04:52:05 | 稲作
苗採りが始まった。先陣は「月の田んぼ」グループである。午前中に代かきをして、午後苗採り。30日が田植えだそうだ。セルトレーで30枚。品種はさとじまん。籾洗いが3月26日。海水に漬けた所から、始まった。海水で浮いた籾を取り除いた。それから、種蒔きま4月12日。288穴のセルトレーに山土6、くんたん2、ピートモス2を混ぜた用土をいれる。強く押して隙間をなくし、種籾を2から3粒蒔いた。苗床は4月11日にあらおこしを行い。15日に代かきをした。列状態にセルトレーを置く場所だけの120センチ巾の代かき。7列にしたが、6列の方が良かった。通路巾がもう少しあったほうが良い。19日には既に、新永塚グループと、小川トレスさんの2グループの苗箱やセルトレーが置かれていた。新永塚と梅の里田んぼも明日作業になるそうなので、7週の育苗と言う事になる。7週で5葉が目標。しかし、それはいい所の事で、全体ではもう少し小さいものも混ざる。この原因を考えておく必要がある。

1、水の行き渡り方が、奥と手前で異なった。奥の水の回りにくい所は、生育が悪い、ように見える。
2、手前は代かきが重複し、土の練りも深さもある。そこは肥料が発現するようだ。堆肥を入れたのは3月前半。
3、堆肥を均一に蒔いたつもりでも、奥が不足している感じ。丁寧さが必要。
4、苗箱やセルトレーが充分に、苗床に押し付けられていないところがある。セルトレーの置き直しも良くない。
5、苗床の平均が充分取れていない。奥の右側が高い傾向のようだ。
6、トレーを於く時に苗代を歩いた人が居る。そのために、セルトレーに足跡の形で生育の悪い足跡がある。
7、播種の7日間の時間差のため、苗床が乾き土の固さの差が出た。固くなってから置いたグループは苦労した。
8、種籾、品種によっても差があるようだ。
9、浸種の長い所で、僅か芽が割れた状態まで行った方が、発芽そろいが良い。
10、苗の葉先が3葉目で一度かれた場所がある。その次は又良い葉がでた。推測ではそのときにセルトレーから、苗代に根が出たのではないか。土の変化のストレスで、葉先が枯れた。
11、全体に、昨年よりも良い苗に思われるが、がっしり苗と言うにはまだ物足りない。何か改善できるところはないか。
12、播種時期の自然条件が苗の出来に大きく影響する。播種時期から連休前半まで暖かく、3週目以降寒さが戻り、その後安定せず。
13、水入れは3週目までは極めて辛く、2回だけ。後は雨が3回。その後徐々に増やし、毎朝満水にする。これが良かったかどうか。
14、同じ種籾を、ずらして7日後、14日後に播種した。その結果の、適正育苗期間を見ると、7週目か、8週目となる。品種にもよるか。
15、200穴のセルトレーと288穴のセルトレーの生育に差はない。
16、水を多くすれば、生育は進むだろうが、それが良いかどうか。
17、葉色の黄色い苗も多いいが、これはどう言う事か。
18、セルトレーの下も濡れてはいるが、ぬかるんではいない。むしろ通路の方がやわらかくなっている。案外中に水は入らない。傾向としてはセルの両側の方が、葉色が濃い。
19、苗代には案外に根は進んでいない。しかし根はセルの中はぎっしりとつまり、真っ白のいい状態である。苗代に進んだ根も白いよい状態ではある。この後の進行が楽しみ。

ここまでの観察結果である。この後、6月7日がめだか田んぼ、6月14日が舟原田んぼの田植えと成る。同じ種籾で播種時期が異なる。この後の変化も重要なことなので、良く観察すること。14日田植えの場合、もう1週間遅らせて、4月26日播種も考慮に入れる必要がある。このスケジュールなら、籾洗いを4月18日でもいいのかもしれない。作業の短縮が可能になる。
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大麦・小麦

2009-05-28 04:54:06 | 自給
小麦はそろそろ収穫を考えないとならない。1畝だけなので、手刈りの予定でいる。ともかく不思議なので最初に書いて置きたいのは、二見の有機堆肥と養鶏場の発酵床の比較実験の結果である。11月に入ってすぐ、畑は耕し始めた。そして、二見の健やか肥料を3分の1、発酵鶏糞を3分の2の面積に入れた。2週間置いて耕しながら、小麦の種蒔きをした。初期二見堆肥の所は葉色が薄かった。薄い割に背丈が伸びた。徒長というのでなく、がっしりはしていた。発酵鶏糞の方は背丈が低く、葉色が濃い。穂が出る時期に成ると、背丈の違いは目立ったが、他は変わりがなかった。穂の大きさも粒張りもさして違いはないと思っていた。所が、5月に入って穂の色の黄金が増してくると、二見堆肥を使った3分の1だけ、株全体が一気に黄色くなった。畑を見ると違いが一目瞭然なので、何がどう違うのか、来る人が居ると、推理を聞いて見る。

有機農業はこういうところが面白い。もうワクワクしてくる。何がどう違うかは分からないが、堆肥が違うというだけで、まるで違う結果を産む。その後3週間経過しても、養鶏場の発酵堆肥部分は緑が濃いままである。そして、何となく倒伏気味に成っている。二見の方は黄色いのに、スクット立ったままである。誰かこの明確な理由を推理できる人いるだろうか。(せめて、写真ぐらい載せないといけないので、後で撮って載せよう。)私の推理では両者の微生物のタイプの違いで無いかと考えている。二見のものは内城菌とかを利用しているらしい。私の所の菌は、そこらに居たものである。小麦は食べ物であるから、食べて味の違いというような微妙なことにまで及ぶ。それを宗教がかった人になれば、生命力の違いとか言い出す。違いがあるのだから、栽培の上で何か意味はある。今年農の会では、実証圃場として、志村さんが二見堆肥の実証圃場を担当することになっている。

