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2011年の事

2011-12-31 04:45:03 | 身辺雑記
辛い年であった。一番つらいのは、この惨事を十分に認識できない政府を持っていることである。ごまかし通そうとしている政府に対し、何とも出来ないでいることである。この状況は日本が1930年代に戦争に向かって居る事を知りながら、どうにも手が打てなかったことと同じ状況だと思う。あの時代も経済封鎖とか、大東亜共栄圏とか、間違えを正す事が出来ないまま、どこか変だと言う内心をごまかして戦争にひた走りに向かった。原発が事故を今後は起こさないと思い込もうとしている。しかし、世界の今の情勢のままでは忽ち10倍に原発の数が成る。あらゆる国が原発持つことをとどめられない。技術が無い国。自然災害の多発地帯。テロや戦争の頻発する地域。人間は必ず間違う。毎年どこかで大事故が起こることになる。そう想像する方が当たり前である。にもかかわらず、それを見ないようにしている。忘れようとしている人類。この限界が辛い。

これが2011年の現実に起きたことの悲しさである。日本人はこの誤りに向かって、戦後の方向を定めた。福島では暮らしていた土地に戻れない人が10万人以上いる、前代未聞の状況で年を越そうとしている。そして、20ミリシーベルト以下の土地ならば戻れという、怖ろしい政府の方針である。社会的ヤマイ現象である。それは経済の行き詰まり、そして格差社会。価値観を見失なった、前途の見えない社会状況が背景にある。この先自分の暮らしがどうなるかが見えない。農業で言えば、TPPを締結して、農業の構造改革をする。そこまでは良いにしてもどうすれば政府の言う、国際競争力のある農業が出来るのか、誰にもわからない点である。先日も安住財務大臣は農業改革はTPPとは関係なく必要な事だと言いながら、どのように改革するかは、少しも述べることが出来なかった。野田総理も同じだ。改めて、来年度予算の農業対策を考えてみたい。

具体的展望がないのは当然のことで、国際競争力のある農業等あり得ない話だからだ。すでに、工業分野でも労働依存性の高い分野から生産を海外に移している。もっとも労働依存の高い農業を日本の国土にへばり付けたまま、国際競争力が生まれるアイデアなどあろう訳がない。あってもそれは特殊解で、一般化はしない。本音では、農業を止めろということだろう。それも良い。それならごまかさずに、日本を食糧生産のないどういう国にするのかを、政治は表明した上で考える必要がある。やめろとも言わず、競争力のない農業をやっているのは、農業者の努力不足をいい募り、駄目なものが滅ぶのは仕方がないという考えだ。この状況は農業者の迫害と言える。そんな農業分野にはどれほど職場が無くなっても、就業する者が居ない。青年農業就労補助金についても又改めて考えてみたい。

農家の嫁不足が言われたのが、1970年ころからだ。あれから40年経って、嫁さんの方が政府より判断が正しかった事が良く分かる。問題を農家の封建性などとごまかしていたが、農業には未来がなかったという事だ。農業は競争経済から離れるべきだ。食糧の輸出入は特例以外止める。この事を国是にすべきだ。アメリカなどから猛烈な抗議が起こり、むやみな輸出立国も止めなければならなくなる。日本は貧しくなるだろう。その覚悟をしなければ、さらに大きな災いが待っているという事だ。それは戦争に向かった昭和の初期と同じ事だ。経済恐慌から戦争に向かう。世界はこのまま進めば必ず経済恐慌に至る。次の世代に顔向けの出来ない事態を作り出したのは、我々世代の責任である。自分達だけが享楽的にやってしまった付けが回ってきている。さてどうしたらいいのだろうか。この無力の悲しさが、2011年だった。
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学校教育とは何か。

2011-12-30 04:00:37 | Peace Cafe
学校教育は人間を作れるのか。江戸時代は義務教育はなかった。必要に応じた読み書きそろばんの寺子屋である。現代社会は大多数の人が義務教育の9年間を受けている。1975年以来、90%を越える若者が高校教育を受けている。そして現代は50%の人が大学教育を受けている。教育に効果があるなら、優れた人間が増えて、良い社会に成っていなければ困る。進学率のまだ低かった時代と比較して、現代の日本人はなるほど良い教育を受けたというような結果になっているだろうか。到底そうは思えない結果である。原子力村の人など、高学歴に違いないが様々な徳育が不足ではないか。教育が悪かったというより、学校教育などそもそも人間形成には効果がない。せいぜい小学校レベルの学力が役立つ。気休めでやらないよりはいいという範囲のものの気がする。人間を作る教育が、学校ではないということだけは確かなようだ。

学校教育の充実が繰り返し言われ、高校までの授業料の無償化がなされた。小学校は35人学級に向かっている。それが当然の社会正義のように言われることに違和感がある。学校教育と言うものを受けたが故に、人間の何が変わるのだろう。社会が人間を育てるように出来ていないことが問題なのだ。10歳位から丁稚奉公していた若年労働の時代もある。人間が駄目になる訳ではない。そこで磨かれて光輝くこともある。おしんの世界である。社会が価値基準を失っている中では、義務教育は成立しない。学校教育で一応行われているのは、日本の企業で役に立つ能力を高める教育と言うものではないか。君が代斉唱の強制化など、まさにそう言うことのような気がする。一種の踏み絵で、毎日学校に通う。そう言う規律を守れない人間を振り落とす仕組み。無意味に従うことのできる人間の育成。国歌や国旗の善悪を言っているのではない。

学校で何を学ぶのかが明確にされない限り、教育は意味をなさないだろう。橋下大阪市長は教育が悪い、何でも平等の公教育に問題がある。学校に競争原理を持ち込むと発言している。教育の本質を考え違いしている。問題は何に向かって競争するのかである。数学を学校で学ぶ理由はどこにあるのか。計算が早くなるためではない。多様な考え方の訓練だと思う。論理的に思考する。多様な考え方が存在し、回答を探り当てるには、様々な方法があると言う事ではないか。美術のことはある程度分かるが、JAS基準の色彩を覚えろと、それで色彩は十分である。という企業の要望がある。そうではない。色彩は無限であり、人間の思想まで反映するものだと言う事を知る事が大切。筆触に言葉以上の思いを込めると言うことがあると、そういう表現が美術なのだと言う事を、経験するのが美術教育である。こんなことを一般化して学校で学べるのかと言えば、無理である。色彩の名前を100覚える速さの競争に意味は無い。

英語を小学校でもやるというようなことは、まさに義務教育のビジネススクール化である。世界のビジネス競争に勝つための教育。本来の教育はすぐには役に立たないものだ。公教育では正義とか、社会とか、生きるととか、暮しとか、そうした価値観を教えなければならない。人間を育てると言うことはそう言うことではないか。この社会の世渡りの要領を教える学校はいらない。人間は社会の中で育つものだ。社会がその受け皿機能を失う中で、学校で人間を作れと言っても無理だ。無理に行えばはみ出る者が居る。それよりも、まともな地域社会を作り出す努力ではないか。地域の暮らしが生産が見える形で存在すること。投機とか、値上がりとか、見えないもので利益を生み出すような社会では、教育の成功例がホリエモンと言うことになる。労働によって生きる。この原点を教育が取り戻さない限り、教育は再生されない。

昨日の自給作業:みかんの収穫2時間 累計時間:11時間
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行列のできるラーメン屋

2011-12-29 04:36:58 | Peace Cafe
先日、横浜に行った時、有名な行列のできるラーメン屋に行ってみた。何でもスープのだしにとても凝っていて、魚貝系もあれば、豚骨スープもあり、地鶏スープと言うのもある。色々選べるらしい。大きな店らしくて、店員さんがなんと9人もいる。繁盛しているのだろう。午前中から大勢が並んでいた。並んでいる外からは全く店の中は見えない。外に店員さん達の写真が貼ってあるところがユニークである。店長とある人はパンチパーマのようで、色の黒い人である。入口には行列をする椅子が並べてあって、すでに、互いにそっぽを向いて座っていた。最後の方は、並ぶと言っても、椅子はもうないあたりなのだが、立って並ぶ以外にない。まだ店は始まっていないようなので、だいぶ待ち時間が長くなりそうだ。

前の人に「どのくらいかかるのでしょうね。」と話しかけてみた。「テレビのニュースでやっていたんで、前回は途中で止めたんだ。何時に始めめるかも決まってないらしいよ。」これにはちょっと心配になった。「この店は何が一番おいしいですか。」と聞いてみた、「ビーフンを使った麺がいいらしいぜ。」そんなラーメンがあるのか。少々待っても食べたい気分になった。「おれは食べたことが無いんだ。うまいかまずいかわからんよ。」「俺は並んではいるけど、食うかどうかは、まだ決めてないんだ。」どういうことだろう。急に面白くなった。「えっ!食べないのに並んでんすか」思わす声が高くなってしまった。不思議な人だ。「並んではいるが、食べるかどうかは決めてないよ。食べると決めつけられても困る。」別に前の人が食べようが抜けようが構わない。「店長のお薦めは、牛肉のトッピングらしいよ。店に入ると必ず進められっるって、テレビで言っていたよ。」

店の外観はやけにでかい。ラーメン屋なのにマカロニウエスタン調である。ウエスタンと言うのも変だが、最近新しくできる店は、店構えだけは変に凝っている。鉄骨が構造と関係なく組んであって、それが派手な緑で塗ってあるので、シャボテンに見えるのだ。派手に黒黒と筆文字で、メニューが書いてある。値段も書いてあるので、この点は少し安心できる。確かに牛肉ラーメンと書いてある。牛肉の載ったビーフンラーメンか、いよいよ食べたくなった。「麺の硬さ、スープの塩分、スープの種類は5種類から選択」とある。「注文前に決めておいてください。」と書いてある。これはいよいよ良さそうなラーメン屋だ。麺は固めで、塩分は普通で行こう。地鶏系の味噌スープにすることにした。値段はこれで900円になる。

かなり待ったのだが、一向に店が始まらない。ミーティングをしているらしい声は聞こえている。前のずんぐりしたおじさんは、「俺はいつまでも待ってられないんだ。」急に声を落として「ここだけの話だけど、本当のところを言えば、俺は店長が知り合いなんだ。」「サクラで並んでいろって言われたんだ」と言う。「並んでいればタダで食べさせてやると言われてはいるんだ」おいおい、ちょっと心配な店らしい。しかし、サクラのくせにネタばらしと言うのも変なオヤジだ。みんなが並んでれば、「隣の中華屋のおやじも、心配で見に来ると言うんだよ。」「ラーメン屋よりも隣の中華屋の方に関心があるらしい。」「俺は、ラーメンより柳川がいいんだ。」どうもこんな店では並んでいても駄目だろうと、そのまま、食べずに帰ってきた。

昨日の自給作業:柿の収穫と柿酢づくり1時間 田んぼの秋起こし2時間 累計時間:9時間
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ロシアのデモ

2011-12-28 04:29:33 | Peace Cafe
ロシア情勢が気になる。不正選挙に対する抗議から始まり、ロイター通信によるとモスクワで10日2万5千人、24日3万人規模らしい。年明けに又呼びかけがあるらしい。ロシアのこの40年間の動きは相当特殊な経過を経ている。1970年代には、資本主義経済との発展の速度、衛星国と言われた近隣諸国との関係、併合していた諸民族との紛争。1980年代のブレジネフ時代、盛んに言われたことは経済の後退と政権の腐敗。アフガニスタン侵攻を行い目をそらそうとするが、イスラム圏との対立の激化。敗北後退後、どの経済分野でも衰退が起こる。1985年、ペストロイカを掲げたゴルバチョフ時代。自由化の波と希望。衛星国の独立と国内もいくつかの国に分裂。チェルノブイリ事故の不始末。日本を思い起こす。1990年代になると、エリツィンの登場とともに保守化と腐敗、マフィアの支配。経済格差から極端な貧困層の拡大。2000年にプーチンが登場し、国家権力による統制。石油の高騰によって資源大国の復活。

そして、2008年にメドベージェフが大統領になるが、背景にプーチンが実権をもつ状態。そして、来年にはプーチンはもう一度大統領に立候補する。ロシアを窮地から救った有能なプーチンでも、反発が起こることは当然のこと。独裁政治の復活に対する不安と反発。アメリカとの対立の再燃。経済の後退。政治の腐敗。選挙の不正。隣国中国の経済的台頭。EUの経済危機。そして国内の民族主義の台頭。エリツィン時代を思い起こす不安。ロシアが不安定化するのかどうか。いずれにしろ、憂慮すべき状況が高まっている。いずれにしろプーチンがもう一度大統領に復帰するだろう。そして、旧ソビエト連邦国の経済再統一を目指すのだろう。しかし、EUへの期待がしぼんできている中で、ロシアの支配の記憶と経済的困窮とがどのような展望を持つのか。中国へ傾斜する旧連邦国に対する対応の困難。

日本にどういう影響があるか。多分経済協力の要請が起こり、北方領土が餌のように提示されるのだろう。国民の人気を失い追い込まれた民主党政権は、何の判断もさておいて、すり寄るに違いない。本来外交には思想が必要である。日本がどこを目指すのかは、日本人の思想に基づく。これがない国家である日本は、その時有利そうな所に流されるだけである。拝金主義だけが当面の思想と言えば言える。これだけの原発事故を起こしたにもかかわらず、経済が苦しくとも原発だけは止めると言うような判断が出来ない国家である。アメリカは同盟を根拠にロシアと日本が近ずく事を、阻止しようとするだろう。アメリカが北朝鮮を追い込んで、極東のリスクを高める可能性がある。日本が目指すべきは近隣諸国との友好と関係の強化である。日韓が日中が過去の歴史にこだわり、隣国を互いに許さないことは何の利益もない。

領土問題を軋轢の種にするのは、背景に意図が存在する。知恵を持って対応し、愚かな扇動的対応を止めることだ。世界経済が衰退する中、次の世界体制の中で、日本がどのような思想を持つ国に成るのか。憲法前文に書かれた理念に基づき、平和国家を目指す事ではないか。ロシアの事であった。デモは、中国の台頭が不安として存在することが原因である。世界中がそうである以上に、ロシア経済は影響を受けている。その不安定化に対する対応策が見えないことが原因。資源国と言うだけで先の見通しのない状況。つまり、プーチン時代に戻ることは、メドベージェフ時代に成長した新世代には、不満なのだ。プーチンの強権時代を良しとしない世代が何を目指すのかは見えないまま、不満だけは大きくなっている。
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12月の生ごみサロン

2011-12-27 04:24:58 | 環境関連
12月21日に生ごみサロンが開催された。毎月開かれているサロンだが、暮れにもかかわらず50名以上の人が参加してくれた。6名の方から様々な生ごみの堆肥化と言うことで報告を聞かせて頂いた。これがとてもレベルが高く、それぞれに学究的な取り組みと言うのか、学ぶ所がたくさんあった。この取り組みは段ボールから始まったものだが、2つの課題がある。段ボールは素晴らしい材料ではあるが、水分に弱く耐久性が不足する。水分が抜けてくれるというところが長所でありながら、短所にもなる。当然雨にも弱い訳で、野外では管理に困難が伴う。上手く使っても半年位が使用期間である。段ボールを変えて使えばいい訳だが、やはりそれは障害である。もう一つが虫が隙間から入り込む事だ。虫は臭いに引き寄せられるので、生ごみがあれば当然集まってくる。そこで福岡では段ボールの蓋を閉じた取り組みもを推奨している場合もある。しかし、その方法も水分の問題があり、痛し痒しである。

そこで考えられる方法が、耐久性のあるプラスチック箱や、発泡スティロール箱を使う方法である。確かにこれでもできる。出来るのではあるが課題がまだいくつかある。段ボールの方が、初心者には失敗が少ない。吸湿性のある素材が、中の基材の水分過多を緩和してくれる。この点をどう解決すれば、誰にでも出来る耐久性のある、方式がないか研究している。私も2度目の発泡スティロール箱で今やっている。中に入れたものは剪定チップだけである。オガクズのように細かいものでなく、1センチくらいのものも混ざっている。生ごみを500グラム入れるだけで、追加に米ぬかなど一切入れない。朝晩2回ゴム手袋をして、隅々までふわふわに撹拌した。この際にえひめAIを吹き付ける。スタートから3週間それなりに出来た。特に3週目は50度を1週間超えつづけた。ところが、その後、急速に温度が下がり、水分過多の状態になった。水分は撹拌のとき以外は抜けないのだから、当然どこかでこうなる。3週間で10キロの生ごみとして、水分は8キロ8リットルの水を基材の吸い込み、限界になるということ。

濡れた基材を野外でシートに広げて、2日間乾燥させた。再スタートである。米ぬかを加えて、上部の発泡スティロールの蓋を取り、布のカバーにする。これで可能かどうか。もう一度やってみる。2日目40度を越えた。この方式では野外に置く場合、蓋をどうするか残念ながら問題がある。報告の中に、不織布のカバーだけで雨は大丈夫だと言う人もいた。中にタオルを掛けて、その上に不織布をする方式もある。研究中のものに、側面や底に穴を空け、蓋はそのまま使う方式で取り組んでいる人が居る。これも今のところうまくいっているらしい。しかし穴から虫が入るのだから、今度は虫が入らないためには、ほかの工夫が居るだろう。これも課題である。さらに穴の上に不織布を張り付けてやっている人もある。これも良いらしい。しかし、穴をあけたり、不織布を張ったりが面倒くさそうである。簡単で、単純でなければ普及はしない。やはり蓋が無い状態で、不織布カバーでしばらく実験を続けたい。

中にタオルを入れて、水分を吸収させて、取りだし交換すという方式もある。また、朝晩2回の撹拌は負担だという考えもある。箱を2個用意して、入れ替えをする事で簡単にかき混ぜると言う方式もあった。それなら、底に水分を吸うものを入れて置き、入れ替えるときに底にそれが残る。そして、乾かして置き、繰り返し入れ替えると言うのはどうだろうか。入れる生ごみを一度干すという江戸川区の方式もあるが、その手間はやはり負担である。大きな箱は邪魔だと言う人もいた。2個の箱など邪魔だと言う人もいるだろう。思い切って小さな発泡スティロールの箱にして、両者を入れ替えながら行うと言うのはどうだろうか。いずれにしろ、生ごみクラブで大勢で実験をしながら取り組んでいるので、急速に普及しやすい方式が見えてきている。
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海に行く放射能

2011-12-26 04:09:37 | Peace Cafe
政府は年間被ばく量20ミリシーベルトまで、帰宅できると決めた。帰宅できるようにそこまで放射能汚染の除去を行うとしている。全く馬鹿げている。どう考えても不可能なことだ。長期間1ミリシーベルトを超える地域は、本来住んではならない。法律でそのように決めてある事だ。これを簡単に20倍にもしてしまうことは、人体への影響を20倍に高める事だ。高濃度汚染地域の方には、酷な申し訳ない言い方になるが、子供が育てられないような地域に、人は住み続けることはできない。年間1ミリシーベルトの被ばくを政府は、理由なく取り去ったが、少なくとも子供たちはできる限り1ミリシーベルト内で暮らすべきだ。その前提で、どうすれば1ミリ内で暮らせるかを、ただ放射能を畏れるのでなく、科学的に自分の暮らしている場がどのレベルかを調べる必要がある。

放射能で分かることは、ただ不安をあおる情報もネット情報には多々あるし、政府のようにごまかしで小さく見せようと言う情報もある。これらのなかから、正しい情報を読み取る判断力が必要になる。情報の整理と言う意味で、これからの変化を私なりに考えてみる。測定の数値は全般で言えば下がってきている。2年ほどすれば、現状の40%程度になるということが見えてきている。これは半減期と言うこともあるが、風で飛んだり雨に流れたりしながら、下の方に、海の方に流れていると推測される。その様子が分かる情報をまとめて見る。

以下の情報は信頼性していいかと考える。これから山野に降った放射能がどのような変化をするのか。新たに放射能が流れ込むことのない場所では、半減期よりも急速に、おおよそ倍くらいの速度で減少している場所が多い。風や雨の影響で、放射能は特徴ある場所にたまっているということ。川や地下水から海というルートもあれば、田んぼや湖遊水池、吹きだまりへの蓄積。扇状地への蓄積。放射能は水に溶けて移動すると言うより、土砂や腐植質とくっついた形で、飛ばされたり流されたりしている。田んぼへの流入は何としても止める方法を考える必要がある。冬季水を入れることは極力避ける。山では土壌への吸着は少ない。針葉樹の葉や、落ち葉、腐葉土への吸着の量が大きい。これは雨の時に流れ出る確率が高い。

水深5千メートルの泥にセシウム 東北の太平洋、原発放出 2011年12月23日 19時42分
東日本大震災の震源域である東北地方の太平洋海底で、水深約5千メートルの深海の泥から、東京電力福島第1原発事故で放出されたとみられる放射性セシウムが検出されたことが、産業技術総合研究所(茨城県つくば市)などの研究グループの23日までの調査で分かった。セシウムが検出された泥は水深約120メートルから約5千メートルまで広く分布。全体として高濃度ではないが、測定結果についてグループの池原研・産総研副研究部門長は「おおむね、福島県に近いほど濃度が高い傾向にある」としている。

京大などは文部科学省の委託を受け、6月から8月にかけ、本流の中流や河口付近、福島県内の支流で流量や放射性セシウムの量などを観測。運ばれるセシウムの総量をはじき出した。 福島県中央部を流れる阿武隈川から海に流れ出る放射性セシウムの量が1日あたり約500億ベクレルにのぼることが京都大、筑波大、気象研究所などの合同調査で分かった。福島第一原発事故に伴い、東京電力が4月に海に放出した低濃度汚染水のセシウムの総量に匹敵する。専門家は継続的な監視が必要としている。 阿武隈川は福島県郡山市や福島市を北上、宮城県岩沼市で太平洋に注ぐ。流域面積は5400平方キロで、事故による汚染が大きい地域が広く含まれる。

