地場・旬・自給

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稲の葉色診断

2016-07-31 04:09:55 | 稲作

1番田んぼから、7番まで。

稲の様子を見る一番の材料が葉の色である。自然農法で栽培をしていると、葉色が濃くなる。窒素肥料が多いいと葉色が濃くなり、倒れるということも言われる。田んぼは100枚100様なので一通りに判断することは出来ない。自分の田んぼの葉の色の変化をよくよく観察しておくことが、田んぼ管理には重要なことである。大きな変化としてはまず、葉色は田植えの時点では色は黄緑色で柔らかい明るい感じの緑である。早苗色という名前がある。それは今の機械植の箱苗の色ではない。苗床で育てた、5葉期の苗の色である。それは機械苗の黄色ぽさとはだいぶ違う。しっかりした黄緑色である。葉色を見るうえで重要なことは、5葉期の苗ならば5番目の葉の色が全体の色を作り出しているという事だ。4番目に比べ上にぐんと伸びるし、葉の大きさもぐんと大きくなる。おおよそ1週ごとに葉が出て、出立ては葉色が浅く葉が展開すると色が濃くなる。

10番を中心に左に11番、上が9番、半分切れて8番。

田植え直後の田んぼの色は水面が広く、ポツンぽつんと稲がばらまかれるので、頼りない黄緑色に感じる。それが一気に緑を増してくる。色を濃くしながら6葉が広がり始める。最初の葉は弓なりになりがちである。出来れば葉の厚みがあり、まっすぐに立ち上がればより望ましい。開帳型である。その後はほぼ1週ごとに7枚目、8枚目と葉を増やすがどの葉にも言えることだ。今は田植え9週目であるから、14枚目の葉が出ていることになる。8月に入るとそろそろ止葉が出てくることになる。田んぼの色は黄色みを増したり、緑を濃くしたり、呼吸をするように日々変化してゆく。水口は緑が濃い。ソバカスが多かった田んぼの淵も緑が濃い。苗床をやった田んぼは緑が濃い。緑肥が充分育った田んぼは緑が濃い。しかし、それも一応ではない。田んぼの中央のある分から黄色みが広がったと思えば、再度葉色は濃くなってゆく。新しい葉が黄色っぽく伸びて、陽に当たりながら葉色を濃くする。

生育が遅れているところも緑が濃い。また成育が良いところも緑が濃い。田んぼの淵が日照が良いために葉色が濃いという場合もある。遅れて、捕植した苗は色が浅い。葉色は田んぼの何らかの情報であることは間違いがない。主に、根の様子だと考えている。コロガシを入れると、そこは緑が増す。根が活性化するからだろう。草が多いいと、そのあたりは黄色が増す。田んぼを干すとやはり葉色は、黄色ポクなる場合が多いい。その後また濃くなる。こうした変化は土壌と根の関係なのだろう。目標としては、葉色は薄くならない方が良いと考えている。窒素が多過ぎるための緑色の濃さとは違う。堆肥だけで追肥をしない農法での、緑色は一定の濃さを保たないないようではよい穂は出来ないと考えている。自然農法で葉色が浅くなるようでは、根の活力が失われてきている兆候である。色が浅いから追肥をいまさらやるようなことは無駄である。

田んぼの色をよく観察したら、稲を握ってみる。硬さと量を手の感触で覚えておく。良い状態であれば、強い弾力で跳ね返すし、握り切れない量がある。大げさに言えばすすきのような硬さである。田んぼ11枚でそれぞれの硬さと葉色がある。硬さと色との組み合わせを積み重ねて置くことが重要。それが収量的にどう違う事になるのか。それによって、そこの田んぼの土づくり、水管理がだんだんわかってくる。田んぼの色は今出てきた一番最後の葉の色を強く反映している。田んぼの色は毎日変わるのだ。朝と夕方でも色が違う。葉は光合成をしている。根に活力があれば、すぐに色を濃くしてゆく。この時に吸収しやすいチッソがどの程度土壌にあるのかという事で葉の色は影響されることはあるが、自然農法では、追肥は行わない。追肥しないという事はむしろ秋落ちになる可能性がある。にもかかわらず葉色が濃いという事は、土壌が良い発酵を続けている証拠になる。葉色が落ちるようなら、要注意という事である。

 

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自分の絵を語る意味

2016-07-30 04:26:53 | 水彩画

水彩人では自分の絵をそれぞれに語るという勉強会を始めた。自分の絵について言葉することには大切だと思う。自己確認をすることが出来ればと思う。田んぼを描いて一つの点が稲に見える必要があるのかどうか。色であり、点であるという事には、意味があるのだろうか。稲を稲の意味を伴って描くということが、絵を描くという事に必要なのかどうか。純粋な造形の中では意味を伴うという事が邪魔することがある。人体という形を通して、造形をするという事がある。モナリザのように人間というものの意味性を探求している作品もある。そしてマチスやピカソのようにそのフォルムや色彩を重視し、人体という意味は後退してゆく絵画。さらに、意味を完全に捨てて、そもそもは人体を出発点にしたかもしれないが、形の動きとか、色彩のバランスとかいうものに、転嫁されてしまい、人体という図像としての意味を失うという事もある。私の頭の中は、行ったり来たりして煮え切らない。

時代共に絵画が変化してきた。宗教や権力のしもべとしての絵画の時代があった。そして、人文主義としてのルネッサンス絵画の時代。さらに自己表現の時代の近代絵画。そして商業絵画の時代が現代という事になるのだろう。商業絵画の時代は資本主義が存続している間は存在するだろう。芸術としての絵画とは言いにくい時代という事になる。次の時代は私絵画の時代と考えている。それぞれの人間の生き方としての絵画。それはもう個人的なことだから、別段時代というほどのものではない。絵画が芸術としての機能を失い、つまり表現としての機能を失い、個人的な制作に意味を見せる時代。私絵画においては、図像の意味はどうなるのだろう。自己確認が主たる目的になるから、顔に見える図を描いても顔という意識ではないかもしれない。顔には到底見えないものを描いて居ていも、意識としては顔なのかもしれない。夢の中の図像のようなもので、意味は常にあってなきがごときものではないか。

私が里山風景らしきものを描いているのは、里山という夢なのかもしれない。その場に自分が経ちたいというような、空気である。空気を描いているのだから、具体的な個々の意味は現れたり消えたりしてゆく。雲が山に成ったり、山が海に変わったり、それは自分の中ではごく自然な変化である。そして黄色の点が、花であったり、犬であったり、ただの点であったりする。それを心象風景という風に呼ぶ場合もある。しかし、心象風景と読んでしまうと違和感がある。それは夢で思い描くような美的な風景ではないからである。自分が暮らす生々しい現実感のある世界観を描いている。憧れたり美化したりする、心地よい風景を描こうとしている訳ではない。田んぼを描くという事は、田んぼの中で汗を流している自分を描いている。その自分の見ている泥の色や感触、飛び回るブヨ、足で血を吸っているヒル、田んぼを泳ぐヤマカガシ。そうしたすべてを含んで田んぼの形成する世界観がある。

その時に田圃がどうなるかだけが問題になる。白い枠になるのか。緑の斑点になるのか。結局のところ、その中にある渦巻いているベクトルをとらえようとしている。そのベクトルは現実の風景の中に存在する。だから、ただただその動きを写し取ろうとする。その一時的にできた図像はあくまで目をよぎった図である。数多くの矛盾を含んでいる。その矛盾を整理して、自分のベクトルに調和させてゆくことが、次の制作という事になる。その画面にはその画面の調和というものがある。それはもう見ていた世界とは、別物である。自分の中の世界である。しかし、現実の田んぼを見ながら、自分の世界の中の動きをとらえようとする。これは数学の問題を解いている感覚に近い。回答を求め、様々なアプローチをする。ところが、そこにあるのは回答ではなく、より大きな問題の在りかにたどり着くことになる。問題点が明確になることがあれば、それが絵が出来たという事だと思っている。だから、重要なことは自分の絵を自分で語ってみること。矛盾し、結論のないことで試行錯誤しているのかとわかる。

 

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障碍者殺傷事件

2016-07-29 04:02:31 | Peace Cafe

津久井湖の障碍者施設で、重複障碍者を狙った前代未聞の19人の殺人事件が起きた。友人のお姉さんがこの施設のそばの同じ法人の関連施設に入居している。ここは県営の施設であったものが、現在は福祉法人が外部委託で運営している。5つほどの施設を運営していると言われていた。今回の事件で障碍者が世間から隔離されてゆくことを心配していた。この方のお姉さんは一年ほど前に施設に入居した。私と同世代であるが、最近まで一緒に暮らしてきた。ついに限界に達し、大いに悩まれて、泣く泣く施設にお願いすることにした。何度もその選択を私に仕方がないと口説いていた。充分面倒の見れない家にいるより幸せだと言われていた。よく面倒を見られているので立派な人だと思う。入所は本当に辛そうだった。その施設が良い施設であると自分を納得されるように何度か話されていた。今度の事件後に気になって会いに言った時には、深い衝撃を受けていることが分った。管理が厳しいものになるに違いない。隔離されたようなことになるだろうと、どうする術もないと嘆かれていた。

この事件を犯人の個人的な問題にすることは出来ない。日本社会に起きている、深刻な病巣を反映したものだ。この施設で4年も働いていた人間が起こした事件である。しかも、障碍者排除の確信的な犯罪である。障碍者を排除することが、日本国の為になると、衆議院議長に直訴までしているのだ。ヒットラーを思い出す。イスラム国を思い起こした。オウム事件も思い出した。自分勝手な論理にはまり込んでゆく人間。初めから入所者を軽んずるところはあったらしいが、最終的に障碍者の安楽死を主張するようになって、退職させられることになった。その時、こういう事件に繋がることはだれか予測できなかったのものか。この犯人はインターネットを通して様々な意見を動画で掲載している。友人の証言もある。その痕跡をたどると、恐怖で吐き気がしてきた。人間の恐ろしさである。ここまで人間は残酷な論理に落ち込むものだと震撼した。それらの情報が一か所にまとめられれば、事前に事件を抑止できたことだろう。

世界中でこのようなことが蔓延を始めているのではないか。最近犯罪の傾向が変わり始めている。食べも物もなく追い詰められて、犯罪に走るというような原始的ともいう犯罪は減少し。親が子供を殺してしまうような、家庭内の犯罪の増加。そして、意味不明の無差別殺人。社会がどこかに追い詰められ歪み始めている。余裕が失われてきている。競争社会の結果起こる、格差社会が弱いところにその膿を吹きださせている。極端な競争社会においては、障碍者がお荷物だという意識が生まれる可能性はある。国際競争に勝つためには、人間を大切にするような価値観は失われてゆく。人間存在を物存在として、経済性の中で見てしまう。助け合い共存するような精神が社会から失われようとしていることが、障碍者排除につながったのではないか。これが始まりでなければいいのだが。

行政は建前として共存する地域社会を必ず主張する。しかし、その実態は行政の負担軽減という経済性が見え見えである。地域社会の喪失がこうした社会の歪みの原因になっている。本来の共存する地域社会とは、暮らし全体が助け合う形で出来ていなければ成り立つものではない。新たな地域社会を作り直す時になっている。暮らしの中で何らかの基盤を共にする、テーマごとに集まるグループを作り、共助の連携を作り出す。子供会は子供の暮らしや、教育という事で共通の目的を持てる。そこでの共助を地域の共助に繋げてゆく。農業をやる人であれば、農業の目的で集まることができるように、農協の中の協働性を再構築する。同じ趣味の集まりでもその集まりが、地域の共助の仕組みに繋がるようにする。ただそばに住んでいるというだけでは社会を形成できなくなっている。共助の精神が失われているから、自治会の解散すらできない状態なのだろう。

 

 

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少数派の自覚

2016-07-28 04:40:29 | Peace Cafe

これは実は選挙前に書き始めた。与党が3分の2を取るに違いない。(その通りになってしまった。)全く日本人はどうかしてしまったのだ。「悪いものと、もっと悪いものと較べろと言われても無理だ。」フセインとその後のアメリカとを比べてどう思うかと質問をしたときの、イラクから来た人たちの答えだった。民主党政権とアベ政権との比較はそういう比較であった。ダメだったものと、これからもっとダメにするものとを較べても空しいという事か。もちろん政治が悪いというより、日本が世界の流れに飲み込まれている。せっかくのチャンスを棒に振った民主党が民進党を名のったとしても、2度目はない。日本崩壊に向かうアベ政権では、尚更お先真っ暗である。何とか悲惨なことにならないでほしい。戦争に巻き込まれない程度の期待はしてしまう。たぶん私が生きている間に良い政治など期待できない。悪いなりに悲惨なことだけ起きなければ仕方がない。少数派として生き抜く手立てを見つけようと思う。

日本を諦める訳にはいかない。それではどうしたらいいか、3%の少数集団に期待する。どのような変わった考え方であれ、3%の仲間はいる。100人が一学年なら、3人はいる。東京の高校だったのだが、3人は農業に進んだ。今の時代さらに環境は悪いが、やはり3%の人は自給的に暮らしてみようかなど思っているのではないか。この3%で力を合わせることではないだろうか。97%を一時忘れているしかない。ほんの少数の3%の人間で、協力してこれからますますひどい状態になるだろう世間を、しのいでゆくほかない。私にとってどんな3%かと言えば、農のある暮らしに関心のある3%である。暮らしの中に農的なものを取り入れられる人だ。例えばベランダの鉢一つでも大切だと思う人との連帯。植物の成長。育てた野菜を食べてみる。そのことを暮らしの感覚で奥深いところで感じられるかどうかだ。そこには人間らしい文化に繋がる何ものかがある。そういうところから、小さな緩やかなつながりを保って、良く生きたいと思う。

