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10月の自給作業

2018-10-01 04:07:29 | 自給

稲刈りから、脱穀までの作業で10月は始まる。イネは1週間以上早い収穫期を迎えている。早かったために、今年は台風やスズメの襲来で苦労している。スズメは最初に実った田んぼに集まる。一度餌場になってしまうといくら追い払っても、戻ってくる。来年は1週間遅らせて、またキジュモチに戻した方が良いか。あるいはもっと適切な品種を探すべきか。何としても、収穫まで気を揉む毎日である。田んぼが毎日の雨で固まらない。たぶんそうだろうと考えてかなり早めに水は止めた。しかし、水が湧いてくる。どうしても止まらない。特に冬水田んぼの場所は来年は田んぼは稲を植えずに、蓮だろうか。植えたいと思う。蓮を植えるとすれば早くから苗を注文しないといけない。

 

 ここは5番田んぼ昨年病気が出た田んぼだが、特に病気は出なかった。今年は最終的には紋枯れが出ている。一応問題がない範囲だった。病気が出るのは心配なことだが、案外病気が出たとしてもそれほど収穫には影響が出ないものだ。ただ来年のことを考えると、藁は戻せないと思う。外に持ち出すのも大変ではあるが、藁は使う畑が多いから無駄にはならないだろう。

 これは渡部さんの畑。

こちらは私の畑。

渡部さんの畑はよくできている。私の所とはだいぶ違う。なるほどという事が沢山ある。ともかくチップ堆肥を盛り上げて土寄せしてある。土寄せの効果というもの見せてもらった。ニンジンは私の所もそれなりにできているのだが、草取りを徹底してやってみたからだ。雑草というものが、作物にどういう影響があるのか見たかった。長ネギや、ナスは草取りはあまりしていない。選定とか3本仕立てとかそういう事もしなかった。それでもナスは成り始めている。毎日2つほど収穫している。渡部さんは食べきれないと言われていたので、やはり収穫量には大きな差がある。私のナスも味も悪くない。追肥に土ぼかしを与えた。9月に播いた、こかぶ、大根、ホウレンソウも順調に発芽し、生育している。3株ブロッコリーの苗を植えたのだが、1株虫に噛み倒された。2株は大きくなっている。ホウレンソウが何もしないで不通に芽生えて成育したのには驚きである。よくできた土になっている。

奥の方に名札が並んでいるあたりが、タマネギのベット...タマネギは発芽にムラがある。私のセルトレーは全く発芽しなかった。理由は分からない。苗床に播いたものが一番よく発芽している。燻炭を混ぜた苗土のものが発芽が悪い。理由は良く分からないが、ともかく発芽が少ない。少ないというかない。来年はセルトレーをやめてすべてを苗床にしたらどうだろうか。苗床の草もこの季節なら大したことはない。

 

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タマネギの播種

2018-09-18 04:20:52 | 自給

 

9月16日タマネギの会として、諏訪の原圃場でタマネギの播種をした。今回、小田原有機の里づくり協議会で、大仁農場で指導に当たっていた、伊藤先生にみていただけるという事でお願いした。諏訪野原の有機農業塾に関しても、見て頂いた。播種にはほぼ午前中いっぱいかかった。品種はネオアース。一人10gずつの種。19人分。18人の参加であるが、一人分後から参加したい方がいた時の為に加えた。価格は25000円も種代がした。3,5dlである。種代だけで、ひとり1400円である。予定と違う播種方法を行ったので、種はだいぶ余った。余った分は苗床の方に播いた。苗床の用意は、2週間前に二見堆肥を一袋を36mに入れた。そしてトラックターで耕運しておいた。同時に、土ぼかしを作っておいた。セルトレーの苗土にした。セルトレーと苗床直播の両方を行う。セルトレーは288穴を3つ使う。山土と土ぼかしを混ぜて使う。指導を伊藤さんという方にお願いした。伊藤さんは今は近くで農園を開き指導にもあたられている。まずフラワーガーデンでタマネギ全般の講義を頂いた。ほぼ一時間であった。

タマネギの播種適期は20度。9月中旬が良い。品種によっては少しづれる。タマネギは嫌光性があるので、1㎝は覆土しなければならない。土は案外に光りを通す。他の野菜類のような浅い播種では、発芽しない。種をまいた後、麦わらを細かく切って被せ、さらにその上に遮光シートで被わなくてはならいない。これは今までやっていなかったことだ。また発根がとても弱く、雑草取りの時に、少し根を動かしただけでも発芽が止まってしまう。だから、雑草は軽く引き上げ、根際できると良いとのこと。水やりも難しいとのこと。乾かすといけない。播種後すぐ遮光シートの上から、水をたっぷりとかける。直接かけると、流されてしまう事もある。後はぬれていればそのままでも大丈夫である。5日から7日で芽が出てきたら、すぐに遮光シートは剥がす。その後は根を切らない管理が重要になる。玉ねぎは根が傷むと成長をしない。根が乾くのも良くない。風で煽られ土が飛ばされてしまうのも良くない。霜で持ち上げられることも根を痛めることになる。黒マルチで覆う。あるいはパオパオで覆うなどすると良い。タマネギの種保存は、1時間天日干しで、そのあと2日間の日陰干し。根切り虫にやられることが多いので、その点ではセルトレー蒔きが優れている。ベットの播種する場合は、10㎝巾に線をひき、種は一センチ置きにまく。燻炭を使う事はとても良い。

 写真はすべてが終わった翌日に撮影した。当日は、苗土の準備など大わらわで、とても他のことをする余裕がなかった。一人欠席で17名が参加した。昨夜雨がかなり強く降ったので、水やりはもう大丈夫だろう。名札には自分が蒔いた、セルトレー3枚を並べた前に名札がある。先生には苗を植え付けるときにもう一度来ていただけることになっている。

農作業の指導には、2つあると思った。一つは座学である。畑での立ち話での指導では、出てこない話が沢山ある。ゆっくりと教室で講義するという形になると、話が整理される。必要なことが漏れない。総合的な理解に進む。もう一つが一緒に栽培してみることである。畑は土壌条件が違う。環境も違う。他の圃場でのことと同じとは到底言えない。作物を見ながら細やかに対応する姿が参考になる。だから、同じ条件で栽培をすることが指導の原則である。先生のやり方を見ながら、生とは自学自習する。これが2つが農業指導の原則である。同じ条件で栽培していて、よくできている人から学んでいる。そばの畑では農の会の指導に当たっている2人が似たような畑は行っている。しかし、隣ではあるが条件が違う。もうこれであまり参考にはならない。やはり、すべて同じ条件で並んで作っている人のやり方の方が分かりやすい。よくできている人のやり方が一番の参考になる。今度は指導に当たる者も同じ条件で栽培するべきだと思う。

 

 

 

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9月の自給作業

2018-09-01 04:31:29 | 自給

総生寺裏の大豆畑。だいぶ良くなってきた。イノシシが来て3株を掘り起こした。つまらなかったと見えて、翌日は、来ていない。しかし、このままだといつかひどくやられるかもしれない。トタンで囲うしかないかもしれない。

諏訪の原圃場のタマネギの苗床予定地

9月になると畑も秋作に入る。9月はタマネギの播種が課題である。16日にネオアースを播種する予定だ。今年は諏訪の原圃場に苗床を作り播種の予定である。すでに36,5メートル分、二見堆肥をまいて、トラックターで耕してある。ここを高く盛り上げて、苗床を作りたい。一人2メートルの長さで、幅60センチ程度の苗床になる。苗床は高めに作りたいと考えている。高くて幅が狭ければ、草取りが楽だからだ。ここに一人1200粒ほど種をまく予定である。600の良い苗が出来れば、これを10メートルほどの畑に11月に植えることになる。これで365個のタマネギが出来ることが目標である。昨年はセルトレーで播種して初めて、一年分のタマネギが出来た。今年こそ完全にタマネギ栽培の技術を物にしたいと思っている。去年、タマネギに燻炭をかけたらば、とても良くできた。今年は一部だけでも燻炭をかけて、比較実証実験をやってみたいと思っている。冬場トンネルをかけて上手くできたという話もある。これもやってみたいと考えている。今年タマネギを作る諏訪の原圃場はリンが多くて土壌分析ではタマネギに向いているとでている。大いに期待しているところだ。

岩手ミドリの小さな鞘

大豆はここへきてだいぶ成長をしている。花もつけている。岩手ミドリは赤い花で。小糸在来種は白い花である。岩手ミドリの方は同じ日に播いたのだが、もう小さな鞘を付けている株がある。大豆も品種によってさまざまなようだ。小糸在来種は収量は極めて少ない品種とされている。晩生であるので、まだ花の咲き始めだ。小糸在来種は他の大豆とは比べ物にならないほどおいしい大豆である。農の会ではもう20年近く作っている。房総の方で地域種として奨励が始まった同時期からやっている。房総の方の君津市の小糸川という川の付近で栽培されている品種と聞いた。小糸在来種はおそまきの品種である。今年は7月の15日に播種した。もっと遅くても良い品種である。遅く撒くという事は、虫の害が少なくて済むという特徴がある。9月に入ればコガネムシがぐんと減る。今まで虫にやられて困ったという事はない。枝豆でもとてもおいしいが、味噌にする豆で精いっぱいで、枝豆で食べたことは頂いた時だけだ。

田んぼはいよいよ最終段階である。ここまでは順調な展開である。天候があまりに暑かったために、土壌が消耗した。土壌の消耗というのは、腐植の分解の進行が速かった。根の活動も初期から大きなものがあった。それで7月に入るころにはいわば肥料切れになった。これを穂肥で補う事が出来た。生育期にどんどん肥料が供給されたために、背丈が極端に伸びた。これが倒伏に繋がりそうな状況である。特に山の方の雨量が多かったのも今年の特徴で湧き水がとても多いい。田んぼで水が沸く箇所が何か所もある。この水はすぐ流れ出すようにはしてあるのだが、やはり倒れている箇所がある。このところの田んぼの様子では稲刈りが、9月23日に糯米の稲刈り、9月29日と30日がサトジマンの稲刈りになりそうだ。糯米は9月の2週目には乾かし始めたい。サトジマンの方はどうやって倒さないで行くかである。稲穂の状態を見るとまだしばらくは水が欲しい状態である。9月15日あたりで水乾かし始めることになるだろう。水を素早く完全に抜くには、畔切りと溝切を徹底したい。排水がうまく行かなければ雨が降れば水が溜まることになる。稲を倒さず、土を固めながら、しかも根に水を与える試行錯誤の水管理である。

畔の草の中の岩手ミドリ大豆

諏訪の原圃場ではナスがまた元気を回復して見事になっている。私の所はほとんどダメである。ナスはどうも私には上手くできない。

畑には大根とコカブは例年播く予定。いつもは家の畑にまくのだが、今年は諏訪の原の圃場で播くことになるだろう。キャベツや白菜もやることはやるのだが、今年は止めて置こうと考えている。諏訪の原でやるならば苗を購入してみんなでやるという事になるのか。いずれにしても9月16日のことになる。諏訪の原圃場ではササゲと、宮古島の黒小豆が順調に生育している。これも誘引する棚を作る必要があるのだろう。これも16日のことだ。

 

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自給農業者をフィットビットで計測してみたら

2018-08-24 04:13:35 | 自給

自給農業者の労働状況を記録してきた。ひとりの人間がどのくらい働けば、食糧の自給が出来るのかを実証実験している。時間的に言えば、一日1時間自給農業の為に働けばよい。つまり、年間365時間働けば、食糧は自給できる。面積はどうか。1人分で100坪である。例えば3畝の田んぼで回りにぐるりと1メートルの畑部分をとる。田んぼの畔を兼ねた畑で、野菜を作り、中の2畝ぐらいの田んぼで稲を作る。これで120キロのお米がとれる。お米が80キロでいいなら、畔をもう少し幅広にしたらいい。こういう仕組みを考えて、試行錯誤するのは楽しいことだ。ただし、これは私自身の実践記録である。たぶんやってみても自給農業ができない人が半分ぐらい居るだろう。そして、自給はなんとか出来るけれども倍の面積がなければだめな人が半分いるだろう。その上に、熟練になるまで時間が倍かかる人が普通であろう。現在の私のように合理化できたのは、一人の自給ではなく、協働の自給になっているからだ。

自給農業者をフィットビットで計測してみたら、どんな状態なのか興味があった。1か月計測してみた。私一人という特殊例ではあるが、参考にはなる。7月24日からつけ始めて、8月23日までの1カ月30日間の記録だ。フィットビットを69歳の誕生祝に購入したので、こういうことになった。毎日、10,942歩歩いている。カロリーで2113カロリーの消費量だ。ただ基礎的な消費量を年齢と体重から割り出しているようなので、筋肉量を勘案すると、もう少し多くなるかと思う。安静時心拍数は55~58。何故このように振れるのかに興味がわく。睡眠時間は6時間数分。有酸素運動フィットネス値というのが、63~67。併せてタニタの体組成計での記録では、体重が54、3キロ。BMIが18,9。体脂肪率が10,3。筋肉量46,5。内臓脂肪率5,0。体内年齢が54となっている。数値はあくまで参考記録である。例えば、体内年齢など、誕生日前は53だった。数値が変わらないのに、歳をとるという事は、年齢から、15を単純に引いたものだ。狂いがあるといえるが、興味ある数字だ。

自給農業者は実に健康生活という事は数字に表れている。スポーツランナーの若い人と比較しても、数字的には劣らない。特段運動はしない。無理に働いて居るわけではない。好きに自給的に動いていて健康が維持できているようだ。後30年後私が100歳になった時、自給農生活は健康な暮らしだと証明できたことになる。あくまで、中間報告である。田んぼの草取りを先日一日行った。夏の田の草取りほど厳しい労働はない。ところがこの日の消費カロリーが最低記録で、1861カロリーとフィットビットでは出ている。歩いた歩数で言うと、7574歩で30日間の最低記録である。あれほど働いて、全く機械の記録できるのは偏ったものだ。田んぼでのろのろ草取りしている状態を、計測できないという事だろう。田の草取りは苦しい労働ではあるが、疲れない様にしか動かない。想定外になった気がする。自分の内観を重んじて、今日は働いて疲れた。これこそが最も大切な感覚である。疲れていたら、翌日はグータラと寝ていればいい。働きたくなったら働けばいい。健全な人間であれば、動きたくなるものだ。そこが自給農業者の良いところだ。

早く、オムロンの血圧計が出ないかと思っている。こうして自分のことをあれこれ調べるのは、少々自己執着病的な性癖なのかもしれないが、その結果、自給生活者の実態が記録できるのかと思うと楽しくなる。スポーツジムに行くより畑に行く方が健康的だ。毎日1万歩歩く程度で自給は出来る。今度から人に聞かれたらこう説明できる。私の数値を見る限り、自給農は最高の健康生活と言い張れる。こういうことが小さな実践情報として貴重だと思う。ただ、性格的に思い込みが強い。ついつい大げさになる。そこで客観データーが必要になる。この点でフィットビットが役立つのではなかろうか。少々おかしなデーターも出す機械だが、良いところもある。一時間少しも歩かないと、歩くように促す機能がある。3時間動かなかったと記録にある。これなどはなかなか良い機能ではないかと思う。ついつい、3時間も車の中に座り続けて絵を描いているというようなことに、いいことのがないと決まっている。

