地場・旬・自給

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大相撲の「しごき死」

2007-09-30 04:44:46 | 身辺雑記
時津風部屋で17歳の若い力士がしごきで、死んだ。3回も逃げ帰ったと言う。もう少し辛抱すれば、と父親も部屋に戻したそうだ。父親はその事を悔やんでいた。逃げ帰った時、死に至るいじめのようなしごきがあるなど言わなかった。相撲で一流の力士に成れないにしても、相撲で精神が鍛えられれば、どんな世界でも通用する、人間に成長する。と考えていた。と嘆かれていた。時津風部屋は角聖双葉山道場が始まりだ。横綱鏡里、大関大内山、大関北葉山そして、大関豊山、農大出身の豊山が、双葉山の跡を継ぎ、立派な教育をしていたことで、相撲界でも別格だった。豊山が強い力士を作れないのは、精神主義的理想主義が前面に出すぎるからだろう。などと想像していた。まさかその時津風部屋でこんなことが起こるとは。農大出身の力士が大半の部屋だ。豊山から、元小結双津竜に時津風が変わって、その後どんな状態だったんだろう。豊山も新潟だったからその縁で、入門したのではなかろうか。

ラグビー元日本代表で活躍した大八木淳史氏が、高知県内で小学生を対象としたラグビー教室を始めた。スローガンは「ラグビーを通じた人格形成を」。高校時代、陸上部で練習していた。人間というのは、情けないものだと思う、軍隊もそうだったんだろうというような、前近代的な精神で作られていた。それが教育だと、上級生も考えていたようだ。何故、スポーツで根性が鍛えられる。などと思ってしまうのだろうか。「健全な身体に健全な精神が宿る。」どこにも根拠はない。そんな繋がりがあろう訳がない。大八木氏がきっと立派な人で、その人と接する事が、小学生に良い影響があるだろうと言う事は、確かだが、ラグビーをやれば人格形成が出来るわけではない。運動部に所属して、悪くなる可能性も少なくない。

これは教育というもの全般に言えることだが、「我慢する」これは大事だが、意味無く我慢する事を、身体に叩き込む事は、精神の自由を失う。封建時代農民に、辛抱を美徳と、繰り返したようなことと同じだ。我慢強い人間の方が、社会にとって、都合がいいという仕組み、権力者や資本家にとって、特に都合が良い。社員教育に自衛隊に行かせる会社がある。自衛隊どころじゃや無く、しごきの社員教育をする機関もある。好きな事をやる。好きなだけやる。好きな事をやって、生きていける社会にする。こっちの方が、本道ではないだろうか。人間を信じた方が良い。

好きな事を十二分にやっている姿を、身近で見て育つ事。それは、スポーツであれ、農業であれ、学問であれ、方向さえ間違っていなければ、教育ができることはそこまでなのだろう。それ以上を期待することが、失敗してしまう原因じゃないか。相撲が好きならやればいいし、我慢できないなら、辞めた方が良い。私は漢字の書き取りとか、全く出来なかった。小学校の通知書に、漢字の宿題をやるように。と書いてあった。しかし、本を読むのは好きだったから、漢字はいつの間にか読めた。相撲の事、あくまで相撲は芸能の一種。おくに歌舞伎の発祥を読んでいて、あまりに共通項が多く、更にその考えを確信した。家康の考える、封建社会形成のために、歌舞伎は何度もの禁止令の中、今の形が、いわば死に体として残る。相撲修行の辛抱に特別の事がある訳がない。自分という生命が、かけがえのない大切なものであることの自覚。天上天下唯我独尊。我慢などクソクラエ。
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格差社会の深刻化

2007-09-29 06:41:46 | Peace Cafe
社会の所得格差が、一段と深刻化していることが、伝えられている。民間給与実態調査というものが、国税庁から出た。年収が200万円以下の人は、1023万人と21年ぶりに1000万人を超えた。と同時に、1000万円を越える人は0,2%増加したと言う。所得税の総額は前年比8957億円(9・9%)増の9兆9321億円。全産業の昨年度の経常利益が過去最高を記録。生活保護世帯数(月平均)は107万5820世帯と前年度より3・3%増え、6年連続で増加しているそうだ。ここ10年の傾向が徐々に高まり、ついにここまで数字に表れるようになった。

日本の戦後の50年歴史は、格差減少の歴史だと、感じてきた。それは、農地解放に始まり、高度成長期の給与所得の倍増。山梨の山村での実感だった。「いい家のしぃーは、働きにでれんからょー。」働きに行けば、出稼ぎに行けば、暮らしが見る間に変わった。町に出れば働き口はあった。気の利いた人が、ちょっとした仕事を始めて、すごい生業になるというのも随分見た。食糧難から始まった戦後農業は、それは至る所を農地にして、60年代、日本の歴史最大の耕地面積になる。しかも農地の利用率も、150%から200%という満作状態。こうした意欲的な労働、高度成長を支えたものは、格差減少の感覚だ。ここに意欲が、湧き出た。実際働いただけ、暮らしが良くなった。それは暮らしを平均化することでもあった。東大教授の月収が、大工さんと変わらない。本当にそんな状態になるのかと思えた。男の子将来の夢が、大工さんが一番になった。

変化が見え始めたのは、平成に入った頃ではないだろうか。価値観の喪失や社会秩序混乱。その反面、能力主義と言われながらの、実は拝金主義。金銭だけが目標の価値観を持つ人間の社会。徐々に生じてきた、当然結果の経済格差。それは歴史的に見れば、明治以来の立身出世思想の終焉。国家の方向も、利己的な経済至上主義。グローバル化という、強者有利の経済競争の社会。世界で顰蹙を浴び、迷惑をかける日本。農業分野にも、経済至上主義こそ正義の論理が、押し寄せる。

格差の深刻は、むしろ年収1000万以上の農家の存在にある。こうした農家は農業経営士会の農家だそうだ。認定就農者には経営士農家での研修が推奨される。国から、行政から、地域の模範とされる農家だ。全ての農家にその競争に入れと言う。特殊解を事例として、そこを目指すよう、鞭打ち、拍車を掛ける。ホリエモンを理想として、やれば出来る。やらないのは、努力た足らん、知恵が足らん、農業者としての資格がない。私にとっては、人が生きる価値は、経済とは全く違う所にある。日々を精一杯、充実して、豊かに暮らす事にある。、一日が豊かな気持ちで暮せることがもっとも大切。最高の養鶏を目指してきたつもりだ。販売されている卵で、世界最高のものを生産しているつもりだ。しかし、それが経済競争力がない。もちろん外国への輸出など出来ない。年収1000万どころでない。しかし、人が幸せに暮らすことから見れば、そんなことはどうでもいいことのはずだ。所が、行政的な判断では、取るに足らない、意味のない、再チャレンジすべき農家と言う事になる。格差の根源は、価値観に由来するのだろう。
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お米の価格

2007-09-28 05:57:03 | 自給
今年のお米が、低価格に成りそうだ。豊作という訳でもないのに、米余りと言う事らしい。何しろ食べなくなったのだからしょうがない。政府の米価対策が、テレビで「お米を食べましょう」のCMを入れるというのだから、どうにもしょうがない。以前はお米の価格は政府が全てを決めていた。これが、物価の上昇にしたがって、毎年上がっていた。所が、これに対し、都市住民から、反発が強く起こった。20年ほど前の事だ。それを主導したのが、マスコミだ。農家に対して、憎しみがあるかのように、米価だけを、政府が保証することが、農家優遇でおかしいという。政府は、逆ザヤで、赤字を出して、販売価格とする。今問題になっている民主党の言う補助金。

お米の流れを整理する。「お米の取り入れが終わると、農家は農協を通じて、全農などの自主流通法人という団体にコメを売却する。自主流通法人は、自主流通米を管理する団体である。 次にコメは、自主流通米価格形成センターというところに集められる。ここは米の卸価格を決める所である。米の品質や味、収穫高などによって、産地品種ごとに入札が行われる。ここで決まった価格で、自主流通法人は米を卸売り業者に売却する。 最後に、卸売り業者は小売店に米を卸し、スーパーなどで米が並べられる。この段階で消費者にお米が届く。 米は、その年の8月には、早場米として第一回目の入札が行われる。その後、8月末に第2回、9月末に第3回…と、毎月入札が行われ、値段が決められる。豊作の年は入札価格が安くなり、したがって小売価格も安くなる。 自主流通米のほかに、政府米もある。こちらは政府がお米を農家から買い取り、卸価格や販売価格を決める。」

以前は自主流通米という制度が無かった。全てが政府米だった。今言う政府米は、備蓄用のお米だ。一年経過してから、米価を崩さないように販売する。お米には更に、もう一つには「計画外流通米」がある。特別な栽培法や考え方で、生産され、消費者が高くても農家から直接買うような、お米の事だ。農家の努力が反映できるようになった。以前は、これが闇米と言われ、違法行為だった。自由に売れない、政府の買い入れ価格は努力を認めない、低価格。その上減反しろ。これではやってられないと言うので、富山の人が、逮捕覚悟で、埼玉の方の団地まで来て、お米の販売を続けた。全国発送もした。富山県警は、本当に逮捕した。しかし、それをきっかけでお米を自由に売る事が、合法的なことになった。

足柄地域では、正確な数値は分からないが、80%以上が、計画外流通米だ。消費地に近いと言う事、小さい農家なので、自家消費や親戚ぐらいで済んでしまう。自分で消費者やお米屋さんに販売する人もいる。さらに、レストランチェーンなどが買い付けに来る農家もあるという。価格の割りにおいしいと言うので、弁当屋さんなどで、目をつけるところがある。神奈川県産が安いということがある。全農ではパールライスとして販売するのだが、銘柄米という訳ではないし、量が少ない、味の点で余り評判が良くない、と言うので、余りいい価格にならないようだ。所が、同じ神奈川でも、足柄地域のお米は別。パールライスに混ぜられるのは損だというのがある。所が、パールライスの殆どが、給食用になるのではないだろうか。それでも足りない訳だ。この辺りが、きちっと見える形になれば、米農家の励みにもなる。
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南足柄に初の温泉施設 おんりーゆー

2007-09-27 06:38:18 | 日帰り温泉
温泉が、南足柄に出来る。どここにできるかと言うと、昔どんぐりの家があったところだ。丸太の森に隣接する、かなり山の中だ。特段眺めがいいとかではないが、森や小川の雰囲気は、なかなかいいところだ。足柄の森の温泉「おんりーゆー」榲里湯と言うらしい。どんぐりの家は(財)南足柄市公営施管理公社 が管理をしていた。50人ぐらいは泊まれる施設だ。周辺には、市の施設丸太の森、県の施設21世紀の森、ふれあいの村、などキャンプ場が隣接している。いずれも、利用者は少ない、どうなるのだろうと心配していた。県から管理が南足柄市に移ると言う、話もでていたが、結局、足柄グリーンサービスと言う会社が運営をすることになった。その流れもあったのだろう。どんぐりの家も老朽化して、耐震性の問題があるという話が出た。取り壊すとか、色々噂が出ていたが、収まる所と言うか、グリンサービスが、温泉施設を作ると言う話になっていた。

温泉は11月オープンに成る。楽しみだ。宿泊施設も出来るらしい。グリンピアではないが、宿泊施設まで始めて大丈夫だろうか。たぶん、南足柄の明神岳東斜面一体を総合的に、考えているのだろう。上手くいってほしいものだ。温泉は1500メートルまで掘ったそうだ。二九・五度の単純硫黄泉。資源保護などから毎分四リットルの揚湯量に抑える。というが、随分少ない湯量だ。抑えるというより、充分な湯量がないのだろう。1日6㎥以下。温泉は難しい。大雄山の奥に、100年も前の事だが、温泉があったと、大雄山で行脚したことのある、祖父から聞いたことがある。その温泉は、ちょろちょろだが、充分入れる温度だったそうだ。今度の温泉は30度だから、そのままでは入れない。

足柄グリンサービスが何者であるか。富士フィルの環境整備や、建物管理などを請け負っていた会社だ。アサヒビールもやっているようだ。その会社が、行政に変わって、公園の管理運営を始めた。指定管理者制度の結果だ。「民間で出来る事は民間で」と言う例の小泉流の考え方で進められている。確かに行政がやると、上手くやれないし、効率が悪いと言う事業もある。施設を作るまでは、補助金が出るから、誰でもやれる。政治家はこう言う事を成果と考えがちだ。しかし、行政が経営的に維持してゆくことが出来ない。公共施設なのだから、当然と言えば当然なのだが、身の丈以上に公共施設を作り、後の運営までは考えていないと言うのは、一般的とまで、言える。

民間委託の是非、これは業種、事例による。横須賀のほうに、元農業公園の「ソレーユの丘」がある。行政が上手くできないので、民間にお願いして、上手く行っている、施設だ。この運営団体のノウハウがすごい。まさに行政には出来ない、痒い所に手の届くサービスをしている。「あなたが植えた、さつまいもは今こんなに大きく育っています。後一月もすれば、芋ほりです。是非また遊びにいらしてください。」なんて手紙が来る。働く人を、とことん切り詰めるらしい。行政がやる半分以下の人手で運営する。足柄地域ではこのグリンサービスの挑戦が、成功するかどうか。今後の、行政の手法に影響が大きい。折角税金で作った施設を民間会社に上げてしまうというのも、情けない話だが、行政が自分では運営できない施設を作ってしまった以上、どこかで見切りをつけるしか、しょうがないことだろう。
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水彩人展搬入

2007-09-26 05:43:33 | 水彩画
昨夜の月は明るかった。やっと秋らしく夜は涼しくなってきた。昨夜は仲秋の名月。外を歩いても、明かりがいらない位だった。虫の声も盛んで、朝になっても、まだ鈴虫の声が聞こえる。以前我が家でメダカの集まりをしたとき、この家には3種のこおろぎがいますね。と高橋さんが言われた。コオロギ科の3種であるなら、鈴虫も、マツムシもは入るはずだから私でも何とか分かる。コオロギそのものとなると、エンマコオロギ、カマドコオロギ、位しか名もしらない。コオロギ養殖と言う仕事がある。熱帯魚屋さんで、餌として売るのだ。以前、茨城の方の人で、松林で養鶏をやると言う人が、訪ねて見えたことがある。コオロギ養殖をして、鶏の餌にするといわれていた。もちろん、人が食べていたこともある位だから、できれば素晴しい養鶏だ。アジアではコオロギの闘虫というのかな、戦わして賭け事をする。虫の音を競う本道の方も、もちろん盛んだ。

昨日夕方になって、突然星崎さんですか。と言う電話があった。これは、絵の搬入の人だなとすぐ分かったので。「違うけど、そうですよ」と答えた。「あっ間違えた、次の人を電話しちゃった。」と叫んだ。「明日絵を取りに行きます。」と言うのだ。そう言う事だろうとは思うが、きっとのんきな人だと想像する。絵の搬入で明日取りに行くと言われて困らない人がいるだろうか。第9回「水彩人展」が10月5日(金)から14日(日)9時~5時東京都美術館である。まだ、額装をしていない。でも絵の方はだいぶ前から出来ていた。今回はシリーズで6点の組の作品だ。大きさは中盤全紙。陳列の状況次第では、5点の展示になるかもしれない。都美館でやることが決まった時から、考えていたものだ。

水にまつわるシリーズだ。水彩画だからという訳ではないが、「水」の表情は興味がつきない。大地から湧き出る、湧水。水源の池。急流。中流域の流れ。河口付近。そして海。どの場面でも、実に自由で何物にも適応する。適応しながら、かかわるものすべてを豊かに変えてゆく。育ててゆく。水はいのちの源。生命の象徴。この全体性を捉えられればと、シリーズで描いた。田んぼの水は今回の中にはない。田んぼを描くと、水よりどうしても稲に目が行く。水は、無為な、遊んでいる方が、その本当が見える、様な気がするが。それにしても水は形がないから、映る影だったり、当る光だったり、その周辺にある事物であったりする。この在り様が面白いし。たぶん大抵の事は、そんな形で周辺から見て行くものなのだろう。

こんなことを考えればおかしなことだけど、東京都美術館で自分の絵を展示するのは初めてのような気がする。いつもは、「公募展向けの絵」を出してきたような気がする。もちろん同じつもりで居たのだけれど、結果的には何かしら不具合があって、自分の絵とはどこか違う所があった。今回は、全て自分のものとして、描いて見た。何といえばいいのか、発表しないでもいいような感じで描いたものだ。理解を求めて描いたというより、自分が確認したかったので、描いておいた。と言う方が近い。そういうものを見てもらうのもどうか、と言われればその通りなのだけど。本当に申し訳ないことなのですが。絵を発表すると言う事の意味。そもそもこれが、不明瞭。そうだ。思いついた。私の絵はブログのようなものだと言えば良い。公表日記。絵は現物なので仕方がないので、展示はする。展示していることも案内も出す。
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安倍総理の慶応病院での会見

2007-09-25 06:28:32 | Peace Cafe
冒頭、少しテレビで見た。哀れで、消した。体調が悪いことだけは良く分かった。それなら何で、オーストラリアまで行ったのか。一国の代表と言う意味を、この人は、あるいは自民党は理解していないのだろう。各人の権力の象徴であって、利権であって。日本と言う国家の大事を、慮る人は居なかったと思われる。いまだ、あのやつれた安倍総理が、日本の代表責任者だ。いま、大災害や大事故。あるいはクーデターや軍事行為。何か起これば、陣頭指揮に当る人なのだ。自分が、その地位にしがみついていたいとしても、それではすまない、責任者なのだ。日本はまだ危機が続いている。この間に東海地震が起きて、浜岡原発が、メルト現象を始めたら、どうなるのだろう。体調が悪いと自身感じたら、すぐ病院で検査してもらい、臨時総理を置くなり、辞めるなりしなければ困る。本人が、その立場に固執するにしても、それを進める、周辺の人材が居ないというのが、自民党だ。

参議院選挙の後やめるべきだったというのが、自民党の内部でも大方の見方のようだ。それなら、何故あの時辞めさす方向で、調整が出来なかったのか。ここに自民党の病根がある。たぶんこの、弱点はジュニア福田内閣でも繰り返すことになるだろう。そこを分析してみる。先ず世襲議員が、多数存在する。こんな事がなぜ起こるか。選挙で選ばれるのだから、地域住民の利権構造が、この背景にある。河野洋平衆議院議長はこの地域の衆議院議員だ。親、叔父、息子が、自民党の議員だ。この権力に群がる、有象無象が存在する。県会議員や市会議員に居る。建設業関係に居る。農協に居る。あらゆる場面で、感じることがある。もちろん悪い、と単純に考えるているのではない。そうして地域社会が形成されていると言う事。それをはずして、何も出来ないと言う事。

洋平氏も太郎氏も有能だ。それが愚かな人なら、良かったのだが、聡明な上、力量もある。だから、影響力は益々強い。自民党にはそうした議員が多数居るだろう。福田ジュニアもサラリーマンだったのに、無理やり、後継にさせられた、とか言っているが本当か。後継にする必要が周辺にあるのが、地域の構造だ。そこまでは自明の事だ。今考えたいのは、安倍氏に見られる、御曹司政権の弱点だ。逆境に弱い。決断力がない。甘えの体質がある。政財界の保守の権力構造に、押されていて、自己判断というものが出来ない。そんなことが見え隠れする。普通の生活者としての感性がない。河野さんの家も農家だ。農地を借りているという人は知っているが、農業をやると言う事はない。

これらは福田氏も共通のはずだ。変にシニカルであるが、あれはポーズだけと考えておいた方が良い。サラリーマンの暮らしを長くしていたというが、年金の未納で、官房長官を確か辞めたのだ。辞めた後の暮らしなど、あれこれ心配した事などないはずだ。それは、麻生氏も同じだ。そんな人種ばかりが、自民党で派閥の上に立つ。周辺が、一目置くというのもあるのだろう。そうして出来上がった人間は、観念的と思って間違えない。理屈で、あれこれ配置をする。角栄氏のようなたたき上げの、人間操作が出来ない。だから、本当の支持者は居ない。利権の中でうごく。自己判断が実は出来ないないのが、自民党のしがらみ議員なのだろう。辞めたくても辞められない。辞めさせたくても辞めさせられない。
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基準地価と田園優良住宅

2007-09-24 05:29:47 | 地域
7月1日現在の神奈川県内基準地価が公表された。地価というものは、その地域の、その時代を良く反映していると思う。住宅地の平均変動率は3・2%で 1990年の調査以来、17年ぶりに上昇に転じた。商業地は6・5%で二年連続の上昇となった。一方、県内8地域のうち、前年から下落したのは小田原市、箱根町、南足柄市、山北町のみで、二極化傾向が続いている。こうした発表で、農地が言われることはないが。農地は、下落が続いている。山林も同様だ。地価の上昇への転じている原因は、経済の好況によるという。失業率とか、有効求人倍率の、改善を見てもそうなのかとは、思う。株価と言うのも、反映していると言われるが、投機的要素が加わり、不思議な動きだと思う。その点、地価は本音が出ている。


農業分野でも、投機的な側面が強い業種もある。都市が拡大してゆく中、農場は郊外に移転してゆく。例えば、東京農大は、最初渋谷にあり、その後、世田谷に移り、今は厚木にある。農場は富士宮にあり、他の地方にもある。移動のたびに面積を拡大してきた。農業の中でも、花卉・植木・園芸・畜産、などは、土地価格の上昇に合わせて、郊外へ移転してきた。広く、安い農地を購入して置いて、マンションが建つような地域に変わることで、利益を得る。本業の農業より、農地を購入できると言う、有利さを生かした経営だ。農地法が変わろうとしている。その中で、都市近郊農地価格はどのように動くのか。特に、小田原は「優良田園住宅の条例」が作られようとしている。

この条例は49市町村で、運用されているが。首都圏の都市近郊と言う地域で行われるのは、初めての事だ。この法律の精神は、農業との整合性を求めている。所が、現在小田原市が進めるように配慮無く、条例が作られれば、農地の宅地化という側面だけが、進んでしまい。農業の振興という本来の趣旨から離れてしまう。一方地域の農家は、農地で借家でも建てようか、と言うので大半の人は歓迎だろう。農業が成立しないのだから、致し方ない所がある。しかし、行政まで、この地域の農業に対して、何も考えが、あるいは方策がない。諦めてしまったというのも、すごい選択だ。どうしても条例を作るなら、優良な環境を守るために、田園に居住する人、に限定すべきだ。新住民が来る事で、優良な環境が壊れていくと言うのでは、互いに不幸だ。

土地価格の二極化は格差社会の表れのひとつだ。足柄地域が地域として衰退している。人口が減少している。その減少速度も高まる傾向にある。最大原因は地域行政が、地域の方向性を示せないで居る所にある。工業団地を国が奨励すれば、従って、失敗する。住宅需要があるとなれば、住宅の乱開発に道を開く。観光に目を向ければ、それほどの資源でもないお城だけに目を向けて、他の資源に目を開かない。「足柄地域全体は今後衰退するのだろう。」この本音が、神奈川県の衰退地域として、地価が下落している。もちろん地方行政の問題だけではないが、苦戦のなか、開成町は善戦している。その理由をもっと分析する必要がるだろう。
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お風呂を作る

2007-09-23 04:56:15 | 日帰り温泉
私の家には、それは立派な檜の風呂があった。立派な風呂ではあるが、もう腐っていた。檜の風呂は管理が難しい。乾かしていけない、と言って水を入れておくのもいけない。結局、風呂自体が、檜風呂らしい木の香りがするという具合には、5年も持たないものらしい。それで越してきて以来、修繕を続けてきた。あっちが漏る。こっちが腐った。と言うので、つぎはぎだらけに成って、もう漏るままに使うしかなかった。もちろん、直してもらえるか、お風呂屋さんには当った。見に来てくれたところもあったが、到底修繕は駄目と言う事だった。それで、新しいのを買うかとなったが、これは高い。あった物と同程度だと、100万円以上する。どう考えても無理なので、家ではシャワーの研究を重ねて、自分で取り付けた。

シャワーは、ミスト、イオン、マイクロバブル、殺菌、塩素除去と、多様化していて、きりがない。TOTOのワンダービートにした。これは、パワー重視と言う点が優れもの。打たせ湯と同等のパワー、加えてそれ以上の機能がある。これも水圧や、湯沸かし器の能力など、水道管の系統を変えて、水を加えるなど、併せワザ工夫がいる。当然自分で工事した。注意をしないと管を傷める。

シャワーでなくて、今回はお風呂の取り付け工事。最初はつい檜風呂が既存のものだったので、その線で捜したが、高すぎるので、止める。その後、あれこれ捜すが、結局。お新古市場と言う所で、安い風呂桶を探す。160センチタイプで7万円台だ。これなら行ける。しかし、素人には設置は無理だと最初思った。お風呂屋さんを調べると、設置費用は最低、8万円はかかるらしい。サイズも自由とは行かない。すでに湯沸かし器から、2本の導管が引かれている。その位置は動かせない。買って来た風呂を付けてくれとお願いするのも、気が引ける。ともかくそんなお金は出せない。覚悟をしてやって見ることにして、注文し、22日を待った。

午前の約束の配送が、来ない。日通だ。確認の電話を入れると。1時過ぎると、平然と言う。土曜で、人手がないのだと言い訳をする。こちらは、鶏小屋に行くのを止めて待っていたので、腹が立つ。待つこと、一時間。ついに到着。でかい。風呂場に入るかとそれが心配。しかし、計算上問題がないはず。梱包はしっかりしている。着いたらすぐ荷を解いて、確認。全く問題ない。あれこれ測定する。予想通り、一部湯船を切り落とさないといけない。追い炊き用穴の位置だ。ジグソーで切ることにする。合板用の刃で、問題なく切れる。切る時に傷が付くので、表面はガムテープで保護して切断。高さ調整を、4日所。ブロックと、御影石の板を重ねてぴったり。置いて見ると、やはり、追い炊き穴が、もう一つしっくりいかない。ゴムの水漏れパッキンが居る。すぐビーバートザンに買いに行くが、適当なものが無いので、加工して、パッキンを作ることにする。

写真は据付が一応終わった所。その後洗い場のスノコ板の調整。周辺の壁板の張り直しなどもして、6時に終了。途中鶏の世話にも行ったので、大体、2人で、4時間の作業だった。その後すぐ試運転入浴。何の問題もない。以前の、腐った水漏り風呂とは大違いだ。この際、と思って、シャワーの移動式取り付け棒も買ったりしたので、総額8万円と4時間×2人。しかし、こういう作業が、息抜きなのだ。
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民主党の農業者所得補償法案

2007-09-22 06:57:03 | Peace Cafe
どのようなものになるか、非常に注目している。21日新潟で、今国会に提出すると発表した。それなら、どこかに原案はあるのかと捜したが、ついに判らない。こういうところが相変わらずだ。この法案は国民に向けて、出す側面が強い。もしかしたら、衆議院で紛糾して、解散になる可能性も高い。ただでさえ、参議院選挙の際に、ばら撒き農政の再来だ。と散々批判された。衆議院選挙でも、相変わらず、抽象論議の範囲から出ないなら、民主党は見限られるだろう。今国会に出すなら、国会は始まっている。自民党の総裁選報道に埋もれている中で、唯一、顔が見えた、一番注目された、昨日の会見で法案を出さなければいけない。この辺の政治感覚が、いかにも遅れている。近々に、などという前振りは要らない。私は民主党支持ではないが、今の情勢では、民主党にがんばってもらうしかないのだから。

新聞報道の範囲で、民主党の農業者所得補償法案を見てみる。米や麦、大豆、菜種、てんさい、でんぷん原料用ばれいしょなどを対象に、標準的な販売価格と生産費の差額を、生産農家に直接補償するという。野菜が入っていない。これを文字通りと理解すれば、大規模農家だけを救済すると言うのと少しも替わらないだろう。自民党は面積的に4ヘクタール以上を認定農家として、残そうと考えている。すでに幾つかの優遇措置が行われている。民主党は、作物別に米や麦、大豆、菜種、てんさい、でんぷん原料用ばれいしょなどを生産した場合、「生産費を各地域で、算定し」実際との取引価格で、マイナスが出た場合、そこを補填しようという考えらしい。各地域で算定する生産費がどうなるかが、大問題だろう。小規模農家は生産費がかかる、辞めていく農家だ。中山間地補償農家は、まだ他の救済がある。普通の小規模農家はこれでは、やはり振り落とされる。

法案の細部まで判らないままこれ以上書くのは、良くないが、民主党のホームページにも掲載しない以上仕方がない。この法案が自給率50%を目指すことに繋がるなるのか。米で考えて見る。米の価格補償は戦後一貫して行われていたことだ。米価算定というと、農協がムシロ旗を建てて、国会に押し寄せた。これに対して、消費者が何で日本の米は諸外国に較べて高いのだ。政府買い取り価格を削減をしろと、世論が怒りに燃えた。田中内閣の頃だ。米余りで減反も始まる中、税金で価格補填をするなど出来ないと言う事になったのだ。これで農家は減少の時代に入った。民主党のやり方では振り出しに戻るだけだ。

頑張る農家は、直接販売の為に、少しでも高値で売るために、栽培法や、味や品種、あるいは精米法、保存法、有機栽培など、工夫して、自立した農業を模索している。それを農協出荷の、一律と同じというのでは、悪平等に又戻ってしまう。農家の努力が報われる形をこの法案は、何か提案しているのだろうか。お米なら全て同じでは、米作り日本一は生産量だけという、かつての間違いに戻る。
ではどんな法案がいいか。実はこれがない。基本の建て方が間違っている。食料を他の生産物と同じに考えている経済の中では、解決法はない。食料は生きる原点だ。暮らしを支える基本だ。これは日本国民である以上、国に保障されたものだ。基本的食料は輸出入を禁じるべきものだ。その土地からできる限り動かさない方が良い。食料の生産力に人口の方が従うべきだ。具体案としては、価格のない、「自給農業の推進」これが日本の活路になる。
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鳥インフルエンザとタミフル備蓄

2007-09-21 07:14:59 | Peace Cafe
「世界の死者200人に 鳥インフル歯止めかからず」新聞の見出しだ。何故こうした見出しになるのか分析してみたい。報道にはそもそも、瓦版的な精神がある。「大変だぁー、大変だぁー」と言う、ビックリさせて目を惹こうという、さもしい気持ちがある。たぶんインドネシアにいる、共同通信の記者が、いい仕事をしているところを見せたかったのかもしれない。状況に日々気を揉んでいる、当事者である私は、「又か、たったの200人で騒がれたら困る。」と言う気持ちになる。2003年の調査が始まって以来、世界で200人目の死者なのだ。発症者数は計12か国328人。こんな珍しい病気があるだろうか。

先日中国で、現地の状況を見てきた。鳥インフルエンザ対策など無に等しい。死者85人になったインドネシアでも、全く対策をしていないそうだ。それでこの死者数だ。インドネシアが、この病気のウイルスの提出を、するのしないのとWHOともめる。製薬会社の莫大な利益が背景にある。そんなに儲けるなら、ウイルスの提供は無料では出来ない。と言う事が出てきた。製薬会社はおかしなことに病気大歓迎なのだ。これが経済至上主義の怖い所だ。「タミフル」の米国以外での使用量の8割は日本だそうだ。世界保健機関(WHO)は「大流行は時間の問題」として各国に警戒を呼びかけている。治療には、ウイルスの増殖を防ぐ「タミフル」が新型にも有効だと考えられており、米国は71億ドルをかけて治療薬の備蓄やワクチン開発を進める方針だ。 ラムズフェルド前国防長官が会長ギリアド社は、インフルエンザ治療薬として現在世界中から注目されている『タミフル』の特許を所有している。

タミフルの使用量は全世界の7割が日本だと、発売元の中外製薬いう。日本人は薬好きだ。タミフルを使うと、5日でほっといても直るものが、4日ないし、3日で治る程度の効果と、普通の医者が言う所だ。それでも薬に頼るのが、日本の医療であり、自己管理不充分の日本人の医療意識だ。日本の報道は政府の煽動に、踊らされてはならない。タミフル備蓄も当然、日本が世界1。途上国支援と言う事で、タミフルを海外にも、援助している。そもそも、世界保健機関(WHO)の考え方が、間違っている。すぐにでも、SARS(サーズ)のように蔓延する。ごとく警報を出した。しかし、対策しないで5年間で、328人しか感染しなかった。むしろこの事実をどう考えるかを、言わなければならない。このままでは狼少年WHOになってしまう。

何故、鳥インフルエンザなど、新型インフルエンザの恐怖をことさら米国や日本政府が煽ったのか。何故、厚生労働省がタミフル備蓄の先兵となって税金を使い巨額のタミフル備蓄に走ったのはか。WHOの煽動的情報操作も、アメリカの圧力ではないか。2007年までに備蓄量の割り当ては、国と都道府県が2100万人分、病院やメーカーなどの市場が400万人分を持つ。国の費用が、220億円。これが無駄遣いになる。危ない、危ない、と騒ぎを大きくすることが、この無駄遣いを正当化する、手段なのだ。余りに患者が少ないので、ついつい冒頭の見出しになったのではないだろうか。
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いよいよ収穫の田んぼ

2007-09-20 05:24:27 | 自給
田んぼの様子だ。田んぼの一部に神丹穂が植えてある。実に美しい。風景を造ると言う事がある。人が作り出した風景の中でも、何世代も掛けて、作り出してきた田んぼの美しさは格別なことだ。雲南の棚田など、人が作り出した景色の究極の美しさのような気がする。ネパールにも同じような美しい棚田がある。あの中で耕作する、ありがたさは格別のものであろう。ネパールでは棚田の田んぼに木が植えられている。結構な大きさの木だ。その木は稲作の生産性から言えば、明らかに邪魔だろう。でも木陰であったり、風よけであったり、信仰であったり、ともかく、風景を作り出している。風景を作り出すと言う事は、絵を書く事と何にも変わらない。こんな風に神丹穂を一部に植えたことで、田んぼ全体が変わる。ご近所には笑われてしまうかもしれないが、田んぼを楽しんでいるんだと言う事が伝わればいい。

毎年、これでしめ縄を作る。丈が120センチぐらいあるから、立派なものが作れる。今の改良された品種はおおむね、1メートルぐらいだから、なかなかしめ縄を作れる藁にはならないのだ。しめ縄を作る稲は青刈りをする。真っ青な頃に刈ってしまう。それを青いまま保存するの技術が、大変なんだそうだ。どうも納屋の暗い所に積み上げるらしいけれど、発酵してしまわないのがよくわからない。何か工夫があるのだろう。神丹穂もその赤さを残すには、処理が居るが、私は特にそこまではしない。葉っぱもそのままで枯れるに任せる。そうすると全体には地味なものになるが、却って自然に馴染んだいいしめ縄になる。正月を新たに、と言うので、まっさらな、青い稲藁と白い和紙飾り、そこに橙のオレンジ色。毎年カヨ子さんが作る。そこに立春大吉と毎年書く。

美しいのは棚田だけだろうか。日本の田園ほど美しい所はちょっとなかったと思う。茅葺の民家の美しさ、桑畑や、トウモロコシの畑も。自然に馴染むようにすばらしかった。ああした美しさは、偶然の産物ではなかった。自然に対する畏敬の念がその根底にあった。水も、大地も、風も、自分たちの暮らしを、育んでくれるものとして、感謝と愛着があった。だから汚すことは出来なかった。そこには経済の合理性はない。グローバルな経済競争などとは縁がない。田んぼの水路は確かに3面張りにしてしまえば、管理が楽だ。草刈がいらない。農業者の減少と老齢化。この現実を考えれば、U字溝がいい。でもほたるも、メダカも、かえるも居なくなる。美しい地域を作る、新しい仕組みが必要になっている。

小田原では田園優良住宅の条例化が提案されている。農家にしてみれば、農業では食べていけないのだから、農地が宅地利用できるなら、大歓迎だろう。しかし、制限無くやるのでは歯止めない乱開発に成る。優良どころか、環境整備の伴わない、最悪の住宅開発になるだろう。「田んぼのかえるがうるさいから田んぼをやめてくれ、鶏の鳴き声は騒音だ。しかし、田園の豊かな環境には暮したい。」その地域で生活の基盤を持つのではない、そんな都会への通勤者向けの住宅開発をすれば、農村の暮らしの維持が、更に出来なくなる。では地域で、地域の利害の絡む事を話し合えるだろうか。共通の暮らしが失われている中で、殆ど不可能に見える。さぁーここからが難しい。特に他所から来た、「他のもの」の私が出来ること。先ずは、美しい田んぼで、充分な収穫をすること。
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安倍政権の教育政策への疑問

2007-09-19 06:51:40 | Peace Cafe
OECDの調査によると、日本の公的な教育費の支出割合は3・5%だそうだ。加盟国最低だったものが、2007の調査では、ギリシャを抜いて、ビリから二番目に成った。各国の平均が、5%。トップはアイスランドで7,2北欧各国が、上位を占めている。どんな所に現れているかと言うと、小学校の1クラス当たりの生徒数は日本が28.4人で、米23.1人、ドイツ22人などを上回った。OECD平均は21人強だ。その昔、幼稚園で教育実習をやらせてもらった。そういう前例がなかった。しかし希望しているのに、大学に付属幼稚園があるのに、行わないという訳にもいかない。と言う事に検討の結果なった。それで2週間幼稚園で教育実習をした。オルガンを弾いてみんなで歌を歌うと言う、大それたこともやった。お話を作ったり、絵を描いたり、それは今でも思い出すと楽しい。ともかく、もみくちゃにされるほど、人気があったという唯一の体験だ。

人数と言うのは、絶対的なものだ。団塊の時代は60人居た。そのときは、多いいとか、少ないとか思わなかったが。随分大雑把な教育だったと思う。過去は良いこととして思い出しがちだが、学校がひどかったことを鮮明に覚えている。今からでも告訴したいようなことが、幾つかある。人権侵害が特にひどかった。全ての根源は、60人一クラスで教育など不可能だ。教育基本法は安部総理が強引に変えてしまったが、変えなければいけないのは、教育への公的支出の増額の方だ。フランスの美術学校は全て無料、画材も無料配布だった。軍備費と教育費は同じにすると言うのが当時の、フランス社会の考え方だった。日本も教育にはお金をもう少し出すべきだ。一クラスの生徒を減らすのもあるが、事務的な処理の出来る人材を学校に入れるべきだ。一人と一人として、子供と接しなければいけない場面がある。先生とその他大勢、では駄目だ。幼稚園でそう思った。

安倍氏肝いりの教育再生会議は、どんな成果を残せるのだろう。ヤンキー先生の衆議院当選だけじゃおかしくないか。日本では幼稚園など就学前の教育費で50%、高等教育で58・8%が私的支出になっており、いずれも各国平均の倍以上と高い割合を示している。子供を大切にしてない国だ。子供の教育は、全てが公的にできないものか。保育園で保育料を払わない親が居る。小・中学校で給食費を払わない親が居る。確かに困ったことだが、一番困っているのは、そんな親に育てられるて居る、子供だ。その子供のために何が出来るかの方を考えないと。教育再生会議は、成果無く終わりそうだ。こうした安倍氏の諮問会議を、自分の望む方向に強引に進める手段とするやり方が、良くなかった。

子供の教育は国が責任をもつ。義務教育は、保護者の義務ではなく、国の義務と考えなければいけない。口だけじゃや無く、教育にお金を出す。先日提案された、子ども達に農村体験をしてもらう計画、など。国が思い切ってお金を出して、充実した、事業にしたら方がいい。そこから可能性が色々出てくるはずだ。これも本格的に展開するには、相当お金が必要なはずだ。税金の使い方が、下手なのだ。先ず教育から充実すべきだろう。全ては教育が充分充実してからのことだ。インド洋で給油するなど、余分な省けることはある。
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ぴーすかふぇでのこと

2007-09-18 06:09:20 | Peace Cafe
思いもよらない事、と言うのは余りないものだが、昨夜はちょっと驚いた。サポートセンターでのピースカフェに、ツルネン氏とその奥様、と政策秘書の石井氏が同行され参加された。名古屋からの帰りだと言う事で、時間がたまたま適合したからと思ったら、実はそれだけではなかった。ツルネンサンは三つの用件があって参加した。と言われた。一つ目は、農の会で農作業に参加している、人達の事を直接知りたかった。二つ目は、今度の講演会についての打ち合わせ。三つ目は、農の会の稲作グループに入れて欲しい。と言う事だった。それでツルネン氏にお会いしたら、話さなければと考えていたことは、全部済んでしまった。有機農業、あるいは、農の会の農業はやって見なければ判らない。全部わかったつもりの優秀な人でも、やってみると違うと言うことになる。身体が感じる事は、頭とは又違うのだ。

繰り返し書くが、農業はやって見ないと判りにくい。同じく、人間と言う者は共に行動して見ないと、わからない。一緒に働いて見ると、段々見えてくる。つまり、個性を伸ばすとか、自己探求。とか、自分の研究には熱心なのだ。所が、他人というものが存在して、その人様の方がよほど大切と言う事が、わかってくるものだ。まわりに存在する人間の事を、充分に知る事、本来こっちの方が大切だったと言う事が、一緒に行動すると、必然わからざる得ない。こっちが日本の古来の文化。「個性尊重」の、渡来がどうもいかん。田んぼも似ているのだ。わからなければできない。判りだすと面白い。田んぼ探検が、自然探検で、暮らし探検。それで人間探検。有機農業を理解するにはやってみるしかない。これからやりたいと言う、ツルネン氏に、何もない。一緒にやってみましょう。

ツルネン氏は早速秋の稲刈りから、参加したいと言う事だ。一番嬉しい作業からの、参加になる。いい出発かもしれない。有機農業の未来は、むしろ、農の会のような市民的な農業者にある。業としてやられている人は、よほどの有利販売が出来なければ取り組めないだろう。地場・旬・自給の農の会なら、農薬を使うなどと言う事はありえない。自給のための食に、コストはない。ロシアでは、こうした自給的市民が、食糧生産の半分を占めていると言う事だ。これがロシアの安定に大きく寄与している。崩壊しかかった国を支えたのは、自家菜園だったそうだ。日本でもそういう状況は起こらないとは言えない。39%の自給率の国は極めて不安定だ。これを、上げる為には市民的農業の普及しかない。この場面に生かせるのが、有機農業推進法ではないだろうか。

10月6日は面白くなりそうだ。そこに向けて、やれることはまだまだある。この地域の有機農業にかかわる人全員に、このシンポジュームを伝えたい。この機会を生かして、連絡網を作りたい。先ずこれが第一獲得目標。できればJAの参加もお願いに行かなければ。ピースカフェも農の会も小さな活動ではあるが、方向は間違っていないと思う。いいつなぎ役になって、この地域の農業が、農地が、維持されるように、これからもやれることはありそうだ。昨日は、農の会の人達も、沢山ピースカフェに来てくれた。月曜は、みんなも出荷の前で一番大変な時で、迷惑をかけたと思います。でもこれも大切な事ではあるので。理解してくれるだろう。
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有機農業推進法シンポジューム

2007-09-17 05:54:06 | Peace Cafe
 10月6日(土)午後1時からマロニエで有機農業推進法のシンポジュームを行います。
こんばんのピースカフェでは、その打ち合わせを行います。有機農業と、ごみの問題は同じことだと考えている。養鶏をやってきたのは、まだ充分エサになるものがごみになってしまう。そんな危機感からだった。例えば、この地域では「さなご」と呼ばれる、くず米というものがある。お米の小さかったり、欠けたり、したものだ。充分食べれるものだけれど、商品としての価値を揚げる為に、等級を揚げる為に、厳しく選別をするので、5%とかくず米を出す。今年も一等級だという農家の誇りもある。昔は米粉にして、団子で食べた。このくず米が捨てられていた。もう農家でも、鶏を飼ったりしていないのだ。

そこで、くず米を集め始めた。たぶん今は10トン近くが集められて入るのではないだろうか。オカラもそうだ。これは年間で言えば、100トン近くが、集められている。米ぬかや、そば殻、こうしたごみとして燃やされていたものを、少しでもエサに出来れば、それには業として成立する形を考えよう。これが20年以上もやってきたことだ。その経過で、有機農業という当然の形が出てきた。これがJAS法という不完全なもので縛りがかかり、地域循環の歯止めをした。地域が回りださない有機農法なんておかしなものだ。地域全体が良くならなければ、自分だけがいいという訳には行かないと言う、仕組みこそ大切だ。食のシェルターに逃げ込むのは、都会の人だ。農地が、余っているのだから、そこで自給しよう。地域が回るような農業をしよう。こんな方向に農の会の農業は進んできた。

地域が上手く回りだせば、ごみになるものは殆どない。小田原のごみの半分は生ごみだ。これだけで、ごみが半分になる。堆肥の農地に循環させるかの仕組みの工夫だ。残りの半分、が紙ごみだ。これは、出す者が注意すれば、全てがリサイクルに回せる。その残りの半分が、プラスティク系だ。これは製造者責任で、販売者に返す。簡単な工夫で、ごみはいまの10%まで、確実に減量できる。問題は、暮し方にある。全てをポイポイ捨てるのが、今の風潮に適合している。これを平時に変えるのは容易ではない。精神論で解決できるような事ではない。やれば得をする仕組みを作らなければ、不可能だ。処理費用を税金に混ぜて、見えなくしないことだ。「生ごみを出さないと宣言した人。」「全部持ち込みで処理する人。」こうした人を優遇する。

ごみの話になってしまったが、それは有機農業が本来自給的農業と結びついていると言いたいのだ。自分の暮らしが、循環するには有機農業を行う事が一番だ。自分で堆肥を作り、野菜やお米を作る。それが本来なのだが、せめて地域で作られたものを食べる。どんなにいいものでも、遠くのものは出来る限り食べない。それは、地域の水を飲み、大地に暮し、空気を吸って生きている。この環境を少しでも良くしなければ、自分が、自分の子ども達が、苦しむことになる。有機農業は、自給的農業が基本だと考えている。それが出来ないにしても、地域の範囲で、決めて行く農業の事だと思う。見える関係の範囲で、全てが巡る。その巡りの中に自分も生かされている。こんな風になれば、していかなければ。
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ごみフォーラム開催

2007-09-16 07:43:05 | Peace Cafe
昨日ごみフォーラム開催いたしました。50名ほどの参加でした。子ども達も含めれば、60名ぐらいでしょうか。以前子供の数を入れないで怒られたことがあります。後ろで遊んでいたわけですが。あの子ども達のどこかに種が残って、いつか、実を結ぶようになるぐらい、の気持ちでないといけないと。100名ぐらいは集めなくてはと考えていたので、その点では努力不足。しかしこの先、広域ごみの事は深刻な地域行政のテーマに、なってゆくことは確実だと思います。先ず端緒をひらたと言うことでしょう。粘り強く進めなくては成りません。横浜弁護士会の岩橋弁護士に、「広域ごみ処理に至る流れと、問題点」を話していただきました。短時間で、申し訳なかったのですが。さすがに良くまとめられていて、参加者には広域化が何故進められているかが、よく理解できたかと思います。

ごみの事は、誰しも関心はあります。しかし目を向けたくないところです。誰かがやってくれるなら、応援はするが、動き出そうという人は極めて少ないです。それが、いよいよ、最終処分場が出来てしまった。あるいは健康被害が出てきた。焼却炉の煙がどうも大変だ。こんな所まで行ってから、ごみ問題として、顕著化する。行政の方も、できるだけ目立たない形で進めようとする。どうせ迷惑施設なのだから、当事者となる地域では反対に決まっている。小田原では、この問題の深刻さが、少しづつ浸透し始めたかとおもいます。特に、久野地域ではただではすまないだろうという空気は、膨らんできていると感じます。例えば、近所の葬儀の席でも、「焼却場が、馬鹿でかい溶融炉になるって言うぞ。」と言われている人がいてハッとしました。

佐々木さんから、小田原を中心とした、ごみの現状の報告がありました。良く調べてありました。箱根、湯河原、真鶴とのごみの状況の違いが、明白です。これを一箇所に集めて、処理をするメリット。この辺をよくよく調べる必要があります。国や、県から言われるから、従うでなく。広域化すると、どんなメリットがあるのか。特にお金の事では、現在ほぼ一人1万円と言う処理料金が、増えるのか減るのか。次回は、お金から見た、ゴミ処理問題。この視点を取り上げたいと思います。小田原では借金で行う大型公共事業が相次ぎます。大変な財政の事態が起きるでしょう。本来ごみは各自がやれば、無料のものです。私は一切ごみを出さない。家族4人なので、月5千円返してください。溶融炉が出来れば、これが1万円になりそうだ。こういう人がいてもおかしくない。

ごみは民主主義学習の原点だと思います。誰しもがごみを出す。どう分担するか。何が平等なのか。だから、できる限り小さな範囲で、考えた方がいい。地域には、ごみを平気で川に投げ捨ててしまう人も、いるかもしれない。何でも燃やしてしまう人も、いるかもしれない。何の分別もしない人も、いるかもしれない。ごみを通して、暮らしそのものを、見つめなおしてゆく。これが現代の地域社会に一番必要なことだと思う。ごみを広域化して、例えば、湯河原の山の上の方で燃やしているらしい。溶融炉だから、テレビでも、タイヤでも何でも放り込めばいいらしい。分別もないし、楽になった。お金が倍になっても、内心良くなったと思う人もいる。一方、岩橋弁護士のお話にあった、カナダのように住民の努力で、ごみが半分になり、焼却が無くなる地域もある。私はそんな地域の住民に成りたい。
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