少数派は多数派から異端とされるだろう。しかし、インターネットの登場で少数派も互いを確認ができる。当然少数派のさらに少数派だから目立たないが、それなりにいるらしいことは薄々感じられる。それもあってこのブログを続けている面もある。3%の中の3%ぐらいがインターネットに興味を持つのだとしたら、日本人の中に10万人くらいの人は自分と同類である。10万人いれば心強いものだ。上手くつながればもう孤立した潰される少数派とは言えない。新しい連帯、繋がり方である。八重山の文化は千人単位で生まれている。この偏屈で個性的な人間のつながりは、厄介なものではダメだ。時間を取られることもダメだ。ほとんど黙っているはずだ。でも確かに存在するのだから、いざという時に頼りになるはずである。かすかな連帯だけでも感じ合えるようにしたい。

このブログでも嫌がらせとしか思えない、コメントが続いた。コメントで嫌な気分になるので、残念ながらいよいよコメント拒否にした。ご意見ご用のある人は冒頭に表示してあるメールでお願いする。相当にひどいコメントだと思っても必ず連絡をします。意見が違えば腹が立つのは誰しも当然のことだ。私は櫻井よしこ氏の発言を読むと腹が立つ。然し無名で批判などしない。名前を出して批判をするか。無視するかである。しかし、自分の名前を出さないで、批判的発言をする人とはかかわりたくない。たぶん、自分の批判が他の人にも見えなくては面白くもないだろう。自分がいかに賢く批判が出来るかを見せびらかしたいという事に動機があるとおもう。それを隠れてやるという気持ちには賛同できない。しかし、日本はそういう人が多数派の世の中になってしまったのだ。

 

 

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夏の甘酒の作り方

2016-07-27 04:45:43 | 自給

江戸時代は甘酒は夏の飲み物であった。冬温めて飲むのもおいしいものだが、夏冷やして飲む方もなかなか良い。甘いものが大切だった江戸時代、どれほど有難たい飲み物だったか。夏バテというものがある。暑くなる前に気おつけておく。夏バテの要因は夜暑くてよく眠れないとか、外が暑いので家でダラダラしがちという事がある。暑くても我慢して適度の運動をする方が良い。汗をかいてミネラル不足になるが、汗をかくという事が循環を高めるという事で夏には必要なことだ。そして汗をかけば水分をたくさん取りたい。そこで、麦茶と玄米甘酒である。これを飲んでいればまず間違いない。麦茶ばかりでは飽きるので、甘酒と交互に作ることになる。玄米甘酒は簡単にできるものだ。冬の間に麹はまとめて作る。味噌を仕込むときに、12キロぐらい米袋方式で作る。玄米と言っても少しだけ精米してある。味噌で半分使い、後は冷凍しておく。甘酒の味は、白米の場合と玄米ではだいぶ違う。玄米の方が野趣がある。お酒が良く精米するという事の意味が理解できるようだ。

冷凍麹を取り出して来て甘酒を作る。作り方というほどでなく実に簡単にできる。1リットルの水を大きめの鍋で65度のぬるま湯にする。そこに一晩だして置いた麹1キロを入れる。良くかき混ぜながら、再度65度になるように弱火で温める。この時すぐ焦げるので良くかき混ぜる。注意深く温度を上げてゆく。温度が上がったら、保温ジャーに入れる。保温ジャーをさらに毛布などでくるんで置けばなおよい。昔はお櫃に入れて、毛布でくるんでいた。10時間すれば出来上がる。15時間でも、時間は適当で大丈夫である。開けた時に温度を測ると、50度くらいあれば最善である。味見をして、甘みが足りなければ、一度冷蔵庫で冷やして、再度65度に温度を上げて、10時間置けばさらに甘くなる。麹と同量の炊いたご飯を混ぜる方式もあるが、この方が甘くするのが難しい。出来上がったものはペットボトルに入れて、冷蔵庫に入れておく。これを氷水で割って飲む。3,4倍に増えるので、1キロの麹で3リットルくらいの飲み物になるのだろう。爽やかな甘さが答えられない。夏バテ気味の時にはもってこいの飲み物になる。

生き物なのですぐ味が変わってゆく。少し時間を置いた方がコクが出ておいしいとも思う。時間経過で酸っぱくなる。新鮮なうちに飲み切るという事で、200㏄程度作るのも良い。水200㏄を65度まで上げて、麹200グラムを入れる。この程度なら、小さな保温水筒で出来る。水筒を車の中に於いておけば、夏なら問題なくできる。蓋は緩めにしておくこと。夏はヨーグルトも車の中で作っている。ヨーグルトも最初牛乳を45度くらいまで温めて置いて、そこに種のヨーグルトを加えつくれば、保温水稲で簡単にできる。面倒くさくなければ、少しづつ作る方が気に入った味のものが飲める。面倒だと思う場合は、大量に作り、一度100度まで上げて、発酵を止めてしまう。そうすれば味は変わら無くなるが、菌も死んでしまうので少し残念な気がする。出来た甘酒を蓋の付近までペットボトルに入れて、冷蔵庫に入れておけば、1週間は味が変わらない。

スーパーで甘酒として売られているものも似たような方法で作るのだろう。味はよく似ている。増量の為に、炊き立てのご飯を加える方法もあるが、甘みを強くするのは難しい。麹が家になければ、麹もスーパーで売られているのでも作れる。余りに美味しいのでついつい大量に飲んでしまうところが要注意である。カロリーが結構高いと思われる。糖度は40度にまで上がる。この場合、甘酒を6、7倍まで薄めると良い。それでも十分甘さが感じられる。むしろ爽やかな甘さと感じるかもしれない。私は栄養補給のつもりで、普通は2,3倍に薄めて飲んでいる。水代わりのつもりで薄めて飲んでも、熱中症対策には十分である。甘酒を飲んでいると、どぶろくの方につい気持ちが行くが、どぶろくは作るのが難しすぎる。失敗のない美味しい甘酒の方で我慢しておく。甘酒を飲めば夏バテどころか、夏こそ元気である。

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江戸時代という自給世界

2016-07-26 04:08:18 | 自給

江戸時代を飢饉と農民一揆の時代として教えられた中学の歴史を、おかしいことだと思ったのは、チャボを飼い、金魚を飼ったからだ。こんな素晴らしいものを作り出した庶民に余裕がなかったわけがないと思った。江戸時代をひどい圧政の時代としなければならなかったのは、明治帝国主義の富国強兵推進である。江戸時代より農民は苦しいことにしなければならなかった。急激な帝国主義的な国家体制の強化をした明治時代はとことん農民は搾りあげた。江戸時代どころではない飢饉の頻発。明治維新で日本は良くなったのだという教育が無理やり行われた。江戸時代の自給の循環社会を悪い時代として、消し去ろうとしたのだ。脱亜入欧の思想形成も日本の近代化という流れを強調するあまり、伝統的日本の文化を軽んずる傾向を作った。江戸時代の農民は余裕のある暮らしをしていた期間の方がはるかに長い。そんなことは一日1時間の自給生活をすればわかることだ。年貢は明治の税金より低かった。

