地場・旬・自給

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城下町サミット

2006-06-30 05:49:29 | 身辺雑記
小田原市では、というか小田原市長小沢氏は世界城下町サミットを、2007年秋に開催するという。その目的は「城下町というまちの特性を見直して、活力にあふれ、人にやさしく、まちなみが美しいまちをつくるために、世界の城下町都市と意見を交換し、交流を深めようとする事業です。」という事だそうだ。

7月28日~30日、国内の城下町から人が集まり、この企画のプレイベントとして、パネルディスカッションをする。小田原市民として、城下町サミットは賛成しかねる。この町が城下町とはとても思えないからだ。そんな街づくりがされてきたようでもない。これからの発展を考えた時に、この町の魅力は城下町的要素では無いからだ。小田原を考えた時、過去の遺産に目が行くのは、現実の小田原を直視していない証拠だと思う。

先ず、自慢の天守閣を、比較した時に、何とも恥ずかしくなる。これが、松本城や、姫路城のような国宝にも指定されるような、本物の城郭があるならば、少しは誇りももてるが、残念なことに小田原城は、戦後、昭和30年に作られたものだ。私自身作られたときを記憶している。鉄筋コンクリートつくりで、熱海城や、ウイロウ城と別段変わりは無い。

あの鉄筋天守閣を、わざわざ入らして下さる世界の城下町の方々に、どんな顔をして見ていただけばいいのだろうか。どこが誇りを持てるというのだろうか。小沢市長は今諸外国をご夫婦でお尋ねして、城下町サミットに来ていただくための、お願いに歩いているようだ。

何故、こんな無様な事になってしまったかといえば、小田原という町の捉え方を出来ないでいるからだろう。昔は良かった。というような回顧的な感性で、町の将来を考えても、建設的な発想がでてくる事は無い。過去に思いをめぐらせるといっても、年寄りの繰言ではないのだから、将来の町のイメージが、小田原市民に共有化されていなければ始まらない。まさかこの先城下町では無いでしょう。

小田原がどんな町になればいいか、実はこれは何度も市は表明している。ところが市民の共有するところにならないでいるのだ。「西さがみ共和国」「キャンパスシティー小田原」「ビジョン21おだわら」「小田原市都市計画マスタープラン 」「おだわらルネッサンス」等などがでている。この名付け方からして、内容が想像されるでしょう。

これを一度読んでみるといい。当たり障りの無い概論の羅列で、相変わらず、おだわらはどんな町になりたいのか、見えてこない。こうした市の立てる、外注計画案に対してはいつも意見募集がある。私は、これに何度か応募した。応募したにもかかわらず、受け取ったの返事もなければ、そん後の何の反応も無い。全てが、形式を整えるために、おざなりに行われているに過ぎない。私はそれを後々の証拠のために出しておこうと、した。市は記録も残していないかもしれないので、私は残している。

こうしたやり方で、決まってしまった事が、この馬鹿げた『城下町サミット』という事になる。プレイベントにも参加するらしい、金沢市には4年暮らした。その後も時々行く。金沢が城下町サミットを主催するなら、うなずける所がある。それなりの街づくりをしているし、城跡から、大学を追い出して、城址公園として整備してゆこうという方針だ。城下町としての将来像も市民に共有化されている。

今からでも取りやめる事は出来ないものだろうか。来年の秋を思うと、今からなにやら、申し訳ないような、恥ずかしいような、厭な気持ちで落ち着かない。

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田んぼの雑草

2006-06-29 06:11:46 | 稲作
今年初めての、田んぼの草取りを行った。今年は、実験的菜の花抑草を行った。残念ながら、コナギが生えてしまった。状態としては、部分的に密集して生えているという状態だ。どんな所かというと、菜の花が沢山すきこまれ、熱を持ったようなところだ。尾瀬沼のような浮島の草の塊の上に、密集してコナギが生えている。

想像では、そこだけ暖かいために、草がやたら出たのではないかと思う。前も一部にこうした現象がおきたことがあった。しかし、菜の花抑草の実験は、明らかな失敗と考えていい。米糠抑草に較べて、効果が弱いようだ。これは田んぼによるようで、どこでも同じやり方が通用はしないという、いい事例だと思う。

しかし、苗の伸びはいい。今までに無い、初期成育だ。別段肥料を入れているわけではないのに、活着もいいし、その後の葉の伸びもいつもよりはいい。今年は、気候的に、苗作りから、日照不足が続き、どこの田んぼもいまひとつの出来に感じる。それもあってか、いつも最初の出足では、すごい差が出来てしまうのですが。今年はそれが目立ちません。

転がしていて、湧きの状態はというと、以外に少ないです。あれほどの菜の花をすき込んで、水を入れた割には臭いほどではない。勿論転がせば、すごいあぶくが出ますが、悪いガスがでて、たまらないという様でもありません。

稗の方は今のところはちらほらです。この辺はこの後どんな風に変わるのか。注意しておかないとならない。いつもと草の出の状態が違っている事だけは確かです。田に入ってみて、いつも思うことは、坊所に田んぼの土が悪いという事です。田んぼの土というより、関東ローム層をただ入れただけの土です。粘土質が無い。粘りが無い。ざらついている。

今年は、曽比のポチ田んぼに参加していますが、土がいいです。田植えが終わり、1週間もすると、土にとろみが感じられます。粘りが出てきています。足を引っ張る感じがあります。ところが坊どころは、これが無いです。まるで畑の土のようです。色も、赤っぽい黄土色です。年々良くなるのだろうと期待はしているのですが。もう10年過ぎたのに、この程度では、土の感触まで変わるという事は無いようです。

昨日の転がしは、3時間やって、丁度1反でした。縦、横、転がすので、全体では12時間あれば、1回り転がせるという事です。去年、赤松さんが、1日で、縦を全部、転がしたというので、驚きましたが、6時間ですか。昨日の作業の感じでは、3時間にしておいて、後は他のことをやったほうがいい。と思いました。
いずれにしても、日曜日に転がしを集中してやります。これで、1回目の転がしは縦横終わると思います。1回で済むかは今年は微妙です。

