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日大アメフト部監督コーチ除名処分

2018-05-31 04:29:17 | Peace Cafe

日大のアメフト部が監督の指示で、悪質な相手を怪我をさせることが目的の反則プレーをしていたと認定された。監督とコーチが除名処分がなされた。このことは当然の処分である。ビデオ映像を見ても反則の悪質さは際立っている。現状では、日大の監督の方針がゆがんでいた為こんな事件が起きたとされている。何故日本一のチームがこんなことになってしまったという点では、まだよく解明されていない。日大のこの事件に対する対応が、遅れている。すでに監督とコーチの処分が決まり、チームは対外試合の停止になっているにもかかわらず、管理母体である日本大学による第3者員会の調査は進んでいないようだ。日本大学という機構の自浄機能が働いていないという事なのだろう。内田監督が人事権も掌握している理事という事らしい。大学に学長より経営者側の方が圧倒的に力があるというところが、まさに前近代的な組織という事なのだろう。

日本のスポーツ界が相変らずの前近代的な組織という事だ。選手個人の自主性を尊重していたのでは、強くなれないと考えられているという事がまたも現れた。どうも、人間というものが、暴力的に強制されるか、莫大なお金を動機にしなければ強くなれない。という具合に日本人がなってきていると考えた方が良いのではないか。賞金がなければ頑張れない人間になった。自主的にでは頑張れない人間になった。人間が生きるという本質から言えば、方角が違っているだろう。スポーツをするという動機自体が、自分がそのスポーツが好きだからという原点から外れてきている。日本大学自体が、スポーツの日大という事が経営戦略という事になっているらしい。それなら日大は体育大学なのかといえばそういう訳でもない。あくまで学生のサークル活動という位置づけになっている。授業でアメリカンフットボールをやっているわけではない。

友人に日大に柔道で進学した人がいる。高校の時にインターハイ等でトップレベルの選手だった。その人は日大にスカウトされて進学した。学費も免除だといっていた。ところが残念なことに膝の大けがをした。その結果大学を辞めた。怪我をして選手として活躍する可能性がなくなれば、到底大学にいることはできないと話した。不思議な気がしたが、彼は当然なこととして受け止めて、警備会社に就職した。そして今でも立派に働いている。同窓会で会うと、もう働いているのは彼くらいなのだが、実に立派な人物になっている。日大のアメフト部がこうした選手を奴隷のようにしごいて強くする。そしてそのやり方だからこそ、日本一になった。多くのスポーツ関係者がキレごとでは、強くなれないと腹の底では考えていることだろう。金メダルが欲しいのであれば、お金と人間性を無視した訓練しかない。こんな本音が世間の当たり前なのではなかろうか。健全なる精神というものが、勝負には邪魔になるという認識だ。

自主性を育てることが大切なのだ。強制されなければできないという人間から、どうやって自らの日々をみずからの意志で歩むかであろう。その為にスポーツもあるはずだ。勝つためのスポーツという意味は、自らの怠惰の心や慢心に勝つためという事なのだろう。資本主義社会では勝つという事が経済の必然になっている。それで間違った道を歩むことになる。人間が生きるという事は経済的な成功など小さなことだ。経済に生きる日々を譲ってしまってはならない。土俵にお金が埋まっていると親方から言われて稽古をするという事は、まだ半分だと思う。もう半分がその先にある。自分という人間の本質に至るという事ではないだろうか。人間というものは経済を超えた崇高なもののはずだ。その崇高な世界に少しでも近づくために、スポーツというものもあるのではないだろうか。日本人は肉体を鍛えるという事に、武道の道を求めた時代もあった。相手に勝つという風潮が広がる中で、自分というものを極めることの意味は重要ではなかろうか。

 

 

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朝鮮半島の完全なる非核化

2018-05-30 04:25:01 | Peace Cafe

アメリカは北朝鮮の完全な非核化を要求している。そして、北朝鮮は朝鮮半島の非核化を主張している。両者の似たような主張である。何故、この前提で話が付かないかといえば、アメリカは北朝鮮だけの非核化を主張して、在韓アメリカ米軍の核兵器保有を明確にしないつもりからだ。これは当初から想像されたことだ。アメリカは自分だけは核兵器を持ち、他の誰一人核兵器を持っていない状態を最善と考えている。アメリカは輸入車に25%の関税をかけると言い出した。嫌なら核ミサイルを撃ち込むぞと言い出しかねない。こういう事なのだろう。誰も反撃のできない状況を作り出し、アメリカが一番だと叫んでいる。こんな正義に反することが通用するのだろうか。アメリカに対抗するためには、アメリカに対して、核ミサイルを撃ち込めるようになるか。あるいは日本の様に属国になり、朝貢外交を続けるかである。アベ政権はトランプの言いなりになる属国の道を選択している。憲法改定を行い、核ミサイルを保有してアメリカの属国を脱するという道を考えているとも思えないが。

腕力の強い者が、腕力の弱いものを抑圧してかまわない。こういう不正義を世界は許していい訳がない。世界の弱いもの同士が団結して、アメリカに対抗しない限り、世界がアメリカに従わざる得ない結果になる。その原因は資本主義経済というものの原理にある。持てる者も、持たざる者も同じ条件下で競争することが、資本というものの競争の原理になる。これでは初めから、持てるものが有利な競争になるに決まっている。持たざる者が不満を主張すれば、経済封鎖である。これは戦前の日本も受けた処置である。これが戦争の直接的原因になった。今北朝鮮は核ミサイルを所有して、持てるものであるアメリカと武力的に対等な立場に立とうとした。ところが世界から経済封鎖を受けて、一方的な非核化を要求されている。当然の要求として、朝鮮半島からの非核化を要求したわけだが、アメリカはその要求を認めない。安倍政権も追随して認めないのであろう。在日米軍は持ち込まないはずの核爆弾を持ち込んでいたのだ。アメリカは何も譲る必要のない強国である。北朝鮮が不可逆的に核兵器を放棄しない限り、経済封鎖を解くことはない。これが唯一の選択肢だという事になる。

これでは北朝鮮にしてみれば、核兵器を放棄した後に想像される次なる要求を考えざる得ないだろう。非人道的兵器や、サイバー攻撃など問題は残る。金正恩体制そのものが崩壊させられる道が想像される。北朝鮮に核ミサイルを放棄させることは重要である。同時にアメリカも東アジアから、核ミサイルを引き上げる。当たり前のことではないだろうか。中国はどう考えているのだろうか。アベ政権もアメリカに対してそのくらいのことは主張したらどうだろうか。何でもトランプの尻馬に乗って、シンガポールまで出かけたとしても、蚊帳の外の会談になる。こんなアベ外交が素晴らしいなどという自民党の見解だそうだ。確かに世界を漫遊はしているが、具体的な成果などあったとは思えない。ロシアとの経済交流は下見をまた7月にするという程度だ。北方領土など何処へ行ったことか。この際トランプと米軍の核保有に関して交渉して、北朝鮮に対して恩を売って、拉致被害者を返してもらう位の知恵はないのか。

北朝鮮問題での日本政府の主体性のない対応には、失望せざる得ない。アメリカと北朝鮮の直接交渉を韓国の文大統領が仲介しようと努力しているときには、アベ政権は韓国の態度を繰り返し批難した。そして、北朝鮮が核実験を再開しようとしている動きがみられるなど、全く情勢の把握のできない情報把握力のない姿を世界に示して恥をかいた。今になれば、核実験場はすでに老朽化して使えないものを破棄しているなど、恥の上塗りの主張している。そして、いよいよ米朝会談が実現しそうになった現状では、アベ政権が主張した経済封鎖が効果を上げた結果、交渉が進められたと根も葉もない発言を菅官房長官は述べている。日本政府は、一貫性も主体性はない。ただ、圧力を高めろ高めろ一辺倒の無策である。もっとしたたかでなければ到底拉致被害者については交渉すら実現できないだろう。もし、米朝の交渉が成立した暁には、北朝鮮の最大の敵は日本政府という事になると考えた方が良い。独裁政権というものは常に敵が必要なのだ。アベソフト独裁政権にも朝鮮中国という敵が必要としている。

 

 

 

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対馬カワウソの発見

2018-05-29 04:16:42 | 環境関連

対馬でカワウソが発見された。DNA鑑定の結果ユーラシアカワウソであり、日本カワウソが生き残っていたのではないことが分かった。少し残念な結果になった。山梨県の境川村藤垈では、50年前には確かにカワウソが生息していた。向昌院の池の鯉をカワウソが食べに来ていた。その頃の2,3年の間だけ、10回ぐらいは鯉が食べられ、2回は祖母とおじさん2人が目撃した。目撃したのは明るい時間だった。夜明けごろ食いちぎられた鯉を朝私は見たのだが、カワウソ自体は見ることが出来なかった。立ち上がりこっちを見ていたそうだ。その姿が河童のようだったといっていた。韓国では町のどぶ川に沢山生息している。日本では何故絶滅したのだろうか。何が韓国と違うのだろうか。日本での絶滅は乱獲と言われているが、何故韓国では大事にされているのだろうか。韓国から対馬にどうやって流れ着いたのだろうか。オス2匹とメスが1匹いるらしいという事だ。この3匹からカワウソは増えるのだろうか。あるいは居なくなるのか。さらに流れ着くことがあるのだろうか。

対馬と韓国の距離は50キロしかない。この距離であれば、カワウソなら泳いで渡ることは問題ないだろう。日本カワウソは相当の距離を移動していたらしい。もちろん島伝いに、また川をさかのぼり長距離移動して暮らしている生き物と言われている。対馬のカワウソの今後を温かく見守ってもらいたいものだ。日本人もこうして海を渡って日本列島に流れ着いたはずだ。小さな船出来たのだろう。カワウソが3匹だけで繁殖を続け、増えるものかどうかも興味深い。日本人が何人ぐらいまとまって移動してくれば、日本列島に定着できたのだろうか。多分10人ぐらいでは難しいことだろう。50人ぐらいいれば大丈夫な気がする。時間差で何百年の間に、次々に渡ってきたのだろう。ある時期に台湾の方にいた人々に移動する機運が生まれる。移動しなければならない事情が生まれる。アフリカから何万年もかけて移動してきた位だから、人類は常に新しいところへ広がろうとする生き物なのだろう。カワウソならば対馬で増えれば、今度は福岡辺りに移住する可能性もある。それには何万年はいらないのだろう。

身近にある生物の大半がいつの時代かに日本列島にやってきたものだ。最近来たものを帰化生物として、少し昔から日本にあった在来種と交雑するとか主張する人がいるが。つまらないものの見方である。イネだって帰化植物である。瑞穂の国の大切なお米だって、日本人が来た時よりだいぶ後になり、つい最近日本列島に来たものだ。太古の自然を守るというような、一切の手つかずの自然環境を守るというような自然保護と、日本のような里地里山の自然環境を守るという事では、全く異なる保護の思想を確立しなければならない。この辺が西表のユネスコ自然遺産登録では明確になっていない。小田原では、小田原めだかという固有種が存在する。固有種といっても見た目が異なるという事ではなく、DNAが少し他と違うという事らしい。この小田原めだかの保護を一応の旗印にして桑原の里地里山環境を守ろうとしたことは正しい方向性である。環境保護の為に小田原めだかのDNAに拘るのも許されるだろう。しかし、そのこと本当の所はさして意味があることではない。里地里山環境の保全から見れば小さなことである。

日本に存在する生物はすべてが、カワウソのように渡来したのだ。今帰化植物などと言われ、毛嫌いされている黄菖蒲という美しい花がある。舟原の溜池にも自然に咲いている。これを取り除くべきだという意見がある。全く無意味な考え方だ。デンジソウならば水田雑草であれ絶滅危惧種と言われ保護の対象になる。田字草だって帰化植物なのである。メダカだってそもそもお米と一緒に来たのであろう帰化生物なのだ。渡来した時代の違いをでたらめでかまわないという訳ではないが、こだわりだけで根拠のない保護思想を里地里山に持ち込んではならない。日本人の美意識が許す生物であれば、里地里山では受け入れるべきだ。ハクビシンやアライグマも確かに困る。同時にタヌキだって、鹿だって、猪だって、サルだって、里地里山では困る。何を守るべきかといえば、人間の暮らしである。暮らしを失ってしまい、観念的に自然保護を唱えたところで、方向違いである。自然保護を主張するなら、田んぼ位はやってみなければ話にならないだろう。あの夏の暑さの中の他の草取りを経験してからものを言えと言いたい。

 

 

 

 

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アベ内閣は何故支持されるのか。

2018-05-28 04:54:35 | Peace Cafe

特定秘密保護法、安保関連法、共謀罪などの相次ぐ強行採決で立法府が機能不全に陥りました。公文書の隠ぺい・改ざんでは行政府が致命的に劣化していることが暴露された。森友・加計問題では、権力者周辺が国富を私物化しているという前近代的な縁故政治の醜態をさらしている。外交でも朝鮮半島問題では完全に「蚊帳の外」に置かれ、卑屈なまでのトランプ大統領への服従にもかかわらず、基地問題でも、貿易問題でも、何一つ譲歩を引き出すことができなかった。ーー属国という現実から

アベ晋三氏の嘘が、バレた。首相案件とはよくできた官僚用語だ。大臣案件とか、議員案件というのもあるのだろうか。自民党は支持率を下げない。こんな事態がなぜ起きているのか。アベ内閣がうんぬんよりも、日本人というものがすでに危機的な状況に至っていると考えるほかない。先日テレビ番組で新聞は自分が権力であることを自覚しろと、叫んでいる女性自民党議員がいた。権力というものが何か、理解できない人間が国会議員をしている。という事は、たぶんそういう有権者も多いいと考えなければならない。権力というのは、法律や条例を作り、管理者であるという事だ。法律を行使することを権力という。だから議員は権力者である。また、行政職員も権力者である。裁判官も、検察も、警察も権力者である。だから、権力は憲法に従うように決められている。人に影響があるからと言って、テレビは権力だという事は全くない。権力がテレビを利用するという事はあるが、報道機関というものは、影響力はあるとしても、電通のような企業と別段変わりはない。

表に出るか、裏に存在するかは別にして、電通の方が朝日新聞よりも、国民世論に影響を与えているだろう。このじんわりと日本人を変えた力こそ、アベ内閣の鵺的存在である。これは権力が企業を利用している姿であり、電通が権力という訳ではない。アベ政権の鵺は明治日本の復活を願う勢力のように見えるが、どうもそうではなく、自信を失いつつある日本人の本音がアベ政権にしがみ付くという事のように見えてきた。アベ政権が作り出している、あたかも良き時代であったかとする明治日本帝国像の復権である。現状の日本という国の置かれた状況は国力にふさわしいところに落ち着こうとしていると考えるべきだ。ところが、戦後の高度成長からバブルまでの成功体験の感覚を持て余す日本人の感覚は、後れを取り始めたと焦りを感じているのではないか。私の子供のころまでの日本は明らかに、欧米先進国より遅れをとる、追い上げようとする後進国という意識が残っていた。フランスで暮らした、45年前はフランス人の意識の中には明らかに後進国日本という意識が存在していた。ところがその後日本が経済成長を重ね、まるで欧米先進国を追い抜いたかのような意識を持ってしまった。