そして、極めて高い文化的な社会の中に暮らしていた。それは現代社会よりはるかに高いものだ。八重山民謡を聞いてみればわかる。むしろ日本の社会は明治以降、西洋文明を受け入れることに躍起となった。日本人であることの価値を見失ってきた。世界でもまれにみる、自然と融合した里地里山文化を、土着的自然信仰を残しながら、同時に科学的論理性を持ち合わせた社会を作り出していたのだ。近代化された世界のはずの現代は、企業の利益主義によって能力競争の正義に席巻されている。人間として大切にしなければならない文化を忘れ去る危機に陥った。人類は勝者と敗者に分かれ、格差を広げ始めている。もう一度この能力主義を見直すためには、江戸時代の人間らしい暮らしを思い返し、探ってみるほかない。それは、自給的生活を30年近く模索してきたものとして、生活の実際から主張したいところである。人間が幸せに生きるためには、人を蹴落とさなくとも可能だという事だ。

TPPによって、アメリカ経済の支配下に日本は置かれることになるだろう。企業立って、日本人が居なくなる。能力主義の正義は強いものの正義だ。国ごとに同じ条件でないにもかかわらず、それを人間の能力の違いにしてしまう。TPPは企業活動にとって都合の良い考え方なのだ。EUからのイギリスの離脱を見てみればわかる。EUという仕組みはドイツという有能な国が独り勝ちする結果になっている。ドイツが移民労働者を有効に取り入れられるのは、東西の合併の経験が生きている。それだけの労働市場が準備されているという事だ。アベ政権は失業率の改善を手柄のように主張しているが、笑い話のようだ。新規就労者数より、実質の退職者の方が多いい時代になった。むしろ労働人口をどのように増加させるかが課題なのだ。今後移民労働者を入れなければ、日本の企業が外に出てゆくと主張することになる。そういう基盤がTPPによって作られるという事だ。そして、日本がアメリカの支配下で、そこそこの立場は与えられるだろうが、すべての分野でアメリカの一人勝ちになってゆくはずだ。

日本の財政破綻はすでに手の打ちようのないところまで来ている。企業の活動を後押しするための公共投資をし過ぎたのだ。土建業の活性化を公共投資として、労働力不足を招いた。公共事業を景気対策として、道路や鉄道や橋や港湾の整備をするのは、企業活動の支援でもある。その恩恵は大企業は一番に受けている。当然日本の法人税は社会基盤が整うまで、もっと高くせざる得ないのだ。植民地支配で社会資本を充実した国とは違うのだ。それが嫌な企業は日本から出て行けばいい。日本に来て活動したいという企業でやればいい。外国との比較ではなく、日本という国家として、自給的な成り立ちを第一義として考える必要がある。このまま日本文化を失い続けるのであれば、日本国は一体何を守ろうとしているのか。現代の科学的成果を上手く受け入れながら、文化国家としての独立国家を作れないものか。

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自国主義の広がり

2016-07-25 04:21:38 | Peace Cafe

トランプ氏がアメリカの大統領になりそうだ。その時日米同盟はどうなるのだろう。核保有をしろと言われて日本はするのだろうか。世界中で自国主義が大手を振って主張を始めている。イギリスではブリテンファーストという極右団体が、EU離脱を主張したそうだ。自国主義と右翼は同根なのか。そしてイギリスは2年後のEUを抜けると決まった。その背景にあると思われるものは、激増する移民や難民にある。世界の貧困と格差の広がり。イギリスでは東欧からの労働者の流入が問題らしい。シリアを中心にしてイスラム諸国の政情不安からくる難民。イスラム国の暴力主義のエスカレート。またそこに複雑に介入する、世界の大国。国家間の経済格差の拡大も今後さらに広がる。各国の国内での格差も広がる。階級社会の固定化が見え始めている。国際競争に勝利することだけが、自国の経済を安定させる道だという事になっている。TPPはアメリカの一人勝ちになるだろう。自由な競争であると言いながらも、国家の潜在能力を超えることは出来ない。そして国家を超えた大企業との関係が見えない。

イスラム社会の混乱の原因は、石油資源であろう。石油資源がたまたま存在した国が、勝者になり、富裕層が存在する。自由な能力競争の前に、資源による格差が立ちはだかる、絶望的な構造。そこに石油資源の利権をめぐり、経済大国と石油企業の力学が働く。そして、その圧倒的な序列を決めていた石油が揺らぎ始めた。脱石油の時代が視野に入ってきた。大きな動揺が渦巻き始めている。その混沌の中で、暴力主義が広がる。難民は増大し、ヨーロッパへの避難が起こっている。ヨーロッパ各国とも大量に押し寄せる難民に苦慮するなか、自国主義の台頭が起きる。難民とヨーロッパ各国の伝統的な社会の軋轢。移民労働力によって支えられるヨーロッパ社会の現実と同時に、安定化した保守的な階層社会に動揺が起き始めているのだろう。そして、自国主義の台頭となる。

自民党の保守主義は、日本という国柄をどのように考えているのだろうか。果たして、保守主義と言えるような、守るべき日本が根底にあるのかが疑問。農業分野に外国人労働者を入れることには、反対である。食糧自給は国家の基本だからである。外国人労働者で維持される食糧は輸入食料と同じことだ。しかし、現実には不法就労者として、着々と外国人労働者が農業分野に増加している。政府は国際競争力のある農業を目指し、大企業の農業参入の前提として、すでに、外国人労働者を受け入れる方針のように見える。アベ政権の日本主義はちぐはぐで理解しがたいものだ。日本の保守主義者は、外国人労働者を、国際競争に勝つために必要としている。アベ政権は、保守主義者というより、企業主義者と呼んだ方が良いのではないか。一体自民党憲法草案が明治憲法を目指すとするなら、それは失敗した日本主義ではないのか。

なりふり構わず、利己的に生きる国家では、世界はたちまち戦争に陥るだろう。自国主義という意味では、農業は自国主義でなければならない。プランテーション農業のアメリカが何故自国主義を主張できるのだろうか。単なる利己主義なのではないか。農業は自給主義が根底になければならない。自給は個人で始まり、地域での自給、そして国での自給で終わる。それが健全な社会であり、健全な国家である。日本の国柄が瑞穂の国だったという歴史。イスラム圏が石油という国際商品によって、本来の国柄が失われ、イスラム教がゆがんでしまったのだろう。日本も、世界企業という国を超えた利害を求める存在によって、国柄が不安定になり始めている。一見日本主義者に見えた、アベ政権は実は大企業政権そのものだった。日本の国を守るよりも、明らかに企業の利害に動かされている。そしてそれが日本全体の利益にいつかなるなのだと、弁解ばかり叫んでいる。

 