午後は、大豆の播種をやりました。25穴の連結パレットで、16枚蒔きました。これくらいあれば、田んぼの畦には充分です。勿論、味噌の会のほうで使うためですが、これが、余るのだか、足りないのだか、良く分からないので、一応残っていた、パレット分は蒔いた。正確には把握できませんが、25人ぐらいの人が、大豆を昨日蒔いた、はずです。1人は忘れたといっていたので、他にも忘れた人はいるでしょう。

一つの作業をやるより、色々やった方がいいです。夜は夏祭りの打ち合わせで、楽しかったのですが。又、11時になりました。今日はお茶畑の草取りを午前中やって、午後、できれば、残りの転がしをやって見たいと思います。
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集荷場の建替え

2006-06-28 07:23:52 | 最小限の家
あしがら農の会では火曜・金曜の朝、野菜の宅配のために、集荷場に集まる。
現在の建物は、2間に3間半という大きさで、半分が土間になっている。10年位前に、加藤さんが中心になって作ったものだ。生産者も増えて、手狭に成った事もあって、立替が考えられていた。

先日、建築工事をされている、農の会の顧問をしてくださっている、Hさんから集荷場に丁度いい建物を、解体したので、使わないかと電話を頂いた。既に壊して車に積んであるというので、早速頂く事にした。箱根細工をされていた方の作業場で、2間半の4間という本建築だ。

現在はそらやさんの畑に積ませてもらっている。早く立て直したいのだが、田んぼの田植えがまだ終わらない人がいる中で、とてもそれどころではない。という事で気にはなっていたが、進められないでいた。昨夜は、生産者の打ち合わせの集まりがあって、夏祭りでの出店内容の詰めなども話し合われた。その最後に、集荷場の話があった。

以前から、建物を自作する技術は、農業者の基本技術として、学んできた。足柄農学校の中でも、Hさんに講師になっていただいて、小屋作りを学んだ事がある。機械置き場の大きなパイプハウスも、みんなで教わりながら作った。こうした経験で、鶏小屋ぐらいは自分で出来る技術は、習得してきた。今回も、折角の機会だからということで、Hさんが指導して上げてもいいよ、事になった。

すばらしくありがたい機会なので、これを最小限の家作りの技術研修会として、位置づけて、しっかり教えていただこう。自分で簡単な家ぐらい作れる、という技術があると、暮らしの気分が、随分違ってくる。

まず、7月16日の日曜日に材料の下準備をすることになりました。下準備と言っても、解体がが作り直すつもりでされた物です。
印もついているので、要するに材料から釘を抜く事だ。みんなで金槌やバールを持ち寄って、釘を抜こうという事です。立て直す周辺の整備や、必要な物の下準備に成ると思います。

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蓮池

2006-06-27 06:00:28 | 自給
家に作った蓮池の蓮が、30センチほどの葉を付けて、ゆれている。3坪ほどの池が2つあるのだが、池の表面は葉で覆いつくされてきた。蓮は始めに、睡蓮のような水面に浮かぶ葉を伸ばす。その後、水面の高さの確認が終わったように、一気に高い、大きなはを順繰りに伸ばし始める。

最初の葉が出た頃、一面に稗が出てきた。これには驚いた。なんで新しく作った田んぼに稗が出るのだろう。どこかで稗の種が混ざったのか。蓮とどんな関係になるのか。まあー、見てみるのも面白いと思って、ほって置いた。さすがにどんどん大きくなって、逞しい。しかし、何か変だと思ってよくよく見ると、神丹穂の落穂からの発芽だ。昨年神丹穂をここで栽培したのだった。

神丹穂といえば、坊所の田植えが終わって気付いた。永塚田んぼから頂いた、一束が無いのだ。田んぼの一角に植えて、農の会の目印にしようと話していたのに、田植えが終わってみれば、どこかに植えてしまったのだ。これがまだどこだかわからない。色が着いてくれば分かるのだから、それも楽しいと思っている。どこかで一塊になるはずだけど。どの変になるかは検討もつかない。

昨年は神丹穂という事でいただいた目印のはずが、秋になっても一向に色が来ない。結局、何かが取り違えられて、呉れた物が、イセヒカリだったのだ。まって待って色が来なかったので、がっかりした。今年は、どこが色づくかという事で、神丹穂はいつもミステリアスだ。

庭の神丹穂は元気がいい。たぶん、どこの田んぼの苗より生育がいい。既に二次分結まですすんだ。それこそ開帳型に分結して、気持ちがいいほどだ。最近はすの葉の傘をかぶり始めたので、この後生育がどうなるかは分からないが、この調子なら、穂が出るまで行くに違いない。

神丹穂が湛水直播の形で、カルパー材なしで、よく発芽したわけだが、直播の田んぼで出来れば、言う事無い。実は何度か。直播の挑戦はしてきた。雑草との折り合いがつかず、今のところ諦めているが、今年少しヒントを得た。雑草が生えないという事の一つに、土をかき回さないという事がある。代掻きをしないで、不耕起で田んぼをやると、草はでない。だから基本的には直播で、草が出ない方法はあるはず。

今までは、レンゲなり、菜の花なりを冬の緑肥として育てて、春になってその中に種を蒔く、これは刈ってから蒔いた事もあった。そのまま、茂らせた中に蒔いた事もあった。この草との入れ替えが、上手く行かなかった。それなら、冬季湛水して、草を抑えてしまったところに、種を蒔く事は出来ないだろうか。水中では発芽が悪くなると思っていたが、神丹穂は全く稗のように生えてきた。

たとえ種蒔きを手でやるとしても、苗床作りや、代掻き、田植えの手間が無いなら、充分可能では無いだろうか。問題は、湛水で草を抑えた田を、陸にしたときどの程度草が来るかだ。稲が発芽し生長し、そこそこの水深に出来るまで、草が待ってくれるのか。この辺はやってみなければわからない。

小田原城の蓮は既に花が来ている。ちらほらだが、白い花が見えた。我が家の蓮はまだ、蕾も来ないが、白なのか、ピンクなのか。ちっちゃな花か。そこそこ大きな花なのか。7株はそれぞれ違う花を付けるのか。それとも似たような花なのか。庭でゆれる、葉姿を見ていると、なんとも優雅な物で、花まで期待したら申し訳が無い。さらに根まで食べようというのだから、随分欲張った話だ。
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しるべ展の搬入と大井町の見学会

