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聞く力のない、説明の出来ない岸田総理大臣

2022-09-30 04:09:52 | Peace Cafe


 国葬に冠する丁寧な説明とはどんな説明だったのか。岸田氏が内閣として決断したのだから、今説明しなければならない最も重要ようなことは、安倍氏と統一教会の関係だろう。何か説明があったとは思えない。死んだ人のことだから、今更調査しないと言うことのようだ。

 安倍氏が殺された原因は山上という犯人が、安倍氏が統一教会にビデオメッセージを出していて、関係が深いと考えたから殺したと自白している以上。まったく調べないと言うことを決めた理由はあるとは思えない。このことは山上の裁判である程度は明らかになる。疑惑隠しと考えて良いだろう。

 疑惑のある元総理大臣を、内閣の責任として国葬をすると決めた。国葬に値するのかどうか。霊感商法に加担していたのか。あるいは利用されていたかもしれない。日本をサタンの国と決めつけて、韓国にお金を貢ぐ義務があるとする宗教を支持していたとしたら、国葬にはまったく値しないだろう。

 国民は今この点を疑っているのだ。疑っている以上に、たぶん裏では統一教会とつるんでいて、日本から反日組織統一教会に金を貢がせていたと張本人と考え始めているのかもしれない。笹川良一や岸信介のような日本の保守組織は、実に汚いやり方で、日本を支配しようとしてきたのだ。

 安倍氏が日本の為になる人だったのか、あるいは日本を韓国に売り渡していたような人なのか。その説明をしなければ、丁寧な説明は未だにないということだ。霊感商法で犯罪を犯した、反日の宗教団体を禁止しないで、温存した張本人は安倍氏なのではないか。そのことは統一教会内部では認識されていることではないのか。

 十分その疑いがあると思っている。日本をサタンの国とする組織にビデオメッセージを送るような人間を、国葬にするのは間違っていた。日本の恥である。耐えがたい日本の汚点として、永遠に記憶されることになるだろう。情けなくて成らない。

 そもそも統一教会は宗教組織と言えない。霊感商法を行うような組織は、隠れ蓑に宗教を使うが、悪徳商法組織と考えた方が良い。ずる賢い奴が、宗教組織の名をかたったに過ぎない。悪徳商業組織が政治に絡んでくるのは、パソナでも電通でも同じである。金儲けのために自民党政治と連携している組織はいくらでもある。

 岸田氏は聞く力を強調していたのではなかったのか。丁寧な説明を約束したのではなかったのか。それらはぜんぶ嘘だったというのか。今国民が不安に感じている統一教会と安倍氏の間にあった関係を調査してもらいたい。国葬を実施した内閣には調査する義務がある。

 何の説明もないのでは、疑いは深まるばかりだ。こういう場合説明しないと言うことは説明が出来ないのであって、実は深い関係があったと言う可能性のほうが高い。いまこの場面でこそ、岸田氏は耳を澄ませて国民の声を聞かなければならない。

 居直ったまま、このまま政治を行ったとしても岸田氏への信頼は地に落ちたままになるだろう。問題は安倍氏のことなのだ。岸田氏は何の忖度もいらない。自分が折角総理大臣になったのだ。やりたい政治をやるために、洗いざらい過去の自民党の暗部をおおやけにすることだ。

 安倍氏殺された後に、急に検察が五輪汚職を取り上げ始めた。たぶん安倍氏が生きていたら、司直の手はそこまでは伸びなかったと思われる。安倍氏の長年の検察に対する人事での操作を快く思わない人達が、今に成ってその本領を発揮し始めたように見える。検察の正義はまだ残っている。

 捜査はついに森元総理大臣逮捕にまで及ぶのではないかという所まで来ている。電通が噛んでいると言うことは安倍氏は同類であったはずだ。いまになって、オリンピックまで食い物にした連中が、芋づる式に引きずり出されている。
 
 森友問題も同じだ。安倍氏がいたから検察が押え込まれたのだ。今再調査すれば、安倍氏が逮捕される可能性すら出てくる。こういうどうしようもない身びいきが安倍氏の実態である。つまり安倍氏はそのために利用しやすいように木偶の坊人形の総理大臣にさせられた人だ。

 最近になって安倍氏は人間味のある人情家だったなど、どうでも良いことが言われる。総理大臣の資質としてそんなことはまったくどうでも良いことだ。アベノミクスの第3の矢を、軌道に乗せることが出来るかどうかが、安倍氏の腕の見せ所のはずだ。

 ところがまったくそれが出来なかったではないか。そして日本は衰退の道を進んだ。その経済的な下り坂は、今や誰もが認めるところまで来た。国の財政は巨額の借金を抱え、財政再建の方向すら計画が出来ない状態に陥っている。この責任者が安倍氏であることは間違いないことだろう。アベノミクスのどこが成功したというのだ。

 これほど情けない総理大臣が果たしていただろうかと思うほどひどい内閣で会った。その人を国葬にした理由をどうしても聞きたい。葬儀の際の岸田氏の弔辞の言葉は聞いていない。情けなくて国葬のニュースも新聞記事も見ないようにしていたためだ。気持ちが落ち着いたら調べてみよう。

 岸田氏には期待はしていた。倫理のある経済を模索するのかと思えたが、それが出来ない説明もまだ十分には聞いていない。本当に道徳のある経済を進めてくれたら、それは感謝したいことだ。拝金主義ではない経済のことだ。人間のための経済のことだ。

 自分さえ良ければ良いという競争主義を止めると言うことだろう。岸田氏がそういう経済を考えているなら、出来る出来ないはともかく、どういう経済なのか説明をして欲しい。今世界は国家資本主義と言う拝金主義に敗れようとしている。

 これを食い止めることが出来るのは道徳のある経済なのかもしれない。私は自給的経済だと思っているが、共創主義的資本主義が限界に達したと言うことは、全世界の共通認識になってきているのではないだろうか。

 共産主義経済が良いとか、社会主義経済が良いとか言うのではない。道徳のある資本主義がどんな物なのか、まだ期待はしている。どうせ不人気に成った内閣だ。これから思い切って岸田式の経済を展開してほしいものだ。

 
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ウクライナ問題の鍵を握る中国

2022-09-29 04:30:14 | Peace Cafe


 中国の王毅国務委員兼外相は24日、米ニューヨークであった国連総会の一般討論で、「代理戦争をあおる国はやけどを負う」と述べ、そのうえで「根本的解決のためには全ての関係国の正当な安全保障上の懸念に対応し、バランスが取れ持続可能な仕組みを作ることが重要だ」と指摘した。

 中国外相の主張の通りだと思う。「持続可能な仕組みを作る」ことに世界中が本気にならなければ、世界は代理戦争の時代に入る。では中国は持続可能な仕組みを作ろうと努力しているのかと言えば、そうとも言えないだろう。ロシアもそうであるし、日本も持続可能な仕組みを模索しているとは言えない。何が正しいか分かっていながら、どこの国もやろうとはしない。

 ウイグルの人達や、香港の人達にしてみれば、中国の持続可能な仕組みとは、国家権力によって反対勢力の自由を抹殺してしまうと言うことになる。果たして中国が考える持続可能と言うことは、人間はだめなものだから、正しい判断が出来る国家権力が自由を奪っても良いと言うことになる。

 それは、国家のためには都合が良いし、資本主義の競争にも有利と言うことになるのだろう。世界が国家資本主義に成って行く可能性が出てきている。一方でEUのような経済共同体の構築という希望もある。日本は本来であれば、東アジア経済共同体を模索すべきなのだろう。

 中国はロシアに対して黙っていることで、漁夫の利を得ている。ロシアのウクライナ侵攻で、あらゆる国が被害を受けている中で、一番被害が少ないのが、中国である。黙っていることで有利が転げ込むならば、動かないことに限る。これが持続可能な態度とは思えない。
 
 中国は無謀な国家ロシアに巻き込まれ、世界から引き釣り下ろされないように立ち回ることが、これからの中国のめざす政策になるだろう。先日の習近平プーチン会談は、ロシアの戦争には中国は賛成では無いと言うことが示されたのだと思う。

 その結果ロシアは最後の手段として、徴兵を始めたと思われる。ロシアはかなり苦戦をしていると言うことが見えてきている。ロシア防衛戦には耐えるが、国外での攻撃力は弱いのかもしれない。アフガンでもひどい敗北を喫した。チェチェン共和国の独立運動ではボリショイ劇場の占拠事件が起きた。

 プーチンがかってに追い詰められ、失脚してしまえば一番良いのだろうが、ロシア人は世界から孤立していた長い間に、歪んだ人達になっているかのようにプーチン支持が続いている。このさきのロシア国内の動きは予測できない。原爆を使う可能性も無いとは言えない。

 ロシアが予備役の徴兵を進めた。これはロシアには戦力に余裕がないと言うことを国民に告げたと言うことになる。10万人に近い人が戦死しているという予測も出ている。両者の情報戦だから正確なところは見えないが、予備役を徴兵しなければ、戦えなくなっていることをロシアの国民は自覚したところだろう。

 ロシアの人達にまだ理性が残されているならば、こんな馬鹿げた戦争を始める意味があったのかと考え始めているはずだ。自分が人殺しに引き釣り出され、運が悪ければ殺されるか、殺さなければならないと考えれば、誰だって何かがおかしいと考え始めるはずだ。

 ロシアから国外に逃げる人が出はじめている。予備役の徴兵反対のデモが起きている。こういうことは当然なことで今まで戦争反対が見えなかったことの方が、余りに不自然であった。10万人が死ねば100万は家族や親しい人だ。黙っているはずがない。

 これから徴兵される家族であれば、なおさら危機感が強いはずだ。これは何百万人に影響を与え始めているはずだ。ロシアとしてはウクライナがナトウに加盟することになれば、国家存亡の危機だと考えたのだろう。しかしそれを外交交渉ではなく、軍事侵攻を突然始める異常さはさすがにロシア人は感じ始めているだろう。

 しかもその軍事侵攻が予備役の徴兵にまで及び、そう簡単なことではなかったとなると、さすがに何かがおかしいと主張する人が出てくるはずだ。そうなれば今までの一枚岩もどこかほころびが出てくるはずだ。