まだ、スズメが来ない。幸いなことにまだスズメが付いていない。すずめが来たら案山子と思っていたが、今年は何とかすり抜けそうだ。大麦の方は一月に入って、ばら撒きの実験をした。先ず、ソバカスを撒いて、2週間置いて、そこに何もせず、大麦を蒔いた。どのようになるかだけ見ようと考えていたのだが、結構畑らしくなった。この大麦はソバカスの中から出てきたものだ。最初は1本だったが、今年は3年目で、麦茶ぐらいは飲める様だ。調べてみると2条大麦の一種に思われる。多分ビール用に造られていたのだろう。こうして偶然はえてきたものが捨てられず、種取りするから厄介なことになる。子供の頃は当たり前にご飯といえば、押し麦が必ず混ざっていた。麦飯を食う、といえば、刑務所の食事と言う事で、貧しい食事の象徴であった。冷たく成ると独特のすえたにおいがして、食べにくく、貧しいと言う事が身体に伝わった。

田んぼが小さいと言う事が、全てにつながる辛いことであった。一坪でも田んぼを増やせれば、というような和田傳の世界である。忘れ去られる昔の貧しさの感覚と麦ご飯のすえた匂い。子供の頃の山梨の昔話でも、田舎のネズミが麦を食べるという話があったぐらいだ。大麦は美しい作物だ。穂が立派だ、のぎの長い姿が光に耀く所は、神々しいぐらいだ。ここで言う、大小は面白い。大豆、小豆、大麦、小麦。当然大を偉いと思ってつけたのだろうが、結果はそうでもない。粉食が流行るから、小麦の方が一段上になった。粒食なら、当然大麦である。おホウトウなら、甲州赤小麦。記憶だけの名前で、今そんな種はどこかにあるのだろうか。あるなら作ってみたいものだが、今作っているんは農林61号という一番の普及品。昔作っていた小麦に較べると、拍子抜けするほど背が低い。この麦わらでは屋根はふけない。
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北朝鮮核実験

2009-05-27 04:11:21 | Peace Cafe
北朝鮮の無謀な核武装は何を意味しているのだろうか。日本はどうしたらいいのだろうか。独裁者の不安。猜疑心の増大。窮鼠猫を噛む。北朝鮮のように、隣国から見たら、多分国際社会から見たらでも同じだろうが。手に負えないならず者国家という存在は、繰り返し登場する。イランでも、イラクでも、ソマリアのように政府が不安定で当時能力がなく、海賊ビジネスが横行すると言う事さえある。このような国際ルールを無視して、恥ずることのない国に対応策がないとするなら、国際社会というものが成立していないと言う事になる。北朝鮮が無謀を繰り返す。その都度、言われるのが制裁の強化である。制裁の強化が行われ少しでも、北朝鮮が態度を改めたかといえば、まるでその様子はない。むしろ、よりかたくなになり、より過激な冒険主義に向うだけの結果だ。この独裁者国家が原爆という、巨大な暴力を武器に、何をしようというのだろうか。

一番困っているだろう国家は、韓国であろう。そしてついで中国である。国境線を接している隣国が、巨大な暴力を持って、脅迫的国家運営をしようとしている。こうした野蛮が許される、国際社会であってはならないわけだが、それを抑止する方法がない。その不安を増したはずの、中・ロが強い制裁措置は避けた方が良いと考えている。国連の安全保障委員会での制裁決議は行うべきだが、外交努力が続けられる環境は残すべきだと言う事のようだ。中国は面子を失っている。ロシアは外交距離が遠ざかっている。アメリカ、日本が強い制裁決議を求めるから、仕方なく一定は譲歩する。あくまで、友好国である態度は残す。友好国であることで、安全保障を保とうという戦略。自殺したノ・ムヒョン大統領も太陽政策の失敗を、どう考えていたのだろうか。イ・ミョンバク大統領は日本以上に強硬な、北朝鮮戦略に転換し始めている。関係5カ国の対応も、それぞれの事情で隔たりが見える。

出来ないことを主張しても、始まらない。制裁強化がどれほどの意味があるのか、充分分析をすべきだろう。中国・ロシアの本音と、充分調整し、連携のとれた対応でなければ、制裁など気分的なものに終わる。中国・ロシアは日本以上に困っているはずである。困っているからこそ、降ろせない手は上げない。日・韓・米は強い国連決議というものに向いている。どんな効果があるのか。これも良く考えてみなければならない。現状、北朝鮮に対する国連からの警告は、効果を見せない。議長声明自体を謝罪しろという論理は、どこから来ているのだろうか。次は脱退すると言う事になるだろう。困った国に成ることで、存在を示そうという戦略。経済封鎖の結果、原爆の輸出という可能性もある。イラクに渡る。アルカイダにわたる。世界の崩壊に成りかねない。

日本に出来ることは、中国、ロシアとの調整ではないか。国連において、日本自らが強硬な制裁決議文を、作って提案する。そして、中国、ロシアを説得する。こうした構図は、何かをしているようで、勇ましいが、少しも状況を改善することにはならない。制裁強化は日本国内向けの、ガス抜き効果程度の事だ。次に主張されるのが、ミサイル防衛システムの強化であろう。しかし、前回のロケット騒動の時に充分分かったように、ミサイル防衛など不可能な戦略である。もし狂気の沙汰で、日本に原爆を打ち込む気に成れば、防衛など不可能である。それなら、日本も核武装して、いつでも打ち込めるようにする。あるいは先制攻撃で、北朝鮮を滅亡させてしまう。こうした発想が無意味であることは、イラクで充分に分かったはずだ。世界中から、核爆弾を廃止する。日本がアメリカ・中国・ロシアに対し核爆弾廃止を主張する。
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松下政経塾

2009-05-26 04:12:05 | 稲作
松下政経塾で報徳の田嶋さんの所で、田んぼをやらしてもらうという話を伺っていた。有機農業でやられるということだった。田嶋さんからも面倒を見て欲しいといわれていた。どうなるのかと気掛かりであったのだが、今日が田植えである。体験農業ということを、もしかしたら、小学校の芋ほり遠足のようなものと、考えていないか。あるいは自衛隊の体験入隊のようなものと考えていないか。そういう心配をしていた。昨日はその初対面であった。つまり、田植えの前日が初対面というようなことでは、どうにもならない。松下政経塾の担当のUさんには、有機農業で田んぼをやると言う事の、一通りは伝えておいたのだが、連絡のないままだった。Uさんに田植えまでの準備を伺うと、明日田植えをやるので農家の方に代かきを頼んだという。一体、農業の何を体験するつもりなのだろう。心配がふくらんだ。

