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平和のための努力

2018-01-31 04:08:57 | Peace Cafe

平和的努力など現実的ではないという意見がむしろ世界での一般的意見であろう。だから、世界は武力競争に向う。そして日に日に世界終わりが近づいている。平和的努力を具体的に示してみろと書かれている。平和的努力の根本は、自分が平和的に生きることだと考えている。それが出来ないで、国と国の平和などあり得ないことだろう。だからどんな生き方が平和的な暮らしであるのかを実践しようとしてきたし、このブログでも書いてきた。平和的な暮らしの具体的な事例を示すのが私に示せることに過ぎない。武力で先制攻撃するような効果と、同列な効果を平和的努力に考えている人が多いいのだろう。援助をしたから平和的努力をしたなどと発想してしまう。それも一つであるが、心のこもらない支援など、むしろ逆効果であることは韓国の従軍慰安婦問題を考えれば一目瞭然である。平和は日本人全員が心より申し訳なかったという気持ちになれるかどうかにかかっている。

世界のに向けて、アメリカの価値による正義の主張がされてきたのが、トランプ以前のアメリカである。アメリカ自身も様々な矛盾を抱えながら、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、世界中の悲惨な戦争に首を突っ込んできた。それはそれでアメリカの正義が背景にあったのだ。世界の諸問題に対して、自由とか、民主主義とか、資本主義とか、世界共通の価値観を主張してきたつもりだったのだろう。そして、アメリカ自身もその反映を受けつづけた。その結果、難民移民の増大、国内の矛盾が増大して、豊かな国であるにもかかわらず、幸せから遠いい国にしか感じられなくなったのだろう。そして、アメリカファーストである。悪いのは後からやってきた人たちだという主張である。世界に向けた正義の跳ね返りとして受け入れざる得なかった様々な問題が押し寄せ、その豊かさを平等に享受しようとしている。こんなことは許せないという思いの爆発が起きた。正しい競争を踏まえていないという思いだろう。抑えられ調整されていた競争の正義が弱者排除に直接的に向う。

この流れはアメリカだけでなく、世界の潮流にもなり始めている。自分たちだけが良ければよいという事になり始めている。中国をはじめとする、新興諸国が欧米先進国を脅かし始めた。その中で、資本主義的競争で危うくなくなってきたのが日本である。一番でなければならないはずが、どの分野でも明確に一番にはなれなくなっている。自然エネルギーへの転換ではその挫折が明確になった。軍事力でもアメリカがいなくなれば、日本は中国の比ではない。アメリカの後ろ盾に縋りついているのが、日本の防衛計画である。武力主義はまさに競争主義の結末である。強ければ弱いものを言いなりにさせて構わないという世界。アメリカがアメリカファーストを選択するはずである。北朝鮮の核ミサイルがアメリカに届くとなって、もう日本どころではない。沖縄でどれだけ米軍ヘリコプター事故が起きても、日本政府の要請など全く耳に入らない状況である。アメリカファーストで必死な状況である。こうなってみれば、日本という国はアメリカの防波堤としての場所に過ぎない。沖縄が、日本本土の防波堤であるというアベ政権と同様の意識であろう。

日本国が本当の意味での独自の、防衛計画を持たなかった結果である。アメリカの武力の陰で、口先の平和外交を掲げてきたに過ぎない。本質的にはアメリカという世界最大の軍事力を自分の軍事力としたうえで、平和外交を一応は行ってきたのが日本である。日本が弱小国である間はそれでも通用したのであろうが、それなりの経済力を形成した現状では、アメリカの狐にしか見えない。これでは本質的な意味での平和外交など不可能なのだ。だから今までの平和的努力が実を結ぶことは少なかった。尖閣諸島問題を平和的に解決するためには、尖閣諸島を日中の課題であることを日本政府が認めるところからはじまる。それが平和的努力の具体的な外交の姿だ。その上で、中国との平和的な関係を模索すること。アメリカがいなくなれば、日本は中国と仲良くするしかないのだ。尖閣諸島問題解決の為に、国際裁判所の判断を仰ぐのも両国で合意できるように努力する。島の領有権など、きちっと解決できるのであれば、小さなことだ。領土問題など平和主義国家に何時までも残っていて良いはずもない。

 

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防衛大綱の変更

2018-01-30 04:48:52 | Peace Cafe

防衛大綱というもので日本の防衛計画が決まっている。防衛大綱を読んでみると、日常生活の感覚が吹っ飛ぶような危機意識に満ちたものだ。この中期防衛大綱を、さらに危機感に満ちたものに今年変えるらしい。中期の防衛大綱があるなら、長期防衛大綱において、日本が武力を持たない国になっているという事には到底ならない。憲法に反して敵国攻撃能力を高めるというものになるのだろう。憲法では専守防衛と決められている。国際紛争の解決には武力を用いないと決められている。アベ政権も口先ではそのように述べている。にもかかわらず、アベ政権は日本の対する攻撃の恐れを把握したときには、敵基地を攻撃することは専守防衛の憲法を逸脱するものではないと解釈を広げている。そして、射程の900キロもあるミサイルの装備を検討する。そして空母を保有するという事も想定する。戦闘機も長距離ミサイルを装備できるものにしようという事らしい。具体的な武力の変更についてはまだ決まってはいないようだが、なし崩し的に大きな方向は、中国、北朝鮮を攻撃できる武力を持つという事になる。日米軍事同盟の変更に基づくものなのだろう。

アベ政権は実行の一年にすると新年の抱負で語っているから、まさに日本の安全保障体制を大きく変更する一年になるという事だ。米軍は臨戦態勢の訓練に入り、沖縄では事故を繰り返している。これも国民の選択であるとするなら、受け入れるしかないのだろうが、防衛大綱に関してきちっとした議論を聞いたことがない。わざわざ近隣諸国との対立を深め、憲法解釈を拡大出来る状況を作るのがアベ政権の手法だ。議論より、国民の不安感を醸成して、防衛大綱をずるずると変えている。誰が日本国憲法を読んで、近隣諸国への武力攻撃まで可能と読めるであろうか。近隣諸国が日本を攻撃する意図があるとするなら、北朝鮮が日本への攻撃の可能性があるとするのであれば、どれだけ平和的手段によってその問題を解決しようとするかである。現在行っているのは経済封鎖である。いわばみんなでシカトしようという事だ。こんなことだけで解決できるわけがない。それがどれほど難しいものであるとしても、国民に見えるように、糸口を見つける平和外交を行ってもらいたい。河野外相の役割であろう。

平和外交など、さんざんやったし、無駄なことだったというのが、保守主義者の主張のようだ。平和外交は永遠のものである。終わりなどある訳もない。可能性のあるあらゆる角度からの平和へのアプローチが必要だ。例えば、韓国は不可逆的約束と政府間で取り決めたものを覆した。確かに誰だって腹は立つ。お隣の国との約束が成立できないのだ。未来志向と言いながら、過去の清算の為に約束したことでも、正義が存在するかのように破ることになる。これでは交渉など不可能に見える。それでも平和の為に、交渉を続ける必要がある。耐えて、耐えて、粘り強く付き合うしか平和外交などない。日本がとことんこの平和主義の姿勢を貫くことで、世界には理解者が現れるはずである。その当たり前を当たり前に受け止めてくれる人たちに、期待することだ。日本が韓国の不当行為に、剥きになって反応してしまう事は、何ら良きことにはならない。こらえて、耐えて、仲良くなる道を探るしかない。

韓国にも人間が暮らしている。中国にも人間が暮らしている。北朝鮮だって同じだ。人間というものでかかわれば、仲良くなることができる。国家という事になった途端に、核ミサイルだという事になる。日本が武力を強めることは、当然近隣諸国も武力を強める。中国、北朝鮮、ロシアが核武装しているとなれば、日本はアメリカの言いなりにならざる得ないのか。そんなことはない。アメリカは自国主義に変わろうとしている。民主主義、自由主義、は本来自由民主党の建前だったことがあった。こうした世界基準の正義が失われつつつある。日本国憲法だけが、世界に強まる武力主義の歯止めではないか。日本へ攻撃すれば自分が損であるというような関係を作る必要がある。中国の利益に、北朝鮮の利益になるような国。競争をして追い落とすのではなく、協調して共に利益を生み出せるような関係を模索することが日本の防衛計画ではないか。