 

 

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カキツバタの播種

2018-08-08 04:00:38 | 自給

カキツバタの種。茶色いのは内皮をかぶっている種で、黒い小さい種がいくらか見えるが、内皮の中に本当の黒い種がある。この外に全体を包むさやがあった。何とか種が採種できたようだ。送ってくれた株に緑の種が付いていたのだ。本来ならこれを切り取って植えこむべきところだろうが、もったいなくて、何とか実らせてから切り取ろうと1か月そのままにして茶色くなるのを待った。茶色くなってから切り取り、しばらく完熟を待った。皮をむいて採取したのが写真の種である。これを播種してみようと考えている。どうすれば発芽がするのか。全く分からない。調べてもその方法は見あたらなかった。まずは冷蔵庫に入れて2週間冬を経験してもらった。播種して開花まで3年はかかるから、手間取りすぎるので一般的にはやらないとある。3年位何でもない。カキツバタの手前の浅い場所、水がひたひたにある辺りに播いて見た。播いてから軽く土をかけたのだが、果たしてそれが良いことなのか、悪いことなのかわからないが、ともかく自然界で起きている状態を想像してやってみた。

このあたりに播種した。

水深10センチくらいの場所にカキツバタは植えてある。植え付けたのは、6月10日である。もう2カ月近く経過したので、根付いたと言っていいのだろう。前回はすぐに枯れてしまった。心配だったのだが、ほぼ安心してよいところまで来たのではないだろうか。最初8株を植えた。一株900円だった。現在は12株になっている。来た時の葉が徐々に枯れて不安だったのだが、新しい芽が出てきている。この株を購入したのは改良園という通販の植物販売店である。すぐ枯れたので、写真を添えて連絡したら、代わりのものを送ってくれた。こんな親切なお店は初めてである。野生種のカキツバタの苗を探して見つけたお店である。そもそも原種のカキツバタはあまり売られていない。舟原溜池に植えるのであれば、野生種が良いと考えたのだ。そういうことは良くないと地球博物館の学芸員の方からは言われた。何故良くないのか意味が理解できなかった。関東では尾瀬沼にあるらしい。箱根の湿生花園にもあると書かれていた。近くでは開成町が、水路の畦畔に植えこんだというので見に行ったのだが、すべて枯れていた。南足柄のある池にも2株だけあるのだが、それほど勢いが良い風でもない。

実際のカキツバタというものを認識する以前から、燕子花図の方を知った。中学校の美術の教科書の裏表紙にあったので、尾形光琳の燕子花図が記憶の底に残ったからだ。光琳は呉服屋に生まれて、徳川秀忠の娘で後水尾天皇の中宮東福門院と交流があったと思われる。修学院離宮を見ているかもしれない。そうした京都の文化の下地からデザインした図柄かもしれない。根津美術館に見に行った記憶がある。印刷よりもはるかに手が込んでいるのにびっくりした。同じ緑の塗り方、青の塗り方、意外に複雑なのだ。金箔をはった上から描くという手法も初めて見て驚いた記憶がある。その後こういう装飾的な絵に興味を無くしていたのだが、田んぼのめくるめく緑を魔境を見つめている内に、精神的な世界を装飾というものに置き換えて表現する意味を、最近少しだけ感じてきている。ともかく燕子花図から、カキツバタを育てたくなた。

段々その場所になじんできた。

カキツバタはそもそも田んぼの水路や溜池の野草である。江戸時代園芸品種として展開されたのだが、菖蒲やアヤメとはまた違う趣がある。特に野生種のカキツバタの素朴で強い美しさは群を抜いていると思う。何故生息地が西の方で、東の方にはないのかが不思議だ。尾瀬ヶ原には野生種があるとかかれている。という事はそれなりに高層湿原のものなのだろうか。それならなぜ、関西では平地にあるのか。どうもこのあたりが良く分からない。そもそも江戸には野生種はなかったのか。栽培品種は確かにあったようだ。それがその後菖蒲やアヤメに変わっていったようだ。舟原の溜池は元治年間にできたと言い伝えれている。修学院離宮造営の時代だ。何か時代の縁がある。カキツバタの種は8月6日カキツバタのそばに播種した。水がひたひたの場所を作り筋蒔きをした。土を種が見えないくらい被せて置いた。全く手探りの播種であるが、楽しみなことだ。舟原溜池も草刈りは何とか終わった。私が途中で終わりにしていて、涼しくなったらと思っていたら、杉山さんなのか、やってくれてあった。

 

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8月の自給作業

2018-08-01 04:03:45 | 自給

7月は強烈な暑さが続いた。6,7月と雨がほとんど降らない。一度だけ、7月7日に西日本豪雨の時に箱根に強い雨があったので、かろうじて田んぼの水がある状態だった。そこに27日になって前例のない、逆行台風が来て、累計雨量で101ミリの雨が降った。風も大して吹かず田んぼも畑も助かった。降れば大雨。降らなければ強烈な日差し。7月に16日に播種したニンジンは朝夕みずやりをつづけて、やっとの雨でかろうじて発芽してくれた。こういう異常気象の中発芽してくれると実に嬉しくなる。10人十色の発芽の状態。発芽してからの草取りも細かくて大変だ。大豆の発芽は実に悪い。私の責任である。追い蒔きもしたのだが、それも十分な発芽ではなく、大豆の難しさを痛感した。種保存が良くなかった。十分に乾燥して保存しなければならなかったのだ。11%まで乾燥させるとあった。今度は小さな網袋に入れて、軒先に干して置こうと思う。温度よりも、乾燥が大切なようだ。それでも余りの高温と乾燥も発芽に影響あったかもしれない。幸い、鳥の害はなかった。

イネが出穂を目指して追い込みである。なんと29日に走り穂である。30日にも1株の走り穂。もう出穂までは1週間か。今年は5日ほど生育が早まっている。と言っても去年も同じくらいだから異常気象に驚いてはいられない。15枚目の止葉はほとんどが出た。早く穂が出るという事は、分げつ不足になるという可能性がある。ゆっくりと生育してくれた方が分げつが取れるようだ。これは確認したことではないが、そんな気になる。この15枚目の最後の葉が穂の大きさを決める。本来であれば、播種15週目の7月4日が止葉の予定であったのだから、5日も早まっている。7株葉の数を数えてマジックで葉に記録してきたのだが、一株だけ16枚になった。16枚目が止葉になったのだが、生育が1週間追い越した感じだ。問題は止葉の大きさである。希望としては葉の長さが60㎝。巾2センチで、厚みのあり、しっかり立ち上がる葉が理想だ。今年は50㎝で18ミリというところだ。ざっと見て、今年は平均的な感じだ。特別良い訳でもない。分げつ数から言えば、悪いというほどでもないが、穂は例年ほど大きくならないかもしれない。

実はあまり書きたくもないが、紋枯れ病がまた現れ始めた。広がらなければいいがと願うばかりだ。昨年とはまるで違う場所なのだ。やはり田んぼの畔際である。風通しが悪いと起こるといわれているが、そういうことは全くない。理由は3つ想像している。一つは畔際で日当りが強くて焼けたため。もう一つは畔際で捕植株で弱い。畔際で何かで傷をつけたため。何故こうもイネ作りは書かれていることが違っているのだろう。たぶんイネ作りというのは100あれば100通りになる。それを自分の経験を絶対とつい思うからだろう。自戒。畔の草などが影響するのだろうか。どうもそういう事よりも何か人為的な傷から感染したような様子。分からない。稲が成長が5日早いというのは日照が多かったからだ。この日照が例年より多いいという事も土壌には影響がある。水温も下がることがない。水口の遅れがわずかである。土壌の肥料分の消耗が早い。欠ノ上田んぼでは穂肥を与えた。これは正解であった。それでも例年より色落ちが早い気がする。良い穂をつけるためには難しい状況に来ている。間断灌水の徹底。水を動かすこと。穂が成長しているのだから、水を切らないこと。そして倒れないように。ここが難しい。