 世界はロシア国内の普通の市民達と連帯を示し、繋がらなければならない。ロシア国内から、戦争反対の声が盛り上がれば、戦争は終わりになる可能性が出てくる。おかしいのはプーチンとその取り巻きであり、ロシアの普通の人達がおかしいわけではないはずだ。

 世界の常識がどこにあるのかを、ロシアの異常さを伝えて行く必要がある。問題の大半はプーチンの独裁にあることを、ロシア人は自覚していないようだ。ロシアの独裁政治を一般市民が変える以外に道がないと言うことを伝えなければならない。

 その一番おおきな役割が中国にあるのだろう。中国とロシアはよく似ている政治体制である。プーチンに引導を渡せるのは中国だけだろう。中国が何もしない対応を明確にして、経済協力をしないとなれば、それもロシア市民が変わるきっかけになるだろう。それが中国の国益となると考えれば、中国は動くはずだ。さすがにプーチンが破滅的な戦争に進むことは中国の利益にもならないはずだ。

 中国はロシアの市民に対して、戦争終結を促すことが可能な国だ。中国が止めたほうが良いと終結を促せば、ロシアの市民もさすがに戦争反対の主張を始める可能性が高い。今や中国はロシアの動きに影響を与えうる唯一の国になっている。中国が経済協力を止めるとなれば、プーチンもさすがに戦争の継続は出来ないだろう。

 中国のこれからが日本の未来に大きく影響する。中国がどのような状態になるかで、日本の在り方もかわってくる。韓国は中国に近づきすぎて、非常に難しい状況に陥った。韓国も政権が変わり、アメリカとの連携を強化して行く戦略に変わったようだ。日本との関係も見直しをせざる得ないのだろう。それに対して、韓国は大統領の不支持が広がっている。

 今の日本はアメリカの配下の国である。韓国も同様である。その結果中国は仮想敵国とされている。そのアメリカも一国主義化して、日本はとの関係は揺らいでいるところがある。バイデンはそれを修復しようとしている。日本と韓国と台湾の軍事強化が背景にある。

 まとまって中国に対抗しなければ、アメリカも危ういという意識だろう。日本はむしろ東アジアの連携を模索する必要がある。中国との平和的な経済関係の構築を目指す。中国の未来が見えていないが、中国と友好関係にならない限り日本の未来は見えてくないだろう。


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マスク依存症になっている

2022-09-28 04:34:38 | 暮らし
 

 日本人全員がマスクを外す日は来ないかも知れない。今回石垣島を一ヶ月近く離れていて、東京と金沢でそういうことを感じて帰ってきた。人のことではない。わたしがマスク依存症の傾向にあるようなのだ。東京と言う不安が溢れた場所ではマスクしていた方がよほど楽なのだ。

 当たり前の事だが、私のことな誰も気にも止めていないことは分かっている。それでもなんとなく沢山の人の視線を感じる。いつも気をつけていなければ、普通について行けないと思えた。まあ歳をとったと言うことなのかもしれないが。

 それでも田舎者としてはマスクをしているとどことなく仮面状態で守られている感がある。顔隠して尻隠さずなのだが、精神的には悪くない気がしてきた。これはどうも日本人にはマスクを外せない日が来たのではないかと、思えてきたのだ。

 人目ばかり気にする日本人にはマスクは必要なものになったかも知れない。マスクをしていることがそれほど奇異なことでないなら、マスクをしていた方が安心だ。と言う気分。中学生の時に眼鏡をかけたとき以来の安心感を味わっている。

 男の私がそうなのだから、女性の場合もっとその傾向が強いのではないだろうか。確かに私を見てくださいという女性もいないわけではない。そういう人にしてみれば、残念な日々であろうが、たいていの女性の人は見られたくない意識の方が強いのではないか。偶然目が合ったりすると嫌な顔を向ける。

 花粉症の振りをしてマスクをする。これはなかなか悪い事ではなかったはずだ。しかし、今回は誰もがマスクをすることが奨励され、マスクを取れという圧力がない。マスクをしていて不安な奴だとは思われない。これならずーとしていたいという人が出てくるはずだ。

 これはイスラム文化とかぶってくることではないか。イスラム世界では、女性は眼以外は見せてはならないというのが戒律である。この戒律にも様々な意味はあるのだろうが、顔を見せないで良いというのはやはり女性には安心と言うこともあるのではないか。

 もう一つはマスク美人の登場がある。マスクしていた方が神秘的な美しさがでてくる。この美しい人がもしマスクを外したらどれほどのことかという、幻想を作り出す。見えないと言うことの高貴さである。御簾の向こう側にしか、高貴な方はいない源氏物語絵巻。

 世界中でマスクがなくなっても日本ではなくならない。コロナがなくなってもマスクはなくならないかも知れない。つまりだてマスクが登場するのをよそくする。中学生の昔、眼鏡をしたときに安心感を得た。視線を隠せるという感じがした。眼鏡をしてマスクをすれば、これは顔認証を逃れられる。

 今の時代顔認証制度というのがある。これはマスクをしても眼だけ写れば大丈夫なのだろうか。中国では街の至る所に監視カメラがあり、顔が把握されていれば、すべての行動の詳細が記録できるようになっているらしい。軍事国家では普通のことだろう。日本もそのようになり始めている。

 昨日ウラジオストックの領事がロシアでスパイ容疑で捕まったが、戦争国の軍事都市で日中妖しいことなど何故したのだろう。迂闊なのか罠なのか。たぶん罠にはまったのだろう。領事のレベルが低すぎる。証拠の写真などいくらでも存在するはずだ。いくらスパイなどしていないと言ったところで、どうにもならないはずだ。

 領事は果たしてマスクをしていたのだろうか。マスクぐらいはしていてほしいものだ。大使館員は政府からの命令でどこにいてもマスクをする。そんな話ではないわけで、日本にとってスパイ行為は必要なことだ。日本の安全保障はスパイから。

 ミサイル防衛よりもスパイの方がはるかにまともだ。敵を知り己を知れば百選危うからず。ともかくすべての外国のことを熟知することから始まる。今回ロシアのことを何も知らなかったと言うことが分かった。ロシアで知っていたのはドフトエフスキーとシャガールとカンジンスキーぐらいだ。

 しかし、ロシアが何故共産主義から、訳の分からない現代社会の独裁国家になったのかは想像が出来なかった。プーチンが柔道が好きと言うことと、アベを手玉にとっていたと言うことは知っていたが、ここまで無謀な戦争をするほどの低脳者とは思わなかった。

 そうマスクだった。マスク社会になり、だてマスクが流行する。そして、日本教の戒律にマスクが入るかも知れない。まあ、アベノマスクでないことを祈る。あれは耳が痛くてだめだ。アベノマスクをして皆さん国葬には参加したことだろう。

 それが故人への敬意の表し方というものだ。まあ余り死んだ人のことを悪く言うのは趣味の良いことではないが、総理大臣というものは、役割であって個人ではない。総理大臣という勤めをどのようにこなしたかが問題なのだ。だから人が死んだと考える必要なない。

 個人としての葬儀は終わっている。今やっている国葬は役割にたいしての政治的行為だ。安倍氏のためにやっているわけではない。岸田氏と自民党の保守派のためにやっている行事の一つだ。葬儀の名を借りて、静かにしていろと二階氏がほざいたが、とんでもない奴だ。

 嫌だという私のお金も使ってやっているのだ。静かにしないで意見を言う権利はある。それが嫌なら二階氏の個人の費用でやればいいだろう。外国から参列した人にもマスクを強制するという。たぶんアベノマスクの余った奴を渡したのだろう。

 エリザベス女王の国葬では天皇陛下もマスクなしだった。日本はマスクの国だ。もし、アベ国葬を報道する海外のテレビ局があれば、マスク姿が流れることだろう。どうも日本ではマスクを統一教会のすすめで戒律にしたらしいと流れるのだろうか。

 それでも統一教会葬と言うことではないのだろうか。統一教会葬にしてもらえば、本望かも知れない。きっと費用も霊感商法で集めた残金を使うのだろう。ともかく今日は気持ち悪くて耐えがたい日だ。テレビ局は中継をしたらしいが、報道も見たくない。

 この日を今後アベノマスク記念日に制定すると言うことが次に出てくるのだろう。そして、日本人は外に出るときには必ずマスクをするようにと言う、内閣から通達が出る。通達は憲法よりも重い、一度出れば変えられない。情けない限りだ。

 
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石垣島に戻って、

2022-09-27 04:55:35 | 楽観農園


 石垣島に戻ってきた。戻ってホットしたと言うことでもない。どこにいても、旅行先でも気持ちは余り変わらないようだ。戻れば色々の用事が待っていて、片付ける終わるまでまだまだ時間がかかりそうだ。これもいつものことで、絵ばかり描いていれば良いという暮らしは何時になることやら。

 まあそういう日は生涯来ないのだろう。そう思うしかない。考えてみれば、ゴッホだってゴーギャンだって、日記を読んでみると、一体いつ絵を描いていたのかと思うほど煩雑な生活に追われている。それであれだけの絵を描いていたのだから、言い訳は出来ない。

 まず、田んぼは台風で大分やられた。これはちょっとがっかりするレベルだった。送ってくれた写真の状態では被害は無いように見えたのだが、後から台風の影響が強くなったようだ。他所の2期作目の田んぼはそれほど被害がない。

 どういうことかとよくよく見ると、台風が来た時期と稲の穂の実った状態がまずかったようだ。強い風と潮風で穂がやられたという状態。そこから病気が広がり穂がおかしくなってしまったように見える。今になってみては正確な原因は分からない。

 なかなか石垣の稲作は難しいものだ。最後に遅れて稲刈りをした、5番田んぼだけはかろうじて収穫できる可能性が残っている。今日黒い糸を張ろうかと思う。鴨が来ているから、そのうち食べてしまうだろう。黒い糸ではだめと言うことのようだが、このままでは食べられるのを待つようなものだ。