初対面の政経塾の皆さんは新入生と言う事であった。新入生の平均年齢が、27歳だそうだ。一人ひとり挨拶されたのだが、さすがというか、選挙の応援演説の練習のようであった。好青年ばかりである。農業は日本にとって大切なものだから、今回の体験を生かして行きたい、と言う事を表明されていた。政治家予備軍の皆さんの傾向というモノに接することができたことは収穫である。松下政経塾の作られる田んぼは、報徳小学校の前にある田んぼである。ここ数年は布マルチでやられていた田んぼである。時々寄って見たいと思っている。どんな田んぼになるかが、楽しみである。どこに松下政経塾というのはあるのか伺った。辻堂だという。水廻りが心配だったのだ。毎日辻堂から通えるのだろうか。そう思って聞いた。話がづれる。考えてもいないようだった。田んぼが好きになって、本気になれば、日に三度は見たくなるものである。そういう感じを知って欲しいのだが。

来るもの拒まずで、頼まれればどんな傾向のどんな方であれ、一年間は関わらしてもらう。やりたいという思いに答えるのが役割だと思っている。どんなスタートであれ、田んぼは様々なことを教えてくれる。田んぼは受け入れて、伝えてくれる。自衛隊の体験入隊のように思っていたとしても、自衛隊とはだいぶ違う。田植えした苗が育ち、実りを迎える、生命のもつ魅力は、変えがたい力がある。自分が関わった作業の結果で、自分の命の基となるものが育ってゆく。これは誰にとっても変えがたい体験になる。このことを通り過ぎてしまうか、何かの血肉にするかは、それぞれの力量や、体質によるのだろう。嫌々やらされることから得られるものは、あまり良いものじゃない。だから、子供の頃田んぼの作業を強制されて、田んぼが嫌いに成った人は多い。

嫌なことを我慢してやる。教育というとこういう傾向がでやすい。しかし、田んぼは好きでやるものだ。好きでやらないと、田んぼが嫌いに成る。好きでやる田んぼは、巨大な工場のような田んぼではない。農薬も使いたくなくなる。化学肥料を避けて、土づくりがしたくなる。冬の稲のない間まで、あれこれ必要なことをやりたくなる。経済合理性ではとても割り切れない、深い魅力に触れる。このことを知る為には、やりたいからやる。この単純なことから始まる。体験するということは、結局自分の中にある何かが、掘り起こされると言う事だろう。自分の中にある、育つ可能性を秘めた芽のようなもに、何かが触れると言う事だろう。「好きなことを見つけるのが、子供の仕事だ。好きなことが判らない時は、何もやるな。何かをやってしまうと、本当に好きなことが見つからない。」父が繰り返し言っていたことである。
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机を作る

2009-05-25 04:46:20 | 自給
机は時どき作る。一番簡単な家具。要するに天板を作り、足の上に乗せる。ともかく板というか木がが好きで、不思議な板を見るとつい欲しくなる。欲しい板はケヤキに限る。これも理由は判らないが、様々銘木はあるだろうが、他の木にはさして惹かれない。木目がどうだというのも興味がない。純粋にドカンとしたケヤキの重量感に引き付けられてしまう。マザートリーというものがあるらしいので、ケヤキがそうなのだろうと思っている。古い農家の庭等に、巨木がある。あれを見るととても安心した気持ちになる。大きな茅葺屋根も安心するが、ケヤキの大木の下にいると、実にゆったりとした気持ちになる。それが材になっていても、同じような安心な気持ちが続く。その安心な感じを身近に感じていられるようなものを、突然作りたくなる。本当は椅子を作りたいという気持ちはあるのだが、そこまでは今の状況では取り組めない。

本当の事を言えば、四角いままでも、丸のままでも良いのだが、部屋の中にあるのだから、家具のような形をしていた方が落ち着きが良いというだけだ。作りたい椅子というのも、風化木あるいは風倒木、土埋木のケヤキの形を生かしながら、樹を彫り込んで行って、座り込めるような椅子が作りたい。トーテムポールのような椅子。形が細長いというのでなく、自分の家のトーテムポールのような椅子。等と思いながら実は欅の大木の方は眼は付けてある。家のそばなのだが、困って切り倒されかかって、そのままにされてしまっている可哀想な木だ。目どうりで1メートルは超えている。その目通りを10センチぐらいの深さで、ぐるりと切られた。自然に枯れて倒れるのを期待したのだろう。理由は判らないが、大きくなりすぎて、運び出すことも出来ないし、邪魔と言う事だろう。一度は枯れそうに成ったが、又復活してきている。すごい生命力だと思う。

今回作ったのはちゃぶ台の厚いものだ。6センチぐらの厚さの板が、90センチの直径、ただまん丸の形にして、それを研いたものだ。足となっているのは山北の家の隣で切り倒された欅の枝だ。可哀想で拾って小田原まで持ってきた。少し反ってきているが、それがちょうど良い。あまり見事に磨かないで、適度の所で止めて、キヌカを付けて擦る。塗料を塗るのとは違って、染み込んで風合いがよくなる。以前は椿油と、ひまし油を使っていたが、キヌカの方が感じが良い。何度か磨きこむと、大抵の人は塗料を塗ったのだと思うような、しっかりした輝きがでてくる。キヌカは要するに米糠油だ。昔は米糠で家を磨いたらしいから、理にかなっている。

屋久島には土埋木という宝物を山奥で探して、ヘリコプターで搬出する仕事がある。これは特別に屋久杉ということになるようだが、私には屋久杉であろうが、杉では困る。やはり、ケヤキが良い。広葉樹は油分が少ないから、腐ってしまうのだろうか。腐るなら腐りかかる時があるのだろうから、腐る所が腐ってしまって残った、その当たりが良い。それなら流木という方が適当であるかもしれない。いずれ木が充分に生きて、自然に帰る途上にある姿に、引きつけられる。あれは人為を超えた形の魅力だ。それをごくありきたりの調子で、素朴に人為を加えさせてもらう。わずかな変化で椅子になった。そんな家具で暮したい。そんな椅子に座りたい。出来るだけチープな雰囲気が良い。そんなことで、何時になっても椅子の方は作れない。テーブルの向こうに見える籐の椅子は、忍野に暮す満仲氏の25年前の作品である。
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塔の峰青少年の家

