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あしがら農の会の田植え

2022-05-31 04:57:57 | あしがら農の会


 5月28日。欠ノ上田んぼの田植え。手前から2人目が私、全体で4位。まだ普通に田植えが出来る。というのは嘘で、奥の方は始めるのが遅いだけ。しかし、この通り上位3人は女性。27日は27名。28日は40名の参加。

 あしがら農の会では5月末ごろに例年田植えが行われる。地域の水の取り決めがそうなっている。今回の小田原滞在の目的の第一は田植えである。欠ノ上の田んぼでは4月20日と24日に蒔いた稲の種が苗代で元気に育っていた。その苗取りをして、5月24日と28日29日と田植えをした。面積は全体で1haぐらいの川沿いの傾斜地。

 一部直播きも試している。これが今年の一番の楽しみだった。上手くゆけば、かなり省力化できることになる。柿の下のC田んぼが直播の実験田だ。2畝ほどである。柿の下の苗代の続きに、昨年に続けて直蒔きをしてみた。4月20日に30㎝角に点蒔きをした。

 播種して5週が経過して、4.5葉期にまで成長していた。順調と言って良いのだろう。種籾は久野川に2週間ほど浸けてあった、鳩胸状態の種。ぬかるんだ田んぼで手に泥が付くので、3粒蒔きの予定がもっと多くなった。

 4月20日朝には水が抜けていなかったので、午後まで水を抜いから、線を引き、すぐ点蒔きをした。その為田んぼの土はかなりぬかるんでいた。籾は蒔きづらい状態だった。その上にその夜にそれなりに強い雨が降って、翌朝には種もみが埋もれて見えない状態になった。

 流されてしまったのか判断も良く出来なかったのだが、結果的には95%ぐらいは播種した場所に順調に発芽をしてくれた。イネはいくらか細いように見える。この後追肥が必要なので、そばかすを30日撒く。29日にコロガシを縦横を行い。生えている草をとり捕植をした。少し多く植えられたようだ。

  欠ノ上田んぼの田植えは準備が滞りなくされていて、これほど流れ良く進んだことは記憶にない。意識が極めて高く、皆さんの気持ちも田んぼに集中していた。いい田んぼを頑張るぞと集中している。欠ノ上田んぼグループは15年前にできて紆余曲折があった。私が石垣に移動して、ここまでに成長した。何か感激した。

 27日が欠ノ上田んぼの苗取りだった。ところがこの日大雨注意報が出てしまった。時間雨量45ミリの雨が降った。その為午後からの作業になった。翌日の田植えに苗取りや代かきが、ずれ込むと思った。ところが、17名の人が参加して、集中して作業をして、なんと、苗取り、代掻き、線引きと、通常1日かかる作業を午後だけでやり切った。

 苗は5葉期のかなり良いものだった。注目すべきは予備として行った、苗箱播きが理想の苗になっていたことだ。新しい試みですごいことだと思う。この苗箱播きは普通の野菜の苗箱にイネを播き、苗代に置いたものだ。苗代まで根が突き抜けていた。5.5葉期の2分げつにほぼすべてが育っていた。ともかく硬い苗になっていたところが期待できる。このやり方は他では知らない。有機農業の手植えをしている人はぜひ試してみたらったらいい。

 問題は苗土である。苗土の準備さえできれば、この方式は苗作りの理想的な方法かもしれない。苗も良いという事もあるが、雑草が全く混入しない。加えて苗取りの時間が半減する。苗土を作ることさえ努力すればとおもうが、どうなるは今後の展望の一つである。

 こうして、苗作りの新しいやり方の挑戦。直播の挑戦。こういうことが出来る所が、市民のやる田んぼの良さだ。しかもそのやり方で地域で一番の収量を、有機農業で達成している。この実践例は稲作農業を諦めている農水大臣にお知らせしたいぐらいだ。

 28日と29日が田植えの予定日だったが、28日でほぼ終わりまで進んだ。日曜日に参加者がいるので、田植えを3時で終わりにした。28日の参加者が27人だった。しかも参加者の大半が熟練していた。だから速さが際立っていた。

 来年は一日に変更しても大丈夫だ。一日目に苗箱の苗をとるのは2時間ほど。すぐ代掻きをして、線引きをする。線引きをしたところから田植えを始める。多分苗取りと3分の1の田植えは終わっているだろう。そして、2日目が残りの3分の2の田植え。予定を土曜日と日曜日にできる。

 田んぼ以外の農作業では、家の脇の大麦は倒れていたので、5月26日に刈り取りをした。午前中に刈り取ってそのまま、ハーベスターで脱穀ができた。100キロぐらいあった。2畝余りの畑なので、反収400キロぐらいあったことになる。豊作である。

 倒れた原因はあまりに土が柔らかすぎたことにあるかもしれない。ソバカスでふわふわだった。麦踏で固める必要があったかもしれない。冬の西風が明星岳おろしで極めて強い。大きな枇杷の木が何度も倒されたほどだ。西側にソルゴーでも播いて風よけが必要なのかもしれない。

 総生寺裏の大麦畑はまだ収穫には早かったので、今回は収穫は出来なかった。麦刈りをするという約束だったのに申し訳なかった。草取りだけは終わらせた。それでも今年は草は少ない方だった。毎年頑張って草取りをした成果が出ている。

 総生寺裏の畑は200キロ越えで採れるのではないだろうか。大麦としては過去最高になると思われる。あわせて300キロにはなるだろう。この麦を上手くビールにしなくては申し訳がない。先ずは、自分たちでビールづくりをしたいものだ。

 ため池上の畑の小麦はまずまずの出来だ。小麦としては今までで一番良い方かもしれない。小麦はいつも肥料不足になる。ため池上の畑はまだ土が良く出来ていないこともあり、土壌を削った部分はもう一つの出来である。
 
 ため池上の畑のタマネギはそれなりの出来である。365個は間違いなくある。目標達成。穴あきトンネルを使う方法が舟原の風の強さを防いで適している。今回トンネルは私だけが使った。30日に収穫して、石垣にいくらか持って帰る。残りは干しておいて、次に来た時に送るつもりだ。

 残念ながら、ジャガイモはまだ小さいので、収穫は遅らせるほかない。これは誰かに収穫してもらい差し上げたい。上手く栽培の日程と合わなかった。2週間小田原に来れればいいのだが、石垣の田んぼの方がどうなっているのかがある。

 溜池は池の中のカキツバタが、イグサとガマの穂に押されている。カキツバタが広がるように、完全にではないが、取り除いた。カキツバタは好調なので、秋にはさらに広げることが出来るだろう。カキツバタは私の小田原へのプレゼントだと思っている。

 今回の小田原生活も充実した農作業が出来た素晴らしいことだ。こんな風にできるのは、小田原の家を管理してくれている渡部さんのお陰だ。小田原の家は渡部さんに差し上げたものだから、渡部さんの家に泊めてもらっているようなものだ。

 何年続けられるかはわからないが、身体が動く間は小田原に来て農作業をさせて貰いたい。農の会の仲間と一緒に作業できることは、喜びである。石垣でのぼたん農園を作る原動力になっている。こういう農の活動が未来の日本の希望になる。
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ルッキズム(外見至上主義)に含まれている何か。

2022-05-30 04:03:42 | Peace Cafe


 最近ルッキズム(外見至上主義)批判が注目された。維新の会の石井章氏が候補者を顔で選べば維新党の女性議員が選ばれると発言してしまい。撤回し謝罪した。その栃木選挙区は女性議員が5名もいて、そんな冗談が言いたくなったのだろう。悪気はなかったと思うが、議員の発言としてはさすがにまずい。

 その並んだ女性候補者の写真がネットにでていた。ついそんな目で見た。維新じゃなくて、NHK党だと思ってしまった。そんな話じゃないのについそういう見方をしてしまう情けなさが私の中にもある。すべての人間に生まれついてあるのだろうと思う。その選択眼は石井議員と私とでは違うように、それぞれなのだが。

 女性の写真が並んでいると、ミスコンではないがそういう見方が普通にある。普通にあっては成らないことなのだが、人間の心の中にはそういう否定できない基準がある。すぐに誤解される書き方だが、人間はある意味、始末の悪い情けないものだ。

 外見主義というのも差別の一つである。悪いものをないがしろにするのも、良いものをもてはやすのも、同じ差別なのだ。そもそも生物は生存のために、そうした選択をしてきた。角の長さや、身体が大きいとか。生き残るための選抜がある。

 エレファントマンを見て、怖いと思っては成らないのだが、やはり怖いと感じてしまう感性が、普通の人間である。問題は努力して怖いと思う自分を克服して、相手に悟られないだけの態度がとれるかだと思う。超美人を見たときだって同じ事だと思う。それでこちらの態度が変わってしまい、その変化が看取られてしまうようでは未熟である。

 実はこの問題はそう簡単な問題じゃない。ルッキズムは差別主義で良くないぐらいの分析では無意味である。これから深刻化する問題である。たぶん社会では容姿差別が強まってきているのかも知れない。容姿を社会に必要な能力の一部とみるように成っている。

 政治家は別段女性だけでなく、男性の場合見た目の貫禄が重要視される傾向がある。容姿と同時に家柄という物も入り込む。つまり努力でどうにもならないもので選択されている傾向が出てきている。封建社会の身分家柄とは違った意味で、感じの悪い社会の傾向が強くなり始めている。

 どんな社会がそういう社会なのかというと分りやすいの先進国が韓国社会である。美容整形が普通に広がっている社会。韓国ドラマは主人公は美男美女で出来ている。そこがつまらないのだが、日本でも案外に人気が高い。世界中で販売されているらしい。中国ドラマの方が私にはおもしろい。中国のドラマは韓国とは違い、現実の人間が表現されている。

 建前でどうこう言ったところで、容姿差別が存在する以上整形した方が有利に決まっているという韓国社会。だんだん日本もそうなってきたと言うことかもしれない。韓国社会は熾烈な学歴社会と言われている。学歴と容姿も似たような物なのだろう。よい就職や良い結婚が出来るためには、そうした要素が大きい社会。

 人間の魅力は生まれつきの容姿と言うようなものは、実はほとんど意味をなさない。私がいささか貧相な人間だからそういうやせ我慢を言うわけではない。人間はその内容と活力が姿に現われている。それは単純な容姿と言われるような見た目などどうでも良くなるほどのものになる。

 人種差別や性差別は、明らかに悪い事なのに、なくならないどころか広がっている。見た目で社会的な損得が分かれるルッキズムも、くだらないものだが社会はそれで動いている部分がある。見た目を鼻にかけるというのは最悪なわけだが、鼻にかけているとしか思えない人が、案外に受け入れられている社会。回りがそれで動く部分は目立ってきている気がする。

 家柄や資産の有無で利害が分かれる社会の構造は、このところはっきりとしてきた。能力と相違した物が関連する社会である。資産家の家庭の方が偏差値が高い大学に行く人が多くなる。社会の階層化が進んでいる結果だろう。これを変な意味で突破するのがルッキズムとも言えるのではないか。

 つまり、不平等はどんな場面でも出現する。ルッキズムがもたらす不平等など、美醜には絶対的基準などないし、容姿には階級など存在しないから、まだまだ罪が軽いと言える。そんな状況下、階級が固定化されてくる中で、韓国の美容整形は盛んになったのではないか。

 人間の感じる能力の違いは生まれ育ちの影響が大きい。伝統芸能の役者の世界は氏素性や育ちが見た目に影響してくる。その高低に従って、容姿にも面白い顔や魅力的な顔の役者世界の基準がある。整っているがつまらない顔、否むしろ煩わしい顔も生まれてくる。目鼻立ちが整っていてもつまらない顔もままある。

 ルッキズムの問題の根本には実は能力主義が存在することを見逃しては成らない。見た目ではなく能力で判断してくれと主張すれば正義なのか。ところがそうではない。能力は何のための能力であるかが問題である。政治家の選択は政策である。自分が望む政策に誰が一番近いかで有権者は投票すべきなのだ。マニュフェスト選挙。その人間よりも、政策が重要である。ある意味民主主義は雁首でいい。

 そもそもすべてにおいて、人間を選択などしてはいけない。選んではいけないのだ。それぞれが生きるという意味で、見た目も能力も関係ない社会にしなければならない。分かりにくいのだが、人間は差別をするものだが、差別は悪いもので、克服しなければならないものだという意識を不断の努力をして持たなければならない。

 能力主義の問題が解決されない限り、ルッキズムなど些細な問題だし、解決などされない。能力があるから、役に立つから、社会で働けると言うことはある。社会で役に立つ人はそれでいいし、社会で余り役に立たない人もそれなりでいいという社会でなければ。

 人間が生きるという権利には能力差もない。もちろん容姿の差もない。容姿は分りやすいからそのことで言えば、容姿が良いために選挙に勝つのかも知れない。しかし、問題は選挙に勝利して何をやるかの方だろう。選挙の勝利者が生きることの勝利者ではない。アベ氏のようにすべてがそろっていたかも知れないが、日本をだめにした張本人として今後の歴史に残る人もいる。

 議員が名誉職になっていることが問題なのだ。主張があり、その主張で選挙で選ばれ、その主張の実現のために行動する。当たり前のこのことが、ないがしろにされている。少なくとも維新の会では能力以前に見た目が重視されている傾向は感じる。それが石井議員の発言に表現されてしまった。その維新の会が最近の選挙では評判が良いらしい。見逃せない日本の危機だ。

 民主主義は市民社会の成熟度が問われる。日本の社会も貧困から脱し、だんだんに人間の質が良くなるのだろうと思っていたが、新しい格差貧困が生まれ、社会が劣化を始めている。むしろ未熟社会が出現しているようだ。その現れが拝金主義であり、ルッキズムであろう。そして維新の会のような、ポピュラリズム。トランプ主義。すべては繋がっている。

 残念ながら、この先差別は強まってゆくと考えなければならない。差別社会では気付かず差別してしまうはずだ。私自身が差別を行っていることはきっとあるのだろう。先ずは、注意深く自らを直してゆくことが必要だと思う。誰にも差別がある。残念ながら人間はそういうものである。この自覚はますます重要だと思う。

 次の社会は能力主義をどのように克服できるかが課題になる。どんな社会が来るのか、差別の強い階級社会が進むのか。今がその大切な状況にあるような気がする。
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第110回 水彩画 日曜展示

2022-05-29 04:01:33 | 水彩画
第110回 水彩画 日曜展示

今回も大きさは中判全紙である。中判全紙にも色々の大きさがあるのだが、私の使う中判全紙は25号のP位である。






743「箱根駒ヶ岳」
2022.5








744「白樺湖」
2022.5







745「渓流」
2022.5








746「楽観園」
2022.5







747「田ノ原湿原」
2022.5








748「角館サクラ堤」
2022.5






749「残雪サクラ」
2022.5









750「信濃川河川敷畑」
2022.5








751「崖の道」
2022.5







752「クラインガルテン」
2022.5


 自己判断では調子よく描いている。絵が良いのかというような意味では、自己判断は難しいが、どこかはっきりしてきた物があるような気がしている。今のやり方で続けて行くつもりだ。

 石垣島と小田原を行き来しながら、絵を描いて行く。小田原には月末を中心に1週間と言うことになる。小田原にいるときにも絵を少しでも描こうと思っている。小田原で描く絵は又違うからだ。まわりの環境で絵が変わる。やはり小田原で描く絵は長年見てきた色彩である。その色彩と、石垣島の色彩の違いは絵に刺激を与えてくれている。

 あと5年くらいこんな風に続けることができれば、少し画面の上に現れ、見えてくる物があるだろう。余りあわてないことだ。あわてないで確実に、長く続けること。わずかでいいので、前に進んで行く。今の調子で進みたいと思う。
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東京国立博物館の琉球展

2022-05-28 04:06:12 | 石垣島


 今回の小田原滞在では、東京国立博物館の琉球展は是非とも見たいと考えていた。水彩人の会議が3時40分に終わったので、地下鉄の京橋の駅に走って行って、上野の博物館に4時20分についた。閉館迄40分だけ見ることができた。私の中の琉球国がかなり具体化した。

 初めて見るというものは少なかったが、まとめてみることができたという事はとても良かった。琉球国というたぐいまれな、武力ではなく文化によって国を治めていた国があった事が幻想ではなく、確かにあったのだという事を事物を通して感じることができた。武力を持てなかった国の平和主義が、文化国家である。

 琉球国の平和主義は、危機が高まっている世界に示してゆくべき文化である。文化の高さを示すことで、国の統一をはかり、周辺国の尊重を得る。これほどおいしいお酒があり、洗練された琉球舞踊に、三線の音楽。日本や中国の外交団を接待して、平和を維持した。

 この琉球展は「沖縄復帰50年記念展」という添え書きがある。復帰50年の表記には違和感がある。琉球国は江戸時代までは独立国家である。1879年琉球処分というものがあり、一方的に日本に併合された独立国家なのだ。琉球国は国家として、450年あるいは500年の歴史を持っている。日本国の支配により、1903年になり、宮古八重山の人頭税はやっと廃止されたぐらい、別の独立した領域なのだ。

 展示品で圧倒的なものはやはり数多くの織物である。琉球の文化を考える上で重要な遺物はやはり織物になる。これは琉球弧全体に広がっているものだ。苧麻、芭蕉、絹、木綿、そして琉球藍による多様な色調の染色。そして紅型の明るい色彩。23もの国宝の衣装が図録にはあるが、残念なことに展示は一部づつの展示のようだ。出来れば琉球の衣装展として、まとめて展示する機会が必要だと思う。そうすれば、琉球の織物が世界でも最高水準であったことが見えてくるはずだ。

 事物ではなく、舞踊や音楽文化は極めて高度なものが別に存在し。むしろそれが琉球文化の根幹をなしている。琉球国の姿がそこに浮かび上がる。これを併設して、映像でも良いので表現すべきだったのではないか。ともかく展示物としては織物である。

 緻密で高度な織の技術と琉球独特の意匠感覚には改めて感動を覚えた。宮古上布の、あの極限に薄い布におられた文様は神秘すら感じた。あでやかな色彩と、極めて地味な色調。両極のものが違和感なくリュウキュウなのだ。日本本土にもすごい織物はあるのだが、琉球の織物はそれ以上のもので最高級のものとして世界に誇れるものだ。

 織物は現代にも通ずるもので、宮古上布と呼ばれる布は特に素晴らしい。苧麻を用いて織られていて、その極細の繊維を紡ぐ技術は卓越している。紡ぐ糸は強く、細くよられる。その模様の絣の細やかさは極限ともいえる。琉球藍で繰り返し染めることで糸の濃度が巧みに変化させられている。以前小さな古切れ布を宮古で購入したことがあるが、見飽きることがない。

 日本民芸館にあるもの。沖縄県の歴史博物館にあるもの。この両者が揃ってみられたことは有難かった。さらにノロの衣装の蝶のパッチワークには度肝を抜かれた。これは凄い。ある意味アナーキーである。アングラ的な印象である。



 「ハビラハギギン」19世紀の物。蝶の形の布を継ぎ接ぎした着物。祭祀であるノロの衣装である。蝶を天の使いとしていたと言われる。東京国立博物館所蔵のもので初めて私は見た。これを上着として、下には巻きスカートのような白いひだの多いものをまとう。

 これはまさに琉球文化の特徴をいかんなく発揮している。この感覚の高さは日本本土の水準を超えていると思った。洗練された土俗とでもいうのだろうか。前衛舞踏の衣装と言っても全く不自然さがなく、しかもそれが天空的美に包まれている。

 沖縄に飛び交う蝶を神の使いとして、3角の布に移す。蝶を張り合わせて、身にまとう。そしてノロが化身となる。優雅であり、土俗である。そして洗練かつ大胆。琉球文化にあるこの幅ある揺れ。このことは文化の突破になる。大いに絵を描くうえでも学ばせていただいた。

 もう一つ驚かされたものは中国明の皇帝から文章である。弘治帝勅諭というものらしいが、1487年とある。景泰帝勅諭1454年これは見れなかったが。この勅諭の文字の素晴らしさである。何という威厳があり、美しい文字であろうかと思う。中国が文字の文化の国であり、外交文章としての必要不可欠な、立派な文字である。

 一方残念なことに琉球国の絵画はダメだ。沖縄らしい絵画というものがない。宮廷絵画の花鳥画は詰まらない。中国の花鳥画を模写しただけのものだ。屏風や巻物の絵も残念なものである。何故、文様や意匠は素晴らしいものを作り出したにもかかわらず。絵画は平凡で陳腐なのか。これは現代にも続いていて、沖縄文化は工芸品に優れていて、芸術作品としては個性に乏しいと思う。

 今回、焼き物では八重山の新城島出土という土器はすばらしい。パナリ焼きという。そもそもは水がめである。そののち仙骨後の骨を治める壺として使われたもの。形の素朴さと肌合いの美しさはなかなかのものだ。シャモットとしてサンゴ砂が混ぜられている。
 
 そのほか驚いたのが黄天目茶碗の小堀遠州が持っていたものの展示。この茶碗はかなりすごいものだ。国宝級である。これが何故琉球なのかはよくわからないが。中国で焼かれたもののように見えたが。どういうことか、良く分からなかった。

 もしこんな完成度の高い天目が琉球にあったとすれば驚く。良く図録を読んだらやはり中国のものだ。展示が琉球の物かのように見えてしまう。誤解した人もいるかもしれない。小堀遠州が琉球から来た茶碗の台を組み合わせたというが、もし本当であれば感覚がおかしいとしか思えなかった。あの茶碗の素朴な魅力に添え物は邪魔だ。

 文化という意味では沖縄は中国からの影響と日本からの影響を受けながら、琉球国で育まれた生活の中から産まれた、色彩の感覚と、形象的な造形意識を衣服というものに昇華させた。15世紀に中国に流れ着いた漁民の衣服を見た地方の役人が、東に高度な文化人がいると驚いて政府に届け出た記録が残っている。
 
 沖縄返還50周年に合わせて開かれたこの展覧会が、実は沖縄が返還されたのは沖縄へであり、琉球国へである。日本への返還ではなかったことを証明するための展覧会のように見えた。琉球は琉球であり、琉球国である。独立の国家と言ってよい、見事に一つの文化を形成している。

 ところが、国の認識では復帰である。一体琉球国は日本に復帰するのだろうか。確かに日本国は琉球国を隷属させた。しかし、あくまで独立国家としての琉球国が存在したことは歴史的事実である。それは戦後まで意識としては沖縄でも、本土の日本人にもその意識は継続していた。それが戦時中も沖縄差別が悲惨な沖縄戦になり、その後の米軍基地の沖縄偏重に繋がっている。

 戦争で悲惨に踏みにじられ、そのままアメリカの統治である。ある意味沖縄県は日本になって50年と考えた方が、実態に即した歴史認識になるのかもしれない。沖縄県が日本になって50年展というのが正確な表現かもしれない。
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身体を見ることの重要性

2022-05-27 04:08:27 | 暮らし

 
 自分の身体は自分で見なければならない。身体の声を聞かなければならない。お医者さんに見ていただいても、どれほどの医療機械を利用しても身体の声を聞けるのは先ずは自分である。自分の身体の中を自分が感じて、表現する練習を行う必要がある。

 痛いと言っても様々である。チクチク、刺すような、焼けるような、しくしく、脈打つようなズキズキ、ピリピリ。ずーんと鈍い痛み、締め付けるような、鈍痛、錐で刺すような。電気が走るような。しびれるような。重たい感じ。

 身体には痛みの違いを認識できる感覚がある。その痛みを言葉化する訓練も必要である。人間良く出来ていて、強い痛みは記憶から抜けるように出来ている。これらの痛みははあくまで学習して自覚できるだけのことだ。小さな子供はただ痛い、痛いだけである。

 痛みの違いを学習して表現できるようになる。体験したことの無い痛みであれば、それがどんな痛みかを表現することは難しい。しかも痛みというのは余りに強いと、忘れるように出来ている。何時までも覚えていれば耐えきれないからだ。

 痛みだけ出ない。自分の身体からの信号は実に様々である。これをいち早く察知することが、自分の身体を守ることが必要になる。特別なことがあったのではないが、何かおかしいと急に予感がして、病院に行き深刻な病気が発見されたという話は、時々聞く。

 何かがいつもと違うということで、病院に行ったこともない人が病院に行く。この予兆を聞けるかどうかは重要である。いつも自分の体に気をくばり、通常がどういう感じかを把握しているからこそ、何かが違うという予感がすることになる。

 この頃とかく熱を測る機会がある。あちこちの入口に温度計が備えてあるからだ。あれは実に良い。あれで私の平熱が36.5度である事が分かった。ほとんどの場合がどこで計っても36.5度である。実に安定している。体温計の狂いが分かるのでは無いか。と思うほどである。

 しかし、本来朝と夜では体温は違うはずだ。寝ているときが低くて起きれば高くなるらしい。しかも、直腸で計れば、37度以上あるはずだ。おでこならば36.5度。大切なことは自分が体調が良いときの体温を知っておくことだろう。

 体重も計るのも好きな方だろう。55キロを越えたならば、夜酒を飲まないことにしているので、最低夕方一回は計る。以前は朝も風呂に入り必ず計っていた。朝の方が体重も低い。朝動禅体操をするときは汗をひどく掻くので、着替えるついでに風呂に入る。

 毎日二回体組成計で計測する。血圧計で血圧も測る。腕時計にある様々な数値も時々チェックを入れている。その数値が正しいかどうかよりも変化を見ている。変化すれば何か原因がある。いままで特別不安になるような変化は無い。

 自分の身体のことをよく感じなければならないと考えている。八段錦をやりながら、その日の自分の身体のことを確認している。呼吸が浅くなっていないか。動きの悪い部分はないか。どこか変調個所はないか、身体の隅々まで感じてみる。

 最後の爪先立ちでは心のチェックをしている。心に気がかりなことがあると、この時に分かる。心を平静に保つように、鎮めるような努力をする。多くの病は心から始まる。気持ちが強く安定していれば、病を退散させることが出来る。

 動禅体操は身体を内観し、健全に保つために役立つ。継続するのは難しいことだが、続けるだけの価値がある。歳をとって、身体が衰え始めてからそういうことに実感が出てきた。遅いと言うことはない。生きている内に気付いただけ良かったと思っている。

 具体的な身体の見方である。身体の隅々までゆっくりと内観する。足の指から始めて、身体の各部署を感じてみる。そして内蔵も感じてみる。内臓は何も感じないのだが、お腹が重いというようなことはある。胃はどうか。腸はどんな具合か。気管支、肺は気持ちよく機能しているか。

 この辺はなんとなく感じることが出来るだろう。膵臓はどうかとか、肝臓はどうかとかは分からない。それでも分からないなりに身体の中に変調はないかは感じるように努力をする。もしかしたら変調を感じられることがあるかも知れない。

 一通り自分の感覚で自分の身体をたどる。この習慣は案外に大事だと思っている。動禅体操のなかでそれぞれの動きと組み合わせて感じるようにしておくと良い。内臓を感じやすい動きというものもあるので、それに合わせて自分にあったように八段錦の中で内観をしている。

 1段は全身の調和。2段では手足。3段では腸の状態。4段は首と背中。5段では胃。6段が肺。7段では活力。8段では心と頭。これは私の場合で人それぞれだろう。なんとなくそうなってきた。8段錦は呼吸法なのだが、同時に内観が出来る動きでもある。8段錦は素晴らしい体操である。

 すべて段での見方が、私なりにある。1段は大きな呼吸である。深呼吸をしながら、身体全体の調和を確かめている。何かゆがみがあれば、咳が出る。身体に充実と調和があると、落ち着いてできるだけゆっくり呼吸を限界まで行う事ができる。
 
 8段では心と頭の確認である。この爪先立ちは心に乱れがあれば、身体がゆれてしまい眼を閉じて200数えるまで、爪先立ちを続けることは出来ない。私は200で丁度良いようだが、300の人も居るかもしれない。頭が働いてしまうと身体はゆれてしまう。

 すべての運動が終わるときに立禅を行う。この時に呼吸をしながら身体の中を浄化する。呼吸ですべてを、特に脳の中を洗い流す。だから立禅は行う長さを決めないで、ゆっくり呼吸で洗い流しながら、充分に邪気を払いつくすまで行う。おおよそ10呼吸で終わる。

 身体を見て、感じることはなかなか難しい。難しいことでも繰り返している内に案外出来るようになる。これが日課という物だと思う。毎朝日課を行うと、自信を持ってその一日を行うことが出来る。今日も元気で一日を生きることの確認。
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ネットのサプリ広告

2022-05-26 04:22:13 | 暮らし

 のぼたん農園の5枚のたんぼ。わずかにその向こう側にある5枚も見えている。

 ネットを開くと毎日サプリの広告が現われる。だいたいがお年寄り向けである。たぶん私が72歳のサプリ広告ターゲットであると言うことが、把握されているのだろう。これが15,6歳の若者のネット広告なら、きっと学習塾とかゲームソフトとかが現われるのだろう。

 このように個人情報はかなりの範囲で把握されている。悪用もされているのだろう。ネット広告は何ともうるさくて、記事を読むのに邪魔になるばかりである。記事がただで読めるのは、このうるさい広告に慣れる必要がある訳で仕方がない。最近のネット広告は実に巧妙になっている。一番クリックしやすいところに仕込まれたクリックボタンがある。

 例えば上下移動のスライドバーのすぐ脇に誘導のクリックがある。つい目の悪い年寄は間違って押すことになる。するとびっくりの所に飛んで行く。たぶんこれで1円くらいになるのだろう。まずは広告を消す方法を間違えないことだ。大きな×印が目立つようにあるので、これを押せば消えると思いきや、広告のホームページに飛ぶという仕掛けもある。

 今度はそこから戻ろうにも戻れないように出来ていたりして、ついには戻るべき記事まで消してしまうと言うことになる。最初からやり直しさせれば成功なのだ。ネットの要領が、いつまで経っても把握できていない。というか、広告主は次々新たな手を打ってくる。読みたいホームページがこの広告収入で運営されていると思えば、我慢するほかないのか。

 テレビのコマーシャルと同じである。良いところで腹が立つが、我慢するほかない。我慢しないならNHKのように高額の見る為の費用を払わなければならない。そういう仕組みの社会が資本主義社会である。問題は半強制的に費用を取られるNHK方式が許されるのか。見たくもないのに突然広告が出現するネット方式が許されるのかである。

 前段が長くなりすぎた、書きたかったのはサプリメントのことである。年寄は膝が痛いとか、眠れないとか、白髪になる。そういう前提なのだろう。最近は発酵系のものが目立つ。意識して読まないようにしているので、内容は良くは分からないが、非医薬品の健康食品系が多い。結構な大企業の名前が付いているものが多い。

 企業の信用でそうインチキではないサプリであると強調されている。私はすべてのサプリが有害だと考えている。もちろん飲まない。基本薬嫌いだし、薬は効果があるが、害もあると考えている。サプリは医薬品ではないので、効果も少ないが、害の方は調査が不足しているから、薬以上に害があるのだろうと思っている。

 サプリの害は偏食のような物だと思っている。どんなに良い物も取り過ぎは良くない。普通なら食べれないほどの偏った物が身体に入るのだ。良いことも無いとは言えないが、悪い事の方がはるかに多く起こるに違いない。

 良い食事をとることが重要である。納豆菌を使った何とか。乳酸菌を使った何とか。それを食事でとる事が大切なのだ。納豆が身体に良いからと言って、毎日納豆を100も食べればおかしくなる。ヨーグルトを毎日10リットル飲めばおかしな身体になる。

 何でも偏りは良くない。普通の食事でとれるぐらいの量が身体に丁度良く出来ている。過ぎたるは及ばざるのごとし。サプリで特定の物質を飲んでしまえば、もしかしたらキャベツを毎日10個食べていることになるかも知れない。人間は草食動物ではないのだ。

 身体にひどい変調があるのであれば、病院に行く方が良い。白髪ぐらいならどうでも言い。サプリでカツカツに痛みが緩和され維持さてしまえば、取り返しの付かないほどひどいことになるかも知れない。すべての変調には原因がある。大病の予兆である事もある。

 変調をまず、自ら内観することだ。眠れないなら、その原因を暮らしで取り除くことが一番だ。それが出来なければ薬で眠れるようになることは、さらなる変調を生むことになる。睡眠薬は嫌だから、サプリならと言うのは危険な考え方だ。

 眠れないくらいだから、その原因は簡単には取り除けないのだろう。睡眠薬を病院で貰う方がまだ間違いが少ない。サプリぐらいで済ました方が無難と思うかも知れないが、そんなことはない。病院では睡眠薬が必要な状態かどうかを判断してくれる。その結果を見て、その後の処方が変わるはずだ。

 私がサプリの中で一番引っかかりそうな物が野草酵素である。これは自分で作ろうとしたことあるからだ。10数年前そういう物が流行始めた。そのタイミングで原発事故で放射能汚染があった。野草酵素どころではなくなった。周辺にある野草のすべてが放射能汚染された。これをわざわざ集めるほどひどいことはないのでやめた。

 それでも買うことはない。高すぎる。必要ならば、寒いところの野草よりも、石垣島の野草でやる方が良いだろう。身土不二である。しかし野草というのは実に様々な物がある。大抵の物が良いものであるが、悪いものが無いとは言えない。だから野草は野草で、普通の野菜にならなかった。

 石垣島は薬になる野草の島と言われている。そういう昔からあるものなら良いかも知れない。しかし、実際の石垣島の野草は帰化植物が大半である。こういうものを集めて良いのかという点が気になる。もう身土不二など言えない時代なのかも知れない。

 現実的な不安はサプリは肝臓に負担をかけるだろうと思っている。お酒を飲み過ぎれば肝臓が限界を超える。アルコールを無害化して排出する役目を肝臓がしているのだ。同じように様々な物質は肝臓で処理されている。サプリに特殊な成分が多く含まれていれば、無害化して取り除いてくれるのは肝臓だろう。

 肝臓は化学反応を短時間で行なう。アルコールは肝臓で分解・吸収され、中性脂肪などに変えられる。これが過ぎると身体を壊すことになる。不要な分は、炭酸ガスと水になって体外に排出される。アルコール以外の物質も肝臓で処理される。極端な物が大量に肝臓で処理され続けることはアルコールでなくとも問題が起きる。

 サプリには偏った物が普通の食品以上に含まれている。たぶんお酒と同じくらいだと思っている。お酒に適量があるように、食品にも適量がある。サプリは適量を超えているのものだろうから、肝臓には負担がかかる可能性がある。

 肝臓は痛めてしまえば取り返しの付かない臓器らしい。死ぬまで大切に使わなければならない。一年でも長生きしたいなら、肝臓を痛めない生活が大切になる。そうすると肝臓のサプリが登場する。これが良くないのだ。肝臓が弱体化して人は衰弱するようにみえる。犬や猫を見て思うところであるのだが。

 そして、サプリの欠点はそこそこ効果があるだろう事だ。効果がないなら止めるから問題が無くなるのだが、いくらかでも効果があれば、継続してしまう。そして原因である生活の問題点を見逃してしまう。健康に長生きするためには様々な身体の変調に気付いて、生活を見直すことだ。

 
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与那国島に台湾村構想

2022-05-25 04:21:58 | 石垣島
のぼたん園の見学者

 在沖縄郷友会有志によって与那国島に「台湾村」を作る準備会が立ち上げられた。その目的の一つに移住希望者への土地の提供だと書かれている。可能性のある魅力的な計画である。若い頃ならばすぐにでも与那国島に移住しただろう。さすがに今からでは残念ながら無理だ。

 その趣意書では、台湾の商人の与那国島への進出の支援をするとある。文化、教育、ビジネスでの台湾との交流拡大。そして、与那国台湾航路の復活。台湾観光客の西表、石垣、那覇への渡航拠点としての与那国島の充実を計るとある。いずれも出来れば素晴らしいことになるだろう。

 与那国島の人口減少に歯止めをかけ、将来の目標を3000人を目指すとしている。台湾村に提供する土地は4万9000平方メートルの土地を想定して、地権者に呼びかけている。又、台湾有事に置いては台湾から与那国への疎開も想定しているという。

 この計画は夢があって良い。しかし、実際を考えてみると、実現はなかなか難しいものがありそうだ。台湾からの観光客が与那国島に来る魅力をどのように造り出すかである。現状では台湾人が台湾村を観光することは無い気がする。日本の観光客が与那国に行き、台湾村の観光をすると言うことが考えられる。

 与那国島の観光客の現状はコロナ前一年36,323人とある。つまり土日で200人くらいである。半分の100人が台湾村に行き買い物をしたとしても、賑わいの創出はむずかしい。新しい商売が成り立つことはかなり難しとかんがえていいのだろう。

 このままでは台湾から出店があるとも思われない。残念ながら、現状の観光客を当てにした台湾村は難しいようだ。台湾の人が気軽に行きたくなる外国の島。台湾の人にしてみれば、日本の離島与那国島は行ってみたい魅力があるはずだ。又それだけの魅力もある。

 日本の観光客は与那国島の台湾村より、台湾の方へ惹かれてしまう。どうもその辺りが難しすぎる。一番の可能性は台湾から船での観光が気楽に出来る条件が可能かである。問題は船や港湾である。距離的には台湾とは、約111kmの距離 。石垣島から約127km 。

 与那国と石垣の間には週二便のフェリー航路がある。4時間である。3550円。石垣からの飛行機だと1日三便あって8400円。与那国那覇間には一日一便が就航している。21640円。これを見ると台湾から1万円以内で飛行機があればと思うのだが。

 問題は台湾と与那国の間をどのように結ぶ事ができるのかである。ここに成否がかかっている。船便を考えた場合、台湾与那国の間の海は荒れることが多いという問題もあるようだ。台湾からの大型フェリーが与那国島に立ち寄るためには、港湾の規模の問題があり難しい。

 石垣との定期船が可能なのだから、台湾との間に週2便でも定期船が運航されれば、状況が変わるかもしれない。採算がとれるかと言うと現状では難しいだろう。台湾観光客の関税の免除とか、何か特別立法による政府の支援がなければ、成立しないだろう。

 このように考えてみると、台湾村が実現するためには、様々な仕掛けが必要と思われる。良い仕掛けを思いつく能力はないのだが、台湾観光客向けの教室はどうだろうか。台湾に行ったときに、一日台湾語教室があればと思ったのだ。日本語がしゃべれる先生が、台湾観光のための語学教室をやってくれると良いと思った。

 石垣島には中国語教室はある。しかし、台湾の現地で教えてもらえれば、身につき方も違うという物だ。同じことで、与那国島で1週間の日本語教室があれば、台湾から来てくれるかも知れない。お試し日本語教室である。宿泊と観光と美味しい食事と、日本語教室付きの高くはないツアーが出来れば希望がある。

 与那国島の人口増加策にはやはり、離島観光だけでは難しいと言うことだろう。台湾村は与那国島の魅力的な暮らしを求めて与那国島に移住する人達の拠点と言うことしなければならない。与那国島に行ったときに感じた一番残念な点は与那国島に暮らす人との接点がまるでないと言うことだった。

 やっと田んぼでおじいさんを見付けて声をかけて、色々聞かせていただいた。何故田んぼがやられなくなったのかを、教えていただいた。教えて頂きながら、島の農業者と話が出来たことが、一番の収穫だったし、大きな魅力になった。

 石垣島でも同じことなのだが、観光客と石垣島の住民がどのように接点を作れるかだろう。直接はなかなか難しいことだから、その取り持つ通訳のような役割が必要になる。それは、民芸教室でも語学教室でも、マリンスポーツでも良いのだと思うのだが、場を作ることが必要だ。

 私が石垣島に移住した一番の理由は生活そのものは小田原よりも便利と言うことに尽きる。日常の買い物や外食は歩いて行ける範囲でかなり充実している。ホームセンターの充実はかなりのものだ。電気製品の大型店やドンキホーテ大型ドラッグストアーも多すぎるほどある。観光客需要を見込んでのことなのだろう。今は通販もあるから、買い物で困ることは全くない。

 レストランの多様さと食料品の充実、生のクロマグロ、石垣牛、車エビと日本でもも屈指では無いだろうか。だから、美味しいものが食べたい中国や台湾からの観光客は石垣に来たいのだと思う。石垣島と与那国島は大分違う。与那国島から石垣に移住した人は多い。

 与那国島はほかに無いくらい魅力的で条件の良い島だ。かつては6000人を超える人が自給的に暮らしていた島だ。その島の最高の人口数を記録した時代が江戸時代というところがある。青ヶ島はそうだ。たぶんほかにもあるはずだ。与那国島もそうかも知れない。

 江戸時代はすべての人が自給的に暮らしていた。だから、島は案外に暮らしやすい条件だった。島流しなどと言うが、流されなくても島にわざわざ移住して暮らし、島から出ない人がいくらでもいたのだ。島の人口減少が進んでいるのは、今の今である。

 これから世界が食糧危機の時代に入る。それは世界の耕地面積はもう限界なのに、人口が増加を続けているからだ。現状でも食糧危機に陥っている人々が、9人に一人なのだ。8億人の人が飢餓状況にあるのだ。そして、日本の食糧自給率は37%なのだ。

 日本政府はそれに対して何の手立ても打てないでいる。その点政府に期待はしても無駄だ。スガ元総理大臣が強調したように自助努力しか無い。そういう時代が来るのだから、与那国島は悪くない。台湾村は自助努力の村がいい。

 台湾村にはいつも台湾の人が来ている状況を作り出す。日本語教室や民芸教室、与那国馬や水牛などとのふれあいの広場もあると良い。そして日本の観光客と交流できる状況を作り出す。台湾村の住人はその両者の通訳になれるひとである。

 私は必ず、のぼたん農園にいる。居るだけなのだが、それでも違う。台湾村で働いている村人がいる。村人はどこから来ましたかと話しかけるだけで良い。水牛がいますよ。与那国馬がいます。どうですか。中国語を勉強してみませんか。日本語を勉強してみませんか。こう言う空気が作り出せるかどうかだ。
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時代には何度かの変わり目があった

2022-05-24 04:30:16 | 暮らし

 直播き田んぼのトヨメキの大きな穂。粒張りも良いようだ。ただ分ゲツは多くはない。

 時代は変化している最中では変わり目を、実感として感じることは難しい。今が次の時代への転換期であるらしいことは、ウクライナ侵攻とコロナの流行で、何か社会に大きな変化が起こりそうなことだけは感じている。

 高度成長期とはどの年代を意味するのだろうか。バブルの時代とは一体いつからいつ頃のことなのかとか。色々の見方があるようで明確な区切りが出来ているわけでも無い。私は大島の噴火が一つの区切りと感じているのだが、これは開墾していた山北の山中で見た大島の噴火の明るさが示したものだ。

 1949年に生まれた私は戦後復興期の日本に成長した。山梨の山中の山寺で生まれ、東京と山梨を行き来しながら、高校までを暮らした。高校を卒業したのが1968年と言うことになる。この辺りが日本の時代の変わり目だと感じる。大学紛争の時代である。私の体験的な感覚ではこの頃が、戦後の日本が次の時代を模索し、転換したように感じている。

 その後の日本は経済至上主義に向かって行く。「ジャパンアズナンバーワン」というアメリカ人の書いた本がベストセラーになったのが、1979年である。日本の時代が来るかのように言われた時代である。この頃に、経済が良くなればそれが成功という、拝金主義の時代に入ったのだと感じている。金色夜叉である。

 1975年フランスから戻った。私が時代に飲み込まれて、拝金主義に巻き込まれながら絵描きを目指していた時代かと思う。若い絵描きの仲間がどこかで個展を開いていて、オープニングに集まっては飲み歩いていた。若さを楽しんでいたわけだが、いい気な独りよがりの時代だった。

 10年そんな暮らしを続けて、1985年絵も描けなくなる。絵も行き詰まり、自分の世界を描くことも出来なくなる。自分というものを見失い、最初からやり直すほか無いと考えるようになった。そして山北で開墾生活に入る。1986年大島の噴火がある。時代が崩壊したように感じていた。

 この辺りから訳の分からないバブルの時代が始まるが、それがあだ花に過ぎず崩壊するだろう事は予測が出来た。1995年に起きたオウムサリン事件はまさにバブルがはじける終焉であった。1993年に農の会を始めている。農業崩壊の危機を感じてのことだったと思う。

 〇戦後の復興から大学紛争の時代まで。1945年から1970年。〇高度成長期から大島の噴火で終わる時代。1986年まで。〇拝金主義が蔓延したバブル時代。1995年まで。〇新しい日本を見付けようとした時代。2010年まで。〇第三の矢が飛ばなかった、日本経済の失速の時代。

 ここまでが今までの状況。日本の失速の時代は、コロナが蔓延し、ロシアのウクライナ侵攻が起こる時代で終わる。次の時代から見ればコロナと核保有国の侵略戦争で、無理矢理さらに悪い方向に変えられていく時代に見えてくる。社会の時代から、個人の時代に入るような気がしている。孤立の時代なのかも知れない。

 戦後社会は、今は6つめの時代に入っているようだ。第三の矢という新産業が創出できない日本になる。次の新しい社会が見いだせないうちに、コロナ蔓延とロシアの侵略戦争という不安に満ちた時代に押し流されるらしい。資本主義が拝金主義によって悪い側面が表面化した時代。階層化社会。貧困層の固定化。

 時代の移り変わりが起きている。次の時代はかなりひどい時代になると思わざる得ない。戦後社会の平和と民主主義の希望が潰える時代。どん底まで落ちて行く時代なのだろうか。それは反対側から見れば、つまり未来から見れば希望をそれぞれが見付けなければならない孤立の時代と言うことなのだろうか。

 今は影の薄いスガ総理大臣が所信表明演説で宣言したように次の時代は、自助の時代なのだ。社会は弱者を救済できない時代。コロナになれば自宅療養である。自宅療養で死ぬ人が居ても仕方がない社会。コロナに感染しても、保健所との連絡も十分には取れない。さらに日本が戦争を始めても止むえない時代と言うことになるのかも知れない。

 アベ氏の最後っ屁のような無責任な連続発言。プーチンの核攻撃をちらつかせる蛮行。トランプ主義の出現に見るアメリカの独善。世界はこういう異常者達が、選挙によって支持されて動かされて行く時代になっている。民主主義を支える健全な市民が少数派になる時代にはいったのだろう。

 選挙で健全な政治が選択できない時代になる。民主主義の敗北が見えてきた時代なのかも知れない。一人一人が自由に意思を表明すれば、利己的な結論に陥るという結果。プーチンの利己的判断が、侵略戦争になり、国民に支持される。独善のトランプは自分が大統領なら、プーチンを抑えられたと言うがその抑え方はさらに悲惨な戦争に繋がったことだろう。

 それぞれが勝手に自国の有利だけを考えて動き出している。中立による平和を目指した北欧の国が、より強い軍事同盟に入らざる得ない結果である。世界は中国の動向を注視しているのだろう。中国はロシアの失敗から学び、どんな方向を打ち出すのだろうか。

 より軍事力を強化し、ロシアの二の舞をしないようにするのか。軍事力による現状変更の難しさを認識して、さらに国家資本主義に傾いて行くのか。次の世界の状況は、中国の動きで変わってくる事だけは確かだ。いずれにしても、中国はさらに大国化して行くことは確実である。

 日本は経済的に中国と関係を持つことで、活路が見つかるはずだ。中国は経済大国に相応しいルールをなかなか持てないとされているが、間違いなく世界の経済ルールに従うようになる。そうしなければこれ以上中国の経済は成長できないからだ。

 民主主義や自由主義を是とする資本主義は全体主義的資本主義に敗北をする。それを中国は証明しようとしているのだろう。日本の現状を見ると、民主主義は成長を止め、むしろ幼児化し始めている。利己主義に陥り始めた。健全な社会は遠のいた。

 信用ある商売が成長するのは当たり前の事だ。温暖化対策でも、中国が先導するような状況も出てきている。環境破壊も止むえないというような高度成長期を中国も終わろうとしている。再生エネルギー発電や電気自動車は中国の時代になる可能性が高い。

 日本がアメリカとの関係にこだわりすぎて、何時までも中国との関係を仮想敵国扱いをしていることは、経済から見れば出来ないことになる。それは、韓国の中国との関係を考えてみることだ。韓国文政権は中国に接近した。その結果は成功とは言いがたいが、日本よりは可能性は残している。

 中国を仮想敵国とするのはアメリカであって日本ではない。日本はアメリカの糞ではないのだ。日本はもっとしたたかに中国との関係を模索しなければならない。韓国は中国の影響が大きすぎて、韓国人の中には反中国意識は昔から強い物がある。何しろトランプは韓国は昔は中国だったと習近平との会談で発言したくらいだ。

 日本は尖閣に何時までもこだわるようでは、未来がない。少なくとも解決するために日本は動き出さなければならない。政治家は領土問題を口に出来ない。口にすると票が逃げるからだ。選挙のために領土にしがみ付いている。これが民主主義の終焉を表している。
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のぼたん農園の5月21日の様子

2022-05-23 04:17:04 | 楽観農園

 4番田んぼ

 今は小田原に居る。しばらく小田原で田植えをする。5月21日時点ののぼたん農園のことを記録しておく。かなりの速度で整備が進んでいるので、時々記録をしておく必要がある。イネは後半に来てそれなりに良くなってきた。土壌のムラはまだ残っているが、土が深かったところは良くなってきた。

 農地は1月1日からお借りした。12月お借りする前から水牛は繋いだのだが、ユンボ工事は今年に入って正月明けから始めた。予定の10枚の田んぼの整備は終わっている。4つの溜め池に整備された。梅雨に入ってから、大雨注意報なども出た。溜め池も、田んぼも水は満杯の状態である。

 5月に入り梅雨入りと言うことだったが、当初は雨がほとんど降らず空梅雨を思わせた。のぼたん農園の湧き水は、一月近く雨がないという日が続いても、水が切れると言うことはなかった。これは予測したことではあるが、一番有り難いことである。いくらかでも水が来れば、溜め池の水でイネは何とか栽培できる。冒険の日和見が良かったと言うことになる。


のぼたんの群生地

 〇番田んぼは稲刈りが終われば、機会を見て溜め池にする。これは予定したことである。だから〇番田んぼと呼ぶことにしていた。田んぼは2畝が10枚である。すでに完成している。6,9番田んぼタイモが少し植えてあるだけだ。10番は全くの手つかずの状態。

 それでもこのところの雨で水は溜まっている。しかし代掻きがしてないので、水はなくなっている日の方が多い。様子を見ると、すべてをきちっと代掻きをすれば、10枚の田んぼの水があると考えて良いようだ。もちろん極端に雨が降らない年もあるだろうが、普通なら大丈夫と考えて良い。

 のぼたん園ののぼたんは5月末が見頃のようだ。のぼたんは予想以上の素晴らしさである。のぼたんは農園の各所にあるのだが、一番まとまってあるのが、西側下で、300本あるとみて良いだろう。この群生地ののぼたんはかなりの大きさで見応えがある。


5番田んぼから上の方を見ている。

 上の倉庫予定地の下辺りにも200本はあると思うが、この辺りは株が少し小さい。昔はパイナップルを作ったと言うから、パイナップルを止めてから後に出てきたのぼたんなのだろう。畑の隅にあったものが徐々に広がったと思われる。

 上の畑にあるのぼたんも残そうかと思っている。花にあふれた農園が魅力的だと言うこともあるが、上の畑に木が密生すれば、溜め池の水を増やす役割をするはずだ。上の畑にはのぼたんのないところには70㎝くらいの穴を5m置きぐらいに30個ほど掘ってある。

 そこに樹木チップを入れた。これで土壌の保水力が改善されるはずだ。樹木チップは10トントラックで二杯分だった。このところの雨も前よりは流れてしまわなくなってきた気がしている。上の畑の土壌が良くなれば、溜め池の水の水量が増えるとみている。のぼたんを残し、のぼたんのないところには低木の果樹が良いのではないかと思っている。まだ決めてはいない。


8番、9番、10番田んぼ。雨が多く水は満杯である。

 そして1周道路がついに出来上がった。これで四駆の自動車ならば、一周できる状態にまで成った。水牛の管理が随分楽になる。素晴らしいことだ。1周道路はまだ測定はしていないが、1キロぐらいはあるのではないだろうか。のぼたん農園に行ったら、必ず3周ぐらいするようにしたい。

 緩やかな海の眺めの良い土の道なので、トレールランニングコースになる気がする。のぼたんの群生地や田んぼの間。果樹園を通り、水牛の放牧地を通り緩やかな道だ。歩いて15分の散策道。この道が芝で覆われたような歩きやすい道にするためにはハンマーモアーが必要かも知れない。

 倉庫の建設については石垣市の許可は下りた。26日に八重山土木に43条申請を出したところだ。問題は特にないと思うが、6月始めに許可が下りるとみている。そうなれば、いよいよ最終段階の建築確認の申請と言うことになる。


向日葵が咲いた。

 本来、農業用倉庫の申請は農家の人間が自分で出来るものでなければならない。最初この申請を設計事務所にお願いしたら、60万かかると言われた。申請だけで60万円もかかるほど、面倒な専門家以外出来ないようなものに、してしまったのは大きな問題だ。

 申請を農家に対して行政は手助けしてくれる必要があるだろう。石垣市は親切に手助けをしてくれたので、何とかここまで自分で進めることが出来た。今回ヨドコウの既製品にしたのは正解だった。設計図や構造計算書まで準備してくれた。ヨドコウの問題は設計士の名前は出してくれないという所にある。

 6月半ばに着工できれば、まだ上手くゆけば6月中に完成する可能性がある。いずれにしてもお米の収穫には間に合う事は難しくなっている。

 機械に関してはコンバインは福仲先生が良い中古の機会を見付けてくれて購入することが出来た。籾すり機は良い物をヤフーオークションで渡部さんが購入してくれて、それを豊洲埠頭から琉球海運の船で石垣島に向かっている。トラックターは今なおして貰っている。水分計はネットで購入した。バインダーに関してはいらないと思っている。手刈り中心に行きたいと考えている。


0番田んぼ

 果樹園に関してはまずバナナを30本道路の脇に扇芭蕉と向かい合わせて植えた。地主の国仲さんが大きな木をユンボで掘ってくれて運んでくれた。何んとか果樹園も急に形が見えてきた。

 一番下のヤラブの木のそばの果樹園が一番風がなさそうだ。そこには現在養成中の果樹苗は50本ぐらいはある。ギンネムもあるのだが、これは世界でも問題になる特定外来植物。しかし、水牛は食べてくれる。何の問題も無い。マメ科の植物だから、土壌の改善には成る。しかも防風林にはうってつけである。ギンネムは残しながら、徐々に果樹に変えて行くべき植物である。

 果樹園の整備については9月ぐらいにやればいいだろう。あわてる必要なない。すでに予定地には向日葵がまかれ、咲き始めている。向日葵はたんぼの畦にも蒔いた。6月初めには咲くことだろう。向日葵のたんぼでの稲刈り。楽しい物になりそうだ。

 水牛は今三頭居る。3月21日早朝、 生まれた赤ちゃんは二ヶ月無事経過した。日に日に大きくなっている。なんとなく人見知りで、なかなか触ることが出来ない。角も1センチくらいに伸びてきた。若葉も良く面倒を見ている。若葉が以外に良い母親だと言うことが分かった。

 わかばは人間は平気で押しのけて行く。時には足を踏みつける。ところが赤ん坊がどんなにまとわりついても、案外繊細によけている。子供を守る意識は極めて高い。子供をわかばが触らせるぐらいにならないと行けない。


6番田んぼ実験的に余った苗を植えてある。奥にはタイモがある。

 六ヶ月ぐらいしたら親から離して飼うことができるらしい。そうなったら、9月頃には竹富島に行くことになるのだろうか。のぼたん園には水牛は夏でも繋ぐ場所はある。水牛の水浴び場も三カ所出来た。日陰が少ないのだが、出来れば早く大きくなる樹木を要所要所に植えたい。栴檀の苗を手に入れる必要がある。
  
 のぼたん農園の放牧地は1.5㏊。有機基準でも三頭は充分世話が出来る環境になってきた。これで水道が引ければ水牛の世話も問題が無くなる。これからも水牛を使う伝統農業を維持して行きたい。自給農業における水牛の良さを活用しなければならない。代掻きは良い代掻きをしてくれる。

 先ずは水牛の糞を上手く利用する方法が必要だ。将来はバイオガスに利用して、その残渣を液肥として使うという方法が良いかと思っている。トイレを作ったり、バイオガス装置を作るのはその後と言うことになる。

 
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第109回 水彩画 日曜展示

2022-05-22 04:04:52 | 水彩画
第109 回 水彩画 日曜展示
大きさはすべて中判全紙









743「いもり池」妙高
2022.5







744「戸田からの富士」
2022.5







745「港」
2022.5







746「七星岩」
2022.5









747「妙高山」
2022.5









748「夕映えのアルプス」
2022.5








749「松本平の日没」
2022.5







750「篠窪」
2022.5







751「伊勢湾」
2022.5







752「空からの富士」
2022.5


 中判全紙ばかり描いている。自分が描く絵としては大きい方である。大判全紙を描くこともたまにはあるが、中判全紙の方が描きやすい。都美術館の水彩人展が9月にあるので、それを少し意識して中判全紙を選んでいる。絵を終わりまで描いている。

 絵には途中と言うことはないと思っている。描き尽くすより、分からないままの方が自分らしいと言うことがある。分からないということを分からないままに表現できるのが絵の良さだ。しかし、分からないままに置くことも必要だが、同じくらい結論を出してみると言うことも必要なのだろう。

 ただし、この簡単に分かるということが危ういことで、他人が作り上げた絵という物を基準にして、結論を出すと言うことになりがちなのだ。自分ではよく分からないのだから、結論を借りてくるようなことになり勝ちなのだ。これが絵を学ぶ上で一番悪い事になる。

 要領よく結論を借りてくる悪い習慣が身についてしまう。その方が結論が出ているから、評判も良いことになる。評判の良い絵の真似なのだから、一定の評価がでるから始末が悪い。自ら勘違いしてしまう。私もそういう罠に落ち込みかけて、絵が描けなくなったことがある。

 その時々である。行き過ぎたり、戻ったりしながら進んで行くのだと思う。水彩人展は勉強会だと思っている。人に見せるためではなく、自分が見るためである。会場で出来れば絵を語る会を行いたいと思っているが、果たして出来るかどうか。

 見に来るお客さんに迷惑になるから、そんな物はやって貰っては困るという意見も、最近はよくあるからだ。絵を見に来る人にお客さんなど呼ぶ人は、一人も居ないというのが、水彩人の精神のはずだが、時間が経つと変わってくる。勉強会であった水彩人もいつの間にか、普通の公募展に巻き込まれそうになる。怖いことだ。
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昔の絵の続きを描く

2022-05-21 04:23:44 | 水彩画


 手前は新しく整備した溜め池である。一番田んぼ、二番田んぼ、三番田んぼと見えている。稲刈りまであと一月ぐらいだろうか。新しく整備した一週道路の途中から写真を写している。丘の上が崎枝の美しい集落である。山の後ろ側の下がカピラ湾になる。

 最近昔の絵の続きを描くことが良くある。昔の希望のない描きかけの絵も随分捨てたので、残りは少なくなり20枚くらいかと思う。中には30年も前の鉛筆で下書きをしていた頃の絵まであった。それでも捨てられなかったのは何か見込みがあったと言うことだ。

 この分からなくなって途中で止めていた絵の続きを描くことが、今になって絵の勉強になる。30年前の絵を描く心境と今の心境の何が違うのか、何か進んでいることがあるのか。その違いが描きながら、確認が出来る。何故捨てないで30年も次を描こうかと持っていたのかが分かる。何故ここで絵が止まったのか。その感触が確認できる。捨てないで良かったと思っている。

 昔も今も分からなくなったら、できるだけそこで止めるということにしている。昔どこで分からなくなって、いまならどのように進めるのかと言うことが分かる。水彩画を描く技術の幅が、30年前より広がっている事は確かだ。30年前というのは油彩画を止めて数年後だ。昔止まってしまったのは、その先の技術的な方法が見えなかったと言うことが案外に多い。

 描き方が多様であれば、そのどれかの方法でその先を描くことが出来る。たとえば、田んぼの水の中の様子をどう描けば良いかと思っても、対応する技術力が無ければ、そんなところはそもそも描こうとしない。面白と思うところをためらいなく描き始めることが出来るためには、何でも描ける技術が必要だ。

 絵を描いていると難しい場所や新しいものは避けて、やれる技術の範囲が描く対象になりがちである。得意の場面を繰返し描く人が普通である。昔のかやぶき屋根の家なら何とかなるというようなことになる。日本の絵描きは画家というより絵を描く職人に成りがちだ。

 その結果、生涯ほとんど描く対象が変わらないことになる人が多い。そういう人が職人的にその人の得意分野を描くが画家になる。日展の指導では絵は変えてはならないと言われたと言うことを聞いた事すらある。変えたら審査の時にその人の絵と分からなくなるからだそうだが。

 難しいから描けないと言うことは私には無い。上手に描く必要がないからだ。描きたいと思った物は何でも描いてみる。そのものを描く技術力が無い事は良くある。だからといって描いてみたければ描く。何とかなると言うのでは無く、別段描けるように描ければ良いと考えているからだ。

 良い絵を描く事が目的ではない。ある種の良い絵が存在しているのはわかるが、そういうもに近づこうとは思わない。むしろ未だかつてないものに向かいたいのだ。それは昔の絵のつづきを描いていても、昔から同じことをしていると思うところだ。

 昔は、良いところで止めていた。この先分からないままやれば悪くなると言うことだけが分かるからだ。良いままで終わりまで行こうとしている。ところが今はむしろ悪くなるまで描く。悪くなるとは自分から離れると言うことなのだが、悪くなったほうが自分が描いた絵らしいと言うことが良くあると最近では感じるからだ。

 自分だと思っている物の限界はいつも破壊しなければならない。こんな絵は自分の絵ではない。そういう思い込みを捨てようと思う。まさかこんな絵を描くのかと自分自身すら驚くようなところに踏み込みたい。そうして自分という物の限界を超えたい。

 確かに絵は調和を求めて描く。そして破綻にまで至らなければ絵にならない。この正反対の行為を動じに行うのが絵を描くことなのだ。画面にとって調和は大事なことだ。ところが破綻がむしろその人間を垣間見せると言うことは普通にある。

 欠点がその人の特徴と言うことは人間なら当たり前の事だ。だから絵に枠を設けては成らない。まさかこれ誰の絵ぐらいで良いのだ。それは人間というものは、本来完璧では無くいくらか破綻している部分が個性のような気がする。

 正確さだけを求めるならば写真になる。ところがその写真を越えたようなあり得ない正確さで描こうという絵がある。その馬鹿馬鹿しいおかしさが、ある意味破綻であり、主張になる。何でも良いのだが、成長して行く人間という物が、繰返しだけであるのはそもそも絵の描き方が自分という人間に沿っていないと言うことだ。

 確かに昔の絵の方が良いと思うこともある。つまり、30年一歩も進めなかったどころか、後退しているでは無いかという部分である。人間はそういう物だろう。若い頃の新鮮な感性しかとらえられないものがあるのは当然ある。情けないが歳をとり感じる力は衰えたのかもしれない。

 それを認めた上で絵を描かなければならない。年齢と共に良くなると言うより、年齢と共に衰えるのが普通のことだ。その点スポーツ選手と同じである。しかし、人間衰えだけでは無い。年齢と共に進んでいる所もある。絵がいくらか自分になっている。ここが良いところだ。

 自分が描く絵という物への理解がいくらか広がってきているからだ。一般論では無い、私自身の生きる方角が歳をとり先が見えてきたからだ。私にとっての絵の方角もそれに伴って出てくる。残りの時間十二分に描くためには何を描くのかが狭まってきた。

 この点が30年前の絵とは違う。30年前は終わりの無い絵の道であった。今は終わりは長くとも30年以内と言うことははっきりしている。30年とはつまり折り返せばあの頃から、いままでの時間である。30年前の絵の続きを描くと言うことは、その30年間の進捗を確認できると言うことだ。

 この先あるとしても30年しか無い。平均的ならば、10年か15年ぐらいだろう。その時間に描ける物がどれだけあるかが想像が付く。漫然とやっていても何にもならないと言うことが分かる。この絵なら許せるという自分の絵を描くと言うことに目標を定めろと言うことだ。そこまで行けなければ今の絵がすべて嘘になる。

 そろそろ昔の絵はなくなる。それでも、石垣で描いた途中の絵が今度はある。すでに絵は変わっている。私の中では変わっている。それを続きを描くと気づくことだ。日曜展示で番号を振った絵は保存庫にしまってある。その続きも又描くのかも知れない。

 まだそれを取り出してみてみる余裕は無いが、いつかはやってみるのかも知れない。新しく描くと言うことと、続きを描くと言うことは確かに違う。気持ちの置き所が違う。
 
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漁業のために植樹をする。

2022-05-20 04:00:45 | 楽観農園


 パフィオぺデュラム ニビューム 良い花が咲いてくれた。二輪咲いた。昔は咲かすことが出来なかった。石垣では駐車場の隅で咲いている。無肥料、無農薬である。

岩手県洋野町で14日、漁師ら約100人が山で広葉樹の苗を植樹した。豊富な滋養分を含む水が山から海に流れ込むことで、身入りの良いおいしいウニがとれる環境になるという。植樹は15年前から続き、木の総数は2万2千本になった。 ーー朝日新聞

 「森は海の恋人」宮城県気仙沼で始まった活動がある。牡蠣養殖をされている畠山さんという方が1989年に始めたものだ。ブナ、ミズナラ、ウリハダカエデなど、を植え、そこを「かきの森」と名づけた。海を守るためには山が豊かにならなければならない。

 全国に広がっている活動である。日本は森林の国である。日本の森林面積は約2500万ヘクタールで、日本の国土(こくど)の67%、3分の2が森林。 森林の割合が多い県は1位は北海道554万ヘクタール、2位岩手県117万ヘクタール、3位長野県107万ヘクタール。 

 日本は世界的に見ても森林国なのだ。しかし、地方から人がいなくなり、その森が荒れてきている。特に植林された針葉樹の森は人間が管理することが無くなると、荒れ始める。戦後の造林運動で日本の森はある意味豊かになった。

 ところが、林業の経営が難しくなり、中山間地から人がいなくなり、集落の放棄が進んでいる。その傾向は改善されること無く、年々深刻になっている。それは農業の後退以上に問題が切羽詰まっている。日本の里山は手入れが行き届かなくなっている。

 政府も地方再生を行うと何度も政策として発表しているが、成果は上がらない。現実は一年経てば、山間地に暮らす人の平均年齢は1年お年寄りになる。働いている農業者の平均年齢が七〇歳と言われている。働くことも出来ない方も多いと想像できる。山間地の維持の限界が近づいていると考えざる得ない。

 農業全体についてもそうだが、自給率を何とか上げようという政策も政府は掲げている。しかし、実際には自給率は下がり続けている。これは地方の問題と重なっている。つまり、冒頭の漁業者が植林を続けるというような、政府に頼らない地道な活動しか、状況は変わらないのだと思う。

 石垣島は幸いなことに過去最大の5万人の人口が維持されている。日本全体の人口減少の傾向からすると、画期的なことと考えて良いのだろう。離島というマイナス条件が、離島観光という経済によって逆転が起きている。石垣島の南国としての文化と自然の魅力が特別だから起きたことに違いない。

 移住者として石垣島に2018年に来た。4年が経過して今は石垣島で3.6ヘクタールののぼたん農園を始めている。石垣島では田んぼはやらないつもりだったのだが、人との出会いがあり、最後の仕事として「のぼたん農園」に取り組むことにした。

 日本の暮らしを諦める訳には行かないという思いである。地方の人間の暮らしがギリギリの所に来ている。地方に暮らす一人一人が自分の力量成りに取り組む以外にないと考えている。小田原でやっているあしがら農の会の活動が、石垣島でも成り立つのかと言う挑戦である。

 市民による食糧の自給活動は全国に生まれているのだと思う。それは山に植林をすることと同じである。農業者が経営が出来ないために守れなくなった農地は、食べる人である市民が守るほか無い。農地が失われてしまうと言うことは日本人の暮らしが成り立たなくなると考えるからだ。

 ささやかなことかも知れないが、一人が始める以外に何も変わらない。人間が生きることを諦める訳にいかない。森を作る活動は地道なものだ。しかし、30年以上が経過してその意味は変わり始めている。農の会の活動も30年が近づいている。

 きっと全国の森を作る活動も楽しいから続いているに違いない。使命感だけでは続かない。のぼたん農園の活動もすこしづつ広がっている。現在、家族とグループで8つの田んぼが決まった。農林高校の田んぼが作れないか、進めている。これが決まると、私が一つを行えば、10すべてが埋まることになる。

 農業は大変な作業だ。一日一日、そして何年も継続する力が必要になる。楽しくなければ続くはずが無い。田んぼをやってみたいという気持ちの人はいる。しかし、地道な根気のいる作業だ。止めたくなって当たり前だ。肉体労働には不慣れな市民である。

 今も鴨がお米を食べに来ている。イノシシも来てお米を食べた。止めたくなるようなことが日々起きる。折角出来たお米が台風で一夜にして失われるかも知れない。それでも諦める訳にいかないのが、自給農業であると思っている。楽しく又始められるだけの楽観が必要である。
 
 地球の未来は希望と言うより悲観である。どうしようも無いことばかりが起こる。例えばマイクロプラステックの海洋汚染を思うと、山に植林を続ける気力が失われるだろう。それでも山の管理を続ける。全国で重圧をはねのける気力を再生している。

 悪い事を考えれば、誰だって絶望しても不思議は無い世界だ。ロシアの侵略戦争を想像すると、世界に未来は無いのかと思える。ウクライナでは春小麦が播かれたのだろうか。麦は育っているのだろうか。何時原爆が落ちるか分からない中で、麦の草取りが出来るのだろうか。

 石垣島はミサイル基地の島になる。日本とアメリカを守るための前線基地の島になる。石垣島の住民には逃げ場も無い。大半の日本人には他人事でしかない。石垣市長は国が決めたことだから、市民は口を挟めないとして、住民の三分の二が請求した住民投票すら拒否している。その市長が最近三選された。

 それでものぼたん農園で草刈りをしなければならない。諦める訳に行かないというのが暮らしである。何故続けられるかと言えば、仲間がいるからである。一人はみんなのために、みんなは一人のために。良い仲間がいれば楽しく頑張ることが出来る。

 何か特別なことが出来るわけでは無い。私は毎日のぼたん農園に行く。鴨やイノシシの番ぐらいには成る。誰かが来た時に、誰もいないよりは良いと思っている。今はのぼたんを見に来る人が毎日いる。新聞に載せてもらえたからだ。有り難いことだ。

 のぼたん農園の活動を一人でも多くの人に知ってもらいたい。そしてこういうものもあった方が良いと思って欲しい。現在、熱帯果樹の苗木を養成している。果樹の森が出来るように、海が豊かになるような農園になるように継続して行きたい。


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NATOへ北欧の加盟

2022-05-19 04:01:03 | Peace Cafe


 北欧の中立国であるフィンランドとスゥエーデンがNATOにはいることにした。これは世界の平和の構図が崩れると言うことになる。永世中立国の可能性が残念ながら消えた。日本の目標の一つの形であると小学校の頃教わった記憶がある。ロシアとの関係を刺激しないようにしてきた。過去にロシアとの良くない歴史を踏まえての中立政策であった。

 ロシアのウクライナ侵攻がはじまると、NATO加盟を表明した。表明せざる得ない危険な情勢に至ったと言うことだろう。ロシアは危険な国ではあるがウクライナで苦戦している。今ならばロシアも手一杯で北欧に軍事侵攻できないと判断したのだろう。

 トルコの懸念表明がある。クルド人への対応が受け入れがたいと言うことのようだ。エルドアン大統領は北欧はテロ組織のたまり場だとまで発言している。エルドアン大統領は一筋縄の人ではない。簡単に決まるというわけでは無いだろう。

 いずれにしても紆余曲折があっても一度表明した以上、中立政策を撤回して、NATO加盟か、違う形の集団安全保障体制が進むとみて良いのだろう。世界の安全保障体制に変化が起き始めていることは確かだ。

 ウクライナがすでにNATO加盟をしていたとすれば、ロシアは侵攻できなかったと各国見ていると言うことになる。それだけ軍事同盟が抑止力になると世界が考え始めたのだろう。それほど理のない軍事侵攻をロシアがしていると言うことだ。

 それに対して今も、ウクライナに対する軍事支援はアメリカを中心に膨大な兵器が送られている。もう軍事支援の是非を問うどころではなくなっている。ロシアが苦戦し、消耗して行くことはアメリカやNATO諸国にしてみれば、軍事的な見返りが大きい。

 この先戦争が長引き消耗戦になることが予測されている。ロシアがこのまま疲弊すれば、ヨーロッパ諸国にとってロシアの脅威は大きく減ずることになる。日本だって同じことなのだろう。ロシアが一気に勝利すれば、その勢いがヨーロッパのとてつもない脅威になったはずだ。各国がウクライナに援助し、ロシアに経済的制裁をするのは当然のことといえる。この辺のロシアの読みはあまかった。

 世界のの安全保障の在り方に変化が生じている。日本でも国防が見直されている。対中国の戦略の見直しが盛んに言われるようになった。中国はある意味で漁夫の利を得ている。黙っていることが悪い事では無い。このまま行けば、ロシアは中国に対して何も言えなくなるだろう。

 中国にしてみても、ロシア貿易を独占できるわけだから、悪くはないはずだ。日本やアメリカが天然ガス開発から手を引けば、中国は有利な条件で参入することになるのだろう。そしてロシアは中国の影響下の北朝鮮と同じになる可能性が高い。

 今回NATOの存在が大きく注目されたわけだが、日本も集団安保体制に変わるべきなのでは無いだろうか。ロシアの第二次大戦後の安定を正面から破壊した、侵略を⾏い、非⼈道的な子供達まで殺戮する戦争を遂⾏したロシアと国際社会の関係は大きく変わらざる得ない。

戦争前に戻ることはなとしたら、日本はこの情勢にどう向き合っていくべきだろうか。 アメリカとの二国間の関係よりも、複数の国家での安全保障体制の方が、よりよいはずである。核保有しない自由と民主主義を尊重する国と連帯するのが目標になる。

 中国は今後も明確な態度をとらないと思われる。ロシアに対する欧米やアジアの自由主義国の連携した経済制裁は、自国の利益を損なっても強行されている。これは中国にしてみると、信じがたいことのはずだ。中国はまさかウクライナとソ連の戦争で、ここまで自由主義諸国の連携がとられるとは思わなかったはずだ。

 中国はもし自らが、台湾侵攻を行えば、ロシア以上の経済制裁になると言うことは自覚したはずだ。中国はロシア寄りの姿勢を見せながら、曖昧なロシア支持というくらいの態度である。ロシアの販売先を失った資源の輸入は行うだろうが、あくまで自由諸国と大きく敵対しない範囲と言うことに成ると予測する。

 日本は中国と関係を模索しなければならない。アメリカが中国と対立を深める中、現状では日本もその戦略に引きづられている。しかし、日本の国家的利益は中国との関係に大きく影響される。日中関係の互恵関係を構築することこそ世界平和の道である。中国との関係が改善されれば、日本は経済不振から抜け出せるかも知れない。

 先ずは中国をロシアとの連携に進めないことが重要である。日本は自由主義圏の国として、アメリカとの同盟関係は維持するとしても、軍事同盟は後退させた方が良い。そうして中国との友好関係を模索することだ。中国がロシアと関係を強め、世界から孤立することほど、日本にとって困ることは無い。

 中国はロシアの失敗から学ぶはずだ。台湾への軍事侵攻の可能性はかなり減ったとみても良い。中国を平和国家に変えることが出来るのが一番重要である。中国は経済大国化したと言っても、まだ一人一人の暮らしの経済は中位の国のレベルである。

 中国国内の地方と都市部の経済格差は依然大きい。まだまだ発展途上部分があり、経済優先で進まざる得ない状況である。中国人全体の国民所得の向上により、市場の拡大が起こる。これからさらに拡大する大きな市場である事は間違いが無い。中国はアメリカを越える可能性が高い。

 今回のウクライナで学習した中国は、台湾侵攻は出来ないはずである。日中関係はアメリカの介在とアベ政権の変更政策により、ここ10年は対立を深めてきたのだが、関係の修復を計る必要が互いにあるはずだ。日中関係の改善は中国にとっても重要になるはずだ。

 中国との関係をいかに切り開くかが、日本の平和外交の鍵になるはずだ。尖閣問題の解消から計るべきだ。ウクライナの失敗の第一は領土問題である。領土を失うことをおそれすぎている。たとえ領土が縮小される可能性があったとしても、ロシアと話し合いをして解決を図るほか無かった。

 日本もまったく同じである。しかも尖閣諸島など人のいない小さな島である。話し合いで解決を図るべきものだ。例えば話し合いで、尖閣は5つほどの小さな島なのだから、同じくらいで分けたらばどうだろうか。先ずは国際裁判所に調停を申し出ることだ。外務大臣対話では相変わらずで情けない。

 話し合いで解決することが唯一の解決策である。戦争でどちらかが奪い取れば、それはより問題を困難なものにさせただけのことになる。領土問題というと、政治家には手が付けられない。それは譲れば選挙に不利なると議員と政党は考えるからだ。

 国民の冷静な判断力だけが重要になる。軍事力増強派の主張は尖閣を問題化して置くことで、仮想敵国中国の危険度を浮き上がらせる戦略なのだ。また国民もキューピー人形のように、尖閣を押せばキーキーと音を立てて泣き叫ぶのだ。この愚かさが日本の未来を危うくしている。

 
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アベ元首相の馬脚

2022-05-18 03:59:55 | Peace Cafe


 アベ元首相が残念な発言を繰り返している。「防衛費の5年での倍増」、「敵の中枢へのミサイル攻撃能力の保持」「日銀は政府の子会社」「核共有論」「憲法9条の改正」今更なんだと言いたい。こんな人が日本の総理大臣をやっていたのだ。

 今この人がしゃべらなければならないのは、プーチンのお友達自慢だ。総理大臣の自宅にまでお招きしてしまった事の謝罪だろう。何故お友達が侵略戦争を始めたのかを語るべきだ。そして、自分が同類では無いことを説明しなければならない。それがお友達の説明責任である。

 誰がしゃべらせて良いと綱をほどいたのだ。病気と称して職場放棄したのは誰だったのか。一国の総理大臣がお腹痛いので辞めたのでは無かったのか。止めた後を受けたスガ氏の無残さはひどすぎたでは無いか。発言はしばらく控えるのが人間としての道だろう。

 人気に陰りが出ていることに実感があるのだろう。それで右翼的なことを言えば、注目されると思っている。雑誌などでも極右本は一定は売れると言うことになっている。党内でも注目度が下がり、時代が過ぎて行く実感があるのだろう。この人はどうも長老向きでは無い。

 アベ内閣ほどひどい時代はないと言えるのだろう。親会社のアベ社長と子会社の黒田社長で日本を衰退させた。日本を先進国から脱落させたA級戦犯である。アベノマスクでもして、アベ記念小学校名誉校長にでも就任していろといいたい。日本の経済が借金まみれの危機的状況にまで落ち込ませた責任者では無いのか。何しろいわく子会社日銀の親会社の社長だったはずだ。

 こうして日本の進んではならない方向をすべて並べてくれる辺りは分りやすい。この人が自らこういうことを考えるとは思えないのだ。誰かに言わされている。後ろに誰かがいて、何か腹話術の人形の口パクに見えて仕方がない。

 そう考えてみると、このタイミングでしゃしゃり出てきたのには、意味があるはずだ。ウクライナ侵攻を契機に日本の軍事国家への道を明確にしようと言うことなのか。確かにそういうきな臭い匂いはし始めている。そのくすぶる火だねを止めることこそが、日本の役割だ。

 日本は前世界戦争の責任がある。二度と戦争はやらないと誓うことで迷惑をおかけした近隣諸国に許しを請うたのだ。それが日本の平和憲法である。世界平和の為に努力を惜しみませんから、許して下さい。これが日本の国際社会への復帰の道程である。

 中国の軍事大国化を止める努力をすることが平和国家日本の道だ。もし、中国がロシアと連携して、自由主義諸国と対立することになれば、世界全体が戦争の時代に入ることになる。もし中国を止められるとすれば、もちろんアメリカの中国友好国ではない。中国を取り巻くアジアの中堅国の連帯だけだろう。

 中国はすさまじい高度成長をしてきて、ゆがみも大きい。国家主導の経済強硬政策によって成功もしているのだが、一歩間違えば大きな破綻に進む可能性も常に持っている。落ち着くまでにはもう少し時間がかかるとみた方が良い。

 今あわてて対立的政策を行うことは、何の益も無い。下手をすれば中ロ連携に押しやることになる。中国はロシアと同類に見られることは避けたいはずだ。中国を支持する国を増やすことには熱心である。といっても中国の支援を受けている国はいつもウクライナと同じで、不安感を抱いている。

 何時、どんな難題が持ち込まれるのか、腹の底では不安があるはずだ。ザンビア、タンザニア、ナミビア、エジプト、ケニア、エチオピア、マリ、ジンバブエ、パキスタン、イエメン、セルビア、ルーマニア、マルタ以上14カ国が全天候型の友好国と人民報に書かれていた。

 アフリカ諸国が多いいが、中国の外交政策は国連における多数派工作の傾向が強いように見える。オリンピック開催都市争いと似ていて、利害の少ない国も1票には成る。中国は影響をそうした国々に広げている。中国と国境を接している国がパキスタンだけなのが印象深い。これは覇権主義とは又別の一面だろう。

 パキスタンの地元世論調査会社が「ワクチン摂取の場合には,どの国のワクチンを希望するか」というアンケートを取った際に,中国製を希望すると回答した者が35%に達して第1位になり,米国製(9%),英国製(8%)となっている。パキスタン人の意識では中国の評価は高い。

 その一番の原因は印パ紛争がある。インドから分かれて生まれたパキスタン。その原因はパキスタンがイスラム教国家と言うことになる。ヒンズー級のインドとは宗教対立が起きた。パキスタンは以前はインドの東西に国が分離していた。後に東パキスタンがバングラディシュに変わった。

 両国とも中国の国境問題を抱えてきた。紛争は複雑に推移している。現在でもインドパキスタンの間にはカシミールの帰属問題が存在する。中国はパキスタン側の主張を支持し、インドとの国境では戦闘が時々勃発している。

 しかし、かつては国境問題で対立したパキスタンと中国が抗して、一番の友好国になったことは注目すべき事だ。日本も尖閣諸島問題を早く解決して、友好国になるべきだ。国境紛争で人が死ぬことほどくだらないことは無い。尖閣が中国になれば、今度は沖縄を要求するというコメントが以前あった。

 どういう思考をしているのだろうか。そうした可能性も含めて、すべてを話し合いで解決すると言うことだ。そしてパキスタンと中国のように信頼し合う国になる。それが互いの利益に繋がることになる。日本が中国を許せないのは、中国を何時までも下に見ている人がいるからだ。

 中国人は有能である。付き合ってみればよく分かる。私なりに色々の国の人と接してきたが、中国人の優秀さには驚かされるばかりである。人を見抜く力が強い。それだけ厳しい人間関係の環境の中で生きているのだろう。気配りがすごい人達だ。

 中国の農村へ有機農業の指導に行ったときに、田舎家庭料理レストランに招待されて、中国の人達と一緒に食事をした。その時出てきたお皿がなんとなく汚れていた。それで持っていたちり紙でこっそり拭いた。すると中国の人達もさりげなくお皿を拭くのだ。

 中国人には心より信頼して良い人がいる。日本人と同種の感覚が存在する。今の中国の印象はおかしな物に作り上げられているが、中国人は日和見である。かならず、中国には次の時代が来る。中国との関係をこれ以上悪化させては成らない。アベ氏のように仮想敵国を必要とする考え方に騙されては成らない。
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絵が説明的であることや文学的である事

2022-05-17 03:58:37 | 水彩画

 最近の絵を描いている様子だ。絵の大きさは中判全紙である。少し以前と配置が違っているかも知れない。右側のタオルの上に絵の具を付けた筆は並べておく。筆は八本あるようだが、八色を使い分けるということになる。筆は一日が終わるまで大抵は洗わない。

 この手前に回転式の椅子があって、リクライニングにも成るので、昼寝をしていることもある。お弁当もここで食べる。絵の具を片付けて、絵を見ながら食べている。コーヒーを飲んだり、お茶を飲んだりもしている。気楽に絵の前で一日暮らしている訳だ。

 朝から晩まで車から外に出ない日もある。競べるのはおこがましいが達磨大師が穴の中で座禅修行の面壁8年と言うが、1畳あまりの狭い独房のような場所に数十年座り続けていても、絵を描くというのは少しもあきることが無い。まったく自由な絵という広大な空間の中にいる。有り難いことである。

 絵が説明的である事や文学的であることは近代絵画では良くないこととされている。何故なのか少し考えてみたい。近代絵画では絵画の目的は自己表現と言うことが言われる。自分の内面的な精神世界を、絵画の画面を通して世界に表現する方法が絵画だとされた。

 純粋絵画という言葉がある。純文学と同じで、絵画がそのもので自立していて成立しているという意味なのだろう。何にも依存しないで成立していることが芸術だという考え方による。宗教絵画のように宗教的意味の説明図のようなものではないと言うことになる。肖像画のように、教皇や王侯貴族の飾り物でも無い。

 説明的な絵という意味は誤解されやすい言葉である。言い方を変えればイラスト的な絵ではだめだと批判として使われる。イラストと言うことは、日本語で言えば説明のための絵ということだから、絵画には説明はいらないという近代絵画の考えから来ていることになる。

 ここで言う説明は意味はリンゴであれば、そのリンゴが食べればどんな味がするのか、いかに美味しいとか、香りまで漂ってくるみずみずしい姿を現しているから素晴らしい。リンゴを描いて食べたくなるように描くのが説明的と言うことになる。こんな考えの絵ではだめだというのが近代絵画の考え方なのだ。一般的に言えば少し違和感の成る考えかも知れない。

 美味しそうなリンゴは果物屋さんの看板としては、はまさに説明がよくできていると言うことになるのだろう。しかし、セザンヌのリンゴのようにまるで食べたくは成らない。説明では無いところで絵になっていると言うことなのだ。

 美味しそうなリンゴが上手に描けたところで、自己表現では無いという意味になる。それが対象の説明が絵ではないという意味だ。しかし、今でも美味しそうなリンゴを描きなさいという指導は普通にされている。絵画の指導法などだいたいが間違えである。技術の指導をするほかないからだろう。

 そもそも近代絵画は独学のものである。学校で学んだ人は少ない。技術を学んで絵を描いた人などほとんどいない。自己表現するためには自分の技術を見つけ出さなければならないからだ。他人が開発した技術は却って邪魔になることが多い。

 セザンヌはリンゴを食べ物としてみていない。丸いゴロゴロしたものとみている。その組み合わせの関係性に異常な興味を持っている。どうすれば画面の中の関係を構築できるか。つまり、セザンヌにはリンゴという世間的な意味は画面構成の前ではどうでも良いことになったのだ。様々な事物が上手く並べられることで、自分の世界が構築できると考えたのだ。

 それはセザンヌが自己の内面にある意味に、病的に忠実に従う性癖だったからだろう。興味がそちらに入り込んで行くから、リンゴの一般的な意味はトンで行ってしまったのだろう。だから近代絵画の祖という立場に立つことになったのだ。

 セザンヌの自己は画面の構成に異常な興味があるらしい。ということは分かる。それはいわゆる美しいものでもない。もちろん生生しい物の意味など全くない。ただセザンヌの納得の行く画面の構築だけに目を奪われていると言うことだ。一つのことに明確にこだわると言うことでセザンヌに至る。

 では画面の構築にこだわれば近代絵画かといえるのかといえばそれはまったく違う。それぞれの内面にこだわれという意味だ。表現しなければいられない内面を持つ人が、その内面に従って絵を描けという意味になる。そこから宗教画のような「役割を持つ絵」から解き放たれ、多様な近代絵画が始まる。

 それは近代絵画の結論のような位置に立つマチスのように、色と形の関係性に興味を集中させ、ある意味科学者のように、形と色の関係を模索した人に至る。私には近代絵画はセザンヌに始まり、マチスに至ると見える。その後は芸術としての方向を無くした時代に入る。

 一般的に言えば、商品絵画の時代に入る。絵画で報道されるのは高額で取引されたニュースぐらいである。そしてほとんど社会的な意味は失っているが、芸術としての意味は重要だと言うことで、現代絵画と呼ばれる孤立というか孤高世界がある。

 といって絵を描く人が減ったと言うことでは無く、絵を描く人は絶えること無く増加している。孤高派もいれば、商品絵画を目指す人もいる。私のように人間修行として絵を描いているつもりの人もいる。果たして、私が少数派なのか、同類がいるのかはよく分からない。

 水彩人の仲間でもみんな絵に対する立ち位置は随分違うと思う。違っていて良いのだと思う。だから絵を語る会をやっている。それぞれが自分の絵を語ることで、自己確認するほかないと思うからだ。お互いが良い聞き手になれればそれが一番だろう。

 互評となると、文学的においがするとか、イラスト的では無いかとか。もっとよく見て描けとか、結局一般論がとびかうこになる。結局何か言わなければならなくなれば、そ言うつまらないどうでも良いようなことが出てくる。絵画に一般論など無くなっているにもかかわらずである。

 文学的である事がその人であればそれでいい。イラスト的である事がその人であればそれで大切である。その絵がその人であるかどうかだけが問題なのだろう。その人らしいかどうかも難しいのだが、その人であったら絵がつまらないものになる。その原因はその人がつまらない人であると言う率直な結論になる。

 たいていの場合、人間は他の人にとっては自分よりつまらない人になる。他の人にも立派に見えるようにするために、借りてきたもので絵を飾る。借り物で絵を描くというようなことをすること自体が、いかにもつまらない人がやりそうなことになる。

 宗教画を描くのも良い。肖像画を描くのも良い。現代絵画と呼ばれるものも良い。抽象画も良い。イラスト画も良い。その絵がその人の絵画であれば十分である。問題はその宗教観がどれほどのものであるかの方になる。その宗教観に感銘を受ける人がいるかどうかだ。

 話は文学的という事から始めたのだが、こういうことを考えること自体が、絵画の終わった時代における愚痴のようなものになる。絵画は社会的な意味を失っている。そのことを自覚していないと、恥ずかしいことをしていることになりかねないという自戒である。
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