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房総半島の景観

2014-11-30 04:33:11 | 水彩画


北信の村 中判全紙 何枚か書いたうちの一枚。出来上がっている訳でないのだが、もう1ヶ月も眺めていながら、絵が進まない。これでいいのかもしれない等と思っている。この絵は、水彩人の仲間の奈良の関さんの影響が出ている。




房総半島に行ってきた。友人の染色作家の金子さんが館山で個展を開いた。それを見がてら、房総半島の里山景観を見たいと思って出掛けた。どうしても房総半島というと、海が思い起こされるが、実は房総で惹きつけられるのは、内陸部の里山の景色である。一つは暖かいので山が照葉樹林で独特の明るさがある。特に冬枯れになる今頃からは、実に複雑な色合いで彩られている。美しい紅葉になるという事はないのだが、何か人間らしいというか、人当たりの良いなじみ易い色彩になる。夏の圧倒されるような重い緑を思うと、不思議なくらい穏やかな感じに変わる。厳しい冬が無い安心な冬支度なのだろう。年取って渋くなったような感じだ。房総の低い山なみとその複雑な谷間が続く間に、人の暮らしが息づく。いたるところに棚田があり、いまだに多くの棚田が、維持されている。田んぼの様子からして、移住者が耕作をしている事が、伺える。専業農家であれば、やめていただろう耕作地が維持されている姿は、何か胸を打つものがある。

ありとあらゆる畑に電気柵があった。それでも、電気柵をできる若い人の耕作地はまだいい。出来ないお年寄りの畑は、却って被害が集中するのだ。農業を行う事が、野生動物とのせめぎ合いだという事が分かる。こんな状態になっても、犬の放し飼いを行えないというのでは、これからの暮らしの見通しが立たないという事にならないのか、心配になる。私の子供のころは、猪が出るというので、地域ぐるみで甲斐犬を飼って、夜になると一斉に放した。それでイノシシの害は何とか防ぐ事が出来た。人がそれで犬に噛まれたというような事はなかった。犬の群れが、やまでイノシシを追い回している事が、吠える声で良く分かった。朝になれば、各家に戻るので、昼間の犬は鎖に繋がれていた。50年前の山村はそうして、獣害を防いでいたのだから、犬の放し飼いはもう一度考えてみる必要がある。このままでは、放棄集落が増える原因の一つに獣害がなる。

房総に移住しようと、訪ね歩いたのは30才の頃だから、35年前になる。まだ移住者は少なかったが、海辺から移住者が増え始めていた。養老渓谷とか、大山の千枚田とか、今は観光地になったが、あの辺りを色々歩いた。結局一緒に探していた、窪川さんが長野に移住を決めてしまい、房総での移住地探しは辞めになった。あの頃は窪川さんとは、同人誌の北斗というものを作っていた。確か、10回はやろうという事で、半年に1回出していたのだから、5年くらいやったという事か。幼稚なものだが、ルネッサンス絵画について、私は調べて書いた。房総の里山は理想的に見えた。何故あの頃、移住出来なかったのかと言えば、自給の暮らしに自信が無かったからだ。学校勤めを辞めて、房総で鶏を飼うという事は、何度も考えたが決断が出来なかった。そして、ぎりぎりの現実的選択として、山北に移住をする事になった。そういえば、染色をしている金子さんが千倉に越したのも、その後だったのだが、越してから25年経ったと言われていた。金子さんが個展に、時々一緒になった渋谷洋画人体研究所で描いたクロッキーを出ていたのには驚いた。

房総の里山を2枚描いた。可能性はある絵だと思っている。一枚では分からないので、2枚描いた。最近現場ではこうなる事が多いい。後で家に帰って描き継ぐのに、このほうが具合がいい。この後、色々描き続けると思う。そうして、又来年の冬には、出掛けてまた描いてみたいと思う。家で描いていると、色々新しい発見があり、又引き続きを描きたい気になるのだ。そのとき写生した場所に行ってみる事になる。行ってみて大抵は新しくその場所で描いてみるのだが、その辺で少し絵にしたくなる意味が分かる事もある。房総の鴨川の奥の山村を描くには、朝か夜である。谷間に光が差し込むくらいの時間が面白いのだ。だから、3時ころから夕方描いて、翌朝6時ころからもう一度描く。このやり方がいいようだ。来春にはもう一度行ってみたいものだ。
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小学生を装った慶大生

2014-11-29 04:12:56 | Peace Cafe


足柄平野の畑 中判全紙 四角に区切られた人工的な感じが絵にしてどうなるか。そんな事を思いながら描いた。




「あべそーりが約束をまもんないでお金をムダづかいするのがりゆうです。11月18日にあべそーりが解散するって言ってから、なんでなのか分からなくて、学校のみんなをあつめてサイトをつくることをきめました!」として「小学4年生の中村」が立ち上げたとされ、国会議員や新聞記者なども注目していた。24日夜には、安倍首相がFacebook上で「批判されにくい子供になりすます最も卑劣な行為だと思います」と批判した。 NPO法人「僕らの一歩が日本を変える。」の代表・青木大和氏が自身が立ち上げたものと認め、謝罪するに至った。---今回、僕の軽率な言動により、関係のない多くの方に多大なご迷惑をおかけしてしまいました。なお、今回の行動は僕個人で行ったことであり、どの組織とも一切関係ありません。これだけは、誓って間違いありません。 本当に申し訳ありませんでした。 青木 大和

という顛末である。「赤頭巾ちゃん気をつけて」を思い出した。庄司薫という日比谷高校生になり済まして書かれた、芥川賞受賞作品である。福田章二氏が本当の作者で、本名で東大在学中に発表した、「喪失」で中央公論新人賞を受賞していた。赤頭巾ちゃんは高校生が書いているという文体で、軽妙に、皮肉っぽく全共闘世代を、そして同時に大人社会を皮肉っている。当時は大学闘争が盛んに行われていて、それに対する違う場所からの意識だと私は思っていた。斜に構えた高校生という事で、社会の矛盾部分を分析している。この場合、既に一定の評価のある福田章二氏が、わざわざ日比谷高校生という昔に戻って書いている。勿論それは後でわかった事だが。それが、高校生を装う独特の文体となって、ベストセラーにもなり、映画化までされて、その後4部作となる。魅力はあるのだが、腹の立つ小説ではあった。私は、庄司薫のファーンではあったのだが。文体にある傍観者的空気。当事者的なものを避けて通る文体。これが高校生を語るという事だったわけだ。この所を、あべそーりが卑劣と反応したわけだ。

その点安倍総理は当事者として、日本を背負ってとんでもない場所に連れてゆこうとしている。アベノミクスを批判するなら、代案となる経済政策を示せ。その通りである。批判するなら、代案を示さなければダメだ。小学生に成りすますという事は、当事者になりたくないという事だ。日本が悲惨にならない様な代案を示して、国民に喚起するしかない。所が、まだ日本が経済大国に戻れないことに気付いていない社会状況がある。まだ、経済競争に勝てる可能性があると信じたがっている。あの戦後の最悪の時にだって日本人は働いて働いて、世界第2の経済大国になれたではないか。この悪い状況だって、頑張れば何とかなるはずだ。という心理が日本人にはまだある。私だってその可能性があるなら、そう思いたい。安倍氏はここを突いている。しかし、残念なことに世界経済は、新しい状況に入っている。もう日本を豊かにしてくれる消費者が世界のどこかに居る訳ではない。次の携帯ラジオ、次のウオークマンと言っても、もう無理なのだ。この現実を直視するしかない。