2006-06-26 05:50:08 | あしがら農の会
午後には大井町の町長をはじめとした、行政関係者、と農業委員の皆さんが、あしがら農の会の見学に見えます。大井町では赤田地区の農業公園を核とした、町の将来像があります。しかし、農業者の老齢化による、後継者不足も予測されています。そこで、新規就農者の実情が知りたいのだと思います。町にしてみれば、農村地域に新しい人が入るということは、問題の発生も充分予測されます。

大井町でも赤田方面は神奈川県では唯一と言っていい、昔の関東の農村の雰囲気が残った地域です。ここにはいこいの村という国の保養施設があり、相模湾と、富士山が眺望できる、農村景観が続きます。このポッカリと残されたような、すばらしい環境は、地域の人にとっては、開発困難、生活不便、と問題なようです。総和の公民館には戦時中軍隊の撮影した、この地域の航空写真が掲示されていますが、これがすばらしい耕作の状態を表していて、ここまでやれるのかと感激をします。特に、畑と座敷林と集落の関係が、自給自足の村の姿を見せています。

あしがら農の会の観点から考えれば、これほどすばらしい地域は無いので、むしろ、この地域が都会からの移住者によって、壊されてしまいそうで怖いです。ところが幸いな事に、この町の町長はその辺の感覚に優れた方で、方向は心得て、充分探ってきたようです。
そうした背景があって、あしがら農の会と大井町の懇談会がもたれました。ここで、出たのが「一度畑を見せてもらおう。」という事でした。これが今日に繋がります。

会の仲間では大井町在住の者が、5名います。その中でも小宮さんは古い地元の農家の人です。古いといっても古さが違います。縄文時代からではないかと、考えられていて、家の出入り口から出土した重要文化財の骨を、DNA鑑定してもらいたいというほど、古くから農業をされてきた家です。
小宮さんは現在ブルーベリーの摘み取り園をやっています。ここで、昨年夏祭りが盛大に行われました。これに来られた、大井町関係者の方が、この夏祭りをやる農の会のノウハウを評価された背景があります。いい夏祭りでした。ジョゼさんのボサノバと、様々な出店です。

これは開成町の行政関係者からも言われた側面ですが、多分行政が一番苦手な分野かと思います。今年も、7月23日に行われます。今年はボリビアのフォルクローレです。興味のある方は見に来てもらいたいのですが。私達にしてみると、自分達が楽しみたいから、自分達らしい夏祭りをやる。これだけだと思うのです。ここに義務感が無いところがいいのだと思います。地域の村祭りも、いまや半分義務感で支えられています。

「お祭りは中々だけど、畑の方はどうなの。」今日はこれで見えるわけです。大井町に在住している、新規就農した3名の人の畑を見てもらいます。これは一目瞭然です。見える方は長年農業をやってきた皆さんです。例えば、この時期の大根を1本抜いてみれば、レベルが分かります。実はこの面でも、農の会の農業レベルには自信を持っています。これが大切なところです。それぞれの耕作者しだいですが、充分評価に耐えると考えています。市民の農業参加というと、専門の農業者ほど甘く考えています。どうなるでしょう。

夕方からはしるべ展の搬入が重なりました。これは絵をもって行きさえすればいいのですが。やはり、水彩人の事務所係として、あれこれ心配もあり、早めに行かないわけには行きません。絵のほうは、自信作で、既に発送しました。
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政治的発言の自粛

2006-06-25 06:19:46 | 身辺雑記
長崎平和推進協会で「語り部」を務める被爆者らに「政治的発言」の自粛を求める文書を出していた。
そういう空気なんだな。今の社会状況を感じさせる、事件だと思う。

長崎平和推進協会が1月、証言活動をする同協会継承部会の被爆者に行った要請。「より良い『被爆体験講話』を行うために」と題した文書では、「国民の間で意見が分かれている政治的問題についての発言は慎んでほしい」としたうえで、

(1)天皇の戦争責任(2)憲法(9条)改正(3)イラクへの自衛隊派遣(4)有事法制(5)原子力発電(6)歴史教育や靖国神社(7)環境や人権など他領域の問題(8)一般的に不確定な内容(劣化ウラン弾問題など)――の8項目を例示した。
この8項目の選択が、よく出来ていて相当の人が作ったものだと感じる。とくに、(8)一般的に不確定な内容(劣化ウラン弾問題など)――は絶妙ではないか。

あしがら農の会では、政治的発言ということが、ときどき問題になる。3年前、そのとき代表だった。加藤さんが市長選挙に立候補し、落選した。次の選挙を目指して、現在、活動しているところだ。当初は、どんな夢であれ、仲間の夢には、できる限りのことはしたい。という気持ちから、私なりにかかわりを持った。会としても全面支持するの声もあり、主張を聞かせてもらおう、という事になった。

いずれにしろ、市長選の結果は、色々の形で今でも、農の会に影を落としている。あしがら農の会と加藤さんとを、混同してしまう人がいる。特に、狭い地域の、農村社会の中で、活動している組織としては、難しい選択だった。
このとき、立候補前に、加藤さんは農の会を退会した。個人としての支持は歓迎するが、会としての支援は要らない。という発言判断だった。

農の会では政治的発言を行う事は、勿論自由であるが、組織が何をするかは、会の民主的な判断による。と言うのが、当たり前の考えだと思っている。極左から、極右まで、存在しうるというのが、農業組織の常だ。

長崎平和推進協会の8項目の背景を考えると、政治的発言(ここが問題ですが)を強くする人がいて、それを厭だという人がいるということだろう。語り部の方々が、活動を続けてきて、「イラクへの自衛隊派遣」に関心を持たない訳が無い。関心を持たないような人なら、語り部をやらないだろう。劣化ウラン弾を不確定だから発言しない。と言い切っているところに、逆な意図を感じる。

原爆の体験をされた方が、劣化ウラン弾のことが心配になり、不確定云々以前に、一言発言があることが、当然の事だろう。こうした、今起きている事に、全て目をつぶれと言うのでは、過去に体験した事も語れないだろうし、語りたくも無いだろう。

政治的行動を、封殺しようとしている。これが日本人の困ったときの対応なのだ。臭い物にはふたをする。かかわりを避ける。旗色鮮明にすると不利益をこうむる。実はこの8項目の取り扱いに困っているのだ。この8項目に意見を出す事で不利益があると考えている。このじわじわと、真綿で首を絞めるような形での、政治的圧力は、今急速に高まっている。

感じた事は発言する。発言して、議論する。間違っていれば改める。これが自由に出来る社会を、組織を作る必要がある。地域の自治会などでこそ、こうした自由が必要だ。室町時代は、日本人も自分の主張ができたようだ。

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米産牛肉の輸入再開

2006-06-24 06:33:06 | 環境関連
いよいよ、牛肉の輸入が再開される。どうも畜産にかかわる者の感覚から言うと、アメリカとの政治的駆け引きに終始していて、何を今更という気がしてくる。BSEに対して、アメリカが関心が無いことだけは確かである。日本向け牛肉と、アメリカ人が普通に食べている牛肉とはそもそも違うものだ。

アメリカではヤコブ病が既に発症している、らしい。にもかかわらず、アメリカでは環境団体もこの問題にどうも関心が無い。この問題のさなかアメリカで暮らし、最近アメリカからもどった、有機農業研究会の理事から状況を聞いた。不思議な事だが、アメリカとの文化の差としか言いようが無い。グルメ向きの牛肉を食べる人は少数派なのだ。きっと、アメリカでも急速に変わってきているとは思うが。

アメリカでも、都市部では有機農産物の生産は日本と同程度あるようだ。しかし、BSEを心配して、牛肉のサーベランスを要求するところは無いようだ。ある意味当然で、アメリカでは牛は放牧が普通の事だ。草を食べて放し飼いされている。安全な肉を選択できるのだ。ところが、日本の悪い影響で、指しの入った美味しい黒毛和牛を食べようというので、濃厚飼料を与えるようになった。

日本では、狭い小屋に繋がれて、アメリカから来た、濃厚飼料と呼ばれるものを与えられている。ここに肉骨粉をわざわざ混ぜていたのだ。そもそもこうした飼育法に、危険が潜んでいる。BSEはその一端だ。肉骨粉がダメだとなれば、合成化学物質が、混ぜられる事に成っている。こんなものが安全というたのだろうか。

世界には安全な肉はいくらでもある。放牧され、草しか食べた事の無い牛の肉だ。これをまずいといって、食べない事がおかしい。危険な肉を柔らかいとか、刺しが入っているとか、有り難がる日本の食文化がゆがんでいる。日本の影響の少ない、アルゼンチンの肉などどうだろうか。

BSEの原因は、いまひとつ明瞭にならないが、大方の推測では肉骨粉を与えた事のようだ。草食動物に、何故、こんな物を与えなければ成らないのか。結局おいしいものを食べたいという、人間の曲がった欲望だ。美味しいが、柔らかいとか、アブラが乗っているとか、ねじれた方向に進んだ。甘い。これも困ったものだ。甘くて、柔らかくて、油が乗っていれば美味しいのか。情け無いことだ。

そのものが持つ健康な、本来の味を楽しむ事が、食の基本だろう。実は牛肉は殆ど食べないので、なんとも言えないが。草だけ食べている牛がおいしくない。というので、食べないという事はおかしい。無理やり美味しくして食べようと言うので、共食いになる、肉骨粉などを与えるような、飼育法が許されるものだろうか。
これがヨーロッパから広がった、という事は、ヨーロッパも曲がったグルメなのだろう。フォアグラのように、そもそも病気の鳥の肝臓を食べようという、食文化だから、人間の食欲は不思議に曲がっている。

牛肉でも放し飼いの物は安全なはずだ。硬くて、油の乗って無い奴を食べればいい。アメリカでは自然交配が普通だ。だから、20ヶ月以下と言っても、はっきりはしないというのは、不思議が無い。

これに対し、消費者団体の指摘というのが、肝心のところに目が行かない。そもそも狭い小屋につないで、薬で管理し、人工的な餌を、詰め込んだような、日本の牛を何故安全と考えているのだろう。むしろアメリカの牛の方が、全体としては日本の牛より安全だ。食肉処理場の検査を日本から行って行う、これで安全が確認されたなど、全く方向が違う。

この機会に、肉牛生産の安全性そのものに目を向けてもらいたい物だ。日本でもごく少数だが、放牧牛をやっている人達はいる。こうした人たちが日本では理解されず、どれほどの苦労をしているか、実際のところを見てきて欲しい。牛乳の問題も、同様の深刻な問題がある。いつも、安全の本質を考えなければならない。



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院内感染:多剤耐性緑膿菌

2006-06-23 06:17:58 | 環境関連
緑膿菌による院内感染で、6名が死亡したと報道されている。緑膿菌自体は健康な人には、問題が無いのだが、病気で免疫力が低下している人に感染すると、死に到る事もあるらしい。この背景には、病原菌との戦いが、抗生物質の出現で勝利したかに見えたが、逆襲を受け始めたことを表しているのだと思う。薬剤に頼る医療のままでは、さらに深刻な事になってゆくのでは無いだろうか。

細菌に対し、抗菌薬を長期的に投与する事で、耐性が出来て抗菌薬が効果がなくなるということは、自然の摂理であり、今後も繰り返し起きてくると考えなくてはならない。養鶏い於いては、飼料に抗生物質を添加することで、予防的な飼育が行われてきた、その結果耐性菌の出現が起こり、現在は抗生物質の予防的添加が禁止されている。家畜で起きた事は、次に人間で起きる事を、予言していると考えなくてはならない。

しかし、養鶏ではサルファー剤などの抗菌剤は、相変わらず多用されている。鳥インフルエンザの出現で、薬剤の使用量が倍増した。問題があれば、根本原因にさかのぼるのでなく、起きた事象にだけ薬剤に対応する。鳥インフルエンザが何故高病原性を獲得したかを考える必要がある。薬剤が起こす、長期的な環境破壊はインフルエンザ以上の問題を自然界に起こしている事だろう。

家畜及び野生動物由来の感染症の出現は、人類の危機を予感させないだろうか。

以下の警告がされている。「黄色ブドウ球菌、腸球菌、肺炎球菌から各々、MRSA、VRE、PRSP などが出現し、世界的に蔓延しつつあり大きな問題となっている。そのような中で、今後、緑膿菌 やアシネトバクターなどのブドウ糖非発酵菌のみならず、セラチアやエンテロバクター、シトロバク ター、肺炎桿菌、大腸菌などの腸内細菌科に属するグラム陰性桿菌における多剤耐性化の進行 が現実的な驚異となっている。」

