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水墨画の墨

2015-10-31 04:07:21 | 水彩画

水墨画では墨が重要になる。良い墨と良い紙は絶対の条件という人もいる。ここで良いというのは、まずは古いということになる。墨は20年以上たたないと使えるものにはならないという。これは大げさに言うのではなく、実用の問題のようである。日本の富岡鉄斎の要望に従って作られた鉄斎墨というものがある。それが100年後の今でも日本人向けに、製造が続いている。当然、昔の墨という形で模造品が出回っているのだろう。上海にある会社でかつて製造した墨らしい。御多分に漏れず、この会社は国営化され墨の質を落としたと言われている。だから、文革以前の墨をこぞって求める。そもそも良い墨を作るには、手間暇を惜しんでは出来ない。微細な油煙を集めて漆で固める。日本でも奈良の方に古い技法を残した和墨の製造所がある。日本の油煙墨は奈良の10人余りの方々が作っているらしい。松煙墨は青みがあり、油煙の方が粒子が細かいが赤っぽいとされている。いずれにしても20年保存してよくなるというものだから、古いものを探して購入するということになる。

私も20年前に買った墨を何本か持っている。良いものかどうかはわからないが、少し古いものであることは確かだ。どこで買ったかと言えば、東京都美術館の水墨展の会場である。どこかの水墨の会を見に行ったら、事務所の前で、墨を売っていたのだ。今考えれば、不思議なことで本当のことだったのかと思えてくる。そういうことが昔は許されたということになる。今は物販は禁止されている。水墨の会を見て、なるほど滲みにはさまざまある事を知った。そこで、にじみが良いという墨を売っていたので、ついつい買ったのだ。奈良の墨だと言われた記憶がある。販売している人に滲みの美しく出る、墨はないかと聞いて買った。それなりの価格だった記憶があるが、一つ試してみるかという気持ちで購入した。家に帰ってすぐ使ったら、まるでコントロールできないほどの滲みで、それまでの書道墨が嘘のようだった。その墨をもって中国に行き、中国の宣紙に一枚だけ水墨を描いた。

中国でもその時墨を買ってきたが、文革後だから良いものかどうかはわからない。あまり期待できる雰囲気ではなかった。つまり、上海の美術大学には教授の絵が並んで売られていた。滲みのあまりない水墨画ばかり描いていていて、まるで劇画の様な幼稚な感じなので驚いた。街で売られている安物の掛け軸と変わらない調子で、お土産のように並んでいた。その後、鎮江で会った水墨画家が日本の鳩居堂で画材は買う方が良いなどと言っていたので驚いた。あまりいいものは現代中国にはないという感じだった。良い唐墨の古墨は書を描くときには使わないと、中川一政氏は書いている。水墨画の時のみということだろう。滲みが強く出るので、字には向かないという意味だと思う。高くてもったいないという意味ではないのだろう。中川一政氏が高いと考えるかもしれないというほど、古墨には高価なものがある。だから偽物も幾らでも出てくることになる。

墨のことを考えたのは、水彩人の仲間の青木さんが墨をいろいろに使っていたからだ。青木さんは材料には詳しい人で、和紙のことなどでもいろいろ教えてもらえる。当然墨も詳しいと思って聞いてみたのだが、その青木さんも墨の本当のところはわからないと言われていた。昔、良い墨だというものを書道家から貰ったので、それを使っている程度で、何が良いのかもわからないと、謙遜していた。むしろ、墨の世界の奥の深さを言われているような気がした。そのあと中国画の色彩の話になったのだが、中国画の色は悪すぎるということでは、意見が一致した。色は日本はいい。それは文化の違いだろうという話になったのだが、日本人だから日本の色を良いと感じるのか、中国人はあの中国の色彩を良いと感じてるのか、などというあたりで話は終わった。しかし、水墨の良さに関しては、古い時代の中国人の感覚の良さは卓越している。中国画でも色の良い時代はあったということになった。話に結論があるわけではないので、またの機会に続きを話してみたい。

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久野土砂災害地区指定

2015-10-30 04:13:05 | 地域

28日の夜、久野の上流地域の土砂災害地域の指定の説明会が行われた。昨年の自治会長であり、現在の舟原地区の防災リーダーであるので出席した。欠ノ上の公民館に20名位の住民が集まった。舟原地域では対象の家屋は9軒ほどらしい。私の家は、その境にある。がけ崩れの恐れのある地域のすぐ下にある。すでに、久野川の土砂災害の危険地区内にあるのだから、下からも上からもいろいろ危ない場所に住んでいるということである。私が知りたいのは土砂災害の危険度の科学的根拠である。その質問もしたのだが、そうした調査は行っていないということとで、地域指定の根拠がわかりにくい。角度が30度以上で、5メートルの段差があるところが対象であり、担当者が目視で決めたということである。それ以上の説明は特になかった。放映されたビデオも、土石流のもので今回の急傾斜地のがけ崩れとは違う話だった。間が持たないからビデオを流したという程度のことなのだろう。行政の姿勢に真摯なものがない。

今回はイエローゾーンの指定で、数年後にさらにレッドゾーンの調査が行われるということになる。行政は災害が起きた時に攻撃されたくないから、ともかく地域指定だけは行おうという相変らずの形式的態度だ。本気で住民の命を守ろうと考えてのことなら、今後の防災計画も同時に出てくるはずだ。防災対策課の人に、久野が一律に避難勧告が出ているが、久野と言っても、下流域の洪水の警戒と上流域の土石流災害のとは気象条件で同じには扱えない。「ここ数年毎年出ている警戒情報は、下流域の水位が洪水警戒水位になるから出ている。これは上流域の土石流とは問題が別だ。そのために、舟原地区では避難指示が出ても逃げようなどという人はいない。自治会で話し合ったときに皆さんそう言われている。これではオオカミ少年で、いざという土石流の避難指示が有効に働かない。この点どう考えるか。」という質問をした。何と災害対策課の職員が回答は、データーがないのだから仕方がないということだった。データーがないなら、データーを整える努力をしているのかと再質問したら、それは市の責任ではなく、県の責任だから何もしていないと答えていた。直接県や国に行ってくださいとのこと。これが防災担当の発言だから驚く。

土砂災害地区の指定をする。また、むやみに避難勧告を出す。すべて行政の災害が起きた時の言い訳のためだとしか思えない。本気で住民の命を守る気があるなら、どうやってデーターを集めてゆくかの計画を立て、努力ぐらいしなくてはだめだ。下流域の避難勧告は、久野川の水位の上昇と連動しているに過ぎない。上流域の避難については考えてもないが、ついでに久野全体で出しているという逃げ口上である。ところが、防災訓練やら、広域避難場所の設置訓練など、有名無実の訓練だけは熱心に形式が整えられる。そういう形式を整えるために、防災リーダーも自治会の役員も駆り出される。実にばかばかしいことだ。