安倍総理はよくぞ解散をしてくれた。国民に投票の機会を与えてくれた事は、かけがえのない当事者意識だ。私は民主主義を尊重する。自民党政権のように、国防に関する事だという理由で、沖縄の民意を無視するような事は、民主主義無視の行為だと考えている。しかし、安倍政権が選挙に勝つならば、アベノミクスを眺めているしかないと思っている。たとえ悔しくとも、公明党の協力なしに、自民党と次世代の党で3分の2の議員を確保したならば、憲法改定の発議もやむえないと思う。しかし、内閣による憲法解釈の変更は民主主義違反である。日本が議会制民主主義の国であるなら、民主主義を国民全体で育てなければダメだ。私はかなりの確率で、自民党が惨敗するのではないかと、一種夢見ている。日本人はバランス感覚がいい。さすがに安倍氏は行き過ぎだと感じている人が多数存在するとみている。問題は、その受け皿の野党が今のところ成立していない。それでもまだ自民党独裁よりはましと考えているのではないか。
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沖縄の解答

2014-11-28 04:06:23 | 暮らし


北信の村 中判全紙 正確に言えば信濃町上荒瀬原 第2集落センター前 今度の長野地震の地域である。こんな素晴らしい集落はめったにない。また描きに行きたいと思う。これ以上進めるには、現地に行くほかない。





沖縄の選挙で出た沖縄県民の意思は、安倍政権に無視される事になった。これは明らかに沖縄差別である。民主主義の放棄である。安倍政権には民主主義に対する志が無い。にもかかわらず総選挙を行うというのだから、何をかいわんやである。民主主義は志を持って、自らの意見と違うとしても、互いに育てていかなければならないものだ。すべての人の意見は、それぞれに微妙に違う。人間なのだから、そう有る事がむしろ大切なことだ。その一人ひとりの違いを尊重しながら、充分に話し合い、一致点を、妥協点を見出してゆこうという志が無ければならない。沖縄に関して言えば、今度の選挙結果を菅官房長官は、辺野古移設の是非の選挙ではなかったと述べている。それなら、官房長官としてなんの選挙だったのか述べる義務がある。それをしないのは、議会制民主主義に対して目をそむけている。沖縄では、アイデンティティーが問われる選挙と言われていた。辺野古以上にこの事は重要なことだったと考えるべきだ。

沖縄が、日本政府から差別を受けている事実。3400億円超の振興予算を確保し、仲井真氏は「有史以来の予算。いい正月になる」と笑い、2日後に埋め立てを承認した。この政府と仲井間知事の関係に怒りの爆発がある。沖縄公明党が政府支持が出来なかった理由がある。沖縄人の誇りを汚した。原発依存地域と同じ構図である。お金をやるから我慢しろという構図。川内原発の再稼働が行われようとしている。川内市と鹿児島県が再稼働を承認した。これは民主主義国家であるのだから、認めざる得ない。問題は、地元の範囲が5,5キロの地点の隣町は地元ではないという仕組みである。背景には隣町は、5,5キロの距離でも原発の恩恵が少ないという事が想像される。それでもともかく、民主主義国家であるのだから、地域の人が再稼働が良いというのであれば、進めざる得ないと思う。それが次の選挙で、問われる事になる。時間がかかるとしても、それしか民主主義国家の道はない。

所が、安倍政権は沖縄の選挙結果を無視すると、宣言したのだ。日本の米軍基地の74%が沖縄に存在する。これが沖縄返還42年の現状である。その4分の3は海兵隊の施設。1万人とされる海兵隊のうち、2千人の部隊は緊急時に出動できる部隊。それ以外の部隊はすぐに行動できる状態にはない。海兵隊は臨戦態勢の軍で、世界の紛争地での実戦部隊である。その予備軍が沖縄に居る状態。つまり、8千人に関しては、沖縄でなくても構わない部隊。東京でもいいはずである。海兵隊は米軍の中でも荒ぶれ方がひどく、酒を飲んでは犯罪を起こす兵隊が絶えない部隊。この極端な偏り状況も無視し続けているのが、日本政府であり、日本人全体である。米軍の基地が日本に必要だというのが、日本人の選挙での結果であるなら、日本全体で引き受けるしかないのだ。自分の地域では嫌だが、沖縄にあるなら良いでは、ひどすぎるだろう。

原発でも、基地でも、弱い所に押し付けようというのが、政府のやり方である。それを見ないようにしてきたのが、日本の民主主義。それもお金で黙らせようというやり方だ。そんな事は通用しないと、示したのが沖縄の意思だ。沖縄には沖縄人のアイデンティティーが存在したという証明である。これは踏みにじってはならないことだ。次に、衆議院選挙があり、4つの沖縄選挙区がある。現在そのうち、3つは自民党議員だ。公明党は支持している。しかし、この人達は、前回選挙で辺野古移設反対を表明して当選しながら、政府自民党の圧力で、賛成に寝返った人達だ。それでも沖縄公明党は自民党を支持するのかどうか。注目である。衆議院選挙で、自民党候補者が勝てば、今度は辺野古移設が支持されたと、菅官房長官は主張するに違いない。こんな政府に日本を任せておくわけにはいかない。
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厚木湯花楽

2014-11-27 04:08:05 | 日帰り温泉


庭の眺め 中判全紙 赤い花は椿であす。黄色い花は菜の花である。この絵は気に入っている。多分説明的でないのに、庭を見ている気分があるからだと思う。




最近厚木湯花楽に何度か出掛けた。田んぼが終わり、気分的には骨休めのつもりもある。なんで厚木まで日帰り温泉に行かなければならなくなったかについては、お恥ずかしい事情がある。インターネットチケットである。以前、秦野湯花楽のチケットをインターネットで購入したが、良く分からないという話を書いたのだが、もう一度買った。こわごわ秦野湯花楽に出掛けたら、なんとその券は厚木湯花楽のものだったのだ。無駄にするわけにもいかないので、何がどう無駄なのかもこうなると分からないのだが、ともかく行った事のない厚木湯花楽というだけでも興味が湧いてくるので、秦野から厚木に向かった。行けば分かると思った厚木湯花楽を発見することが出来ず、そのまま帰る事になってしまった。ひどい話だ。厚木を秦野くらいの町だと思った事が間違いだった。厚木は都会の大きな町だった。日を改めて出直した。すると驚いた事に臨時休業である。風呂屋に出掛けるのに、こんなに手間どるとは。

厚木に行く方が無駄だというのは分かっているのだが。券は無駄にできないし、気を取り直して、3回目の正直で厚木まで出かけた。厚木の湯花楽はなかなかよかったのだ。おおむね、秦野湯花楽よりわずかに高級志向である。小田原の万葉の湯と近い感じがある。どこで分けるのかと言えば、洗い場のしきりである。洗い場に仕切りがあるのは中級以上という判定でいいだろう。昔からの銭湯には仕切りなぞない。所が最近の人のなかにはマナーが無い場合がある。お湯を掛けた掛けないでもめるわけだ。その位どうでもいいのだが、人間がイラついている。そこで仕切りのある風呂屋が高くても好きという人がいるのだろう。この点、平塚の湯快爽快では4分の1だけ仕切りのある洗い場があるし、障害者枠まである。良い判断である。厚木湯花楽はミストサウナだけである。ミストサウナというものに長く入るのは初めての事だ。熱くないというのは嘘だ。温度が60度以下に設定されていたとしても、暑くないわけがない。入っていられる時間は同じだった。

お風呂は2層になっている。上の階は屋上で露天風呂である。案外に悪くない。ここにはラドン温泉らしきものがあった。さすがにこの時世で入る人は見なかった。行ってみたのだが、ドーム風呂という感じで、それなりの良さがある。ラドンがどうかは一度や二度では分からない。弱いタンサンセンらしきものがあったが、ここにはテレビがあって、一番人が集まっていた。風呂で相撲を見るというのは極楽風呂である。さらに良かったのは、立ち湯である。かなり深めの風呂で底には5センチほど石が敷き詰めてある。ここを歩きながら入るのだ。足裏の痛い感触がなかなかいい。周囲の立派な庭石に驚く、屋上まで良く上げたものだ。よく天井が抜けない。どうもこういう露天風呂が多いいのだが、向昌院の裏庭の鯉の池に入っているような気になって困る。庭石を手で伝わりながら、何周も歩いた。他には入る人がいなかった。歩いているのが気になって来ないのかもしれない。マナー知らずの迷惑な客は私だ。

さらにすばらしいのが地下1500メートルからの源泉かけながしの冷泉である。井戸は深いほどいいという訳ではないが、コロナの湯の1000メートルから、厚木では1500メートルに深化した。22度位の冷泉なのだが、入っていれば体が休まって来る。冷たい水につかって、静かな気持ちになる。そして、水の流れ落ちる音を聞きながら、このせせらぎが体の中を通り抜けているような状態になる。出来れば浮いているのがいい。自分が水になったような気分になる。10分もすると、身体が浄化されたような気分になれる。さらに16度とかいう水風呂もあるが、そちらと交互に入ると悪くない。相当詳しくなったのは、チケットが5枚もあって、何度も行ったからだ。間違いから始まった事だが。なかなかのお風呂に入れて頂いた。有難い体験をした。ついでに食事は一度だけ食べたが、それなりのレベルで悪くはないが、良くもなかった。
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アベノミクスの審判

2014-11-26 04:33:26 | Peace Cafe


志賀高原 石の湯 中盤全紙 元ホテルだった所の廃墟。ここが取り残されたように美しい。何故か自然に戻りかける所に興味がある。遷移というのか、痕跡というのか。変化して行きながら、変わらないなにか。





安倍氏は解散のインタビューで、アベノミクス批判をするなら、それに変わる経済政策を示せと主張している。なかなかの突っ込みだが、悪いアベノミクスよりさらに悪いものしかないだろうという主張だ。日銀でも黒田第二バツ-カ砲には賛否が5対4で拮抗していた。経済政策というものは、一通りではない。特に安倍、黒田路線は円安で株高、輸出企業には恩典があるが、むしろ大半の国内産業には、円安負担が増加している。それが、GNPの下降に表われてきた。そもそも円安は日本の国力の評価が下がることだ。喜ぶようなことではない。円安が進み過ぎれば当然農業でも苦しくなる。今年は米価が下降気味だから、企業大型農業に転換した所は、補助金だけが支えという状況になっている。補助金で支えられても実力的には、国際競争力が無いという事なのだから、早くやめた方がまだましという結果が見えてきた。しかし、補助金の泥沼は、一度始めたら辞めることすらできない状況が、想像される。

問題は第3の矢の事だ。これがダメだった事はさすがに、安倍氏も認めざる得ないだろう。いつ第3の矢が放たれるのだと心配したときには、政府としては既に矢は放たれているという説明だった。つまり、その矢は誰にも見えないほど素早く通り過ぎたのだろう。まず、失敗原因の探求である。日本の経済の停滞は、労働人口の減少、少子高齢化である。と政府は説明している。そこで、女性の投入、外国人研修生の受け入れ、年金支給を遅らせて、老人の労働力化。これでは上手く行く訳が無い。本当の原因はどうしても買いたいようなものが無いという事にある。消費意欲の衰退である。もう普通の暮らしには物余りである。だから、販売側としたら下取り戦略である。背広を引き取らなければ、箪笥が空かないのだ。テレビを買うならテレビの下取りが必要になる。必需品は出回ってしまったのだ。パソコン需要でも、携帯電話でも、それが無いのではなく、魅力的な次の機能が出せるかの競争になっている。もう余分な物は要らない。

経済先進国の消費の傾向は、満腹な所にさらに食べたくなるデザートを、別腹と言って勧めているにすぎない。拡大再生産の資本主義が限界を迎える。中国や中南米、アフリカ諸国を食い物にする以外に方法が無い状態。世界全体がどこに収束するのか、経済成長は終わりである。これからの時代は、物の所有ではなく、感覚がより味わい深いもに向かうかが主題になる。収入も増えないが、安定して暮らして行ければいいではないか。暮らしの中の人間としての幸せな生き方を深められるのかへ、価値観を転換をしてゆく道筋である。それを不時着地点と呼んでいる。だから江戸時代を見直す必要がある。江戸時代は上昇できない社会だ。その中で、いわば金魚の改良に人生を費やすほかなかった。盆栽も、日本鶏も、寒蘭も春蘭も、俳諧連歌も、和歌の道も、茶道も、武士道すら同様である。里山の暮らしがまさにそこにある。物から文化への転換である。物を消費する満足から、自分の知性を味わう満足である。受け身ではなく、自分の行動による知の満足である。

安倍氏に対する対案は、教育の転換である。教育の方向を変えることだ。実務的な教育から、人間性の教育である。経済から文化への転換である。絵を描くということを職業と考える人もいる。しかし、お金にならなくとも絵画というものへの興味で、生涯を費やす人も認める社会。絵を描くことが本当に面白ければ、経済とは関係が無い。修行僧などというものは、何にもならない事を価値とするくらいだ。農業をするにしても、農業を行う喜びの方に価値を置くことだ。その為には教育の転換である。江戸時代であれば、天皇家というものはそうした文化の、農業の象徴であった。文を持って治める。人に勝るという事でなく、自分というものを深める価値である。まず、ここに価値観を変えれば、日本の経済の行き詰まりもほぐれてゆく。他人との競争から、自己新の思想に変わることだ。
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原発避難地域の変化

2014-11-25 04:28:38 | 里地里山


下の畑 中盤全紙 今は麦の撒いてある畑だ。今年の夏はずいぶん草を生やしてしまった。今はまた麦を蒔いてきれいになっている。きれいになっている時より、少し荒れているときの方が絵になるというのも、変だ。がそういうものだ。





福島の原発避難地域とその周辺では、稲作が行われなくなった。事故後2度行った事があるのだが、田んぼの無くなった里山がどういうものになるのか、是非とも、農水や、環境省の方々は見て置いて欲しい。政治家の方々も、将来の日本の姿を予測させる姿なので、是非、人の住まなくなった地域がどう変化して行くのか、見て置いて貰いたい。見ないでもそんな事は分かっているという人もいるだろうが、あの荒れすさんだ、わびし過ぎる風景を目に焼き付けて置いて貰いたい。日本の風景というものは、人間が暮らすことで出来上がっているものだという事が分かるはずである。この美しい風景というものは、人が暮らさなくなれば、わずか3年で、失われてしまうものだ。強くその視覚に留めて置いて貰いたい。勿論そんなことどうでもいいという人もいるだろうが、心ある日本人には日本の方角をどこに定めるかの、大きな材料になるはずである。

福島県には美しい村が沢山あった。美しい村連合というのものがある。特に飯館村は格別に美しい村だった。ダッシュ村のあった、お隣の浪江町も美しい地域である。バク原人村のある川内村も美しい所だ。海沿いの大熊町、双葉町、魅力的な所だった。そうした地域が人が住まなくなった3年間で、どのように変貌したのか。これは確認しておいた方がいい。遠からず、日本全体がそうなって来る可能性が高いと言われている。人間が幸せに暮らすという事は、美しい場所に暮らすという事ではないか。しかもその美しい場所を、自分の暮らしが作り出している。こうした安定した気持ちが、何にも代えがたいと思う。高額な商品にあふれている暮らしよりも、つつましく、地に足を付けて日々を送ることが、幸せの原点であると、人間の生きるという事の意味と向かい合う事になると思う。そうした美しい場が、日本には無数に存在している。その大切さを見直す最後の時が来ている。