 

 

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2018年味噌づくり

2018-01-29 04:14:24 | 自給

 

朝5時味噌の釜に火をつける。

2018年の味噌づくりはを1月28日に行った。滞りなく無事終わった。3時には片付けも終わりみんな帰った。楽しい時間は必ず終わる。祭りの後の寂しさが広がる。生きていてこういう良い時間が持てるという幸せは、幸運としか言いようがない。誰一人意図したわけでもなく、誰かが、神様のようなものが与えてくれたもののように思える。みんなの思いの集合という事なのだろう。みんなが周りの人の為にという思いをここに寄せて、集める。それが素晴らしい時間を演出する。この味噌づくりの一日は最高の演劇のようなものだ。しかもこの演劇は、一人一人の物である。誰もが主役であり、誰もが観客でもある。やれる人がやるという心に満たされていた。しかも今年は、多くの若い人たちが初めて参加した。必ず、この農の会の心は引き継がれてゆくことになる。そいう事が確信できる一日でもあった。小さな子供たちだけでも、8人いた。これが、お金では買えない幸せであり。こういう世界を目指すという事である。競争主義者には理解できない世界だろう。

前日の準備が終わったところ。

今年は前日の準備も大勢が来て行った。巨釜を移す作業が大変だったのが嘘のようだ。若い人が沢山いてくれたので難なく運ぶことができた。麹の仕込みは1週間前の1月21日だった。この日も寒い日だった。小田原に越して来てこれほどの寒い冬は初めてのことだった。平成に入り一番の寒さが続いている。麹の仕込みもまず凍ってしまった、水道をお湯を沸かして溶かすところからだ。井戸から直接の水は出るので、そこから水を汲んできて沸かした。味噌づくりの日も水道管は十分に保温しておいたが凍り付いていた。朝5時しんしんと凍り付い空気が、最高潮である。実は昨晩からあまり眠れなかった。こういうことはめったにないのだが、まるで遠足の前日の小学生。それでついつい、朝一番に火を付けに行くことになった。なんと水を張り、大豆を浸してあった巨釜のなかに氷が張っていた。こういうことは初めてのことだ。こんなことは、その結果、どうも大豆の浸しが不足した感じがした。来年は寒さが予測されたら、一度火を入れて少し浸し水を温めて置きたい。

大豆は5時から6時間半煮て、11時過ぎに配り始めた。それから、足で踏んで潰す。この足でみんなで踏んで潰すところが良いと思っている。機械小屋には大型のミンチの機械があるのだから、それでやればすぐ終わるのだが。あれこれ話しながら、味噌を仕込むのに1時間。一時間かかる。少し疲れるくらいの作業になる。たぶん機械を使っても一時間だろう。それぞれが踏んでも1時間。同じ時間なら、手作業の方が良いに決まっている。機械の方が良いと思う人は、こんな味噌づくりには参加しないだろう。私はいつも雑に踏んで終わりにしてしまう。粒がある味噌が好きなのだ。たぶん子供のころのお寺の味噌汁が、豆だらけだったからだ。豆が出てくると嬉しくなったものだ。自分の好きな潰し方にするなどという事は、機械ではできない。

今年は、料理の会の諏訪間さんが味噌汁作りで参加してくれた。過去最高の味噌汁になった。みんなの持ち寄りの野菜を太田さんが切ってきてくれた。野菜の甘さが際立っていて、驚くべき美味しさの調和になった。かつお節を一品持ち寄りで持ってきてくれた人がいるという偶然。一品持ち寄りは食べきれないほどの量だった。私は納豆麹を持って行った。それなりの味だったのではなかろうか。美味しいと言ってくれる人もいた。今年は全体では40人くらいになったのではなかろうか。小宮さんのブルーベリーガーデンでやっていたころのようだった。久しぶりの人もいた。初めての人も3分の1以上ではなかったか。これでうまく回るというところが農の会。今度は大豆を作る所にも多くの人に参加してもらいたい。

 

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大河ドラマは西郷隆盛なのか。

2018-01-28 04:12:17 | 身辺雑記

NHKの大河ドラマでは西郷隆盛の放映がはじまった。大河ドラマを見ていないので余計なことだが。日本人が明治維新というものに、思い入れが強いという事がわかる。政党名にすら維新が使われる。これは明治政府の革命教育によるものだ。打倒した徳川政権が腐った政権であったかを強調して、革命政権の正当性を主張した明治政府。靖国神社の宮司は徳川家の人だそうで、西郷隆盛の合祀をしたというので、批判されているという。なんとも靖国神社の得体の知れなさがわかる。列強の圧力、文明開化、脱亜入欧、その時代をアジアの鎖国を破られた国が波にもまれながら、生き抜こうとした。そして、列強に飲み込まれないように、富国強兵にひたすら進んだ。その道の果ては、第2次世界大戦までの道のりでもあった。大きくかじ取りを誤ったのである。その間違いを起こした最大の原因は明治政府の大日本帝国建設にあったと私は考えている。ところが、その第2次世界大戦での敗北の原因を明治帝国主義にあるという当たり前の事実を、明治政府に洗脳された日本人には理解できないのではなかろうか。

もし西郷隆盛を大河ドラマとしてやるなら、明治維新の中心人物となり、何故政府を去り、政府に戦いを挑み敗北して死んだのか。革命の理想と、帝国主義の現実を社会科学的視点から見つめてもらいたいものだ。人情的なもので終わりにしてもらいたくない。武力主義というものを人間は乗り越えなければならない。ジャイアント馬場氏の方が、私より強いからといって、その腕力で私を威圧してはならない。私が幼稚園の子供より強いからといって、腕力で従わせてはならない。それは人間の目指すところの倫理だ。国においても、全く同じであって、どれほど小さな国であっても、その尊厳は大国と少しも変わらないものだ。大国が武力によって小国を威圧するようなことはあってはならない。大河ドラマというものは武将の話になりがちである。権力者の闘争ばかりをドラマ化しているのは、人間を力の争いに導くことになりやしないか。子供のゲームも戦いばかりである。人間というものが、力の争いを好むのは分かる。そうであるからこそ、人間の競争心を克服することが人間の歩むべき道ではなかろうか。テレビドラマとは言え、日本の未来のことも少し考えてもらいたいものだ。

人間の歴史の本筋はひたすら生きてきた百姓の中にある。江戸時代においても大半は百姓をはじめとする様々な庶民なのだ。日常がありそこに天災のように明治維新がある。解放と叫んだ明治維新が、実は軍国主義の新たな奴隷である。日清戦争がある。日露戦争がある。太平洋戦争がある。その背後で、根底で、食糧を作り続けたのは百姓である。百姓の視線で時代を見直すべきだ。それが柳田民俗学である。柳田民俗学は戦争協力の歴史観だと、金沢大学の教養学部の歴史の教授から言われたので、余りの教授の偏向に驚いたことがある。私はそのころ、江戸時代の日本の寺院における寺子屋教育について勉強していた。何故、庶民が教育というものに熱心であったのか。寺子屋は江戸のような都市だけではなく、実に辺鄙な地方にまで及んでいた。山梨の山村の向昌院ですら寺小屋が行われていた。江戸時代の日本人の識字率の高さは世界でも屈指なものであった。この教育の浸透というものが、日本が欧米の帝国主義に、また政府の推進した帝国主義に一方的には飲み込まれなかった原因だと考えるべきだ。

国というまとまりも、それ形成する一人一人の人間としての能力ではなかろうか。日本人の米作りの能力は、米作りを行ったどの民族よりも生産性を上げるところにまでに至った。その米作りが家族を作り、一族を作り、というものを形成した。その長い歴史の中で、人間は学ぶことが必要だと知ったのだと思う。田植えを上手く行う為には体力だけではない。知恵の積み重ねが大切である。それを記録し、実証を繰り返して技術になる。その総合力を培う事の価値を知っていたのだ。大河ドラマに目くじらを立てる必要はないが、西郷隆盛を考えるとすれば、彼の人間力と言われる背景には学問があるという言ことだ。それは、坂本竜馬にしても同じである。二人の書を見ると良く分かる。実にきれいな字を書く。よほど字を書くことに慣れている。学問の大切さを暗示している。剣術が強いという事からだけ見ても人間は見えない。日本の百姓が創意工夫する力を持っていたという事は、江戸時代も、明治時代も受け継がれていた。明治時代の政治が正しい選択を出来たとしたら、富国強農に進むべきであった。高い教育のある豊かな農のある国づくりを行えば、小さな国であっても、滅ぼされることなく存在できたはずだ。国を守るのは武力ではなく人である。これは武田信玄の言葉だったか。