タマネギの播種

長ネギの根付いたところ

草に覆われた私の畑

ササゲと黒小豆は何とか苗が出来た。4日の大豆の捕植の時に植え付けさせてもらおうと思う。お茶の草刈りが5日にある。こういう事も一人では到底できないと思う。8月末にはタマネギの播種。昨年はついにタマネギの播種に成功した。種から一年分のタマネギが出来た。小さめではあるがしっかりしたタマネギで保存性はとても良い。その意味ではネオアースはとても良い品種だ。しかし、豊産種のターボのようなものを半分作るというのも良い。今年は出来れば、専門家に教わりたい。国原さんには来てもらえないものだろうか。タマネギの播種を9月2日という事にならないだろうか。お茶は5日に草刈り、26日にソバカス撒きがある。12日が、有機農業塾の活動日。ニンジンの草取りなど。

 

 

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有機農業の個人的定義

2018-07-20 04:38:27 | 自給

有機農業にはJAS有機基準というものがある。このJAS基準というものは主として消費者の為にできた基準である。この基準が出来てまがい物の有機農産物が減少したことは有機農業者にとっては基準の成果である。しかし反面、基準で農業を縛るという限界も見えて来ている。JAS基準というものは有機農産物の生産において、使ってはいけない資材が多数決められている。しかし、やるべきことについては全く触れられていない。美味しい安全な作物を作るための基準という意味ではない。JAS基準に従った作物だから、良い作物であるとは限らないことになっている。やってはならないことが決めれたとしても、やるべきことが間違っていれば、良い作物を作ることなど出来ない。私は養鶏を長年やってきた。現在は有機畜産JAS基準が出来たようだ。例えば飼料は70%(正確なところは知らない。)有機農産物でなければならない。こう書かれているとすれば、野山の草はどうなるのだろう。野山が有機認証を受けていなければならないという事になるのだろう。こういうことは実に形式主義である。その結果、JAS有機の卵を生産するならば、草は与えないという事になる。

放し飼いに対する考え方もそうだ。放し飼いは鳥インフルエンザの為に禁止されていた。今はどうなっているか知らない。禁止されていてもJAS有機基準の為には放し飼いをしなければならない。どんな放し飼いになるのだろうか。放し飼いと平飼いは似て非なるものだ。自然状態の原野に放し飼いされることが重要なのだ。自然の野山で遊ぶ鶏は素晴らしい鶏になる。草一本ない野外に鶏が出たからと言って何もよいことなどない。JAS基準では出来た農産物に関しては何の把握もされていない。良い卵とはどういう卵であろうか。卵である以上子孫が未来永劫続いてゆく卵が良い卵と私は考える。良い雛が生まれる卵である。自分で孵化しなければそういう事は全く理解できない世界であろう。自分で雛を孵化して、育てる能力がない養鶏業者が、まともな養鶏など出来るわけもない。有機基準だけを守ったとしても、良い卵が出来るわけではない。最も基本は鶏が好きで、鶏を観察できることである。こういうことが一番欠落しているのが、商品の卵である。

稲作で言えば、水ですべての田んぼは繋がっている。上の田んぼが普通の農業をやっていれば、その隣で有機JAS基準の田んぼをやることは極めて難しい。しかし隣であっても自給の為の有機農業の田んぼをやることはできる。お隣と共存できないようなものを有機農法とは呼びたくない。お隣と共存できないからやらないというのであれば、地域の有機農業は滅びる。ではお隣が有機農法ではない私たちの田んぼのお米が、JAS有機基準のお米よりも、生産物として劣っているとは考えていない。お米をどれだけ分析しようと十分に勝っている自信がある。有機農産物の生産者が、自分で苗を作らず、慣行農法の苗を購入しているというのでは、何か違うと思う。商品としての農産物だけがJAS基準で、商品でない農産物は慣行農法でやっている姿も、何か違うと思う。商品の価値基準から抜け出るためにも、自給農業である。自給でなければ本当に良い作物など作れないと思うからである。

有機JAS基準は良い作物を作るものでなければならない。一番の弱点は生産物の検査がないことである。生産物の残留農薬や、栄養分析位は行うべきだろう。枯れかかった有機農産物が本当に良い食べ物と言えるのだろうか。やってはいけない事だけでは全く分からないはずだ。卵で言えば、生きている期間で測定する事が出来る。一定の条件で生きている期間を基準にするのだ。何か月生きていて孵化できる卵であるか。ダメな卵は2週間もすれば孵化できなくなる。良い卵であれば、10週間たっても孵化できる。もちろん無精卵など、個人的には有機農産物とは呼ばない。良い卵を作るためにはやってはいけない事だけではどうしようもないのだ。ある自然畜産と称する有精卵を孵化してみて一つも雛にならなかった経験がある。自然養鶏にはやらなければならないことが山ほどある。そういうやるべきことに全く触れない、JAS有機基準は何か片手落ちなのだと思う。有機農法は自然の摂理に従う最高の栽培法だから私はやっている。それ故にJAS有機基準にかかわらないで来るしかなかった。自給農業はJAS基準にかかわる必要が全くないところが素晴らしいのだ。

 

 

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有機市民塾で明治大学の佐倉先生の講義

2018-07-19 04:10:47 | 自給

有機市民塾で明治大学の佐倉先生の講義をしていただけた。諏訪の原圃場も見て頂いて、いろいろ実際の栽培についての指導を頂けた。講義を聞いて学ぶ。そして実践してみる。これが市民塾の理想の形だと考えている。一番印象に残ったのは、有機農業でも肥料をたくさんやれば、良くできる。良くできるけれどもたくさんやってはいけないという言ことだった。一般にその場で良くできていれば、当然素晴らしいと思う。しかし有機農法では今の良さを求めていていては永続性がないと言われていた。大きな循環の世界を見れば、肥料という偏りは考えは捨てなければならない。野山には肥料はない。自然の堆肥はあったとしても肥料という概念そのものがない。3つの佐倉指針がある。1、多様性を尊重する。2、循環する姿を求める。3、は忘れた。有機農法というものが、優れた永続性のある農法であること。今起きている異常気象なども、循環する環境を失いかけているからではなかろうかと。地球環境がおかしくなってきた要因の一つに、近代農業がある。

最初に地球の歴史のことが講義された。近代農業の歴史など高々100年である。人間が登場するはるか昔から、様々な微生物が地球という循環する形を作り出してきた。それを近代農業は肥料という考え方を持ち出し、自然環境をダメにしてきた。微生物の存在を見落としててはならない。近代農業の肥料という考え方は、微生物というものが計算になかったからできた考え方だ。同じころパスツールが微生物の発見をしている。もし土壌微生物という考え方が近代農業に生まれていれば、近代農業の形はかなり変わっていたはずだ。このように言われていた。微生物と共存する栽培法が有機農法である。農業という枠で農薬、化学肥料を取り除くことができないのであれば、せめて家庭菜園では有機農法でやるべきだろう。明治大学では10年以上同じやり方で、継続性のある有機農業を実現している。そしてその実際のやり方を説明頂いた。

