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豊田議員を育む土壌

2017-10-31 04:38:35 | Peace Cafe

豊田元議員は傷害の疑いで書類送検された。豊田議員の経歴を見るといわゆるエリートである。東大法学部卒業、ハーバード留学、厚生省官僚、自民党衆議院議員。まさに生え抜きの女性大活躍を絵に描いた人のようだ。ところがその実態はあの狂気の暴言と、暴力行為。なぜあのような怪物女性に育ったのかである。そこにあるのは超エリートを取り巻く、裸の女王を取り巻く馬鹿げた政治の世界が想像できる。豊田議員は秘書から暴力行為で告訴されているという状況にもかかわらず、衆議院選挙に立候補した。犯罪意識はないし、目が覚めない訳だ。さすがに落選した。立候補したこと自体が私には政治を私物化しているとしか思えなかった。テレビでは立候補したことを評価する評論家もいた。テレビは面白ければ何でも有りな訳だ。堂々と評価を仰ぐ姿勢が良いというのだが、堂々の意味が違う。政界ではこのくらい凶暴な暴君は珍しくないのだろうか。男ならよく居るといった人がいた。

議員は一目置かれる。立場的に権力者になるからだ。よほど、自己制御ができる人でなければ、怪物になる。世間はどうせ議員は、世間の人間とは違う怪物なのだからと、当たらず触らず、敬して遠ざけておく。権力があるから恨まれたら怖いというのがある。同時にうまく利用してやろうという魂胆もある。何かとお願いごとには議員の力を利用する。議員の一言で動くことが多いいからだ。森友事件ではごみの片付けには6億円値引きしすぎだと会計検査院では見ているらしい。総理大臣のお友達らしいと、何やら怖そうな、日本会議の一員である。総理大臣の奥さんが名誉校長である。官僚としては、角を立てて損なくじを引くのが怖い。ここでいい顔させておけば、悪いはずがなかろう。こう考えるのが官僚一般の姿と思った方が良い。加計さんのように総理大臣とゴルフをするだけで、悪くない汁が吸えるのかもしれない。その様なゆがんだ世間になってきているのか。世間とは昔からそういうものなのか。

豊田議員を忘れないで置かなければならない。どれほど素晴らしい経歴の持ち主であっても、どれほど表面では冷静で知的な議論を展開する人であっても、いつ人間は豊田化するかもしれない。置かれた立場によって変わる危うさが人間にはある。議員を奉り、忖度し、虎の威を借り、利用しようとする人ばかりであれば、どのような人間であっても豊田化する可能性があるのだ。豊田議員には自分の豊田化であるから、今でも自覚症状がないのだ。だから平気で又選挙に出馬できるような、鉄面皮行動になる。権力者の豊田化は日本らしいソフト独裁の本質を表している。表面ソフトの仮面こそ、アベ政治である。安倍氏のやっていることの実際は、石原氏以上の明治憲法信奉者である。仮面を剥いでみれば、役を降りてみれば、豊田化しているに違いない。

権力者というものをその表層で判断してはならないという事だろう。印象で判断してはならないという事だ。安倍氏の場合、本質はトランプ化していると言える。トランプが正直者であり、アメリカ人というものはあの独善の塊を受け入れるからなのだろう。これが日本人であれば、豊田議員は許せない訳だ。だから、豊田議員も2重人格的に怪獣化した。怖いのは仮面で押し通せる役者である。選挙では豊田議員が見抜けなかったように、経歴という表層に騙されがちなものだ。安倍氏の場合、子供の頃から仮面をかぶる訓練を受けてきた人だ。日本にとって最も危険な人だ。根っからの豊田化を受け入れてきた人だ。ただ豊田氏ほど優秀ではなかったので、役に徹する方法を学んだのだろう。自分より優秀な演出家の存在を知っている。役者としてはなかなかである。なかなか馬脚を現さない。奥さんの方は馬脚を現してしまった。しかし、国民はいまだこの演技を見抜けないでいる。

 

 

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人物画について

2017-10-30 04:53:06 | 水彩画

 

リンカーンの言葉に「男は40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」という言葉があった。自分の顔に責任が持てないで生きてきたので、嫌な言葉だと思いながらいつの間にか40歳を過ぎた。確かにリンカーンの顔はなかなかのものだ。その自信がこうした言葉になったのだろう。この歳になれば、顔とは限らずすべてに責任は持たざる得ないという事に気づかざる得ない。外見で人間を判断するというのは、余り喜ばしいことではないが、全てが外見に表れているなあとも思う。良い顔の人がいる。良いと感じるのは別段性格が良いというのでも、見た目がうるわしいというのでもない。命あるものとしての生命の輝きがあるという顔である。生き生きと生きている顔である。鶏を長年飼っていて、鶏の眼付様子でその元気さは判断できる。元気な鶏は見ていて力を貰える。人間も同じことなのだろう。顔色を見るのはお医者さんだけではない。

人物画というものがある。特に西洋では人間を研究するという意味が学問芸術の根本にあるようだ。ルネッサンスとか、人文主義とか、ヒューマニズムというようなものだ。人間の研究の為に絵を描く、ダビンチのモナリザにある人間の探求。レンブラントの自画像の連作。そしてセザンヌやゴッホのように、お隣にいる普通の人間の真髄に迫るように描く。その奥に人間とは何なのだろうという、探求心が現れている。その意味では日本の肖像画が立派な人を立派に描くという物のようだ。理想像を求めるような方向とは異なる。写真は西洋で言えばるレンブラントやダビンチの時代よりも300年も古い日本の肖像画である。《伝源頼朝像》《伝平重盛像》《伝藤原光能像》の三枚が国宝としてある。様式化された中、一つの美術としての人間像が描かれている。美的なものとしての人物像である。100号サイズである。中国の宋の時代の絵画に影響されているとされる。

この3枚の絵で特出すべきは様式化である。束帯姿で、黒色の袍(ほう)を着用し、冠を被り、笏(しゃく)を持って威儀を正し、太刀を佩用する。様式は統一されている。顔だけを載せ替えるがごときである。人物の表現には宋の絵画の影響もある。この時代の人間観のようなものも反映しているのだろう。位と立場が人間より先行している。多分に肖像画というより、様式化された権力者像なのだと感ずる。抽象画であったとしても、すごい入り方だと思う。この黒い衣装を形どる幾何学形の画面へのはまり込み方の決定的な印象が、様式化というものなのだろう。一部の隙もなく複雑な形が絵画される。こうした絵を見ると、西欧の人間観と東洋の人間観はまるで違うものだと感ずる。東洋は個人の人格というより、その人物の役割というものが絵画対象なのだと思う。

南宋の絵画。

日本の絵はヨーロッパの絵画とは違う。特にそのことが人物画を見るとわかる。日本の絵はある種の記号なのだ。図式と言ってもよい。仏画であれば、仏という意味の説明が重要になる。西欧の絵画が自分という人間の表現に進むことと違う。江戸時代の浮世絵のように、力士や役者や太夫や美人を描くことでその役割の記号としての意味表す。それぞれの役割のプロマイドのようなものである。プロマイドはその役柄の理想化が必要である。力士であれば、より横綱らしい力士を描く。そのあたりの当たり前の人間を描き、人間というものの本質を表現しようというような方向には行かない。キリスト像はキリストの苦しみやその思想が絵の上に表れ、その図像によって宗教的感化を目的とする。仏画が観念的な理想像を描くことと根本的に違う。

 