自分でデーターを集めることはある程度できる。どのような雨量の時に、どのような災害が起こるのかということは少しづつ分かってきた。土壌に含まれる水分ということが問題になるようだ。ところが県の出しているウエッブデーターは容量が小さい。いざというときにはアクセスが集中する。そのためにデーターに近づけない。せめてこの程度のことは直すべきではないだろうか。県に要求しても予算がないですませられている。こんなことは、大した費用だと思わない。本気で住民の命を守るためには、久野川上流域のデーターを集める綜合的なシステムを作る必要がある。そして、上流の山の森が豊かなものになるような自然再生の方向を示すべきだ。現状ではどういう状態になったら、避難をするか。個人的にこの研究をすることしかない。今のところ行政ははっきりと自分たちにはできないという回答なのだから、自分でやるしかないと考えている。

 

 

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国境なき医師団を空爆

2015-10-29 04:14:13 | Peace Cafe

「国境なき医師団(MSF)」は10月8日声明を出し、アフガニスタン北部クンドゥズの病院が米軍機の空爆を受けた事件で、医療関係者や患者ら33人の安否がいまだ分かっていないと明らかにした。(時事通信)

MSFは、誤爆だと言うアメリカの説明を受け入れず、「そうではないと証明されるまでは、これは戦争犯罪だという前提で進む方針だ」と声明を発表した。3日未明に空爆が始まってMSFはただちにアフガン軍や米軍上層部に連絡したにもかかわらず、その後も少なくとも30分は攻撃が続いたという。

アメリカ軍が国境なき医師団の病院を空爆した。医師や患者が殺されてしまった。全く許されない事態だ。戦争というものはこういうものだ、無意味に人が殺される。誤爆だったなど、言い訳は全く通らない。間違えで殺されてたまったものではない。尊い善意の医療活動の従事者が、間違って殺されていいはずがない。アメリカ軍には国境なき医師団の病院の位置は伝えてあったのだ。そのことは現地の米軍も、アメリカ政府も認めている。なぜ誤爆が起きたのか調査するといっている。本日までなぜこういう悲惨な事故が起きたのかの説明はない。アメリカオバマ大統領が謝罪したということは攻撃は確かに米軍が行ったということは認めたということになる。南京の虐殺があったかなかったかとか、従軍慰安婦問題があるとか、戦争というものの不条理は人間性の破壊である。誰が悪かと言えば、暴力を使う解決法自体が悪いということだ。イスラム国が何故出現したのか。テロはなぜエスカレートしているのか。この根本問題に踏み込まなければ、解決はない。

中国は違法に埋め立てを行い人工島を作ってしまった。ここを中国一国のものだと主張するには、少し無理な場所だ。フィリピンやベトナムの沖合である。強硬に軍事基地の建設を行い、領有権を主張している。米海軍のミサイル駆逐艦「ラッセン」が、南シナ海で中国が造成した人工島から12カイリ(約22キロ)の境界に接近しており、12カイリ内に数時間とどまる見通しだと明らかにした。ラッセンは現地時間27日早く、スプラトリー諸島のスビ礁とミスチーフ礁付近を航行。これらの岩礁は、中国が2014年に大規模な埋め立てプロジェクトを始める前までは満潮時に海面下に沈んでいた。ということで、領有権や領海は誰も主張できないとしている。習近平のアメリカ訪問の結果ということだろう。話し合いができないなら、軍事力で解決しようという愚かな行為。中国の愚かさはさらにそれを上回るわけだが。怖いのは、日本がアメリカに脅されて、ここまでのこのこ出かけさせれないかということである。戦争はこういうところから始まりかねない。

アメリカの空爆が正義で、ロシアの空爆が悪意のものだと言い切れるだろうか。イスラム国の文化財の破壊行為等見ると、理性の通用するような集団ではない。それはシリアのアサド政権の国民を虐殺するような行為も容認されることではない。そこにアメリカと、ロシアが対立したまま乗り込んでいって、ますます危機が深まる。南沙諸島にアメリカ軍が行くということは、当然尖閣諸島の問題も連動してくる。軍事的にしか解決がないのだとすると、日本も安全保障条約の下に、米軍の支援を行うという、例の国会での説明の紙芝居が思い出される。これは日本国民向けの教育的事例なのかもしれない。アメリカは始めた以上、圧力の意味が有効になるという、筋書きがあるはずだ。当然安倍政権との連動も筋書きにあるはずだ。中国の軍事基地建設が許されないのは当然だが、その解決法に軍事力ではより問題が悪化するとしか思えない。両国の首脳が話し合ったときに、こういう微妙な問題がどこまで話し合われたのかである。

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軽減税のアイデア

2015-10-28 04:27:43 | Peace Cafe

これで同じことを3回も書く。どういうことなのだろう。軽減税を行うことは公明党の顔を立てるためだろう。安保法案協力のお礼だ。ひどい与党の談合である。公明党の立ち回り方を見ると、民主主義を崩壊させている政党としか思えない。維新の党の分解を見ていても、日本の民主主義定着は遠い。消費税は必要だと考えている。国民番号も必要だと思っている。必要であるが、うまく機能させるにはそれだけの見識が必要ということだろう。土台の杭は必要だが、手抜きをすれば上部が傾く。例えば医療の情報と国民番号を連動させれば、国民全員の子供のころからの医療記録がわかるようになる。間違いなく平均寿命は2から3歳は伸びるだろう。しかし、この情報が漏えいすれば、就職でも結婚でも差別が横行することになる。情報の漏えいは犯罪行為である。犯罪を前提に良いことをやめておいた方が良いのかどうか。絶対に避けられるなら、国民番号はいいものになるはずだ。最悪は、国家が情報によって国民の操縦を始める、静かな独裁国家への移行の恐れだろう。

消費税も財政再建のためには、必要なことだ。税の使い方に問題があって、これだけの財政赤字を積み重ねてしまった。物価上昇の時代であれば、国の借金も時間がたてばなくなっるはずであったが、高度成長期を終わり、経済停滞の時代に入れば、借金をどう減らすかが最大の課題になる。日本国の国際的格付けは、中国、韓国より低いのだ。政府や日銀の景気予測は幻想にすぎない。その証拠に企業はお金ばかりため込んで、設備投資に使おうとしない。新規に冒険をすることを危険な状況とみているのだろう。人口減少、とくに労働人口の減少、負担になる老人の増加。医療費や社会福祉分野の支出が、これからの10年団塊の世代が老人になり、大変なことになる。このままでは財政破たんが待っているとしか思えない。問題はあっても消費税の増税もやる以外ない。法人税の減税はやめることが条件である。法人税が高いから安い法人税のタックスヘブンをやるような企業は、名前を公表して、日本企業から除外したらいい。