2009-05-24 04:01:26 | 地域
塔の峰の青少年の家に行って来た。住所を見ると、久野4866-2とあって、久野地域内の施設であることがわかる。小田原市の所有する施設で、教育委員会管理している。宿舎、バンガロー、テントとあって、100人くらいがはいれる大きな講堂のような施設もある。以前行った時と変わっていたのは、木が大きくなったことである。昔は眺めのよさが際立っていたが、今は海の方の眺めは一部でやっと檜の梢からしか見えようだった。アメリカからのボーイスカウトのグループが見えていた。山へ行きといえば、必ずテントを担いでだったから、どこか懐かしかった。この施設が出来たのが、昭和39年とある。建物はそのままというから、私がよく山に行った頃と重なる。能登だったと思うが青少年の家に泊まって、閉口したことがある。国旗掲揚に出て来いとか、朝のラジオ体操をしろ、とか言われた記憶がある。どこかそのままが時間が止まっている。

ここに行ってみようと考えた理由は二つあった。先日の小田原市行財政の説明会で、最も利用状況の少ない施設として上がっていたからである。貸し室利用率で、5%。収入が年間76万円。支出が1204万円。どういう実体か、ともかく見てみないとわからない。もう一つは美しい久野里地里山協議会で作った、明星山登山道の回遊路が出来ないかと言う事であった。距離的には明星岳山頂に一時間くらいの位置にある。良い利用法が見つからないかと思うところがあった。似たような施設として久野には「いこいの森」がある。こちらの施設は指定管理者制度で対応されていて、「小田原市森林組合」に1211万円で委託されている。いこいの森の施設は農の会でも使わせてもらったことがあるが、とても立派な施設だった。こちらでのキャンプは夏休み期間となっている。

塔の峰青少年の家を見に行くに当り、電話を入れた所、最初は混んでいるから今日は駄目だといわれた。邪魔しないので、脇から見るだけでいいのでお願いしたいと頼んで、特別に許可を得た。この施設は事前の下見も、前日までに教育委員会に申し込むとなっている。しかし、土曜日で役所は休み。仕方がなく直接電話をしてお願いした。今思えばルール違反であったが。普通のキャンプ場にそんな特別なことがあるとは思わなかったのだ。改めて小田原市のホームページを見ると、これはちょっと普通の人には使えない施設だと判る。利用できるのは団体に限定される。
「青少年団体、会社・工場・商店などの勤労青少年、青年学級生、学校の生徒あるいは学生等で責任者が引率している団体 。青少年の指導者で研修を目的とした団体。 その他、小田原市教育委員会が適当と認めた団体。」とある。
1 小田原市教育委員会青少年課へ、直接または電話で申し込んでください。
2 使用申請書に該当事項を記入し、スケジュール表を添えて事前に申し込んでください。
「青少年の家とは、青少年及び青少年指導者が共同生活を通して、規律、協力、自主の精神を養い、新しい時代にふさわしい教養や生活態度を身に付け、健全な青少年、社会人を育成するための社会教育施設です。」

この施設の利用目的を、社会の変化にあわせて、少し変更すべきではないだろうか。この施設が作られた45年前ならこれでいいのだろうが、社会状況は動いている。どんな良い施設でも、充分に利用されると言う事が大前提にある。方向としては、小田原を取り囲む周囲の山林地域の利用形態を、検討してゆく拠点にすべきではないか。新たに箱物を作るのでなく、今ある施設の有効利用を検討すべきである。小田原の豊かさを実感できるのは、すぐそばに豊かな森が存在していることである。今はその森が厄介な管理し切れないものとなっているが、久野の里地里山協議会が象徴するように、小田原の森の意味は変わってゆくはずだ。もっと気軽に、誰でもが利用できる施設にしなければ、これだけの施設がもったいないものになってしまう。
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田んぼの復活

2009-05-23 05:21:24 | 地域
暮している舟原地域では、今年も田んぼが復活する。美しい久野里地里山協議会が結成されたと言う事だけでも、この地域で田んぼを再開する機運が高まっていると感じられる。坊所地区でもあちこちで田んぼの整備がされれているから、多分3箇所ほど復田が行われそうだ。農の会の新たに田んぼのグループに入りたいという人は、今の所8家族である。とても多いいと感じる。8家族増えると言う事は、鬼柳地区で私が責任者で、田んぼグループを一つ作ると言う事がある。また、岩越さんが月の田んぼをはじめることもある。管理責任者さえ居れば、その範囲で仲間は増える。直接ではないが、松下政経塾が試行する田んぼの技術協力も行うつもりなので、今年はあちこちで始めての田んぼが生れる。初めての田んぼは出来る限り参加して、一緒に耕作することにしている。

農業技術は感性を育てる部分が大きい。子供の頃からの農家育ちなら、自然身についていることも、全くないという事が普通に成っている。今の時期、苗の葉色がとても気になっているが、何十年と繰り返す内に、自分が望む初期段階の生育というものが身について来る。これを一年であらましを知ってもらって、後は判らない所を聞いてもらいながら、自分の田んぼ技術を育ててもらう。これで、まるで始めだった人でも何とかやれるようになっている。大雑把なようだが、これが良い。自分でやって失敗しながら、作物を見る感性が身につく。技術だけでなく、グループでやる場合の連絡法や、目的の共有化。相互の意思疎通。こう言う部分も伝えている。翌年からは、全てを自由に好きな耕作法でやってもらう。そのため、農の会の10の田んぼは、10通りの農法で行われている。これが何より素晴しいと思っている。