この日本人の焦りが、未来の見えない不安感が、アベ政権のウソがバレて追い込まれる姿に重ね合され、支持率が上がるという奇妙なことが起こり始めたのではないか。野党を支持するという事は、現政権への批判である。野党の次の政治の在り方に期待するというより、現政権の腐敗や政策への批判が野党支持になる。だから野党に政権構想がないから、支持に値しないという批判は当たらない。当たらないのだが、有権者は幻想であるとしても、美しい日本像。瑞穂の国日本というような、言葉に縋りついているのだ。欧米のような政治状況であれば、野党も与党も同じ土俵の上に立ち、その政策の違いで選択をするという事になる。ところが日本では、憲法に対する立ち位置が野党と与党を分けている。与党は憲法を変えて軍隊が普通にある国にしたいという勢力である。野党は平和憲法を大切にして、軍事力ではない平和外交を目指そうという勢力である。この違いは国の運営にとって決定的な違いである。「高度プロフェッショナル制度」の強行採決云々などという事は、もう枝葉末節のようなことになる。

これが安倍内閣の支持率の落ちない原因のようだ。アベ内閣は確かにウソで塗り固められている。どうも特権階級政府のようだ。そうであるとしても、野党の主張する軍隊をやめるというのでは、さすがに困るのではないか。この不安が、未来像の喪失とともに有権者の中に湧き上がってくる。いよいよ安倍政権が危ういとなると、逆バネが働くのではないだろうか。とすると、野党勢力は平和国家というものが、どういうものであるか。武力を用いない平和外交というものはどういうものであるか。これこそ美しい日本である。瑞穂の国日本の本当の平和主義を示す必要がある。平和国家というものが一番安心できるやり方であるということを、具体性のある形を示し、主張を展開しなければならない。平和主義の安全保障政策を正面から取り組まなければならない。平和国家の具体像の構築を野党が怠ってはならない。この点が多くの日本人が破綻しかかったアベ政権に縋りつこうとする原因になっている。 

 

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田んぼと人との出会い。

2018-05-27 04:02:40 | 稲作

夜明けの田んぼ。植えられた苗に少し水を入れている。

昨日はよい田植えが出来た。田植えもあと何回できるかと思うと、大切にしなければと思う。つくづく周りの人に助けられている。いつもいつもである。私のような、どうにもならない所のある人間が何とか生きてこれたのは、良い人との出会いがあったからだ。今田んぼが出来ているのは、田んぼの仲間がいるからである。溜池が復活できたのは、里地里山協議会の仲間がいるからである。私が家庭イネ作りというものをとことん極めてみたいと考えるようになったのは、田んぼの仲間が100人もいるからである。中でも、欠ノ上田んぼの仲間は、恩人と呼ぶべき存在である。思い付きのような私の意見に面白いといってくれる人がいる。先日、苗床で苗を眺めていた時に、稲の苗は4葉期辺りから分げつをする苗がある。同時に姿は立派なのだが、分げつしてこない苗があることに気づいた。その時にひらめくものがあった。もしかしたら、この分げつを早くからする株は、分げつを多くする遺伝子を持っているかもしれない。種もみをとるなら、この分げつをよくする苗を植える方がいいのではないか。それが確立すれば、最高の家庭イネ作り品種、欠ノ上種になる。

足跡とが田植えをした様子をうかがわせる。大きい人。子供の足跡。大股な人。一人でたくさん植えた人。これが本当の田んぼアートであろう。

よしそれならやってみようと思い立った。一つの田んぼの半分に分げつしている苗。半分に分げつしていない苗を植えてみる。違いが起こるかである。去年は1本植と、4本植を比較した。こんなバカな実証実験を面白いかもしれないと言ってくれる仲間がいる。自由に何でも思い付くことができる。こんなにありがたい環境はない。これが国の研究機関の職員であれば、あるいは農業系大学の職員であれば、たぶん思いついても実践できないであろう。まず許可がいる。その実証実験の取り組みの意味がやる前に問われる。始める前に面倒くさいいちゃもんが付くだろう。多分実りはないかもしれない、この実証田んぼをこの後観察できると思うと、わくわくしてくるものがある。やってみなければなんでもわからないという事だ。イネ作りで正しいといわれていることの、大半がやってみたら違っていた。田んぼごとに事実は異なるという事が分かった。思い付きを自由にできるという環境は仲間が作ってくれている。こんな恵まれたことはない。

良い苗を種籾用に10番に植える。

それは金沢に暮らした頃もそうだった。大抵の場合とんでもないことを思いついた。そして、それをつき合ってくれる友人がいた。学生の頃は3歩以上は走っているほど次々にやることが現れた。走って移動し宅なくほど気持ちが急いていた。今の金沢城の中が大学で、ともかく広かった。学内の谷間に陸軍の馬小屋があり、その中に部屋を作り暮らしていたことさえあった。広い学内を歩いている余裕がほとんどなかった様な気がする。何もかもが面白くて、次の面白いことが起こることが待ちきれない気分だった。ただほっつき歩くだけの時間が何時も足りなかった。その次から次に来る足りない時間のまま、今いるここまできた。目標が明確にあるという事はなかった。何か面白そうなことを、突き詰めたくなる。田植えをやるなら、田植えをやるという事にのめり込みたい。昨日起こった疑問は、苗は扁平である。東西南北どちら向きに植えれば一番良いのかということだった。

一つ何もしていない田んぼが岡本さんの田んぼ。

金沢にいた頃気ままに絵を描き続ける事が出来たのは、仲間がいたからである。そんなちょっとまずい私という人間を受け入れてくれる人がいたから、絵を描くという事に熱中することができた。今もこうしている。自分という人間のまま生きるという事が出来ているのは、周りの人がすべてを支えてくれているからだ。まったく幸運である。幸運と言ってしまうと周りの人に申し訳ないばかりだが、人徳など全くない。天邪鬼のへそ曲がり人間である。しかも特段の能力もない。それでも、人様と一緒に何かができるということのありがたさ。人間というのは有難いものだ。私が一人では何も出来ない人間という事があるのだろう。一人ではできないという事が分かっているから、仲間とともにという気持ちが強くなる。絵を描くという事ですら、一人ではだめだと思っている。同行である。志である。共有する思いである。

 

 

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2018年田植えの準備

2018-05-26 04:17:19 | 稲作

5月26日と27日に田植えを行う。籾洗いが、春分の日。種まきが4月21日。それから5週間が経過して、イネは5葉期になった。平均して背丈は30㎝。予定通りの苗である。田んぼを良い土壌にする。水管理を適切に行う。これまでの準備も、これからの管理もすべては、この苗の良し悪しにかかっている。良い苗とはどういう苗か。まず、長さは30㎝欲しい。根元にはすでに分げつが2本ある。そして、根は10㎝以上ある。株はすでに扁平になっている。苗床の株を撫ぜると弾力を強く感じられる。あれこれ触ってみて、この跳ね返る感触の強さを覚えておく。色はあまり濃くなく、さわやかな黄緑である。

種籾用の苗。すでに分げつを2本している株を選んでいる。これで300本くらいか。種籾には100本あれば足りる。

代掻きの終わった田んぼである。田植えまでは深く水を張っておく。そして、田植えの前日か前々日に、田んぼから水を抜く。田んぼに線を引くためである。線を引きやすくするのが案外に難しい、水が多く残っていれば、くっきりとした線が残らない。乾きすぎていれば、線が付かない。上手く線を引くためには道具が重要である。

水が引き始めた田んぼ。

選の引き終わった状態。これで線の交わる場所に稲を一本ずつ植えてゆく。だから、植えられた苗の数で、ほぼ田んぼの面積は正確に出る。300㎡くらいの田んぼだが、20分ぐらいで線は引けた。

線引きは重いものの方が良い。これをただ引きづって行けば船が田んぼに着くようになる。ただ田んぼには漉き込んだばかりの緑肥があったり、当然凸凹もある。ごみを引きずらず、へこんだところにも線が残るようなものでなければならない。30cm間隔で良いと思うのだが、使用している線引きは28cm間隔である。慣れるまでは正確な升目を引くことはできない。ここで引いた線が、コロガシの作業、稲刈りの作業にまで影響する。できる限り正確にひくことである。田植え前日に、線引きの状態を確かめるために線を引いた。2度代かきの田んぼである。土がねっとりしていて、いつもの年より状態が良い。確かに1か月前の代掻きは効果が高そうだ。一度目の代掻きが終わり、3週間たった時に、コナギが生え始めた。それは、苗床でも同じことである。苗床の経験で分かることは、苗床でも通路部分の耕さない場所は、コナギが生えないということになる。代掻きをして3週間でコナギが生え始める。そして4週間目に2度目の代かきをした。もう一度植え代の代掻きをするのが3度代かきという事になるが、3度目をやることは余裕がなかった。

 

 

1㎡200グラム撒きの苗床は少し密になった。1㎡に100グラム蒔きにできればさらによい苗になる。にしてやる方が良い苗が出来る。まばらなほど生育が良かった。良い苗が出来るための条件は、良い発酵土壌になっていること。十分に肥沃な土であること。日照が充分になる場所。ヒエが生えないこと。水が暖かいこと。水がわずかずつ動いて居て腐敗しないこと。種籾は播種5週間前に籾洗いの海水選を行う。そして12度以下の低温の流水に付けておく。鳩胸になったところで、冷蔵庫に保存する。今年ただ、桶で暖かい水の中に3日間付けて置いて、鳩胸にしたものを同時に播種してみた。まったく同じ条件で管理をした。ほぼ同じ高さの株になって、対して違わないかと見えたが、比較観察してみると、弾力が弱い。葉の幅が狭い。分げつをしていない。やはり、種まき前の処理が苗に影響していること側かった。川に浸けられない場合は、桶に入れて日陰に置いておく。水道水をわずかに流し続けてやればよい。水道水は小田原の場合12度くらいである。

冬水田んぼは、水を落としてもなかなか水が抜けきらない。 機械上ならば問題がないのだろうが、線を引くとなるとこれではまだ線が引けない。

 

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安倍晋三首相の嘘

2018-05-25 04:26:11 | Peace Cafe

安倍晋三氏が嘘をついている。たぶん80%ぐらいの日本人が、その様に感じている。自民党支持者が30%として、自民党の支持者の3分の1くらいは安倍氏がどうも嘘をついているらしいと感じているのではないだろうか。この自民党内の少数勢力はなぜ黙っていて、党首に対して異議を唱えないのだろうか。この姿勢が日本を危うくしているのではないか。少数者が自分の意見を言えない状況とは、独裁政権という事にならないか。日本の危機的状況の中で、総理大臣が変わることは危険だという認識なのだろうか。この辺の自民党内の空気が見えない。安倍氏は特権階級を作ろうとしている。そして、自分が特権階級に入れると考える人によって支持されている。安倍政権は保守勢力と、利権を狙う勢力が持ちつ持たれつで、忖度政治を行う構造。こうしてソフト独裁が出来るのだろうか。安倍晋三氏にはそもそも、ウソなどというものはないはずである。都合が良ければ、何でも正しい判断という体質である。

防衛省も、財務省も、アベ政権のそうした本音を見抜いて行動してきたという事だろう。アベ政権は国民というものの分析を徹底して行っている。どれほど大切なことでも、忽ちに飽きるという事だ。日大のアメフト反則が、話題をさらえば、いつの間にか憲法改定という最重要課題すらどこかへ行ってしまう。そんな面倒くさいこと等どうでもいい。あの20歳の青年の謝罪会見に涙ぐむ。私だって少しも変わらない。これが日本人全体の動きになって、日本を変えていってしまう。確かに日本には自由はある。一見何でも自由にできるように見える。ところが、その自由は孫悟空の自由である。世間の流れのようなものが、その場の雰囲気のようなものが、実は方向を作り出している。あれほど、憲法改定を主張していて、自分の政治目的としているアベ氏自身が、今現在は憲法に関して黙している。

安倍晋三氏は嘘付きだから、首相を辞めさせろという声はまだ少ない。嘘をついているだろうとは大半の人が思ってはいる。状況証拠は有り余るほどある。こうなると、いつまで、モリかけだ。アメフトの方がいい。というように目新しい方に流されてしまう。モリかけは確かに飽きるほど長い。しかし、1年以上財務省が国民をだまし続けたという事だけは確かだ。この国会の時間を無駄にさせた責任は、財務省が忖度によって、ウソ答弁をしたことにある。ウソ答弁をした佐川氏は評価をされて栄転をした。佐川氏一人の責任人にして切り捨てて終わろうとしている。

防衛省では日報隠ぺい問題が、連絡の不備程度で終わろうとしている。そして、これから、自衛隊員は日報に本当のことを書く事は無くなるだろう。それが今回の事件の自衛隊の自覚であろう。当然のことであるが、政府が取るべき対応は、今後第3者機関を自衛隊には帯同しなければならないという事だ。報道が帯同できないような危険な場所にはそもそも自衛隊員は行ってはならないことになっている。こうした改革が行われて初めて、自衛隊の文民統制が担保されるのだ。加えてあの国会で適当なことを言い続けた稲田氏の責任は、どこでどう取られるのだ。稲田氏が自衛隊から甘く見られて、適当にあしらわれていたという事だけは、今回明らかになったわけだ。徹底した調査を命じたはずが、出てきた書類をないとだまされていたわけだ。だました方は処分されたようだが、国民にとっては騙されて、嘘をつくことになった防衛大臣の責任の方が重大である。そうか、そのことももう国民は飽きてしまったか。それでもあの稲田氏は、森友学園の顧問弁護士という事実は思い出してもらいたい。右翼はつるんでいるのだ。

 

 

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石垣島には景観条例がある

2018-05-24 04:18:24 | 石垣島

石垣島には景観条例がある。特に自然環境の残されている景勝地には、建物の高さ制限の条例がある。石垣島の中でも世界一美しいといわれる場所が、川平湾である。石垣市の市街地が太平洋側だ。反対側の南シナ海側にある静かな入り江である。この場所が類まれに美しい場所だという事は、誰もが認めることだろう。先日のテレビでは世界からの観光客が日本で何度でも行きたい場所として選んでいた。南の海のただただ美しい場所である。まあ私は川平湾は絵を描いたことがない。あまりに美しいので絵にも描けない。という訳ではない。田んぼがないからである。そいう場所を描きたいと魅かれないからだ。私の絵を石垣島の人に見てもらうと、大抵はカピラですか。と言われる。私の絵はどことも分からないような絵なので、誰もがカピラを美しい場所として、描くだろうと思っている。そのカピラに巨大リゾートホテル計画が進んでいる。