軽減税率であった。お米のみ消費税0%にしたらいい。軽減税率は分かりやすく、簡単な仕組みにしなければならない。所得水準の低い人にその恩恵が行かなければならない。お米は日本人の大半の人が食べる。お米さえあればなんとか暮らせるものだ。学生のころもお金のある時にお米だけは購入して、残量を見計らいながらその日暮らしをした。お米は、同級生の農業学生だった、大浦君から安く分けてもらっていたことを思い出した。貧乏人は米を食っていれば何とかなる。私は嘘を申しませんと所得倍増計画を打ち上げた時代があった。池田隼人総理大臣は貧乏人は麦を食えだったが、あれはアメリカの思うつぼ。現代の安倍氏の、農家の所得倍増計画はウソそのものである。お米から消費税をなくせば、3,4千億円の枠になるのではなかろうか。お米だけに限定するなら、税の対応もわかりやすい。

お米に消費税をかけなければ、お米の消費が増加するだろう。お米の消費が伸びれば、政府は米作農家に補助金を使わないでも済む。中山間地の田んぼの維持は日本の自然環境の維持のためには必要不可欠なものだ。すでに相当の税の投入をしている。日本に暮らす人全員が、消費税を通して、日本の自然環境の保全をすることができることになる。お米だけを特別扱いしても、瑞穂の国日本なのだから、国民の合意は得やすいのではないか。しかし、政府はやらないと思う。公明党の顔を立てるためが目的だから、広く浅く軽減税率をやるしかない。公明党の支持層が喜ばなければ意味がない。米農家が喜ぶだけでは、話が違うということになる。党利党略が先の与党連合だから、実にくだらない結果になりそうだ。弱者救済なら、面倒なことにしないでお米だけに集中すればいいのだ。

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ヤフーオークションで損をしない方法

2015-10-27 04:04:19 | 身辺雑記

ヤフーオークションを見ていいて、これは悪意があれば、価格操作が可能なネットオークションだと考えた。ただ、その悪意の実態まで、証拠をつかむことがなかなか出来なかった。しかし、推理して見ているうちに証拠をつかんだ。価格つり上げのネットワークがあるということだ。このことはヤフーオークションには一応報告はした。しかし、ヤフーは対応をする気はないと考えている。ヤフーのオークションはヤフーが利益を上げるためにできているからだと思う。ヤフーの利益になるやり方で、価格のつり上げを行っている。価格つり上げのネットワークを許容することでヤフーは利益を上げていると思われる。ネットというものの無名性の虚構をよく表していると思う。この先の社会を予感させる。ネットオークションという、都合の良いシステムを生み出しながら、ネット特有の不公正が存在する。しかもそのことは、防ぎきれない矛盾を内在している。ネットはこれからさらに、暮らしに大きな影響を与えてゆくシステムだと思われるので、この価格操作の手法を上げておく。

悪質業者は落札されたはずの商品が何度でも出品されている。まずこの不思議に気付いた。理由は簡単で、競って価格をつり上げようとして上手くいかなかった結果自分で落札してしまうのだ。ヤフーオークションでは、競り上げてくる人がいたら、その人がどんな人かを想像する必要がある。まず、競争者の評価点の確認が必要である。評価1の人は出品者かそのネットワークの人である可能性が高い。食い付いた相手を周囲から高値誘導をしている。評価1にもかかわらず、執拗に競り上げるということは、多数落札しているにもかかわらず、評価を受けない人ということになる。出品者の可能性が高い。最低落札価格の設定やスタート価格を高くすればいいにもかかわらず、自分で落札を繰り返す理由は、価格のつり上げで、餌に食い付くのを待っていると考えた方が良い。一つでもそういう行為を見つけたら、その人の商品はすべて怪しい目で見た方が良い。おかしいことが良くあるのはやはり、骨董品関係である。篆刻の石を探すのでそういうことに出会う。よく観察していれば、納得いく石を納得のいく価格で購入できることが普通だ。

便利で、早い、場所を選ばない。老人の増加。ネットをうまく利用できれば、家から出ないでも暮らせる。過疎地域ほど有効になる。買い物難民はネットが避難所となる。生活費が高くなるかと言えば、むしろ安くなると考えられる。過疎地の年寄りが、買い物に出かけるということを考えれば、運送代を入れてもその方が価格が安くなる。こうした背景がある以上。ネットの賢い使い方を身に着けた方が良い。国民番号制が出来た。犯罪が言われているが、その前にビックデーターというものが社会を変えてゆくということだ。その中に国民番号が刷り込まれてゆく。それが政府の国民コントロールに使われるだろうという気がする。その意図は、まさに消費税と連動しようとした姿に、現れたところだろう。国民番号は良く使えば、有効だが、独裁政権が使えば危険なシロモノになる。良い意味で言えば、国民番号と医療を結べば、寿命は1年は伸びるだろう。医療の透明性が確保され、的確な医療が構築しやすくなる。

 そもそも、骨董品店で買うとしても真偽については難しいものだ。何でも探偵団では偽物を購入してした事例が、ほど良い割合で登場する。同時に大化けした品物もほど良い割合で登場する。ましてネットオークションである。時にこんないいものをネットで買ったと言って見せてくれる人がいるが、まさかこれは買わないでしょうというような場合の方が多いい。要するに転売を考えないなら、好きなものを買って楽しめばいい訳だ。真偽など関係がない。ネットの流通はすべてデーター化されている。これから先ネット流通が増加する。ネットで物を買う技術を身につけなければ、過疎地では暮らせないという現実が近づいている。いやでも、こういうデーターが国民番号と結びついてゆく。国民のコントロールのために使うことは避けられない社会が待っている。政治は建前論ではなく、明確な姿勢を示してもらたいものだ。

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田んぼの緑肥栽培

2015-10-26 04:59:17 | 稲作

今年は田んぼで緑肥を栽培する。すでに秋起こしは終わった。まずソバカスを4体づつほど撒いて、その上からトラックターで耕した。1週間置いて、25日に緑肥の種まきをする予定である。耕しているうちに、11番の田んぼでトラックターが出られなくなってしまった。秋起こしをしていて、田んぼのぬかるみにはまり込むのだから、いわゆるどぶっ田である。何とか冬の間に改善をしなければならない。緑肥が土壌をよくすることはわかっている。また、緑肥をうまく利用すれば、草抑えにもなる。そのことをどのように数値的に表せるかと考えている。誰にでも再現可能な技術にしたい。まずその前に、緑肥を上手く栽培する方法である。ただ撒いてもうまくゆく田んぼもあれば、丁寧な栽培をしなければしょぼしょぼにしか成長しない田んぼもある。寒い場所や、日当たりの悪い谷戸の田んぼは、冬の条件はさらに悪くなるので、緑肥があまり伸びなかったりする。

今の田んぼの状態である。この後から出てくるいねの芽「ひこばえ」とよぶ。ひこばえの状態で、田んぼの状況が判断できる。毎年同じ頃に刈り取る。そしてひこばえが必ず出てくる。もちろん気候の違いもあるのだが、それだけでなく、稲の根の状態と、土壌にの力も表している。気候的なものは他所の田んぼとの比較をしてみるといい。ひこばえのが大きく育つ暖かい年もある。そうした中で、自分の田んぼの毎年の変化を確認しておく。表土に白く見えるのはソバカスをまいた様子。ソバカスを継続的に入れているのは、ソバカスの分解に有効な微生物にえさを与えているつもりだ。