田んぼはなければならない。暮らしにはあの田んぼのある風景というものは欠かせない。それは実は日本の自然環境を作り出したものでもあったのだ。福島の原発事故地域では田んぼが無くなって、赤とんぼが居なくなったという。おおガエルが居なくなったという。きっとそれを餌にしていた、動物たちにも影響を与えている事だろう。勿論農薬や化学肥料もなくなり、復活してきた、生き物もいる事だろう。放射能に汚染された猪を調べている、学者の人達がいる。最近捕獲された埼玉県のシカが基準値を超えたセシューム汚染があると、埼玉県のホームページには出ている。ドイツでは、最近でも猪から基準値越えのセシュームが検出されている。長く、広く影響は続くという事だ。海に関して言えば、これからが汚染の本番だと思っている。この事はまた別の機会に書く。その前に、田んぼが無くなると、風景が無くなるという事である。

都会で大半の日本人が暮らすようになった。特に日本の政治にかかわる人や、官僚の方々、そして大企業の方々は、田んぼのある場所に暮らしていない。多分、コンクリートで固められた地域で暮らしている。時々、ゴルフ場などには出掛けるだろう。しかし、農業という生産をおこなう場所が、美しい日本を作り出してきたという実感はないはずである。もしかしたら、30ヘクタール以上を耕作する大規模農業の方にも、美しい農地という感覚はないのかもしれない。観光地としての棚田百選などという形の、取り上げられ方はある。それが残す価値がある農村風景の象徴として顕彰され、営農としてではなく、ボランティアが参加して残すという事がある。これも実態とは違う。日本全国に無数に存在する、何でもない集落がどれほど大切なものか。失われてみて分かるという事だろう。毎日一つは消えて行っているはずだ。人が住まなくなって、3年経てばどういう事になるのか。是非とも、福島に行って確認してもらいたい。
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カスピ海ヨーグルトの作り方

2014-11-24 04:12:43 | 自給

黒姫山の尾根道 中盤全紙 実に美しい尾根である。この世で一番美しい場所かもしれない。しかし、寒くて作物はできない場所である。こういう場所を何故美しいと感じるのかが不思議だ。






カスピ海ヨーグルトを作っている。朝起きたら、コーヒーを入れながら、スプーン一杯をぺろりと舐める習慣である。ヨーグルトは毎日違う味がして、面白い食べ物だ。先日友人と話していたら、面倒くさいので辞めたと言われていた。それで、私でも継続して作れる多分一番楽な自家製ヨーグルトの製法を書いておく。牛乳というものは乳酸発酵の方向以外に腐敗しにくいものだということ。めったに雑菌が入りにくいものである。一般に牛乳が腐って酸っぱくなったというのは、乳酸発酵しているという事が普通である。だから、ヨーグルトを繰り返し、継続して行く手法でも、腐敗に進む事はないという事になる。但し、雑菌が入るという事はどういう場合にもあるのだから、安全確実なやり方を知って、継続することが大切である。ヨーグルトの継続製造をしていると、発酵というものが身に着き、いたずらに殺菌、消毒する考え方が以下に馬鹿げているのかが分かる。和食の基本となる、発酵技術が身につけば、自給の食事も豊かなものになる。発酵食品が免疫力を高め、病気になりにくい身体を作ることにもなる。

始める前に手を洗う。流し水で洗えばその程度で充分である。道具は一切使わない。買ってきた牛乳パックをそのまま使う。ここが肝心である。外気に触れることも最小限にする。容器に移すというような事が雑菌を入れる原因になる。

以下循環するカスピ海ヨーグルトの作り方。出来あがった所から始まる。購入したカスピ海ヨーグルトでも同じ事になる。

1、出来上がったヨーグルトを蓋つきのガラス容器に移す。これは食べる分。



2、ヨーグルトを作った牛乳パックには大さじ3杯ほどのヨーグルトを残す。厳密でなくていい。

3、新しい牛乳パックは半分だけ蓋をあけて、100cc程の牛乳を取り出す。
もう100cc取り出し、これは後で飲んでしまう。



4、前のヨーグルトを作った、ヨーグルトの大さじ3杯ほど残っているパックに100ccの牛乳を入れ、蓋をして良く振る。

5、新しい牛乳パックは200ccの牛乳を取りだしてあり、上部に空間が出来るようになる。これは酸素補給である。

6、良く振った、ヨーグルト交じりの牛乳をこれから作る牛乳パックに戻す。まだ上部は空いている。

7、牛乳パックにヨーグルトの種となる100ccを戻したら、もう一度軽く振る。

8、パックを開いた場所を、クリップでしっかりと閉じる。

9、空けた側の上部にして、斜め横にしても漏れないことを確認したら、保温箱に入れる。




10、保温箱は20度から30℃に保てれば何でもよい。冬は保温するが、夏場は涼しい所に置く。中の温度が見える、温度計があれば安心。



11、6時間から20時間で出来上がる。2日ぐらいかかる事もあるが気にしないで大丈夫。

12、空けてかたまっているのが確認出来上がったら、1番に戻り繰り返す事になる。この時手早く行い、中をかき回したりしない。

13、種にするヨーグルトは、牛乳パックにこびりついて残っている、奥の方の大さじ3杯という事になる。

14、種菌を別に残しておく場合は、ガラス瓶に入れて、冷凍しておく。調子が悪くなった時取り出して使える。それよりたまには新しくヨーグルトを買った方が確かである。

15、出来上がったヨーグルトは別容器に入れ、食べる時はそこから出す


ヨーグルトの中にスプーンを入れないという事が重要。すべてをパックの上部から流し出す。何かを入れるとそこから雑菌が入り、カビが生え始める可能性が高まる。牛乳パックも、上の注ぎ口にカビが生えやすい。食べる容器のヨーグルトは種菌にはしない。一般には蓋を閉めないで作る事になっているが、牛乳パックの中に空気の層があれば、蓋を閉めてもできるので、雑菌が入らないように蓋はクリップで留めて作っている。乳酸菌が必要とする酸素はかなり少ない。牛乳は何でもできるが、成分無調整のものを使う事が無難。出来たヨーグルトは最初の段階では緩い場合もあるが、時間がたてば徐々に粘りが出てくる。冷蔵庫の中でも乳酸発酵を続けていると思われる。味も酸っぱさが増してゆく。出来たものは冷蔵庫に入れて、1週間で食べきることが望ましい。

実はカスピ海ヨーグルトでなくとも、どんなヨーグルトでもできる。好みのヨーグルトがあれば、それでやれば同じ事である。ただし、継続性はカスピ海ヨーグルトが安定している乳酸菌だとされている。他のヨーグルトで、継続して作り失敗した経験がある。しかし、牛乳も、ヨーグルトもさして値段が違わないのだから、月に1回ぐらい新しい菌にしてもいい。ただし、あくまで自分の感性で腐敗を確認すること。これは作り方でなく食べ方だが、ヨーグルトは毎日食べる。少量でも構わないが、食べ始めたら、毎日食べるほうが身体にいい。発酵食品は継続することに意味がある。時々というのでは、あまり意味がない。たくさん食べたから効果が高まるという事もない。大さじ1杯食べれば十分である。私は朝起きたら1杯ぺろりとやる。
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ささえあい久野・ひまわりの会

2014-11-23 04:11:43 | 地域


足柄平野 中盤全紙 家のすぐそばの眺めの良い場所である。犬の散歩で、ここまで良く行く。何と恵まれた所に住んでいるのかと思う。そういう気持ちがが、眼に反映して、景色は見えているのだと思う。それが描けるかどうかである。






久野では、地域の福祉コーディネーターの会が中心になって、お年寄りの福祉サービスを始めた。地域の支え合いを提案する「ひまわりの会」。久野区民会館の一角にスペースを整備し拠点を作っていた。生活支援サービス活動を行うということだ。先日久野のすべて世帯に案内が配布された。様々な支援を必要とする人達が、低料金で支援を受けられる仕組みである。将棋を指してもらいたいとか、一緒に買い物に行ってもらいたい。庭の草むしりをお願いしたい等、1時間400円である。ごみを出してもらいたいは、1回100円と書かれている。小田原にはすでに動き出している先行地域の支援活動があって、これを参考に作られたそうだ。東京では、全市上げての活動地域もある。まず、アンケートを行い、ボランティアで支援活動に参加したい人を募集した。この時の結果が、200人を越える人がやれることがあれば協力したいと申し出たのだそうだ。そして集まりを持った結果、40数名の登録サポーターが生まれたそうだ。

先日、利用パンフレットの配布に見えた方は、たぶんこの地域でサポーターに名乗り出てくれた人ではなかったかと思う。申し込みは電話&FAXで 22-0127 受付日が火曜・金曜の10時から12時だそうだ。その他の時間でも留守電で受け付ける。私は現在、65歳である。そろそろ高齢者だけの家族に成る。当然、どこかで自分だけで暮らしてゆくのは限界が来る。車に乗れる間は何とかなるだろうが、車に乗れなくなれば、舟原で暮らすのは無理だと思っている。75歳くらいが限度だろうか。人にもよるから分らないが、その時までなら舟原に暮らせる。車に乗れなくなったら、どこかの老人施設に入ろうと考えている。あと10年あるので、と言うくらいの気持ちだ。しかし、すでに舟原でもそういう家は必ずある。今度、高齢者セフティーという、役所や警察を自治会の役員で案内をして、75歳以上の方の訪問活動をした。その数は、86世帯の集落で41名ほどと成っている。

半分近くの世帯に75歳以上の方が居られるということである。もちろん老人だけで住まわれている家も、複数ある。昔あった地域共同体と言うのは、生活が農業という同じものであって成り立った。農作業の共同にはじまり、子供やお年寄りをみまもり、子供を育ててゆく、という事に自然成っていたのだろう。しかし、暮らし方が様々に変化して、自然に互いの家族に関して、知ることもない。また、個人情報と言うこともあり、あまり自分の家庭のことを知られたくないという気持ちも当然ある。困ったことを知られたくないというのは、誰にもある。しかも、日ごろ付き合い、良く知らない人に、家族や自分の困難を伝えると言うのは、中々出来ることではない。隣近所の方にはむしろ、かかわってもらいたくないということも、自然な感情ではないだろうか。

本来であれば、地域での暮らしの見直しと言うことに成る。しかし、もうそういうことを言っていられるような状況ではない。すでに、地域は暮らしの連携という意味では緊急事態なのであろう。だから、もう昔の地域を考えての、福祉支援は不可能になっている。そこで「ひまわりの会」のような新しい、仕組みを作ることなのだろう。この支え合いと言うことの意味は、支える人と支えられる人。こうした一方方向の関係でなく、互いに支え合うということなのだそうだ。支える人が支えられる。こうした関係を作ってゆく精神を、代表の久保寺さんと言う方が話されていた。良くここまで立ち上げられたと思うが、今後の運営もなかなか大変なことに成るだろう。老老介護ではないが、元気なお年寄りが中心の活動になる。若い人たちの忙しい暮らしを思うと、次世代へどのようにつないで行けるのかが、課題の様な気がした。必要な大切なことだと思うが、今の私の生活の状況では、加わる時間的余裕が全くない。
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県西地域活性化プロジェクト

2014-11-22 04:55:02 | 地域


浪に鳥 中盤全紙 浪に鳥を描いたものは、10枚くらいあるのだと思う。一時テーマとして繰り返し描いていた。







牧島かれん氏が次の衆議院選挙に神奈川17区の自民党現職議員として立候補する。この人は政策らしきものを持たないのが特徴である。何度ホームページを読んでも、何がしたくて政治を志したのかが分からなかった。未だ定数削減を掲げているが、これは自民党が公約してやらなかったことだ。2012年以降考え方を表明するという事もほとんどなくなった。当選したらもう良いという感じに見える。先日ポスターを良く見たら、県西地域活性化プロジェクトと書いてある。これがこの人がやりたかったことかもしれないと思い。早速インターネットで調べてみた。調べてみたらその政策らしきものはやはりホームページにはない。騙されたのかと思い、よくよく調べると神奈川県が県西地域活性化プロジェクトというものを出している。どうもそれの事を言いたいのではないかと思われる。間違いかも知れないが、もしそうだとすれば、例の「未病の戦略的エリア」というものではないかと思われる。

1、未病が分かる。2、未病を治す。3、未病でつなぐ地域の活性化。これが3つの柱らしい。農業分野で言えば、食と未病という事で、「③「健康食生活」実践プロジェクト④薬用植物等利活用促進プロジェクト⑤特色ある農林水産物の開発プロジェクト⑥農林水産物販売促進プロジェクト⑦農林水産業の基盤強化プロジェクトという事になるらしい。健康を作り出す食材を生産する地域といことなのだろう。医食農同源の考え方に基づいた食生活の実戦とある。考え方としては、私の地場旬自給とそう遠くないらしいが、具体的に何を目指しているのかは不明。未病センターとか、未病癒しの里センターというようなものを作るらしい。果たして、こういう事をどこの誰がやるというのだろうか。実に不可思議なプロジェクトである。

以下具体策とされるものである。
○「足柄茶バリューアップ」の促進
神奈川県農業技術センターで開発し血圧上昇抑制効果が確認されているGABA 成分を含む茶をベースにハーブ、穀類等を組み合わせた新商品の開発等を促進します。
○柑橘、梅等の果樹類の6次産業化の促進
県西地域の特産物である柑橘類(温州みかん、湘南ゴールド)、梅、フェイジョア等の6次産業化を促進します。また、今後栽培が見込まれるオリーブ等の商品化について検討を行います。
○芋類(足柄芋、弥一芋)、玉葱等の販売戦略・商品開発の促進
足柄芋(つくね芋)、弥一芋(里芋)、自然薯、玉葱等の機能性の検討と機能性成分を活かした販売戦略、商品開発を促進します。

具体策と書かれているのではあるが、何処か他人事のような具体策である。これが、牧島かれんのポスターにある政策の実態と言っていいのだろうか。もしそうだとしたら、今まで政策を語らなかったはずである。農業政策で、全く稲作について触れないというのが不満だ。政治家としてやるべきことはある。まず学校給食の充実である。地域のお米を食べる事が大切なはずだ。学校給食が子供たちの未病対策の基本ではないか。良い食習慣を学校給食から。

一方神山洋介が、やっとホームページを新しく作った。やはり選挙には出るようだ。平成19年から自分は変わっていないという事が、先ず書かれている。がっかりである。変わらなければ希望はない。民主党議員は昔のままというのでは期待が出来ないという事ではないか。確かにホームページに関して言えば、体裁は変わったが内容は変わらない。目新しいものはない。政策・信条・理念として6項目が示されているが、そこにたどり着く道が見えない。どうやるのかが分からない。「人口減少時代を生き抜く力強さ」という事がまず第一に取り上げられている。人間らしい生活を維持しつつ、同時に未来に向けた希望を持つという 要素を両立させる「答え」を導き出すことが政治の使命です。 としているが、答えを示さないままである。答えを示すのが政治家の使命だ。一体この人は、松下政経塾で何を勉強してきたのだろう。
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高齢者セフティー事業

2014-11-22 04:12:50 | 地域


上の畑 中盤全紙 描きかけである。描きかけだが、希望がある。希望はあるのだが、何をどうしたらいいのかが分からないまま、何年も経つ。しかし、可能性だけは感じる。




75歳以上の高齢者セフティー事業が行われた。神奈川県と小田原警察署が主導して、小田原市役所が協力するという枠組みになっている。それに対して、地域の自治会長と民生委員が案内役としてかかわる。11月7日の午前中に行った。私は1・2・3組の15軒を担当した。内2軒が不在で、後の方はおられた。2軒は回覧版で知って待っていたという事を言われた。最近回覧版で回る通知が多くて、すべてを回覧版で周知する事は難しくなっている。何しろ一番多いい時は、30枚の紙が一度にまわされた。そこで回す方法として、一度ではなく、月3回ぐらいに分けて回している。そこに緊急の回覧物も入るので、月4回の回覧版が廻る事になる。忙しい方には、回すこと自体が負担になっているのではないかと不安になる。個人的には半分くらいは回す必要が無いと思われる内容である。こうした、回覧方式での通知の検証が必要になっている。それでもどなたかが家に居られたのは、有難かった。

事業の目的は、お年寄りの振り込め詐欺被害の防止と交通事故にあわないようにという指導である。振り込め詐欺は著しく増加している。どうしたら防げるか。警察でも、対応に苦慮していて、出来る事は少しでもやろうという事で、回って歩くことにしたようだ。悪い事ではないが、廻って注意して、どの程度の効果が上がるのかを、追跡調査する必要がある。どうもこんな事で減るだろうかという疑問を持ちながら、ついて歩いた。やらないよりはいいかも知れなが、振り込め詐欺集団の悪辣な手口の方が上だろう。大半の方が私は引っかからないと言われていた。あるいは、一応聞き流す感じだった。なかなか実感を伴わないものだ。根本は年寄りが孤立して、日常の人とのつながりが減少している事にあると思う。社会的疎外を解消することが大切だ。

全国的に調べてみると、地域のつながりが無くなると、振り込め詐欺が増加するという事で、老人会に振り込め詐欺の防止員を委任した所もある。神奈川県内で特に小田原での増加が顕著なのは、社会のつながりが急速に薄れているという事と考える必要がある。それは振り込み詐欺のような具体的な事象だけではない。社会としての成り立ちが、急速に形がい化してきている。にも可かあらず、それに変わるべき繋がりが見つからない社会なのだろう。むしろ、どうやって地域の人のつながりを回復するかにかかぅているのではないだろうか。それは自治会のような地域コミュニティーの形骸化である。どうやって興味ある事で、地域をつなげるかではないだろうか。地域の分断がさらに進む事は避けられない。しかし、健康体操とか、踊りの会とか、様々な趣味の会とか、テーマコミュニティーの構築が重要だと思う。自治会に変わる、新しい地域を越える結びつきの構築である。

たとえば生産組合というものが、一応は私の暮らしている舟原地区にもある。私も入れてもらっている。しかし、農家が減少する中、実質的な意味合いは、ほとんど活動は無くなっている。それでも、多くのお年寄りが農作業はされている。それなら、小さな農業を継続している人同士のつながりこそ、重要なのではないか。それは獣害対策であったり、苗の交換や、野菜を出荷場まで届ける事であったりするのではないだろうか。現在ふれあい市場という、地域に野菜市場がある。ここに野菜を届ける人が結構おられる。その方々はとても生き生きしている。ここの小泉さんが猪の猟を熱心にやってくれていて、地域の人達は、出荷でも、野菜作りでも助けられている。社会の中で暮らしているという、こうした繋がりを、行政も応援して行くことのほうが、振り込め詐欺を減らせるのではないだろうか。
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朝日新聞社批判

2014-11-21 04:39:32 | Peace Cafe


山北の斜面の畑 6号 



「売国のDNA・国を売った・報道被害者・売国虚報・反日報道・国辱責任」日本の雑誌の朝日新聞批判の言葉である。毎日新聞がその言葉の汚さを批判している。こんな言葉を使う人達は、言論人とはとても言えない。雑誌記者には朝日新聞の記者にコンプレックスがあるのではなかろうか。入社試験にでも落ちでたのではなかろうか。相手を貶めればそれで良しという言葉である。言葉の判別もつかない人間が雑誌社の中に存在するのだろう。またそれは、そういう汚い言葉の標語に飛びつく、読者が存在するということだ。売れればよしとする雑誌社としてはより汚い言葉で、罵倒すれば売り上げが伸びると言うことに過ぎないのかもしれない。読者に対する、あざとい考えだ。朝日新聞をいくら貶めた所で、日本の軍国主義が行った侵略戦争の実態が変わることはない。悪かったのは日本軍である。こう書けばすぐに、日本は戦争をせざる得なかったといきり立つ人がいる。大東亜の平和のため、欧米の列強からアジア諸国を救おうとした戦争だった。というような、戦時中の標語のような見解が、最近は出てくる。日本人はどうかしてしまったのかというほどの変わりようだ。

こうした憎悪の言葉は、日本人が常に抱えている、負い目意識の反動と考えた方がいいのかもしれない。日本国という国がどんな国であり、どこに向かうべきかということだ。安倍氏は瑞穂の国、美しい日本と主張して、今はどうも忘れたようだ。本心であり政治家になった志なら、それに反するものが、国を誤る方角ということに成る。TPPの本質は、大資本に日本の国土を売り渡す事にならないか心配でならない。日本人の中には多様な意見が存在して、議論を活発に行うべき主題なのだ。それをレッテル言葉で、切り捨てていたら、民主主義は育たない。近くある衆議院選挙の大義を、安倍氏は消費税の増税延期だと主張した。集団的自衛権の見直しと、日本のエネルギー戦略と原子力発電の是非をかけた、選挙に違いない。沖縄の選挙結果を粛々と無視すると断言した。自民党政権の民主主義無視が許されるのかが問われる選挙である。

しかし、安倍氏の行為に溜飲を下げる日本人が多いいのだろう。近隣諸国との軋轢の深刻化は、安倍氏が計画して作りだしたものだ。両国民にとって、良いことは何もない。和解の道を模索する方法を考えるべきだ。日本の侵略の歴史的事実を書けというので、私の考えている侵略の意味を書いたがそれには反対の意見がなかった。意見が違うという事は、朝日新聞であろうと、政府であろうとある。それぞれが自分の意見を表明するべきだ。そして、最終的には民主的に結論に向かう以外にないのである。気に入らないので憂さ晴らしをしているにすぎない人が多数存在する。これを反映したのが、雑誌社の汚い言葉である。朝日新聞が売国であったとするなら、それは戦争中の大本営発表をそのまま流したことが一番であろう。敗戦に繋がる様な戦争に突入した軍や、日本政府に対して、言論で戦い抜けなかったことだろう。その反省に報道は立たなければならない。

愛国とは何か。日本の国柄をまず考えてみることからだろう。この点では私は、安倍氏の標語と同じで、瑞穂の国、美しい日本である。それを実践的に微力ではあるが、日々努力している。安倍氏の奥さんは仲間と田んぼをやっているらしい。江戸末期から、明治初期に日本を訪れた外国人は、ひとしくその清潔で美しい国に驚いたと言う。まるで箱庭のように手入れの生き届いた、田畑に、里山の暮らしに、驚嘆したと言う。もう一度そういう国を目指したいと思う。水土を育む国。それが愛国ではないだろうか。美しい国に暮らす幸せをもう一度日本に取り戻したい。朝日新聞を罵倒している人達は、日本をどんな国にしたいと考えているのだろうか。少なくとも雑誌社に報道機関としての自負があるなら、日本の未来像を模索すべ気だろう。このまま行けば、日本は崩壊して行く事になる。仲間内の足の引っ張り合いどころではない場面である。安倍総理は解散に際して、アベノミックスがおかしいと思うなら代案を示してみろと、力んだ。その通りである。日本中で代案を主張すべき時だ。
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原発再稼働の条件

2014-11-20 04:39:02 | Peace Cafe


桐の木 中盤全紙 紅葉した木というものは実に面白い。木は時々描きたくなるのだが、いよいよ落ち葉になるというときは、木が身構えているように見える。





鹿児島の川内原発が再稼働の方向になった。政府、規制委員会、地元自治体、この3者が再稼働を決めた。情けないことだが、安倍内閣であれば仕方がないことだ。もし政府が経済だけでなく、日本の未来を本当に考えるのであれば、再稼働するためには3つの条件がある。1、核廃棄物の処理方法の決定。2、核施設、核廃棄物の処理を含めた、原発コストの提示。3、将来のエネルギー計画。この3つが再稼働の条件である。原発について、感情論は避けるべきだと思う。出来うる限り科学的に判断しなくてはならない。例えば、安倍総理大臣は福島原発はコントロールされていて、海には放射能は出て行っていない。と断言した。断言するのは恰好つけには良いが、その後もそれを科学的に説明した事はない。科学的真実は今の所分からないという所だろう。原子力規制委員会にも、東京電力にも、正確な実態はつかめていないというのが実情だ。安倍発言は国民を安心させたいと考え、あるいは海外の人達に安心してもらうための、政治的発言にすぎない。

