地場・旬・自給

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冬水田んぼの経験など

2017-05-31 04:45:37 | 稲作

「たんぼでそだつ、ひと・稲・生きもの」の交流会イン小田原 

                         あしがら農の会 笹村 出

あしがら平野のあちこちで、29年間自給の為の田んぼをやってきた。丹沢の山中から、小田原の住宅地の中まで、様々な環境で田んぼを行ってきた。田んぼというものは外から見ている分には、一見どこも同じようであるが、中に入って耕作してみると一つ一つずいぶん違うものだ。この間生き物観察を各地で企画して、地球博物館の苅部 治紀 主任研究員に指導いただいた。生き物が豊かそうに見える田んぼが案外に何もいない田んぼで驚くという事を経験した。何故生き物がいる田んぼと、生き物がいない田んぼがあるのか、実に不思議だし、面白いものだと思う。この地域がすでに生きものの多様性という意味では、失われた危うい地域だと思う。それでも、桑原鬼柳地区の田んぼは生きものが豊富だと感じる。私は子供の頃山梨県の境川村藤垈というところで育った。そこでも田んぼをやっていた。つい昔と較べてしまいついつい生きものが少ないと思ってしまう。

丹沢山中の不老山の奥や高松山の山中に田圃を作り、やったこともある。塩沢という小さな集落から30分ほど歩いてしか行けない田んぼだ。そこで5年ほど田んぼをやった。毎日歩いて通ったのだから、良く続いたものだと思う。田んぼに来ている水はそのまま飲むことさえできるすばらしい環境の田んぼだった。しかし、そこは意外に生きものが少ない田んぼだった。新しく田んぼを始めたところでは生きものはほとんどいなかった。塩沢は江戸時代にはすでに田んぼがあった場所だそうだ。人の暮らしがある場所には田んぼがある。江戸時代には炭焼きなどで丹沢の山中に大勢の人が暮らしていた。その人家の痕跡だけは数か所残っていた。その不老山の塩沢の谷筋では大きな水害があり、すべての人家が無くなったのだそうだ。田んぼが昔作られていたらしい痕跡を10か所ほど見つけた。その中の一番広い田んぼが2反ほどあり、そこで田んぼをやらせていただいた。20年ぶりに田圃を復田したわけだが、そこでは特別の生きものを見つけることはなかった。田んぼに戻してから5年間の間生き物が増えた様にも感じなかった。ただ田んぼをやったからと言って、自然の回復は難しいものだと感じた。

小田原久野では20年近く田んぼを続けてきた。ここも意外に生き物が少ないと感じている。自然農法で田んぼを続けている訳だが、生き物が増えたという感じはあまりない。田んぼのなかや、畔やその周辺に増えてくる草は帰化植物ばかりが増える。ビオトープのようにただ見ているだけでは、昔に戻る自然の回復できなくなっているのではないか。その地域で絶滅してしまった生物が復活するという事は無く、海外からの生きものが増加して当たり前のことだろう。かつてはなかった様々な外来種の生物がはびこってくる。帰化植物の増加が自然の回復とはいえないのではないか。誰しもこうした複雑な思いがあるだろう。桑原では10年ほど田んぼを行った。あしがら地域の田んぼのなかでは生き物が少し豊な気がした。酒匂川からの湧水があることと、全体が田んぼ地帯であり一定の規模がある。加えて通年通水の自然水路が残っていたためだと思う。とはいえ、私の子供の頃の藤垈の田んぼの豊かさに較べれば、あれも居ないこれもいないという事になっている。日本の里地里山はすでに危うい。

里地里山では人間の暮らしが手入れを通して行われてきた。このことが日本の自然環境を作り出しと言ってもいいのではないか。東洋3000年の循環農業である。日本の自然は人間の暮らしとのかかわりで生まれたものだ。手入れをする暮らしが無くなれば、里地里山の自然は衰退する。地域に根付いた暮らしはなくなり、人間も弱まるのではないか。ここで考えなくてはならないことは、手つかずの自然保護の思想と暮らしの周辺の環境維持の混同が起きている問題だ。暮らしには暮らしの環境維持の考え方が必要である。地域に根ざした暮らしの回復がなければならない。田んぼが無くなれば里山の維持もできなくなる。これは神奈川県の里地里山条例の検討の中でも確認されたと書かれている。残される水田が大規模化し、水路はコンクリート化し、それでも稲作自体の継続が危うくなっている。大規模稲作に小規模稲作は押しつぶされるはずだ。新しい田んぼの維持の仕組みを模索しなくてはならない。今後10年で急速に日本の自然環境は衰退するだろう。日本の経済の方向が自然を軽視しているのだと思う。

田んぼの価値の自然環境維持からの見直しがない限り、田んぼは遠からず無くなるはずだ。経済優先という事はそういう結果を生みだしている。競争経済の中で、稲作を考えれば、日本の稲作は自然軽視の大規模な工業的稲作だけが残る。自然の田んぼが無くなることで失われるものがどれほど大きいことか。人間の暮らす環境の見直しが必要である。沖縄本島ではすでに田んぼは無くなったに近い。田んぼが無くなりどういう自然の変化が起こるか検討すべきである。石垣島と西表島では田んぼが残っている。どのように自然の状態が異なってくるのか、比較調査してみる必要があるだろう。西表が世界自然遺産に入るとすれば、西表の田んぼはどのように残されるべきなのか検討が必要である。そしてどうすれば「たんぼでそだつ、ひと・稲・生きもの」 が実現できるかである。農の会はこの中の、ひとが田んぼで育っているのだと思っている。

農の会の田んぼは自給の為の田んぼだ。素人の勤め人が集まってやる田んぼだ。その中には自然農法で反収10俵を超える田んぼも複数ある。県の平均収量をはるかに上回っている。自分が食べるものを作るという事は、自分の人間を作るという作業だと思う。そこに経済とは別の価値を見ている人がいる。ご先祖様から引き継いだ田んぼを、子孫に残すという瑞穂の国の理念はすでに忘れられ久しい。今度は国際競争力のある稲作が叫ばれている。日本の里山に無数に広がる小さな条件不利の田んぼは、経済的には大規模農業との競争はできない。新しく田んぼを残してゆく方法として、自給の為の稲作を提案したい。年間12日の作業と1万円の会費で、一人100キロのお米を、得ることができる。この活動は日本中どこでも可能である。現在足柄平野10か所に自給の田んぼが行われている。この25年の実践を真剣に観察してもらう価値はあると思っている。

 

 6月18日に梅の里会館で行われる、ラムサールネットの交流会での配布文章。

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自給の生活

2017-05-30 04:11:32 | 暮らし

巷では老後はいつの間にか70歳後に引き上げられたらしい。70までは絵を描きながら自給生活を続ける。3000万円の貯蓄が必要と言われているらしい。老後の暮らしには月々30万円は必要だとも書かれたものもある。テレビや雑誌でも時々そんな話が出てくる。保険会社や銀行のシンクタンクからの情報提供なのかもしれない。若い内から蓄える必要があるというのは、日本人全体に刷り込まれているのではなかろうか。消費が落ち込む原因ともいわれる。先の見えない世の中だから、貯蓄しかないともいわれる。自給老人にはそんな心配は全くない。老後の方が楽しい自給である。貧乏生活と蔑む人も居るが、お金など人間の豊かな暮らしとは関係がない。世間の眼は畑や田んぼにへばりついて居れば、道楽者だ。勤めにも出ないで昼日中から草取りか。という、冷たい目線が何となくある。やっと老人になって正々堂々の暮らしである。3000万の貯蓄はなくとも、月々30万の収入がなくとも安心立命出来るから心配無用。