 

25日に緑肥の種をまいた。クリムソンクローバーが10番と11番。麦とヘヤリーベッチが2番。レンゲとヘヤリーベッチが1番。麦が8番。などなど。耕したところに種をばらまきして、トンボやレーキで少しかき混ぜた。そのあと上から藁をまいた。2時間ぐらいかかった。

 

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アベノミックスの海外評価

2015-10-25 04:36:12 | Peace Cafe

誰の目にも日本経済は怪しくなってきた。順調だと明言しているのは、日銀総裁と安倍政権ぐらいなので、いよいよ大丈夫なのかと不安が増幅する。企業に設備投資しろと押し付けているようだが、何を作ればいいかというところが定まらないのだろう。政府が率先して、夢のある日本の方角を示すことが重要だ。私なら自然エネルギーの技術開発全力で向かおうというところだ。リーマンショックでも中国経済の減速でも、予測されたことが起きただけのことだ。ただいつ来るかということがわからない。株価は毎日上げ下げしている。その都度報道はもっともらしい理由をつけて説明しているが、すべて後付けの理屈である。日本経済が世界の経済の中にあるということだけは、はっきりとしている。昔ながらの経済成長を追い求める一億総活躍社会では、人間の生き方はいよいよ難しくなる。

アメリカの格付け会社が日本の国債格付けについて、「AAマイナス」から「Aプラス」へと1段階引き下げたと発表した。デフレ脱却や経済成長をめざした政府が、国債の信用力の低下傾向を今後2~3年で好転させる可能性は低いとした。国内総生産に対する政府債務残高の伸びは年5%以上に達すると予測し、「日本の財政状況が極めて脆弱(ぜいじゃく)であることは、重大な弱み」と指摘した。経済が今後2~3年で国債の信用力を好転させるまでに改善する可能性は低いと結論づけた。格付け主要3社は1年の間に日本国債を格下げしており、そろって日本国債を「シングルA」格相当にしたことになる。

格付け会社の判断が正しいかどうかはわからないが、世界での日本経済の評価が下がっていることは注目しておかなければならない。格付け会社によれば、日本は中国や、韓国より、一段下だということである。イギリス、ドイツ、カナダ、豪州が最上位である。日本の財政の立て直しができないだろうとみられている。国の借金が膨大になり、年金の資金まで株投資に回して株価の維持を図る。危うい綱渡りを続けているのが、日本の実情である。鬼怒川の氾濫に伴い、この際とばかりに、スーパー堤防の復活を主張する報道が目立つ。日本にはそんな公共事業費はない。やった方が良いこと、やるべきことはそれはいくらでもある。しかし、お金のかかることは出来ない状況なのだ。国の財政となるとやたら難しそうになるが、単純なことだ。個人が借金して耐震補強をするかどうかである。あの水害でも、流された家と、流されなかった家とがある。

日本経済が好転するようなことは当分ない。それは日本という国の置かれた状況を客観的に見れば、当然のことだ。消費税10%だってやらない方が良いに決まっているが、やらざる得ないくらい財政が厳しいのだ。耐えるしかない状況である。法人税を下げるなどもってのほかである。重要なことは今後の経済展望を楽観しないことだ。株価が乱高下しているが、こういうことは日本の実体経済を表現したものではない。それは中国の株価でも同じである。あくまで投機的な目で、一儲けしようという資金がその場その場で動いているだけだ。今後日本経済は、格差を広げてゆく。韓国の後追いを続ける。企業は利益を上げるだろうが、その恩恵が全体に広がることはない。あくまで関連の一部企業にとどまるだろう。賃金の格差はさらに広がる。正規雇用の比率も減少する。にもかかわらず肉体系労働力不足は顕著になる。

日本全体の暮らしの方角を考え直すべきだ。世界との競争に巻き込まれることなく、日本での暮らしを充実させることだ。人口減少もその意味で、良い方向と考えなければならない。ヨーロッパの小国が豊かな暮らしをできていることから学ぶべきだ。

 

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琉球国と沖縄

2015-10-24 04:12:07 | 石垣島

高校2年の時の山川書林の日本史の教科書の、歴史地図に今の中華民国のところが、つまり台湾のところが、琉球国と書かれていた。沖縄は沖縄である。それでこれは間違っているのではないかと、歴史の菅原先生に申し上げた。菅原先生は世田谷学園に教えに来てくれていたが、東大の大学院におられたころのことだ。その後菅原先生は東大の教授になられたと聞いた。その菅原先生が、調べてみるといわれた。翌週見えた時に、台湾を琉球と呼んだ時代があったということだったと言われた。つまり中国から見ると、台湾も、沖縄もまとめて琉球と呼んだ時代があったということのようだ。中国は、大琉球国が沖縄で、小琉球国が台湾と分けた時代もある。名称は時代や関係で固定的なものではなかったようだとも言われた。日本国と琉球国は別物だったらしいとその時に気づいた。当時世田谷学園には、饒平名先生と言われる沖縄出身の英語の先生がおられた。この方は都立大の大学院に通われていたと思う。当時大学院に行きながら、講師で見える方は多かった。個性的な良い先生ばかりで、学問をする価値を学ぶことができた。

彫刻をやっていた叔父が沖縄大学での教員生活を終えて帰り、沖縄のおもしろさを夜通し話していた。熱中して聞かせてもらったのだが、もっと話を聞いておけばよかったと今になって思う。沖縄が日本と違うという側面と同時に、むしろ日本の原点であるということを父もよく話していた。沖縄の古語には平安時代の日本の言葉が残っているということだった。たぶん柳田国男氏の話していたことを子供にも語ろうとしたのだと思う。沖縄は今独立ということが言われる。中国の差し金だとか、売国奴の仕業だとか、無教養な意見を書く人間がいるが、そもそも日本国になったのは、明治になってからのことであり、しかも軍事的占領に基づくものだ。独立した琉球の長い歴史がある。日本と同じ民族文化であるが、国家としては別物として存在してきた歴史がある。

国家から、一地方が独立するという動きが世界中にある。ウクライナでは国民投票でクリミヤが独立した。そして、ロシア連邦に加盟した。それを不当だとアメリカやEU諸国は主張しているが、何が不当なのかよく分からない。気に入らないことだというのはわかるが、国の独立は国民の意思であるのが基本だろう。スペインではいくつもの独立運動がある。しかし、憲法で独立が禁止されている。だから、独立の投票自体が憲法違反になる仕組みになっている。こういうことが憲法で決まっているのは、フランコの独裁政治の名残なのではないか。バルセロナ地域の独立はむしろ経済的な優位な地域が抜けようという動きで、EUという大きな統合の枠組みが上位観念として出来ているのだから、独立しようという方向は何か不思議な気がする。沖縄の独立の背景にあるものは、沖縄人の琉球国の記憶ではないか。沖縄差別もある。経済の恩恵を与えるから、米軍の占領は我慢しろ。そして今は米軍基地の集中を我慢していろである。中国の脅威に対抗しようというだけで、米軍が沖縄だけに集中する根拠はない。

