地場・旬・自給

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麦茶が終わり、夏は行く。

2016-08-31 04:32:16 | 自給

8月が終わり麦茶が終わった。少しもの寂しい。夏もやっぱり終わるんだ。今年は毎日1リットルの麦茶を飲み続けた。毎朝起き抜けで作って冷蔵庫で冷やして飲んだ。畑に行くときにも飲んだ。ずいぶんと水分を取っていたことになる。一回の草刈り作業で体重は1キロ以上体重が減る。何キロ減るか草刈り前と草刈り後ではかってみた。そういうのが面白い。少なくとも1リットルの水分を取らないといけない。冷茶はおいしいのだが、飲みすぎると吐き気をもよおす。がぶがぶいくらでも飲むからそういう事になるのだろうが、夏でも冬でも飲める水分はいくらでも取るようにしている。そこで麦茶が一番良いという事になる。麦茶の作り方で以前も書いたが、2条大麦である。去年今年とまとめて炒ってみんなで分けた。半分は冷凍して於いて、半分使い終わってから取り出した。酸素を抜いて、冷凍しておけば味が落ちない。酸化され難いという事なのだろう。

麦茶の良さはおいしいぞという訳でもないところだ。俺はこんな味だと主張しない所が良い。だからどんな場面でも飲めるのも長所だ。カフェインがない飲み物しか午後からは飲めない。お茶を午後飲むことができない。夜眠れなくなるのだ。昼食でお茶を飲んでも昼寝は出来る。でも3時ごろ飲んだお茶で夜目が冴えてしまう。15年前までは全くそんなことはなかった。夜起きていたとしても全く構わない暮らしなのだが、やはり真夜中に起きていると、歳を取ったんだとしみじみと思う。いつ寝ていつ起きても構わないというのも変な感じだ。やはり、毎日く暮らしのリズムというか、8時に寝て、4時に起きるというのがどこか落ち着く。昼寝が出来る日は夏でも冬でも昼寝もするのだから、ずいぶん寝ていることになって、こんなに寝たことは若い頃はなかった。若い頃は起きていなければ人生を無駄にすると考えて、長く寝ても6時間ぐらいの暮らしだった。それで大丈夫だったわけではなく、いつも体調は悪く不健全なことだった。

夜は時々泡盛を飲む。泡盛のクウス、古酒を飲んでみる。あまりおいしいとも思わないところが良い。美味しいとは思わないのに飲みたくなる。酒好きでもないし、別段クウスの方がうまいというほど通ではない。それでもお酒が壺の中で時間をかけておいしくなってゆくという、お話が好きなのだ。それで、昨日よりおいしいかな。こっちの壺の方はどうだろうなどと、7つある壺のクウスを飲み比べる。アルコールが抜けて飲みやすくなるだけだろうという人がいたが、そうかもしれないが、そんなことを思うのはつまらない。壺の中でお酒がおいしく育つ。この時間を共にする感じが良いのだ。一番古いのは30年物がある。これに飲んだだけ足してゆくのだ。死ぬまでに飲み切るつもりで計算して溜めている。これがなかなか難しい。長生きしそうな気分の時にまた泡盛を足してしまう。新しい泡盛も、クウスに混ざり、年月を得たような味になるという。そんなはずはないなと思いながら、その物語の方を楽しんでいる。

備前焼の古色はもう一度焼けば元に戻ると言われた。なるほど、古色はつまり汚れか。クウスのおいしさは劣化か。汚れて美しなるのも良いし。劣化して美味くなるのもなかなかいいではないか。美味しいから麦茶と言っても、特別の味がある訳ではない。何でもないからつい飲みたくなる麦茶。麦茶が終わって夏が行く。夏が去るのが寂しくなるのは子供の頃も、67歳になった今も変わらない。祭りの後感がある。元気が出にくい。そこで、このところ甘酒を飲んでいる。これは夏の終わりに丁度良い飲み物である。甘酒は一度に大量に作り、ペットボトルに入れてやはり冷蔵庫に入れてある。これを水で3倍ぐらいに薄めて飲んでいる。夜は温めて飲む。これを飲んで朝起きれば大体元気回復である。麦茶から甘酒になって秋が来る。泡盛の方もそろそろお湯割りにしたくなる。

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貧困の変貌

2016-08-30 04:35:02 | 暮らし

以前このブログで貧困家庭など自分の周辺にはないという、コメントをいただいたことがあった。貧困はそれくらい見えなくなっている。見えないけれども増えている。今回、NHKの高校生の貧困報道が、批判の対象になった。学習用のパソコンが買えないので、1000円のキーボードを購入して練習しているという話だった。1000円で買える古いインターネットのないパソコンもあるのにと思った記憶がある。片山さつき議員がNHK報道の批判をしている。貧困が見えにくいことに気づかない鈍い国会議員の姿をさらしている。結果今一人の女子高生が、辛い思いをしているだろう。希望格差というのだそうだ。教育格差という事になる。生活保護の不正受給が取り上げられ、厳重な調査というものが盛んに言われる。確かに不正受給はある。おかしな受給者がいるのも事実だ。しかし、99%の必要で受給している人にたいしてにまで、批判が及び苦しい想いの生活保護者を知っている。貧困の質の変化を考える必要がある。

生活保護を受給してはいないが、保護を受けている人より貧困生活をしている人がかなり存在する。ワーキングプア―と呼ばれたりする。普通に働けて、働いてもいるが、子供の食事が不十分だったりする。貧困は見えにくくなっているだけなのだ。誰だって貧困は隠したい。困っているという事は人に知られたくない。外見的にはいかにもの貧困者は今の時代居ない。路上生活者でも見た目は私と同じである。勉強をしたいという気持ちを社会全体で支えるのは当たり前のことだ。その女子高生の部屋にアニメの本があり、携帯電話を持っていたとしても、それが貧困ではない証拠だというのは、ゆがんだ想像力である。自助努力しろと言う視線を感じる。日本の有機農業には、消費者は生産者を支えるという事で、全量買い取りのような提携という仕組みがある。ところが消費者の中には、生産者を見学して、自分より贅沢をしているのに、なぜ支えなければならないのかという疑問を呈する人がいる。生産者は絵に描いたような貧困であることが期待される。

貧困とは何か。教育を十分に受けられない社会のことだ。希望格差という事である。同じ社会に生きていて、平均的な収入の半分以下の収入の層を貧困層と呼ぶ。平均年収が500万円であれば、250万円以下を貧困と呼ぶ。シングルマザーが多いと言われているが、都会に暮らしている場合が多い。都会で250万円家庭なのか、田舎で250万円家庭かで全く状況が異なる。家があり庭で野菜ぐらいは作れる環境であれば、250万あれば普通に暮らせる。畑をやれるなら、月20万あれば十分である。子供にパソコンは買えるし、冷房も入れられる。しかし、都会でのアパート暮らしであれば相当に苦しいはずだ。子供の教育費も節約しなければならないのが現実である。こういう家庭が15%になっているという話なのだ。豊かな社会での貧困という問題を改めてとらえ直す必要がある。特に子供の貧困が深刻である。大人には抜け出せる可能性があるが、子供はその中でもがく以外にない。貧困の子供の方が肥満というのが、現代の貧困である。