年金積立コツコツは73歳まで生きれば、払い込んだ元は取れるらしい。有難いことだ。何が何でも長生きして、積み立て分は取り返してやるぞという気になる。さすがのお国も年金基金を使ってしまったので、金が足りないので、医療のお世話にならずに早く死んでくれとまでは言わないだろう。元気で病院のお世話にはならない年寄りで行くのでお許し願いたい。老後の暮らしが生活苦ではどうにもならない。どのように豊かな老後の暮らしを作るかが幸せの国のバロメーターである。豊かさはお金が要らない訳ではないが、お金ではどうにもならないものの方が多い。病気にならない暮らしを心掛けることがまずは大切。適度な運動が一番。サプリなど口にせず、よいものを食べる。時間の余る老後こそ自給生活である。一日1時間の自給生活をすれば、食べ物は年寄りでも確保できる。しかも、わざわざ無駄な運動する必要もなくなる。

ネットに出ていた生活費の平均的事例
食費 15%      4.5万円
住居費 25%     7.5万円
水道光熱費 5%     1.5万円
通信費 6%              1.8万円
保険料 4%              1.2万円
趣味・娯楽費 3%      0.9万円
被服費 3%              0.9万円
交際費 2%              0.6万円
日用品・雑費 2%     0.6万円
小遣い(夫婦計) 12% 3.6万円
その他 3%              0.9万円
貯蓄 20%               6.0万円
支出合計 100%      30.0万円

これが理想の家計だそうだ。この中で老後の自給生活ならいらなくなるのが、貯蓄。保険料。食費。住居費この4つで。なんと192、000円は不要になる。住居費が要らないところで暮らせば、10万8000円あれば理想的に暮らせるという事になる。住居があるかどうかで大きく変わるが。やはり過疎地域に行くのが良いのだろう。人口減少地域なら安く家も畑も借りられる。夫婦で10万円年金がもらえれば理想的な家計の中で生きていけるという事にならないか。決断は早いほど良い。農文協では65で定年帰農という話があった。早期退職でも何でもいいから、一年でも早く地方に移住することだ。そこで農業を覚えながら、老人自給を目指せば、悠々自適である。年金生活万歳。貯蓄がわずかでもあれば、出来るだけ使わないで健康に自給生活で長生きして、介護施設に入った時に残して置ける。

問題点は3つある。1番が体力である。一日一時間肉体労働に耐えられるかどうかだ。毎日一時間自給の為に精一杯身体を動かせば、健康体操になる。体力があれば、根気も気力も湧いて来る。食糧自給の目的があれば、ダダの運動よりましではないか。2番が技術である。自給の農業技術がなければ、一日1時間のはずが、10時間働いても自給できないという事になる。これは案外に難しい。若い内からものを見る感性を磨くことだ。良い絵が分かる人なら、自給農は可能だ。芸術音痴では自給農は難しいかもしれない。若い内からの芸術体験がおすすめ。3番が、豊かさを感じる感性である。何が豊かなのか。カジノでギャンブルをして、スイートルームで高級ワインを飲む。3つ星のフォアグラ・トリフォー・キャビア料理を食べる。こういう暮らしが豊かだと感じるようでは話にならない。馬鹿な消費者になるように、情報操作されているのだ。老後こそ真の豊かさを感じる老人自給が楽しい。

 

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2017年 田植え

2017-05-29 03:57:41 | 稲作

 

27日早朝。手前が11番田んぼ。昨夜の雨で線引きが苦労しそうだ。乾いたところから線引きを行い、田植えにみんなが来るのを待つ田んぼ。

28日10時。過去最高の参加者で、延べ人数で56名前後。子供たちも田植えをした。子供が参加して田植えした田んぼであることがいい。初めての人が沢山いて、それでいて農家の田んぼより、収量が多いいという事が誇りだ。

ここは代掻きなしでの田植え。この水の来ない田んぼが一番収量の多いい田んぼ。不思議な気がするが、冬の緑肥作物も良く育つ。

いよいよ最後の田んぼの田植えの様子。まだかなり水がある。

今年は2本植で行くことにした。1本より3本の方が良い田んぼになるという意見があった。そうかもしれないとも思う。明確に1本の方が良いという根拠はない。実験して変わらなかったという話は聞いたことがあるが、自分でやってみなければ本当の確認はできない。分げつが取れすぎるような過繁茂の田んぼもある。そこで今年は10番の里地里山協議会の田んぼで4本植と1本植を中央で分けた、田んぼを作ってみることにした。結果どう違うか。こういう試験栽培のようなことが好きだ。こういう観察があるだけで、田んぼに行く楽しみが増える。苗は平均4葉期が中心だったと感じた。分げつが始まっているものもかなりあった。4葉期か5葉期で植えると一番活着が良い。田植えして翌日には成長を始める。苗の背丈も30センチはあるから、どんな深水でも水没はしない。平らに代掻きが出来ている訳ではないので、深いところは20センチくらいの水深の所も出来てしまう。それでも水没しないので安心な田植えになる。

朝の状態では上の方の田んぼはまだ水が相当残っていた。まず乾いた9番田んぼで線引きをする。縦横29㎝角の線を引く。これを出来るだけ正確にすることが大切である。私も最初少し行ったが、あまり上手には出来なかった。毎年少しづつ足腰が弱くなっている。あとは引き継いでもらい、田植えの方に回った。3人ぐらいで全体に線を引いてくれた。松田さんという新しい参加した方は、その昔小学校の田んぼではこれと同じ道具で線を引いて居たと言われていた。一日目で線引きはすべて終わった。1日目の田植えは1,2,6,7,8,9,12と終わった。2日目に3,4,5,10、という事になった。とても乾燥が早く、苗が乾かないようにするのが大変だった。1日目は植える田んぼの順番に苦労した。植えてすぐ水を入れないと乾いて苗が弱ってしまう。危うい状態だった。

田植えが終わり最後の田んぼまで水が満ちてきた。

田植えは10時30分には終わった。そして、そのあと、ソバカス撒き、周囲の掃除や、水回りの調整。後片付けを機械小屋でして、3時にすべてが終わった。後の整理が結構時間がかかる。良い田植えになった。素晴らしい仲間と息を合わせ田んぼができるという事は幸福なことだ。この仲間との共同作業の感覚は、特別なものがある。これが生きるという意味で大切なのだと思っている。食べ物という生きるという根源のものを、共に作る。ここを共有することが人間の一つの在り方なのだと思っている。田んぼの仲間にそんな余計な理屈はいらないが、何十年も続けてくるとそんなことも少し言わせてもらいたくなる。ともかく良かった。安堵した。充実した。やり尽くした感がある。明るくなったら田んぼに行ってみる。

29日朝4時30分の田んぼ。水管理はほぼ完ぺき。白く濁って見えるのはソバカスを撒いたため。

 

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沖縄の米軍基地

2017-05-28 04:16:53 | Peace Cafe

沖縄の米軍基地は確かに最近になって面積的には確かに返還縮小が進んでいる。沖縄返還時の66%に減少したと書かれているものがあった。45年かけてやっとのここまではあるが、悪いことではない。一方で自衛隊基地は着々と沖縄への新設置が進んでいる。自衛隊基地に置き換われば、米軍基地は減少したことになる。アメリカの負担も軽減される。これは日米安保条約の思いやり自衛隊基地であろう。沖縄にある米軍基地は何故いつまでも存在するかと言えば、日米安保条約では日本はアメリカに基地を提供するという事を約束しているからである。当然それはアメリカの防衛の為が主たる目的である。その意味では沖縄の米軍基地が日本の防衛の為というのは半分は嘘である。海兵隊や訓練基地は、日本の防衛というよりはアメリカの軍隊の訓練と待機の為と考えるべきだ。例えば、ミサイルがアメリカへ向けられたものと日本へ向けられたものが同時に発射されたとすれば、アメリカへ向かうものを優先して打ち落とすだろう。同時にそれが日本の防衛にもなっているというおまけ関係である。 

