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身近な観光と小さな輸出に活路を

2024-06-24 04:40:32 | 地域


 日本はここ数年円安と言われて居る内に、何だか日本の経済力の低下を認めざる得なくなってきた。経済が強い優位な国ではなく、物作りが普通の国になったと考えた方が良さそうだ。今から40年前になるが、最先端技術である半導体生産で日本が世界一だった時代があったのだ。

 日本製品の方が安全性が高く、しっかりしたものだから良いというようなことは、もう無い。その名残がいくらかメイドインジャパンにあるが、メイドインジャパンが粗悪品の代名詞だった時代もあったのだ。日本製だから、信頼されると言うことは消え始めている。

 その象徴が自動車産業のデーター偽装事件だ。ほぼすべての自動車会社が政府の安全基準を、ごまかして通過していたのだ。自動車はまだ日本が優位なものの一つだと思っていたが、そうではなくなり始めているという、焦りがあるのだろうか。

 会社の弁明会見を聞いていると、ごちゃごちゃごまかしているが、結局は人間の劣化に由来していると言わざる得ない。倫理観の強い人、社会正義を持った人がその場に居なくなったのだ。どうせ分らないだろう。この程度のことは対したことではない。日本人がこういうゆるい無責任な人間になってきたと考えるほか無い。

 見張っていなければ、バレなければ適当なことをやれる人間が現われたのだ。大きく言えば日本人が持っていた、ある意味不思議な誇り高さが失われたのだ。その原因を考えなければ成らない。この人間の劣化の一番表れて居るのが、自民党の裏金キックバックだろう。

 丁寧な民主主義政治を行うには、お金がかかるのだと副総裁が主張している。もしかしたら本当に自民党の代議士は政治をそのように思い込んでいるのかも知れない。代議士が生きている世界では、お金以外で人間が動くことがないのだろう。人のためにとか、国のためにと言うような価値観は失われた。

 しかし、生活をしていて接する人は昔よりも優しくなった。他人のことを配慮する人間が多くなった。人のために自己犠牲で生きる人も沢山居る。日本人が劣化してきたという気はしない。何かそういう拝金主義的階層が構築されてしまい、そういう人達が社会を支配し始めたのかも知れない。

 接することが多い、絵を描く人とか、農業に関わる人というのは、ある意味アーミッシュのような存在で、特殊な階層の人達なのかも知れない。確かにお金のことを考えるならば、到底私のやっているようなことには関係もしてこないのは当然かも知れない。

 日本が特殊な国ではなく、ごく普通の国になるのは、当然のことなのかも知れない。江戸時代の鎖国で日本はかなり特殊な人間の国になっていたはずだ。狭い地域の中で、先祖と同じ仕事をして、狭い地域の中に暮らし、他に行くこともなく生涯を終えることが普通だった。

 それが、欧米の帝国主義に翻弄され、日本も遅ればせながら、帝国主義国家を模倣し、植民地まで作るような愚かな国に成り下がる。それが、敗戦という形で終わる。その敗戦の反省から、ひたすら経済に向かって働き、高度成長を達成する。それが50年続き、当然豊かな時代に成長した人間に、組織を支える人は入れ替わったわけだ。

 気付けば、日本人は倫理を失っていたのだ。国の品格を落としたのだ。慌てて、学校教育で倫理教育を取り入れたわけだが、そんなことは全く無意味だ。自民党議員の倫理喪失を見れば、民主主義にはお金が必要なのだと言うことになる。拝金主義が現実の社会教育になっている。

 一番の悪影響は政府の奨励する、投資である。不労所得を是とする倫理観である。不労所得が悪い事だとは思わないという人が、実に増えてきた。要領よく金儲けをして何が悪いんだという人が増えた。ほとんど両者の間で、この価値観について話し合うことが出来ない。

 たしかに、政府がこんな状況の中、カジノで儲けようという国になったのだ。株式投資の何が悪い。そう考える人を否定は出来ない。売春を合法化して、観光客を集めようという国さえあるのだ。何が悪いのだと言われれば、価値観の相違としか言いようが無い。

 株式投資とカジノと売春と同列にするなと言うことだが、国家がそういう非倫理的なことを国の運営に、利用しないのは当たり前の事だ。日本ではもうその当たり前が通用しなくなっているのだ。日本は競馬競輪パチンコ、と確かに賭博王国であった。しかし、いつもそういうことには後ろめたさはあったのだ。

 まさか今になって、金儲けのためにカジノを誘致しようと言う発想の愚劣さに驚く。公営賭博やパチンコをどう縮小するかが日本社会の、課題のはずだ。確かにそういう怪しげな所に、パー券を大量に買って貰っているのが自民党である。それが裏金になって、ばらまかれているのだ。

 円安観光である。この機会に多くの外国人に来て貰うことだ。オーバーツーリズムと言うが、上手くゆけば地方の消滅が、外国人によって救われるかもしれない。日本の中山間地の魅力は外国人ならばひとしおのはずだ。どんな形で観光に結びつけるかは工夫次第だ。

 私は日本中の田んぼを見て歩いた。それがどれほど魅力的なものかを絵を描いて知った。その魅力は里地里山の人間が作り出した自然に馴染んだ暮らしの魅力である。田んぼを取り囲む農村の暮らしには日本人を作り出したものがある。日本の中山間地の暮らしは、今でもかなり特殊なものだ。

 そして小さな円安輸出である。これだけ円が下がり、ますます下がるとすれば、日本のもので海外の方が売れるものがでてくるはずだ。それは自動車とか半導体というようなものではなく。伝統工芸品などで、日本人にはもう高くて生活のためには買えなくやったようなものの中に、素晴らしいものがある。

 日本では成立が危ぶまれる伝統工芸品が、海外に販路を求めれば成り立つものもあるかも知れない。水彩画を描いていて、和紙など素晴らしいものがある。この紙の魅力は日本以外にはないものだ。何しろ、ルネッサンス時代のヨーロッパの画家達が評価した紙だ。

 まだかろうじて伝統工芸は維持されている。海外に活路を見いだすことは政府が力を入れれば可能かも知れない。伝統工芸品の輸出のための政府機関を作る必要がある。伝統工芸の保存だけでなく、海外への販売を政府は担う必要がある。円安は良い機会になる可能性が高い。

 小さな輸出。身近な暮らしの観光。円安を機会に、日本が発想を変える機会なのだ。日本の当たり前の良さを知ってもらうことは、日本の平和外交のにも成るだろう。誰でもが、輸出を出来るような、行政機関を作るべきなのだろう。
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