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表現の自由とネットの正義

2024-08-23 04:40:24 | 身辺雑記


 男性の体臭が耐えられないという意見がネットに出て話題になった。自分が臭いと言われたのかと、ドキッとした。私も臭い一人だろうなと思える。私に耐えがたい人も居ることだろう。それはつらい事だが、どうしようも無いことでもある。

 百姓仕事をしていれば、仕方がないことだ。一日中汗をかいている。シャワーをのぼたん農園に作りたいとも思うが、今はまだ無い。清潔な無菌室生活ではない。汚いはきれい、きれいは汚いの世界に生きている。発酵臭は心地よい人も居れば、耐えがたい人も居る。

 この問題は炎上していて、話題にすること自体が良くないことになるのでここまで。書いた人は事務所を解雇されてしまったそうだ。ネットでは些細なことが大事になることがある。私もとんでもないことを書いて、不愉快な気持ちにさせている事があるに違いない。

 どれだけ注意していても、人がどう受け取るかは又別である。ネットで書いて公表すると言うことは、人間としての責任が生じる。ただネットに関わる人には、病の人が居る。どうしようもなく文句が言いたい人が居る。またお金を貰い因縁を付ける人も居る。

 ネットでは普段なら口にしないようなことを、書いてしまうことも無いとは言えない。危うい形で本音が出るのだ。却ってその人のことがよく分る。ブログを読んでササムラの本音が分ったと、教えてくれる人が居る。そのために書いているのだから、そうだと思う。

 面と向かってしゃべっているときは、相手に合わせてしゃべっている側面がある。どんな問題も様々な側面があるから、石垣島に来るミサイル基地のことも、床屋談義では、曖昧さに満ちた様々な話になる。ブログに書くときには、揺れ動かない自分の考えとして書いている。

 好かれようと思って書いているわけでは無い。嫌われても言わなければならないことを書きたいと考えている。Xという短い文字数のものには私は書かない。基本的には原稿用紙10枚と考えている。人間の意見というものはそれくらい必要だと思っているからだ。

 政治家などの公人は権力者である。私を秘密裏に情報収集する法律まで作ってしまった。過去電話の盗聴を神奈川県警にされた経験がある。世田谷に住んでいた頃には、警察官と言ってもスパイのような人が、無断で私の家に入り込んでいたことがある。

 権力者は遠慮無くおかしな事やる。権力者批判はとことんやる。私に権力者批判が、出来る間はまだ民主主議が生きていると言うことだ。中国では無理だろう。魚釣島問題は話し合いで解決すべきと言うだけで、そのブログは停止されるだろう。

 間違いや思い違いはあるが、軽い気持ちでうっかりは書かない。間違いに気がついたら直すほか無い。しかし、間違いでもうっかり書いたわけでは無い。そう一度は考えていたことなのだ。それは変らないことだ。一度書いたことは責任を取らなければならない。

 それは報道機関も私も同じなのだ。ネットで書くと言うことの責任は報道機関も私もその責任の重さは変らない。きのうNHKでは尖閣諸島は中国領土だと流したそうだ。どう責任を取るのだろうか。謝って終わりだろうか。そういうことが起こした責任者が、何故こんなことになったかを説明をすべきだ。

 20秒間一体何をまわりの人はしていたのだろうか。他には南京大虐殺を忘れないとかしゃべったらしい。当然一人に任せていたわけではないだろう。どのようなチェック体制で進めていたのかも説明すべきだ。そのチェックしていた人は、何故気付いて止めなかったのか。

 これからは生放送では海外ニュースをやらないことにしたという。何か態勢に不備があり起きたことなら、その責任者は責任を取らねばならない。ネットは、個人であってもその伝達力はNHKに等しいものなのだ。謝って終わるようなことは書かない覚悟が居る。

 個人の意識としては報道機関と同等の責任があるブログをブログを書いて公表している。NHKに対して良く責任論を書くが、自分に対しても同じことを思っている。その責任は何ら変らない。表現すると言うことはそういうことなのだろう。

 従軍慰安婦少女像の愛知トリエンナーレに於いて、あのおかしな名古屋市長は展示を取りやめさせた。これは表現の自由の侵害である。美術館の中で起きたことを、行政が指導するようなことはあってはならない。表現内容に問題があろうがなかろうが、それが芸術表現だとして、展示されているものに対する姿勢だ。

 それを主宰者が作品だと認めて展示した以上、会期中作品は展示されなければならない。もしも作品ではないと考えるならば、主催者に対して、芸術作品であるかないかで争うべきだ。その判断は裁判で行われる他ない。権力を持って強制撤去するなどあってはならない行為だ。

 この展覧会の趣旨は、国内の美術館やイベントで近年、撤去や公開中止となった作品を集めた企画「表現の不自由展・その後」の一つとして出品された。表現の自由とは何かを問う企画展で、表現の自由が阻止された事例で、まさに表現の不自由が表現された事件になった。
 
 水彩人を開催する、東京都美術館でも従軍慰安婦像の展示が撤去された事件があった。都美術館では開催前に、検閲がありそれを通過しないと展覧会は開催できないことになっている。本来であればおかしな話だと思う。美術館はその国の文化レベルを表わしているのだ。

 台湾台北の現代美術館では「発売禁止にされた歌展」と言うものが開かれていた。オオヤンフィーフィーさんの唄が発売禁止だったことが印象的であった。理由は何だったのだろうか。退廃的というようなことなのだろうか。日本ではそ言うことは全く問題にならなかった。

 文化はその国の現状を表わしている。中国が中華国家を標榜しても、現代美術館に行けばどんな状況にあるかはすぐに分る。韓国では日本を経済で追い子としたこと以上に、文科で日本を追い子としたことが素晴らしいと言われているのだそうだ。

 それがあの韓国ドラマや、韓国ポップスだとすると、韓国の文化はかなり低俗だと言わざる得ない。確かに韓国には素晴らしい絵画あったこともあるが、最近はそ言う話は聞かない。芸術は国に奉仕するのでは育たないのだ。芸術が一番欲するのが自由だ。

 今の日本は急速に絵画芸術が衰退をしている。それは日本の社会に本当の意味の自由がないと言うことなのだ。飼い慣らされた者に表現はない。自分という者が存在しない者に表現があるはずがない。従軍慰安婦は存在した。そして今の朝鮮にも慰安婦はいる。朝鮮王朝時代にはキーセン外交と言うものが存在した。

 どれもこれも悪いことだが、従軍慰安婦像こそ、今の韓国という国を良く表現している。それは韓国という国のお国柄を含めてのことになる。その表現を誰がどう考えるかは、受け止める側の問題である。日本大使館の前展示しても、デモを続ける国が韓国なのだと思うほか無い。

 その後、愛知トリエンナーレ展に対して、文化庁は事後的な補助金全額不交付とした。これが日本政府の実態である。この補助金不交付行為も一つの表現として世界中の評価の対象である。私は恥ずかしいことだと思う。政府の都合の善し悪しで、補助金を決めているのだ。

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金沢大学最後の同窓会

2024-08-12 04:37:21 | 身辺雑記


 先日、同窓会の案内が来た。静岡に居る中村さんから、最後の同窓会にするつもりなので、と言う断り書きのある案内が来た。勝手にこういうことを決めつけるところは、学生の頃から少しも変わりが無い。彼は劇団を運営して50年を生きてきた。私と同じガキ老人の一人である。

 9月14日の夜6時から前やった「武の助片町店」でと案内がある。どうしても行くつもりである。美術部の仲間の坪田君が亡くなり、まだ訪ねてもいない。早めに飛行機で小松に行く、14時10分には着く。すぐに竪町の坪田君の家に行ってみるつもりだ。彼はそこで画廊をやっていた。

 いま、どんな状況なのかは分らないが、行かなければ気持ちがすまない。丁度、水彩人展の開催時期である。すごい日にちにしてくれたものだが、東京にはいっている。金沢に行けるだけでもありがたいと思わなければならない。金沢で水彩画の展覧会が出来ればと思うのだが。金沢の古い友人に絵を見て貰えればと思うのだが。もうそう言うこともないのかもしれない。

 それでも同窓会に際して、一人でも多くの友人に会いたいものだ。美術部の関係者で、連絡の付いていない人も居る。これを読んで参加したいという方が居れば、遠慮無く参加してくれればありがたい。大歓迎である。
 

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パリオリンピックセーヌ川開会式

2024-08-01 04:38:27 | 身辺雑記

 飛行機から見た、石垣島北部地区の牧草地。

 オリンピックの競技が行われている。オリンピックの選手の競技は素晴らしい。真剣に競技に打ち込む姿は、見入ってしまう。特に感動するのは、敗れた姿がすがすがしい選手だ。どれほど辛いかと思うが、立派な態度で勝者を認める姿はいい。学ぶところがある。

 パリオリンピック開会式は、オリンピック開会式としては、初めて競技場から街の中に出るものだったそうだ。開会式を通して見たわけでもないが、断片的に見ているだけでは、地域が広く観客も選手にもよく様子のわからない開会式だったのではないか。開会式というのは参加選手のものなのだから、余興で盛り上げる必要は無いと思う。

 セーヌ川で行われた開会式は、私としては懐かしいものだった。パリの美術学校に通った2年間は、ちょうどこのセーヌ川沿いの場所を毎日歩いて通学した。サンフロランタン通りに住んでいて、いま虎屋のあるビルんの4階である。キリスト教会で紹介して貰ったアパートであった。

 コンコルド広場からセーヌ川の河岸を遡るように歩き、ルーブル美術館のところで橋を渡ると、美術学校が目の前にある。チュルリー公園の中をルーブルに向かって歩くことになる。モネの睡蓮の絵のある、「オランジュリー美術館」の前を歩くことになる。一休みで良く入った。

 公園には沢山鋳物の椅子があるのだが、椅子で座っていると、この椅子は1フランだとか言う鞄を提げたおばさんが来る。多分一部以外はウソなのだろうと思うが、ともかく椅子には座らないようにしていた。セーヌ川沿いを歩くよりもチュルリー公園の中を歩く方が気持ちが良かった。

 徹夜で絵を描いて居ても、学校には通ったので、「オランジュリー美術館」と「ルーブル美術館」 は毎日の気分転換の散歩道だった。セーヌ川の絵を描いたということもなかった。パリ自体の風景を描きたいとも思わなかった。セーヌ川はきれいな川ではないというのが印象である。流れのない淀んだ水が濁っていた。

 泳ぐのはトライアスロンの鉄人といえども無理である。競技が出来るというのだから、昔より水はきれいになったのかも知れない。毎日学校帰りは、ルーブルの美術学校側の入り口から入り、好きな絵を見に行く。しばらく眺めていて、家に近い出口から出て帰る。今はあのような小さな入り口や出口はないようだ。

 なんともありがたいことだったのだが、どこの美術館も美術学校の学生証で無料で入ることができたのだ。ヨーロッパ絵画というものがどういうものか、この2年間に学んだと思う。美術学校の並びにあった昔し駅だった汚れた建物に、オルセー美術館ができた。ゴッホやセザンヌ、モネやピカソやマチスの良い作品がある。

 美術学校に通っていた当時はルーブルの2階の地味な部屋に、少し古めのフランスの近代絵画があったが、どうにも見劣りする部屋だった。ルーブルの名品と並べれば、個性的な絵画ではあるが、ともかく絵が暗いという印象だった。ドーミエもあった気がする。エジプトの彫像が好きでよく見に行った。

 オリンピックの開会式でちらっと出てくるセーヌ川の情景が、50年前を懐かしく思い出させてくれた。昔から橋の上でお祭りが行われるということはあったから、オリンピックの祝典として、セーヌ川を使うというのは、自然に出てきたものという気がする。イタリアの町では川の上が商店街というところもある。

 東京オリンピックは無観客の開会式だった。開会式は見たはずだが、記憶にない。日本のエンターテイメント力を表していたのだと思う。北京オリンピックの方が大規模で、中国らしい独特のもので、素晴らしいと思った。東京オリンピックは日本文化の表現という感じがなかった。

 さすがにパリオリンピックはフランス的で、間違いや失敗も多く、緩さが目立つが、選手が船でのんびりとセーヌ川を行くという姿は悪くない。国の大小や選手団の多さなど、詰まらない国家主義を消してしまっている。参加選手が一時のパリを楽しんでいるようで、その緩さが良かった。

 この緊張場面を楽しめるものにしてしまうのは、さすがフランスだと思えた。背景にはテロ対策ですごい警備が背景にあるのに、それが祭典には悪影響を与えていなかった。国威発揚というような意識がないところも、さすがに大人の国だという感じがした。較べれば、中国の事大主義が恥ずかしい。

 今のオリンピックは開会式前から、競技は始まっている。ところが競技を見ることができないのだ。母が怖くて見れないと言っていたことを思い出した。年を取ってそのことが分かる。日本選手が十分に力を出せないかもしれないというところが不安になってしまう。

 外国の選手同士の試合であれば、ゆっくり競技を見ることができるのだが、日本選手の行う、海外の強豪との試合では不安が募り見ることができない。終わって結果が分かってから見るというような、ことになる。昔は競技すべては見ずには居られなかったぐらいのオリンピック好きだったのに、不思議な心境の変化だ。

 阿部歌選手が破れて、号泣している姿はつらかった。池江璃花子選手が決勝に出れないで、無駄だったと嘆く姿も残念だった。病気に勝利したではないか。競技に負けたって無駄のはずがない。生きると言うことは、全力を出し尽くし、生きる過程に過ぎない。選手がそんな気持ちになれないことも分らないでは無いが。まだまだこれからがある。

 二人とも全力で努力したことは分かっている。それが勝利ということで報われなかったのは、耐え難いことであるのだろうが、日々の努力がこれからの生き方にどう生かされるかだろう。これだけの人だから、必ずこの敗北を生かした生き方をしてくれるはずだと思う。

 日本選手が大活躍である。体操団体男子個人総合で、金メダルを取った。それは厳しい中国との接戦だった。良くも勝ったと思う。それは日本の選手全員が最後まで力を尽くしたからだ。諦めない精神の気高さを思った。前回東京大会では、惜しくも中国に敗れてから3年の努力の深さを思う。

 また、新しいオリンピック種目ではおしなべて日本選手は頑張っている。これはどういうことなのだろう。日本の若い人達に未知の世界に興味を持つ好奇心が強いのだろうか。新しい文化に切り込んでゆく精神があるのだろうか。日本には希望があることをあらためて思った。

 ブレーキング、BMXフリースタイル、スケートボード、テレビでも見たこともない競技である。金メダルをあらそう日本選手がいるらしい。スケートボードでは男女とも優勝した日本選手がいる。見ていてもどういう趣旨の競技なのかよく分らなかったが、新しいと言うところが良いのだろう。

 「最後の晩餐」をパロディー化した問題について書こうと始めたのだが、書くこと止めにした。書いている内に、無視した方が良いような気になった。
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闇米を食べずに死んだ山口判事のこと

2024-06-21 04:16:00 | 身辺雑記


 毎朝見ている朝の連ドラ「虎と翼」で闇米を食べずに栄養失調で死んだ判事の話が出てきた。出るだろうと思っていた。闇米を食べずに死んだ方は山口良忠判事は、主人公の三淵嘉子 さんとは同じ時代の判事である。この脚本家はすごい調査をしているので、出てくると思っていた。

 山口判事の死は、ある意味帝国主義日本が起した侵略戦争の結末に見えるのだ。戦後日本の混乱と飢餓社会は、中国の最前線で7年間戦地にいた私の父にしても、中国での戦時中以上に厳しく苦しい時代だったといっていた。食料がないと言う地獄の中に、生きた。その地獄から這い出ようと、悩み抜いて生きた。

 私が小学校2年生ぐらいの時だと思うが、数えてみると昭和33年と言うことのようだ。同級生のMさんの弟さんが、栄養失調でなくなられた。まだそう言うことが、身の回りにあった時代なのだ。戦争が終わり13年後のことである。昭和31年の経済白書にはもはや戦後では無いとあるのだが。

 多分その時に学校の先生が、闇米を食べずに死んだ山口判事の話をしたのでは無いかと思う。先生も多分山口判事と同年代で、飢餓の時代を生き抜いたのだ。山口判事がなくなられたのは1947年とあるから、10年ちょっと前の事だったことになる。栄養失調と言うことに直面して、先生は思い出して、人ごとではなく話されたのではなかっただろうか。

 家に帰り山口判事の話を父に聞いたのだ。する父はびっくりするほど深刻な表情に変わった。戦後の混乱期にも、立派な人がまだ日本にも居たのかと感銘を受けたと話してくれた。 誰もが生きるために闇米でも何でも捜して食べたのだと。それは犯罪ではあるが、仕方がないことと受け入れざる得ない時代だったと。

 父もそのことに苦しんでいたのを感じた。そういう自分を恥じたと言うことだった。日本にはこんな立派な人がまだ居たのだから、日本はまだ大丈夫だと思ったと話した。あまりに真剣な態度だったので、この事件がよほど堪えたに違いないと思えた。

 父は闇商売が得意だったはずだ。闇物資を手に入れて、商売をして成功をした人だと思う。米軍基地に忍び込んで、便所の板を外してきて、家を作ったというような人なのだ。ヤクザの知り合いが家に現われるような人で、闇物資の流通をやる人の間では信望があった。

 そんな父が、山口判事の特別な生き方に、かなり深刻に衝撃を受けていた。その衝撃の意味まではよくは分らなかったが、特別なことだという印象は強く残り、時々山口判事のことを思い出していた。法を守る判事が故に、闇米を食べないで、餓死を覚悟した人のこと。

 人間の生き方である。佐賀県出身の人だから、葉隠れを思い出してしまう。同時に、山口判事の同年代の人達は戦争に徴兵されている。父は明治生まれの人だからもう少し上の世代で戦争に7年も行った。山口氏は裁判官だったために戦争に行かなかったのだ。戦死した仲間に対する負い目と言うようなものや、責任感のようなものも、あったのかもしれない。

 そういう諸々の背景があり、闇米を食べないという判断をしたのだろう。私の子供時代にも米穀通帳というものがあり、それを持って地方から東京に出てきて、住み込みで働いたのだ。お米屋さんから、お米を配達して貰うのに、米穀通帳がないと頼めなかった事を覚えている。

 食糧不足から、お米は配給制度が続いた。しかし、闇米の方が流通の中心になる。配給のお米はお米屋さんがブレンド米を作って、配給していた。だから美味しくなかった。美味しいお米が食べたい人は、高い闇米を買っていた。山口判事が聞いたら驚くような事に、配給制度は変って行く。

 食糧管理制度は、米価を維持するというような、違った意味を持つ制度になる。米農家の保護。自民党の支持母体だった農家が、むしろ旗に米価を上げろとかいて、国会でデモを毎年繰り返した。農家が減る事で、自民党は食管制度を止める。そして米国手帳もなくなる。

 日本では米は余るものになった。食管制度のために、作られたお米をすべて国が買ってくれるから、お米さえ作れば暮らして行けた。所がその米価が維持できなくなり、自主流通にお米は成る。それでもお米は生産過剰である。日本は食糧自給は出来ない国になったが、かろうじてお米が食料の安全保障になっている。

 しかし、今年はバヤリースオレンジが販売停止になった。ブラジルのオレンジの不作の影響らしい。これは始まりである。世界の食糧不足時代の予兆である。あらゆる産物が不足するだろう。そもそも国力が落ちて、円が今以上にやすい国になれば、海外の食糧を輸入を続けることは難しくなる。

 そして、国内でもインバウンド海鮮丼ではないが、観光客が価格をつり上げることになる。観光客には1000円のラーメンも1万円のお寿司も半値くらいの感覚なのだ。だから海外から沢山の観光客が来ているのだ。どうもお米の値段が上がり始めているのは、海外旅行客の需要増加のためらしい。

 食料は足りなければパニックになる。有り余るくらいあって丁度なのだ。今年の日本の気候はすでに怪しげである。キャベツ一個が300円で高いと言うことらしい。300円ぐらいしなければ、私は作る気になれない。今まで、食料は安すぎたのだ。

 世界では食糧不足は続いている。中国やインドのような人口爆発の国が、世界中に出てくる。しかし、食料の生産は限界に対して居る。日本が食料輸入に苦しむ時代は近づいている。山口判事の事をまた思い出すことになるのだろう。

 敗戦から食糧不足になったのだが、そもそも日本国内での食料生産は6000万人ぐらいが限界と考えた方が良い。日本人の労働力はその辺が限界だ。海外から労働に来てくれることも遠からず無くなるはずだ。日本の普通の農家はなくなる。企業的農家と自給農家になる。

 高くて買えないから、自給して食糧を確保しようと言うことになる。私の家も相模原で開墾生活をしたのだ。私の母は隣の畑で働いていて、労働力が買われて、父と結婚したのではないかと思う。何しろ、お婆さんは目黒に暮らしていて、馬糞を拾ってはリックに詰めて、相模原まで出掛けていたのだ。

 母は山梨の富士吉田で教師をしていたのだが、給与だけでは食料さえ十分に買えずに、生活が出来ないと言うので、弟が開墾しながら駒沢大学に行くというので、相模原で開墾を手伝っていたのだ。二人は農業の専門家だから、上手く開墾をしていたのだ。

 国の政治の一番の目的は国民を飢えさせないことだ。その政治がデタラメだから、日本人は自給的生活を確立した方が良い。農業はますます縮小するだろう。農家はさらに半減する。輸入食料の確保は価格が高騰し、難しくなる。企業的農家は食糧の増産をするだろうが、十分な労働力の確保が出来ないはずだ。

 食糧自給をすることは、日本人の暮らしの安全保障になる。
 
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藤井聡太名人防衛から叡王戦第4局へ

2024-05-29 04:22:09 | 身辺雑記


 叡王戦第4局が5月31日にある。この将棋は大大大注目である。8冠だから当然のことだが、防衛戦が続く。名人戦は4勝1敗だったが、かなりきわどい戦いの部分もあった。豊島挑戦者が乱戦に持ち込もうと、過去に例のない作戦を用いた。最終戦は豊島9段が振り飛車にした。名人戦での振り飛車戦はもう長いこと無かったのではないか。

 豊島9段の終盤力が生かせる展開に持ち込んだ将棋もあり、すごい名人戦の5局だったと思う。豊島9段はAI研究の先駆者である。乱戦に持ち込もうとした理由は藤井名人のAIの戦略研究が、図抜けていてAI研究競争では勝てないと考えたからだろう。

 豊島9段がタイトルを取るようになっても、その将棋の強さを理解できなかった。何か勝ってしまうが、その勝ち方に度肝を抜くような手とか、奇想天外の発想がない。失礼なことだが、面白みのない将棋だと思えた。将棋は勝ちさえすれば良いのかと、難癖を付けていたのだ。

 大山将棋や羽生将棋にある、そして今では藤井将棋にある、信じがたいような発想が豊島将棋には表現されない。それでも不思議に勝ってしまう。その強さが何か違う人だと思えた。ところが、今回の名人戦では考えられないようなさすがだと思える、素晴らしい手が表れていた。豊島九段の進化はすごい。

 藤井名人でなければ、勝てなかったに違いない。最終戦を除けば、きわどい将棋が多かった。藤井名人が防衛を出来たのは、AI研究で上回っているからだ。AI研究は記憶だ、と渡辺永世竜王が悔し紛れに言っていたとおりなのだと思う。記憶力は年齢と共に衰える。

 若い藤井名人には記憶力で豊島9段は及ばないと考えて、乱戦に持ち込もうとしたのだろう。その点で藤井8冠からタイトルを奪うのは、同年齢の伊藤かさらに若い藤本になるだろうと8冠を取ったときに予測した。その予測通り、叡王戦挑戦者伊藤匠七段は後一つ勝てば、藤井8冠からタイトルを取れるところまで来た。

