地場・旬・自給

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ゆずのマーマレード

2006-11-30 06:53:00 | 自給
今年もゆずのマーマレードを作る季節になった。ゆずはこの辺りでは、利用する人が殆どいない。せっかく大きな木に見事に成っているのに、採る人がいないまま、放棄されてしまう。ゆずは丈夫な木で、ほって置いても虫は付かないし、肥料も入らない。それでも成らせたままでは木も弱るし、せっかくのゆずだし何か利用できないかと始めた。

坊所にある農の会のお茶畑の片隅に、5メートルほどのゆずの大木がある。この木にそこそこ実るのだから、コンテナに、3箱は少なくともある。欲しい人は是非一緒にとりましょう。ゆずの木は鋭いとげがあるので、登って採るわけにも行かず、結構収穫は大変だ。収穫の方は12月にいつもやる、ソロ、ソロやらないといけない。長い竹竿で、叩き落しながらやっている。ゆずが欲しいというより、採らないで置くのも何か申し訳ないようで、始めた。

さて、採ったゆずをどうするか。それでマーマレードを始めた。
ゆずは採って来たら、横切りに半分にしながら、広口ビンに入れてゆく。合間合間には黒砂糖をたっぷりと詰める。相互に入れながら、いつも広口ビンに2ビンは仕込む。黒砂糖は思い切って大目がいい。どうせ後で又足すのだ。漬け込んで、1ヶ月ぐらいすると、黒砂糖とゆずの水分が混ざり合って、ゆずが水没するようになる。これを夏の間の飲み物として飲む。出てきた液を飲んでしまうと、残ったゆずが乾いてしまうので、水没した状態で、12月まで1年間熟成しておく。その辺にほおって置くだけだ。、ゆずを取り出すと、すでにゆずは柔らかな状態になっている。大抵の人は、これを腐っているという。これをそのままステンレスの鍋にいれて火にかける。

黒砂糖を足して、火にかける。すでに状態は柔らかいので、温まるころにはとろけてしまう。皮の状態によってはまだ硬いようなら、ポテトつぶしの道具で、上から抑えながら、かき回していればいい。これでマーマレードになってしまう。ゆずだから、相当強烈な苦味がある。何度も湯がいた、オレンジの皮で無いとダメだ。というような人には、食べられたものではない。所が、マーマレード通というか、この癖が好きだという人には、中々いいのだ。

採ってきたゆずをそのまま使えば、手間がかかるし、とても味がきつくて食べきれるもので無い。保存の時間はかかるが、作業時間や燃料が殆ど入らないというところが、気に入っている。他に食べる人がいないので、独りで殆ど食べてしまう。お湯でこれを割って飲むのもいい。ソラマメさんのパンにこれを付けて食べる。これが又いい。一年でこれがなくなる。無くなった頃に、仕込む季節が来ていることに気付く。ひどい風邪を引いた事が無いのは、このゆずのお陰かもしれない。

畑の方も、やっと片付けた。最後の地這いキュウリが1本だけなっていた。池の蓮も掘ってみた。確かに、実ってはいるがこれが大変だった。乾いた田んぼに埋まっているので、どうにも掘りようが無い。シャベルで切ってしまうのだ。やっと掘ってももげてしまうし。やはり沼状態にしておいて、手で掘るもののようだ。10センチぐらいの小さな実しか付けていない。まだ、食べていないが、どんな味がするのか楽しみだ。食べる時に少しづつ、掘る事にしよう。
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鳥インフルエンザ。韓国で発生!

2006-11-29 05:44:19 | 自然養鶏
昨日、家畜保健所から電話があった。「お宅は網で覆われていて、野鳥との接触は無いですよね。」一体今まで何を見て、何を話してきたのだろうと、唖然とした。「家は放し飼いをしていますから、いくらでも野鳥と接触します。」正直に答えた。それ以外、の方法で鳥インフルエンザを克服できないと考えている。こんな事をいくら言っても、理解をされない事はわかっているのだが。「伺いますので」こういって電話を切った。

韓国では2軒目の感染が確認された。前のところから、3キロ離れているという。
最初に発症した養鶏場は雛を出荷する種鶏場のようだ。67軒の養鶏農家に出荷している。その出荷先で、2例目が出たようだ。その他弱毒ウイルスも何件か見つかっている。これも良く理解は出来ないが、報道では通例毎年3,4軒はあるものだが、問題は無いものだ。このように伝えている。韓国では、弱毒の場合消毒もやらない、淘汰の必要も無いとしている。実はこれが正しい判断だ。

この弱毒のウイルスについては、日本の農水省も10月の家禽小委員会でやっと方針を変えた。弱毒のウイルスへの感染を見つけたら、即、全てを淘汰という非科学的な考えをやっと正式に撤回した。このタイミングで発表するというのも、農水らしいセンスのなさだが、ともかく科学的な見地にやっと立脚した。農水の続けている、鳥インフルエンザのモニタリング調査では、弱毒の物も今のところ見つかった事は無い。1000羽以上の養鶏場と言う事だから、多分発見は難しい。野鳥をとことん調べれば、必ず発見できるはずだ。厚生省では人間にも感染していると、発表したが、これはその後どうなったのだろう。

もし我が家の鶏が、弱毒の鳥インフルエンザに感染いていてくれれば、強毒のウイルスにも安心なのだが、この点は不明。と言っても、過去の感染が発見されれば、いくら健康状態でも、即、淘汰が農水の方針だったから、心配でならなかった。今度は多分大丈夫だ。しかし、日本海側では野鳥との接触は危険だ。もし日本海側で発症すれば、野鳥との接触は出来る限り避けなければならない。同時に、見学などの、人の往来もできない。

強毒化した鳥インフルエンザが人間に感染する。このことが一番の不安だが、強毒ウイルスが世界に広がってから、4年で死者は152名。日本の自殺者は毎日90人だ。内インドネシアが57名。インドネシアでは、感染拡大の処置が遅れていて、自然の成り行きになっているようだ。それでもこの程度と言う事は、人への感染の力が弱いと言う事。しかも死んでいる人に年寄りはいない。子供や若い人が多い。免疫力の関係だと思う。いつ、これが人に感染しやすいものに、変異するかは分からないが、今のところは、そう恐れる事は無い。