先生の言葉の引用、「森林の植物や雑草は人間が何もしなくても育つのに、同じ植物である野菜は人間が過保護にして、植物としての本来の力をそがれてしまっている」。そう考えて、人工的な化学肥料や化学農薬は使いませんが、それは野菜の生命力を引き出すための手段で、目的ではありません。野菜は生命力を引き出すことができれば、あとは自然に育ってくれますから、有機栽培は最も合理的な栽培方法であるとも言えます。営利を求めたり、JAS法の基準に縛られたりする必要がない趣味の家庭菜園こそ、生態系の一員として自然に参加し、おいしい野菜を分けてもらう、本来の有機栽培を楽しみながら実践できる場なのです。」

畑での講義では、草は抜いてはいけない。10センチくらいの高さで刈り取っておくぐらいの状態が良いと言われていた。野菜の畑にはバンカープランツとして、ソルゴーのようなイネ科のバンカープランツが必要だと言われていた。害虫と呼ばれる虫は江戸時代には居なかった。あらゆる虫が存在するという事に意味がある。草食性の虫が害虫と呼ばれ、食害をする。すると肉食性の虫が登場して、その虫を食べてしまう。こうした循環の中に作物を織り込ませてゆくことが有機農業では大切な考え方だと。だから有機農業では多様性が必要だ。何かを淘汰することで、何かを得るのではなく、畑の世界を大きな自然循環の中に入れること。バンカープランツとは、畑の多様性の為に必ず必要なものだ。虫の住処を畑の世界に作る必要がある。

私の有機市民塾の畑は、明らかに見劣りする。見劣りはするが、いくつかの良さがある。間違いなく肥料は最小である。草は基本抜かずに押し倒している。燻炭は良く入れた。草の中に作物がある。それでもそこそこ収穫を頂いている。特にキャベツはできた苗5株とも虫にやられず成長している。トマトの葉色はかなり薄いが、なんとか家で食べるくらいのトマトは収穫できている。さすがにダメなのはナスだ。ナスはひどい状態である。最初は取れたのだが、今は瀕死の状態である。これまでもホウレンソウ、こかぶは立派に収穫が出来た。こうして、12人が並んで同じものを作るというのは実に面白い。それぞれの生き方が、作物に表れている。自学自習である。それぞれに学んでもらえれば、ここがそういう仲間の場になればいいと思う。どこへ向かうかはそれぞれが判断すればいいことではないだろうか。

 

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朝の畑や田んぼを巡る楽しさ

2018-07-18 04:51:38 | 自給

 

機械小屋の大豆苗箱播き

毎朝ぐるりと畑田んぼの見回りをする。この1週間は朝のニンジンの水やりが加わったので、張り切っている。少し時間が余分にかかるが、楽しみが増えた。作物が発芽することを見届けるほど面白いことはない。5時に家を出る。だから今日も5時までにはブログは書き終わる。そして、5時から軽トラの後ろに積んだ、3つの桶に水を一杯にくむ。10人の畑がある。一人5mである。150リットルで50メートルぐらいのにんじんの畝に丁度の水やりになる。一人30リットルの水やり人る計算だ。水やりだけで45分くらいかかった。結構歩く距離がある。10リットルじょうろに水を汲んでは繰り返し15回くらい歩いた。1回5分で45分くらいだった。この水やりが良いのは、大豆畑の鳥を追い払う効果もある。まだハトは来ていない。毎朝着ていたハトが幸いのことに避けてくれている。10人の作物をゆっくり眺めることになる。それぞれ播き方の状態が違うので面白い。丁寧な人、おおざっぱな人。私がほかの人と違うのは、蒔いてから足で踏みつけてみた。足で踏むたびに、足で踏んだら種が怒って良い発芽にならないと言っていた人のことを思い出す。ひねくれ者の私はそれから、種をまくと踏みつけることにしている。

このイネの感じは悪くない。

つぎに欠ノ上田んぼに回る。田んぼの水回りである。田んぼはこの時期間断灌水である。川の水も減少しているので、半分の田んぼに水を回し、半分は水を止めるという事にしている。単純に決まったようには行かないので、その日その日で微調整しなければならない。水があるはずの田んぼに水がないという事がままある。それでも初期段階の深水管理よりはだいぶ楽だ。畔の水漏れなどあっても、イネには大きな問題は起こりにくくなっている。病気の観察もしている。昨年はこの時期には出現した紋枯れ病は今のところ見当たらない。紋枯れ病は幼穂形成期の時期に出るらしい。もうそろそろである。ニカメイチュウにはだいぶ入られた。しかし、やられるもももやられて、それなりに収まったところのようだ。田んぼの漏れが所々起こる。これを直していると思わぬ時間がかかる日もある。大体は30分で田んぼの水回りは終わる。そして、舟原田んぼに行く。赤松さんの田んぼの水の様子を見る。イネの状態はなかなか良くなってきた。このまま行けば8俵は超える。穂肥や干しを適切にやれば、10俵に到達する可能性もある。今のところ少し太さが足りないか。びっくりしたのはジャンボタニシがいたことだ。

今度は根付いてくれた。来年は良い花を咲かすことだろう。

次に廻るのが、舟原溜池である。ここで、蓮とカキツバタの様子を観察する。カキツバタは良い芽が出てくれた。活着したのだ。これで一安心である。先日、種を収穫して、乾燥している。良いタイミングで播種してみようと考えている。花が咲くまで3年かかるのでやる人は居ないと書かれているが、3年くらいなんという事はない。種をまいて育てるという事が楽しいではないか。池の一角にカキツバタの種まき場所を作ろうと考えている。溜池はつい眺めていて時間が過ぎる。良い空気が溜まっていて実に美しいものだ。こんな素晴らしい場所を自分たちの溜池として管理できる舟原は本当に幸せな地域だ。私は舟原自治会の環境美化委員として溜池の管理をさせてもらっている。この後、機械小屋に回る。機械小屋の中庭には、大豆とササゲが苗箱に播かれている。この苗箱に水やりをする。大豆も、ササゲも水やりより、水のやり過ぎに気お付けなければならない。大豆は14日播き3日目で持ち上がってきたところだ。ササゲは16日播きでこれから動きが出てくると思う。ササゲは宮古島の黒小豆も播いてある。

家に戻ると2時間くらいが経過していた。何とも素晴らしい時間だ。蒔いた種を見て歩くことほど面白いことはない。彫刻を作る木曽福島の方の人が、何時も発芽する芽の彫刻を作っていた。実に面白い主題だと思った。土からにょっこり出現した植物の、世界を新鮮に受け止めている姿ははつらつとしている。そして点に向っての方角を示している。私も絵を描くという事はこういう姿を描くという事だと思っている。畑巡りは深く楽しい時間だ。負担感は全くない。一人でやるとすれば、ニンジンも毎年上手く行かない。だらしないからだ。まあいいやという事になる。しかし、みんなのにんじんもあるとなれば、さすがに張り切って水やりが出来る。こういう時に、人間は人の為の方が力が出ると言っていた中村さんのことを思い出す。先日大豆の会の種まきに参加した人が、今度中村さんの所の研修生になりましたと、張り切って語っていた。そう、みんなでやればこの場所だけは何とかなるかもしれない。

 

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7月の自給作業

2018-07-01 04:30:02 | 自給

今年のイネ作りは天候に恵まれている。生育もかつてないほどここまでは順調である。10週目になり、イネは10葉期である。分げつは早いものは1本植で10分げつまで進んでいる。2本植えであると14分げつ。3本植で16分げつというところである。但し、1本植では全く分げつしないという株もちらほらある。1本植の場合、こういう分げつしないという性格の稲が気になる所である。今の考えでは2本植が、捕植の作業が減ること、分げつが安定することで、一番妥当なやり方ではないかと考えるようになった。イネの背の高さは大きいものはすでに60センチある。やはり倒伏は気になるところだ。株元はかなりがっしりしてきている。分げつの出方を見ていると、最初に左右に手を伸ばすように出た分げつの後は、その中心の株と第一分げつの間に出てくる。だから扇子を広げたような形になる。この扇型に出てくる分げつは親株から出る分げつで子分げつである。その子分げつから出てくるのが孫分げつだ。孫分げつがいろいろな方向に分げつが増え始め、四方八方に広がってゆく。今はまだ子分げつの時期。

