地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

米の消費量の減少

2013-07-31 04:15:57 | 暮らし
 農林水産省は26日、国内主食米の2012年度(12年7月~13年6月)の消費量が前年度比4・3%減の779万トンと発表した。コメの消費量は1963年の1341万トンをピークに減少傾向が続いており、50年間で約4割減少した。1人当たりの消費量も、63年度の117キロ・グラムが11年度は58キロ・グラムと半減した。

この数字は私の家の米の消費量と同じである。中高年の2人が平均的消費量ということのようだ。主食が半減した民族などいるだろうか。ご飯を何杯も食べる子が元気な良い子だった。虚弱児童の私は、ご飯が食べられないのでいつもつらい思いをした。無理をして食べては下痢をしていた。しかし、あの頃のご飯には半分麦が入っていた。冷やご飯になると、すえた臭いが強くなって美味しいとは言えなかった。麦を入れる量は一割ぐらいづつ減って、最後お米だけのご飯になった。主食は3分の1ぐらいに減った食生活の変化と言える。その時は脚気にならないかが言われたものだ。貧しいからということもあったが、お米の配給制度ということもあった。米飯手帳というものを持って東京に集団就職した時代だ。今時の家庭ではお代わりを強いるようなことはないだろう。断捨離の意味を断シャリでご飯を食べない、食事の形態を言うのかと思っていた。

おかず中心の食生活。昔、おかずっ食いという言葉を聞いたことがある。ご飯をあまり食べないのはいいとしても、田んぼが半減したことになるのが極めて残念なことだ。日本という国のそもそもがおかしくなる。日本という国の魅力は、四季豊かな自然に囲まれ、海、山、川と多様な環境にある。その自然環境と一体になったような、里地里山での暮らし。そこで培われた繊細で、豊かな感性こそ日本人である。田んぼがなくなるということは、田んぼから誕生する多種多様な生き物が消える。そして、日本人が居なくなるということになる。これはあまりに残念なことだ。すでに日本人の多くが日本人ではないと思わざる得ないような状況に至っている。朝鮮人を汚い言葉でののしる集団が現れているらしいが、こんな人たちは、過去の日本人とは到底思えない。どこかの野蛮人がたまたま日本に居ついたような気がしてしまう。間違いなく田んぼの暮らしとは無縁な人たちだろう。

田んぼをやっていると、妥協的になる。諦めが肝心となる。完全主義は捨てざる得なくなる。昨年など、大水が出て一気にがけ崩れで、田んぼの一部が流されてしまった。それでも残った4分の3だけ補修を重ねながら、何とか収穫に結びつけた。苗も、田植えも、草取りも、流されてしまえば無駄になるが、諦めざる得ない。妥協的に安全第一で作業せざる得なかった。石垣が崩れるようなことは毎年あるが、毎年積み直すしかない。カニが毎日穴をあけるが、毎日穴をふさぐ以外にない。だからと言ってコンクリート化したいとは思わない。水も雨が降らなければ、足りないまま譲り合う暮らし方。水の限界まで田んぼを作る以上何年かに一度はそういうことになる。山を豊かに育てる思想も、田んぼを暮らしの中心にしたからだ。それが海の豊かさまでつながり、日本らしいという、永続的に循環する暮らしを産み出したのだろう。美しい景色の中で、美しい水土で、自給できる喜びというものが、日本人である最高のありがたさだ。

このことが瑞穂の国の意味だ。この妥協に妥協を重ねる暮らし。つまり手入れを続ける暮らしこそ、日本人の特性である。日本人が幸いにも軍隊を持たないで60年以上も暮らせたのは、こういう日本人らしい曖昧な良さが作用したはずだ。この江戸時代の日本人こそ、世界の希望だと私は思っている。世界中が、アメリカナイズされるのも、中華思想が蔓延するのも、戦争につながる。自分が自分が、能力こそ正義だ。これでは世界は持たないだろう。現に戦争はひっきりなしに行われている。日本人が循環する田んぼをやって、平和に暮らすということが可能なら、世界の希望になれる。私はその意味で天皇の存在は大きいと考えている。後水尾上皇の作った、修学院離宮の思想である。天皇は修学院離宮で、日本の瑞穂の思想の象徴の暮らしをしてもらいたいと考えている。これは天皇をないがしろにするというのではなく、天皇の意味を尊重し大切に思うからである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

参議院選挙後の野党

2013-07-30 04:04:16 | Peace Cafe
参議院選挙の結果は、野党が不甲斐なく互いに対立して負けたのであり、自民党が支持された訳ではない。これは選挙前に予想された結果である。比例代表の得票率は大勝と言われる自民党の得票率は34.7%である。自民党は勝利したと言え、心配な結果だと思う。まともな議会制民主主義が成立するためには、反自民の民主から社民までが一政党になることだ。そして、左に共産党。右に維新の党が少数党として存在する。これが、一般的なというか、西欧社会の市民が選択している政治形態である。日本の政治状況が、何故同じような議会制度を行うにもかかわらず、2大政党体制が出来ないのかは考えてみる必要がある。民主党が出来たときには、多くの人がその期待をしたはずだ。それは衆議院に小選挙区制を取り入れたときからの目指した政治の姿であったはずだ。何故そうならなかったのか。日本の政治風土が、前近代的ということは確かにある。しかし、そのことにだけ原因を求めてもだめなのだと思う。

その原因を考える上で重要なカギは、自民党と公明党が連立与党になり、互いの候補を支持している点である。公明党は14,2%が比例代表の得票率である。この両党の考え方は違っている。みんなの党や維新の党の方がどちらかと言えば、自民党に近い。ところが自民党は、公明党をあい方に選んでいる。今回のように、自民党がかなり勝利したとしても、両党の連携がなくなるということはない。憲法96条の問題が過熱して、対立したとしても両党は妥協してしまうだろう。どちらかと言えば、自民党が妥協すると見ている。理由は、自民党だけでは選挙に戦えなくなっているからである。選挙のやり方に、2大政党が出来ない理由があると思う。政治家を育成する教育制度がないのだと思う。そして政党には、選挙区を育てる、制度や体制がない。そのために世襲制のような状態になる。ところがそれだけでは当選できなくなってきた穴埋めを、宗教政党の公明党がその利害で与党を支えることになっている。その意味で、自分と似ている維新やみんなと組んでも自民党にメリットがないのだ。

投票する政党を固定しない層の増加。これが2大政党を作り出さない、もう一つの原因である。それくらい日本の政治状況は不安定ということなのだろう。政治が不安定ということ以上に社会が不安定であり、社会的な価値観が揺れ動いている。社会の中に様々な価値に従い生きる人たちが存在し、その生き方が模索されているというところなのだろう。韓国のように、一体になって世界経済に挑戦して行く。それを国家の方角として認める流れは日本にはできないと思う。多様な価値観が存在するところが日本の健全なところだと思う。政党は明確な価値観を示そうとしない。共産党が一番明確なのだろう。緑の党や風のように、反原発という方角1点の明確な政党もある。しかし、その代替エネルギーをどのような方法で進めるのかが、安心して任せられるという政策力までは国民に届かない。反対勢力にも、そうした政治的総合力がない。民主党が一時その部分を示せるかと思われたが、官僚勢力の利用に失敗したのだろう。

民主党をはじめとした野党勢力がどう動かなければならないか。社会民主主義政党として結集すべきだ。政治の正しいを取りまとめる力とでもいうのだろうか。現在の野党は、批判勢力そのものだから、前向き政策では一本化することは極めて困難になる。反原発野党連合で、代替エネルギー政策を取りまとめたらどうだろうか。取りまとめようとしたら、一部再稼働というような触れにくい問題も、話し合わざる得ないはずだ。そうした、都合の悪い部分も含めた政策論議をしない限り、野党の連合はできないし、したところで民主党の二の舞になる。揉めるような材料を避けないで向かい合ってほしい。、自民党のように、たとえそれが利権に向けてであっても、政治を具体的に動かすことができないのでは、国民は選択しないと反与党政党は考えるべきなのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舟原・夏祭り

2013-07-29 04:06:16 | 地域
毎年地域の公民館主催の夏祭りがある。納涼祭という名前が正式なもののようだ。昨年までは、8月最初の土曜日だったが、この日が酒匂川の花火の開催と重なるということで、1週早くなり、7月27日となった。こういうことも公民館と自治会の集まりで決められることのようだ。公民館役員というものが、各組から1名出る。組長というものが各組6名いる。この6名が自治会役員ということになる。それと正副公民館長、正副自治会長の4名を加え16名がお祭りを主催する係ということになる。加えて、子供会の方々が、中心になって動いてくれている。全体では20名くらいで準備している。各組ごとにお祭りの屋台が割り振られている。焼きそば係は3組と言うような形で、これは毎年役割が回っていくようになっている。各組の公民館担当が、公民館役員と協力して、準備をされている。焼きそばは4時から始めて、8時ごろまで焼き続けていた。150食分とか言われていた。私は5組で今年はフランクフルト係だった。

焼き鳥係の方が、スタートまでとても苦労されていた。ガスがうまく稼働せず、結局、借りてきたコンロの穴が詰まっていた。やっと火がついて焼き始めたのだが、今度はこびりついてひっくり返せない。昨年の係の人に聞いて、水をかけてやると剥がれるということが分かる。中盤から、たれのつけ方、二度焼きの要領など、とても上手になって、素晴らしい焼き具合になった。生まれて初めて焼き鳥を焼いたと言われていたが、農家の方はすぐこういうことの名人になる。と言って、焼き鳥係は2度は回ってはこない。そのほか、綿あめ。ジュース。生ビール。のように屋台は6通りとなる。そして子供会のくじ引きコーナーが一番賑やかだった。輪投げをして、賞品が当たるようになっていた。光るネックレスを子供たちがしていたから、あれが景品の一つだったのか。盆踊りもひとしきり行われ、花火も打ち上げられ、楽しく終了した。終了してから、反省会があり、自由に意見が交わされた。

舟原に越してきて最初のころと、夏祭りもだいぶ変わって来た。あの頃、中心だった方々があまり参加しなくなった。若い世代に移ってきているということなのだろう。一時義務的な参加という空気の時期があったと思う。そして、また楽しいから参加しようという、新しい何かも出てきているように感じられる。子供が少し増えたてきたということがある。子供が増える地域というのは、自慢できることではないだろうか。日曜日の村の様子も子供の歓声が上がり、少し雰囲気が変わって来たことは感じる。里帰りしてきた子供たちも加わるので、かなりの数いたようだ。残念ながら、どこの子供なのかは分からなかった。たぶん、舟原が特殊ということではなく、全国で似たような変化があり、対応の違いもあるのだろう。幸い舟原では戸数は毎年1件は増えて、私が来てからでも10数軒増加した。

舟原が暮らし良い。小田原ほどいいところはない。こんな話が出ていた。東京まで1時間かからない。気候はいい。ほどほど緑の自然も残っている。海の漁業。平野部の農業と何でもある。そして出てくる話は、残念なことにこの小田原の良さが生かされてはいない。こんな風に皆さんが言われて話が、盛り上がっていた。最後には、そうは言ってもこんな良いところはないというあたりに話は落ち着いた。私はここが好きになり、越してきた。同じように考える人は結構いるから、人口急増ということだろう。市街化調整区域で、人口が増加するというのは、家が建てられる法的な条件があるということだろう。また、新しい人が入ることに対して、抵抗感が少ないということでもあるのだろう。何度も引っ越し色々の地域で暮らしてきたが、舟原は暮らしやすい。舟原の良さがいつまでも続くように、少しでも協力出来たらばと考えている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵の廃棄

2013-07-28 04:57:42 | 水彩画
3日間にわたって、絵を選択して廃棄した。それは大量なもので、軽トラック山積み4台であった。昔の油絵、アクリル画、そして大型の水彩。廃棄には理由があった。絵を描いてきた過去蓄積のようなものを消してしまい、新たにやりたいと考えた。絵を描いていると、どうしても過去の自分の描いた絵を引きづる。始めて絵を描くときのように絵は描きたいものだ。朝起きると、新しい命が生まれたと感じ。夜寝るときに死んでゆくと思う。という精神を読んだことがある。絵を描くということも、描き方というようなものを一切忘れたい。何をやるのか、どうやるのか、手順のようなものを捨て去って描きたい。どうしたらいいのか分からないまま、迷いの絵を描きたい。そういう思いが強まって、今までの絵を捨てようと考えた訳だ。それでもなかなか捨てがたいものがある。延ばしに延ばしてついに捨てた。結局全部は捨てられず、まだ残っている絵もある。水彩画やデッサンは保存しやすいので、まだ大量に残っている。

断捨離という仏教用語のような新語が出てきた。2010年の流行語にあるらしい。本当の意味は良く知らないのだが。捨てない限り進めないというのは、日常誰でもが経験していることではないだろうか。それでも捨てるに捨てられないというのが自分。今の自分というものはすべて過去の自分の結果だ。結果の方が原因の方を捨てろと言ってもできるわけがない。それでも、捨てた方がいいらしいということは、おぼろげにわかる。解脱というようなことでもある。特に絵というような技術的なものは、長年の技術を捨てなければ、新たな世界には行けない。絵が面白いのは、技術の意味がほとんどないところだ。ただ丸を描いて自分を表現する人もいる。自分というものが何者であるかを、自覚できるかにかかっている。自分というものが把握できないから、技巧的な丸を描こうとする。ここが断捨離ではないだろうか。誰でも丸は描ける。この丸がササムライズルであることがあり得るのかどうか。これは考え方の問題である。

少なくとも、いかにも自分らしい丸を厭らしいと思うようになった。だから、昔の絵を捨てた。25年前東京を離れるときに、絵を廃棄して、創り絵から写生画に変わった経験がある。絵が再出発出来た記憶でもある。私の絵は過去作り上げた絵ではなく、これから描く絵でありたい。捨てるついでに様々な人の絵が出てきた。50枚くらいあるだろうか。これはさすがに捨てられない。困ったことだ。捨てられないが、どうしたらいいのかもわからない。捨てられないのは作者に申し訳ないからだ。これも断捨離すると、アルカイダになりかねない。絵を買うことはできない。徐々にかもしれないが、誰の絵だろうというような絵を描いてみたい。良い絵を描きたいとか、自分らしい絵を描きたいとか、こういうこと自体を変えなければ始まらない。そうならないことも今から予想はされるのだが、せめて、過去の絵を捨てるところから始めた。

捨てながら、自分の絵がいかにだめなものかは痛感した。評価されなかった訳である。世間は見るところは見ていた。私でも全く認める気になれない。こんな絵でわずかでも、いい気になっていた自分が情けない。どうしてこんなもの自分が描くものとして、認めたのだろう。ひどいものである。そう思っえたのすべてを捨てて、出来る限りの新たな自分に向かうつもりだ。これは福島事故以来の再生でもある。福島事故に至った自分というものが、絵の中にある。上昇志向というか、認められたいというような自分である。捨てたところでそういう過去の迷惑をかけた自分を忘れてもらうことはできないが、残りの時間をせめてもの気持ちで、もう一度欲のない絵に向かうつもりだ。そう思いながら、でたらめという訳でもなく、昔取った杵柄でもなく。また詰め込むために捨てた訳ではないと、心して、ありのまま描いている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大豆の作り方

2013-07-27 04:24:59 | 自給
土中緑化法の実際 (岩澤信夫氏:日本不耕起栽培普及会)岩沢氏は昨年亡くなられた。このような大胆かつ、斬新な技術を残されたことを深く感謝し、ご冥福をお祈りする。

3年目の試行になる。今年の経過を踏まえながら、今までのやり方再考察してみる。昨年は収量、7畝を栽培し206,1キロである。乾燥とごみを取り除くと10%減で、186キロとなった。反収265キロ。目標はまだまだであるが、だいぶ技術の意味が見えてきた。

手順1、「種まき」7月1日(その時々によりまだ結論が出ない。)早めるなら、6月20日まで可能だろう。
1反に対して30箱の苗箱(332mm×473mm×90mm )に播種する必要がある。6分目程度に山土を入れる。そこに一面に成るように、大豆を蒔く。おおよそ150グラム350粒程度ではないか。大豆を蒔いたあとに十分に水をかけてから、パオパオをかけ、その上から4センチほど土をかぶせる。そして再度水を十分に与える。苗箱は水平に置かないと、土の湿り気が偏る。日の良く当たる、雨も当たる場所に置く。地面にはぴったりと付けた方がいい。毎朝水を与える。土は、山土を振ったもの。下の方にごろ土を入れて水はけを良くする。大豆の種は腐りやすい面もある。

手順2、「緑化」7月4日(3日の事もある)
箱の底から根が出てきているのを確認できたらなら、パオパオごと土を取り去る。気温、水の量で期間は一定ではないが、3から4日が目安である。種の状態は豆もやしのように根がのび、大きく膨らんだ白い双葉が開きかかっている。箱一杯になっているはずだ。ここから白い種に日光を当てて、緑化に入る。緑化の間は外に置き雨がかかっても構わない。乾くようならば、水をやる。普通なら1日。天気が悪ければ2日間直射日光に当てる。子葉が緑に成るまで充分に日光に当てる。これが土中緑化の意味。茎が赤みが差すくらいが良いようだ。全部が赤くんる事はない。

手順3、「覆土」7月5日(6日)
子葉が緑になったら、全体がすっかり見えなくなる程度に土を入れる。水をしっかり与えて、土が葉の隙間に入り込むようにする。土は山土の細かなふるわれたものがいい。上手く土が入り、十分にかぶると、良い形で茎が伸びてくれる。茎が長い方が作業がしやすし、根の量も増える。

手順4、「断根・摘心・挿し芽」7月10日(2葉がしっかりと8の字に成るまで待つ。)
断根・摘心・挿し芽を行う。生育にはばらつきがあるので、早いものから行い、2度に分けた方が賢明である。あるいは、量を十分作り早いものだけを使う。天候と水やりにより前後する。余裕があるだけ種を播き、苗を作る。ダメになるものが、10%はある。良いものだけを使うつもりで行う。水が多ければ早くなる。多すぎると腐る。1箱の苗箱の分が4箱の苗箱に7×10で挿し芽する事になる。子葉の良くないものは使わない。茎が太いほどいい。80%使うことで苗は足りるように準備。できれば子葉の根元まで土に差し込む。茎全体から根がでてくる。挿し芽をした苗箱には、ラブシートをかけて日よけをする。天候次第だが、徐々に日に馴らしてに管理する。水やりは簡単ではない。腐りやすいのでやりすぎも良くないが、乾かすことも悪い。基本は朝晩やる。水はけの悪い土、肥料分のある土は良くない。苗箱は水抜けが良い方がいいから、底の方はごろ土の方がいい。苗箱の置き場は地面直接の方がいい。

手順5、「苗の植え付け」7月19日(10日から2週間取った方がいい。)
出来上がりの苗は、枝分かれした葉がしっかりと展開したもの。2番目の葉が出かかったくらい。早屋すぎるより遅れた方が良い。大豆苗植え付けは寝かして根元まで植えこむ、感じとしては深植え。30センチ間隔で植える。草取りを考えて出来るだけそろえる。夏の晴天時では、苗が一気にしおれるので注意が必要。水を播き続ける必要がある。梅雨の内に作業をした方がいい場合は、全体を早めに行い、7月7日ころ植え付けにする。

手順6 「畑の準備」7月19日朝
麦後に行う場合、麦刈りとり後すぐに、鶏フン堆肥を50袋入れる。入れたらばすぐに耕す。その後もう一度耕し、植え付け日を待つ。畑の準備は直前に3回目の耕運を仕上げに耕した方が植えやすい。雑草の伸びも遅れてくれる。田んぼ後ならば、ベットを作る。乾く畑ならベットは作らない。30センチ間隔で植えるので、一人が植えられる5本程度で、紐を貼っておくといい。

手順7「植え付けた後の管理」
受付前後は水が必要。植える前に土が湿っていた方が良い。出来れば梅雨の内に終わらせたい。この場合、種まき全体を10日は速めた方が確実。乾くようなら、3日間は水やりを行う。苗が不足した場合は、直播を同時に行う。鳥よけが必要。8月10日に一回目の草取りを予定している。

注意点
大豆畑は必要な時水が使える田んぼの跡地が良い。連作では特に問題は起きない。田んぼ跡地なので、粘土なので塊りに成りやすい。干し田の時を見計らい、耕す。細かく良く耕した方が良い。ベットは出来るだけ高めに作りたい。ベットの間が水路に成る。今年初めて、久野の山の中の傾斜のある畑に変わる。10年は田んぼの跡地で大豆を作ってのだろうか。やっと耕作の体系も安定してきたところであるが。事情があり、全く違う環境の畑に変わる。大豆は乾くところでは、難しいと考えていたので、これからの心配が多い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政治に正しいはない。

2013-07-26 04:21:58 | Peace Cafe
政治の議論というものは、正しいものと、正しいものが、議論を行い。正しくない結論を妥協して見付けるものである。そういう馬鹿なことに時間をかけて行うべきだ、というのが民主主義である。なんとも情けないようなことだが、このまだるっこさの方がまだましだと、過去の歴史的失敗から学んだことなのだろう。ところが、そこが危うくなり始めている。参議院廃止論や、ねじれ解消や、憲法改正発議要件の2分の1論である。決断、行動する政治が人気のようだ。原発事故で痛めつけられた反動ではないかと想像している。民主党がダラダラと焦点の狂った民主主義をやって、国民をうんざりさせた反動である。正しいことだけ発言して、その先がなかった。この点は、鳩山氏はリーダーの資質がなかった。言わなくてもいいことをつい言いたくなるくせは、いまだに抜けない、困った人だ。もちろん経済がおもわしくない。中国や、韓国に負け始めているという意識が大きいのだが。

このまま決められない政治であれば、日本がダメになる。日本を取り戻そう。ということになったのだろう。要するに、未来の理想より、現実の現ナマである。原発は問題はあるかもしれないが、輸出して儲けるしかない。議論より結論。国民の選択はここにあったのが参議院選挙である。企業的国家を求めているのだ。しかし、国家は企業ではない。儲け仕事をやればいいという訳ではない。儲からない投資もしなければならないし。福利厚生にも力を入れなければならない。肝心な違いは、目的が利益ではなく、日本人の豊かな暮らしというところにある。暮らしというものは、妥協の産物である。そんなことは家族で暮らせばだれにでもわかる。味噌汁の実でも、塩の濃さでも、妥協が大切である。健康のためもあれば、味覚も体調もある。正しいけれど、頃あいでやっていくしかない。頃あいを探すのが民主主義の志し。

民主主義はこの効率の悪い、妥協の産物なのだ。国家は非効率の方がいいのだ。良いことをしてくれる国家より、悪いことをしない程度の国家を望むべきなのだ。国家がなにかをしてくれるというのは幻想である。何かをするのは、国家ではなく国民一人ひとりである。国民がそれぞれにやればいいのであり、その行動に迷惑をかけずに、自由を制限しないことが政治の範囲だろう。日本は中途半端に豊かになったが、心が貧しくなった。生活保護でも一応は行きわたるようになった。しかし、これにも随分の不公平があり、不満がある。この妥協的なところが民主主義の当たり前の社会だ。これをピシッとやろうとすれば、原理主義社会になる。すっきりはするが、危険でこの上ない。何十回も書いたが、韓国のようにすっきりさせれば何が起こるか。これを良く良く見定める必要がある。中国では国家資本主義とでもいうべき、計画資本主義が国家権力を利用して、効率よく進められた。しかし、その結果起きてきた問題が今や噴出を始めた。

憲法改定過半数発議要件も、はっきりさせたい。自分の正義にのめり込む姿だ。2分の1なら確かに政権党は必ず憲法改定が発議できる。不毛に感じられる議論もない。憲法解釈の曖昧さも、すっきりすることだろう。そして自民党憲法草案が出てくる。これは、民主主義や人権の後退憲法である。さすがにアメリカはこれを許さないだろう。日本国憲法はアメリカの理想主義が反映したものだ。当たり前なら、自民党草案を改正して、現行憲法になるところだ。これが人類が進歩だ。つまり自民党は反動の、日本原理主義革命政権を目指している。自分の思い通りに、少数意見や、公共の利益に反する個人の人権を排除したいのだ。96条を改定を正しいと考える人は、ぜひとも、日本の目指すべき社会という角度から、自民党憲法草案を読んでみてほしい。ここには、政府のグローバル企業一辺倒の世界がイメージされるはずだ。能力主義に基づく、差別の社会が待っている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スノーデン氏の問題

2013-07-25 04:05:46 | Peace Cafe
アメリカの情報当局の活動を暴露したCIAの元職員、エドワード・スノーデン氏がモスクワの空港に長期間釘付けになっている。 「アメリカの政府が、ネットサービスを運営するIT企業と連携して、電子メールやチャット、動画、写真、VoIPの音声通話、ファイル転送などのデータを直接収集している。」という暴露が理由である。データ収集の対象となっているのは、マイクロソフト、米ヤフー、グーグル、フェイスブック、米パルトーク(PalTalk)、「YouTube」(グーグルのサービス)、スカイプ(マイクロソフトが買収)、AOL、アップルである。ウォール・ストリート・ジャーナルは、「PRISMは外国人を対象にした取り組み」とオバマ政権高官が話したと伝えている。 6月9日には、スノーデン氏自らがリーク元であることを、顔と実名を出して公開。英ガーディアン紙がWebサイトにインタビュー動画をアップした。

英紙ガーディアンによると、米当局が日本やフランスなど同盟国を含む38の在米大使館や代表部を盗聴の対象にし、特殊な電子機器などを使って情報収集を行っていたという。アメリカ政府が日本政府に対しても情報活動を行っていたことが分かって来た。このことに対して日本政府は、反応すらできない。反応が出来ないのは自分もやっているから反応できないのか、アメリカの手下だから、親分のいいなりなのか。ともかくなかったことのように静かである。正しくは、官房長官が強く抗議をする。抗議声明を出すべきだろう。そして、今後の対応をアメリカ政府に対して要求すべきだ。CIAの諜報活動はテロ対策と言うのは建前で、アメリカの外交の一部なのだ。敵を知る。ということが、重要なのは当然だが、仲間のつもりのものも信頼してはならないというのが、アメリカ流だ。イギリスはやらなかったというのは、007が居るからか。

安倍氏に対しても、相当の盗聴を仕掛けたはずである。アメリカ政府の発表では、国家主義的な兆候に気を付けなければならないと書かれた。たぶんその情報の深刻さを探り当てたのは諜報活動だろう。日本国民が、アメリカから総理大臣の本音を聞かなければならない状況なのだろう。相当痛い発言も抑えられている可能性が高い。スノーデン氏が2カ月近くも逃げ回っていて埒が明かない要因はまだまだ出ていない情報を持っているということなのだろう。この情報戦には、2つの流れがある。一つは国家間、企業間の経済戦略である。外交上の情報戦以上に経済の傍聴戦が行われているはずだ。情報管理は今や無理になっている。とすると情報活動を日本がどこまで出来ているのかということになる。軍備を持たない日本は、情報活動はアメリカ以上にやっているはずだ。やっていなければ困る。平和を維持するためには、情報を誰よりも持つ必要がある。何も違法な活動だけでなく、情報収集は合法的なものもいくらでもある。

もう一つの情報問題が、個人の管理である。個人情報の国家管理の問題である。個人の問題では、カード情報の管理、メールや通信の情報収集である。個人情報はすべて把握されていると考えた方がいい。社会保障・税番号制度が運用され、国家管理はますます徹底されるはずである。すべての情報を簡単に、国家は連動できる。それに逆らったとしても無意味である。すべてはどうせわかるものだ。そういう社会である。隣近所のことでも、役所から聞いて初めてわかるというような社会である。市民レベルのおかしな情報の自主管理がある。隣近所うでは個人情報の保護で、国家には筒抜けの時代。どうあがいても無駄なようだ。それならどうするかと言えば、居直ってすべてを出す。すべてを出すことで、自己防御をする。何かが起きたときには、原因が他の人にも想像できるかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田んぼの中干しについて

2013-07-24 04:24:53 | Peace Cafe

9番田んぼの排水口

一度目の干しを終わった。4日間やったのだが1日は雨で、水が溜まった。干しと言っても足柄平野での干しは4日ぐらいである。しかし、2度やるところが多い。干しのことを調べてみると、2週間もやる地域もあるようだ。土壌が違うということだろうか。軽くひびが入る位行うというのが書いてあるが、この地域の棚田で、2週間も干すということは、考えにくいことだ。干しの一番の目標は収量を上げるということだろう。干しをやって収量が上がるということは、少なくとも久野の棚田で、有機農業を行う以上あり得ないことである。それでも、何年かに1度は行うのは、干すという稲作の慣習に引きづられているということがある。自分の体験だけで考えれば、稲が倒れることがなければ、干す必要はないということだ。それでも、ともかく今年は干してみた。排水が次の田に行くような、11枚もある棚田では干しと言っても、すっきりは行かない。雨があれば、一番下の9番ではいくら排水口を抜いておいても、水浸しになる。毎年のことだが、「田んぼを何故干すのか。」で頭を悩ます。

稲の生育の根本からいえば、干すというようなことは不要なことのはずだ。稲は長江のような大河の河岸の植物である。秋に稲穂を落とし、また稲株が倒れ、冬を越す。この時期は土壌は乾いていると思われる。春になり、徐々に水嵩が増え、稲は発芽を始める。発芽した稲は徐々に水位を上げる川の水に併せて、背丈を伸ばすのだろう。そして、秋になり水が引き始めるころに稲穂を付ける。この間水位の変動は、繰り返し起こるだろうが、一度水が引きまた水が入るというようなことは、起こり得ないはずだ。年ごとに水位は変わるにしても、その年のちょうど水の状態の良いあたりの稲が生き残りながら、野生種の稲は生育の生活循環を形成したのだろう。だから、水温14、5度以下の寒い間いくら水に浸して置いても、種籾は発芽をしない。春が来て、水温が上るころには、河岸の水位が上がってくる事が稲の性格を作った。夏の間に干しを入れる技術は干ばつの年にでも生まれたのだろうか。

中干しを行うことの目的は、以下のようなことがクボタのホームページにまとめてある。
1.土中に酸素を補給して根腐れを防ぎ、根の活力を高めます。根が強く張ります。
2.土中の有害ガス(硫化水素、メタンガスなど)を抜くことが出来ます。
3.水を落とすことによって肥料分であるチッソの吸収を抑え、過剰分けつを抑制します。
4.土を干して固くし、刈り取りなどの作業性を高めます。
と書かれている。慣行農法の人は必ず中干しを行う。有機農業の人や、自然農の人は中干しをしない人が多い。以上の一般に言われる3つまでの目的が自然栽培では意味がない場合が多いからだと思う。特に3番の過剰分げつを抑えるというようなことはない。余分な肥料など最初からないのだから、強い干しは禁物だと思う。今までこの点の意識が足りなかった。

土壌の状態が良ければ、これまた中干しは不要だ。土壌のガス抜きや還元化を避けるためには、コロガシを入れること。田んぼに拾い草で入ることだ。干しでそれを代行する意味は少ない。しかし、4番の土を固めないと作業性が悪い。これは自然農であれ同じことで、稲刈りを考えると、バインダー作業が行えるぐらいにはしたい。水を止める時期をより遅らせたいという思いもあり、一度軽く干して固めて置いて、最後の水を止める時期を先延ばししたいということは出てくる。特に春水田んぼのような苗代にした、4番は土が緩い。ここだけはもう少し干したい感じがする。この点では、2回代かきをした田んぼの方が土は緩い。ということは来年は中干しは必要になるということか。平均20分げつで干しとあるが、そこまで分げつがそろわないということが、迷いの出発点になっている。今年は18平均を目標にしているのだが。収量という意味では、この後の管理が重要になってくる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シートン自叙伝

2013-07-23 04:42:53 | 
イノシシが今年も出没している。秋になって田んぼはとても心配だ。以前も一度書いたが、猪が捕まらないのは、子供のころシートン動物記を読まなかったからだと、自然農法の石綿さんに言われた。たぶん、シートンについては、相当に読んでいるはずである。シートンはそもそも若いころ絵描きで身を立てようと考えたようだ。子供のころから絵を描くのは上手だった。子供のころから動物も好きだったらしいが、絵描きなら食べられると考え、動物学大学には進学せず美術学校で学ぶ。確かカナダのトロントである。卒業後、イギリスのロイヤルアカデミィーに入学している。ところがアカデミーはすぐ辞めて、帰国する。そして、兄について入植者になる。そこで直接自然を見ることを通して動物学を始める。つまり、大学で書物を読んで学ぶというようなやり方ではなく、自然を自分の目で見ることからシートンの動物学ははじまる。

シートンがそれまでの動物学者を凌駕して行く事が出来たのは、書物を捨てたところにある。学問をするというと、過去の書物から学ぶということに、依存しがちである。シートンは動物学者になりたいと考えて、大学のような学問の世界に入らず、自然の中に暮らすことを選択する。自分の目を信じて自然に起きていることを直接見ようとした。この自分の目で「見る」ということの意味を大切にしたところが、それまでの動物学を一変させることになる。ノーベル賞動物学者のローレンツもシートンを高く評価している。動物学を一歩前進することが出来たのは、出来上がった書物的動物学に入らなかったところが重要である。自分の目というものを育てるには、自分が自然の中で暮らす以外にない。書物をいくら読んでも、自然というものの本当の姿を知ることはできない。このように考えたわけだ。私が山の中で暮らすことで、自分の絵を建て直そうと考えたことも、同じように学んだことだ。絵をかくということが自分の内なる真実を出し尽すこととするなら、自分を暮らしの中から育てる以外にないと考えた。私は自分の食べるものを自分の手で作ってみようと考えた。

発酵利用の養鶏も、全く私の体験を書いたものだ。養鶏学を学んだことはない。大学で畜産を学んだ訳でもない。鶏とともに暮らし、自分の目を育て、鶏の見方を少しづつ知った結果である。誰かに教わるということは性に合わない。その意味で、稲作、小麦、大豆、野菜、すべてやってみて、その結果を見ながら知った方法である。もちろん、大豆栽培なら、土中緑化法は稲葉さんの発想したものである。そこはなるほどと学んだが、後は、自分で繰り返し栽培しながら、進めていることだ。あくまで自分の目というものがなければ、本で学んだところで、作物の栽培など出来るものではない。相手が、自然というものであれば、千変万化である。自分なりの見方を育てない限り、どうにもならない。

昨日は昔の絵を大量に捨てた、ケイトラ山積みで3台である。恐ろしいことであった。この後自分が絵を描くためのことである。過去の自分から抜け出て、いまだかつてない自分になって絵を描きたい。シートン自伝を読んだ感想でもある。内なる自分に従うという意味は、深い行動的観察に基づく。ただ座して動物を見ていた訳ではない。動物に出会えないとしても、足跡には出合える。足跡を何日も追い続けながら、動物と対話する。昨日何を食べて、どこで寝たのか。さっそく今年出てきたイノシシの荒らした後をよく観察した。すると川から、どうも2か所上がってきている場所があるようだ。コンクリートの河岸なのだが、川に降りるためか、わざわざ、高くしてあるところがある。ここを上がれないようにすることが、対策の第一だろう。大きな石なのだが、これを崩して低くすることを先ずしてみよう。これがシートン自叙伝を読んだ結果である。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

参議院選挙の結果

2013-07-22 04:39:18 | Peace Cafe
もう日本は取り戻せないという結果なのかもしれない。アベノミクスにこれほどの期待が集まるとは私の想う日本には戻れないということなのだろうか。自民党、日本維新の会、みんなの党による獲得議席の合計は81で、公明党と合わせると計92議席で、3分の2に到達した。今後改憲に向けて安倍政権がどのように動くのだろうか。緑の風は議席が確保すらできなかった。原発再稼働を明確に主張していた自民党が、65議席確保し、比例で見ればある程度国民の意志が分かる。48議席中18が自民党。みんなと維新で10。これでは3分の2に届かない。そのまま96条を変えろと国民は考えていないようだ。、公明党で7。合計すると35議席となり3分の2に達する。憲法改定の発議については、安倍氏と、保守系3党の出方次第ということが国民の判断だったというところか。少なくとも3年間はよほどのことがない限り、96条の憲法改定は持ち出さないだろう。

よほどのことというのは、公明党の動きである。公明党は11議席ということで、自民党の選挙協力のあった、埼玉で一人加わった。比例区の状態を見ても、公明党自体が勢力を伸ばしているというより、投票率の低さが議席に影響している。それは、共産党の比例区の8という事にもよく表れている。公明党はいつまで、政権与党に居るのかが問われることになる。自民党にしてみれば、維新の会の方がはるかに安倍氏の考えに近い。ほとんど同じと言えると思う。維新の会と連立を組む可能性も出てくるのだろう。維新と自民で過半数に達する。このことは公明党の態度に影響を与えることになる。公明党が政権党に居たい理由は、思想の問題ではなく、宗教団体創価学会として自分たちの身分保障を期待している。宗教組織が、自分たちの組織防衛のために、権力に近付くという行動は歴史的にも、ありがちなことだ。それは権力に危険視される。恐れられる存在になりたくないということだろう。

一番の平和憲法の危機は3年後の参議院選挙になる。民主党の改選議席42が半減すると相当に危機が待っているのだろう。しかし、私はこの点でそんなに自民党が順調に行くとは考えていない。アベノミクスが3年後どのような結果をもたらしているかだろう。今回の選挙は期待感から起きたことだ。3年先財政破たんは深刻化している。その前に、財政再建に戻ろうとするだろうが、今の安倍氏の姿勢を見ると、ほとんど不可能に見える。口先では財政再建と言いながら、既得権益勢力に押しまくられ、財政支出を垂れ流しているのが現実である。今は、震災復興という課題があり、国民も我慢せざる得ないと考えている。しかし、この先、消費税を上げても、財政の健全化は極めて難しいだろう。グローバル企業の法人税の問題。農業の国際競争力。中国、韓国の3年後はさらに深刻化しているだろう。どう考えても安倍政権の3年後はない。

今回の参議院選挙の結果をみると、私のような考えのものは、いよいよ少数派であることは確かだ。ますます、価値観を共有できるものたちで、支え合う以外にない。反社会的な組織を目指すという訳ではないが、連携を模索しなければ存在自体が困難になる。「地場・旬・自給」を目指す緩やかな集まりを大切にしてゆく必要がある。東京選挙区では、山本太郎氏と共産党の吉良佳子氏が当選した。ある意味、自民党の2人と好対照である。反原発と再稼働が2対2である。選挙制度のために議席では色々のことが起こるが、東京は5人の定数のために、他とは異なる結果が出ている。反原発の大河原氏を公認から外した民主党が消えた。みんなも維新も当選がない。神奈川では、社民と共産は共闘すべきであった。沖縄の結果を見れば野党共闘の重要性を考えなければ未来はないことが分かる。

昨日の自給作業:大豆の植え付け4時間 累計時間:28時間
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本を取り戻す

2013-07-21 04:23:50 | Peace Cafe
「日本を取り戻す。」ずいぶんと微妙なニュアンスの言葉である。自民党がコピーライターにお願いして作ったものなのだろうか。さすが上手いところを突いているような、何かばかげたような、不思議に記憶に残る言葉である。私が引っ掛かるのは、「日本」である。もちろん日本は千差万別、どうとでも受け取れる。我々の暮らしている国の名前である。なんとも、微妙で、ほろ苦いような、厳しいような、うっとりするような言葉である。どうとでもとれるという言葉であるから、安倍氏がいう日本は相当国家主義的な日本だろうなどと、勝手に推測できる言葉である。勝手に推測すれば、別段そんなゆがんだ受け取り方をしないでほしいと言えるところが、実に都合のいい言葉である。これが国防軍設立。などという揺るぎのない言葉を、標語にしないところが、なかなか上手い。と言える。

私の日本は当然、江戸時代の日本らしい日本である。でもこれはこの日本らしいが各人各様で、通ずるような通じないようなことになるのだろう。日本らしい日本は、やはり瑞穂の国である。田んぼの広がる日本である。棚田があり、里地里山に人々が暮らす日本である。今や、幻想になりつつある日本だ。言葉は怖いもので、別段安倍氏と何も変わりがない。変わりはないのだが具体的なことになると、安倍氏は靖国には参拝をしたいし、日本がやってしまった戦争を、侵略戦争とは思っていないようだし、憲法9条を変えて国防軍を作りたいということになる。私にはどう考えても瑞穂の国日本を取り戻す道には見えない。方法論の違いなのだろうか。里地里山の残る日本。ここに行くことは行くのだけれど、経済優先で行かなければ、結局のところ里地里山は疲弊してしまい、残すことが出来ないという考え方なのではなかろうか。いや、本当のところは、瑞穂の国は一応ことばにしただけで、里地里山などなくなっても日本はあると考えているような気もする。

以前街づくりの集まりに出たことがある。その時に小田原の商店主の方々は、押し並べて昔の活気のあった街に戻したいと言われていた。不可能なことである。江戸時代に戻したいというのも同じで、不可能なことである。日本は動いている。昔は良かったという発想で昔に戻りたいというのは無理だ。それは私にもよくわかっている。花田清輝流にいえば、江戸時代を否定的媒介にして、未来社会を作るということになる。「前近代を否定的媒介にして近代を超克する」面白い言い方だと思うが、ほとんど理解されていないようなものだ。江戸時代の良さを未来社会に生かすためには、あくまで否定する。封建制や、女性蔑視、そういう個人の人権の存在しないような社会を、否定はするのだが、その背景にあった、江戸の農民の村社会を形成する理念を、未来に生かすように抜き出す。田んぼを耕作するのだが、底にある永続農業の形の理念を抜き出す。

里地里山の形成は、未来永劫の手入れである。田んぼの畦を土で作る。毎日沢蟹が穴をあける。ときにはその小さな穴が、田んぼの一角を崩してしまうこともある。そうならないように日々、見て回り、小さな穴を発見して、埋めては補修を続ける。面倒である。そこでコンクリート化した畦にするようになった。コンクリートの畦は味気ない。耕作していて実に不愉快である。この不愉快な感じは、永続性がないからだろう。コンクリートという名前にもかかわらず、土の畦より永続的ではない。人間が生きるというのは、コンクリートではない。藁の家より、レンガの家というヨーロッパ的な発想ではなく。自然に即す生き方を見つけない限り、日本を取り戻すことはできない。レンガの国防より、瑞穂の国の稲藁の国防である。田んぼの畦を作るように、毎日心配であるが、毎日の観察眼による丁寧な手入れ。小さな水漏れはあるが、毎日の手入れ。これが日本という国だと私は考えている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉田昌郎福島事故現場責任者の死去

2013-07-20 04:08:54 | Peace Cafe
東京電力福島第1原子力発電所の元所長、吉田昌郎。享年58歳。見事な現場指揮官だったのだと思う。誰しもが逃げたくなるような、死に直面した事故現場において、最善を尽くそうとした。遠く離れた東京の政府や、東電本社からの、焦りの指示にも対応しなければならなかった。もし判断を誤れば、日本全体が深刻な放射能汚染で、人の住めないような土地になるかもしれない深刻な危機がせまる。自分の命をかけてこの深刻な事態を、乗り切ろうとした現場責任者。癌が原因の死去。つい長年原子炉を職場にしていた事を連想してしまう。今回の事故後のストレスも影響があったことは間違いがないだろう。脳梗塞も起こしたという。労災と言うべきだろう。東電に対してはともかく、吉田氏の存在には感謝の気持ちもある。死んだ人がいなかった事故などと、軽々しい言葉を吐く政治家は、命がけで最悪の事態を乗り越えた、この人のことを考えてみてもらいたい。

この事故は綱渡りであったのだと思う。きわどく、幸運にも、最悪の事態を免れた事故だ。以前柏崎刈羽原発で、地震による変電施設が燃えたことがあった。あの時に地震に対する電源施設の総点検を行えば、福島の事故は防げた可能性がある。あのときも、各地から起こった不安の声に対して、事故を小さく見せようという心理が働いたのだと思う。原発本体とは関係のない、電気の事故なので原発云々まで問題にする必要はない。こういい切り、対応策を取らずにすぎてしまった。安全神話が安全思想をゆがめていたのだ。その背景にあるものは原子力を安い電力と位置付ける、経営戦略がある。安全対策には限界がないから、どこかで手を打つしかないのはわかる。その時に、原子力が高いエネルギーになることだけは、避けなければならない宿命を負っている。割高であれば原発は止めざる得ない政治的配慮の中で成立している。本当に安全を追求していた原発からすでに離れていたのだろう。

今回の福島の事故ですら、その現実に向き合おうとしない空気がすでに出てきている。原発を再稼働しようと主張する者ほど、事故が2度と起きない対策を考えるべきだ。この点吉田氏はどのように考えていただろうか。亡くなった今、事故の真実が一つ消えてしまったということである。吉田所長は記者会見を避けた。たぶん東電がそう命じたのだろう。本来であれば、吉田氏は免責して徹底的に語ってもらいたかった。門田隆将氏による2回、計4時間半のインタビューだ。「死の淵をみた男 吉田昌郎と福島第一原発の500日」がある。私はこの内容をうのみに出来ない気分がある。ここで吉田氏は、事故直後に原発内で起きたことをかなり詳しく語り、最悪の事態の想定を「チェルノブイリ×10」と表現している。これは、一つの格納容器が爆発した場合のシナリオである。原発全体が高レベルの放射能に覆われるので、だれも原発に近づけず、福島第一原発(6基)と第二原発(4基)の計10基が放棄・破壊されるので「チェルノブイリの10倍」の放射能が出る可能性があったということだ。

私は当時同じ恐怖を感じていた。もう日本はだめになると本気で想像した。そして私自身の反原発活動が不足したことを悔やんだ。こういう時が来るということを、70年当時から予想しながら、そして今も予想していながら、何も出来ない現実に、恐怖を覚える。日本は民主主義国家ということになっている。選挙も公平に行われている。それなのになぜか、原発再稼働の自民党が優勢だという。この国をあきらめるしかないのかという、焦燥感というようなものがとりつく。私はあらゆるものにリスクがあると考えている。最高の食べ物と考えて、食べ物を自給している。その食べ物にも様々な汚染物質は飛来している。過去の核実験による放射能汚染も今回の福島事故以上のようだ。よく言われる自動車事故死もリスクの一つだろう。何故、原発がそうしたものと違うのか。原発は代替発電が可能だ。再生可能エネルギーがある。現状では既得権益だけの問題である。あるとすれば核保有という国防上の問題だろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トマトの作り方

2013-07-19 04:39:26 | 自給

19日の収穫


ハウス内の様子



軒下にあるコンテナ

今年はトマトが豊作である。トマトはごく普通のもも太郎を作っている。味がいいし作りやすいからである。トマトの種を播くのは、3月中旬。ハウスの中に踏み込み温床を作り、そのうえで育てる。トレーに種を播く。苗土は良く熟成した落ち葉堆肥を入れたものを使う。発芽から最初の生育は大切だと考えている。滞りなく生育させること。温度管理は大切。花芽が来るまで、このままで育てている。普通鉢上げをするようだが、つぼみが来るまで、苗トレーのままで管理する。出来るだけ長く、踏み込み温床の上に置いておく。それは、踏み込み温床という場所が植物免疫を高める場所だと考えるからだ。日照は最初からビニール2枚越しで通す。水やりは乾かさない程度で、少なめ。良い苗が10本出来れば、十分なのでたくさん作らないようにする。

植え付けは、4月22日だった。1ヶ月少し育苗したことになる。花が咲いたころ植え込むことにしている。植え付けるのは育苗ハウスの中。10本植えれば満杯になる。冬の間は小松菜、ホウレンソウが作られていた場所である。特に肥料は入れない。小松菜を播く前に、堆肥を入れたぐらいの場所で、肥料は不足している場所だ。小松菜は良くできた土壌の跡地ぐらいの肥料分。トマトは肥料はいらない。植え込み方は特別のことはない。しばらく水やりは忘れないようにする。苗が根付いたならば、その後水やりはほとんどしない。屋根の開け閉めで雨が入る状態を調整して置く。周りに雑草がどんどん出てくるが、そのままにする。トマトは草負けすることはない。トマトは連作は良くないとか、青枯れするとか言われるが、雨にさえ当てなければ、病気は出ない。叢生栽培にするのも病気対策だと考えている。

7月19日の時点で、最盛期を迎えている。毎日写真のような状態で採れる。昨日は7個。1個の重さは200グラムから300グラムくらい。味は濃厚でなかなかいい。水に浮かべれば空洞がなく水没する。暑い時期トマトばかり食べていればいい。暑いなか長く採るの栽培技術である。トマトは11月でも収穫できる。伸びてきたら上のパイプから紐を延ばし吊るす。目欠きは根気良くする。茎が1センチくらいで太くならないくらい方が良い。トマトが出来るということは、10段採ることだと、農家の人に言われた。4段目くらいまで高くなってきたら、紐を緩めて茎を地面に寝かせる。その後延びるたびに、ひもを緩め、実がなる高さが、地上1メートルぐらいにして置く。夏の暑い盛りには、花芽が結実しなくなる。日よけをしてやる。ともかくかわいそうな位、水をやらない。茎から気根が出てくる状態が良い。

トマトは連作した方がいい。同じ狭いハウスの場所で10年作っているが、だんだん作りやすくなっている。土が悪くてもいい作物なので、過保護にしなければ寒くなるまで長く取れる。直接雨を当てないことが、大切なようで畑で作ると難しい。軒先でコンテナで作っているが、これはもいだ芽を挿したものが遅れて生育している。これも少しづつ実がなりだしている。芽を挿せば新しい株が出来るのだから、実は1本苗があればいい。苗を一本買い増やしてゆくのも一つの方法である。しかし、今までの経験では、種から育てた株よりも良い実がならない。気がついたことがあれば、また書き足してゆく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の拾い草

2013-07-18 04:34:28 | 稲作
朝明るくなるのを待って田んぼに行く。拾い草をするためだ。これがすごく気分がいい。辛い草取りをやるというより、子供のころ海水浴に連れて行ってもらった時のような気分だ。あの土埃の道を海に近づいてゆく時の高揚感をを思い出す。田んぼに入るという期待感が別格である。どんな草が生えていることか。土の状態は、場所によってどのような変化があるのか。実験結果をみるようなことになる。草は生えているところと、生えてないところがある。これが何度草取りしてもわからない。自然の仕組みがあると思うのだが、この理屈がなかなかわからない。何となく草の生えやすいところというのがあるようなのだ。コナギの植物としての性格をいくら本や、インターネットで学んでみても、田んぼに現れる結果とは違う。自然の中で起きていることなのだから、必ず原因があり結果がある。不自然なことが起こる訳がない。ところが予想を外してくれるのだ。さて、今年はどうかということだ。