今年舟原で復田されたのは、上の田んぼの下田さんの所だ。一年がかりで、道を作った。そして車では入れるようになった田んぼを、2箇所耕作するようである。さらに道を作ってその奥もやられるように言われていた。何とか田んぼを戻したい、という貴い気持ちである。心底頭が下がる。こうした貴い思いが、まだ日本人にはある。それぐら田んぼには気持ちが繋がっている。田んぼをやって経済になるなど、誰も思っていない。しかし、田んぼは大切だ。こういう精神を安定させるような、機軸は保たれている。減反とか。国際競争力とか。企業参入。大規模化。どんなに政府に脅かされようと、動かない田んぼは大切だという確信がある。資本主義経済が踏みにじってきた、経済にならないことは悪である。こう言う思想がいかに、人間の生きるという本質を、ないがしろにしてきたかを、実は感じている。

麻生首相は、北海道で輸出を考えない農業を批判した。相変わらずの能天気である。麻生氏は古い。小泉時代と今は違う。現農水省、あるいは自民党は、むしろ、地産地消の主張を始めている。変わり始めている。変わらなければ、日本農業が存続しないことに気付き始めている。人間経済だけではない。政府が考えなければならないのは、出来たお米をどうしたら良いかだ。有効利用の方法を考える。これが政府の役割。遠からず、世界は食糧不足が顕著化する。それにどのように備えるかを考えるのが政治家の役割。
坊所でも、舟原でも、あしがら農の会が田んぼをやらしていただいたことが、ほんの少し、役立ったのではないか。もちろん、僅かなことだとは思う。何と、田んぼの奥の竹が刈り払われた。欠の上の方が刈ってくださったそうだ。万治年間の溜池が全体の姿を現した。素晴しい見事な景観だ。この素晴しい環境が小田原に存在することが、間違いなく小田原の財産である。これは小田原城より大切なものだ。
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アマランサスの播種

2009-05-22 04:44:26 | 自然養鶏
夏場の青草に一番役立つのが、アマランサス。ヒユ菜。本当はひゆ菜の名前が好きなのだが。最近は健康食の一つとして、アマランサスの方が名の通りが良い。インカの主用食物であった。ジャガイモ、トオモロコシとアマランサス。ひゆ菜の方は江戸時代から栽培されていたようだ。多分日本では江戸時代に野生化したひゆ菜が存在すると思われる。背丈が2メートルまで伸びて、先に白い穂をつける。山北の家には蒔いたのでもないのに、自然に増えていた。小田原でも養鶏場にはいくらかは生えて来る。人間も食べられることは確かだが、別に美味しいというほどのものではない。夏場、葉物が乏しくなった時には重宝なものだ。夏元気なエンサイと同様に扱える。エンサイは水が好きなので、ひゆ菜の方が乾いた土地には適している。モロヘイヤというのも夏に強いので、人気がある。残念ながら味的に合わない。

アマランサスとひゆ菜はかなり違う。ハゲイトウも同類らしいので、大きく言えば似ているが、実の付け方が違う。アマランサスも大きくなって、大きな房状の実をつける。熟した種子を食用にするのが、アマランサスである。当然育種されて、身の量の多いい、品種が作られている。鶏の餌に使うのは葉っぱのほうである。小鳥のえさなら、アマランサスは悪くないと思うが、鶏に食べさせるほど作るのは容易ではない。エンサイモロヘイヤもそうなのだが、夏場に葉が虫に食べられない。夏場に繁茂する雑草は、虫が好まない何かが葉にあって、苦くて食べられるものは少ない。小松菜だって、例え虫が食べないように殺虫剤をまきながら、育てたとしても、人間が食べすぎるとよくないような成分を葉に溜め込む。春先なら、どんな草でも食べられるのに、植物も自然界に対応している。それが外来の植物の中には日本の虫をうまく避けてくれる葉ものがあるのではないか。

人が食べられるような草を鶏だって好きだ。当然野菜とよばれる様な物なら、飛びついて食べてくれる。春の草なら、葛などでも盛んに食べるが、夏の葛は喜んでは食べない。そこで夏はアマランサスを栽培して、与える。7月までは何かと、草はある。特にカラムシという草はとても好きだ。どこにでもある雑草だから、これをしばらく集めて与える。豚も好きだというが、人が食べられるものではない。これは少し不思議に思う。カラムシ織というのがあるそうで、茎の繊維は長くて強い。いずれ近隣のカラムシは採り尽すので、その次が栽培のアマランサスである。栽培と言っても、ただあたりに撒き散らすだけなのだが。草の中に蒔くのがコツである。カラシナが実が付いて終わりになった、今頃翌日は雨だというタイミングで、蒔いて歩く。種はじか採取すれば簡単に済む。1反で2キロもあれば良いだろう。

鶏のおこぼれを人間が戴く。バイアムというのが、葉物としてのひゆ菜の名前で、みんな似てはいるが、少しづつ違うようだ。人が食べやすいように、野菜に育種したのが、バイアムであろう。バイアムはそう大きくなるものでない。鶏にやるにはアマランサスの方が、葉が沢山あって良い。下葉からむしりとって与えれば、相当の量採れる。1反に蒔けばほとんどとり放題という感じになる。しかしこれが上手く出揃うかどうかは、毎年気掛かりなことだ。少し手をかけて、種が埋まる程度にしてやれば発芽が良くなるのだろうが、そこまで手をかける事が出来ない。こまめにそう言う事が出来ない。それで、一か八か、昨日蒔いて歩いた。今晩は雨の予定だった。しかし振りそうもないので、無駄になったかもしれない。倒れたカラシナの下は湿っていたので、何とかなることを期待する。
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市民参加の模索

2009-05-21 04:33:26 | Peace Cafe
5月22日までの期限であった。小田原TRYフォーラムの市民団体からの提案書の期限が6月5日まで延びた。延びたと同時に各市民団体に提案書が送られてきた。いかにも提案数が少ないことが、推測される。そもそもこの提案は行政よって、テーマが決められている。私に送られてきた案内文章は、「ピースカフェあしがら」に対するものである。ピースの名前が示すように、平和活動の団体である。小田原市で考えた、65のテーマの中には平和に関するものがない。そこでわざわざ送っていただいたし、担当者に電話をした。「ピースカフェに提案しろと言う事のようですが。その他のテーマという形で、平和活動に関して送らせて頂いて良いでしょうか。」あっさり「それは駄目です。関連したテーマがあるのですから、それに出してください。」「そうですか。では平和活動に関連したテーマはどれでしょう。」しばらく黙っている、テーマを見直したのだろう。「ありませんねぇー」「そうなんですよ。全く関連したものもないのですよ。」