抗菌剤で細菌に打ち勝つという発想は捨るべきだ。私は20年間薬剤を使わないできた。鶏に対し、薬剤を使わない養鶏を課しているのに、自らが、薬剤を使うのでは申し訳が立たない、と考えてのことです。しかし、残念ながら、抜歯するときに麻酔剤を1回。肋間神経痛とヘルペスのときに、漢方薬を飲んだのが、もう1回。

病気とは闘ってはいけないのだと思う。病気とは折り合いをつけること。これは病気に対してだけでなく、自然の在り様では無いだろうか。自然は緩やかな調和だ。病原菌といえども意味合いがなく、存在している訳では無い。全てが大きな納まりの中で、妥協しながら、折り合っている。

人間だけが、絶対的なものを求めて、病気を制圧する、こうした発想を持った。恐ろしい事だとは思うが、人間が生きてゆくということは、病気も受け入れざる得ないのだろう。
免疫力を高めるには、笑って暮らすことが一番だそうだ。ムチャクチャな生活を続け、病気になったら、病院で直してもらえばいい。これでは、問題の先送りで、病気を生み出す根源に対応していない。

耐性菌の出現を人類に対する警告と受け止める必要がある。家畜で起きた事が人類で起きる前に、農業での大量の薬剤の使用。大規模畜産での抗生物質の使用。これは禁止しなくてはならない。それが可能である事を、示してゆきたいと思う。

日々の暮らしの中で、健康に暮らせること。一日一日の生活が健康を生みだすものであることが、何より大切なのだと思う。
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味噌作りの会

2006-06-22 06:27:32 | あしがら農の会
味噌作りの会にかかわって多分、10年以上が経つ。つまり、10年以上手前味噌でやってきた、と言うことになる。
味噌作りは食の自給を始めた、1986年当時から、試みた事だ。味噌と米があれば、何とか暮らせる。自給をやる者が、誰でも考える事だと思う。日本人の食の原点だと思う。

大豆作りは、実は難しいことだ。お米に較べると、専門的な技術が要求される。特に有機農法で、作る場合、土の水分の状態が、大きく影響するようで、中々コツがいる。雑草にやられてしまう事もあり、私のように、こまめにやれない性格な者には、やりきれない作物だ。特に収穫後の手間隙も、バカにできない時間が掛かり、農の会の生産者に、これをお願いする事にも無理があるようだった。

この地域の昔からの自給農の方は、1反の田んぼを持っている。私の住む舟原でも、昔からの家の数だけ、1反づつの田んぼがある。山間の谷戸田なので、収量は6俵程度だろうから、裏作で麦は作ったのだろう。家族が1年食べるには丁度の量だった。昔からという点では、江戸初期からのこの形体ははっきりしている。

実は中世の農業の状態がわかる事が大切だと思うのだが、この点は難しい。この辺の平野部は、かなりの地域が葦原だったらしい。山際に集落が集中し、むしろ山の中のほうが、人が多かったようだ。薪炭が燃料だった時代、燃料生産地としての、この地域の意味は大きかったようだ。
いずれにしても、関東地方では、最も古く人が住み始めた地域のようだ。2500年前の炭化籾が出土して、現在東日本では最古ださうだ。

話がそれたが、田んぼを1反作る事が1家族の基本として、その畦に大豆を作ると、これまた、1軒の味噌・醤油がまかなえたという。それで畦に大豆を作って見ると、これが以外に簡単に作れる。大豆の花時に水があるということがいいらしい。と言っても、いつも水があるのもまずいらしく、田んぼの畦のような、ところがいいらしい。畦は結構日当たりがいいので、これも幸いするのかもしれない。

農の会でも、懸案だった大豆作りに取り掛かれることになった。中原さんが、中心になって準備してくれている。味噌の会では、中原さんが大豆の苗作りを提案されている。6月末に大豆を蒔き、畑に7月8,9日に定植します。
味噌作りを、大豆作りからやる。購入大豆でやる味噌作りの会は全国にいくらもあるでしょうが、この形は初めての試みだと思います。一番肝心の大豆生産に触れようとしない、生活体験としての味噌作りは、何か、まやかしを感じるのです。

生産の一部だけを切り取ってやるのでなく、全てを通してやってみる。生活の事を身体が知る上で、全体性を把握することは、重要な事だと考えています。この体験の意義は、大きいと思っています。現代人の暮らしは、生活の底から離れるばかりで、いきる実感が薄れがちです。だいづ1粒が、見せてくれるものが必ずあります。

一人でも多くの方にこの経験をしてもらいたいのです。基本は25連結トレーで播種してもらいます。大豆の苗作りは水遣りだけで、やさしいものです。大体種の大きい作物はやさしい。トレーが無理な方には、大豆の種を送ります。鉢に1本でもいいから、育ててみてください。7月8・9日に育てた苗を一緒に定植しましょう。ここからいろいろの事につながるはずです。

希望者は笹村まで連絡ください。材料は何らかの方法でお渡しします。

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イラク陸上自衛隊の撤収

2006-06-21 05:45:01 | Peace Cafe
イラク自衛隊の撤収が決まった。同時に航空自衛隊の活動範囲を拡大した上、国連や米国など多国籍軍の輸送支援に乗り出すことを表明した。
陸上自衛隊がイラク人を殺傷することなく、還れそうな事は不幸中の幸いだった。このことで、日本の平和外交が、大きく傷つき、今後の展望も持てなくなってしまった損失は、計り知れないほど大きい。

今回の教訓は、何だったか。全体で見れば、アメリカの外交戦略に日本は従う以外ない。という現状を認識した事だと思う。国連による平和外交などと、抽象的な発言を繰り返して来た、今までの政府による平和外交は実は、アメリカの外交の一部に過ぎなかった、このことが、明確に成った。