川内原発から5,5キロしか離れていない所に住んでいる人が、地元扱いされていないのが現実。もし自分だったらと思うと、さすがにこれはおかしいだろう。小さな事故が起こるにしても、最初に避難する人間が何故、地元地域ではないのか。原発避難は原発からの距離で行われる。市町村単位ではない。当然、地元地域とは影響を受ける当事者を距離で決めなければならない。避難計画もそうだ。距離、風向きで、どう動けばいいのか、大きな違いが出てくる。科学的予想に基づいて、策定されるべきだ。市町村単位では上手く行かない事は、福島の時に身にしみた事ではないか。原発再稼働を急ぐあまり、肝心なことが抜け落ちている。

この核廃棄物の処理費用が原発電力コストに含まれていない。そんな尻抜けの計算で、原子力発電を安い発電方法と主張するのは、国民を欺いているにすぎない。その結果将来の世代に廃棄物処理の付けを回すことになる。核廃棄物の処理方法が定まらない。発電をしている原発の上部に使用済み核燃料プールを作り、プールが一杯になっても、他に運ぶ事が出来ない。この状態では、安全な原発とは言えない。使用済み核廃棄物を将来どのようにするか。再処理はもう展望が無くなっている。こんな状態での再稼働は、あくまで暫定的なものとしか言えないのではないか。今回、再稼働を決めた、鹿児島県及び、川内市は核廃棄物の保管場所も同時に受け入れてもらいたい。今回の判断の重さを認識すべきだ。地域で出るごみを受け入れないというのであれば、その事業自体を認める事はできない。ごみ処理の地域内処理という事は、当たり前のことだ。原発の地元経済の効果を考えるなら、そこまで含めて決めなければ成らないだろう。

そして最も重要な事は、将来の日本のエネルギー計画を立てる事だ。確か、40年で原発は廃止する予定のはずだ。これを延期しようと既に計画を立て始めた、原子力発電所がある。原子力からの自然エネルギーへの転換も30年と決めたのではなかったのか。安倍政権は消費税の再値上げを凍結するだけで、なんと総選挙が必要と国会を解散した。エネルギー計画を変更は、なし崩しでかまわないという事か。再生可能エネルギーに転換して行くという事も言われていた。所が、既に多くの電力会社が買い取りを拒否している。目先の経済がすべてというアベノミクスでは、将来展望などいつでも看板を降ろしてしまう。今苦しくとも、将来に向けて頑張るという事が無ければ、日本列島に1億人を超える人間が豊かに暮らす等という事はできない。現状苦しくとも、再生エネルギーへの転換を、その技術革新を第3の矢にすべきだ。そうすれば、円安になって、石油輸入で苦しむ事はない。
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ストレス解消法

2014-11-19 04:50:09 | 身辺雑記


蔵王 中盤全紙 





人間誰しもストレスがある。他の人にとっては何だこんなことぐらいで、という様な些細なことでもその人にとっては、耐え難いほどの怪物に育つこともある。私の様な人間は、ストレスは受けにくい人間なのだと思うが、それでも不安にさいなまれることだってある。気に病むというか、良くあるのが、何かを発言してしまい、後で言い過ぎだったという後悔である。物言えば唇寒しと言う感じに、落ち込む。それでも言わないでいられない性分である。単純におしゃべりなのだ。あのときなんで先生にあんな質問をしたのかなど、50年前の中学校の授業のことだったりするのだから、もう50年の後悔である。忘れたくとも忘れられずに引きづっている。時にそういうことが積もり重なり、怖くなって、一言も言えなくなることもある。そういう場面に出来るだけ出ないようにしたいということは心掛けるのだが、自治会長をやっていて、定例会議で発言しないということはできない。上手くは行かないのだが、やらない訳にも行かない事がある。

それでも年齢とともに、不安で眠れないということは少なくなった。だから、このように公開日記を継続できるのだろう。不安が無いわけではなく、むしろいつも何かしら気がかりで、焦りに追われ不安はある。これは歳を取ってからの方がむしろ強まった様である。結論を出したいとか、後が無いという感覚かもしれない。それでも眠れないというような深刻なことにならなのは、歳を取って神経が摩耗して無神経に成り、厚かましく成ったというのが一番だろう。様々な場面を重ねてきて、面の皮が厚く成ったということで、何とかなるさという気持ちだ。耐久度のテストの積み重なっている。感じる能力と言うものが衰えてきたと言うのも、実際感じるときがある。歳を取るというのは、このような良いこともある。だから、キリキリした不安ではなく、ボーとした漠然とした、不確定な不安感である。老人性鬱とかいうものと、関係しているかもしれない。

ストレスをためて、怖くなってしまったときの対処法である。一般にストレス解消法にはスポーツをやって汗を流すというものがある。身体を動かすと、ある程度嫌なことは消えてくれるはずであるが、私でいえば、畑仕事をして汗を流す。肉体を使うことで、さっぱり出来るという事では効果が薄い。どちらかと言えば、草取りをしながら、くよくよ思い返しているということが多い。つい絵のことなど考えていて、集中がない。汗と一緒に流せるくらいなら。身体を動かし、ストレスが消えてくれるならいいのだが、実際はそうもいかない。それでも農作業は悪くない。一日過酷に肉体を使い仕事をすると、生きている達成感の様なものがある。農作業には終わりがない。どうせすべてをやり尽くせる、というようなことはない。すべては不十分で、中途半端である。たぶん中途でも何とかなるよというのが、農作業のストレス解消である。

自然という大きな存在は受け入れてくれる感触がある。そして、農作業は収穫物を与えてくれる。この折り合いの状態が農作業はいい。これが社会を相手だと折り合いがつかない。そこで、ストレスがない状態を望まないことにしている。ある程度のストレスの中で、どう耐えるかが健康的な状態と考えるようにしている。ストレスは仕方がないものだと諦めたのだ。どうせ消えないのなら、その実態に迫る。ストレスが明らかになれば、諦められるというこ発想である。冷たい水に浸かって耐えようとしたときに、体中に力を入れて我慢するというのと、すべて力を抜いて水の冷たさを味わって耐えると言う方法がある。この両極をタイミングで使い分けることにしている。ストレスを明らかにして、仕方がないと諦め、受け入れがたい苦しみを受け入れる。そうして先延ばしにしていると、何とか切り抜けることが出来る。解消法というより、妥協策である。
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安倍政権の追い込まれ解散

2014-11-18 04:41:19 | Peace Cafe


紅葉した樹木 中盤全紙 面白いものなのだが、なかなか描けない。紅葉という事の意味は落葉に繋がっている。最後の輝きのような感じが、怖い。怖いにもかかわらず、美しい色である。この遺言のような感じを描く事がまだできない。





安倍政権はここに来て、急に解散を行う。この先安倍政権にとって、日増しに状況が悪くなってくることがはっきりしたからである。それはアベノミクスの失敗が明らかになったからである。安倍政権を支持する人には、2派ある。まず、経済を安倍政権が良くしてくれるだろうと考えた人達だ。株価があがれば利益が出る、つまり既得権益の人達と、それに便乗したい人もいるだろう。もう1派が、軍国主義的傾向のある人たちだ。こちらの方は本当は、石原氏や田母神氏の方がいいのだろうが、安倍氏でもという人たちである。この2派が合わさって、安倍政権の高い支持率を維持している。この2派を遠からず失望させるのが、安倍政権である。経済はこの先良くなる事はないだろう。経済刺激策だけで、第3実質経済の新規事業がついに生まれなかった。そして、仲間たちからは大いに期待された、靖国参拝も出来なくなるだろう。外交の現実である。こうなれば、保守層からの期待外れから来る、安倍批判が起こり始める事になる。美しい瑞穂の国の看板が、寒風に揺れている。