世界一のホテルチェーンのアメリカ資本のマリオットホテル建築開発計画が進められている。マリオットリゾート&スパ客室約380室。アジア最大級のプール、東京ドーム約2倍程の敷地面積を持つホテル計画。石垣市はこのホテルの高層化が可能になるように、景観条例の変更を行おうとしている。果たしてこの選択は正しいものであろうか。私は住民が決めることだと思っている。川平の方々が、それが良いというのであれば、それでよい選択なのであろう。外部のものがあれこれ意見を言うのは差し控えた方がいいと思っている。ところが川平の方々が、この景観条例の変更手続きをめぐり、行政処分の差し止め請求訴訟を起こした。声明では「その条例の変更の内容が市に都合が悪いので、市民が目に触れる前に景観形成審議会と都市計画審議会を終わらせようという意図がみえてくる」と疑問視。「審議会に資料を提供し、公正な審議と判断を求める責任は市にある。市はあまりにも性急すぎる。一歩立ち止まる必要がある」このような意見が、地元から出てくるというのはどういう事だろうか。

余りに当たり前のことだが、石垣市の行政は地域住民とどのような地域にしたいかを話さなければならない。地域住民にも様々な考えがあるはずだ。世界一のホテルが来ることを歓迎する人もいるだろう。あるいは、この素晴らしい景観こそ、世界一の観光地になった宝である。この景観をわずかなりとも変更を許さず、守ることこそ価値があると考える人もいるだろう。あるいは、一定の歯止めの中で、可能なホテルであればいいのでないかという人もいることだろう。地域に暮らす人たちが自由に議論を徹底して行う。行政はその材料として情報を提供する。そして石垣全体で、決めることが大切なことになる。何故、石垣市行政が、住民の意向を確かめずに、一方的に景観条例を変えて、高層ホテルの建設が可能になる計画を決めてしまうのだろうか。このやり方は禍根を残すことになる。自衛隊のミサイル基地問題でも同様な進め方である。ミサイル基地予定地区の住民とは話し合いすら行わない。問題はこの進め方にある。

自衛隊でも、観光開発でも、賛成もあれば反対もある。その対立を行政が煽るようなことはあまりに稚拙ではないか。川平の住民の方々は、この景観を守るために、農地法を利用したそうだ。この地域全体を農振農用地指定をしたそうだ。その為に家を建てられる地区が極めて限定された。それでリゾート開発の波を一定の範囲で押し返したらしい。この先見の明は素晴らしいものがある。今リーゾート開発の結果無残な姿をさらしている地域は結構ある。荒れ果てた別荘地は日本全国にあることだろう。こうしたところが中国の富裕層が買い叩く。というテレビを見たことがある。石垣も中国は近い。世界の観光地として注目を浴びている。中国富裕層が投資先として選べば、中国との衝突が避けられると、中山市長は考えているのだろうか。しかし、それなら、ミサイル基地の誘致の方はどういう事だろう。

 

 

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モリのいる場所 熊谷守一氏の場所

2018-05-23 04:20:44 | 水彩画

熊谷守一という絵描きがいた。不思議な絵を描く人であった。この映画は題名通り、熊谷守一氏の立ち位置を探る、というものであった。私の子供のころまでの日本では、こうした不思議な絵に対して評価をする、文化的な余裕があった。当時は絵画の巨匠というものがいた。梅原龍三郎とか、安井曽太郎とか、坂本繁二郎とかいう人である。熊谷守一氏はその巨匠のひとりである。名声を求めず、ただ絵を描き続けた人。この人の娘さんが熊谷榧さんというひとで、彫刻や絵を描かれている。この人のことは少し知っている。きわめて頭の切れる人の印象である。以前から興味のあった熊谷守一氏のいる場所の映画という事で、何しろ封切り日に茅ヶ崎まで出かけた。「モリのいる場所」イオン映画館である。結構席が埋まっていたのには驚いた。土曜日の午後であるにもかかわらず、大半がというか、すべてが私の年齢と見受けられた。巨匠熊谷守一といっても、若い人が知っているわけもないか。この映画は熊谷氏の逸話を映画化したものといってよい。例えば、私が良く書く「上手いは絵の外、下手は絵の内。」などというのは熊谷氏の言葉だ。

昭和天皇が熊谷氏の絵を見て子供の絵だと思ったというのも映画冒頭に出てくる。逸話を紡ぐ映画。山崎努が驚くべき存在感によって得も言われぬ場所を表している。俳優というものもここまでくるとすさまじいものだ。そしてその奥さんを樹木希林さんが情緒の深い余韻の演技で、補完する。この難解な芸術の場の世界をこの二人が少しだけ表現してくれたかと思う。さすがである。それは「その場をみる」という世界観である。みるという行為の中にすべてがある。何もないところに宿るものを見る。熊谷守一の表わされた絵というのは、その場を見続けた後のカスのようなもので、見ている世界観の縁に過ぎない。そのカスのようなものが、不思議なのだ。何とも言えない暗示がある。何も示さないように、ただ見ているという意味。すごいものを見ているのでもない。心理を見ているのでもない。ごくごく当たり前の場のことを、当たり前に見ている。ところがこの当たり前がただならぬ、人間の生きるという場の真実に連なっている。かのように妄想が広げてくれる。

ヤイチ芋の発芽。私はこの姿を見つけて、つよく打たれる。

結局のところ、絵がすごいのではなく、その場に立ち尽くしている人間がすごいのだ。これが日本の芸術の在り方。しかもすごい人間というのは、すごいことができる人間のことではなく、生きるという当たり前の世界をとことん深めている存在ということ。アリが左の2番目の足から歩きだすと発見したところで、どうでもいいはずである。このどうでもいいことがどうでもいいとは言い切れないのが人間の見るという世界である。アリの足は、不思議な場へ踏み込む。すべてのことは実はどうでもいいことなのだ。どうでもいいはずの当たり前の日常の日々をどれだけ深く生きることができるか。目に映るすべてのものが、見えているのだ。誰にでも見えている。このただ見えているをとことん極めてゆくと何が見えるのか。最後は見えて居ようが見えていないであろうががどうでもいいところまで行く。ここが残念ながら私の言葉では描きつくせない。つまり見えるという意味がいまだつかみ切れていないから、のような気がする。

昔の私は鶏をかなり見ていた。そして見えなければわからないという事を知った。最近見ているのは稲の苗だ。良い苗が良い稲作の8割型を占めると、多くの稲作名人が語る。それなら良いイネとは何かという事になる。みればわかるはずでなければならない。見分けることが出来なければ、私にはまだみえていない。わかっていないという事だ。何百万本あるイネの中で、どの苗が良い苗なのか。お前にはっきりとわかるのか。眼力があれば分かるはずである。それを見てみたいと思い、稲作をやっているようなものだ。分げつをしてくる苗はどれか。大きな穂をつける苗はどれか。みてお前にはわかるか。見るというのはそういうものだ。漠然と見ているなどという傍観者的な見方では、場を見るのうちには入らない。この1本は間違いなく25本に分げつすると確信があるか。140粒の穂をつけると確信があるか。出来るならやって見せてくれという世界。私の見るはそういう俗物の見るだ。アリの左に2番目の足から歩くというような高尚な話ではない。でもこの俗物的な目で絵を描いてみたいのだ。

 

 