本土の米軍基地は占領軍のころからどのくらい減ったかと言えば、10分の1くらいまで減少した。沖縄では返還後も増加し、やっと近年減少に転じた。そして、近年面積的には大きく減った。それは、アメリカ軍が沖縄を兵士の訓練場にしてきたからだ。訓練場が沖縄にある理由は全くない。ハワイでも、マイアミでもよい。近年オスプレーの訓練に沖縄を使っている。普天間基地が世界で一番危険な基地だと言われているのに、そこでオスプレーの訓練をしている。それはアメリカで訓練をしていたら、アメリカの住民からの反対運動があるからだ。しかし、あれほど広い国なのだから、何も沖縄で訓練をする必要はないはずだろう。返還はされても沖縄の空の上は、あのうるさいオスプレーが自由に飛び回っている。沖縄ではアメリカ軍の訓練が盛んにおこなわれている。これは出来る限りアメリカ本土で行うように、アメリカに要請すべきものだ。日本を守るために実戦配備しているのならともかく、人の国で訓練して戦地に派遣するというのでは、本末転倒である。

地政学上沖縄に基地が必要だという主張がある。沖縄に米軍の訓練場が必要なはずがない。また、米軍基地の返還が進んだと言っても、沖縄の空の上を自由に飛び回っているのだ。事故も後を絶たないうえに、飛行時間や行わないはずの危険な訓練の約束違反も相次いでいる。どうしても基地を作りたいのであれば、問題を整理して、どうしても日本に必要な基地を明確にするところから始めなければならない。その上で、沖縄に置かざるえない基地を明確にする。私は、どうしても沖縄という理由はないとか考えている。現実の理由は、中国を敵視する政治的理由からである。地理的に極東に必要なら韓国でもフィリピンでもグゥアムでもいいのではないか。どうしても沖縄という理由は政治的な押して付けの意味しかないのではないか。ミサイル防衛システムであれば、別段沖縄の必要はない。軍備に詳しくはないが、あちこちに散らばして置いておく方が良いのではないか。北朝鮮のロケット実験の際には日本中に配備したではないか。

なんとなくイメージで南の方の中国の正面に基地が必要だというあいまいなイメージ作りがされている。 まったく、テロやサイバー攻撃が主たる戦争の時代に、固定型の軍事基地は政治的な看板の意味だけである。本土で引き受け手がないから沖縄に米軍基地があるのが現実だ。沖縄でまだ良かった。沖縄でなければならない明確の理由が、国民に政府から示されたことなど一度もない。示されたことがないのだから、国民は理解をすることなど不可能である。アベ政権はアメリカの手下根性でアメリカを忖度して動いているのだ。これが政治家の本音だ。東北で良かったと口を滑らせた大臣の本音と全く同じ構図である。沖縄の民主的な選択も、完全に無視されている。アベ政権は米軍基地がおかれている地元行政と訴訟をしているのだ。こんなちぐはぐな、不安定状態では日本の安全保障どころではないだろう。

 

 

 

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2017年の稲の育苗

2017-05-27 04:09:17 | 稲作

荒起こしを始める前の苗床の様子。耕す1週間前にソバカスを左2列に5袋撒いた。右側半分は耕して、左半分は耕さないでレンゲの種を蒔いた。やはり耕した方がレンゲは出るようだが、それほどは変わらないともいえる。それよりも水が溜まるところはレンゲの発芽は悪い。緑肥を作るには冬場の排水が大切。

代掻きを十分にやって1週間水を張って置いた。前日に水を落として、4月22日に播種。30グラム撒き位の感覚でサトジマンの種もみを4,5キロ蒔いた。(4反分で海水選後4キロぐらい。その上に燻炭を1袋。さらにその上から土ぼかしを蒔いてタネを覆った。さらに保温のために、その上から穴あきビニールで覆う。

種まきが終わった翌日。まだ水はいれない。最初の1週間は乾かし気味の管理。水没することが一番悪い。水没が続くと種が発芽しなくなる。

 

4日目。4月26日に発芽が揃う。4日目というのは例年より早い。この時に土壌が発酵していると、根の発芽を阻害するというが、果たして今回どうなったのだろうか。成育は特に悪いという様子はない。発酵にも悪い腐敗もあるし、充分に発酵した後の状態であれば、苗の生育にはその後良い結果になると想定している。

種まき10日目。5月3日から常時水が行き渡るようにする。それまでの10日間は朝水を回し、その後水を止める。発芽が揃い水没をしない芽の高さになったならば、水を徐々に張り始める。その後は生育に併せて水位を上げてゆく。

11日目。5月4日の朝の様子。2葉期の芽が伸び始めている。3センチくらいの高さになっている。発芽の密度の状態は、良い加減と感ずる。この後は常に水が薄くあるくらいの管理にしてゆく。

14日目。5月7日の状態。成長が早まり始めた。水を少しづつ増やしている。そろそろタネの力が終わるだろう。そこから自根でどこまで生育を出来るのかが楽しみ。

これは井関さんの所のセルトレーの苗。同じ時に種まきし、苗床に置いた。多めに蒔かれているようにも見える。この後の生育がどうなるか。

 

 

 一葉の確認が分かりにくいが、この横になっている葉のことのようだ。最初の葉らしい葉は2葉目の葉という事になる。下の写真はすでに4枚目の葉が出始めていることになる。

24日目。5月17日の様子。13日にビニールマルチを取り払い、4日目である。4葉期というところだろうか。ビニールをとり少しづつしっかりしてきた感じがする。田植えまであと10日、どこまで成長するだろうか。

18日の苗床の様子。3,5葉~4葉期になってきている。苗は成功したことが分かる。苗床全体にムラもないし、生育は比較的安定して出来ていると思われる。ここにきて毎日成長が著しい。株の太さも増している。葉の厚みもしっかりしてきた。気温水温の上昇もあるが、それより根が活性化している。土壌が根の活動を活発にしている。発酵土壌の成功だと思う。25年かかって苗代のやり方に結論が出たような気がしている。

30日目。5月23日の朝の苗の様子。4葉期の状態。水深は5センチほどにしている。

32日目の苗。25日の苗の状態。苗の長さが30センチ前後。根が10センチ前後。分げつが始まっている状態。いよいよ今日26日が苗取りである。

種を蒔いてから33日目。5月26日に苗取り。前日の写真の苗より全体に良かった。右端のように野菜の苗箱に苗は並べておく。丁度良い苗の大きさだ。右奥の列の方が少し色が淡い。種まき前にソバカスを撒いて居ない。

雨の中の苗取りの様子。苗が傷まなくて良かった。8時に初めて10時30分に終わった。この後、植えるべき田んぼに苗を配り、苗床の田んぼを代掻きをした。午前中にはすべて終わった。

 

 

 

 

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加計事件に出た安倍氏の実像

2017-05-26 04:18:12 | Peace Cafe

前文部科学事務次官だった前川氏が、怪文章を担当課から説明を受けた際に示されたと証言。アベ政権は、ひたすらもみ消しをしている。このタイミングで読売新聞が前川氏のスキャンダルを暴露したのは、まさに共謀罪の前兆である。獣医学部ができることは賛成である。既存の獣医学校がこぞって新設を反対してきたのは、経営競争。新設を認めない体質は良くない。これは医学部などでも同様であって、医師がが増えすぎることを避けたいという、医療関係者が多いいという事が、良いこととは思えない。加計学園というところが、四国に獣医大学を作るというのは生かされるべき発想である。競争の原理を既得権で歪めると、自由主義経済はおかしなことになる。稲作がおかしくなった原因も同じことである。全量買い取り。政府米価。減反奨励金。こういうツギハギだらけで、結局日本の稲作自体がおかしなことになった。獣医学部であった。獣医の世界がおかしいのは、あの狂犬病予防接種に表れている。日本国内では1956年以降、人の狂犬病発症がなく、動物では1957年の猫が最後。日本に入らない様にすれば、完全に防げる。やるべきことは犬の予防注射ではなく、水際作戦の徹底である。

狂犬病予防注射をして犬に良いことはない。無駄な予防注射で犬に可哀想だ。極力避けるべきことだ。セントバーナードのフクちゃんがいる。少し弱っている。散歩にも出たがらない。この状態では予防注射はしたくない。加計獣医学部の新設のことであった。今回の国会舞台では安倍氏の本質が良く出ている。国会の答弁で、まるで関係したことはない、と再度の大見えを切っている。全く上手な演技をするものだ。本音と見誤りそうになる。役者に見えない、役者の見事さである。籠池問題もほぼ乗り切った。「もし関係していたら、総理大臣どころか。議員も辞職する。」これが国会舞台の決め台詞のようだ。アベ氏が名優であり、加計は盟友ということは分かった。問題は忖度関係である。日本の社会全体が忖度の損得で動いているらしいという事だ。

前川事務次官は文部省の天下り問題で、監督責任を問われ辞任させられた人だ。このうらみがあるのだろう。公務員からの天下りが減らない。公務員は権力者なのだ。退職税務署長を天下りさせる企業もある。節税対策である。70歳まで働く社会だそうだから、当然、官僚も再就職先がなければ収まらない。文部官僚が総理大臣の意向と聞いて影響を受けないはずがない。総理大臣の意向とは何か。安倍氏と加計氏は刎頚之友らしい。と言う情報だけで意向が天下る。無理もないそういうささいな事で身の振り方を決めている人たちなのだ。そうでなければ、出世しているはずがない。権力は言わずと伝わり、出来上がっている。自民の内部はもっとひどいあからさまな忖度社会である。上の意向が読めない人など出世どころか、最初の選挙から外されている。だから大西議員のような人は、忖度してああいう発言をしている節がある。建前で一応怒られるが、実はよくぞ言ってくれたという人が幹事長だ。

江戸時代から日本はお上の無理はごもっともの世界である。いまだ上目遣いの社会が払しょくできない。それは、絵の世界でも油断するとすぐできるものだ。組織運営者の絵を一般の出品者が等しく議論できる絵の団体は水彩人位だ。社会が弱まってきている。その結果気持ちが上目遣いになってきているのではなかろうか。アベ政権だけならいいが、やっと戦後社会のガラガラぽんで払しょくされかかったお上権力の復活。不健全なことだ。アベ政権をこんな不健全なものにしたのは、小選挙区制だ。権力に逆らえない構造が作られてしまった。自民党議員が言いたいことを言えなくなった。官邸は何をやっているのだ。という声が何故か、自民党から出てこない。自民党議員の大半がそんなことを言えば、我が身が危ないと感じているからだ。こんな状態で良い政治ができるわけがない。

 

 

 

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アラオコシから代掻きに

2017-05-25 04:00:40 | 稲作

代掻きの終わった10番の里地里山協議会の田んぼ。朝日の上る静かな田んぼ。

欠ノ上田んぼのアラオコシから代かきは4日間かかった。田植えに間に合いホッとしている。12枚に分かれている段々畑4反ほどだ。水の回し方や、漏れを塞ぐ作業がとても難しい。今年気付いたことは、長く水を入れていると場所によっては耕盤が弱くなり、トラックターが立ち往生するという事だ。それでも苗床のように2か月間、代かきの前に水を入れなければならない田んぼでは、どうしてもそのリスクはある。私のトラックター技術ではかなり難しい。小さな棚田をトラックターで耕してゆくこと自体に無理があるのだろう。その上注意力散漫で無鉄砲だから、失敗を毎年してしまう。今年良かったのは人のいるときの失敗だったので脱出できたことだ。今年びっくりしたのは石が浮き上がってきていることだ。川沿いの田んぼで石は多いいとは思っていたが、かなり取り出したつもりでも、また石が増えてきている。まさか石が水に浮くとも思わないが、だんだん土の中から地上に表れてくるようだ。石はいくら掘っても増えてくる。

 

朝5時に田んぼでは、4番田んぼの均しを太田さんがやってくれていた。今年トラックターが落ち込んで動けなくなったために、相当凸凹になってしまった。また右太田さんがいるあたりから、石垣沿いに下に漏れてゆく場所がある。田んぼの下に水道があるので、山側で漏れが起こるのだ。これが毎年苦労する場所だ。

ウス緑のアラオコシだけの田んぼが13番、14番で岡本さんがやることになっている。田植えが2週間ぐらい遅くなる。その上の田んぼが、12番田んぼで、水を今朝入れ始めた。手前の冬水田んぼは代掻きをした後、緑の藻がすぐ生えてきた。冬水田んぼの土の性格が少し様子が変わった。

今年は緑肥のあるままトラックターで耕した。以前は刈り取ってから漉き込むようにしていたが、面倒くさいので浅く耕しながら、草も引きちぎっていった。案外できるものだ。草が刃に絡み付いたところで、稲刈りガマで切り落としていた。アラオコシは出来るだけ浅くという気持ちでやった。浅い方が良いというよりも、浅くても同じという事がある。浅くするつもりでも、下手なためかついつい深くなる。それで深いところも出来た。代掻きはさらに浅く浅く、と思って行った。間違っても代かきの時にはアラオコシが届いていない深さを削らないことだ。手植えなのだから、植えられさえすれば問題がない。深ければ歩くだけでも大変である。そう思いながらも今年も深いところは出来てしまった。狭い田んぼでトラックターを回すという事はなかなかヘタには困難である。代掻きは水を多めのつもりでいたのだが、水がなかなか溜まらないので予想外に時間がかかった。代掻きをしなければ水が溜まらないのに、水がなければ代かきができない。

 

みどりのベットが4列あるとこが苗床。苗床の代掻きが最後に残っている。苗取りが田植え前日になる。そのために苗取りを終わり次第、すぐ代掻きをして、代掻きを終わってすぐ、水を落とすことになる。つまり、ここから下まで水が繋がっているので、排水の具合がなかなか難しいことになる。上手く排水が終わっていなければ、田植えの為の線引きができない。大勢で田植えをするにはきちっと線が見えないと後あと大変なことになる。線が引きやすい、田んぼの乾き具合がある。この後水を止めに行くつもりだ。一段上のまだ乾いている田んぼはお隣の瀬戸さんの田んぼだ。ここでは「はるみ」を植えるそうだ。JAから苗が届いている。「はるみ」は神奈川県の奨励品種である。JA全農で開発した新品種である。つまり初めての民間企業開発のお米という事になる。これも種苗法が無くなった成果の一つなのだろうか。食味コンクールで優勝したとか言われている。出来をよく見たいと思っている。

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癌患者は働かなければいい発言

2017-05-24 04:16:54 | 暮らし

政治家は公の場で何故こんなひどい言葉を吐いてしまうのだろう。自分の見識に自信があるに違いない。たくさんの支持者がいて、評価されているから議員になっているという気持ちがある。自分の後ろに同じことを考えている人がいると思い込んでいる。昔ある市会議員と議論になった時に、私の後ろには私を支持する有権者がいると主張した。その議員は次の選挙で落選した。同じことを考えているのは自分だけかもしれないという、大多数の不安な人間とは立つ位置が対極にある。大西自民党衆議院議員は、何度も何度もひどい発言をしている。報道を黙らせるために広告収入を絶てと発言したのは、本音とは言え、公言してしまうところがすさまじい。維新党の小西議員に対して子供を産めというような発言をしたこともあった。今度は、受動喫煙防止法について三原じゅん子議員の発言中に、がん患者にひどい言葉を発した。どうもこの人は目立つ女性に対していちゃもんがつけたくなるタイプの人ようだ。女性蔑視意識がどこかに隠れている。

最近、議員の失言が問題になるが、その責任取り方がおかしい。失言を謝罪し、取り消し、役職を止めると完了だ。いったん口に出した言葉は取り消すことなど出来ない。以前フクシマの原発事故を死んだ人も居ない小さな事故だと高市早苗議員は発言した。小さな事故だという認識が自民党には今でもあるはずだ。これを失言だから取り消して終わりではよくない。原発事故がどいう規模の、どういう性質の事故であるのかを、十分に議論をしていないからこういうことになる。小さい事故だ思いたいという原発推進の与党議員の意識があるからだろう。その結果原発事故調査もあいまいなままに終わっている。原発事故は人類の文明の問題である。人類が進んできた文明が曲がり角に来たというような、大きな契機にすべき問題だという認識に立つべきではなかろうか。単に技術的なうっかり事故という種類のことにしてはならない。小さな事故だという本音を、議論に載せて欲しい。そうでないと何故いま再稼働しなければならないのかの意味が明らかにならない。

報道に対してトランプは批判している。たぶん大西議員には同じ思いがあるのだろう。失言で片づけて議論せず、終わらせてはならない。報道とは何か。社会の木鐸というような古い言葉があるが、権力に対して批判精神をもって、調査し報道してゆくのが報道の存在する意味だと思っている。原発事故を探ろうとしているNHKの態度は注目すべきだ。これを予算で圧迫すれば黙るだろうでは、良い国にはならない。自民党のなかには、報道をただ文句を言い上げ足をとるだけの存在だとしか思えない人がいるのだろう。その点を大いに話し合うべきだ。そして報道が下らない、単なるコマーシャルの器に過ぎないのであるなら、本音でそう主張したらいい。権力批判をする役割は常に新たに生まれ変わり、成長しなければならない。それが健全な民主主義社会である。報道にその役割がないなら、次の発言の場を社会は持たなくてはならない。

大西議員の暴言はついにがん患者の生活を踏みにじる発言にまでになった。しかもその意味すら当人は気づいていない。発言は取り消さないようだ。今までこの人の暴言を許してきた自民党の責任は重い。不本意にもがん患者になってしまい、それでも働いて行かなければ生活をして行けない。あらゆる職場での受動喫煙が命に係わる人に配慮することは社会として当然なことだ。今回こそ失言で終わりにさせてはならない。きちっと受動喫煙に関して議論すべきだ。喫煙に関しては少しは改善されてきたのだと思う。もう一段やってもらいたい。これはあくまで煙草を受け付けない私の意見だ。全てのことは、立場により、意見が違うのは当然のことだ。議論を尽くし、問題点を明確にして、その上で妥協を探る。日本人はこの手法を忘れてしまった。江戸時代の村の合議は、小田原評定である。久野寄り合いという言葉もあるそうだ。納得するまで徹底的に話し合いをしなければならない社会が日本にもあったのだ。

 

 

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観光産業の問題点

2017-05-23 04:17:44 | 石垣島

日本は海外からの観光客が増加している。地方では地域産業の衰退する中、観光産業が地域維持のカギになっている。特に沖縄に関して考えると、観光が沖縄の産業でますます重要なものになっている。産業の17%が観光関連であるとあった。よく言われる米軍関連は5%程度だ。だから、今や米軍基地を止めてその場所に観光施設を作れば、沖縄の経済はさらに活性化するだろうと言われるようになっている。沖縄の基地経済依存は過去のものになった。沖縄はアジアのハワイになると以前書いたが、実はすでにハワイを超えている。ハワイは年間800万人の観光客がいて、観光客の抑制が課題になっているらしい。そして沖縄は800万人を超えたとある。しかも900万人を目指そうという事らしい。面積的には沖縄の10倍ハワイは広い。その広いハワイですでに観光客が多すぎると問題になっているというのだ。ハワイの人口は1,211,537人。沖縄県の人口は1,433,566人だ。沖縄の方はもっともっと観光事業に力を入れようという事である。

沖縄県民が米軍基地よりも観光事業の方がありがたいのは当たり前のことで、沖縄としてはアジアにおける地理的な条件から、観光の島になることが当然の選択であろう。基地の島のイメージは沖縄としては観光の障害でしかない。まして、アジアからの観光客を期待しているのに、対アジアをにらんだミサイル基地の島では何ともちぐはぐなことになる。今後も沖縄県民としては、基地に対する反対の思いは年々強まるだろう。それは経済的理由だ。経済が弱いから、基地を受け入れるだろうという、本土の人間の思惑は崩れてきている。基地の地代で遊び暮らしているというデマがあるが、観光目的で利用価値の高まっている沖縄のことである。人口の増加も起きているぐらいだ。政府に貸すよりより観光産業で有利に賃貸利用できる状況が生まれてきている。沖縄の土地の方が小田原より高いのだ。今度やんばるの広い地域の米軍基地が返還された。その真っただ中に、オスプレーの訓練基地が残された。観光としては全くの迷惑施設である。すごいジャングルだと眺めていたら、シルベスター・スタローンの映画のように、オスプレーの飛来ではうるさくてどうにもならない。

西表が世界自然遺産を目指している。知床が自然遺産になっている。較べてみて遜色がないどころか、西表は世界でも屈指の多様な自然の魅力のある島である。特別天然記念物イリオモテヤマネコが暮らしている。この島が沖縄観光の新しい材料になるのは間違いがない。その他でも、住民の数よりも観光客の方が多いいという島がいくつもある。観光収入が生活を支えているとしても、さすがにもうたくさんという声が出てきて、入島制限を検討している島も出てきている。入島税の導入という事もある。観光施設の建設制限は何処の島でも議論されているようだ。今のままに観光客が増えるという事は、自然が劣化するという事に繋がる。今年、石垣島ではサンゴのかなりの面積が死滅した。理由は、簡単ではないようだが、赤土の流出。生活排水による汚染。畜産による排泄物汚染。いずれにしても観光客が増え、需要が増えればそれだけ土地の開発が起こり、自然は劣化する。何処で折り合いをつけるかはなかなか難しい問題がある。

方向としては量の増加ではなく、質の向上なのだろう。観光の質の向上の意味は難しいが、自然を維持しながらの観光業でなければ、将来は観光も衰退してしまう。観光の質の向上とは例えば、ゴルフ場を作るとか、巨大な観光ホテルを建てるとかではない。自然のなかに溶け込むような沖縄らしい施設を目指す。自然を味わうことを主目的にした観光に転換するという事ではないだろうか。石垣や西表にはたくさんの田んぼが残されている。私からみると、50年経てばこの田んぼは最高の観光資源である。人間の暮らしの原型がある。何しろ2万7千年前の全身人骨が19体も出た島だ。ここのお米で泡盛を作る。東洋3000年の歴史を感じる田んぼである。こうした田んぼを維持することが量から質の観光資源にもなるはずだ。自然になじむ里地里山の景観がを残すことの意味を、観光としても未来に向けて検討してゆく必要があるのではなかろうか。まあこんなことを思うのは少数派なのかな。

 

 

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タマネギの会

2017-05-22 04:27:13 | 自給

 

タマネギの会の畑。やや成長してきた。ここで1人200株で10名。私のタマネギが全員の中で一番貧弱である。奥の方が大体いい出来である。私の所は手前の一番左だ。場所の問題だと思いたいが、それだけではないような気もする。奥の方がメンバーが良いのかもしれない。

タマネギは日増しに大きくなってきた。畑に行くたび少しホッとする。タマネギ栽培としては史上最高のできだ。と言っても12人の内では私が一番良くない。一番良い人で普通の玉ねぎ畑のレベルにまで来た。それでも家の方の畑よりも、タマネギの畑のものの方が出来が良い。特に、奥の余った場所に植えさせてもらったものはそこそこ普通にできている。玉ねぎは土の様子が生育に影響が強いようだ。タマネギは有機農業ではなかなか難しい作物だ。土の様子は草の生え方にも影響している。雑草というものは均一には出ない。生えるべき場所に生えてくる。スギナばかり出てくるところもあれば、ハコベが密生するところもある。それは土の状態の表れによる。玉ねぎは土をかなり選ぶようだ。タマネギに良い土の場所で作れば、良くできるらしい。それはスギナの生えるような場所はダメという事なのだろう。酸性土壌を嫌うという事だけではないと思う。土壌の水分も影響している気がしてきた。田んぼの土は悪くないようだ。日照は影響が少ないようにみえる。苦手作物のネギ類。もう一息である。

タマネギもよく使う常備野菜だ。玉ねぎを一度だけ一年間保存して食べることができたことがある。365個あれば一年使える感じだった。いつもは年内にはなくなってしまう。半年というところか。今年こそと考えて沢山タマネギを作った。500個ぐらいは植えたのだろう。それがずいぶん減ってしまい。現状で365個ぐらい生き残っているという程度である。その中で普通のサイズまで成長できそうなものが、200個あればいいのだが。植えてから冬の間に枯れてしまうものがかなりあった。小さいまま成長せず霜枯れるというような感じだった。冬を越せないで傷んでしまうものが半分あった。それでもやっと冬を乗り越えて持ち直して今成長している。とう立ちしたという話も聞いたが、いつも6月半ばまでそのままである。立葉が枯れてから収穫している。今までもとう立ちしたことはない。品種はネオアースだ。

草取りは今年は比較的頑張ったほうだと思う。タマネギの会でやっているので、草取りは各自自分で取り組むことになる。それでも人目もあるし、ついつい草取りをした。5回ぐらいは取ったと思う。草の方はいつでも生えてくる。何度でも生えてくる。黒マルチをしている人もあるのだが、完全に草が防げているとも思えない。黒マルチが草取りをやりにくくしているようにも見える。黒マルチが土を痛めるという事はないのだろうか。上手く行っている人は、草を完全に取っり続けている人のようだ。立ち上がりの草取りが徹底している。タマネギの畝間クローバーがコンパニオンに良いというのでやっている人がいるが、今のところ生育は今一つに見える。クローバーに草負けしているように見える。まだこの先3週間ぐらいでぐんとよくなるのかもしれないが。

タマネギの苗作りがやはり課題だ。今年も上手く行かなかった。成長が遅かった。今度はセルトレーで作ってみようと話している。成長の遅さを見ると、種まきの時期や苗土の調整も悪かったのだろう。苗箱蒔きにしたのは私の場合はダメだった。水やりが悪かったのかどうか。玉ねぎ苗は本当に難しい。来年こそと心に誓っている。直播にしたものもここにきて成長はしているが、大きいものになるというほどではなさそうだ。上手く行っている人の畑を見ると、相当に肥料を与えているように見える。有機農業の場合の肥料をどうするかも課題だ。唯一私のタマネギの良さを見つけるとすれば、持ちの良さである。一年間常温で保存できたことがある。腐るものも少なかった。味も良いと思っているが、これには客観性はない。

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ジャガイモクラブ

2017-05-21 04:26:22 | 自給

11か月経過した、ジャガイモクラブの最後のジャガイモ。しわくちゃのみすぼらしいジャガイモだが、私には宝のジャガイモである。秋じゃがを作らず一年ジャガイモが自給できた。初めてのことである。食べてみると意外に普通に食べれる。

舟原田んぼのお隣に、農の会でお借りした農地が7畝ほどある。タマネギの会が半分、ジャガイモクラブが半分を使っている。ジャガイモクラブはジャガイモの共同畑である。見た目がジャガイモの人が、参加条件という事ではない。どなたが付けたのか、言い得て妙な見事な名前だ。イケメンも美女も参加は可能。ジャガイモの種イモ10キロをそれぞれが準備して植える。その場で種イモを切りながら、灰をつけて植える人も居る。私は2週間ほど前に種イモ切って、干してから植えることにしている。やり方も畑作りもそれぞれの方法で違うところが面白い。堆肥を入れて植える人も居る。畑は2週間ほど前にソバカスを撒いて、トラックターで耕して置いた。そこを耕運機で畝たてをしてくれてあった。それぞれがやれることを協力して進めている。一人よりみんなでやる方が楽という事が実感できるのがジャガイモクラブ。私は試しに昨年収穫した種イモも植えてみた。比較してどうなるかである。品種は男爵にしている。

ジャガイモクラブは今年で2年目になる。昨年もそれなりにとれて、なんと今もそのジャガイモを食べている。自給自慢ばなしになるが、11か月目のジャガイモが実に美味しい。美味しいと言う以上にいとおしく、有難くいただく。二畝が持ち場なのだが、10畝並んでいる。お隣のやり方が、とても参考になる。草をとる人採らない人。芽かきをする人しない人。作業は助け合いながらやるのもいいのだが、上手な人のやり方が参考になる。土寄せを今年はしてみた。昨年、よく取れて喜んでいたら、岩本さんが土寄せをしてくれたのだそうだ。今年は自分で土寄せをしない訳にはいかなくなった。草取りは出来る限りしないことにしているのだが、人目があるので、いくらか草取りもしている。今年もそろそろ収穫の時期を迎えている。なかなかの出来のようにみえる。10倍の100キロ取りたいのだが。

私の栽培法は肥料は少ない方だと思う。植えこんだ時は何も使わない。燻炭だけは撒いてやる。理由は考えないのだが、いつもそうしているので、なんとなく燻炭は必要な気がしている。燻炭を撒くと微生物の増加があるような気がする。芽が出てから、土寄せをする前にソバカスを撒いた。ソバカスは土に混ざると効果が高まる感じがする。効果を高めるためには、植える前にもソバカスを撒いておく必要がある。ソバカスで増える微生物を活性化させる。こうやって育てたジャガイモの何が違うかと言えば、保存の期間が長くなる。写真のジャガイモは常温で11か月目のものだ。まず収穫したら、ハウスに広げて乾燥させる。乾燥させた後段ボール箱に分けて詰め込んでおく。毎月5キロほどを食べてゆくのだろう。腐るイモもない訳ではない。芽も出ない訳ではない。しかし、その結果として、収穫して11か月目でも味も悪くなく食べれる。昨日もおでんにして食べた。

自給生活を考えた時に、みんなでやった方が合理的な作物と、一人でやる方が合理的な作物がある。ジャガイモやタマネギのような保存のきく作物は、みんなで作る方が時間の節約になる。果菜類のように、身近にあって食べるときに取ってきてというような作物は、住まいのそばに畑がなければ時間の無駄になる。朝、一回りして水やりなどするというのがちょうどよい。ジャガイモのように、畑を一遍に機械で耕す。10人分でも、一人の分でも機械の使用は同じようなものだ。それは畝たてもそうだろう。やるとなれば、広い方がやりやすい。では機械を使わないで、10キロのジャガイモの畑を準備するとなると、相当の時間と労働になる。タマネギも同じだと思っている。たぶんサツマイモや里芋も同じだと思うが、対して食べないのでみんなで作るまでもない。ジャガイモは少なくとも60キロは必要だ。玉ねぎは365個は必要。そうなると、みんなで作る方が合理的だ。

 

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共謀罪とGPS捜査の違法性

2017-05-20 04:21:14 | 暮らし

警察が捜査の為に裁判所の令状なしに、怪しいと思う車に密かにGPSを取り付けていた。この捜査手法が最高裁まで争われ違法という結論が出た。最高裁は監視社会に対し警鐘を鳴らした訳だ。最高裁まで争ったという事は違法捜査など平気でしているのが、警察だという事が分かる。共謀罪が出来て、なお一層スパイ的捜査が行われることだろう。私がやっていることをすべてをブログで公表しているのも、痛くない腹を探られるのが嫌という事もある。見えるようにすれば密かに付け回されることもない。なんとなく警察が理解しがたい人間を、要注意人物としてマークしている。確かに反安倍政権である。然しそうした人間がいるのは民主主義社会では当たり前のことだ。反政府的人間を付け回すことを、警察の任務のように考えている。これで共謀罪が出来たらば、GPS捜査など当たり前に行われるようになるだろう。根拠なく、GPS捜査しても共謀の恐れがあると疑ったで、済まされることになる。

GPS、スマホ携帯電話や各種カード情報、ネットの利用、顔認識の監視カメラ、などを総合すれば、かなりの個人の行動の割り出しができる。テロ集団ではないかと考えた組織を、たとえば米軍基地反対集会の参加者を徹底的に付け回す。テロ集団の可能性があるという理由付けがなされるだろう。警察にあらゆる個人情報を把握されるだろう。権力というものは不安を膨らませるものだ。全ての反対運動の参加者は減少する。権力を忖度する人ばかりになる。学生であれば、就職差別を受けるかもしれない。一度反対運動に加わっただけで、個人情報が徹底して警察に把握され、蓄積されてゆく。こうした圧力を加えることで、政府に都合よい人間だけの社会になってゆく。反対意見が言いにくい社会。結果、委縮した社会になる。すでに委縮した感のある社会だが、一層ひどい抑圧された社会になる。何故かその方が良いという人の方が多いい社会にすでになっている。本能的な自己保身感覚が進んでいるのだろう。

先日の都議選の時に、ニュースキャスター候補のスキャンダル記事が週刊誌に掲載された。あらゆる報道にかかわる人間のプライベートが追跡されていることであろう。痛いところのある人間は、言いたいことも言いにくい状況が作られているはずだ。その為に、最近の報道は実に政府の太鼓持ちのような人間ばかりになった。こうしてテレビ報道も衰退した。太鼓持ちだけでは活力がなくなるのだ。日本の元気が失われてきたのは、こうした監視社会になり始めていることを、全体が感じ始めたからだ。年寄りの私がまだ元気に発言できるのは、子供いないし、先がないから居直れるからである。これから、学校に行ったり、就職したりする人は、得も言われぬ不安の中で、自分の生き方を選択させられている。監視された、スケスケ、見え見えの社会の中で、自由な発想がしにくくなっている。共謀罪はこうした監視社会を合法化するものになる可能性が極めて高い。

次の社会において、いかに個人の情報を守るのかをまず決めなければならない。権力に対して個人情報を集約させない方策を決めなければならない。全ての人間が自由に生きる権利がある。国家から監視されなければならないいわれはない。テロを理由に、国家権力の批判を弱めることは、民主主義社会を衰退させることになる。自分は別段、不満はないという人にしてみれば、政府批判する輩など、徹底監視されて仕方がないという空気が広がっている。もうヒツジの国になり始めている。共謀罪を検討する前にどうやって個人の自由を確保するかを、決めることだ。それが活力ある社会の原則である。国家権力が集めてよい個人情報の範囲を決めることだ。権力者が必要とする情報が集めやすい社会になっている。集めて悪用すれば、闇の独裁になる。共謀罪が出来て、さらに自由が失われ日本が衰退してゆくことになる。確実に悪い社会に向っている。

 

 

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日本の自然宗教 5

2017-05-19 04:31:36 | 

日本精神史 阿満利麿 著を読んでの感想である。ずいぶん長いブログの文章になったのは、有権者がアベ政権を支持してしまう、今の政治状況をいろいろ考えながら読んでいたからなのかと思う。阿満氏は法然の絶対凡夫の思想というような考えから、日本人の自然宗教を否定しなければならないものと考えているようだ。日本人の中にある自然宗教の影響がアベ政権に従ってしまうお上意識にもなっている、と考えていいのかもしれない。そうかもしれないと思うが、むしろ日本の自然宗教というものは乗り越えると、言うような何とかなるものでなく、事実を確認すべき様なことと私は考えている。科学的に日本人を分析する上での要素という事である。日本人にはこうした自然宗教の民俗性がある。という形で分析する以外にないことだと思う。日本人が人と挨拶をするときに何故頭を下げるようになったのかというような歴史的分析、というようなことに近いことだと思う。

日本人はそうした民族性を深く自覚はしなくてはならないことは確かだ。しかし、それは否定するべきものというより、未来に生かす方法を考えなくてはならない性格のことだ。絵を描くときにより日本人に入り込むことこそ、世界にとって意味あるものになるのだと思う。日本人が宗教的ではない民族であるのは、良いことだと私は思っている。公明党が創価学会を背景に政治の分野で、ご都合主義の悪い動きをしている。アベ政権に対して、現世利益と引き換えにすべて従っているように見える。そうでないというなら、平和の党の安心とはどういうものなのか政策として示してもらいたいものだ。そして創価学会員は、教祖の言葉をどのように聞いているのだろうか。これが日本の自然宗教の影響だとは私には見えない。教祖の池田氏は平和主義者ではないと考えた方が良いのだろうか。こういう政治理念のない宗教の形が、民主主義に最も悪い影響を与える。日本の宗教が政治と関係してよかったことはない。日本人の民族性は政治と宗教と上手くかかわれない関係なのではなかろうか。

日本の宗教は戦争に加担した。その反省が不足している。それは自然宗教の影響というより、日本の宗教が既得権益団体化しているからだ。その教団の繫栄の為には、宗教としての教義すら、軽んじて恥じるところがない。自民党総裁が主張する憲法9条の改定に対して明確に教団として反対しているところはあるのだろうか。お上の意思を忖度するのが得意なのが宗教組織のように見えて仕方がない。法然や親鸞が提唱した浄土宗がどの宗教よりも、寺院も衣装も絢爛豪華である。日本人にはまれなほど派手な姿である。それが凡夫の姿というものなのだろうか。私は悟りを目指す曹洞宗の僧侶ではあるが、生涯凡夫だろうと思う。悟りなど開ける感じもない。しかし、自給に生きること、絵を描くという事を自分の道として、取り組み続けるつもりだ。それは悟りを開くためというのでなく、そうしたいという思いだけだ。

日本人は3000年の稲作農業を続けることで日本人を形成した。それが日本人の精神史の根本にある。このことを考えない限り日本人の精神史は明確にならないのではないだろうか。何故天皇が天皇として存在しているのか。この独特な近代国家を生んだ原因も見えてこないだろう。政府に従ってしまう日本人が形成された理由は、江戸幕府の統治手法と、明治帝国主義にあるのではないだろうか。1500年も学んだ仏教もそれほど精神史に影響があったとは思えない。日本人の自然宗教というべき体質が、こういう国を作り出した。神や仏は実は死んだ祖先のことでる。仏さまと言う言葉はむしろ死んだ人のことの印象が先である。お釈迦様でも阿弥陀仏でもない。ここに抜き差しならぬ日本人がいる。そして、稲作を止め、地域に根付いた暮らしが失われた現状。日本人の精神は危ういところに来ていることは間違いがない。

 

