地場・旬・自給

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うかたま

2007-03-31 07:00:33 | 自然養鶏
「うかたま」農文協の雑誌だ。午後に取材にみえた。以前、営業で見えた女性が、今度は取材に見えた。以前営業に見えたときも、大変熱心な人で、実は驚いてたので印象に残っていた。農文協では、聞いた事も無いので解らないが、たぶん、入社すると新人を全て、全国の農家の基に派遣し、農家というものを体感してもらおうと考えているのだと、想像している。だから、若い人が、農業なんて何にも知りそうも無い若者達が、「現代農業を定期購読しませんか。」などと全国を歩いているのだと思う。これは雑誌作りの原点として、とっても大切な精神だと思う。農文協の出す、雑誌を読んでいて、そう思っているのだが、間違った想像だろうか。農家の現実を知るには、営業で歩くと言うところがいい。私もくず米をお願いしながら、農家を歩いて、あしがら地域の農家の事を知った。

「うかたま」は農文協初の若い女性向きの雑誌だ。これがいい内容なのだ。いい歳をした親父だけれど、ちょっと読んでしまう。食農教育もいいし、農文協の雑誌はレベルが高い。内容が濃い。しかし、売れるというのは又別だから心配はしていた。大き目の本屋さんに行って、売れてそうな雑誌を眺めて見ると、装丁だ。内容というより、活字の組み方や、並べ方だ。独特のなんていえばいいだろう、今風のデザインだ。これはもう別世界なのだ。紙質も凝ってる。紙は興味があるので、色々チェックはしてるが、ページでの使い分けセンスが思い切って違う。字体も進歩した。使える字体が加速度的に増加した。一字一字活字をデザインした時代とどうも違う仕組みで、字体が新しく作れるようだ。百姓関係がダサイ。という訳じゃないけど、ダイジョウブカイな。じつはJAの出している「家の光」と言う雑誌も女性向に変貌している。びっくり、おしゃれな本なのだ。

農文協とは出会いが良かったのだ。大昔渋谷で画廊をやられていた。詩人の和田敏文さんが農文協から、彫刻家木内克の本を出した。へぇー農文協から何でという話で、農文協の事を知った。おもしろい出版社だとおもう。思想があるのだ。思想があるのは、経営上大体にまずいものだろうが、続いているので、上手くやっているのだろう。現代農業の内容も随分変貌してきている。以前は農薬会社の雑誌か、といいたくなる時もあった。最近は、これで大丈夫かと心配になるぐらい、市民感覚だ。プロ農家の読者は減ってるんじゃないかな。プロ農家はそもそも本読んでる暇無いかな。

そうだ「うかたま」はなんだろうと前から思っていたので、お聞きした。どうも「食魂」ということらしい。難しい名前を付けたものだ。「浮かれたこころ」とか、「ふかふか卵ご飯」とかの方がまだ連想が近い。うかが「うく」から来ていて食すと言う事らしい。お米を食べると言う事が魂に結び付いた行為という。柳田民俗学そのもののような、まさに言霊でありがたいが、相当力が入った言葉だけに、心配は大きい。心配のもう一つは種切れだ。家の光も、内容が繰り返しが多い。今風のアプローチとなると、意外に間口が狭くなる。ファッション誌がオピニオンリーダーであるように、食に関する新しい、若々しい接近の仕方が生まれて、食の新たな展望が開かれる事を期待したい。
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「徳育」を教科に 教育再生会議

2007-03-30 07:44:06 | Peace Cafe
道徳教育の新設。小学生に1週間の自然体験、中学生に1週間の社会体験の実施が提案された。ここでの議論の内容は見えてこないが、唖然とした。教育に対して、何も考えが無いときに、でてくるのが道徳、徳育だ。本来教育の中での徳育は、教科の中で自然と培われてゆくものだ。理科の授業を行いながら、人間の徳性が育まれる。そうあるようにするにはどうしたらいいかと、お願いしているのに、徳育を教科にするでは、話がそもそも違う。何だって徳育と言えば終わってしまうだけだ。そんな事ができないのは、宗教と言う教科が無い以上当然の事だ。何が言いかが見えていない中で、国や教育委員や校長が、徳育をしてくれる事になるとしたら、とんでもないものになるか。当たり障りの無い、やってもやらなくても関係の無いようなものになるかだ。

今の学校のとんでもない状況は、誰にでもわかる。これを何とかするのに、道徳教育を教科にするでは、まるで、床屋談義だ。問題は学校教育というワクの中で、しかも公教育と言う、ワクの中で、何が出来るかを議論してもらっているはずだ。実は方法はある。暮らし教科を入れる。農作業を教科に入れる。生き物を育てる。暮らしを実感する。生きると言う事に生身で触れられるようにする。これを道徳とか言う観念的なアプローチでなく。何故具体的な方法論の中で考えて見ないのか。家庭科を暮らし科にしたらいい。食育と言う事が最近はよく言われるが、食育もその原点にたどれば、食料の生産法だ。生産に触れることで、初めて人が生きるという、底に当ることになる。生きると言う実感を知ることこそ、徳育では無いだろうか。

自然体験を小学生が1週間行う。これも悪くは無いが、あくまで授業化可能な自然体験、つまり上っ面を味わうと言う、形式的なものになりそうじゃないか。学校の授業として可能な、自然体験。そんな事を考えるなら、農作業を授業にしたほうがいい。畜産でもいい。自然と言うのを、どう捉えるかにあるのだけれど、風光明媚な、自然公園みたいなところでキャンプ生活デモすると言うイメージだろうか。都会に暮して、教育は完結できないという事なのだろう。子供が育つには、都会では無理だ。と言っているようなものだ。もちろんそうなのだ。人間はあんな人工的なところで育つ事はできない。そもそもそれを変えないで、学校教育をいじる事が無理なのだろう。都会の学校こそ、学校農園が必要だ。家畜園も必要だ。

歯がゆいのは扱う事のできない宗教の問題だろう。宗教を問題にするなら、公教育はありえない。イスラムの学校で、キリストを神として教える公教育になる。統一した徳育がありうるのか。イスラムの倫理と、キリスト圏の倫理が、日本の公共という名の下に、統一できると考えうる矛盾がある。倫理と宗教は不可分で、日本が、イザヤペンダサン、が言うように実は日本教の信者的傾向があるから、道徳を教科にと言う、愚かな思考が生まれるのだろう。多分そうした発想の基には、教育勅語の精神のようなものが、存在しているのだろう。宗教で言えば儒教的なものが基本となるのだろうか。道徳が一つである。と考える危険。教育は手段が必要なのだ。道具となるものが、教科だ。美術と言う授業は絵を描くと言う事で、人間を育てている。どう育てるかの共通の素材が、美術だ。絵を描く行為を通して、人間の自由や、夢や、可能性を体感する。それが教育のはずだ。
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小田原市議会本会議最終日