子供が教育を受けたいという希望だけは、誰にでも叶えられる社会であってほしい。私は小学校から大学までほぼ無償で進学で来た。つまり、50年前より今の方が、教育に関していえば困難になっている。社会は格差が進んでいる。学びたいという者が学べる社会になってほしい。そして誰もが学びたくなるような、希望のある社会でなければならない。教育に関して後退した原因は受益者負担の思想である。大学に行き恩恵を受けるのだから、行くもの自身が負担すべきだという考え方である。教育は個人のもの、競争の材料だという考え方だ。教育を良い会社に入社するための資格と考えるからおかしいくなる。教育は社会のものであり、個人のものではない。一人が良くなるためには全体が良くならなければならないのが、健全な社会だ。その為の教育のはずだ。

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お墓の話

2016-08-29 04:12:07 | 身辺雑記

人間年寄りになれば、お墓のことが気になるものだ。死んだらお墓の中に入るという事が普通はなっている。最近は、樹木葬とか、散骨とか、多様化してきているので選択肢はあるようだが。自分ではできないが、死んだときには何らかの葬儀をして、役所に届け出ることになる。それが一人の人間の始末という事になる。人間は死というものを理解するという事はない。禅では生まれてきたことが分からないのだから、死んだ後のこともわかるはずがないと言っている。現代人の科学的な思考では、死後は何もなくただ消え去るという事になっている。この何もないという感じは恐怖がつきまとう。多分縄文人でも死後は消え去るのだろうと感じてはいたが、それがあまりに恐怖なので、何らかの死後の世界を想像しようとしたはずである。死を恐怖と感じる感覚が、死者を恐怖と感じるところに繋がる。死者がお化けになるという話は、どの民族にもある。

死者をお祭りし、尊重しなければ化けて出るという感覚は、現代人でも残っているのではないか。死者が怖いというのは子供の頃の方が強かった。死というものがとらえ切れないから、死者という、物になった人間がなんとなく恐ろしかった。母親の肉体が怖いという人はいないだろうが、知らないおばあさんの死体は怖い人も多いいはずだ。この死者という得体のしれない怖さを秘めた存在をどう治めるかが、お墓である。死体を紐で縛り付けて、出てくれないようにしている埋葬はどこにでもある。燃やしてしまうとか、鳥に食べさせてしまうというのも、一つの解決方法なのだろう。私の子供の頃の向昌院ではまだ土葬で、もう大丈夫だと考えて墓穴を掘っていたら、おじいさんの骨が出てきたなどと言う状態だった。場所によっては人体はいつまでも残っているというイメージがすごい。洗骨してけりをつける。燃やしてしまうのが一番さっぱりしているし、後腐れが少なくて良い。という事で世界中で火葬が一般化してきた。

死者を葬るという事と宗教のつながりは、この死者への恐怖心である。化けてこないいようにお寺さんに預けてしまおうという心理だろう。死者を始末するのにお寺を利用したのだろう。だからお布施というのは本来坊さんの修行に対するものなのだが、実際には死人の預かり代のようになっている。日本人にとってお寺が死者の納まりの良い場所なのだ。仏教と死者が完全に結びつき、管理されたのは徳川幕府の巧みな人間管理策である。檀家制度の確立。寺を政府の管理下に置き、各寺院にすべての人間を管理させる。墓にも入れないのが無宿人である。それは一向一揆やキリシタンで危機感を感じた結果なのだろう。人間を管理するのに死んだ人で縛りを付けて置く。ご先祖様を大切にするという当時の日本人共通の気持ちを、仏教に結びつけた。曹洞宗は葬式をしていたわけではない。個人の修業が目的である。結局のところ幕府の意図する管理下に入り、葬式仏教になる。

こうして日本の仏教は不思議な場所に置かれることになる。死者を治めるところがお寺。信仰とは少し性質が違う。禅宗に興味を持ち、得度をし、少しの修業をして、僧侶になった。しかし葬儀とは何の関係もない。私自身自分が寺の墓に入るかどうかもわからない。父と母である笹村の家の墓は品川の海晏寺にある。しかし、海晏寺の住職の考えでは、長男の家は入ることができるが、それ以外は墓に入れないという事だ。私の場合墓を作ったとしても残る誰かが維持することもない。という事は墓はないという事の方が良い。その時の住職が認めれば一時金を払って、笹村の家の墓の隅に、置かせてもらう事かと考えている。死後私は墓にいないし、空にもいない。消え去るだけである。それはいいとか悪いとかいうより、受け入れる以外ないことだ。少しの修業でもその程度のことは分かる。死を受け入れることで、いま生きているという事をより大切に考えることになる。

 

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タングドラム新作2点

2016-08-28 04:10:59 | 楽器

木鼓22号

9月4日に森の中でみんなでタングドラムを敲こうという企画がある。場所は舟原の小田原植木さんの森だ。樹木で作った太鼓だから、森の中で敲く。そして、一つではなく数多くで敲き合うとさらに面白かろうという企画である。それに合わせて新作を2点作った。今回は高音部と低音部が分かれているという事が目標であった。別に難しいことではなく、長い切れ込みの舌は低音になり、短い舌は高音になるという事である。ただ、全体の板の長さも音に影響があるので、70センチの長さにした。箱は30センチ幅の杉材で作り、天板だけをパドックにした。底板を杉にするか、堅木にするかは音に影響が強い。今回はあえて柔らかい杉板にした。出来上がってから、柿渋を塗った、上の写真のものは乾いてからもう一度塗って2回塗りである。時間とともにさらに色は濃くなる想定である。右端に押したのが焼き印のサインである。出来ればこの面に何か字を書こうかと考えている。

木鼓23号

こちらもほぼ同じ仕様で底板も杉である。秋田杉と印刷されていた。同じく箱の幅は30センチである。板の厚みは24ミリである。360センチで2000円だった。箱をすべて杉にしてみたので、箱自体も大きく作ってみた。底板をパドックにすれば、反響音が強く硬く出て良く響くのだが、あえて杉にして柔らかい音を期待した。こちらの方は柿渋一回塗りである。塗りの回数でこれほど色が違ってくる。この後、どの位変化し違いが出るのか、しばらくこのまま経過を見たいと思う。柿渋を塗るのは、確かに渋い色みが美しいという事もあるが、虫食いなどの対策にもなる。年に一度くらい塗り直せば、どんどん味が濃く出てくる。この経過が面白い。以前作ったものでは、すでに黒光りしたような色合いになっているものもある。