 しかたがない。ひこばえ農法の事を考えると、収穫は見込めないのだから、早めに刈払機で刈り取ってしまった方が良いだろう。私が居ない間に、電気の刈払機が壊れてしまったと言うから、刈払機を借りて、早く刈り取ってしまおうかとおもう。

 水は5番、8番は溜まっていない。溜め池からはみずがかなり流れ出ているのに、やはり一度乾いた田んぼに水が戻るのは大変なようだ。それでも5番田んぼの稲は調子が悪いという状態ではない。それなりにひこばえが再生したように見える。

 機械小屋の工事は始まっていた。しかし、まだしばらくは時間がかかりそうだ。早く工事が終わらなければ、色々の整備も次の段階に入れない。来週の金曜日には軽トラダンプとハンマーモアーが来るので、そうしたら草刈りから始めようと思う。

 良いこともあった。1番田んぼにアカウキクサが一面広がっていた。穂7番田んぼ、2番田んぼはそこそこアカウキクサが出てきている。稲がなくなり水が張られれば、田んぼの水面は前面がアカウキクサになることだろう。この状態であれば雑草は生えない。

 溜め池は1番はほぼミズオオバコで覆われた。2番もミズオオバコが広がり始めた。2番には睡蓮も広がっている。3番はコナギが広がり始めているが、ミズオオバコもいくらか出てきている。うまく広がってくれれば、溜め池にコナギが増えることはなくなるだろう。

 色々やりたいことはあるのだが、まだ石垣の陽射しは強くて、太陽の下では働けない気がしている。働いた途端に光りアレルギーがぶり返しそうな気がしてこわい。それでもやらなければならないことは山積みなので、すこしづつ片付けて行こうと思う。

 のぼたん農園で少し苦しい思いで絵を描いた。何とかなるだろうとは思いながらこの冒険は一筋縄ではいかないと言うことをしみじみ感じた。この強烈な気功をどう乗り越えるかは、これから日本全体での問題に繋がっていそうだ。ひこばえ農法も想像していたこととは違う事が起こりそうだ。

 絵を描き始めればそういうことも忘れて描いている。それでも絵にそういう苦しさは表われるのだろう。絵はそういうすべてを含んだものに違いない。一日一枚の繪はブログ以上に、日記のようなものなのかもしれない。その時の自分というものは現われてくるはずだ。

 その意味で言えば、今回の水彩人展から、金沢の旅行は自分の中には、大きな物ではあった。絵を描く心を支えてくれたのは水彩人展の仲間であり、金沢での学生時代の暮らしである。そのことを伝えられたことは今回の旅行は良かった。

 自分の絵を描くところまで行かなければならない。まだもう少しの深みに向かうことは出来きると思う。絵にはまだ先がある。その先までやり尽くさなければ、支えてくれた人への感謝は形にならない。このまま終わってしまうのでは、余りにふがいないことだ。

 今回、医王山の入口にあった谷戸田と出会えたことは一つの収穫だった。確かに20歳の時に、この田んぼを見てこんな田んぼのある暮らしをしたいと考えたことを思い出した。あれから50年、この田んぼの暮らしは何も変わらず続いている。

 たぶん、400年前から変わらない暮らしがあったのだろう。金沢だから1000年前からかも知れない。人間の暮らしは田んぼと共に続いてきた。その日本人の暮らしが今変わろうとしている。これほどの変動の時代はなかったはずだ。日本人はもう終わるのかも知れないと思える。
 
 日本に人は素晴らしい民族だと考えている。江戸時代に作り上げた、自給自足の社会はこれからの世界の持続可能な一つの形のはずだ。資本主義社会が拝金主義を生んで、社会の倫理は失われた。資本主義の次の形が見えない理由は拝金主義がまさに資本主義の根本だからだろう。

 悪貨が良貨を駆逐しているのだ。もう一つの資本主義は道徳のある資本主義だそうだが、一体人間の根本には悪魔が住むのか。天使が住むのか。人間を信じたいと思う。今の時代は9人の天使が1人の悪魔に圧迫されている時代だ。

 今日は日本をだめにした一番の責任者の国葬なのだから、日本の方角は極めて危うい。何が日本をだめにしたのかが、すれ違っている。日本をだめにしたのは倫理の喪失なのだ。身内を桜の会に平気で招待するような人間こそ、日本をだめにしたのだ。この国葬はそういう忖度社会を温存するためのものだ。

 のぼたん農園もあしがら農の会も、人間次第である。思いやり、献身、楽観。改めて思うところだ。人を責めるのではなく、自らを反省することしかない。ここで頑張ることだけが、未来に繋がる。のぼたん農園の先にあるものは未来社会の可能性だ。

 ささやかな農園だが、ここに希望がある。人間は自分の体力だけで自給できるという証明である。楽観をもって、のぼたん農園に献身することを自己確認する。あと4年と3ヶ月身体が保ってくれれば、何とかなるだろう。
 
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金沢大学美術部同窓会

2022-09-26 04:11:16 | 水彩画


 金沢で4年ぶりに同窓会が行われた。20名の参加だった。今回は人が半減した。コロナのためだと思う。でも20名の方にお会いできて、昔のお礼が言えたことは良かった。今絵を描いていること。田んぼをやって楽しく暮らしていることはあの時の美術部のみんなのおかげに違いない。

 人間は人間と出会うことで作られる。そういう実感があのときの美術部で起きたと、思っている。特に若いころは人間と切磋琢磨することで、決定的な影響を受ける。美術部の50人余りの人間の渦の中で、学ぶことが多かった。

 特に般若さんというすばらしいリーダーがいたことで、魅力的な混沌のいくつもの輪が重なり合い、なにか未来に向かうエネルギーが生み出されていた。あのときのままその後は生きてきたのだと思う。辛いことも多かったが、今抗して楽しくやれているのは、幸運としか言いようがない。

 悩める高校生だったわけで、でいろいろあって、宗教を目指した時もあった。金沢に行くときも、金沢大学に行くということもあったのだが、大乗寺に行くということでもあった。大乗寺に行ってみろとは、山本素峰先生に言われたことだった。しかし、大乗寺には迷って迷って、結局は行かなかった。怖かったのだと思う。

 大学1年生の夏休みに素峰先生について、立職した。蘇峯先生の入山式があったのだ。だからまだ当時は僧侶になるという気持ちが十分にあったと言うことになる。あのときかろうじて立職したことで、今でも僧侶でいることになる。世田谷学園に勤めることになるのも、そのことがあったからだ。

 先日行ってみた卯辰山の廃墟になった家で毎朝、経を読んで、座禅もしていた。それが徐々に絵を描く事にのめり込む生活に変わり始めた。そして、座禅もしなくなり、お経も読まなくなった。結局、この歳になって動禅をする暮らしをしている。

 禅の生き方では絵を描くということが許されないことだという意識が強くあった。そのことで大乗寺にも行けなかった。どちらかに決める必要があった。そして絵を描くということを選んだ。金沢大学に行くまでは考えても居なかったことだ。

 絵は小学校のころから好きだったことだから、反対していた親元から離れて、絵を描く生活に入るのは必然だったのかもしれない。出も小学校の頃の好きは曖昧なものだったが、大学の時に明確な意識にに変わった。その要員が美術部の仲間の刺激だった。

 絵を描くことは今のほうがもっと好きだ。絵を描いているうちに、どんどん絵を描く面白さが掘り起こされてきたような気がする。絵はわかればわかるほどその描く面白さが深くなる。今は全力で取り組むことが出来る。

 大学の美術部ではなぜか、シュールリアリズムが盛んだった。ダリやマグリットをまねたような絵が多かった。私はそれには少しも興味がわかなかった。ただの近代絵画風の絵を描くというようなことを、大学の美術部であえてやるのはおかしいという空気だった。

 ボナールが好きだったので、まねたような風景を描いていた。それは高校の頃描いていていた絵の延長であり、大学の美術部でシュルリアリズム風になることはなかったわけだ。絵が好きだから描くという意味では、ほかの人よりは熱心に絵を描いていた。

 旧生協の建物の2階に美術部のアトリエがあり、ここで遅くまで絵を描く毎日だった。熱中して描いていた理由は、新しい環境に入り、自分のを見失いそうで絵にすがりついていたのだと思う。自分の立脚点がないから、絵を描く以外にやれることがなかった。

 それは当然といえば当然で、生き方として絵を描くということは当時から変わらず同じである。早く死んでしまった美術部の先輩の元木さんにそういう私の、近代絵画的な絵の描き方は、いつも馬鹿にされ否定されていた。元木さんの論理の鋭さと知識の量に圧倒されていた。

 金沢には美術大学もあるから、近代絵画を描く奴ならば美大にいくらでもいるという意識だったようだが、絵を描くときにそういう影響は全く受けなかった。絵を描く友人という意味では美大のほうに少しづつ増えていった。美大生のほうが絵がうまいなどとは思わなかった。

 美大の人でおもしろかったのは、彫刻の人達で、その人達とは今でも付き合いが続いている。葛飾美術研究会の人達だ。中央公園で野外彫刻展を企画してやった。こういうことを新しく実現するエネルギーがある人達だった。

 同窓会は女性がほとんどこなかった。女性は容姿の衰えを気にしてこなくなるのだと、中村さんは言っていたが、中村さんは静岡で劇団を長くやっている人だから、そういうことは分かるのかも知れない。歳をとり人間がおもしろくなるに違いない。

 絵を今でも描いている人もいないわけではないようだが、それはやはり女性の方だ。男の人は絵を描いているという人はいない。小説を書いているという人がいた。それなら、今度同人誌をもう一度出さないかという話が出た。もし出すことになれば、私も一つ書いてみようかと思う。

 昔の美術部はいつも同人誌が発行されていた。私も書いてみたことはあったのだが、参加することはなかった。その同人誌を読ませてはもらったが、参加しなかった。意気揚々と同人誌を作っている空気に加わることが出来ない、屈折した気持ちがあった。

 一つ書きかけの小説があるのだ。まとめきれないで長引いているのだが、もし同人誌を作るというのであれば、もう一度挑戦してみようかと思う。美術部ではガリ版を切ってつくったのだから、それは大変だったはずだ。今はパソコンがあるから、すぐにそれなりの物になる。