 8冠を制覇することよりもそれを維持することの方が難しい。羽生7冠はタイトルを制覇して、すぐに奪われた。心理的に守るものの方が挑戦するよりも難しい。全ての将棋指しが、藤井将棋を徹底研究している。その長所を出させないように、そして自分が優れていると思われる部分で挑戦してくる。

 伊藤七段は終盤力がすばらしい。藤井戦を除けば、やはり八割以上勝つ強さなのだ。だから何度でも挑戦者として再登場してくる。詰め将棋であれほど卓越している藤井8冠と遜色のない終盤力である。終盤勝負に持ち込めば勝てる可能性があると考えているのだろう。

 外の棋士の場合、終盤に互角であれば、勝てないと考えて中盤戦までに有利の状態にしようとする。ところが、伊藤七段は終盤まで互角で進めば良いとして、無理な中盤の手段を求めない。そのために終盤まで互角の勝負が多い。それなら、藤井8冠が勝つだろうと思いきや伊藤七段が勝ちきったのだ。

 この終盤で勝ちきる戦い方に藤井8冠は、今回戸惑って2敗したと思われる。藤井8冠は今まで伊藤七段には11連勝で負けたことがなかったのだ。違った、間違っていた。伊藤少年と藤井少年は子供の頃から競い合う間柄だったのだ。

 小学生名人戦の準決勝戦で伊藤少年に負けて、藤井少年は泣いたのだった。しかしその時優勝したのは、その伊藤少年でもなく、プロにならなかった早稲田将棋部の川島さんだ。伊藤七段のすごいところは、負けても負けても自分の将棋で挑んできたところだろう。いつか勝てる日が来ると信じて努力を続けてきたのだ。

 同時進行だった、名人戦が防衛できて、いよいよ叡王戦に集中するだろう。次の31日の第4戦は負ければ、8冠制覇が崩れる天下分け目の一戦となる。見たこともないような藤井将棋が見られると思う。終盤にどうなるかと思うと今から気がかりで成らない。

 伊藤七段が藤井8冠の最初の挑戦は竜王戦である。これを4連敗。そして全く腐らずすぐに、棋王戦での挑戦。しかし、これも3連敗。全く調子を落とさず、すぐに叡王戦での挑戦。負けても、戦い方を変えることもない。調子を崩さないところが並ではない。正面からの敗北で何かを学んでいるのだろう。

 そして3度目の挑戦で、何と2勝して藤井8冠を崖っぷちに追い詰めたのだ。両者先手番を勝ち1勝1敗の互角の進行。そして、藤井8冠の先手番を何と伊藤七段が破ったのだ。この将棋は実に難解な将棋で後半で、両者1分将棋になる。すごい連続王手を藤井8冠がかけ、この難解な終盤を見事にしのぎきり、伊藤七段の勝利。

 終盤力で藤井8冠を上回ったように見えた。これは始めて見たことで驚異的なことだ。誰もが驚くほど伊藤七段は急激に強くなっている。藤井8冠が調子を崩して負けたわけではない。伊藤七段が勝負に上回って勝利した気がする。土壇場の1分将棋で慌てず冷静に読み切っていたのは、素晴らしい将棋だった。

 次の第4局は藤井8冠の後手番である。どういう戦型になるか角代わりなのだろうか。非常に興味深い。持ち時間が短い。しかもチェスクロックなので同じ4時間でもさらに短い。藤井将棋は時間が長いほど特徴が出る。その点では叡王戦が一番防衛が難しいだろう。

 伊藤七段が叡王戦に勝利するためには、あるいは8冠からタイトルを取るためには、次の一番にかける必要があるだろう。次の一番は今年、最高の一戦になるはずだ。この一戦を見ることが出来るだけでも、将棋がある程度分ることが嬉しい。

 将棋はAIと人間の関係を表わしている。AIは人間をはるかに超えるのだ。それはどの分野だって同じで、人間はAIとどう関わるかを問われている時代なのだ。AI革命が起きている。そのことを将棋というゲームで先行して見せてくれているのだ。

 人間同士の頭脳の戦いの価値は感じるのだ。そのことはどの分野でも同じで、どれだけAIが優れているとしても、人間らしいものの価値は、比較されながら高まる。野球ロボットの完璧なものが登場しても、人間大谷翔平の方が魅力あるのだ。

 人間が絵を絵を描くという意味が、明らかになるはずだ。AIが描くような絵を描いている人のつまらなさが、明らかになるはずだ。人間にとって藝術とは何か。生きると言うことはどういうことなのか。自分というものは何なのか。そ言うことはAIではどうにもならないことだ。

 人間が生きるという意味がAI革命によって、明確に問われるようになる。たかが将棋というゲームを見ながら、人間の可能性を感じる。人間は人間らしく生きると言うことだ。例えば裁判はAIに任せた方が良い。しかし、藝術は人間が行うことで、意味がある。

 
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猫と水牛を飼っている。

2024-05-20 04:54:09 | 身辺雑記


 今1匹だけ猫が居る。「ルル」である。水牛は3頭居る。「わかば」「さくら」「のぼたん」である。みんな名前がある。ブログを書いている今は、猫が膝に来ている。甘えるわがまま猫である。農園に行けば、水牛が寄ってくる。どちらも可愛いが、家畜と猫はさすがに違う。

 水牛は放牧してあるので、毎日紐を引っ張って、飼われている事を認識させている。時々水牛を綱で繋いで置いた方が、家畜として扱うためには良いと言われる。しかし、水牛だって自由に歩き回れる方が良いだろう。餌だって食べ放題だ。

 繋ぐとすれば、水を運ばなければならない。これが案外大変な作業になる。だから繋ぐのは、池のそばになる。今なら池のそばにいくらでも草があるので、溜め池掃除を兼ねて、水牛もすこしづつ繋いでいる。これは動物虐待に当たるのか当たらないのか、いじめている考えはないが。

 猫のルルは福島の原発事故現場周辺で、事故直後に生まれた猫である。だから今13歳と言うことになる。ルルは家猫で、外には出さない。猫の場合外に出すのが、動物虐待になるらしい。猫に選択権があるとしたら、自由な外暮らしで、危険な中で暮らすのと、家暮らしで安全に暮らすのではどちらを選ぶだろうか。

 ルルは最近急に弱ってきた。あまり食事が食べれなくなった。ペット病院で見て貰ったが、特に腎臓に悪い数値があると言うわけではないそうだ。でも猫は食事が細く成ると、そう長くないことが多かったので、心配している。確かに痩せては来たが、様子が良い日もある。

 小さい頃彷徨い歩いて、餌も食べれずに育ってしまったために、身体も小さく弱い猫なのだ。もしかしたら、産まれたのが原発事故現場から遠くない場所と言うことなので、小さな頃に放射能の影響を受けたために、身体が弱いまま育ったのかもしれない。汚染された食べ物しかなかったはずだ。

 身体は弱い猫だが、気は強い猫だ。小さいくせに、他の大きな猫を脅かしていた。身体が倍もあった白黒ブチのスズをいじめて困った。スズは気持ちの優しい猫で、歳も大分上なのに、何でもルルのやりたいように任せていて、何かあれば逃げてしまい、絶対に手を出さなかった。猫の性格も様々である。

 ルルの弱ってきた姿を見ていると、ペットはもう飼えないという気持ちになる。何十匹も猫や犬の死を看取ってきて、そのつらさには、いつも耐えかねるものがある。何度も金魚や鶏も含めて、死の立ち会いを重ねても、犬や猫に死に慣れるということはない。

 ある意味両親の死よりも、辛いものがある。母も父も一緒に暮らしていて、看取った。父も母も覚悟のある人だったので、私が打撃を受けると言うよりも、生きると言うことの全貌を見せて貰ったという感じがした。寂しいことであるが、受け入れられた。ありがたいことに自分のことより私のことを考えてくれた両親だった。

 確かに死んでもう居ないと言うことはあるが、今でもよく相談をしたり、教えられたりしている。両親は私よりも大分高級な人間だったのだ。両親が立派と言うこともあるが、私が相当にだめ人間なのだ。だめでも仕方がないとやってきていままできてしまった。

 犬や猫の場合、私が保護者なのだ。手の中で保護している、大切な物を失うという感じには、耐えがたい辛いものがある。石垣に来たときに5匹の猫が居たのだが、今はルル一匹になってしまった。毎年1匹づつ死んだと言うことになる。年寄猫ばかりで、一番若いルルが残った。なんども辛いものがあり、次に猫を飼うという元気がない。

 猫を又飼う。犬を又飼うという気力が湧かない。しばらく前までは、今度はまた犬が飼いたいと考えていた。子供の頃から小田原で暮らしている頃まで、犬をいつも飼っていた。向昌院にいた甲斐犬のクマが最初の犬である。最後の犬が死んでから、猫だけを飼うように成った。

 最後の犬はやはり、福島から来たセントバーナードである。おとなしい優しい犬だった。死ぬまで間、一緒に暮らしたという感じだった。預かって、死ぬのを見届けるというような役割だった。この優しい犬からも教えられることが多かった。飼い主が行方不明になり、その後辛い環境が続いたのに、人間を信頼していた。

 福島から来た犬は他にも飼ったが、それは原発のそばに繋がれたまま、置き去りにされ1ヶ月餌を食べないで、弱り切っていた。その犬でさえ健気だった。飼った犬は立派な奴ばかりだった。十分世話が出来たのか恥ずかしいぐらいだ。犬は真面目で一途だ。裏表がない。私がだめな奴なのに、どの犬もせめないで許してくれた。

 だから、犬を又飼いたいというのは、犬に助けて貰いたいという感じがある気がする。ルルが弱ってきているから、犬ならば強い気持ちで飼えると思うのかも知れない。まあ犬だって死ぬことには変りはない。もう生き物は飼えない歳のかもしれない。

 まだ猫が膝の上に居る。猫に助けられて書いているわけだ。のぼたん農園で助けられているのは3頭の水牛だ。のぼたん農園に行く楽しみが、水牛に会うことだ。水牛は家畜として飼っているのだが、結局ペットのように飼っている。福仲先生は繋いでおけと言われるのに、放してあげたくなる。

 放しておくと従わなくなると言うことなのだが。そんなことはない。毎日金属ブラシで擦ってやる。これで手名付けることが出来る。左手で紐を引っ張って従わせておいて、金属ブラシで擦る。紐で引くと水牛は従わざる得ないと言うことを理解している。水牛は想像できないくらい頭が良い。

 ワカバは3ヶ月種付けのためにのぼたん農園を離れていた。戻ったときにはのぼたんは母親を忘れていると、言われていたが私には信じられないことだった。のぼたんは2歳3ヶ月なのに、戻った母親のワカバを見て、またお乳を飲んでいる。

 私は可愛がるばかりだから、甘く見られているのだが、紐でしばらく引っ張ってやると、自分が従っているという意識が出来るようだ。しかし、のぼたん農園で産まれた、のぼたんは少し違う。さくらやわかばは他で育った、のぼたん農園に来た水牛なので、甘えるという感じではない。

 のぼたんは、産まれたときからのぼたんの傍にいるので、関係が大分違う。まあ、かなりペット的な水牛になったと言える。のぼたん農園では他所で育つ水牛は違う飼い方なのだと思う。放し飼いの水牛は日本では他には居ないだろう。放牧で自由に育ったからといって野生的になるという事はない、といえるだろう。

 しかも大勢の人に特別に可愛がられてきた。人間がどういうものかの理解がのぼたんは少し違うようだ。家畜として育ててないので、仕事を出来るかという点では問題があるが、多分やらせればやってくれると思う。人間と居ることは好きだし、頭も良いので何をやるのかはすぐに分るはずだ。

 本当は鶏を飼えばいいのだが、飼う気がどうしても起きない。やはり、鶏を飼うのを止めた理由が引っかかっている。重い気持ちで止めたのだ。サトウキビ畑の放し飼いというのは、可能性があるような気がしている。サトウキビ畑の回りに、2mのネットを張る。その中に放し飼いをしておく。