民間レベルで、草の根的に続けてきた、国際協力が、日本なら信頼できるという事で、受け入れられ活動が歓迎されてきていたものが、アメリカと同一視され、活動に支障が生じてきた、と言われている。災害支援に自衛隊が出るとしても、受け入れ先によっては、無理も生じるだろう。中国で災害が起きた時、日本の自衛隊は行けなくなったのではないだろうか。

日本が、北朝鮮、中国、に対して、何が出来るかという事は、アメリカの意向しだい、と考えておかなければならないだろう。これを現実とするのが、今の日本の状態だ。今回のイラク派兵は、国連の承認の無い、アメリカの大量破壊兵器がある、という虚偽の前提で、無理やり日本は戦争に引きずり込まれた、と思うしかない。今後北朝鮮に対しても、アメリカが、戦う事になれば、日本も派兵しなければなる。

中国に対しても、もしアメリカが戦う事になれば、同様に自衛隊派兵は行われるのだろう。要するに日本にはなんら判断が許されていないのが、現状である。アメリカが派兵するには事実は必要ない、その政権が反米的であれば、理由を捏造して、攻め込む事になる。恐ろしい事だが、アメリカがイラクで行った事はそういうことだ。

私達日本人は、アメリカの大統領に対し、選挙権は無いにもかかわらず、全面的に従わなければならない。アメリカ国民の教育に、何か出来ないものか。

陸上自衛隊の撤退と同時に、航空自衛隊の活動範囲を拡大が表明された。当然アメリカ軍からの要請だろう。日本が引き上げた訳で無いことを、世界に表明させられたのだろう。本当に小学生のようだ。いい子だから、みんなの前で大きな声で、はっきりと、引き上げるのでなく、形が変わるだけだと言いなさい。教えてもらったように、額賀防衛庁長官が記者会見した。

北朝鮮外交では、拉致問題を大きく取り上げている。大統領までも関心を示している。何の準備か考えておく必要がある。拉致問題は、既に20年前、アメリカ政府も日本政府も、充分把握していた事だ。にもかかわらず、一向に動かず、かかわりを避けてきた。唐突な小泉首相の北朝鮮訪問に始まり、風向きを変えた。
何故、20年前の拉致当時動こうとしなかったのか。このことをよくよく考えて置かなくてはならない。

イラクが終われば、アジアに矛先を変えてくるのが、アメリカの国際戦略では無いだろうか。アメリカは第2次世界大戦後も、常に戦ってきた。繰り返し戦っている。いつも戦っていると、次の戦いを探さなくては、成り立たない仕組みが生まれる。米軍司令部を日本に移動させる真意を、考えなくてはならない。

イラク陸上自衛隊派兵が開いた、新たな道は対米追随どころか、アメリカ軍に組み込まれた、極めて危険な道だ。日本がアジアの戦争に巻き込まれないためには、憲法を改正して、自衛隊の廃止をする以外ないのかもしれない。
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ごみ処理広域化:小田原市と足柄下郡3町

2006-06-20 06:07:33 | 環境関連
住民76%が是認―――以下神奈川新聞の記事です。
 小田原市と足柄下郡三町が進めるごみ処理広域化に関する住民意識調査の結果がまとまった。一市三町の広域化は「進めたほうがよい」と「仕方ない」で76%が是認。小田原に焼却施設を、三町のいずれかに最終処分場を置く配置計画についても、容認する意見が85%を占めた。

1月にとったアンケートの結果らしい。まさに外堀を埋めようという、ずるいやり方だ。この間一切の事は決まっていないと言い続けて、行政は何も住民に説明しようとしない。場所の選定など、全く念頭に無い。など発言している。にもかかわらず、その裏で、小田原の久野に、作るために、着々と準備を進めている。

あくまで、こうした姑息なやり方を、行政がして行くつもりなら、こちらも覚悟はある。こちらには今まで、ゴミ問題では、どの施設も撤退させてきた実績がある。あらゆる手段、今まで培ってきた、ノーハウを総動員して、実現させない方向で動いてゆく。最終処分場が実現できなかった事を、忘れてはいないだろう。エコループ計画が頓挫した事を忘れてはいないだろう。

先ず、実施計画の策定に住民参加が必要だ。あらゆる情報を公開し、あらゆる可能性を模索して行く姿勢がなければ、ゴミの減量化のできる、ゴミの広域処理など実現できるわけが無い。闇雲の反対するというので無い、いいやり方を一緒に考えようという提案をしているのに、何故無視を続けるのか。久野に作る事が現実的と考えているなら、そういう方向で発言するのが、誠実な対応ではないか。

小田原市役所に、三町から、職員が出向して広域担当部署が出来ている。
考え方としては「資源化、減量、効率化」この3つの考えを基本として進める。このように、担当課長は発言している。これは本音ではないのか。

全くの白紙状態から、今年度中に実施計画を作るスケジュールは、住民への情報周知など無い現状は、既に遅れた状態では無いだろうか。
白紙どころか、久野に作るための、スケジュールが着々と進められていると考えざる得ない。何故本音で語らないのか。

事業系のゴミと、家庭ごみの境界の明確化。産廃と事業系ごみの境界の明確化。など、課題は山積みだ。特に、旅館などが出すゴミが、家庭ごみであるとは言いがたい物がある。それを言い出せば、事業系ごみと、家庭ごみの調査はすぐにもやらなければこの先の事は考えられない。先ずは実態調査が必要だ。

減量化のために、生ゴミの堆肥化などに取り組むとすれば、早急に、実験的試行が始まらなければならないだろう。こうした減量の努力を、やろうともせず、考えもせず、ただ、広域化するなど、とんでもない話だ。


又、10年先の人口の動向、そこから来るごみ量の推移など、現在あるデーターが、過大な数値になっている点も気になるところだ。人口は誰が考えても減少してゆく、新しいデーターでは、20%ぐらい減少すると見ているものもある。これを減らないというデーターで計画するというのは、無駄な事だけでなく、ゴミを増やす努力をしなくては成らなくなる。

ゴミは住民の協力なしに減量はできない。あらゆる可能性を公開し、ともに探ってゆく姿勢で、この問題に取り組んでもらいたい。

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小田原市市民活動応援補助金

2006-06-19 06:48:12 | あしがら農の会
昨日、小田原市市民活動応援補助金のプレゼンテーションがあった。昨年、一昨年と頂いたので、今年が頂く事が出来れば、3年目という事で、最後の補助金になる。
あしがら農の会にとって、始めていただいた補助金だった。私達の会がお金が足りないで苦労しているのは、立ち上がりから、延々と続いてきた。やはり、機械の購入と、維持管理に費用が要る。これは深刻な事だった。殆どの農機が、廃業して倉庫に眠っていた物を、いただくという事で来た。しかし、農地が広がり、どうしても機械をそろえることの必要性はたかまっている。

しかし、自問すれば、自分達の自給の食糧を生産するのに、小田原市から補助をいただくという事に、疑問はあった。初めて申請する時には、相当に悩んだ。結論から言えば、補助金をもらうという事で、あしがら農の会の、社会的責任というところへ、会員の自覚が進む事になることが、重要だと考え申請した。

その時私自身考えた事は、あしがら農の会が行っている、事業の何が、市の税を使う意義があるか。様々な側面はあるにしても、第一は、耕作放棄地を耕作して、農地として保全するという事だ。

放棄されるということは、事業としては成立しない土地、という事だ。これを営農として、やる人がいるかといえば、予測どおり、農業分野への企業進出など無かった。この事業として成立しない農地が、荒地になってゆくことは、場所によっては、災害の発生等、地域の生活に深刻な影を落とし始めている。

これを行政が、税を使って整備しようとしても、莫大な費用がかかり、不可能な事ははっきりしている。業としては無理、行政も無理、そこで市民的な農地利用が開けないか。ここに期待するほか方法が無いのが、全国共通の課題では無いだろうか。

業としては無理でも、市民が自給の食糧生産をするということなら、合理的に回る形があるはず。ロシア方式だ。これを模索してきたのが、あしがら農の会だと思う。業として、市民農園を運営する形がある。ところが、このやり方だと、私達の方法の10倍ぐらいの費用が無いと成立しない。10坪単位で、年間1万円とか。こんな費用では、本格的な市民参加に道は開けないのが、現状だ。
市民が農家に変わるぐらいに、面積を生産に当てるためには、農家と同様の対価で参加する必要がある。標準小作料で市民も参加できる形が必要だと思う。

こうした事を実現するために活動してきたのが、あしがら農の会の一面だと思う。少しづつ道は開かれ、全体では20ヘクタールに近い農地が、耕作されているのではないだろうか。今後も、様々な形ではあろうが、市民の農地利用は増加してゆくだろう。この新しい形を、作り出してきたのが、あしがら農の会の功績だと自負している。

以上のような活動に公共性があるかということだと思う。これは意見が分かれるところだろう。私は行政がやる事ができない、しかし、市としてやらなければならないことを、10倍以上の費用対効果でやるのだから、農の会に税を補助する事は合理性があると、アピールした。
どんな判断をするかは、審査委員の判断を待つしかない。しかし、私たち自身が、やぅて来た事を考えて見るという意味では、いい機会であった。
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しるべ展

2006-06-18 05:45:16 | 水彩画
しるべ展が近づいてきた。銀座の「月光荘」画室3・5で開催される。会期は6月27日から7月3日までの1週間だ。「しるべ展」は、水彩人の研究会から生まれた。

水彩人の研究会は、年1回無いし、2回。開催されてきた。水彩人の会則で、開催が決まっているものだ。水彩画を研究する機会は少ない。水彩画を、自分の制作の基本にしている作家が少ない為だ。趣味としての水彩画、あるいは油絵や、日本画を制作する作家の下書としての水彩画、の制作。結果、世界でも水彩画は本画としての作品は殆ど無いに等しい。私はまだ、水彩画の領域は未開拓だと考えている。

そこで水彩画をやる者としては、相互研究を徹底的に行うしかない。美術大学ですら、水彩画の講座は無い。自ら絵を学ぶという事を、とことん推し進めていった時に、作品とは何か。この命題にぶつかる。
写生する。心惹かれるところ、あるいは絵になりそうなところを、写生する。ここまでは誰しも行うし、ある意味自然な行為だ。描かれたものの社会的な意味を考えなければ、ここまでで充分な事になる。

絵画の社会的な意味。描かれたものが、何を表現しているか。何のために絵を描くのか。このことに正面から、立ち向かわなくて、絵画の意味など無い。と考えている。描かれたものの意味性の確認。このことを探る時に、初めて絵が絵として自立すると思う。

このことを自覚する機会が、描いたものを、作品として発表することだ。発表する以上、作品は自分からはなれ、客観的なものとしての存在になる。作者も観衆も等距離になる。空の色が青い事は、青かったからではなく、何故青くしなくてはならないかという。作者の意図として問われる事になる。

作品は社会のためにある。絵が自己完結しない。社会に対し自分の表現主張として、自分の哲学を表明した物だ。大上段であるが、この事を忘れて、作品を描く意味は無い。感じがいいとか、上手です。というところから、へたではあるが、伝わるものがある。作者の意思があるもの、作者が感じられる作品。作者の哲学が、言い換えれば、哲学が詩として、絵画に成ってたち現れる作品。

こうした作品の登場を期待して、しるべ展に参加する。

自己表現としての作品に直面するために、水彩人展もある。又、しるべ展も生まれた。しるべ展は3回目の開催になる。過去2回は水彩人が主催し、しるべの人が参加するという形だったが、主体的なかかわりこそ、絵画する意味が自覚できるはず。ということで、今回から、しるべが主体的に作り上げた展覧会として、作品発表することに成った。

水彩人からも、6名が参加する。38名参加の展覧会になる。私も、今制作している。それなりになってきているような気がしているが、どうだろうか。
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小泉首相閉幕

2006-06-17 07:44:08 | Peace Cafe
5年に渡る小泉首相時代が終わろうとしている。01年、米百俵の幕開けで始まった、小泉時代は私達の暮らしに何を残したのだろう。

最後に出てきた、共謀罪、教育基本法改定案、になぜか熱心でなかった事はありがたかった。この不思議な感覚が小泉首相なのだろう。与党がこぞって押したところで、これは次の内閣の課題。こう決め付けたのだろう。一切見向きをしなかった。憲法改定についても、次の内閣が重要に成る。

イラク派兵、これが最も行った悪い事だった。日米安全保障条約の強化。米軍の再編へ日本の一体化。これではアメリカの大統領選挙に、日本人は投票する権利があると、言いたくなるほどの、対米依存体質。
そして憲法改定が、現実化した。