 何でもやらないよりやった方がおもしろい。中村さんは脚本を年2本書くそうだから、それで一つはある。今小説の勉強をしているという塚本さんは発表は練習には成るだろう。もしそういう物が出来たら、あれからの50年後と言うことになる。

 同窓会も美術部だけになった。美術部だけはもう少し続きそうだ。開かれたら、また金沢に行きたい。金沢には絵を描く材料が色々あった。やはり記憶の中から絵を描いているから、金沢周辺には描く材料がある。ただ一番よく描いた大学の構内が、完全になくなってしまった事は残念だ。

 今度金沢に行く機会があれば、お城の中に入って描いてみようかとおもう。石垣は残っているのだから、描いていれば思い出すこともあるだろう。
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第128 回 水彩画 日曜展示

2022-09-25 04:06:04 | 水彩画
第128 回 水彩画 日曜展示
10号前後の作品です。







902「海」
2022.9






903「庭の眺め」
2022.9






904「庭の眺め」
2022.9





905「鳥海桜」
2022.9






906「島原半島の村」
2022.9








907「庭の眺め」
2022.9







908「のぼたん農園」
2022.9







909「岬の眺め」
2022.9






910「伊豆の村」
2022.9








911「港に降りて行く」
2022.9



 今回も石垣にいた時に描いた絵。金沢で絵をかいていて、前に描いた絵を見るとすこし不思議な気がする。絵はそれほどは変わらないと思うが、絵を見る気持ちは違うようだ。だんだん絵は変わってゆくのかもしれない。変わればいいと思っている。

 やはり記憶に基づいて絵を描くようになってから、少しづつ変化をしているのかもしれない。金沢に来て、記憶にあった場所を見ながら描いている。山梨でもそういう描き方をしている。見ながら記憶のほうを描いている。

 そう今書いたわけだが。そのことがよくわかっている訳でもない。描いているときは何も考えないで描いているので、あまり意識がない。記憶を探って描いているということではない。何となくそうではないかという気がする。


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大野港と医王山を描きに行く。

2022-09-24 04:49:52 | 楽観農園

 
 朝からすぐ大野港に絵を描きに行った。川沿いが少し広く船溜まりになっていて、船がつながれているような、その姿は昔と変わらなかった。町の様子も昔とあまり変わっていなかった。驚いたのは若い女性の観光客がぞろぞろ歩いていることだった。

 50年前には考えられないようなことだ。古い町並みの残る場所が魅力的なのは確かだ。漁船も多いけれど、レジェー用の船もあるようだ。ともかく港の様子を描いてみようと描き始めた。小さな漁港の様子は絵を描きたくなる魅力がある。

 50年前の漁港を描くのは記憶である。あの橋の上から見た漁港の姿は記憶に鮮明である。描いたのは反対側描いた。橋の上からはかけないから、反対の位置から描いた。自分の中の漁港はいつも金石港である。学校に行かないで、ただ港に行ったことが何度もある。北鉄の電車に乗れば、ともかく行ける。終点からしばらく歩いた。

 駅のところに小さな売店があって、そこで飲み物とパンのようなものを買って海のほうに向かった。当時は今のようなコンビニというものがなかった。駅で何かしらを買って、海の方向に適当に歩いた。目的はないのだから、ただ歩くだけでよかった。

 絵を描いているとあの時の気分になっていた。絵を描くというのはどこか不思議だ。突然時間を移動している。昔の私が絵を描いている。そうか昔絵を描いたところに行くとこういうことが起こるのか。ずいぶん雨が降っていた。雨が降る日に絵を描くのは好きだ。

 雨はいろいろのことを思い出させてくれるのに都合がいい。よく内灘に行ったのは射撃訓練場の退避小屋だったと思われる、ドーム型のコンクリートの建造物があった。その中にいると何となく落ち着いたからだった。海岸で立木を集めて中でよく焚火をした。

 絵はいつものように描いていたら、午前中で終わってしまった。それで午後は医王山に行くことにした。医王山は美術部のみんなでよくハイキングに行った山だ。山の入り口に人が居て、入山料を徴収していた。そこが私有地だかあということようだった。こんな山はほかにはなかったので、行くたびに不思議な気分だった。

 雪の深い時期にスキーに行ったこともある。今はスキー場があったが昔はそういうものはなかった。医王山の頂上までスキーでラッセルで登り、頂上から滑り降りたこともある。般若さんが連れて行ってくれた。般若さんはそういう面白そうなことにいつも誘ってくれた。

 医王山で驚いたことは金沢大学が医王山の入り口に移動したことだ。ここに移動したということがはっきりと自覚できた。大学のさらに入り口は大きな住宅地になっていた。こんなに変わった場所というのもめったにないだろう。

 でも大学の中を通り抜けてその先に行くと、農村になった。その時、突然懐かしい気分になった。そうだこの山間の小さな田んぼを見て、こんな暮らしをしたいものだと、学生の頃考えたことだ。その景色と記憶が連動していて、思い出したこともなかった記憶が、田んぼの情景を見て突然現れた。

 そうだこの田んぼを見て山の中に田んぼを作り暮らすということを妄想した。なぜかそんなことを学生の頃から夢見ていた。フランスに行く前にそういうことを考えていたことに驚いた。すっかり忘れていたことだった。医王山に行かなければ、思い出すことはなかっただろう。

 その田んぼを描いてみた。ここの田んぼは今でも魅力的な田んぼだ。あのころから、50年以上の年月が流れている。変わらず田んぼである。多分江戸時代から田んぼだったはずだ。この先はどうだろうか。いつまでも田んぼとは言えないかもしれない。

 大きなユンボで数人の人たちで、田んぼの側溝を直していた。あんな大工事をするのだから、当分は田んぼだろう。歩いて大学に通えるくらいの位置に田んぼがある。田んぼをやりながら大学に通うというのは悪くない。勉強をし直すなら、畜産か、発酵だ、などとまた妄想をしていた。

 だいぶ学生の頃考えていたことを思い出した。それで帰りに卯辰山に行った。卯辰山に下宿していたのだ。私は中腹だったが、さらに奥から大学に通っている男がいた。その中腹にあった家が、廃墟になって残っていた。最初に乗せた写真である。

 あの2階の窓のところが私がいた部屋だ。私がいた時だって崩れそうな家だったのだが、こうして残っていたことには驚いた。窓の中にやぶれた障子があるのまで当時のままである。もう危なくて中に入ることもできない状態だった。おばあさんが一人暮らしだったから、なくなられてそのままなのだろう。

 あの頃はこのあたりに家はこの一軒だけだったのだが、今は大きな邸宅がいくつもある。何となく高級住宅地だ。昔、小さなスナックがあった場所は立派な料理屋だった。今思えば、大学までよく歩いたものだ。歩くのは好きだったから、別段大変だとは思いもしなかった。

 歩くということでは、卯辰山の上には水族館があった。日本で一番標高の高いと書いてあった。そしてその奥にはゴルフ場があった。私が暮らしていたころ、水族館もゴルフ場も閉鎖になった。閉鎖した後のゴルフ場にはよく遊びに行った。

 紙飛行機を飛ばしに行った。誰の紙飛行機が長く飛んでいるのかの競争をしていたのだ。美術部の部室にみんなで集まると、ゴルフ場跡まで行こうということによくなった。広いゴルフ場に誰もいないのだから、広々として最高の場所だった。

 打ち下ろしのテーグランドから、紙飛行機を飛ばし、1分20秒、2分40秒と競争をしていた。ある時私の飛ばした紙飛行機がふわっと舞い上がった。そのままどんどん空高く上がり、見えなくなり、空に消えた。それでもう紙飛行機比べは一気につまらなくなり、2度とやらなかった。

 そう今はその場所が、県民健康公園というようなものになっていた。売店まであったから、それなりに人は来ているのだ。しかしその売店はかき氷を出していた。もう肌寒いのでさすがに食べる人はいない。卯辰山でもよく絵を描いたのだが、今回は絵を描きたくなるような場所ではなかった。

 今日は能登のほうに行ってみるか。などと思うがどうも定まらない。こんばんは同窓会である。何人ぐらいの人が来れるのだろうか。数は少ないと思う。感染しない宴会にしなけば。さすがに医療関係の人は来れないだろう。3,4人なら安心だが。

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手取川を描こうと思って

2022-09-23 04:17:53 | 暮らし


 昔、学生だった頃、美術教室の彫刻家の教授だった米林先生のお宅になんどかお邪魔した。その時手取川を見た印象が残っていて、もう一度か気に行きたくなった。女医さんだった奥さんにずいぶん御馳走を作っていただいた。なんで貧乏学生の私にあんなに親切にしてくれたのだろう。食べたこともないような珍しい料理をわざわざ作ってくれた。

 米林先生はよほどの食通だったのかもしれない。がそれよりもしかしたら米林先生から草家人叔父のことを聞かれたことがあったから、学生時代の知り合いだったのかもしれない。彫刻の授業も少しだけ受けたが、授業はどちらかといえば、職人的訓練という感じだった。

 米林先生は仏像彫刻をされていた。そういえば、草家人叔父も、法隆寺の再建や仏像修復の仕事をやっていたから、そういう関連があったのかもしれない。今になっては全くわからないことだが。いずれにしても先生には格別に親切にしてもらった。

 特に陶芸の作品で卒業制作を作るときには、粘土を彫刻予算で沢山買い入れてくれた。そして卒業制作に使わせてくれた。何にも言われなかったのだが、今思えば私が陶板で大きな作品を作るということを知ったうえで、粘土を買ってくれたとしか思えない。

 本当の優しさを持った先生だった。話は思い出話になってしまったが、先生の家に行くときに、手取川の河原を歩いた。その風景が忘れられない記憶の底にある。それでもう一度その場所に行ってみたかった。今回手取川の絵を描いた。何か込み上げてくる感情があった。絵に感情は反映しているのだろうか。何かを表そうとしたわけではない。