 

 

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安倍さんどうかしちゃったの。

2018-01-27 04:45:00 | Peace Cafe

今回の安倍さんの国会答弁は、実に覇気がない。どこか悪いのだろうか。新しく作ることが出来なくて、前回の答弁を使っているようだ。ゴーストライターが交代し手能力低下という事だろうか。国会答弁などだいたいにつまらないものだが、大切なものだから我慢して聞くようにしている。大相撲と重なってがっかりする人も多いいだろうが、大相撲より自分にかかわることを話している。知らないうちに、独裁政権が出来ているというような、麻生方式にならないためにも、一応は聞いておく必要がある。しかし、今回の国会答弁は全く新鮮味がない。もしかしたらアベ政権末期という事なのだろうか。そうならよいが、つまらなくしていつの間にかを狙っている疑いはある。野党は盛り上げようと、森友、家計問題を取り上げたりしているが、さすがにこれでは視聴率はもう取れない。時間稼ぎの安倍側が有利になっている。大相撲では新たな暴力事件が登場している。注目を集めるためには、新たなアベネタが必要だ。

安倍さんはどうも体調不良である。風邪気味と言われているようだが、声に力がない。顔色も悪い。また以前の病気がぶり返しているのではなかろうか。こんな状態で平昌オリンピックに出かけて大丈夫であろうか。相次ぐ米軍ヘリコプターの不時着に関し、「地元の懸念を軽視する」と言い間違えた。つい実際やっている現実が言ってしまった。これを従軍慰安婦問題を軽視するなどと言い間違えたら外交問題になる。プライマリーバランス「改ざんさせている」とも間違った。ここでも官僚への支持の本当のところが出た。肝心の憲法改正ではあれほど議論を活発化させる必要があると言いながら、自分が議論の出鼻をくじこうとしている。国会でやることだを強調するだけ。総理大臣が口にできないというのはあるとしても、安倍氏の野望であることは分かっているのだから、正直に議論を始めるべきだろう。専守防衛と言いながら、攻撃可能な武器を準備しようとしている。核兵器だって防衛の為だという事になりかねない。これでは北朝鮮と同じ穴の狢だ。

安倍氏の立場には矛盾がある。総理大臣としては憲法に従わなければならない。ところが現行憲法を評価せず、自民党憲法を良しとしている。この明確に存在する矛盾がこの煮え切らない態度になっている。本来革命を目指しているのかというほどの自民党憲法である。これを改正の範囲で小出しに主張することがおかしいのだ。だから改正で小出しにしていたとしても、いつまでも現行憲法に関して矛盾が残るはずだ。自民党の本音は右翼革命をしたいという事であろう。それなら、その本筋を明確にすべきだ。選挙で勝利するために、曖昧にごまかしている態度が煮え切らない国会答弁になる。自民党議員は本当に自民党憲法草案を支持しているのだろうか。あれに疑問がないのだとしたら、極めて保守的で先祖返りの人たちばかりという事になる。公明党もそれでいいというのだろうか。

結局は経済至上主義である。これが優先されて、憲法問題もこの渦に巻き込まれている。アメリカファーストがトランプアメリカであるように、日本ファーストがアベ政権という事になる。アベ政権の困る所は、トランプ氏のような正直さがないところだ。憲法ですら拡大解釈で誤魔化してしまおうとしている。。国民の心配は野党政権になれば、今以上に悪くなる不安だ。経済はアベノミクスで良い訳ではない。日本経済の問題といっても経済は世界経済に従っている。日本が競争力を維持するために、国内の格差を広げているところが問題なのだ。政治がその修正を怠っている。総理大臣が企業に3%の賃上げを要求しても、それが可能な企業と、可能ではない庶民の世界がある。可能でない部分をどうしてゆくのかが政治の役割である。企業が良くなれば引き連れてその周りもよくなるという事はすでに幻想である。日に日に格差が広がる現実がある。

  

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明治大学黒川農場

2018-01-26 04:40:57 | 自給

明治大学黒川農場を見学させていただいた。ここでは有機農業による市民講座が開かれている。小田原有機の里づくり協議会の15名で出かけた。佐倉教授に小田原で始める有機農業による市民講座へご指導を頂くためだ。3時間も貴重なご意見を頂くことができた。有難いことだった。小田原で始める講座の再検討が必要だ。いくつかの大きなヒントを頂くことができた。明治大学で10年間継続してきた有機農業による市民講座の大きな成果に、目が覚める思いであった。予想はしていたことだが、実際に10年間有機農場を継続していることのすごさ。私もお米では25年継続して誰にでもできるさして難しいものではないと感じている。但し野菜によっては安定して作るという事が極めて難しいという事を感じてきた。それも自分が食べるものであればまだよいのだが、明治大学という組織の講座として、有機農業による作物の作り方を市民に納得してもらえる基準で継続するというのは、大変なことではなかろうか。NHKで野菜作りとして放映しているそうだ。そのことは知らなかった。

小田原で行う場合のいくつかの課題が見えてきた。1、苗作りをどうするか。2、肥料をどうするか。3、一人当たりの耕作面積をどうするか。4、一回の講座を4月から3月までにするのか。一年半にするのか。明治大学では、4月から12月だそうだ。

1、「苗作り」明治大学では苗は基本的に購入することにしている。市民がそれぞれの場所で取り組もうとしたときに、市販の苗を購入する可能性が高いという事のようだ。市販の苗を利用してもできるものにしたという考えだそうだ。ただ、そうなると種から育てるというその作物の全体が見えないことになる。タマネギの苗作りで感じたことだが苗を作るという事に、有機農業技術のかなりの部分がある。ここには壁はあるとしても農の会としては、挑戦しなければならない事の様な気がしてきた。そして、失敗して購入したこともある。失敗するという事も、学習という事ではないだろうか。どうなっているだろうという不安も、大切なような気がする。そのことがあってより真剣に作物と向き合うのかもしれない。

2、肥料としてはサカタのタネの金の有機、銀の有機というものを購入するそうだ。窒素成分に換算して、平均的な慣行農法に比べて半分ぐらいになるそうだ。畑の会では畑にそばかすを入れることで何とか耕作してきた。たぶん窒素成分で換算したら、明治大学のさらに半分にも満たないかもしれない。肥料をどのように考えたらよいかである。肥料を増やすと虫が出る。この点では有機の里づくり協議会の中でも意見が分かれるところだろう。農の会は出来る限り自給できるものでやっている。ソバカス、そば糠が私は中心である。肥料を購入する所から始めるのはあまり好きではないが。できれば、市内で出る様々な有機物をたい肥化する活動など有意義ではないだろうか。生ごみたい肥化事業との連携。

3、自給農業では1家族で100㎡は必要と考えている。そのくらいは一人の面積がやれればと考えていたが、明治大学では1人13㎡だそうだ。4月から12月までで、17回の講座日でこの面積。つまり各々がこなせる面積は案外狭いのか。現在の計画から面積を減らす必要がありそうだが、何処まで減らせばよいのかである。畑の会の作業との兼ね合いも考えなければならない。

4、作物の流れで一通りの作物を経験するためには、1年半の周期で考えていた。短くして良いものかどうか検討が必要になる。補助金との兼ね合いで考えれば、4月初めの3月という形になるのか。そこに入らない、ジャガイモやタマネギは別に考えることになるか。明治大学のものはあくまで導入部分という事であるが、有機の里づくり協議会としては、新規就農の窓口部分の意味が大きくなるのではないだろうか。小麦、大豆、長ネギ、タマネギ、ジャガイモ、こうした常備保存作物をやってみないで良いのかどうか。またやるとしたら別のやり方があるのだろう。そういうものは別の畑で共同で行うという方法である。私としてはむしろ、果菜類の様な日常作業の多いいものは避けるという考えであったのだが。検討材料である。

 

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家族主義の課題

2018-01-25 04:22:05 | 暮らし

日本では家族というものが大切にされている。法律においても家族主義といいう事が言われる。例えば子供が裕福であれば、生活保護を受けている親の面倒をみなければ社会から糾弾される。親には子供の扶養義務があり、50歳になった問題ある子供についても老いた親が何とか面倒をみなければならないようなことになる。家族の情というか、当然と言える感情はある。しかし、最近とみに増えている家族間の犯罪事件を見ると、家族というものの現状は、相当に変化してきていて、切羽詰まってきているとみなければならない。社会の矛盾が家族に集約されている。日本の伝統の一つである家族主義の美風という事で片づけられない現状である。そこで、自民党憲法草案ではこの家族主義を憲法にも書き入れ、家族相互の助け合いを法的に明確にしようとしている。ますます家族間の犯罪が増えかねない考え方だ。家族というものの現状の深刻さからすれば、家族をその様に追い込んでいる社会の仕組みの方に、目を向けるべき所だろう。

問題のない家族等少ないと考えた方がいい。社会は能力主義である。良い学校に入り、良い就職をする。その為に必死に競争に明け暮れる。子供に対してその競争に頑張るようにさせるのが親の役割になる。競争で頑張ることで、人間が高まるとされている。それがまた資本主義社会では、必要とされる競争であり、競争に勝つ人材という事になる。その競争が人間社会を発展させ、よくしていくというのが、資本主義の考え方である。そして、そこには競争に向かない人間がいる。競争に敗れるものがいる。競争社会は競争に敗れた人間をどう考えるのかである。現状では社会のお荷物扱いである。建前はそうではないが、実際には生活保護費は無駄な出費のように思われている。その無駄な出費を抑えるために、家族主義を打ち出してきている。何故お金があるのに、親の面倒を見ないのだという非難がされる。この矛盾の渦の中に日本の家族が巻き込まている。この苦しみが家族内犯罪の増加を産んでいる場合も多いいのではないだろうか。

ある友人から小田原では「舐めんなよ」制服を福祉職員が来ていたんだって、と言われてしまった。そんな制服を着ていて、みんな何とも思わなかったのか、と笑われた訳だ。あえて言い訳をすれば、読めない英語が書かれていた。チーム〇〇と言うように勝手に思いこんでしまっていた。その意味に気づかなかったのだ。気付かなかった罪は分かっているが、問題の中身は何にも見えていないのだという事を思う。問題が違うように見えるが、「家族とは何か。」このことを探らない限り、これから起きてくる、深刻な福祉の問題の解決はできないのではなかろうか。江戸時代は福祉は家族の問題であった。家族で解決すべきとされていた。家族で出来ないのであれば、一族で解決する。一族でもできないのであれば、で。家族主義、地域主義である。然し解決できないことの方が大半であるから、諦めて受け入れるしかなかった。いまだって解決できない事ばかりである。それを解決できると考えているから、またぞろ家族主義などが登場する。

人間が生きるという事はどうしようもないことばかりだ。精一杯やって、どうしようもないと諦めることが人生のようなものだ。競争社会では一番にならなければならないとすれば、大半の人間が無用の長物ということになる。資本主義がさらに先鋭化すれば、必要な人間の数はどんどん減ってゆく。単純労働はロボットに代行さる。 社会が必要とする人間という考え方が間違っている。人間がよりよく生きるためにあるのが社会だ。頑張る競争は人間に必要だとは思う。然しその競争は相手は自分自身だ。最善の自分に向い頑張る。そして自分というものを知り、自分というものを全うする。他人を凌駕するために頑張るなど、まだまだ本当の競争ではない。このところがおかしくなっているから、家族がおかしくなると考えてよい。親が子供をいじめ殺してしまうなど異常な社会である。あってはならない歪んだ犯罪だ。競争に疲労し親がおかしくなっている姿が浮かび上がる。「ダメでもいいいじゃん。」こう心の中でつぶやいて、ため息をつく。

 

 

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パチンコ賭博大国日本

2018-01-24 04:41:37 | Peace Cafe

久野の住宅地にあるパチンコ屋の駐車場は朝からいっぱいである。何故、パチンコ屋を町から排除できないのだろうか。ギャンブル場が至る所にある国など、世界中で日本だけだ。恥ずかしいことだという自覚が日本社会にないことに驚きだし、がっかりする。アベ総理大臣の責任と合わせて、日本の恥だと感じている。せめて、パチンコ屋設置基準を決めて、一定の地域以外には開設出来ないようにすべきだ。時に、お金をかける行為の違法性を、厳密に取り締まらなければならない。これを読んで腹をたてる人も居るにちがいない。パチンコ位何が悪いのだと思うだろう。賭博は社会の裏側にある方がいい。その辺の倫理だ。こうしたことが野放しにされている政治を恥だと思うのだ。加えてアベ氏はカジノ法案を進めて、カジノで一儲けしようという腹積もりである。経済だけが価値基準だという姿は、国家がすでにギャンブル依存症的傾向なのだろう。負け始めると、次の勝負で勝つから大丈夫だという、理由のない賭けに出てしまう。ニホン家は450万円の年収で920万円近く使ってしまう状態という話。但し、貸し付けも金融資産も結構あるので、即危うい訳ではないとのこと。

叔父にあたる人がパチンコ依存で親戚中がかなり苦労した。サラ金が簡単にお金を貸してしまうのだ。そして、何度も行き詰まった。ギャンブル以外のことでは悪い人ではない。普通に暮らしていた。最後には子供の仕事までかかわってしまった。それでもやめられなかった。そんなことがあったので、ギャンブル依存症には人一倍気になるところだ。ギャンブルをしても、依存症にはならない人も居る。私はギャンブルをすれば、必ず依存症になる人間である。今までもゲーム依存症にはなった。将棋である。将棋の場合はそれほど悪いことではないように言われているから、子供の頃からついついはまった。小学校の担任の江藤先生ともやったことがある。いまや伝統文化と言われていて文部省も評価している。そんなはずはないと思う。将棋をやらないでいられなかった。お金をかけるというようなことはしなかったが、完全にのめり込んだ。もう一つは、ピンボールゲームだ。フランスにいたころに、これにもはまった。やらないと落ち着かなくなった。まったく時間つぶしでぞっとしてしまう。止めた方が良いことは分かっていたが、将棋も、ピンボールもやめられなかった。

そういう性格だから、ギャンブルに関しては決して始めないと決めてきた。ほどほどに自己制御が出来ない人間という自覚。これははまっているほどではないが。タブレットで囲碁や将棋ゲームは時々やっている。しかし、依存にはならない。相手が人でないから、それほど勝負への執着心がわかないのかもしれないが、たぶん歳をとると依存症にはなりにくくなるのだろう。熱中していたころは、すべてのものが将棋盤に見えたものだ。街のパチンコ屋の姿が日本人社会の空気を反映している。パチンコ屋位何が悪いのかという人が多いいと思う。確かにそれほど悪いことではない。しかし、これが違法賭博であるという事には間違いがない。一日で何十万損してしてしまう人がいるという。違法賭博が街の至る所に存在して、朝から人が溢れんばかりに並んでいる社会。これは冷静な目で見れば異様なものだ。それほどのことには感じないようになっているところが日本社会の問題点である。

政府が公営賭博や宝くじに熱心という事が社会の空気に反映しているのだろう。財政破綻を賭博で切り抜けているというのでは、市町村が公営ギャンブル依存症だ。日本の行政がすでにギャンブル依存症という事だ。ギャンブルを禁止しろというのではない。公営賭博は止めること。やれる場所を限定すべき、この2つだけでいい。それほど難しいことではない。一定の地域のみ許可されるものにしてすればいいだけのことだ。一定の要件の備わった健全な組織に運営を許可する。風俗営業が住宅地、文教地区で出来ないのに、なぜ公営賭博の地域指定がされていないのだろう。風俗営業をやる市町村はないが、なぜ公営賭博があるのだろう。小田原でも加藤市長は昔は競輪場を止めると言っていた。何故か、市長になったら何年たっても、止める気配がない。

 

 

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中島みゆきさんの詩に驚いた。

2018-01-23 04:32:46 | Peace Cafe

中島みゆきさんの詩を読んで、歌を聞いて感動した。難しいことが詩になっている。的確に唄われている。難しいことは言い切ってしまわなければ、伝えられないという事を教えられた。

