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のぼたん農園の土木工事

2022-11-21 04:14:58 | 楽観農園

 借りてきたユンボと先日小田原から石垣島に送った軽トラダンプ。


 土を積んでは田んぼの畑まで運んだ。石の少ない悪くない土だ。

 のぼたん農園の土木工事が10日間で終わった。今後はユンボが必要なような作業はないだろう。自給農園で大きな機械で土木工事をするなどおかしな事だと言う考えは、私の中にもある。山北でやった最初の開墾は化石燃料を一切使わないという覚悟で行った。あの頃の方が純粋だったかもしれない。

 何しろ車も使わず水20リットル担いで一時間も歩いて山を登って、最初に運んでもらった物置小屋を組み立てて、泊まって開墾をしていたのだ。若い頃にはそれが必要な事だったと考えている。その経験をした上で考えるところが、大型機械を使うべき所では覚悟して使う。体力勝負のような挑戦は年寄にはいらないということになる。

 73歳になった今では、残る時間と体力が減ってきている。今回の10日間のユンボ作業だった。手作業でやれば、最低でも二,三年はかかるだろう。出来ればまだ良いが、手作業では不可能な工事もある。必要なときにはためらわずに機械の力を借りることにしている。ただし、必要最小限すべきであるとは思うが。

 35年前山北の養鶏場を作った時にシャベルだけで行う養鶏業は限界に達した。そのことも小田原に越すことになった、理由の一つである。移らないでユンボで工事すると言うことを考えれば、山北で続けることは出来ただろう。

 山北の土地は広かったのだから、斜面にユンボで道を作り、平ら地を作り、鶏を放す場所を作ることが出来たはずだ。当時ユンボを考えないで、引っ越しを考えたのはどうだったのか。と思うこともある。小田原に移った結果色々のことが開けて、人家が近くなり鳥インフルエンザで苦情が多くなり、養鶏業を止めたくなった。

 生きてきた過去の道は今更変更が出来ない。すべてが石垣島で最後に暮らす道筋だったのだと思う。最後の仕事として72歳に成って、3.6ヘクタールもの「のぼたん農園」をやることが訪れたのだ。迷い道、引き返した道、様々であったが、すべてが今の幸運だったと思える。

 のぼたん農園が完成するまで働きたい。身体を壊してしまっては困る。今はあえて大型機械を使っても、理想の自給農園作りを目指したいと思う。二期工事が終われば、大型機械での土木工事は終わりにしたい。ユンボは買わないことにする。農園の大きな形が出来てしまえば、後は伝統農業でやって行けるだろう。

 身体もまだ大丈夫だと言うことが分かった。10日間終日働いた。今回の土木工事は力仕事ではないが、ユンボに載っているだけでもない。歩数計では5000歩以上連日歩いている。降りては石を拾い、ものをどけて、結構力仕事も伴う。何とか乗りきることが出来た。

 ユンボによる土木工事は「池作り。田んぼ作り。果樹園作り。畑作り。道路整備。放牧地の雑草除去」の6つであった。池は12個。田んぼも12個。果樹園は畝のある果樹園を2月には苗を植えられるようにした。そして畑は一反ほど小麦と大豆畑が一カ所。そして田んぼの畦の畑が12カ所。道路は延長すれば1㎞近くはあるのではないか。

 田んぼが中心ののぼたん農園である。200㎡の田んぼが11と100㎡の田んぼが1つで完成である。11のグループかあるいは個人が参加することが出来る規模である。2100㎡の田んぼを維持するにはギリギリの水量である。今年は最後の11番田んぼは田芋の田んぼにしたい。水が切れても田芋は枯れることはない。様子を見て安定するようなら、11番も田んぼにしても良いだろう。

 田んぼはすべて通年通水にする。石垣の土壌は通年通水に向いている。硬盤が抜けうると言うことが無い。まだどうして造成時にトラックターが埋まるほどだったのに、今回の8ヶ月ぶりの二度目の代掻きでは堅くなっているのかが不思議だ。

 日干しレンガになるような土なので、田んぼの底の方の土は水が徐々に届かなくなり、堅くなると想像している。沢山交ざっている石と細かな粘土質の土壌が時間の経過で堅くなるらしい、と想像を巡らせているが、まだすっきりはしない。8ヶ月前の膝上まで潜ったような場所が、今回は長靴で歩けるくらいになっている。

 田んぼの間の導水管を整備した。1年目ではこの田んぼ間の水路から水が失われた。あるいは道路に染み出てくる水もかなりあった。これらがなくなるだけで水の損出はかなり減るだろう。道路側の畦塗り、排水口の整備をしなければならない。

  田んぼの間の畑はかなり平らになった。先ずは向日葵でも蒔こうかと思う。先ずは美しい花が人を呼ぶ。昨年向日葵と田んぼの景観はなかなか見事なものだった。田んぼの畑はユンボである程度平らにした。トラックターで耕し石拾いをして、もう一度耕した。いつでも向日葵を蒔けるようになった。

 しばらく緑肥を育てながら、畑が上手く使えるかどうか。稲刈り作業などの邪魔にならない畑の耕作が出来るか。検討して行くことになる。稲刈りの時期にはずれる畑の作物の選択が課題に成るのだろうか。畦際は畑にはしないでで敵対視を置く場所というのもある。緑肥を何度か作りその後何を作るのかは、それぞれの田んぼの人達に任せたら良いだろう。

 池に関してはほぼ十分な数になったのだろう。12も池があることで、とても美しい場所になった。この池にこれからの一年一年どういう生き物が現われてくるのか、興味深い。ゲンゴロウはすでに来ている。池を生かした生き物調査なども継続して行きたい。苅部さんや九州大学の岩谷先生がやってくれることの協力をしてゆきたい。

 11日に牧草地から除去したススキの葉の細いものは図鑑で調べるとイトススキというものらしい。屋久島ススキという近い種も在るらしい。抜いて転がしておいたら、一週間後にはかなりしおれてきた。上手く行くようなら、今度はフレールモアーでの刈り取り方式にしたい。

 その他、果樹園の中の整備もした。今のままではどうも整理が付かない。風よけの畝を上手く生かして、もう少し管理しやすいようにしたい。チップをどかせば、果樹園の様子も見えてくるはずだ。チップを上の小麦畑まで運びたい。

 チップは半年野ざらしにしていたので、かなり風化してきているから、上の畑に入れれば、かなり小麦畑の新しい土壌が改善されるだろう。これもユンボのあるうちの作業である。小麦畑は大豆と輪作して行く。小麦と大豆を輪作して行けば、土壌は徐々に改善されて行く。

 小屋がほぼ出来上がったので、小屋の奥にバイオガス発生装置の穴を掘った。深さが1m。1m幅で3m。下に岩盤があり、あまり上手くは掘れなかった。まだバイオガス装置の全貌は分からないのだが、干川さんが色々検討してくれている。

 道路整備をできる限り行った。今後もフレールモアーでやらなければならない。ススキが生い茂っているところも、この機会に出来るだけ、根こそぎ抜いた。ヤブがあるとイノシシが出てくる。田んぼのまわりはきれいにして見通しがきくようにしなければならない。

 田んぼの導水管はすべて敷設した。これで田んぼの土木工事は完了した。最後まで課題になったのが、一番溜め池と0番田んぼである。一番ため池の周辺を少し広げた。中央の畦を太く高くした。池が後10㎝深く出来れば大分良くなるだろう。現状では畦が低く深くは出来ないので、田んぼの畦をさらに高くして安定させたい。これは一輪車の仕事になる。

 溜め池の回りを少し高くして、水を増やせるようにはした。水のあるところのそばにしげみがあるとどうしてもハブが居着くことになる。ハブが隠れるような場所はなくした方が良いのですべてかたづけた。終わってみるとまだまだ仕事があるようで、今日ももう少しやりたくなる。
 
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