 サトウキビは背が高いから、鶏が葉を食べることはないだろう。サトウキビが小さい間だけ、鶏は別飼いをする。サトウキビの間を鶏が歩き回り、虫や雑草を食べる。糞がサトウキビの肥料になる。サトウキビがあれば、上からの鷹や鷲の攻撃も避けられるかも知れない。

 今は2列の50mほどのサトウキビがあるから、ここでまず実験をしてみる価値はあるかも知れない。その意味ではパイナップルも同じかも知れない。鶏はパイナップルの葉は食べないだろう。これは試してみなければ分らないことだ。鶏を飼う気になれるのだろうか。
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テレビ小説「虎に翼」がおもしろい

2024-05-17 04:05:07 | 身辺雑記


 今回のテレビ小説は久しぶりに内容が深い。素晴らしいできばえだと思う。まずテーマが素晴らしい。女性で初めて法曹試験を合格した人の話である。女性が裁判官には成れなかった時代のこと。そして法律によって女性が差別を受けていた時代のこと。

 戻ってはならない、明治の帝国主義時代が法律から浮かび上がってくる。女性蔑視の実相が、法律を通して見えてくる。差別の時代の中、強く対抗するもの、柔らかく抵抗するもの、したたかに「はて?」と切り込んで行く姿。憲法を無視して法律が作られるような、あきれた現代政治への参考になる。

 まず女性主人公である、寅子のモデル「三淵嘉子」さんがあまりにすばらしい人とだということ。女性差別の時代の中で、したたかに、「はて?」と疑問を呈しながら、柔らかく矛盾を提起して行く。この柔らかな性格で困難な時代を突破するヒロイン猪爪寅子を伊藤沙莉 さんが演ずる。

 伊藤沙莉さんは最高の俳優だと期待して、楽しみにして見てきた。以前のテレビ小説「ひよっこ」で 酒屋の娘役でテレビ小説に出たときに、その演技に驚嘆した。すっかり伊藤さんにはまった。画面に出てくるだけでついつい笑ってしまうのだ。本物の役者だ。

 その昔の渥美清さんの「泣いてたまるか」を見たとき以来である。笑わせて泣かせるのだ。ひよっこを有村架純さんが演じたのだが、記憶さえ定かでは無い。脇役だった伊藤さんのすごさに、しびれた。画面に現われるだけで思わず笑う準備をしていた。

 酒屋さんの娘というと、我が家の奥さんと同じだから、余計に記憶に残ったのかもしれない。伊藤さんは持っているものが、ユーモラスなのだ。天性喜劇役者の素質がある。喜劇役者たる伊藤さんが、女性初の弁護士、女性第2号の裁判官の堅物を思わせる女性を演ずるという所が素晴らしいではないか。

 主人公のモデルである、三淵嘉子さんは実際にはとても柔らかな人で、堅物の法律家ではなかったということだ。だからこそ困難な時代を乗り越えたのだろう。この時代を超えた主人公を演ずるには、伊藤さん以外には居ないだろうと思う。

 今度のテレビ小説の主演は伊藤さんだと聞いたときから、楽しみで待ち遠しくて仕方がなかった。予想をたがわず、すごい演技である。顔の表情がすごい。伊藤さんの顔の筋肉は自由自在である。百面相である。どんな内面も、顔に表わせる人なのだ。

 しかし、笑わせながらもこのドラマは、かなり鋭い時代に対する批判精神を秘めている。笑ってやがて悲しいドラマなのだ。「帝人事件」 が登場した。台湾銀行が保有する帝国人造絹糸の株式が不正取引され、その売却益が政財界にばらまかれたとする贈収賄事件である。 

 内閣を潰すために、実はこの事件はでっち上げられた事件だったのだ。「時事新報」がこのスキャンダルを報じると、帝人や台湾銀行の経営者だけでなく、大蔵省の次官や銀行局長らが逮捕され、さらに当時の斎藤実内閣が総辞職に追いやられ、現職の商工大臣や鉄道大臣まで逮捕されるという大事件に発展した。 

 所が、裁判の結果事件自体が斉藤内閣を倒すために、虚偽に作り上げられたものだったのだ。しかも、この疑獄で斉藤内閣は倒れた。何とも、アベ派二階派潰しに、パー券キックバックを裏から情報を流して、公表した岸田氏のようではないか。

 NHKはドラマで婉曲に、遠回しにしか、政治的発言は出来なくなっている。ここには、朝鮮人の法律家志望の女性も登場する。お兄さんが警察から追い回され、朝鮮に帰ることになる。やがてその女性も帰るらざるえないことになる。日本の朝鮮植民地の過ち。

 華族の娘である、優秀な人も弁護士を志望する。しかし、結局の所家を継がざる得なくなり、不本意な結婚をしてしまう。様々な形で、女性が人間として生きる事の困難が示される。それは、実は現代の女性差別を浮き上がらせていることとなっている。

 タイトルバックは、シシヤマザキさんが制作。これは「シシヤマザキさんのお絵かき教室」に入った友人の話では。監督がいて、その構想に基づく共同制作なのだそうだ。共同で様々な才能の集約が、シシヤマザキさんの統括で生きてきているのだ。このタイトルバックが時代を超えたのは、共同制作にあったのだ。

 流れる歌は米津玄師さん。アニメーションはロトスコープという技法で制作されている。ロトスコープとは、人の演技を撮影した映像から画像として切り出し、絵を描きアニメーションに変える技法だ。絵はコピー用紙に水彩画を中心に描いている。保存のことなぞ意識しないからだ。

 所がシシヤマザキさんはその古くさい技法を、斬新な映像表現に転換したのだ。確かに映像を感じさせるのだが、そこから自由に羽ばたく画像だ。その画像によって、このドラマの精神の自由が表現されている。絵は水彩的表現を用い、マチスのように、モネのように光に満ちている。

 タイトルバックのノンクレジット版 公開6日目で100万回再生突破 米津玄師主題歌に踊る伊藤沙莉さんとある。私には米津さんの歌の曖昧さよりも、はるかにシシヤマザキさんの映像に魅了される。米津さんには女性蔑視の時代を音楽としての表現がない。どこか恋愛する女性をイメージさせて、甘すぎると思う。

 何故シシヤマザキさんのすごさが見えないのか、残念で仕方がない。このアニメーションは新しい時代を作っているのだ。日本の伝統的な絵物語を原題のアニメーションで再現している。映像美であり、映像による思想の表現だ。見ると言うことと表現することをこれほど端的に表現したものはない。

 シシヤマザキさんの総合力で、新しい日本のアニメ藝術を完成して貰いたい。これほど人間の心に迫る映像はまたとない。マチスに匹敵する芸術家だと思う。やはり、共同制作に意味があったのだ。このタイトルバックには、そのお絵かき教室の生徒さんの絵も出ているそうだ。

 伊藤沙莉さん、シシヤマザキさんと、日本の若い女性にすごい才能が現われている。まだまだ日本は大丈夫だ。なにしろ、大谷翔平選手もいるし。石垣島にはのぼたん農園もある。大分衰えてきた気はするが、まだ何とかなるはずだ。
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白鵬宮城野親方と相撲協会

2024-03-15 04:08:40 | 身辺雑記

 小さな5番田んぼの苗代、「ハッピーヒル」

  大相撲は大阪場所が始まった。1横綱4大関の布陣である。若手が力を付けてきて、上位陣は荒れる春場所と言われるとおり、上位陣は安泰とは行かない毎日である。すでに横綱照ノ富士は4日目で2敗。大関霧島は4敗。震央関の琴ノ若は3勝1敗で順調。

 しかし、白鳳と相撲協会の関係がこじれて、場所中にもかかわらず雑音の方が大きい。宮城野部屋の北青鵬は先場所、破門に等しい引退になった。北青鵬はまさに大器で、今一番の横綱候補であった。相撲はまだ甘かったのだが、2mを超える身長でありながら、相撲の取れる動きである。

 白鵬親方はその弟子北青鵬の教育に失敗して、宮城野部屋の閉鎖が決まったと言われている。この処分が正当なものであるかどうか、今後問題化しそうである。モンゴルから来て、相撲協会に貢献してきたにもかかわらず、人種差別問題が出てくる可能性がある。伝統文化の中での外国人問題は複雑に絡み合う。

 ただし、白鳳の場合は親方に就任するときに、誓約書を取り交わしている。現役時代3回の処分を受けていて、白鳳は日本の相撲の世界のしきたりを無視してきた。今後協会の考えを大切にするという誓約書を書かされて、親方になった。にもかかわらず、相撲のしきたりを一向に遵守しないのだ。

 直接のことの起こりは、弟子の北青鵬が、弟弟子に暴力問題行為を繰り返していたことを、白鵬が師匠の立場でありながら、見て見ぬ振りをしていたことだ。しかも、それを相撲協会の調査の際して、隠蔽しようとした。暴力の根絶を目指す相撲協会としては、厳しい処置を執ることになった。

 しかし、同様の事件が過去にも繰返しあったのだが、その時の処分に較べて重すぎる。しかも部屋の閉鎖まで行われると言うことで、表面だけで考えると何か不当処分に見えないことも無い。しかし、この事件の背景は根が深く、ある意味過去の貴乃花事件に似ている。

 貴乃花事件を思い出してみると。白鳳は貴乃花の弟子貴ノ岩が暴力を振るわれたときも見ていて黙っていた。しかし、貴乃花部屋は暴力に満ちていたと言われている。昔の相撲部屋の鉄拳制裁が当たり前が、貴乃花部屋では継続されていた。そして、日馬富士にビール瓶で殴られた弟子のモンゴル出身の貴ノ岩は、その後やられて抗議したくせに、弟弟子に暴力を振るって、引退になった。日馬富士もその暴力で相撲協会から追放になった。

 暴力事件は相撲の世界では、強くなるためには当たり前の事であった。そして、その暴力で死んでしまった事件さえある。しかし、日本人力士は暴力部屋では育たなくなってきている。運動部でも慶応高校野球部のように、自由で自主的な野球部が甲子園で優勝する。

 しかし、全体で見ると、モンゴル力士はやはり破門された横綱朝青龍のように、暴力に対する意識が、少し違うようだ。戦前の軍国主義時代の日本のような状態の意識の人なのかも知れない。強くなるために暴力が必要と考えて、暴力を許容しているのかも知れない。

 この意識の違いが今回の事件の根底にあるのかも知れない。そして意識の違いはもう一つある。モンゴルでは日本で相撲取りで強くなった人が、政治家になる人ことがある。日本では、過去に政治家になった相撲取りはいないのではないか。身体が強いと言うことに対する意識が違うのだろう。

 白鳳の部屋の経営感覚を見ると、他の部屋とは少し違う。今回の弟子北青鵬は、両親に連れられて、子供の時に日本に来ている。どうも、白鳳は北青鵬と同様にモンゴルから有望な子供を日本に連れてくるというやり方を、かなりの数行っているらしいのだ。

 その理由は外国人力士枠があり、各部屋1人と決まっている。あまり外国人が増えすぎないために、相撲協会が取った対策である。以前は一部屋2人までとなっていたが、2002年に1人となった。しかし、先輩力士が日本国籍を取るなどして、外国人枠の抜け道を探す部屋が出てきた。

 北青鵬は子供の頃から10年間日本にいたので、外国人枠からはずれた力士である。この抜け道を白鳳は考えて、モンゴルから子供のうちに有望なものを呼び寄せていると言われている。日本の子供も確保するために、白鳳杯という子供相撲大会を現役の頃から開催している。

 つまり、白鳳の相撲部屋の経営感覚はずば抜けているのだ。このまま行けば、白鳳が相撲界を支配するだろうと、相撲の世界全体が不安に包まれていたのだ。そこに暴力事件が起きたので、この機会に白鳳の抜け目ない弟子養成法を抑えようとしたのだ。

 これは貴乃花事件にも似ている。貴乃花の場合は、国民的な人気があまりに高く、貴乃花の発信力が相撲協会より勝っていたのだ。当然部屋にも有望力士が集まるし、理事にもなる。何とか貴乃花を押え込もうという人達は、暴力事件を機会に、貴乃花を悪者にすることに成功したのだ。

 今回も白鳳のモンゴル出身力士や、日本の子供達を白鳳杯で集める弟子の養成方法に対して、危機感を抱いている相撲協会が、白鳳潰しを図っていると考えて間違いないだろう。相撲協会はそういうもたれ合いで出来ているのだろう。しかし、それだけでは問題は終わらない。

 もたれ合いは伝統芸の世界では当たり前の事になる。歌舞伎や能に外国人枠など無い。相撲は微妙なところで、相撲協会としてはオリンピック種目にしようなどと言うことはない。スポーツでは無いのだ。オリンピック種目になれば、日本の横綱が、メダルが取れないかも知れない。当たり前の事だ。

 世界で見れば横綱が弱い。それでは興行としては困る。その意味でモンゴル出身者がこれ以上増えることは、相撲協会としては避けようとしているのだ。何しろ横綱や大関がモンゴル勢が占めて長い。このままで良いのか。幕内力士の半分はモンゴル勢になって良いのかという、危機感があるのだ。

 そこに、モンゴルの暴力問題が絡んできた。日本はすこしづつ暴力から離れてきた。昔のお父さんは普通に子供に手を挙げたのだ。今そんなお父さんは居ないだろう。いや居ると言えばいるが、それはもう犯罪者である。子供を殺してしまう親が居るが、それはまた別問題だ。

 モンゴルでは暴力教育が許されているのだろう。この文化の違いがここで問題にされたのだ。相撲協会としては、これは人種差別問題ではない。あくまで暴力根絶だという建前で、宮城野部屋の閉鎖まで進もうとしている。しかし、過去の事例も含めて裁判は覚悟しなければならないだろう。

 白鳳は今のところ全く意見を表明はしていないが、白鳳の性格を考えれば、黙っているはずも無い。黙っているとすれば、何か戦略があるからだろう。しかし、あれほど強かったのにもかかわらず、あまり好かれなかった横綱である。相撲が暴力的だったことから、暴力容認と思われている。

 今回の問題は、相撲が外国出身者を受け入れたときから、考えておかなければならないことだったのだ。過去に力道山さんや、玉の海さんは朝鮮人力士だった。曙さんが最初の外国人横綱では無かったのだ。力道山はあまりの虐めのひどさと、大関にはさせて貰えないと言うことで、相撲からプロレスに転身したと言われている。

 相撲界の外国人力士問題は、日本人全体なのかも知れない。はっきりと相撲はスポーツでは無く、伝統芸能だと表明すべきでは無いだろうか。強いだけではだめと言うことを明確にした方が良い。心技体と言うことで、心が横綱で無ければ成らない世界と決めるべきだ。



 

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楽観を目指して生きる

2024-03-11 04:30:34 | 身辺雑記


 楽観的である。何でも上手く行くと思っている。自分だけは災難から逃れられると思っている。多分経験的にそう思えるようになったのだ。絵を描きに行くと、行ったところだけ雨が降らない。死んでもおかしくないような経験もあるが、大きな怪我もしたことが無い。

 幸いなことにお金に苦労したことは無い。生活力があるというか、運が良いということだろう。要領が良いからだとおもう。高校生の頃から、自分で生活費を稼いで暮らしてきた。大学も自分のお金で行った。フランスにも自分のお金で留学した。絵描きになろうとした頃は絵がよく売れた。

 開墾して自給自足で暮らしたときでも、卵を買いに来てくれたので、これなら養鶏業がやれそうだ、ということで自然養鶏を始めた。どうすれば卵で生計が立てられるか、色々工夫をして何とかしのいだ。今思えば山の中の開拓暮らしは楽しい事だった。

 何故運良く生きて来れたかと言えば、何とかなると楽観していたからだと思う。楽観とは何なのか。「自分のこだわりを持ち続ける」と言うことではないだろうか。これはこだわりを捨てろという良くある教訓の逆である。こだわりを捨てれば、運も捨てることになる。おもしろくも無い人生になる。

 楽観する運は自分が全力で引き寄せるものだ。ありとあらゆる方法で、力を出し尽くさない限り、運を引き寄せることは出来ない。もうこれ以上は出来ないと言うところまでやれば、大抵のことは達成できる。また、達成できないとしても諦めて、安心立命が出来る。

 絵描きを目指して、これは達成できなかった。絵を描くことは好きなことだから、できる限りに努力をしてきた。力は出し尽くしてきたと思う。それでも、絵描きには成れなかった。しかし、その結果、自分の絵を描くことに眼を開くことが出来た。絵描きになれなかったことを良いことと考えられるようになった。

 むしろ商業画家に成らないで済んだという、違う意味の心からの満足を得る事ができた。絵を売って暮らすなどおもしろくも無いと考えるようになった。絵を描くという根底にある、自分が生きるという意味に、向かい合って考えることが出来た。やれる限りをやってきたので、絵を描くと言うことの楽観を得ることができたのだと思える。

 日々の一枚を描く、と決めたならばなんとしてもやり抜く。決めたことが出来ないのであれば、力を出し尽くしたとは言えない。毎朝ブログを書くと決めたならば、必ず書く。毎朝動禅をやると決めたならば、必ず行う。のぼたん農園を完成させると目標を立てたならば、何としてもやり抜く。

 偉そうなことを書いているような気もするが、そういうことでは無い。自分なりに自分の命を極めるには、やりきることしかないのだと思う。やりきることは極めて難しい。千日回峰行であろうが、オリンピックの金メダルであろうが、やり切ったと言うことではない。問題は結果では無く、目指して生きると言うことだろう。

 すべてが強いこだわりである。どれ一つとっても、出来るかどうか分からない、限界まで頑張らなければ出来ない、たぶん出来ないことなのだろう。大変なことであると言えば言える。しかし目的に務かっての日々を実行できれば、安心を得られる。やり抜けばいくらかでも前に進める。そのうちつらさが消えている。

 前に進んでいれば、何とかなるかも知れないと言う楽観を得られる。生きる意味を問うことなのだろう。何で生きているのか。何のために生きているのか。そうか、生きている今を十二分に味わうことだろう。そう考えて、好きなことをやり尽くしてみることにしたのだ。

 好きなことなのだから、やることは少々辛くても、楽しい事でもある。そこで重要になることが、決めたことを継続することである。決めたことが続けられないと、希望を失う。どうすれば継続できるかである。絵を描くのも、ブログを書くのも、田んぼで草取りをするのも、やりたくてやれる。泡盛を飲むのと変らない。どちらかと言えば、おもしろくて止められない。

 私にとっては、動禅を続けることがいまは一番難しい。今日はやれないかなという日もやってくる。ああおっくうだと思う日もある。やっていておもしろくもおかしくも無いからだ。動禅だけは努力して、義務感でやるという感じだ。これを止めたら負けると思って頑張っている。これでは意味が無い。

 そこで動禅の工夫をしている。ともかくスワイショウだけは嫌でも行う。と決めている。最悪、スワイショウだけで止めても仕方がないと考えている。今までにスワイショウだけで止めたことは無い。スワイショウをやっている内にドーパミンだか、アドレナリンが出てくるのだ。

 八段錦の4段まではともかくやろうとなる。どうしてもだめなら、ここで止める。大抵は八段錦の終わりまで行くことになる。4段で止めて、太極拳をやることにする日もある。両方とも全部やれる日もある。動禅はどこで止めても良いが、スワイショウだけは意地でもやると決めている。

 こうしてブログに書くのも継続の手段の一つだ。ここまで書いてやれないのではまずい。ここでブログを書くのを中断して、動禅を始めた。何故動禅の継続が辛いかが分かった。気持ちよく動いていなかったのだ。腰のための運動とか、肺のための呼吸とか、目的を持つことが良くなかった。

 すべては気持ちよい動禅であれば楽しくやれる。何かのための禅は無い。禅のための禅だ。気持ちが良い動きにして行けば、やっていて楽しくなる。辛い動きは無くして行くことだ。考えてみれば、スワイショウだって昔は往復100回は辛かったのだ。今は気持ちよくやれる。それでいいのだろう。

 気持ちよくやれる動禅にして行くことだ。それならばやりたくなって、自然に継続できるだろう。気持ちの良い動きにする。辛くなったところで止めれば良い。45分の動禅が、半分で終わってもかまわない。気持ちよく楽しく出来るのであれば、だんだんに長くなり、ぜんぶできるようにいつか成れば良い。

 こんな風に楽観的に考えておけば良いのだ。何とかなると思って生きる事だ。昨日はみんなでお酒を飲んで楽しかった。酔っ払ってて大丈夫だっただろうか。路上寝は幸いしなかった。家まで干川さんが乗せてきてくれたのだが、あまり良く覚えていない。申し訳ないことだった。朝早くからおきてしまったのはいつも通りだった。

 
 

 
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好きなことを好きなだけやれる幸せ

2024-02-16 04:22:42 | 身辺雑記


 生きていて一番嬉しいことは好きなことを好きなだけやれることだ。これ以上のことは他にはないと思う。幸いなことに今そういう暮らしが出来ている。生きる喜びは、一日の充実以外にない。それはやりたいことがあるという幸せなのだろう。74年かけてやりたいことにたどり着いたのかも知れない。

 井原西鶴は、『日本永代蔵』で、「二十四、五歳までは親の指図を受け、その後は自分の才覚で稼ぎ、四十五歳まで一生困らないだけの身代を築き固め、それで遊び楽しむのが理想の生き方ときわまったものである」と書いている。なんとなく人ごとではない。

 江戸時代で言えば隠居を意味している。私は30代後半で自給自足生活を目指した。そして、45の時にはあしがら農の会で、みんなの自給を始めている。自給自足を達成して、今度は一人の自給から、みんなの自給をしたいと考えた。後は好きなことだけして、生きていけると楽観できたのだ。一人よりみんなの方が楽しい。

 それから30年好きなことだけをして生きてきた。全く楽しいばかりの毎日だったと思う。今はのぼたん農園の完成を目指している。好きなときに田んぼや畑をやる。水牛と遊ぶ。そして、気が向いたときに絵を描く。身体も30歳後半以降どこかが悪いと言うことは無い。全く幸運な人生としか言いようが無い。

 このありがたい毎日が送れるのは戦争のない平和な時代だったからだろう。父は戦争に7年間も連れて行かれ、やりたかった民俗学の道を絶たれた。そして、戦後は食べるものに困りながら、家族の生活のために必死に働いてくれた。その御陰で、今私は安楽に暮らしていられるのだ。

 それは母も同じで、子供のために一生懸命な人で、私の山北での自給自足生活を15年間一番支えてくれたのが母だった。母は自給自足の山の中の小さな寺で育ち、自給自足の体験があった。だから、私の自給自足の挑戦を一緒になり、面白がり挑戦してくれたのだ。一番の戦力で私以上に役に立ったのだ。

 父母の恩と言うが、今こうした暮らしていたのでは、恩に報いているのかどうか、申し訳ないような気持ちになる。ただ今となれば、父も母も最後まで家で看病出来たことがせめてもの恩に報いた気持ちだ。もちろん十分などとは到底言えないのだが。多分父や母なら分かってくれると、甘えているのかも知れないが。

 好きなことを好きなだけと言っても、まず好きなことが無いというのではどうしようもない。定年退職したらやることがないと言うような人も居るらしい。まさかと思えるようなことだが本当である。隠居していよいよやりたいことがやれるようになったわけだ。所がないのである。

 絵を描く人で学校で美術の教師をしている人は多い。退職したら絵三昧の暮らしには入れると、意気揚々と定年生活に入る。所が絵が忙しかった教師時代よりも、一気にひどいものになる。こういう人をよく見てきた。忙しい頃の方が、まだ精神が緊張していたのだろう。