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北朝鮮の核武装をどうしたらよいのか。

2017-10-29 04:10:48 | Peace Cafe

「存立危機事態」は、「密接な他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」事態において、自衛隊の防衛出動を認め、武力行使を認める状況を指す。

北朝鮮情勢が自民党勝利に影響したことは間違いがない。この経験によって選挙に勝ちたい自民党は北朝鮮情勢を長引かせておくことが、あながち無駄ではないと考えるようになるだろう。憲法改定の国民投票までは、北朝鮮や中国と平和的な関係を結ぶことを望まない勢力が暗躍する。仮想敵国中国との緊張を高めることで、日本の軍事化を進めようと考えている。日本国民が平和ボケした太平楽で、一向に危機感を持たないことに怒りを感じている人たちにしてみれば、世界の緊張関係を近隣諸国との対立によって具体化する必要がある。日本国民の平和ボケの目を覚まそうという戦略のつもりなのだろう。こうして日本が戦前の日本に戻る必要があるのかどうかである。それは、世界が、特に近隣諸国が軍事力を強化し、覇権主義を前面に打ち出してきている状況下で、平和主義で良いのかである。日本国憲法で示されている、国際紛争には武力を用いないで解決を目指すことを、政権に命ずるというような方針で良いのかどうかであろう。

北朝鮮が、日本がアメリカとの同盟をやめ、米軍基地を撤去させれば、日本を攻撃対象にしないと主張した場合、日本人はどのような選択をするだろうか。アベ政権はそういう恫喝には乗らないと主張するに違いない。しかし、国民は動揺することだろう。アメリカまではミサイルは届かないとしても、日本であればいつでもどこにでも打ち込める。全てのミサイルが迎撃できるなどと考えているのは石破氏位だろう。一発でも来ると思えば、そのミサイルは自分の家族に向っていると考えるのが人間である。この緊迫した事態を日本国民は今から真剣に考えておく必要がある。アメリカの尻馬に乗って先制攻撃をして、北朝鮮を壊滅させる道を選択するのであろうか。多分このままではアベ政権はその選択をせざる得なくなるだろう。もちろんそう簡単に先制攻撃はないだろうが、中近東での先制攻撃を見れば、いつ現実化するとも限らないと考えておいた方が良い。

軍事攻撃を想定してしまえば、日本人も朝鮮人も終わりだと考えた方が良い。戦争で解決できることなどない。正義の為の戦いであろうが、侵略戦争であろうが、人殺しなのだ。暴力で解決できることなど何一つない。負けたものの憎しみが増幅されるばかりである。平和的努力がいかに無力に見えようとも、それ以外に道はないと考えてる必要がある。北朝鮮が受け入れ可能な仲裁案を日本は提示する必要がある。アメリカの核ミサイルがもし、北朝鮮に打ち込まれた際は、中国、ロシアの核ミサイルがアメリカに打ち込まれるように約束をさせる。北朝鮮が中国、ロシアの核の傘の下にあることを明確化させることだ。北朝鮮の安全保障が保証されない限り、北朝鮮の核放棄はない。そして、核保有国自体が相互に核軍縮を実行する道の選択。核兵器を国連の管理下に置く。最終的には世界中から核兵器を無くす。この最終目標までの過程として、北朝鮮の核拡散防止は日本の平和主義の使命の一つでもある。

近年の国会議員は、まるで就職をしたような意識だ。自分の身分保障の選挙というものが、国家より大切になっている。自分の選挙に有利に働くのであれば、北朝鮮の存在はありがたいものになる。それがソフト独裁を産んでいる要因である。国民自体がいつの間にか独裁政権を選挙で選択してしまう構図である。アベ政権は仮想敵国中国を推進している。八重山諸島の各島にミサイル基地を作る。これは中国側からしてみれば、脅威の増加である。自衛隊基地とは名ばかりで、結局のところ日米同盟による共同使用である。米軍の沖縄偏重を自衛隊基地に置き換えようという、米軍負担軽減の思いやり作戦である。こうして緊張を高めることが、政権党有利になるという現実。国民の不安意識を操るアベ政権のソフト独裁を何としても打ち破らなければ、日本はまた戦争に巻き込まれることになる。

 

 

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有権者の希望が排除された。

2017-10-28 04:11:36 | Peace Cafe

衆議院選挙最大の失言は、「排除」の一語であった。これで希望の党の希望は萎えた。小池氏の馬脚が見えてしまった。一度不愉快な気分を味わえばすべてが歪んで見え始める。政策の見えない政党である希望だけに、忽ち愛想をつかされた。麻生氏は北朝鮮のお陰で選挙に勝利したと正直に発言した。次の選挙でも北朝鮮を持ち出そうと決意したことだろう。政治家は言わなくてもいいようなくだらないことを発言してしまうのだろうか。人間はそもそも失言をするものだ。私もよく失敗をしている。ついその場の流れで口にでてしまう言葉がある。そしてくよくよ反省して眠れない夜を過ごす。そこに案外に心の底にある本音が見え隠れするから怖いのだ。小池氏はニュースキャスター的に流れの把握に巧みなのだろう。それゆえに民進党のなだれ込みで、希望の党が乗っ取られると感じたのだろう。上手の手から水が漏れたのだ。麻生発言には日本の保守主義者の本音が見えるような気がする。気の利いたことを言いたい性格の為に、本音がこぼれ出る。

小池氏の場合排除という言葉を使ったのは、質問した人が上手く誘導したからである。議員への質問はこうした深層心理にある何かを、質問によって引き出すという事が大切だ。そもそも小池氏は言葉を操り、政策なしに東京都知事になった。だから希望の党などという不思議な名称なのだ。排除という言葉の奥には、民進党議員の合流によって自らが、埋もれてしまいそうな小池氏の焦りがあったのだ。誰を総裁候補に推すのかと前原氏に迫られて困ったのだろう。前原氏の判断は間違ったわけではない。どうせ民主党は選挙で負けたはずだ。前原氏には共闘ができない事情がある。前原氏は自民党にいてもおかしくない人だ。その人を選択した民主党がすでに終わりだったのだ。どうせ終わるのなら、希望の党に合流しようと考えたに違いない。前原氏について行って、いまさら前原氏を批判しているぐらいどうしようもない議員ばかりなのだ。選挙の為には手段を択ばず。政治より選挙が大切な人たちなのだ。政治を選挙だと思い込んでいる政治家たち。

麻生的保守政治は良いことに向うのであれば、その手段がヒットラー手法であっても構わないという考えになる。ヒットラー手法とは、領土の奪還による民族意識の高揚、経済の再生による政権に対する支持の強化を意味しているのだろう。この2つを実現すると、大衆というものは簡単に騙せるという意味だと推測できる。騙すと本人は考えず麻生政治を自由に展開できると考えていると言ってもよい。中国を仮想敵国にすることで、選挙に有利になるというのがアベ政権の選挙だ。麻生氏の政治目標がどういう物かはあまり語ることはないが、日本の指導者になりたいというような、単純に権力志向の人に見えるが。総理大臣の家柄という家督相続の怖さ。どうやって、大衆を導けばいいか等偉そうに考えているに違いない。同じような出自の安倍氏の怖さは、操られていることに平気なところだろう。失言は自分の意思でしゃべった場合にだけ生ずる。