無防備平和条例制定活動では、8094名の市民が署名した。小田原市議会では異例の意見陳述を行った。小田原市民の中に、平和に関する意見が多数存在することは、市行政も認識していなければならない。ピースカフェあしがらをはじめ、平和に関する市民活動も多数存在する。何故こうした声を忘れてしまうのだろうか。落とされたテーマの側にすると、何らかの意図をもって、落としたとかんぐりたくなる。つまり、ここで示されたテーマは、当たり障りのないトラブル化しにくいものばかりではないだろうか。久野においては火葬場のこと、広域ごみ処理の事、墓地の事、私の地域では縁のない下水道の借金の事。こう言う厄介なことは、テーマに上がっていない。つまり平和の事を厄介な対立になる、政治的なものと考えていないだろうか。言い方を変えれば行政が平和問題を苦手なこととしていないだろうか。

市民参加を実現することは、実は相当に難しい課題なのだ。選挙のたびに言われる、市民の参加する市政を実現することは、たやすいことではない。長い道のりと、積み重ねが必要である。国立市などの経験を伺うと、市民が参加するように、進めるために、ありとあらゆる小さな努力を行ったそうだ。そして、参加した市民が参加したことを喜べるような、体験を重ねて、市民参加、市民自治の姿が少し芽生えた。それでもいまだ道遠し。市長だった上原さんはそのように言われていた。小田原ではまるで呼びかければ、市民はどうにでもなるぐらいにしか、市民の分析をしていない様に見える。今までの市民参加は、自治会ルートの動員。一見人数が揃ったように見える形だけ作る手法。お抱え市民グループの確保が、担当部署の職員の動員の腕の見せ所となる。当然の事、実質の議論など何もない。

これを変えてゆくというのが、TRYフォーラムのはずである。その為にはまず、テーマを市民から募集する所から始めるべきだ。何が市民にとって問題なのか。市民の目線から、話し合いたい問題は何か。ここに十分時間をかけて行う。それが市民参加を掘り下げることになるだろう。行政内部で、調整して当たり障りの少ない問題に限定して居るのでは、本質的な意味での市民参加には繋がらない。止む終えず、テーマを65に絞るとするなら、少なくとも「その他のテーマ」という形で、自由に意見を集める枠を設けるべきだ。そこに出てきたテーマが市民で話し合う為にふさわしくないものであれば、その理由を示して、テーマとしなければいい。ピースカフェあしがらは暮らしの視点から、平和を考えてゆくために、ありとあらゆる角度から、平和についてのアプローチをしてきたつもりだ。まさに、平和に対し、市民の生活感覚から問題を提起したつもりであった。小田原のTRYは小田原の生活サイドに向ってのものであって欲しい。

機能の自給作業:草取り1時間 累計:21時間
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インフルエンザ上陸

2009-05-20 04:37:59 | Peace Cafe
水際対策も効を奏さず、インフルエンザは関西方面に上陸した。WHOは確定感染者数1万人を発表した。多分実際の感染者数は100万人まで行っているかもしれない。死亡者は100名は居ないようだ。今回の感染数がどうなるか。鳥インフルエンザのときの政府の予測では、3600万人が感染すると言っていた。つまり4人に1人。病原菌の毒性の強さは普通のインフルエンザと同レベルと考えて良いようだ。先ずは一安心だ。昨日風呂屋では、この話題で大笑いになった。「もう神奈川に来ているのかねぇー」「来ているかどうか、今週中には確かに来るだろう」「60こえてるから俺は大丈夫だ」「神戸では60って人が居たようだよ」「嘘だろうー」「いや、確かにいたぞ」「大事大事に育てられたようなものは、60こえたって駄目だ」「お坊ちゃんは駄目か」これが庶民感覚の正解だとおもう。免疫と言うものは普通こう考えられてきた。この考えで行けば、今回のインフルエンザは感染しておいた方がいいという事になる。

WHOはワクチンを秋までに作ると発表した。ワクチンを必要とする人も居る訳だから、無駄にはならないだろうが、泥縄。しかし、ワクチンによる免疫と、60歳以上にあるという免疫らしきものとは、どう違うのだろうか。あるいは同じなのか。強毒のトリインフルエンザの方も、感染者、死者とも若者子供中心である。これも何故だか分かっていない。免疫というものが解明されているわけではないので、今までの常識では判断出来ないことが起きている。感じとして、インフルエンザウイルスだけを見ていたのでは、解明できない。強毒鳥インフルエンザの人感染については、現段階ではきわめて特異なことである。これはWHOが間違った情報を流し、明日にでもパンデミックが起こるような恐怖感を煽って来た。私の予測では初期から人人感染に成るには、豚が介在すると主張して来た。感染の鳥を生で食べた場合、死亡するのは感染で死亡するのとは意味が違う。

今回の日本での流行の形を、詳しく分析することが重要である。初めて、流行してゆく形の細かな分析になる。どういう形で日本に入ったかは、今の所不明であるが、ここを集中して調べる必要がある。水際作戦のどこに、抜けるか。又、水際作戦が不可能なら、どの段階で国境閉鎖をするべきか。私はそのくらい、強毒のインフルエンザの登場を恐れる。現在鳥インフルエンザの人感染数は2003年からで417人感染、死亡者は257名である。7年間での事だから、いかに少ないかがわかる。1997年香港での死者が始まりとされる。普通のインフルエンザでの死亡者は世界では毎年、1万人は居るはずだ。今回の新型もここに含まれて違和感はない。強毒のインフルエンザが人人感染を始める時、今回の経験が生かされなければならない。病院というものが、すぐさま機能しなく成ると言う事。発熱外来への電話一つ通じなくなる。3時間待ちが普通だそうだ。ほとんどが発熱外来を拒否され、普通の病院でも断られることになって居る。

私個人としては、60と言う事で感染するのかどうか、きわどい所である。むしろ感染するなら避ける必要はないと考えている。持病も糖尿もない。ここで感染しておけば、次の強毒インフルエンザの流行に対し、免疫が高まる可能性が推測される。もちろん学問的には、有り得ないとされている考えだが。現実には60以上には感染しにくい事実がある。強毒のインフルエンザが流行して、この勢いで広がるとすれば、ワクチンは全く間にあわない。この秋と言っている間に、100万人の死者が出る。とすれば、豚を充分に調べる。中国香港周辺の豚を調べる。そんなことはもう45年前には言われていたことだ。大規模畜産が人間を滅ぼす、可能性があることを充分に認識すべきだ。各宗教が肉食を禁ずるには、根拠がある。
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ごみ発電

2009-05-19 04:08:31 | 環境関連
ごみを燃やしてそのエネルギーを電気に変える。一見良さそうに見える技術だが、なかなか上手く広がらない。環境省は昨年3月3日、地球温暖化対策の一環として、2008年度から12年度までの5年間に、ごみの焼却による発電(ごみ発電)の量を5割増やすことを決めた。05年度末現在で、ごみ焼却施設1319施設のうち286施設に発電設備があり、発電能力は1515メガワット。07年度には1630メガワットになる見込み。改定案では、12年度までに発電能力を、原子力発電所1基分に相当する870メガワット増やし2500メガワットにする。ごみ発電施設を設置する自治体に整備費の3分の1(2分の1に変更)を補助する。
一方、いちき串木野市は、ごみ処理発電施設「市来一般廃棄物利用エネルギーセンター」を26日、閉鎖する。市は11月始め、会計検査院から「計画通り機能せず、国からの補助金約3億円の支出が不当」と指摘されたのを受け、すでにごみ処理は停止。

ごみ発電には、大きく2方式がある。生ごみをタンクにためて、メタン発酵する。そのメタンガスで、タービンを回して発電する方式。日本の大半で行われている方法は、ゴミの焼却処理にその熱を回収して、タービンを回転して発電をする方式。アメリカ軍はイラク戦争に持ち込んだ、ごみ処理機が発電装置つきで、これがダイオキシンがすごい量出て問題化した。一見良いのだが、まだいずれも実証実験の段階と考えた方が良い。小山、御殿場でおこなった、PDF固形化方式のごみ処理も、失敗に終わった。ごみ処理のような、住民の生活に深刻にかかわる問題を、新技術の実験施設にしてはならない。国は鉄鋼や造船メーカーの不況対策に、大規模炉の自治体への導入を推進しようとしてきた。補助金による誘導と広域化ごみ処理方式の強制で、縛りをかけてきた。

それでもごみ発電は広がらない。最大の問題は効率が悪い。ごみ発電を行うことで、電気で儲かるどころか、大損になっている。効率を上げる技術も次々、提案されているが、今度は施設費が巨額に成る。しかも大型化の必要がでてくる。そうなるとごみ量の安定した確保が問題になる。そこで、東京都などが始めた。プラステック類の一括焼却である。プラステック類はそもそも、石油である。再生にコストをかけるくらいなら、助燃材として燃やしても良かろうという考えである。火力発電所だって石油を燃やす。ところが、何でもかんでもごちゃ混ぜで燃やす訳だから、排気ガスの混入化学物質の回収が難しい。ダイオキシンは法規制があるから、一応は歯止めがあるが、さらに怖ろしい物質が大量に出ている可能性が、多分にある。出ているというデーターも示されてきた。

巨大化して、連続燃焼だから、大量のごみ量が安定して出なければ、ごみ発電は出来ない。広域化して大きなごみ発電炉を作った頃には、ごみが出なく成ると考えた方が良い。良さそうな技術なのだが、今の所無理な技術レベルなのだ。そもそも焼却発電という方式は、過度期の技術で、乗り越えるべき手法のはずだ。同じ技術研究でも、将来を見据えた、地球の循環に則った方法を考えなくてはならない。ごみの40%は生ごみ。それではこの生ごみのメタン発酵技術はどうか。これも実験方式として、行われている所がある。上海ではアジア最大のメタン発酵施設が稼動。日量8000トン規模の生ごみ処理。年間発電量1億1000万キロワット。この試みが成功するかどうかは注目である。天津では商業施設として、ごみ焼却発電が3箇所あるらしい。住民のリスクさえ無視すれば、採算が合うと言う事になるのか。今後の成り行きに注目。

昨日の自給作業:草取り、豆追い蒔き1時間 累計時間:20時間。
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ニッポン大安売り時代

2009-05-18 04:45:40 | Peace Cafe
日本全体が、閉店セール(店舗改装のため)に入ったかのようである。どこもかしこも値下げ競争だ。高級品販売で、セレブやグルメを気取っていた老舗やデパートも、我先にと割れせんべいの販売である。最後の商戦に入った様相である。背に腹は変えられない。政府も借金をしてまで、商品券付き販売である。何の精算もない場当たり的手法としか思えない。高いものが売れない。安いものなら売れる。江戸時代より受け継いできた老舗の看板を売り払っている。安売りは、下の商売である。安売りは当面の知恵しかないものの商売である。しかし、もうそれ以外ない所に来ているとすれば、商業というものが、大きな曲がり角に来ているのではないだろうか。定額給付金を出すからせいぜい無駄遣いをしろ。今度はエコポイントを出すので、電気製品を買い換えろ。結局その借金は税金と言う事になる。税金を集めるのは、自民党ではないからかまわないと言う事か。

デパートで500円弁当なら、スーパーは250円弁当。この材料になる、野菜やお米はどうなるのだろう。買い叩かれてこまるのは行き着く先の農業、漁業。急場しのぎの安売りの行くつき先は、倒産。先日の行財政の調査では、小田原市の借金が1500億円。この話を財政に詳しいといわれる女性にお聞きしたら。「たいしたことは無いと、委員長のNさんが言われていたから大丈夫。」ビックリして理由を聞くと、他所の自治体にはもっと悪い所がある。小田原の財政は良い方。これまたビックリ。日本中の自治体が潰れかかっている。同じ倒産なら借金の多寡は問題ない。夕張市より良いので心配ないといわれても。これが大学の先生のご神託ではいかがなものか。使え使えと借金させたのは、国の方針。行政はいくらでも安い金利で借りられる。補助金も付いてくる。ツカワニャソンソン。