 隠居をして、絵まで隠居をしてしまう。結局の所絵が好きなわけでは無かったというのだろう。絵が本当に好きならば、定年まで学校に勤めていられないのが普通だ。西鶴が言うように、45歳頃には教師を辞めて、後は何とか生きて行けるのだから、絵を描くばかりの遊興生活に入るはずだ。

 もちろんこの何とか生きていけるの範囲が違うのだろう。私は絵を描いて生きて行くと決めていたから、他のことはどうでも良かった。どんなものを食べようが、破れた服を着ていようが、生きて居さえすれば、それで十分おもしろくて、良かったのだ。

 日本鶏を飼い、自給の田んぼをやる喜びは、これ以上にないほど素晴らしいものだった。実に愉快な毎日だった。明るくなればもう開墾作業をしたくて、作業を開始した。先の見えない日々であったが、希望に満ちていた。若い時代の最高の暮らしだと思う。

 そんな開墾生活でもう一度絵を描く気になった。気持ちが回復したのだ。絵描きには成れないと言うことが、分かってきて、絵を描くことまで滅入ってしまったのだろう。絵を売る暮らしがあまりに屈辱的で辛かったのだ。卵は胸を張って買ってくれと、行商まで出来たのに。絵はそれが出来なかった。

 山北で一軒一軒家を訪ねて卵を買ってくれませんか。と歩いたのが始まりだ。誇りを持って卵売りが出来た。ところが画廊の個展会場では、絵を買って下さいとは言えなかった。絵は商品ではないという意識が強かった。それにも関わらず、毎月のごとく個展をして、何かが壊れた。

 それで自給自足生活を目指した。食べるものから自力更生である。始めて見ることこれほど興味深いことはなかった。開墾生活は今思えば最高の冒険だった。それから自給自足生活の探求を今でも続けている。もう35年になるが、その面白さは変らない。一年でも長く、1時間でも長くやっていたい。

 動禅体操を続けるのも、自給農が長くやれるためなのかもいれない。身体がそこそこ動かなければ、自給農の探求は出来なくなる。何とか石垣島で自給農法を確立しなければ、と言う思いだけだ。しかもその目的を大勢の人と共有できている。

 みんなでやれると言うことが楽しいのだと思う。到底一人では続けられない。絵も同じことだ。絵は一人で描けることは描ける。しかし、一人で描いていたらおかしなことになる。絵を進めるためには一人になってはだめだと考えている。同じ志のある仲間がなければならない。

 水彩人という仲間が居る。絵のことを自由に何でも話し合える仲間が居る。だから、楽しく絵を描くことが出来るのだと思う。絵を並べてみて自分の絵がなんたるかを気付くと言うことは良くある。だから、水彩人展の開催中は会場にいて、自分の絵とみんなの絵を見て歩く。

 これがなければ、独善に陥る。坐禅ですら一人でやるのはだめだと言われている。只管打坐なのだから、一人で良さそうなものなのだが、一人でやるとおかしくなるとよく言われた。みんなでやると言うことは、人間らしく生きるためには、とても大切なことなのだ。

 一人でやれるようになる。そうしたら次はみんなでやる。これが楽しく暮らす一番のコツだろう。好きなことを見付けるコツでもある。本当に好きなことなのかどうかは、みんなと一緒にやってみなければ分からないことだとおもって居る。

 

 
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藤井8冠のタイトル戦20連勝

2024-02-15 04:13:39 | 身辺雑記


 藤井8冠が不滅の記録と言われた、大山康晴15世名人のタイトル戦19連勝を越えた。と言っても大山名人の時代はタイトルが4つから5つになった時代だから、38連勝しなければ、追いついたとは言えないのかも知れない。時代が違うのだから、どちらが強いとか考えるは止めた方が良い。どちらにも違った難しさがある。

 藤井8冠は今も強さを増しているので、さらにタイトル戦を勝ち続けると考えて良いだろう。38連勝と言っても勝ち続ければ2年少しで、達成してしまうのだから、無いとは言えないだろう。それくらい外の棋士を引き離して強い。タイトルを取ってから、奨励会の頃のどんどん強くなった頃と同じくらいの速度で強さを増しているのだから、人間として別格な人だ。

 藤井聡太8冠はまだ21歳である。まだまだ強くなって行く年齢である。現状でタイトル戦で勝てる可能性があるのは、永瀬9段だろう。31歳で一番強い時かも知れない。王座戦でも、もしかしたら永瀬王座は勝てていた可能性がかなりあった。

 きわどいタイトル戦だった。最終盤の永瀬王座見落としの藤井7冠の逆転勝ちが2回もあった。あの2番の将棋で永瀬王座の見落としがなければ、王座防衛で連続5回となり、永世王座になれたはずだ。将棋自体はほぼ互角と言えるものだった。過去藤井8冠との対戦成績は7勝15敗 となった。

 永瀬9段は先日の朝日杯の決勝戦で、藤井8冠に勝ち優勝した。1戦だけならば、しかも持ち時間が短いトーナメント戦では、永瀬9段は藤井8冠に勝てる可能性が最も高いといえるだろう。問題はタイトル戦は持ち時間が長いし、5戦か7戦だから、勝ちきるのは難しい気がする。

 藤井8冠と5回以上戦った棋士で一番対戦成績が良い棋士は、大橋貴洸七段で4勝2敗である。唯一勝ち越している棋士である。B1組の棋士で31歳であるから、タイトル戦に出れれば、藤井8冠とおもしろい対局になるはずだ。しかし、今年度の成績は 14勝12敗なので、当分無理と考えなければ成らない。

 次に対戦成績がよいのが久保9段である。藤井8冠の4勝3敗である。久保九段ならば、タイトル戦の経験もあるし、出てくる可能性はあるが、最近振り飛車戦で負けなくなっているので、タイトルを奪うと言うことになれば難しいと考える。

 現状では対藤井8冠戦で成績の良い棋士は他には居ない。まず、当分タイトルを奪うような棋士はいないと思える。それくらい外の棋士との実力差があると思える。何しろ一流棋士との戦いの中で、8割5分の勝率なのだ。これはほぼ負けないという恐ろしい成績なのだ。

 今後藤井8冠を追い越せる棋士が現われるとすれば、藤本4段と伊藤7段ではないだろうか。伊藤7段は21歳。藤井8冠には小学生大会時代に勝ったことがある。それで藤井少年を泣かせたのだ。しかし、現状では連敗が続いている。

 伊藤7段はすでに藤井8冠とタイトル戦を戦っている。現在2回目の対戦中の棋王戦が行われている。第1局は持将棋だった。伊藤7段が後手だったので、持将棋を狙ったとして、批判する人も居るようだが、とんでもない話だ。これは将棋である。藤井8冠の先手番。勝てる可能性は低い。

 まずここで負けてしまえば、藤井8冠が勢いに乗り、タイトル奪取はないと思わなければならない。まず、持将棋を狙いで藤井8冠に挑んでいこうというのであれば、立派な戦略である。今まで負け続けているのだ。何かしなければならないというのは、当たり前の事だろう。

 持将棋は引き分けである。藤井8冠に一度も勝ったことがなく、8連敗中の伊藤7段としては、引き分け作戦も流れを変えるためには悪くない作戦ではないだろうか。まず初戦で負けてしまえば、もうタイトルを奪う可能性はほぼ無くなる。

 その意味で、まず連敗から引き分けに変え、流れを変えたとも言える。問題は今度は先手番の二月24日の金沢対局である。ここで伊藤7段が勝てば、勝負は全く分からなくなる。24日は大注目の1線になる。あと10日今からわくわくする。

 藤本4段はまだ18歳である。今年度の勝率42勝7敗(0.8571) である。藤井8巻を超えている。まだまだ強くなる可能性が高い。藤本四段は、初参加となった王位戦で挑戦者決定リーグ入りを決めた。トップ棋士を含めた12人で、藤井王位への挑戦権を争う。タイトル戦初挑戦になる可能性もある。

 後生畏るべしという。つまり、将棋名人を目指す若者は藤井8冠の将棋とその勉強の仕方を学んで、研鑽を積んでいる。藤井8冠がここまで強くなったのは、AIの登場である。AIは羽生7冠の全盛期に現われた。現われて一番注目して、AIが人間を越えると断言した最初の人だ。

 羽生永世7冠はAIを最初に取り入れたわけだが、その学習方法はまだ、藤井8冠のように有効には出来なかった。そのためにだんだん後れを取った。しかし今また藤井8冠の学習法を研究し、取り入れてまた復活をした。復活をしてまたトップ棋士になったが、さすがに藤井8冠からタイトルを奪うのは、53歳、体力的に無理かも知れない。

 やはり、次の世代がAI学習法を取り入れて、こなして強くならなければ、藤井8冠には勝利できないだろう。今将棋がおもしろいのはこの点なのだ。私は将棋が理解できて良かったと思っている。AIは人間の暮らしを変えようとしている。どういう可能性があるか、またその危うさは何なのか。将棋を通してみることが出来る。

 生成AIと言うものがあるらしい。人間よりも判断力が高い可能性が出てきている。裁判のような、法律という判断基準があるものでは、人間よりも客観的判断がすでに出来るはずだ。早く取り入れるべきだと思う。そして、すぐにでもやるべきは、行政の許認可業務である。

 条件を入れれば結果は明かである。行政の業務は激減するはずだ。人間が判断するから、おかしな事が起きがちだ。おかしな事を既得権とする人達がいて、行政の許認可業務をAI任せにしたくないと考えているのだろう。そう、パー券キックバック方式が無駄になる。

 情状酌量とか、精神鑑定とか、さじ加減とか、その裏に人間関係や社会の情勢とか、世論の力とか、政治力の違いとかが関わってくる。こういうことはないほうが良い。きっぱりと客観判断された方が、健全な社会と言えることは多い。特に裁判所の判決のゆがみは、裁判官の人事が絡んでいて、政府に有利に働いている。

 将棋の話から、話がそれてしまったが、「はやく、AIを利用する、客観判断が出来る世界になって貰いたいものだ。」



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ある漫画家が命を絶った

2024-02-10 04:07:29 | 身辺雑記


 ある女性漫画家の方が自分の作品をテレビドラマ化を許可した結果、勝手に作品の主旨を変えられてしまい、耐えられずに自殺してしまった。漫画というものが、テレビの衰退に変って、時代の表現の大きな手段になっている。この時代の中心になる表現法になっているのかも知れない。

 今では漫画家が芸術院会員になる。いつか文化勲章も貰う人が出てくるだろう。もちろんテレビプロデューサーよりも社会的に認められた創作家である。漫画家を軽く見ているテレビ関係者が未だにいるのかもしれない。テレビの方が、くだらない娯楽になってしまったのが現実だ。

 落ちぶれてきたテレビ局らしいひどい話である。漫画とテレビが主客転倒した為に起きているのかもしれない。漫画家が本気の創作家であり、表現者なのだ。テレビ番組を作る人は、何でも視聴率を稼げるものさえ、作ればいいというような、商業主義の人に過ぎない。

 テレビ局は自分の置かれた位置が、漫画家よりも低くなっているという自覚がまだ無い。テレビ局の衰退によって生まれているギャップ。倫理観のない視聴率主義が原因だろう。これは絵の世界にも広がったことだ。資本主義末期の衰退なのだろう。

 テレビは人間を白痴にすると言われて始まった。当たっていたかも知れない。文化を創ることは出来ずに、終わろうとしている。漫才師が日々テレビでくだらない、小学生の虐めのような悪質な馬鹿騒ぎを繰り返している。みるのも嫌なものばかりなので、今ではニュースと朝の連ドラ以外に見ない。その変わりにユーチューブを見ている。

 作者に対してはその原作の意図を十分に尊重して、作りますので、使わせてください。とお願いしたことに間違いが無いが、そんなつもりもないし、そんなはずがない。視聴率が取れなければ、いくらでも設定が変えられて行くものだろう。

