地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

後期高齢者になるが、終活などやらない

2024-06-17 04:19:46 | 暮らし



 74歳である。あと2ヶ月で75になる。後期高齢者と言うことに成るのだろう。少しも歳をとった気分ではないのだが、れっきとした老人なのだ。自覚できる衰えている箇所は、眼と耳である。様々な自覚できない機能の衰えが来ているのだろうとは思う。

 しかし、まだ死ぬ気はしない。普通に農作業は出来る。朝8時から、夕方5時半まで、先日も田植えをした。翌日も農作業を続ける事ができた。この点では若い頃と較べれば、速度は落ちたが大きくは変らない。頭もぼけてきているのだろうが、まだ認知症と言われるほどでは無い。ブログを書く速度はいくらか遅くなってきたが、一応意味は通ずるレベルは保っている。

 今の願いはのぼたん農園での自給農業の技術の確立まで、農業が出来ることである。先ずは車の運転が出来なくなれば終わりになる。緑内障があるから、眼の維持を願うばかりだ。このところ進行が止まり安定しているので、状況が変らないように現状維持。

 今日を生きる事に全力を費やしたいので、終活などと言うことは考えたくもない。そんなことはやる必要も無いし、むしろ害があると考えている。もちろん死ぬと言うことはよく考える。生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり。『修証義』 冒頭に書かれている言葉。『修証義』 は道元禅師の書かれた正法眼蔵の教えを、分りやすく要約したものだ。要約など無理な話なのだが。

  生き物は生まれてくれば必ず死ぬ。死ねばすべてが消え去る。それを良しとして受け入れる。死後の世界などあるはずもない。輪廻転生などない。死後のことは考えることすら馬鹿馬鹿しい。生きている今を直視し、生ききることだけが、生きる事の意味。終活など考えている暇はないのだ。

 自治体の中には終活講座をやるような所も在るらしい。確かに死後の財産が持ち主不明で放置される。家は空き家になり困り果てる自治体が多いので、生きている内に自分の財産の始末をして欲しいと考えるのだろう。死ぬことまで自己責任論である。死後の始末ぐらい行政が担うべきなのだ。だめな社会だ。

 放置され行政に任された財産があるのに、有効利用できずに困るのだから、不思議な時代である。誰もが責任逃れをしている社会だから、安心がないのだ。相続する人が分りませんと、何年も放置して、廃墟になってからしか手を付けない行政は制度を見直すべきだろう。

 1年ぐらい張り紙でもして、応答がなければ、公共の財産にして利用したら良いだろう。利用できないものは利用できるものの上がりで、更地にして有効利用すれば良い。駐車場でも緑地でも道路でも防火帯でも利用法などいくらでもある。

 どこに旅行しても、空き家は目立つ。石垣島でも空き家はある。駅前がシャッター商店街になり、中には崩壊しかけているような地域もある。困ったことではあるが、多くの場合、こんな状況にした当事者は老人である。だからと言って後始末をしない、死んで行く老人の責任なのだろうか。こんな不幸な社会にしたのは、努力を行政が怠っていると思える。

 衰えて身の回りさえままならなくなり始めた老人に対して、もうお前は死んで行くのだから、後のものに迷惑をかけないように、身の回りを早く整理しろと迫るのだ。こんなことは人権蹂躙である。その人それぞれに生きれば良いのであって、それを迷惑と考えるのであれば、何とかするのは社会の方だろう。

 老人は「もの」で囲まれた記憶が重要なのだ。断捨離で何でもすれれば、自分という物も捨てることになる。自分を記憶と結びつく「もの」で自分を維持しているのだ。身の回りの「もの」が無くなることは自分を失うことでもある。私は絵を現在1505枚保存している。終活で捨てろと言われも、今生きる私には必要で保存している。

 描いた絵に社会的に価値があるかと言われたら確かに心許ない。社会的に一時期認められた絵が、美術館の地下に入りきれなくなっているのだ。美術館の絵の大半が、すでに社会がいらない絵なのだ。だからといって整理して捨てろと言われたら、絵描きはかなり辛い。せめて、死ぬまで保存し、見たいときに見れるようにしておきたい。

 終活を商売にしている組織がある。その広告を読むと、1,将来、身の回りのことが自分でできなくなることに不安を感じる。2,自分のことで家族に迷惑をかけたくない。3,おひとりさまなので、そもそも頼れる家族がいない。4,自分は大丈夫だけど、離れて暮らす親が心配。などと迫っている。

 こんな風に勧誘している。誰だって生きる事は不安なのだ。その老人の不安につけ込んでくる。つい弱い心で惹きつけられてしまうのだろう。それは老人ホーム商売も同じことだ。安心して死ねる場所を売り言葉にして、金持ちの老人からお金を巻き上げようとしている。

 江戸時代は姥捨て山の時代だったと明治政府は宣伝をした。それは軍費集めに躍起となった明治帝国主義政府の教育だったのだ。姥捨てなどしないで良い時代になったと言いたかったのだ。確かに子供を捨てる。老人を捨てるという伝承はあるが、それはあくまで民話の伝承の世界の話だ。

 子供を捨てるという話も、世界中の民話にある。そんな怖い話をどこの民族も伝え続けたのだ。それはむしろあってはならないという、集団の思いが煮詰められた民話の伝承なのだ。鬼が出てきて食べられるとか、山姥にさらわれるとか、民話にはそんな怖い話が世界中で伝承されている。

 そうした伝承をあたかも江戸時代には、事実としてあったことにしたかった。明治政府は飢餓とか、子捨て、貧困、姥捨てなどを事実のように教育した。まあ、今の北朝鮮を見ればその意図は分る。そのために、明治時代に産まれた世代は、その伝承を事実であるかのように思い込み、次の世代に語ったのだ。

 だから戦争に駆り立てられた日本人は、お爺さんの話していた昔の世の中を悲惨な世界としか思えず、何とか戦争に勝って豊かな国になりたいと思い込まされたのだ。そんな洗脳教育が現代にも影響していて、江戸時代の3大飢餓などと学校教育で説明されている。本当の東北の疲弊は明治期がひどいものなのだ。

 話は姥捨てになってしまったが、歳をとってもばあさんは役立つだろう。困るのはじいさんの方だろう。役立たずのじいさんほど始末の悪いものはない。大体が威張り腐っているのだ。爺捨て山なら、私も騙されたかも知れない。日本は男社会だから民話も遠慮したのだろう。せめて人に迷惑にならないじいさんで居たいものだ。

 好きなこと三昧に生きる事に限る。これが健康的に生きる秘訣だ。石垣島に暮らしていても、田んぼと畑と絵を描くことだけだ。他のことには興味が湧かない。海に行くとか、山に行くとか、そんなこともない。コロナ以来、街歩きもしない。一年でも長く元気で田んぼで働けるように、そして絵が描けるように身体を保全する。

 終活などくそ食らえだ。死ぬことなど忘れている内に済ませたい。多分生きる事に専念していれば、それどころではないと言うことだろう。やりたいことをやり尽くす。石垣島の自給農業技術を確立に全力をつくしたい。自分の絵を描きたい。これに尽きる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

郵便の34,9%の値上げ

2024-06-14 04:39:16 | 暮らし


 郵便局は今のところ、地方の暮らしを支える、ある意味で施設になっている。ハガキが63円から85円になるという。34,9%と言う大幅値上げである。何でも上がる時代。特に人間が配達しているのだから、値上がり自体は止むえないとも思う。

 郵便事業は、今のネットワークを生かした地域に密着した仕事を、見付ける必要がある。老人の消息確認。公共施設の目視確認。子供の避難所機能。地域で必要で、手薄になっていることを、あれこれ捜して郵便局の機能に加えて行く。

 郵便局が維持できるように、税金から費用が出るようにしたらどうだろうか。毎日、何度も郵便の人とはすれ違っている。篠窪の山の上で絵を描いていても、必ず郵便のバイクが来る。人間が定期的に移動するのだから、それを利用した公共的な仕事は在るのではないだろうか。何か他の仕事と兼務できないのだろうか。

  今回値上げをすれば、これでハガキが終わるという方向に行く気がする。ハガキを1000円でも出す必要がある特殊な場合はある。ハガキにはそういう特別な価値を感ずる所がある。ただ、ほとんどの郵便物にはそういう価値はない。ハガキ85円では、メール連絡はいやだと言う人がいてもメールにならざる得ない。

 宣伝のハガキなどなくなって当然のことだろう。ハガキで連絡をしている水彩人ハガキは、値上げ前にメールにしなければならない。はがきの値段を35%上げれば、ハガキの数は35%以上減るだろう。収入が減るのを覚悟で値上げをすると思われる。そういう特殊事情があるのだろう。配達の人が足りないから減るのは良いのかも知れない。

 200枚出す年賀はがきは大判である。大判の方は84円が110円になるという。大分上がることになる。それでも止めたくはない、年賀はがきのお金が高いとは思わないが、少し考えてしまう。来年の年賀はがきは一気に減るだろう。これで終わりになるのかも知れない。

 日本人は年に一度芸術家になると言われてきたのに残念なことだ。私はこだわって絵を描いてきた。それは水彩画の紙と筆の練習にも成るからだ。ともかく沢山書くと言うことは大事なことだから、年賀はがきと言う機会を逃さないようにしてきた。

 年賀はがきは1899年に始まったとある。125年の歴史がある。44億5千万枚がピークで、2024年は14億4000万枚 となった。2025年は5億枚程度になるだろう。日本人らしい年賀の挨拶で、とても好きなものだった。私のピークは400枚を超えたぐらいだ。

 年賀はがきもついに終わりを告げることになるのだろうか。子供の頃は必ず木版画を作っていた。多色刷りの面白さを年賀はがきで覚えた。3判刷りぐらいのものを作った。必ず干支の動物の図柄にした。木版を彫るのも好きだったが、ゴム版も何度か試みた。かなり熱心に作った。まだ誰かの家に眠っているだろうか。

 その後はプリントゴッコで作っていた。シルクスクリーンをやっていたから、プリントゴッコも大判が出て飛びついた。それがついにはリソグラフになった。版画作品の面白さというものがある。そうか、年賀はがきは小学校に入って始めたのだから、途中中断はあったのかもしれないが、68年の継続である。

 年に一度くらい、友人に手描きの絵を贈りたいと思って続けてきた。自分が絵になって友人のところに行くような気分だ。その意味で、やはりメールとは違うと思う。私は辞めたくはないが、半分以上の年寄が、これで間違いなく年賀はがきを止めるだろう。出す数は一気に減らすはずだ。

 そういえば、家に来る郵便物というものも、ユーパック以外はまずない。本を買うと郵便で来る。たまに美術展や個展の案内が来るが、残念ながらなかなか見に行けない。広告の郵便物というのも大分減った。郵便事業自体が消えて行くと言うことになるような気がしてきた。

 今回の値上げは郵便事業にとって悪い選択になりそうだ。郵便というものが縮小して行く第1歩になると思える。それでもいいという判断をしたような気がする。さらに2,3回値上げしなければ、経営が出来ないのだろう。郵便局は石垣島でも9カ所のATMがある。コンビニがない地域にも、郵便局はある。

 地方の生活を支えているものが、郵便局のATMである。たしかに、これもあと10年ぐらいで、ネット銀行に変るのだろう。ネット上で仕送りや振込もできる。私にはまだ、ネット銀行は信頼が出来ない。ネット銀行の口座も無いわけではないのだが、お金は入れてないし、使ったこともない。

 何かの都合で作らされてしまったのだ。ちょっと嫌な気がしている。分らない世界のことなので、不安なのだ。情報が流失したとか、不正に使われたとか、時々ニュースになる。関係があるのかないのかもよく分らない。何でそれならば口座を作ってしまったかと思うのだが、乗せられてしまったのだろうか。マイナンバーカードと同じだ。

 郵便事業を民営化した小泉改革は、間違いではなかったと思う。あのまま国が続けていれば、今よりもさらにどうしようもないものに成っていただろう。民営化してからも、かんぽ生命の不正な勧誘方法など、あまり良いことは起きていない。

 郵便局には週に一度くらいは出す方でお世話になっている。郵便物が来ない日はない。なくなれば大変困る。値上げして存続できるならば良いのだが、今回の値上げで郵便が終わるとすれば、かなり困るような気がして成らない。思い切ってコンビニを併設したらどうだろうか。

 とうぜんその程度のことは検討されたはずだ。あの配送システムを生かした、ネット通販との連携などどうだろうか。今でも地域の産品を送る事業はやっているようだが、あれをもう少し地域に根ざした商品を探して、ふるさと納税と結びつけたらばどうだろうか。

 地域に取り残された老人と郵便とを結びつける何かはないだろうか。それに税金を入れる。やることは探せばあると思う。税金を入れても、地方の維持の為には必要なことだろう。買い物の代行はどうだろうか。地方行政と連携して、見付ければ何かあるはずだ。
 
 今事業の新規開発をしなければ、郵便事業は倒産すると思われる。しかも地方は消滅と言われている時代だ。これだけのネットワークを生かさないことは、あまりにもったいないことだ。今何かを考えなければ、今度の値上げで、郵便事業は壊滅的打撃を受けることになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いまこそ宮沢賢治に学ぶことがある

2024-06-10 04:28:32 | 暮らし


 資本主義が行き詰まった時代こそ、宮沢賢治の思想に学ぶところが大きい。それは現代社会が、個人主義が強まったこと。阻害された社会になっていること。能力主義が正義になっていること。お金の価値観が絶対視されるようになったこと。どこまで行っても競争を続ける社会であること。
 
〔雨ニモマケズ〕   宮澤賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

 雨にも負けず、正に今ののぼたん農園である。稲刈りしなければならない田んぼがあるのに、雨に負けて、稲刈りが出来ないで延びている。濡れている稲は刈り取れば、黴びてしまう。穂発芽を始める。雨瀬を見て刈り取るしかない。宮沢賢治が目指したイーハトーブはなかなか厳しい。

 「下ノ畑ニ居リマス 賢治」賢治さんは今も仲間として、花巻の羅須地人協会で農作業をしていると思うことにしている。賢治の理想郷から、社会はどんどん離れて行くばかりである。豊かな社会が来れば、人間は他者のことを感じられる人間になるだろうと思われたが、そうではなかった。

 私の74年はそういう次第に悪い世の中になる74年であった。豊かになる競争に追い込まれ、他者が見えなくなり、自分のことだけの人間に痩せ細るばかりだ。豊かな社会の中での心の貧困。格差社会の拡大。虐めや虐待が増え続ける病んだ社会。疲れてしまい、全体を変えることは不可能に感じられる。

 いまできることは自分が関わるその場所から、すこしづつ変えて行くほかない。その時力をくれるのが、羅須地人協会で農作業を続けている賢治さんのことだ。一人が頑張ることは人に繋がること。賢治にしがみついて居るようなものだ。感謝を忘れず、努力を続ければ、必ず良くなることを願っている。

 仲間の誰かが農場で働いている。小田原では麦刈りの途中で石垣に戻った。そのまま渡部さんが終わりまでやってくれた。全くすごいことだ。ありがたいことだ。私がやり残してしまった農作業を続けてやってくれる。賢治さんのやり残した農作業を続けねばならない。

 玉ねぎの収穫もやってくれたはずだ。何もかも助けて貰っている。私もどこかでいくらかでも手助けをできればと思う。小田原では渡部さんには助けられているわけだが、実は石垣の渡部さんにも助けられている。渡部さんと言うから出は会津のの方ではないのだろうか。会津もすごい人間のいる場所だ。

 宮沢賢治の産まれた花巻もすごいところである。何しろ今度は大谷翔平が表れて、励ましてくれている。羅須地人協会の畑で働いている賢治さんを見て育ったに違いない。花巻という場所に魂があるのだろう。確かに石垣島にも百姓の魂がある。小田原にも百姓の魂がある。

 賢治は自給生活の理想郷を作り出そうとした。私たちはその思想を受け継ぎたい。必要なものを作り、暮らして行く。小さな仲間の存在。その小さな輪の中で、自己確認して暮らす。自分が生きると言うことが仲間が生きると言うことにいくらかでも繋がる暮らし。

 ともかく今日1日、のぼたん農園にいること。出来ることを見付けて作業すること。たいしたことは出来ないが、地道にデクノボウとして農作業を続けること。それが何にもならない木偶の坊であろうとも、良しとして生きる事。十分とは言えないが、少ない収穫に感謝して暮らすこと。

 宮沢賢治が37年間の短い生涯を生きた時代は、日本が帝国主義で日に日に悪くなってゆく時代である。ひどい税制のために、過去最悪の飢饉が東北で起きた時代だ。江戸時代の農民は飢餓を体験はしたが、まだまだ豊かであった。明治帝国主義政府の軍事費のために農民はとことん搾り取られた。

 東北の1930年代は大災害の連続であった。31年と34年は凶作・飢饉にお そわれ、その間の33年には三陸大地震・大津波にみまわれた。東北 の凶作は天災ではなく、「ブルジョア政策そのものの破綻」「世界経済恐慌の 一環としての農業恐慌そのもの」であると、その資本主義的災害とされる。

 1933年に37歳で賢治は死んだことになっている。本当は今も羅須地人協会ノは竹で農作業を続けている。江戸時代の飢饉を3大飢饉と呼ばれるが、それは明治政府が意図的に作り上げた側面が強い。江戸時代は農民をないがしろにすれば、藩の財政は破綻したのだ。農民から収奪したことは確かだが、明治政府は農民を追い詰め、殺すような政府だったのだ。

 賢治は農民が痛めつけられる苦しい時代の中で、イーハトーブを作ろうとして、取り掛かるが志を遂げられずに今も、下の畑で農作業を続けている。生涯を通して科学的姿勢で農業技術の探求し、肥料学を研究し、農民の暮らしを豊かにしようと努力を続ける。

 羅須地人協会(らすちじんきょうかい)1926年、農学校を退職した賢治が農民たちを集めて農業技術や農業芸術論などを講義するために設立。1928年に病気になるまで、賢治はこの建物で自炊生活をしていた。短い期間ではあるが、この羅須地人協会に賢治のイーハトーブがあった。

 私たちはまたひどい資本主義の末期の時代を迎え、農業技術や芸術論を学び合う場を作らなければならない。のぼたん農園の活動には賢治ほど卓越した哲学も思想もないが、石垣島で30人が心を合わせて自給農業の探求をしている。

 再現性のある科学的技術の探求である。そして農業は実践である。誰でもがここで学び、自給的な生活を可能にする場である。昨日は1番田んぼの稲刈りを終わった。残るは7番田んぼ一つである。今度の土曜日に稲刈りをして、日曜日に脱穀したいと思っている。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅麹菌と青カビ

2024-06-05 03:09:15 | 暮らし


 発酵の世界はまだ未開の部分の方が多いのだろう。人間の健康にとって大切な物である事は確かだが、命の危険を伴うような物質を作り出すこともある。素人が適当な知識で、思い込みで適当なことをするのは極めて危険なことなのだろう。

 素人ながら長年、納豆菌で魚のあらを発酵させていた。1トンぐらい入る大きなミキサーに米ぬかやそば糠を入れてその中に魚のあらを入れていた。納豆も入れる。良いタイミングでかき回すと80度を超える。マグロの頭が1週間で皮だけ残して消える。皮は防御機能が強い。

 もう一つが嫌気発酵である。嫌気発酵はおからをドラム缶に詰めるのだ。ヤクルトミルミルを入れて踏みつけて密封する。2つの発酵で出来た飼料を混合して与えていた。家で出る生ごみなどもすべて、餌になる。糞は臭わなくなるし、良い卵を産んでくれる。良い卵とは何か。

 発酵飼料を与えると良い卵を産んでくれる。良い卵とは生命力の強い卵だ。3ヵ月生きている卵を目標に作っていた。好気性発酵と嫌気性発酵を組み合わせて、与える飼料は、3カ月保存して、孵化して雛になったのだ。これが出来て初めて発酵飼料を体得したことになる。卵の味も重要なバロメーターで、味がないはずの白身が美味しくなる。

 この飼料の作り方を家畜保健所では危険だからやめろと言ってきた。何十年も毎日このエサを使っていて、問題がないどころか、最高の卵が出来ている。こんな生命力の強い卵を作れるなら、作って見せろ。そして、鶏の血液検査をさせた。ワクチンなどしたことがないが、免疫が出来ていることを証明してもらった。

 青カビが作り出すプベルル酸が腎臓尿細管「壊死」させると、厚生省が発表した。今回の小林製薬の紅麹菌サプリでの、死亡事故は原料を作る前の段階にあたる紅麴菌の培養過程で、工場内の青カビ(Penicillium adametzioides)が混入したとみられている。どれほどずさんな管理であろうか。製薬会社と名乗りながら、紅麹菌の培養過程で青カビが混入するなど考えられないことだ。

 これが正にサプリの危険だ。医薬品であれば、さすがにこんなずさんな製造過程は許されないだろう。養鶏で危険な発酵になれば、卵がすぐ悪くなる。サプリだからという甘さが、死亡事故にまで繋がってしまったのだ。この事故は日本社会の劣化の結果とも言える。拝金主義から来たものだ。あらゆる現場で、モラルや誇りが失われている、と思われる問題が起きている。

 話は飛んで変わるが、ここからがもう一つ描きたかったことだ。私は石垣島のこの家で死ぬつもりでいる。だから100歳までの30年は維持できる大丈夫な老人向きの家をお願いした。100年住宅など全くいらないとお願いした。設計の輝喜名さんと言う方が、とても優秀なかたで、あと25年たたないとわからないが、お願いしたように作ってくれたようだ。

 74歳になり、老人ホームの記事を読むようになった。ネットは狙い撃ちで広告を入れる。高級老人ホームの問題点だ。いわゆる詐欺商法と大差がないものがあるらしい。年寄が寝たきりになっても安心できるようなきれい事を並べて、大枚払って入居させる。そして、適当なところで動けない老人を強制退去させる。怪しげなところが多いようだ。

 安心できる死の看取りまでしてくれると言う謳い文句が、実はウソなのだ。人間の死に方と言うことは、実に難しいものだ。葉隠れの口伝では、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり。」と伝えられている。道元禅師は、「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり 」と書かれている。

 死をどのように受け止め、迎えるかは老人になれば誰もが直面する問題である。野垂れ死にの覚悟。人生至る所青山あり。と言うつもりでも、いざとなれば惚けたりして、強がりばかりではどうにもならない。死を明らめられない迷いや苦しみが生まれる。そこにつけ込む詐欺が横行する。

 この現世極楽のような老人施設に来れば、安心して、死を迎えられる。と思い込まされてしまう。美味しいものが食べられる。医療施設も万全。優しい人達に囲まれて日々を過ごす。私のようなひねくれ者は、そんなうまい話があるわけがないと、今は考えている。

 どのような施設であれ、死への道のりは厳しいものがあるに決まっている。だから、死は覚悟が必要なのだ。死を見極め理解し、受け入れる。それ以外に死を迎える安心はない。死後の世界のようなものを想定するのは、正に詐欺宗教である。死後の世界で信者を騙しているに過ぎない。

 死後などあるわけがない。産まれる前の世界がないように、死後の世界もないと断言したのが道元禅師である。だから今生きると言うことにどれだけひたすらになれるかである。刻々ひたすらに生切ること以外に、やれることもない。それが自分という存在を生き切ると言うことだと示されている。

 こんな風に書いてみたところで、何かそういう立派な覚悟があるわけでもない。昨日は1歳からの友達だった上野剛が死んだという連絡があった。それで文章が変わってしまった。74年間付き合ってきた中だ。私のいとことの結婚を仲人として進めた。先月会った。お互い身体に気をつけようと言い合って分かれて、1ヶ月も経たない突然の死だ。