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私の水彩画の描き方

2016-07-24 04:18:18 | 水彩画

これは笹村出が絵を描くとき心にとめていることである。他の人には害になるばかりなので参考になるようなものではない。農作業をする時は絵を描くつもりで。畑をやっているときには畑を画面だと考えて作業をする。土を耕せば土の感触や色を絵にしたらどうなるかの観察を続ける。種を蒔けば、どのように発芽するのか、どのように土を押し上げるのか、その勢いのようなものがどういう力なのか、絵に於いてその力のどうなるのか。そういう作物の生育のエネルギーをどう描けるのか。田んぼでは、土壌と水のかかわりをよく見る。その変化し続ける状態を繰り返し絵にしてみる。稲の芽が出てから田植えまでの土壌の色の変化を、稲の色の変化。何故色が変わるのかその意味の必然を絵ではどう表現できるかをやってみる。田植え後の色の変化がなぜ起こるのか、葉が一枚出るごとに稲一本がどう変わるのか、そして田んぼ全体ではどのようなことになるのか。田んぼの中に起きる緑の色合いの違いがなぜ起きて、絵に於いてはどういう事になるのか。

里山がどのような状態であれば、良い耕作地になるのか。そういう関係がどういう調和状態に見えるか。雑草と里山の管理され樹林はどういう関係になるのか。そして松や杉檜で植林の行われた山の姿は、どうあれば良いのか。循環してゆく自然と、手入れの関係が、どのように表れているのか。良い里山のバランスというものはどのあたりにあるのか。人を取り巻く自然はどのようなものが、心地よいものなのか。その心地よいを絵にできるものか。呼び覚まされ、描きたくなる不思議なものを見つける。安心してごろ寝が出来るような自然。夜寝転んで星を見上げられるような里山。自然と人間の折り合いのつけ方。そういうものは絵としてはどういう事になるか、それを体で分かるという事。私絵画は描きだす前の自分という人間のことだ。

絵を描くときは、一切何も考えないで一気にかけるところまで描く。様々なことが頭に湧き上がるが、出来るだけ拘泥しないように流し去るようにして、ただただ絵を描く道具になったようなつもりで描き進める。おおよそ、1時間30分から2時間くらい描いて、描きだした思いは尽きる。その時はそれ以上のことはしないようにする。描いた絵は部屋の見えるところに立てかけて置く。納得の行っている絵を回りに置いておく。絵から呼ばれるまでそのままにしておく。ああしてみたらとか、こうしてみたらとか気づくことも受け流しておく。1か月か、2ヵ月か、したころ、不意にこの先をこう進めたいという結論が出たような気になる。その時に描き継ぐ。直すような、修正するような気持が湧いた時には間違っても絵を描かない。描き継ぐことで画面は初めて絵になってゆく。これはアトリエで行う時と、また現場に持って行ってやるか。これもその時々のことだ。

描き継ぐ内容は画面の動きを見出して、その動きを整理するという事らしい。その画面を無意識に作り上げた自分がどんな動きを見つけようとしたのかを、再度解きほぐし、どうすればそのことが浮かび上がるかを考えている。それは自分が描こうとする、私絵画と、眼前にある絵との調整のような、交渉のようなものだ。画面というものの中にある動きを探るという事。一枚の絵の中には、画面の場所がある。その場所が正し位置にあるか。明度の加減、色の濃度、面の方向、線の勢いの方向。それらのすべてが収まった時に画面は出来上がる。その絵に於ける大きな動きを捕まえない限り、そのあるべき場に収まらない。大きな動きは自然にの中で発見出来るものだが、それがひとたび画面の問題になった時には、純粋に画面上の問題に変わる。これらのことを考えているときには、そのものの意味は、つまり木であるとか、草であるとかはほとんど関係しない。純粋に色であり、線である。

 

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西表島稲葉の稲作が沖縄で1番

2016-07-23 04:21:16 | 稲作

沖縄県全体の田んぼ面積は850haで年々減少している。西表島の田んぼの面積は77ヘクタール。以前は現在の4倍はあって、300haぐらいではないだろうか。一反で一家族として、かつては3000家族が自給できたことになる。現在でも770家族が自給できる、自給の島という事になる。人口は2000人で微増傾向。平年の反収量が5俵ぐらいである。私の見た所ところ徳農の田んぼで7俵ぐらい。西表島は世界遺産に向けて自然保護の計画が立てられている。

西表島の唄は日本の最高の唄の一つである。そのことの意味は稲葉の暮らしの聞き書きを読むと、少し理解できるところがあった。西表の原始の暮らしとも思われる暮らしの中に、豊かで特有の文化が感じられる暮らしがあった。里山文化と違う偉大な自然に囲まれた島の文化と言えばいいのだろうか。稲葉における、稲作は沖縄で一番の優れた農法にまで完成されたものだった。西表の深い森が豊かな土壌と水を作り出している。稲作というものが人間の努力に良く応ずてくれる農業の形態なのかがわかる。稲作は人間が暮らしに適合し、努力の甲斐のある農法だ。稲葉の農業は1970年まで行われていた。隣の仲良川中流域では古くから良田があった記録がある。仲良田節が残されている。たぶん、1600年ころには始まっている。久野の田んぼと同じくらいの歴史でないだろうか。稲葉でも田んぼがあったのかどうかは分からないが、存在したと考えた方が自然である。稲葉には全体で20ヘクタールくらいの耕地があったようだ。そして16家族が暮らしていた。(聞き書きを読んでの推測なので正確なものではない。)

その中にとても熱心な後濱さん兄弟がいて、独力で戦後の稲葉の稲作を作り上げたようだ。2万1千坪まで稲作をやったとある。7ヘクタールまでやっていたという事になる。郵便局長の3倍の収入があったと書かれている。その稲作の方法はむしろ、沖縄や離島の農業として他から学ばれるものにまで完成されたものになった。沖縄県1位になったことが2度あった。西表島、西浦川に沿って川を5キロほど島の内部に入ったところに稲葉集落があり、その周囲に田んぼのあった。空撮の映像がUチューブに出ている。千立、祖内という古い集落が西浦川の河口の西側にある。この周辺には田んぼと田んぼだったところがある。電柵が張り巡らされていて、猪の害がひどいという事だった。稲葉の聞き書きではリュウキュウイノシシ猟が盛んで、60頭捕った話が書かれていた。狩猟が盛んで昔は田んぼまでは猪は来なかったのだろう。猪は捕る人が減ったのですごい数になったと言われていた。

稲葉の稲作はほとんど手作業である。手植で手刈りである。これを16戸のユイマールでやっていた。千立、祖内からの出作りもあった。アダンの林の伐採から始めて、徐々に耕地を広げていったようだ。もちろん開墾はすべて手作業である。10年前の空撮の写真ではすでに、稲葉集落は跡形もない。たぶんこのあたりの平地が田んぼだったのではと推測できる場所がある程度だ。棚田になっていたようだ。一枚が意外に広そうである。1970年までは日本が稲作で生活できた時代である。沖縄本島にもまだ田んぼがあった。稲作日本一の表彰が行われていた時代に、機械を使わない稲葉の稲作が沖縄県一になった。つまり豊かな土地であり、豊かな水であったのだ。肥料も農薬もほとんど使わなかったらしい。基本的に機械を使わない江戸時代の稲作であっても、収量的には今より劣るという訳ではなかったという事を証明している。