憲法改定はある意味、日本の平和主義を問う。と言う、積極的意義を見出すいい機会だと思う。日本国憲法が、実際にはないがしろにされ、空洞化して居ている現実は誰でも認めることだ。だから改定すべきだ。などという本末転倒の議論さえある。憲法すらないがしろにする国が、国際的に信頼されるわけが無い。これでは、日本の安全保障が成り立たず、アメリカ依存になるのも無理が無い。

日本の平和外交を日本人が選択できるのか。いい機会だと思う。もし、憲法を改定しない。9条を守ると選択した時には、自衛隊は廃止するという事のなるのだろうか。自民党、民主党に、そんな選択肢は無いのだろう。にもかかわらず、国民投票に進む事はできるのだろうか。

次には「格差社会」の蔓延。日銀の福井総裁の村上ファンド投資が最後に出てきた。日本人の拝金主義を、一層鮮明にした5年間でもあった。「お金を儲ける事は悪い事なんですか」村上氏の絶叫が耳に残る。0金利政策これが庶民に残した物は、生活苦だけ。一方、銀行をはじめとする大企業は恩恵を多大にこうむる。

基金を元に、運営されている文化団体は、活動停止状態に陥った。基金を食いつぶす以外活動できないという、最悪の状態が続いた。例えば絵画団体などでは、会の中心メンバーがなくなると、遺族が、数百万を寄付する事がある。ある意味香典返しのような意味もある。その寄付に基づき、名前のついた賞が造られる。しかし、以前なら、利息分程度の賞金をつけて、継続してゆく事ができたが、今は、基金がなくなるまでの間の賞と言うことになっている。

食料自給率40%の安定化。これこそ、米百俵でなかったか。苦しくても、守らなければ成らないものが、食糧の自給だ。食料が半分も自給できない国に、安全保障もありえるわけが無い。軍もアメリカ依存なら、食もアメリカ依存、こんな状態では、とても、自立した国家とはいえない。どうもプレスリーが好きなようだから、文化もアメリカ依存という事に成らなければいいが。






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NPO法人の活動範囲

2006-06-16 06:15:04 | あしがら農の会
NPO法人としての社会的役割と、農業者としての在り方を、整理する必要があるように、最近感じ始めた。先日、行政の人から、農の会は農業法人になるべきだ。NPO法人では活動の範囲がおかしい。このように指摘された。社会的にも、NPO法人の意味がまだ確定されていない中で、仕方が無いことだが、行政の人間でもこのように理解の無い状態だ。あしがら農の会の活動こそ、NPOらしい活動だと考えている。

農の会が、大きくなってきて、現在、200人ぐらいの規模で、動いている。収穫祭での参加者は300人をこえた。多分田植え参加者の数も、200名をこえたのだろう。お茶摘みは150名をこえた。この中で、中核農家となっている人達が、15軒ほどだ。
耕作面積で言えば、全員のものを併せると、20へクタールぐらいになっているのだろう。これは今後も増えてゆくものと、考えなくてはならない。

いずれも、私の概算で、正確なものではない。正確なところは誰も知らないだろう。名簿を作らない、集計しないと言うのが、基本的な考えだ。私達のような組織は、誰でも出入りが自由で、情報を誰には教えて、誰には伝えないというのが、難しい。そこで、情報はまとめないことになっている。

この規模の組織が、活発な活動を行っているにもかかわらず、事務局は無いし、運営はその時出来る人がやる、という姿を継続してきた。多くの仕事を、専業的農業者と10名ぐらいの協力的な人が支えている。

私がこうした組織を作った基は、新規就農者の社会的信用度を高める、という事があった。農地を借りる事など、私が始めた20年前は全く出来なかった。たまたま借りる事ができても、それは条件が悪く、継続できる状態で無かった。これは当時も地域によって全く違ったが、足柄地域では、よそ者に農地を貸すということが考えられなかった。

農地を借りる事を可能にする、これがNPO法人としての一つの役割だった、と思う。しかし、現在のように農地を個人でも借りられるようになってきた場合、この意味は少なくなってきている。

販売事業がある。生産は出来ても販売が難しい。農業者として安定的に販売を行うために、宅配事業が作られ、運営されている。今もこの役割は大きく、ここに生活の基盤を置くものは、今後も増えてゆくだろう。
NPOとしての捉え方としては、農業者として自立した者より、これから農業者として生計を立てゆこうとするものの支援だ。立ち上がりは、技術も無いし、販路も無い。一番困難な場面に直面する。これを支えて、農業者としての自立を支援するという事が重要な役割となる。これは今後も変わらない部分だ。

今までは、自分も農の会に世話になって、この地域で生計を立てようとしてきたのだから、後輩の面倒も少しは見なければならないという事が、背景にあった感覚だろう。

しかし、そうしたNPOとしての活動は、誰が行うのか。今までは、自分の生活の事なのだから、先輩農業者がやる。この範囲で済んできたが、今の規模になると、そうとも言い切れない、負担になってきている。この辺から「農の会の宅配を行う事が、ボランティアである。」こうした捉え方が出てきた。

今夏祭りの準備を始めたが、やりたい者と必要な者がやる。このように割り切りたい。当日集まって皆で盛り上げて欲しいけど。準備段階では、得きる限り農業者の負担にならないように進めたい。
やりたいけど忙しい。必要だけれど、忙しい。やれる範囲でという事になる。自分のことを考えると、私が生きているということは、こうした夏祭りを作り出す事を、喜びとしている。むしろ、それが私の生きる目標でもあるので、必要な事でもある。

必要という意味では分かりやすいのは小宮さんだろう。小宮農園にとっては、経営的な意味でもマイナスでは無いはずだ。と言って、小宮さんは経営として、この夏祭りを捉えてはいない。大井町の人達と、あしがら農の会の人達の、交流の場を作り出そうとしている。それが彼のやりたい祭りのようだ。

やはり上手く整理は出来ないが、やりたい者がやれる範囲でやるという。基本的姿勢で行くしかないのだろう。ここにNPOだから、やる義務がある。こうした考えは全くいらない。やりたくない事は拒否できる、この状態を作り出す必要がある。
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