この冬には石垣島に行く計画である。沖縄本島より台湾の方が近い島である。石垣島には田んぼが残っている。これを見たいのだ。冬に田圃を見に行くのでは、違うのだが田んぼをやっている時期に出かけることができないので仕方がない。今沖縄に行くと、本土化というのか、東京化というのか、押しなべて全国で起きている現象と変わらないことが起きている。私にはそれは残念なことだが、沖縄県人には悪くないことなのだろう。自然が美しいとか、人が優しい感触であるとか、沖縄ならではのこともあるが。いまのところ琉球国はさすがに遠いい空気だ。理屈としては存在するのだろうが、やはり沖縄県である。それは本土の人間の差別感覚なのだろうか。もし沖縄が琉球国になったら、琉球国に移民したいと思う。果たして受け入れてくれるのだろうか。

 

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和紙と水彩紙

2015-10-23 04:19:04 | 水彩画

水彩画では和紙を使う人もいる。水彩人では同人の青木伸一氏が麻紙を使っている。日本画のように使うこともあるし、水彩のように使うこともある。今銀座のゴトウで個展をやっている。和紙を上手く使うととてもいい調子が出る。レンブラントが和紙を使ったと言われているくらい、日本の紙には伝統がある。技術を中国から教わり、日本独自の物に改善してきた。中国の紙も使ったことがあるが、日本の和紙の方が良いものになっている。和紙のような伝統工芸品はいまや生き残ることが難しくなっている。その点では今の時点は恵まれているといえる。まだ新しい良い紙が作られているし、古い良い紙が出てくることもある。有難いことだ。この先の和紙のことを考えると、かなり厳しい状況が想像される。和紙を作る労働というものは厳しいものだ。その雁皮や楮やミツマタの繊維の栽培から、採取までが産業として成立していなければならない。その上に、年季のいる高い紙すきの技術を獲得しなければならない。

和紙も工業製品に席巻され、機械すきの和紙の方が量ははるかに多いいのだろう。手漉き和紙というものが特殊な需要と結びつくだけになっている。それは水彩紙と呼ばれる紙も同じで、大半のものは機械で作られた紙になっている。実は手漉きだから描きやすい紙という訳でもない。機械漉きであってもその製造方法によって、自分の絵の調子に合う紙はある。和紙と水彩紙の違いは、紙の目である。毛布目と言って、毛布を挟んで圧迫して水を切るのが、水彩紙である。この紙目が水彩画の調子を作る。凸凹しているので、光を乱反射して複雑な感じを与える。和紙の場合は板に張ったり、重ねて乾かすのでのっぺりした表面の調子である。むしろ紙の表面の調子よりも、紙に染み込む変化で色合いを見ている。滲みやかすれでに複雑さが現れる。機械漉きの和紙であれば紙目をつけることはたやすいことなので、中判全紙くらいの良い機械漉きの和紙原料の水彩紙ができるといいと思うが、不思議に挑戦する会社がない。ケナフを使った水彩紙はあるが、この紙はそれほど良いとは思わなかった。

水彩紙の原料であるラグが将来枯渇すると思われるからだ。100%の綿布は減ってゆくのではないかと思う。そこで雁皮や楮やミツマタや麻を材料にすることで、より日本的な水彩紙が出てくる可能性がある。紙目のある水彩画用の和紙である。たぶんそういう紙が出来れば、日本画も変わるはずだ。日本画も今は油彩画の影響なのか、顔料を盛り上げて描いているものが過半である。あれでは紙だろうがキャンバスだろうが同じ結果になる。日本画の伝統的な魅力である、紙との親和性を考えると詰まらないことだと思う。紙目とにじみを上手く共存させて使えるのが、水彩画なのだと思う。もし浮世絵の時代に紙目の有る水彩紙が存在すれば、もっと多様な日本画が生まれたことだと思う。

私はファブリアーノの小型機械によって作られた水彩紙を使っている。モルドメード水彩紙(円網抄造=機械漉き)である。水彩紙で手漉きは珍しいし、それほどの意味もないと思っている。大きな紙目と紙の厚さが際立っている点で使っている。今のものはたぶん、バージンコットンになっている気がする。私が保存しているものは、ラグで作られた紙だ。コットンになって調子が違った。柔らかさが感じられなくなった。とすると、鳥の子紙の様な材料で紙目があれば、面白い水彩紙になるのではなかろうか。雁皮による、水彩紙を開発することは難しいことではない。と思って調べてみると、絵手紙用のこうした紙はすでに出ている。伊予雁皮紙という。絵手紙に使われるのはよく分かるが、この紙をもう少ししっかりと紙目をつける必要がある。紙目で出来る光の複雑さが水彩の色の美しさにつながる。紙のサイズも中判全紙ぐらいまでのものにすれば、水彩画の世界が広がる気がする。

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篆刻の面白さ

2015-10-22 04:09:25 | 暮らし

篆刻を始めたのは、世田谷学園で教えていたころだから、もう30年前になる。やると案外に簡単で、それなりのものができる。ところがそれなりの域を抜け出ることが難しい。このあたりにはまり込む面白さがある。なおし直しの書道のような感じで、訂正の積み重ねが面白いという妙な感じがある。篆刻は中国で出来たものだ。秦の始皇帝の時代に、中国では印鑑を授けるということが、権力との関係を表していた。材質や大きさに寄って、役職や立場があらわされるように決まりが出来た。日本のたぶんある地方の、中国と交流のある有力者に、「漢委奴國王」の金印が与えられた。後漢書の「倭奴國」「倭國」「光武賜以印綬」の記述と結びつけられている。田んぼから出土したということも言われるが、いずれにしてもこうした印鑑が残っているところが、物持ちが良い日本らしいところだ。

印鑑というものは金印はもちろん上位のもので、大きさにも重要な意味があった。当時の1寸という大きさには意味がある。玉を使うことのできるものは皇帝のみである。田黄石を使っている。黄色の少し透明な石である。玉の篆刻が権力の象徴から、例えば皇帝がこの絵を鑑賞したという証拠に、その絵の上に皇帝の印鑑を押してしまう。絵が良く見えないほど印鑑が並んだものがある。絵の中に押されるということもあって、皇帝の品格を表す必要が生まれる。ただ、偽造されなければいいと言うような複雑な字体から、絵に入ってもおかしくないような、美しい印影が作られるようになる。それが徐々に篆刻の世界を形成することになる。作者の名前として押された印は絵の隅にあって、絵を邪魔しないように押されているのに、見たという証拠の印に押された印が、絵の真ん中にどでっと有ったりする無神経が不思議だ。有名人の印が価値を上げる。拓本でも取った後に、石に傷をつけてしまい自分の拓本の価値を上げようとする。このあたりの感覚が中国である。

私の篆刻は全くの楽しみである。大体1時間ほどで一つを作る。気に入らなければ、削りなおして又にする。気に入った字を彫るだけなのだが、何に使うというより、彫ることが面白いだけのことだ。印の頭に自分の顔を彫った物もある。好き勝手にやるだけなので、ローマ字を彫ることもあれば、絵を彫ることもある。でたらめに彫っていても好みというものは出てくるようで、なんとなく共通の感じはある。要するにヘタウマなものを作っている。ただのヘタウマなのだが、幼稚な感じは嫌なので、それっぽい風格を目指す。自分の癖のようなもの、趣味性が強く出る。まだ自分の絵に押せるようなものが出来たことはない。せいぜいはがきに押すことがあるくらいだ。年賀状には何度か「春」という字を彫って使った。字を書いたときに一応隅に「出」という字を押してみたこともある。まだ納得行く字には程遠い。楽しみだから気楽なもので、正直どうでもいいわけである。どうでもいい自由感にむしろ興味がわく。

石の頭には、龍とか、獅子とかが彫られている。その意味はどちらかと言えば、印鑑に呪術的な、魔除け的な意味がある。印鑑で金運上昇とかいう、少々いかがわしい商売の源流である。魂のようなものを込めようするには、石は良い材料かもしれないが、私はそいうのが大嫌いだ。字というものに、神聖を考えた中国では、字を押すということで、何か結界のような意思の表示にした。そのために、印鑑にはそれを司る動物を必要としたのかもしれない。篆刻の石には種類の名前がある。「尼山金石」「青金石」「桃花石」「寿山石」「田黄石」「鶏血石」「白芙蓉石」「昆崙緑凍石」採取される土地の名前も多いいようだ。いろいろもっともらしい名前があるところが中国的である。琥珀蜜蠟、瑪瑙、翡翠、水晶、サンゴ、象牙、もある。象牙や虎の牙というようなものまである。朝鮮でも盛んなようで、日本で売られている石は朝鮮経由が案外に多くある。

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柿酢の作り方:2015

2015-10-21 04:07:30 | 自給

柿酢づくりをやった。と言っても庭の富有柿が熟したので、それをもいで入れただけである。30分ぐらいの物だろう。これだけのことをやっておけば、2年後お酢になっている。毎年のことで新しいことはないのだが、やってみたが上手くゆかなかったという人の話を聞くことが重なった。なぜ失敗するのか、気づいたことがあるのでまず書いておく。それは柿から果汁が染み出て、その液体に全体が浸るまでにカビさせてしまうということのようだ。最初の1週間の状態で悪くなる。そのためには熟柿柿が良いということになる。木で熟すのを待って、そのまま瓶に入れるだけである。ふたは密封している。ときどきビンを振り回して、早く液が全体に上がるようにする。上がらなくても液が被るようにする。中では小さな泡が少しづつ湧き上がっている。液は濁っている。今日の様子では、ほぼ上の線まで液が来ている。つまり1週間ぐらいで液が覆ってしまう方が良いということなのだ。写真では15と書いてあるが、16日の雨の後に仕込んだはずだ。強い雨が降って、柿がきれいになった後にやることにしている。

こちらが去年の物である。暗いところから出してきて写した。又すぐに戻した。柿酢を作るのは本来光は良くないと考えている。だから壺で作った方が良いのだが。中の様子が良く見えるように、瓶でやって見ている。ついでだが下に敷いてあるのが、柿渋染めの結城紬である。ムラがあるのは意図的なもので、何度か洗いながら落ち着くように考えている。去年の柿酢はすでに完全にお酢になっている。前の物を使っているので、もう一年暗い所に置いておく。上部にこんにゃく状の物ができるのは、光と酸素の影響らしいという経験を聞いたので、早速暗いところに置き変えて、蓋は密閉している。こんにゃく状の物が出来たからと言って、お酢がだめになることはないのだが、今は出来ない方が良いと考えている。一年物のお酢の味は、2年物より少しきつい感じがあるが、柿の果物感はむしろ残っている。だからこの段階で使ってもいいとは思う。ドレッシングに使うならこの方がおいしいかもしれない。

柿のヘタは昨年は取ったが、今年はそのままである。おととしもそのままである。今年の試みとしては、富裕柿で作ったということだ。何しろ今年は柿の当たり年で、あちこちに大量に実っている。食べきれるものではないので、甘柿の方を柿酢にすることにした。渋柿の方は下に敷いてある布を染めた柿渋になってしまった訳だ。絞った柿渋も縁の下の暗いところにしまってある。1年たった柿酢も同じである。ときどき味見をするときだけ蓋を開ける。その程度の酸素で十分だと考えている。ふたを閉めたまま、瓶を振ってかき回す程度である。棒を入れてかき回して作るような方法は時間の短縮法なのだと思う。ゆっくり時間をかけても構わないと考えれば蓋をしたままの方が良い。まあ、発酵で蓋をするのかどうか。かき回すのかどうか。この辺は良いものを作る分かれ目である。ただ醤油の経験で密閉方式で3か月に一回ぐらいのかき回しで良いものが作れる経験をしてから、密閉の良さを考えるようになった。そういえば、私は味噌づくりでもかき回すことはしない。

自給生活は手間をどれだけかけないかの工夫だと思う。あれこれ面白いことがあるので、全部に手間をかければきりがない。上手く手抜き法を工夫するのも大切である。雑菌を必要以上に畏れて、消毒だ、手を洗えと、瓶は熱湯消毒だなどと、神経質になるなら面倒なことになる。ちなみに瓶は日に晒してからしまう。気楽に、ダメでもともとぐらいの気分でやってみる。発酵の感触を知れば、雑菌など畏れることはないということがわかってくる。問題の一番は、保管する環境だと思う。鶏の餌の発酵を町場でやると失敗事例が増えるということに気づいた。山の中でやれば、失敗が減少する。町場にはよい菌が少ないのだろう。だから、除菌とか、衛生管理とか、神経質にならざる得ない。自然の調和というものは微生物が司っている。そいうことを教えてもらうために、お酢を仕込むわけだ。自然の持つ時間の経過と、自分の時間との波動を合わせて、命移ろいということを感じる。

 追記 ——瓶がいっぱいになるほど、柿を加えた。そうしたら泡が上がっていたので、あふれ出た。それで200CCほど取り出した。まさか水位が上がるということはどういうことだろう。柿の中に気泡が出来ているのだろうか。取り出した液をなめてみたが、なんとなく酸っぱいような。

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日本農業の文明論

2015-10-20 04:27:58 | 自給

東洋4000年の循環農業は人類の生き残る可能性のある、希望に満ちた文明だと思う。古代文明がそれぞれにほろんだにもかかわらず、東アジアでは循環農業を作り出すことで、現代社会にまで継続した唯一の文明となった。それは土を育てるという思想に根差している。大地というものを最も大切なものとして、豊かな土を子孫に伝えてゆくということを暮らしの指針にした。自分一代が良ければいいというのではなく、ご先祖様から伝えられた土地を、汚すことなく、少しでも豊かなものに育むことを、自分の生き方とした。自分一代ではなく子孫につないでゆくことに価値を置いた。その農業は一見効率が悪く、近代の産業革命に伴う、機械農業に駆逐されることになった。機械農業は化学肥料を用い、土壌から収奪的に、効率よく作物の収穫を目指すものであった。土壌はその場限りのもので、使い切れば場所を変えるというような、当面の利益を優先する、プランテーション農業が生まれた。

そのことで、世界の急増する人口を支える食糧生産が達成された。そして、プランテーション農業と、東洋の循環農業が価格競争を強いられることになった。当面の利益を優先する農業であれば、プランテーション農業である。徐々に東アジアの伝統農業は消えてゆくことにならざるえなかった。日本では小さな農家が消えてゆく中、昔ながらの伝統農業は、まさに今消えようとしている。国際競争力のないものとして、疎んじられる存在になっている。当然後継者の期待もしないし、自分一代で終わりにすると考える70歳を超えたお年寄りの農業者が多いいことだろう。生活のできない暮らしを子孫に押し付ける親はいないのは当然のことである。また同時に、伝統農業の肉体労働に耐えたがたいという、農家育ちの人は多いいことだろう。しかしこれは間違いである。伝統農業はそれほどの肉体労働ではなかった。もっと余裕のある文化とも呼べるものだった。

日本農業が過酷な農業になってしまったのは、富国強兵という国策で、プランテーション農業に匹敵する生産を、循環農業の中で上げることを目標にした為である。それは2つの体験から想像している。一つは、昔の農家の人の働き方は、実にゆったりとしていたらしいということ。子供のころ、かろうじて記憶している人の働き方を見たことがある。のんびりと畑でたたずんでいた。ゆっくりと休み休み働いている人がいた。江戸時代を感じさせる働き方をしている人を、見たことがある。たぶん昔はああだったのではないか、と子供心に思った。もう一つは自分で自給農業をしてみた分かったことだ。伝統的農業では人間一人の食べるものは一日1時間の農作業で確保できるということである。残りの時間を、ゆったりと働いたとしても、人のための食糧生産に充てれば、一人は5,6人の食糧を確保できるということになる。ということは、日本人の20%が農業者であれば、伝統的農業で食料は確保できるということになる。

永続性のある、豊かな暮らしとは、世界と競争して勝ち抜くような暮らしではない。競争を続ければどこかで躓く。高い文化を味わい。一人の人生をどこまで深く探求することができるかが生きるということであろう。アメリカンドリームが、金銭的成功であるのは、伝統的な高い文化を持った経験がない国家だからだ。自分のやりたいことを見つけ、それを生涯探求できる環境を確保する。人と比べて自分をはかるのではなく、自分をやりつくすということ。そのためには、東洋4000年の循環農業の国に戻ることだ。それは何も江戸時代に戻れというのではなく、現代の科学文明を江戸時代の価値観からはかりなおすことだ。果たして、原子力は自分の幸せを作るか。科学が生み出した物を十分に活用しながら、間違った方向の科学は捨て去り、永続性のある農業文明に希望を見るべきではないか。大げさな言いぶりだが、自給農業をしてきてそういう考えを持った。

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杭打ち偽装に見える企業のモラル低下

2015-10-19 05:46:18 | Peace Cafe

お金を儲けられるということが、すべての価値に優先してしまうという、企業の競争社会が深刻化している。フォルクスワーゲン社のまさかドイツの会社がこんなことをという、排気ガス偽装が起きた。日本でも旭化成建材というところが、土台の杭を偽装していた。そういえば、東洋ゴムでは免震ゴムの偽装というのがあった。どの場合も物を作る基本に当たる部分の偽装である。人の命にかかわる偽装が平然とおこなわれている。競争社会の行き着くところを示しているのだろう。大半の企業の人間は、まじめに働いている。しかし悪貨は良貨を駆逐する。フォルクスワーゲン社はこの偽装で世界1の企業になった。金もうけにだけに専念していれば、モラルを失った人間が登場する。何のために家を作るのかと言えば、そこに住む人の幸せのために、良い暮らしのために家を作る。みんなで家を作った時代の家づくりはそういうものだった。ところが金を儲けるために家づくりをやるようになる。物を作るという精神の崩壊が起き始めているのだ。

東芝では利益を上げろという上司の指示で、担当部署が不正会計処理を行った。社員は何が悪かったのかわからないのではなかろうか。利益を上げるということを、卑しいことだとするのが、江戸時代のモラルである。儒教の影響もあるのだろうが、中国社会の汚職体質を考えれば、むしろ日本人の特性だったのではなかろうか。稲作を中心に安定化した社会が続けば、誰かが特別な利益を上げるということは、好ましいことではない社会である。互いに平たく助け合わなければ、成立しない社会。その意味では武士も百姓も胸像していた社会である。士農工商というように、商人を金もうけする人間として、下の階級に考えようとした。現実には江戸時代の階級制度というのは、外国での階級社会とは違っていたと考えるが、それでも金儲けをすることを、立派なこととは考えなかったことは確かだ。お金より大切なことがあるという言葉はまだ生きているが。どうもお金より大切なことを見失っている社会ではなかろうか。

グローバル企業の問題がある。フォルクスワーゲン社が排ガスを装置をごまかしていた問題では、フォルクスワーゲン社はその後大した影響を受けていない。結局排ガスデーターをごまかす装置を開発してから、一気に世界のトップに躍り出たのだ。企業としてはよくやったということだろう。ばれたからまずかっただけのことだ。マンションが傾いたのは、想定外の地震が起きたからだろう。もしこれが直下型でみんなが傾くほどの地震であれば、これまた問題にならなかっただろう。一棟独立して立っていれば、気づかなかっただろう。人にばれなければ、賢く儲けたやつが優秀な企業戦士なのだ。そんなことはないという企業人も沢山いるだろう。しかし、企業で出世している人間には、そういう傾向があるという点では、同感の人も多いい気がする。こうした傾向が強まったのは、グローバル企業と言われるようになってからのことではないだろうか。

企業のモラルというものは、日本という狭い範囲のことではない。中国が汚職体質なら、それなりにやらなければ中国では仕事にならないという現実があるだろう。きれいごとだけでは生き抜けない、ということが普通になる。想像でこういうことは書いてはならないのだろうが、そう思えてならない。日本がグローバル化する中で、日本人の特性を失えば、その存在の魅力は薄れるばかりである。私には魅力ある人間像と言えば、江戸時代の人間である。日本文化を持った人間。安定した価値観を醸成した人間。人間として自己完成を目指すことを目標に生きる人間。国の目標が一億層活躍社会である。もっと働け、そうでなければ、世界の競争に勝ち抜けないぞと、尻をたたいているようにしか聞こえない。自給で生きることに決めれば、ぐうたら結構、休み休みで結構。自給農業は楽農だ。