 忘れることのできないつらい記憶もある。先生が一緒に酒を飲んでくれて忘れた。友人には先生に命を助けられた人が居る。いろいろあってもう死にたいと、先生の教室の窓から飛び降りようとしたそうだ。そうしたら分かった、自分も一緒に飛び降りるからと言って先に飛び降りようとしたので、気が抜けて死ななかったそうだ。

 果たしてそんな先生がどこにいるだろうか。もう先生も亡くなられたので逸話を書いておくが、先生と学生で忘年会をして、次に店へ行こうということで、先生が飲酒運転をした。ところが、運悪く接触事故。警察も来てしまった。しかしなんとか、アルコールチェックなしで済んだ。あれは助かった。

 先生に大変怒られたこともある。わたしが先生を見たのに避けて挨拶をしなかったというのだ。何度も怒られたのだが、どこで先生にお会いしたのかがわからない。多分先生は他の誰かを私だと思ったに違いない。そんなに怒られても先生になんで私が挨拶をしないわけがない。

 そういえば裸婦のモデルさんはいつも先生の部屋で食事を食べていた。先生が気を使って、そういうことにしたのだと思う。ほかの先生はそういうことに気を遣うようなことはない。特別に暖かい先生だった。先生には十分お礼を伝えることもできなかった。

 そう、なんで先生を思い出したかといえば、手取川を描いたからだ。手取川をどんどんさかのぼり、別当出会いまで言って絵を描いた。私が白山に上ったころはまだ手取りダムはなかった。ダムができて全く様子が変わった。

 そもそも白峰まで行けた電車もなくなった。あれほど山の奥の白峰まで行ったのだから不思議だ。昔だって赤字路線だっただろう。確か、鶴来あたりで乗り換えたような気がするが違ったか。名古屋まで鉄道路線を作るというのが目標だったとか聞いたことがある。

 白峰の集落だけは昔の様子を残していた。牛首織が白峰の織物だ。紬の布を集めていたころ、牛首織の反物を手に入れたことがある。ここの旅館に泊まって、白山に上ったこともあった。中宮道のほうを上ったのだろうか。釈迦新道を上ったのだろうか。そもそも50年たった今でも新道というのだろうか。白山に上る道はすべて歩いたはずだ。

 金沢大学にいる間に10数回白山登山をした。美術部の初めて登山をするという人をたくさん連れて上った。最初は富山勤労者山岳会で活躍した般若さんに連れて行ってもらった。その後はたいていは松木さんと一緒だったと思う。松木さんは医学部の方で、私が最も影響を受けた人だ。何度も山に連れて行ってもらった。

 人間というものの魅力ということで考えるとこれほどの人はその後も見たことがない。自分が天才ではないということを教えてくれた人だ。恥ずかしながら、もしかしたらと高校時代は思っていた。小生意気な奴だったわけだ。松木さんに会ったら、これは格が違うとたちどころに天才とはどういものか理解できた。

 すべてに人間の桁が違う。今はいかにもよい、年寄りのお医者さんのように見えるが、あんな破天荒の人がこうもおさまるものかと思うと不思議な気がしてくる。医療が人間を作るということがあったのだろう。どこで変わったのか、変わらないのか。この辺が人間の面白いところだ。

 昔の松木さんはみんなで酒を飲むと、今から卯辰山までマラソンするぞーと叫ぶ。そしてそのまま走り出す。卯辰山の上のほうはずいぶんの山の中なに、なぜか意味の分からない。その後山の中にスナックができて、そこがゴールだことがある。そこでもう一度飲む。なぜかそのスナックは夜になると結構混んでいた。

 のちにそのスナックは麻薬取締法で捕まった。そうだったのか思ったが、当時はそういうことは全く思いつくこともなかった。今考えれば、おかしな連中が突然、そういうところになだれ込んでくるのだから、向こうも驚いたことだろう。

 人間どんな生き方をしたところで、年を取って死ぬ。それは受け入れなければならない。昨日馬小屋で寝たら、今日金沢駅のそばのドーミーインで目が覚めて起きる。そんなものだ。50年などという時間はあると思えばあるが、ないと思えば何もない。

 金沢に来れば、思い出で悲しいのはわかっていた。何が悲しいのかといえば、あの頃と何も変わらないということだろう。人間はどうしようもないものだということ。このどうしようもない人間が絵に出てくればいいのだが、絵も結局のところ装っているということを知る。

 本音がいいとも思わないが、どこまで描けるかだけはやってみるつもりだ。今日は金石港に行ってみる。昔の姿はないだろうが、行くだけは行く。ドーム型の弾薬庫に泊まったことがあった内灘。大学ができて病院ができて、昔の内灘ではない。すべてが変わったということを確認するために金沢に来たようなものかもしれない。
 
 手取川の絵のことを描こうとして、昔話だけになった。
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いさしぶりに金沢に来た。

2022-09-22 04:23:40 | 水彩画

 雨が降り、稲刈りが中止になった。雨が降れば絵を描きに行くことにしている。いつものように篠窪に絵を描きに行った。やはり篠窪はいい。絵を描きたくなる何かがある。2枚描くことができた。水彩人展で色々感じる所はあったが、残念ながら今のところ絵が変わることはなかったようだ。

 絵を描き始めれば、何も考えることができない。絵は頭で描くものでないから、これでいいと思っている。ともかく慌てない。時間をかけて自分に至ればそれでいい。慌てたところで意味がない。生涯をかけて行きつけばいい。身体が覚える絵の描き方には時間がかかるのは止む得ない。

 ゆっくりとただし少しづつでも前に進むのがいい。一日一日、焦らずしかし確実にやってゆきたい。篠窪では緑色の変化を追っていた。緑の微妙な濃淡の中に、いろいろのことが潜んでいる。それを何とか感じようとしていた。特別なことはなかったが、もしかしたらその意識が絵に表れたかもしれない。

 昨日金沢に来た。サウナがあるのでドーミーインに泊まった。全国どこのドーミーインもサウナがあるところので時々泊まる。金沢のドーミーインは温泉ということだ。これを書き終わったら入りに行くつもりだ。

 今回の金沢の要件は水彩人の石川展の企画である。会場を探して、来年の会期が決められればと思っている。本当は講習会ぐらいできればと思うのだが。やるとなれば、どういう手順にするか、作品の搬出入はどうするか。決めることがいろいろある。

 もう一つは懐かしい場所の絵をかいてみたくなったということがある。学生の頃、金沢近郊を描きに行った。そういう場所をもう一度回ってみたいと考えている。どう見えるかが楽しみなのだ。記憶で絵を描くようになって、記憶にある場所を確認する必要が出てきた。

 昨日は昼にはもうついてしまい。夕方まで歩いてみた。小立野3丁目までバスで行き、ゆっくりと香林坊まで下りてきた。途中金沢美大のあったあたりが、ずいぶん整った場所になっていた。彫刻の人たちが、石で作品を作っていた建物が、本多博物館になったようだ。

 そして金沢女子短大、北陸女子短大が続いてあったはずなのだが、コンサートを聞きに行った建物が残っていて、工芸館というものになったようだ。金沢は伝統文化の町ということなのだろうけれど、ここまで作られてしまうとむしろ違和感を感ずる。

 金沢大学もほかの大学もみんな町の中心地から離れたようだ。こうして観光の街に特化したことで、独特の繁栄をしている。これがよかったのか悪かったのか。そういうことはよくわからない。経済が一番の社会だから、これは正解ということなのだろう。観光を中心に置こうといしている石垣島もよく金沢の実態を調べたほうがいいだろう。

 さらに中心街に向かって降りてゆくと、21世紀美術館があり、香林坊に出る。気持ちのほうは昔に戻っているのだが、現実は変化が大きすぎて、50年という年月が経っていると迫ってくる。小立野のお店は記憶のあるものは一軒もなかった。大学病院も昔の姿ではない。兼六園はさすがに昔のままだ。

 記憶の世界の中でうろつくことは、悪いわけではないのだが、年月というものは何者なのだろう。今は大学で残っているのは石垣と石川門だけ。かろうじて金沢城らしき森は見えるのだが、あの一番高いあたりには、生物科の人が植物園を作っていたことがある。

 植物好きだったので、その植物園の管理にいくらか加えてもらったことがある。よく昼飯を食べに本丸跡まで上って行ったものだ。学食でもらったトレーを持って、本丸跡まで上がって行き食べる。これが結構ハイキング気分で悪くない。よくもそんなことを一人でやっていたものだ。

 気の利いた連中ならデートコースということだが、そういうこととは全く縁のなかったのだから、多分一人で登って行き食べていたのだろう。そういえば、本丸のあたりは弾薬庫があった。トンネルもあったりして、その奥に周りを高い土塁で囲んだ場所があり、そこがかつて弾薬庫があったということだった。あれも今はないのだろう。

 歴史を観光に都合よく残すのが、遺跡調査ということだ。金沢城だって再現するのかもしれない。軍隊がいた時代も大学があった時代も、消えてゆく時代。もちろん金沢城ができる前だって歴史はあった。観光で調えられた金沢もいつか歴史になる。

 弾薬庫跡は絵をよく描いた場所だ。その不思議な場所の感覚が面白かった。トンネルが通れないほど雑木やシダで埋め尽くされていた。私はそれをきれいに取り払い、通れるように直した。そうしなければいけないような気分だった。美術研究室の倉庫がやはり、古い倉庫で面白い建物だったのだが、あれは江戸時代の長屋の一つと聞いていたが、今は整備されたのだろうか。

 あそこに歴代の美術研究室の諸先輩の卒業制作の作品が置かれていた。実はそういうどうでもいい作品以外にもそれなりの美術品が収められていた。あれはどうなったものだろうか。誰かが猫糞したのだろうか。そんなことはないだろう。本多博物館にでもあるのだろう。

 なぜあのころ道を誤ったのか。ということはよく考えたものだ。もちろん何を間違ったと分かるわけではないのだが、違った道もあったはずだと思うことがある。やはり学園闘争の時代が影響した。今も金沢に来てそういうことを思っている。全部を生きるということはできない。あれもこれもあきらめて今を生きているのが人間だろう。生をあきらめ死をあきらむる。