田んぼは一段落である。6月1杯でおおよその方向は決まった。今年は良いと思う。7月にはいると分げつはどんどん増えてゆく。ここで増えてもらわないと困る。10葉期の葉は弓なりになびかなくなる。そして7月2週目には12枚目の葉はまっすぐと立ち上がる。この頃が幼穂形成期だ。追肥をする時期だ。有機農法では化学肥料と違い肥料の危機のタイミングが難しい。早めにやるよりは少し遅れ気味の方が無難だと考えている。ここから勝負をする部分は穂肥料だけだ。今年はやることは決めているので、いつ、どの位、何を与えるかを考えている。二見堆肥とソバカスとを場所によって変えようかと思っている。すぐ効かせたいなら二見堆肥である。ゆっくりで安全の範囲が良いのであれば、ソバカスにしたいと思っている。家の畑は大根を食べている。トオモロコシが出来来たが多分狸に食べられるのではないかと思っている。後は家の前にオクラとニガウリがある。どの程度できるかはわからないが一応は毎年作り食べている。日よけというか、玄関の風情というか、彩の様な意味合いが強い。

7月には大豆を撒く。大豆の会で今年は少し広く1反5畝ほど大豆を作ることになる。畑をまずもう一度耕そうと考えている。14日が大豆の播種日である。14日に最後の耕しをして蒔くと草が抑えられる。畑の会の土壌分析が出た。やはりとても良い土壌のようだ。特にリンが多いい土壌となっている。トマトはみんな良いようだ。ナスはいつもあまりよくできないのだが、今年も私のはダメだ。見ていると良くできている人がいる。やはり草を良くとっている人だ。ナスも叢生栽培はあまりよくないようだ。野菜はそれぞれに性格があり、難しいものだ。かなりこまめな人でないと上手には作れない。私のようなおおざっぱな人間では、出来る野菜は限られてくる。だから自分に向いた野菜を作ればいいのだと思っている。7月16日には農業塾がある。明治大学の佐倉先生が来て指導してくれる。とても楽しみにしている。その前にもう少しきれいにしておかないと恥ずかしいことになりそうだ。

家の畑ではトウモロコシが実り始めた。毎年良いところで、タヌキに先を越される。たぶん今年もそうなるだろうと思いながら作っている。囲いでもやればいいのだろうが、それがなかなかできないでいる。もし今日やれればやろう。大根は草に埋もれながらもよくできている。トマトも毎日食べる分がある。やはり中球が良くできる。空豆の種は1キロも収穫できた。食べたいだけ食べて、種が1キロも取れたのだから、大満足である。ニンニクも、タマネギも、ジャガイモも今年は十分にできた。トマトも食べる分は問題がないようだ。私なりに自給の畑の形が定まってきたようだ。つまり手のかかるものは作れない。作れないのであれば、食べなければいいという事だ。緑のものはそばが簡単なようだ。今もそばがそばかすを撒いたのでどんどん生えてきている。これを少し伸びたところで食べていれば、夏でも緑の野菜に不自由することはない。

 

 

 

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ジャガイモとタマネギの収穫

2018-06-23 04:25:08 | 自給

ジャガイモとタマネギの収穫が終わった。どちらも畑の会として、みんなの畑の中で行った。一人でやるより半分ぐらいの労力で終わる。参加者の中には全く初めて畑をやったという人もいた。東京から参加した人もいたが、収穫まで可能だった。費用はジャガイモの会が一人100円で、自分で種イモを準備。人によって栽培面積は違ったが、10キロの種ジャガを植え付けた人が多かった。一番多かった人は130キロもありそうという事で驚きである。自給農業の優れていることがわかる。私は去年と同じ80キロだった。畑に良い場所と悪い場所があり、良いところの人は難なくできたようだ。良い土壌を作るという事が、自給農業の最善最短の方法なのだろう。有機農業というように使ってはいけない農法があるが、どういう農法が自分の食べるものとして最善であるかを追求するのが、自給農業である。農薬や化学肥料を使わないというのは、自分の考え方である。自給の農業であれば、使う必要がないという事が分かっている。

田んぼでも畑でも良い土壌を作るという事が目標である。諏訪の原の畑は5年ほど作られていなかった畑だが、草だけはハンマーカッターで時々刈り取っていたと聞いている。隣の畑に近い方が良く刈ったという事で、手入れの少なかった、北の奥の方が出来が悪いという事らしい。草というものが土をよくするという事をこの畑で実感した。できたジャガイモの食べ比べをやった。10種類以上のジャガイモを食べてみたが、同じ畑で作っても品種によってずいぶん味が違うものだと思った。確かに私の男爵よりもおいしいジャガイモはあったが、保存性はやはりもう一つらしい。半分ずつ作って、男爵は保存するという事もあるかもしれない。私は昔から、男爵一本である。保存性が良いからである。ジャガイモは一年間食べるつもりだなのだ。80キロあると一年間十分である。ジャガイモは長らく自給してきている。半年以上保存するジャガイモは別にして保存している。紙で覆い、段ボールに入れて目張りをする。真っ暗の中に保存する。出来るだけ涼しい床下の様なところに入れておく。これでほぼ一年保存ができる。今は日陰干しをしているが近いうちにしまう事にする。

タマネギは37キロできた。一日100gだから、これも一応一年食べれる量が収穫できた。参加費は1000円である。タマネギは種が高い。種は高いうえに保存がきかない。苗作りも手間取るが、今年は良い苗が出来た。種からすべてをやれたのは初めてのことであった。苗は良かったのだが、今年借りた畑が良くなかった。タマネギの畑は経験がないほど草がひどい畑だった。あれほど草のひどい畑は見たこともない。あの畑は数年は田んぼにするしかないだろう。何度草取りしても追いつかなかった。草がひどすぎて畑には無理という場所があるという事を経験した。スギナである。畑の土のすべてがスギナの根と言いたくなるほどである。除草剤を繰り返している内に、スギナだけが残ったという感じだった。もうあの畑は嫌だ。懲りた。トラックターが入らない畑だから、畑としては直すことができない。

ジャガイモの後には大豆を撒く。ジャガイモやタマネギと大豆の2毛作は合理性がある。時間的にも余裕がある。畑の様子で、そばかすを撒いた。大豆は肥料をやると草ボケすると良く言われるが、自然農法ではまずそういう事はない。化学肥料を使わないと、大豆が草ボケするほどの窒素分はまずない。鶏糞や牛糞のような動物系の堆肥を入れれば、何か起こるかもしれない。ソバカスとか、米ぬかとかを3週間前に入れるくらいであれば、大豆がおかしくなるなど言う事は起きない。そばかすを撒いて、一度耕運しておく。そして大豆を播種する直前にもう一度耕す。こうするとかなり草が抑えられる。畝間は70㎝にする。耕運機が通るからだ。耕運機を通すと草刈りがだいぶ楽になる。昨年は何故か発芽がうまく行かなかった。原因は完全には分からないが、ハトの可能性が高い。今年はハト対策である。

 

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小麦と大麦の収穫

2018-06-17 04:09:51 | 自給

6月14日小麦と、大麦の脱穀を行った。午後3時間ほどかかった。小麦は小麦の会の畑3畝弱。笹村の家の畑1畝ぐらいである。品種は「ユメチカラ」である。宮下さんから分けて頂いた種である。北海道の春小麦の新しいパン向きの品種という事であった。神奈川での適正についてはよくわからなかったが、作った感じでは作りやすい品種に思われた。小麦は11月19日に播種した。品種はユメチカラ。北海道中心に作られている春小麦らしい。初めて作ってみるので、どういう事になるのかわからない。30日の時点ではまだ発芽していないので不安になる。そんなものだろうか。70cm間隔で、8本の畝。長さが50メートル前後。3畝弱。100キロ収穫目標でやる。1反で300キロが目標。家の方の上の畑に1畝ほど蒔いた。脱穀が終わり、107,3キロだった。反収で268キロである。小麦の会の畑が、85キロぐらいなので、ほぼこちらは合格点ではないだろうか。もう20回目くらいの栽培になって、初めて小麦の栽培法が少し理解できた感じがした。

麦はやはり肥料である。冬の作物は思いのほか多肥でなければ良くできない。3畝の畑に、20袋のソバカスを耕運しては撒いた。時間を空けて2回行ってから播種した。そして、発芽してからまた畝間に20袋撒いて、そして土寄せをした。もう一回撒こうかと思ったがそれは止めた。土寄せは2回耕運機で行った。手取りの草取りは一回。これはそれほど大変ではなかった。一部まったく発芽しない部分があり不思議な現象だったのだが、どうもみかんを抜根した後ではないかという気がしている。果樹があった場所は、何か土壌でおかしな状態があるのではないかと思われた。これがなければ間違いなく、目標の300キロ取りになった。いつも悩まされていた、カラス麦、ネズミ麦の雑草がなかった。いつもは麦の株間にこの雑草が生えてしまうので、ひどいことになっていた。麦は連続で作らず、畑を変える必要があるということは実感した。ソバカスを何度も撒いたという事もあって、収穫した麦の中にそばの種が混ざっていた。むぎ踏みは何度行った。効果があったのかなかったのかはよくわからない。

収穫して1週間ハウスの屋根の下で干してあった。小麦の収穫時期は梅雨時で外で干すことはできない。ハウスの中でなければ乾かない。これが関東で麦を作る時に大変なことだ。梅雨時に収穫する作物という事で、とても苦労する。30%の水分含有量で収穫する。これ以上乾燥させると脱漁が始まる。20%まで干して脱穀する。乾燥機を使う訳ではないので、この点方法を考えておかないと、上手くはゆかない。ハウスの中で1週間干しただけで、20%まで乾燥できた。そこで脱穀。特に問題はなく簡単に終わる。ハーベスターは比較的快調でトラブルなく終わった。この前機械整備をよくやった効果が出たかもしれない。この100キロの小麦を今度はミルパワーに持って行って、精粉してもらう。収穫してからも麦はあれこれ手間のかかるものになる。種籾として、7,3キロ13度の冷蔵庫に保存した。

大麦は緑肥として田んぼに作ったのだが、今年は収穫することが出来た。その意味では2毛作が達成できたのだから、大したものだ。麦イネの2毛作は一人では到底できない。昔の人はこれをやっていたのだから大変なものだ。みんなでやるから大麦から、小麦まで自給が出来る。有難いことだ。大麦は18キロだけだがとても尊いものだと思う。出来がいまいちだったわけだが、田んぼでほぼ肥料なしで育てると麦はこんなものになる。分げつも取れないし、穂も小さい。田んぼというものは肥料分の少ないものだと思う。家の方の畑でやれば、それなりにとれる。来年は大豆の後作で、はたけCでやる予定だ。やはり田んぼでやるより大豆後の方が作業の手順が気が楽である。

 

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自給農業では消石灰は使わない。

2018-06-11 04:29:40 | 自給

消石灰は使わないことにしている。有機農業でも消石灰は使用してよい資材とされている。使う人は使うべきだし、使わないのは自給農業のこだわりのようなものだ。石灰は自然界にある無機物である。石灰を使うか使わないかに、その人の農業が現れているような気がする。無機物を畑に持ち込むような農法は自給農業ではないと考えるからだ。石灰は土壌の中和に使われている。日本の土壌は一般的に酸性である。火山国だから酸性という事もあるらしい。また、雨が酸性傾向だから、裸地であれば土壌は酸性に傾いてゆく。しかし、長年放置されていた畑であっても、草が生い茂り重なり合い腐植化しているような場合、必ずしも酸性化しているとは限らない。耕作放棄地を中心にあちこち違う土地で耕作してきたので、土壌は条件でずいぶん違うということを経験してきた。化学肥料と除草剤を多投していた畑は、かなりの傾きのある土壌になっている。特に腐植が不足していて、まるで砂漠で農業をしているような気になる場所もある。土壌のおおよその傾向は生えている草で分かる。肥料分があると地なのか、酸性に傾いている土地なのか。そうした耕作地の歪みを耕作の過程を通して徐々に作りやすいものに変えてゆくことが自給農業なのではないか。

土壌分析も良いが、まずは自分の眼で見て判断する能力を高めなければ、その日その日の判断力が高まらない。職人が指先の感覚で状態を計るように、自分の身体でその日その日の畑の状態が分かるようになりたい。土壌分析をやるなら、徹底して本格的にやらなければ、間違いのもとになることさえある。酸性の土壌であることが分かった場合でも、石灰を使わないのは外部から持ち込むものは、最小限にしたいからだ。消石灰には殺菌効果がある。散布すれば、土壌にいる微生物は全滅する。一気に全滅させたいときには使えばよいのだろう。松本の石綿さんはそういう形で使うといわれていた。この発想は少し違うかもしれないとおもった。自然を受け入れ、出来るだけ物を持ち込まないのが自然農法ではないか。耕作を通して土壌を調和させてゆく気の長いやり方が好きだ。土壌を酸性から中和してゆくためには堆肥を入れてゆく。堆肥を根気よく入れる。少々のことでは中和されないが、時間をかければ段々によくなる。自給農業はそれでいいと思っている。中和されるまで、酸性土壌ではできないホウレンソウを食べないで小松菜にしておけばいい。そうしてホウレンソウが出来るまで堆肥を入れる努力をする。消石灰で中和が簡単に終わってしまえば、腐植が増えることはない。

植物の出来が悪ければ、今度は有機農業で使える新しい資材を投入するという発想になる。これでは自分らしい自給農業に至ることはできない。買ってきたものを使わない。これが自給農業のルールである。先日、キャベツは化学肥料をやらなければ結球しないと、主張する人がいて驚いた。発想が違うのだ。キャベツが結球出来るような土づくりを努力することが大切なのことだ。白菜が結球するような土壌を作り出すことが面白いではないか。一度、化学肥料を使えば、土壌の微生物は狂い始める。狂った土壌ではよほどの総合力がなければ、無農薬での栽培は難しくなる。化学肥料と農薬は連動している。化学肥料を使わないで、遠回りする耕作をする。耕作を繰り返しながら腐植を増やし続ける。その先にキャベツが結集し、白菜が結球する土壌が待っている。消石灰を使わないで、良い土壌を目指すという事を自分の方針にすることで、その土地にあった、より自分らしい栽培方法を見つけることができる。

書き過ぎという事かもしれないが、自給農業を行う事は、食糧を作るという事だけでなく、自分という人間を鍛えるようなものだと思っている。自分生き方が反映しているとすれば、安易に何かを持ち込んで解決するという事ではおもしろくない。その象徴的なものが消石灰ではないかと思っている。土壌に腐植を増やし、年々酸性が中和されるように土壌を豊かにすることが出来るという事は。自分という人間に手をかけて育てているようなものではないかと思っている。こういう考え方は個人個人の問題である。良い方向という事ではない。その長い道筋をどのように選ぶかが、その人なのだと思う。化学肥料を与えることで結球させるという道は、確かに早い。しかし、この方法では私には意味がないことになる。自然界というものを理解する機会を、自ら捨てているようなものだと思う。多分松本の石綿さんがあえて消石灰を使うと言われたのだ。消石灰を使ってはならないというような、ことすらこだわりを捨てるべきだという、一段階先のことのような気がする。自然というものの持つ、広大無辺の世界を学ぶという事も含めて、自給農業をしているのではなかろうか。

 

 

 

 

 

 

 

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大豆の会のはじまりまでーー4

2018-06-05 04:42:39 | 自給

あしがら平野の何処に暮らしていても、田んぼをやってみたいという人が、自転車で行けるぐらいの場所に、参加できる田んぼを作ろうと考えた。田んぼをやりたいという人が、少しづつ集まり、年にひとつづつ田んぼが増えていった。当初10か所ぐらいの田んぼが必要だと考えていた。味噌の会は当初は料理の会の中の一つの活動だった。そのころの農の会は面白そうなことは何でもやっていた。当時の料理の会の説明文を読んでみると、ーーー料理の会は「地場の旬の農産物を畑から」の視点で、料理として伝えてゆく会です。味噌づくり、蕎麦打ち、あしがらの郷土料理、麹作り、野菜のフルコース等が行われてきました。2ヵ月に1回の開催。と書かれている。農の会としては味噌の仕込みよりも麹造りの方が先だった。どぶろくづくりの為に、千田さんの指導で福沢のお寺で何度か麹づくりを行った。私は一帆さんの味噌づくりに参加していたので、田んぼの仲間の中で、自分たちでも味噌を作ってみようという事になった。千田さんから大豆を分けてもらって始めたのではなかったかと思う。小田原に来た前後なので、2000年ころかと思う。

しかし、農の会を展開してゆくには、山北では難しいのではないかという事もあって、小田原に移住することになる。それだけでなく他にもいろいろ重なり、小田原久野に移住する。小田原に移るころから、農の会のメンバーも一気に増加してきた。こうしてかかわる農地が増えてゆくうちに、農の会に借りて欲しいという農地も出るようになる。耕作放棄地を管理してゆくという事が、弱いところを作らないという農の会の目的と考えていたので、頼まれた農地は何とか引き受けようと考えた。それが味噌の会で大豆づくりを始めたスタートだったと思う。永塚で大豆を作ったのではなかったか。その後西大友に移る。最初は味噌の会だったものが、ここで大豆の会に名称が変わった。調べると2006年の事のようだ。大豆の会の中心で活動してくれたのは、中原さんである。中原さんは菜根淡というお店をやられていた伊藤シェフの所で働いて居る方だった。卵を菜根譚に卸していたのだ。中原さんと結婚した美保さんが菜根譚で働いていて知りあいになった。

中原さんの登場で大豆の会は変わってゆく。農の会はいつもそうだったのだが、一人の人が現れることで、新しい活動が生まれる。一人の人が去ることで、活動が変わる。中原さんはとても管理能力の高い人だった。いつも冷静で粘り強い人だった。一人で大豆づくりから、味噌づくりまで軽々と担ってくれていた。しかし、味噌の会も大きくなり過ぎたこともあり、山北グループや生産者の人は離れた。それは中原さんの方針でもあった。中原さんは味噌の会を大豆の会という名前に変えることも良くないと言われていた。大豆の会では大きすぎるとよく言われていた。味噌づくりの会場も私の家から、梅の里みのり館で行われるようになった。そして、稲わらが庭に落ちていたという事で、汚した、汚さないのもめ事が起こり、旭ブルベリー園に変わり行うようになる。そして昨年は機械小屋で行った。その大豆の会を一人でまとめ上げた中原さんは今は奈良の方に移住して農業を続けている。

この地域で最初にみんなで作る味噌づくりを始めたのは島田啓介さんである。今も、伊勢原の方で続けている。直接的には農の会の味噌づくりではない。島田さんは有機農産物の引き売りをしていた。島田さんの企画に参加させてもらったのが初めての経験だ。島田さんは一帆という引き売りをしていて、私の卵も販売してくれていた。その一帆の引き売りは「はるのき」というレストランを今されているミホさんが引き継いでやった。味噌づくりもミホさんが引き続き行っていた。場所は南足柄の内山である。家の前の田んぼでやっていた。それに参加させてもらったのがみんなで作る味噌づくりだった。味噌は一人で作るより、みんなで作る方が合理的だという事を経験した。子供の頃の家の味噌づくりを思い出したわけだ。農の会は、地場・旬・自給の考えかたをしていたので、自分で栽培した大豆で味噌づくりをやりたくなった。最初は生産者の大豆を購入した記憶がある。農の会として大豆を栽培するようになる。大豆づくりも様々工夫を重ね、収量も反収200キロは超えるようになった。

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6月の自給作業

2018-06-01 04:08:56 | 自給

田植えが終わり、一段落である。

分かりにくいが、これは2本植の苗である。苗は根付きわずかづつ成長を再開した。葉先に露が光っている。

撒いたソバカスが何時までも表面を覆っている田んぼがある。これ排水口の工夫である。表面からの排水でなくて、少し下から排水している。そうすると表面は流れ出ない。そばかすを撒いて4日目までこの状態が続き、徐々に沈んだ。

苗が徐々に立ち上がり、列が整然としてきた。水もうまく回るように調整がおわった。この田んぼは上手く行けば、一番上の入水口の田んぼから、下の14番の田んぼまで、田んぼの中を水を流れてゆくことができる。途中水路から取り入れることのできる所が、一か所だったのだが今回2か所から水を入れられるようにした。これで大分水回りの状態が良くなった。

ソバカスが固まり浮遊している。

6月8日には麦刈りをする予定である。雨が降りそうだが何とかなるだろうか。毎年麦刈りは梅雨に入り気をもむ。麦は今年は畑を変えていつもより良くできている。面積は狭くなったが、この調子ならいつもより取れるのではなかろうか。結局冬の作物は肥料を必要とするようだ。タマネギでも、麦でもそんな感じがする。

今年はソラマメが良くできた。ソラマメは畑の隅に種をまいて、それを移植した。移植したらよくできないという人がいたが、全くそんなことはない。一本が6本ぐらいには根元から分げつして、一本に5つはついているから、大豊作である。毎日空豆食べ放題で、ドンブリ1杯は食べ続けているが、延々と続いている。あと5回分はあるだろう。一部を残して来年のタネにするつもりだ。この空豆は自家採種3年目のものだ。この畑になじんだという事もあるのだろうか。草取りもしないから、草に埋もれている。ソラマメは草取りをしないで良い作物だ。そういえば、今年はニンニクもよくできた。売られている物より少し小ぶりとは言えるが、どの株もそれなりにできた。早速ニンニク醤油を作ってある。まだまだ、山ほど干してある。

今畑にはトオモロコシがある。これもあまり草取りはしない。目立つと、すぐタヌキにやられてしまう。ジャガイモはそこそこできたようだ。タマネギは種から作り一応できたのは初めてのことだ。タマネギは今年の極端な寒さと風で大分痛めつけられたようだ。ハウスのトマトはすでに色づいてきた。今年は早い。諏訪の原圃場でもトマト、ナス、ピーマンが実をつけ始めた。この調子なら、何とか実りそうだ。10日には3回目の畑の会の活動がある。ジャガイモの食べ比べをしてみたいと考えている。何しろ10種類もジャガイモがあるそうだ。これを比較して食べてみるのは面白いと思う。9日には大豆の畑の準備がある。そばかすを撒いて耕運をするというところまで進めばと思っている。

 

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