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めだか田圃の稲刈り

2015-10-18 04:11:20 | 稲作

めだか田圃の稲刈りを、15日に行った。7人で3時間で終わった。地面がぬかるんでいて、すべて手刈りでやった。4畝ほどの田んぼである。山田錦を初めて作った。背丈が伸びるとは聞いていたが、それほど伸びた感じはしなかった。土壌が良い部分はかなりしっかりした株になっていた。完全な1本植えである。これは倒れるということも計算してのこともある。種もみは1キロしかなかった。1本植えで苗がちょうど足りたという苗の数だった。この田んぼで耕作するのは久しぶりだったことと、少し前に客土が行われていて、土の状態がどうなっているのか判断できなかった。前よりは作土が深くなっていた。これは良くなった面だろう。以前はすぐ石だった。しかし、相変らずぬかるんでいる。田植え靴が稲刈りなのに、ぎりぎりまで潜るところが3分の1あった。稲刈りの機械は入れない状態だ。普通の農家の方にはできない田んぼなのだろう。道路が出来てから、川からの水が余計に湧き上がるようになった気がする。

はざがけは道路のガードレールの下に稲を挟み込んでやっている。人通りはほとんどないところなので、歩道にいくらか出っ張るが、交通妨害にはならないだろう。まだ道路が工事中ということもある。1週間から10日ほど干すつもりである。乾いて来たらかけなおすつもりである。ハーベスターが下に降りれるところまで地面が乾けば楽なのだが、たぶんそこまでは乾かないだろう。1本苗を植えたにもかかわらず、良く分げつはした。一株刈り取ると手に一杯ということが多かった。その割に穂は重い感じはしない。粒が大きいとも聞いていたがそんなに大きいようなではない。刈る時期が遅れると、粒が割れやすいるということも聞いたので、私としては少し早めに刈り取った。私は刈り遅れかと思われるぐらいに遅く刈る方だ。どうせはざがけをするのだから、良く乾いてから刈り取った方が良いと考えている。しかし、山田錦は初めてのことだし、早めに刈り取った。稲を刈るときに穂から数えて三枚葉が緑を保つような栽培をするということだったが、全体としては三枚葉は緑だった。

刈り終わって写真を撮った。朝8時から始めて、11時までの3時間で終わった。思ったよりは早かった。7人でやったのだが、みんな作業にだいぶ慣れてきている。4人で刈って3人がガードレールに挟む係だった。脇に小田原めだかの生息の濃い川がある。一時期減っていたが、又ずいぶん増えて泳いでいた。この田んぼの特徴は川からは一切水を入れなかったことだ。湧き水だけですごい量で、排水口はドットとな流れ出ている状態である。排水口を見ていると、これで大丈夫かと思う水量だったが、結局心配することはなかった。この流れ水のおかげで、草がほぼ抑えられた。冬の内にまず、ソバカスをまいておいた。2回である。田んぼの管理としてはころがし2回である。そして拾いぐさ1回。これで草は完全に出なかった。ヒエはそもそも1本も出なかった。出さなかった。種がなかったのではなく、昨年はヒエが一面に生えていた場所である。コナギが出たのだが、大した数ではなかった。3分の1の下の方で、ある程度出た程度だ。田植え後のソバカスまきはしていない。

 私としてはヒエとコナギを抑制する栽培法を、農人めだかの里の人に見てもらいたかった。有機農法でも草を出さない耕作方法がある。一度、その草のすごい場所でやって見せてあげなければ、なかなか理解してくれないと思っていた。今年ヒエが一本も出なかった。コナギも大して出なかった。果たしてこの結果を見てくれたのだろうか。私ができる協力はここまでだと思っている。学ぶかどうかはその人たちの問題である。なぜ草が減るのかは、深水。流し水。冬の土づくり。草を漉き込んでそのまま田植えをする。そして早めの転がし。もちろんコナギが出ないわけではない。しかしコナギを取らないとしても、困るほどではない。一度だけ拾い草はする。草はお米の成長に影響しなければ、あってもいいものだ。むしろあった方が良いものだろう。土を良くする材料になる。しかし、稲作では草が収量に強く影響する。叢生栽培の田んぼということはあり得ない。

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2015年の欠ノ上田んぼ

2015-10-17 04:26:40 | 稲作

 

14日で籾摺りが終わった。無事終わったことを感謝したい。仲間のみんなに感謝である。欠ノ上の田んぼにも大きな感謝である。そして、久野川の流れや、箱根の明星岳、明神岳にも感謝の気持ちが湧いてきた。今年の天候には一言いいたいが、まあ、何とか収穫までこぎつけたのだから、感謝しておこう。今年は苗作りの段階はとてもよかった。5月30日の田植え後しばらくは良かったのだが、6月の日照不足は極端だった。稲の生育が、特に分げつが採れなかった。今年はみんなが一致団結してころがしを進め、草は完ぺきに取り切ったと思う。私は畔と周辺道路の草刈りに専念することができた。美しい田んぼの姿が続いた。夏になってからは晴天が続きだいぶ稲は回復した。このまま持ち直すかという勢いで分げつを迎えた。ところが穂が出てから、一気に又に日照がなくなる。そのために病気の発生が始まる。小黒菌核病というものらしい。一部の稲が枯れて、倒れた。穂いもちとよく似ている。

それでも何とか病気は20%ぐらいの範囲で天気の回復とともに収まり、穂は実りを深めた。そして、稲刈りが10月(3、)4、5日はざがけの立った具合で少し少ない感じがした。やはり20%ぐらい昨年より減収に見えた。それでも何とか、バインダーでの稲刈りが出来た。はざ掛けは一度倒れた。しかし天気が良かったので濡れるようなことなく、一気に乾燥が進み、14,2%まで乾いた。こんな年は今までになかった。10日12日と脱穀。ここでハーベスターが不調で苦労した。何とか直すことができたが、機械の修理に時間を取られ1日無駄をしたのはつらかった。それでも何とか直せたのは星野さんのおかげだ。機械はどうもよく分からん、などと言っていたら自給農業は出来ない。

収量はうるち米は7.8俵だった。今年の天候としては、悪い方ではなかったと思うが、畝取りを目指していたので、少し残念だった。小黒菌病が出たための減収が一番である。来年はこの対策をとる。秋起こしをして緑肥を十分に育てる。硬いイネを作る。カリ分を補う方策。株間を広げる。2013年の収量が1573、1キロ、2014年が1609、3キロ、2015年が1311,7キロ。大きな減収であった。畝取りを達成したのに、今年は8俵も切った。いろいろ原因を考えて対策しなければならない。一番の原因の日照不足だと思われるが、今年ほどのことはもうないだろう。谷間の田んぼで日照については、普通の年でもぎりぎりだったのだと思う。健全生育の下限日照量を下回ったということになる。

対策としては、株間を広げる。秋起こしをして緑肥を全体に撒いてみる。籾を燻炭にして戻す。鶏糞堆肥を使う。春に海水をまくというのはどうだろうか。ともかくやれることを試してみる。田んぼごとに方法を変えて、効果を見てみるということになる。例えば、5番は藁を戻さない。全体に考えてみると、田んぼの中央部で、稲が良くできているところこそ病気が発生していた。湿度がたまったというような気がする。9番田んぼではそれが顕著だったように思う。

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