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笛吹市境川を描く

2017-05-18 04:03:28 | 水彩画

原の集落から寺尾の方向を眺めたところ

自分の生まれた場所を描くというのは初めてのことだ。先日藤垈、原、寺尾と桜の季節に回って、一度描いて見ようと思うようになった。自分が広がる空間を描きたくなるのは、子供の頃甲府盆地の広がりを眺めて育った影響なのではないかと考えた。以前友人が、全く何もない駐車場とか、グラウンドとかの平らなところが描きたくなるという話をしていた。それと同じで、何か盆地のような囲まれた空間があって、盆地という鏡に空が映っているような感覚が、何か自分の眼の底に焼き付いているのではないかと気付くところがあった。甲府盆地はその昔は湖だったという話をいつも聞かされていた。湖という言葉と盆地の底に広がる畑の連なり。この連想がいつの間にか甲府盆地が幻覚のように水面に映っている情景として刷り込まれた。当時坊が嶺からの景観が山梨県の景勝地10選に選ばれた。しかし、その坊が嶺からの眺めよりも、向昌院からの眺めの方がずっと良いと思っていた。

 

原で絵を描き始めたところこのあたりまではすぐ進む。

向昌院の梅の木の下から見れば坊が嶺がすでに眼下に広がる景色の一部だった。しかも左右に額縁のように、山が突き出していて、切り取られた風景として実に見やすいものに出来上がっていた。おばあさんは大きな梅の木の下からいつも眺めていた。何を眺めていたのかはわからないが、村の方を眺めて佇んでいるようだった。何を見ているのと聞いたものだ。しかし、答えてくれたことはなかった。そして、甲府盆地は昔は湖だったんだ。という話をしてくれる。湖を見ているのかなと思ったものだ。私は藤垈(ふじんた)で生まれたのだが、母は2キロほど北東になる寺尾というところで生まれた。寺尾の乗泉寺という寺である。6歳くらいまでそこで育ち、その後藤垈に移った。寺尾は良かったというのがいつまでも口癖だった。私には寺尾の方が良いという事が分からなかった。聞くと母は空が広いし、明かるいと答えた。6歳までに焼き付いた景色の方が生涯残っていたようだ。

自分が農業をやってみたくなったのは、子供の頃の暮らしである。除草剤などない時代で、草取りがつらかった思いでは人並みにある。しかし、坊が嶺に開墾に行った思い出など忘れられない愉快なものだ。今回坊が嶺にも行ってみた。あの頃麦やカボチャや桑。そしてサツマイモ。サツマの苗を植えて水やりに行った。根付くまでは水をやらねばと雨が降るのが待ち遠しかった。その時、サツマを植えたのに農業を知らないで枯らしてしまい、餓死した相模原の開墾地の兄弟の話を聞いた。その餓死したときから10年は経っていない。せめて草をかけてやらなければとおじさんが苗に草をかけてあげたのだそうだ。だけれども結局は枯らしてしまい。食べるものが無くなり栄養失調になった。そういう子供は同級生の弟にもいた。そう、とても苦しかったが一生懸命に生きた。生きることにじかに触れていた毎日。それが絵をあきらめて、もう一度再スタートの時に考えた自給自足の暮らしだった。

絵は確かに甲府盆地の幻覚の湖に写る空なのかもしれない。母があれほど懐かしがった寺尾を描いて見た。確かに美しい村だ。2つの谷に挟まれた、甲府盆地に突き出した半島のような土地だ。いたるところに菖蒲が咲いていた。ブドウなどの果樹が中心の農業のようだ。野菜も皆さん作られていた。近くにある道の駅に出荷しているのではなかろうか。母の生まれた乗泉寺にも菖蒲が咲いていた。今は無住のようにみえた。お寺さんもこれからどんどん減ってゆくことだろう。懐かしく寂しいことだったが、私がどうしてこういう場所が描きたくなるのかは、わかった気がした。自分が描きたくなる気持ちに従い、生まれた場所にたどり着いたようだ。自給の暮らしをしたくなったのも、生まれた土地での暮らしを思い出したからだ。そのことがこの先どう言う事になるのか、突き詰めてみたい。

 

 

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日本の自然宗教 4

2017-05-17 05:17:35 | 

明治政府が日本人の精神世界を大きく変貌させた。廃仏毀釈と靖国神社である。まさに、イスラム国やタリバンの仕業と同じことを明治政府は行った。寺院を破壊し、仏像を燃やした地域まである。大量の僧侶が還俗させられた。神道を天皇を中心の国家宗教にしようとした為である。この問題は深刻なことで、安倍氏が突然語った美しい日本にまで影響している。安倍氏一派が靖国神社にこだわる姿は、明治政府の末裔のつもりだから。靖国神社というように神社の名前がついてはいるが、他の神社とは全く違うものと考えなくてはならない。日本人の自然宗教的なご先祖信仰を、国家が利用しようとしたものである。それぞれの家に於いて、ご先祖は神様になり、山に帰り自分たちを見守ってくれているという意識があった。それは稲作にを継続する暮らしでは、具体的な感謝であり、また自然の力への畏敬の念と自然災害から神の力で守られたいという気持ちである。

日本人の自然宗教を日本帝国主義成立の為に、利用しようとしたのが靖国神社である。近隣諸国が靖国神社を忌み嫌う理由はここにある。靖国神社では死んだ軍人が、神様になり日本を守ってくれるという意識を形成しようとした。村の鎮守の神様への信仰心は日本人の自然宗教と繋がる、原始に繋がるものだ。この意識を軍国主義に置き換えようとしたものが靖国神社である。ご先祖に見守られて生きる日々の安心感や生きる目的。この信条を国家というものに置き換えようというのが、靖国神社である。徳川家康が檀家制度を作り、仏教を葬式仏教に変え、すべての国民をお寺の下に置こうとしたことに繋がる。家康の奥深さは檀家制度を作りながら、村野神社に関しては否定をしない。ところが明治政府は靖国神社を作る一方で廃仏毀釈を敢行し、仏教と檀家制度を破壊しようとする。

しかし、死者という恐ろしいものを始末してくれて、預かってくれる有難いお寺さんから、日本人の心は離れることはなかった。これは現代の溢れてゆく墓地の存在を見ればわかる。墓地の管理人であるお寺の存在のいい加減さ。公営墓地の方が安くていいと言う程度の立場に今やお寺はある。土地に根差して生きていた、3000年の日本人の暮らしが、影響を与え作り出したものが日本の自然宗教である。中国から渡来した仏教は、奈良時代にも律令制度を支えるものとして、神社も国家宗教として、日本統治の制度に取り入れられる。しかし、その時代においては神社も仏教も死者との関係は薄い。死者を宗教的に弔うという事よりも、土俗的に死者を弔う事が日本人の心には納まりが良かった。沖縄の墳墓がチャンプル文化をよく表している。死者の弔い方には古い時代の薦骨の風俗を残す集まりのできる墳墓である。その沖縄式の墳墓の屋根の上に本土的なお墓の形を載せている。

読み進めているのだが、なかなかこの本の主題は、私には見えてこない。政府をお上と感じ、お上はそうひどいことはしないだろうという、論理を超えた従属意識の根源を探るという事だろうか。自然宗教というものは、絶対的な自然の力の前に生かされているという人類が共通に持つ、自然畏敬の念である。この人類共通の原初的な宗教間の影響というより、仏教的な思想を感じた。読みながら、金沢大学時代の出雲路暢良先生のことを思い出した。極めて論理的な思考であって、明解なようでありながら、結論に至らないのは生きるという事がそういう探求という事なのであろうか。出雲路先生の部屋で週一回集まりがあり、出席させてもらっていた。出席者が順番にその週にあったことを話すのだが、誰かの話から、先生は飛躍して自分の宗教観に入り込んでゆく。あの感じを思い出した。多分、著者阿満氏はどこかへ深い穴に入り込んでいる。その穴ぼこの深さが恐ろしい気がした。

 

 

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