 ガンだったという。何も私に言わなかった。「元気ないなあー、大丈夫かよ。」と言ったら「もうだめだよ。」「そんなことを言ってないで病院に行けよ。」と言ったら。病院など行かないと言っていた。あの言葉の意味を理解できなかった。複雑な顔をしていたのだ。半年前に路上で倒れていて、救急車で搬送されたことがあったのだ。

 その時に、精密検査を受けて、どこも悪い所はないと言われたので、却って安心になったと言っていた。半年前の倒れたときには実は悪い所が在ったのだ。あの頃からどうも元気がなくなった。東京に行ったとき、心配で電話をしたこともあったのだが、電話に出なかった。それでも毎月1度は会うと寝ていて気付かなかったと言っていた。

 救急病院の精密検査では発見できなかったのかもしれない。ガンかも知れないという検査ではなかったのだから、仕方がない事だったかも知れないが、あのときにガンを発見できれば、とつい考えてしまう。命には運というものもつきまとう。受け入れるほかないのが死だ。

 老人ホームビジネスは死を安楽に迎えられるという事が売りなのだろう。しかしどれほどの施設であれ、あくまで商売である。利益が出ないことなどしない。介護が困難になれば、出されてしまう。ホスピスではないのだ。何とも難しいものである。

 話が戻るが、紅麹菌の培養に青カビが混ざる環境では、製薬会社とは言えない。薬を作る環境で、雑菌が混入する施設というのはあり得ない。これがサプリだから許されている、工場の衛生管理状態だったのだろう。サプリには製造者責任はあるが、医薬品としての国の監督下にあるわけではない。

 今回の事故を受けて、錠剤やカプセルといったサプリメント形状の食品を機能性表示食品として販売するためには、品質・衛生管理に関する「適正製造規範(GMP)」に沿って製造するようメーカーに義務づけることなどを盛り込んだ。

  米に紅麴菌を植え付けて培養し、加熱・粉砕する。それを成分が一定になるように混ぜ合わせて紅麴原料はできる。 青カビが大阪工場の種菌培養室や、今年から生産を引き継いだ和歌山工場の培養タンクのふた、乾燥室などから見つかった。サプリ工場内に青カビがある程度の衛生管理が、普通なのだろうか。 

 大阪工場で、床にこぼれた材料を拾って再び使った不適切事例があったという。そんな製薬会社あり得るだろうか。昨年6月に商品を自主回収していたことを明らかにした。 粉を混ぜ合わせる機械のふたを閉め忘れ、33キログラム分の粉が床に散乱。このうち、床や機械に触れていない11キログラムをすくって再び使い、120キログラムの紅麴原料を生産した。当時の生産管理の担当者らの判断だったという。 すごい製薬会社である。
  
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

想像力は読書で作られる

2024-05-25 04:09:52 | 暮らし


 本を読むことは好きである。石垣から成田まで飛行機の中でも本さえあれば、三,四時間は何でもない。あっという間に過ぎている。本を読み出すと本の世界に入り込んでしまう。本の世界に自分が漂う事ができる。作者の作り出した世界の中を追体験しているような気になる。

 子供の頃中国の本をかなり読んだ。何しろ内藤湖南全集すべてを高校生の時には読んでいたのだから、中国にはまっていたとしか思えない。毛沢東のものもあらかた読んでいた。尊敬していたとも言える。紅衛兵の正義も信じていたのだから、毛沢東思想に洗脳された中国軍国少年だった。その意味では習近平よりも先だ。

 毛沢東はちょぅっとおかしいぞと思ったのは、大学生になってからだ。大学にいた毛沢東派のいわゆる過激派私の考える毛沢東思想とは違っていた。文化大革命の主旨と実体の乖離が、許しがたいものに思えたのだ。本の思想世界が現実にやっていることとあまりに違うので、徐々に毛沢東に幻滅をした。

 本を読むようになったのは、母が本を買うのであれば、自由に買って良いと言ってくれた事が始まりである。母も本好きな子供だったらしい。私が読んだ本の話をすると、必ず読んでいて、読書感想会が始まるのだ。兄や父も土佐流の談詰めに加わることになる。家族全員が本好きだった。

 本には本の世界があるということを知った。その本の世界を歩き回ることがすごい冒険旅行だった。日本の小説も次々に読んでいった。何故か、日本の作家のものが好きだったのだ。外国の小説を読むようになったのは、ドフトエフスキーが始まりだった。食わず嫌いをびっくりしてしまったのだ。

 本をいくらでも買うほどお金がある家のはずがない。今思えば膨大な借金のある家だったのだ。それでも、母は自分のものには全くお金を使わず、無理をして子供の本を買ってくれたのだと思う。私は本当にだめな子供で、そうした母の事情は、分っていなかった。情けない、思い出すと辛い。

 そして、何故か家に来る人は本のお土産を持ってきてくれるのだ。おじさんやおばさんが、本を持ってきてくれる。読み終わった本があれば、持ってきてくれるように頼んで合ったのかもしれない。その本が知らない世界に続いていて、新しい本の世界を読みあさった。

 中学と高校は今の世田谷学園に行ったのだが、図書館があり、それなりの蔵書があった。酒井先生という司書の先生がおられて、本の指導をしてくれていた。酒井先生は後に私が教員になったときにもまだおられて、時々司書室でお茶をごちそうになった。

 毎月購入された本や、寄付された本が司書室の前の棚にあって、いち早くその本を借りた。その本を返すときには、酒井先生から感想を聞かれる。偉そうな生意気な意見を言ったはずだが、馬鹿にせず聞いてくれた。それでますます本が好きになったのだろう。

 図書カードがあり、借りる本を書き込んで、その年度の学年毎に一番本を借りた生徒が表彰される。私は必ず一番だった。当然である。必ず借りて帰るのだ。多分そうして、学校にある本はほとんど読んでしまった。仏教書が多かった。実は授業時間中も本を読んでいた。

 なにしろ、吉川英治の宮本武蔵を同じクラスの原君が毎日一巻ずつ学校に持ってきてやるから、と言うので一冊一日で読んでいたぐらいだ。まさに乱読という奴で、活字を追っていれば良いというような、読書依存症という状態だったと思われる。本の世界がおもしろくて、現実世界から遊離している方が楽しかった。

 今はスマホ依存症、ネット依存症という時代であるが、それと同じような状態が読書依存症と言えるのだろう。読書中毒と活字中毒は少し違うとは言えるが、芦田愛菜さんは読書家だそうだが、活字中毒で、調味料の細かな活字をついつい全部読んでしまうそうだ。その感触は分らないことは無い。

 古本屋にも入り浸った。中学に入ると古本屋巡りを始めた。1冊10円と山積みされている本の山から捜しては購入した。三軒茶屋には4軒も古本屋さんがあった。川村書店ではあんまり買うので、貸してやるから読み終わったら持ってくれば良いと言ってくれたのだ。だから川村書店は私の図書館だった。

 川村書店の店主の川村さんは上野毛にあった多摩美の最初の生徒で、古本屋をしながら絵を描いていた。三軒茶屋に何か新しい独特の風を持ち込まれてた。多摩美の登山部を作った人で、登山部の世話を長年されていた。魅力的な人柄の方で、長く付き合っていただいた。

 本は読むのは子供のうちの方が良い。今も読みたいのだが、目が悪くなって本が読みにくくて仕方がないのだ。子供の頃は布団の中で、本を読み始めると止まらなくなって徹夜をしていた。徹夜はだめだと言われるので、電気スタンドを布団の中に隠して読んでいて、布団をこがしたこともあった。

 本はおもしろいから読んだので、本を読むのは良いことだから読んだと言うことではない。くだらない本はいくらでもあるし、悪書も多い。それはネット世界と何ら変らない。本を読んで成長するというようなこともあるだろうが、本の世界に変形させられると言うことだってある。

 本はおもしろいと言うことだけだ。子供が本を読むと言っても、今の子供はテレビやスマホや色々あって、本を選ぶ子供は少ないのだろう。絵を見ることよりも、アニメを見ることを選ぶのと同じことだ。何が良いかなどは判断は出来ない。ただ好きなことをやると言うことに意味がある。

 何かに依存症と言われるほど好きになる。それがゲームであったり、スマホであったり、賭博であったりすれば、それはまずいと言うぐらいのことはあるだろう。今は田んぼ依存症であり、水彩画依存症である。それでいいと思う。それぐらいでなければものにならない。

 子供の想像力は読書で広がる。活字を読んで頭の中で想像しなければ本は読めない。その想像力はだんだんに培われるものだろう。同じ本を読んでも、その本の世界全体を想像できるようになるには、かなりの訓練が必要なものだ。読書が深まれば、ますます本好きになる。

 その訓練が進むことで、想像する力が広がり、ますます本の世界が好きになる。それは頭の中のの世界が広がると言うことなのだろう。ものを考える力がつくと言うことに違いない。本の作者の様々な世界観を体得するように味わうのが読書だ。

 もちろん本を読むだけでは、ただの頭の中の妄想のようなものだ。読んだ人間がその想像力を持って、現実の世界の実体験を踏まえて、自分の世界観を形成していくことになる。読書で未知の世界を歩いている間に、自分の脳で思考する力がついてくれるらしい。想像する力を高めてくれる。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

円安日本はどうなるのか。

2024-05-16 04:55:39 | 暮らし



 円安が続いている。円安の原因は日本が取り残されたからだ。停滞した日本。アベノミクスの失敗が原因。第3の矢と言われた新しい産業が産まれないためだ。ある意味日本としての定位置に戻りつつあるのかも知れない。確かにそうだ。日本は余裕が出来て、努力しない人が増えたのだ。

 石垣島でも、東京でも、外国人旅行客が増えている。大いに安い日本を楽しんで貰いたい。昔中国に行ったときに、何でも安かった事を思い出す。筆が1本十円。大きな硯が500円。上海で一流の彫り師に、画印を彫って貰っても1000円ぐらいだ。かなりの石のもので、「出」の印を彫って貰った。

 あれは絵画交流団の特別価格だったものもあったのかもしれない。あのとき買った上海工藝社の筆はなかなか良くて今でも使っている。硯も大きな字を書くときには使う。ただ買った絵の具は使い物にならなかった。今台湾へ行くと、日本よりいくらか高いことになるのだろう。

 このまま150円の円安が続けば、日本の経済はどうなるのか。アベ氏の2年前の発言では、円安になれば日本は大もうけできると主張していた。1ドルが300円になれば、300万円の車が海外の人には100万円で売れるのだと主張した。高橋洋一氏は自分が教えてやったと自慢顔である。トヨタは最高利益を上げている。

 どれほどのバカなのかと思う。為替相場は安定していることが重要なはずだ。円安になれば、自動車会社のように輸出型の企業が販売しているものが、海外から見れば割安に見えて、よく売れて利益を高めるのは事実だろう。利益の面から見ればその通りであるが、これは日本国の閉店セールのようなものなのだ。

 もう新製品を作らず、売り切りだけならそれでも良い。実際には次の製品を作るために、輸入コストは高くなる。従業員も給与が上がらなければ、生活できない。当然生産費は高くなり、600万円で売らなければ採算が取れなくなる。それでも、600万円は海外の人には200万円に見えるわけだから、まだ安く見えて売れるのだろう。

 しかし、これは輸出企業だからまだ良いという話だ。国内の物作りは高くなるばかりだ。車は300万円から600万円になり、それを使わなければ仕事にならない。日本人には買いにくくなるばかりだ。給与は物価の上昇には追いつかない。これが日本が直面している経済の緊急事態である。

 自営業者は苦しいことだろう。給与を上げるどころではない。だから、一流企業の社員ならともかく、大半の日本人は円が安くなり、生活が苦しくなっている。何でも上がり始めていて、畜産農家など飼料が高騰してもう続けられないと悲鳴を上げている。