2007-03-29 07:07:29 | Peace Cafe
火曜日は現市会議員の任期最後となる本会議だった。火曜日は仕事で忙しいのだが、何とか時間を作り、出かけた。9時から、議長にホール建設ちょっと人間をの35000の署名を提示し。慎重審議を要請した。そのあと、市長にも同様にお願いに行ったが、市長はこの件ではついに会ってくれなかった。有力筋からの聞くところでは市長は、今回のホール建設問題を、来年の市長選挙のための行動と思い込んでしまい。市長自身も、今回の設計には疑問がありながら、むきになって否定する方針に凝り固まったと言う事だ。有りそうなことだ。最近市長の打ち出す、政策がことごとく、評判が悪く、もういい加減にしないと来年の市長選が大変だ。と言う声を市長の陣営の人が言っている。どこか自棄に成ったように聞く耳を失っている。

ホール問題では何処に間違いがあったか。2つある。第1は設計をコンペにしたこと。第2は基本計画の建て方にあった。設計をコンペにしたことは一見、公平の原理を貫いているように見える。しかし、巨額の建設コストを狙っている設計家と選定委員とが、どこでも顔を会わす関係になる。つまり、公共事業を中心にやっている設計事務所と、この場合、山本設計工場と東大教授の選定委員。それぞれ業界の有名人。絵画の場合は良く知っているが、制作者と、審査をする選定委員の関係は、濃密な物だ。誰が選定するなら、誰だろう。と言う事になる。設計も同じことらしい。だからコンペ方式にしたというときに、誰を選定委員にするかと言う事で、ほぼ方向は決まったのだ。その選定委員を決める時、誰かが注意を喚起すべきだった。少なくともこれからはそうしよう。注視していれば、おかしなことは起こりにくいはずだ。市民が知らない間に事が進んでいた。

第二に基本計画は悪いものではないが、市民の参画がなかった。市民がいなかったと言う事でなく、広く市民の共有する問題意識の中で、話し合いが進んだわけではなかった。市民会館も古くなったから建替えよう。これだけで建て替えの話が進んだのは、小田原の文化運動の活力を注入するチャンスを逃した。文化運動を市民共有の物として、広げる機会にしたかった。絵画の展示スペースを考えて見るに、20万都市で、最低のレベルに小田原はある。加えて借金も多い。何故絵画スペースが貧弱かは良くわからない。あの状態では利用する気になれない。以前、水彩連盟の仲間であった。井上さんが、個展をされて見に来た事があったが、暗い照明と、穴あきボードには、ビックリした。あれでは作品が可哀想で、展示する気がしない。随分時間がたつが、相変わらずの状況だ。

国宝も、生活絵画も、飾る場は同等の最高の場にしたい。それが暮らしを大切にする事であり、描く行為が大切にされると言う事だと思う。何故か、今回のホールの問題では、展示場所がなくなるという深刻な状況であるにもかかわらず、小田原の美術をする人から発言が全く無い。この沈黙の背景にこそ、関わりたくない、地方美術界の人間関係が見え隠れする。
本会議では檜山智子氏と安野裕子氏と共産党の3名が、予算案に反対した。城下町ホールの説明責任が果たされていない。このことが主たる理由に挙げられていた。5名以外の市議は、ホール推進するように、との意見を本会議で述べていた。反対署名した人は、絶対に選挙で投票してはならない人達だ。小田原の選挙が、政策で行われるようになる、第一歩にしたい。
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山北エコツーリズム

2007-03-28 05:58:04 | 地域
山北でエコツーリズムが計画されているそうだ。友人がプラン作りに参加していて、現状を教えてくれた。県による丹沢の自然環境の大々的な調査が、まとまり、その報告があちこちでされている。人工林として丹沢が開発され、林道が不必要に敷かれ、丹沢の魅力と言っても、自然としてはさしたる物は無い。60年代までなら、都市近郊の自然と言う事で、丹沢登山も成立したが、同じような時間で、東北地方の山でも、日本アルプスでも行ける。状況が整い、今更丹沢に行くと言う人は相当のマニアか、節約家かだ。地域経済には縁が無い。丹沢でエコツーリズムを考えれば、他の何かの魅力に惹かれてと言う事になるのだろう。そこで、暮らしの魅力と言う事が、ウエートが高まる。しかし、山北に現在、暮らしが存在するかと言えば、都会人が魅力を感じる山の暮らし。里の暮らし。いずれも、存在しない。と思ったほうがいい。では農的な暮らしが存在するのかと言えば、それもまたツーリズムとして、受け入れ可能なものは存在しない。農薬散布作業など、ツーリズムにはちょっと考えモン。

自然は、人工林と林道ばかりで、わざわざ出かける魅力が無い。地域に昔ながらの暮らしが無い。そんな環境の中で、エコツーリズムを模索するのは、ひねり出すような物で、やる必要があるのかどうか、これも疑問だ。地域経済の活性化と言う事で、何処でもエコツーリズムを考える風潮だが、山北は条件は相当に悪いと言わざる得ないだろう。今まで破壊し続けたのだから仕方が無いことだ。もしどうしてもやると言うのなら、新しく魅力を創造する以外ないだろう。その覚悟が必要だ。普通はすでにある地域資源を利用して、都会生活者に体験してもらう。これが、基本なのだろうけれども、それが無い、と言う認識に先ず立つ必要がある。丹沢でのエコツーリズムは「作り出す」この考えが無い以上成立不可能だ。

塩沢の奥で、田んぼをやった事がある。塩沢は江戸時代は人が暮していた場所だ。ところが、水害が相次いで、人が住めなくなった。そのために放棄された地域だ。山が荒れれば、そうした事になる。山が荒れたのは、国の林業政策の間違いの結果だ。塩沢の奥に水田跡があった。この場所で焚き火を炊いて、お年寄りの昔話を聞く会があった。そのとき、これを再生しようと言う事になった。これはおもしろかった。山の岩を掘り進めて水が引いてあった。水田が徐々に再生してくると、ここには人工的なものが一切無いことがわかった。別天地である事が、再認識できた。自給自足の人の暮らしの原点がある。。田んぼに入る水を飲む事ができる。こんな田んぼが他にあるだろうか。木を切り小屋を建て、水路を引き。実におもしろかった。困難を極めたが、困難がおもしろかった。

山北はフィールドとしては、おもしろい材料に事欠かない。先ずは人だ。何でもおもしろいと考えて、やり始める人が居て、それに参加する人増え始める。エコツーリズムとして受け入れる段階はその次だろう。最小限の家プロジェクトでも、山北なら法的に可能だ。これをおもしろいと考えて始める人が居る。そのことから、魅力は生まれて来るのではないだろうか。炭焼きでも、おもしろいと考えてやる人が居る事が人をひきつける。薬草園もそうだ。薬草園の管理をおもしろいと考えて、深くやる人が居れば、人は来るようになる。何でもそうだと思うが、人しだいだ。都会の人と同じ感覚で、暮している人と出会いに来るわけではない。
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ケイトラ

2007-03-27 07:23:40 | 身辺雑記
最小限の暮らしに自動車は、あってもいいのだろうか。あってもいいとするれば、ケイトラだろう。多分他の機械類を相当に排除しても、ケイトラをはずすのは難しいはずだ。湯河原のほうに住んでいるらしい元総理大臣の、陶芸をする人は、ケイトラに乗っている。中々かっこよかった。殿様の家系の人らしく、ケイトラを籠のようにダンディーに乗りこなしていた。日本の開発した車の中で、軽自動車と言う枠はおもしろい。多分貧乏な国だから、大きな車など無理だろうと言う、どこかお役所の親切心か、車会社のお願いなどがあったのだろう。農の会を始めたころ、現代農業に軽トラ研究家の方が寄稿した。これがいい文章で、確か続編も掲載された。実に機械というものは等しくこうあるべきだと、言うような感銘を受けながら読んだ。その人はその後、軽トラ研究会を立ち上げ活動をされている。又、その活動が面白いので、是非そのホームページを読んで見てください。

日本で一番売れている車は、軽自動車だ。日本に適合している。税金が若干優遇されている。以前は、360ccだったけれど、安全基準を強化した時に、550ccのエンジンになった。枠があって、その中で工夫してゆくと言うのも、おもしろいもので、最小限の家的ですばらしい。ヨットの発想のように、軽自動車キャンピングかーと言うのもある。巨大なキャンピングカーより面白そうじゃないか。軽トラは移動にも使えるが、主に荷物の運搬が目的になる。田んぼから家までお米を運ぶにしても、1トンの荷物を、リヤカーで運ぶとして、坊所から舟原を運ぶだけでも、4往復。多分坂道だから、4時間ぐらいかかるだろう。殆ど現実的でない事態になる。

朝市に良く出ていた頃、お婆さんから、「お前が百姓やってるなんてうそだ。」こう決め付けられた。「でも、ホントに養鶏やってるんです。」こう言うと「手を見せて見ろ、やっぱり嘘だ。」全く信用されなかった。それ以来、スタイルと言うのも重要だな、JAの帽子ぐらいはかぶらないと、いかん。乗り物はカブだ。作業着も出来れば、ヤンマーぐらいネームが入っていたほうがいい。新規就農者はそれぐらい、おしゃれに気配りだ。などという時期もあったが、今は又戻ってしまった。それでも、ジムニーで田んぼに行くのでは、感じがよくない。田んぼの脇の路肩に軽トラなら、止めておいてもストレスが少ない。

問題はジーゼル車が無いことだ。廃油を利用できる軽トラは無いものか。ここが一番悩ましい事だ。軽トラしか入れない、農道は結構ある。軽トラなら邪魔にならない場合も多い。日本の地形に適合している。私は三菱の4輪駆動の、オートマチック車に乗っている。普通無い。軽トラ研究会の指導のもとに購入した。最初スタイルで、ちょっとギョッとしたが、今は慣れた。使い勝手も特に問題はない。新車にしたのは、何度も中古車を購入して、エライ目にあったからだ。結局軽トラの中古は使い切っている。新車が出てスタイルが変わって買い換える人など居ない。どこか具合が悪くなって買い換える。車や機械に詳しい人なら、それでも何とか乗りこなすが、結局中古車は無理だった。冬、田んぼの中に入っていって、色々したいと考えたので、4駆にした。しかし、これは、無理な事だった。
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枇杷の植え付け

2007-03-26 05:53:57 | 自給
枇杷の木は好きだ。一番好きな木は欅だが、二番目と言えば枇杷だ。世田谷の松陰神社と言うところに住んでいた頃、大きな枇杷の木があった。どうしても、切らなければならなくなり、泣く泣く自分で切った。そして、太さは直径20センチ長さ2.5メートルほどの丸太にして、引越しの都度持ち歩いた。ごろごろ相当邪魔であったが、いつかこれを柱にした家を建てて住むつもりだった。高校生の頃だから、今思えば、おかしいと言えばおかしい。私の家ではそう言う事は当たり前で、何も言う人は居なかった。その後、草家人叔父の家に行った時、木刀作りの名人が、枇杷の良い木が無いというので、困っていると言う話をする。名人の作った枇杷の木刀の木場の切り口から、水を含んで思いっきり吹くと、切っ先から水を吹くのだという。誰に聞いたのか、私が枇杷の丸太を持っているので、提供しろと言うのだ。私は泣く泣く提供し、居ない間に持っていってもらった。

そこで、今度は枇杷の種を蒔いた。いつかこの枇杷の木を大きく育てて、一緒に暮そうと考えた。3本の苗木を鉢植えにして、これもまた引っ越す都度持ち歩いた。それから、十数年経って、山北に越した時、その枇杷を山に植えた。今山下さんが暮している場所だ。時に山下さんが枇杷の実を出荷する事があるが、あれがそうだ。小田原に越す時に移植したいと思いながら、何かその場所にいついたようで、このまま暮すのもいいことかと思い、連れて来なかった。山北で肋間神経痛とヘルペスを併発して、苦しかった時この枇杷に助けられた。枇杷葉シップと、ショウガで切り抜けることが出来た。枇杷がすごいのは一番寒い時に花が咲く事だ。こう言った人が居たが、案外冬の寒い時期に花を付ける木はあるものだ。ロウバイ、ヒイラギ、ヤツデ、さざんか、椿。まぁーいくらでもある。

今回の苗木は孫範さんに分けていただいた。9本とお願いしてあった。植え穴が、9だったのだ。最小限の畑の北側を守るように並木のように植えた。昨日、おとといと、雨が降るので、その前に植えた。予測どおりでよかったようだ。苗木はケイトラで取りに行って、そこに居た女性と2人で、9本と数えたはずが、植え終わったら1本余った。何度数えても、9本植わっている。10本だったらしい。これは、カヨ子さんのアトリエの前に植えたいそうなので、任せた。任せたのは良かったのだが、何と、養成しているミョウガの畑の真っ只中に植えた。それでもいいけれども、植えるときに出てくる根をナンダと思って放り投げたのだろうか。確かに、ミョウガの中からニョキットでている枇杷の木は絵としてはいい。

枇杷の木がこれだけあると、安心だ。なんだか安心だ。屏風のように北側に並んだ枇杷は、きっと畑を守ってくれる。最小限の畑もいよいよ本番だ。蒔いた菜花が、大きくなり切らず花を咲かせている。先ず早蒔きのトオモロコシに挑戦したい。地温が上がらず、遅れていたが、この雨で良くなった気がする。下の土手には土手カボチャ、さつまいもの苗取り、中央の良い場所にトマト。トマト苗が上手く行っていないが、諦めないで再挑戦。間に自家採種の地這いキュウリ。畝の間隔が1,5mと言うのが、先日の石綿さんの教えだったが、さすがに広い気はするがやって見ようかと思う。枝豆も今年は蒔いて見ようと思う。これは田んぼの畦のほうがいいかもしれない。先日田んぼの畦は完成した。大変立派な畦になった。畦をいい加減なままに田んぼをやる気はしない。畦は田んぼの技術の水の駆け引きの基本だ。
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原発事故 隠蔽

2007-03-25 07:16:02 | 環境関連
原発事故の隠蔽が3件続いた。東京電力福島第一原子力発電所3号機で1978年11月と柏崎刈羽1号炉で1992年2月28日、北陸電力志賀原子力発電所1号機1999年6月18日。東北電力では、女川原発で98年に原子炉が異常停止した。その後、事故の報告をしなかった事例は増えつづけている。原発事故の報道は、気をつけて読む必要がある。何故今の時期、あいつで報道があったのか。臨界事故と言う原発事故でも深刻なものが、隠されていたのだ。しかし、原発事故の報道について、日本のマスメディアは極めて消極的だ。各電力会社はマスメディアを味方につけるために、多額な宣伝費を使っている。お客さんに弱いのは、報道も同様だ。そもそも電力は独占事業。海外から輸入するわけにも行かない。コマーシャルを行う必要などそもそも無い。費用は電力価格に上乗せされるだけだ。原発がいかに安全である等、とんでもない番組に費用を使うのは、報道を黙らせる為だと考えておいたほうがいい。

東京電力福島第一原発1号機では、2002年に一連のデータ改ざんが発覚し、全ての原子炉を停止して総点検を行ったはずだが、何故その時に、こんな深刻な事故が表ざたにならなかったのだろう。確か、あの時は反原発的傾向のある人が始めて社長になった。その東電社長を辞めさせるために、データー隠しを内部告発したと言う話を聞いた。なるほど、臨界事故が表に出てこなかった理由もそれならわかる。そうすると、今回の古い事故が掘り出されてきた理由は何だろう。東電内の反原発派の逆襲なのだろうか。
2006年8月5日付けで独立系メディア「今日のコラム」が報じたスウェーデンの原発事故(10基中4基が停止)は、ニューヨークタイムズ、タイム、ガーデアンなど欧米の主要メディアが大々的に報ずるなか、日本のマスメディアはまったく報ぜず、その後も日本の主要新聞の記事が皆無という異常な事態が続いている。青山貞一氏が書いている。河野太郎氏も沈黙のマスコミ-セラフィールドとして記事を書いている。

原発や再処理工場での大事故が海外で起きても、日本の報道は沈黙していると言う事は、理解しておかなければならない。今時マスメディアが隠蔽するなどと言う事は出来ない。幾らでも情報は入ってくる。こうして、報道機関というもののウエイトが減じていくのだろう。報道にしろ、電力会社にしろ、隠蔽が何故起きるのか。経営と言う事はすぐ気付く。さらにいえば、不二家にしろ、パロマにしろ、失敗への対応法を人間は苦手なのだ。諦めが悪いのだろう。曳きずる。生き物だから誰だってそうだ。本来無一物と米搗き男は言っています。何もなければ埃もたまらない。ガソリンを捨てることなしに、不時着は出来ない。と先日の足の出なかった飛行機も言っている。
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大相撲大阪春場所

2007-03-24 06:57:59 | 身辺雑記
大阪場所も13日目が終わり、白鵬が1敗、朝青龍が2敗で今日直接対決。白鵬は怪我さえなければ、とうに横綱になっていた力士。大鵬に並ぶような力士になるだろう。怪我を心の強さに生かして、さらに立派な横綱になってほしい。相撲好きなのに、テレビで相撲を見ると言うことは無い。週刊誌で、朝青龍の八百長疑惑、もともと八百長は相撲由来の言葉、「国技」相撲が八百長とは何事だ。などと力んでいるところがどうもわからない。武士道などと言うと、精神主義の極端な世界のように思いがちだが、宮本武蔵や、佐々木小次郎を武芸者と呼ぶ。武術の芸者である。一種の芸能活動のように感じていたのだ。プロレスでも、相撲でも、歌舞伎でも、興行の世界だ。日曜日は千秋楽となる。歌舞伎も、相撲も同じだ。今相撲は15日で、一場所となった。これも実に上手くできている。日曜が初日で、千秋楽が、日曜日。年六場所必ず、間には休日が入る。

子供の頃は栃若時代。子供は何処でも線を引いて相撲をしていた。2人の横綱は小さいけれど強い。横綱になるとき100キロなかったのだ。その後栃の海は93キロで横綱になった。今の大型化の中では、信じられないけれど、大きいから強いと言うものではない。そもそも相撲は強いからいいというものでも無い。江戸時代には一人相撲と言う芸があったそうだ。瀬戸内の大三島では、指定文化財として、この奉納相撲が残されている。一人相撲には二通りあったそうだ。一つは、架空の相手と相撲をとる。いかにも相手がいるかのごとく相撲をとり、見事に上手投げなど演じて、芸いとしていた。もう一つは、何と二人を一人で演じたのだそうだ。いかにも2人が居るように、と言うから、人形でも使うのかもしれない。これがいずれも、負けることが芸能になっている。

負ける美学と言うか、見事に投げられる事が美しいと言うのだ。朝青龍の初日、2日目の連敗をどう見る。負けて美しかったかどうか。いまだ木鶏たりえず。八百長騒動のなか、騒然としたかもしれない。やっぱりと言われたくない。栃錦は、若乃花に投げられて、美しかった。本来、神事である。野見宿禰と当麻蹴速が日本書記にあるそうだ。神様相手に一人相撲を取り、見事に負けなければ成らない。当然の事だ。これを江戸の庶民は芸能として、迎えたのだ。負けっぷりが良い。負けて悪びれず。見事に負けるとはどう言うことだろう。受け入れると言う事だろう。自然力と言う神を絶対的なものとし、その受け入れ方を味わう。江戸らしい芸能に育った。それを受け入れ楽しみ、一緒に悲しむ事ができる庶民力。

日本の芸能である相撲を、何故かスポーツとして見る浅はかさは何だろう。勝ちとか、負けとか、ルールとか。こんな物にこだわる人が必ず居る。例えば公募展では絵のサイズにルールがある。卑しい人であると断言するが、これを巻尺をもってきて、測る人が必ずいる。絵描きがそんな細かな事にこだわってどうするのかと思う。ところがこれを規則は規則だ。と頑張ってそうした人は譲らない。そんな世界に文化が育つわけが無い。戦中戦後と活躍した、大内山と言う2メートル以上長身の大関が居た。彼は本来横綱の器であったが、4人の横綱が居たので、残念ながら、大関どまりであった。3場所つづけて負け越し、大関から陥落した。その後、幕尻まで下がり、千秋楽を迎えて、7勝7敗、手に汗を握ってラジオにかじりついた。残念ながら、至極あっさりと寄り切られて。引退した。負けっぷりは見事だったに違いないと、ラジオを聴きながら胸が熱くなった。
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新国立美術館の初使用

2007-03-23 06:41:17 | 水彩画
昨日今日と、水彩連盟の作品整理の仕事で、新国立美術館に出かけている。初めての場所で、大いに緊張し、混乱した。以前より広いから心配ないと事務局から、聞いていたが、作品の保管場所が、何と以前より相当に狭い。半分くらいかもしれない。事前チェックと言うのは、こんな物だ。やって見なければ解らない場合があるもんだ。そこで、作品の置き場を相当工夫した。手伝ってくれる、日本美術商事の人達も、審査の時の為に色々作品の流れを考えて、配置をしてくれた。作品の総数は、会員作品が、170前後。準会員作品が、230前後、一般作品が1000少し。として、1400点の作品を置くにはどのくらいの面積がいるかだ。1点の厚みが様々あるが、平均で、7センチの厚みがあれば、100メートルの厚みになる。3メートルごとに一列立て掛けるとすると、33列が必要になる。幅が1,5メートルを一列とするとし、50メートル立てかける壁が必要になる。壁が4本あるので、12,5メートルの壁が必要となる。

奥行き12,5メートルの、幅が8メートルの部屋が2つは最低で必要。それは最低の事で確かなのだが、これが机上の空論。壁には何故か、大きなシャッターがあり、ドアがある。この前後は置けない。台車が通過する面積がいる。荷卸しするスペースが必要。その上、受付のテーブルがいる。書類を整理する場所が要る。事務所関係のスペースもそれなりにいる。こうなると、ゆったり作業するには相当の余裕が要る。ここで写真撮影も以前はしていたのだが、そうしたことは今後は別の場所を考えなくてはとても出来ないことがわかった。当然こんな状態だから、座って休む場所が無い。以前はお茶を入れてくれて、飲む事が出来たが、当然そうしたことは無い。ペットのお茶を用意してくれていたので、これを紙コップで飲んだ。

心配は食事だった。以前は当然、館内で食べる事ができたのだが、今回は事前のお弁当の注文だった。と言っても人数把握は難しいから、参加予定の人数で注文してしまい、余りの出るのは覚悟と言う話だった。結局足りなければ事務局の人が、食べないつもりで、お弁当持参だった。初めての事ながら、事務局の方々の準備は怠り無い。ありがたいことだ。お弁当が幾らしたのかは知らないが、配達弁当にしては美味しかった。野菜が充分取れる食事で、揚げ物は無いし、味付けも濃くなかった。いつも3時になるとおやつがでるのだが、これはビスケットが配られたが、いつもは団子が届けられて、楽しかったが若干がっかりした。これから活動が始まれば、相当の需要があるのだから、周辺に色々出来てくるだろう。現状では、帰りにみんなでお茶を飲むような場所も無い。

審査室は暗いの一言。審査室は外光に近い光源が必要だ。それで無いと色が見えない。審査は遠くから、一瞬に絵を見る。審査員は何処の会でも年寄りが多い。条件は悪いのだ。絵を保存する美術館は絵が傷まないように暗くする。しかし、近づく事はできる。公募展の審査室は明るい事が必要条件だ。何とか変えて欲しい。スポットで審査する絵に光が当るようにすべきだ。この点は都美術館のあの暗かった審査室と何も変わらず、がっかりだった。きっと暗いほうがいいと考えた、偉い方々がいたのだろう。暗いほうが良く見える絵もある訳だ。展示会場のほうも、見たいと思ったが、まだ見ることは出来なかった。こちらも以前のように暗くしてないといいのだが。作品整理については、狭い事を除けば、以前よりやりやすくなったのは確かだ。
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タミフルの使用禁止

2007-03-22 06:59:56 | 環境関連
厚生労働省は21日未明、インフルエンザ治療薬「タミフル」輸入販売元の「中外製薬」に対し、添付文書の警告欄に「10歳以上の未成年の患者に、原則として使用を差し控えること」を書き加え、医療関係者に緊急安全性情報を出して注意喚起するよう指示したと発表した。事実上、10歳代の使用をほぼ制限する措置となる。 今更であるがやっと重い腰が上がった。常識のある親なら、自分の子どもにタミフルを飲ませるような事をしている訳が無いと思うが。薬の恐ろしさを改めて、認識する事になった。今回の禁止の直接の原因は今まで公表していなかった。異常行動事例が次々と見つかってきたからだ。これから更に再調査するらしい。この辺が何で今になってと言う事で、役所の言う事だから、正しいなどと信じては成らない。薬と言うものは、できる限り使うべきでない。病気と言うものも、必要で起きていて、それを受け入れ、自己治癒力を形成してゆくと考えたい。

今回は9件が新たに見つかったタミフル服用後の異常行動だが、当然これは氷山の一角だ。今になって何故発表するのかを少し疑いたいところだ。タミフルをやたら、備蓄したが、あの無駄はどうしてくれるのだ。新薬の承認などを手掛けていた厚生労働省の課長が、「タミフル」製造販売元の中外製薬(東京)に天下っていた。これなどは、業界と厚生省との癒着をまさに表わしている。こうした互いの利益の為に、人の命が、もてあそばれているのだ。薬と言うのは、アメリカ人に有効で、害が無いとしても、日本人には違う反応があると言う事がある。日本の風土の中で暮らすものが、海外の薬品を使用する場合、新たに日本人に対する充分な試験が必要だ。こうした、認可を行う役所と認可を申請する製薬会社が、天下り関係では、厳正な審査など期待できない。

同時に、インフルエンザ治療薬「タミフル」服用と異常行動の関連性を調べている厚生労働省研究班の主任研究者の講座に、販売元の中外製薬から寄付金名目で1000万円が支払われていた。関係ないといいながらも、中外製薬の意図は明白だろう。これは、別に珍しい事でなく、産学協同が言われる以上大学と、企業がこうした形で、連携している事は普通の事になっている。大学がお金にならない学問をしてはいけないような、状況になってきているのだ。遺伝子組み換え作物の実験では、その危険性の確認実験をしようとした、アメリカの学者が、そうした企業の不利な研究は大学から冷遇され、研究費も出なくなっていると書いている。企業有利なお金になる研究者は、農学で言えば、化学肥料や化学農薬の研究者が、学士院賞を受賞するなど、ゆがんだ学問の世界になっている。

インフルエンザで慌てて薬を使う必要は無い。普通は自然に免疫力を確保し治癒する。鳥インフルエンザ騒ぎで、人人感染が起きて、何千万人が死ぬと言われている。そうしたことも、いつかはあるだろう。だからと言って、ワクチンを緊急開発して備蓄するなど、愚かな方策だ。起きる起きると危機を煽り、一年で無駄になる薬の備蓄に、膨大な費用をかけているのは、陰謀のような物だ。製薬会社と、それに付随する学者。そしてそれを取り持つ厚生省。そして、その提灯を持つマスメディア。こうして、国民は踊らされ、何百億円も無駄にしているのだ。今の状況を冷静に見てみるべきだ。インドネシアが最悪の状態だが、年間10数名だ。今のところ大きな変化も無い。ウイルスの分析を念密に行うことが、今やるべき事だろう。
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クマ鷹の鳥インフルエンザ

2007-03-21 07:14:16 | 自然養鶏
3月に入れば、一応収まったと思って安心していた。やはり今回のウイルスも韓国からの、渡り鳥あるいは、迷い鳥による感染が、原因の発端だった事はほぼ特定できたと思う。更に3月に入り、韓国でまた再発があった。これは厭な情報だと思っていた。どうも、韓国での自然の動物の感染が濃密に成ると、暖かくなったからと言って安心は出来ないなど考えていた。そこに驚くべきニュースが発表された。

熊本県相良村で発見された野生のクマタカから、鳥インフルエンザウイルスが検出された。クマタカはメスの成鳥。今年1月4日、同村の林道で衰弱した状態で発見された。これが未発表だった。ほぼ収束されたと見られる、2ヶ月以上たった今になって、環境省は公表した。この卑劣なやり方に、実は全てが見えて来る。この事実の重要性を理解していない訳ではない。一方で、野鳥を幾ら調査しても、糞からも、ウイルスの検出が出来ない。こう言いつづけたのだ。クマ鷹の感染は、実は重要な事実を推測できる材料だった。これを隠していたとは、養鶏をするものを欺く、許しがたい欺瞞だ。

クマタカの生態は、解明されているわけではないようだ。鷹という名称だが、れっきとした鷲らしい。どんな物を食べているかといえば、肉食だ。ネズミや、ウサギや他の鳥を食べる。渡りもするようなことを書いてもあるが、一定範囲の縄張りを持ち、定住しているとする考えの方が普通だろう。韓国から飛ばされてきた。野鳥を直接食べたか、間接的にそれを食べて感染したネズミでも食べたか、と推測される。今回の事は自然界での感染の姿を良く表わしている。1月4日と言うと、11日宮崎県清武町の養鶏場で発生した事例と、ほぼ同一の原因と考えられるほど重要な情報だ。韓国から飛ばされるとすれば、暮れから正月にかけて、前回の事例とほぼ同様に思われる。問題は日本の自然界に常住しているのかどうか。これが大きな分かれ目だが、1月に解っていた情報を隠した為、もう3ヶ月以上もたった今、熊本相良村を調べたところで、手遅れだろう。

日本の自然界に強毒ウイルスが常在しているとは思いたくないが、無いとは言えない。これによって、今後の対応は変わってくる。今思えば、今回の発生はクマタカから始まった訳だ。この情報を隠して、その後の対応を養鶏場に強制したのは、違法行為だ。この時点では、韓国から帰国した人からの感染や、飼料からの感染、出入りの車の問題。そうした消毒と、混乱した対応を取ったことになる。もしこれが、熊本のクマタカの事例が出ていれば、野鳥あるいは、ネズミによる感染の拡大を集中的に対応出来た。更に、自然界に常在するかどうかの調査を、すぐ行うべきだった。相良村から、清武町まで100キロぐらいか。関連が深いと考える事ができる。自然の詳しい調査が行われる必要がある。自然界に常在しているかどうかは、今後の重要な判断材料になる。と言っても自然界の調査など不可能ともいえる、地道で長期的な展望の必要な作業になるだろう。学問の重要性はこうした状況で切実に成る。野鳥の渡りの状況が把握されていない。クマタカほど貴重な野鳥の生態すら明確にはつかめていない。自然に対する学問、直接お金にならない学問はまだ、まだ、情報不足だ。
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水彩連盟展:搬入

2007-03-20 07:02:32 | 水彩画
10時に絵を取りに来てくれる。搬入搬出を代行してくれる業者があり、毎年お願いしている。水彩連盟は66回展ということになる。今年から、都知事選にも立候補した、黒川記章氏設計の新国立美術館開催と言う事になる。4月4日から16日まで10時から18時開かれている。水彩連盟は、会場開きの第一陣言う事で、どんな会場なのか、まだ見てい無い。大変楽しみにしている。搬入車の動線や絵の会場への運び込みなど、大変シンプルな形で、使いやすいそうだ。採光や壁面への光の当り方など、相当の工夫がされたそうだ。春日部洋先生は美術家連盟から、会場の基本構想の委員として出られていた。随分検討し、いよいよ作られたわけだが、どれだけ工夫された物なのか、興味深い。設計思想としては、鑑賞者の立場が、重視された。今まで東京都美術館では展示側の発想が重きをおかれ、絵を見るという環境になっていなかった。

都美術館も、35年ほど前に出来て、すでに使えなくなったと言う。そんな使い捨てのような、巨大な建物を建てていいのだろうか。普通美術館といえば、100年ぐらいは使ええると思うのだが、発想が良くなかったのだ。建物の耐震問題ではない。あまりに設計が悪いために、空調がダメなのだそうだ。中が妙に複雑で、使いにくさはできたときから、言われ続けたが、印象もあまりよいものでなく。結局旧都美術館のような思いでも残せないまま、水彩連盟は離れる事になった。これも石原都知事の方針が反映している。つまり、全国規模の公募展というものを、何故東京都一つが支えなければ成らないか。こういう意見を出したのだ。しかし、全国的な美術展を行ってもらえると言う事を、むしろ、喜ぶべき事ではないだろうか。オリンピックだって同じだ。文化的知事を名乗りながら、変な因縁をつけたものだ。

移転一回目の展覧会には、大胆な絵を出そうと考えてきた。まっさらな美術館に、初めて絵を描くような、新鮮な絵を出したいと考えてきた。この絵は長くかけた。1年近くかけた。150号のMサイズだ。横長の絵で、開墾地を描いた。竹薮を切り、土を動かし、畑を作り。こうした一連の事を描いた。「処女地」人が生きるための食べ物を作る畑。自然を切り崩しながら、畑を作り出す。前向きな明るい作業ではあるのだが、何か悲しみを伴う。生物が生きると言う、無残さを感じる。人の生きる、明るい悲しみ、のような物を描きたかった。昨日は回りに額をつけようかと思ったが、白い布テープにした。どんな額もうるさい感じで、やめた。

上野から公募展が離れると言うことで、日本の公募展という不可思議な姿が変貌してゆく、きっかけになればと思う。絵を楽しんでみるような、見ていただくような、そんな姿勢がなかった。そのために、公募展離れが加速され、老人中心の封建的な世界になってしまい、若い人達は近づかない。公募展的絵画という日本だけで通用するような、絵画とは言えない様な妙な物が横行している。多分新しい器では、そんな前近代的な作品は適合しないのではないだろうか。
22日23日が搬入日となる。全国から仲間の絵が集まってくる。緊張する対面になる。多分誰もが今までに無い思いを抱いて、制作してきたと思う。新しい器に、新しい酒が。水彩連盟の力が試される。いい展示が出来るよう。その仕事も頑張りたい。
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みんなで学ぼう!久野里地里山

2007-03-19 06:51:35 | 里地里山
18日午前中小田原フラワーガーデンで、集まりが行われた。丹沢ドン会から、片桐さんが講師として参加してくれた。ドン会の活動は環境省の全国4つの里地里山保全の活動として選ばれ、注目を集めてきた。活動の断面は参加させていただいたりして、おおよそ知っていた。今回は全体を知る事が出来て、大いに勉強になった。市民参加の方法論。この辺りが講演の焦点として、聞いた。50名ほどの参加者で、農の会関係者の参加は2名過ぎなかった。お茶畑の肥料播きが、この日に当てられた事を含めて、最近の農の会は、周辺の事業に対する関心が薄れてきている。その辺の理由は、簡単には結論できないが、内向化とか、個別化とか、関心が内に向かう傾向は社会一般にもある。ともかく自分の農業の立ち上げに専念することは当然の事だが、それだけで大丈夫なのかな。

大変気持ちの良い集まりに成った。司会の小田原植木の近藤さんがすばらしく、配慮が行き届いていた事もあった。また、講師がドン会の片桐さんで、久野の状況をよくご存知と言う事もあった。事例発表の一寸木峯生さんの峯自然園、石綿敏久さんの自然農法園の紹介。どちらも久野の可能性を感じられる報告だった。結局久野の持つ自然の力が、まだ充分に生きていると言う事だろう。この残された自然をどのように活用し、より豊かな物に育ててゆけるのかは、ここに暮す一人ひとりにとって、重要性が益々高まる事だろう。里地里山の自然環境が市民全体に波及して行くことで、地域の暮らしの豊かさ、深まりに成るのだろう。行政が準備万端してくれて、下支えしてくれた事もありがたいことだった。休日にもかかわらず、多数の市の職員、県の職員が出てくれた。

行政からは小田原市の企画政策課の内野さんが、今までの流れを説明してくれた。17年9月の先進事例の見学。11月一回目の勉強会。その後6回の勉強会が開かれたこと。市から県に対し、久野地区を実施地区として要請をし、4月に県のほうで決定があったということらしい、初めて聞いた。久野での里地里山事業は小田原市の小田原ルネッサンス事業のふるさと原風景再生事業の中に位置づける事。その100選に久野の自然も選ばれている事。などが話された。今後の展開に対する考えは特になかった。行政・市民・地域農家。この三者の役割の分担がどうも見えない。今後行政は何を目指そうとしているのか、本当に聞きたかったのはこの辺だったが。

今回の「みんなで学ぼう!」で見えてきたのは久野には、多様な活動がすでに存在している事。但し、その位置づけが行政としても、地域住民としても、明確で無いこと。また、市民活動間の連携も無いこと。これを誰がどのような役割分担をして、統括し、進めてゆく原動力になるかが課題と考えてきた。秦野でのドン会のような役割を誰が担うのか。地域の農家の方にはすばらしい里地里山的営農形態で、進められている方が10名を越えて居られる。この方々が中心核だろう。そして、その周辺に市民活動が4団体ある。さらに、やる気のある行政がいるとするなら。この3者の役割分担は自ずと見えてくるはずだ。この先のストーリーを描き。コーディネートしてゆく潤滑油のような役割を、今まで行政に推進力としての役割があると考えていたが、どうもそうではないようだ。むしろ行政は指示待ちなのだろう。市民がこうしてくれと言うので、要望に対応する。そんなつもりなのだろう。今回はこのことが理解できたのが、一番の収穫だった。
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食料・農業・農村基本計画

2007-03-18 07:15:41 | Peace Cafe
昨年3月今後5年間の日本農業の方向を決める、基本計画が閣議決定された。「攻めの農業」を旗印に、1、年間1%ずつの自給率の向上。2、農地の集積。3、環境保全と関連させる。4、食の安全の確保。などが方向付けられた。
1年が経過して、その結果はどうだったか。先ずわかりやすいのが、自給率の向上が推進されたか。現状はむしろ、実現どころか更に低下の方向にある。この基本計画では、畜産飼料の自給、と言う事が自給率の向上の考え方にあった。休耕地や転作を飼料用作物の生産に結びつけることが方向付けられた。すばらしいし、可能性があることだ、但し経営的に可能なやり方が提案されなければ、取り組みは増えないだろう。と見ていた。休耕地は更に増加の方向にある。田んぼに牧草を作って、飼料作物にするという発想は、良く無い。田んぼでお米を作り、余る分を備蓄米として食料安全上、多量に保存する。そして翌年にはこれを飼料米として、利用する。この流れを作ることが飼料自給の唯一の道。

農地の集積は進んでいる。集落営農が、最初の大枠より運用ではかなり取り組みやすい形で、先ずは定着させる方針のようで、地方から取り組みは進んでいる。集落があるいは地域が、一つの農業会社として経営してゆく、と言う考え方で、その集団性の問題点と、合理性とが混在している。取り組み方によっては経営的可能性が出てきているのだろう。しかし、集団に入れない小さい農家は、更に外に出てしまった訳で、日本農業の抱える、農家が経営体では無い、という問題はここでは更に、深刻化していると思う。集団から取り残される不安。しかし、個別的な農家の事情の複雑さ。

環境保全を織り込むのは、どの政策も同様で、環境を盛り込めば了解が得られやすいと言う事なのだろう。それくらい具体性を見れなかった。バイオマスと言う事も盛り込まれていた。農産物や、農業、あるいは食品残渣をエネルギー資源として見直すと言う事が、簡単に良さそうに言われる。稲藁から、エネルギーを取り出す研究への支援をする。食べる物で無いものを生産する農業、安全性と関係の無い農業の登場。遺伝子組み換え作物の開発、化学肥料、農薬を多用する農業。環境破壊型農業。森林や草原を、化石燃料で農地として開発して、バイオマス資源の農地に転用する。資源の節約になるのだろうか。2酸化炭素の削減になるのだろうか。暮らしの方はより快適を求めて、自然から離れる方向で温存したまま、循環型社会の模索は不可能だ。農業が経営効率を求める中で、すでに土壌からの搾取型になっている。この傾向が、バイオマスはより深刻化する方向に現状なってきている。

食の安全が言われたが、この1年、鳥インフルエンザやBSE牛の問題がさらに深刻化した。アメリカからの牛肉輸入は結局、押し切られる形で解禁。鳥インフルエンザは深刻な予兆として、再発。どちらも畜産における安全性の方向が見えないまま、何の手も打たれない中、ただ国民が悪く慣れてしまうことを待っているだけ。報道が飽きたし、解決は見えない。大規模畜産が不可能と言う現実の一端が、見え隠れしている。鳥を何十万羽一箇所に飼うリスク。これに気付かず、より工業的な自然から離れた養鶏を推進すれば、必ず畜産由来の新しい病気は登場する。不二家の食品工場を見ればわかる。食品工場ですら、ネズミが出る。養鶏場でどう管理すれば、自然から遮断できるのか、現実には不可能な理屈だ。
基本計画の1年目は、集落営農の今後が注目点と言う事か。
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立候補予定者事前説明会

2007-03-17 07:06:50 | 身辺雑記
4月22日に小田原市議会議員選挙がある。3月16日に小田原市役所の大会議室で、事前説明会が行われた。議員定数は30名から、28名に2名減となった。説明会に出席した予定者は現職26名新人8名の34陣営だった。現職は現状29名から、3名の引退が出るようだ。新人は7名だと言われていたが、1名加わった。別に出なければいけない会ではないので、この後出る人がまだいるかもしれない。各候補者毎に3名で出席するようになっていた。男性お年寄りが多く集まった。テーブルが前の方から詰まっていた。いつもの集まりとは逆だ。市会議員に出ようというような人はやはり前に出るのか。入り口の受付が若干もたついていた。それは、候補者自身は出席していない陣営が、受付で候補者の住所がわからないのだ。慌てて、携帯電話をしたりしていて、ごたごたしていた。それにしても定刻前に全員集合した珍しい集まりだ。

佐々木ナオミ陣営の一人として出たわけだが、初めてなので戸惑ったと言うか、眠くなった。3名1テーブルに座るのだが、机の上には10センチ以上の書類の山がある。先ずその書類の確認から始まったのだが、それだって5分はかかった。その後書類の説明が1時間。ここは眠ってしまった。書いてあることをえんえん読むわけだ。郵便局の課長が2名来ていて、公選はがきの説明をした。こんな事もあるのかとビックリする。公費負担や会計の事これも1センチぐらいの書類が出てきた。事務所光熱水費の問題を思い出した。経費の透明性。情報公開をしようとすると、素人には手に負えないような、複雑な書類の山になり、専門家を雇用せざる得なくなる。悪い奴がいると言う前提で出来ている制度は、何しろ大変だ。

中休みまで、申し訳ないが寝ていて、起きたらば早川の鈴木さんが近寄ってきて、笹村は事務局長なのか、後援会長なのか。聞かれた。後援会長だと答えながら、話が選挙の内容に入りたくないので、早川でもう一人出るという、新人鈴木さんの事を聞いてみた。鈴木重なりで、不明票の分け方で損をしないか。とか。名前とか色々教えてくれた。鈴木さんは梨の栽培をやっていて、農家として古い付き合いがある。ダックの公開質問状で、当選したら勉強して答える。こうした答えを列挙したので驚いた。残念な事に小田原の選挙が政策で行われるわけではない。政策はとお聞きすると、「小田原を住み良い、美しい町にします。」こんな風に答える。農業政策となると、農家出身の方も何人いるのだが、具体的な考えを出す人はいない。

佐々木さんの活動で早朝から深夜まで時間をとられる。大変と言えば大変な事になったが、やれるだけの全力を出したいと思う。と言って、政策が納得いかなければ、親戚だって佐々木さんを支持する必要は無い。水彩連盟展と重なり、動けなくなるのが、残念なことだけれど、歯ごたえがでてきた。最近になって始めて、当選可能な気がしてきた。やっと実態に近づいてきた感がある。3月26日には事前審査という作業がある。書類をそろえてみてもらうわけだ。見ただけでため息が出るような分厚い書類だが、鈴木さんにどうしたらいいのかお聞きしたところ、選挙管理委員会の人に、何でも聞けばいいのだと言われていた。親切に教えてくれるそうだ。特に選挙カーの申請は大変だ。車を使わなければ大したことはないという事だ。しかし、佐々木さんは可愛いピンクの看板のついた、選挙カーが準備万端だ。
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