今回の衆議院選挙は3分の1の人が憲法改定。3分の1が平和憲法守る派。後の3分の1が憲法など関係ない派。こういう中でどのような議論が展開されるのかとても興味深いが。話はまとまる訳がないだろう。まとまらないままに、数の力で国民投票に向かう可能性もある。国民それぞれが自分で考えを決めてもらいたいものだ。自民党は憲法改定の為に、北朝鮮の力を借りようとするだろう。憲法改定にも北朝鮮と中国が利用される可能性が高い。立憲主義を認めていないのがアベ政権である。憲法に従うのであれば、北朝鮮や中国に対して、平和的手段にゆる紛争解決の道を探ることが命じられているはずだ。平和的手段どころか、軍事的圧力だけをアメリカにお願いするのが、アベ政権の姿だ。憲法改定の為に、明治憲法復活の為に、わざわざ軍事対立を高めようとしているのだ。八重山諸島に自衛隊基地を作ることは選挙対策という事になるのかもしれない。

 

 

 

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軽トラック123456キロ走破

2017-10-27 04:12:41 | 暮らし

三菱の軽トラックに乗っている。購入したのは平成15年2月17日となっているから、14年と半年乗っていることになる。軽トラは月々1万円にはならない。そして、先日123456キロにメーターが成った。地球を3周したことになる。1年に8500キロほど乗った。もう車はボロボロではあるが、あと2年はなんとか乗るつもりだ。4WDのオートマチック車である。余り調子が良い車という訳ではなかった。良く壊れて時々直してもらっている。先日は巡礼街道の途中の道の真ん中で、突然車が止まってしまった。動転してしまい怖かった。降りて押して歩道に何とか寄せることができた。どうしたらいいのかと考えたのだが、携帯電話を持っていないから、こういう時に窮する。電話を借りようとともかく店に入ったら、なんとそれが自動車修理工場だった。しかも日曜日にもかかわらず、その店は開いていた。そして、一緒に押してくれて修理工場まで運んでくれた。何という幸運かと思う。

わざわざ自動車工場の前で壊れるようになっていたかのようだ。早速、工場の人が見てくれた。どうも冷却水のビニールホースが破裂して一気に水が漏れたらしい。エンジンルームをあけてみてすぐに、これはメーカーからホースを取り寄せて変えるほかないという事になった。それから修理に2週間もかかった。三菱の部品の配送が悪いのだろう。修理が終わったというので、工場まで車を取りに行くと無料だというのだ。実はこのホースはメーカーのリコール対象なのだそうだ。そんな連絡もなかった。リコール対象のホースが常備していない三菱自動車。偶然止まったその自動車修理工場の方の話では、その車を三菱が直してくれたのだそうだ。その工場の方はどうしてもお金を受け取ろうとしなかった。申し訳ないことをした、掃除までしてくれてあった。それなのに、今の時代にそういうお店もあるのかと驚きだった。今度は絶対そこで車を買う。

それにしてもこの車なんどもリコールになっている。エンジンオイルに関しても実に不調ですぐ減ってしまう。それでいつもオイルを足しに来てくれている。このオイル漏れもリコール対象である。この軽トラは3代目である。前の2台は中古車だった。中古車の為か早く乗れなくなった気がした。スズキの4WDの軽トラックだった。この車も信号の真ん中で突然動けなくなった。この時はエンジンが止まらなくなったのだ。キーを抜いてもエンジンがゴーゴー激しく音をたてた。アクセルを踏み切っている状態になった。まるですぐにでも爆発をするかのようだった。何故なのかはわからなかったが、しばらくしたら止まった。この時も押して信号の隅に寄せた。その時はJAFに来てもらった。なんとかその場で直って家に帰ることは出来た。この時やはり車に詳しくないものは新車の方が良いと考えて、スズキは止めて三菱にした。中古車は10年は乗れなかったので、却って高いものについたかもしれない。

何処に行くのも軽トラックで行く。軽トラが好きだ。一番運転がしやすい。日本の狭い農道には最適である。4DWであれば相当の難路でも走れる。なんとなく田舎に紛れ込めるのも良い。軽トラは世界最高の車種だと思っている。小型車優遇税のお陰で素晴らしい車が生まれたのだ。政府の規制が良い車を産んだ事例だろう。アメリカでも結構人気があるらしい。大きなアメリカ人が乗っている姿を思うと、笑いが生まれる。何度も、リーコールがあった車だ。それでもこれだけの距離乗れているのだから、ましな方ではなかろうか。4WDで、オートマチック車だ。高速でも走ったことはあるから、そこそこのスピードも出る。田んぼに埋まった、トラックターを引っ張り出したこともある。あと2年は乗り続けたいと思う。その頃にはリチュームイオン電池の軽トラが欲しい。しかし待っている間に、もう軽トラにも、自動車にも乗らなくなっているかもしれない。

 

 

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自然農法で600キロ取りできる稲作法

2017-10-26 04:16:40 | 稲作

欠ノ上田んぼ 全景 南側に久野川があり、小高い丘が続く。日照は少ない。手前のように水が所々で湧いてしまう田んぼである。

欠ノ上田んぼの稲作法を書きとめて置く。自然農法でも、有機農法でも稲作は畝取りができる。小田原市久野での3反の谷戸田での20年近い実践結果である。過去5年間の平均収量がほぼ1反600キロである。全国平均は過去五年が540キロである。小田原市は500キロに達していない。

稲作9か条

1、「苗作り」

苗は苗代直蒔きで作る。5葉期の苗で田植えをする。種籾は冷たい川での1か月の浸種を行う。滞りなく、順調に育てることが後々の成果につながる。播種後は、ぼかし土と燻炭を上から蒔いておく。

2、「水管理」

良い水を十分にいれる。良い水とは春は冷たくなく、夏は暑すぎない水。生きた水の流し水が良い。水のタテ浸透も大切である。ざる田は管理によっては良い田になる。水管理は矛盾した判断になる。深水も良ければ浅水も良い。湛水管理も良いし、干しを入れるのも良い。稲の生育を見ながらの細やかな管理が必要になる。

3、「草取り」

草は出来る限り取り除くことが良い。一本あるだけでも収量は確実に減る。トロトロ層。浅い代掻き。深水。流し水。緑肥漉き込み。抑草は総合対策である。

4、「発酵土壌づくり」

田んぼの土壌は、水底の土壌での微生物の活動で出来る。良い水中発酵型土壌になれば、腐敗が起こらず、微生物が稲に栄養を与えてくれて、多収が望める。腐植の増加が重要である。

5、「緑肥栽培」

冬は必ず緑で覆う。晒された土壌は疲弊する。緑肥は肥料ではなく腐植の増加と考える。レンゲやクローバーも良いが、菜の花、麦も土壌分析を行いながら、判断する。

6、「適合品種の自家採種」

自分の田んぼに適合する品種がある。それを自家採取を繰り返しながら、自分の作りやすいものにしてゆく。

7、「疎植、一本植、開帳型」

 尺角、1本植は土壌が出来れば、可能になる。

8、「コロガシは土づくり」

草抑えで使う田車で、縦横2回の合計4回の田んぼ土壌の耕転を行う。これで分げつを取る。土壌に酸素を供給することが初期生育には特に重要。コロガシは抑草だけでなく、土の活性化でもある。

9、「天候を読む」

天候を読んで、先を見る稲作を行う。近年の荒い天候をこなさなければ良い稲作は出来ない。

 