今回ほぼ同じ形態で作ってみて気づいたことは、左右を2対1の舌の長さにするのはいいのだが、中央に来る止音の短い横からの舌の隣には一番大きな舌が来るのが敲きやすいようだ。この点ではほかの人の意見も聞いてみたい。音はそこそこ良いと思うのだが、欠点は大きさ重さである。杉材で作っても6,5キロある。ケヤキやパドゥクを使うとさらに重いものになる。持ち運びに困る。座って膝に乗せて叩くと良い音になるのだが、あまり重いともっても居られない。座布団を敷いてその上に載せて叩く。要するに常設にする楽器になる。今回の制作でほぼ試作は終わった。こんな音のものをという事であれば、大体想定に合わせられるようになった。

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大田市場の見学

2016-08-27 04:09:45 | 地域

こうした建物が4棟あった。

小田原有機の里づくり協議会で、東京の大田市場の見学会を行った。農の会の仲間の根守さんという方が、東京青果株式会社の専務さんと大学の同級生で、今回の見学会が実現した。しかも、同級生という関係もあってか、卸売市場のかなり深部にかかわる、様々なご意見を聞かせていただくことが出来た。農業にかかわる者として流通の卸売市場の役割を知ることのできた特別な体験であった。私のような小さな自給農家にしてみると、一番遠くにそびえたつのが中央卸売市場という存在である。平原の向かいの高い山に登って、平原の果てにあるような小さな自給農家を考えてみるのもあながち無駄ではない。ともかく大きいことに驚かされる。東京青果の方が要領よく案内してくれたので、どういう流れになっているかが覗えた。お忙しい中で時間を割いてくれたのは、申し訳ないことだったが。感覚を揺さぶるすごい体験であった。

ここはセリをしているところである。前に有るのがリンゴでこれから競るために仲買人の方が下見をしているところ。ここでトップセールスが行われた。

この日は、長野県の高山村から村長や農協の代表が見えて、トップセールスをされるという事であった。その意味が事前で聞いただけではわからなかった。農協長の話は極めて情熱が籠っていて、生産農家の熱い思いを代弁しているという事が実感できた。そしてその熱い思いは、仲買人に伝わっていた。ここが想像できななかった生の人間の世界であった。リンゴのサンつがるの売込みである。サンつがるのセールスポイントは爽やかリンゴという事であった。つまり、甘みがくどくない。という事は糖度が低いという今時では弱点でもある。試食させていただき、ほど良い酸っぱさが確かに爽やかで好感が持てる。仲買人がこのリンゴをどのように競り落とすのかである。仲買人には生産農家を支えようという気持ちがある。決して買い叩けばいいというような感触ではない。農家の気持ちと消費者の気持ちをつなぐ良い橋になろうとしている。ここで直接顔を合わせる相対取引というものが重要になる。

一房15000円で落札されたブドウ「ルビーロマン」。

巨大な流通といえども私がやっていた、卵の宅配と同じ感触がある。通販で15000円で売られているルビーロマンが、競りでも15000円であった。要するに人間の生の接点世界である。私が本気で卵の生産を出来たのも、食べてくれる人の気持ちだった。そういう人間性があの巨大な卸売市場で生きているのが日本的と言える気がした。私たちの小さな宅配でも、巨大な市場でも少しも変わらないことに気づかされた。ついつい大きいと人間が居ないような気になってしまう。もう一つ新鮮だったのは展望のある農業政策が日本にはないという専務の指摘である。

そして専務なりの日本の農業は極めて有望という自説を展開された。農業も政策の立て方次第で希望が出てくる。6次産業化は成功しないと言われた。まずは若い人がやる気になるような農業は別だと言われた。農業は苦しく大変な技術を要するものだという認識が必要だ。補助金とか、奨励金では継続できない。農業大学の卒業生、農業大学校の卒業生に農業の実践体験をさせる必要がある。それを各農協が管理運営して、必要な農家に送り出すようにする。辛い体験をした10%ぐらい農業をやれば農業者人口は十分だと言われていた。

小田原ではなかなか大田市場に出すような農家はないらしい。梅干しくくらいのようだ。然し専務の話では、小田原が何らかの単品を産地として形成すれば十分可能性があるとのことだった。そういう気持ちがあるなら東京青果でも協力したいと言われていた。茨城では休耕地をキャベツの産地化した例を言われていた。なるほどいろいろのやり方があるものだと感心した。要するに意欲次第で道はある。結論から言えば、有機農産物の取引量は減少傾向という事である。専務の見方としては、一般の農産物の残留農薬や、農薬の問題点が減少した、と消費者が判断してきたのではないかというご意見だった。また、有機農産物とそうでないものの差異が、卸売市場では不明瞭になるとも言われていた。流通からの有機農産物の眺めである。有機農業では一般流通では平原の果てに消えかかっている。政府の目から見ると、有機農産物はないに等しいという判断になる。有機農業が違う販路を確立したという側面は、数字的に見えてこない気がした。

 

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安倍マリオが笑い者

2016-08-26 04:35:56 | Peace Cafe

安倍マリオが世界で評価を受けているという、風評が流されている。笑い者になっているだけなのを、評価と変えるところがすごい。いまやアベ総理大臣はお笑いタレントもやる。こんな総理大臣は珍しい。笑い者に成れるというところが、安倍晋三氏の覚悟という事なのだろう。東京オリンピックの為には、どんな立場でも協力すると閉会式後のインタビューで答えていた。つまり、自民党総裁の任期延長と憲法改定はオリンピックと組まれている。これでほぼ確信した。アベ氏はやはり木偶人形なのだ。安倍晋三氏を使った演出家集団が存在する。別段当たり前のことかもしれない。総理大臣というものは、極めて特殊な存在という事のような気がする。アメリカの、クリントン対トランプの対立を見ても両者とも変わり者だ。当たり前の個人が巨大な国家のリーダーにはなれないのかもしれない。集団型もあれば、特殊人間の登場という事もあるのだろう。庶民でありながら権力者である両面を見せなければならない。

安倍晋三氏とアベ人形との関係は見極めておかなければならない。アベ人形はマリオにも成れば、ヒットラーにもなる。その時々の流れを読み取り、又流れを作り出そうと利用されている。吉本所属のタレントのようなもので、暴力団との関係が取りざたされれば辞めさせられる。分かり安く見れば、政府のゆるキャラのようなものだ。ゆるキャラは人間より使い勝手がいいという事でどこの自治体にも存在するが、アベ人形はさすが出演料が高いが、日本関連企業のゆるキャラと見れば一番わかりやすい。経団連のゆるキャラという事でもいいのだろう。安倍晋三氏は国粋主義者と考えていい。私も日本主義者と自覚しているので、同類部分はよく分かる。ところがアベ人形を操り担ぎ出した連中は一貫した思想はないようだ。都合が悪くなれば、靖国神社にもゆかない。広島では核廃絶の演説までする。あらゆる行動の動機はその時の風評しだいである。テレビコマーシャルの良く使われるタレントのようなものだ。サプリの宣伝もすれば、殺虫剤の宣伝もする。