東京新聞(11月23日)より引用
東京電力は海洋への放射性物質への放出量(ヨウ素、セシウム)を4700兆ベクレルとしてきたが、「身内」である電中研、日本原子力研究開発機構の研究者が「実際の放出量は東電発表の3倍」という試算値を公表。東京海洋大の石丸隆教授「海に流出した放射性物質は当初、すぐに希釈されると思われていた。ところが、計測データーを見ると、実は濃いままに沿岸を南下している」「海面付近の汚染は薄まっているが、ふんや死骸が落ちる海底に放射性物質が蓄積される」「海底にもホットスポットがある」

海の放射線濃度

フランスIRSNの海洋汚染の分析
文部科学省の海底土のモニタリング調査結果
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笹鶏ソーセージを作る

2011-12-25 04:34:49 | 自給




笹鶏の白系が6歳位になり卵を産まなくなったので、食べることにした。雌でも6歳となると相当に硬い。特に皮が食べられないほど硬い。それでひき肉にすることにした。そこそこ大きなひき肉の機械を購入してある。ひき肉の機械の会社では鳥の皮は保証できませんと言うことだったが、何のことはない、きれいにひき肉に出来る。笹鶏は肉自体は美味しいので、食べられる硬さであれば最高の食材である。以前から鶏のソーセージを、簡単に美味しく作ることは考えてきた。山北にいた頃はよく作った。鶏肉のような油気の少ない素材は、どうしてもばさついてジューシーな味わいに乏しくなる。今回はこぶた畑の豚の背油を加えた。6羽分の肉で2キロの鶏肉に背油1キロでやった。脂身と言うことで、少しビビってしまったが、1キロ入れても大したことはなかった。鶏肉と豚背油は同量と言うレシピもあった。3時に開始して、5時30分までかかった。

挽肉機に肉を通しながら、材料の混合を行う。冷やして置いた肉ををまず1回通しする。2回目の通しで、豚の腸に詰めて行く。良い粘りが欲しいし、あまり細かすぎても物足りなくなる。全体も良く混ざり楽だ。調味料として加えたのは、玄米卵3個、日本酒、砂糖、塩、コショウ。塩は多めの800グラム。これは保存と粘りを意識した。スパイスやハーブも入れることは入れたが、複雑な味はするのだが、美味しいというのかどうかが良く分からない。タマネギとニンニクとショウガは加えた。ショウガが不足している。肉はさばいてから3日冷蔵庫で熟成した。そういうことが必要なのかどうかも分からないのだが、しばらく寝かしてから、豚腸に詰める。ばさつきを取るためにも、実はカラシオイルを結構使った。豚腸に詰め、65度で15分間茹でる。燻製にした方が持ちが良いだろう。冷凍しておき、1カ月は食べることになる。

さらにフライパンで焼いて味見をした。なかなか悪くない味ではあるが、まだまだ工夫である。2メートルの豚腸を2本使って、2キロの肉を使った。つまり、1本1キロの肉と見ておけばいいようだ。残った一回通ししたひき肉は薄い板状にして、冷凍保存する。塩を効かせすべて味付け済みである。餃子やしゅうまいやワンタン。ロールキャベツ、チャーハン、野菜いため、シチューや肉団子。あらゆるものに便利に使える。大御馳走である。我が家の正月準備が整った。以前は肉の出荷もしていたが、今は数も減ったこともあり、自分のところで食べる位で丁度になった。挽肉機に通すやり方だと、皮やすじまで使えるので無駄がないし味も良くなる。問題点はひき肉にするのにはまとめてでないとだめだ。挽肉機の掃除が油で大変なことになる。大変と言えば、骨を外す作業で、1羽10分はかかるだろう。つまり1時間は骨外しであり、片付けが1時間である。30分がひき肉の時間。

肉のままもいくらか残してあり、絶品の親子どんにして食べる。まず、内臓と肉を炒め煮にする。ここで十分に味付けをして置く、そこに笹鶏スープを加えて、すぐ長ネギを入れる。一煮立ちした所に溶き卵を2個入れる。3個でもいい。それを焚きたてのご飯に乗せて出来上がり。簡単だが、上手くできると余所で食べた事のないレベルの素晴らしい味になる。外した骨はすべてスープである。親子丼にはこの笹鶏ガラスープが不可欠である。スープの中でソーセージは仕上げのゆで上げを行う。だからソーセージのダシも出る。スープは寸胴で大量に作り2日ほどかけて、煮詰めて行きキューブの形の大きめの製氷皿に入れて固めておく。これは毎朝のスープに使う。何にでも使うのでこの味に慣れてしまい、無くなると物足りない事になる。骨は畑に埋める。すべてを大切に使わせて頂かないと鶏に申し訳がない。
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大江戸リサイクル事情

2011-12-24 04:24:00 | 
「大江戸リサイクル事情」石川英輔著講談社文庫を再読した。気軽な本ではあるが、内容は重い。江戸時代に戻れば、今の人間には耐え難い貧困生活が待っているのだが、それでも戻るしかない。と言うような内容である。それは本音であるのかどうかは怪しいのだが、江戸時代に戻れば大丈夫という本である。その江戸の社会がどんな社会であったのか。その想像を絶するようなリサイクルシステムを細かく分析している。江戸のことだから、講釈師行って来たような嘘をつき。と言うきらいもあるのだが、ともかく面白い。すでに通例に成っているが、糞尿のリサイクルから始まる。たぶん、糞尿が相当に高価な生産物であったという、もっとも話を普及した本である。なにしろ、長屋の大家さんは糞尿の上りで生活が出来た。これを一人何グラム生産するから。ウンヌント細かく説明がしてある。こういう話を得意にする人はいるものだ。力んで無から有を生む説得力がありすぎる。

後は、もうすべてものがリサイクルに繰り込まれていたことは当然である。かまどの灰まで持って行きやがれ!ということに成る。ついつい江戸礼讃に成りがちなところを、繰り返し江戸の暮らしは最悪の貧乏社会で、耐え難いことであるの断り書きが入るが、それはあくまで批判を予測して先手で、機先を制しているにすぎない。本当はこの人は江戸の方が好きなのだ。そう言えば誰も聞いてくれないので、必死に現代人であることを強調している。私ははっきり江戸の水飲み百姓で結構である。もうそういう覚悟である。便所を花見に担いでゆき、ただで糞尿を頂いてしまうような、かしこい百姓が良い。次々便所に入る人たちを見ながら、花見を一緒にしている大儲けが好きだ。バカバカしいような工夫に満ちた社会。ネパールで道路に麦を置いて、通る車に脱穀させているような、気の遠くなるような姿が良い。裏の田んぼに行って、稲刈りをしてご飯を炊くような社会が好ましい。

自然エネルギーだけの社会はそこまで来ている。来させなければ人類は困る。とても困る。その時に、大半の人の心配は今の生活と同じ、浪費的暮らしを望んでいることである。夏は風鈴でなく冷房である。そうしないと、熱中症で死んでしまうことになっている。江戸時代は、夏涼しく過ごすために、江戸の町を石畳にしなかったと書いてある。コンクリートの住宅等とんでもないことだ。家は夏向きで、冬が寒い。きっと今の人なら、冬凍死することになっているのだろう。わたしは暖房を使わないが、今も寒いが耐えられないほどではない。結局死ぬということがもっと身近で、どういうことかが明らかになっていた。無常憑[たの]み難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん。ということで、覚悟が良い。命にも執着しない潔さが江戸ッ子の粋の世界。武士道の方もそう言うことのようだ。寿命も短い。到底、現代人には耐え難い世界だということはわかる。

それを覚悟しない限り、今度は巨大太陽光発電で自然エネルギー生活と言うことになるだけだ。人間が生きる喜びと言うものがどのあたりにあるのか。このあたりを再確認の必要がある。自給で食べ手入れば、へんてこなキュウリを生で食べても、どんな料亭の料理にも勝るものがある。江戸時代の耐え難いことは、身分制度である。油川の本家に行くと、我々下っ取りは上がれない部屋があった。広間の方は、当然上がれないが、その広間も3段になっている。油川の家だって百姓である。それは、百姓はその中で身分を作り、その全体が、士農工商である。これが無くなっただけでも、今の社会の方が確かにましである。その増しがいつの間にか、金権主義によっておかしくなっている。金持ちは散財しなければ粋ではない。粋な金持ちになるのは大仕事のようだ。お金より大切なものがあった時代。
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食事からの放射能摂取量

2011-12-23 04:07:09 | Peace Cafe
厚生労働省の調査では、1日の食生活から摂取される放射性セシウムは東京都では0.45ベクレル、福島県で3.39ベクレル、宮城県は3.11ベクレルだった。 この値は1年間の被曝線量は東京都で0.0026ミリシーベルト、福島県0.0193ミリシーベルト、宮城県は0.0178ミリシーベルトとなった。(朝日新聞)

私の拙い推測計算でも、NHKの調査でもかなり低いと考えていた。それを裏付ける結果であるが、政府がまともな対応をしてこなかったために、信頼性が確立されていない。この数値を信じる人は少ないかもしれない。風評と呼ばれる、食品や空間線量に対する不安は収まるどころではない。最近になっても、宅配を止める人が居る。この不安感は、放射能だけでなく社会全体に広がっている、日本の先行きの不安と連動している。東京で一日の食事で摂取するセシュームは0、45ベクレルである。私のように一切の注意をせず、我が家で出来たものはすべてを受け入れ、喜んだ食べたとしても、10ベクレルは越えない。ともかく、この数値はレントゲン検査を受けない私の方が、被曝量が少ないというレベルである。だからいいとか、危険だいう捉え方をするのでなく、客観的にこの数値を認識しておく必要がある。

低線量被ばくと言う事を、Oさんがコメントを入れてくれていたが、ここで指摘の論文を読むと、医学的低線量は1ミリシーベルトをかなり超える世界の話である。低線量と言うと、0に限りなく近ずくような錯覚があるが、自然放射能自体が、1ミリシーベルトを超えているのである。地域によっては、生活の場所が1,5ミリすでに存在している所もある。小田原は日本全体では低い地域である。この地域で、それに加えての福島からの放射能の、0,0幾つの誤差を云々している状況は何か馬鹿臭くないだろうか。段ボールコンポストに庭の花ガラを入れる事を、被曝するからいけないと言う人まで、先日いた。花ガラを東電に送れというのである。確かに、お茶畑に積みあげられた、葉っぱの山を見ると、東電に持って行ってもらいたいものだ。しかし、日本の何分の一かの山野は濃淡はあるが、放射能が降り注ぎしばらくは染み出て来る。東電に持って行こうが、山にそのままにしておこうが、大した違いは無い。結局は海に流れ出るのだろう。

幸いなことにグリンピースの調査では魚介類が、意外に放射能汚染が少ない。これも人によってはすごい濃度だと言うのだろうが。小田原の焼却炉の灰も以前より数値が下がった。暮しの全体として、放射能汚染がいくらか減少してきているという事だ。これから注意しなければならないことは、山から流れ出る水に含まれた放射能である。小田原周辺では久野川の水が一番数値が高いはずだ。それは箱根の東斜面に放射能雲がぶつかったと思われるからだ。しかし、高いと言っても水そのものは0,001ベクレルにもならないだろう。測定は出来ない程度の低レベルのものだ。しかも、水そのものと言うより、水に混入する土砂や、腐葉土に存在するのだろう。しかし、この極めて低レベルの放射能も、水田では稲は集めるように、吸い込む可能性がどうもあるようだ。小田原では今後も野菜で10ベクレル出ることはない。と断言できる。しかし、お米はその範囲ではない。さらに下げる努力をしてゆく方がいい。

政府は遅ればせながら、飲料10ベクレル。その他の食品100ベクレルと発表した。乳児は50ベクレルであるが、これは乳幼児と考えた方がいい。細胞分裂の盛んな成長期は大人とは違う。政府がこのように決めたのは、大多数の食品がここに収まることが確認できたからだろう。産経新聞は厳しすぎるとしている。お茶では静岡県の調査では、お茶の葉の放射能の量から、飲むお茶では100分の1になると言っていた。つまり1000ベクレルの荒茶まで大丈夫ということになる。これは生葉で200ベクレル以下と言うことになる。上記の朝日新聞では簡単に食品からの被ばく量を一つにして計算しているが。これはそう単純ではなく、幅があるもののようだ。同じものを食べても被曝する量は人によって違う。又考え方で、かなり計算式に違いもある。どの考え方が正しいかはよく分からないために、疑心暗鬼になる。正しい考え方と思われるものがあるなら、どなたか教えてもらいたい。
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原発事故収束宣言

2011-12-22 04:43:14 | Peace Cafe
余りの事ではないか。こんな状態で事故が収束の訳がない。まだメルトダウンした炉内の様子は不明確である。事故原因も明確でない。12万人が戻れず避難生活を続けている。戻れない広い地域があると言う事だ。収束どころか、社会不安は増大している。放射能による海洋汚染は相変わらず繰り返されている。あんなオイルフェンスで放射能が防ぎきれる訳がない。山からの流入水による、お米の汚染はこの秋に起きた原発事故の続きだ。ここで事故を収束したと言いたくなる気持ちの中に、原発事故と向き合おうとしない、野田政権のどうしようもない姿勢が表れている。言葉でごまかそうとしている。収束したと言えば、収束できるとでも思っているのか。安全であると言えば、危険なものまで安全になると思い込んでいる。かのようである。そうした科学的に掘り下げない態度から、稲藁の汚染を見のがし、今度は水からのお米の汚染を見落とした。

事故は原因が分からない間は、終わりではない。これから40年かけて、原発廃棄処分をしなければならない。その方法すら見えていない。格納容器内部の現状すら分かりもしない。それでも終息を宣言する神経が、図太いのか、無神経なのか。戻れないという現状が見えてきた、周辺に暮らしていた人たちの悲しみは、どこまでも深くなるだろう。東電と政府が行ったことは、国民を欺いた犯罪である。ある意味の洗脳教育である。今回の収束宣言に現われた姿勢はその延長である。犯した罪の深さを認識しているなら、こんな状態で収束したなど言えるものではない。300キロ離れた小田原久野でも、農業者は苦しみの中にいる。お茶畑を必死になって除染している。しかし、暫定基準値の500ベクレルから、お茶は注いだ状態の飲料として10ベクレルに変わる。一般食品は100ベクレル。と一気に基準が変わる。それでも不足だと言う、人が大半であろう。来年のお茶がどうなるか、農家は測定の都度一喜一憂している。お米もむしろ来年の方が深刻になる可能性がある。

何が収束だ。どじょうでなく、カエルの面だ。はらわたが煮えくりかえる。怒っていいことは無いので我慢するが、何故、これほど無能な政府なのだろう。嘘やごまかしを続けてきたことで、風評被害を広げ、日本中を不安に陥れている。政府のやっていることは、飲酒運転で逃げ出した犯人のいい訳のようだ。命を救うことが何より重要である。パニックを避けるためとか言いながら、まだごまかしを続けている。事故は終息などしていない。この段階で収束とすること自体、事故の見極めが出来ていない事を表している。このごまかしは実は、次の原発再開を目指す、第1歩であろう。今回の事故でも、まだ懲りずに経済優先である。原発輸出を目指すための布石である。ベトナムの人達に原発の始末に負えない真実を伝える必要がある。生み出される死の灰の処理すら、全く見えていないのである。

事故が収束するとは、冷温停止だけではない。周辺地域が、本来の安心して暮らせるレベルに、原発の状態が収まった時である。まだまだ放射能汚染水が漏れる。放射能廃棄物の始末は目安も付いていない。海洋への汚染も、臨時のフェンスのレベルのままである。福島の河口付近の空間線量は増加の傾向にある。曖昧なまま収束を宣言する態度は、国際社会をそうした口先でごまかせると考えている愚かさを、世界にさらしたことになった。まずます信頼されない国家になった。あのお隣の最近死んだ独裁者の国と同じに見られているだろう。飢餓は無いが、腐った中で暮らしている愚かな国民。収束という言葉から、転進と言う言い変えが思い浮かぶ。将軍様は収束したと考えましたので、後は責任を持ちませんが本音。この国の政治は腐り切っている。つまり、選挙民もそうなんだろう。私も腐っているということだ。ああ情けない。
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水田の放射能対策

2011-12-21 04:32:58 | 自給
昨日、Tウオッチから井上氏が見えて、田んぼの放射能の勉強を行った。水田の対策の方向が見えた。玄米で1キロ当たり20ベクレルの田んぼが、3ベクレルまで、つまり放射能を7分の1に削減できる事が見えてきた。田んぼの入口に溜池を作り沈殿させてから、田んぼにうわ水を入れる方式である。来年はTウオッチとこの方法の共同実験を行うが決まった。玄米を放射能で汚染しているのは、空気でも土壌でもなく、ほぼ「水が大きな要因」であった。その水の汚染も、測定器で測定できるようなレベルではない、極めて薄いものである。これは福島での500ベクレルを越えるお米の田んぼを地形的に観察すれば見えて来ることである。共通に谷戸田である。背後の山に大量の放射能が降り注ぎ、現在も落ち葉や腐葉土や土壌や樹木や、草木に吸着され存在する。それが様々な形を経て水に紛れこみ流れて来る。それを稲は養分として吸い上げてしまい、玄米を汚染する。米は土ではなく水で作るという昔からの言い伝え通りである。

農水省の予測した、土壌汚染から移行計数は、大きな目安にはなったが全体の放射能を削減するためには意味がなかった。水への注意を喚起しなかった責任は大きい。農水省は稲藁からの牛肉汚染に次いで、2度目の失態である。こうして農水省が失敗を繰り返す原因は、放射能に正面から向き合おうとしないからである。放射能については、科学的に向き合う以外ない。一方、消費者も0が望ましいことは分かるが、日本の農業を守るということは、自分達の暮らしを守ると言う事だと理解する必要がある。自分だけがシェルターに逃げ込むべきではない。ある程度の許容範囲を妥協すべきだ。そして、地域の消費者と生産者が、本音で話し合うところから始める必要がある。消費者は0,1ベクレルでも危険だとするような拒絶的な前提を持たないこと。生産者はできる限りの努力をする。その上で、どの範囲なら妥協が可能かの両者の話し合いが必要だろう。それは地域基準であり、統一基準ではない。

厚生省の放射能の基準から暫定がなくなり。おおむね食品はセシューム100ベクレル。乳幼児は50ベクレルと言うことのようだ。何故か私の以前からの主張と同じである。井上氏によると有機農業ではその10分の1になる10ベクレルと言うものが、小川町のグループでは提案しているそうだ。これも一つの見識であろう。現在、だいたいの地域で野菜においては10ベクレルを越えることは無い。キノコや芋類は別。強調したいことは稲作においては、来年の方が汚染が高まる可能性が出てきた。それは山から流れ出る水が原因だからだ。広大な山を汚染した結果、それが次第に海に流れ出ることになる。上手く対策をして耕作しないとお米の汚染は来年深刻なことになる。降り注いだ直接の土壌汚染については来年は減少している。しかし、水の汚染はむしろ深刻になる可能性もある。福島の河川の河口付近の空間線量が高くなってきていることは、川や地下水を通して下流域に流れ落ちている事を表している。

今年の段階での玄米では、久野川では上流部の田んぼのお米の方が、汚染濃度が高い。お茶では3000ベクレルを越えた、坊所川の水系は比較すれば低い。集める水の流域の大きさの違いであろう。また、酒匂川の流域の玄米はかなり低い。また、曽我山からの水を使う田んぼも汚染はほぼない。しかし、曽我山の腐葉土もそれなりの汚染であることは確認しているので、今後も全く問題がないと言えるかはまだ不明。もう一つ分かったことは、玄米と白米とを比べると、5分の1に成っている事だ。米ぬかと玄米を比べると、8倍と言うデーターもあるから、当然である。当面、健康を考えたら白米と言うことになる。稲藁やもみ殻は、玄米の10倍と言うことらしいが、これを田んぼに戻すべきかどうかは、まだ不明要素が多数あり、結論は出せない。腐植質がセシュームをつかむという考えもあるがどうだろうか。
*測定値については、ブログで公表すると思わぬ悪意と思える使い方をされるので、公表していません。ただし、農の会ではデーターをすべて公表しています。必要な方は個別に問い合わせていただけば、お教えします。
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善行少年表彰

2011-12-20 04:25:18 | Peace Cafe
Kです。
今までパトロールに参加してくれていた二人の
中学生が、本日、善行少年として小田原市長より
表彰していただきました。「善行」などという言葉
そのものが嫌いな私ですが、褒められることはよいことだと思い、
推薦し、通ったのです。
こういう中学生もいるのだということを知らせることだけでも
意味があるかと思い、校長に申請してもらい、通ったということです。
二人は、本日の参加者に、野宿者に対して持っている皆さんのイメージを
変えてほしいと訴えていました。「基本的に優しい人たちだ」と。


川面 壮輝さん   堀 嵩さん のお二人のことです。小田原市のホームページにも載っているので名前を出させてもらいます。中学1年生の後期に始めた授業を契機にして、野宿者に関心を持ち、団体の実施している夜のパトロールに参加して1年以上が経過している。野宿者にも感謝されており、冬季に行われる炊き出しにも参加している

この「基本的に優しい人たちだ」という言葉に打たれた。路上生活している人たちを怖い人、何をするか分からない人。こういう先入観が多くの人にあるかもしれない。お会いし話をすると、むしろ怖い人とは程遠い、と言うことが分かる。お二人の中学生が気付いた、「優しい人」と言う感想から、大切なものを教えてもらう。大きなものを学んでいる。優しすぎて、路上生活に入ると言う人が確かに多い。子供の頃、おこんじきさん(なぜだろうか、そう呼んでいた。)とのかかわりで、2度怖い体験があるので、路上生活者に対して、怖いと言う先入観を否定するものではない。お寺と言うこともあったと思うのだが、様々な知らない人が来た。やはり、暗くなってから来る。縁の下に泊めてもらえないかとか、山門のところに寝させてくれないかなど、旅の修行僧と思われる人も来た。頻繁に訪ねて来る人があった。縁の下で炊事をしてボヤを起こした人がいた位だ。祖母はそれこそ優しい人ではないが、何かの縁で訪ねて来た人に何かしらを渡さないことはなかった。

それが一般的なことで、特別という意識はなかったと思う。明治以前の地域の風習に根差しているような感じで、お寺という宗教的なものではなかったと思う。それは母にも受け継がれていた。昔の貧しい山村の暮らしでは、助け合うということは、ギリギリの事で善行と言うような意識ではなかったように思う。いつ自分もそうなるやもしれない、他人事ではなく明日の我身と言う空気が濃厚にあった。お婆さんは貧しくなった大きな農家の出の人のせいか、身についている何かが違っていた。今思うとお婆さんの行動から学ばされたものは大きい。孫と一緒に成ってやる。と言うのが基本。私自身さらわれかけるようなトラウマが、おこんじきさんにはあった。その後もお婆さんの態度は何も変わらなかった。

二人は善行少年と言う事だ。善行という名称を続けている感覚はどうだろうか。日本善行会と言う戦時中に出来た社団法人がある。国民学校とか、少国民に繋がるようなイメージがある。宝くじ協会からの1000万円の寄付があるようだ。東電も会員である。ではどういう名前がいいのだろうか。その趣旨は、社会全体の為に各々が行うべき役割を良く果たした。こういうことではないか。社会貢献表彰と言うことではないか。ボランティアと言う意味も、行き渡っるに従って、少し歪んでいる。本来なら自らやりたい事をやらしていただいているはずなのが、ボランティア行為である。すでに、善行ですよ的な、おしつけがましい空気が伴う場合がある。社会の中に、共通の価値観が無くなってきている為、あらため言わないと分からない人が居るので、と言うような断り書きが必要になっているのだろう。路上生活の人との交流すら、良く言わない人もいる。
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私の健康法

2011-12-19 04:10:15 | Peace Cafe
今の所、肉体的は、一応は健康を保っている。健康診断は学校勤務していたころが最後で、ここ20年は受けたことは無い。ただし、体内観察法で自分なりの検診はしている。その結果、きちっと暮らしていれば、自分の資質レベルには生きるだろうと思っている。この後どうなるかは全く分からないが、目標としては長寿日本一になれればと思う。それは大体に世界一に近いのだから、この際言うだけは構わないので、長寿世界一でギネスに載る方がいいか。1949年生まれなの、老人と言うにはあまりのひよっこである。泉 重千代老でも、キンさんギンさんでもないので、私以外には、参考にもならないことは確かである。

1、「早寝早起きで、充分に寝る。」夜は8時に寝て、朝は4時に起きる。昼寝もする。
2、「午前中心の小食。」夕食は普通は食べない。
3、「良く歩く。」散歩は1時間。軽作業、ゆる体操。
4、「風呂に入る。」汗をかく。新陳代謝を進める。
5、「発酵食品を食べる。」食事の材料は自給。偏らず、多様に。
6、「身体の自己管理」体重は頻繁に計る。自己検診法の確立。
7、「足を冷やさない。」上半身が冷えても腿より下はあたたく。
8.「呼吸を深くする。」呼吸は毎日しているので深くする。
9、
10、「平常心に暮らす。」明らめる。悩まない。受け入れる。


心掛けている事を並べて10カ条にしようとしたのだが、1つ足りない。確かに足りない位なので、9条は憲法と一緒で、一番大切なことはあるのだが、まだ分からない事にしたい。1条から、少し書き足せば、たくさん寝ると言うことは努力の要らない有難い健康法。しかも、最初にあげたい重要性がある。8時に寝ると言うのは努力が必要で、週2回は守ることが出来ない。2条は、お腹が空いてから食べると言うことで、空いていなければ時間が来ても食べない。夕方は何故か、お腹が空かないので食べないことが多い。いずれにしても、腹8分目で小食ほどいい。3条は、運動は軽いもんほどいい。マラソンより散歩。キツイ運動はしない。犬の御蔭で良く歩く。4条、風呂で清潔ということもあるが、むしろ新陳代謝を高める為。入浴法にはこだわりもあるが、下半身を中心に温め沢山汗をかく。5条、微生物の力をうまく活用する。歴史に裏打ちされた発酵食品の意味を良く理解し、利用する。人間は微生物に生かされている。

5条で加えることは、地のものを食べる効用である。身土不二ということがある。その土地に生きているということは変えがたいことで、土地を変えると言うことは、身体にとっては大きな負担。その土地を良く保つということは、生きる目的に等しい。6条、体重変化だけでも相当の事が分かる。良い体重があるので、それを保つ。心拍数とか、体温変化とか、尿の匂い、糞の状態。体内の各機関を順番に内感チェック。7条は、足は出来る限り暖かく保つ。寒い時期だけでなく。夏でも同じである。はだし健康法は見ていても辛い。8条、呼吸は寝ていてもしている。深くできるように、大声を出す。笑う。歌う。9条は、何か見えない部分があることはわかるのだが、自分に欠けている所。憲法9条と同じで、平和を保ち怒りを抑えると言うことかな。10条、これが一番難しいのだが、心の問題。心と体は全く同じものである。心が健康であることがすべてに優先される。
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最近購入したもの

2011-12-18 05:40:53 | 身辺雑記
まず、「超音波イオン歯ブラシ」超音波で歯を磨くと言うやつである。ここまで書いて思い出して早速3分間磨いた。机の上にセットしてある。どのくらい効果があるのか、すぐやりたくなる性格である。実は、前から電動の歯ブラシは持っていた。ナショナルのものである。使い始めたことは面倒くさくなくていいかと思ったのだが、効果が大したことはなかった。最近ラジオショッピングでうるさくコマーシャルをしていたので、ふらふらと超音波とイオンの名前につられて、買ってしまった。高松市のマリーヌと言う知らない会社である。生産しているのは中国である。これが2台セットと言うことで、1台は無駄になっている。これが使ってみてなかなか良いのだ。前の電動とははっきりと違う。イオンや超音波がどう影響しているのかは分からない。買ってから面白くて何度もやるのが一番の効果だと思うが。歯垢や茶色い汚れが少しづつ取れてきた。あえて書けば、歯磨き粉と言うものは、何十年も使った事がない。

次に買ったのが、「竹炭粉せっけん」竹炭石鹸はなかなか良い。石鹸は基本使わないのだが、どうしても使いたい時にだけ、竹炭石鹸を使う。以前ちえのわハウスで買って使っていた。しかし、風呂屋に持ってゆくと忘れて置いてくるのか、気が付くと無くなる。それで、1回分づつ持ってゆくという考えで、竹炭入り粉石鹸を購入した。これは実は含まれている石鹸素材が悪い。残念ながら良いものとは言えなかった。それでも1カ月ほど使用して、問題とまで言える所は無い。もう少し良い油を使うべきだ。何とか石鹸はアレルギーが問題になった。ごく普通の石鹸でもそう言うことはままある。できる限り使わない。銭湯の備え付け石鹸は絶対に使わない。直接皮膚に触れるもので、どこの何かも分からないものは避けた方がいい。身体はお湯でよく洗えば十分である。愉快爽快には塩があるので、塩で洗うのだが。

モリモリさんに教えられて平塚のユニディーに行って買ったのが、「羽毛室内履き」今も履いている。暖房を使わないので、すでに寒い。靴下は3枚履き、足先を冷やさないようにしている。その上に冬山登山靴下のような、羽毛の靴下をはく。足が冷たいことは無い。靴下は一番下は絹の5本指。その上に綿。その上に毛の靴下。の上に羽毛の4段重ねとなる。ユニディーは確かに広い。特に陶芸製品や画材にはびっくり。なにしろ水彩材料で始めて見るものがあった。ニュートンの固形の4×5センチ位の絵の具。中国生産なのか。中国ではああいうタイプの固形絵の具が各種ある。チューブについてはとても質が悪い。それでも水彩紙などは品不足。シュミンケの絵の具があれば買いたい色があったのだが。それは無かった。大きな固形絵の具は今も買いたいと思って居るのだが、質が不安。どうせなら10色揃えて欲しい。コバルトバイオレットがなかったので悩む。ユニディーで短い柄の剪定ばさみも買った。これは稲藁を切るのに使う。産卵箱に入れる稲藁を細かくして、卵が汚れないようにする。押し切りもあるのだが、切れなくなっていることもあり、危ないので使わない。

最近買い溜めてしまうのが缶づめ。食品売り場を通ると、つい手が出る。不安だからである。今数えて見ると、32個ある。だいたい魚介類である。コンビーフや牛肉の大和にと言うのもある。ごく当たり前のものだが、缶切りの要らないやつを選んでいる。被災した時美味しい物を食べたいと思うからである。乾パンやチョコレートだけでは、元気が出ない。ご飯を炊いて、せめて普通に食べるようにして置きたい、という心理。水の汲み置きはある。自給的暮らしをしていると、あらためて防災グッズでもない。今後、買いたいと考えている物が、出歩くときに使える、携帯用のパソコンである。最近便利さがぐんと増しているようなので、そろそろ買い時かと考えている。写真が取れて、ラジオが聞けて、書籍が読めて、メールが出せて、文章が書きやすい。畑でも痛まないような丈夫な機種。それなら、畑で記録用に使える。
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農業基盤整備事業

2011-12-17 05:39:19 | 地域
農業基盤整備事業について「水は命の源であり、土は豊かな恵みを与えてくれます。」この水と土を相手に、自然との共生を図りながら営まれている農業を支援するため、水田で必要な農業用水を確保するためのダムや堰の建設、営農条件を改善するための水田、畑の整備、農産物などを運搬するための農業用道路の整備、農村の環境整備などを行っている事業の総称です。農業農村整備事業は、農業生産の基盤と農村の生活環境の整備を通じて「農業の持続的発展」「農村の振興」「食料の安定供給」「多面的機能の発揮」の実現を図るための施策です。食料自給率の目標達成の前提となる食料供給力の強化には、農地・農業用水の確保、担い手の確保・育成、農業技術水準の向上が不可欠で、そのためには農業生産基盤の整備が重要です。


上記の文章は農水省の実に立派な非の打ちどころのない農業基盤整備事業に対する見解である。そう皮肉を言いたくなる位、この政策の建前と運用の実際の乖離。その結果農業者の減少。耕作地の減少。農村の衰退、消滅。自給率の低下。この政策が失敗をしている事だけは、結果から確認できる所である。

神奈川県の具体的な指針。
農道整備事業 :農産物の集出荷作業の省力化及び流通の改善とともに、畑地帯や樹園地の農家経営の近代化及び省力化を図るための、複数の市町村にまたがる基幹的農道や、幹線農道及び支線農道の農道網を整備する。また、既に整備を行った農道の機能向上や安全対策の確保等を図るために必要な整備を実施する。
実施地区名:広域農道整備 小田原湯河原線(小田原市、湯河原町、真鶴町)


この広域農道の真っただ中にあるのが、今売却で取りざたされている小田原市所有の土地建物、ヒルトン小田原である。これこそ日本の農政の矛盾の象徴だと思う。みかん減反の見返りとして誘致された厚生施設建設。その破たんから小田原市の買い取り。外国ホテルへの賃貸し。そして、農道としての周辺道路の整備。事業の効果の検証を行う必要がある。小田原では観光やリゾート開発や廃棄物輸送が主目的とされている道路である。この道路の使用目的は、海岸沿いの道路の慢性的な渋滞の解消が、主目的と考える人が大半だと思う。そして、観光道路としての期待。この広域農道が農家経営の近代化につながるとは、誰もが考えていない。片浦地区の農業の将来展望が示されないまま、広域農道だけが建設されている。それは山北から、小田原に至る広域農道も農業に対する効果は殆どなく、周辺農地の減少が目立つ現状に見える。公共事業が建設業者とそこでの雇用の為に行われている現状。農水官僚の作文の美しい建前と、農業の空洞化。

広域農道が不要と言うのではない。農道を作る前に、その地域の農業の展望を農業者を含め十分に作り出す事が先である。その将来展望に基づき、農道は作る。農業展望の、一切の話し合いもなく。「農地の宅地への転用が出来るかもしれない。」「観光客が来てくれるかもしれない。」「リゾート開発が行われるかもしれない。」こういう、あやふやな期待感を背景に、工事が生み出され、周辺の建設に伴う、利益誘導だけが進んでゆく。すでに、工業団地の時代は終わった事は誰にでもわかる。工業団地は日本国内では成立しなくい時代。宅地開発しても利益の出ない状況。人口減少とより都市近郊での大型マンション建設。これからの社会状況で、当たり前のリゾート地が難しいことは、伊豆全般のリゾート地を見れば一目瞭然ではないだろうか。次の時代を見据えた展望を、地域に暮らす者自身が行うことが何より重要なことである。行政はそのリード役を担う場面だ。受け身の事なかれでは、事態の悪化は目に見えている。

政府はTPPに伴い、30から50ヘクタールの大型農家を展望としている。小田原で言えば片浦地区で1農家になる。そのような政策は無意味である。では小田原の農業は潰せばいいのか。と言うことになる。その場合農地を転用して、何をどうして行くことが地域の将来の為に成るか。十分議論しなければならない。私の意見は相変わらずであるが、自給農業の展開である。片浦地区の風光を生かした、農業と住宅の適度に配置された地域の形成である。傾斜地を生かした配置、農地を住宅周辺に作る。駐車場を限定し、地域内には電気運搬車のみ。駐車場と根府川駅間はカーシェアリング。共同のビニールハウス。共同の水田、小麦畑、大豆、果樹園の設置。土地所有は地主が出資者となる社団法人。個人利用者すべてに賃貸する。その為の法整備、環境整備が行政の行うべきことだろう。

昨日の自給作業:田んぼの整備、畑の整備2時間 累計時間:6時間
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