この先安倍政権の支持率は徐々に下がり始める。原発再稼働、集団的自衛権の解釈変更。不人気政策がこの先目白押しである。そうであるなら、一日も早く選挙をした方がまだましだ。こう安倍氏の取り巻きが判断したに違いない。スタッフのいつも通りの的確な判断である。世の中を見る目は電通のようで、本当に優秀な人たちだ。消費税凍結を選挙の争点にしようというのだから、悪だくみもいい加減にしてもらいたい。そんな事は安倍政権が凍結すると言えば、それで終わりの話だ。なにも選挙が必要な要件ではない。大義のない選挙と言われるゆえんである。高村氏が念の為解散と言っていたがなるほどである。ここで、もう一度過半数を確保すれば、誰も文句が言えなくなるだろうという、念のためである。既に野党は政治勢力としては、分散崩壊している。いまさら、たたく必要もないのだが、あくまで念を入れようという事になる。

野党の大チャンスである。アベノミックスは失敗した。しかも、安倍政権の武力的傾向は近隣諸国との摩擦ばかり増加して、外交関係はまずくなるばかりである。アメリカも沖縄軽減に実質の協力は一向にしない。こう考える有権者が急激に増加してゆくことになる。問題はその受け皿である。現在のひどい選挙制度では、自民、公明の、選挙目当ての連携はきわめて強力である。これを打ち破るには、野党が一丸になる以外にない。神奈川17区ではどうだろう。前衆議院議員の民主党神山洋介氏はどうしたのだろう。公式ホームページが現在ない状態だ。出馬しないというのか。神山洋介氏は前原氏の口利きでパソナの契約社員という事らしいから、さすがに今度は出れないという事か。それなら、17区の野党候補はどうなるのだ。いないという事になるのか。露木さんはもう出ないのだろうか。共産党からは出ないのだろうか。ともかく、このままでは牧島かれん氏の独走無風区という事になる。この情けない野党の状況はどう考えればいいのだろうか。政治家が自分の事でなく、日本国の事を考えているなら、野党の集結以外にない。

日本の議会制民主主義が崩壊を始めているのだろうか。沖縄で辺野古移設反対の知事が誕生した。にもかかわらず、政府は粛々と進めると、民主主義を否定している。市民、県民という当事者の意思を尊重しないというので、国防など成り立たない。この事態に選択の余地すら作れない野党では、主義主張以前の問題だ。原発再稼働をしていいかどうかの解散。日本の未来を掛けたエネルギー政策としての大義がある。憲法解釈変更解散というなら、これこそ必要な解散だ。ともかく、野党にしてみれば、大きなチャンスが与えられた。この先自分が不利になると、政権自体が考えているのだ。このまま行けば、国民の生活がひどい事になるという事を、国民に分かりやすく説明できれば、安倍政権は終わりである。自民党崩壊のチャンスである。自民党候補が当選の為にすがるのは、公明党の票だけである。ここに主張の矛盾がある。集団自衛権も、原発再稼働も、消費税の軽減税率も、靖国参拝も、安倍政権の主張は公明党と真っ向対立しているのだ。野党はここを突いてゆくことだ。

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沖縄知事選の結果

2014-11-17 04:51:55 | Peace Cafe


曽我の梅林 中盤全紙 梅の花を見るというよりは、つい畑としての梅の木を見てしまう。曽我山の上の方や、沼代の方にあるとり残されたような梅林が、なかなか良い。





以前、このブログでも書いたように、辺野古基地移設反対の翁長雄志氏が現職知事仲井真弘多氏に対して、を36万票対26万票という、大差を持って当選した。全体でみれば公明党票がどちらに向かうかで、投票結果は決まるのである。今回は、公明党もさすがに、自民党支持はできなかった。自民党は公明党に対して、迫る衆議院選挙を思い、深刻な思いでいるだろう。何を公明党と約束するかである。憲法改定や、靖国参拝についても、公明党の意見を無視はできないという事を、しみじみ感じているだろう。沖縄の知事選挙は、翁長氏側も、仲井間氏側も、沖縄のアイデンティティーという事を語っていた。沖縄と日本の関係が選挙で語られるという、価値ある選挙であった。日本全体が、考えてみる必要があることだ。小田原市民のアイデンティティーは何か。もう問うことすらできないテーマである。この事一つでも、沖縄がかけがえのない地域である事が分かる。当落を掛けた本音の主張に、沖縄のアイデンティティーを問いかける地域なのだ。

仲井真現職知事が、沖縄が守らなければならないものを、守ったのか、あるいは捨てたのか。この判断が争点である。確かに沖縄の経済開発計画を政府から勝ち取った。名護市長選挙の時も、北部開発計画の基金とか、鉄道の敷設とか、政府は経済支援を主張した。そして自分達が押し出した候補が落選したときに、自民党はその計画を撤回した。今回も、仲井真知事に約束した沖縄支援計画は、翁長新知事に対して、撤回するのだろう。多分辺野古を埋め立て計画を受け入れないなら、沖縄への政府案はすべて撤回するというような、ゆさぶりを掛ける。近づく衆議院選挙の争点にしようとするだろう。ここでも公明党の動向である。政府はそんなことの前に、沖縄との約束の基地負担の軽減をどう実現するかである。口先だけではだめだ。具体的に、米軍基地負担を全国に均等に負担させることだ。嫌な軍事基地を、沖縄だけに押し付けているという構図だけは、絶対に解消しなければならない。それは、沖縄返還以降の日本人全体の、利己的なだらしなさを表している。

次の、衆議院選挙も同じ事である。公明党票が転ぶ候補が、当選する可能性が高いのである。例えば、私の住んでいる地域は、神奈川県17区である。現職が自民党の牧島かれん氏、前職が民主党の神山洋介氏この2人の選挙になる可能性が高い。しかし、対立軸はない。両者とも政治的主張は、個人的なものはほとんどない。公明党も牧島氏支持という事だろう。このままでは、大差で牧島氏の再選である。しかし、この地区でも自民党の支持の有権者は30%台だ。牧島氏は実にこまめに、地域回りはしているが、政治的主張はホームページにあるが、ありきたりのもので特徴はない。神山氏に至っては、最近活動が停滞しているし、ホームページすら停止中である。こんな沈滞した政治的状況を作り出したのは、小選挙区の弊害ではないだろうか。当選の可能性のない神山氏は立候補を取りやめて、野党統一候補を出すべきである。

安倍政権の主張は市場主義経済である。アベノミックスは能力主義を徹底して、頑張った人が、恩恵を受けるべきだという考えである。その考え方が通用するのは、経済が拡大再生産されている時だ。現状の日本経済の様に停滞している中で、能力主義を徹底しようとすれば、格差が拡大して行く事になる。全体のパイの大きさは変わらない中で、あるいは小さくなっている中で、多く取るものが表れるという事は、必ず弱いものはより苦しい状況に陥る。資本や資産を多くもつものは、その利益を拡大して行くが、その分持たない者は、その価値である労働力を絞り取られてゆく事になる。これは、安倍政権が世界の市場経済に視点を向ければ向けるほど、国内の格差は拡大せざる得ない状況なのだ。競争の原理というものは、単純にそれ以外にない。今回沖縄の知事選挙で問われた事は、沖縄も日本の横行に載せられたままで、いいのかという事だ。沖縄の基地問題は、アベノミックスと同じ事だと思う。弱者が我慢させられる。それでは、沖縄全体に未来が無い。このように沖縄県民は判断した。
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