強毒のウイルスを変異させた、原因がどこにあるのか。この調査・研究をして欲しい。間違いなく、薬を多用する大規模養鶏場に原因はある。不健康な状態の、薬でやっと生きているような鶏に、弱毒のウイルスが入る。これが感染の連鎖をたちまちに起こす。そして、何万回目かの感染で、強毒のウイルスに変異する。強毒化したウイルスが、更に豚などの家畜に感染する。ここで又感染の連鎖が起こり、人間への感染力を持つように変異する。私は素人なりにそう推理している。何万という単位で、家畜を飼う事が不可能なのだ。ほどほどに、自然と折り合いをつけながら、出来る限り小規模で、行うのが畜産の在り方だ。
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郵政造反組の復党

2006-11-28 06:27:42 | Peace Cafe
自由民主党という政党が、実に、「美しく無い日本」の伝統を継承している事が良く分かる。しかし、この美しく無い姿こそが、日本の主流であり、このやり方が知恵のある、自民党的やり方として日本を覆ってきたといえる。日本人がおかしくなっている象徴のような、政治手法だ。

郵政民営化の問題があった。小泉首相が強い関心を持っていた。アメリカからの要請もあった。郵便貯金事業と簡易保険事業の自由化が問題だった。赤字の郵便事業を民営化して、過疎地域の郵便事業を、どのように公平に継続できるか。論議が尽くされていない。見切り発車のような形で、郵政民営化是か否か、衆議院を解散した。規制緩和、官から民へ、ぶっ壊すとか、刺客とか、ホリエモンとか、肝心のことは良く分からないまま、レッテル言葉に振り回されたまま、小泉劇場に国民は負けた。憲法改定問題、教育基本法の問題。重要な選択が出来たのだろうか。郵政民営化自体も本当に国民は選択したのだろうか。

自民党の幹事長は、反省の誓約書を書けば、復党を認めると言い出した。1年前に自民党から、除名処分にしておいて、復党を言出だすことに不思議がある。それならそもそも、除名しなければいいだろう。しかし、この手法が醜い日本人の巧みなやり方の象徴だ。合理性は無い。ご都合主義。理論的には滅茶苦茶。義理人情。馴れ合い。この国の政治をつかさどる人達の体質だ。国民の大半がすぐ忘れて、受け入れてしまう。国民一人ひとりの周辺も、この理論を越えたいやらしいやり方の世界で、取り巻かれている事を、本能的に気付いている。

イダヤ・ペンダソン流に言えば、これが日本教の宗旨なのだろう。暗黙の了解。自民党は世論の動向を見ていた。いくつかのアドバルーンを揚げて、世論の反応を見ていた。反応によって何処へでも落とせるようにしていた。一見多様な考え方が自民党内にあるごとく、見せかけながら、結局復党を計ろうとしている。この間安倍総理の考え方を全く見せない。その手法が「いかにも」自民党的、醜い日本的だ。造反といわれて、のこのこ戻るのも、さすが元自民党の議員だ。

この日本的、多分他の国では起こりえない奇妙なことが、平然と進む日本という国、醜い国を美しい国に、どうすれば変えられるのかだろう。教育基本法を変えようという気持ちは分かる。このままでは日本人がダメだ。確かに、自民党のようになってしまう。教育を変えて、何とかしたい。こう思うのも無理も無い。自分の醜さだから良く分かるのだろう。

やはり戦争が良くなかったと思う。15年の戦争の間の教育が、特に良くなかった。この間に初等教育を受けた世代は、まともな教育を受けていない。しかも、戦後価値観が大きく変わり、人間性の成長という意味で、大きな欠落がある。北朝鮮の教育と同様な教育を受けた人々が、今政治の中心にいる。この怖さが、今の自民党の姿だ。安倍総理はその魑魅魍魎の代理の総理だ。言い成りになっている間だけのことだろう。戦中教育世代の生き方は、建前はあくまできれいごと。実際の暮らしは、独善的利益誘導。これに尽きる。

こんなどうしようもない話をしていてもしょうがない。この現状を変えられるとしたら、大きく遠回りをすることになるが。夫々が自分の考えで、自分の暮らしを、自分の力でおくる。そう変える以外ない。それができれば日本は変わる。
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大豆の会・味噌の会

2006-11-27 06:10:47 | 自給
農の会には、以前から味噌の会が在った。味噌作りは10年以上続いていると思う。最初は、麹も大豆も購入して、豆を煮て仕込むという活動だった。これでは味噌作りをしているとは、胸を張れない。大豆は、田んぼの畦で徐々に作り始めた。少しづつはできるようになったが、全員の分という訳には行かなかった。麹のほうは、千田さんが来てから、みんなで簡単に仕込めるようになった。

今年は春になって田んぼだった畑が、急遽、出来そうもないという事になった。農の会の中で、誰かがやれないか。と言う話が起きた。元田んぼなので、隣の田んぼに水が入ると冠水してきて、畑としては条件が良く無いという。それで色々話し合った末に、畑を返すわけにも行かないのだから、大豆をやってみようと言う事になった。この辺が少し微妙なところで、返したっていいのだけれど、農の会として借りている以上、これからも借りてゆくためには、せっかくお願いして貸してもらっている畑を、簡単に返したのでは、会の信用に関わる。そんな気持ちが働いた。

と言って、大豆畑の管理責任は誰が取ればいいのか。こんな問題が起きた。会全体で作業はバックアップするので、味噌の会をされている、中原さんに併せてお願いできないか、と言う事になった。中原さんは田んぼの会の責任者もしていて、ちょっと難しいと言う事になった。ここで行き詰ったのだが、中原さんが、決意して引き受けてくれた。会が押し付けた形とも言えた。今年はどちらかの役割を誰かが、引き受けないと、中原さんに申し訳ないだろう。

しかし、大豆の会を始めてみると、活動の展望がどんどん広がる気がした。大豆が充分生産できるようになれば、一人では難しい、様々な活動が展開できる。一番は、醤油だ。醤油を使わない家庭は無いだろうし、醤油を一人で作る事は大変非効率だ。醤油まがいは、出来ても本当の醤油は一人では難しいと思う。絞り機が先ず必要。味噌と違って、本格的に一人で仕込んでも、量が多くなりすぎてしまう。共同で作って、数本ずつ持ち帰るという形が、自給には丁度いいと思う。

一人でやるとしても、納豆、あるいは豆腐、きな粉、やろうと思えば、大豆の使い方は多様だ。大豆を一定量持ち帰れば、色々の事が出来る。大豆の栽培が少し不安だったが、今年は上手くいった。少し栽培にも自信ができた。苗作りは簡単だ。種を配り、苗を一鉢でも家庭で作ってみる事が出来るというのもいい。こんなところから、農業に関心を持ってもらえるかもしれない。第1歩になる可能性がある。

長野県の小川村には「手作り醤油中間達の会」が在るそうだ。全体で20樽仕込む。70リットルぐらいの一樽をグループで作ると、30本の一升ビンが取れるそうだ。この20樽が集められて絞っているようだ。立派な船と呼ばれる絞り器を所有している。足柄でも20年前までは醤油の絞り屋さんが廻ってきたという。やってみたい人は沢山いるのだと思う。

地場・旬・自給を掲げる農の会としては、味噌醤油は是非ともやりたい活動だ。私などは一人では中々腰が重くて立ち上がれない。みんなで醤油となれば、何とか出来そうな気がしてくる。大豆の会には可能性が広がる。
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史談会

2006-11-26 06:13:39 | 身辺雑記
「サポートセンター祭り」が、鴨宮のマロニエであった。ピースカフェーもパネルの展示と、歌を歌っての配布を行った。8人が集まり歌って配ったのですが、駅前と違って、ちょっと勇気が必要だった。駅前だと、別段聞いている人がいるという感じがしないので、賑やかになんかやっていると言う事で済む。マロニエでは、聴いている人の前で歌うという、私としては、何故こんな事になるのか、そんな恐怖を覚える感じだった。まさか、人前で歌を歌うような事が、人生であるとは思わなかった。これが又、大きな声で歌わないと、いよいよ盛り上がらないと言う事もあって、下手は下手なりに、大声は張り上げないとならない。実に困った。照れていると更におかしいので、何とか、歌ったが聞いていた人には、さらに迷惑だっただろう。やはり、人前で歌うのだから、一度は練習が必要だ。練習してもどうにかなる訳じゃないが、努力は要る。

足柄地域には「史談会」という歴史研究会が在る。たまたま、サポセン祭りにはこの会のパネル展示もあった。ピースカフェーのパネルの傍だったので、たまたま話しをさせてもらった。坊所の田んぼの地主さんの湯川さんが、この史談会のメンバーで、地域の歴史に詳しい。それで以前、天子台の縄文の家で、火を囲んで久野の昔を話していただいた。90になる湯川さんが、面白い久野に残された話を、正確に語ってくれた。中心が久野の石にまつわる話だった。石と民話、サイダー工場に湧き水を引いた、石管。検地石の切り出しとその、採掘後の事。石が歴史を語るという面白い話だった。

その中でも、興味深かったのが、久野「総世寺」が古くは和留沢にあったと言う話だった。若いころにその礎石を見つけたのだそうだ。座禅石らしき石も残っていて、この辺りだと確認できたというのだ。所が、史談会で再調査に行ったらどうしても見つらない。どの辺りにあったかはわかっていたのだが、杉が植林されて、すっかり林に埋もれてしまった、というのだ。それを、仲間で再発見しようと行っては見たのだが、今のところ見つかってはいない。

和留沢は戦後開拓の部落で、その以前は人はいなかったというのだ。私にはどうしてもそう思えない。古い時代こそ、水があり、山があり、少しの平地があれば、人は住んでいたはずだ。最乗寺(南足柄)、最(西)明寺等古い寺院が足柄平野を取り巻くようにあり、古い時代は修験道の寺院として、箱根山麓に寺院が点在したと思われる。坊所:ぼうどころ、あるいはぼうしょ。宿坊の名前も久野の地名として残る。和留沢のようなところこそ人が住むところだと、証明したいと言う思いもある。

その湯川さんの話から、その上品なお年寄りは富士フィルム勤務だったと言うお話になった。昭和7年に富士フィルムがこの地を選んだ理由に始まり、富士フィルムの歴史話を聞かせていただけた。これが又、面白い話で公害の問題など、きっと正式な社史には出てこない、興味深い内容が満載だった。どうも技術畑の方で、カドミニュームとフィルムの感光剤の関係など、教えていただけた。それで、きつとこの方なら、瀬戸さんの事をご存知だと思い伺うと、同僚だったと言う事で、課長同士だったこともある。といわれた。「あんなに気持ちの良い、思いやりのある人はいなかった」と話された。会社の仲間から、こんなに評価される人はちょっといないだろうと、聞いていてうれしくなった。
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官製談合

2006-11-25 09:41:34 | Peace Cafe
宮崎県、和歌山県、福島県と県中枢が指揮する談合事件が相次いで、摘発されている。その前は岐阜県での裏金。長崎県、そのほかで日常的に行われてきた模様。こうした事件の続発は、日本的な仕組み作りのある。

先日、友人と飲んだとき弟が、地方で建設会社をやっていて、倒産しそうだという話を聞いた。彼の父親が作った会社で本来彼がやらなければならないところを、東京に出て会社勤めをしてしまい、致し方なく彼の弟が、引き継いだという話を聞いていた。公共事業を取れなくなって大変なんだ。

こういう話だ。全てを公平に入札すると、大きいところほど仕事を、取れることになるらしい。東京の企業が、小さな地域の仕事まで取ってしまう。これは、規制緩和の結果。何処の会社でも入札できるように変わってきた。仕方が無いので、下請けに入るしかなくなる。地域の行政も、地域の企業を育成したいという気持ちがあるし、地方議員は当然そうした地元建設業を背景にしている人も多数いる。そこで、官製談合と言う事になるらしい。

何故、こういう仕組みになるかだ。入札には仕事により、入札条件がある。これを地方の企業という形で限定すれば、すんなり行くかというと。これまた、複雑で、長野県では前知事がこれをやろうとして上手く行かなかった。全てが丸く収まるために、腹芸というか、魚心というので、持ちつ持たれつやることになっているらしい。これが、日本中の行政、及び、首長、議員、に染み付いている。例えば、公明党系の議員は昔はカネにはきれいとだけは、言われていた。与党になった今は、まさに保守党議員の顔になった。

仕事を行う仕組みの作り方を変えないとならない。これは、別に会社でも同じだ。汚いことを平気でやるのが、伸びる会社であるというのは、村上氏、堀江氏が見せてくれた。大方の、日本人がそんな物だろうと思っている。こういうところに竿を指すと、話の分からん奴だと、排除される。これを乗り越えないと、日本が脱落してゆく原因になる。会社でも内部情報が不透明な会社は、私なら株は買わない。

行政の仕事一切が、透明性を確保される事が、解決策だ。しかし、そんなやり方には慣れていないし、手間がかかってどうにもなら無い。こんな感覚だと思う。東京オリンピックのころ、「独りの反対者がいても、やらない。」こう断言した、美濃部都知事という人がいた。結局、夢の島のゴミ処理などで、えらい不評を買ってしまった。

多分日本人には出来ないのだろうと思う。きちっとしたルールやシステムを作る能力が無いと思う。人間に無いのかもしれない。こういうところで諦めてはいけないのだけれど。談合がなければ弟がやっていけない。それはそうだと思う。必要な正当性もわかる。弟がやってゆける他のシステムの構築が必要なのであって、談合方式を温存させる事が解決ではない。もちろんそんな事は誰でも知っている。そこに仕組みを変えるために流す血が、怖いわけだ。

清濁併せ呑む事が、大人の条件のような社会を。水清ければ魚住まず。という状況をどうやって住みにくく、小人で、やって行けるようにするかだ。今より不愉快な状態を通り抜けない限り進めない改変だから、本当に難しい。農の会でも、仕組みの改変が行われている。私は一つの実験だと思っている。大いに試す価値はある。
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韓国でトリインフルエンザ発生

2006-11-24 07:23:41 | 自然養鶏
ついに恐れていた事態がやってきた。前回の韓国での発生の際も、カケスと思われる野鳥の飛来による、感染が日本でも、あいついで起こった。たぶん、今回も日本への感染の広がりは、十分考えなければならない。前回も渡り鳥による感染というより、偏西風に乗って、感染した野鳥が流されてくることが可能性として、高いようだ。と言われていた。

何処から韓国に来たのか。これも全く以外だ。中国での感染の状況から言って、韓国の南西部に突然現われると言う事は、ちょっと考えにくい。人為的なものの移動に伴って、起きた事なのか。以外だが、ともかく日本も厳戒態勢だ。季節的にも、風、乾燥、渡り鳥、とまずい時期に起きた。

対策と言っても、出来る事は少ないが、ともかく健康に育ててゆく事。九州や日本海側はすぐにでも、飛来の可能性はあるので、様子が分かるまでは、野鳥との接触は控えた方がいいだろう。先ず韓国の出の今後の広がりが、どう推移するか。これに注目したい。このウイルスがどの系列であるのか。何処からの感染かが分かるといいのだが。結果がでるのは、しばらく先になるだろう。

この間感染に対する日本での対策は、進んでいたのだろうか。前回の茨城の感染では、対応が後手後手で、人間への感染もあったと厚生省はしている。ともかく人の立ち入りが、特に他所の養鶏場に立ち入った人は一番良くない事。しばらくは、見学者なども避けたほうがいい。何がどのように波及するかは予測しがたい所なので、出来る限り感染要素を減らさないといけない。

この間のウイルスの研究では、ウイルスの変異が何処で起きたかについて、アメリカの研究では、福建省で発生した、福建株が大元としている。中国ではそれを否定している。どうもウイルス株にはいくつかの型が同時に、流行しているようだ。最近起きている。中国北部でのウイルスはどんな型なのか、WHOには報告が無いとされている。何故こういう情報が、きちっと出ないのか。よく分からない。ウイルスの変異が特定できれば、どのような状態で、ウイルスが変異するのかも、分かるはず。

この間、人間への感染の方が、当然研究が進み、ウイルスへの感染には人間の側の、何かが影響しているらしい。それが、遺伝的な血統で感染への強弱があるらしい。当初、予測していたような、感染爆発が起きない原因は、どうも今回のトリインフルエンザウイルスの性質にあるようで、変異が繰り返されているうちに、人間に感染しやすくなる可能性は在るにしても、まだ、この辺も実態は見えていない。

今のところ、動物間での感染。以前よく言われて、豚での感染が問題視されたが、野生動物間での感染の連鎖の中での、変異が心配されている。しかしこれは、人間がどうする事もできない問題。人は、こうした事にどのように折り合いを付けてゆくかしか、方法が無い。全てのウイルスを完全に防ぐ事など出来ない事。ウイルスと対決するのでなく、折り合いのつけ方を、研究する事の方が重要だと思う。
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最小限の家、始まる。

2006-11-23 06:57:39 | 最小限の家
11月11日最小限の家の5回目の集まりがあった。一棟目を建てる現場の下見をした。傾斜地なので、土台の作り方の検討が先ず行われた。13名が集まり、今回はかなり実際的な検討を行った。製材業をされる大山さんが参加されたので、かなり具体的な方向が見えてきた。

今回立てる小屋は、久野の笹村自宅の裏山になる。真竹の竹林だったところだ。いまだ、真竹の根が当たり一面にあって、油断すればすぐ竹林に戻るだろう。南傾斜地で、500坪ほどの場所だ。地目は山林。全体としては、最小限の家に始まり、自給自足のモデル園にしてゆこうと考えている。最小限の暮らしが体験できる場にして行きたいと考えている。

この竹林は10年前までは、畑だった。それが放棄されて、あっという間に竹林が広がった。ミカンがあったのだと思うのだが、その痕跡は無い。畑を取り囲む檜が植えられていた。これは割合大きな木で、長径で40センチぐらいはあった。竹林を切り開く時この檜も切り倒した。長さを2間ほどにして、積み上げてあった。半年以上経ったので、大分乾いてきていた。しかし、本当に乾かすには、更に製材して、2ヶ月ほど積み上げて乾かす必要があるそうだ。

写真は製材後、乾燥の為に積み上げた木だ。4センチの厚さに全部を引いてもらった。予定ではこの木で、小屋を立てる予定だったので、そうお願いしたかったのだが、大山さんによると、そんなには材が取れないという。そんな事はないとは思ったのだが、専門家の言を尊重し、全てを4センチに引いてもらった。その方が作業が簡単と言う事もある。作業時間で、製材価格は決まるそうなので、4センチ板は、軒下の部分が広がれば、いくらでも必要な物なので、今回は全部板でいい。

2ヶ月乾燥させたら、再度乾燥曲がりを引き直す必要があるそうだ。その上で、板に溝を入れるかどうか。この辺はどの程度価格がかかるかが、見えてきて決めようと考えている。丸太のままでは乾かないから、相当曲がるといわれていたが、私はそんな事は無いと思っている。このままでも、使えるぐらいの曲がりで収まるような気がしている。

柱材を早急に手配しなくてはならない。柱は間伐材で、調達する予定だが、山北の森林組合に、間伐材の払い下げの申請書類は2度出したのだが、森林組合の方からは、一向に返事が無い。どういう訳かはわからないが、話が見えないので、今度は直接、お願いに行きたい。もしダメと言う事なら、周辺の山で間伐させてもらうと言う事も考えられる。

もう一つは土台工事だ。これも徐々に進めなければならない。こちらは穂田さんが石垣の崩れを治しに来てくれるので、そのときに、再度相談してからはじめようと思っている。床下を、収納庫にしたいので、それなりの構造にしないといけない。電柱のような、高い土台の足が立つ事になるので、どんな構造がいいのか、慎重に決めたい。いずれにしてもシンプルで、誰にでも出来るものがいい。
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久野里地里山づくり・第4回の集まり

2006-11-22 06:53:40 | 里地里山
昨夜は4回目の里山作りの集まりがあった。住民の参加者は少し減少したが、行政側がかなり練り上げた準備をしてきた。今回の事ではどうやって、行政と住民が共に事業を立ち上げて行けばいいか、新しいやり方を探したいと思ってきた。現在は有志が集まって、勉強会を開いていると言う事になる。こんなスタートの仕方でいいのかどうか。その辺も研究の必要を感じる。地域に在る問題が何処で発案され、行政との共同で、解決に進む。この仕組みの構築が大切だと思う。

今集まっている人間は、行政が地元の中でこうした事に関心のありそうな人を、ピックアップしてきた。公募したわけではない。久野には里山事業といえる活動が、すでに10ぐらいはある。県が主催して最近開催した、里山サミットの内容より、深いものがすでに多いい。それを膨らませてゆくと言う事が、実際的だと思うが、まだそことは繋がっていない。名古木でサミットをやりながら、丹沢ドン会の活動が入っていない。この辺に縄張り意識があるのだろうか。

昨夜の集まりは地域の人に伝えられているわけではない。と言って秘密という訳ではなく、関心があるという人が分かれば、参加してもらってという形で、メンバーが集められている。出来る限り早い段階で、今やろうとしている事を。住民全体に伝える必要があると思う。

しかし、メンバーにはもう少し固まるまで、この形で進めて、何をやるかが決まった段階で(ここが難しい)、募集する方が混乱が無い。こういう考えが強い。常識的な判断だとは思う。その範囲で、出来る限り早くする必要がある。これからは、こうした、住民、行政、合同の事業が増えるだろう。これが、自治会長や一部の人で構成される事は無理もあるし、良いことでも無い。初期メンバーを、それなりに住民から選択せざるえない事情はあるにしても、次段階への移行は早いほどいいと思う。やりたい人がやる。この形を早く見つけ出さないと、義務的な事業になってしまい負担感がかかってくる。

「里地里山」こういう言葉が出て来た。神奈川県が今制定しようとしている。条例で使われている。里地という言葉が新しい造語だろう。農水省では里山を取り払って、「里地環境づくり」という言葉を使っている。里山どころではない、住んでいる場所が、保全しなくてはならなくなってきた。こう言う事なのだろう。久野も同様だ。山の方も大変だけれど、今住んでいる周辺の美化運動から、始める必要がある。こういう声が多いい。

里地里山の範囲が気になる。農地、水路、ため池、雑木林、竹林、等とされている。ここで気になるのが、人工林がはずされている事だ。意図的にはずされているのだ、と感ずる。つい10年前まで、ミカン畑だった集落周辺が、杉檜の人工林に転換している。これをどう扱うか、久野では大きな問題になる。農政からの提案で、林業との関係が避けられている。

12月10日の自治会長会議で、行政から今まで行われて来た事が報告される事になった。そして、回覧に回る事になる。ここで新しいメンバーの募集がされるべきだと思うが、まだ早いというのが、大方の考えのようだ。3月ごろに、里地里山のイベントを開催し、準備会の立ち上げ、参加者の募集という辺りが、検討された。
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沖縄知事選・続

2006-11-21 06:25:19 | Peace Cafe
ご意見もいただき、もう一度少し冷静に考えて見たいと思い、書き続けて見ます。沖縄の経済の問題、これが選挙を分けたというのは、その通りだと思う。糸数氏の31万票は前回の参議院選挙より、6000票減少している。一方、仲井氏は与党票を12万票を伸ばしている。この意味をよく考える必要がある。

経済と言っても沖縄では米軍基地雇用の問題がある。基地がなくなることで、職場がなくなる。これが、一定選挙に反映した、と考えられる。仲井氏が沖縄経済界の代表と言う事、東大出身、沖縄電力会長、人脈。経済の活性化の切り札と感じられる事はありうるだろう。早速政府は、沖縄県内の公共事業の国負担割合を最大95%とするなど大幅に優遇する方針を固めた。消防施設や都市公園、水道、下水道、地滑り防止施設、河川、小中学校施設の整備も沖縄県と他地域に分け、沖縄優遇で交付金の比率をいずれも増やす。特措法案は再編の進み具合に応じ段階的に交付金を拡充する新制度の創設が柱で10年間の時限立法。
仲井氏が基地再編受け入れを、しやすくすると言う事だろう。仕事と言っても、あくまで基地、公共事業だ。

経済が何よりも重要と言う事を、如実に表わしている。6000人の人が、基地反対の糸数さんを、見限ったわけだ。この2年間の間に気持ちが変わったのだ。この2年間に失業したのかもしれない。暮していけなければ、基地どころではない。米軍基地だって、働けるなら結構じゃないか。こういう気持ちになった。この実態は分からないが、なにやら恐ろしい。

あえて、それをおかしいと言えるかどうか。
言わなければならないと考えている。仕事がなくなったって、米軍基地で働く事など、止めるべきだ。戦争に加担して、お金になるからそれで良し、とは到底考えられない。そういう人も居る。というのはわかるが、そうした人が多数派になったとしても、それを受け入れる気にはなれない。失業しても、米軍基地などひとつも無い国であってほしい。

選挙というものが、経済が選択の基準となる。そんな考えの下に行われて、この結果になる。果たして、この国の議会制民主主義は成立していると、言えるのだろうか。米軍基地の再編問題は、世界情勢の最も深刻な課題だ。これが、沖縄の雇用問題とされてしまうことでいいのだろうか。沖縄知事選は、そういう意味でアメリカの世界戦略をくじく、大きなハードルだったはずだ。そうした世界観は考慮されなかったのだろうか。基地を受け入れるなら、経済支援を行う。これだけを強調する政府のあり方が許されるのだろうか。

ここでの不況は、豊かな不況だ。日本人が日本という国土の実力に沿って生きるという、選択をするなら、今の半分程度の収入で、生きなければならない。日本の豊かさがどこかの国が苦しんでいる事で、成り立っている。世界が平等に暮すとすれば、今の日本人の暮らしは、明らかにおかしい。その一つの現われが、米軍基地であり、基地にまつわる経済だ。経済の為に戦争をする国アメリカ。こんな国のおこぼれに預ろうとしているのが、今の日本。それで良いじゃないか。そうじゃなければ、仕事がなくなるじゃないか。これが、日本人の半数を超えている。

またまた、冷静ではいられなくなってしまった。6163人の糸数さんを見限った人達に、何故なんだと聞きたい。
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沖縄県知事選

2006-11-20 07:08:14 | Peace Cafe
沖縄では自民党と公明党の推薦する、仲井真氏が当選した。統一候補がまとまったときから、注目していた。沖縄県民が基地をどのように考えているのかの、選択が表現されると思っていた。糸数氏は明確に米軍基地を拒絶。仲井氏は経済振興。沖縄県民は経済振興を選択した。

お金か、命かと選択すれば、お金になるのが、拝金主義の行き着く先か。それが、追い詰められた沖縄の選択であるなら、何とも致し方ない。外務大臣の核武装論。教育基本法の強行採決。防衛庁の、省格上げ。自民党新憲法制定。この先の日本の行く先が、見えてきたような気がする。長い物には巻かれろで行くか。少数派を覚悟するか。

沖縄では糸数氏が選択されると、想像していた。沖縄ですらこの結果なのだから、まして、神奈川県で、小田原での現状がどこにあるかは、冷静に判断しなければならない。小学校で学んだ、議会制民主主義の明るい未来像は、全く感じられない。担任のE先生は、「泥棒さんの集まりで、泥棒することは正しいかどうか、多数決をすることは、正しいでしょうか。」こういう質問をした。多数決の正当性を習った後に、こう言われたので、頭が混乱した。今でも、その答えを手を上げて、答えることは出来ない。

申し訳ないが、多数の日本人がまともな状態とは思えない。これは年々、ひどくなって来ている。このひどさの中に踏み込んでゆく気力は、ことある毎に萎えてゆく。厭な国に暮すと言う事は、実に元気を失うと言う事だ。だから、できるかぎり心ある人と接するようにする。そうして気持ちを奮い立てせて、自分の周辺から状況を変えてゆく。それ以外ない。恐ろしいし、出来そうに無いが、諦めるわけには行かない。このまま、進むと北朝鮮どころで無い、とんでもない、美しくない国になりそうだ。

目黒区ではこの大変な状況での、「無防備地域宣言」の条例制定要求の署名が、今日の期限を前に6000を越えたようだ。すごい事だ。まだ、理想を求める人が、3%は確実にいると言う事だ。北朝鮮の核武装が起きても、拉致問題で涙させられようとも、日本の軍国化は厭だという人はいる。この署名活動が法定数に達するとしても、条例が出来る可能性は、全く無い。それでもこの活動に情熱を燃やし、昨日の雨の日曜日、最後の署名活動に頑張った人達がいる。

この思いは、熱く伝わってくる。昨夜は、ピースカフェの配布を小田原駅前で、歌を歌いながら、行った。11人の集まりだった。大人達は雨のなか、少し元気がなかった。でも3人の子供達が、すごく頑張って配ってくれた。子供達が、一生懸命配ってくれているのを見ていて、諦めてはいけないと、強く思った。新しく加わってくれた人が、3人もいた。小さな活動ではあるけれど、方向は間違っていない。この火を燃やし続けたいと思う。
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竹林の作業・大豆の収穫

2006-11-19 06:11:53 | 身辺雑記
大井町赤田の竹林の作業があった。13人が集まり草刈と竹の間引きを行った。赤田での竹林の最後の作業になる。半年の間に竹林は、作業をするまえの、元の状態に戻っていた。竹林へ続く道も、篠竹が繁茂して良く見えなくなっていた。ミカンがあったところはかろうじて、平ら地であることが分かる程度だった。自然の再生力の強さは大した物だ。この力が日本の土壌を作り守ってくれているのだろう。

何故かこの竹林の真竹は細い。手で握る事ができる程度の弱い竹が生えている。日当たりのいい竹薮なのに、竹に勢いが無いのは不思議だ。傾斜が強いために上部の土壌が竹の生育に適さないのだろうか。下の方には太い竹もある。真竹にも系統が在って、色々だと聞いた事もあるが。どうだろうか。単純に上の方は前は畑で、竹薮になったのが新しいだけなのか。それにしても大井町赤田のすばらしい景観に囲まれた畑が、放棄され竹薮に戻り始めている。

残された畑が、丁寧に耕作されている様子を見ると、残って畑を続けている人達と、農業から離れた人との間にある、気持ちの違いはどのように保たれているのだろうか。私達がこの地域に少しかかわりを持ったのは、Nさんという地元の町会議員さんの紹介だ。町との間にも何かいい関わりがもてないか、検討はしたが、中々方向が見えないまま、今に至っている。昨日作業した、赤田の竹薮も今回の作業が最後と言う事になった。帰りに畑におられるNさんの所に寄って挨拶をした。「仕方が無いよ。」と言ってくれた。

一番の問題は、距離だろう。足柄平野全体に放棄された竹薮はいくらでもある。これをどのように管理するかは、大きな課題だ。舟原にも大きな竹薮が集落の中心に放棄されている。先ずそれをどうにかするというのが、先決で、その解決が見えないまま、赤田に取り掛かる事に問題があった。赤田を解決策の先例にしたいと言う事はあったが、みんなが30分以上も車で出かけて作業をするという状態は、限界があった。赤田に誰かが住んでいると言う事が最低条件だろう。住める家が見つからなかった以上。ここまでが限界だろう。

その後、大豆の収穫に向かった。今日が雨と言う予報で、急遽大豆を収穫しておく事になった。味噌の会で使う大豆だ。雨に濡れてしまえば、収穫が出来なくなるので、晴れているうちにやって置こうと言う事になった。しかし、今日はまだ降りそうにない。そんな事が多いが、できるときにやるのはいいことだ。今日来る人には、5畝だけ残してあるから、それを楽しんで、収穫してもらうしか無いだろう。場合によっては、額田さんの所の大豆を収穫させてもらったらどうだろうか。

大豆はよく出来ていた。大豆は案外に難しいのだが、虫もつかず、収量もそこそこで、上手くできた方だ。と言っても、農家が作っている鈴なりの大豆から考えると、それほどでもない。寂しいといえば言えるが、この辺が欲張らず、丁度良いところだ。苗がたくさんあり、密植し過ぎたかもしれないが、草が余りはえなくて済んだし、いいところもあった。

大豆の量がすこし不足しても、額田さんのところでも大豆を作っているので、味噌と醤油の自給が、いよいよ近づいたことになる。ご飯と味噌醤油が、できれば、農の会の主目的である。自給は、そこまで来た事になる。
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健康法

2006-11-18 06:07:05 | Peace Cafe
健康法がある。長生きの為の健康法ではなく、今日を充分に生きるための健康法だ。私なりの身体の維持の仕方を、継続的に行っている。良くはわからないが、調整法は、全く個人的なもので、他人のやり方は何の参考にならないし、むしろ害がある。と考えている。自分の身体で、確認しながら、作り出してきたものだと思っている。

先ず、一番重要な身体の窓口は、フトモモだと思っている。何故そう考えているかは正確には分からないが、体内アンテナが、太股辺りが重要だと感じているのだと思う。その重要さは心臓の重要さとは違い、外界との接点として、外の状態に応じて、体内を準備する大切さだ。具体的には温度・湿度を感じる場所。それは二の腕もそうなのだが、そこを冷やしたり、すると体調に影響がでる。

年中長袖長ズボンで調整する。夏でも極めて厚着をするようにしている。熱いのはかまわない。冷やすのが問題。らくだの股引というが、これも相当長期間はいている。簡単に言えば老人の身体なのかもしれない。冬、半ズボンの小学生とか、すごいと思う。何故身体を壊さないのだろう。

身体の内観法を行う。足の先から、ずーと感じてゆく。そして内臓を順番にチェックして、頭まで行く。おかしければおかしいと分かると信じている。医療という物に信頼が置けないので、基本的に病院には行かない。この20何年で、1回だけ、シオン先生のところに、行った。肋間神経痛と、ヘルペスを併発して、あまりの痛さに閉口して、針などを打ってもらった。薬という物は、基本的には飲まない。そのときも漢方薬を貰った。効いたとも思えなかった。

体重を量る。これは、頻繁に行う。計るだけだが、これだけでも、色々の事が分かる。そして食べる量を考える。甲田先生ではないが、食べる量は多くない方がいい。少なくても、多くても、体を維持する必要量は変わらないようだ。少ない方が全てに負担が少ない。人の半分で済めば、田んぼの耕作面積も半分で済む。慣れれば半分でも大丈夫になる。いつもおなかが減っている感じが丁度いい。満腹感を感じることを、充実と思わない。

子供の頃から、食べなかった。虚弱体質と言われてきた。給食が食べきれず、5時間目もまだ食事をさせられていた。給食は全量食べろが、強制されていたので、苦しいだけだった。人が多様である事が、理解されていなかった。今の学校給食も変わらない。鶏だって見ていれば多様だ。野菜好きもいれば、米好きもいる。オカラばかり狙うのもいる。強制するのは何だって良くない。牛乳はダメ。だめな人間がいることも、せめて理解して欲しかった。飲み続ければ、下痢をしなくなる。こう言われて、常に下痢をしていた。

食事は極めて重要。健康の基本。余計な物を食べない。腹八分目を意識する。無駄でも残す。無理に完食しない。まだ食べれる内に止す。卵は良く食べる。一日3個ぐらい食べる事も多いい。肉類は、魚と鶏肉を食べる。これもそう多くは無い。ご飯は1食茶碗8分目程度。

運動はかなりする。体操はしない。農業をやっていれば、身体は使う。これは身体にとって必要な事と感じる。しかし、年々動けなくなっている。今日も竹林の整理に行くが、頑張りが利かなくなっているのがわかる。しかし、限界まで身体を使う事は重要。疲れきるぐらいの事がほしい。力仕事も、限界まで力を出す事が必要。常日頃そうしていると、筋肉痛が残るような事は無い。

長生きの為の健康法ではない。今日を充分に動ける為の調整法だ。
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水彩人研究会が終わる。

2006-11-17 06:08:36 | 水彩画
2日に渡った、研究会が終わった。新しい、芸術ジャンルの、創出に立ち会ったような、不思議な充実した気持ちでいる。絵画在り様が、時代と共に変遷し、これからの時代は描くという行為そのものが、問題になる時代が来る。この辺の事は以前書いた。様々な表現法が出来た。写真の登場で、記録性というものは、絵の役割から退いた。そのように、絵の役割はどんどん変化しながら、今は商品絵画時代が、やや終わろうとしている。

それとは反比例するように、絵を描くという行為そのものが、描く人間の存在に大きく影響するようになった。出来上がる絵の役割、から、絵を描くという行為の意味が、問われる時代が来ると考えている。ブログというものを今書いているのだが、まさに絵を描くと言う事も、丁度ブログを書くように、絵を描く時代が来ている。ブログを書く職業が無いように、絵を書く職業もなくなるだろう。残るのは「絵画」と呼ばれてきた物、とは程遠いものになる気がしている。

これから来るであろう、新しい絵画の意味合いを考えた時、「制作パフォーマンス」というものがジャンルとして登場するのではないだろうか。ちょっと分かりにくいが、今絵にまつわる事で面白いのは、絵を描いてゆく工程だ。一枚の絵が、出来上がってゆく過程では、消えてゆく様々な場面がある。これを、同時体験しながら、共に制作したような、感動を味わえる、いわばショーだ。

パフォーマンスというと、篠原有司男氏のような現代芸術分野の、奇妙奇天烈な前衛芸術が、思い起こされるが、そういったものでなく。ピカソの絵を描く、記録映画を見るような状態で、演劇的に、1人の作家が絵を描く過程を、つぶさに味わう体験だ。パフォーマンスと言う事は、行為をやり遂げるということ。作家が絵を描く行為が、パフォーマンスと言う事。絵を描くと言う事が、絵画の重要な要素に成ってくるに従って、この部分の重要度が増してくる。

黄色に塗られていた平面が、更に青く塗られる。すると、赤で置かれていた。点が、緑に変わる。こうした変化は出来上がった絵では、消えてしまう事だ。しかし、この工程の面白さは、絵を描くもの同士にはよく理解できる。絵を描くという言語がここでは成立し始めているのだ。音楽がそうだ。音楽を共通語として、理解するには、それなりの素養が必要となる。同じに、絵画するという、素養が成立してくると、絵画する行為そのものが、面白いショーとして成立する。

今回はショーをみて、それから各自が描いてみた。少なくとも、そこでは自分が変わるという、不思議な体験をした人が、続出した。絵を描くという行為が、その場を支配する、空気に大いに影響されている事がわかる。二人とも、水彩画ではあるが、鉛筆で下描をすることは無い。多分参加者の大半の人が、鉛筆の下描きをしていたと思う。それはいくら止めてみたらと言葉で伝えても、変わらない堅固なものなのに、今回は筆で描いてゆく。

初めての試みを作り出せたという喜びがある。同時に、制作者とのやり取りをする進行役の意味が重要になる事がわかった。今回は、水彩人の仲間が、取り囲むようにして、問いかけをして行った。今問いかけが、実は重要で、制作者をより高める場合もあるし、失速させてしまう場合も起こる。漫才の相方のように、適切なやり取りをしながら、制作してもらう事。出来れば、イヤホーンで、解説などがあれば、更に面白い物になるかもしれない。
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小田原評定

2006-11-16 05:47:27 | 身辺雑記
「小田原評定・久野寄り合い」と言う言葉があるそうだ。久野というのは私の住んでいる地域の事だ。「長引いて容易に結論の出ない会議・相談」を言うと辞書に書いてある。こういう解釈が出てくるところに、現代が、話し合いというものに、方法論を持たないで形式主義になっているかが分かる。所詮話してもしょうがないから、民主的という形式を踏もうというのが、現代の話し合いのあり方だ。タウンミーティングの発言に、お金を払っていた事がわかった。驚いた事に、政府の見解では、それは悪い事ではないそうだ。

本来の、小田原評定は後北条家の月2回の重臣会議のこと。当時では独創的な制度で、五代にわたって家臣・国人の裏切りが皆無に近い後北条家の強さの裏付けと考えられている。しかし、その中でも有名なのは豊臣秀吉による小田原合戦の時の籠城か野戦か戦術を巡る論争である。中々、結論はでなかったが、籠城作戦を選んだ。

時間をかけて、とことん話すというのが、小田原の伝統だ。久野には、久野寄り合いという言葉があり、久野の庶民の物事の決め方を表わしている。小田原評定以上に時間をかけて、とことん話す伝統があった、というのだ。これは日本全国古い時代の話し合いの形式として、普通だったようだ。宮本常一が対馬の海の民の調査をした時、古文書をお借りしようとして、対馬での相談の仕方がわかる。古文書を貸し出すかどうか。決めるのに3日3番泊り込みで話し合った、と書いてある。

地域社会で事を決めると言う場合、本当は全員一致しないとならない。誰かに異論がある間は、話し合いがついた、とはいえないわけだ。そこで、エンドレスで話し合うことになる。紛失する不安、学問的価値。結局は貸す事になるのだが、みんなが貸すという結論を出すまで、話し合いが続いた。多数決という決め方。挙手による決め方。無記名投票による決め方。こうした決め方が、民主主義的と思われているきらいがあるが、これを狭い範囲で行うと、良くない事になる。無くなったらどうするんだ。この気持ちが収まるには、無くならない手立ての説明がある。リスクを犯しても、自分たちにとって必要な学問であるという納得。調査する人の人柄。充分解り合うまで、話し合う。

無記名帳票で無いと、本音が言えないから。こんな意見もある。もしそうなら、その組織自体の在りかたがすでに問題なのだ。組織を根本から変えて、自由に意見の言える組織にすべきところだ。相談方法を変えたところで始まらない。もう一つに、自分以外の人の意見を汲み取れない、という人もいる。その人が何を考え何を、言葉の背景で考えているか。直接の発言などなくても、その人が、このことをどう考えているか、物腰、態度で分かっている。近い人間の関係は本来、そういうものだった。

くみ取る、とか。勘を働かせる。こうした力が無いと、言わなければわからない。こう言う事になる。これはつまらないと思う。おおよその場合、言葉に出てくるのは、ほんの一部だ。何故あの時、あの場面で、あんな事を発言したのだろう。これをゆっくり解きほぐす、考える時間が、話し合いには必要だと思う。狭い範囲の人間関係の話し合いは、そこ独特のものが成立しないとダメだ。全てに時間が足りない社会というのが良く無い。
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