 日本の土地が中国人に買われて困ると言うのだって、円安の結果だろう。株高も円が極端に安いから、日本株は割安感があるのだろう。円安に良いことなどなにもない。ともかく為替は変動しないのが一番だろう。日銀は円の安定のためにもっと努力をすれ期だろう。どうも円安で政府が儲かるというのも困りもんだ。

 日本が安全保障で緊急事態ばかり左舷でいるのも良くない。中国を仮想敵国にして、アメリカの尻馬に乗っていることが最悪なのだ。アメリカを無視して、中国と交渉をすべきだろう。そうすれば岸田の不人気もいくらか和らぐかも知れない。

 あの頃中国に自然養鶏の交流と説明に言ったときに、中国の人から、世話するからマンションを買っておけと言われた事がある。あのとき買って投資しておけば、今時億万長者になったかも知れない。今の不動産の暴落を見れば買わないで良かったとも思える。投資には不向きだ。

 ともかく普通に暮らしている我々のような、庶民は円安の不利益だけを背負わされていることになる。ガソリンは高くなるし、食料品はかなりの値上がり、何でも値上がりをしてきている。ラーメンが1000円の時代だ。随分高いものだ。子供の頃30円だった記憶がある。

 でも、ラーメン店側ではその1000円の値段でも苦しいという。ラーメンも簡単には食べられなくなる。水彩絵の具も水彩紙も、高くなる一方だ。しかし、絵の材料だけは値段を無視して買っている。余るほどなければ絵など描けるものではない。そもそも無駄なものなのだ。

 アベが企業が良くなれば、日本人全体にその恩恵が回ってくると言っていたのは、ウソだったのだ。企業は儲かれば内部留保に回す。日本の先行きが不安だから、借金をしてまで新製品の開発をするような意欲がないのだ。先行投資がないから、経済は停滞に陥った。

 第3の矢は飛ばなかった。企業は儲かってもそれを次の製品の開発に回さなかったのだ。企業は守りに入って、現状維持にキュウキュウとしているのだ。だから儲かれば社内にため込むばかりだ。最近それでも人手不足で給与は上がり始めたが、まだ物価上昇には追いつかないので、実際は目減りだ。

 原発事故があり、本来であれば、自然エネルギーに転化するチャンスにすべきだった。そうすれば今頃は世界の自然エネルギー輸出国になれただろう。原発を取り巻く利権を温存したいがために、何も変えることが出来なかった。日本人の中に、新しいものに取り組む情熱が失われたのだ。

 生活者にとっては、円は高い方が良いに決まっている。日本が停滞したから、円安になったのだ。日本の国の経済の借金の山を見れば、円安止むなしと思わざる得ない。株価だって円安だから、海外からの投資が進んでいる。政府は確かにドルを貯め込んでいるから、円が安くなれば儲かるのだろう。

 円安で良くなることを考えてみるとすれば、外国人が日本に来やすくなることだ。外国人の体験農業など出来るのかも知れない。水牛を使う伝統農業の体験だって、やってみたくなる外国人がいるのかもしれない。日本の伝統農業を外国人にしって貰う。自給農業の重要さを外国人にも知ってもらう。

 こういう事業を始めるならば今はチャンスなのかも知れない。石垣島にも外国人が急速に増えた。そして来ている人が多様で、多分世界中から観光客が来てくれているような気がする。その意味では石垣島の経済は良い面もあるはずだ。観光や飲食に関する仕事は人手不足と言われている。

 畜産も自分で飼料生産までされている人や、放牧でやられている方は何とかなっているらしい。自給農業は安定している。肥料も自給するような、化石燃料も使わないような農業であれば、日本経済が危うくなる中でも生き抜くことが出来るだろう。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ5類移行から1年が経過

2024-05-15 04:25:23 | 暮らし


 コロナが5類に移行されて一年が経過した。この一年、コロナの爆発的な増加はなかった。しかし、無くなったわけではなく、潜在化して一定数の感染はは広げている。年寄には今でもきお付けるべき病気である事は変わりがない。でもまだ有料になったワクチンは打っては居ない。

 7000円がワクチン費用というのだが、驚いたことは以前厚労省が見積もったものは、ワクチン代3260円。接種費用3740円。あわせて、700円だったものが、ワクチン代がいきなり11600円に跳ね上がった。そのため15300円になった。なかなか高価なワクチンになってしまった。

 仕方がないので、政府が補助金を上乗せして、7000円で打てるようにすると言うことになった。なぜ3260円だったものが、11600円になるのだろうか。どこで誰が間違えたのだろうか。円安のためこういうことになったのか。製造数が激減して、製造コストが高くなったのか。

 コロナパンディミックで何が起きたのだろうか。令和4年の男性の平均寿命は 81.05年、女性の平均寿命は87.09年となり前年と比較して男は0.42年、女は0.49年下回った。平均寿命が前年を下回るのは、令和3年に続き2年連続で、下回り幅はR3年よりも拡大している。

 令和5年度も、間違いなく寿命が短くなりそうだ。コロナパンディミックで年寄の死亡が多くなったためであろう。短くなった寿命よりもさらに短くなるのだから、かなり深刻な事態と考えなければ成らない。年寄の残された10年が1年短く9年になってしまったのだ。

 コロナパンディミック四年間で2年近く寿命が減ってしまったのかも知れない。ずいぶんの逆戻りである。2年も生きる年限が短くなると言うことは、あれこれ考えも変える必要もある。福祉的予算は大分助かったはずだ。寿命がまた長くなれば、いよいよコロナが収まったと言うこととに成るのだろう。

 年寄には相変わらず深刻な感染症の流行と言える。友人にも感染した人が数名居るのだが、後遺症に苦しんでいる人が居る。鼻と呼吸器が調子が悪く、倦怠感に悩まされている。老人だから仕方がないと言うこともあるが、直接的にはコロナの影響と言える。

 年寄が早く死ぬようになったと言うことは、国の財政としては良いことなのだろう。保健や医療費の問題がいくらか先延ばしになるのだろう。しかし、それ以上に深刻な問題が、子供の方に起きている。免疫力の低下である。コロナの対応を世界中が間違えたのだ。

 子供が感染症対策をしたために、様々な病原菌を遠ざけた。そして子供時代に得るべき免疫の機会を逸した。その結果今までとは違う病気の流行が起きているのだ。プール熱やインフルエンザの流行はかつてない数になっている。さまざまなウイルスが同時に流行し、以前の流行状況のパターンと変わってきている。

 子供達は大変だが、免疫力を高める以外に対策はない。子供はウイルスが危ないから、マスクをしたり人混みを避けたりしているよりは、免疫を高めることを考える以外に対策はない。よく寝て、良く運動して、何でも食べる。家でゲームなどして居ないで、外に出て活動的な生活をする。

 老人はとことんマスクをする方が良いが、若い人は又別だ。汚いを避けてばかり居れば、一見衛生的だが、病気になりやすくなる。世界は無菌室ではない。そこそこ汚い世界の中で人間は生きるように出来ている。それが免疫力である。免疫力を得るためには菌の力が必要なのだ。

 免疫力を付けるためには体力を付けなければならない。野外を走り回れるような子供の方が免疫力が高まる。子供の体は「自然免疫」と「獲得免疫」によって、ウイルスや細菌などの病原体から守られている。自然免疫とはヒトが生まれながらにして持っている免疫システム。

 獲得免疫とは後天的に形成される免疫システム。子供はこれを獲得していかなければならない成長時代だ。免疫力の弱い子供は様々な方法で、獲得免疫を高めて行かなければならない。ヒトは生後10ヶ月頃~5歳頃までに、約300もの病原体に感染する。病原体に感染するなかで獲得免疫を強化してゆく。

  子供の身体は、抗体を作る際に重要な働きをするT細胞やB細胞などのリンパ球は、大人よりも多いい。とくに1歳~4歳までは大人の3倍もあるといわれている。その間にたくさんの病原体に感染して、抗体を得ることで獲得免疫を強化して免疫力を高めて行く。

 赤ちゃんほど病気にかかりやすいかというと、そこは旨く出来ていて、お母さんから抗体を受け継いでいる。また母乳を飲むことによっても免疫力を高めている。そのために赤ちゃんの内は病気に成りにくくなっている。これは動物一般にそうなっている。

 子供の免疫力を高めるためにはやはり食事である。多様な食事を取り、腸内細菌を増やして行くことだ。特に子供のうちに腸内細菌を増やさなければ、生涯免疫力が高めにくくなる。子供こそ、何でも食べ、腸内細菌を多様に増やして行く必要がある。

 ヨーグルトや納豆や味噌や漬物などの発酵食品、野菜や豆類などの水溶性食物繊維を含む食品、バナナや大豆などのオリゴ糖を含む食品は積極的に食べると良いのは大人と変らない。食べ物から取り入れることが重要で、子供にサプリを飲ませるなどもってのほかのことだ。

 免疫細胞の活性化には、タンパク質やビタミン、ミネラルなどの万遍ない栄養素が必要なので、これらの栄養素を含む食物を、少量多種バランス良く摂取すること。偏食やばっかり食、あるいはジャンクフードを子供時代に食べることは、弱い身体にしてしまう可能性がある。

 よく寝る。よく寝るためには良く運動をする。朝食、昼食を中心に考えて、夕食は軽めにする。体温調整能力は汗腺の数が影響している。感染の数は子供時代の生活で決まる。野外で汗をかいて運動することは、体温調整能力を高めることになる。

 子供もきれいは汚い。汚いはきれいで、泥に触れるような遊びが必要なのだ。泥の中には様々なきんがいて、免疫力を高めてくれるものもある。朝日や夕日を浴びる事は特に良いことだ。早朝、朝日の中を昆虫採集を市に行くような子供は免疫力を高めて行く。

 子供は良く発熱をするが、できる限り薬を使わないほうがいい。特に抗生物質で発熱を下げるようなことは止めた方が良い。、熱を出して免疫力を高めていると言うこともある。抗生物質は良い菌も殺してしまう。折角高まってきた免疫力を下げてしまう可能性がある。

 コロナ時代の子供達は、乳母日傘で育った箱入りの子供だ。免疫力が低く育ってしまった可能性が高い。今からでも、免疫力を高めるための暮らしをさせた方が良い。コロナ対策を世界中が間違ったのだ。老人の外出禁止だけの対策が、良かったのだ。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

環境省3分間で、発言制止は何故起きたのか。

2024-05-13 04:05:15 | 暮らし


 今月1日、水俣病の犠牲者を追悼する慰霊式のあと、患者や被害者でつくる8つの団体の代表が伊藤環境大臣と懇談する場で、団体のメンバーが国への要望などをマイクで発言している途中、環境省の職員がマイクを切ってしまった。この映像がテレビで流れた。

 悲しみと怒りがこみ上げてきた。同席した熊本県知事によるとあれはつるし上げの場だとの認識。いつまで経っても変らないのだ。人間は情けないものだ。環境省の優秀なはずの官僚が、公害の被害者に対してこんな機械的な態度を行う。この気持ちの悪い感触。上級国民。階層社会。人間の喪失。ああ、クソッタレ、、、

 熊本県の木村敬知事が10日、同席していた知事自身の対応について説明する際、紛糾した懇談の様子を「事実上、つるし上げになっていた。大臣も環境省も」と表現した。知事も患者側に立たずに、まさかの環境省目線でいるのだ。国も、市も、水俣病問題を根本から学んで欲しい。患者の苦しみに思いを寄せて貰いたい。悲しくなる。この知事や大臣には苦海浄土を読んで貰いたい。

 環境省は各団体に発言時間は3分と事前に通知していた。制限時間になったらマイクを切ると係の人が決めていたという。水俣病被害者に対して、何故こんな発想をしてしまったのだろうか。今回、2つの団体の代表が制限時間を超えたことからマイクを切られてしまった。

 8組織が、3分ずつで24分が制限時間と言うことらしい。環境大臣の気持ちを忖度して、上手く懇談を40分程度に、まとめる筋書を立てたのだろう。それが有能な官僚の役割と自覚。あくまで大臣という上の方だけを見て、考えている官僚の姿。それが出世をする心得。知事の吊るし上げだ発言を見ればよく分る。