政府の政策は、消費は美徳の古い手法だ。何とかいらないものでも買わせろ。乗用車は高速道路で遠出させる。ガソリンをジャブジャブ使わせる。もったいないなど言わせない。エコポイントは良いけど。確かポイントの利用法は決まっていない。ポイントの貯まったころの政権が違うけど、大丈夫かな。この次に来るのは、大増税時代。消費税も良いけど、これで間違いなく、消費は一気に冷え込む。バタバタ潰れるだろう。そうなると、消費税の導入も先延ばし。結局倒産である。いまやっているのは、にっぽん閉店セールになり兼ねない。困ったら、節約して耐え凌ぐのが普通だ。使えば景気がよくなるのは、企業の論理。資本の論理。政府の論理。生活者は騙されて使ったら駄目だ。ジャブジャブ使うガソリンは税金が1リットル当り、53,8円。これが政府の収入源。CO2はどこへやら。温暖化は忘れ去られた。背に腹は変えられない。

株価が下がらない。資金の行き場がないからじゃないか。この先日本は企業倒産が起こる。安売りの先にあるのは、それしかない。株券が紙くずになる。良く心配にならないものだ。この状況で本来やるべきは、米百俵。次に向けて実力を養成する。病気に成らないだけでもいい。身体を整えるのは大いに結構。勉強をするのは特に良い。学問のいくらかでも身につければ、我慢ができるようになる。座禅をするのもなかなか良い。心が強くなれば腹が減っても大丈夫。畑をやる田んぼをやる。最善の策である。自分で作れば、高いものにつくかも知れないが、これが一番である。何がどうなっても、安心立命できる。閉店セールに騙されてはならない。というのも自戒。安売りというと、つい遠出までしそうなバカな自分がいる。
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鳩山代表対麻生総理

2009-05-17 06:34:26 | Peace Cafe
世襲制の政治決戦。元老のお孫さん対決。何か、日本的というか、一子相伝。家元制度。黒帯とか、師範とか。どこの分野にもある、エモイワレヌ因習。どうしたらいいのだろう。歌舞伎のような伝統芸能の世界ならそれも良い。しかし、実力が出てくる世界、大相撲のような所では、若貴兄弟横綱は例外的だが。モンゴル勢台頭と成ると、いくら良い家のボンボンでも出る幕はない。と言う事は、政界というのは、歌舞伎とか、能とか言うような、レベルの伝承的世界なのだろうか。自民党の40%の衆議院議員が世襲議員。閣僚と成ると、17人中11名が世襲議員。当の麻生さんですら、あまり感心したことではないと。一応は述べていた。それは選挙地盤の引継ぎを発言しているのだ。地盤云々に限ることではない。議員の息子の方が自民党の公認を取りやすい。政治家は、就職じゃないよ。閣僚というのは、全国民中の17名である。その11名が世襲という現実は、日本の情けなさそのものである。

優秀な人材が政治に向わない。向えない。タレントのように、テレビで人を引きつける様な発言を連発できる人なら、政治家に食い込めるが、政治能力があっても、とっさの受け答えが面白いような人は少ない。偶然、「山ちゃんのジャーナルしちゃうぞ」というマイナー番組に、この地区の衆議院選挙候補が出ていた。この人は「政策でする選挙」を何度も発言したのは、良かった。山ちゃんが「それで戦う政策はどういうものですか。」この時、なんと「皆さんのご意見を集めて、政策を作る。」こう答えてしまった。つまり政策がないという印象である。さらに、「総理大臣に成りたいか。」なりたいそうだ。「では麻生さんとどこが政策が違うのですか。」こう聞かれて、相手のリズムに乗り切れず、結局しどろもどろであった。テレビ向きの人がいる。この候補者がテレビの作られた印象ほど、無能とは思わないが、漫才師相手に丁々発止、そのリズムで自分の意見が言える人は少ない。この人もお父さんは、県会議員らしいが。

何故、世襲中心になるか。それは日本人の家柄信仰にある。農家も家を存続することが絶対であった。そうしなければ、食べていけなかった。家を中心にして全てを回す、江戸時代の政策として、倫理観の形成が行われた。長男は家督相続者と言う事で、食事でも他の者と別扱いであったりする。大百姓の家には、長男しか上がれない、一段床の高い部屋があった。殿様と、坊様と、家督相続者しか上れない。こう言われてその他の者は台所の隅で、ご飯を食べる。こんな空気の中で、小さな小作農家まで、いつか大家になる、という気持ちで尻をたたかれてきたのが、明治以降の日本。日本全体がそういうところから、徐々に抜け出てきているのは、いいことだが。どちらかといえば、気分はみんな大家になったような所がある。こうした根底にある、気分を。上手く取り込んだのが、政治家の世襲制度である。結局は、利権温存の策略である。

世襲に似ているのが、免状制度。貴殿の三段相当の技量を認め、免状を付与します。将棋とか、柔道とか。免状発行の利権。家元制度。お花。お茶。舞踊。要するに集金制度である。あらゆる分野に蔓延る。生涯無一物のはずの、お坊さんの世界ですら、位の順位がお金に結びついている。家系。家柄。嫌なことである。あっては成らない。日本人の意識が表れている芸能人の人気。如実にだれだれの子供というのがある。小泉元総理の子供タレント。石原慎太郎氏の子供タレント。いくらでもいる。困るのは、選挙の投票行動に大きく影響すると言う事である。影響がある以上。政党が利用するのは当然の事。鳩山家では、やんちゃ坊主の弟が、内閣で騒いでいるが人気もあるようだから、もし麻生氏が又投げ出しなどをやれば、総理になって兄弟対決もないとは言えない。若貴の兄弟決定戦も一度はあった。相撲なら良いけど。ちょっとすごいことになる。

昨日の自給作業:大豆畝たて2時間、カボチャ植え付け1時間。 累計時間:19時間
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