熱帯の有機農業の稲作は困難と言われるが、稲葉の事例を見るとやり方はある。稲葉で困難だったことは水害。西表では炭坑や林業が明治時代から盛んで、稲葉集落ができるより前にもう少し上流に、稲葉よりもかなり大きな村があった。営林署の集落や、炭鉱の集落があったが、いずれも水害で大きな被害を繰り返し、誰も住まなくなったたらしい。古い時代には、山の中であれ、離島であれ、田んぼが作れるところには人は暮らすことが出来たといえる。明治以前の西表の稲作の状況はよく分からないが、唄に残されたように暮らしの中心にあるものだったことは確かだ。現在、西表島は世界遺産を目指す自然保護の島である。それは島民の気持ちなのかどうかを別にして、動き出している。農業での島起こしと自然保護をどう共存できるのだろうか。

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恵まれていると思えること

2016-07-22 04:39:58 | 自給

人間は欲望は限りない。その人間の欲を利用して、競争に駆り立て勤勉に働いてもらおうというのが資本主義の原理である。欲というものはこれで足れりという事はない。大金持ちの多くはあくなき欲望で生きている。お金がないものは諦めることに慣れる。テレビではスポーツ選手が大金を手に入れたので、贅沢をして若い人が憧れるような存在になりたいと自慢げに発言していた。お金持ちになりたいから頑張るという考えが、当たり前のように語られる時代になった。こうして人間は滅亡に向う。温暖化や原子力はもう止められないだろう。欲望の範囲を決めなければ、競争の果てに人類は滅亡するのも自明の理だ。加速的な科学の展開によって、人間の欲望が人間を滅ぼす時期が見え始めている。それでも、競争に勝たなければならないと信じこんだ人がいる。国際競争に勝つという価値を至上命題として掲げ、一番を目指して、2番では無意味だとして、競争に翻弄される人間。

自給自足の足るは、自分というものの範囲を知るという事である。自分の範囲以上に生産を広げないという事である。自分の生き方として、自分の内部の限界に向かって努力するという事が出来るかではなかろうか。他者と較べない生き方を確立。他者の評価から自分を判断しないという事になる。絵画は市場としては1番以外に要らないかもしれない。しかし、絵を描く事の豊かさは、ひとりひとりのものである。絵を描く豊かさを知る事が出来れば、何にも代えがたい喜びを見つけられる。それは人より上手であるとか、絵が高価に売れるなどという事とは、別のことなのだ。自分の絵を描いて居るという実感が及ぼす喜びほどの物はない。何十年もかけて努力し、頭を使い、やっと見つけられる喜び。その自ら作り出す喜びを知るという事が自給自足である。唯一無二の人間存在としての、自覚した自己を深める喜びほど崇高なものはない。

人間の欲望に際限がないのであれば、最小限の所で自足した方がましである。最小限とはどのくらいのことだろう。お米は一日100グラム。麦は50グラム。卵、ジャガイモ、玉ねぎは1個づつ。後は季節季節の野菜があれば、魚と肉は時々位で何とかなる。とすれば、人間一人100坪の面積で自給自足できる。日本人が1億3500万人だから、自給自足できる450万ヘクタールの耕地面積が日本にはある。耕地面積は年々減っているが、幸い人口の方も減少である。豊かな日本列島である。食糧生産には一日1時間で可能だ。私が今書き残しているようにやればできる。江戸時代からの伝統農業に近代的な科学の成果を加えた循環できる農法で行う。毎日、一時間の農作業を行うという事は、健康体操位の範囲だ。あとは普通に会社に行こうが、絵を描いていようが構わないだろう。もし、日本人が足るという事を知り、競争から離れたとしても、充分人間らしく豊かに暮らせる日本列島である。

30年間かけて、100坪で一人の人間が自給自足できるという事を実証実験してきた。技術が未熟な間は、2時間かかった。それでも体力もさしてない、全くの未経験者が自給自足までたどり着くことが出来た。この自給自足には協働が必要である。ユイマールである。孤立して生きることができるすごい人間もいるだろうが、普通の人間は助け合う事で自給自足が可能となる。ここまで来て見て、江戸時代の日本の百姓がすごい人たちだったのだと実感できた。その素晴らしい自給技術が消え去ろうとしている。近代農業では克服されるべき農法として否定され忘れ去られた。そして国際競争する企業農業によって、完全に忘れられる運命のようだ。それは足ることを知れば、競争する国家には不都合だからだ。競争を止めることを資本主義というものは良くないこととする、運命にある。全体が良くなることはないとしても、志のある者が助け合うしかないという事なのだろう。

 

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田んぼの定点観測

2016-07-21 04:41:40 | 稲作

ここ3年、欠ノ上田んぼの定点観測をしている。同じ日に、同じ場所の写真を撮り、その年の状態を記録している。田植え50日、穂揃いまで30日という地点の7月20日である。穂ばらみ期という事になる。重要なことは分げつが充分取れているかどうか。株の大きさがどこまで来ているか。株の硬さはしっかりしているかなど確認する。余り分かり良い写真ではないが、ないよりは増しだ。今年はここまでの日照が充分で、谷戸田としては恵まれた状態だと思う。

1番から11番田んぼまでの写真。最初が全景で次が北東角からの株の写真。

今年

 

去年

1昨年

1番は、1昨年の写真。昨年のものを比較に載せてみた。1番は明らかに今年が一番良い。

2番田んぼ真ん中

 3番田んぼ

2016

2015

2014

今年の方が茂っている。茂っているが乱れもある。

 

4番田んぼ

下は去年の4番

5番の3角田んぼ

6番田んぼ

水が湧いていて成育がかなり遅れている。

7番田んぼ

 

8番田んぼ

 全体にコナギが多く乱れが大きい田んぼ。

下が9番田んぼ

成育が揃い良い状態。

下が10番田んぼ

10番の昨年が下で、上は今年である。昨年は24センチ角うえで、今年は29センチ角なのだが、今年の方がラインが見えなくなっている。

今年の10番田んぼ

去年の10番田んぼ

2014年のとてもよかった10番田んぼ

11番の喜寿糯の田んぼ

11番の上が今年でしたが去年だがこれはよく似た状態か。

 

 ここまでは日照が充分にあり、生育は順調と言えるようだ。ここで水を止めて、様子を見ることにした。1日止めていたら、雨が強くなって、今朝はまた水が溜まっていることだろう。

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間断灌水に入る。

2016-07-20 04:04:31 | 稲作

田んぼは7月20日に間断灌水に入ることにした。このあと朝の内に写真を撮り、そこで水を止めたい。穂揃いがおおよそ8月20日だから、1か月の間稲の中で育っている穂を大事に育てるつもりで、間断灌水をしてゆく。現在の生育の状態は畝取りした一昨年と同じくらいである。但し、植えた稲の数が、30%少ないのだから、一株は16分げつ平均で在った株が20分げつ以上になることが目標である。数えてみると30分げつもある大株もあれば、4つぐらいにしかなっていない株もある。全体のばらつきが今年は目立つ。この状態は田植え以来変わらない。葉色の変化はまず一度色が濃くなった。例年濃いままのところが水の冷たい水口などである。今年はこれに加え肥料が多かったところかなと思われる場所も色が濃かった。そして徐々に新しい葉が色が浅く出てくる。そして再度濃くなってゆく葉がある。この繰り返しが続き、全体に色むらが生じている。

例年7月20日を基準観測日にしている。この日写真記録を取り、比較できるようにしている。田植え後50日経過したところで分げつは目標に到達してほしい。そしてこの後穂揃いまでの1か月でどれだけ穂が出て、大きな穂になるかである。収量という意味では一番重要な難しい水管理になる。この時期土壌が良いものになっていれば秋落ちのようなことは起こらない。例年穂肥のような追肥はしない。良い土壌とは、冬の緑肥が堆肥化して十分に分解が進むという事になる。そして間断灌水しながら、窒素分を稲の根が吸収しやすくしてやる。間断灌水の仕方は、まず十分に水をためる。いっぱいになったところで水を止める。その後タテ浸透水がするのを待つ。この期間は土壌の状態で違ってくるが、2日で水が無くなるのであれば、無くなったところで又水を満杯にしてやる。稲に水がそろそろ引いて来るぞと合図を送ることになる。稲はすでに幼穂を育んでいる株もあれば、これから分げつをする株もある。この遅れてくる分げつによい穂をつけさすことが大切である。

土が3ヵ月の間湛水状態が続き、還元状態になっていると思われる。然し歩いてみてもそれほど湧いている様子はない。やはり棚田でタテ浸透が大きいから土壌の還元化は起きにくい。それで中干はしなかった。そしていよいよ土用干しの時期が来た。両者を別段分けて考えることもないが、一応後にやる干しを土用干しと呼んでいるようだ。土用干しと言うより、間断灌水に入る時期と考えている。土壌の沸きが少ない3つの原因は、タテ浸透の大きな土壌、ころがしが充分行われているという事と、土壌の微生物が豊富に存在しているという事がある、希望的観測であるが光合成細菌も存在している可能性はある。土壌の表面に煙が経つような細かな土がかなりあれば、微生物の活動が盛んという事だ。良い土壌管理を続けていれば、トロトロ層もそれなりの厚さに出来上がってくる。

間断灌水は大きな穂をつけることを促すという気持ちだ。川の水位変化が増えてきて、秋の渇水期に入る合図を与える。土壌を乾かしては新鮮な酸素充分の水を入れることで、土を活性化させる。入水としては、思い切って水尻から水を流しだすように多めに行う。排水の堰は最大限高くしておく。そこから水が流れ出るように管理する。つまり一年で一番水を多く使う。一晩流し続け、充分たまったところで水を止める。たぶん、一晩で水がたまるので、最近夜が暑くなるのでその対策も同時に行うことになる。タテ浸透だけでどの位で水が抜けるかは、おおよそ2日である。この期間は安定はしない。3日目の夕方また水をどんどん入れる。出穂が始まりまた、穂揃いなれば水は切らないようにして、花の時期を過ぎる。この後間断灌水の度合い強めに変えながら、徐々に乾かして稲刈り前まで持ってゆく。と書きながらやってみないとわからないなと。

 

 

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大麦、麦茶の作り方

2016-07-19 04:25:01 | 自給

大麦は毎年作るのだが、今年は家の畑に作った、大麦は家の畑では2畝ぐらい作って、50キロ以上は取れる。麦茶が目的なので、二条大麦である。いわゆるビール麦として購入し、自家採取を何度かしている。去年は大麦を田んぼに緑肥として蒔いて、上手くできたが、2条大麦は少し寒さに弱いようだ。今年田んぼに蒔いた方は全く収穫が出来なかった。家の畑の方はそれなりにできた。肥料が不足したという事もあるかもしれない。田んぼに麦を蒔くなら、田んぼに堆肥を入れて耕し、播種器で撒かなければ、うまくできない。そもそも、ビールを作ろうというので作っているのだが、ビールを作るところまでは進めなくて、結局は麦茶にして飲んでいる。夏の間の麦茶はとてもいいものだ。家で作る麦茶は買うものとは全く違う。子供の頃家で麦茶をよく飲んでいたので、買った麦茶では飲む気がしない。良く炒るのがコツなのだが、この炒るのが案外大変である。

前は家で飲む都度ホットプレートで炒っては麦茶にした。しかし、麦茶はよほどよく焙煎しなければ味が出ない。少しこげ過ぎかというほど炒ってから、こんなに一辺に麦を使うのかというほど入れる。ヤカン1杯に1合である。濃い麦茶にすればおいしいのだ。麦茶で大事なのはあのおいしそうな色だ。濃い目の色がおいしい目安である。子供の頃は20リットルくらい入るヤカンで一日分の麦茶を早朝に作った。そのころ家も人が多かった。これを一日でみんなが飲む。冷房などないから、夏は大いに汗をかく。湧き水の所にヤカンごと浸けて置いて、何かと麦ちゃをがぶばぶ飲む。もぎったキュウリに味噌をつけてかじりながら麦茶を飲む。あの味を思い出すもので、夏の麦茶は必需品である。

今年は大量に作りたいので、媒染器を作った。ドラム缶を2つ割にしたものだ。昨年は焚火の上にバーベキューの鉄板を並べてやったがかき混ぜにくく、結構時間がかかった。それでもホットプレートよりはだいぶましだった。少し焦げたかと思うくらいに炒る必要があるので、今年はドラム缶の媒染器を作った。ドラム缶を縦割りにした。そこが丸るいのでかき混ぜやすいし、火の回りも良い。1回8キロぐらいを入れた。1時間ぐらいかき回していた。もう少し黒くしたかったのだが、そんなに焦がしたらダメだという意見が多くて、少し浅いかなくらいで終わりにした。これを小分けして、冷凍しておく。これから1か月毎日飲みたいと思う。麦茶は本当は炒りたてがおいしい。然し毎回炒るのはよほど面倒なので、まとめて炒ってしまう。炒ったものは冷凍保存しておく。冷凍しておきそのまま煮出せばひと夏は問題なく使える。今年は量が多そうなので、真空パックして冷凍するつもりだ。

 

麦茶づくりに9時から12時までかかったが、みんなはその間に草取りをしてくれた。今年は例年より草が多いいという事だった。理由は2つあると思う。浅水管理と株が29センチ角で植えられていて、田面によく日が当たったことがある。今回良く抜いてくれたので、この後は良いかと思う。完全草を抑え込むことは難しい。またある程度草が出ないような状態でないと、良い稲作にもならないかとも思う。この後一度乾かそうかと思っている。土用干しである。土用干しからあとは間断灌水に入る。稲穂が育つ時期だから、一度貯めた水をそのあと落水する。これを繰り返すことになる。

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憲法の改定の仕方

2016-07-18 05:00:04 | Peace Cafe

国会議員の3分の2以上が憲法改定派になった。特に自民党の中には、日本を明治時代に戻したいと考えているような、憲法改定の核がある。その核は静かな独裁への革命を目指している勢力なのだろう。その核は日本の大企業と連動しているとしか思えない。つまり、日本の国家主義者であるなら、TPPを推進するわけがない。アメリカの属国のままであることを良しとできるわけがない。この矛盾した動きから、どうもその実態が何であるかがつかみきれない。日本創成会議とかいうものがそれの表れだという人も良くいる。そうなのかと思うが、それだけではないなとも思う。よく分からないがその方角は、自民党憲法草案なのだろう。天皇は元首という事である。そこで、選挙が終わった途端に、天皇の生前退位という事が言われだした。平成天皇がまさに日本の象徴として、立派な思想を持ち、平和主義者であるがために、その明治の御代に戻したいとする人々と相容れないのではないだろうか。

天皇退位のテレビ報道の出方がいかにもおかしいではないか。これは例のNHKのおかしな籾井とかいう人物が動かされたのだろうか。特におかしいいのは、この件に関する、安倍総理や菅官房長官の発言である。微妙な問題だから発言を控えるとしている。ところが宮内庁長官は天皇は生前退位の考えがないと説明している。そして、あれこれ憶測記事が出ている間に、天皇がどこかのタイミングで会見するという事になったようだ。憲法改定とつながった動きと考えるしかない。天皇を元首にするという意図を基に、憲法改定と皇室典範の書き換えを行うという事がある。憲法を変えるという事の一つには、政教分離を憲法で明確にあげる。これで公明党は無くなる。イスラム教のテロの問題から、こういう動きが生じる可能性は高いだろう。公明党は愚かな組織だから、そういう意図を見抜くことができないで、みこしを担いでいて、切り捨てられる場面に気づいていない。

公明党は今後憲法改定に慎重になるはずだ。公明党は与党から最終段階で切り捨てられる。切られてもどうしてもしがみ付くだろう。そして大阪維新や民進党の一部が改憲勢力として、動く出す。登場し憲法は発議されたらば、変わると考えておくべきだ。憲法に関心がある人は、少数派である。この少数派等味付けぐらいにしかならない。多数決で決まるといっても、国民の関心をいかにそぐかが、憲法に関するテレビ報道の姿勢になるだろう。テレビは公正中立であるという隠れ蓑で、少数派の意見は味付け程度になる。今回の参議院選挙は日本人の未来にかかわる、天王山の選挙だった。そして、山はすでに越えた。日本はひどい政治になってゆくに違いない。アベ政権は支持率をさらに上げている。これは確かに、テレビを操作しながら、独裁政権を作り出す方法のようだ。世論操作の方法をコマーシャル効果の研究から導き出しているのだろう。視聴率の動向から、世論の動かし方を把握したという事である。

日本は世界で唯一、自給自足で国家運営を行った経験のある、何千万人規模の国家である。江戸時代という、たぐいまれな政治体制を作り上げた。明治政府の宣伝によって、タヌキオヤジにされた、徳川家康は実に優れた思想の持主であった。宗教と政治の関係。天皇と権力の関係。地方と中央政府の関係。世界がおかしな方向に進み始めている。世界の格差が広がり、自暴自棄にならざる得ない地域が出てきている。そして、能力の高い国が自国主義を主張し始めた。国を超えた世界企業は利益を求め、思想や文化を超え、能力主義の正義を振りかざしている。近い内に世界は悲惨な状況を迎えざる得ないだろう。こうした状況を目の前にして、武力によって身を固めることは、その紛争に巻き込まれることになる。どのように徳川家康から学んで、日本の平和主義を発揮するかである。

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天皇生前退位

2016-07-17 04:54:21 | Peace Cafe

平成天皇の生前退位が話題になっている。NHKから話が広がったと言われているようだが、天皇の考えを憶測するという事は上品なことではない。意図的に行われたことだとすると、こうした進め方には、正規のルートで話が決裂したが故のことであろう。推測するに、女性天皇の問題を含め、象徴天皇の位置づけを心配してのことであろう。まして自民党では天皇を元首にする方針である。それは国民統合の象徴として天皇を、政治利用するという事ではないのか。天皇の在り方に不安が広がっているのであろう。。憲法にある象徴というものはどのようなものであろうか。 日本国憲法の1条から8条までという冒頭に天皇の位置づけがなされている。

第一章 天皇  第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

日本国憲法では9条の武力を放棄宣言につながる。日本国憲法が全く独特の構造の憲法になっていることが分かる。自民党草案では、天皇を元首と位置づけ、その役割はさらに多岐にわたる長文になっている。明治の日本帝国憲法に近づけようという意思がある。現行憲法のままで天皇の退位は可能である。退位は皇室典範第4条で、天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。とある。ただ、病気などで任に堪えない場合は摂政を置くことも決められているから、国事行為の役割を摂政が代行することは問題はない。
 
 天皇の活動である国事行為が余りに重いものになっている。これは昭和天皇に比べても重くなっているらしい。昭和天皇も晩年生前退位が問題にされたことがあったが、天皇の位置づけに微妙なところがあるときに、生前退位すれば、議論を生ずることになることを配慮され、晩年まで無理をされながら、退位されず崩御された。天皇の国事行為を減らすべきだ。憲法で定められたもの以外は国事行為から外す。また皇室の宗教的な儀式などはあくまで皇室内のこととして扱う。災害地へのお見舞いや、戦没者の慰霊なども、あくまで象徴天皇の私的行為とする。
 
天皇の姿が日本人の象徴であるということは、日本人というものがどこを目指すべきかの姿を示している。天皇が政治に直接関与したことは、明治時代まで例外を除いてなかったことだ。あくまで摂政や征夷大将軍等を置いて国の運営に直接関与はしなかった。明治政府が天皇の歴史をゆがめて、教育した影響が今に残っている。天皇家及び貴族は日本文化の素養を磨き、弱き者に心を寄せ、先祖を敬い、未来の平安を祈る。自然の霊性を重んじ、稲作を行う。武力によって日本を統治したのではなく、文化の力によっておのずと尊敬の対象に成り、日本教の神的立場となった。皇室は政治の世界の東京から離れ、京都に戻られることが良い。京都に戻られ、日本を正しい文化によって導く象徴としての役割をお願いする。これらのことは江戸時代の天皇の姿である。天皇さんと江戸時代の京都では尊敬の心を込めて呼んだそうだ。象徴とはそういう事ではないだろうか。
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