 3分に話をまとめるなど出来るだろうか。感情が高ぶり、長くなることがある。国会の議論だって延びがちである。お年寄りに、3分だけ大臣に意見を申し上げても良いというような、発想が何故出てきたのか。この行政職員のまとめれば良いという、傲慢さが悲しくなったのだ。

 自分たちは国の環境省の役人様であると言う意識が、こんなところで出てしまったのだ。公僕とは言わないが、患者の苦しんできた歴史を考えれば、3分だけなどという発想が出てくるはずがないだろう。大臣や知事に十分の時間を取って貰うように担当者は、むしろお願いすべきだろう。たしかにそんな担当者は出世は無理なのかもしれないが。

 水俣病の歴史は長い。日本窒素肥料によって、1932年から有機水銀の垂れ流しが続いてきた結果起きた事件だ。日本の公害事件の原点とも成り、それによって、環境省が出来たとも言われているようなものである。100年近く続いた事件が、未だに全面解決には至っていないのだ。

 最初の水俣病の患者が存在したのが、昭和16年1941年まで遡ることになる。しかし、国も窒素肥料も、患者を水俣病と認めるまでに27年後の1968年になってである。この長い期間の患者の苦しみと怒りは続いたのだ。未だにその苦しみが継続しているのが水俣病の恐ろしさだ。

 水俣病問題は終わったわけではない。今も、水俣病認定を求めて裁判が行われている。裁判には様々な判決が出ているが、発病まで行かない人であっても、水銀が遠因となる健康被害は無限にあるだろう。窒素によって垂れ流された膨大な量の水銀は、地域の人全体の健康を脅かし続けてきたのだ。

 例え、水俣病と認定されたとしても、すでに発病から10年が経過している場合は、請求権が消滅されているというような判決も出ている。加えて、認定された患者以上に、その瀬戸際にいる被害者が多いはずである。こんな悲惨な公害を何十年も否定して、見逃してきた責任の大きさを、国は忘れたのだろうか。

 そして、水俣病と証明できない患者がまだ何百人もいる状態なのだ。こうした状況で、患者に寄り添うべき環境省が、水俣病患者の皆さんの問題を、忘れてしまいたい、他人事のような感覚になったのではないか。もしそんな気分がいくらかでもあるなら、環境省を辞めて他に移動してもらった方が良い。

 患者は誰を信頼し、頼れば良いのか。国ではないのか。環境省ではないのか。国は3分だけしゃべらせてやるというような、冷たい対応では、敵対するものに対するような、心ない対応になっている。この嫌な感覚がテレビの画面から伝わってきて、耐えがたかった。

 今回は報道が懇談会会場を撮影していたからこのひどさがに世界に公開された。しかし、多くの場合見えない場面で似たようなことが行われている。私も第2東名高速道路の公聴会で、時間制限で発言できなかった体験がある。

 そして行政は忖度の時代になった。出世するためには、上の顔色ばかりを見ているのだ。3分制限を企画した職員を、なんてことをするのだというような、県知事であり、環境大臣でなければならない。選挙で選ばれた人は有権者の代表であって、別段上級国民では無い。

 言いたいことを押し殺し合う人間関係。仮面対応しか不可能な社会に成りつつある。だんだん社会の感触が悪くなって行く。能力主義の結果と考えて良いのだろう。要領よく上の階層にのし上がって行く人間が、はびこり評価される時代。

 人間らしい社会が一年一年失われて行くようだ。感情を捨てロボット化すことで耐えている社会。能力差別の時代。能力がないのだから仕方がないだろうと差別され、底辺で生きろという社会。能力があるから権力を振るって良いという社会になりつつある。

 弱者はしおらしく、従えという権力の意識。確かに足をすくわれないように、慇懃無礼で卒はないが、心もない。おとなしく要領よく立ち回れば悪いようにはしない。上の方の社会にこんな空気が蔓延してきた気がして成らない。こんな社会にしたのは、アベだ。

 アベが人事で人を動かし、良いなりになる人間だけを優遇したのだ。学術会議問題も結局、人事の撤回をしない。これを曲げれば、学術会議を自由に操れないと考えているからだ。裁判官の人事で司法に圧力をかけるなど、トランプのやり方と日本も同じになってきた。

 上の方はどうももうだめそうだから、自分たちの回りだけでも、人間の社会にしたい。一人はみんなのために、みんなは一人のために。これは農協を作った人の言葉だ。戦後社会は理想主義がどこかにはあったのだ。もう一度原点に立ち返り、人間らしい社会を作ることだ。
 
 のぼたん農園がそういう物でありたい。助け合うことで暮らせる社会。弱者も強者も、能力の高い人も、能力の低いものも、変らない関係である仲間。一人が大切にされ、回りのみんなのことが配慮できるような関係性。人を責めたりしないなかま。補い合い、助け合える仲間でい無ければ成らない。

 効率など無視して良い。ゆっくりとそれぞれの早さで進むことで、食糧自給は可能なのだ。仲間が助け合えば、だれでもが食糧を自給して生きて行けるのだ。そんな自分のことだけではない場にのぼたん農園をしなければならない。心して、のぼたん農園の冒険を進んで行くつもりだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田原ジャンパー事件を思い出す

2024-05-03 04:48:51 | 暮らし

 
 小田原市職員が「HOGO NAMENNA 」などとプリントしたジャンパーを2007年から作り10年間、受給者を訪問するときなどに着用していた事件である。4,5人の人がジャンバーを着て出かける様子を見たことがあるので、何か気持ちの準備が必要な時に着ていたような気がした。

 生活保護悪撲滅チームを意味するという意味不明な「SHAT」はSWATを模したものと言われたが、何かノリが高校生のような感じだ。これを考えた人は良く知っているひとだ。とてもいい人なのだ。ただ、あの人なら悪意なく、軽い考えで仲間を盛り上げようと、そういうことをやりそうだとも思う。

 「わたしたちは正義だ。不正受給してわれわれを欺くのであれば、あえていう。そのような人はクズだ」と言う英文も書かれていたという、このアイデアは英文があった方が格好がいいというので、何か英文が必要なので、他の人が加えたのではないかと思う。

 悲しいあの事件から大分立つのだが、時々この事件を思い出す。この事件の背景にある根深い問題を、つまり差別の問題を思い出すからだ。社会もこの事件を記憶していて、時々思い出すように取り上げる人が居る。すると、つられるように、あのときの悲しさが蘇る。

 感じたのは市役所内に、部署に寄っての差別があることだ。それを分かっていたので、課長もよくは分からないが、元気が出るのであればやった方がいいと、部下からの提案を受け入れたのだと思う。考えが足りなかったのだが、悪意がなかったが、見せられる側からしたら、ひどい差事だった。私もそのジャンバーを作った話を聞きながら、気づかなかったのだから、同罪だと思う。その痛みは今でもある。

 小田原で長く養鶏をしていて、障害のある人に働いて貰って居た。生活保護を受けている人と多くの交流があった。そういうこともあって、知り合いの職員がこんなジャンパーを作ったんだと、話してくれたこともあったのだ。何が印字してあるかまで、考えなかった。

 やはり、生活保護世帯の所に行くことは、大変な仕事なのだと思えた。迂闊だったが、出掛けるときに着る服なのか程度の認識だった。やはり刃物を振るわれた事件以来、ケースワーカーとして保護者を訪ねることは、気が重いことになっていたのだ。

 友人が、路上生活者のパトロール活動をしていて、それに協力をしていた。また障害者施設での養鶏の支援をしていたので、今でもその施設とは関係が継続されている。小田原市の生活保護課の課長は、農の会の関係で友人でもあった。

 その課長を役所に夕方訊ねた時に「あんなジャンパー作ったのだけど、早くやめなければならないんだ。」とぽつりと言ったことを後から思い出した。それでも私には、何のことだからわからないかった。私がそのジャンパーは止めた方がいい、と発言するのを期待していたかもしれないとあの時何度も思い出した。

 だから、この事件が世間でセンセーショナルに、小田原の生活援護課の悪評が、あれこれ意地悪く出てきたことに、何かが違っていると感じざる得なかった。また自分が攻められて居る気もした。何かが根本的に違っている。世間というもののゆがみが、この事件に2重3重に覆っていると思わざる得なかった。

 第一に思うことは、「差別」である。私自身、生活保護を受けている友人がいて、彼が援護課職員からいじめられていると再三、主張するので相談に乗っていた。彼自身の主張する内容は、精神障害があるために、働けないで生活保護を受けていると言うことだった。

 彼は一人でアパートを借りて暮らしているが、母親は近隣の市に暮らしていて、戻ってきて欲しいと考えている。彼にはそれが出来ない。その理由も明確ではないが、障害のためだと話していた。そして問題は、生活援護課の担当の職員が家を訪ねてきて、部屋に入り込むのを、止めてくれと言うことだった。

 保護課の職員に話を聞いてみると、障害があるのかどうかの判断が難しい事例だというのだ。確かに日常は普通の問題の無い青年である。働けないような障害があるのであれば、病院で見て貰った方が良いし、病院の医師の指導や判断が貰えるのでは無いかと言うことだった。

 所が当人は病院に行きたくないというのだ。以前病院に行ったのだが、ひどい誤解をされたまま、間違った診断が行われ、薬を投与されたので、二度と行きたくないと言うことだった。たしかに、その精神科のある病院を受診した人から、問題がある病院だと他でも聞いていた。

 友人がやっていた、精神科の病院がほかにあるので、そこに行ったらどうだろうかと言うことも話したのだが、あそこはさらに悪い評判があるとのことだった。私は友人としてその病院長と接していて、むしろとても良い人なので、何故そんなことを言うのか、おかしいことだと思っていた。

 結局その辺りで行き詰まってしまった。生活援護課職員に、アポートの中を見られることが恐怖なのだそうだ。この点では病的におびえている。私が、アパートを訪ねることは可能だから、必要なチェックはさせて貰うので、何とか職員は見ないで保護を継続して貰えないかとお願いした。

 結局それは一時しのぎと言う形で、保護は継続していたし、自立のための努力もしていた。時々合うと元気そうで、仕事の方もかなり良い方向に進んでいた。しかし、またぶり返すように、問題が再燃して仕事に行かなくなり、相談を受けたのだが、私には解決をすることが出来なかった。

 私のところで働いてくれていた人が、問題を起して、結局止めて貰わなければならなくなったときに、友人の課長はその障害者の側に立ち、様々養鶏場の問題点を追求した。私としては私を信じてくれない友人に腹が立ったわけだが。その問題が事実かどうかを、障害者の側に立って確定させた。

 簡単にまとめてしまえば、小田原市の職員がこのジャンバーを作ったのは、市役所に生活保護を受けていた人が、支給を止められて、市役所の窓口に押しかけて3人に対して刃物を振るって、けがをさせた事件があってからのことだった。生活援護課職員が息苦しくなり、その気持ちを発奮させる目的で作られたジャンパーだった。

 その時にジャンパーを作るという発想は、歪んでいたのだが、何かそんな気持ちになりかねない、追い込まれたものがあったのは、私にも感じられていた。実際は小田原市の援護課の職員は、とても熱心で親身になって援護する人が多いいので、評価していたのだ。

 路上生活者の老人が、自殺をし小屋を燃やしたときには、その後遺体を心をこめて、綺麗にして納棺し、その小屋を片付け、葬儀までしたのも、職員であった。あの人たちが、あれほど一生懸命なのに、仕方がないとはいえ、舐めんなシャツで、背景も把握しないまま、ぼろくそに言われるのは援護課の職員に対する差別に思えた。
 
 差別は、保護する側にも、保護される側にも存在する。正義をかかげて小田原ジャンパーを叩く報道も、実は保護している職員を追い詰めていたのだ。もう退職したその人にも傷を残している。その周辺にいた様々にかかわり、応援していた人も居たたまれないことになった事件だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サプリメントは危険食品と考えたい。

2024-04-18 04:36:31 | 暮らし


 日本食品安全協会では、紅麹サプリ問題が起きた後、協会のウェブサイトで緊急に情報発信している。3回目のサプリ問題である。何度もで、申し訳ないが、これは以前からと手も気になっていた問題で、紅麹菌サプリ被害のこの機会に、気付いて貰いたいと思う。

「要約すれば健康食品の範疇であるが、有効成分として入っている物質の本体は医薬品である。医薬品が医薬品名で届けたらダメなのに、医薬品を含む総称名なら機能性表示食品の場合OKという事実に私は違和感がある」
「機能性表示食品には同じように医薬品を含んでいて総称名で届け出が受理されている物が他にもある」とある。

 サプリを今でも飲んでいる人は、一度協会声明を読んで欲しい。一般人の私がどれほど注意喚起したところで、サプリはなくならない。サプリが今も日本人の身体をむしばんでいる。問題はサプリ全体に存在するのであり、紅麹菌にあるのではない。

 サプリメントの国内市場規模は1兆678億円 と出ていた。金儲けのためならば、不要なものをいくらでも生産する。テレビも新聞も盛んにこんなおかしな物の広告で儲けている。健全な大企業が自らの信用を使って、サプリに進出する。背に腹は変えられないのだろうが、今に痛い目に合うだろう。

 1兆678億円という数字があまりにも大きくて実感がないが、膨大な量のサプリが飲まれていると言うことだけは分る。医薬品市場は10兆円超えと言うから、医薬品の中の飲み薬部門と比べて見れば、かなり大きな市場規模と言うことが分る。

 サプリのような危険なものがこれほど広く出回ってしまった、日本人の安全意識と日本社会が恐ろしい。と言ってサプリ先進国はアメリカだそうだ。アメリカ人ならそうかと思うが、それが日本人にまで波及してきた。日本人がアメリカ人貸しているのだろう。一人当たりで考えれば、いまでは日本人の方が飲んでいるのかも知れない。

 どれくらいの人が何らかのサプリを飲んでいるのかという調査では成人80%のの人が飲んでいるというデーターもあった。背景にあるのは健康志向と考えて良いだろう。年寄が増えて、何時までも元気に暮らしたいという思いが、サプリ市場の拡大になったと考えて間違いが無いだろう。

 病気というわけではない。市の健康診断にゆく。保健婦さんからの指導で、いくらか血圧が高いから、食事に気を付けて下さいね。など、言われるのだ。病気というほどではないのだから、お医者さんから薬を貰うのではなく、サプリを飲んでおくぐらいが丁度良いのではないかという、健康意識である。

 誰だって健康診断でこの数値が問題がある、あの数値は気をつけて下さい。など言われれば、何か健康のためにしなければと当然思う。病院で見て貰うほどでない。未病と言われる訳の分らない範疇に入れられる。そんなことを言えば、人間みんな未病だ。だから健康診断には行かない。健康自己診断である。

 全くどこも悪い所のない人間など居るわけがない。だからいつかは死ぬのだ。生きているのはそれまでの過程なのだ。膝が痛い腰が痛いは農家の年寄なら当たり前の事だ。それをだましだましやっている。そこにサプリだ。インターネットで記事を読んでいれば、何度でもサプリの広告を見せられる。

 今、ウクライナとロシアの戦争の状況を読んでいたのに、ついつい1ヶ月分無料だから、飲んでみてください。などと、割り込まれてしまう。良い兆候がなければそれでいいが、何かの加減で、いくらか痛みが和らいだら、これはまずい。今ならこの定期コース送料無料の定期購入ですという電話きっと入る。

 サプリはすべて薬と考えるべきだ。昔なら、身体を直すものは等しく薬。薬なら、効果が無ければ許可にならないが、サプリは効果が無ければ、もう少し続けている内に効果が出る可能性が高いですと言うことになる。百害あって一利なし。

 サプリで直るなら、医薬品と同じではないか。いや、これは自然由来だから心配ありません。無添加のどこにでもある草が原料です。草を発酵させたものだから安全この上ないです。そうとも言えないことが、紅麹菌で分ったでは無いか。他にだって見えないだけで、何らかの被害は必ず出ている。

 発酵では、その過程で未知の成分が出現する可能性があるのだ。もちろんそれは自分で作ったものだって同じような危険度はある。しかし、食べる量が全く違うのだ。食事から取る量なら知れている。普通の食品を身体を損なうほどの量を食べることはない。

 納豆を作って食べている。ヨーグルトを作って食べている。様々な発酵過程で何かおかしな事が起こらないとは、確かに言えない。それは紅麹菌の事件でよく分ったことだ。しかし、納豆を毎朝食べるナットウキナーゼの量など、サプリに含まれる量から言えば、桁が違う。

 それは発酵食品でなくとも、あらゆる食品が同じことだ。ごまが良ければ、ごまを食べれば良いだろう。シジミが良ければ、シジミを食べれば良いはずだ。どこか気になるところがあるならば、サプリではなく薬を選択すべきだ。

 まず病院に行き、薬を貰えば良い。そうでなかった薬局に行って薬を買えば良い。薬の方がたいていの場合、はるかに安い。日本の医療レベルは高いと思う。紅麹菌の健康被害をしてきした医師の方々は、さすがに良く気付いてくれたと思った。

 サプリを止めて、まずお医者さんに見て貰うことだ。サプリなどと言う中途半端なものが、一日500円はする。その分を食料品にかけるべきだ。良いものを少量多種食べる。それが健康の基になる。確かにサプリよりも面倒くさいかも知れないが、それだけの意味がある。


 

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経済停滞の中、暮らしはどうなるか

2024-04-16 04:01:43 | 暮らし
熱帯睡蓮のティナ

 若い人達はこれからの生活をどうしたら良いのかと、日本の長い停滞期の中で、不安だろうと思う。私が若い頃は、これからどんどん暮らしは良くなると思えたし、実際に多くの家がそうだった。そもそも大学に行くのに、自活できたのだ。フランスに行く資金も自分で貯められたのだ。50年前の日本は今よりも豊かな時代だった。

 ここ30年間徐々に時代は厳しいものになっている。若い頃にはまさか年々暮らしが厳しくなるなど思いもしなかった。それもあって自給生活に入る事ができた。自給の御陰でその厳しくなってゆく、生活の大変さの直撃を受けないで済んだ。自給が出来るようになったのが停滞の30年より前だ。食べるものが自給できれば、後はぎりぎりでも何とかなった。

 いよいよ到来の物価は値上げの春で、さらにものの価格は上がり始めた。値上げしたらものが売れなく成るという不安を企業は捨てたようだ。これからは、遠慮無くあらゆるものの値上がりして行くと見なくては成らない。それでも農産物は安いと思う。おにぎり一個のお米だけの価格は30円ぐらいだ。

 一方収入の方は、大企業や都会の給与所得者はともかく、末端の地方経済や、個人営業者まで収入が増えたわけでは無い。つまり、これからますます格差が広がって行くことは覚悟しておかなければならない。そして、格差が差別社会になって行くおそれがある。

 格差される下層の固定化が起こる。貧困に陥れば、そこから抜け出すことは厳しいことになる。問題となるのはその時の格差を受けた下層の意欲の低下である。この差別を戦って壊さなければならないという、意欲自体が削がれてしまう。すでにその兆候が社会に感じられる。

 怖い時代が近づいている。能力がないから、貧困である事も仕方がにという社会がはっきりとしてくる。すでにそんな空気が広がりつつあるように感ずる。農家になろうという人が少ないのも収入の少ない下層なのだから当然である。収入の良い企業への就職が、上の階層への登竜門になる。

 株価は4万円超えとかで、いかにも日本の経済が良いかのように見えるが、これはあだ花のようなもので、国が盛んに株を買い支えているために、おきた一時的な現象だ。日本政府が株価が下がれば、お金を増刷して株を買うだろうと、見られているから、投資家は株を買う。

 外国人投資家は危ない日本経済を承知で、円安の日本株を買っている。確かに政府は株式投資の御陰で、莫大な財政赤字にも関わらず、しのげているのかもしれない。しかし、不労所得でかろうじて成り立つような、政府がまともなわけが無い。

 日本は世界から、製造業の世界で後れを取り始めたのだ。この現実を認識しておいた方が良い。そして、当分この状況を抜け出ることは無い。日本は観光立国のような、少し製造業を国の本とする国とは違う国になるのかも知れない。日本人が変ったのだから、国柄はそれに従うことだろう。日本人は以前よりも人当たりは良くなった。犯罪も減少した。

 円安である。外国人投資家にしてみれば、日本の株は安いのだ。中国の不動産投資が怪しくなった分、日本の株に投資資金が向かってきたに過ぎない。確かに中国で不動産投資するよりは、まだ日本の企業に投資した方が良いと考えるのは当然かも知れない。

 日本で土地を買えば、安いという感覚は中国人にはあるかも知れない。マンション投資で利益を上げた中国富裕層が日本の株や土地を買うのはリスク分散と言うことだろう。しかし、日本人が株価上昇に惑わされては、まずいことになる。

 株はますます、きわどいものになっている。生活が危ういのに株式投資をするというようなことは、生活の破綻に80%ぐらいは繋がるだろう。生活を確かなものにするには、不労所得を当てにしてはだめだ。先ずは堅実に生活を立てることが、基本だ。

 このさきの日本の危うい状態を考えると、ますます、自給生活の意味が重要になっている。好きなことをして生きて行く、その根底を支える自給生活である。自給生活と言っても、グゥアム島で脱走兵生活をしていた横井さんがしていたような自給生活では無い。

 社会に認知され、むしろ歓迎される自給生活である。地方には消滅して行く集落が相次いでいる。昔は普通に暮らすことが出来た場所が、現代社会では暮らせない場所になっているのだ。人口が五万人で停滞している石垣島でも北部地域は人口が減少し、学校が閉校になっている。

 先日少し書いた、「五島市移住」などの誘致案内を読むと、しっかりと暮らして行く覚悟があれば、素晴らしい場所だと思う。例えば新上五島町では地域おこし協力隊員を5名給与25万円で募集している。この仕事で働きながら、地域で暮らしを立てる方策を見付けることが出来る。

 友人には何人かこの制度で、地方移住をした人がいる。その他の仕事でも、身体を使って働く気持ちがあれば、地方には様々な仕事がある。消滅して行く地域には、若い人を待っている仕事がある。地方には仕事が無いからと言うのは、肉体労働しかないという意味である。

 石垣島は暮らしやすいことは確かだ。年三回お米が取れる場所なのだ。100坪の土地があって、一日1時間自給のために農作業をすれば、食糧自給は出来る。ただし、助け合い、協働する気持ちが必要だ。一人の自給はかなり厳しいものになる。

 自給は一人では大変なことだ。もちろん一人でもできる人は居るだろうが、ひとり出来たならば、今度はみんなの自給にすすで欲しい。みんなの自給は一人の自給の半分の労力で可能になる。一人の自給は一日2時間の労働時間になるが、みんなの時間なら1時間で可能だ。

 いずれにしても食糧自給は農業技術次第だ。科学に基づいた、正しい技術で農業に向わなければならない。変な宗教まがいのエセ科学に惑わされないでやらなければならない。農業技術とは、誰がやっても同じに必ず再現されるものだ。分からない人は是非「あしがら農の会」か「のぼたん農園」に参加して貰えば学ぶことが出来る。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動禅体操とゆる体操とヨガ 2

2024-04-03 04:12:51 | 暮らし


 動禅体操が乞食禅状態から抜け出るためには、何かが必要な気がしてきている。ヨガのことを考えていたら、ヨガにある目的の要素が煩わしいと言うことになる。ヨガは乞食禅なのだと考えると分りやすい。乞食禅丸出しの私が書くのも何なのだが。別段ヨガに因縁を付けようと言うことではない。

 こういう乞食禅的、欲しい欲しいの浅ましい修行法は、やはり商業主義から生まれたものだろう。ヨガでも、今や禅でもカルチャーセンターである。生徒を集めるためには、先ずは効能の宣伝である。禅を行っても何かを得られるわけではない。本来の禅の修行では只管打坐である。

 ヨガにある効能が先に来る考え方は、インド哲学の要素なのではないだろうか。インド的に言えば、行動するには観念的な裏付けが必要なのだ。呼吸法に様々な尾ひれが付く。この最もらしさが、ヨガ教室が広がっている理由でもあろう。目的を持たないではヨガの世界には入れない。

 ヒーリングヨガとか、ホットヨガいう言葉を聞くと、ちょっと近づきたくはない。ヒーリングヨガとは心を癒やすヨガと言うことらしい。ホットヨガは汗をかくことで様々な効能があるヨガと言うことらしい。私が考える動禅体操とは随分と違う。

 何んの目的も無い。効能も考え無いと言いきれるものにこそ、修行の本質がある。この逆説的な考え方に、生きると言うことの意味が潜んでいる。それが中国にヨガがもたらされて、禅に変わったということだろう。無になること。目的を捨て、達成することすら忘れ、ただ座ると言うことだけがある。

 執着を無くそうという執着すら手放す。何かを目的にすることによる不純が、修行を台無しにすると言う考え方になる。修行に目的を持つと修行が歪んで行く。何かをしようとすること、あらゆる目的を放棄する。ただ、心を無にしているだけの状態を保つ。それが何かになるという事ではない。

 しかし、心が無になるという事でも無い。無になることは悟りではなく。例え無の心境に到達したとしても、無という状態になったと言うだけのことだ。それがどうしたのかと言うことになる。無が偉いのかと言うことになる。無になって何が出来るのかと言うことになる。

 悟りと言う目的すら持たないことが禅の修行。とすれば、仏教の修行が、無になることの訓練であるとすれば、修行の自己矛盾が始めから存在する。座禅といった無意味な行為をひたすら行う修行は、無になることの訓練とみなすことはできる。無になったところで何もないと言う修行の姿。

 無になろうとする訓練である限り、決して無になることはできない。禅は無をも目的化しない。無になろうという意識から抜け出す事を目的にして、矛盾しながら坐禅をする。無になるという理論は、目的論を完全に放棄している。無は目的として設定される限り自己矛盾する。

 何かややこしいことを書いているようだが、禅に於いてこの点が一番重要な分岐点であった。それで私は禅の修行が継続できなかった理由になった。愚かな私にはその無目的の意味を、受け入れることが出来なかった。どこまでも乞食禅だったのだ。

 ヨガから入れば目的のあるヨガにはまったのかも知れないが、禅寺で生まれたと言うことがあった。祖父の黒川賢宗老師は確かに僧侶としての生き方を、見せてくれたと思う。藤垈の集落からも離れた山中の寺で、自給自足の生活をしていたのだ。禅僧が何かを示すとすれば、日々の生き方だけだろう。

 禅の理論はなんの目的も設定しない。禅とは「ただ禅に生きること」である。その一瞬をどれほど深く感じて生きる事ができるか。坐禅の無目的化はそのことを意味している。「あらゆることを手放すこと」でなければ、その時に生ききる事が出来ないと言う事であろう。

 ゆる体操では体操中にあくびが出ることを「良いですねぇー。その状態ですよ。」という。心がたるんでいるような、どうでも良いような状態に成ることを大切にする。身体を緩めることで、心を緩めることに至る。多分ゆる体操の本来の姿なのであろう。緩めた心を意識的に作り、味わうという体操。この考え方はおもしろい。

 日常の緊張をゆる体操で緩めると言うことのようだ。日常を緩めるために、ゆる体操をすると言うことではないようだ。緩んだ日常を目的にすると言うのであればおもしろい。体も心も緩んだ状態を身につければ、日常の暮らしの味わい方が変る。

 緩んだ心の意味とはなんだろう。緩んでいるから事で解放されると言うこともある。緩んでいると言うことと平常心と言うことは違うのだろう。緊迫感の無い状態の日常であれば、だめなだけだろう。言葉で説明すれば、心を緩めて、無限な世界に対して開くと言うことではないか。

 緩んで当たる柔軟性。緩んで心を開いて、楽観して事に当たる。緊張して身構えて事に当たるよりも、優れていそうだ。緩んでいると言うことは、前提条件がないと言うことであり、平明に事に当たれると言うことになるだろう。身体を緩めることで心を緩める。

 動禅体操は緩んで行うことでも無い。緊張はしていないが、頑張る気持ちがいくらかある。頑張る気持ちは悪いわけでもない。健康で働ける身体ののためというような目的を持って、がんばる。動禅体操は気持ちを統一させてゆくものだ。緩めるよりは集中させるという方向だろう。

 しかし、動禅体操も緩めているものもある。スワイショウを100回行えば、身体も頭も緩む。スワイショウも力を入れる動きと、緩める動きを組み合わせると良い。膝を曲げて、腰を低く落とせば、腰の回転に力が必要になる。力を込めて回し、力を緩めて戻す。

 八段錦も、太極拳も、力を入れるところと、力を抜くところを作っている。この緩急の動きが重要になる。心拍数は上がるようであれば、すぐ休む。疲れたらどこのタイミングでも休み、また動きたくなるまで待って動く。心拍数は100よりは上がらない。そのくらいの動きが良い動きになる。

 動禅体操は緩急の体操と言うことになる。緩めるところと、緊張をするところを併せ持つ。そして常に楽なものでなければ成らない。大変だったら、楽になるまで休んで続ける。嫌になる部分や辛い部分がどこにもないのが理想とする動禅体操だ。
 
 楽しいからまたやりたい。気持ちが良いからまたやりたい。そういう気分になれる体操であれば、いつでもやりたくなる。マッサージは誰でも気持ちが良いからやって貰いたくなる。そういう体操に動禅体操が成るのが目標になる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心拍数を100より上げない動禅体操

2024-04-02 04:36:21 | 暮らし


 東洋の体操である太極拳は心拍数を上げない運動法である。太極拳は本来体操と言うよりも、精神修養法と考えた方が良いものだったはずだ。オリンピック種目にするなどおかしな事だ。西洋の運動が身体の健康を目指すものであるならば、東洋の運動は精神の健康を目指すものである。

 自分の健康を考えるときに、この2つの方法の採り入れ方を間違えないようにしている。健全な肉体に健全な精神が宿るとするのが、西洋的な考え方である。東洋の肉体に対する考え方は、精神に重きを置き、肉体を消滅させるというような考え方になる。

 不老長寿法になるための断食というような、西洋の医学から見れば不健康極まりない方法が、自然治癒力を高める健康法として取り揚げられている。小田原にも断食道場があったが、それは宗教法人が行っていた。断食は宗教における修行法になる。

 西洋流で言えば、74歳で慎重170㎝の男性であれば、一日何カロリーの食事をするのが良いと言うことになる。健康のための一般論が存在する。しかし、自分の身体健康は全く個人的な特殊解である。一般論は全く無意味なことだ。自分の精神にどんな食事が良いかは、考案しなければならないものだ。

 禅宗の食事が不健康で危険なものだからと言う理由で、アメリカの禅宗の道場で禁止されたことがある。カロリーの少なすぎる食事が健康を害するというのだ。確かに西洋の医学でみれば、禅堂の食事は偏食であり、少なすぎるものに成るだろう。普通の人が真似をすれば、栄養失調になるに違いない。

 食事も修行の一つであって、初めて成り立つものだ。心拍数を上げない暮らしなのだと思う。そもそも、仏教では午前中しか食事を取らない。身体の健康などそもそも、精神の修養のためには問題にもされない。健康のために夕飯も食べたるという薬石などという考え方では、修行は達成できないと考えられてきたのだ。

 西洋の科学的な思考法では、不健康であるはずの禅宗の修行によって、精神的な安定した心境への到達が得られる。それは、孔子の論語にある、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と言う考え方に見られるように、東洋の人間の生き方の根底にある精神重視の考え方。

 健康のために生きているのではないと言うことだろう。道を究める為に生きている。道を究める方法が、命を削るものであるとしても、かまわないという考え方。その極限の修行が、千日回峰行のようなものだろう。修行に挫折するときは死ぬときなのだ。

 道を究めることで、不老不死に至る。精神が完成されることで、死ぬことがなくなる。死ぬことがないと言うことは、健康の完成である。精神を極めることが生きて行く目的になる。しかし、千日回峰行をしたから、精神が極められるという精神は何を意味するのだろうか。苦行にはたえられないし、興味も無い。

 苦行より楽行である。やりたいことをやり尽くすことを行とする。そのことが人間や世界に繋がっていなければ嫌だ。苦行をやり遂げて、仙人になり、宗教を開き、信者にその教えを広める。そういう生き方は大嫌いだし、むしろ害があると思っている。 

 宗教というものが人間にとって良いものとはあまり思えないのだ。私自身が曹洞宗の僧侶でありながら、全くこういうことを書くのはおかしいかもしれない。しかし、宗教教団の存在が好ましくないのは、統一教会も曹洞宗もあまり変わりが無いと考えている。

 それよりもやりたいことをやり尽くすことが、世のため人のために繋がっている生き方が好きだ。楽行の先が人様に繋がっていたい。その楽行が健康にも繋がっていると考えている。心の欲するところに従えども矩を踰えず。楽しいと思うことを、精一杯やって居れば、心身健康。

 話ははずれたわけでは無く、心拍数を上げるような厳しい激しい運動は、私には良くないことなのだ。高校生の頃は陸上競技部にいた。弱い選手ではあったが、練習では日本一だと思って、厳しくやっていた。強くは成らなかったが、限界まで練習はした。

 それで、走りすぎて脚を痛めて走ることが出来なくなった。くるぶしが2つになるような瘤が出来た。これ以上走れば歩けなくなるとお医者さんに言われてしまった。身体が弱かったのだろう。それでも走って、ついに歩けなくなり、走ることは断念した。

 走ることを修行だと思ってやっていたから、かなり悔しい結果だった。受け入れるほか無いことだった。つまりだめな奴だと言うことを受け入れるしか無かった。座ることも出来ず、走ることも出来ず、どうなるのだろうかと途方に暮れた。相変わらず絵を描くことは好きだった。それで絵を描くことに逃げ込んだような気分だった。
 
 結局、やり尽くすことなく、やり遂げることはもちろん無く、何の革新も無いまま、曖昧なまま絵を描くことだけは続けてきた。絵を描くことが逃げ場だった。今だって大きくは変らない。自分の中に絵を持ち出すことで安心があるからだ。それが絵を描くこと好きと言うことなのかもしれない。

 心拍数を上げるような運動は、身体に合わない。心拍数を100より上げない、楽な静かな動きが良い。気持ちよく出来ることが最も大切である。自分の身体に聞いて確かめた、最大の心拍数は100までである。それ以上になることは身体にとって良くない。このことは自分の身体で確認して確信している。

 それは農作業がそうだ。心拍数を上げるような動きでは、長く続けることが出来ない。ゆっくり身体になじむように気持ちよく動く。心拍数が100を越えそうになったら、さらにゆっくりと動くか、休むようにする。そうすれば一日中農作業が出来る。

 一日中動いていても、疲れないような動きが理想的な動きである。百姓働きである。昔のお百姓さんはのろのろ動いていた。キビキビ急ぐようなことは無かった。のんびりのんびり空を見上げては、身体を伸ばしていた。百姓働きは休み休みである。

 動禅体操も同じである。これ以上はゆっくりは動けないぐらいゆっくりで合えば理想である。それではゆるすぎると思えば、重心をその分落とすことにする。低く動けば、動きに負荷が強くなる。ゆっくりと低くを目標にして、心拍数が上がったら、体操の途中で動きを止めれば言い。

 止めて、いくらでも休む。休んで動きたくなるのを待って、次の動きを始める。運動が終わっても、心拍数が上がっていない。疲れるどころか、十分休憩を取ったような落ち着いた状態に成るように進める。良い動禅体操の方角は、楽しく自分に合わせてである。