 テレビを見ないし、漫画もまずは読まないので、何とも言えないのだが、漫画家の自殺と言うことでは、見過ごせない気分がある。好きだった漫画家ちばあきおさんは自殺された。「キャプテン」「プレーボール」という素晴らしい漫画を書いた。生き方を学ぶところが沢山あった。

 ちばあきおさんは満州の奉天で生まれた。亭術因会員の漫画家、ちばてつやさんの弟。4人兄弟の三男高校は夜間学校で、昼間は玩具製造工場に勤めていた 。身体を壊して、工場を辞め、ちばてつやさんのアシスタントになる。そこから漫画家を志す。

 「キャプテン」は中学野球の物語。谷口、丸井、イガラシ、近藤の墨谷二中の4代にわたるキャプテンと仲間の話。谷口キャプテンの下に成長した丸井君は、谷口キャプテンを支えながら、次のキャプテンになる。丸井君らしい新たなチームの中で、少しやんちゃな天才的なイガラシ君が現われ次のキャプテンになる。

 谷口君が高校に行き、高校野球をやるのが、「プレーボール」である。こうして、野球を通して健全な人間の成長が描かれて居た。互いに人を思いやる心が描かれて居た。力を合わせるという意味を教えられた。一人でやれるようになったら、次はみんなでやれるように努力する。谷口君になりたくて農の会を始めたのかも知れない。

 一人の自給から、みんなの自給に進んだのは、ちばあきおさんの漫画から教えられたことだと思う。そして、あしがら農の会で、墨田二中の世界のように、互いに支え合う、仲間が現われた。一人では出来ないことも、みんなでなら出来る。それが今の「のぼたん農園」に続いている。

 今回の場合少し意味は違うが、あえて自分が慣れない脚本まで手がけても、テレビドラマに納得がいかなかったのだ。漫画とテレビでは表現が違ったために思うように進まなかったようだ。それは当たり前だし、自分の連載の方も結局最後まで書けずに死んだことになる。

 10回の内最後の9,10を自分が直接脚本を書くと言うことをしている。それが許されたと言うことは、テレビ局とのあいだで、話し合いがあり、原作をねじ曲げたことが確認されたためだろう。8までの脚本家を下ろして、原作者が脚本を書いたと言うことは異例だろう。

 この脚本家は腹を立てたことだろう。怒って当然である。原作のままに脚本を作れなど最初から言われていないのだ。視聴率の取れる脚本にしてくれとだけ言われてやったことだろう。その結果下ろされるなど、脚本家としての自尊心は壊されたことになる。

 脚本家としては、いつも通りに仕事をしたのに、何様のつもりかと不満だったようだ。それで、その不満をネットで公開したらしい。漫画家の方も脚本が内容が違っていると言うことを、やはりネット上で説明で書いていたこともあり、ネットでいわゆる炎上があったらしい。

 自殺した方の思いは、自分の限界に対する怒りもあったのだろう。脚本の方に無理をして降りて貰った上で、自分が脚本を書いた作品の終わり方にも納得がいかなかったのだろう。もし一定の方向が見えたのなら、自分の掲載中の作品の中で、その成果を表現したはずだ。

 スタジオジブリの「魔女の宅急便」でも、原作者はあまりの改変にショックを受けたそうだ。原作として使わせて貰うという意味を、使う側と提供する原作者との間の十分な話し合いと、契約の問題であろう。使う側は原作ではあるがあくまで材料として使いたいことが多いのだろう。

 映像と原作の文章や漫画とは表現が違うのだから、当然自由な改変がなければ映像での制作の目的を達することが出来ない。だからそうした改変が嫌な場合は、テレビや映画に作品を提供しないと言うことだろう。しかし、辛かったのは、テレビの改変主義を分かっていたので、改変しないという前提の約束があったと言う点だ。

 プロデユーサーは脚本家には自由に書き直して、おもしろしてくださいと言うことになる。創作というものはそういう物だとして、テレビの世界はやってきた。つまり人の手に渡ればそこにも新たな創作者はいて、その人の作品となってしまうものだ。このギャップが辛い結果になった。

 死なれた方を悪く言うつもりなど全くないが、創作するものは自分の作品と自分とは違うと言うことを自覚しておく必要がある。一度発表すれば、それは外界のものである。どのようにゆがめられて使われようとも、もう作者とは離れたものになっている。

 創作すると言うことはそういう世界に身を置くと言うことでは無いだろうか。そもそも著作権などというものは、認める必要もないものだ。創作物は一度公表した以上、誰もが自由に使ってかまわないものだ。それが嫌なら創作をしても公表などしなければ良い。そういう絵描きの方も居る。

 創作すると言うことは、創作すること自体に充実を感ずれば、それで終わりで良いことだ。作品から離れれば良い。創作したものを自分の生み出したものとして、権利を維持する意識はいらない。その背景にあるのは、創作したもので生計を立てているという現実がある。それでも作品は純粋に創作であればそれだけで良い。

 私の作品の場合、二次使用はどのような形でも自由に使って貰って良い。
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久留米旅行と小田原行き

2023-12-19 04:16:45 | 身辺雑記


 月に一回小田原には行く。その時に東京にも行く。今回はそれに加えて、久留米に行った。たまたま、福岡に行くピーチの飛行機の格安航空券が買えたからだ。セールで上手くチケットがとれれば格安である。福岡から成田も安かったので、直接石垣から成田に行くより安かった。

 この機会に前から行きたかった久留米に寄って行くことにした。石垣島から福岡空港までは1時間半。福岡空港から久留米までは1時間ぐらいかかった。福岡のような大きな町よりも、久留米ぐらいのいくらか小さな町の方が安心する。

 久留米は人口が30万人くらい。金沢と小田原の間くらいの町だ。青木繁と坂本繁二郎の生まれた町だ。古賀春江も久留米出身だ。昔は変わった絵描きが生まれた町だった。多分今はそういうこともないのだろう。というか今は絵描きなどどこにも登場しない時代だ。

 今回、石橋記念館で古賀春江の絵を見た。7人のお坊さんを描いた奇妙な絵だ。このお坊さんがなんとも、変だ。人間ではない。形態だけの仮面的な異様なお坊さんが、不思議な儀式をしている絵。実に怪しい。私が考える絵とはほど遠い。しかし、このおかしな絵に力があることにも驚いた。絵は善し悪しだけではない。

 坂本繁二郎の自画像の絵も実にいやな絵だった。いやなのだが忘れられないような絵。自画像だが、なんとも不機嫌極まりない絵だ。こんな人と会いたくもない。人を不愉快にするような絵でいいのかと思った。これほど病んだ精神がむき出しの絵はない。ゴッホの自画像以上だ。すごい絵だとは思うが、絵はこれでいいとは思えない。これは禅病にかかった画家の姿だ。

 ほかに2点あったのだが、どうということもない絵とはいえないようなものだった。上手ではあるが、それだけで精神が存在しない。なぜえと絵らしきものがあるのかと思った。多分私の絵も、今のところ絵らしきものに過ぎない。この大きな壁をどうすれば越えられるのだろうか。

 この時期石垣島を離れるときは、寒さに要注意なのだ。石垣島は28度だ。今のところ、夜の温度も20度以下に下がることがない。だから、雪が降るようなところに、突然来るというのは体調を崩す危険がある。以前小田原の家が凍り付いていて、ホテルに泊まったことがあった。

 着いた日の夜は早速久留米の名物の焼き鳥屋に飲みに行った。ところが、どこも満員では入れなかった。久留米の12月の土曜日に、予約なしでゆく方がおかしかった。でも、店を探しながら、久留米の飲み屋を探してウロウロうろついた。これがしたかったようなものだからいいのだ。

 冬の小雨の時折降る中を濡れながら、飲み屋を探して知らない町を歩く。それも悪くはない。ガラガラと戸を開けて、一人なんだけど入れてもらえないですか。と聞いて歩いた。まあ店の様子を見せてもらうつもりで歩いた。ネットに出ているような店はすべて満員。

 しょうがない駅前のホルモン屋にゆくかと戻る途上。路地の奥に赤提灯がある。開けにくい扉だったが、開けると誰一人いない店があった。おもわずひるんでしまったが、ともかく誰もいないから、扉を開けた以上座るほかない。おじいさんが一人いる。多分85歳にはなっている。ガラスケースには今日出す串焼きが、美しく並んでいる。

 値段はどこにもない。おじいさんが言うには、よその店は輸入物の串焼きだ、わたしのところは全部自分が指した本物。だからちょっと高いよ。その値段のない商品名の札は30品ほど。この字がなんとも素晴らしい。つい見惚れてしまうほどいい字だ。下手な字だが本物の味。

 つまり暗に高いということをいっているのかもしれない。まあいいだろうと思い頼む。そうだ店の名は「五右衛門」。壁に貼られたダルム、ハイボール、の字素晴らしさだけで十分。一流の字である。45年やっていると言われた。ダルムのおいしさは過去最高の素晴らしい。これなら高いのも仕方がない。

 しばらく飲んでいて、もう一本とお願いすると、ダルムは一本だけ。と、断られて終わり。ほかには入れなかったと思われる3人連れが来る。それで出ることにした。なんと1300円。あまりに安い。過去最安値だろう。きれいに串刺しにして、丁寧に焼いて、焼き加減も絶品。ビールもうまかった。といって好きなスーパードライの瓶だ。

 カウンターだけの無理して6人という小さな店。五右衛門でダルムを食べただけでも久留米に来た甲斐がある。また行きたいが、多分次にゆくともうないのだろう。今は夢だったような気がする。今度ゆこうと考えて、あちこち探したとしても多分たどり着けないのだ。そう思っておく。

 久留米に来た主目的の文化施設。ブリジストンの創設者石橋正二郎氏の生まれた町。ふるさと久留米に素晴らしい文化施設を作り寄贈されている。音楽ホール。美術館。日本庭園。バラ園。図書館。大学。坂本繁二郎のアトリエ。「世の人々の楽しみと喜びのために」

 昔ブリジストン美術館だったものは、今はアーティゾン美術館 Artizon Museum, Tokyoとなった。東京駅からまっすぐのすぐそばだ。今は野見山暁治展をやっている。収蔵作品の8点が展示されているらしい。3月までやっているから東京に出たときに見に行きたい。

 よくこれだけのものを個人で寄贈できたものだ。ベネチアビエンナーレの日本館も寄贈したらしい。中学生の頃、ブリジストン良い自転車に乗っていた。ブリジストンで正解だったと思った。今度タイヤを替えるときはブリジストンにする。

 実家は久留米の足袋屋さんだったとある。17歳で家業を継ぎ、地下足袋、ゴム靴。そしてタイヤと事業を発展させたとある。よほど商才のある人だったのだろう。道徳のある起業家である。孫さんとは違う。確か孫さんも福岡出身ではなかったか。

 ソフトバンクは孫さん一代でも危ういかもしれない。ブリジストンは100年は大丈夫だろう。石橋正一郎の精神を維持できれば、何世紀も続くかもしれない。どんな世界になっても、「世の人々の楽しみと喜びのために」この精神があれば大丈夫だ。

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アトリエカーの中の宇宙

2023-12-16 04:11:44 | 身辺雑記

 最近のアトリエカーの中で絵を描いている様子である。中の空間は巾130の長さが220くらいで高さが170センチである。5㎥ぐらいの空間である。前後左右に窓がある。石垣の強烈な夏でも、風がよく通る。その時間の陽射しを考えて車を止める向きを決める。

 暑さで困ったことはない。断熱材が良く効いている。絵を描くので、光が邪魔にならないように、時間によって車を移動している。車の前が太陽のある方角にする。そうすると、軽トラの運転席が光を遮ってくれて、窓からあまり光が差し込まない。

 写真のように、このところは年賀状を描いていた。正面にある絵は中判全紙である。普段はだいたい中判全紙ぐらいを描いている。気持ちを変えるときには、10号ぐらいの絵や年賀状を描いたりしている。一応は出来てきたところだが、もう一度見るといくらでも描きたくなる。終わりがない感じで描いている。

 閉じている空間だと安心して絵に集中できる。以前は外に出て風景と向かい合って絵を描いていたのだが、現実の空間が大きすぎて、落ち着いて絵をかくことに集中がしにくい。小さいアトリエカーの空間の中に収まったときに、絵を描く感覚が動き出す。

 禅宗の修行の場は禅堂である。一人での修行は良くないとされ、複数の人が集まり修行を行う。修行僧は本来禅堂の中で、籠って坐禅修行を行う。一人に1畳大ほどの単と呼ばれる場所が与えられる。僧堂は元々、雲水にとって、坐禅・食事・就寝まで、一切を行う生活の場である。

 アトリエカーの中に朝8時半から、夕方4時まで居る。ここに泊まり込んで絵を描いていたって良いのだが、そうも行かないので家に帰る。昼食はアトリエカーの中で食べる。絵を見ながら食べている。食事の途中で絵を描き始めることもある。

 中で寝ていることも良くある。絵を描いているのかねているのか、大きな違いは無い。腕時計を見ると、歩数計とか、心拍数が出ている。51から54となっている。静かな状態なのだと思う。絵を描いていると言うときは、あまり寝ているときと変らない状態かもしれない。

 大脳を使っていない状態。小脳で絵を描くようになればと思っている。理屈で良い絵を描こうなどと考えないで描いている状態。反応で絵を描いている。なぜこんな風に描いたのだろうと自分でも思う。時々外の風景を見る。何かを確認している。見ないと描けないものもある。見ると描けないものもある。

 アトリエカーの中を狭いと感じたことはない。十分に広い空間だと感じている。絵を描いていると絵の世界と向かい合っていて、意識は絵の広大な宇宙を扱っているから、広い無限を感じている気がする。だから現実の空間が狭いという意識がないのだろう。

 インドのヨガの行者で、小さな出入り口の無い小屋の中で暮らしている行者のことを思い出す。この人は外に生涯出ないという自分を見物の材料にして、見物料をもらう。近所の人にお金を払い食事の世話をしてもらっている。多分、下の世話もだろう。何かインドらしい不思議な世界だ。

 私はアトリエカーから日に3,4回は降りて、水牛の世話をしたり、畑の草取りをしたりしている。日によっては、ほとんど外に居ることもある。別段決めているわけではない。その時の具合で、人が来たら一緒に働くことになる。ただただ、苗代の苗を眺めていることもままある。

 種から芽が出る不思議に飽きることが無い。今はジャガイモの芽が伸びる。伸びていないのか、日に3回ぐらいは見たくなる。トウモロコシの芽もおもしろい。あちこちからデタラメに出てきている。まっすぐ何センチ置きというようなことが嫌いだ。

 トマトも直播きしてみた。畑でそのまま育ててみるのは初めてのことだ。今のところ良く発芽した。双葉から本葉に変わり始めている。いつ頃定植すれば良いか考えている。全部で40本ぐらいあるから、これではトマト畑が出来そうなくらいだ。

 植物の命のつなぎ方は実に素晴らしい。感動に満ちている。見いってしまう。この芽が出るを彫刻にしていた人が居た。たしか、天竜市の方の実家に戻り役所に勤めたはずだが、どうされただろうか。彫刻の芽が出たのだろうか。ああ、意味が少し変る。

 今稲の芽がぐんぐん伸びている。種を水に漬けたのが、11月28日。苗代に蒔いたのが、12月3日。12日目である。平均で6㎝ぐらいの芽になっている。1葉期が終わり2葉期が伸び始めている。気温が高いから、生育は実に早い。寒い時期に苗を作った方が良いと考えたのだが、石垣島に寒い時期はない。

 アトリエカーの宇宙は広い。冒険に満ちている。毎日未知の世界への扉を開いている。アトリエカーで、日本中を移動しながら絵を描いてみたいと考えていた。福岡まで車を送り、そこから絵を描く旅を始めたいと考えていたのだ。しかし、水牛を飼い始めてしまった。1ヶ月空けられる日が来るだろうか。

 Bの放牧地ならば、草については1ヶ月でも十分にある。水牛の管理は居ないときには、交代で見てもらっている。7グループあるから、週一回きてもらう。今は月に1回である。これが1ヶ月続いても大丈夫だろうか。いつかみんなに相談してみたいと思っている。

 昔描いて歩いた、平戸。天草。阿蘇。四国もまたゆっくり回りたい。四万十川。室戸岬。吉野川上流部もまた行きたい。笹村農鶏園で研修された人が、就農をしたがどうされているか。そういえば、台湾で農業をやられている北村さんの所も一度行ってみたい。

 台湾に車を送り、台湾を写生旅行する。まるで夢のような話だが、実現可能だろうか。もし出来るとしても、十分に動ける間だから、数年の内のことになるだろう。早く決断しなければ、行きたくとも行けなくなる。今でもかなり危ういものだろう。

 アトリエカーは絵を描くものには最高のものだ。なぜ広がらないのかと思う。安く作ろうと思えば、100万円で何とかなる。自作軽トラキャンパーというのはいくらでもネットに出ている。田舎暮らしの人なら、軽トラに乗っているかもしれない。その上に乗せれば良いだけのことだ。

 別世界を持てるのだ。自分の世界を持てる。ここが自分の寺院になるかもしれない。茶室が一番近いかもしれない。利休が構築した茶の湯の世界には、小さな茶室が必要だった。農家の納屋だ。ここでお茶を飲むことで、精神の宇宙を展開した。茶室が宇宙であるように、アトリエカーは絵画の宇宙だ。

 もしアトリエカーで絵を描いている人が居たら、教えて欲しい。コメント欄に書いて貰えたらありがたい。
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生成AIはどこまで使えるか。

2023-11-28 04:16:30 | 身辺雑記


 企業で生成AI(人工頭脳)を利用しないところがあれば、必ず倒産するだろう。生成AIがうまく取り込めないほど、組織が立ち遅れているのであれば、次の時代には通用しないのは当然のことでもある。しかし、生成AIと言うものを上手く取り入れるためには、企業と生成AIを繋ぐ専門家が必要なのだろう。

 今や将棋指しで将棋ソフトを使わない人は居なくなった。そして「みる将棋」という新しい世界が開けている。藤井聡太8冠の新しい将棋と言うこともあり、将棋を指したことの無い人が、将棋の対戦を楽しみにして、ネット中継や公開対局に集まっているのだ。

 囲碁界がスポンサーの撤退が進んでいる中、将棋は新しい棋戦が産まれるほどの人気なのだ。将棋のエンターテイメントかが進んでいる。藤井聡太が選ぶ3時のおやつが人気デザートになる。そんなどうでも良いようなことを事細かに情報化して楽しんでいるのだ。

 また解説をする棋士も、司会役をする女流棋士も、それを仕事として本格的に取り組んでいる。解説のためのした準備が稔密になった。何しろ一時間以上の長考がある。一時間も時間を持たせ無ければ成らないのだ。棋士と一緒になって、考えていられる観衆は少ないはずだ。

 コンピュターが出てきた時と同じことだ。コンピュターは使う必要ないという組織は、存続できないことは誰にでもわかる。それは農業だって、自給農業だって変らない。然し絵の会などでは手書きで十分だという頑迷派がいまだに存在する。メールは当てにならないので、信用できないから速達にしろなどという人がいまだにいるのだ。

 人工頭脳(AI)はどのように使うのかが問題になる。と偉そうに書きながらも、人工頭脳と言い切って良いのかはよく分かっていない。コンピュターと言えば便利な機械のことだと分かるが、IT(情報技術)とかAI(人工頭脳)とか言われても、正確な意味は分かっていない。ソフトとアプリの違いもよく分からない。

 これは必要に応じて、様々な人工頭脳が登場するだろうから、むしろ何が必要なのかという事が分かれば、それに応じて開発されることになる。そういう意味では大抵のことが置き換えられ、どうしても置き換えられないものが人間の仕事となるのだろう。

 農業分野ではトラックターの操作など、人間がやるよりも、AIを取り入れた機械なら、はるかにうまく運転することだろう。特に稲作では田んぼの均しや、耕土の深さなどGPS(人工衛星から位置を測定する機能)搭載で、耕運機能が入力されたトラックターでなければ、一枚3haもある田んぼを平らにするのは不可能になる。

 ITを使い土壌の状態や肥料の状態をたちどころに判断して、AIを使い気候の変化にも対応し、GPSを使い作業を行う農業になることだろう。そういう今までは農業名人のカンと読みでやっていたようなことが、置き換えられてゆくと思われる。名人はめったにいないが、耕耘ソフトは複製が利く。

 人間というものが今まで特徴としていた思考する能力というものがどう変るかが問題なのだろう。藤井聡太8冠があそこまで強くなれたのは、最新のAIを使いこなしたからだ。プロセッサには「AMD Ryzen Threadripper」シリーズ を使うとある。

 プロセッサとはコンピュターの機能になるハードディスクのことだ。CPUと言う。CPU稼働して計算をしている。だからこれが頭脳部分と言うこと。制御装置、演算装置、データを一時記憶するレジスタ、メモリなどの記憶装置とのインタフェース、周辺機器との入出力装置とのインタフェース、などから構成される。 
 
 世界で一番優秀なプロセッサーを作った会社の社長は台湾系のアメリカ人でIBMに在籍したリサ・スーさんという女性である。藤井聡太氏が一番会ってみたい人にあげたことで、対談が実現した。次の最新型を開発中なので、出来たら提供すると言うことになっている。藤井聡太8冠はそのコマーシャルに起用されている。

 藤井聡太氏の姿は次の時代を考える時に、参考になる。どうも天才以外は必要なくなるのかもしれない。リサ・スーさんのような人さえいれば良い。藤井聡太に当たる人が、どんな部門でも活躍を始めるのだろう。その補佐をすると言ってもあまり役割は無いのかも知れない。
 
 大半の人間がその能力差の明らかな中で、劣るではなく、異なる人間の生き方を模索することになる。どんな生き方が可能なのかはよく分からないが、下手をすると支配されることになる。よほどこの格差社会の在り方を研究する必要がある。

 人間が機械的な労働から切り離されて、人間らしく生きる事が可能な社会が出来るのかも知れない。アーミッシュのような過去の生き方を良しとする人もさらに現われるのだろうが、新しい社会の中で、よりよい生き方を模索することになると考えて良いのだろう。

 一番危険なのは独裁国家である。超有能な人物がコンピュターを使って国民を支配する社会である。習近平ならば、そういう社会の方が、国民が豊かになり、幸福であるとして、人間を支配してしまう可能性が高い。政治体制はよほど今より優れたものを考え出さなければだめなのだろう。

 やはり民主主義の方がましなのだろう。問題は民主主義の悪用を避けなければならない。民主主義がどのように生成AIを利用するかである。人間よりも優秀な人工頭脳が考える政治を、どのように取り入れるかである。具体的な政策を考える上での参考の仕方である。

 例えば大阪万博は行うべきかをデープランニングに質問をする。この回答をどう利用するかである。取り入れた方が間違いの無い社会は、数年先には具体的にあるのだろう。ところが政治家が馬鹿扱いされるわけだから、きっと避ける。

 しかし、各報道機関はどこどこの人工頭脳ではこういう回答だと。こぞって掲載するはずだ。なるほどそれが正しいと国民は考える。何故政治家が正しい選択をしないのかと、不満が膨らむことになる。その時独裁になるか、コンピュターに従う国民に従うべきなのか。
 
 空想科学の世界だったものが、日に日に近づいている。現在の生成AIは弁護士試験を受けると、トップ一割に入るという。跡数年で、人間には追いつけないものになるはずである。そうなったときに裁判はしてもらうなら、生成AIを選択できるようにして貰いたいものだ。

 そうして憲法違反を判断してもらいたい。スタッドミサイルの配備が、憲法違反であるかないかを判断してもらいたい。憲法違反の政治が終わりになるはずだ。政治が一番難しいことになる。そもそも、投票はITを使って行うようにすべきだろう。それで不正が起こるようでは、そもそも社会が成り立たなくなる。




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