 明日は松任の「うるわし」の状況を調べに行く。うまく借りられればいいと思うのだがどうなるか。そのあと北野さんに絵を描く場所を聞いてみようかなど思っている。一つはよい港を描いてみたい。もう一つは白山の奥のほうの川を描いてみたい。

 その二つが記憶の底にあるものだ。金石と鶴来あたりに行ってみたい。中宮温泉とか、岩間温泉とか、別当出会いまで行ってみたい。といっても白山スーパー林道ができる前の記憶しかない。きっと行けばがっかりすのだろう。中宮温泉から白川郷のほうまで抜けられるようになったのだ。

 記憶というやつは困ったもので、たいていは昔が良いのだ。中宮温泉の河原に沸いていた温泉は今では全く違っているはずだ。記憶の中にあるものの、時間による変化は、たいていはひどいことになる。だから記憶の中の風景を描いているのかもしれない。

 記憶はすべてを美しくする。その時間による映像の美化は絵を描くということの何かにどうもつながっている。美しいものを抱えているから、頑張って生きていられるのかもしれない。美術部の同窓会が25日にある。
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アメリカ大統領が台湾防衛を明言

2022-09-21 04:27:02 | Peace Cafe


バイデン氏はインタビューで、台湾を防衛するか否かを問われ「実際に前代未聞の攻撃があれば、イエスだ」と応じた。インタビュアーが確認のため「(米軍が直接の軍事介入を行っていない)ウクライナの場合と異なり、中国の侵略があれば、米軍が台湾を防衛するのか」と重ねて質問すると、バイデン氏は「イエス」と答えた。

 アメリカは台湾を軍事力でまもる姿勢を明確にしている。台湾は心強く感じている。台湾と友好関係である日本にとって、有難いことだと思う。中国が軍を用いて、併合することを宣言している以上。世界中が黙っていれば、軍事侵攻の可能性が強まる。

 台湾には台湾のアイデェンティがある。中国の一部であるという事は認めるにしろ、70年もの間、地域としての独立を維持してきた台湾人として、自治権は存在する。中国が暴力的に併合することは許されることではない。それは問題になっている。

 ウイグル自治区の問題と同じである。人権の問題は国を超えて問題にしなければならない。 宗教は民族の違いで、迫害されていい訳がない。それは中国だけでなく、世界中同じことだ。国家権力が少数民族を迫害することを世界中が認めてはならない。

 中国が平和的手段を持って、台湾の自治を認めながら、台湾の人々の意思を尊重したうえで、国家統一することは自由なことだ。しかし、香港のように自由を奪い、自治権を取り上げ暴力的に併合することは、たとえ中国の国内問題だとしても許されることではないだろう。

 台湾人が望まない形で軍事的併合を行う事は断じて許されない。台湾が喜んで併合する形を作ることが、中国の正しい姿勢であろう。中国が民主主義国家を目指すのであれば、武力をちらつかせて併合することを宣言するなど、全く愚かなことだ。

 中国が大国としての姿勢を世界に示すためには、武力を用いるようなことはあってはならない。中国が魅力的な国であれば、自然に友好国は増えるであろうし、台湾も自ら統一を望む事になるはずだ。現在の習近平政権が年々独裁を強めている現状では、中国に加わりたいと思はずもない。

 日本は中国が平和的な手段で、台湾との統一を目指す為に力を費やす必要がある。日本の平和主義で外交的努力をする必要がある。アメリカが様々な圧力を加えることに連動して、どうやって台湾の自主性を重んじた形の、統一が出来るかである。

 台湾は苦難の歴史を踏まえ、素晴らしい国づくりを進めてきた。この点ではむしろ中国は学ばなければならないだろう。中国が現在強権的国家運営を続けているのは、むしろ国が不安定だからと見える。軍事力を用いて、政府の意思を貫くと示さざる得ないという事になる。

 もし本当に国家運営と国の未来に自信があるのなら、遠からず台湾は自ら中国との併合を望む事になるはずだろう。しかし、習政権は軍事力を強化し力ずくで、国民を動かして行こうとしている。このやり方は生活が豊かになる間は通用するが、停滞に入れば力ずくは反発が強くなる。
 
 今は時間を稼ぐことが一番の選択である。必ず状況は変わってゆく。中国国内に何らかの変化が起こるとみていい。中国では豊かな社会の中で成長している人間が、一年一年増加している。教育の普及も進んでいる。優秀な中国人に期待していいと考える。

 日本政府は中国仮想敵国政策を止めなければならない。中国と友好関係を作る必要がある。中国を正面の敵として、防衛を考えたとしても全く無理なことだ。日本の低い堤防では大津波は防げない。アメリカの力に依存を強めることになる。ますます日本という国の在り方がさらにゆがんでゆく。

 日本は独立国家として自立しなければならない。中国と独立した国として、外交関係を持つ必要がある。

 ロシアのウクライナ侵攻を見れば、どうしても従わないという国を武力を持って併合するという事は、よほどの軍事力の差があるとしても、ほとんど不可能なことという事がわかる。台湾も同様である。簡単なことではないはずだ。

 

 
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エリザベス女王の国葬とアベ国葬の違い。

2022-09-20 04:28:04 | 楽観農園


 エリザベス女王の国葬が英国国民の多くの人が追悼するものになる。国民全員が2分間の黙とうをささげる。日本の天皇夫妻も弔問に出かけた。国葬というものはそういうものであろう。

 アベ国葬が、無理やり行われることが気持ち悪くて、不愉快な気持ちでいる。なぜこのような理不尽が無理強情に通されるのか。敗戦後起きた政治の悪事の中でも最悪の事態だ。このアベ国葬に現れた日本のどうしようもない、根深い病根を考えて見る。

 アベ氏の長期政権は不愉快極まりない失われた時代だ。何か一つでもいいことがあったというのだろうか。もちろん最悪の時代に付け込んでぼろもうけした連中がいる。その連中にとっては理想的な時代だったのだろう。拝金主義がその欲望の連携を誓い合う国葬なのだ。

 アベ政治とはあべのおぼちゃまくんを口パク人形に祭り上げた黒幕たちがいたのだ。その黒幕とは政府という利権に群がった連中のことだ。統一教会はその中の小さな一つだったにすぎない。創価学会は与党に入り込むことで、闇に紛れ込んだ巨大な宗教政治組織だ。

 電通、パソナのような自民党と結びつく利権企業。賭博関連団体とか、スポーツ団体。右翼を表明するさまざな得体のしれない組織。医療関係から、福祉組織、原発利権の電力業界、それを取り巻く諸々の世界。教育組織も利権をすすっている。土建業界の癒着もある。

 美術関連だって、政府に結び付けば勲章が貰えるというので、おべっかを使う組織がいろいろある。大きな文化団体の大半が政府に従う組織に成り下がっている。こうした闇の構造を巧みに作り上げたのが、アベ政権だ。あの学術会議の任命拒否事件などまさにそれが表面化した事件だ。

 こうしたことは社会の端々まで浸透した。小田原市長も統一教会と結びついた人だ。全国の知事や市町村の議員を調べれば、やはり半数以上が取り付かれているはずだ。これは統一教会だから問題になっているが、問題にならない取り付いた業界団体は無数だろう。

 これが日本の政治をダメにしている。取り付いた業界団体に関連している。あるいは宗教団体に関連している。そうした日本人がかなり存在して、生活維持のために与党推しになっている。民主主義は一人一人の有権者が確かな意識を持たないのと、利権政治になるという事だろう。

 なぜこれほどひどいアベ政権が過去最長政権になったのかと言えば、利権のおこぼれにあずかりたいという日本人。桜の会に参加させてもらいたいという日本人。欲の皮の突っ張った醜い日本人の方が多かったからだ。民主主義の自浄作用が壊れたのだ。

 金持ちがどんどん増えて、貧困層が世界でも特出した形で急激に増加した。その一方で、不労所得を何億円も稼ぐ金を稼いで何が悪いという品の悪い人が、急激に増加した。私は耐えがたいが、金持ちになった一部のパソナのような連中が、アベ国葬をしたいくらいの盛り上がった気分なのだろう。ひどい話だ。

 国葬は拝金主義の記念行事なのかと思いながら、上野公園を歩いていた。するとなるほどこれからと目からうろこである。目の前に建てられた大きな看板があった。アベ国葬はこれだったのだ。9月25日東叡山清水観音 「大法要 人形供養 施行」と大看板がある。

 アベ国葬は9月27日だ。それに先立ち、25日にアベ人形の大法要が上野で行われるということを発見したのだ。この国葬は安倍氏を人形扱いした連中の厄落としなのだ。安倍氏を祭り上げて利用していた連中が、殺された今になって、祟りが怖くなったと思われる。

 自分たちの罪の意識を感じているから、大法要をしなければ、自分に呪いが返ってくると考えている。長年もて遊んだ人形だから、ずいぶん汚れていた。それでもただ捨てるわけにもいかず困っている。何となく命がこもっているから、アベ人形は口パクだったが生きていたのだ。それで国葬にしなければ気が済まない。

 罰が当たりそうな連中がごまんといる。それで国葬を考えた腹黒い人間が分かった。人形供養法要と同じこと。人形を使い捨てにした厄落としの国葬。問題はこの人形遣いたちのことだろう。

 新しい言いなりになる、違う人形を探しているのだろう。岸田氏は人形遣いに無理やり国葬をさせられたのだから、次の人形の候補に名乗り上げたということだろう。しかし、岸田氏は人形の頭にしては今一つ口の動きが悪い。どうも言いなりになりにくい。

 人形遣いとしては、どうもカシラの様子が今一つの物足りない。今一つの出来だと感じて扱いずらいようだ。統一教会と人形遣いは深いつながりがある。戦後一貫して連携をとってきたのだろう。自民党がいまさら離縁すると三下り半を突き付けても、おとなしく引き下がるとは思えない。

 また名前を変えて、自民党に食い込んでゆくのだろう。今度はもう少しうまくやらねばということに過ぎない。韓国の秘密組織と嫌韓保守自民党がつるんでいるのが実態なのだから、表面だけ見ていても見えない奥深い闇がある。何故霊感商法組織が、宗教法人でいられるのかがおかしいだろう。