Nobody is Right』 作詞・作曲:中島みゆき
Nobody is Right Nobody is Right
Nobody is Right Nobody is Right
Nobody is Right Nobody is Right
Nobody is Right Nobody is Right

もしもわたしが全て正しくて とても正しくて周りを見れば
世にある限り全てのものは わたし以外は間違いばかり
もしもあなたが全て正しくて とても正しくて周りを見れば
世にある限り全てのものは あなた以外は間違いばかり

辛いだろうねその一日は 嫌いな人しか出会えない
寒いだろうねその一生は 軽蔑しか抱けない

正しさと正しさとが 相容れないのは一体何故なんだ

Nobody is Right Nobody is Right
Nobody is Right 正しさは
Nobody is Right Nobody is Right
Nobody is Right 道具じゃない


悪い人などいないだなんて あいにくですが頷けません
正しい人こそいないんじゃないか 完璧正しいってどういう人だ
争う人は正しさを説く 正しさゆえの争いを説く
その正しさは気分がいいか 正しさの勝利が気分いいんじゃないのか

辛いだろうねその一日は 嫌いな人しか出会えない
寒いだろうねその一生は 軽蔑しか抱けない

正しさと正しさとが 相容れないのは一体何故なんだ

Nobody is Right Nobody is Right
Nobody is Right 正しさは
Nobody is Right Nobody is Right
Nobody is Right 道具じゃない

 

「正しさと正しさとが 相容れないのは一体何故なんだ」この言葉に打たれた。そもそも正しいなどと発想すること自体を疑わなくてはならない。正しいなどという客観的な正義などどこにもない。すべてが自分の状況と立場によって、正しくもあり、悪でもある。そこに民主主義というものがうまれるのだろう。自分だけが正しいのであれば独裁である。政治は正義を語る。権力は正義を語る。権力を行使されるものに対して正義を掲げ、人を導こうとする。その正義を疑わなくてはならない。権力の正義をうのみにしてはならない。権力は正義のための戦争さえする。正義のための人殺しさえする。それが、絶対的正義に見えるときこそ、疑いの眼で見抜かねばならない。その正義を裏側から考えてみる必要がある。

 

と書きながらも同時に、批判するものへも疑問を投げかける。

「その権力に対する正しい批判も怪しいものだぞ。」という返す言葉が突き刺さる。正しいをかざした批判も、気分がいいだけではないのか。気分紛らわしに批判をしているに過ぎないじゃないか。批判の正義に酔って、気分いいだけじゃないのか。まさに私に向っている言葉だ。少しくじけるところがある。反省しなければならないところがある。権力に対する批判は行わなければならないことだと考えているが。その批判が自己満足で終わっているのではないか。正しいと考えたのであれば、もう一度相手の正しさを考えてみなければならない。そして、その批判も民主主義的に答えを求めなければならない。大切な共通価値基準としている憲法に対してさえもだ。

 

みんなと生きるという事は、なかなか複雑でやっかいなことである。一人で生きるのであれば、自分の正しさだけでいい。正しいことを語るなどという事はそもそあり得ないはずだ。あくまで自分にとって都合の良いことに過ぎない。戦争に反対する者の意志も、戦争を実行する者の意思も、それぞれの思惑と都合に過ぎない。互いの正しさを、どのように折り合わせるか。互いの間違いをどのように折り合わせるか。完璧正しいなっておかしいじゃないの。と互いが思うことからだろう。農業をやってみれば、すべてが妥協である。毎日どう妥協するかである。降るべきでない雨が降り、降ってほしい時には日照りが続く。その中で最善を求めて、妥協的道を探る。良い農業とは妥協の上手い農業のことだろう。間違いが正しいことになることなどしょっちゅうある。正しいと思ったことが正しこともたまにはある。だから、あくまで方角を見る毎日である。

 

戦争はまずいんじゃない。おおよそこんな方角である。その方角にも、さまざま、実に多様に考えがある。戦争はまずいから先制攻撃するしかないという人もいるくらいだ。自分たちが死ぬのが嫌だということは、相手も死ぬのが嫌だということだろう。いや、死ぬのこそ名誉と考える人もいる。一つにならないで、多様であるということは悪いことではない。それでも、その中でも、戦争はまずいんじゃないの、ぐらいの方向は共有したい。それが日本という国柄ではないだろうか。

 

 

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水彩人北陸展

2018-01-22 04:03:09 | 水彩画

左上のたて構図の絵と右下の横構図の絵を描き進めて出品した。この段階では現場での写生だけである。この絵を何とかアトリエで制作というものをしてみようとした。松波さんに言われていた絵を作るというつもりで制作してみたらどうだろうと言われていたことが、頭に残っていた。この後どう変わったのかは、今はよく思い出せないのだが、自分の中では絵が少し進んだ気がしていた。絵を送ったのが、1月9日だった。展覧会が15日からで、連日満員の盛況だそうだ。北陸の冬の展覧会で、観に来てもらっているというのは何ともありがたい。私も今日これから出発して、今日明日と会場にいる。皆さんの感想を聞いてみたい。誰かに会えるだろうか。たて構図の絵は篠窪の耕作地である。秦野丘陵の斜面にある畑だ。10年以上通って描いている。耕作をするという事がどういうことなのか。又放棄された畑がどうなるのか。通いながら見てきた。自然と人間のかかわりのようなものが面白くて見てきたのだと思う。

もう一枚の絵は石垣の名蔵湾の展望である。最近はこの場所で描くことが多いい。石垣では1月の今頃に代かきをしている。一日ごとに水が広がり、空と田んぼとが同じになる。この空間を描いている。色面として画面を描くのではなく、空間が自分の空間になるように描いている。これがある意味奥行きのある空間があらわれる原因なのだろう。画面に疑似空間を作りたいという事ではない。自分の頭の中にある、空間のようなものに近づけたい。頭が思い描くものだ。眼を閉じてみる景色のことだ。思い出す人の顔でもいいのだろう。ここにある空間を繰り返し意識しているようだ。それは夢のようなものだが、夢とはまた違う映像が現れる。現れた映像を画面と行き来しながら、追っているのだろう。これがなかなか近づかない。ただ、こうかもしれない、こうではない。とわずかずつ進んだ先が、描かれた絵のような作品である。今回はそれが一歩頭の中の景色に近づいたような気がしている。どうだろうか、絵を見るのが楽しみだ。

まあ、良く分からないのだが、いわゆる自分の中にある絵というものにではなく、記憶の中に近づけようとしている気がする。ある時、ある一瞬にはその自分の中の映像と、画面が同調したような達成感があった。それはある種の陶酔のような世界なのだが、当然醒める。そして何なのだろうとまた画面を眺めている。近づいてゆく自分の世界というものがさしたるものではないという現実。夢想する芳醇な絵画世界は、マチスやボナールや中川一政氏が混然となる世界なのだが、それとは違う当たり前の平凡な自分というものに向かい合う。それで良いのだと思いながら、白けるような気分も伴う。やればやるほど、ただの自分になる。面白くもおかしくもない自分になる。それでいいと思いながら、その自分を深めてゆく、あるいは探ってゆく方法としての、絵を描くこと。そして、現実に何でもない絵というものができている。その絵がせめて借りてきた世界ではないこと。絵空事ではないこと。そいう事を期待しながら、北陸展に出かける。

絵があるというありがたさ。金沢の冬の馬小屋のアトリエで絵を描いていた時に一瞬に戻る。笠舞の下宿で目覚めたのかと思う今朝である。一歩の前進もないままの自分である。前進は出来た訳ではないが、自分というものの変化は目の前の絵である。これがありがたい自己確認。絵はお前はそんなものに過ぎないと教えてくれている。小学校の時に描いた都会の暮らしという絵を思い出す。お風呂のガスボイラーを描いたのだ。藤垈では薪で燃やす五右衛門風呂の係だった。東京の家はガスボイラーだった。その前にテーブルがあり水道があり、暮らしている。暮らしを描くというテーマだったので、その違いを描いた。根津壮一先生が、その絵をどこかの絵の展覧会に出して。何かの賞をもらった記憶がある。あの時描いた絵と、今描いている絵は何か違うのか、同じものなのか。同じであるような気持ちの方が強い。自分という人間の11歳と、68歳は同じ人間であると同時に、生きてきた57年間が自分というものに加わっている。子供の自分はよい絵を描きたかった。良い絵がどういうものかなど分からないから、見ているものが正確に描ければ、せめて分かるように描きたいと思っていた。そしてやはりうまくいったと思えたことはなかった。今も、どこかへたどり着こうとしている自分がいる。