人形になり切れる、安倍晋三氏にはよほど気おつけなければならない。この人を甘く見てはいけないと最近思うようになった。新しい形のヒットラーなのかもしれない。分かりやすく言えば、電通が作る支配者である。どう日本国民を動かすか、徹底した調査に基づき研究している。良い例が、ポケモンゴーである。皇居の中にもいるらしいとか。原発の中にもいると言われている。これを捕まえに行く人間が警備を破るのを待って、警備の体制を調べているような気がする。誰が情報収集しているかと言えば、日米政府である。ありとあらゆるところに人間が入り込む。アリの穴を見つけているともいえる。こうして人間の行動をコンピューター分析にかけているのだ。この巨大な情報を商売にも利用するだろうし、政治にも利用しようという事と考えておいた方が良い。

ポケモンゴーで集積している情報は、大衆操作基本情報になる。人間の動かし方の研究になるだろうし、特定の人間の行動監視にもなる。必要な人間は顔認証と組み合わせで、ほぼすべての生活パターンが監視されているという事にすでになっているのだろう。人間すべてが著名性が失われた、人間が番号化された世界にはいっている。総理大臣も人形タレントが成る時代であり、国民は番号化された駒として操作される時代。競争の社会ではこういう流れは止めようもなく、何処の国が早く整理がつくかが競争になっているのだろう。企業はこの情報から明日は、のど飴をいくつ作ればいいと判断するのだ。防衛省では尖閣の中国船情報をどのように扱えば、国民が軍隊を望むようになるかを分析しているのだろう。総理大臣がマリオなら、国民はポケンモンハンターということのようだ。国という単位なのか、企業という単位なのか、ゲームの社会になっているようだ。

 

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小田原市文化財保護課

2016-08-25 04:51:16 | 地域

24日の午後、小田原市の文化財保護課に出かけた。舟原にある溜池を文化財として、何らかの保全対象として申請できないかと考えてのことだ。舟原にある溜池は神奈川県では最後に残った一の溜池という事だ。西湘地区では知る限り一つもない。江戸時代の初期に作られたものと言われている。久野川の上流部では、江戸時代初期に田んぼの造成が進んだようだ。それ以前にも田んぼはあったようだが、棚田の造成や、水路の整備など、江戸時代の初期に整備が進んだと思われる。農業遺構として、棚田の石積みや、山を掘り抜いた水路。そして溜池など全体が一気に整備されたと言われている。それはこの地域に住む古い農家の方々が、少なくとも江戸時代初期からここに住んでいた記録があると言われていることに、呼応しているように思われる。溜池も以前はもっとあったらしいし、水車など舟原地区にも少なくとも5基あったと言われている。こうした江戸時代の暮らしをたどることのできる材料が、刻々失われている。

小田原城址等の権力者の遺構は熱心な文化財保護がなされるが、農民の暮らしの方にも目を向ける必要がある。むしろ庶民の90%が農民であり、農民の暮らしをうかがい知ることのできる遺構を残すことの方が、文化財保護には重要な観点だと考えている。ところが歴史と言えば、権力の歴史だというのが、学校教育で一般化している。大化の改新とか、関ケ原の戦いとか、そういう歴史を歴史として考えるのが権力の発想である。しかし、重要なことは普通の人の普通の暮らしの細部を知ることが本当の歴史である。それが柳田国男の民俗学の常民の暮らしの歴史である。そういう観点から農業遺構というものに目を向ける必要がある。瑞穂の国の成り立ちから稲作が中心である。棚田、用水、水車と、このあたりが明確になれば、人口から、当時の経済力まで想像できることになる。何を作り何をどれだけ食べていたかがわかるという事は、これからの人間の暮らしを考えるうえで重要な材料になる。

文化財保護課では、「溜池は文化財として審議するような対象でもない。審議の申請するにも値しない。」という事であった。窓口の女性は課長には聞きに行ってくれたが、課長は対応もしてくれなかった。農業遺構など、同じ時代のお墓よりも無意味だというのだ。舟原には中世のお墓が小田原の文化財として保全されている。あれが残す価値があり、何故溜池が残す価値がないのか。説明をしてほしいところだった。「小田原には文化財として残すかどうか審議すべき重要なものが山ほどあり、ため池はその順番にも入らない。」せめて、文化財としての価値があるかどうかは別にして、審議の申請だけでもさせて欲しいとお願いした。それは保全を続けてきた者のせめてもの希望だ。「そんな申請の制度もない。」文化財としての審議の対象はどうやって決めているのか。と聞いたが、委員の先生が決めていることだというだけで、ともかく申請など出来ないという事で終わった。役所に行くとがっかりすることばかりだ。

この溜池の土地は久野村の登記になっているそうだ。この水を利用しなくなってから、溜池は荒れ果てていた。水利権は欠ノ上の方7名にあるとか聞いたが、すでに水利権はいらない。管理もできないというのが結論である。そこで、何人かで10年ほどかけて整備を続けてきたのだが、文化財としての価値がないというのが、小田原市の判断であれば、里地里山協議会での、今後管理の継続は難しい。価値のないものの管理をボランティアでやり続けるという事は、不可能である。では一体、あの溜池はどうなるのだろう。荒れ地になり、崩壊に任せるという事になるのだろうか。それはそれで小田原市の所有地に対する小田原市の判断である。しかし、その判断を検討もせず、文化財課の課長の判断で決めて良いものだろうか。窓口には出て来なかったので、文化財課の窓口で門前ばらしたという事になるのだろう。我々の10年間の溜池を保全して来た努力に対する、小田原市行政の対応はこんなものである。何が市民協働であろうか。もう自分の土地の管理もできない行政とかかわるの沢山だ。日ごろの管理のお礼ぐらい口にしていいはずだろう。どうでもいい気分である。

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台風9号の通過

2016-08-24 04:13:24 | 稲作

 

一番倒れている3番4番田んぼ

台風9号が通過した。風速30メートルくらいは吹いたと思う。それなりに強い風であった。朝から12時間ぐらい強い雨と強い風が吹いた。午後になって台風が館山に上陸したといったあたりで一度風も雨も収まり、一安心した。ところがそのあと吹いた風が強かった。かなりの稲がなぎ倒された。地面が固まっていなかったマイナスが出た。何とか立ち上がる範囲と期待している。今回倒された様子を観察すると、代掻きの影響もあることが分かる。代掻きを何度もしたところが倒れる。代掻きを何度もしたところは、肥料が利きすぎているように、緑色が濃かった。代掻きをするときにみずもりがひどい当たりは何度も、深めにやるようにしている。そうした場所が葉の緑が濃くなる。水口が水温が低いために生育が遅れて青いのと似たような感じで、葉色が濃くなっていた。何故だろうと理由を考えていた。深い代掻きの方が生育が良くなるという事なのだろうか。