実際の耕作の流れ。年々変化している。

1、立春 海水に田んぼの泥を加え海水選をする。その後13度以下の冷たい川に種籾を種まきまでつけて置く。

2、4月中旬 田んぼ全体にそば糠、そばかす、(米ぬかでも良い)を撒く。1反200キロ程度。緑肥の出来具合で土壌の様子で撒く量を変える。

3、4月中旬 荒起こし、代掻きを行い苗代を作る。場合によってはこの時に田んぼ全体を一度目の代掻きを行い、2度代かきにする。苗床のベット部分だけは丁寧に深く代かきをして置く。苗床はトンボを使い出来る限り均平をとる。

4、4月下旬(田植え5週前)苗床に直播で種を蒔く。自然農法では苗の状態が一番重要になる。昔の苗代が最善である。苗床は穴あきビニールでトンネルで覆う。。苗は5週間育苗する。4.5葉期を目標とする。苗は20グラム撒き以下のばらまきとする。バラ蒔きした後、ぼかした土と燻炭を覆土として上から撒いて置く。良い苗とは滞りなく生育した苗。

5、6月初め 田植えを行う。田植え直前に代掻きを行う。代掻きをしたらすぐに田植えをする。田植え直後にそばかすをミジンコの餌のつもりで撒く。4.5葉期の大苗を、1本植にする。分げつがすぐ来る。30㎝角植えにする。補植を丁寧に行う。

6、田植え1週間後からコロガシを縦横2回づつ行う。コロガシは多いいほど良い。コナギが発芽出来ないようにひたすらころがす。草が出ないでも分げつの為にコロガス。ヒエは8センチ以上の深水にすれば出ない。一度出ない田んぼになれば、その後は浅水でも出ない。

7、水管理は初期は深水管理で進める。流し水管理で行う。徐々に間断灌水に変える。花が咲くようになったら、水は切らさないで土壌を固めるという、矛盾した水管理をしながら、稲の顔色を見て進める。干田は倒さないための必要悪。倒れないなら行わない。乾かない場所は決まっているからそこが乾くような干田をする。また乾きすぎる場所は病気が出やすので、乾きすぎる場所も作らない。

8、稲の姿は開帳型で、太茎、硬い弾力の強い株。大きな止葉。サトジマンで100センチ以下。分げつは25本を目指す。穂は100粒以上平均120粒。

9、出穂3週前にそば糠(米ぬか)の追肥を行う。昨年から取り入れた。

10、穂揃い後1か月たったら水を落とす。水尻を開け、畔を切る。排水を徹底する。水を落とし10日後に稲刈り。

11、秋起こしを行う。緑肥作物の播種を行う。藁を散布する。ソバカスの散布も行う。

12、そばかすは緑肥に肥料を与えるつもりで、緑肥の様子によっては冬の間もう一度そばかすを撒く。肥料は田んぼの耕作をしながら作る。田んぼを堆肥場と考えた方が良い。

13、水底での発酵型土壌を作ることを目標とする。土壌が出来れば、肥料も削減出来て病気が出にくくなる。健全な稲作になる。

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三軒茶屋小学校同窓会

2017-10-25 04:25:43 | 身辺雑記

1949年に生まれだから、1962年の3月に世田谷に区立三軒茶屋小学校を卒業したことになる。4年から6年の3年間の3組江藤学級である。その小学校の同窓会が先日三軒茶屋であった。15人ほど集まった。毎年10月の第2週の土曜日に開かれている。同窓会はよほどのことがない限り参加する。同窓会は昔に戻った気持ちの良い友達が集まるからだ。私は三軒茶屋で生まれたとも言っているが、実は山梨県の藤垈の向昌院で生まれたのが本当である。子供の内はその山寺と三軒茶屋とを行き来しながら育った。三軒茶屋小学校に通ったのだが、境川小学校に通ったこともある。山の中の向昌院での暮らしが好きだったという事もある。忙しすぎる暮らしで、子供どころではない状況があった。そこで小さい私に何かあっても困るので、祖父のお寺に預けられていた期間が長かったののだろう。兄は預けられることはなかった。たぶん家長制度の意識があった祖母が兄は手元に置いておきたかった。東京の家の事情という事もあった。

同時に多分そうだと思うのだが、精神的に問題のある子どもだから、祖父に預けられたという理由を今は考えている。祖父は僧侶であり向昌院で精神疾患の患者さんを預かる宿泊施設をしていた。お滝の森という清水があり、その霊水の滝に患者を打たせることが、江戸時代よりの治療法とされていたのだ。その宿泊施設が向昌院であった。だから精神疾患の患者の治療施設としての登録もある寺であった。祖父は早くに父を亡くし、寺に預けられた育った人であった。寺にはいつも病気の人とその家族が自炊で暮らしていた。その経験から孫の私を観察した祖父の意向で私を向昌院で預かることになった気がする。すこし危うい孫を預かることをあえて引き受けた気がする。小学校に行くまでは向昌院での暮らしが長かった。それですっかり山寺の暮らしに成れてしまった。三軒茶屋小学校に入学してからも、低学年の間は向昌院にいた記憶の方が鮮明である。4年生ごろからは、三軒茶屋に暮らし始めた。そのクラスが江藤学級である。

江藤先生という人は今思えばかなり変わった教師だった。鉄拳制裁当たり前の人だった。大学を出て間もない若い教師であった。三軒茶屋という地区が燃え残ったために、引揚者家族などが集中し少し荒れた空気があったと思う。江藤先生は実に積極的な人で、学芸会、演劇、炊飯遠足、成績順の着席、男女がひと月代わりに隣の席に座る人を指名する。野球のチームを2つ作り1軍と2軍とで競争させた。まあ野心的であったと言えばいえるのだが、今考えてみればあり得ないような露骨な競争主義の人だった。一度同窓会に来て、教師を辞めて投資家になったということで、バブルで成功して月々何百万円も収入があると、生徒に自慢話しをして驚かせた。それでも悪い教師だったとも思わない。教師の影響というのはどういうものなのだろうか。今では三軒茶屋に住んでいる人は、数人しかいない。三軒茶屋自体が様変わりしているから、当然のことだろう。まだ環状7号線はない。周辺には麦畑があった。あちこちから引き上げて来て、三軒茶屋に流れ着いたような人が多かった。我が家もそういう家族であった。

卒業をして、46年が経過した。68歳である。みんなが働いていた時代とは少しづつ変わってきた。弱音も言い合えるような関係になった。どちらかといえば女性の方が元気である。はつらつとしているので驚かされる。要するに生き方の問題なのだろう。こなくなった人、来れなくなった人。見つからない人。寂しい限りである。

有朋自遠方來。不亦樂乎。孔子の言葉である。訳してみれば。

今日は遠くからご苦労さん。

昔一緒に勉強したね。

久しぶりの話で時のたつのを忘れるね。

生きてきた道は違うけれど、こうやって合えば昔の顔だよ。

お互いひたすら暮らして、いろいろ学んだね。

会うだけでもその暮らしの気持ちが伝わよ。

 

 

 

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衆議院選挙の分析

2017-10-24 04:48:33 | Peace Cafe

自民党が大勝したように言われているが、比例区での明確な自民党への得票は33%である。これで過半数を超える多数の議席の確保をした歪んだ選挙結果だ。自民党支持者は3人に1人に過ぎないのだ。この欺瞞の原因は、公明党の自民党候補への投票と小選挙区制度という不公正な選挙制度が理由だ。3分の2の国民が安倍政権に投票したわけではない。おかしな制度の結果、肯定されてしまった安倍政権がこれからどのような暴走を始めるか不安な結果になっている。この流れを作ってしまった現況は、小池希望の党にある。小池希望の党は結果的には野党共闘の刺客となっただけだ。小池氏と自民党の一部議員は連携しているのだろう。選挙に勝利すれば、自民党の一部議員と組んで、自民内反安倍勢力結集の総理大臣氏名まで妄想していたはずだ。所が希望の党の惨敗という結果を受けて、アベ忖度政治という、ソフト独裁がますます強化されたという情けない結果となる。日本の政治は安倍政権にすり寄ることが、保身の道となった。

安倍氏は野望である憲法改定をめざすであろう。自衛隊を海外派兵もできる戦前の軍隊に戻そうという想いのはずだ。選挙結果を受けて、今後憲法改定に向けて議論が起こるであろうが、国民投票には入れないはずだ。どれほど巧みに進めたとしても、明治憲法への先祖がえりを望む国民は3人に1人に過ぎない。海外派兵を認めた憲法違反の安保法制を追認する形の、自衛隊の憲法明記を国民が受け入れるとは、思いたくない。立憲民主党は「右でも左でもなく、前へ。」と主張した。大賛成である。憲法を論議することの先頭に立って大いに議論を行ってもらいたい。世界平和にとって、日本国憲法が希望であることが、議論すればするほど明確になるはずだ。安倍政権の野党のどさくさをみて、急きょ行った総理大臣の解散権など、憲法を改正して辞めさせる必要がある。総理大臣が疑いをごまかしたいときに解散する。こんな保身の衆議院選挙ができる憲法では日本の未来にとって迷惑千万なことだ。

前原氏の意味不明の希望の党への合流がこうした情けない結果を産んだ、一つの要因である。小池氏以上に、日本をダメにする政治家の一人である。民進党が前原氏を党代表に選択したという事がそもそも間違いの出発点である。前原氏を選択したがために、希望の党への合流が起きたのだ。前原氏のおかしさを見抜けないというか、良しとする民進党議員は視野の狭い人間だ。前原氏の野心がみえないのだろう。こんな先見の明のない、代表を選んで良しとするような政党に未来がある訳がない。その意味で民進党が消え、明確な主張のある立憲民主党が誕生したことは、今回の選挙のわずかな救いである。平和憲法支持議員は30%はある。憲法自衛隊明記派支持と変わらない結果である。明治憲法の復活を許さない。原発を止める。そして、1、どのように世界の一国主義への傾向に歯止めをかけるのか。2、日本の平和外交とは何か。3、グローバル企業と国家との関係をどうして行けばよいのか。こうした議論を起こしてほしい。

小選挙区制という日本の政治状況に適合しない。小選挙区を有利とする与党は今後ともこれを変えようとはしないであろう。であれば、野党は野合と言われようとも降車の1本化しかない。そして、状況を覆し、小選挙区を終わりにしなければならない。政治家に選挙制度や報酬を決めさせるのでは、多数派政党の意志に従う事になる。選挙制度の為にこうしたおかしなことが起きているに過ぎない。まだ日本を諦める必要がないという事が分かった選挙であった。立憲民主党と共産党社民党を合わせれば、自民党の得票と。安倍政権はアベノミクス推進だそうだ。アベノミクスとは何なのか。これももう一度洗い直してもらいたい。消費税は子育て世代や教育ににあてるそうだ。それでは財政再建はどうなるのだろう。子育て支援と教育の無償化は、消費税の増税を待つことなく、すぐにでもやらなければならない。選挙公約なのだから、すぐにでも具体策を出してもらいたい。

 

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もち米の収穫

2017-10-23 04:19:16 | 稲作

もち米の収穫が終わった。雨続きの中、切り抜けるように終わった。全てが終わったよくも出来た、とあきれたような気の抜けたような状態にいる。5畝弱の面積で300キロを少し超えた。5%は残念ながら無駄にしてしまった。もち米の畝取りは初めての体験だった。と言っても12番担当の松田さんの奮闘あればこそのことだ。稲刈り、脱穀、籾摺りだった。喜寿糯も畝取りをした。これで田んぼは全部終わった。ともかくこの秋の雨続きで収穫すら危ぶまれる天候である。もち米の稲刈りは10月9日、脱穀が18日、籾摺りが21日。雨続きには夏から悩まされた。喜寿糯が背丈が120㎝になった。それでも何とか倒れず持ちこたえてくれた。よく稲は耐えてくれたと思う。この田んぼは今年新しく借りた、日陰の田んぼである。南側には久野川が流れているのだが、対岸の林の木が大きくなり過ぎて、田んぼの日照は少ない。かなり条件の悪い田んぼである。放棄されていた田んぼを去年から耕作している。これは借りているというのではなく、地主さんの稲作のお手伝いをしている形である。放棄されている田んぼを見ると、何としても田んぼに戻さなければいけないと思ってしまう。

欠ノ上田んぼは、「苗床での直蒔き苗。手植え。天日干し。かなりの手刈り。冬の緑肥。自然農法」江戸時代とそのままのような稲作法である。昔のやり方に拘ってやっている訳ではなく、協働田んぼの合理性を突き詰めたら、こうなったのである。最初の頃は機械植えで行っていた。ところが15人の仲間の内14人が見ているだけの田植えになってしまった。これでは協働にならない。しかも、田植え機の準備や故障やらある。15人いれば手植えの方が早いぐらいだ。苗も、最初は苗箱に蒔いて普通に作っていた。しかし、大苗でなければ水没する。代掻きが下手なのだ。均平が取れないので、ついつい大苗が必要になった。大苗作りのセルトレーで蒔くようになった。所がセルトレーは手巻きの播種では手間がかかる。そこで苗床直播に変えた。苗床直播も苗取りに時間がかかる。何とか楽な苗取りが出来ないかと工夫を重ねて、ついにセルトレーと同じような楽な苗取りのできる、代掻きを工夫した苗代ができるようになった。天日干しは明らかに味が良いから大変だがやり続けている。

田んぼの会の目標は分配のお米が120キロ。年会費が1万円。作業は月1回。今年は会費は1万円を切るらしい。分配のお米が128、5キロ。ここまでは大成功だ。作業は月2回というところか。作業の増加では皆さんに迷惑をかけたかと思う。もっと合理的な作業の流れを見つけたいと思う。欠ノ上田んぼの中は15家族だ。大所帯になれば、ばらばらになりやすい。しかし、大所帯になれば、会費も安くなる。作業も手助けし合える。今年はその良いところが出たと思う。なかなか作業は減らせないところもある。せめて長時間作業ににならないようにしたい。ブラック田んぼと言われたら困る。どうしても性格的にやり尽くさないと居られないことになる。ついつい、やれることは全部やろうとしてしまうのだろう。

もち米は喜寿糯であるが、出穂がサトジマンより2週も遅れてしまった。本来はサトジマンより早い出穂か少なくとも同じだと考えていたのだが。おかしな結果だった。収穫がずれたために作業が煩雑になり、負担が大きくなった。来年は品種を変えようと考えている。「峰の雪もち」はどうだろうかと思っている。子の収穫のづれもあって、もち米は籾摺りの結果、湿度が高く、籾交じりになっている。これを上手く乾かして、コイン精米が使えるかである。布団乾燥機で乾かして上手く行ったという人も居た。月曜日からは晴れそうなので外で干そうと思う。

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嵐の衆議院選挙

2017-10-22 04:46:18 | Peace Cafe

衆議院選挙はいよいよ投票当日を迎えた。嵐の近づく中日本の未来を決める日がきた。これほどうしようもない解散の衆議院選挙は過去なかった。日本の劣化が解散草背う選挙に表現されている。始まりが、アベ疑惑隠しの突然の解散にある。国民の90%が十分な説明がなされていないと考えている段階で、説明を避け、追及逃れの解散に打って出た。選挙に逃げ込んだようにしか見えない。国会というものをこれほど軽んじた総理大臣は過去存在しなかっただろう。私は獣医学部新設賛成論だ。しかし、国会でその話も十分されたと言えない。この総選挙では、有権者はこの愚行を許してしまいそうだと言われている。総理大臣に対する忖度が可能な理由は長期政権にある。派閥すら機能しない議論のない自民党が淀み腐ったのだ。だらしのない野党がそれを助長したのだ。忖度を支えるのが、審議委員会である。委員に都合の良い人選を行い。免罪符にする手法がアベ政治。12年前から加計学園は香川県に新設を希望していた。にもかかわらず、盟友のはずの安倍氏がそれを今年の1月まで知らなかったと国会証言をする。

このおかしな政治情勢の中で唯一正しい選択をしたのが、立憲民主党である。小池人気に流されず、筋が通っている。民進党党首でありながら、希望の党に日和見で走った前原をはじめとする議員達の節操のなさと、未来を見通す能力の低さには驚くばかりである。本来の希望の党の候補者のことは知らないので置くとしても、移籍組の民進党議員は、政治家としての嗅覚能力の欠如である。時代を見抜く目が曇っている。そもそも前原氏は自民党に入れてもらえば良かった人なのだ。その前原氏のイソギンチャク議員など要らない。自民党に入れてもらえないからと言って、希望の党に入れてもらうような無様な行動は私は忘れてはならないと思っている。ただ、このとんでもない身売り話にも、裏から見ればよいこともあった。憲法9条改定や、靖国参拝、そして原発推進を民進党内で主張していた右翼野党の輩を淘汰する機会にできるという事だ。まあ、前原支持者の方が多かった党首選挙を見れば、すでに民進党に未来はなかったのである。

アベ政権がこのまま勝利すれば、忖度はさらに横行することになる。ソフト独裁が完成することになる。日本人が何故、この腐ったアベ政治を支持するのかが私には信じがたいところだ。確かに、野党に政権担当能力が不足している。能力がないと言えるのかもしれない。否応なく自民党にお願いするしかないかのように見える。しかし、今回の選挙はそういう事ではないのだ。自民党が勝利すれば、この国が何をやっても許されるところに確実に一歩進む。どれほど頼りなく見えようとも、野党に勝たせてアベ忖度政治の悪行を拒否しなければならない。目先の無難さを選んで、罰すべきを罰しないでいれば、崩壊を先延ばしにするだけである。自分の目先の利益だけを優先していたら、この国は破たんに進む。

世界では多くの国が自国ファーストに向っている。利益主義で自国の殻にこもろうとしている。もし日本までもがこの流れに乗れば、世界の危機は深刻度が増す。日本は世界の平和の方角を示す国だ。自分だけの国ではないはずだ。日本国憲法の平和主義はその道を示している。憲法論議も大いにすべきだが、競争主義や、自国主義を、そしてグローバル企業の存在。資本主義的国家主義の台頭。どうやって世界がこの危機を克服すらかを議論することが、国会議論の根底になければならない。今回の卑怯極まりないアベ解散をとがめることができないようでは、それどころではないという事になる。ここはアベ政権の忖度政治に✖を付けに投票に行こう。野党に期待できない人が選挙に行かなければ、アベ政治が支持されたことになる。ここは少々不満や疑問があるとは思うが、与党以外に投票すべきだ。それ以外この国を立て直す道はない。

 

 

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連続するヘリコプター事故

2017-10-21 04:33:11 | Peace Cafe

軍のヘリコプター事故が続いている。米軍、自衛隊と、連続的だ。その上に自衛隊の戦闘機が炎上した。なぜこれほど事故が連続的に起きるかと言えば、社会的劣化というようなことに突き当たる。兵士の技術の低下。武力の正当性への疑念。機種の老朽化。機種の高度化。整備不良。飛行回数の増大。訓練の実戦体制強化。根治出来ないような深刻な理由が内在している。このままでは周辺の住民被害につながりかねない事態が起きている。自衛隊も米軍もこの事故に対する対応には、無神経なままだ。日産自動車、神戸製鋼と、日本の大企業の信じがたい製造過程にでたらめが起きている。ヘリコプター事故という結果に至る、社会全体の原因となるものを正面から考え直さなければならない状況だ。社会の本気度が衰退を始めているような気がする。利益主義の行き着くところ。競争主義の限界。自分の得にならない事には、気づかない人間の誕生。それが軍隊という組織の中で顕著に表れ始めているのではないだろうか。陰日向なく、先の先まで配慮して目配せをするような、真剣な態度が失われてきているのだ。人間の感性の劣化が始まっている。競争社会の結末が見え始めている

米軍はヘリコプターの墜落を受けて、原因究明をすると発表していた。ところがその原因もわからぬまままた飛行の再開を始めた。この安易さと反省しない態度に、競争主義というものが現れる。結果軽視されているのが地域住民の命である。日本政府はそれに対して抗議すらできない。このままでは必ず、人家に墜落することになる。それでも仕方がないというのが、日米安保条約という不平等条約の実態である。アベ政権はこんな事態であっても日米地位協定の改定の申し出すらできない。まさに日本はアメリカに隷属している。過去これほどの腰抜けの政府があっただろうか。そしてこの腰抜けの木偶政府を国民は選挙で選択しようとしている。国民もずいぶんおかしくなっているのかもしれない。ソフト独裁の洗脳が進んでいる。

またまた、原発事故に匹敵する恐ろしいことが予感される。日本という国が今採るべき道は、前のめりになるのではなく、振り返ってみることだ。国際競争に明け暮れ、心落ち着ける時を失っている。自分たちの国がどうあるべきかを深く考えなければならない。このまま行けば、日本国は自己本位の国になることは目に見えている。その場限りの有利さを求め、自分というものを見失う事になる。勝つこと以外に道が見えない国になる。競争に突入する前に自分たちの目指すものが分からなければ、世界企業の価値観に巻き込まれるだけになる。利益しか見えない価値観の人間になる。田んぼをやっていると、価格とは別の価値を知ることになる。大型化して、大規模企業化して、国際競争力のある農業を行う事で、失ってしまうものがあることが分かる。競争とは無縁の里山の棚田を守るという事が、無駄なことではないと知ることになる。ここに人間の生き方で守らなければならない大切なものがあることを体験する。自分が作ったお米の価値は、国際競争力とは違う価値体系の中にある。人間の想いの価値である。

ヘリコプターも、戦闘機も、それを支える体制を含めて、総点検する必要がある。人間が変わり始めているのだ。昔の体制では通用しない事態が来ている。配慮のできない人間が普通になっているのだ。競争には勝つ人間にはなったかもしれないが、競争には関係のないことによって、社会が支えられていることを知らない。自分ファーストの時代、他者を分からない人間が増え始めている。新しい人間でも可能な、安全体制に組み直さなければ事故は続くに違いない。それはアメリカ軍の方がもっと深刻なはずだ。それゆえにアメリカ軍は日本政府の要請などには耳も貸さない。このような無神経なアメリカと、不平等な地位協定を続けているという、隷属関係を痛切に知らなければならない。そのトランプアメリカは北朝鮮への先制攻撃をちらつかせている。このままでは日本も巻き込まれる。日本人は目を覚まさなければ命が危うい。

 

 

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喜寿糯の脱穀

2017-10-20 04:02:30 | 稲作

脱穀の終わった欠ノ上田んぼ。残っているのは岡本さんの田んぼ。手前は冬季湛水の田んぼで、すでに水を入れた。

10月18日欠ノ上田んぼ喜寿糯5畝を脱穀した。稲刈りは10月9日に行った。サトジマンの脱穀に併せて稲刈りをした。そのご10日間の間に数日しか晴れ間がなく、この後も雨が降り続くという天気予報である。22日には台風も来る可能性があるという事態に追い込まれた。もう脱穀のやれる日はない。この絶望的とも思える緊急事態の中で、希望の太陽が差し込んだ。17日の午後から雨が上がり天気の回復が見込める。18日は朝から晴になるという天気予報が出た。ここしかないと、天気予報をにらみながら決断した。16日に緊急にみんなに連絡をした。18日の午後2時からであれば、脱穀が唯一可能な時間が来るかもしれない。来れる人がいれば何とか可能かもしれない。このわずかな晴れ間以外にチャンスはない。みんなの願いによって千載一遇の時間を与えられた。

16日には奇跡のように雨が上がった。17日には強い陽射しが朝から刺した。乾燥気味の良い風も吹いた。天気の読みが外れて、迷惑をかけるかもしれない。祈るような気持であった。もしこの時間を逃せば、もち米の収穫はほぼ不可能になる。穂発芽も始まる気配がある。何とかできそうな天気になった。祈りが通じた。人がどれほど集まれるかである。人が多くなれば、2台のハーベスターも使える。なんと12人の人が、集まってくれた。東京から参加してくれている若い杉山さんまで駆けつけてくれた。有難さで何とも言えない思いになった。こうして2時から5時までひたすら脱穀を行った。機械は危ういところであったが、何とかしのいでまだ明るいうちの5時に脱穀を終えることができた。この感激と感謝は尽きることがない。良い仲間がいるからできたことだ。今の世の中でこんな素晴らしい仲間を持てるなどという事は、田んぼをやっているからだ。

田んぼの共同作業というものは昔の日本では普通のことだ。実は雨と風の為に1か所のはざがけは折れて倒れた。これを、田んぼ仲間の吉宮さんが雨の中、救出してくれていた。こうした仲間の力の助けで田んぼは出来ている。これが共同というものだろう。お米は機械小屋の中に広げて、風を当ててある。さすがに5%ぐらい無駄にしまうような籾摺りではあったが、何とか、かんとか、しのいで300キロ近いもち米が取れたのではないだろうか。一時は収穫をあきらめかけたもち米であったが、何とかみんなの力を合わせて、収穫にこぎつけた。お米への感謝が湧いてくる。この一年の努力した仲間への感謝。そして多分400年前にこの地に田んぼを開いた人への感謝。山を貫く水路を作ってくれた人への感謝。自然への感謝。これが瑞穂の国の日本人なのだと思う。助け合わなければ生きることのできない時代をくぐりぬけて日本人は生まれた。稲作によって日本人は出来上がった。

言葉では美しい瑞穂の国という事は誰でもが知っている。しかし、それを身に染みるように知るためには、そのお米を食べて生きてみない限り身に染みては分からない。ひたすらな思いを体感しない限り分からないことだと思う。この仲間全体の祈りの気持ちを絵にしてみたいと思う。そういう田んぼの絵を描いて見たいと思う。それが私が描く方角の絵のような気がする。中川一政先生の絵を見て、その翌日にこの体験をしてわかったことなのかもしれない。それがやった人間にしか見えてこない田んぼの美しさなのかもしれない。それは絵以外では表わせないものかもしれない。機械小屋にあるもち米は、扇風機の強い風を当てて交代でかき回している。まだ水分量は高いが、少しづつ下がっているようだ。稲刈りが少し早かったのかもしれない。

 

 

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北朝鮮:先制軍事攻撃論

2017-10-19 04:53:24 | Peace Cafe

北朝鮮への対応をどうしたらいいのか、日本人一人一人の命にかかわるような深刻な事態が迫っている。こうして脅かされ続けることがすでに犯罪的行為だ。アベ政権は北朝鮮が話し合いに応じなければ危ういと感じるところまで、経済封鎖、軍事的圧力で追い込まなければならないと主張している。今回の選挙でも経済政策以上に、北朝鮮の危機に対応できるのは自民党であると叫んでいる。先日、友人と久しぶりに会ってこの話になった、その友人は北朝鮮に対し軍事攻撃までしなければだめだと主張した。このまま時間が経過すれば日本の危険は増すばかりだというのだ。確かに、多くの日本人が北朝鮮が暴発する前に、抑え込んでほしいという空気が強まってきた。日本に攻撃力がない以上、アメリカにやってもらうしかないという考えに繋がる。その為には選挙で安倍政権に勝利してもらわなければならないというような、話になる。アベ政権はその筋書きをチャンスとして、急な解散をしたのだろう。対外緊張が高まると与党保守政権に有利という事になる。

北朝朝鮮への先制軍事攻撃を行い、何が起こるのか想像しなければならない。北朝鮮の核施設を空爆するという事になるだろう。それ自体は成功する可能性は高い。そして、同時に金正恩が潜んでいる可能性のある建物を破壊するという事だろう。これも建物の破壊は成功するだろうが、金正恩を消滅出来る可能性は低いとしなければならない。イラクのフセイン大統領に対する攻撃の時を想像しなければならない。当然、アメリカや韓国が把握している、北朝鮮軍の基地も同時に空爆することになる。現実には、どのような空爆の規模であれ、北側の施設の全てを一気に壊滅は不可能である。反撃を断つところまでやるという事にしなければならない以上、地上軍が行かなければならなくなることは目に見えている。地上戦には中国やロシアも黙ってはいないだろう。猫の尻尾を踏むようになる可能性がでてくる。

北朝鮮が米軍の空爆を予想して、対応の作戦を立てているのは当然のことだ。10発ぐらいの核ミサイルは、韓国や日本の米軍基地に向けて一気に発射されてしまう可能性がある。そのうち半分は迎撃できたとしても、いくつかの核爆弾が日本で炸裂することになる事も想像できる。それは、広島長崎の原爆よりもはるかに大きなものと考えなければならない。数百万人の命が失われる可能性もある。もしそれが日本の原発に向けてであれば、日本という国が存亡の危機に見舞われるだろう。北朝鮮への先制攻撃とは、当然日本へのリスクも考えた上で行われるだろう。しかし、アメリカにとっては今やることの方が望ましいという考えになる。日本や韓国が壊滅しても、アメリカ本土にまで核ミサイルが飛ばせない間に、先制攻撃した方が良いと考えているはずだ。その恐ろしい判断を後押ししているのが、日本の安倍政権である。こういう現実を想像しても、北朝鮮に軍事的、経済的圧力を高める戦術だけでよいかという事である。

もし北朝鮮で地上軍が送られるようになれば、日本の自衛隊は参戦せざる得なくなる。それが日米同盟だと安倍政権は叫んでいる。あの安保法制はその為に強行採決された。確かに北朝鮮と平和外交をするなど不可能に見える。しかし、日本がアメリカと同類であると見られていることを避けることは出来る可能性はある。少なくともアメリカに対して核軍縮をしろと日本は迫る必要がある。北朝鮮向けのポーズととられても良い。日本は攻撃しないでおこうと思うような、汚い戦略である。汚くとも日本に核ミサイルが落ちるよりはましだ。そして、北朝鮮の生存権を保証する具体案を提案できる可能性はある。日本がもしかしたら、仲介役に成れるかもしれないと思わせることが出来るかもしれない。ただ圧力をかけるだけでは、必ず戦争に発展する。戦争はあまりに無力だ。解決どころか、多くの人間が死ぬのだ。弱腰と言われようとも、汚い国日本と言われようとも、戦争をするよりはましだ。

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中川一政美術館に行く

2017-10-18 04:53:36 | 水彩画

真鶴にある中川一政美術館へ行った。3回目である。行くたびに始めてきたような気になる。私にとって聖地のようなところだ。何時も絵の事だけが残ってしまい前行った時の全体のことがはっきりしない。私にとって中川一政先生は日本最高の画家だ。だから畏れ多くて、なかなか行けないところである。小田原から近いところではあるのだが、遠いいところだ。昨日は水彩人の仲間4人に誘われて、緊張して出かけた。やはり凄い絵があった。どの絵も初めて見るような気がした。新たな中川一政氏がいた。石川県の松任の中川一政美術館を昨年は何度も見た。すぐ傍で水彩人展を開催したからだ。その時は書が中心の展示であった。この書がまたすごい。すごいというのは90歳過ぎてどんどん迫力が増してゆくところだ。こんな生き方があるのかという驚き。生きる姿勢というものに打ちのめされた。自らの甘さをつくづく思い知らされた。情けない自分というものを自覚した。人間の生涯というものを学んだつもりになった。

絵を描いて居て、絵というものがないような気がしてきてしまうのだ。絵は人間にとって有益なものでなければならない。絵によって人間が変わり、社会が変わらなければならないと思って描いてきた。ところが、自分の絵画に人間を変えるような、社会に影響を与えるような力がないと、自覚せざる得ない。それで私絵画という事を思うようになった。逃げであると、中川一政氏は私に示している。日本の絵画が芸術であった最後の人なのかもしれない。私はそう思っていたようだ。絵というもののすごさは、物としてそこにあることだ。心地よい美術品ではない。絵はイメージではない。現実にある「もの」なのだ。だから、何度でもその確かさを確認できる。

中川一政氏の絵は面白い絵ではない。良さげな絵ではない。美術品ではない。きれいごとではない。いわゆる絵作りは一切ない。ヘタウマとか、素朴派とか、そういう甘い空気が一切ない。ただただ、真剣勝負だけだ。その本気の制作が、その絵の上に示されているだけだ。その絵は美しさもあるのだが、美しさに寄り掛かるところがまったくない。確かに趣味的な鑑賞者の鑑賞にも耐えうる総合性もあるが、美術を見る眼で見ていてはその本質は見えない作品だ。その点梅原龍三郎氏とは似て非なるものである。梅原氏の絵は床の間にも飾れる。中川氏の絵を日々見ることは苦しい。余りに本気だからだ。人間が生きるという事は苦しく悲しいものでもある。喜びを唄うだけでは真実には近づけない。苦しいとか、嬉しいとかいう、感情的なものを超越している。他に並ぶものがあるとすれば、ゴッホである。97歳まで生きたゴッホである。あのゴッホと同様の生きる苦しさを、正面から受けながら、97歳にまでその解決を示し続けている。

今全否定されたような気分でいる。自分に逃げ込んではダメだと言われている。どうしたらいいのかわからない気分である。見に行けばこういう風になるとは思っていた。またやり直すという事なのだろう。分からないままやるしかないという事なのだろう。中川一政氏は最後の最後まで、分かっているようなことをやっていない。つねに新たな世界を探ろうとしている。その時に過去の作り上げられた絵画というものが否定されている。やり直しである。この機会にもう一度再出発である。自分の思い込み、思い上がりを自覚できた。これも水彩人の良い仲間と一緒に見に行けたからである。有難い機会だった。

 

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2017年の稲作2

2017-10-17 04:11:33 | 稲作

稲刈り前の喜寿糯の田んぼ5畝。喜寿糯が何故か120㎝の高さになった。しかも、すごい分げつになっている。相当の収量になっているのではないかと思う。傾いてはいたが、かろうじて倒れるところまでは行かなかった。10月9日に稲刈りをした。そしてはざがけを今してある。ところがその後秋の長雨に遭遇した。今日17日に少し晴。そして明日は何とか曇り。ここで脱穀をしなければ、たぶん一年間の努力が水泡に帰す。慎重に少しづつ、脱穀を試みてみたいとおもっている。そして、広げて干すことを考えたい。何処に広げるかが問題なのだが、機械小屋の奥しかないのではなかろうか。田んぼはいつも予測を超えている。

今年の課題をまとめておく。

まだ、田んぼが終わらないうちから、来年の稲作のことを考えている。毎年そんな感じである。今年できなかったことをあれこれ実現してみたくなっている。まだ明確にならないのは、抑草法である。一定範囲では草を抑え込むことは成功してきたと思うが、まだ完全にはコントロールできた感がない。草が何故生えるのか。生えては何故いけないのかなどなど考えている。田んぼを水回りしながら、いろいろ思いつくことがある。草が全くでない経験もない訳ではない。ところが何故出なかったのかという事が、腑に落ちたという訳ではない。いつもたまたまである。冬に作る緑肥作物を漉き込むことで草を抑えるというやり方を基本としている。緑肥作物を続けている内にだんだんトロトロ層と言われる、ふわふわな層が表面を覆うようになった。確かにこれが草の発芽を抑制するようではある。生の草が腐敗して出すものが雑草の発芽を抑えるということもある。

しかし、そうとも言い切れない感じもする。土壌の発酵というか腐敗の影響で草が出ないとも思われる。また、田植え前に撒くそば糠が微生物の餌になって、微生物の大量発生が起る。これがトロトロ層を作り、抑草する。それらが複合的に効果を上げ、抑草をするらしい。複合的がゆえに、その再現性には確信が持てない。コナギという植物コナギの種は田んぼには大量にあると思わなければならない。これを静かに眠らせておけるのかどうかだ。深い代掻きが種を表層に浮かび上がらせ、発芽の刺激を与えるということになる。一方、稲藁が草を呼ぶという事がある。生の稲わらを漉き込んでいた時代、藁の周辺に大量のコナギが発芽した経験が何度かある。何かコナギの発芽を誘発する物質を稲わらは出すのではないか。また、水の滞る場所でコナギガ集団発生することがある。酸素の有無がコナギの発芽には関係しているのではない。流れ水ではコナギは発芽しにくい。草取りをしているとコナギが集中している場所というものがある。2度代かきが良いという事が言われる。これも来年は試みてみたいと考えている。

倒伏の問題である。有機農業で畝取りをしようと考えたら、サトジマンで110㎝の背丈が高くなることは避けられない。これは100センチにまで背丈を低く抑える方法が分かればやっては見たいが、今のところ思いつかない。分げつを取る必要がある。その為に初期生育を盛んにしなければならない。来年は少し浅水で初期管理して、その分コロガシを熱心に行ってみたらどうだろうか。そして、分げつが取れ次第水を切る。このタイミングで肥料が一度切れれば一番いいのだが。たぶんそれが有機農業では相当に難しい。中干しのやり方でそうした効果が出るとは思えないが、来年はやっては見たいと思っている。出穂後大きな穂をつける必要がある。粒張りも良くしなければならない。その為には穂肥を必要とする。今年出穂3週前のソバ糠投入でその効果は確認できた。

 

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