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よみがえる沖縄展 1935

2018-05-22 04:18:01 | 石垣島

横浜にある日本新聞博物館というところで、1935年に大阪朝日新聞が撮影した沖縄の写真の展示が行われている。沖縄のことだと何でも気になるので、横浜まで見に行ってみた。1935年というと、昭和10年である。2,26の陸軍のクーデター事件の前年。日中戦争に突入する時代。新聞が大本営発表役をかって出ている時代のことだ。そうした時代背景の中で、国からの指示を受けて、大阪朝日新聞社は海洋国日本という特集を組んだと考えられる。そのことの確認をするためには、写真を見てみれば、沖縄をどのように写したかを見れば、何かがわかる。今回の展示を見ると、やっぱりと思われる引っかかる視点がある。沖縄では米軍の徹底した地上戦によって壊滅してしまい、写真もほとんど残っていない。その意味で貴重な写真が大阪朝日で発見されたという説明だけが書かれていた。私はそのような意味の興味はなかった。むしろ大阪朝日のカメラマンが、どのようなまなざしで沖縄を撮影しているかである。そしてその写真の撮影姿勢に対して、現在の朝日新聞がどのような、認識を示しているかである。

朝日新聞は珍しいものを発見できたということ以外、戦争責任に関しては何も認識を示していない。ここには気付きがない。新聞社の劣化である。朝日新聞はアベ権力に対してはいくらかの批判的姿勢はみせている。それも最近はスポンサーへの忖度ではないが、かなり疑わしいところはあるのだが。この写真の存在に対して報道機関としての戦争責任に対する反省の表明が全く欠落している。こうした戦時中の沖縄の写真を展示する以上。その時代背景と大阪朝日新聞が行った戦争加担の反省の謝罪が述べられて当然のことだ。その後日本軍が沖縄で行ったことを考える上でも重要なことになる。この写真が撮影された1935年から、現在までの83年間沖縄に起きている現実を、朝日新聞社として、報道というものの意味を把握することはできているのだろうか。これでは普天間基地の現実を理解できない事にならないか。大阪朝日新聞社が加害者の立場であった時代があるという認識にかけているのだ。特徴的なことは、模範村古謝の写真が細かく撮影されている点だ。毛沢東中国を思い出した。模範とされる村の姿は、まるで毛沢東世界。その後の紅衛兵を思い出してしまった。

写真は案外に怖いものだ。写真が写し出しているのは、むしろカメラマンの心だ。この撮影者の示す物珍し気な視線と、大日本国帝国の権力者の視線が見えてくる。その不愉快な目線を写真から感じてしまった。この写真をそう見てしまう私の感性がゆがんでいるのであればいいのだが。着物姿の人物が沢山写っていた。私の子供のころには、おばあさんなどは着物を着て普通に生活していた。写真の着物は縞柄が多かった。縦縞は男性もので、女性は絣模様だというように言われることがあるが、写真では縦縞柄の着物の女性が多く映っている。この着物は綿布なのだろうか。麻なのだろうか。芭蕉布や苧麻なども中にはあるのだろうか。写真ではそういう質感は見えない。帯の締め方が独特である。帯自体を使わず、何か金具で止めているのだろうと思われる着方も多数ある。こういうことは写真でしかわからない。沖縄の昔の家並も撮影されている。同じ場所の今の映像も展示されていた。それならば、一度戦争で焼け野原になった姿も展示してもいいだろう。かやぶき屋根が相当ある。また、穴を掘った中に家を作って暮らしているかのように、風をよけて暮らしていることがわかる。

この数年後この写真に写された沖縄は。すべてアメリカ軍によって焼き尽くされた。ここで撮影された人の4人に一人は殺されたのだ。そうした戦争の悲惨が分かるような展示に何故しないのか。それが出来ないのであれば、報道機関としての展示など行うべきではない。新聞博物館という機能は果たせていないのではなかろうか。この日も多くの若者がここに来て学んでいた。講義室のようなものも併設されていて、大学生と思われる人が授業を受けているようだった。この写真展を見て報道の意味を誤解して帰ることだろう。朝日新聞は一応左翼系新聞という事になっている。だからこそ、きちっとした批判精神を失った時により危険なのだ。戦時中行った戦争加担の報道の反省が生かされていない。形式だけの謝罪なら、失言を取り消す大臣と同じだ。どうせ、産経新聞が書いているのだから、という訳にはいかないのだ。自己批判の精神を失った報道ほど危険なものはない。他者を批判できる立場とは、自らに厳しい批判精神を持ちえた時のことだ。自らには甘いのであれば、その批判は力を持つことはできない。

 

 

 

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田植えの準備は進む

2018-05-21 04:06:46 | 稲作

手前が10番の里地里山の田んぼ。右奥の草のあるところが、大麦のある8番。アラオコシが終わり、畔切りが終わっている。畔の側面の土を一度削り落とす。こうしないと畔塗をしても、良い畔にならない。朝田んぼから戻り、もう一度ブログに写真を入れた。

5月26日と27日が田植えである。田植えの準備はは着々と進んでいる。20日に半分の代掻きが終わった。23日に残りの代掻きを進める。23日にずらして遅らせているのは、大麦が収穫できるかもしれないからだ。大麦が7番と8番の田んぼに撒かれている。その為に、7,8,10番の田んぼは残っている。当然だが、苗代の田んぼの3番も残っている。その為に少し複雑になっている。予定通り進んでいるのは、みんなの能力が高まってきているからだ。出来るだけ説明をしないで進めるようにしている。見よう見まねでやる。そしてそのことで、判断力を高める人は高めることができる。そのことの方が大事だと思う。それ以上に私が人に言われてやるのが嫌いだからだ。人にこうやれと言われたらわざわざ違う方法をやるような天邪鬼だからだ。それは発達障害のところがあるためと今は自覚して気お付けているところだ。それぞれに勝手にやりながら、全体では何とかなるというのが一番良い関係という気がしている。この何とかなるは、一人の何とかなるより、ずっとよくなるから不思議だ。人間の思いというものはそういうものではないか。

左の2本が欠ノ上の直蒔き苗床。4葉期。少しづつ色ムラがある所の理由を考えるのが面白い。右端の苗箱方式は苗取りが半分終わっている。

苗は4葉期である。田植えの時は5葉期である。5週間で5葉期というのがすんなりした成長だ。この計算には発芽までの日にちが入っていない。発芽までに5日かかれば、このいつかはどこに行くのか。ところが、2週間たてば、2葉期になっている。葉の数え方がおかしいのかどうか、不完全一葉というようなものがあるから少しややこしいが、ともかく私が考える4枚目の葉はそれまで3枚目とは全く違う、イネらしい葉になる。大きく幅が出て、弓なりになる。4枚目の葉から、5枚目の葉に移る時には、株の根元がぐんとたくましくなる。そして分げつが出始める。ここまで来れば苗は一安心である。苗半作だから、苗8分だから、成功したようなものだ。全くそんな気にはなれないけれど。第一段階は成功である。すんなり、たくましく大きな苗になるには、当たり前すぎるが、良い土壌と良い水と太陽である。良い土壌とは発酵土壌。良い水とは新鮮で温かい水。そしてお天気次第。

根本がしっかりしてきている。少し色が黄色っぽく映っている。もう少し緑は濃い。葉先の露羽が活動している証。葉などにくびれなどないこと。4葉期の着目点は葉先がさび病のように枯れてくることだ。今年は見当たらない。この時期の苗でも分げつが盛んなものと、そうでないものがある。

今年は2度代かきの稲葉方式を試している。イトミミズは全く出なかった。最初の代掻きから、3週目にコナギが出始めた。コナギは結構出た。そこで2度目の代掻き。もう一度代掻きをするというが、これは今のところできそうにないが、23日に余裕があればやってみよう。トロトロ層を作っているのは、腐植質だ。漉き込んだ緑肥がトロトロ層を作り出す。こう考えた方が自然な気がする。欠ノ上ではミジンコの大量出現がトロトロ層を作り出しているように見える。ミジンコが大量に出現するのは、そばかすを撒くからだろう。ミジンコを含めて小さな虫たちが田んぼに出現するのは、腐植の混ざった土壌の為だろう。

 

畔塗が終わり、田植えを待つ2度目の代掻きも終わった1番田んぼ。右側が久野川である。

 

 

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TPPに中国を加える必要がある。

2018-05-20 04:41:33 | Peace Cafe

TPP11という貿易協定を日本が承認することになった。私はこの法律が日本の文化を終焉に導くだろうと考えて、反対のデモに参加した。分からないのは、アメリカが抜けた現状での日本の姿勢が、アメリカの復帰を願うという、なんとも自主性のないところだ。アメリカがいた時は、日本文化がデズニ―ランド文化になるというイメージだった。ところがアメリカが抜けた。トランプ主義は自分主義であるから、交渉して有利になるという事だけしか考えがない。目先の欲得だけで考えるのであれば、強い者と、弱いものの間に、対等な貿易協定などある訳がない。資本主義というものはそういうものだ。アメリカという強い者が市場としてのアジア地域を見ているに過ぎない。ところがアメリカが抜けたという事は、一つのチャンスなのかもしれない。TPPというものはアジアを成長市場として見ていると内閣府の説明にも書かれている。それなら、アメリカはいらないだろう。何故アメリカがいなくて良かったと考えないのか、その理由がわからない。アメリカをやめにして、中国にを入れるように交渉したらいい。

どの国も自国有利になるための貿易協定を考えるているのである。それはアベ政権も同じなのだろう。日本の工業製品を海外に販売することが大きな目標であろう。そのためには、日本の農産物を犠牲にしても仕方がないという考えが、当然あるのだろう。自動車の方が、お米よりも儲かると考えている。お米があっても、お金がなければ、日本人の暮らしどころではない。日本は貿易立国するほか道がない。こんな風に思う人が多いいと思う。この戦後の高度成長思想を日本人は切り替えることができないでいる。成功体験が災いしている。世界市場における、日本有利の社会的条件はもうない。高い賃金。労働人口の減少。農村社会の崩壊。地方の消滅。人口の老齢化。この将来の現実中で、日本という国がどのような国として生き抜くべきかを考える必要がある。核ミサイルを保有する国に日本がなるべきかどうかである。結局のところ核ミサイルがない限り、アメリカ、あるいは、中国の言いなりにならざる得ないことは、北朝鮮の姿で分かる。しかし武力路線では日本には核ミサイルの選択肢がない。とすると日本の立ち位置は、琉球王国のような姿である。

空手に先手無し。帯刀も許されず、どのようにして国家の尊厳を守るのか。文化立国である。唄と古酒でのおもてなし文化である。魅力的な友人になって、尊重される道である。石垣が世界一の観光地になれば、誰がミサイルを撃ち込むだろうか。もちろんイスラム国の様な、おかしな国が現れてでたらめはやる可能性はある。それでもちゃちなミサイル基地を作るなどという、場当たり的な防衛政策では無意味である。大国の核弾頭に向けて、迎撃ミサイルで対抗など出来るわけがない。それはあくまで日本国民向けの演出に過ぎない。日本人の保険好き。アメリカや中国が金正恩の体制保障をするというように、日本は世界から体制保障をされればそれでいいのだ。今十全に体制保障をされている。世界の3%以外の国は核ミサイルなどない国なのだ。それでも迷惑をかけない国であれば、普通に生きて行けるのだ。中国や、アメリカと権益を競うということから軋轢が生じるだけだ。権益とは企業利益と考えたてもいい。

アベ政権の日本という国の将来の形にごまかしが生じている。地方再生という事も主張する。地方社会はこのまま行けば、まずは消滅する。このままのTPPではそういう流れを加速するだろう。それは縄文時代の日本よりも劣る状態になるということだ。弥生時代の日本よりも劣る状態になるという事だ。日本人が日本文化を育み、日本列島に暮らすという意味では、まず、食糧自給国家である。貿易においては、食糧は別に考えるべきだ。安全保障として一定の枠が担保されてしかるべきだ。食糧をアメリカに依存すれば、日本人が衰退し、消滅するという事になる。TPPに中国を入れるように努力すべきだ。確かに中国はなかなか入らないだろう。一体一路などというよくわからない標語の下に、中国も自国有利な貿易協定を作り出そうとしているのだから、難しいだろう。しかし、中国と交渉を始めることには、アメリカに対して意味がある。

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マチスの失敗の成功

2018-05-19 04:33:27 | 水彩画

絵を描くこということは、人によって全く様々なのとだと思う。共通の価値基準というものがどこにも見つけられないところが絵の良さのようなものだ。多くの人が評価する作品もあるが、マチスの絵をただヘタな絵だと主張するとしても、それは一つの見方である。その人の見方をすればよいことである。絵に間違いなど何もない。自らにとっての自身の絵と、見ているマチスの絵とは、絵ではあるがその意味はまるで違う。私自身の絵は描くという行為を含んでいて、初めて絵というものになっている。行為を含むという事は、自分の行為の達成感を含んで絵を考えることになる。私がマチスの絵がすごいと思うのは、絵を描くという行為まで共有してもらおうという意図を感じるからだ。だから、マチスはつぎの時代の先駆者なのだと思う。マチスはどうすれば、技術というものがないまま絵が描けるかを模索している。絵画を訓練をした上手な職人の世界から失敗などない世界のものにしようとした。

マチスはジャズという切り絵の連作をしている。私はこれをまねて随分切り絵を作ってみた。ほぼマチスと同じものが作れる。たぶん中学生ぐらいになれば、誰にでもほぼ同じものが作れるはずだ。何枚か真似てみれば、それを少し変化させて、自分の色や、自分の形で、作品らしきものが作れるようになる。そこに出来上がった切り紙の絵が、自分の世界観なのかどうかは分からないが、まるで作品ぽいものが現れてしまうのことになる。誰にでもできるにもかかわらず、マチスであるところがすごい。昔、学校の授業で生徒にやってもらっていた。マチスに似たものを作ることで、作品を制作する面白さを体験してもらえたと思う。これは私の工夫の授業のつもりだったのだが、テート美術館では同じようなことを今やっているようだ。中学生でも可能な技術を通して、マチスはマチスの世界観に至っている。マチスのすごさであり、つぎの時代の絵画なのではないかと私は思うようになった。

マチスの最後の作品は、カタツムリという、適当な正方形がカタツムリの様に渦巻き状に張られている作品である。このロンドンのテートギャラリーにある作品を前にして、子供たちのワークショップが開かれている。この3メートル四方もある巨大作品を、子供たちでも作れるのだ。マチスのこの絵は、どの色が最初に貼られたかわかるように作られている。最後の色がどのように置かれたかも分かるように作られている。マチスはもう自分では描けなくなっていて、助手に紙にガッシュで指定の色を塗らせて重ね合わせて制作したらしい。私はそう決めつけてしまったが多分間違いないことだ。そのマチスの意図が理解できた時に、マチスの作品が読み解けたと腑に落ちたのだ。当時、コンセチュプチュアルアートという事で、作品を読み解くことが当たり前になっていた。マチスは一枚目の紙を張る喜び、2枚目、3枚目と色を重ねてゆく変化する喜び。最後の紙を張り作品の感性というという喜び。作品を制作するというすべての過程を見る者と共有しようとしたのではないか。

少なくともテートギャラリーのワークショップでは、子供たちがマチスに倣って巨大作品を制作している。その写真を見たことがある。マチスの作品というものは、技術というものを超えている。それでいて何処までもマチスなのだ。しかしここでのマチスは、素人でも、子供でも可能な作品制作の世界なのだ。マチスの到達した芸術世界を、誰もが至れる芸術の世界にしてしまった。これが私絵画の始まりなのではないか。その様に私は考えた。誰もが持っている手法と技量で、制作するという生きる豊かさにつながるような意味を、誰にとっても可能なものにした。芸術作品を作るという事の意味が、社会性から、個人の内部的な問題に変わったのではないか。その為に技術的な様相を取り払い、芸術作品を職人的な世界から、すべての人間の物へと解放した。

 

 

 

 

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早朝見回りをする。

2018-05-18 04:43:09 | 地域

舟原溜池 ウツギが咲いている。

朝4時には目が覚める。早起きなのではない。夜8時に眠くなり寝てしまう結果だ。まずコーヒーを入れる。大抵は、併せてスープなどを仕込んでおく。おでんとか、シチューとか煮込み料理を早朝に仕込んで置く。今日は炊き込みごはんを作った。電気の調理器を使っているので、タイマーが付いているので、安心して料理ができる。そしてブログを書く。おおよそ5時過ぎになる。もう明るいので、5時半には見回りに出かける。やることがなければ一時間ぐらいで戻る。時にはこれが7時過ぎに戻る日もある。戻る時にぐるりと舟原自治会の6か所のごみの集積場も見て回る。環境美化委員の役目だからだ。これには手当も出ている。舟原溜池の整備も勝手に環境美化委員の役目にしている。何かあるという事もないのだが。家に帰れば仕込んであったもので、朝ごはんを食べる。これが田んぼが始まれば毎日続く日課である。4月から10月までの半年の朝の楽しみである。歩いて回ればさらに良いのだろうが、その時間の余裕がない。

舟原麦の会の畑 6月3日辺りに麦刈りか。

朝ぐるりと地域を軽トラに乗って一周する。5キロぐらいだろうか。まず、畑の会の諏訪の原圃場に向う。何かあればいけないので、一応見ておくという事になる。今は雨のあとどれくらいで乾いて来るのかという事が気になっている。植えた苗が乾いてしまわなけばいいと思い見ている。植えこんだレタスはしおれてきた。自分の分には水をやった。表面が乾いてきているところもあれば、あまり乾いていないところもある。ベットの微妙な作り方の違いが出ているのだろう。全体に根付いてきている。小さなキャベツの苗も大丈夫根付いたようだ。私の所には4つある。虫に食べられて、葉が一枚もないものもあったのだが、葉が出てきている。ホウレンソウは70mの長さに植えてあるのだが、良く成長しているところと、ほぼダメなところとある。土の状態が違うという事がわかる。北がだめだと思っていたのだが、北の方が案外にできている。中間あたりがだめなようだ。

欠ノ上、冬水田んぼに水を入れた。

次に行くのが、欠ノ上田んぼである。苗床の水の様子を見る。欠ノ上の苗の場所は、鴨が来て荒らしている。一番深かったところは荒らしやすいのか、苗として使えなくなった。他も踏み荒らしてはいるのだが、苗は回復するようだ。鴨が来ているのは午後3時ぐらいだ。人がいれば来ない。このところ苗は毎日大きくなるのがわかるほどの成長期だ。4葉目の葉は弓なりになって一段と大きくなる。根の状態が良ければ、4葉は葉色も濃くなる。根が悪いとこの頃から黄ばんでくる。苗箱蒔き、288穴セルトレー1粒蒔き。3粒蒔き。そして苗床直播。種籾の事前処理の違いでどう変わるのか。このあたりを一通り見る。苗の大きさは欠ノ上では20㎝である。30㎝まで行くかどうか。田んぼの方は一昨日から水入れを11番と14番でやったので、どの程度水が溜まるか漏れはないかも確認する。

欠ノ上苗床 手前が新永塚の苗箱

それから、麦の畑と舟原溜池に行く。麦は田植えが終わってからかかることになるが、30%の含水率で刈ろうと考えている。家の方の畑の方が少し早めに黄ばんできている。どちらの畑も、麦は例年になくよくできている。結局は麦は肥料だ。肥料を入れないでは出来が悪い。追肥も2度与えた。冬の作物は光合成量が少ない。土壌微生物の活動も弱い。肥料分が多めになければ、生育しにくいようだ。溜池の上の段から下の段への水洩れは続いて居てはいるが、一応排水口からも水は流れ出るようになっているので、そう悪い状態ではない。上から下へと水が漏ったとしても別段構わないとは言える。田中さんが見てくれて、塩ビ管の周りをコンクリートで埋めることになった。忙しい田中さんに申し訳ない。またユンボを出してもらわなければならない。6月初めの作業になる。

諏訪の原有機農業塾の畑

 

 

 

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田んぼの代掻き、畔塗。

2018-05-17 04:13:41 | 稲作

冬季湛水の11番田んぼ。このまま水が満水になったらどうなるだろうか。出来ればそのまま田植えが出来ればと思うのだが、一切機械を使わない田んぼというのもいいのだと思う。中央辺りが少し高いので、昨年の切り株が見えている。機械を使わない田んぼという事では、稲刈り以降のことになる。稲刈りも3畝ぐらいまでであれば、手刈りで何とかなる。問題はその後のことだ。脱穀が一番の課題になる。コンバインかハーベスターという機械を使う。籾摺り、精米という作業はあるが、小型の籾摺り精米器を購入するという事は可のではないか。今では精米機を使っている家庭はかなりあると思う。

新しく取り組む14番の田んぼ。アラオコシをして、水を入れ始めたところ。畔から水が漏れるので、畔塗をしてくれたのだと思う。昨日は水が溜まっていた。入水口から水が逆流していた。そういえば昨年そこを何度直してもうまく行かなかったのだ。

11番、14番の2か所をもち米にしようかと考えている。今年メンバーが一人増える。その分が14番になる。14番を担当してもらおうと考えている。そして、12番をサトジマンにする。それで120キロ配布が可能になると思われる。

毎日、2,3回は田んぼに行ってしまう。今これを書いていても田んぼの様子が見たい気分がある。昨日とそれほど変わっているわけでもないのだが、昨日やってみた作業の結果が気になるのだ。直した畔がどうなっているのだろうか。水を入れた量を変えてどうなったのだろうか。畔の漏っていそうな場所があるのだが、よく見ないとならない。大したことではないのだが、これが面白くて、何度も見に行きたくなる。問題がある。原因を究明する。対策をとる。そして結果を見る。問題は日々起こる。問題が発見できるかどうかである。そして解決能力である。問題をどれほど発見できるかが、良い田んぼを出来るかどうかの分かれ目になる。疑問を持たない人には進歩がない。

 

苗代の様子。奥の2列が欠ノ上田んぼの分。

ここは稲葉式の実験をしている田んぼ。3回代掻きというのだが、現状では草が全く出てこない。代掻きをして3週間である。

畔塗はななか大変な作業だ。まず、畔の周りをぐるりと掘る。掘った土は田んぼの中に戻す。畔には上げない。畔に田んぼの土を上げると畔だけが高くなってしまう。ここで掘るというのは畔際から水漏れが起きない為である。そしてアラオコシをする。アラオコシは丁寧にやる。代掻きは浅くする。代掻きをした泥が穴を塞いでくれる。代掻きでは毎年トラックターがどこかで立ち往生する。今年こそ危ないところに近づかない代かきにしたい。手植えに苦労をしてもその方が安全だ。

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