 具体的に書いておけば、74歳の私の場合は、心拍数が100以上になるような運動はしないことだ。農作業をしていても、時々スマートウオッチを見て、どのくらいの動きで心拍数が100になるかを確認する。田植えや稲刈りでもそうだが、100を越える状態では、むしろ身体を痛めることになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「紅麴」菌で健康被害

2024-03-28 04:30:31 | 暮らし

C放牧地

 小林製薬(大阪市)の製造した「紅麴」原料を使った製品が、相次いで自主回収される事態になった。小林製薬「紅麹コレステヘルプ」腎疾患の患者が死亡 生前に約3年間サプリを摂取 死亡との因果関係を調査 会社側26日に遺族と面談予定、現在50人が入院中。100人以上が入院。摂取との関連が疑われる死者数は計4人に増えた。 

 サプリの危険については、前から繰返し書いてきたことだ。サプリメントの中には肝臓や腎臓に負担をかけるものがあるはずだ。今回その不安が的中した。サプリばやりで、これほど沢山のサプリがあれば、危険も増加している。

 あらゆるサプリに問題が潜んでいる可能性はある。サプリには薬のような審査体制がない。サプリで済ますという安易さに問題がある。紅麹菌が良いものと考えたならば、紅麹菌を使った料理を出来るだけ食べるぐらいにしておくべきだ。

 健康に成るためには普通の食事を重視することだ。普通の食事を普通に食べる。それが健康に繋がる。普通の食事を食べることで、高血圧や高血糖にならないようにすることだ。普通の食事とは多様な食材を食べると言うことになる。好き嫌いなしに、多種少量食べる。これが食事の基本だろう。

 ともかく、サプリメントは飲むことは止めた方が良い。食品から食事ではとれない程の一つの物質を、取ることなどそもそも出来ないのだ。どれほど良いものだとしても、そんな極端なことが良い結果を生むはずが無い。当然肝臓に負担がかかるはずだ。血圧が下がっても肝臓が悪くなれば、元も子もない。

 そもそも紅麹菌が、それほど悪いわけでは無い。むしろ沖縄では長寿食の豆腐ようは紅麹菌を使っている。私も食べたことがあるが、おもしろい食べ物であった。普通に食品の色づけに使う程度であれば、問題になるほど肝臓を痛めることはあり得ない。

 すべての食品が安全で身体に良いだけではない。それぞれにいくらか問題はあるものを人間は食料にしている。人間はあらゆるものを食料にして生き延びてきた動物だ。まんべんなく色々を食べることで、欠点をつぶし合うのが良い食事だ。紅麹菌を悪者にしたところで何の解決には成らない。

 その意味で、良い食事は多様な食事と言うことになる。同時にサプリはいわば偏食を意味する。バカッカリ食どころか、普通は絶対に食べられないほどに変ったものを食べてしまうことになる。それを毎日食べるのだ。何か改善されるかもしれないが、身体に良いわけが無いだろう。

 今回の被害でも、紅麹菌を使った食品による健康被害は、今のところ出ていない。紅麹菌を利用した、小林製薬「紅麹コレステヘルプ」を飲んでいた人に健康被害が出たということのようだ。食品に利用する量と、サプリメントで飲む量では桁が違うからだと思われる。

 紅麹の「ロバスタチン」という成分にはコレステロールを低下させるとされ、そこに「シトリニン」が含まれる場合があり、基準値を設定しているということだと書かれている。 小林製薬によると、今回の報告を受けて成分を分析したところ、「シトリニン」は検出されなかった。

 一方で、「シトリニン」とは別の未知の成分の存在を示す分析結果が得られたということで、「意図しない成分が含まれている可能性が判明した」としている。つまり製造過程で、違う物質が生成され、それを飲んだために健康被害になったと言うことはあり得る。

 紅麹菌は機能性表示食品とされている。機能性に関する科学的根拠について国が製品を個別審査していない。食品メーカーが自らの責任で機能性を表示できるものである。とくほ食品は国が効能と安全性を審査して、指定されたものである。

 今回のことで、黒麹も問題だ。あるいは麹菌そのものが問題だ。風評被害が広がることが怖い。麹は素晴らしい食材である。それは紅麹でも同じだ。サプリにして大量に摂取することで、問題が起きただけで、麹菌としての利用に問題がある訳ではない。何千年食べられてきた紅麹菌に問題がある訳ではない。

 実際にコレステロールが下がるようだから、小林製薬は医薬品として研究すべきだっただろう。そうすれば、何故製造過程で、シトリニンが発現するかも調べられたはずだ。まして、不明の生成物が現われることなどまで、徹底して調べられたはずだ。

 こうした発酵食品は健康に良いという情報だけが、一人歩きしている。食べる側が、判断力を備えた上で食べるべきものだ。常に自分の身体は自分で管理しなければならない。自己管理能力が下がっていることにも問題がある。サプリを飲むなら、注意深く調べる必要がある。

 私は緑内障で目薬を2種類目に挿している。眼圧を下げる薬だ。直る訳ではない。徐々にだが、視野は狭くなってきている。そしてその眼薬は目の周りをかゆくする。眼にだけ挿すようにと言われているが、目の回りの痒さは最近ひどい。これも何か薬害なのだろう。

 しかし段々程度がひどくなるので、治す薬ならともかく、眼圧を下げて何になるのかと情けない気がしている。しかし、見えなくなれば暮らすことも相当に不便なになるから、痒さぐらい耐えなければと思うが、今度先生に相談してみよう。

 これから、老人はさらに増えてゆく。老人を対象に考えるおかしな商品も増加するだろう。良いと思う事が健康被害になるなどという事はますます増えるはずだ。老人こそインターネットをやるべきだ。インターネットで正しい情報を探す能力を高める必要がある。

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動禅体操とゆる体操とヨガ

2024-03-25 04:44:27 | 暮らし

 
 ハヤトウリが延びてきた。この向こう側に1番田んぼがあり、3m位の崖になっているので、崖を利用した懸垂造りにしたい。見た目もおもしろいかもしれない。肥料の無い場所なので、良く延びるように、少し堆肥でも入れておこう。ハヤトウリは漬物煮にすると美味しい。

 動禅体操は気持ちの良さを追求する体操である。硬くなった身体をほぐして行くことは気持ちが良いものだ。だからマッサージ店は石垣島にも沢山ある。台湾にも沢山あった。観光客はマッサージが好きなのだ。マッサージを自分でやるのが、動禅体操だと思えば一番近い。

 身体に力を込めて筋力を使う。そして緩めて、筋力を休める。この張りと緩めるを上手く動きに取り入れると、身体が気持ちが良いと感じるものだ。体操の序破急である。痛いと気持ちよいの境辺りにマッサージの良さがある。動禅体操も同じで、大変だと極楽だの間にある。

 ただ体操というものは個人差がある。私に良い体操が、人に良いとは限らない。人が良いという体操も、やってみて私には合わないものがある。良いというのでスクワットをやって、腰を悪くすると言う人は多い。万人に良いという形に体操をしてしまうと、今度はあまり役に立たない体操になる。

 ゆる体操というものがある。身体を緩めるために様々な動きをしながら、とことん緩めて行く体操である。良い発想だと思う。何年かゆる体操の教室に通ったことがある。あしがら農の会の仲間が教室を開いていたのだ。身体を緩めるというのは出来そうで出来ない動きだと知った。

 一通り動きを覚える所まではやった。しかし、忘れるところまではやらなかった。体操というものは動きを忘れて、小脳化するまでやらないと分からないから、ゆる体操は半分までで、分からないまま終わった。緩めるのは悪くはないと思ったが、緩めてどう強めるかという所が物足りなくなった。

 何故半分で終わってしまったかというと、序破急(じょはきゅう)である。緩めるだけよりも力を込めて筋肉を張ることがあって、それから緩めると気持ちが良いだろうと思ったのだ。身体の緩急である。プラス方向と、マイナス方向に、行ったり来たりすることが、身体には良いのだと思っている。

 確かにスワイショウは良いと思う。しかしスワイショウだけでは何か足りない。スワイショウだけ1時間やれば、ある種の陶酔に至る。それはそれでいいと思うのだが、却ってそこがどうも私にはついて行けない。静止がないと言うのはどうも行けない。

 静止というのは、呼吸で言えば止めているときのことだ。呼吸法では空気の吸い方と、空気の吐き方が問題にされるわけだが、もう一つ呼吸を止めるという事も考えたい。吐ききって止める。吸いきって止める。この2つは当然肺にしてみればまるで違う。

 この違いを極めるようにしてみている。口をとがらせて呼吸をすると、息を出し切ることが出来る。同じように息を吸いきることも出来る。限界まで呼吸して、止める。この休止しているときにこそ、肺の方は頑張っている。肺を鍛えるにはここが肝心。

 それは太極拳も八段錦も、気持ちよさのすべてでは無いように感じる。そこで、どうすれば楽しく気持ちよく、体操が続けられるかを求めてきたら、緩急にさらに「静止」も加えた、動禅体操に行き着いた。坐禅は静止だけで、それだから辛いばかりだ。苦行よりも遊行の方が長続きする。

 動禅体操はどこでも止められる。どこから始めても良い。すべてをゆっくりやると50分ぐらいである。寝てやる体操も加えると、全部で1時間少しだろう。そんなに毎朝体操している時間も無いから、全部やると言うことは少ない。そのくらい適当が動禅体操らしくて良い。

 強くやろうと思えば、腰を落として動けば良い。低く動けば、太極拳もきついものになる。ゆっくり動けば、またさらにきついものになる。中国の太極拳は曲芸師のような動きになっている。いかにも常人離れした不自然な動きである。不自然さは何か違う。

 当たり前の動きの中にこそ、人間の基本となる動きはある。そう考えて太極拳も、八段錦も、自分の身体に合わせて変えなければ、動禅体操には成らない。そのためにもう私のやっているのは、太極拳とも、八段錦とも、スワイショウとも言えないようなものになっている。

 何故、こうまで中国の太極拳や八段錦がおかしな動きになってしまったことには、原因がある。今の中国社会の方向が反映しているのだ。商業主義である。より目立とうという競争意識がある。人には出来ない動きに意味を求めようとした。

 本来の動きにある、当たり前のものが忽ちの間に失われた。それが一番目立つのが、動きが速くなったところにある。本来能の動きのように、静かな力を感じさせ無い重心の移動であったはずだ。ゆっくりと、重心を低く動くことに留まることが出来なくなった。

 当たり前である事、特別では無いことの中に、日常の永続性がある。日常の暮らしの中の一コマである事が、太極拳の本来の姿であったと思う。少林寺の修行の中から日常の暮らしの体操になっていったのでは無かろうか。暮らしの上質を支えるもの。

 インドからヨガが、少林寺に伝わる。中国の仏教では、ヨガから坐禅が取り出され修行の基本になる。ヨガで言う瞑想が、ストレと言うように言われる。と言うように言われる。本来のヨガとは変化したのだと思う。これもヨガが、商業化したためだろう。

 ヨガは修行の姿であり、料金を取って、指導するようなものではない。その結果日本でのヨガが観念的なものになった気がする。耐えがたいほど思わせぶりな、意味づけが伴う。ヨガに意味づけが多いのは、インド的な哲学なのだろうが、中国で仏教の禅の修行になり、東洋的な老荘思想を伴うようになる。

 観念を抜け出ることを修行の方角にする。無念無想であり、只管打坐である。結果を求めないものになる。動きに意味を考えない。目的意識を捨てる。ヨガにあったような、何かのための修行法では無く、禅そのものであるだけの無目的の修行の意味。

 意味づけを求めてしまう人間の浅はかさから、中国的な飛躍があったと思う。老荘思想のあった中国では、仙人化する人間の在り方がある。悟ることで、すべてを失う。修行の結果何でも無くなる。何にも目的を持たない修行であるからこそ、主張になるとする。ヨガからの離脱。

 ここまで書いたら続きの方が多くなってきた。もう一度書いてみる。

 
 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする