地場・旬・自給

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ひこばえの7月16日の様子

2024-07-18 04:31:44 | 楽観農園

 1番田んぼでは、「台光」という台湾から来たと言われている品種を作っている。ただし、台湾には「台光」という品種はない。由来が分らない品種であるが、作ってみた感じでは、インディカ種とジャポニカ種の交配種だと感じる。出穂のバラ付きが大きく、140センチまで伸びる。

 昨年の8月に1期目の播種をして、9月に40㎝角植えで田植えをした。今年の1月13日に稲刈りをした。そこから出たひこばえの稲刈りを6月8日に行った。 稲刈りから、5週間経過したことになる。成長は割合とおそい、晩生の品種だ。

 稲刈りをしてから、2週目に刈り戻しを行った。少しでも稲のばらつきを解消したいと考えたからだが、それが必要なのかどうかは分らない。それから3週間経ったのが現状である。根がやっと再生してきたという感じである。根が新しく出てくると、葉がしっかりした色の濃いものがでてくる。

 全体で言えば、半分ぐらいがまともな株になってきたかという所。湛水を続けていて、一度も渇かしたことがない田んぼである。乾かさない方が株が痛まないと考えていたが、むしろどこかで干しを入れた方が、土壌が良くなり、活性化するような気もする。



 一面に、アオウキクサとアカウキクサが出てきている。水面を覆っているので、雑草は出にくくなっている。アカウキクサは絶滅危惧種である。現在は、ミズオオバコがかなり出ている。ミズオオバコがどの程度稲を疎外するのかは分らないが、完全に取り去る気にもなれないで居る。

 ミズオオバコは絶滅危惧種で、杜若園芸 1270円で売られているようだが、現在は在庫なしとなっている。薬用植物で、薬効と用途として、鎮咳,去痰,解熱,消腫,利尿作用があり,喘息,咳,水腫,できもの,むくみ,やけどなどに用いる。できものややけどなどには粉末を患部に塗布する.とある。

 ミズワラビも生えている。こちらも絶滅危惧種であり、私の石垣島で見た範囲では、ミズオオバコよりも少ないという気がする。何故か杜若園芸 998円で売られていて、現在在庫なしとある。こうした水生植物は、除草剤の普及で、いつの間にか絶滅危惧種になり、遠からず絶滅すると思われる。


 2番田んぼは餅米品種の「ゆがふもち」である。鹿児島県農業試験場で作出された品種である。沖縄に比較的向いている品種だと感じる。12月3日に播種して、1月13日に40㎝角で田植えをした。子供達がやる田んぼなので、作業がやりやすいと言うことで、40㎝角植えにしている。

 ひこばえをやるなら、一回の収量は低くとも、作業性が良い方が良いと言うことがあり、40㎝角植えを試しているということもある。稲刈りは5月25日に行った。企画ではひこばえはやる予定はなかったが、株がとても良いので試しに20㎝の高刈りをして様子を見ることにした。

 現在7週目になる。どんどん良いひこばえが出てくる、高刈りでも比較的一次分節からのひこばえが多い。維持分節からひこばえが出るか、出ないかは品種特性なのだともう。一次分節からひこばえが出やすいゆがふもちは向いている可能性がある。


 2番田んぼ「ゆがふもち」のひこばえは大分穂が出てきている。早すぎる出穂と言うことは、葉の量が足りないと言うことになる。ここでも刈り戻しがある方が良いのかどうか迷うところだ。ここも一度の干しもないままに、進めているが、干しはあった方が良かった気はしている。

 ひこばえも今のところそれなりには良いが、やはりばらつきが多くなっていることと、一期作よりもイネ株も少し小さい。稲刈り前の追肥や、稲刈り後の追肥など、肥料をやってないので、肥料を必要とする新しい品種は、ひこばえになりあまり大きな株にはならないようだ。

 肥料なしでどうなるか、刈り戻しをしないとどうなるかを観察している。16日に草取りに入った。この強い陽射しの中、あまり良い状態には思えない。株が一期作に較べて弱い。葉の色はそれなりに濃いのだが、茎の太さは一期作に較べて随分細くなった。


 3番田んぼのミルキーサマーのひこばえ。 種まきが11月3日で田植えが1月6日。40㎝×30㎝植えで、南を広くとり、田植えをした。稲刈りが、5月19日。稲刈り前1週間によみがえり堆肥を投入。20㎝ぐらいの高刈りにした。

 来年は高刈りはやらないことにした。高刈り刈り戻しの意味が不明。6月9日に刈り戻す。刈り戻してよみがえりを投入。稲刈り前にも入れたので、2回目の投入。ひこばえの茎が実にか細いこので、このままではあまり期待できない。

  そこで深水を始める。深水で太い茎を作り、弱い株は枯らしてしまうことにした。その結果、1割ぐらいの株が枯れて、残った株は徐々にしっかりしたイネ株になってきた。間断灌水を行い。コロガシ除草を行ったが、草は余りないので、あまり意味は無かったが、土壌の改善にはなったかも知れない。


 3番田んぼ「ミルキーサマー」のひこばえは、少しだけ太くは成ったが、まだまだ弱い感じだ。ミルキーサマーはひこばえに向いた品種には思えない。追肥を入れてみるのも良いかも知れない。6番に入れるか、3番に入れるか葉の色を見て、どちらかに「よみがえり」を追肥することにしたい。

 3番田んぼも干しを入れて、少し渇かした方が良いかもしれない。土壌の状態があまり感心できない気がする。水が熱すぎるというのも良くないことの一つのような気がする。水の動かない場所では40度ぐらいの水温になる。この水温の高さが稲を弱めているように見える。


 6番田んぼは「ミルキーサマー」12月3日播種。1月13日40㎝角の田植え。3番田んぼより大分しっかりした稲の株になる。収量は30㎝角に較べれば半減するが、作業が楽になり、ひこばえまでやるつもりであれば、悪くない栽培法になる。

 稲刈りは6月8日になる。梅雨に入り稲刈りが出来ないで延びた。刈り遅れ気味であったが、一番良いお米が出来た田んぼになった。出来たお米も粒張りもよく美味しいものだった。ここは刈り戻しはせずに、6月17日によみがえりの追肥を行った。

 ひこばえの現状では3番の方が今のところ良いが、それは稲刈り時期が6番は大分遅れたので、その結果稲が老化してしまった。稲が老化すると、ひこばえの再生状態は悪くなる。根が再生を始めれば、変らなくなると思うが、いまのところでは、3番の方が良い。


 6番田んぼ「ミルキーサマー」のひこばえはどうも弱い。それもあって一度干しを入れた。ひび割れるぐらい干して、もう一度水を戻したところである。しばらく間断灌水で進めてみたいと考えている。
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ひこばえの7月8日の様子

2024-07-11 04:00:58 | 楽観農園
 

 3番田んぼのひこばえ。品種は沖縄県の奨励品種である「ミルキーサマー」。美味しいのだけれど、とても作りにくい。葉が13枚までしか出ない。早い田植えで、40㎝角植えした、作土が深く良い状態の場所で、かろうじて15枚葉が出て満作株になった。

 昨年も「ミルキーサマー」のひこばえをやったのだが、一次分節からのひこばえが出ないために、生育が2段階になる。低く刈り戻し、深水にして育てて、一次分節からのひこばえを取ろうとしたが、やはり一次分節からのひこばえは少ない。これは品種特性で、ひこばえには向かない品種と考えた方が良いようだ。

 それでも、もう少しひこばえを育ててみて、収穫まで持って行きたい。どこかで、穂が出てきたら、不稔を減らすために防風ネットをまた戻したいと考えている。不燃が風の影響のためなのか、他に理由が例えば水不足のような原因があるのかはまだ分らない。



 6番田んぼのひこばえ。ここも「ミルキーサマー」だが、40㎝角植え。手前はとても良い成長だったのだが、ひこばえになりそれ程良い状態ではない。むしろ稲刈りの時にあまり良くなかった奧の方が良いぐらいだ。ひこばえは一期目で十分に実りすぎると、良いひこばえにならない傾向がある。

 イネ株が力を使い果たした形になり、再生力が弱まるようだ。奥の方は鳥に穂を食べられたために、根が力を残している状態で、良いひこばえを出してくる気がする。それでも新しい根が再生し始めると、株は新たな生育の段階に入るので、まだ期待はできる。

 ミルキーサマーでひこばえをやるのは、難しいようだ。肥料を多く必要とする品種はひこばえには向かないかも知れない。昔の野性的な稲の方が、良い一次分節からのひこばえを出す。インディカ種とジャポニカ種の交配種の方が、良いひこばえを出す傾向が強いようだ。



 2番田んぼの沖縄の奨励品種の餅米「ゆがふもち」すでに穂を出し始めている。ただ全体がばらついているのは、刈り戻しをしなかったと言うこともある。稲刈りをして、そのままの状態である。稲刈り前の追肥とか、分ゲツ肥料とか一切入れていない。

 「ゆがふもち」の方が、いくらか良いひこばえを出す品種である事は確かだ。それでも、かなり薄黄色の色素の無いような株がある。これを病気だと言う人が居るが、何度もやってみてこれは病気でなく、根が弱った株だと言うことが分るようになった。

 親株の時に全く病気がなかった株が、稲刈りをしてそこから出てきた株が病気になるはずがない。間違いなく、値が弱った株は黄色い弱ったひこばえを出すのだ。それは取り払い、新しく株分けをして植えた方が良い。ただ、値が弱らないような強い品種を健全に育てることが先決だろう。


 1番田んぼのひこばえは「台光」の2日目のひこばえ。2度目の稲刈りをした後のひこばえである。3回目の収穫を目指している。昨年も3回目までは出来たので、出来ることは分っているが、今回は何とか4回目を目指している。

 土壌が一年間湛水状態である。これが稲にどう作用して行くのだろうか。現在掘り起こしてみると根は大分弱っている。ひこばえは根を新たに出すので、前の根はダメになっても良いのだが、新しい良い状態の根が出る環境にあるのかどうか。

 今のところは、再生した根が出た株から、何とか再生ひこばえが成長を始めている。緑の濃いしっかりした葉が出てくるので、まだの株と再生した株の違いがよく分る。一定量再生できない株が表れるのは、仕方がないことかも知れない。



 小学校田の「ひとめぼれ」作りにくいので、品種としてはあまりやりたくなかったのだが、種は小学校で用意してくれたものなので、ひとめぼれでやるほか無い。大分県産だそうだ。来年は品種を帰るというのもあるかもしれない。台光とか、ハッピーヒルとかなら安心できる。

 今年あまりに出来が悪ければ、来年はつくり安い品種に変えさせて貰いたいと考えている。今のところは何とか出来ていて、現在11葉期ぐらいだ。分ゲツ20平均ぐらい。金曜日に作業があるので、追肥をするつもりだ。葉色板で色の確認をする。分ゲツ数と背丈の記録も取る。

 幼穂が茎に入ったかを手で触って確認する。本来切り開いて長さを見るところだが、そんなことをしなくても、茎の根元の形状でおおよそは判断できる。どのみち有機栽培では穂揃いはバラバラになるので、厳密なことを言っても仕方がない。何とか15枚葉が出ないか願っているが多分無理だろう。

 

 北陸193号の苗代。沖縄でも15枚葉が出るという晩稲品種の北陸193号を試験栽培している。播種が終わってから、突然豪雨が降ったために、どうなるか分らないが、どうも稲が流されておかしくなったかも知れない。

 あと数日様子を見てだめであれば、場合によってはまき直さなければならない。十分の種が冷蔵庫に保存してあるので、心配はない。今日見てから決めたいと思う。北陸193号は味が悪い多収米と言うことだ。現在やはり味が悪いというハッピーヒルも作っている。

 どちらが味が悪いか較べようと冗談を言っている。味が良いとか、悪いとかよりも、ともかく安定して十分に出来るお米でなければだめだ。まだ石垣島ではそういうお米に出会っていない。「にこまる」と言う品種の苗を貰ったので、それも試しに植えてある。ともかくあれこれ試験栽培を続けるほか無い。

 


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石垣島で大豆を作る

2024-07-09 04:04:42 | 楽観農園


 石垣島で5回目の大豆栽培に挑戦している。過去4回一粒の大豆も収穫できていない。ともかく困難である。全く発芽しないと言うことが、3回もあった。今作っているのは、小田原で長年作っている、「小糸在来種」である。一番美味しい大豆だと思っているからだ。小糸在来は3回目である。