間断灌水を続けていた。地面を少しづつ固めようと考えていたからだ。少しづつ硬くなっては来ていた。少しタイミングが遅れたかもしれない。穂が重くなってくるころには、もう少し地面は硬くなっていた方が良い。タイミングとして間断灌水にもう少し早く入るようにしよう。分げつが完全に取れないうちでも、間断灌水に入る方が良いようだ。穂は出穂すると日々に重くなり、弓なりに穂を曲げてゆく。この穂が大きく重ければ、風で地面につくように繰り返し繰り返し揺さぶられる。稲は大きくなびいて耐える。その結果稲はなびいたまま倒れ込む。これは倒伏と言っても稲の根元が折れたわけではない。かなり倒れてもまた立ち上がる。下手に立ち上がらせようと反対側に倒せば折れてしまう事もある。まずは様子を見ようと思う。

10番あたりは大したことはない。

 写真は24日5時である。台風が過ぎて30時間経過。倒れた原因は緑肥の繁茂が一番顕著である。レンゲが両方の田んぼですごい量だった。レンゲ緑肥の田んぼが倒れるという話は聞いていたが、今までそういう経験がなかった。今年は初めての経験をした。そして代かきの深さも影響したようだ。深いところは倒れやすい。もう一つはサトジマンを長年自家採取している内に品種の交雑が起こり、背丈が伸びたような気がする。今年は慎重にもち米が混ざらないようにしているのに、一部喜寿糯のような赤い野毛の乱れが起きている。来年は種もみを購入することにする。倒れた稲は昨日の夕方には、少し起き上がってきた。今朝行けば回復しているのではないかと期待している。全体が倒された訳ではないので、一部を結わくようなことで何とか対応できるのではないかと考えている。30時間経過後の様子では、このままもう少し待とうと思う。水は止めてある。

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石鹸の話

2016-08-23 03:30:19 | 暮らし

石鹸というものは昔はなかった。否、有ったのだろうが、山梨の藤垈の向昌院の暮らしにはなかった。別段不便はしなかった。以前タオルはぜいたく品で手ぬぐいだけで暮らしていた話を書いたことがあったが、石鹸もぜいたく品としてはあったのは知っていた。しかし、子供の使うようなものではなかった。特別のお客さんが使うレベルものだった。洗濯石鹸というものはあった。あの頑固な立方体の奴だ。しかし、洗濯をするにもめったなことでは洗濯石鹸など使わなかった。洗濯物も石鹸などふつうは使わずに洗った。特別油汚れをしたようなときには、その洗濯石鹸で手を洗うぐらいだった。たいていは灰を使った。流しには灰が置いてあって、その灰をヘチマの乾燥させたものに付けて食器は洗った。手を洗うには米ぬかである。もともとは白かったはずの下着も大体灰色に色が変わっていた。白い下着を降ろすのは正月の儀式のようなものだった。

その習い性という訳でもないのだが、今も石鹸は使わない。こんなことを書くと笹村は汚いから近づかないでおこうなどと思われても困るので、今まで書かないできた。しかし、一見汚らしいのは認めざる得ないのだが、特別不衛生という訳ではないので安心してもらっていい。風呂は好きで銭湯には良くゆくし、風呂や水風呂には日に何度も入る。だいたい風呂で身体を石鹸で洗うという人の気が知れない。石鹸で洗っていいことは何もない。風呂に入る前によく身体をお風呂の水で流すぐらいで充分である。出るときにもう一度水で洗えば良い状態になっている。良い状態というのは、必要なものが皮膚に充分のこった状態でお風呂から出れるという事である。皮膚には身体を守る重要な機能がある。石鹸で洗って流してしまうなどもったいない限りである。最近は犬まで洗うのが普通だと犬の飼い方に書いてある。とんでもない誤解だ。昔の人はたまに糠を付けて洗えばちょうどよいぐらいと考えたのだろう。私は毎日お湯で洗えうぐらいが一番良いと考えている。

ポーランドで民泊したときに一切洗剤を使っていないので感心した。向昌院でも台所洗剤を使うという事は1965年ころまではなかった。池で鯉を飼っている。この鯉は蛋白源である。台所から流れる米粒などが餌なのだ。これはどの禅寺でもそういう習慣であったが、いったん落とした食べ物をもう一度口に入れてはならないことになっている。それは餓鬼が飢えてやっと落としてくれた食べ物を待っているのに、もう一度口に入れてはならない、というようなつまらない教えと結びつけて教えられる。自給生活をしている寺院としては、当然池の鯉は食糧なのだ。改めて餌をやるという事もないが、それなりに生きていた。年に何度かその鯉をおごっそうとしていただくのである。当然洗剤を池に流すわけにはいかなかったのだ。こういう水を汚さない暮らしが当たり前のことだった。一切洗剤を使わないのは、いくらか環境のことも考えてのことだ。洗剤を止めれば環境はだいぶ改善される。

環境運動のつもりで、再生油の手作り石けんの運動など、首をかしげてしまう。石鹸が生活に入り込んだのは、どこかの企業の戦略である。その戦略の枠内で環境活動をしても根本解決にはならない。石鹸を使わない暮らしをすればいいのだ。畝メンテ使わないでもいい石鹸は止めた方が良い。ついでにはなるが、歯磨き粉などというものも使わない。なぜ、そんなものがいるのか意味不明である。歯を磨くのは悪くない。何もつけなくても何ら変わらない。虫歯にならないとかしそ墺膿漏にならないなどという宣伝は騙されているに過ぎない。生活を見直すには、江戸時代の暮らしを想像してみればいい。そしてすべてのものを自分の目で見直してみるべきだ。ついついコマーシャルで使う必要があると思い込まされたものが山ほどあることに気づくはずだ。

 

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宮沢賢治37歳死去

2016-08-22 03:56:53 | 暮らし

宮沢賢治は37歳で死んだ。今あらためて読んでみると、その輝きが増してきている。それは賢治の理想の方角にある。自然と一体化した自給自足の暮らしのなかに幸せな生き方がある。自然から離れ、競争に翻弄される暮らしには幸せはないという悟りである。羅須地人協会というものをやっている。花巻農学校の教師を退職して、小さな自給生活をする農民として生きようとして始めたものだ。つまり、手帳のメモに残された「雨にも負けず」のデクノボウの暮らしの実践である。農業を学び、普及し、暮らしに根差した芸術の展開を模索する。ここで理想を求めて生きて、残念ながら病を得て挫折する。賢治の生きた昭和初期の岩手の暮らしの厳しさは、たぶん日本人が体験した最も悲惨な時代ではないだろうか。日本帝国政府の軍国主義への傾斜が、徹底して農民を痛み付ける。このさんざんな状況が、棄民政策ともいえる移民政策、満蒙開拓や、日中戦争への泥沼に向かわせることになる。

最近経済不況が第2次世界大戦に向った原因という説、もっともらしく唱える人がいる。悪質な間違えだ。帝国主義のゆきづまり、軍事拡張への無謀な偏りが不況を招いた。今の日本の状況も、こうした悲惨が近づいている。このくらい不安の中で、光として宮沢賢治の目指す方角が指し示すことに気づかされる。宮沢賢治的世界しか、地球と人類を救えないという希望である。森鴎外や漱石が忘れ去られてゆく中で、賢治に注目が集まってゆくのは時代の必然であろう。賢治は日々の小さな農業の技術に着目している。農民を救済できるのは農業技術だと考えた。農業はその技術で全く違ってくる。技術があれば乗り越えられる冷害もある。技術があれば、半分の労力で倍の収穫を得ることができる。賢治は土壌学、作物学、肥料学に着目している。小さな農家が日々の努力で少しづつ暮らしを良くすることができる道を模索し、実践しようとしたのが羅須地人協会である。

私は賢治のような理想をもって開墾生活に入った訳ではない。絵描きになるという競争から離脱して、生涯絵の描ければそれでいいと覚悟し東京を離れた。自分を革新するために自給生活を模索しようとした。食べるものさえあれば何とかなると考えた。食べるものを自分の手で作り、自分の身体と心を革新しようとした。競争の中にいる自分を自己否定するためには、その道しかなかった。競争から離れて自己探求の道を模索した。理屈を捨てて、身体を作る食べ物から自分の手で作り、自己改革を目指した。その結果自給生活の技術というものの重要さを知った。母は山梨の山の中の寺で育ち、手作業の農業を見知っていた。母から教わったものは大きかった。鶏を思う存分飼いたいという想いは子供の頃からの夢で、これを始めた。そして日本鶏を飼う技術というものが失われたことを知った。手探りで自給生活を続ける中、伝統的農業技術が失われていることに驚いた。そして賢治の目指したところを知った。

賢治は世界の進んでゆく社会の方角の危うさを直感していた人だ。そして自然と一体化した自給農業を見据えて農業技術を探求した。その一方で、農民芸術という事を考える。日本人の暮らしの原点となる芸術観を、農民芸術として考えた。そしてその激しい理想への衝動ゆえに、37歳という若さで死んでしまう。生涯挫折の中でもがき続けている賢治。仏教を信条とし、農業を実践し、詩を書き、童話を書き、オルガンを弾き、水彩画を描く。水彩画を見るとそれが私絵画であることが分かる。絵はこういうものでいいという事を知る。賢治を真似したわけではないが、賢治と同じ方角の暮らしをしてきたことに驚く。私は賢治が死んだ37歳の頃に、やっと気づき暮らしを変えた。それから30年である。賢治が童話でその世界観を人に伝え続けているように、私も自分の世界観を、水彩画によって表わしてみたいと思う。それは、ささやかなものであるに違いないが、自分の見えている里地里山の自給生活で得た世界は、やはり私だけが見ているものだと思う。67歳生日に考えたことである。

 

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オリンピックから学んだもの

2016-08-21 04:19:22 | 身辺雑記

オリンピックでは日本選手が素晴らしい活躍をした。見事に勝利する選手もいれば、意外にも戦うすべなく負ける選手もいた。負けたとしてもその背景にあるものを考えれば、やりつくす姿には心を打つものがあった。スポーツに打ち込む姿から学ぶものがある。精一杯やる事は簡単ではない。力を出すという事が出来るのはどういう時かである。勝ち負けという結果はあるが、それ以上のものが精いっぱいやる先にはあるという事がわかる。負けたからと言って力を出し尽くしていない訳ではない。試合に至るまでの長い鍛錬が道である。自分を信じるという事がどいう事なのか。長く厳しい練習を続けるという事がどういうことなのか。オリンピックという4年に一度の世界で唯一の場に立って力を出し尽くすという事がどういうことなのか。強いとか、勝つとかいう事の前にその人間に表れた、真実の姿に胸打たれた。オリンピックほど人間のむき出しの姿が現れる場は少ないだろう。

昨日は400メートルリレーで日本チームが現メダルになった。若い日本人のすごさに全く驚愕した。決勝レースに出ることすら難しい競技でこれほどのことをやってのける、日本人の4人の若者に何か異次元のものを感じた。どうやればそこまで力を出せているかという事になる。力を出すという事は自分を信じると同時に、自分を超えるという事のようだ。自分を突破する勇気はどうすれば発揮できるか。400メートルリレーのように、自分の最高の姿を、オリンピックという大舞台にぶつけることが出来た姿は、人間の領域を超えた何ものかに見えた。これは学ばなければならない大切なものだ。勝利したものは皆そういう姿であった。今までの自分を超える現実を目の当たりにする。自分が絵を描いて居て、自分を超えるような、自分を否定して、自分の領域を突破して描くようなことが出来るか。ここを学ばなければならないと思った。自己実現のような生易しいものでは、本当の人間の能力は現れない。今ある自分を否定し限界を突破するような厳しい心の位置が必要なのだろう。

自分という人間を超えるためにはチームというものが重要という事も、どの競技にもあった。水泳競技や、女子レスリングの活躍は、個人競技であってもナショナルチームの存在が大きかったようだ。前の東京オリンピックの頃は、すべてナショナルチームだった。スポーツの背景となる社会の状況は変わった。日本は企業チームが衰退してきたために、バレボールやサッカーのナショナルチームの活動がなかなか難しくなっている。どの球技もそうなのだが、ナショナルチームを2年間ぐらいは固定して、練習を重ねなければ、強くなることは無理だろう。野球が次の東京では種目になる。強くなるためには、オールスターチームでは無理に違いない。プロ野球とは別に活動することが出来なければ無理だ。実現する環境にはない。サッカーも同じことだ。混成チームで勝ち上がれるはずもない。

チームスポーツで力を発揮できるのは、チームの練り上げたフォーメーションプレーだ。女子バスケット、バレーボールも素晴らしい選手がいるのだが、チームプレーで得点する場面は案外に少なかった。以心伝心で戦う姿が日本チームの特徴だと思う。仲間を反射的に感じて自然に動くところまでゆくのが日本人の特徴だと思う。瑞穂の国らしい暮らしから産まれた日本人の能力が、阿吽の呼吸である。失われてきた日本人の能力なのだろう。一方に新しい日本人の可能性のようなものも感じられた。個人の人間の力である。人の為とか、国の為とかでなく、自分の自身ために頑張ることで力を発揮できる人間力である。しかしそうした人でも多くの選手がサポートに足して心からの感謝を述べていた。敗れてサポートの人たちに申し訳ないと謝る選手もいた。サポートがなければ自分の力を高めることができない。情報力が勝負のカギを握っているようだ。

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中国蔑視と国粋主義

2016-08-20 04:56:35 | Peace Cafe

尖閣諸島に中国船が領海侵犯すると騒いでいる。なぜ日本政府が国際司法裁判所に提訴しないのかがり化できない。わざわざ問題の火種を作ろうとしているとしか思えない。東シナ海の基地化問題では国際司法裁判所の判決に従えと主張している姿に矛盾がある。明治期の文明開化は脱亜入欧であった。これが中国と日本との関係を変えることになった。日本は中国を通して、ありとあらゆるものを学び、日本という国を育んできた。明治政府は機械文明に後れを取ったことに焦りを感じ、どうやってヨーロッパに追いつくかだけを考えた。過去の文化を含めた全否定である。江戸時代を否定すると同時に、その根底にあった、中国の影響も否定した。それが日中戦争になり、中国蔑視になっている。それは南北の朝鮮に対しても同じものがある。今でも、国粋主義と中国、朝鮮の悪口は同じ人が主張することが多い。中国はこれから成長を続け、日本をはるかにしのぐ経済先進国になる。経済を考えれば当たり前過ぎる予測である。

日本とは何か。このことを明確にしなくてはならない。現代の国粋主義であろうアベ氏集団の考えている「日本」とは何なのか。実はこれがよく分からない。一番参考になるだろう物は、自民党憲法草案である。ここでは確かに国家主義はうかがえる。個人を抑えても国を優先するという思想がある。天皇は元首。それでも現行憲法にあるような、純粋過ぎる平和理念のような明確な思想に変わる日本は見えてこない。特にこれからの世界の変貌を踏まえた上で、日本観を提案するものではない。安倍氏のかつて主張した瑞穂の国美しい日本は標語に過ぎなかったようだ。日本とは日本企業のことのように見える。田母神氏や石原氏の国粋主義は中国に対する批判の中に、武力主義への夢想がある。経済崩壊への不安から湧き上がっているのがせいぜいの日本主義。中国批判以外で、垣間見る日本は靖国神社という事になる。靖国神社と日本の伝統的神社信仰とは相反するものである。

靖国神社に祭られるのは戦争で死んだ軍関係者だ。靖国神社は軍人の死者を祭ることが趣旨である。日本の伝統的神道とは距離がある。伝統的な神社信仰とは一線を画す特殊な神社なのだ。靖国思想で問題になるのは、過去の軍人を崇めることを通して、日本をまた軍人が守り支配する国にすべきという思想に通じているという事だ。軍国主義では武力で守るべきものをどのようなものと考えているのだろうか。日本人の命を守るという一般論はあるが、実際には進出企業の権益を守るという事のようだ。世界企業が世界経済を支配する方角がますます進む中で、軍隊と経済と国家の三者関係は明確でない。武力主義というものが根底にある。自分の存在を守るためには、暴力をいとわない思想である。暴力が個人の尊厳を守るものだと考えている。銃所持が普通の社会アメリカが好例である。アメリカという国家は何かと見渡しても、これは特にない。あえて言えるのは金持ち文化。成功するという事は、富豪になるという事に繋がる文化。

アベ政権下の日本はアメリカの影響下でリトルアメリカを目標にしている。アベ政権の先にある国はアメリカの配下である日本。アメリカもアベ政権を日本主義政権として、当初は警戒したが、実は配下を目指していると気づき歓迎することになる。日本の右翼の間違いやすいいつもの隷属の姿である。それがTPPである。経済でアメリカの支配下に入れてもらういう事だ。アメリカのお先棒になって、中国批判を展開している。アメリカの配下は良くて、中国の配下は我慢できない日本の国粋主義。中国は崩壊すると空騒ぎをしているが、中国はそれほどやわな国ではない。中国人は極めて優秀な商人である。アメリカに匹敵する、あるいは超える、経済大国になるとみたほうがいい。確かに今の中国は問題が多すぎる。態度も悪い。それは日本の高度成長期の2倍速で成長している結果である。落ち着くまではまだ相当かかるだろうが、中国は日本の5,6倍のGNPの国になるはずだ。その時になって日本の自称国主義者と拝金主義者は中国の配下になろうとして、慌てふためくのだろうか。

 

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農業者の減少

2016-08-19 04:01:24 | 自給

農林水産省がこのほどまとめた16年農業構造動態調査によると、2月1日現在の農業就業人口は前年比8・3%減の192万2200人だった。

農業者の平均年齢は70歳を超え、1年間で8,3%の減少である。このままの減少を続けると、残り15年で農業者は居なくなる計算になる。これが、アベ政権の国際競争力のある農業政策の結果である。いまさらのことであるが、この結果は私の考える日本が消滅することを意味する。国家や民族は一定の文化を保持していて成立する。農業が無くなるという事は、日本の文化が消滅するという事と考えていいだろう。温暖化問題とか、ごみ問題とか、日本人の危機はさまざまに迫っているが、最初に起ることが、伝統的農業の消滅であり、日本文化の衰退という事のようだ。実はアベ政権はそれを目指している政権である。口先では美しい国、瑞穂の国日本を掲げたが、アベ政権の口にすることは、耳障りの良いだけのものである。むしろ、本音は日本文化を引きずらない日本である。世界企業の支配する、能力主義に特化した日本である。

多くの日本人がそれを望むようになったのだから、大勢はそこへ向かえばよい。私は相模原障碍者殺傷事件はその方角で起きた事件だと考えている。この殺人犯は確かにゆがんだ思想に頭を犯されたようだが、こうした思想を蔓延させたのは、アベ政権である。女性活躍などと口先では主張するが、その本音は女性を安手の労働力として使いたいが、本音だ。男女の賃金格差は現実である。同一労働同一賃金は下手をすると、職種別、能力給の徹底もありうる。そうでなければ、待機児童などという事がありうるわけがない。弱者は排除されても仕方がないというヒットラー思想に至る背景は、能力主義と競争の論理である。競争に勝たなければならない、一番にならなければならないという考えは、裏返せば2番手以降はいらないという事になる。優秀な人のアメリカンドリームの裏にあるものは、能力の劣るものは、その能力に応じた暮らしで仕方がないという考え方だ。人類が最後の差別となるであろう能力主義を克服できるかである。

15年先と言えば私が生きている可能性が高い時代だ。生きている間に日本に農業者が居なくなるという事である。日本には農業企業があり、そこの社員はいるだろう。それを望んでいるのが今の日本人の選択なのだろう。困ると思う人も居るだろうが、仕方がないとしているのだろう。こうした日本文化消滅の流れの中で、自分がどのように生きるかである。伝統農業士の資格が出来て、人間国宝の農業士が現れるのだろうか。いや、漆塗りや、歌舞伎よりも、入らないものとされるのだろうか。いずれにしても伝統農業は3%の農業者のさらに3%の、極めて特殊なものになることだろう。しかし、伝統農業の中の稲作というものが、日本人の暮らしを生み出していたという事は、厳然たる事実である。日本人が日本教の信者であったのは、伝統的稲作をしていた結果である。

本来であれば、教育の中でこのことは取り上げなければならない。英語教育をやるような時間があるなら、日本人が日本人であるための教育を行う必要がある。より地域に密着した日本人という資質こそ、世界で生きるための価値になる。その基盤である伝統農業が15年で消え去ろうとしている。

 

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絵で何をしようとしているか。

2016-08-18 04:21:12 | 水彩画

東京都美術館で開催する「第18回水彩人展」出品作の絵を3枚並べて見ている。いまさら描くという事もないのだが、眺めている。並べて眺めていて何か気づくことはないか見ている。描きたいものが少し見えてきた気がする。言葉では難しいのだが、自分がその中に居たいような場所を描きたい。という事に方向が定まってきている。絵として良いとか悪いとかいう事は二の次になっている。以前に考えていた、絵画というものとはだいぶ違うところに来た。自分が描きたい絵にどうすればなるかと言えば、画面にある動きをとらえているかどうかという事のようだ。普段風景を見ているときに、空間全体の落ち着きから、調和に繋がるようなものを感じる。その調和は色彩とか、構成のおもしろさとか、無限の要素があるのだろう。綜合的には動きの調和があるのかどうかが、重要な要素のようだ。静止している風景も見ていると力の関係が生じている。この動きがその場所の空気感につながっている。

その場所は里地里山の空気の中である。目的が定まってきたら、絵を描いて居ても、何をどうすればいいかが、少し落ち着いて考えられるようになってきた気がする。里山の描きたい風景に出会う。そしてそれを描いてみる。何枚もただ考えもなく描いて見る。そのうち、何故その場所が描きたくなったのかが自分なりにわかってくる。それがその場の動きが生み出している魅力だ。そこにある空気の質のことのようだ。ただそこに居たいというだけなのだ。それを眼は美しい景色として見ている。美しいものが自分を呼ぶ。その美しいは、なかなか厄介な美しいだ。美術の美は一筋縄ではない。風光明媚と言われるような自然美のようなものを描きたいと思う訳ではない。人間と自然の関わり合いが生み出した、調和である。大地がある。空が広がる。畑があり、家がある。そこに暮らす人の営みがある。その営みが生み出す空気である。

昔から、美と絵画は関係があるとは考えていた。ある時美と芸術は何の関係もないという現代美術の作家の意見を聞いて、議論をしたことがある。本当に関係があるのかないのかは今もって分からない。少なくとも美は出発点だと思っている。美は絵を描く始まりだと思っている。美を自分には価値あるものと考えている。そんなこと当たり前のことだという人と、芸術と言うものの現代的意味を理解していないという人に分かれるだろう。一般的な芸術論を求めている訳ではない。私絵画として、自分にとって美はどういう位置づけるべきものかである。そして、描きたくなる動機は美しいと感じているという事だと気づく。描き進めている時にはそれが美しいかどうかは考えていない。そこに居たいかどうかは、美しいというより、親和性のようなものだ。未来永劫の平和観という方がしっくりとくる。

里地里山は庭の延長である。人間が手入れを続けて作り出した景色だ。何百年作られてきた田んぼというものは、自然と完全な調和をしている。これが描きたく成る何ものかだ。調和は人為的に作り出されている。地形的にも水を溜めるという事は、必然がある。コンクリートで固めた田んぼでは到底描く気にもならない。それは形が空間に対して調和していないからだ。大きな土木工事をして、地形を改変するような無理が生じるので、動きを破たんさせる。里山は自然の力の前に圧倒されながら、かろうじて割り込まれた人為である。このつつましやかな姿が、絶妙な調和を生み出す。桃源郷という事になる。深山幽谷が理想郷ではない。人間の営みがなければ、描く気にならない。その意味でも庭の畑は面白い。庭というキャンバスに花があり、野菜がある。暮らしへの現前化と、美しい暮らしを楽しむ空気がある。この絵が何かになるとも思わないが。私自身の目指すところの確認にはなっている。

 

 

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戦争をしないで済む方法

2016-08-17 04:06:22 | Peace Cafe

戦争が近づいている感じがして、圧迫感がある。尖閣諸島侵入の中国船に対して、「舐められてたまるか。毅然とした態度で対抗しろ。」などといきり立つ人間がいる。舐められていればいいのだ。人間というものの愚かさだ。東アジアの緊張が高まっているという事は間違いない。中国が武力的圧力を高めているという事も同感である。北朝鮮が核武装をし、日本を射程距離に収め、いつ破滅的な暴挙に出るかわからないという現実もある。そうした東アジアの緊迫感の高まる状況で、アベ政権はアメリカとの軍事協定を強化し、この緊張状態に対抗しようとしている。この対抗的姿勢がさらに近隣諸国の対抗心を高める結果になっている。負の連鎖の始まりである。ここで何か具体的な事件が勃発すれば、急速に戦争が近づくことになろう。そうした事件は、偶発的なものと見せかけて意図的に起こされる。強硬派が武力的な計画をするという事もある。日本全体には戦争の機運はないが、いつでも戦争の機運を高めることは可能だと考えた方が良い。

日本から先制攻撃をすることはない。という事は一面的には確かである。しかし、日本の自衛隊の一部が、テロ的な構想を立てないとも限らない。人間は多様な思想を持つ。三島由紀夫の盾の会だったか、自衛隊での蜂起演説と割腹自殺は、普通に暮らすものには茶番のように見えたのだが、当人たちは無様に真剣な訳だ。今の今も第2、第3の三島由紀夫はすぐそばに存在する。日本の為だと思い込み、戦争への道を進ませようという人たちは少なくないと考えておいた方が良い。それは日本だけのことではない。ヨーロッパ諸国やアメリカのトランプを見れば、武力主義の台頭ははっきりしている。こうした現状を踏まえて置き、どのようにすれば戦争を遠ざけることができるかである。

戦争というものの背景は経済から始まる。格差である。イスラム原理主義のテロ行為も、結局のところ世界経済の歪みが影響している。極端な貧困に追い込まれた者たちが、このままの格差の固定を許せなくなる。希望のない経済状態に置かれた社会が、冒険主義を生み、命を顧みない武力行為に活路を見出そうとする。世界経済が能力主義という正義を主張し、強者を強者として固定し、弱者が弱者であることを自己責任とする。経済は競争である。競争である以上軋轢が生じる。自分が競争に負けている者は、公平ではない前提があるからいつまでも弱者で固定されると考えるようになる。石油のある国と、石油のない国では競争が公平ではない。雨の降る国と、雨の降らない国では公平ではない。大きい国と小さい国では公平ではない。そしてずる賢く世界企業は国を超え、利益を生み出すために活動している。競争主義を克服し格差社会を無くす以外戦争は避けられない。

戦争にならないためには、譲ることである。7対3ぐらいのところで、相手は5分5分と感じるものだ。だから相手を我慢させるためには、8対2ぐらいに感じるぐらい譲らなければだめだ。それでも我慢した方が結局はいい。これをしにくいのが衆偶政治であり、選挙制度だ。選挙が戦争に導く。戦争で解決できる問題などなにもないことを自覚すべきだ。戦争は恨みを溜めるだけだ。積もり積もる恨みは、従軍慰安婦問題のような形になる。日本人は多分150年くらいは謝罪を続けなければならない。これが現代社会の現実である。尖閣では戦争を避けるべく平和的解決を計る努力をすべきだ。国際司法裁判所に緊急に提訴することだ。日本を軍事国家にしてはダメだ。アベ政権は日本の軍事化を目指すために提訴をしない。これを国民が良しとして、アベ政権の人気が高まる。戦争は近づく。中国がいかに非合法な国であるかを強調するための、軍国芝居が仕組まれていると考えた方が良い。

 

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