 もし自民党が本当に統一教会と縁を切るというのなら、統一教会の主教法人としての資格を取り消すべきだ。いつまでの韓国に、日本での献金を貢がせておいていいはずがない。そもそも共産主義排除と、献金がどうつながているのか、自民党には説明責任がある。

 こういうところに闇の力が潜んでいる。要するに拝金主義と権力主義のないまぜの利権団体。オリンピックだろうが、コロナだろうが、原発事故だろうが、それこそ選挙までも、すべてを飲み込んで利権にしてしまう。問題は安倍時代にそうした拝金主義が一つの生き方として認知されたことだ。

 拝金主義的生き方のハウツー本が溢れている。情けないことだが金儲けが恥ずかしいことだというような倫理は日本の社会から失われた。日本人がここまで卑しい民族になったのは初めてのことだろう。これが地獄の安倍時代である。

 自分だけは特をしたいという人が多数派だから、自民党政権の時代なのだ。これを変えるのは簡単なことだ。拝金主義を捨てさえすればいい。お金で心を売らないことだ。自分の人生はお金ではないと決めればいい。自分の人生を最善に生きるのはやりたいことをやり切ることだと考えればいい。

 お金がなければ好きなことなど出来ないと、考える人が多いのだろう。しかし、30代に自給生活をしてみてそうではないという事が分かった。生きているという喜びはお金などとは関係がなかった。私の体験が残念ながら今は無力なことは分かる。しかし、いつかそいう道を選択せざる得ない時代が来るだろう。

 
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朝ドラ、チムドンドンの失望

2022-09-19 05:22:36 | 暮らし


 今はもう「チムドンドン」をみていない。朝ドラファーンとしてはまさかヤー。せっかくの沖縄の沖縄への復帰50周年ドラマが、過去最低線の朝ドラだったことは悲しくなる。石垣にルーツがある黒島さんが主演という事で、どうでもいいとは言い切れない気分だ。

 沖縄が好きで、石垣島に引っ越した人間としては、ちょっと馬鹿にされたような気分でがっかりサー。もう少し沖縄のことを学んでほしい。ストリーを作る能力が低いのは止む得ないとしても、下調べも十分にしないのはひど過ぎないか。

 以前の朝ドラの小浜島のちゅらさんが沖縄への気持ちを高めたてくれたものだったのに、ざんねん無念。今回は沖縄をせせら笑うような胸糞悪いドラマだった。見ている時間がなかったというのもあるが、やっていてもチャンネルを回してしまう位、気分が悪かった。

 ともかく脚本が悪い。いつまで沖縄をコケにすれば気が済むのか。笑いものにしていることすら気づかない脚本家には情けない限りだ。こんな無能なというか、衰えた脚本家しか日本にはいないのか。これも日本人の衰退なのか。寂しい限りだった。

 実は何故こういうことになったのかはなんとなく想像がつく。沖縄の基地負担問題や、戦争の問題を避けたかったのだ。特に辺野古米軍基地問題。それが脚本家としてNHKと政府を忖度するという事なのだろう。その忖度が脚本家の腕の見せ所なのだ。おきんわ復帰50年をお祝い事でごまかすためのドラマだから、こんなにひどいものになったのだ。

 何しろこの脚本家このドラマを見て、家庭が元気になるようなものを作りたいと言っている。良くもぬけぬけと、統一教会の関連作家なのか。家庭が元気になるどころか、朝から不愉快にしてくれたドラマだ。家庭よりもこれからの人間の生き方を問題にしてほしい。

 上野に泊まっているので、アメ横に毎日行く。すごい活気があふれ出ている。この熱量を作り出しているのが、外国から来てくれた人たちだ。店の前で呼び込みをしている世界各国からの人たちは実に興味深かった。翻って日本人の呼び込みの元気のないことが目立っている。アルバイトと命がけの違いだろう。

 あの昔のアメ横の魚屋のおっさんたちの掛け声を引き継いでいるのは、世界各国からきている外国人の得体のしれない圧力である。人間としての活力がある。こちらが圧倒される押し出しが良い。日本のアルバイトのお兄さんは、おずおずと恥ずかしそうに声を出している。

 日本人のアルバイトでは到底大きな声は出てこない。あの魚屋の威勢の良いおっさんのだみ声はどこにいったやら、なつかしい。進駐軍の供出物資アメ横がいまや、台湾の夜市のようだ。これが日本の戦後史だ。

 そう台湾からの出店もある。ルーローハン600円と出ていた。食べたいのだが、食べてはいない。夕飯は食べない主義だから仕方がないか。アラブのお店もあれば、アフリカかなと思えるお店もある。

 もちろんアジア各国そろっている。なんでアメ横でチムドンどんかと言えば、あまちゃんを思い出したのだ。あまちゃんは良かったな。あのくだらなさがなんも良かった。という事は大津波の後の日本人の方がまだ元気だったのか。

 東京郊外の団地育ちの不機嫌オーラ出しまくりの高校生あまちゃんが、北三陸の田舎町に引っ越して暮らし始める。海女さんを目指すヒロインがなんとも、すとんきょで明るくなって良かった。 

 宮藤官九郎の脚本が素晴らしかった。若い成長してゆく主人公の“人情喜劇”をとおしてまさに、ヒロインの笑顔が、震災で潰された日本の朝に元気にしてくれた。大いに励まされた。今でもアメ横に行って思い出すと懐かしくなる。

 そのヒロイが東京でアイドルデビューを目指すのが、上野のアメ横なのだ。昔のアメ横には東北の匂いがあった。上野は俺らの心の駅だ。井沢八郎さんはそう唄っていた。 集団就職した人たちが故郷の香りを懐かしむ上野駅。すれ違う人から東北弁が聞けた上野。

 アメ横がまるで台湾の夜市のように変わった。日本全体がどこかへ向かって変わつて行くのだろう。下り坂国家の中でどのように元気を出すかである。いまさら、沖縄から東京に出てきて沖縄料理店をやるというようなことではないだろう。

 そんな使い古された東京出世物語は古臭すぎて魅力的な生き方ではない。むしろ東京から三陸に新しい暮らしを求めて行くのが冒険であり物語なのだ。それをあまちゃんは、アメ横と海女さんを繋ぎながら見せてくれたのだ。上野は新しい時代の街になった。原宿でも新宿でも秋葉原でもダメなのだ。

 どんな朝ドラが魅力的なのか、やはり若い脚本家に期待するべきだ。次の時代は次の時代の人に考えてもらう必要がある。30代以下の人に脚本を公募したらどうだろうか。新しい未来が出てくるかもしれない。今回の朝ドラのていたらくを反省してもらいた。

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第127 回 水彩画 日曜展示

2022-09-18 04:03:47 | 水彩画
第127 回 水彩画 日曜展示
10号前後の作品です。小田原に来る前に石垣島で描いた絵です。





892「秋の村」
2022.9







893「紀伊の港」
2022.9






894「開田高原」
2022.9







895「のぼたん農園」
2022.9








896「朝靄」
2022.9







897「能登の海」
2022.9






898「開田高原」
2022.9






899「冬の鳥海山」
2022.9







900「のぼたん農園」
2022.9






901「シーラ原の牧場」
2022.9


 水彩人展でいろいろ学んだこと以前の絵である。今ならこう描かないかもしれない。それは描いてみなければわからないことだが、なんとなくそういう気分がしている。それでも水彩人に出している絵よりは自由さがある。

 やはり水彩人に出した絵は沢山の絵の中から選んだものだから、整ったものになったのだろう。ある意味よそ行きの絵になっているかもしれない。その点ここに並んだ絵は日々の一枚である。冬の絵もあれば、夏の絵もある。その絵が描き進められると思えば、どんな絵も描いている。

 今日は展覧会が終わり雨である。稲刈りはできない。久しぶりに篠窪に行き、絵を描きに行こうかと思う。水彩人の仲間が行ってくれた言葉を胸に入れて、描いてみようと思う。恵みの雨になるかもしれない。

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保守政治の堕落とカルト組織の浸透

2022-09-17 04:00:46 | Peace Cafe


 自民党の中身はぐずぐずだった。残念ながら、とても日本を任せられるような人たちではなかった。統一教会と意味不明と言えるような繋がりが存在した。常々、安倍晋三氏は自民党の暗黒勢力の口パク人形であると主張してきた。想像通りだったという事になる。

 まして、その口パク人形を国葬にしようというのが岸田政権である。岸田政権は安倍氏を動かしていた暗黒勢力に押し切られたのか、あるいは利用しようとしているのか、たぶん両者の力がぶつかり合って、折り合いがつかないままともかく国葬が両者の利害に一致したというところだろう。

 国葬をやるのだから、黙って従え。という二階氏の発言は、まさに腐った黒い毒霧を噴き上げているように見えた。自分の利害以外は見えない政治屋。安倍氏が国葬にふさわしいというより、国葬を政治に利用しているに過ぎない。

 自民党の暗黒勢力は見えている限りでは、神社本庁、創価学会は間接的に、日本会議であるが、実際は統一教会のように、見えない形で浸透している宗教組織や様々な利権団体がある。パチンコ団体を始めとする、賭博関連団体。スポーツ団体。医療団体。そして経済団体。最近はパソナや電通。

 こうした様々な方向性のある圧力団体が、自民党政権に癒着しようと努力している。それらがないまぜになり、アベ政権を口パク人形化していたのだ。担ぎ上げていた人形の国葬をしようというのはある意味無理もないことかもしれない。これも政治屋の政治なのだ。

 今回たまたま、山上という統一教会に家庭を崩壊させられた人間が、安倍晋三を狙う事が統一教会を崩壊させることになると判断し実行した。今山上の意図通りの結果が出てきている。安倍暗殺がなければ、一切表ざたにならなかった自民党と統一教会の癒着。

 多くの日本人が何故反日組織の統一教会が、日本人を信者にして、献金をさせることが出来るのかが、奇妙な疑問だ。韓国の反日組織と自民党が結びつくこと自体が、いかに政治に理念が喪失しているかの表れだろう。拝金主義そのものが見えてくる。

 保守政治の「嫌韓」と旧統一教会の「反日」思想が矛盾したまま、アベ政権はこの矛盾を矛盾とも思わず受け入れていたのだ。この理念のないアベ政治の気持ち悪さをいつも感じていた。「イデオロギー」が現在の日本政治の要を占めてはいないから起きたことと考えていいのだろう。これが右翼の日本主義の本質である。

 ロシアが経済制裁を受けているからと、早速プーチンと親友ぶりをアピールした安倍氏。そのプーチンが侵略戦争を始めても、一言のコメントすらできなかった安倍晋三。アメリカが快く思っているはずもない。国葬などとんでもないと本音では思っているはずだ。

 それでも日本人は意外にも安倍氏が好みだったようだ。ここが一番理解できない現象分析である。何故口パク人形が良かったのか。日本の伝統であるお家大事の大半の殿様という口パク人形制度から来ているのか。自分の考えなど持たないで、体裁のいいことを言いなりに口をパクパクしている奴が好きなのかもしれない。

 女性評論家よりも女性アナウンサーの方が人気がある。女性アナウンサーよりも女優の方が人気がある。男に置き換えても変わらないはずだ。自分の主張のある人間を敬遠する文化というものが日本にあるのではないか。本当は総理大臣は人形が都合いい人が多いのだ。

 様々な組織が、安倍人形のみこしを担いでいた。その中の一つが統一教会だったわけだが、統一教会は大した圧力団体ではないはずだ。神社本庁、日本会議、経団連、スポーツ組織、教育組織、もうありとあらゆる日本で活動している組織は、政府と結びつき、優遇されたいと考えてうごめく。

 それがパソナグループや電通のような、この時代らしい政商というようなものが現れあらゆる利権に食い込んでいった。理念より利権で結びついたわけだ。自民党の根幹まで食い込んで、利権をむさぼっている連中がいる。これを変えるためには政権交代しかない。

 野党も労働組合との関係が失われつつある。大きな企業の労組はむしろ実態としては自民党支持だろう。自民党の大企業本位は徹底している。新しい記号が登場しない日本は、現状維持の大企業には都合がいい。労組が弱まり、野党も政治的活動力を失った。

 国葬をやるというのに、国会の議決すらないという状況がまともとな政治状況とは思えない。アベ長期政権は本当に日本をだめにしてしまった。アベ国葬ではなく、日本国自体が葬儀なのかもしれない。どうすればいいかである。政治をあきらめるほかないと最近遅まきながら考え出した。

 自分の暮らしから再出発する。私は絵描きへの道を迷って、自給開墾生活を目指した。なんでも原点からやり直すほかないと考えたからだ。その意味で日本の行き詰まりを何とか立て直すには、日本人全体が暮らし方を生きるという原点から見直すほかないのだろう。  

 人間は自分の体力で、一日2時間、100坪の土地で働けば、生きてゆける。わずかな収入で生きてゆくことができればまずはいい。そういう人がわずかづつ表れてきている。この流れは止まることなく、大きくなってゆくだろう。その人たちは政府など大した意味がない。反政府集団ではないが、一番政府にとって扱いにくい存在になるはずだ。

 お金に動かされない人。権威に忖度しない人。自由を大切にする人。自分という存在を確立させた人。こうした人たちが増えてきて日本が変わってゆくはずだ。この暗黒時代にいてはそういう明るい未来は想像しにくいが、人間はそれほど愚かなものではない。

 拝金主義との戦いである。戦いの武器はお金に左右されないという生き方だけだ。自給自足で生きればおかねへの執着は捨てることができる。元気に動ける時間はせいぜい10年ほどだろうが、何としても自給自足の体験農園を作り上げるつもりだ。

 石垣島ののぼたん農園に行けば、自給自足で生きる方法がわかるというところまで進めたい。こうした思いを持つようになったのは、今から20年ほど前、自給生活に失敗して小田原に戻った人がいた。その人が、アフリカ旅行に行くが、戻ったら自給生活を教えてくださいと言われていた。ところがアフリカに行き死んでしまったのだ。

 それが非常に残念だった。いつか志を持った人が気楽に参加して、自給生活を学べる場を作らなければと決意していた。ずいぶん時間がたってしまったが、石垣島ののぼたん農園に行けば、自給生活を学べるという場は示したいと思う。

 今立ち上げで一番面白い。冒険の船出から、一緒に挑戦してみたいという人がいたらぜひ参加してもらいたい。


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水彩人展初出品の作品評

2022-09-16 04:01:35 | 水彩画


 水彩人展では毎年新しい人が作品を出してくれる。これは公募展をやってよかったと思うところだ。絵は一人で描けるとは考えていない。よい仲間がいなければ道を間違うことになる。絵をやっている人はそれぞれに道を探している。

 今の時代ネットで水彩人を見つける人もいる。私の日曜展示を見てくれる人もいる。実は直接誰かが読んでくているという意識はあまりない。ブログは自分ために書いているだけだからだ。日曜に絵を展示するのも日々の一枚を実践する自分のためだ。

 スマートウオッチをして絵を描いている。いつもしているので意識しているわけではないのだが、絵を描いているときに心拍数は40台になっている。どういうことかわからないが、寝ているときよりも少なくなっている。

 絵をかくときにはただ絵の前にいて、反応しているだけにしている。身体が自由に動くようにしている。どうしようとか、どうなるとかいうことは、アトリエで絵を並べてあるときに考えている。身体に従う絵の描き方をしたいと考えている。あれこれ描いてみては、今目の前にある絵が立ち上がるのを待っている感じだ。

 今回水彩人でみんなが話してくれたことはよく覚えている。それを絵を見ながら反芻することだろう。少しでもそれが生かせるといいと思っている。来年の絵がいくらかでも前進できるように頑張るつもりだ。

 技術主義と表現主義があるというのが、今回の水彩人の感想になるようだ。そこからくる私は瞑想主義のようだ。自分の絵に自分で責任が持てないような不思議な感じだ。なぜそう描いたのかが自分でもよくわかっていない。自分の自然に感じている気持ちまで絵が行けばと思う。

 初出品の方の絵の批評文を書こうとして、その前置きが長くなった。長くなったのはブログに人の絵の批評を書く重さを感じて、言いよどんで、言い訳をしている訳だ。


 水彩人展初出品の作品評

  • 伊佐治和子「外は夕焼け」
 色がとても良い。水彩画の作者の描法を確立している。色の濃度の濃いものを描いた部分の表現がとても良い。背景の薄い表現も魅力的だ。ものと空間の通い合いがあればさらにいいと思うのだが。果たしてそれほど単純なことでもないのかもしれない。

 外は夕焼けという題名からして、もう少し違うことを語ろうとしているはずだ。それが何なのかは見えなかった。花と果物の位置関係も不思議だ。果物のほうの位置が高い。そこに何かがありそうだ。この水彩の魅力的な筆触に託されたものはかなり深い。

•小笠原直子「深呼吸」
 自然を平明な視線でよく見ている。作者の目が澄んでいるのだとおもう。作者の心の透明さを感じる。朝の公園の静かな緊張まで伝わる。絵を表現するうえで作者は自分を消しているのかもしれない。この点が私とは違う。

 つい自分がどう見るのかを問題にしてしまう訳だが、それは近代絵画の問題点かもしれない。日本の絵画には客観的に自然にどこまで対することができるのかということがあるのかもしれない。その観点からすると、公園の作られた自然を感じるというあたりが気になる。

  • 金澤三枝「薫風」「湿風」
 素晴らしい完成した絵だと思う。安定した力量のある絵画が表現になっている。世界観がある。その世界観の深さが人並みではない。作者の精神の深さまで感じられる。ただものではない。こういう人が水彩人に出してくれたことは深く感謝しなければならない。

 この絵から学ぶ点がたくさんある。筆使いに込められた感情の表現。筆触に表れる情緒の深さ。水彩画だからできる色彩の微妙な深さ。またこの人の絵を見せてもらいたいと思う。水彩人でこの絵に出会えた喜びを感じた。

● 柴田協子「PEONY]

  花や花瓶に表れている作者の視線が魅力的だ。特に花瓶の表現に自由に描く良さがある。花のおおらかさも気持ちよい筆使いからきている。果物も素直に描かれた伸びやかさがある。

 この自由な表現で、空間をどう描けばいいかということになる。何もないところこそ、その人が何をしてもよい場所である。花や花瓶以上に自由な気持ちが反映できればいいのだろう。

  • 大森桂子「飛翔」
 海の表現と海越えの工場群の表現に作者の目が感じられる。構想として最初から考えられたのだろう白抜きの鳥が青い風景の中に美しい。白い鳥の白抜きの表現が難しい。どのくらい風家の中に鳥が溶け込めばいいのか。風景が果たしているのかどうかさえ問題になるのだろう。この点が少し消化されていないのかもしれない。

● 小島静江「パンと瓶たち」
 安定感のあるとてもしっかりした絵だ。それぞれのものが、一つ一つ気持ちが込められ描かれている。光をよく見ている。光の表現が絵を生き生きしたものにしている。特にパンの表現は素晴らしい。

 テーブルの表現が素晴らしい。静物画はテーブルの表現次第だと思う。しっかりした背景にもは魅力があるのだが、テーブルとの境が少し気になるかもしれない。
  • 高見洋子「Memories in Seattle Ⅰ」「Memories in Seattle Ⅱ」
 絵画を知っている人の絵だ。よい絵をたくさん見ている人なのだろう。完成の深さを感じる。伸びやかでこだわりの画面は、本物の絵になっている。絶妙な淡い色のバランス。白の表現に気持ちが通っている。心が感じられる。

● 高麗由美子「夕陽の町」
 
 水の表現が特別によい。自分の水を描いている。ここまで水をよく見て描けるということは、絵を描く目で水を見ることができるという意味だろう。見すぎているくらい水を見ている。ここまで水を描けるのであれば、水だけの絵でもよかったのではないかと思えるほどだ。

 すばらしい水を描いた眼で、画面全体を描くほうがよかった。なぜか舟、建物は自分の目で描いているというより、写しているように見えた。

 
コメント (1)
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