 小糸在来種は千葉県の地大豆である。小糸川流域でこの大豆の保存活動がある。何とか石垣島で作れれば、素晴らしいことだと思い、挑戦を繰り返している。大豆を何としても作るのは、自給食料の基本的な作物だと考えているからだ。味噌醤油は日本人の食の必需品だ。ご飯に美味しい味噌と醤油があれば、十分である。

 自給はまず、お米である。お米は基本であり、日本の気候で田んぼをやらない自給は考えにくい。そして麦。麺類やパン食はあった方が良い。田んぼの裏作で作るのが普通だが、石垣島では田んぼが一年中栽培出来るので、小麦は別に作ることになる。今のところ鳥対策ができないでいる。

 そして次は大豆である。石垣島でも味噌づくりや、島豆腐の伝統があり、大豆は作られてきた歴史がある。ただ、戦前は台湾から来る大豆がほとんどだったと聞いた。石垣島で作られていたのは、下大豆と呼ばれる品種である。これはつる性の原種的な性質を残した品種である。この品種で自給したのはすごいことだ。

 その後に続く作物は、さといも、ジャガイモ、玉ねぎ、サツマイモ、カボチャなどの保存が出来る野菜となる。試験栽培ではそれなりにできはじめているが、小田原に較べると収量はまだ半分にも満たない。薩摩や、カボチャが比較的良いかもしれない。

 石垣島で全く出来ないのが大豆である。石垣島で作られている地大豆は、下大豆と呼ばれた、つる性の大豆があるが、これはササゲや小豆に近い。収穫の手間が面倒で作る気になれないでいる。台湾では昔から木立姓のつる性ではない大豆が普通に作られているのだから、作れないはずがないのだ。

 小田原でも大豆栽培には苦労を重ねてきたのだが、栽培のノウハウはある程度は持っている。大豆は播種時期が重要になる。早く蒔きすぎるのは良くないというのだが、小田原でも早くしたり、遅くしたり試行錯誤である。今年は遅くすると言うので、7月7日になった。

 大豆はその土地によっては種時期が違う。日長時間の変化の影響が強い作物だからだ。その意味で、早く植えたならば、早くできるというようなことはない。遅く撒いても、遅くならない。適期を見付けて、撒くことが一番だ。その意味で、台湾の播種は3月始めだと言うから、石垣もその当たりと考えた方が良いだろう。

 7月7日は小田原で一般的に言われてきた日取りに、今年は戻ったと言うことになる。石垣島では3月をということになるが、練習の意味で、7月は種も試みてみたいと思っている。断根挿し木方式の苗作りである。これは以前小田原でやっていた方式である。

 石垣では鳥の害も多いので、苗を作り、挿し木をして、肥料のやれる状態で大豆を作るという方が良いかと思っている。問題は植え付け語の水遣りになる。水が不足すれば、活着が出来ない。その意味で田んぼの脇の畦は環境は良い。

 たんぼの畦で作ることが一番確実な栽培になっている。小田原永塚の大瀬さんの田んぼでは、例年畦で作っている。どこよりもよく大豆が出来ている。大豆はかなり水が多くなければ出来ない。そもそも発芽が出来ない。しかし多すぎれば種が腐る。その適正なところが、まだよく分らない。だから、苗を作り水のある場所に植え付けるのが良いことになる。

 今年は欠ノ上の4畝ほどの田んぼ一枚を大豆畑にした。これは昨年大豆にウイルス病が出たためである。あらためて、小糸在来種保存会から種を分けて貰い、従来の畑とは、距離を離して別に播種することにした。大豆の会では種を更新しようという考えでいる。上手く出来れば来年はその種を貰いたいと考えている。

 田んぼ跡であれば、水が必要なときに水を入れられるようにすることが出来る。たんぼの畦際を一周溝を掘った。溝にはいつも水があるくらいが良いという考えである。これで上手くゆくはずだが、どうなることだろう。田んぼは梅雨時と言うこともあり、かなり濡れていた。

 石垣の大豆は気候に合わせて、3月中に乾いた種まきをした。台湾で大豆は乾いていなければだめだという意見を聞いたからだ。これは水が不足して発芽が出来なかった。次に4月になって、やはりたんぼの畦に蒔いた。これは良くは継がした。

 株は大きく60から70㎝ぐらいまで育った。葉っぱもかなり大きな葉を沢山付けた。茎はそれ程太くは成らなかったが、まずまずの出来だった。花は最初からどんどん付けたのだが、なかなか実が止まらなかった。何と笠屋を膨らませて欲しい。前々回はそこで止まった。

 7月に入り、やっとさやを付け始めた。ここまで栽培できたのは、2回目である。前回は鞘は出来たが、実が入らないと言うことだった。大豆花水と言うぐらいだから、ここで水がなければ、実がつかないのだろう。毎日大豆とにらめっこである。

 大豆を蒔いたときには、それなりに堆肥を入れた。しっかりした株にするにはある程度土が肥えていなければだめだ。しかし肥料が多すぎれば、葉ばかり山のホトトギスになる。この兼ね合いが結構難しい。これを防げるのが、断根して葉を鳥刺し機をする方法である。小田原でも試行錯誤しているが、経験の無い石垣の土壌では極めて難しい。

 本当のところは、小糸在来種を石垣で作るのは、無理があるに違いない。台湾の大豆品種を手に入れたい。大勝白毛種というものをミカド種苗で販売していたが、今は生産されていないようだ。「ふくゆたか」と「きよみどり」と言う種を買って、これをこれから試験栽培をしてみる。

 今更この時期に撒いてもどうかとは思うのだが、何かやらずには居られない気持ちだ。もし上手くゆけば、来年は、断根挿し木方式で苗を作り、たんぼの畦をすべて大豆畑にするつもりだ。やはり畦くろまめが一番だ。一反の田んぼにお米を作り、畦には大豆を作る、これが小田原の農家の普通の姿だと聞いた。

 石垣の気候に合う品種を捜すことも重要だとは思うが、播種時期を適正に作ることが、まず最も大切なのだと思う。色々の時期にともかく撒いて失敗を重ねることも意味が無いわけではない。諦めたとき大豆が出来ないことになる。諦めなければいつか出来るはずだ。

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あしがら農の会田んぼ勉強会

2024-07-03 04:18:43 | 楽観農園


 あしがら農の会で、6月29日田んぼ勉強会を行った。10名ほどの参加だった。以前は毎年行っていたが、コロナ以降久しぶりの開催だった。石垣島ののぼたん農園では田んぼは2反4畝ある。東南アジアでは14世紀からある「アカウキクサ農法」「ひこばえ農法」をやっているが、相当苦戦している。勉強会で回って指導してほしいものだ。

 金井島では4つの田んぼを見せて頂いた。山北田んぼがコナギで危うい状況だった。縦横コロガシができない植え方のために、株際に草が残ってしまい、それが大きくなり始めていた。できればみんなで草取り応援ができるとい。半日で済むことだ。このままでは稲が成長できなくなる。

 親子田んぼは大勢で草取りをしていた。孫とジジババが田んぼで働いていた。イネ株は実によい成長だった。一時困っていたクログワイが、完全になくなっていた。稲の生育も分げつが良く、田んぼ管理が見事だった。
 
 今回初めて森田さんの田んぼも見せてもらった。素晴らしい美しく完成した田んぼだった。分げつも確かで、株がしっかりと硬かった。田んぼと畑で1反だそうだ。大豆もよく発芽していた。田んぼのある自給農業の見本園のようだった。

 そのあと永塚に行き3つの田んぼを見た。ジャンボタニシが雑草を食べてくれるおかげで、どの田んぼも草がない。無除草田んぼでうらやましい限りだ。農の会では大苗を手植えするので、イネの食害はほとんどない。田んぼの周囲に溝を掘り、初期水を浅くすれば、機械植えの田んぼでも食害はほとんど出ない。駆除よりも共存だ。

 次は、冨田さんの田んぼ教室に行く。田植えが終わった田んぼは、土壌の状態もよく、管理が美しくされていた。真剣に取り組んでいる熱意が伝わってきた。2畝の田んぼが4つあり、一番奥に冨田さんの田んぼもある。理想的な田んぼ教室だ。人が増えたならば、あと4人受け入れられる場所が隣にあるということだった。

 小田急線の蛍田の駅から、歩いて10分ぐらいの場所なので、参加がしやすい。冨田さんはとても勉強家だ。学べることがたくさんあるはずだ。隣で冨田さんも実践しているので、勉強しやすい環境だと思う。費用は確か年間2万円だったと思う。コメントで連絡してくれれば、連絡先を教えます。

 午後は久野方面で、10か所の田んぼを見せてもらう。やはり、今年も吉宮さんの田んぼが群を抜いて良い出来だった。稲葉方式を基本として、自給農業向きに、技術を完成させている。3度代掻きで草が出ないという完成形を見せてもらった。

 場所としてはよい条件の田んぼではない。棚田で、水が安定しない場所だ。土壌も縦浸透が大きい。この場所で最高水準の田んぼだになった。有機農法で、畝どりを優に超えている田んぼだ。すごい事例だと思うので、みんな見せてもらっておいた方がいい。

 その隣にある北口さんの田んぼも、良いできだった。吉宮さんを見て、学んだのだろう。田んぼ教室のようなものだ。開帳型に苗が分けつしていて、これから良くなってくる姿をしていた。北口さんとはいろいろの場所で一緒にやったが感慨深いものがあった。

 坊所田んぼが、過去最高の成長になっていた。坊所田んぼは私が小田原で田んぼを始めた最初の田んぼだ。そばに住んでいる石綿さんが指導をしてくれた。今はそのころから一緒にやった赤松さんが田んぼをやっている。石綿さんが厳しく指導してくれてありがたいと言われていた。

 頑張ってコロガシをやっていることがよく分かった。坊所湧水から遠くない田んぼで、水がかなり冷たい田んぼだ。水を迂回させて入れる仕組みを機能させていた。2反一枚なので、これだけきれいに田植えするのは大変だったに違いない。例年にない管理状態で、良くなりそうな気がする。

 農の会のどこの田んぼも今までにない良い出来で、大いに刺激を受けた。ただ、残念なことに私のかかわっている、欠ノ上田んぼが例年は一番良いできなのに、今年はかなり悪かった。苗の出来が悪く、苗を分けてもらうような状態だったことが原因と思われる。やはり苗半作だ。

 じつに良い勉強になった。石垣に戻り、田んぼをやる意欲が俄然増した。みんなの成長が素晴らしいものだった。市民がやる田んぼが、農家の田んぼよりも、できがいい。有機農業の優秀さを示している。無農薬でも、問題が出ないと言うことを証明していると思う。足柄地域で、農の会の素晴らしい田んぼが20カ所以上ある。

 石垣島でもなんとか頑張って、こういう状態になることを目指したい。ノボタン農園の田んぼも気になるところだが、まずは欠ノ上田んぼがよくならないと困る。苗のできが良くなかった。その結果稲の活着が悪い。根の伸びが悪かった。一度水を抜いて、ひたひた水でしばらく管理したらどうだろうか。

 分げつが取れていないので、ここで一度淺水にした方がいいということになったが、どこまで回復するかかなり、不安になる。と言って時々しか来れないので、あまり余計なことも言えない。間違った判断になる可能性もある。他に何か打つ手はあるだろうか。天気が良くなれば、お天気頼みぐらいか。

 今日石垣に戻るが、すぐのぼたん農園を見に行きたい。ひこばえがどうなっているのか、気になるところだ。いただいた「にこまる」の苗もすぐに植えなければならない。石垣に合う品種を探すことも、進めなければならない。考えるだけでも、わくわくしてくる。稲作りは難しいものだが、面白くて仕方がない。

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オタマジャクシの大量発生

2024-07-02 04:44:15 | 楽観農園


 オタマジャクシが居る田んぼは環境の豊かさを表わしている。と言われているが、どうも違うような気がしている。石垣島「のぼたん農園」の田んぼには、ヒメアマガエルとオオヒキガエルのオタマジャクシが一年中充満している。どちらが多いかと言えば、ヒメアマガエルである。

 ヒメアマガエルのオタマジャクシは透明で小さい。日本で一番小さな蛙らしい。オオヒキガエルのオタマジャクシは真っ黒で少し大きい。田んぼをより占有しているのは、ヒメアマガエルの方だ。時期によってはオオヒキガエルのオタマジャクシは見なくなることもあるが、ヒメアマガエルはいつもいる。

 通年通水しているから、オタマジャクシが居なくなると言うことが無い。一年中繁殖を続けていて、繁殖のしすぎになっている。最初の頃は田んぼを作り水を入れたらばすぐにオタマジャクシが沢山出現して、何か土壌の微生物世界が良くなる前兆ではないかなどと、喜んで考えていた。

 ところが様々な微生物が現れないのだ。何かおかしいと思い、いろいろ考えていた。どうもオタマジャクシの異常繁殖が、他の生き物の出現を妨げているのではないかと思えてきたのだ。いつまで経ってもオタマジャクシだけなのだ。

 オタマジャクシと蛙があらゆる生き物を食べきってしまうために、単調化が起きているような気がしてきたのだ。専門家という人が農園見えたので聞いてみたところ、オタマジャクシは草食性だから、田んぼの微生物に影響はしない。と確信に満ちた意見を伺った。そのときは、そうなのかと思った。

 しかし、毎日見ているとそうでないことが分ってきた。しかし、草食の生き物だから問題ないというの意見は世間では一般的で、オタマジャクシが、他の生き物を絶滅させてしまうなど、あるわけがないということに今のところなっている。

 私の観察が違うのか、流布された草食性が正しいのか。私が観察が正しいに決まっている。田んぼのわきに座って、ゆっくり観察しながら考えたことなのだ。実践に勝る学問無し。ここは自分の観察を信じて進んでみようと考えている。

 生半可な学問というのは建前を覚えるようなものだ。実際の自然は多用で変化に満ちている。単純にオタマジャクシは草食の生き物だとは言い切れない。私は毎日田んぼの岸辺に座って長いこと眺めていて、何でも食べることが確認できた。専門家の見解が違っていると言うことは良くあるのだ。

 専門家のホームページには以下のように書かれている。
 カエルと異なり、オタマジャクシは肉食ではありません。おもに水底の水ごけなどを剥ぐようにして食べる植物食です。したがって食物連鎖ではコオロギやウシなどと同じ一次消費者(草食動物)となります。一般的に草食動物は数が多いのですが、オタマジャクシも例外ではありません。

 水田の中では、圧倒的な数を誇ります。もちろん、そのすべてが変態できるわけではなく、大半が水の中で他の動物の餌となります。タガメ、ヤゴ、ミズカマキリなどの水生昆虫はオタマジャクシに依存する率も高く、もし、オタマジャクシがいなくなってしまうと、深刻な影響を受けることになります。

 本に書いてあることとは相違して、実際には雑食傾向が強いように観察していると見える。数が増えすぎるとそういうことになるのではないか。オタマジャクシも特に後半になれば何でも食べてしまう。あまりに増えすぎると共食いもしてしまうと思われる。

 まだ、学問的実験をしたわけではないので、観察の範囲でしかない。学問ではデーターを取らなければ、真実ではないらしいが。農業では自分の眼を信じなければならない。オタマジャクシがあまりに多く居ると、生き物の多様化が起きないで、むしろ単純化が起きてしまう。オタマジャクシを調整するのは簡単である。田んぼを周期的干して肥料にしてしまえばいいのだ

 確かに厳密に言えば、様々な微生物や水生昆虫が増えない原因はまだ分らない。他にも原因があるのかもしれない。分らないが、わたしの目にはオタマジャクシと蛙が増えすぎて、他の生き物を抑制している気がしてならない。間違っているだろうか。観察を続けてみる。

 石垣島の特別天然記念物指定のカンムリワシは、主にオオヒキガエルを食べていると言われている。のぼたん農園にも、カンムリワシが常駐しているのは、オオヒキガエルがいるからだと想像している。あれだけのオタマジャクシが居るのだ。かなりの数の蛙が居るはずだ。

 大ヒキガエルのオタマジャクシが減少した原因は分かっている。田んぼをネットで囲ったために、ネットの網目の大きさでは入ってくれなくなったのだ。それで田んぼには、小さなネットを通過できるヒメアマガエルのオタマジャクシが専有したのだろう。

 所が蛙はヘビよりも見ることが少ない。蛇も大きなものはネットを通過できないの可能性がある。先日、過去最大の1m越えのサキシマハブがネットに絡んでいた。何かを田んぼで飲みこんで、腹が膨らんだために、田んぼから出れなくなったようだ。

 本当の理由は分らないが、夜行性である蛇はあまり昼間歩き回らないと言うことがあるかもしれない。昼間地表に居れば、すぐにカンムリワシや雉や孔雀やカラスに食べられてしまうのだろう。夜の田んぼの世界はすさまじい、弱肉強食の世界になっているのかもしれない。そういえば、ネズミの被害がこのところ見られない。

 田んぼは穂がある時期には鳥に入られないためにネットで、覆っている。鳥が入れないから、オタマジャクシが異常に増加するのだろう。膨大な量のオタマジャクシが居て、蛙にになっているはずだ。その蛙を余り見ないと言うことは、鳥が食べているに違い。のぼたん農園は野鳥の餌の生産場所である。

 しかし、あまりの量のオタマジャクシは問題が無いとは言えない。いずれにしてもこの膨大な蛙を減らすためには、干田を入れるほか無い。干田をすれば、これもまた生き物には良くないことになる。なかなか難しい選択になりそうだ。

 田んぼにネットを張ることで様々なことが起きているのだ。まず今は稲刈りが終わり、ネットを外してある。また大ヒキガエルのオタマジャクシが現れるのだろうか。あるいはオタマジャクシがいなくなることになるのだろうか。よくよく観察をするほかない。

 環境省によれば、大ヒキガエルは特定外来生物で駆除すべきものとなっている。しかし、大ヒキガエルがエサとなり、カンムリワシが生き残っているとすれば、駆除すればカンムリワシが危うくなる可能性はある。しかし、ここまで増えてしまった石垣島ではもう駆除は無理だろう。西表に入れないことが重要だ。

 昔は日本にはいなかった蛙だから、当然といえばいえるがその理由は厳密にいえばわからない。不思議なのことは、ヒメアマガエルのほうも、捕食,競合.もし高密度に達した場合にはアリ等の小動物に影響が及ぶと考えられる.食物となる地表性の小動物(アリ等)と,食物を巡って競合する他のカエル類.とされている。

 ということで、国立環境研究所によると、ヒメアマガエルも侵入静物データーブックでは、侵入外来生物に入れられている。駆除方法も云々されている。ここでもおかしな環境原理主義だ。石垣島には本来居た蛙なのだが、黒島や多良間島に侵入したというのだ。それを排除すべきだと考えているようだ。石垣島ではアリもいる。

 沖縄からトカラ列島にはいた蛙である。それがたまたま、いなかったというか、発見されていなかった島で、見つかったので、侵入生物リストに挙げられた。なんという狭い考えか。お前も人間という侵入性物ではないのか。もうこれからは環境原理主義と戦わなければならない時代に入っている。




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「食料・エネルギー価格の高騰」と「気候変動」問題

2024-06-27 04:20:45 | 楽観農園


 「食料・エネルギー価格の高騰」はこれからますます生活を直撃するようなものになるだろう。世界では飢餓に追い込まれた人が、日本の人口以上に居る。世界の人口は増加し続けている。食料生産量は気候変動と戦争によって、増加できないでいる。すでに食糧不足は経済の弱い国を直撃している。

 エネルギー価格は高止まりである。大きな戦争が続けられているのだから当然のことだろう。その戦争に産油国が関わっている。戦争ほど馬鹿馬鹿しいエネルギー消費はない。個人が省エネをしても、あの人殺しのミサイル一発で水の泡である。節電どころではない。

 日本では円安という状態を過ぎて、円の実力が1ドル160円台程度なのだと言う意見が目立ってきた。100円以下の時代があったと言うことが不思議なくらいだが、この先円が評価され、100円に近づくようなことは考えにくい。円が安いと言うことは問題なく輸入ができなくなると言うことだ。

 食料は60%以上を輸入に頼っている。エネルギーは90%を海外に依存している。国の安全保障の要が、海外依存という危うい国になっている。どちらも国民の暮らしに直結していて、物価高の主たる要因でもある。アメリカに押し付けられている軍事強化の前に優先しなければならない、食とエネルギーの安全保障がある。

 どちらも円安の影響を直接的に受けている。生活は苦しくなるのも当然のことになる。日本政府の政策を見れば、政治資金問題のゴタゴタで、無策と言って良いのだから、エネルギーも食料も自給が進むと言うことはまず無いだろう。5月に廃止をした、電気やガス代の補助が、また復活した。朝令暮改とはこのことだ。

 こうした人気取りのバラマキの結果暮らしがどんどん追い込まれて行くと考えて置くしかない。政府はもう岸田氏の次は誰だというようなことで、まともな政策など出てくる状況ではない。石垣島で言えば、政府に方針が無い中、軍事拠点化されてゆく。基地が周辺を買い取り、当初の倍増されることになったそうだ。敵基地ミサイル基地化も目の前のことだ。こちらはアメリカの予定通り基地の島化が進む。

 政府が迷走飛行中だから、この機会にアメリカの方針に従い、防人の国日本を作ろうという、アメリカの手先がいる。軍国化に道を突き進んでいる国賊の連中がいるのだ。石垣中山市長や与那国糸数町長は、完全に右翼に取り込まれてしまった。二人とも昔はこれほど露骨にはひどくはなかったのだ。

 アメリカの裏社会での、画策がどれほどのものなのかが分る。もう完全に取り込まれてしまって、八重山の軍事基地化に突き進んでいる。その裏画策は当然、市長だけではない。島の経済を動かすように様々な策動が行われているに違いない。経済のために島を売り渡し、魂を失ってしまった人が多いのだろう。

 石垣島も食糧自給率は低い。たぶん、日本の平均よりもかなり低いはずだ。一次産業の島ではなくなっているのだろう。政府の食糧自給率の試算は2022年では国全体が38%で、沖縄県が32%とある。現状では円安もありそれよりかなり下がってきているとみて良いのだろう。

 一次産業もエネルギーの高騰は直接の影響を与えている。田んぼを止めざる得ない一つの原因になっている。石垣島でも作らない田んぼが増えてきている。特に2期作はやらないという農家の方が多い。つまり経営農家は、経営が難しく成っている。

 畜産業は輸入飼料が高騰して、子牛価格が暴落したままである。この価格では飼料を購入している農場は利益が出ないと言うことだ。ここに来ていよいよ、廃業しているという。8つの農家が廃業したと新聞に出ていた。廃業しないまでも飼養頭数を半減させる農家が多いともある。崎枝にも止めることにした農家があるという話も聞いた。

 大きな状況の転換が迫っている場面と考えておいた方が良い。食料価格やエネルギー価格がさらに上がるだろう。ただでさえ収入の面で格差が広がっているところに、食料やエネルギーの高騰が直接的に生活を破壊し始める。貧困層が追い込まれる。生活が出来なくなるその日が近づいている。

 「気候変動」問題が解決できない。コロナパンディミックによって2020~2021年の2年間のみ温室効果ガスや人為起源エアロゾル等の排出量が減少してた。しかし、2020~2024年の地上気温や降水量にはほとんど影響しないことが示された。少々のCO2削減では、追いつかない状況になっている。

 CO2の一時的な排出量減少だけでは、地球温暖化の進行に与える影響は限定的だったことが分る。またコロナ後の世界ではCO2は急激に増加して、温暖化などという生やさしいものではなく、劇暑化の時代に突入している。一刻も早い自然エネルギーへの転換をする必要がある。

 人間は暮らしを換えなければならないところに来ている。しかし、それはたやすいことではない。世界全体では到底無理だ。日本全体でも無理だ。自分だけの生き方として、自給的な暮らしに変えるほかない。人類が滅びることが見えてきているだから、木偶の坊と言われようとも自分一人でもやるほか無い。

 私は30代に、自動車には乗らない。機械は使わない。人力だけで行う開墾生活を行うことにした。つまり35年前には今の状況に成ると考えたのだ。だから、人力のみで行う自給農業をやってみるほか無いと考えた。その頃は変人扱いだったのだが、今から見れば木偶の坊の先駆者である。

 不可能かも知れないと思いながらも、切羽詰まって、始めたことだった。それは意外に簡単に5年間の予定出始めたのものが、ほぼ3年で達成できたのだ。私は自分の手足だけで生きる事ができると言うことを確認できた。そこで安心立命を得た。売れない絵を描いて生きても良いと考えられるようになった。 

 その体験から、むしろ今は機械を使うべき所は使う方が良いと考えている。必要な場面では機会を利用する合理的な自給生活を目指している。石油がなくなるときには、水牛を使う自給農園になっている予定だ。そこに近づいている。誰にも可能な、74歳の年寄でも出来る自給生活である。

 「あかうきくさ農法」と「ひこばえ農法」である。石垣島では一年に3回の収穫が出来る方法である。3回収穫が出来れば、一回は少ないとしても、1畝の田んぼで自給できると言うことだ。今のところみんなは暑いので、夏は田んぼはやりたくないと言っているが、遠からずそんなことは言ってられない日が来る。

 74歳の私が、ひこばえ農法を真夏にやっている。身体を慣らし気を付けていれば熱中症と言うことは無い。私がやりきれれば普通の人ならできると言うことになる。だんだんに1箇所の田んぼを狭くしたら良いと思っている。今は100坪の自給だが、これを50坪の自給まで狭めることが可能だ。のぼたんでも20家族の自給が出来るようになる。

 ひこばえ農法であれば、それが可能になる。1畝で20㎏しか取れないでも3回収穫があれば、畝取りである。60㎏が一人の自給の目標になる。もちろん2畝やれる人はやって欲しいが、将来はひこばえもやると言うことを前提に考えておいたほうが良い。そういう時代が近づいている。
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2024年ひこばえ栽培状況

2024-06-22 04:03:20 | 楽観農園
 ひこばえの栽培が進んでいる。石垣島ののぼたん農園では一期作目の稲刈りが終わり、ひこばえ農法の実証圃場が4箇所で進んでいる。



 1番田んぼでは、「台光」という台湾から来たと言われている品種を作っている。昨年の8月に1期目の播種をして、9月に40㎝角植えで田植えをした。今年の1月13日に稲刈りをした。そこから出たひこばえの稲刈りを6月8日に行った。

   一回目のひこばえは反収換算で210キロになった。そして2回目のひこばえの栽培に入った。稲刈り2週間前に牛糞堆肥の追肥を行った。そして、稲刈り1週間後にもう一度追肥を行い。刈り戻しを行った。稲刈りでは25㎝の高刈りにして、その後刈り戻した。

 一般にそのようにしているというので、試しているが、最初から低く刈る方が良いのかも知れないと思い出している。高刈りをすることで、稲に糖分が残され、根を育むという考えらしいが、実際にそういう感じがしたことは無い。

 理由はひこばえは稲の根元の一次分節から出てくるひこばえだけが有効なもので、前の稲の茎の中から出てくるひこばえは使えないからだ。高刈りをするという理由は、高刈りをすると残された葉が栄養分を根に蓄えるから、ひこばえがよく育つだろうという推測で行われているのだが、それはどうもないと思われる。



 最初から低く刈ってしまう場合と、高刈りした場合の差は今のところ無いと考えるようになった。ただいずれにしても、一次分節からだけでなくひこばえは出てくるので、それはどうすれば良いかという課題はある。ひこばえ用品種であれば、一次分節から出る性質が強くなっていると中国の品種には説明がある。

 そういうひこばえ品種は日本にはないので、一次分節からひこばえが出やすい品種を試作して見ると、1番田んぼで作っている「台光」は比較的一次分節からひこばえを出す傾向があることが分かった。ただし、「台光」は台湾で出来た古い品種のため、出穂がばらつき何時稲刈りをしたら良いのか迷うような品種である。味は半分餅米で、悪くはない。

 刈り戻し追肥して、コロガシに入る。転がしたならば、根を切るのではないかと心配していたのだが、一次分節から出たひこばえは新たに根を伸ばすので、親株の根は切ってしまって問題がないと言うことが分った。追肥は葉色を見て幼穂形成期にもう一度入れたいと考えている。



 2番田んぼは餅米品種の「ゆがふもち」である。鹿児島県農業試験場で作出された品種である。沖縄に比較的向いている品種である。12月3日に播種して、1月13日に40㎝角で田植えをした。ひこばえをやるなら、一回の収量は低くとも、作業性が良い方が良いと言うことがあり、40㎝角植えを試している。

 稲刈りは5月25日に行った。ひこばえは当初やる予定はなかったが、株がとても良いので試しに20㎝の高刈りをして様子を見ることにした。どんどん良いひこばえが出てくる、高刈りでも比較的一次分節からのひこばえが多い。ひこばえも良いのでひこばえ栽培を試すことになる。

 その後3週経過して、60㎝くらいの立派なひこばえになっているが、やはり小さな穂が沢山出てきている。これは無視をしてそのまま様子を見て、この次に成長する一次分節からのひこばえを中心に考えることにする。ゆがふもちには、追肥は全く入れてないのだが、以外に良い葉色をしている。



 幼穂形成期に追肥をする必要はあるのではないかとみているが、葉色版で葉色を確認して、判断する事にするのが良いのではないか。3週間で65㎝まで大きくなってしまうと言うことは、葉の数も少ないまま穂を出すと言うことになるだろう。良い穂にはならないかも知れない。



 3番田んぼでは「ミルキーサマー」のひこばえを試している。昨年もやったのだが、一次分節から出るひこばえが少なく、あまりひこばえ農法には向かない品集に思えた。ある程度大きくなってきたときに、いっせいにはがちゃいろくなるのだ。味が良いからもう一度試そうと言うことで、試している。

 種まきが11月3日で田植えが40㎝×30㎝植えで1月6日。稲刈りが、5月19日。稲刈り前1週間によみがえり堆肥を投入。20㎝ぐらいの高刈りにした。来年は高刈りはやらない。6月9日に刈り戻す。刈り戻してよみがえりを投入。ひこばえが実にか細いこので、このままではあまり期待できない。



 6番田んぼは「ミルキーサマー」12月3日播種。1月13日40㎝角の田植え。3番田んぼより大分しっかりした稲の株になる。収量は30㎝角に較べれば半減するが、作業が楽になり、ひこばえまでやるつもりであれば、悪くない栽培法になる。

 稲刈りは6月8日になる。梅雨に入り稲刈りが出来ないで延びた。刈り遅れ気味であったが、一番良いお米が出来た田んぼになった。出来たお米も粒張りもよく美味しいものだった。ここは刈り戻しはせずに、6月17日によみがえりの追肥を行った。

 6番田んぼのひこばえは3番のひこばえよりもいくらかしっかりしていて、期待ができる。しかし、刈り戻した3番田んぼでは出てきたひこばえが新しい根を出して、良いひこばえになる可能性もある。これからの管理に期待したい。



 この後コロガシと草取りである。6月18日に、3番と6番は行った。6番を刈り戻すか迷っている。結局すべて刈り戻した。こうして低く刈り戻すぐらいであれば、最初から低く稲刈りをした方が良いという気になってきた。

 ミズオオバコが大分出てきているが、それ程強い雑草でもないようなので、ミズオオバコを採取して野菜として食べるのが良いのではないだろうか。レタスのような味で、十分野菜として食べれるものだ。

 以上の4箇所でも3種類のひこばえを試しているが、もう一つ「台中65号」が100本ほど種籾採取と試食のために植えられている。いわゆる蓬莱米という品種だ。30年前までは沖縄の奨励品種だったのだ。これがあまり美味しくないというので、今は沖縄では作られていない。

 種籾をいただいたので、試験栽培してみている。2月20日に播種。直播き栽培。6月15日に穂揃い。晩稲のようだ。ひこばえ農法には向いているかも知れない。味覚がまずまずであれば、ひこばえも試してみたいと考えている。一回目のお米は試食して、味覚次第で、ひこばえのお米を種籾にする予定だ。

 また、北陸193号が沖縄でも晩稲のために満作になるらしいと言う情報をいただいた。そこで、現在193号の種籾を捜しているのだが、ちょっと遅かったようだが、やっと見つかった。これも試験栽培をしてみたい。193号は栽培はできると言うことは確認されているらしいので、問題は食用に出来るかどうかである。

 その意味では、5番田んぼで試作している「ハッピーヒル」「干川黒紫米」は稲の生育は良い。これも、ひこばえを試してみる予定である。味覚と、ひこばえの様子によっては、他の田んぼでも作るつもりである。

 自給のためのひこばえ農法であるから、自分が美味しいと思える品種でなければだめだ。美味しいお米で石垣島でも作れる品種。何とかそういう品種を見付けるところからだ。北陸193号が何とか食べることが出来るものだと良いのだが。
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ひこばえ農法の探求 続き

2024-06-13 04:02:38 | 楽観農園

 1番田んぼのひこばえの稲刈り後の様子。左側にあるのが学校田。2回目のひこばえを進める。

 色々の条件を比較しながら、ひこばえ農法を探求して行きたい。まだまだ、分らないことだらけだが、いくつか見えてきたことはある。中間段階として、整理しておく。この先ひこばえ農法が完成したときには、間違えだったと言うことになるかも知れないが。


  「ゆがふもち」のひこばえがどんどん大きくなっている。稲刈り後2週間少しでここまで大きく成長している。追肥も入れてない。40㎝角植えで、元気だった稲はひこばえにも勢いがある。この調子なら、それなりに取れそうな気がする。

〇ひこばえについて考えていること
1,満作の稲を作らなければ、しっかりしたひこばえが芽生えることはない。
2,年に3回稲作をするばあい、40㎝角植えぐらいが、作業効率が良さそうだ。
3,追肥をこまめに行う必要があるが、その時期が問題。
4,稲刈り時期をそろえるためには、刈り戻しをやった方が良いのかどうか。
5,土壌が腐敗傾向になりやすいので、出来れば流し水を行う方が良い。
6,品種の選定が重要。ウイルス病の耐性が必要。とよめきはだめだった。
7,うるち米では「台光」が現状ではそこそこである。
8,栽培しやすい台中65号を試食してみて、美味しいものであれば試みたい。
9,コロガシを入れることが、根を切ることになり、良いことかどうかは分らない。
10,藁をそのまま田んぼに戻すよりも、藁を堆肥化して戻す方が良い選択になるだろう。


 ゆがふもちの6月12日のひこばえ。

〇ひこばえ農法の質問
  1. 有機肥料の場合、ひこばえに対する追肥は何時、どうすれば良いか。
  2. ひこばえを連続してやる場合、田んぼの腐植はどのように増やせば良いか。
  3. コロガシで抑草と土壌の活性をするが、ひこばえに問題は無いか。
  4. 石垣島では13枚しか稲に葉がつかないが、どういう原因か。
  5. 石垣島の亜熱帯気候で。気候に適合する日本で手に入るうるち稲品種はあるのか。
  6. 茎の中央から出てくるひこばえと脇から出てくるが、問題にしなくて良いのか。
  7. 石垣島では稲が満作にならないが、満作にならないでもひこばえは可能か。



 一緒にやってきたつもりで居たHさんから、こんなアテモ無いことをしていても無駄だと言われた。大学や研究所でひこばえの研究をしているから、それを捜して学ぶ方が良いと言うことで、農研機構でひこばえを研究されている中野さんを紹介された。

 もし、大学や研究所でひこばえを有機農業で研究しているところが、1カ所でもあるなら教えを請いたいとはおもうが。日本では大規模機械農業は研究されているが、有機農業のまともな稲作の研究など、MOAの国際研究センターぐらいしか研究をしていない。MOAではひこばえの研究はない。

 ひこばえの研究を捜しているつもりだが、ひこばえで1年で3回の収穫をしたところは、のぼたん農園だけである。今年は連続4回の収穫を目指すつもりでいる。飼料米ではなく、食べるためのうるち米をひこばえで作る研究は、日本ではやられていないと思う。



 有機農業と一般の稲作では農法が違う。肥料の与え方でも、病気の対応でも、有機農法でやる場合、雑草対策や病気対策で、問題が色々出てきて難しいところがある。また石垣島では稲が満作にはならない。満作にならない稲ではひこばえは難しいだろう。

 のぼたん農園での体験では、一期作よりも、ひこばえの方が収量が増えることは確かだ。2度経験している。ただし、1期作も収量は低い。40㎝角植えだからだ。普通の植え方に較べて株数が半分以下である。しかし下部は大きく育つ。有機農業で行うひこばえ農法では、一回に多く取らないで、連続収穫する方が良さそうである。

 世界中の研究所も大学も、化学肥料と農薬の農業ばかりだ。世界中に有機農業でひこばえを研究しているところはないと考えるほか無い。そうであれば、自分たちで試行錯誤するほか無い。世界の研究者の農業に対する意識は、現状依存である。この先100年もすれば、有機農業だけになると考えている。

 自給農業にはひこばえ農法が有効だと思うからだ。今年は4回連続収穫を目指している。全く十分に稲が出来ないで歯がゆいのだが、石垣島で満作にイネ作りをするところから、始めるほか無いのだろう。まず品種を見付けることだろう。

 誰かがどこかでひこばえを研究しているのであれば、是非とも教えて貰いたい。分らないところだらけなのだ。私の目的は稲作を始めてから、40年変わったことが無い。「有機農業で行う自給農業の探求」である。石垣島に来てひこばえ農法にとりかかった。理想の自給農業が実現できると思えたからだ。

 自給農業業に最初からこだわったのは、この先日本に残るのは企業的大規模農業と、小さな自給農業だけだと農業を始める前から、考えていたからだ。40年前に考えたその予測通りに変化している。中山間地の農業は大規模機械化が出来ないため放棄され、荒れ地が広がると考えてきた。これも予測通りだった。

 だからこそ自給農業をする人間が、条件の悪い中山間地の農地を維持する必要がある。そうしなければ地方は消滅し、環境の調和が崩れる。採算は合わない農業であるが、自給のために行うのであれば、むしろ中山間地の農地は素晴らしい場所になる。

 そもそも日本の稲作は小さな百姓が、作り上げたものだ。研究者が作ったものではない。日本での稲作の研究者は篤農家と呼ばれた。境川村にもそういう人がいて、誰もが気軽に分からないことは教えて貰っていた。苗作りなど指導に来てくれていた。油川のおじさんはそういう人だった。

 研究者は農業の大規模化や、化学肥料や、農薬は大いに研究しているのだろうが、採算の合わない、小さな自給農業に関しては全く研究などしない。沖縄県には沖縄県に合う品種が必要だろう。所がそんな研究は誰一人やろうともしない。日本の稲作研究はここまで後退したのだ。

 沖縄に合う品種は、沖縄の百姓自身が捜すしかない仕事になっている。何しろ沖縄の奨励品種は東北で出来た寒冷地ようのお米なのだ。調査研究した結果それしかなかったのだ。極めて作りにくく、葉は本来15枚出る品種にもかかわらず、13枚しか出ないのだ。

 どうすれば15枚出る栽培が可能か、まだ分らないところだ。ジルカスでも、県の農研センターでも分らないで済まされている。私は分らないで済ますつもりはない。 ひこばえ農法を誰にでも可能な、再現性のある農業技術にするまでやるつもりだ。出来ると信じている。

 私は微力ではあるが、のぼたん農園で、ひこばえ農業が出来る品種。15枚葉の出る沖縄の気候に適合する品種。有機農業に向いている品種。畝取りが可能な品種を捜そうと考えている。何度も書くが、どこかでひこばえの研究をやっているという人がいるのであれば、是非とも教えて貰いたい。

 のぼたん農園を初めて、まだ2年半である。随分長い年月が過ぎたような気がしている。歳をとると月日の経つのが早くなると言うが、むしろ時間はなかなか過ぎようとしない。一年3回の収穫をしていると、小田原にいる頃よりも1年が3倍に長くなったように感じる。

 のぼたん農園の農業は初めての体験ばかりだ。ドキドキしながら発見を繰り返している。これがおもしろくて仕方がない。もっと時間が欲しい。小田原で有機農業で畝取りを目指したときも同じだった。田んぼに入り浸って、観察し、長い年月をかけて実現した。

 諦めなければ必ず実現できる。今回は田んぼの脇に椅子を用意した。椅子に座って、田んぼを眺めて考えている。長い時間ひこばえの様子を見ていると気づくこともある。稲と話し合うことが一番楽しいし、未来が見えてくるような気になる。のぼたん農園の、下の田んぼに居ます。いつでも誰でも来て下さい。
 
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ひこばえ農法の探求

2024-06-12 04:32:24 | 楽観農園
 
 3番田んぼの稲刈りを5月19日に行った。田植えが1月6日だったから、苗づくりが1か月、そのあと田植えして、5か月の稲作だったことになる。30×40センチ上にした。幼穂形成期までは順調だったのだが、1,2,3月の雨量が過去最低だったために、水不足で稲は不稔が多くなった。

 写真は稲刈りをしてすぐに出そろったミルキーサマーのひこばえである。この出ているひこばえを、6月6日に刈払機出短く刈った。一見良さそうな株に見えるが、このままにしておくと、早く穂が出てしまう株が出てきて、バラバラで稲刈りの時期が安定しないことになる。一度刈りそろえて、ひこばえを再出発をさせる。


 3番田んぼはミルキーサマーで、30×40㎝植えである。あまりしっかりした株には成長しなかった。理由は強風と水不足で、株が弱り、不稔が出てしまったためである。弱った株ではひこばえがどうなるのか、様子は見たいので、稲刈り1週前によみがえり堆肥を入れて、20センチ弱の高刈りにした。

 思ったよりも良いひこばえが出たのだが、やはり根の弱っている株では、黄色のひこばえになった。これを病気だと見る人が多いと思うが、根が弱っているために、しっかりしたひこばえが出ないと言うことだと思う。親株に病気がなかったことははっきりしているのだ。

 いずれにしても黄色い株はその後も良い株には成らないので、抜いてしまったほうがいいようだ。良い株を分けて田植えをするように植え付ける方が良い。それは生育が遅れて大して実らないが、その次のひこばえでは役立つ。




 刈払機で1時間ぐらいで刈り戻すことが出来た。刈り戻す理由は株の成長をそろえると言うことが一番の目的なのだと思うが、ここでやっと再生してきた稲に大きなダメージを与えることは、良いことなのかどうかはまだ分らない。狩り戻さない田んぼと比較してみたいと考えている。

 しかし、そのままにしておけば忽ち穂を出してしまう。穂が出ることを防ぐには、出た穂を引き抜いて行くか、低く刈るほか今のところは無い。この後出てくるひこばえの方が、大抵は弱っている感じはしている。刈り戻さなくても大丈夫な稲の品種を捜す方が、良いのかもしれない。いずれにしてもミルキーサマーはおいしいが、石垣島の気候には合わない。



 2番田んぼ、ゆがふもちの稲刈り2週目の写真。ゆがふもちは苗づくり6週間で、1月13日田植え。40cm角植えである。稲刈りが、6月8日。この時期だと石垣島でも、5ヶ月の稲作になる。作出した鹿児島の試験場の株と同じくらいに育った。



 ゆがふもちの6月9日の写真。日に日に生育していることが分る。分ゲツが親株の切り口から出てくると、穂をすぐ付けてしまう。随分しっかりした株が再生してきた。今のところは意外に早く穂が出てくる株も少ないようだ。親株の茎とは別の所から出てきたひこばえは穂を付けないようだ。

 この違いは品種によっておこることのようだ。再生されるという感じがする、ヒコバエは台光の場合がそうだ。早く穂が出てしまうことはない。ゆがふもちも、ミルキーサマーやひとめぼれよりは穂が早く出にくいようだ。この違いの意味は遺伝子的に理由がありそうだ。インディカとジャポニカの交配。

 ひこばえ農法では品種が重要だ。良い品種は親株の茎からひこばえを出さない品種だ。現在、3つの品種のひこばえを試験している。ミルキーサマー、ゆがふもち、台光。台光が一番ひこばえ農法に適しているようだ。ただし、穂の出が長くなりばらつく品種だ。次がゆがふもちである。2番田んぼはこのまま様子を見ることにしたい。

 ゆがふもちは40×40㎝植えである。なかなか良い株になっていた。その御陰で良いひこばえが出ている可能性が高い。ここは追肥も何もしていない。ひこばえをやる予定はなかったのだが。ぬちぐすい診療所の文香さんが、様子を見たいと言うことで、高刈りで稲刈りをした。稲刈り3週目のミルキーサマーに1週遅れでほぼ追いついた。順調である。

 40㎝角で植えた所は、一回辺りの収穫量は株数が少ないので低い。ひと株ひと株は元気に育つ。元気に育たなければ、ひこばえに繋がらない。根が弱っている株は良いひこばえは出ない。まるで病気のような黄色っぽいひこばえを出す。以前病気だと言う干川さんの指摘で、抜いていたが、病気ではない。間違えだったと今は思っている。

 30㎝角植えで、がっちりとした株に育てば良いのだが、石垣ではまだそういう品種は黒紫米しか見つかっていない。こういう石垣の気候に適合したうるち米品種を見付ける必要がある。今のところ、台光と台中65号が検討品種である。台中65号をまず試食してみるところからだ。

 6番田んぼで、黒紫米は60㎝角で植えられているが、60㎝角でも隙間がないほどの大株になっている。これを稲刈りした後、どんなひこばえが出てくるのかを見てみたい。もし、良いひこばえが出るなら、黒紫米ではあるが、適合品種が見つかったことになる。

 ひこばえ農法では、40㎝角植えがいいのかもしれない。一回の収量は低くても、満作の株を育てて、3回収穫すれば、1年では通常の2倍の収穫量になる。一年中稲を作るのは大変という意見もあるが、2回目、3回目の栽培は苗作りがいらない。田植えもないので、楽になる。

 新米が3回食べれると思えば、悪くはない。お米の保存がいらなくなる。その分田んぼを狭くできる。自給農業として、一年分のお米が60キロ必要であるならば、1畝の田んぼで十分と言うことになる。25キロ3回で75キロになる。

 10m×10mの田んぼで一軒分のお米が出来る。これなら草取りでも田植えでも稲刈りでも、たいした手間にはならないし、一切機械を使わない農法でも十分可能になる。土壌が良くなれば、無肥料でも可能になるかも知れない。

 6月6日に6番田んぼの稲刈りをやはり高刈りで行った。稲刈り1週間前によみがえりを入れてある。ここは40×40㎝でミルキーサマーだ。株はまずまずだったのだが、稲刈りがずれ込んで水分が16%と下がるまで延びてしまった。根が弱っている可能性がある。



 1番田んぼの稲刈りを6月8日9日に行った。ここは1月13日に稲刈りをして、出たひこばえの稲刈りだった。刈り戻しを3週後に行った。その後時間がかかって生育し、5ヶ月のイネ作りになった。ひこばえも1,2,3月の気候の方が良いようだ。

 収量はあまり多くはないが、一期作よりはましなようだ。3回目の収穫を目指して、ひこばえの栽培を続けてみる。ここは2週目か、3週目に刈り戻しをしたいと考えている。株がばらつく稲なので、刈り戻しをしないと余計に穂が揃わない。(明日に続く)

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2024年のぼたん農園稲刈り進行中

2024-06-01 04:07:20 | 楽観農園


 のぼたん農園では一期作の稲刈りが進んでいる。梅雨時の稲刈りで、田んぼには水がたまった状態になっている。お米の乾燥が進まず、稲刈りの適期が難しかった。田んぼが水が抜けない状態なのだ。水が抜けないまま、稲刈りをして、いくらか乾かして、コンバインに運んで脱穀をした。

 大変な稲刈りではあったが、全力で出来た思いの籠った楽しい稲刈りになった。イネ作りを今になって楽しいと思うようになった。40年近くイネ作りをしてきて、少しもわかっていない気がした。イネを満作に作りたい。その品種の持っている力をすべて発揮して作りたい。

 作物を満作に作ることは、作物に対する礼儀なような気がしている。食べさせていただくのに、いい加減な心無い作り方では申訳がない。補助金が貰えるので、適当な作物を適当に植えて、収穫もどうでもいいというようなことでは、作る人間が壊れてゆく。補助金が百姓魂を壊してゆく。

 石垣でイネ作りをするのであれば、石垣でその性能を十二分に発揮できる品種を見つけて、作ってみたい。台光はそんな品種になる可能性はあるが、ばらばらに穂をつける欠点がある。穂が揃わないのはどうも性質のようだ。台中65号はどうかと思い、現在作って見ている。あと10年は作りたいので、それまでに石垣の気候に適した良い品種を見つけたいと思う。

 乾いていない青い藁だから、コンバインが詰まってしまった。稲刈りをしてから、半日でも日に当てて置きたい。そうすれば、何とかコンバインは詰まらないようだ。来年は梅雨時の稲刈りにならないように、時期をずらすことを考えなければ成らない。

 昔の与那国や西表や石垣の田植えを12月始めだったと言う理由がしみじみと分った。5月の連休が例年の梅雨入り直前と考えて良いだろう。梅雨入り前半は連続的に雨がちである。5月5日から月末までの4週間は稲刈りを避けなければならない。5月始めまでに稲刈りをするのであれば、11月始めが種まきになる。

 冬の育苗と言っても、石垣島に冬はない。12月でも小田原の5月より暖かい。5葉期に育てるには小田原とだいたい同じくらいの時間が必要だった。時間がかかるのは日照時間の問題なのだと思う。さすがに石垣の12月は小田原の5月よりも日が短い。1月の田植え後の生育もゆっくり気味であった。

 それは稲の生育には悪い事ではないが、適した品種でなければ、おかしな生育になる。ひとめぼれやミルキーサマーではやはり13枚しか葉が出ないで満作にはならない。40㎝角植の土壌の深かった部分が唯一15枚葉が出てがっちりした株になった。

 その点では台光は石垣の気候に適合している。台湾から来たものだというから生育が良いのだ。何とかすれば出穂をそろえることはできるのだろうか。そもそもできない品種なのだろうか。西表に台光を作っている人がいるらしいから聞いてみたい。

 梅雨の雨を避けるためには遅くとも連休中に稲刈りが出来るようにと考えると、12月中には田植えをやりたい。苗作りは11月に始めなければならない。来年は11月の苗作りで稲がどうなるかを、試してみたいものだが、どんな品種なら可能なのだろうか。

 またもう一つの方法として、梅雨明け後に稲刈りをするように時期をずらすこととなると、6月半ば過ぎとなる。2月後半から3月始めの田植えになる。2月後半の田植えであれば、1月後半の種まき苗代と言うことになるだろう。この場合、今までの経験では稲が十分生育しないうちに穂が出てしまう可能性がある。

 また石垣では稲の病気が出やすい。その点では有機農法では難しいことだと思うが、良い土壌の田んぼで稲を満作で元気よく育てる。肥料が十分で育つと、早く穂が出てしまう可能性が下がるようだ。有機栽培で行う場合、肥料の速効性がないから、追肥をどうすればいいまだわからない。多めに細かく追肥をして行けばいいのか、方法を考え無ければ成らない。

 来年はこの2つの方法をやってみたいと思っている。稲刈りを梅雨時を外す。これが今年の稲作の勉強だった。また、3番、4番田んぼでは不稔が起きてしまった。原因は特定できないが、水が足りなかったことが一番の原因に感じられる。1,2,3月の降水量が過去最低だったのだ。

 風が強かったこともある。花が咲くころ大風が吹き付けた。これで不稔になった可能性がある。イネの茎が細く弱く、風に弱いイネだったように思う。土壌がまだ新しく肥料不十分だったことも、良くなかったのだろう。複合的な原因があると思われる。

 今回40㎝角植、30㎝角植、30×40㎝角植、60㎝角植とさまざま比較栽培したが、一番良かったのは40㎝角であった。「ゆがふもち」という糯米であった。鹿児島県作出のお米だ。鹿児島での栽培とほぼ同じような稲に育った。土壌がまだ十分でないので、40㎝角でないと稲が満作にはならないという事のようだ。

 現在、ひこばえの実験栽培に入っている。ミルキーサマーは満作にならなかった。ひこばえも弱いものになっている。40㎝角植だと植え付け株数はかなり少なくなる。収量も満作でも5俵ぐらいではないか。それでもひこばえもそれだけ取れれば、自給農業としては、10俵の畝取りになる。3回の収穫なら15俵になる。

 ひこばえ農法を考えると40㎝角が今のところ一番良いように見える。これからひこばえの研究を進めながら、植え付け密度の比較を進めたい。 幸い今のところは雑草の問題は少ない。コロガシぐらいで抑えられている。田んぼだった歴史がないから雑草がまだ少ないと思われる。

 田んぼの植え付けは田んぼの周囲を大きく開けたい。水を早く乾かすために溝堀が必要になる。鳥よけのネットがあるので、周囲からの草の侵入を防ぐには幅広に空けておく必要がある。イネのないところがあれば、畔の草刈りもしやすい。無駄に見えるが、良い管理を行い満作に作るには必要なことだ。

 アカウキクサ農法で分かったことは、よみがえり牛糞堆肥でアカウキクサは増えることが分かった。堆肥の窒素分をアカウキクサが吸収しているという事もある。その分も考えて、2畝に1回45キロぐらいは入れるようにしたい。1期目は1回30キロだった。

 土壌の消耗が激しい。これは亜熱帯の気候の為もあるのかもしれない。のぼたん農園の土壌がまだ良くない為という事も考えられる。土壌を豊かにするために腐植を増やすひつようがある。堆肥やアカウキクサを土壌に漉き込んでゆく。藁も出来るだけ戻す。分解の為に窒素を使うだろうから、その分も考えてたい肥を増やす。今のところは、こんな方針である

 小田原では田植えの日に、のぼたん農園のことを書いた。何か不思議な気がする。一年中田んぼをやれるのだから、こんなに面白いことはない。様々な疑問が、何度もやることで分かってくるのが早い。今回小田原でも30×40㎝田植えをやることになった。どういう結果が出るだろうか。

 
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冒険は意欲の泉

2024-05-30 04:44:33 | 楽観農園


 歳を取ることで一番恐ろしいことは意欲を失うことである。好奇心がなくなることである。若い頃は何もかもが新しい体験になる。まだ世界は未知の領域ばかりである。未知の世界に踏み込むことは、新鮮であり、自分がドキドキしながら活性化されて行くことが分る。

 所が歳を重ねると、だいたいのことは想像できるものになってしまう。事実はそうではないのだが、世間はこんなものだと、狭いところで納得してしまう。そして、新しい事に挑戦する面白さを忘れてしまう。人間の行動範囲など、世界の広さから考えれば、1%にも満たない。

 知らない街を歩いてみたい。知らない人と出会いたい。知らない世界にであって見たい。未知に対する好奇心を失うことが、人間の衰えなのだと思う。石垣島で、色々の人とまだまだ出会いたい。人間ほどおもしろいものはない。確か明日家に来てくれる人が居る。小田原から石垣に移住する人らしい。

 先日は情熱クラブという組織の人達が、50人でのぼたん農園を訪ねてくれた。水牛のクルバシャーの体験会をした。小さな子供が、水牛の紐を持って、水牛を扱ったのだ。きっと石垣島の良い思い出になったことと思う。水牛のワカバは賢いので、子供だと思い、ゆっくり歩いていた。宮良小学校の黒糖絞りで子供の作業には慣れているのだ。

 この後何年生きるのか分らない。新しい人間の出会いがあれば、これほどの喜びはない。人間がであえるのかどうかは随分微妙なところがある。学生の頃であった人と、今でも心の中ではそこに居るような気分で居る。そういう人間の出会いが自分を作っている。生きる事の素晴らしさだ。

 絵を描くことでも過去の絵の世界を引きずって絵を描くのであれば、それは絵を描く面白さの半分しか分っていないことになる。未だかつてない世界を描いてみようと言うことが、絵を描く面白さなのだ。分らないから描いてみる。描くことで新しい絵の世界に踏み入る。

 絵を描く面白さは正に、日々の新世界を垣間見ることである。こんな絵もあるのか、自分の中にはこんなものもあるのかと、発見できることが絵を描くことなのだ。生き方を自由無碍なものに出来ることは、絵を描くことから始まる。昨日の自分を自己否定できること、新しい自分にであうことが絵を描くことだ。

 だから絵を描いていれば、好奇心を失うことがない。新しい冒険心が衰えることがない。あれもやってみたい、これもやってみたい、そういう生きる好奇心が尽きることがなくなる。ここで大切なことは、やってみたいと言うことを、実際に始めることだ。

 今石垣島の自給農業を探求しているのも、絵を描いてきたから出来ることなのだと思う。石垣島に写生旅行できては何度も絵を描かせて貰った崎枝の石垣牛の自然放牧の牧場で、まさかのぼたん農園を始めるとは思いもしなかった。場所との出会いに従うことになった。

 今行っている最後の冒険は、石垣島の自給農業の探求である。自給農業は自然に従う農業である。石垣島では有機稲作の事例が極めて少ない。自分でやってみて、確認して行くほかない。一般の農業とはかなり違う。最も合理的に自分が食べるものを得る方法である。

 いくつかの条件がある。できる限り外からものを持ち込まない農法である。永続性のある循環して行く農業である。化石燃料はできるだけ使わない。条件としては一日1時間程度の労働で、100坪の面積で、食糧自給の可能な方法である。そうでなければ自給にはならないからだ。

 そして、この冒険には時間的制約がある。今は何とか普通に身体が動いて、農作業が出来るが、80歳までに完成しなければ、動けなくなると考えている。あと6年が残された時間である。農業は実践しない事は無意味だと考えている。農業の理屈などたいした意味がないのだ。農業では理論上可能でも出来ないことが普通のことだ。

 科学的な思考を繰り返すことが必要だが、それを何度も実践してみて、試行錯誤して、農業技術にまで高めなければならない。始めて農業をする人でも可能な、再現性のある単純明快なものにまで洗練させなければならない。それが出来ないような農法は、農業技術ではないと考えている。

 最近、自然農業分野ではかなり怪しげな、非科学的な農法がはやりだしている。トンデモ科学農法である。祈れば何でも解決するような農法である。時代が行き詰まり始めているので、変なスピリチュアル系の農法がはやりだしているようだ。それにハマル人が多くて情けない限りである。

 農業は自然科学だ。自然は膨大だから、確かに不思議なことはいくらでも出てくる。この不思議を実践の中で確認しながら、農業技術にして行く事が大切なことなのだ。正しい科学的精神こそ、冒険の羅針盤である。だからこそ冒険が次の冒険へと活力の再生産になるのだ。

 小田原では自給農業技術は一定完成できたと考えている。今度は石垣島で自給農業技術を完成させたい。亜熱帯ではその方法はかなり異なる。方針は見えてきた。「あかうきくさ農法」「ひこばえ農法」である。この農法の確立のことを思うと、あれこれやりたくて仕方がなくなる。

 まだ分らないことばかりだ。しかし、今までの経験から、何とか解決の糸口はありそうだ。もしこの自給農法が確立できれば、どれほどの飢餓の時代が来ようとも、自給をやる気さえあれば、安心立命してやりたいことをやって、生き延びることが出来る。

 自分の好奇心が、人間の未来に貢献できるかも知れないと思える。日本人の次の時代の生き方の参考になると思っている。そのことを思うと、どれほど大変でも、自分の気持ちを前向きなものに出来る。原爆の開発などに携わる人は、自分の心を滅ぼしてしまうだろう。

 正しい目標に向かい、全力で日々を生きる事ができれば、これほどの喜びはない。それを支えているのは、絵を描くことである。絵を描くことには、終わりがない。自分の探求には終わりがない。探求して行く日々がおもしろいのだと思う。

 19日に3番田んぼでは稲刈りをした。品種はミルキーサマーである。ミルキーサマーがひこばえ農法向きの品種であるかの試験栽培である。稲刈りした翌日から、見事にひこばえが出始めた。この発芽状態は過去最高の発芽だ。すこしづつひこばえ農法が見えてきている。

 アカウキクサを肥料にするという大きな方針は間違えがない。アカウキクサの発生をコントロール出来なければ農業技術ではない。どうやってアカウキクサを必要なときに発生させることができるかである。まだまだ分らないことが山ほどある。分らないからおもしろいとも言える。
 
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作物を満作にすることの意味

2024-05-20 06:02:59 | 楽観農園
 作物は人間が作り出したものがほとんどである。自然界にある野生の植物とは違う性質のものと考えなければ成らない。例えば今日本で栽培されている稲であれば、原種と言われる野生稲が、中国の長江の河岸に自生しているものが発見されている。その後もう一カ所、ラオス、カンボジア国境地帯の標高の高い地域が指摘されている。

 その稲が何千年も自家採種で栽培される中で、自然に選抜されて居るはずだ。そして、より人間にとって都合の良い品種を作り出そうと、ここ100年間の品種改良で、全く野生種とは違うような性格のものになっていると考えられる。野生の稲と似てはいるが、100倍も多く実がなるのものになったのだ。

 この人工的に作られている栽培品種は2つの方向がある。一つは人間が美味しいと思えるものだ。作物も商品であるので、改良は売れるものになる。果物であれば、消費者が好むもの、甘くて、柔らかくて、簡単に食べれるように改良されている。

 もう一つの方向は、化学肥料や農薬への対応力である。作物は肥料を吸収する能力が高められる改良がある。野生種の稲であれば、それ程栄養のない土壌で実を付けなければならない。しかし、改良された稲は化学肥料を吸収する能力が高められていて、無肥料では十分には生育できないようになっている。

 多分稲の品種では50種類ぐらいは作ったと思うが、同じ作物とは思えないような、性格がある事を経験してきた。その中で、小田原で作ったもので自分の栽培に合っている品種はサトジマンであった。平成6年~平成16年 に育成されたものとある。2004年に出来た品種だから、20年前のものだ。今でも小田原で畝取りが出来ている。

 神奈川県の奨励品種には2005年には成った。奨励品種を栽培するようにしていた。それは、苗作りを失敗することがまだ多くて、奨励品種であれば、急遽購入も出来るという安心感があったからだ。2005年には作り始めているはずで、その後自家採種を続けてきた。

 食味も好きで一番好きなお米だ。長年このお米を食べてきたので、この味こそお米だと感じるようになったのかも知れない。味は個別性の強いもので、美味しいと言われるお米でも、べつに、と言うものも多い。自分にとって美味しいが一番で作り続ける。

 ところが、このサトジマンを石垣島でも作りたいと考えたが、作って見て、全く栽培が出来なかった。きちっとしたサトジマンの形に育たなかったのだ。葉が10枚くらい出たところで、小さな穂が出てしまい、この品種では十分な栽培はできないと実感した。

 同時に栽培した、ひとめぼれも栽培状態は悪かったが、サトジマンよりはまだ良かったと言える。そこで、ともかく沖縄県が奨励品種にしている「ひとめぼれ」「ミルキーサマー」「ゆがふもち」やってみようと言うことで栽培実験を続けている。その当面の目標はその稲の特徴を知ると言うことである。

 それは「ひとめぼれ」であれば、宮城県の古川農業試験場で行われた栽培の結果と較べてみて、同等の生育をするかである。例えば葉は15枚の品種である。背丈は81から82㎝の品種。ところが、石垣島で作ると、葉は12枚が最高で、70㎝程度で出穂してしまう。これでは良いお米は出来ないはずだ。

 有機農業で稲を栽培すると、小田原の経験では葉は標準通りで、背丈は10センチは高くなる。葉の出る速度はほぼ7日で一枚である。これは10年以上測定した結果である。ところが、石垣島では5日で一枚の葉が出てしまう。栽培期間自体が1ヶ月以上短くなる。

 もう一つの奨励品種の「ミルキーサマー」も昨年から作っているが、同様の悪い結果だった。そこでまず目標は「ミルキーサマー」が中央農業総合研究センター谷和原圃場と宮城県古川農業試 験場で作られている標準の作柄にすることを、第一目標にした。背丈が84㎝である。

 これも沖縄名護の農業センターの実証実験では72㎝ぐらいまでの株になっている。これを何とか84㎝、15枚の葉で栽培できないかを、目標にした。結論から言えば、多分不可能と言うことと考えて良いというのが、現状である。

 のぼたん農園で一番健全に育ったものは、40㎝角植えのもだった。育苗期間は12月3日播種で1月13日5葉期の田植えである。3番田んぼでは、1月6日田植えで4葉期の苗であった。この田んぼでは12枚しか葉が出なかった。この結果から見て、大苗栽培で行う方が良いと推測している。

 餅米品種の「ゆがふもち」では6葉期の田植えをした部分が、鹿児島県の農業開発育成データーとほぼ同じ株に育った。「ゆがふもち」を栽培した2番田んぼも40㎝角植えである。満作にするには、6葉期に近い株を、40㎝角植えにするということは、育成方法としては間違いがないようだ。

 ただこれでは収量は半分になる。何年か土壌をよくするどりょくをして、結果が良くなれば又別かも知れないが、今のところは土壌を良くする方向も見えているわけではない。腐食を増やすと言うことを目標にしているが、まだその方法を実践しては居ない。実践しないことは無いことにしている。農業では理屈や理論など、たいしたものではない。

 また、2番田んぼでも、6番田んぼでも、特に生育の良い部分は土壌が深い場所である。まだ作られて2年間という土壌なので、土壌が十分ではないと言うこともあり、どうしても耕土の浅い部分は良い生育にはならないようだ。やはり土壌を豊かにしなければ、有機農業では満作に出来ないと言うことも分る。

 稲を30㎝角で満作に育てることが最終目標になるが、ひこばえ農法を行う場合は、40㎝角も悪くないと考えている。ひこばえ農法では、2回目、3回目と、分ゲツ数が増えて行く。そのために粒張が悪くなってしまう。40㎝角で根の生育範囲を広げて、肥料を多くすれるようにすると言うことも一つの方向かも知れない。
 
 現在、1番田んぼでは台光という品種を栽培している。これは由来の分らない品種であるが、現在ひこばえを育てている。田植え栽培の一回目より、明らかに作柄が良くなっている。1月13日に一期作の稲刈りをして、6月が2回目のひこばえの収穫になる。ゆっくり生育して、背丈は140㎝になっている。インディカ種とジャポニカ種の交雑した株のようだ。

 餅米的な品種なのだが、種籾をいただいたときには、うるち米という話だったが、どこかで自然交雑したものかも知れない。予定では少なくとも3回は収穫してみるつもりだ。それでどこまで良い生育が維持されるか検討したい。もし、成績が良いようなら、ひこばえ用品種として栽培を続けたい。
 
 
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石垣島田んぼ勉強会

2024-05-14 04:07:40 | 楽観農園


 のぼたん農園では、5月12日に田んぼ勉強会を行った。13名の参加だった。県の農研センターのOさんが、研究者の奥さんと一緒に参加してくれて、貴重な意見をいただくことが出来た。活発な意見交換が出て。良い勉強会になったのではないかと思う。いくつかのテーマがあった。

1,石垣島で一番よい、種まきは何時になるか。
2,不稔籾が多く出たが理由は何か。
3,ひこばえ農法の場合、何㎝角植えが良いのか。

 1,種まきは石垣の気候の中では一番寒い時期に行うのが良いと考えている。今年は12月3日播種だった。その理由は石垣島の1月の平均気温は21.5度。小田原の5月の平均気温が、12度である。石垣では一番寒いときでも、稲の生育には暖かすぎるからである。何故、2月播種を続けているのだろうか。

 ただし、12月蒔きでは、早すぎると言うことが出ていたが、むかし、台中65号が奨励品種として作られていた頃には、12月蒔きだった。という意見がでた。さすが長くやられてきた干川さんは知識が深い。播種時期は12月初旬で間違いがないと考えて良いのだと思う。

 稲の種を蒔き15週間で15枚葉がでるという、ゆっくりした生育を目指したい。それでも石垣では5日ごとに葉が一枚出て、9週間の栽培で13枚までしか葉がでない。そのために十分な生育が出来ないで出穂する。穂も小さくなるし分ゲツも少ない。その結果、収量は5俵止まりになっているのだ。

 畝取りを目指す稲作としては、稲を満作に育てることが、栽培の第一目標になる。そのためにはその稲の本来の性質である、15枚葉を出させることは基本になる。できる限りゆっくり成長させ、15枚葉を出させるためには、成長のゆっくりしている、12月初旬の種まきしかないと思う。またそうした品種を捜すほか無い。

 12月蒔きでは「日射量」が不足するという意見が、ジルカスのK先生が言われていたが、石垣島の緯度の太陽光の強さを考えると、5月の日射量あるいは強さはは小田原の8月以上になる。亜熱帯地域だから1月でも陽がかなり高いのだ。雨で日射量が不足すると言うことは無いとは言えないが、これは何月でも、どこの地域でもある起こりうることだろう。

 ただ来年からは、苗代はできるだけそれぞれにやって貰いたいと考えている。種まきの時期は、かなり重要なことになるから、それぞれの判断で決める必要がある。私は12月始めに撒く。それに合せたいという人が居れば、一緒にやって貰えば良い。

 2,不燃が3,4番だけで多く出た理由はいくつか原因があり、それが複合的に原因となり、不稔になったと思われるという所が、概ねの意見だった。

① 風が強いために不燃が出た。来年は防風ネットをもう一枚重ねて、風を防ぎたいと思う。風速計を買ったので、今度は色々の所を計測してみる。
② 稲は分ゲツはよく採れたのだが、茎が細めだった。肥料が足りなかったと思われる。弱い稲になり、13枚しか穂が出ない稲なので、不燃が多かった。特に土壌条件の悪い場所では不燃が多くなった。
③ 水が足りなかった。特に出穂期頃水不足が起きた。そのために3番と4番は死に水になり、土壌が悪くなった。これが一番不稔を起した要因と思われる。

 3つめのテーマが、ひこばえ農法を自給農業の基本技術にすること。それは、狭い面積で大きな収量を上げることが出来るからだ。100㎡の田んぼで、1年に3回の収穫をするとすれば、一回に25㎏だとしても、年間75㎏の収量が見込める。自給農業は農地はできる限り小さく、作業時間を最小にしなければならない。

 田んぼは狭いほど、管理が楽である。また水の使用も面積が少なければ、当然少なくて済む。ひこばえ農法は労働量も、水の量も少ないものになる。そこが自給農業に向いていると思う。小さな田んぼで、こまめに管理をすれば、一年中新米を食べることが出来ることになる。

 保存をしないで済むと言う点で、保存の難しい石垣島向きだと思う。籾保存するにしても、期間が短く、量も少なければ、置いておく冷蔵倉庫も小さいもので済む。何しろ籾でもすぐ虫が湧いてしまうのが、石垣島の田んぼだ。

 一年中田んぼをやらなければならないのは耐えられない、という意見が多く。今年は取り組む人が居ない。それで私一人でひこばえ農法はとりくむことになりそうだ。それでいいのだが、食糧危機になれば、そんなことも言えない時代は来ると考えていて、かなり本気で取り組んでいるのだ。

 ひこばえ農法はだんだんその農法が見えてきた。後数年やれば、再現性のある農業の基本技術になりそうだ。どの時期に於いても根を傷めない栽培が重要になる。稲は穂を付けて実らせすぎると、根が老化してしまう。根の活性を残したまま栽培を続けることが必要がある。

 稲刈りの1週間前に、水を抜き良く発酵をした牛糞堆肥よみがえりを入れる。稲刈りは20㎝ぐらいの高刈りが良い。稲刈り後水を戻して、稲を分ゲツさせて行く。そして3から4週間後に稲の刈り戻しを行う。刈り戻しの前にまた、よみがえりを入れる。

 今度出てくる分ゲツは収穫する茎になる。分ゲツが出てきたら、しっかりした分ゲツになるようにまた追肥をする。細かく追肥をして行くことが、ひこばえ農法では重要な技術になる。追肥は頻繁に、すこしづつ行うつもりで進める必要がある。

 また堆肥でなければならない。もし米ぬかを入れるとしても、生米ぬかは良くない。牛糞堆肥も良く完熟したものを使いたい。また土壌に十分の腐食がなければ、堆肥を入れることで土壌が悪くなることもある。その良い時期は十分に植物を観察しながら行う。

 土壌はだんだん硬くなるので、草取りを兼ねて、コロガシを入れる。ひこばえは1期作目に23分ゲツの株であれば、ひこばえは30本ぐらいは出る。場合によっては40本にもなる。このひこばえを十分に育てるには追肥を確かに与え、しっかりした株に育てなければならない。

 そのためにも、田植えは40㎝×40㎝にした方が良い。次の2回目のひこばえは、さらに分ゲツを増やす事になる。50本の分ゲツになれば、どうしても穂が小さくなり、お米の粒張りが悪くなる。根が十分に広がらないと、小粒なお米になってしまう。

 二期作はお米の味が落ちると言われているが、今のところ、味的にはひこばえのお米は食べて美味しい。まだその点結論は出ないが、あまり美味しくなかったとよめきが、ひこばえの時のとよめきはまあ食べられるお米になった。今回そこそこ美味しかった、台光のひこばえがどんな味になるか楽しみである。

 今年の天候は1,2,3,月の雨量が過去最低だった。そのためにかなり厳しい稲作になった。その意味では少ない湧き水での栽培を続けている。のぼたん農園で、1,2,6番田んぼは満作のかなり良い稲になったことは、成功だと思っている。

 これから、1番、3番、6番田んぼで、ひこばえの栽培を続ける。3,6のミルキーサマーがひこばえが出来るかどうかは不安であるが、やってみなければ分らない。ミルキーサマーにはインディカ種の遺伝子が加えられていると言うから、可能性はある。

 上手く出来ないようなら、ミルキーサマーは止めて、他の品種を探したいと思う。現在候補として育てている台中65号も試してみたい。ただ、台中65号も早く穂が出てしまい。ちょっと期待薄な気がしている。

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のぼたん農園田んぼの記録

2024-04-19 04:28:40 | 楽観農園

 1番田んぼ 担当:中川、笹村
 「台光」台湾の品種と言われる品種を栽培。120㎝に成るという品種。この田んぼは昨年7月に大規模な土木工事を行い、最初の状態から作り直した田んぼ。田んぼの土壌は新しいものである。一部にはまだ岩盤がある。柔らかく深いところが一部にある。トラックターは使えなかった。

 水牛で土壌を移動し、水牛のクルバシャーで耕した。水牛だけで作った田んぼである。昨年7月末土木工事完了。水牛ですべてが出来たという点でおもしろい田んぼである。一部に、蓬莱米台中65号が植えられている。石垣の気候にあう、とても元気な稲ということが分った。

 8月27日に苗代を作り、播種。9月23日に田植えをした。 種籾は「西表安心米」の那良伊孫一さん が20年間作られていたお米の種籾を分けていただいたもの。1月13日に稲刈りをした。ネットが張れなかったために、鳥に食べられたために収量は少なかった。

 出てきたひこばえの刈り戻しを稲刈り4週後の2月11日に行った。よみがえりの追肥を三回ほど行った。ひこばえにはかなり肥料が必要と感じたので、よみがえりを入れた。刈り遅れのイネ株はそのまま弱って、黄色くなり、ひこばえを出さない。5月26日に稲刈りの予定。夏作よりも、稲の出来が良い。



 2番田んぼ 担当:ぬちぐすい診療所
 「ユガフモチ」を栽培。40センチ間隔植え。一度水牛さくらに田んぼに入られたため、補植がかなりある。その株の出穂が送れていた。補植は遅れたがよくできている。12月6日播種。1月13日田植え。4月14日出穂期。5月25日稲刈りの予定。


 3番田んぼ 担当:中川、笹村
 「ミルキーサマー」を栽培。30×40㎝間隔植え。南側を40㎝空けて、日照を期待した。30センチ間隔の四分の三の株数になる。またひこばえ栽培を探求したいために、株間を広げた。ひこばえは分ゲツ数が増えるため、十分な穂を付けるためには、肥料と空間が必要になる。

 分ゲツ肥を入れてコロガシを四回やった。穂肥は止めて、アカウキクサがよく広がったので、これを穂肥と考えた。中央山側に岩盤があり、生育不良だった。奥に土を寄せたために、耕土が深くなり、30分ゲツを越えた。12月6日は種。1月6日田植え。3月末出穂。4月13日穂揃い。5月18日稲刈り予定。稲の大きさは83㎝。



 4番田んぼ 担当:渡部夫妻
 「ミルキーサマー」を栽培。30×40㎝間隔植え。荒起こし、代掻きを十分に行った。合計7回。そのために水は雨水がほとんどだった。分ゲツ肥、穂肥によみがえりを入れた。後半勢いがなくなったのだが、土壌の窒息状態が影響したか。田んぼ全体が平均的に整って実っている。

 12月6日播種。1月6日田植え。3月末出穂。4月13日穂揃い。5月18日前後稲刈り。稲の大きさは83㎝



 5番田んぼ 担当:圷夫妻
 クロマイ2種。餅米。ミルキーサマー。ハッピーヒル。60㎝角植え。3月半ばから4月後半に断続的に田植え。様々実験的な栽培をしている。不耕起であるが、コロガシを頻繁に入れて水持ちを良くしている。


 6番田んぼ 担当:三線グループ
 「ミルキーサマー」を栽培。40㎝角植え。12月6日播種。1月13日田植え。4月13日出穂。5月25日稲刈り予定。稲の大きさは85㎝。「ミルキーサマー」の中ではこの田んぼの稲が一番良く出来ている。葉は15枚出たと思われる。

 水が不足した田んぼだった。土には時々ひび割れがあった。水が少なかったことが、良い稲になったかも知れない。コロガシは3,5回。その都度よみがえりを入れた。葉色が最後まで濃く、穂も他よりも大きい。120粒はある。

 ミルキーサマーの品種特製を見ると、東北では早生品種であるが、沖縄で作ると晩稲になる。また、筑波では84㎝の大きさになり葉は15枚。沖縄では72㎝と大きくならない。葉も13枚まで。その理由は不明。気候に合わないため収量も低い。

 「ミルキーサマー」はインド型品種「Kasalath」由来のHd1遺伝子を持つ「コシヒカリ」早生同質遺伝子系統「和系243」と「コシヒカリ」の突然変異品種「ミルキークイーン」の交配後代からDNAマーカー選抜で育成された「ミルキークイーン」の出穂性に関する準同質遺伝子品種である 



 7番田んぼ 担当:ゆんたくガーデン
 「ミルキーサマー」を栽培。30㎝角植え。新しい田んぼ。土壌に耕されていない場所があった。12月6日播種。1月13日田植え。4月20日出穂 五月後半稲刈り予定。代掻き石拾いがまだ不十分と言うこともあり、水が足りなかった。

1反の田んぼの稲数 畝取りのための目標 1穂の重量2.2g100粒とした場合。

(植え方)      (稲の本数) (ひと株の収量) (穂の数)  (収量)
30×30㎝    11111本  66g    24.5  10俵
30×40㎝     8333本  72g    32.7  10俵
                   60g    27.7   8俵
                   50g    22.7   7俵
40×40㎝     6250本  96g    43.6  10俵    

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のぼたん農園水源の森作り

2024-04-17 04:01:49 | 楽観農園
 水源の森予定地

 のぼたん農園の田んぼは、わずかな湧水を利用した天水田である。この湧水は先枝の集落の基になった尊い歴史ある湧水である。かつて水が途絶えたことはないそうだ。ただその湧く水量は水道の蛇口から出る水と同程度である。つまり、1時間に1㎥メートルぐらいの水の量である。

 この1時間1㎥の水が倍になったり、半分になったり、雨量によって変化している。この水の量で、2反の田んぼまで、出来ると考えて始めた。それは経験的に、見てきた2反の田んぼを維持できる水の量だ。一年間365㎥の水があれば、2反の田んぼは出来る。2反の田んぼが湧水で出来るとは夢のようなことだった。

 湧き水であるということは山からの絞り水である。山の木々に降った雨がしずくになり、地中に染み込み地中をだんだんと浸み流れ、湧き水となって岩盤の間から湧き出ているものである。田んぼをやるためにはこれ以上の水は無いと言える、尊い水である。


水源の森予定地 中央のしげみの下辺りに湧水がある。

 のぼたん農園は2畝の田んぼが10枚である。2畝が一家族の田んぼの面積だから、のぼたん農園では10家族のお米が出来ると考えて計画を立てたものである。一家族が水道でやるなら6千円の水代。湧き水ならこれはただになるが、湧き水を維持するためには、森を作らなければならない。


 全体計画では湧き水の上部を水源を守る林にしようと考えてきた。湧き水の上部は以前はパイナップル畑だったらしい。その後、パイナップル畑から、牛の放牧地になった。放牧地と言っても、その当たりはあまり管理されていなかったためかなり荒れた状態に成っていた。

 その後放牧地も止めて、耕作放棄された状態のまま3年が経過した頃、借りることになった。この湧き水を利用して「のぼたん農園」を作り、田んぼをやるためである。自由に構想して思い通りの、自給農園を作りたいと考えたからだ。その構想の中心となるのが大切な湧水である。



 湧水をできる限り豊かなものにするためには、荒れ地を林にする、出来れば森のような状態にしたいと考えてきた。そのためには苗木を探し、植林をしなければと考えてきた。所が、1年前から苗木をネットで見付けて注文しても、送ってくれる所が一つも無かったのだ。注文は出来るのだが、石垣島の住所で、送れませんとの返事がある。

 それで困っていたら、八重山森林組合に苗木があるということをのぼたん農園の仲間の圷さんが教えてくれた。トマリ木工の講習会に出たら、植林の講習を受ける日があり、森林組合の苗木を使ったというのだ。それが売られているかどうかは分らなかったが、早速行ってみることにした。

 森林組合の苗場には、立派な苗が並んでいて、売られていたのだ。ただ、植林のための苗場だから、樹種は限られていて少なかった。「やらぶ」と「センダン」にした。他には「フクギ」があるということだったが、これは成長が遅いので、水源のためには向かないと言うことだった。



 センダンは成長が早いから、特に水源林にするためには良いので前から捜していた。やらぶは石垣には至る所に防風林として植えられて居るので、これものぼたん農園には適合する樹種だろう。欲しかったのは琉球松の苗木だったのだが、これはなかったのでこれからも探す。

 あるものをともかく植えるということにして、50本ずつ購入した。200本ぐらい欲しかったのだが、まず100本にして、植えてから、又買いに来れば良いだろうと言うことになった。1本税込みで550円である。五年育てた1mぐらい高さのある立派な木だから、価格は安い方だと思うが、流通価格は知らないので良くは分らない。



 早速穴を掘り始めたのだが、土が硬くて、植え穴が掘り進められなかった。何しろ掘った穴に雨が降ったら、染み込まずにそのまま水たまりになってしまった。それ程浸透性のない硬い土壌なのだ。シャベルも鍬も歯が立たないほど堅かった。こんな土で大丈夫かと思うほどだ。

 まずススキやアメリカハマグルマのヤブをハンマーモアーでできるだけ片付けた。風が強いところだから、あまり片付けてしまうのも、どうかと思いながら、結局は3日かけて、予定地の草刈りをした。やってみると奥の方はかなりのぼたんが広がっていたのだ。

 のぼたん農園だから、のぼたんは残す必要があるので、結局半分位はそのままに残すことにした。実は奥の方の上部は植えた方が良いところがあったのだが、そこにはハンマーモアーが入れなかったので、この先整備が進んで一段落付いたらば、「琉球松の苗」を手に入れて、植えたいと思っている。これも出来れば50本。



 草刈りをした後は、植え穴掘りをした。100カ所を掘らなければならないと言うことになる。1日目は一人だったが、7個しか空けられなかった。100個は先の長い話だと思ったが、2日目は五人でやって、66個ぐらいまで掘れた。3日目はついに100個に到達した。仲間が居ることのうれしさを感じた。

 樹木は3メートル角植えにした。間をハンマーモアーが通れるぐらいの間隔にした。シャベルが潜るぐらいの深さに掘った。苗木の鉢サイズからしてそんなものかと考えた。穴には、牛糞堆肥よみがえりを入れて、シャベルで再度突いてなじませておいた。

 所々にユンボで掘った。深い穴があるので、トラックターは気をつけないと穴にはまってしまう。この穴は水が地中に染み込んで入るように、以前掘ったものだ。雨が地表を流れるだけなので掘ってみた。それでもすぐその穴は水が溜まって地中には染み込まない。

 100個掘れたので、森林組合に連絡をした。出来れば今週中に届けて貰う。だめそうなら、金曜日に堆肥を下ろして軽トラで取りに行く。届けて貰ったならば、その日に森林組合の方に、植え付けの指導をしていただく。ビデオを撮影してラインに上げて貰う。それをみんなに見て貰い、20日21日に植林作業を行う。

 森になるのは50年後のことだ。間違いなく私が森を見ることはない。植えた苗が育ち、いくらかでも水源林としての役に立つためにも、10年は必要だろう。その時ののぼたん農園をせめてみてみたいものだ。84歳か。その時作業が出来ていればたいしたものだと思うが。

 植林は次の世代のためのものだ。今現在の経済ではない。こういうことが一番置いて行かれる世の中だ。今のぼたん農園には大きなやらぶや、フクギが生えている。これは戦前ここに集落があった時代に、自分の家のまわりに誰かが植えたもののように見える。

 地域を作り上げて行くのはこうした思いなのだろう。この湧水のそばに暮らしていた人の時間に、思いが至る。崎枝には縄文時代から人は居たのだろう。崎枝赤崎貝塚は、屋良部半島東南の岬、赤崎 の低砂丘上に形成されている。

 この貝塚が土 器の出土を伴わない無土器期の遺跡であるこ とが確認された。貝塚からは石斧、すり石、シ ャコガイ製貝斧、スイジガイ製利器などが出土 した。この赤崎の貝塚に暮らした人達も、この湧水を利用したに違いない。水源を神として祭ったかも知れない。

 のぼたん農園でも水神龍を祭っている。大切なことは未来にある。未来にのぼたん農園の暮らしが、モデルになるように水源の森を作る。水神様に個人的な願いをしてはならない。願いはみんなのための願いだけというのが、日本の神様の歴史なのだ。

  

コメント
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