 

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米麹の作り方 再掲載

2018-01-21 06:37:38 | 自給

2016年の麹の仕込み

今年は17,18日と米麹を仕込んだ。順調に推移している。山田錦を使っている点がいつもと違う。




1、「事前準備」、
麹作りは、仕込み前日に米を洗い水に浸す。水に浸す時間は12~20時間。仕込み当日の早朝、米をザルに上げてしっかりと徹底した水切りを3~10時間行う。水切りはタオルを中に入れるなど十分に行う。蒸しはできるだけ高温で一時間以上、やり過ぎと思う位に行う。



2、「麹菌の植え付け」
麹屋さんによると、冬よりも暖かい時のが作りやすいと言われていた。新聞紙を敷きその上に清潔な布を広げ、その上に蒸しあがった米を広げ、しゃもじでスライスしながら、米粒の表面の水分とあら熱をとばす。米粒はべたべたせず、表面が乾いた状態が望ましい。生の米かと思うようなパラパラした感じに近い。麹菌は水分が好きなので、表面が濡れていると、そこに留まって中に入らない。周りが乾いていて、お米の中心が濡れた状態だと芯まで菌が潜り込んでゆく。良く麹菌が繁殖することが重要である。



3、
一部の米をボールに取り、人肌の36°になるまで撹拌し下げる。麹菌を入れて良く攪拌する。全体のお米は湿気を飛ばすように、パラパラ、サラサラの感じで手で広げて乾かす。お風呂の温度を思い出しながら、熱くない感じになるまで行う。冷めたようでも下が熱いので良く上下を攪拌する。



4、
ボールで菌をまぶした米を、広げた米にパラパラとまき散らす。全体に菌を揉み込むように、かき混ぜてゆく。菌がお米の芯に入るように揉みこむように、力を込めてお米をつぶしながら菌を植え付ける気持ちで押さえつける。充分にかき混ぜたら、布で包み一塊りにする。それを米袋に入れる。一袋で11キロまでやれた。1時間以上移動する場合は、カイロを張り、毛布にくるむ。



5、「温度管理」
袋のまま、米麹の中の温度計で33℃位を目標に保つ。ホットカーペットや電気毛布、あるいは湯たんぽなどを使う。湿気が床にまで行くので、ビニールを敷いて置いた方がいい。乾かないように管理する為に米袋はいい。上と床と接する部分では温度が違うので、袋を静かに裏返す管理もいい。温度管理や手入れについては、かなりの幅があるので、どうやってもできるともいえるが、麹室で作るわけではないので、自分なりの失敗のない方法を見つけること。



6、「1番手入れ」
10~20時間後(時間差がある)になり、全体がひと塊りになった状態で、少し良い香りが出てくる。この時に布を取り去り、米袋にお米を直に空ける。米袋の中でよくほぐしてやる。この時も中の温度は35℃前後を保つ、上がりすぎないように、保温を調整する。アラーム付きで、外で温度が分る温度計は便利である。カバーの木箱があると便利である。中の湿度が高くなる。



7、「2番手入れ」
さらに10時間後には、菌が回り始め麹の香りが強くなる。米袋の中の米麹をほぐして、でできるだけ平らに広げてやる。それでも温度が上がりすぎるようなら、袋を切り開き全体に広げる。この段階では保温は室温にもよるが要らなくなることが多いい。でこぼこの山を作り表面積を大きくする。外側がに温度が低い場所ができるので、外側を高めにする。徐々に温度が上がりすぎるので、この点に注意する。40℃は超えないように管理する。

8、「3番手入れ」
さらに10時間するとさら白い麹菌が回わって、塊りになってくる。温度が上がり易いが、40℃を越えないように、良くほぐし表面積をふやす。保温は止めた方がいい場合が多い。40度を越えたからと言ってすぐ失敗と考えないでいい。麹の淵の方が温度が下がりがちなので、外の麹を中に回すように手入れをする。

9、「4番手入れ」
味噌麹の場合は、少し麹の回りすぎて、黄色あるいは薄緑っぽくなる位が良い。米粒を割ってみて菌がお米の中に浸透している感じになるように。どぶろく麹の場合は少し早目の白い内の方がいい。出来る限り10時間サイクルの発酵を4回ないし、5回繰り返す。温度が上がり過ぎの場合は、6時間でも手入れを行わざるえない。途中で温度が下がってしまったり、発酵が足りないようであれば、保温を強くして再発酵をさせる。割合簡単に戻るので心配いらない。



10、「出麹」
米麹が充分出来上がったら、15℃以下の乾燥した場所で広げたまま、乾燥させる。袋のままにしておかない。20時間すると完成する。完成したら、ビニール袋に入れて冷蔵庫で保存する。

追記、留意点

1、良いお米の蒸しを行うには、十二分に水に浸し、十二分に水切りをすること。その上で、強い蒸気で蒸しあげる。湯気が上に抜けてから、1時間は蒸しやる。蒸し過ぎで失敗という事はない。

2、家庭で行うには、米袋方式はもっとも簡単で、一応のレベルに出来る、優れた方法である。米袋1袋で10キロまで可能と言われるが、私は今回11キロまでやった。

3、麹菌が良く回るには、湿度の維持が重要。段ボール箱のカバーなどで覆えば、さらに良い。温度にむらがあるときは、袋ごと裏返すのも良い。

4、米麹は4,5回の手入れで出来上がるが、菌の活動をしっかりと終わりにして、保存しないと、袋の中で再発酵をはじめておかしくなる。

5、保存は案外に難しい。充分に乾燥し、冷やし、その後酸素に触れないように保存している。味噌に使う場合は、塩を出来上がったものに混ぜてしまい、保存しておくという方法もある。

6.麹菌は手入れを行う都度繁殖を休止しているので、出来るだけ手入れの回数は減らし、10時間くらい静かに繁殖を継続させる。固まると酸素が行かなくなるので、ほぐす必要が出てくる。このあたりの状態を観察しての管理が良い麹を作るコツのようだ。


7、全体としては白い塊のようになるのが目標。あれは最終段階でほぐさずに、枯らす。乾燥させることを枯らすという。これは面白い名称だと思う。

8、袋方式では、手入れ後裏返すことが出来る。保温が下側からだけとかの場合、片面だけ暖かくなれば、裏返して温度調整が出来る。

9、出来た麹の断面を観察し、菌が中に食い込んでいるかを研究する。大切なのことや麹菌の出来上がり量。山田錦は中に菌が入りやすいようだ。玄米でやる場合、菌が米の中には食い込めない場合がある。少しでも玄米に傷をつけてやると菌が入りやすくなる。

真夜中に、温度の管理をしながらこれを書いた。

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えんぴつが一本

2018-01-21 04:48:04 | 身辺雑記

「えんぴつが一本」浜口庫之助作詞・作曲

えんぴつが一本 えんぴつが一本
ぼくのポケットに
えんぴつが一本 えんぴつが一本
ぼくの心に
青い空をかくときも
真っ赤な夕焼けかくときも
黒い頭のとんがった えんぴつが一本だけ

えんぴつが一本 えんぴつが一本
きみのポケットに
えんぴつが一本 えんぴつが一本
きみの心に
あしたの夢をかくときも
きのうの思い出かくときも
黒い頭の丸まった えんぴつが一本だけ

えんぴつが一本 えんぴつが一本
ぼくのポケットに
えんぴつが一本 えんぴつが一本
ぼくの心に
小川の水の行く末も
風とこの葉のささやきも
黒い頭のちびた えんぴつが一本だけ

えんぴつが一本 えんぴつが一本
きみのポケットに
えんぴつが一本 えんぴつが一本
きみの心に
夏の海辺の約束も
も一度あえない寂しさも
黒い頭の悲しい えんぴつが一本だけ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

えんぴつが一本 えんぴつが一本  

みんなのポケットに

えんぴつが一本 えんぴつが一本

みんなの心に

はたけに種をまくときも

実りの夢を見るときも

黒いあたまの希望の えんぴつが一本だけ

(5番は私が加えたもの。)

50年以上前に坂本九さんが歌っていた。素晴らしい歌なのに、消えかかっていて残念な気がしている。今度三線で唄うように練習をしようと思っている。浜口倉之助さん自身がテレビで歌ったのを覚えている。その時、友人の大森実さんのために作った歌だといわれた。大森実さんには「えんぴ1本」という著作がある。大森実さんは「ハノイからの報告」を行った毎日新聞社の記者である。アメリカが北爆と称して、北ベトナムに対して無差別爆撃を繰り返していた。今はこの戦争がいかに非人道的行為の戦争であったのかは明らかにされている。当時は共産主義の防波堤という正義で、アメリカは巨大な軍事力で北ベトナムを押しつぶそうとしていた。ところが北ベトナムの抵抗は厳しく、ついにアメリカが敗北したベトナム戦争だ。アメリカが残忍な戦争をした事実が明確になった。大森実氏は西側大手新聞記者として初めて北ベトナム入りした。そして北爆の実態を報告したのである。その深刻な実態報告から、反アメリカ、べ平連などの運動が若者の間にまき起こった。

これに驚いた当時のライシャワー駐日大使は大森実の報告は虚偽だと、日本政府に圧力をかける。ライシャワー事件である。(ライシャワー氏はこの事件を自分の人生最大の間違いであったとして、晩年大森実氏に謝罪したいとしている。)毎日新聞の揺らぐ姿勢から大森実氏はやめることになる。大森実氏は一人の記者として、その後も調査報道のために奔走する。鉛筆1本で巨大アメリカと戦い続けた。日本政府はアメリカの発表に追随するだけだった。報道機関はアメリカの正義の戦いを大本営発表として、垂れ流していた。しかし何かがおかしいという事は、誰もが想像はしていた。悪のテロ国家とされていたホーチミン北ベトナムの実態は何処にあるのか。真実は大きくゆがめられ報道され続けた。こうした報道の姿勢は今も大きくは変わっていない。真実を知るためには真実を読み取る眼が必要である。そして鉛筆1本が必要である。日本では習近平政権だけを報道する。その背景には中国に暮らす人間がいる。中国人は多様である。日本人よりもはるかに複雑である。本当の中国を考える眼を持つ必要がある。

友人であった浜口氏はその大森実の応援歌としてこの歌を作ったという。浜口氏は当時歌謡曲のヒットメーカーだった。「星のフラメンコ」「バラが咲いた」はレコード大賞、今でも歌われている。日本のシンガーソングライターの筆頭である。「鉛筆が1本」は簡単な歌なので誰でもすぐに歌える。是非口ずさんでみて欲しい。坂本九さんがみんなのうたで唄った音源はどうも失われたという事らしい。浜口氏自身が唄うものは残っている。試聴もできる。NHKが真実を知って廃棄処分したのだろうか。政府の圧力があったのだろうか。しかし、浜口庫之助氏、大森実氏、の思いを知り、声を出して唄うとまた違ってくる。何時の時代にもアメリカと鉛筆1本で戦う人間がいるのだ。相手が巨大であろうが、アメリカファーストであろうが、戦う武器は鉛筆1本だけ。そして希望を描くのも鉛筆が一本。鉛筆で蒔かれた種はどこかで芽生える。是非、この歌を唄いたい。

 

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石垣ミサイル基地配備を阻む集会

2018-01-20 04:19:51 | 石垣島

石垣島にミサイル基地の配備を、アベ政権は進めている。仮想敵国中国に対する対応である。与那国島、宮古島、奄美大島、もちろん、沖縄本島。そして石垣島と中国に対する形で、軍事基地を作る中期防衛計画に基づくものだ。自衛他の基地とはいいながらも、米軍は日米同盟で自由に使えるものだ。つまり、思いやり予算の上乗せ計画である。棚上げされていた尖閣諸島の問題を深刻化させたのは、石原都知事であった。もちろんアベ政権も同じ意図である。中国との対立を高めよう。日本をその防波堤にしようというのは、アメリカの世界戦略である。世界に配備されている米軍の3分の1が日本にいる。その7割が沖縄に集中している。そしてアメリカの手先のように動くアベ政権は自衛隊基地を八重山諸島に作り、日本の防波堤にしようとしている。これは、アベ政権の一貫した動きで、中期防衛計画を見れば、沖縄は、特に八重山諸島は、諸島部奪還作戦の対象なのだ。中国に占領されるという想定を当然のものとして、防衛計画がたてられ訓練が行われている。

石垣島にミサイル基地が配備されることは、アメリカの世界戦略に基づく。八重山諸島を中国に対する最前線の基地にしようという計画である。しかし、このことは北朝鮮のミサイル実験を見ればすぐわかることであるが、北朝鮮が核ミサイルを持つということは、世界に対する許されない挑発行為と国連でも決議されている。日本がアメリカの手先になって、石垣島にミサイル基地を作ることは、中国にしてみれば許されない挑発であろう。中国が軍事力を強化している。それに対抗するのだと繰り返しアベ政権は主張する。それは全くお互い様の、軍事力の強化の悪の連鎖である。第2次世界大戦に巻き込まれていった時といよいよ似てきている。政府の想定では石垣島はミサイル基地になり、軍事攻撃の真っ先の被害を受けるだろう。そして一度は中国に占領されるだろう。こうした想定で日本の軍事力強化は進められている。石垣は日本本土のための犠牲になるほかないというのが、アベ政権の防衛計画である。

多くの日本人はそんなバカなことは信じがたい、まさか中国が日本に攻めてくるなどあり得ないと感じている。それを安倍政権は日本国民が天国トンボであると考えているのだ。目を覚ます意味で尖閣諸島の軋轢をわざわざ起こしたのだ。その結果尖閣諸島の問題を外交的努力で解決しようと一向にしないのがアベ政権である。尖閣諸島は日本固有の領土であるから、一切聞く耳を持たないという態度で緊張を高めている。竹島に対する韓国の態度と同じである。国際機関に尖閣諸島の問題をゆだねるべきだ。竹島に対しては日本はそのように主張している。現況韓国が占拠しているからだ。同じことで、尖閣は現況日本が占有しているので、日本は一切の中国の要求を受け付けない、交渉もしないという態度である。なぜ、戦争が起こるかもしれない尖閣問題を解決しようとしないのか。解決してしまえば、中国との対立根拠がなくなり、国民が軍事予算の増加を問題とするからだ。もちろん日本と中国が和解してしまうことは、アメリカも困ることなのだ。そのために尖閣諸島のとげを抜かないようにしているにすぎない。

石垣島はアジアの交流拠点になる。素晴らしい未来の展望がある。石垣島の観光産業は極めて好調である。観光は平和産業である。各国と交流を深めお互いを知ることで戦争など行わない良好な関係が構築される。石垣島は世界一の観光スポットである。世界一の旅行会社の人気投票で一番になった。ハワイを抜いたのだ。この平和の島に軍事基地を作るなど、まったく常軌を逸している。石垣の現職市長の中山氏がなぜ石垣をアベ政権に売り渡すようなことをしたのか。交流のある石原氏に洗脳されているとしか思えない。平和の党のはずの石垣公明党も中央の指示をはねのけて、中山市長支持だけはやめてもらいたい。3月11日に市長選挙がある。この日は石垣の未来を左右する日になる。1月18日に基地阻止の市民集会があった。これに参加させてもらった。400人ほどの集会になった。市長選で基地阻止候補者の方も参加されていた。何とかこの方が勝利することを祈っている。石垣市民の良識に期待するしかない。ミサイル基地は石垣市民を守るためのものではなく、石垣を本土を守るための犠牲にしようという基地だ。東日本大震災7年目の3月11日には平和の祈りの為に石垣にいたいと思っている。

 

 

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石垣島への引っ越し準備

2018-01-19 04:18:44 | 石垣島

家を建てる予定地。お隣に見える建物は酒造会社の古酒寝かせている建物。クウス好きとしては、ご縁ということか。

養鶏業の引退は65歳と決めていた。一年遅れて66歳で引退した。そして、農業の引退は70歳と決めている。70歳を超えて農業をするようなことは自分の生き方としては違うと思っている。農業は体を酷使する仕事だから、70歳で終わりにしたい。後は絵を描くことにしても、許されるだろう。誰が許してくれるのだろう。やはり私自身が納得できるということだろう。農業から引退するという事は、あしがら農の会を離れるという事でもある。石垣島に引っ越しをする。先日の新年会では田んぼの仲間にはそのことを話した。今までブログの中でもそのことには触れないできたが、もう書いても良いかなと思う。やっと仲間に告げたからだ。まだ2年先のことになる。それまでの2年間は全力で農の会のことをやろうと思っている。一つは原発の事故はあしがら農の会にどの様に受け止めたか。このことを記録に残すことになった。東電の賠償請求はやめることになった。ただ原発事故で農の会に何が起きたのかは記録しておく必要があるという意見が出た。

雨に煙る平得付近。ヒラエと読むのだそうだ。

そして田んぼのまとめである。自給のための田んぼのやり方を本にして記録を残したい。自給のための田んぼは農業の田んぼとは違うやり方が多いい。20年間手さぐりで探したやり方だ。これを記録して、次に始める人の参考になるものにしておきたい。自給の田んぼは有機農業で行う。それは有機農業の方が優れた農法だからだ。有機農業で畝どりできる技術が確立できている。ただし手間暇がかかる。そのためには協同をしなくてはならない。5家族が1反で行い、600キロ取り、120キロづつ分けることが出来る。15家族ならば、3反の田んぼで1800キロ収穫する。3反の田んぼになれば、かなり労働時間は削減できる。一日1時間、年365時間で自給する農業の姿を、記録してまとめたい。家庭菜園が主食に及ばないのでは、自給生活とは言えない。あしがら農の会という仲間がいたからできたことである。農の会の25年間の記録でもある。

野菜などの畑の作物に関しては畑の会が発展して、小田原有機農業市民塾という形でやることになった。すでに畑の準備は始まった。これも2年間で何とか形にしたい。共同できることを徹底する。どれくらい自給の畑が時間がかかるものか、まとめたいと思っている。一人でやるほうが気楽でよいに決まっている。特にこの時代に農業をやろうという人間は、少数の特殊な人と考えたほうがいい。どちらかといえば人と協調する能力に欠けている。そうした人が、畑で共同するということで、この末期の競争社会の中で、独自の人間関係を見つけられるかもしれない。自分たちの仲間を見つけられなければ日々楽しい。人間として生きられない社会が近づいている。競争ですり減らされた神経のために、人と助け合うということが下手になっている。その回復のためにも自給農業の共同作業を見つけたい。これがあと2年の仕事ではないかと思っている。2年で必ず実現するつもりだ。そこまで行けば私は消えたほうがいいと思っている。

そして2年後には石垣に越す。といっても、今も頻繁に石垣に来ているのだから、それほど今と変わらないのかもしれない。今度は3月初めに来るつもりだ。2地域居住ということになる可能性もないとは言えない。小田原の家の片付け方がうまく行くかである。私としてはさまざまなけじめとして、石垣の暮らしを選択する。2年先のことだし、やってみなければわからないところもまだある。今のところでは10月には家はできる予定である。と言いながらもまだ本当に出来るのかどうか半信半疑である。子供のころは東京都の家と、山梨の藤垈の家との行き来は1日かかる大旅行であった。今は石垣と小田原でも半日仕事である。慣れてきたら、別段遠くまで来ているような気はしていない。天国にいちばん近い島石垣島。絵を描けば描くほど、そのことが確信出来てきた。少し絵が変わってきたようだ。さあ、もう少しで明るくなる。

 

 

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石垣島の穴場、名蔵ダムと田んぼ

2018-01-18 04:03:35 | 石垣島

今回は名蔵の方の田んぼをあちこち歩いている。ちょうど水を入れて、代掻きが始まっている。土は独特のものだ。何しろ土の中に貝殻がたくさんある。ちょっと癖のある土壌ではなかろうか。田んぼがやってみたくなる。畔にある草も、小田原のものとは全く違う。同じものが一つもないのには驚いた。似ているものもあるのだが、何か大柄であったりして同じとは言い難い。土の色は田んぼによってずいぶん異なるのだが、名蔵の方の土の色は黄土色に灰色を混ぜたようなくすんだ色である。粘土質ではあるのだが、触るとかなり荒い。ただ海岸の近い湿地であるから、水は漏れることは少ないのだろう。去年は水が少ない印象であったが、今年は水が流れ出るほどにある。あたり一帯が田んぼで湖になり始めている。於茂登岳に続いている深い山が背後にある。そこに名蔵ダムがある。そのあたりは台湾の人が入植して、切り開いた地域だ。パイナップルを日本で始めたのは台湾の人だ。多分、おいしい台湾バナナもやったのだろう。しかし定着しなかったようだ。蓬莱米も台湾から来た。台湾の人のことはまた改めて。

田んぼからすぐがジャングルである。太古のままの自然が迫っている。私には恐怖である。大きなヘゴやヤシや巨大なサトイモのような、熱帯の樹木が迫る。松の山であるから、親しみがあるかと思うが、よく見ると琉球松で葉が少しまばらで長い。幹の張り出しがにはマングローブのような羽がある。似てはいるのだが、やはりまったく異なる自然環境である。よく見れば、同じところはむしろ少ない。よく見なければ同じに見ようとするのが人の対応。人間の眼は自分の経験の範囲で理解してみている。見るというのは個々人による。耳だって、英語耳にならなければ、英語は言葉として聞こえない。意味はともかくとして聞き分けることができない。私はフランス語耳にはなっていて、フランス語だということだけはわかる。意味は分からない言葉ばかりだが、聞き分けられていた。眼も石垣眼にならないと石垣の世界は見えない。それでも誰にでも見えてはいるから始末が悪い。見えていることは見えているのだが、それでは絵を描く眼にはなっていない。

田んぼのこともそうだ。農業者にしか見えていない田んぼのことがある。代掻きをしていて、今年は良さそうだと理由なくわかることがある。すこしでも良い田んぼにしようとしてみているからだろう。その場の空気、土壌のにおい、光の反射、わずかな違いが見え始める。それが農業者という者ではないだろうか。昔の農業の集落にはみんなが「キュウリはもう蒔き時ずらけ。」と教えを乞う人がいた。漁師が海の色で春が来たことを知るように、風の匂いで蒔き時を感じるような人がいた。「武やんのまねをしていれば失敗がないじゃん。」私も鶏の気持ちはおおよそわかる。鶏のことなら聞かれても答えられる。稲の顔色も何となく感じる。昨日は田んぼの水を一日描いていた。不思議なものだ。水には色も形もないものだから、つかみどころはない。海や空が描けるように田んぼの水も絵になる。足を入れた時の感触を描くことができる。いや、かもしれないと思いながら描いている。描いているときは何も考えることができないのでそのようだろうとしか言えないが、。昨日描いた絵を前にしてのことだ。

島の暮らしでは水は貴重である。田んぼができるほど水があるのは、八重山諸島である。高い山があるからだ。水不足にならないということがすごいことだと思う。今から40年前に130日くらい雨がないという干ばつで、農業に大きな被害が出た。それで名蔵ダムはできたらしい。名蔵の田んぼの水はいちばん奥に調整池がある。その上に名蔵ダムがある。そこには於茂登神を祭る拝所がある。立派な滝があった。石垣に行った人はここにはお参りした方がいい。飲料水も同じところからくるようだ。田んぼはどうだろうか、200ヘクタールぐらいあるのだろうか。あとは新川付近にも田んぼが50ヘクタールくらいあるのだろうか。そして、白保の方にも20ヘクタールくらいか。平得あたりにも10ヘクタールぐらいだろうか。あとはぽつぽつと点在している。北部にもいくらか田んぼはある。昔はもっとあったらしい。あちこちにすぐにでも田んぼが出来そうな場所もある。しかし、一定の地域がまとまらないと水がうまく行かないのではなかろうか。畑から出た濁った水がそのまま海に流出している。今回は川はきれいだ。しかし、田んぼを土砂の海への流失を防ぐ、沈殿池にする必要がある場所は結構ある。

 

 

 

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