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武士の家計簿

2010-05-31 05:00:06 | 
「武士の家計簿」磯田道史著(新潮新書)実に納得の行く本である。幸運にも入手した、克明な加賀藩の御算用者の家計簿を読み解く本である。資料に基づく江戸時代の実像が活写されている。いたる所あいずちを打ちながらの通読である。さっぱりした。江戸時代の事は誤解が浸透している。封建社会、男尊女卑、農民一揆、士農工商、そうした先入観を浸透したのは、明治政府の歴史教育である。私がそうしたことに気付いたのは、自給自足を行なってみての事である。私のような人間に、自給自足が一日1時間で可能である。どうも江戸時代の農民像が狂い始めた。それは子供の頃からの趣味があった。ランチュウとか、チャボとか江戸文化に触れてきて、江戸時代という物のイメージに、焦点があって行かないというぐあいだった。何故、ランチュウの改良に生涯を費やせたのか。碁石チャボの作出に熱中できたのか。よほどの暇人である。

磯田氏の神田の古本屋での段ボール一杯の古文書との出会いの幸運。他人事ながら読んで安堵してしまった。これが残されていたからこそ、江戸時代の加賀藩の下級武士の生活が見えてくる。下級武士といえば、会計係は卑しい仕事とされていた。御殿医という医師の職も卑しい仕事で、役名は大小姓というと我が家では伝わっていた。武家社会というのは武士道と言うか、武力が最も大切な身分制度で、金勘定を武士にはさせない感覚があった。上級武士の教育には、会計学はない。二宮尊徳もそうである。農民でありながら、財政再建に乗り出す。これは尊徳が特殊なのでなく、江戸時代では普通の事であったという。これは面白い見方だ。金勘定のような下賎な事に、武士が関わって精神が汚れる。鳩山家のような育ちである。しかし、これが災いすると言うか、武士の生活は常に借金生活であった。仕方ないから、頼母子講のような、無尽のようなもので、凌いでゆく。ここでも尊徳が現れる。

武士が農民からお金を借りる姿、これを体裁を整え、保証を確実にする制度。この工夫は商人や、尊徳の世界。この精神が新しい時代を作ってゆく。そしてそれが、海軍に繋がるという。海軍で重要な事は、計算だそうだ。数学。そもそも江戸時代の加賀藩の数学のレベルは世界レベルである。その世界レベルの数学を背景とした、御算用者の家計簿が残っていたのだ。ここには武士の家制度の本質まで覆してみせる、驚きがある。女性像の見直し。女性に与えられるお金の数々から、意外な尊重が見られる。また、実家との終生切れない、深いつながり。そう離縁。離婚も三行半ではない。現代以上の離婚社会。困窮する武家の生活実態。それでも体面だけは維持しなければならない武家社会。年貢を上げる領地との関係、封建制度とは違う領地の実態も浮かび上がる。

その家計簿やら手紙は明治維新を経過してゆく。明治政府の実像。明治に入っても政府は武士の禄だけは出していた。徐々に引く波のような形で、給与がなくなる。それでも何の障害もなく、給与の廃止が行なわれる。そして武家の商法。仕官。現代の日本人と少しも変らない、維新への他人事のような対応。江戸時代を見直す重要性。明治政府の作り上げた、貧困社会の先入観。これを作り上げたのは、江戸の封建社会を否定しなければならなかった、共産主義思想。上からも下からも実像を離れて言った江戸時代。今こそ、実像に迫る重要性が起きている。世界希な循環型社会を江戸時代は実現していた。稲作こそその思想を育んだ物である。土地を基盤に循環する社会。新しい循環を模索する現代こそ、ますます江戸時代の再検討が重要だと思う。

昨日の自給作業:お茶の台刈り6時間 累計時間:36時間
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稲直播実験の経過

2010-05-30 04:21:16 | 稲作
5月29日の観察。やっと水が溜まって来ている。水位8センチまで来た。稲は水没している。これでしばらく経過を観察する。6日に播種をして2週間で発芽。スズメが食べ始めて、残る稲が少ない。20日に水を入れ始めて、スズメを防ぐ。効果は確かにある。ただし、水を貯めるためには畦際の漏水を止めるのに、時間がかかる。ほぼ1週間で何とか塞ぐ事が出来た。この作業は代かきをしたとしても、いつも繰り返していることなので特別でもない。水を貯めるのは、無理かと思われた状況もあったが、何度も踏み固めて、今は収まっている。水没した稲がどういう変化をするか。興味深い。また、雑草がどう変化するかも観察を続けている。水を入れて以来草は減ってきたように見える。どうなるか。中の田んぼと、下の田んぼの代かきが6月11日ぐらいなので、それまで観察して、その後の対応は判断する。

発芽も良くなかったように思われる。播種機の構造上深蒔きになることが多そうだ。思い切って手蒔きにしてしまうと言うのもある。あるいは覆土だけ手で行なう。播種されていない所もかなりあるので、確認しながら覆土してゆく。後の事が解決がついたら、播種法は工夫しよう。スズメはどうすればいいのだろう。こちらの方が大きな問題かも知れない。スズメの鉄砲に紛れて、人間の目には稲は見えにくい。スズメには分かるようだ。レンゲを繁茂させておいて中に撒くというのもやったが、播種精度が悪すぎた。やはり、動く案山子か。ある程度でいいと考えて、やはり風船案山子にお願いする他無いか。今のところ良さそうに見えるのが、雑草対策。何とかなりそうに見える。これで水没した苗が、伸びてくるのかどうかが問題。そう思ったら、見に行きたくなった。

なるほど、水没していた苗は少し弱ってきたようだ。しかし、枯れるようでもない。水位が上下するから、顔を出す時もあるから、こんな調子なら、もっと早く水を入れたほうが良かった。播種を丁寧に行い、発芽を揃える。発芽が揃えば、早く水を入れられる。水を入れるタイミングが重要。のげをとる作業。浸種から、播種のときの籾の状態。すべてが整えば、そろって出るはず。「これを速度を速め、揃える。」これが重要。水入れ以降は、案外に問題がない。棚田の漏水田でも何とかなる。浅い耕運の方は意外に上手くいった。水温は12度から13度。ともかく冷たい。この冷たい水に水没している。苗が、どうなるのか。考えれば考えるほど心配になるが、実験だと思って我慢しよう。寒風にさらされるよりはましなのかもしれない。5月6日の播種はいいにしても、一気の発芽にしないと、生育が遅れる。やはり、最初の準備をもう少し慎重におこなう。

出来れば、かなりの補植えを行なうにしても、このまま続けてみたい。一つは代かきをしない浅いアラオコシだけの方法の検証。雑草の問題も、経過が見たい。しかし、みんなが納得できるレベルに、雑草が目立たなくなり、稲が残るかが問題。現在ある雑草はスズメの鉄砲とスギナ。水田雑草はこれからが勝負。田んぼのみんなには申し訳が無いが、とても面白い。収量が下がらないように、頑張ること。機械を最小限しか使わない農法。これも自給農業では大事だ。本当は浅いアラオコシもしないで、種が撒ければ、トラックターの出番はなくなる。秋起こしもしないで、緑肥が上手く繁茂するかどうか。この点も課題になってくる。クリムソンクローバーの稲刈り前播種。これもこの秋の課題。苗床の苗は良くなってきている。あと2週間すれば、植え頃になるだろう。こっちが安心状態だから、保険が利いている。
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福島社民党代表罷免

2010-05-29 04:21:34 | Peace Cafe
麻生自民党政権という、前代未聞の理解しがたい総理大臣を経験した。さすがにこのままでは、日本は沈没する。そこで国民は鳩山民主党政権を選択した。ところが、鳩山政権麻生政権に輪をかけた、度し難い政権であった。幼児体質の政権である。どこがどう悪いなど、いちいち考えたくもない。アメリカと交渉すら出来なかった。アメリカと何をどう交渉すればいいのかさえ最後まで理解できなかったようだ。勿体つけて匂わせた、今は言えないなどと述べた腹案は、徳之島案であった。お願いはしましたが、アメリカには相手にもされませんでした。これが実態であろう。国外移設、少なくとも県外移設。この発言は何の根拠もないものであった。野党だからそこまでは仕方がないのかもしれない。政権をとった以上。それにむけて最大限の努力をすべきではなかったか。到底努力のあとが見えない。せめて、責任をとって辞めると言えないのか。3党連立合意に従い署名をしない福島大臣の罷免だけはやった。

この問題での最大のテーマは日米軍事同盟である。この問題にまったく踏み込んだ形跡がない。「取組んで学んでゆくうちに、その抑止力の重要性を認識し、沖縄に基地負担をお願いするしかないという事になった。」と言う事らしい。それはアメリカの考えを丸呑みしたと言う事である。日米軍事同盟を国民的検討課題として、あらゆる場面で議論することが、今回の普天間移転に発した課題であったはずだ。何故、米軍基地が沖縄に固定された状況が日本の安全の為に、必要なのか。充分な議論が起きたか。まったくない。米軍の抑止力というものの本質の議論を避けて、日本の安全など漠然と語るのでは、この問題に手をつける、資格がない。鳩山政権を評価する人間は、沖縄差別を直接、間接に容認する人間である事を自覚すべきだ。

鳩山政権はアジア重視の外交を、表明している。そうしたことも今回同様根拠のない、勉強をしたら違って来るレベルのものなのか。その辺はいやま不明としかいえない。中国、北朝鮮の状況は、きわめて流動的である。中国の軍事増強。大国主義。しかし、経済の拡大に伴う国際化。かつての仮想敵国としての存在から、経済同盟的互恵関係の国へと変化を始めている。これは歴史の必然に見える。資本主義経済の長所であろう。既に軍事的に戦う事ができない関係になっている。中国の存在の方が、アメリカの存在より日本にとって大きなものになってきている、歴史的変化を自覚する必要がある。アメリカに対する交渉とは、日中関係とのバランスである。アジアを持ち出すことで、オバマ政権と交渉が出来たはずだ。オバマ政権の世界戦略はブッシュ政権とは変り始めている。北朝鮮の相変わらずの冒険主義が、どれほど馬鹿げたものかは、国際社会の反応でも明確に成りつつある。

社民党は評価されていい。罷免と言う状況に到るまで、できる限りの努力はした。しかし、根本の日本の安全保障に対する思想が違う以上、やはりここまでであろう。日本の平和勢力の不幸は、共産党と社民党以外選択の余地がないという事である。僅かに、民主党に幻影を見たが、自民党以下の思想の無い政党であることが今回の事で明確化した。共産党がだめなのは現状と遊離した、共産主義である。共産主義思想が即否定されるものではないが、現実の資本主義経済を離脱して、キューバ的存在と日本がなることが選択できるのか。ロードマップが見えない。共産党員が資本主義にどっぷりつかって暮らしている姿が、まったく説得力なく見える。日本の平和勢力は、どうすればセクト主義を捨てられるのだろう。これほどの危機的状況の中で、小田原と言う小さな枠の中でさえ、小さな枠に固執して、分派活動に専念している。
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水彩人北海道展の出品作

2010-05-28 04:54:03 | 水彩画
昨年の暮れから描き続けていた中から、2点出すつもりである。月末に絵を取りに来てくれると言う事だ。珍しく長く描き続けていた。大きな100号のものも描き始めたが、これは出さない事にした。何故か、中版全紙で描いているものの方がいい。この「いい」と言う事を実はずーと考えていた。描いたものに良いというのと、悪いというのがあるのかがわからない。変な話を考えている。段々絵が出来てくると言うのも不思議な事で、出来たものがあって、それを表わしているだけと言うことの方が近い。出来た絵があってというのは、頭の中にと言う事だが。その頭の中の絵を、再現しようとしているが、それが出来ないのか。頭の中の絵が不明確と言う単純な事なのか。あるいは頭の中の絵が、実は糸口に過ぎないのか。描き続けていると言っても、こう言う事を巡ってボーとしていると言うのが現状である。

絵が実際の画面に姿を現すのは、一瞬である。1時間30分ほどか。それはほとんど作業である。絵を描いているとは思っていない。もちろん面白い作業であるが、絵を描くと言うのは、その前に頭の中に描く絵の事である。頭の中に思い浮かぶものである。だから、絵は農作業の時とか、散歩の時とか、そういうときに突っ込んで描いていることが多い。それは全画面ではなく、細部的なことが多い。この色はこういう感じでできる。この調子はこのタッチでとか。大体意味もよく分からない細部的なことが、ぐるぐるしている。それらが、ある時総合的なって来る。そうだったか、こういう絵か。描き止めようと言う事になる。それは具体的な風景である。具体的といえども、眼前の風景とは相当に違う事になる。確かに違うようでもあるが、眼前の風景の絵になったときの姿ともいえる。

そう、絵というように名付けているが、こういう物を絵画と言うのかどうかは、また別物である。平らなものに描いたものすべてが絵という訳でもない。地図であったり、説明図であったり、壁紙であったりする。絵という物を厳密な範囲でとらえれば、私がやってみようとしているのは、きわめて個人的なことで、絵であろうとしている訳でもない。自分が気になってしょうがないので、この絵らしきものを描き留めたい、という欲望であろう。眼が見て、美しいと思ってしまうと言う事が、そもそもの始まりである。何故、美しいと思ってしまうのだろう。美術とはいいながらも、絵は「美」と言うようなものと関係があるのか無いのか。これもなかなか解きほぐせないところだ。マチス以降と言うか、絵画が終わってからと言ったらいいのか。美と無縁の所が絵にはある。私が気になるのは、自分が引きつけられる美と言っていいものである。

こういう感動とか、ああ美だ。こう感じる事は、人間には普通あるだろう。単純にこの意味をもっと深く味わいたいと言うような事だ。眼福、眼福。ちょっとした草むらに、巻き込まれてしまう感覚がある。草を刈っていて、あまりの素晴しい状況に刈る訳に行かなくなる。ああこれは絵だと。否、絵を越えていると思う。これがもし、画面というものに表わす事が出来ればと思う。見えているのだから、出来ないはずも無いことなのに、出来たためしがない。所が、モネの絵を見ていると実は出来ている。マチスも、ボナールも、と思う。しかし、中川や梅原はまた違う。もうちょっと違う。ここはややこしい。違っているがさらに眼に近い。このちょっと違う先の方が結局気になる。たしかに草むらに見ているものに近い。何だろうこれは。ここを解きほぐしたい。私という個別の眼が見ているものは、学んだものである。感じる事を重ねて、養成されたものなのだろう。
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家畜伝染病予防法の問題点

2010-05-27 04:32:20 | Peace Cafe
昭和26年に施行された法律である。現代の防疫体制、獣医学の進展、巨大化した畜産の状況から言えば、あまりに実状にそぐわない法律である。口蹄疫ワクチンなどというものがない時代の発想である。農家の庭先で畜産が行われている、戦後の状況の中で、戦前の思想のままに作られた法律である。他にもそうした法律は多いいわけだが。ハンセンシ病の隔離政策例でも分かるように、前近代的な思想に基づいている。当時の社会状況を想像するに、狂犬病の流行から起きた心理的影響もあったのではないか。現代ではエイズの日本での登場のとき起きた社会的パニック反応が思い出される。今回、宮崎で起きている口蹄疫の対策はこの法律の不備から混乱が始まっている。殺処分は何故行われるのか。何故、県所有の種牛の延命がはかられたのか。さらに移動禁止と、食肉処理場の位置関係での特例。

殺処分は伝染病の感染の広がりを防ぐ方法の一つである。人間なら、あくまで一時的隔離である。口蹄疫が恐いのは病気として怖いと言うより、産業としての畜産を崩壊させるから恐いのである。殺処分と言う手法が、家畜を治療すると言う予防医学的方法を発展させなかった。殺処分が一番安上がりな方法なのだ。それで各国で行われている。口蹄疫でも、トリインフルエンザでも、ワクチンは不完全である。人間のワクチンでも不完全だが、もっと明確に充分なものでない。製薬会社が、より増しなワクチンを開発する気に成れないのは、殺処分が法で義務ずけられているからである。病気を発病した家畜を殺処分する事は分かりやすい。ではその周辺で、血液を調べても経過を見ても、感染していない牛を何故殺処分する意味があるかだ。今の5頭の種牛の場合。あるいは殺処分されると言う、49頭の種牛についてだ。

種牛とその他の食肉用の牛とは意味が違う。食肉用の場合は殺処分と言っても、早くその時が来たというだけである。極端に言えば、採算性さえあえば同じともいえる。しかし、種牛は意味が異なる。冷凍精液の販売が種牛の目的で、引退後も優秀な牛は飼い続けられていることが多い。競走馬の名馬が老後を牧場で暮らすのと似ている。そこで種牛の場合完全な隔離さえ行えれば、飼い続けても問題はないという発想がでてくる。そもそも閉じ込められて飼われている。やろうと思えば人間以上に完全な隔離は出来るのである。しかし、法律ではそうした一切の例外はない。よく読めば拡大解釈で、特例処置も出来るようではあるが、専門家で無い正確な点はわからない。清浄国という問題がある。どこかで、ワクチンを打った牛が生きている間は、どう隔離したとしても感染国という判断になる。

清浄国でなければ輸出できない。輸出が大きなものでないにしても、清浄国で無いという理由で今まで輸入を禁止してきた手前がある。こうした輸入制限措置が、国内畜産の保護と連携してたものとして運用されてきた。BSEと同じことである。アメリカの牛肉を締め出せば、日本国内の畜産は利益が出る。BSEに対する科学的対応より、関税外障壁のような形で対応してきた節がある。いままでの各国に対する輸入禁止の対応と一貫性がなければならない。これが日本が口蹄疫ワクチンに対して、どのような対応をとるかに影響がでてくる。ワクチンを打った牛が食べられない訳ではない。食べてはいけない事にしているだけだ。こうした様々な矛盾の中で、種牛は理不尽にも殺される。国は古臭い実態に合わない法律しがみついている。この教訓として法律を変える事だ。こうした中、国会では「口蹄疫対策特別措置法案」が全会一致で決まった。国や都道府県が殺処分を管理しようと言う逆行である。畜産は集積しないこと。食べ物は輸出入はしないこと。

昨日の自給作業:アマランサス種蒔き。草刈3時間 累計時間:30時間
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茅ヶ崎の湯快爽快

2010-05-26 04:09:02 | 日帰り温泉
久し振りに茅ヶ崎の「湯快爽快」まで、日帰り温泉に出かけた。総合得点76点の合格点温泉である。特に強烈な打たせ湯があって、芯まで肩こりになったときには、出かけたくなる。ところが、同じ茅ヶ崎に、何と78点の竜泉寺温泉が出来た。名古屋から初の関東進出である。茅ヶ崎で起きた東西の激突である。関東日帰り温泉の雄「湯快爽快」と、日帰り温泉発祥の地名古屋からの進出に耐えられるか。ああ茅ヶ崎が羨ましい。何と、高濃度炭酸泉を湯快爽快でも取り入れた。さらに、700円への値下げである。回数券なら、同じ600円。竜泉寺温泉には回数券が無いから、値段は並んだ。思い切った反撃である。総合得点は78点に上がった。現在得点としては、並んだと言える。本当にこの勝負どうなるのだろう。

じつは湯快爽快はがらがら状態であった。新規開店当初だからやむえないか。お陰でこの多様な施設を、マイペースで堪能させてもらった。まず、高温サウナに入る。ああ、テレビの乱れが起きている。これは減点か。充分体を温めて、打たせ湯。要所、要所で3回。次は、塩サウナ。塩で全身を充分にじゃりじゃりやる。また打たせ湯。そしてミストサウナでごろ寝。一休みして、高濃度炭酸泉。そして水風呂。サウナ、薬湯、ジェットバス。打たせ湯。高濃度炭酸泉。すっかり愉快爽快になった。これだけ入ってもまだまだ入らないお風呂がいくつもある。竜泉寺に負けていない。従業員も以前に増して、掃除や施設点検に一生懸命であった。充分挽回すると思われる。しかし、回数券600円は無理があるだろう。これがダンピング競争の悪い所か。

それにしても、高濃度炭酸泉は確かに温まる。一体何か。ラムネの湯。と言う話だけは聞いていた。ヨーロッパドイツでは温泉治療らしい。炭酸が温泉に溶けていて、体の中にしみこんでゆく。身体に染み込んだ炭酸は血管に入り込む。血管を広げ血管の循環をよくして、老廃物の代謝を進める。と言うような能書きが書いてあった。良くある健康食品の宣伝のようなもので、半信半疑で入ってみた。老廃物が出たような様子は温泉の湯船にはない。まあ出ないだろう。しかし温まるのは確かである。入ると泡が体にビーとくっついてくる。半身浴で合計15分入ったが。普通の風呂とは確かに違う。従業員の人が、大きな注射器を持って、測定に表れた。お湯を吸い取って、良く攪拌する。何%の炭酸があるか。9の位置までお湯が減った。9に数値をかけて、1200PPMです。これは高濃度と言える数値です。とちょっと自慢げに説明してくれた。

小田原にもこういう日帰り温泉があればと思う。しかし、新しい温泉が出来たらば、コロナの湯は苦戦になる。確かに、競争してサービスが良くなれば利用者はありがたいようなものだが、たぶん湯快爽快酒匂のように古い方が閉店してしまう。コロナの湯より、施設的には湯快爽快酒匂の方が良かったという人が多いい。コロナが新装オープンして閉店してしまった。小田原には観光客向きの万葉の湯がある。こちらは地域利用者には、利用できるのは早朝風呂ぐらいで、価格的にも内容的にも、また別物である。コロナでもサウナの蒸気施設をやっと直した。高濃度炭酸泉も取り入れた方がいいのではないか。竜泉寺でも湯快爽快でも何とコロナで見かける人がいた。車で仕事に通う人は、案外茅ヶ崎まで行くのもその日の仕事の都合で、苦にならないのだろう。
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意気込みプロジェクト(生ごみプロジェクト)

2010-05-25 05:46:27 | 地域
小田原の「生ごみの堆肥化」は加藤市長のマニュフェストに掲げられた課題である。6月6日マニュフェスト検討会が開かれるそうだ。加藤市長の公表した、小田原市の建前として方針は他所の町が評価して、利用するほど良く出来ている。確かに問題はその実現性にある。検討委員会方式と言う独特の方法が、様々な課題で運営された。市民を公募してその市民が市の政策に対して、検討してモデル事業を提案する。それを議会が論議し承認すれば、実行に移すと言う手法である。私は生ごみ堆肥化委員会の市民公募委員として、参加させてもらった。10名の委員で、相当の議論を重ねた。始まりの頃は委員会の設置目的自体が、おかしいのではないかと言う事や。委員の意識の違いで、起動に乗ることが難しいいのではないだろうかと言うような状態であった。果たして、検討委員会で実りある議論はできるのだろうか。そういうスタートだった。

一方でごみの広域処理が進められる中、1年でも早く成果をあげなければならない、時間的な制約もあった。当初の計画では、1年5回の検討で小田原の生ごみの堆肥化を検討して欲しいと言う、不可能なものであった。しかも、専門委員も存在しないと言う、エンジンも無いグライダー状態であった。そこで、正式な委員会以外に、研究会的な部会を設け、課題ごとに徹底論議する事にした。調べれば調べるほど、財政的制約とごみ問題はリンクしていることが分かってきた。そこで、今のごみ処理法より、財政負担を増やすような方法は当面はやらない。こう言う事が共通の意識として芽生えた。全国での成功事例と言われているものは、調べたものは大抵、大きな財政負担を必要とする。将来、市民のコンセンサスが形成できれば、そういう取り組みも可能であろうが、現時点では今より経費が増えないと言う、手法をモデル事業として、実施する必要を検討した。

そこで、出てきたのが、「ダンボールコンポスト1000配布案」である。これにまず取組んで見る事にしたのは、生ごみの堆肥化の学習教材である。生ごみを堆肥にして、そこに種を蒔いて、作物を収穫する。そして食べる。こうした暮らしの循環を各家庭の中で実現できる方法なのだ。これを実践する市民を増やしてゆく。その基盤が要請されて始めて、次の段階に移れる。そして、公募が始まった。果たして1000の応募があるか。と言う議論もあったが、一気に集まった。小田原市民の意識の高さである。これが一番の小田原の可能性だ。たぶん他所の市町村では考えにくい事であるが。小田原市民はとても小田原の事を思っている。この1000の生ごみ堆肥化家庭での体験事業が、土台となって、市全体の生ごみ堆肥化が次の課題である。

もう一つの生ごみプロジェクトが、地域の取り組みである。40の家庭から出る生ごみを回収する。それを電動乾燥機で乾燥し、堆肥場に移動し堆肥にする。このモデル事業が始まる。こちらの事業では、家庭から出る生ごみを堆肥化するための、事業費の予測をここで立てたいと考えている。全家庭から出る生ごみを収集し、堆肥化した場合、どの程度の経費になり、実現可能なのかの調査である。出来る堆肥が安全なものであるか。あるいは、異物の混合はどの程度のレベルになるか。こうした事も併せて調査する。加藤市長が提案した、生ごみの堆肥化が、現実的に20万都市小田原で可能なのかを、一歩から確かめようと言う事だ。これがもし実現できれば、日本のごみ処理のモデルとなりうる、大きなプロジェクトである。日本に限らず、世界のモデルにも成るだろう。この実験に取組んでいる事をとても誇りに思っている。
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定年帰農

2010-05-24 04:27:37 | 身辺雑記
現代農業が流行らせた言葉である。おかしなことをいうものだと、変に気になっていた言葉だ。所がこの言葉の理解の仕方が間違っていた事に最近気がついた。都会で勤めをしていた人が、会社を定年になって退社する。どこか田舎を探して農業を始める。と言うようなことかと思っていた。帰農と言う言葉から、陶淵明の歸去來兮・田園將蕪胡不歸を連想していた。どうもこれが大きな間違えであったようだ。定年帰農とは、農家の息子さんが一定の年齢になって、本格的に農業に戻ると言う事だったようだ。つい自分が、新規就農者だったもので、同類の事ばかり考えていた。しかし、大半の帰農者候補は農家の息子さんであった。大学の頃の友人の多くが農家の息子だった。昨日は田植えで大変だった。などと話していたのだ。今年は一等米だよ自慢顔で言っていたのを思い出す。彼らの殆どが地元で教員になった。そして、そろそろ定年である。「定まった時にいたり、農業に帰る。」

友人から最近そういう手紙をもらった。うっかりしていたが、考えてみたら当然の事だった。そもそも彼らは本格的な農業者だった。大学に来ていても、農業から離れたことはなかった。教員になっても農業を続けていた。そして、定年になってもそのまま農業をする。こう言うライフスタイルがあるのだ。公務員になった友人もいたが、これも同じで農業を何とか続けていた。当時の地方の国立大学は、そういう地域密着と言うか、お金が無いが大学に行こうと言う人間が集まっていた。現金収入がまったくなくても、家から農業をしながら通うなど、充分可能な選択だった。そういえば彼らは家庭教師もしていた。彼らというのは、女性の知り合いなどまるでいなかったので、彼らの事しか知らない訳だが、女性でも農業者という人がいたのかも知れない。大学制度は昔の方が良かった好例である。大学に行くには家から持ち出すお金は要らなかった。

多くの友人が農業に帰る。と言ってもたぶん農地を広げる訳でもなく、今までどおりの農業をやるのだろう。貸していた田んぼを返してもらうと言うのはあるかも知れない。そういう団塊の世代の人間が、これからの農業の担い手のかなりの比率を占めるだろう。会社勤めで、疲れ切った都会人が農業を始める。これは無理な事である。農業はそんなに甘くない。元気な若者が始めてもなかなか成り立たない職業である。そこで、「半農半X」と言うような不思議な言葉が生れている訳だ。大体の場合こういうスタンスは、両者が共倒れになる。半分の農だから、半分で済むかというと、生半可と言う事になりがちだ。「全農全X」でないと無理なのだ。両方手抜きでなく、両方精一杯。それが出来るのが、農家の長男の定年帰農かもしれない。

三ちゃん農業と言う言葉の方は今は忘れられた。じいちゃん、ばあーちゃん、かあーちゃん、農業。父ちゃんは出稼ぎだったり、役場づとめだったり。農家が崩れ始めていることを意味した、悪口のようなものだったはずだが、なんとものどかな響きがある。もう一回、じいちゃんばあちゃん農業悪くない。たぶん、農家育ちのじいちゃんで、農業を支えつづけた家にかあーちゃんがいれば、相当のものである。そう思うのは、身体の出来が違うのだ。大学に来た時はもうおっさんばかりだった。百姓の身体をしていた。大げさに言えば、朝青龍のような土台の逞しさが宿っていた。彼らなら、長年の宮勤めでも我体が崩れていないだろう。まったく会いたいものだ。あのころ、絵を描いて困ったら家に来いよ。食べるぐらいの田んぼはあるからそういってくれた。きっと今ごろ田植えで泥まみれに違いない。
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宮崎種牛の延命祈願

2010-05-23 05:09:30 | 自然養鶏
東国原宮城県知事が種牛の救済を国に申し出た。これまた異例中の異例である。ただでさえ6頭の種牛を移動した。正直移動した翌日、残された他の種牛に感染が見つかった。あまりの符合。それを疑わなくてもいいにしても、異動禁止区域からの脱出移動は異例。その結果、6頭のうち1頭が感染我判明。もし私がこう言う事をして分かってしまったら、警察の取調室だろう。普通ならこれで、宮崎の種牛のすべてが淘汰と言う事である。もちろん、淘汰などする必要は無いと考えている。考えてはいるが、ルールではすべてが無理強いの淘汰である。その中で何故県の種牛だけが異例に救済されるのか。もちろん経済性である。さしが入る高給和牛の種雄だからである。何かおかしくないか。命の軽重と言う事もあるが、それだけではない。

何故、ルールを見直そうとしないのか。ルールがおかしいのである。種牛を経過を観察すると言う事で、飼い続けてもらいたい。特別にワクチンを摂取する。ワクチンの効果を見ると言う事でいいではないか。何故、淘汰しなければ防げないのか。もしこれが人間であれば、あくまで隔離であろう。淘汰が結局一番安上がりと言うだけなのだ。家畜は経済動物と呼ばれる。すべてが経済の枠で考え済まされている。殺処分して埋めてしまえば、大変な損害だと言われているが、むしろ隔離してワクチンを使って、病気を封じ込めると言うのは莫大な経費が必要となる。要するにお金の事だけだ。前回も書いたが、感染していない牛は肉にして食べればいい。トリインフルエンザの時にも、このことを主張したが、感染を調べる、費用が無いというのだ。感染する前に早急にやるべきだ。さしの入った宮崎牛など、生涯食べる機会も無いだろうから、こんな機会に拝ませていただく。

種牛は実験材料として、特別扱いしたらいい。まずすべての種牛にワクチンを打つ。これで、清浄国に成ることは当分なくなるが、この種牛を島の種畜場に移動する。そして、経過観察の実験を行う。既に感染している種牛も、淘汰をしない。生かして病気の経過を見る。徹底した隔離も、人間なら不可能でないのだから、隔離病棟で飼育実験をする。口蹄疫では必ずしも死ぬ訳ではない。回復する牛もいるはずだ。どうなるか。徹底調査の対象にする。この病気の必要なデーターが取れる良い機会である。全殺処分してしまうから、この病気がどういう経過になるのか、細かな所がわかっていない。とてもいい機会だ。この種牛群を使って実験をする。経済動物なのだから、相当費用を掛けてもいいだけの価値がある。問題は風評被害だが、宮崎の畜産農家がその価値を認めるなら、覚悟してやってみる。

東国原知事は危機管理がわかっていない。「寝ずと頑張っているんです。」その叫ぶ前にやるべきことがあった。それが知事の役割である。こんなに大切な種牛なら、韓国であれだけ騒がれている間に、分散管理に切り替えるべきだった。大切な種牛をそのままにしている県があれば、直ぐ分散隔離してもらいたい。案外手をこまねいている所もありそうだ。家畜保健所に要注意事項を徹底すべきであった。1ヶ月の放置が、こういう事態を引き起こしたのだ。トキはそのために、今石川県でも飼育されている。トリインフルエンザが発生したとき、リスクがあるのだ。出来れば、島で飼育するほうがいい。かなり安全性が高まる。青ヶ島を日本の種牛基地にする。どうだろうか。一つの島では危ない。沖縄諸島など適地がありそうだ。4島ぐらいで豚や鶏の種畜場も同時に行う。こういう体制を全日本で行う事。種の保存センターの設立。いい機会である。
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直播実験の経過

2010-05-22 05:07:15 | 稲作
今年の稲の直播も上手く行かなかった。発芽が充分ではなかった。原因はスズメである。大量なスズメではないのだが、5,6羽のスズメが付いてしまい、徐々に芽生えた稲がなくなってきた。苗床のセルトレー苗も早めに取った所はだいぶやられた。分かっていてなぜとるかと言えば、試してみたくなる。またその必要もある。慌てて再度かぶせたので許容範囲。直播でのスズメ対策を考えられるだろうか。稲刈りの時は動く案山子で、何とかなる。しかし、餌の他にはないこの時期。スズメが付くと成ると、やはり直播自体の方法を変えなくてはならないだろう。湛水直播ならいいのか。ともかく、そうは言っても今年はもう少し続ける実験がある。それは、薄い簡単な荒起こしだけで水を入れた場合どの位の日にちで水が溜まってゆくかである。2週間ぐらいかとみている。21日早朝水を入れた。残っている苗は3センチぐらいなところである。

6日に播種したわけだから、目で分かる状態までの成長に2週間かかっている。この間早く発芽した所は、スズメが食べてしまっている。今ある稲が、水を入れてどのように変化してゆくかが次の観察である。水は24時間入れて、畦穴を1箇所ふさいだが、簡単には水はたまりそうも無いなと言うのが、今の状態である。入水が少ない。水源に行って調整しなおすというのもあるが、基本来ている水で行っている。上の方の調整は、それぞれ昔からの人が使い勝手があるのだから、変わったことをやって、変更は避けたい。まして今の時期から、この舟原では田植えの準備だ。水はどこでも充分に欲しいだろう。田植えを遅らせ気味にしているのも、他の代かきとかち合わないようにと言う側面もある。欠ノ上では6月20日田植え。これも、始めての事でどうなる事やら、今日水路の整備である。ダンボールコンポストの説明で、午前中はだめなので、午後には見に行って見たい。

いずれ、直播の条件はいつでも充分な水のかけひきが出来ると言う事が大きい。これは福岡さんの所の団子直播もそう言う事のようだ。もう一つの条件は畦の作り、これは前提である。畦を自分の思い通りに作れる。これもまた条件。そんな程度の事はどこでも勝手にやれそうだが。畦も地域ごとの約束事がある。桑原では田んぼは集落への水の流入の調整池の機能がある。だから簡単に水が畦をのっ越せるように。3センチ程度と低くなっている。だからここで深水管理はできない。もちろん今は出来ないという訳ではないが、他所から行ってやるのだから、理屈はともかく地域のやり方にあわせる。その方が大切である。舟原の土の畦はまあまあの状態。浅いアラオコシ、土と草がやっとまみれたこれ以上浅くは無理と言うアラオコシで水はどのくらいの期間でたまるのか。ここがまた手探りである。そして、次の課題草の抑制。

草が水で抑えられるか。一気に10センチ以上の水が入れられるなら、それは可能であろう。今までの経験で深水で、草抑えが可能だと言うのは見えてきていう。しかし、ダラダラ2週間かけていたのでは、どうだろう。今後の観察である。もう一度田んぼを見に行きたくなった。この時期に成ると、朝4時には明るくなる。ありがたいことだ。朝のうちに殆どの作業が出来る。問題は草刈。昔はこういううるさい機械はなかったのだろう。鎌で畦の草を刈るなら、暗いうちからやっていても問題は無いが、何しろ刈り払い機のエンジンはうるさい。8時過ぎないと使えない。これが困る。やはり水が止まっていた。様子はわからないがまた水が来てからの事になる。セルトレーの方の水も困るのだが、明日は雨と言う事だから、何とかなるだろう。
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ダンボールコンポストの配布

2010-05-21 04:54:09 | 地域
小田原市の生ごみ堆肥化モデル事業がいよいよ始まる。まず、720の段ボールコンポストの配布が行われる。その他の方法による、堆肥化は140あるそうだ。7500を目指す、第一段階である。ダンボールコンポストの配布が行われ、継続が出来るかどうか。サポートを頑張るしかない。
説明会での説明法をサポーター会議で話し合った。以下確認を含めて、記録して見ます。

Ⅰはじめに、段ボールコンポストとは、どういう原理のものかを簡単に説明します。

1、 小田原市が、ダンボールコンポストを1000件まで配布することに致しました。家庭で身近な材料を使って、手軽に生ごみの堆肥化ができるからです。
2、 ダンボールコンポストの原理は、水と空気と微生物による有機物の分解です。自然の森の循環の原理です。落ち葉や倒木や生き物が死んで土になって行く原理を段ボールで再現したものです。
●その自然循環の状態を、段ボールの中をかき回すことと、人の手で水分調整することにより微生物の活動をスピードアップさせ、生ごみの分解を進めます。

Ⅱ次に、段ボールコンポストのセットの仕方を説明します。

3、 材料の確認、(段ボール箱くみたててつかいます。・布ふしょくふです、家で布やTシャツに変えてもらってもいいです。・ゴムで布を止めます。・温度計・シャベル・基材・米ぬか)
基材です。基材は微生物の住処になるように調整されています。(おがくず、ピートモス、クンタン、腐葉土)あと、アンケート用紙。マニュアル用紙、生ごみ入れないゴミ袋。
●ご自宅で用意していただきたいものは、ガムテープ、底上げ用の木材やスノコなどです。
4、 段ボールは折り返しを外側に折りたたみガムテープで止めます。底もガムテープで止めます。
●ガムテープでしっかり目張りすることで虫の侵入を防ぎます。
●中の基材が一杯になった場合、折りたたんだ部分を立てて、ガムテープで止めてください。
5、 段ボールの底には底の補強のため段ボールを敷いてください。基材を段ボールの7分目入れます。米ぬかカップ2杯、水カップ2杯を加えよくかき混ぜます。
6、 段ボールは部屋に置く事も可能ですが、雨のあたらない、軒下などでもいいです。
●外に置く場合は特に虫の侵入に気をつけてください。家の中に置いた方が虫は出にくいが、においが気になるかもしれません。
7、下には、床から浮く様にスノコや棒を2~3本置いてください。
●段ボールを浮かし、通気を良くすることで底が湿気ません。
8、段ボールには防虫カバーとして、不織布をゴムの輪で隙間なく、きっちりと止めます。
●ここにすきまがあると虫が入り卵をうみつけます。

Ⅲ、それでは次に、ごみの入れ方について説明いたします。

9、 1回の生ごみを入れる量は最初はおおよそ500グラムです。3角コーナー1杯が目安です。
 ● 実際の生ごみの量はこのくらいです。
10、 生ごみは何でも入れられます。魚のアラやスイカの皮などは小さくした方が分
解が早いです。
 ● 生ごみを入れたら良くかき回し、空気を入れる事が大切です。
 ● 魚は臭いが出るので、お湯をかけてから入れると臭いが抑えられます。
11、 40度ぐらいまで温度が上がり、状態がよく成ると、1日1キロまで入れられるようになります。
12、 隅ずみまで毎日かき回した方が、良い状態になります。
13、 熱を計測します。最初は温度は上がりませんが、1,2週間すると段々上がってきます。


Ⅳ、段ボールコンポストについて、よくある質問と注意事項をお伝えします。
ア)温度についてですが、
14、 20度前後でも分解はゆっくり進んでいます。冬場などは二重の箱にすると
いいです。
 ● 一回り大きめのダンボールに入れたりすると保温性が増します。あまりに温度が低くなると微生物の活動は停止します。
15、 普通は30度から40度を上がり下がりします。
16、 分解を早めるためには温度を上げます。米ぬか、廃油、納豆、糖類などを入れて、水分を60%にします。
17、 ただし、温度が上がると臭いがでる場合もありますので注意してください。
18、月に1回くらい60度まで温度を上げると虫の発生が抑えられます。
イ)次に水分についてです。
19、 水分量は60%が良い状態です。手で握り水が出ないで、崩れるぐらいの状態です。
20、 入れる生ごみが乾いていると、水分が不足になることがあります。その時は水を足します。
●水分が不足すると微生物が活動できません。
21、 水分量が多すぎると臭いが出ます。
●空気不足になって、腐敗してしまいます。
22、 水分量が多くなってきたら、米ぬかか基材を加えてください。
●温度を上げて水分を飛ばすこともできます。
ウ)そのほか、こんなときは、あわてないでください。
23、 白いカビが表面に出た場合、良い状態なので、かき回してやります。
24、 しばらく使わなかった場合、生ごみや水や米ぬかを加え、良くかきまぜれば再開できます。
●休眠状態から目覚めさせるイメージです。
エ)基材交換の時期について、
25、 投入生ごみの総量が、60キロから100キロになると、発酵がとまります。基材の交換時期です。コンポスト総量が重くなって、密度が濃い感じになります。固まっただまが出来、粘った感じになります。また、段ボールが湿気て段々弱くなります。新しい段ボール箱に変えてください。
26、 終了した基材は、堆肥として鉢やプランターの下部に入れて、野菜栽培の肥料になります。
27、堆肥はできるだけ、各家庭で利用してください。どうしても使えない人は、ビニール袋に入れて、堆肥と書いて、月一回の資源ごみの蛍光灯などの日に出してください。
28、更新は、新しいダンボール箱にできた堆肥を4分の1ほど入れ、そこに新しい基材を足して再開します。
29、大家族の場合、また、場所があれば箱を2つ用意して行うのも良いと思います。
30、原理がわかれば段ボール箱にこだわらなくても、又中に入れる基材もおがくずだけとか、自分なりに工夫が出来ます。

●アンケート用紙は7月14日から28日に提出してください。基材交換のときでもかまいません。
●生ごみサロンの紹介:月1回集まりを持ちます。一回目は6月23日でマロニエです。情報交換や意見交換など、疑問点など話し合いましょう。現物をお持ちいただくのも構いません。
●記録用紙に変化を記録してゆくと、早くコツをつかめます。
●FM小田原では「生ごみサロン」で、質問にお答えする時間が始まります。
●途中で心配に成ると思います。その時はどんな事でも構いません。直ぐ市役所に電話してください。電話番号は33-1471です。
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ワクチンと免疫

2010-05-20 04:22:02 | 自然養鶏
口蹄疫ではワクチンをウイルス濃度の低減の為に使うことになった。殺処分を待つ間、ウイルスを抑制する事が出来ると報道では書いたものがある。テレビで専門家らしき方もそう発言していた。ワクチンと言うと、特定のウイルスに対して、免疫を作るための感染予防的に使われるのが普通である。感染を既にしている場合、発症を防ぐためにワクチンを使用し、効果があるという考え方。本当にこう言う事が有効なのであろうか。疾病小委員会の専門委員が決めたことだから、間違えとは思いたくないが、どうも腑に落ちないところがある。免疫という物は、生き物なら大抵のものが、自然に備えている機能である。この機能を人工的に行うのがワクチンである。既に感染している牛にワクチンを打ったところで、意味がないはずである。たぶん情報が交錯している。ここで言うワクチンの効果は、殺処分を待つ家畜にまず、ワクチンを打つ。そして待機中の感染を防ぐ。こう言う意味ではないだろうか。

しかし、科学的に考えればこれもおかしい。埋めてしまうなら食糧にしてしまったらどうだろう。食べても安全だと、繰り返し述べている訳だ。無駄な事はすることはない。感染もしていない種牛を殺処分するなど、丸で意味がない。血液検査をしてそのまま飼い続けるべきだ。種牛を殺処分するのは、正に風評被害そのものだ。生き物を無意味に殺す事は行ってはならない。今回の事でも、経済の事が優先されている。宮崎ブランド全体のイメージダウンを避けたいと言う思い。清浄国である認定の後れの不安。肉の輸出が出来なくなる対策。経済的対策でワクチン使用の判断が揺れ動いている。商売でやっているのだから、当然である。と言う声が聞こえるが、家畜は物ではない。生命を粗末に扱ってはならない。

免疫機能は植物にもある。MOA大仁農場の木嶋先生は拮抗微生物の免疫作用を主張されている。植物免疫と言う考えの先駆者である。最近になって奈良先端大学の研究成果でも、同じことが確認されたと言う。しかし、江戸時代から農家は踏み込み温床を行ってきた。苗を作るときに、踏み込み温床と言う微生物が充満した環境で作る苗が丈夫であると言うことを、体験的に知っていた。私の提唱する自然養鶏でも、この考えに基づいている。雛をいわば踏み込み温床の上で育てるのである。小さい時から、菌の充満した中で育つ雛。育ちながら感染し、免疫力を高めてゆく。こうしてえた免疫力は、特定のウイルスという特別な免疫ではないが、ごく普通にある病原菌に対しては、ワクチンとは違う免疫力を確立する。その結果一切の薬剤を使わない自然養鶏が可能になっている。

宮崎での口蹄疫では殺処分対象が、県内の家畜数の4頭に1頭になった。と言う事は、宮崎県では人口に近い数の家畜が存在し、その4分の1を殺処分する。まったく怖ろしいようなことだ。牛が注目されているが、豚は58万頭と数が多い。これが鶏だと432万羽となる。正に畜産県である。今回の事でも、経済的合理性から産地形成を行うと言う考え方を見直す必要を感じる。むしろ、地域地域で分散して、適正規模で家畜は飼うべきものだ。ただでさえ地方の産業は衰退している。畜産に力を入れて、集中して行おうと言う事になるのは、わからないではないが。リスクも高まるのである。今回の反省が、予防的殺菌という所に行くだろう。そうした方向は進めば進むほど、リスクが高まる。今回のウイルスも、宮崎に登場した時には、前回より感染力がぐんと増していた。家畜を飼うと言う意味をもう一度見直さなければならない。
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口蹄疫ワクチン使用

2010-05-19 04:04:20 | 自然養鶏
これは確かに非常事態である。日本の人畜共通感染症の対策の新しい場面である。ワクチンによって病気を制圧する。これは新しい事態を招く事になる。それもやむえない段階だと、農水の家畜疾病委員会が判断したと言う事である。現段階では、予防的に使用することは決定されていない。トリインフルエンザにおいては、あれほどの流行と要望があっても許可しなかったワクチン使用である。家畜の世界では隠れて違法にワクチンを使う農場が存在するほど。常日頃ワクチン使用の希望の圧力は存在している。しかし、それをあくまで農水は禁じてきた。4つのの理由がある。(1)口蹄疫には沢山のタイプがあるため、ワクチンは流行株に適合しなければ効果がない。(2)ワクチン接種した動物でも感染することがある。(3)不活化が不十分でウイルスがワクチンの中に生き残ってしまうことがある。(4)清浄国との判断が難しくなる。それはトリインフルエンザノ場合とまったく同じことである。

専門家の判断であるから、それ以外ない事態に到ったと言う事になろうが、もう少し時間を稼ぐと収束に向かう可能性が高いとみているが、どうも政治的にもそういう事態ではなくなった。今までの農水や赤松大臣の外遊まで、批判されているが、そういう問題ではない。今緊急事態において、政治問題に摩り替えようとする、報道の姿勢は明らかにおかしい。この点では、3月31日、県家畜保健衛生所では水牛の感染の情報が入ったが、口蹄疫を疑わず、遺伝子検査をしなかった。さらに、家畜衛生所は最初の疑い事例についても、11日前の4月9日に症状を確認しながら感染を見抜けなかった。お隣の韓国では1月に感染が広がった。要注意状況である。にもかかわらず、県の家畜保険所は疑いを持たなかった。韓国中国では引き続き感染が広がっている状況なのだ。この県の検査体制と感染症に対する意識の低さを、その理由を調査し、次の感染対策に生かす必要がある。

蝿やネズミやゴキブリでも感染は広がるのである。そして人間である。人間は感染しないと言うのは、間違えである。人間は希には感染するが、大した病気ではない。と言うのが科学的な知見である。赤松大臣の人間には感染しませんと言う発言は以前も指摘したとおり、間違った発言である。風評被害防止と言う事も確かにあるので、仕方がないとも言える。但し、感染症に対して、深い知識が無い人が、緊急動員されている自衛隊員が人には感染しないものと考えて行動すると、感染の拡大を担うおそれがある。人は蝿と同じように菌を保有し運ぶ。たぶん感染を広げたのは、3月31日水牛を調べた、家畜保険所の職員の可能性が高い。犯人を批判すると言う意味ではない。その人の行動範囲を調べることで、今回の感染対策がとりやすくなる。

ワクチンを使うことにするとなれば、収束のさせ方も、充分に想定しなければならない。新型インフルエンザでも、パンデミックだと騒ぐだけ騒いで、ワクチンを無駄にしただけだった。その責任をWHOの関係者も、報道も無視している。ワクチンを使えば、次の流行に対して複雑な対応になる。問題が起こるだけでなく。この後数年は、緊急事態が続く覚悟がいる。トリインフルエンザに対しても、ワクチン使用の圧力が高まるだろう。豚でも同じことになる。病気が潜在化してゆく可能性が高まる。いつも、結論は同じ所になる。家畜の飼い方がおかしいのである。病気をワクチンで潜在化させる。こんなことを続けていれば、いつか人間に手に負えない、人蓄共通伝染病が登場する。肉はたまに食べればいい。人間の暮らし方の問題にぶつかる。
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竜泉寺温泉に行ってきました。

2010-05-18 04:27:33 | 日帰り温泉
竜泉寺温泉実などと言うと、どこか遠くに旅行に行ってきたようだ。じつは茅ヶ崎の日帰り温泉である。コロナの湯で話題沸騰だったので、早速行ってみたのである。4月22日開店と言うから、まだ一月と言う施設である。噂どおりのすごい温泉である。日帰り温泉発祥の地と言われる名古屋の会社だという。さすが、名古屋的合理性というか、要領のよさが特徴。必要最小限の設備で充実感満載。茅ヶ崎には湯快爽快と言う、素晴しい施設が既にある。どういう勝負になるだろう。ああ、茅ヶ崎に暮らしたい。

1、清潔度「9」 湯量が多いい所が良い。このまま続くかどうかは分からないが、湯船から溢れ出る湯量が、なかなかの物である。新しい施設だから、綺麗なのは当たり前だが、設計段階から、掃除しやすく出来ている。全体の配置でも、湯船の設計でも汚れが溜まるような、隅っこがない。

2、泉質「7」地下2000メートルまで掘ったという。すごいことをやるものである。と言って泉質が良いという感じはない。人工的に溶かし込んでいる高濃度炭酸泉と言うのが、ちょっとすごい。これを泉質と言っていいかどうかが疑問なので、一応7点だが。考え方次第では、10点でも良い。

3、環境「6」仕方が無いわけだが、東海道線と新湘南バイパスに接した住宅地である。海の近くではあるが海は見えない。富士見の湯とあるが、眺めるほど展望を取ると、隣の大マンションの住人が困るだろう。いわゆる、ビルの4階、5階の温泉施設である。

4、食事「8」料金的に内容は納得できる。メニューはありきたりで特徴は無いが、今の所味と価格はバランスが取れている。今の所というのは、まだ、全メニューが販売されていない。どういう意味なのか不思議。エビフライを食べたが、合格の油と上げ方で香ばしく上手い。しかし大海老とあったが、それほどは大きくない。値段がエビフライ定食で1000円しないのだから仕方がない。生ビールは麒麟。

5、湯船施設充実度「9」サウナが黄土サウナ。不思議なサウナで入り口からの風が冷たい。入るなら、右奥が温度が高い。ともかく、高濃度炭酸泉にはビックリ。すごい。温まる。又入りたい。これは半身浴まで。全身入るととのぼせる。ジェットバスは水深90センチ高。腰の悪い人と腹のダイエットにはいいかもしれない。そのほか岩盤浴が別料金300円である。こちらは入らなかったのでわからない。岩盤がビルの5階にというのは実は岩盤でなく、砂利らしい。今度確認する。

6、従業員の対応力「7」まだ慣れないのか、対応がまちまち。何で入り口にズラーと立ち並んでいるのか。不思議だし無意味で、不気味。と言って感じが悪いと言うのではなく、普通にいい。教育中というところか。皆さん笑顔のところがいい。

7、コンセプト「8」健康志向であろう。大浴場を高濃度炭酸泉だけに絞ったところが良い。屋上露天風呂が案外、開放感があり健康的。とくに、露天風呂にテレビがあるのは始めて。時間がある時のんびりするには、いいかも。ごろ寝湯もあり、あそこからテレビを見たらさらにいいが、特等席は1つだけ。

8、価格満足度「9」600円なら悪くない。なかなか出来ない価格だと思う。10点と言いたいぐらいだが、値上げされても困る。さらに朝風呂は6時からで500円。今からでも行って来たぐらいだが。残念ながら、いつの日にいけることやら。

9、全体施設「8」日帰り温泉常習者にとっては、必要充分な施設。洗い場は少々狭いが、区切られているので、周りの人にあまり気お使わなくて済む。ゆったりスペース感が不足なのは、混みすぎかも知れない。透いて居る時なら又違う印象だろう。駐車スペースが安心なくらい広い。これはいい。

10、アクセス「7」そう便利な所ではない。西湘バイパス、新湘南バイパスなどを利用して、来る人を当て込んでいる。いずれ、車利用が前提である。判りにくい場所であることと、住宅地の施設なので、交通には注意。

総合点78点。日常使える環境に暮らしている人が羨ましくなる。

昨日の自給作業:アスパラの植え付けなど1時間 累計時間:27時間
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稲の育苗

2010-05-17 04:19:18 | 稲作
昨日舟原田んぼの苗代で「育苗研究会」が開催された。各田んぼからそうぜい20人が集まり、今年の生育について、話し合った。苗は遅れている、田植えを一週遅らせる必要があるかも知れない。というような所が総論だった。寒さがともかく響いた。4月半ばの雪が降る寒さ、と日照不足。この前の10日前後の播種と、17日以降で大きく生育に変化が起きていた。

育苗研究会 5月16日 舟原苗床1反  (参加者20名)
全体に寒さの影響を受けている。特に、キヌヒカリ、アキニシキ、ヒカリ新世紀は寒さの影響が顕著であった。一方、サトジマン、満月糯は影響が少ない。それでも、サトジマンでもパオパオ被服では低温障害が現れていた。ラブシートの方が保温性が高い。但し、いつまでも剥がせなかった、ラブシートの影響で、株の生育が弱々しい。がっしり苗になっていない。寒さの影響を受けた、ヒカリ新世紀も黄ばんではいるが、がっしりはしている。色が上がってきているので、このあと回復の兆しはある。アキニシキはもろに影響がでており、この後の生育が心配な状況であった。一番生育が良かったのは、欠ノ上田んぼのサトジマンの10日播種であった。いくつか原因が考えられた。今後の参考に成ると思われるので、欠ノ上の苗について、考えられる所を上げておくと。

1、サトジマンが品種性能として、寒さに強い点。
2、種籾が非常に充実していた点、一回り大きい粒張り、反収10,5俵の田んぼ。
3、3月22日月齢6.3からの籾洗いの期間が長い。
4、播種前冷蔵庫に入れた。
5、鳩胸状態の状態がよかった。
6、苗土には一切何も混ぜなかった。覆土にクンタンを混ぜる。
7、ラブシートの適切な期間の被覆を行う。
8、苗床との接着が良かった。
9、日が差すと水口方面の畝より二度、水の温かい環境であった。
10、4月11日満月前蒔きであった。4月25日新月前も良かった。何故か。
11、籾洗いの際海水に漬けた海水選。これは善悪不明。
12、一番東で日照が長い。
13、田んぼでのセルトレーの苗代密着状態が良かった。

その他の気付いた点。
1、ラブシートべた掛けの場合。セルトレーが水位に対して、深いとべっとりと密着し窒息状態になり、発芽が出来ない。
2、ラブシートを一月掛けておくのは限界。がっしり苗にならない。
3、ラブシートは浮かすことなくべた掛けでも問題はない。緩みを上手く作る。
4、発酵床のばら撒きムラ状態が苗に反映している。
5、苗代の代かきは少し早く行い。水を少しづつ入れておき、土とトレーが設置しやすいようにする。
6、苗代田んぼは秋起こしはしない。

今の苗の状態が、秋の収穫にどう影響するのか。興味深い事だ。複雑な要素が関係しているので、なかなか見えにくいことだが、繰り返して観察をすることで分かる事もあるはずである。欠ノ上は岩越さんの観察力が卓抜なので、いい苗が出来る。ひとつの事実であるが、欠ノ上田んぼが今年条件がいいとはいえない。この悪条件の中で、どのような稲作を行うか。とても興味深い。品種の特性として、今の所サトジマンが生育の状態から、有機栽培の稲作にとても適合した品種に見える。筑波で作出され、神奈川が普及の中心にある品種なので、神奈川の水に合う。土に合う。奨励品種である安心は、苗が何か事故があった時に融通性がある。

昨日の自給作業:大豆溝堀と田んぼの畦の草刈4時間 累計時時間:26時間
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