私としてはある程度想定に収まったという結果だった。土の状態は覆田して、4年目としては納得ゆく方向に向いてきた。河岸の流された田んぼにそのことが良く表れている。土をだいぶ客土した。得票度が変わっている。これがこの田んぼを不安定にして、一部黄色い、分げつが足りないところが出てきている。土が腐敗状態に向いたところもある。昨年、クワイを植えて、草ぼうぼうになった6番田んぼは、土の状態が素晴らしい。すきこんだ緑の草の量はすごかったが、今の段階では、最高の土の状態になっている。冬の間も、水が湧き出ていた傾向があった。さらに面白いのは、11番の今年何十年かぶりにたぶん40年間ぐらいは、田んぼをやらずに居たところの覆田状態である。この田んぼはその昔は、苗床に使うだけだったそうだ。それは一年通して使うと、穴があいてしまい管理できなかったと言われていた。確かに隅に大きな穴があったのだが、ここは徐々に大きな石を落し込みその上に土を入れて何とか表面的には平らに塞いだ。

田んぼを止めてからも、湧水が湧き続けていたようで、湿地状態だったと思われる。葦が生えてくる。始末の悪かろう荒れ地であった。ここを何とか3年がかりで田んぼに戻した。水は特に水路からはなく、湧水だけである。とても冷たい。確かに生育は遅れているのだが、だんだん追い抜くぐらいの勢いが出てきた。土もコロガシに入った時にはぐじゅグジュ、どよどよ状態で、メタンガスが湧き、臭かったが今はなかなか状態が良くなった。覆田一年目はどこでやっても良く出来るものだが、この状態を永続させることが目標になる。稲刈りの時だけ何とか水を切る工夫をする。あとは湧水だから、このまま冬水田んぼに持ち込もうと考えている。田んぼが面白いのは、作物をより多くの収量を目指すことが、未来のための土作りをしているという、永続農業の典型的なところだ。

抑草効果はソバカス抑草であるが、トロトロ層の形成にはある程度役立ったと思われる。生きものも昨年よりは多く発生した。トロトロ層が良くできると、コロガシを入れたときに、発芽した小さなコナギが浮き上がるか、あるいはふわふわの土壌の中に埋没しやすい。だからタイミング良く、田植え後1週間目あたりで一度目の横のころがし、2週間目あたりで2回目のたてのコロガシをする。これでコナギは一回目の対応が出来る。コナギの勢いがほぼ収まる。強烈な勢いで生えて来るコナギはなくなる。そして、4,5週目で、拾い草。ほぼこの程度で対応が出来る。ヒエは深水で確かになくなった。田植え以降深水を続けていたので、土は結構深くなっている。そこで、思い切って今年は星を16日から行っている。今日で3日目だが、雨が降って完全には乾かない。この後徐々に間断灌水の傾向を強めてゆこうと考えている。もう一度干すかどうかは、稲の状態で決めたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

非正規社員比率38.2%

2013-07-17 04:11:10 | 暮らし
総務省が12日発表した2012年の就業構造基本調査によると、非正規労働者の総数(推計)は2042万人と07年の前回調査から152万人増加し、初めて2千万人を超えた。雇用者全体に占める割合も非正規社員比率38.2%、男女とも過去最高に 20年前の調査と比べると、非正規の比率は16.5ポイント上昇した。15~34歳に占めるニートは5年前に比べて約1万5000人減ったものの、比率は2.3%と0.2ポイント上がった。

日本の社会が格差社会の様相を次第に明確にしてきた。アベノミックスはさらにこの傾向を深刻化することは間違いがない。リーマンショック以来の流れである。小泉改革の反省をしなければならない。韓国の実態を見なければならない。国際競争力に勝ちぬくグローバル企業の本質を考える必要がある。優秀で企業に役立つ人材と、そうでないその他大勢の人を峻別する社会。それでなければ、企業は生き残れないのだから、仕方がないだろうという合意。しかし、その競争に勝ち抜く企業は、グロバル企業であり、日本国の利益と一致するかは分からない。法人税の税率の引き下げの背景にある、それなら企業は出てゆくという圧力が常にある。しかし、日本で活動するものはすべてが、日本の社会インフラを利用している。どこが適正であるかは、国際的に共通とは言えない。日本には日本の事情があり、資源のそれほど豊かでない国としては、それなりの法人税が適正なのであろう。

法人税を得るためだけのタックスヘブン国。あるいは帝国主義時代に、十分な社会インフラを確立してしまった国は、日本ほど公共事業費を必要としないだろう。石油のような資源が潤沢である国。歴史的な慣習から、特別に法人税を安くしている国もある。日本は日本国として枠内に置いて、企業共々助け合い、支え合うようなものがなければ、競争に勝った時に、日本の良さが失われている可能性も高い。ブータンが幸福の国ということで、幸福に感じている人が世界一多いそうだ。その一番の原因は鎖国だと思う。1971年に国連に加盟し、1974年までは外国人の立ち入りを禁じ、鎖国を続けていた。インドと中国の間に存在し、国家の維持のためには巧みな外交力が必要であったのだろう。アメリカ、ロシア、中国とは今もって外交関係を持っていない。稲作を棚田で行うことや、仏教国であることからも、鎖国の経験からも、日本は学ぶべき点があるのだと思う。

ブータンの幸せを考えるとき、多くの人が信じがたいと考えるに違いない。ネットにもそういう考えが良く書かれている。その見方は一面では正しいのだと思う。すでに、桃源郷のような、隔離された幸せ国は作れなくなっている。世界の価値観が経済に傾斜している中で、経済的な困窮の中で生きることを選択することは、難しくなっている。すべての人が貧しいというのであれば、可能であるつつましい暮らしも、よほどの理念や宗教がなければ維持することは難しい。格差社会の問題点は、ここにある。同じ地域に暮らすものの生活のレベルが、極端に開きがあるとすれば、不幸や、不満を感じざる得ない。病気になり、高度医療を受けられ寿命を延ばす人もいれば、簡単な病気で死ななければならない人。みんなが同じ状況で死ぬのであれば、受け入れることもできるが、ここに経済から来る格差があるとすれば、安心立命は出来ない。

日本が目指さなければならないのは、さらに競争を激化するのではなく、この競争を終息させることである。中国も、韓国も、格差は日本より激しい。このことは必ず社会の混乱に向かう。人間はそういうものだ。アベノミックスがそうした競争に割り込むことは、国内の格差を広げざる得ない。少々問題があっても、原発輸出をせざる得ない。今参議院選では、この安倍自民党政権に支持が集まると言われている。日本人の選択が、格差社会だということだ。このことは自覚して投票してもらいたい。自分がおこぼれをもらえるかもしれないというのは幻想である。正規社員になれる人、国際競争力のある企業に勤務できる人。どんどん限定されてゆく。一部の有能な人だけでいい社会。大半の人が単純労働力となる社会。この方角は、ブータンといえども巻き込まれる可能性は高い。日本がほどほどの暮らしで満足する道を探ることは、地場・旬・自給ではないかと考えるのだが。

昨日の自給作業:大豆の直播2時間 田んぼの草取り2時間 累計時間:23時間
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする