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企業が最高益で何故実質賃金が下がるのか。

2024-05-31 04:01:20 | Peace Cafe


 企業は最高益だと報道されている。しかし、物価上昇に、賃上げが追いつかず賃金の実質目減りは24ヶ月続いているという。消費が低迷しGNPは下がっている。自営業者、商店経営、農業者、はなおさら苦しい状況と言うことになっている。

 何故、こんな不公平が起きているかと言えば、自民党が企業献金への依存体質から抜け出せないためだ。今度の政治資金裏金継続法を見ればよく分る。何とかごまかして、企業献金を続けようと言うことだ。反省などみじんもない。自民党議員は議員の役得に固執している連中だ。

 自民党政府は、法人税率の引き下げや労働規制の緩和をつづけてきた。小選挙区制により、与党執行部の権力の集中が起きている。ピンポイントに効率よく企業の献金が有効にできるようになった。企業が良くなれば、経済がよくなるというウソを吹聴することによって、企業が負担する法人税率はどんどん引き下げられてきた。

 その間、国民が負担する消費税が「直間比率の是正」を理由に新設され、繰返し値上げがされてきた。その分、法人税の税率もどんどん引き下げられていった。因果関係はともかく、結果的に実質賃金は1997年以降、右肩下がりで、特に直近では24ヵ月連続で下がっている。

 企業は最高益の更新が相次ぎ、両者の真逆な動きは見事なまでのことだ。政府はあらゆる場面で、世界で戦える企業にしようと努力をした。しかし、そのことは新規企業の出現を促進すると言うよりも、既成の企業の既得権を守ると言う方向に進むばかりだった。

 自民党の議員が、企業からパー券キックバック方式で裏金を貰い活動するという形が出来上がったのだ。その裏金が政治活動に必要と自民党や維新の議員は主張しているが、金を出す企業の利権を無視できるとは思えない。無視すればもう出さないのだ。出したパー券購入費に見返りがなければ、企業は株主に対して申し訳が立たない。

 企業が過去最高の利益を上げながらも、どこの社長の発言も危機発言ばかりだ。企業は危機を目の前にしていると、相変わらず厳しいことを主張している。そうした現状認識であれば、当然内部留保を高め、賃金は抑えることになる。そこへ円安が進むのだから、生活は激しく厳しくなる。

 それでもまだ企業労働者は良い方で、その他の労働者は急速に生活に追われるようになって余裕を失っている。それでも、政府の目は企業の献金の方向に向いていている。その理由は政治にはお金が必要だからと言うことらしい。お金がなければ政治が出来ないので、企業献金に依存して、お金を出してくれる方向に政策を向ける。

 政府は確かに賃上げを企業にお願いをしている。賃上げをお願いしながら、一方で法人税を下げたままにしておきますので、この見返りでどうかと言うことなのだろう。これは財政的には矛盾している。法人税を上げて、その分で消費税を下げれば、良いだけのことなのだ。

 それでも消費税は必要だと思う。消費税の廃止の主張があるが、聞こえは良いが無理である。税金は福祉重視の国家にはかなり必要なものだ。あらゆる形で多様に税は集めるほかない。防衛費を下げればと言うが、ミサイルはいらないが、防衛の高度化はAT化は必要だ。

 法人税を下げるために、消費税を安易に上げすぎたのだ。生活苦が広がる中での、行き過ぎは良くない。法人税の値上げ分だけ消費税を下げることがバランスが良い。最終的には、ベーシックインカムの制度を取り入れることを考えるべきだと思う。

 ベーシックインカム制度とは、生活保護費を止めて、無条件に国民に一定額の金銭を与えることである。財源問題が当然課題なのだが、そのことは後にかくことにして、消費税を残しても、ベイシックインカムを導入することは合理性がある。

 高額所得者にも同じくお金を与えるが、それ以上に所得税を取って、平準化を図る。それくらい日本の貧困率が高まっているのだ。このことが実感できないという人も居るが、社会の現状を見れないからに過ぎない。豊かな社会の貧困。よく見れば分ることだ。

 日本の相対的貧困率は15%前後。相対的貧困率とは、所得中央値を割り込んでいる人たちの割合のこと。無条件で支給されるベーシックインカムは高所得者層と相対的貧困に分類されている人の所得の格差を縮める方法の1つとして有効なものなのだ。

 生活は苦しいものの生活保護を受ける水準ではないとされている人にとって、ベーシックインカムは有効な制度になる。ベーシックインカムには所得の制限がなく、いわゆる”ワーキングプア”とよばれる働いていても生活が苦しい人の収入の底上げにつながるためだ。

 最低限の保障がされると無理に働かなくても生きていくことができる。そうなると働く意欲がなくなってしまう可能性がある。ベーシックインカムを実施すると、働かずに収入が得られるため、働かない人が増加するのではないかと懸念されるが、実際の社会実験ではそういうことでもない。人間は比率的に見れば、真面目な生き物だ。

 令和4年度を例にとると、一般会計の歳出総額約110兆円のうち、社会保障に充てられているのは全体の32.9%、金額にして36.3兆円です。ベーシックインカムを実施する際、社会保障費を全て充てたとしても不足すると考えられる。なぜなら、いままで支給されていない人も支給対象として加わるためだ。

 もし、日本人の人口を1億2千万人、国民1人あたりに10万円のベーシックインカムを支給するとなると1年で144兆円が必要になる。2024年度予算案で医療、年金、介護などをあわせた社会保障関係費は計37兆7200億円にのぼる 社会保障費全額では150兆円ぐらい。

 ベーシックインカムを導入するのであればこれまでの社会保障を見直し、ベーシックインカムに一本化する必要がある。これまでのサービスよりも全体的に低下しないためには、かなりの見直しが必要になる。これらの問題をクリアして財源や社会保障の一本化を実現できるか。

 その可能性となるものが、ATとロボットの革命である。ベーシックインカムはAT革命時代の社会の新しい仕組みなのだ。ATとロボットの登場で労働の質と種類が変るのだ。人間が行う労働はロボットやATが出来ない仕事中心に変る。人間らしい仕事を行うとも言えるだろう。だから、働くことは喜ばしいことになる。

 辛いがまんしてやるのものが仕事ではなくなるのだ。労働時間も自由に選択できるものになる。働く仕事もやりたい仕事を選べるようになる。私なら田んぼをやりたいだけやれる。収入とは関係なく田んぼが出来るのだから、そのお米は必要な人が食べるて貰うことが出来る。

 これは田んぼで働くことが自分の喜びでもある上に、食べる人の喜びにも成る。ATやロボットが良い方向に使われれば必ずそういう社会になるはずである。そうなれば、ベーシックインカムの時代が来る。つつましくボランティアに生きるという人が増えるのではないだろうか。
 
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冒険は意欲の泉

2024-05-30 04:44:33 | 楽観農園


 歳を取ることで一番恐ろしいことは意欲を失うことである。好奇心がなくなることである。若い頃は何もかもが新しい体験になる。まだ世界は未知の領域ばかりである。未知の世界に踏み込むことは、新鮮であり、自分がドキドキしながら活性化されて行くことが分る。

 所が歳を重ねると、だいたいのことは想像できるものになってしまう。事実はそうではないのだが、世間はこんなものだと、狭いところで納得してしまう。そして、新しい事に挑戦する面白さを忘れてしまう。人間の行動範囲など、世界の広さから考えれば、1%にも満たない。

 知らない街を歩いてみたい。知らない人と出会いたい。知らない世界にであって見たい。未知に対する好奇心を失うことが、人間の衰えなのだと思う。石垣島で、色々の人とまだまだ出会いたい。人間ほどおもしろいものはない。確か明日家に来てくれる人が居る。小田原から石垣に移住する人らしい。

 先日は情熱クラブという組織の人達が、50人でのぼたん農園を訪ねてくれた。水牛のクルバシャーの体験会をした。小さな子供が、水牛の紐を持って、水牛を扱ったのだ。きっと石垣島の良い思い出になったことと思う。水牛のワカバは賢いので、子供だと思い、ゆっくり歩いていた。宮良小学校の黒糖絞りで子供の作業には慣れているのだ。

 この後何年生きるのか分らない。新しい人間の出会いがあれば、これほどの喜びはない。人間がであえるのかどうかは随分微妙なところがある。学生の頃であった人と、今でも心の中ではそこに居るような気分で居る。そういう人間の出会いが自分を作っている。生きる事の素晴らしさだ。

 絵を描くことでも過去の絵の世界を引きずって絵を描くのであれば、それは絵を描く面白さの半分しか分っていないことになる。未だかつてない世界を描いてみようと言うことが、絵を描く面白さなのだ。分らないから描いてみる。描くことで新しい絵の世界に踏み入る。

 絵を描く面白さは正に、日々の新世界を垣間見ることである。こんな絵もあるのか、自分の中にはこんなものもあるのかと、発見できることが絵を描くことなのだ。生き方を自由無碍なものに出来ることは、絵を描くことから始まる。昨日の自分を自己否定できること、新しい自分にであうことが絵を描くことだ。

 だから絵を描いていれば、好奇心を失うことがない。新しい冒険心が衰えることがない。あれもやってみたい、これもやってみたい、そういう生きる好奇心が尽きることがなくなる。ここで大切なことは、やってみたいと言うことを、実際に始めることだ。

 今石垣島の自給農業を探求しているのも、絵を描いてきたから出来ることなのだと思う。石垣島に写生旅行できては何度も絵を描かせて貰った崎枝の石垣牛の自然放牧の牧場で、まさかのぼたん農園を始めるとは思いもしなかった。場所との出会いに従うことになった。

 今行っている最後の冒険は、石垣島の自給農業の探求である。自給農業は自然に従う農業である。石垣島では有機稲作の事例が極めて少ない。自分でやってみて、確認して行くほかない。一般の農業とはかなり違う。最も合理的に自分が食べるものを得る方法である。

 いくつかの条件がある。できる限り外からものを持ち込まない農法である。永続性のある循環して行く農業である。化石燃料はできるだけ使わない。条件としては一日1時間程度の労働で、100坪の面積で、食糧自給の可能な方法である。そうでなければ自給にはならないからだ。

 そして、この冒険には時間的制約がある。今は何とか普通に身体が動いて、農作業が出来るが、80歳までに完成しなければ、動けなくなると考えている。あと6年が残された時間である。農業は実践しない事は無意味だと考えている。農業の理屈などたいした意味がないのだ。農業では理論上可能でも出来ないことが普通のことだ。

 科学的な思考を繰り返すことが必要だが、それを何度も実践してみて、試行錯誤して、農業技術にまで高めなければならない。始めて農業をする人でも可能な、再現性のある単純明快なものにまで洗練させなければならない。それが出来ないような農法は、農業技術ではないと考えている。

 最近、自然農業分野ではかなり怪しげな、非科学的な農法がはやりだしている。トンデモ科学農法である。祈れば何でも解決するような農法である。時代が行き詰まり始めているので、変なスピリチュアル系の農法がはやりだしているようだ。それにハマル人が多くて情けない限りである。

 農業は自然科学だ。自然は膨大だから、確かに不思議なことはいくらでも出てくる。この不思議を実践の中で確認しながら、農業技術にして行く事が大切なことなのだ。正しい科学的精神こそ、冒険の羅針盤である。だからこそ冒険が次の冒険へと活力の再生産になるのだ。

 小田原では自給農業技術は一定完成できたと考えている。今度は石垣島で自給農業技術を完成させたい。亜熱帯ではその方法はかなり異なる。方針は見えてきた。「あかうきくさ農法」「ひこばえ農法」である。この農法の確立のことを思うと、あれこれやりたくて仕方がなくなる。

 まだ分らないことばかりだ。しかし、今までの経験から、何とか解決の糸口はありそうだ。もしこの自給農法が確立できれば、どれほどの飢餓の時代が来ようとも、自給をやる気さえあれば、安心立命してやりたいことをやって、生き延びることが出来る。

 自分の好奇心が、人間の未来に貢献できるかも知れないと思える。日本人の次の時代の生き方の参考になると思っている。そのことを思うと、どれほど大変でも、自分の気持ちを前向きなものに出来る。原爆の開発などに携わる人は、自分の心を滅ぼしてしまうだろう。

 正しい目標に向かい、全力で日々を生きる事ができれば、これほどの喜びはない。それを支えているのは、絵を描くことである。絵を描くことには、終わりがない。自分の探求には終わりがない。探求して行く日々がおもしろいのだと思う。

 19日に3番田んぼでは稲刈りをした。品種はミルキーサマーである。ミルキーサマーがひこばえ農法向きの品種であるかの試験栽培である。稲刈りした翌日から、見事にひこばえが出始めた。この発芽状態は過去最高の発芽だ。すこしづつひこばえ農法が見えてきている。

 アカウキクサを肥料にするという大きな方針は間違えがない。アカウキクサの発生をコントロール出来なければ農業技術ではない。どうやってアカウキクサを必要なときに発生させることができるかである。まだまだ分らないことが山ほどある。分らないからおもしろいとも言える。
 
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藤井聡太名人防衛から叡王戦第4局へ

2024-05-29 04:22:09 | 身辺雑記


 叡王戦第4局が5月31日にある。この将棋は大大大注目である。8冠だから当然のことだが、防衛戦が続く。名人戦は4勝1敗だったが、かなりきわどい戦いの部分もあった。豊島挑戦者が乱戦に持ち込もうと、過去に例のない作戦を用いた。最終戦は豊島9段が振り飛車にした。名人戦での振り飛車戦はもう長いこと無かったのではないか。

 豊島9段の終盤力が生かせる展開に持ち込んだ将棋もあり、すごい名人戦の5局だったと思う。豊島9段はAI研究の先駆者である。乱戦に持ち込もうとした理由は藤井名人のAIの戦略研究が、図抜けていてAI研究競争では勝てないと考えたからだろう。

 豊島9段がタイトルを取るようになっても、その将棋の強さを理解できなかった。何か勝ってしまうが、その勝ち方に度肝を抜くような手とか、奇想天外の発想がない。失礼なことだが、面白みのない将棋だと思えた。将棋は勝ちさえすれば良いのかと、難癖を付けていたのだ。

 大山将棋や羽生将棋にある、そして今では藤井将棋にある、信じがたいような発想が豊島将棋には表現されない。それでも不思議に勝ってしまう。その強さが何か違う人だと思えた。ところが、今回の名人戦では考えられないようなさすがだと思える、素晴らしい手が表れていた。豊島九段の進化はすごい。

 藤井名人でなければ、勝てなかったに違いない。最終戦を除けば、きわどい将棋が多かった。藤井名人が防衛を出来たのは、AI研究で上回っているからだ。AI研究は記憶だ、と渡辺永世竜王が悔し紛れに言っていたとおりなのだと思う。記憶力は年齢と共に衰える。

 若い藤井名人には記憶力で豊島9段は及ばないと考えて、乱戦に持ち込もうとしたのだろう。その点で藤井8冠からタイトルを奪うのは、同年齢の伊藤かさらに若い藤本になるだろうと8冠を取ったときに予測した。その予測通り、叡王戦挑戦者伊藤匠七段は後一つ勝てば、藤井8冠からタイトルを取れるところまで来た。

 8冠を制覇することよりもそれを維持することの方が難しい。羽生7冠はタイトルを制覇して、すぐに奪われた。心理的に守るものの方が挑戦するよりも難しい。全ての将棋指しが、藤井将棋を徹底研究している。その長所を出させないように、そして自分が優れていると思われる部分で挑戦してくる。

 伊藤七段は終盤力がすばらしい。藤井戦を除けば、やはり八割以上勝つ強さなのだ。だから何度でも挑戦者として再登場してくる。詰め将棋であれほど卓越している藤井8冠と遜色のない終盤力である。終盤勝負に持ち込めば勝てる可能性があると考えているのだろう。

 外の棋士の場合、終盤に互角であれば、勝てないと考えて中盤戦までに有利の状態にしようとする。ところが、伊藤七段は終盤まで互角で進めば良いとして、無理な中盤の手段を求めない。そのために終盤まで互角の勝負が多い。それなら、藤井8冠が勝つだろうと思いきや伊藤七段が勝ちきったのだ。

 この終盤で勝ちきる戦い方に藤井8冠は、今回戸惑って2敗したと思われる。藤井8冠は今まで伊藤七段には11連勝で負けたことがなかったのだ。違った、間違っていた。伊藤少年と藤井少年は子供の頃から競い合う間柄だったのだ。

 小学生名人戦の準決勝戦で伊藤少年に負けて、藤井少年は泣いたのだった。しかしその時優勝したのは、その伊藤少年でもなく、プロにならなかった早稲田将棋部の川島さんだ。伊藤七段のすごいところは、負けても負けても自分の将棋で挑んできたところだろう。いつか勝てる日が来ると信じて努力を続けてきたのだ。

 同時進行だった、名人戦が防衛できて、いよいよ叡王戦に集中するだろう。次の31日の第4戦は負ければ、8冠制覇が崩れる天下分け目の一戦となる。見たこともないような藤井将棋が見られると思う。終盤にどうなるかと思うと今から気がかりで成らない。

 伊藤七段が藤井8冠の最初の挑戦は竜王戦である。これを4連敗。そして全く腐らずすぐに、棋王戦での挑戦。しかし、これも3連敗。全く調子を落とさず、すぐに叡王戦での挑戦。負けても、戦い方を変えることもない。調子を崩さないところが並ではない。正面からの敗北で何かを学んでいるのだろう。

 そして3度目の挑戦で、何と2勝して藤井8冠を崖っぷちに追い詰めたのだ。両者先手番を勝ち1勝1敗の互角の進行。そして、藤井8冠の先手番を何と伊藤七段が破ったのだ。この将棋は実に難解な将棋で後半で、両者1分将棋になる。すごい連続王手を藤井8冠がかけ、この難解な終盤を見事にしのぎきり、伊藤七段の勝利。

 終盤力で藤井8冠を上回ったように見えた。これは始めて見たことで驚異的なことだ。誰もが驚くほど伊藤七段は急激に強くなっている。藤井8冠が調子を崩して負けたわけではない。伊藤七段が勝負に上回って勝利した気がする。土壇場の1分将棋で慌てず冷静に読み切っていたのは、素晴らしい将棋だった。

 次の第4局は藤井8冠の後手番である。どういう戦型になるか角代わりなのだろうか。非常に興味深い。持ち時間が短い。しかもチェスクロックなので同じ4時間でもさらに短い。藤井将棋は時間が長いほど特徴が出る。その点では叡王戦が一番防衛が難しいだろう。

 伊藤七段が叡王戦に勝利するためには、あるいは8冠からタイトルを取るためには、次の一番にかける必要があるだろう。次の一番は今年、最高の一戦になるはずだ。この一戦を見ることが出来るだけでも、将棋がある程度分ることが嬉しい。

 将棋はAIと人間の関係を表わしている。AIは人間をはるかに超えるのだ。それはどの分野だって同じで、人間はAIとどう関わるかを問われている時代なのだ。AI革命が起きている。そのことを将棋というゲームで先行して見せてくれているのだ。

 人間同士の頭脳の戦いの価値は感じるのだ。そのことはどの分野でも同じで、どれだけAIが優れているとしても、人間らしいものの価値は、比較されながら高まる。野球ロボットの完璧なものが登場しても、人間大谷翔平の方が魅力あるのだ。

 人間が絵を絵を描くという意味が、明らかになるはずだ。AIが描くような絵を描いている人のつまらなさが、明らかになるはずだ。人間にとって藝術とは何か。生きると言うことはどういうことなのか。自分というものは何なのか。そ言うことはAIではどうにもならないことだ。

 人間が生きるという意味がAI革命によって、明確に問われるようになる。たかが将棋というゲームを見ながら、人間の可能性を感じる。人間は人間らしく生きると言うことだ。例えば裁判はAIに任せた方が良い。しかし、藝術は人間が行うことで、意味がある。

 
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円安時代に米を輸出しよう

2024-05-28 04:01:44 | 稲作


 円安時代である。米輸出を考えるべきでは無いだろうか。世界では食糧不足が続いている。日本のお米の生産費は高いので、米は輸出できないと言われているが、そう決めつけない方が良いだろう。円は一時の半分の価格になったのだから、お米の生産費も半分になったと考えて良いのだろう。

 農家の大規模化や機械化が進んでいることを考えれば、米の生産費はまだまだ下がるとも言える。企業的農家が増えて、一般農家が減っている。そして農地の集積は進む。集積された農地で合理的経営を行い、お米を輸出産業に出来るはずだ。

 このまま何も手を打たないで居れば、水田が失われて行く。水田がなくなれば日本の環境のためにも問題が起こる。そもそも稲作がなくなれば、日本文化が見えなくなる。主食であるお米を大切にしなければならない。そのためにはお米の輸出のための環境整備を国が行うべきだ。

 お米は2018年に減反が廃止された。減反が廃止されて米農家が成り立たなくなり、廃業が進んでいる。減反奨励金でかろうじて生活していた農家は、競争価格になり、下落した米価では成立しないことになったのだ。そこで、農地の集積が始まり、日本にも大規模企業農家が出現した。

 しかし、政府は農協や農家からの強い抗議を受けて転作奨励金のような形で、作らなければお金を上げる減反奨励金はさすがに止めたが、稲作を止めて、畑にすれば補助金を出している。様々な形の補助金が今もあるが、あくまで経過処置のような、宙ぶらりんの方向の見えないものになっている。
 
 国は年間2300億円の補助金を出して、小麦や大豆を生産させている。生産量は130万トンに満たない。しかも、国産の小麦は品質が安定しないので製粉会社は使いたがらない。2300億円出せば、500万トンの小麦を輸入できるのだから、やることがちぐはぐである。

 家畜の餌となる飼料米を作れば、補助金が出る。年間950億円の補助金をあてて、主食用米から餌米への転作を奨励している。その費用で生産されるのは66万トン。にすぎない。同じ財政負担を飼料の輸入に回せば、その数倍の飼料が輸入できる。

 すべては農家を守るための補助金である事は確かなのだが、補助されなければ成り立たないような産業はいつか終わる。農家の生活保全がまるで生活保護費の代わりに農業補助金があるような気がしてくる。農家を守ろうとして、農家を廃業させているような結果になっている。

 そして、農業基本法が見直されたが、農家が増えるような政策はどこにも見当たらないのだ。これからも農家は減少して行くだろうし、農地も放棄されて行く。生活保護費が出るような産業を誰も始めようなどと思わないはずだ。日本農業が世界で対等に経済活動できるようにすべきなのだ。

 日本の自然環境は確かに、規模拡大しにくいところはある。しかし、小さな国オランダが、穀物輸出国なのだ。日本独自の農業技術を開発して、世界と対等に商売が出来るようなものを考えなければだめだ。そのためには大規模化は機械化は必要なことだ。

 日本では長く、農家は自民党の票田と言われていた。しかし、さすがに今では農業者数が減少し、それこそ票田の減反が進んで、自民党への圧力団体と言っても、それ程の影響力は失われている。今では地方でも農協よりも土建業や建設業分野の方がパー券キックバック裏金の影響力がはるかに強い。

 そこで、確かに政府は今度の農業基本法の見直しでも、農業を輸出産業にする。農家にITを取り入れた、スマート農業の研究開発なども打ち出している。しかし、肝心なことは具体的に、どうやって輸出産業にするのか。どういうスマート農業なのかは見えてこない。

 具体策ないのは、政府には農業に対する、未来像がない。農業が一次産業だと言うことが分っていない。農業基本法が見直されても、農家は減少するとしか思えない。もっと具体的に考えて、農家になりたくなるような提案をしなければならない、国の未来の緊急事態だと思う。

 もう一般農家の延命策のようなものは止めるべきだ。例えば、沖縄ではサトウキビの奨励金というものがある。1トン当たり補助金額は16800円とある。これを無くせば、間違いなくすべてのサトウキビ農家は継続できないだろう。

 補助金を止めて、サトウキビ農家が、その後どういう農業経営をすれば良いかの、具体的な農業の形を示すことが、農政の役割ではないだろうか。何時までも補助金だけで経営を維持することは、さらに苦境が続くことになる。これはどの農産物でも大きな違いはない。

 米を輸出品にすべきだ。日本のお米は特徴があるものだ。ブランドとしての評価もある。何故、米輸出量が少ないかと言えば、輸出手続き等が極めて煩雑と言うことがある。農家が輸出に手を出せるほど簡単なことではないのだ。間に商社が必要になる。この流れを農水省が協力すべきだ。

 各国には自国の農業者の生産農産物の関税等の輸入規制がある。衛生・安全面では、輸入国の食品衛生法や食品表示法などの規定条件がある。また自国の農産物に害虫や菌などの悪影響の原因となるものを水際で抑止する動物・植物の検疫検査制度がある。

 さらに米輸出のための物流が整備されていない。米の品質を落とさず、輸出するための輸送船や港湾設備の整備が必要になる。当然、それぞれの国柄によって、米販売のマーケティングも違う。どうやって日本のお米をアピールして行くかには、高級品販売の戦略が居る。これも専門家の仕事だ。

 農家レベルでは手が出せない高いハードルがある。日本には優秀な大商社がある。そうしたところの力を借りて、そこに政府の補助金を入れて、日本のお米の輸出を試みることが必要だろう。農家に補助金を出すのを止めて、世界に輸出するための方策を、政府が試みて行くことが必要になる。

 これからの農業は国民皆農と言えるような、自給の農業と育成が一つの道。同時に世界に流通する大規模農業の輸出への政府の支援がもう一つの道。政府の農業政策はこの2分野に分かれて行なわなくてはならない。現在の農家はこの2つの道を選択して貰わなくてはならない。そうならなければ、日本の食料の安全保障は達成できない。

 これから新規就農をする人も居る。農業は魅力的な仕事だから当然のことだ。そうした人はよほどの特殊な回答を用意する必要がある。普通に補助金を当てにして、農家を始める人が多いいが、それでは農家経営は不可能になる。補助金も遠からず出なくなる。政府はさらに困窮するはずだ。

 40年近く農業に関わってきたが、40年前に予測したとおりに進んでいる。多分これからの予測も概ね間違えない。普通の農家はほとんどなくなるだろう。大規模農家と特殊な農家と自給農家の3つに分かれる。農業に興味があるとすればそのどれが自分に合うかを考える必要がある。

 米を輸出品にする。農家への補助金を止めて、輸出奨励金に変える。直接的に輸出奨励金にすると、海外の拒否反応も出るだろうから、輸出環境の整備に国は力を注げばいい。田んぼ大規模化の為の道路、耕作地、水利の整備。専用船の準備や、海外のマーケティング、輸出可能な品種の開発。等々国が担うべき事は様々ある。
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台湾包囲の軍事演習の意味

2024-05-27 04:02:26 | Peace Cafe


 台湾包囲と言う威嚇は、より台湾を独立意志を強くすることだろう。台湾が中国の一部であるっとしても、台湾の人々が、こんな横暴な軍事国家に従いたくないのは当たり前の事だ。中国の軍事力の誇示は、台湾侵攻が近づいたことを意味していない。むしろ、中国習近平政権の焦りが浮き上がってくる。

 台湾の新総統頼清徳 就任式に、日本の国会議員およそ30人が出席した。山中石垣市長や与那国島町長も出席した。こうした行為に中国の呉江浩駐日大使が「日本という国が中国分裂を企てる戦車に縛られてしまえば、日本の民衆が火の中に連れ込まれることになる」と恫喝と言えるような発言をした。

 中国在日大使の発言は外交官としては、異例の過激発言であった。台湾を実質国家として扱う日本に対して、がまんならないと言うところなのだろう。何故ここまで中国が台湾問題でいきり立っているかと言えば、台湾の民主主義が、中国人民には危険思想であり、目障りだからに違いない。

 中国にしてみれば、香港を中国化することに成功した。次は台湾を中国に従えたいと考えている点では間違いがない。しかし、台湾がこれほど中国からの圧力にもかかわらず、より中国から距離を持つようになっている現実がある。平和的な手段での統一の希望が、一向に近づかない焦り。

 中国の力による現状変更を、目の前の台湾が拒否していると言うことになる。中国政府にしてみると中国国内に潜在的に存在する、反政府勢力に悪い影響を与えかねないと考えているのだろう。脅せば、従うだろうという一方的な姿勢は、習近平政権が独裁化して悪い方向に進んでいることを示している。

 台湾を統一することは実は簡単にできる。中国が自由を求める民主主義国家に変われば、良いだけのことだ。こうして独裁政権がより頑なになれば、統一は遠のくばかりである。中国人は古代から外交に長けた有能な人達だ。統一に重要なことは、軍事力よりも経済力である事は十分に承知なのだ。

 それでも、軍事力を示さずにはいられない事情があるのは、やはり国内問題も影響していると考えておいた方が良いのだろう。経済成長が鈍化し始めている。ここ20年中国人は暮らしが、具体的に良くなってゆくことを実感してきたはずだ。ところが、少し不安が生じている。

 高度経済成長下では問題にならないようなことも、前ほど給与が上がらないとなれば、「共同富裕」を政府も主張せざる得なくなる。社会主義国家のなかでの、不自然な富裕層への反発は何時爆発するか分らないものがあるのだろう。それが、政府への不満に変る可能性がある。

 「共同富裕」の実効性の問題である。そもそも共同富裕は毛沢東が1953年に主張した思想だ。毛沢東時代には共同という考え方のために、むしろ経済は停滞をしていた。それが鄧小平時代になって、国家資本主義を導入し、高度経済成長に突入する。この矛盾した考え方が、中国人には合っていたのだろう。

 経済成長の恩恵は都市中心のものであった。不動産バブルやインフラ整備に見られるように、膨大な先行投資を行い、経済成長に成功し、富裕層が表れる。それでも農村部の貧困はなかなか解消されなかったが、都市部の経済の活況が農村部にもそれなりの恩恵をもたらした。

 こうした経済成長期では、農村部の人達も頑張って働けば、頑張って勉強して良い大学に入れば、農村から脱出が出来て、暮らしが良くなると言うことが実感できた。ところが、いつまで経っても富裕層ばかりに恩恵が集中し、地方の農村は停滞は解消が出来ない。

 それで、2021年8月から、習近平政権もあらためて共同富裕を提唱する。富裕層を抑えようと不動産投資を抑え始めた。汚職賄賂撲滅を掲げて、富裕層に圧力をかけている。企業や富裕層への富を、社会全体に分配するよう主張を始めたのだ。これは国家資本主義から言うと、矛盾したことでもある。

 李克強首相も2020年5月「毎月の収入が1000人民元程度(日本円で1万7000円程度)の人がまだ6億人いる」と述べ、中国政府も収入が低い人が依然として多い実態を認めている。中国の上位1%の富裕層1000万人が中国全体の資産の30.6%を保有している。

 高度成長をするために資本を集中させる国家資本主義政策の結果、日本どころではない格差社会になってしまったのだ。それでも、下層階層にも希望や恩恵がある間は良かったのだが、経済成長が鈍化して、このところ農村部の経済成長の希望が、危うくなってきたという所だろう。

 その社会全体に漂い始めた、経済成長鈍化の意識が、台湾への軍事圧力の強化に表れている。もし国内で不満分子がいれば容赦しないという政府の姿勢の誇示だ。だから台湾包囲はあくまで、圧力行為である。脅しで済まそうとしているのだ。今実際の軍事力行使は行うことが出来ない。

 もし軍事力を行使すれば、習近平政権は崩壊する可能性が出てくる。軍事力を威圧行為として効果を高めようとして、在日中国大使が脅迫めいた暴言まで吐いてしまったのだ。このように中国の焦りは強まっている。実際には軍事力を行使できない焦りでもある。

 台湾を軍事侵攻で制圧することは、ウクライナをロシアが侵攻しているよりも、軍事的にはるかに難しいことだ。間に150キロの巾の海があるのだ。そして台湾島には2357万 人の人が暮らしているのだ。この距離の海を挟んで侵攻作戦をするとして、今行っている台湾包囲の軍事力程度では到底無理なことだ。

 台湾包囲の軍事演習の意味は、台湾を包囲して、台湾を封鎖する作戦なのではないか。外界との遮断を模索しているのでは無いだろうか。台湾の封鎖が出来るのかどうか。また出来たとしてどのくらいの期間可能なのか。封鎖を続けた上で、恫喝外交をしようというのでは無いだろうか。

 もし、中国が台湾を侵攻を実行したとなれば、当然近隣諸国、およびアメリカは反撃することになるだろう。台湾の問題は近隣諸国にとって、明日の我が身で他人事では無いからだ。当然対中国の経済封鎖も起きるだろう。その経済圧力に中国が耐えられるとは思えない。この点ではロシアとは違い、人口が大きすぎる。

 それでも台湾侵攻を行うかと言えば、あり得ない。そこまで愚かな国などない。日本の右翼政治家が今にも軍事侵攻があるという妄想発言は、軍事予算を増額したいからだけだ。中国仮想敵国論で、日本を軍事国家にすべきと考えている人達の、扇動発言は無視したほうがいいだろう。

 中国に行き、それなりに中国の人と関わってきた。中国人は人間としての能力が高い。立派な人にたくさん出会った。実行力もあるし働き者だ。政府の言いなりになるような人達ではない。今政府支持を声高に発言するのは、その方が有利だからに過ぎない。経済が変ればどこかで変ると見て良い。

 台湾に行きすっかり台湾が好きになった。台湾という国柄が素晴らしい。中国にこれだけ圧力をかけられながら、民主主義国家として成功し、今や東アジア1番の経済の国になったのだ。日本が学ばなければならない国だ。そんな台湾を軍事力で潰して良いはずがない。いつか、台湾と中国が仲良くなる日は必ず来るはずだ。
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213 水彩画 日曜展示

2024-05-26 04:08:59 | 水彩画
213 水彩画 日曜展示

 10号前後の作品です。






489「三津富士」
2024.5 








490「岬」
2024.5







486「渓谷」
2024.5









487「崖上の家」
2024.5







488「松本平の夜」
2024.5








489「岬」
2024.5









490「バンダセルレア」
 2024.5


 今週も稲刈りの準備をしながら絵を描いていた。石垣島は梅雨なので、雨が続いている。雨の中で絵を描いているが絵が少し重くなると言うことがあるかもしれない。目に映っている色が絵に出てくることがある気がする。濡れた色は美しい。

 濡れている世界は色彩を深めている。潤うことで色が味わいを深める。乾いていた時には表れて居なかった色まで、ものの表面に出てくることになる。乾いていなかったときには隠れていたものが表出する。森も畑も濡れることで、隠していた本当の姿を見せている。

 地面と空との関係が変る。雨も良いものだ。水というものは神と言われるはずだ。水は循環している。命を宿しながら、時間の旅をしている。この水の感覚になって絵を描きたいものだ。水で濡れたときにものは、その姿を見せることがある。



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想像力は読書で作られる

2024-05-25 04:09:52 | 暮らし


 本を読むことは好きである。石垣から成田まで飛行機の中でも本さえあれば、三,四時間は何でもない。あっという間に過ぎている。本を読み出すと本の世界に入り込んでしまう。本の世界に自分が漂う事ができる。作者の作り出した世界の中を追体験しているような気になる。

 子供の頃中国の本をかなり読んだ。何しろ内藤湖南全集すべてを高校生の時には読んでいたのだから、中国にはまっていたとしか思えない。毛沢東のものもあらかた読んでいた。尊敬していたとも言える。紅衛兵の正義も信じていたのだから、毛沢東思想に洗脳された中国軍国少年だった。その意味では習近平よりも先だ。

 毛沢東はちょぅっとおかしいぞと思ったのは、大学生になってからだ。大学にいた毛沢東派のいわゆる過激派私の考える毛沢東思想とは違っていた。文化大革命の主旨と実体の乖離が、許しがたいものに思えたのだ。本の思想世界が現実にやっていることとあまりに違うので、徐々に毛沢東に幻滅をした。

 本を読むようになったのは、母が本を買うのであれば、自由に買って良いと言ってくれた事が始まりである。母も本好きな子供だったらしい。私が読んだ本の話をすると、必ず読んでいて、読書感想会が始まるのだ。兄や父も土佐流の談詰めに加わることになる。家族全員が本好きだった。

 本には本の世界があるということを知った。その本の世界を歩き回ることがすごい冒険旅行だった。日本の小説も次々に読んでいった。何故か、日本の作家のものが好きだったのだ。外国の小説を読むようになったのは、ドフトエフスキーが始まりだった。食わず嫌いをびっくりしてしまったのだ。

 本をいくらでも買うほどお金がある家のはずがない。今思えば膨大な借金のある家だったのだ。それでも、母は自分のものには全くお金を使わず、無理をして子供の本を買ってくれたのだと思う。私は本当にだめな子供で、そうした母の事情は、分っていなかった。情けない、思い出すと辛い。

 そして、何故か家に来る人は本のお土産を持ってきてくれるのだ。おじさんやおばさんが、本を持ってきてくれる。読み終わった本があれば、持ってきてくれるように頼んで合ったのかもしれない。その本が知らない世界に続いていて、新しい本の世界を読みあさった。

 中学と高校は今の世田谷学園に行ったのだが、図書館があり、それなりの蔵書があった。酒井先生という司書の先生がおられて、本の指導をしてくれていた。酒井先生は後に私が教員になったときにもまだおられて、時々司書室でお茶をごちそうになった。

 毎月購入された本や、寄付された本が司書室の前の棚にあって、いち早くその本を借りた。その本を返すときには、酒井先生から感想を聞かれる。偉そうな生意気な意見を言ったはずだが、馬鹿にせず聞いてくれた。それでますます本が好きになったのだろう。

 図書カードがあり、借りる本を書き込んで、その年度の学年毎に一番本を借りた生徒が表彰される。私は必ず一番だった。当然である。必ず借りて帰るのだ。多分そうして、学校にある本はほとんど読んでしまった。仏教書が多かった。実は授業時間中も本を読んでいた。

 なにしろ、吉川英治の宮本武蔵を同じクラスの原君が毎日一巻ずつ学校に持ってきてやるから、と言うので一冊一日で読んでいたぐらいだ。まさに乱読という奴で、活字を追っていれば良いというような、読書依存症という状態だったと思われる。本の世界がおもしろくて、現実世界から遊離している方が楽しかった。

 今はスマホ依存症、ネット依存症という時代であるが、それと同じような状態が読書依存症と言えるのだろう。読書中毒と活字中毒は少し違うとは言えるが、芦田愛菜さんは読書家だそうだが、活字中毒で、調味料の細かな活字をついつい全部読んでしまうそうだ。その感触は分らないことは無い。

 古本屋にも入り浸った。中学に入ると古本屋巡りを始めた。1冊10円と山積みされている本の山から捜しては購入した。三軒茶屋には4軒も古本屋さんがあった。川村書店ではあんまり買うので、貸してやるから読み終わったら持ってくれば良いと言ってくれたのだ。だから川村書店は私の図書館だった。

 川村書店の店主の川村さんは上野毛にあった多摩美の最初の生徒で、古本屋をしながら絵を描いていた。三軒茶屋に何か新しい独特の風を持ち込まれてた。多摩美の登山部を作った人で、登山部の世話を長年されていた。魅力的な人柄の方で、長く付き合っていただいた。

 本は読むのは子供のうちの方が良い。今も読みたいのだが、目が悪くなって本が読みにくくて仕方がないのだ。子供の頃は布団の中で、本を読み始めると止まらなくなって徹夜をしていた。徹夜はだめだと言われるので、電気スタンドを布団の中に隠して読んでいて、布団をこがしたこともあった。

 本はおもしろいから読んだので、本を読むのは良いことだから読んだと言うことではない。くだらない本はいくらでもあるし、悪書も多い。それはネット世界と何ら変らない。本を読んで成長するというようなこともあるだろうが、本の世界に変形させられると言うことだってある。

 本はおもしろいと言うことだけだ。子供が本を読むと言っても、今の子供はテレビやスマホや色々あって、本を選ぶ子供は少ないのだろう。絵を見ることよりも、アニメを見ることを選ぶのと同じことだ。何が良いかなどは判断は出来ない。ただ好きなことをやると言うことに意味がある。

 何かに依存症と言われるほど好きになる。それがゲームであったり、スマホであったり、賭博であったりすれば、それはまずいと言うぐらいのことはあるだろう。今は田んぼ依存症であり、水彩画依存症である。それでいいと思う。それぐらいでなければものにならない。

 子供の想像力は読書で広がる。活字を読んで頭の中で想像しなければ本は読めない。その想像力はだんだんに培われるものだろう。同じ本を読んでも、その本の世界全体を想像できるようになるには、かなりの訓練が必要なものだ。読書が深まれば、ますます本好きになる。

 その訓練が進むことで、想像する力が広がり、ますます本の世界が好きになる。それは頭の中のの世界が広がると言うことなのだろう。ものを考える力がつくと言うことに違いない。本の作者の様々な世界観を体得するように味わうのが読書だ。

 もちろん本を読むだけでは、ただの頭の中の妄想のようなものだ。読んだ人間がその想像力を持って、現実の世界の実体験を踏まえて、自分の世界観を形成していくことになる。読書で未知の世界を歩いている間に、自分の脳で思考する力がついてくれるらしい。想像する力を高めてくれる。

 
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政治資金の使い道を明確にしろ

2024-05-24 04:08:55 | Peace Cafe


 自民党の考え方では、裏金のような曖昧な金がなければ、政治は出来ないと言う事のようだ。それはどういう意味の政治を意味しているのだろうか。そんな政治があるのか、大分考えてみたが、見つからない。自民党は長年に渡り何十億円というお金を裏金にして、その分らない政治に使ってきたことが明るみに出て、問題となっているのだ。

 普通ならば、さすがに申し訳なかったと言うことで、これからはお金の出入りはガラス張りにしますと言うところだろう。政治に関するお金はすべてクレジット決済のみにすると言うことが良い。ところがそれでは政治が出来ないと言う事らしいのだ。

 だから今回出てきた自民党案では、ガラス張りどころか、相変わらず領収書の添付もいらない、裏金に出来るという案なのだ。10万円以下のパー券購入者は、名前公開。それ以上であれば、名前は非公開。一体、パーティー券を買うのは悪い事なのか。名前を出せないようなことなのか。と言うことは見返りに繋がっていると言うことなのだろう。

 今の自民党は国民から批判の的になっていることぐらいは理解しているだろう。このままでは選挙が出来ないと騒いでいる。それでも、この程度の改革案しか出せないという子てゃ、どうも本当にバレない裏金がなければ政治は出来ないと考えているとしか思えない。

 それはどういう金なのだろうか。何に使う金なのだろうか。自民党が裏金議員に聞いた結果では、「会合費」「懇親費用」「書籍代」「旅費・交通費」 とある。当然これは表に出来る金のことだ。これなら全額クレジット化しても問題が無いだろう。ここが不思議なのだ。ウソがあるとしか思えない。

 何故政治に必要という費用を公開できないのかが不思議だ。あの二階氏の説明の書籍代はさすがに信じがたい。2万7700冊 の自分の本を購入して、配ったという。それが何故秘密にしておかなければならないのかが分らない。この説明を聞いて、なるほど領収書を示せない出費だと思う人は居ないだろう。

 会合費なら堂々と領収書を出せば良い。何ら隠す必要はないだろう。これも何かを隠すための言い訳としか思えない。「懇親費用」これなど一番怪しいと言えば言える。つまり、接待の伴う飲食店で懇親した時の費用を、選挙民に秘密にしておきたいのでと言うことはあるかも知れない。

 「旅費・交通費」こんなものは秘密にしなければならないはずも無い。正式な言い訳からは、本当のところの政治に必要なお金は表れてこない。そうである以上、憶測で、推測するしかない。国会議員であり、地元に自民党の支部の支部長であれば、その組織運営に費用がかかると言うことのような気がする。

 その支部は、支部の親分である支部長が運営に、お金を出して太っ腹の所を見せなければならない。接待の伴う飲食店での会合も必要なのだろう。自民党の青年局のいかがわしい宴会を見ると、自民党議員はそういう場所が好きなようだ。腹を割って酒を飲んで初めて、信頼関係が醸成されるというような、いかがわしい大人の世界になっているのではないだろうか。

 しかも、その支部員達は、それぞれの選挙がある。県会議員であれば、さらに配下に市町村議員を抱えているという構図なのだろう。その人達の面倒も見なければ、支部全体の統制が取れないというようなことではないか。要するに支部全体の選挙に、表にはできないお金がかかる。

 政治家にはお願い事が集まる。それが地元の議員秘書の仕事だ。就職のお世話は10万円。交通事故のもみ消しは10万円。申請業務の圧力行為は10万円。農地の転用認可は10万円。公共事業の誘致は10万円。地元企業の工事参入には10万円。とかなっているのだろうか。

 このお願い事の解決には、お金がかかることがあるのだろう。役人の接待もして人間関係を、話が進みやすい良い関係にしておきたいと考えているだろう。どぶ板選挙である。国会議員から、町会議員まで、祭りにはお祝いを持って駆けつけるのが、普通になっている。

 本来禁止されているが、飲食の会費を出さないと言うことも人間として出来ないと言うので、祭りの飲食の会費名目でお祝い金をす出す。それは私が地域の祭りに参加するときも同じである。祭りに行けば、それなりの飲食がある。それをただで飲み食いは出来ない。

 葬儀や結婚式に香典やお祝いを出す。基本選挙前には出してはならないことになっているが、それは建前で、出さなければならない関係の人にまで出していけないわけではない。また、世間では先生がお花を出してくれてありがたかったと言うのが、普通のことになっている。しかし、クレジット決済で大丈夫だ。

 ネット情報を色々調べてみても政務活動費は明らかにして困るようなものはない。結局の所、どう考えてみても明らかに出来ない政治で必要なお金とは、贈収賄的な支出だろう。こういう事件は時々表沙汰になって、逮捕に繋がっている。選挙に当選するためには、贈収賄的なお金がいるというのが常識になっているのでないか。
 
 パー券を買う方の意図は明確である。企業献金は利権の確保である。自民党に企業有利な政策を続けて貰うためにお金を出しているのだ。例えば法人税を上げないで貰えば、見返りは十分なのだ。企業が自民党に献金をするのは、株式会社である以上、正当な見返りを予測してのことになる。

 使い道の方はヤブの中だが、パー券を買っているのは明らかに企業である。しかもそれは公表されると困ると言う人達である。自分たちが自民党を支援するのは、正しい行動だと考えるのであれば、公表されてもかまわないはずだ。しかも企業が自民党に対して見返りなど考えても居ない。というならなおさら公表されてもかまわないはずだ。パー券購入は企業の公益だと言えば良い。

 所が公表されたら、パー券が買ってもらえないと自民党は考えて、非公開にしたいのだ。ここがおかしいではないか。だから、20万円から10万円以下に公表範囲を下げたと、自慢げである。本当に馬鹿馬鹿しい。10万円づつ2口で処理させて貰いますので、かまいませんのでと言うことになるに違いない。

 何しろ領収書の無いお金なのだ。自民党はここまで追い込まれても、裏金政治が止められない体質だ。公明党にまで拒否されても、裏金政治を続ける以外に、支部組織の維持が出来ないのだ。ここが野党の正念場だ。とことん裏金などない、公明正大なお金で運営される政治にすべきと、主張して貰いたい。

 裏金で維持されている関係は、裏金がなくなれば自然と消えて行く。金の切れ目が縁の切れ目だ。全国の汚い金で動く政治が洗浄されて行く。今の世の中は金権主義だから、こんなことが起きたのだ。この機会に汚い自民党が洗浄されれば、日本の政治も少しは明るくなるだろう。

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ぽっんと一軒家強盗事件

2024-05-23 04:18:42 | 地域


 長く山北の丹沢の山中で暮らしていた。お隣のない、山の中のポツンと一軒家である。子供の頃は山梨県の藤垈の一番奥のお隣のない一軒屋のやま寺に暮らした。山奥から遠く街が見えるという暮らしである。いつも別世界を眺めているような暮らしだった。
 
 山の中の暮らしの楽しさは知っているつもりだ。食べ物を作り、採取する自給自足の楽しさ。川をせき止めての魚取り。沢ガニ取り。暗いうちから起きての竹の皮を拾う。箒草取り。竹の枝での箒作り。そして鶏を飼う、ミツバチを飼う。山羊を飼う。犬や猫が居る。生き物と共に暮らす楽しさ。

 自給の暮らしをするようになったのも、山の中が好きだったからだ。向昌院での暮らしは、山の中ながらかなり不安はあった。戦後のもののない時代だったから、田舎の山村でも泥棒が結構いたのだ。明日の食べ物がないのだから、お寺のものならと言うことで、お泥棒さんが来ることになる。

 向昌院では精神病の患者の宿泊施設もやっていたので、様々な人が出入りをしていたと言うこともあって、患者さんが起した殺傷事件も起きたことがある。お寺はある意味福祉施設的な物でもあったから、食べるものが無いお乞ん食さん(そう呼んでいた)が、食べ物を貰えないかと来ることも時々あった。

 この時代になって、山の中で強盗事件が起きたのだ。ぽっんと一軒家強盗事件と報道された。栃木、長野、群馬、福島県で4月30日~5月14日、山間部で、住宅を狙った緊縛強盗事件が相次いで発生。4県警は情報交換をしながら、容疑者の絞り込みを進めた。そしてベトナム人の2名が捕まった。

 この事件が報道されたときから、外国人が関係していると思えた。そうした先入観を持っていること自体が申し訳ないことだが、日本人ならばそんな馬鹿馬鹿しいことをするとは思えなかったからだ。山中の家に、盗んでお金に換えられるような物品があるとは思えない。キャシュレスの時代だ。お金も置いては置かないだろう。

 日本人であれば、そういう辺りの事情はだいたい考えて分るだろう。もし山の中で、盗んで価値のあるようなものや現金がおいてあるのならば、当然それなりの対策がしてあるはずだ。防犯は完璧にした上で、セコムと契約ぐらいしているだろう。上手く行くはずがない。

 だから、可能性があるとすれば、キャッシュカードや通帳を狙うことになる。そんなことをしても、現金を引き出す現金引き出し機で足がつく。今回の強盗事件もすぐに、警察がキャッシュカードの交換に来る強盗犯を、待っていて捕まえる準備をしていてのだろう。割合簡単に捕まったのだ。

 しかし、この事件で分ったのは、山の中とは言え、かなりの防犯カメラがあり、そこに犯人の乗っていた車が移っていた。それを調べて行くとだいたいの足取りが見えてきたのだ。防犯カメラ設置反対という、国の監視を嫌う人が居たが、もうそれどころではない防犯カメラ設置賛成だ。犯罪抑止力になっている。

 外国人が犯罪に関係すると、どこか発想が違うのだ。あの山の中に暮らしているのだから、何かあるだろう。簡単に押し込めるだろう。近所に家がないのだから、見つかりにくいだろう。それくらいあやふやな情報で安易に犯罪を犯す可能性がある。

 今回殺さなかったからまずかったというので、この先強盗殺人になりかねない。これから人口減少時代に入る。ポツンと一軒家暮らしでは、病気や事故の可能性もあるから、行政機能として連絡の受け手を担う、定時連絡機能が必要になる。

 何か価値観や、行動原理が違うようだ。だから、申し訳ないが外国人が関わっていると想像してしまったのだ。移民社会になれば、日本も安全な国ではなくなる。外国と同じになるのは当たり前だ。企業の論理で外国人労働者が導入が進んでいるが、暮らしの安全性に対して、どう責任は取ってくれるのだろうか。

 今度出来た永住許可の取り消しの新たな規定では、税金を滞納すると永住権が取り消されることになった。技能研修制度は育成就労制度似変更になる。受け入れる職種を介護や建設、農業などの分野に限定される。 特定技能への移行には、技能と日本語の試験に合格する事が条件になる。

 日本は産業の都合で、外国人を都合良く、なし崩し的に受け入れようとしている。しかし、日本社会はまだ外国人との関わりを、受け入れた状態ではない。バイデン大統領に日本人は外国人が嫌いな国だからと言われることになるのだろう。

 確かに日本人同士は、分りやすいのだ。顔色でだいたいのことを見抜ける。ちょっとした表情の変化で、相手の心理を判断している。以心伝心で言わないでも分るのだ。輪島で地震被害に遭ったインドネシア人が、避難所で食べてはいけないと思い食料に手を付けずいたという。

 これは狭い島の中ではなおさらのことだ。他所から来るものは同じ日本人でも、ナイチャーであり、気を付けなければならない人達なのだ。当たり前の事だ。それでも石垣島はナイチャーになれている。石垣島は移住者の方が多い島である。例えば崎枝は戦後開拓で宮古島から移住した人達だ。

 台湾から来た人達も沢山居る。石垣の農業を近代化した人達である。私はそもそも差別を受けたとか、ナイチャーだからと言うようなことは意識したこともないし、気にもかけない。そもそも人にどう思われるかというようなことを考えない性格である。嫌われても平気な人間である。フランスではかなり差別を受けたが、私もフランス人が嫌いになった。

 自分が、好きなことをやれればそれでいいだけなのだ。もちろん嫌われるようなことをやらないつもりでも、ナイチャーだから気に触ることはままあるのだろう。それで、差別を受けているとしても、それが当たり前なのだろうと考えて、受け入れた上で関わっている。

 ナイチャーは何を考えているか分らない人間なのだ。その意味ではベトナム人が良く理解できないのと似ているのだろう。石垣島にはベトナム人も働きに来ている。ベトナムでも田舎の方の人だから、石垣島ならば田舎だから大丈夫と思ってきたと言われていた。優しそうな青年だった。

 日本は外国人労働者を受け入れなければ成り立たないと言われている。しかし、その受け入れがバイデン大統領が口にしたように、国民的な合意形成がないまま、企業の都合で強行されてきている。将来を考えれば、ますます困難さがますばかりだと思うが、今の企業の都合が優先されている。

 ぽっんと一軒家事件やアメ横殺人事件を見ると、日本の社会はどんな方向に進むべきか、腹を割って考えるべきだと思う。江戸時代の鎖国は成功した選択だったわけだ。日本社会がAT革命時代の中で、落ちこぼれつつある。これからどうあるべきなのか。十分に考えなければ成らなくなっている。

 これだけ円安が続くようならば、外国人労働者という意味では、次の時代には減少するだろう。ベトナム人がオーストラリアで働くとか、産油国で働くと言うことの方が、有利さがある。日本語を学んでも将来性があるとは言えない状況になってきた。

 それでも、日本は外国の観光客は来てくれる国である。素晴らしい国土の国であり、日本人の人の顔色を判断し、配慮する性格が外国人には優しく写るのだろう。観光客を受け入れるにしても、外国人労働者がいなければ出来なくなっている。この点どんな工夫がいるのだろうか。ロボット接客なのだろうか。人に会わないホテルはある。

 日本人は内向きと言われることを恐れる必要もない。自分の力で自立して生きて行ける国になることが、むしろ重要である。食糧だって自給すべきだし。アメリカの属国でいつまで居る必要もない。むしろ中国とも仲の良い国になることの方が、日本の未来にはプラスになるはずだ。

 
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石垣島名蔵湾でマングロープの植林

2024-05-22 04:31:02 | 石垣島


 八重山ライオンズクラブ(LC、前里和江会長)は20日、八重山地域の自然環境を保全するため、石垣市の名蔵湾でヤエヤマヒルギの植樹を行った。干潮時に大規模な干潟になる湾内の一部をマングローブ林に変え、豊かな自然環境を次世代に残すため、40年以上前から続けている。ーーー八重山日報 

 1972年に西表島の一部が国立公園に指定された。2007年に石垣島の一部が国立公園になった。そして今回、崎枝から、大崎までの名蔵湾が、国立公園に指定されることになった。国内最大規模の沈水カルスト地形や巨大なコモンシコロサンゴ群集、良好なサンゴ群集などが評価された。

 名蔵アンパルの湿地帯を取り囲むように、バンナ岳の斜面にはパイナップル畑や放牧地が広がり、それを受け止めるように、海岸線には水田が広がる。昔は出作りのための田小屋があった。名蔵に出作りの経験がある方が昨年まで、田んぼをやられていた。

 名蔵の田んぼのある場所では、マラリヤの感染があるために、暮らすことは難しかった。石垣島の自然と暮らしの折り合いの付け方の、奥の深さと、美しさと悲しさを感じさせる場所だ。収穫したお米は舟で、街の方に運ばれたという。

 残念なことに、この素晴らしい名蔵の田んぼに耕作放棄地が出てきた。水田が赤土の流出を軽減していると思われるが、海岸線の水田が無くなれば、名蔵湾の珊瑚礁も危ういことになる。水田は自然を育む農業である。水を浄化し、地下水を涵養する。国立公園になった名蔵湾は、水田が守っている事を忘れては成らない。

  名蔵湾は国立公園に編入された。名蔵アンパルはラムサール条約の日本で最初に指定された湿地帯である。ここで自然再生のために、マングローブを植林して行くことには、賛否両論がある。この名蔵湾沿いを走る道路は石垣島では意外に珍しい、海の見えるドライブロードになっている。

 マングローブ林になれば、海が見えなく成るという反対論があり、八重山毎日新聞紙上でも、賛否両論が掲載されてきた。賛成論は自然保護が第一だという考えである。そもそも、国立公園の中のラムサール条約指定地に道路を通すこと自体が問題と言うことになる。

 西表島でイリオモテヤマネコが発見されたときに、竹富町は人間とやまねことどっちが大事かという議論が、町長選挙でも争点になった。結局、西表島縦断道路や一周道路は出来なかったが、中途半端な舗装道路が整備されたために、イリオモテヤマネコの自動車事故がやまねこ保全の最大の難関になっている。

 道路に飛び出してくるような道路の設計なのだ。日本で最も貴重と言っても良いようなやまねこがいる島で、道路建設をする以上、やまねこが飛び出さないような安全な道路を作ることが当たり前だと思う。道路は人間のために必要である。しかし、やまねこにとって危険な道路を作り、一向に改善できないというこはどう考えても、おかしいことだ。

 名蔵湾も貴重な湿地を潰して、道路を作った。それは人間が大事だから当然のことで、この湿地を埋め立ててをして、田んぼにしてきたのは、江戸時代からのことである。当時は道路がないから、川を舟で渡り、海を舟で迂回して行き来をしていたという。

 石垣島の中心市街地から、川平に抜ける舗装道路が出来たことはそれ程前のことではない。当然アンパルの湿地を埋め立てて道路や大きな橋が出来たのだ。名蔵や川平や崎枝に暮らす人にしてみれば、生活道路であり無ければ成らない道路である。

 ただ、今の自然保護の現状から考えれば、もう少し違う道路の位置取りがあったのでは無いかと言うことは言える。海が見えるもう少し高い位置に道路を作れば、湿地を潰さないでも済んだ。そして道路からの眺めも良かったはずだ。今更後悔しているようなことでもない。

 人間よりやまねこが大事かと言う以上に、経済の活性化と言うことが、人の暮らしの基本になる。石垣島の経済が回して行くと言うことが最も重要なことだろう。直接的には観光産業である。石垣のこれからの経済は観光である。これについては、誰もが納得することだろう。

 経済などどうでも良いという人も3%はいるのだろうが、大多数の人が、経済を重要だと考えて、石垣島の場合広い意味での観光を中心に経済を考えると言うことになる。広い意味というのは、観光のための宿泊施設を作ると言うことに成れば、島の様々な業種が潤うというようなことだ。

 それは農業でも、漁業でも、観光に旨く関連できれば成り立つという所が在る。この観光という所で、具体的には賛否が分かれてくるのだ。ゴルフ場を作れば、観光客が来てくれると言う意見と、ゴルフ場が自然破壊になれば、未来の観光資源が失われるという意見が対立する。

 観光を背景に、名蔵湾のヒルギ植林を考えると、ヒルギを道路の海側に植えて、海が見えない道路になれば、観光資源が失われると考える人達と、同時にマングローブ林が出来ればそれが観光資源になると考える人達が、対立して考えているのだろう。

 マングローブ林が道路と共存するような形であれば問題ないのだが、実は名蔵湾には赤土の流出という問題がある。サトウキビ畑から大量の赤土が流れ出て、マングローブ林も珊瑚礁をも埋め尽くしている。その赤土の上にヒルギ植林は進められていることになる。

 確かに黄土色の海岸はあまり景観的に良くない。白い白い珊瑚礁と言うことにはならない。赤土が丸見えよりもマングローブ林の方が美しいだろう。マングローブ林になれば、石垣島に適合してきた生き物も増えることだろう。その意味ではマングローブ植林は良いと思う。

 ただ、石垣島で海が見える道路はここだけである。この道路を毎日往復しているものとしては、この道路から海が見えるのは楽しみなことだ。特に、西表島に沈む夕日の美しさは他にはないものだろう。多くの観光客が西表島に沈む夕日を眺めている。車を止めて呆然と眺めていることもある。

 ライオンズクラブがヒルギの植林をして、自然環境を守る活動をするのであれば、是非ゴルフ場の反対もして貰いたい。これは自然林を大量に切り払うことになる。ゴルフ場にはホテルや別荘地も出来て、大量の水を使うことになるらしい。

 そのゴルフリゾートで使う水は地下水を汲み上げるのだそうだ。海に近いのだから、海水が混ざり、名蔵アンパルの環境は激変するだろう。ゴルフという発想も、これからは古くなる。テレビのゴルフ放映も激減した。若い人はゴルフなどしない。

 宮古島でも、石垣島でも、自衛隊ミサイル基地は倒産したゴルフ場跡に出来たのでは無かったか。今度のゴルフ場も農振農用地からの転用である。本来出来ないことが行われた。そして、またゴルフ場が倒産すれば、今度は米軍基地になるのだろうか。

 
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小田原市長選加藤憲一氏再選

2024-05-21 04:03:19 | Peace Cafe


 小田原市長は前回の市長選挙で4選目で落選したが、今回は大差で現職の守谷市を圧倒して再選された。支持政党はない市民系の加藤氏と自民党や野党も相乗りした政党候補の現職守谷氏の選挙だった。結果は驚くほどの大差で、自民党系の保守候補守谷氏が落選し、加藤憲一市長が返り咲いた。

 加藤憲一氏は、元あしがら農の会の仲間だった。農の会を退会して、市長選挙を目指した人である。娘さんが白血病になり、収入の少ない農業を続けられなくなった。私は仲間として農業をやって欲しかったが、娘さんの病気と言うことだから仕方がなかった。

 そして、選挙では本気で選挙応援活動をした。政策立案をする委員会の委員長として取りまとめた。ただ私の加藤さんに期待するものと、加藤さんが市長になってやりたいことに、大きな違いがあって、いつの間にか私は蚊帳の外に置かれていた。それでも、あしがら農の会の仲間という気持ちがあり、加藤さんへの応援は続けた。

 あしがら農の会が組織化されたときには、加藤さんはすでに自分の農業の組織を運営していた。あしがら農の会には地元小田原の出身者が一人も居なかったので、農の会を一緒に立ち上げた、山田純さんと相談した結果。農の会に入って貰うことをお願いした。30年は前のことになる。

 加藤さんと山田純さんと私は酒匂川フォーラムも一緒にやっていた。産廃の最終処分場の反対運動が勝利しても、何も産まれない。と考えたからだ。弱いところにはまたおかしな物が出来る。地域の農業を活性化する事が重要だと考えるようになった。

 その頃すでに農の会の活動を始めていた。加藤さんに代表として迎えるから、農の会に入って欲しいと懇願した。多分、その頃から将来は政治に進出する気持ちがあるような人だと感じていた。農の会に関わっておくこともそれなりに意味があると考えたのだと思う。

 農の会が、曖昧な農業者の集まりだったものを、すこしづつ方向性のある形を作ったのは加藤さんである。今でもある通信は加藤さんが始めたものだ。毎月の定例会も加藤さんの代表の時に始めた。その後5年ぐらいは一緒にやったのだろう。

 加藤さんは他の農の会の仲間とは感触が違う人で、腹を割って関係したという記憶はない。いつも彼なりの計算があって、参加していた。実際の農業の方は、加藤さん自身はそれ程集中してやっている感じはしなかった。仲間が沢山居て、その人達がやっているという感じだった。

 多分当時から農業以外の活動が色々あったのだろう。そういう農業以外のことは関わらなかったので本当のところはよく分らない。その後、市長選に立候補すると言うことになり、初めての選挙では落選して、2回目に当選をした。当選したら、いよいよ感触が違う感じの人になった。なんだかなー。と言う気がして近づかないことになった。

 しかし、農の会の活動が拡大したのは、加藤さんが市長になってからのことなのだろう。加藤さんに何かをお願いしたことは一度もない。また加藤さんも農の会に何かをしてくれたことは無い。そうありたいと思っていた。しかし、加藤さんが市長である事は、やはり世間的には農の会のみる眼は変ったに違いない。

 その後、農の会から、市議会議員、県会議員となった佐々木ナオミさんが出た。ナオミさんの選挙では後援会長までやった。ますます農の会が政治的な意識が強い会と見られたかもしれないが、農の会のような市民組織を利用できると考える人が、農の会に色々関わったと言うことの方が、実際の所に近いのだろう。

 加藤氏に再度立候補を要請する動きは聞いていた。私にまで、何とか出て欲しいので、頼んで欲しいという依頼まであった。あまりに守谷氏の市政がひどすぎるので、市民の組織が何とか加藤氏にもう一度やって貰えないか、と言うことだったようだ。

 しかし、加藤氏ははっきりとした気持ちで、ブドウ農家になるつもりだった。本人からそう聞いたし、実際にその方向で進んでいた。農の会の仲間も随分手伝いに行っているようだった。そのぶどう園はミカン畑の跡地の斜面にある。造成に苦労したらしい。

 今度は本気で農家になるんだと思い、喜んでいたところだ。あのぶどう園は誰が維持することになるのだろう。あのぶどう園を手助けしている人達も多く、多分その人達も、市長への立候補を応援したのではないかと思う。加藤さんの回りには、加藤さんに協力する人が沢山現われる人である。

 人望があるとも思えないのだが、またそれとは別の人を惹きつける何かがあるのだろう。こうして再度小田原市長になったのだから、是非とも今度はやりたいことを、やり切て貰いたいものだ。現実は確かに甘くないのだろうが、また前回と同じではもったいない限りである。

 今回の市長選挙で、学校給食の無償化などを上げていた。学校給食の地元食材の利用もお願いした。加藤市長の時代に随分進めたが、市長ならやれるはずだし、興味があると思われたが、加藤市長にまるで反応がなかった。その点ではむしろ守谷氏の方がやろうじゃ無いかと言うことだった。

 わたしの目には加藤氏の市政は事なかれ主義に見えていた。まあそんなことを言うのは、私だけかも知れない。加藤氏には期待しすぎていたのだろう。特にゴミ問題の検討委員会には加えてもらい。ダンボールコンポストの活動を始めた。これには市役所の職員になったのかというほど、環境課にかよった。

 この活動は成功して今でも続いている。環境大臣賞も受賞した。しかし、ダンボールコンポストは検討委員会の方針では第一次段階で、次の2次段階で地域での生ゴミ集積のことが始まるはずだった。ところが、いくら要望しても始まらないので、はしごを外された気がした。それで私はこの活動から身を引いた。

 加藤氏は何と石垣市長の中山市長ともおかしな関係がある。初当選した中山市長は施政方針演説で、加藤氏の演説を剽窃したのだ。そのことは中山市長自身が認めたので、間違いのないことだ。加藤氏は確かに言葉は真似したくなるように立派なのだ。問題は実行なのだから、今度はやりきって欲しい。

 政治はそこに暮らす人のことにどれだけ良いことが出来るかだと思う。その意味では前回の加藤氏には、期待外れだった。確かに実際には難しいことばかりなのだと思うが、それは違うだろうと言うことも多かった。競輪場は今もあるが、競輪場の廃止も当初は主張した。

 しかし、守谷氏になってみれば、保守の人というものがどれだけひどいもので、大型開発思考であるのかと驚いた。この利権の圧力に加藤氏は耐えていたのかもしれない。市民活動から遠のく力が働くものかを経験した。加藤氏に対して期待が大きすぎたのかも知れないという思いもあった。

 4期目で止めるつもりで、今回はやりたいことをやりきって貰いたい。そしてぶどう園に戻れば良いではないか。その方が、加藤さんらしい生き方だと思う。
 
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作物を満作にすることの意味

2024-05-20 06:02:59 | 楽観農園
 作物は人間が作り出したものがほとんどである。自然界にある野生の植物とは違う性質のものと考えなければ成らない。例えば今日本で栽培されている稲であれば、原種と言われる野生稲が、中国の長江の河岸に自生しているものが発見されている。その後もう一カ所、ラオス、カンボジア国境地帯の標高の高い地域が指摘されている。

 その稲が何千年も自家採種で栽培される中で、自然に選抜されて居るはずだ。そして、より人間にとって都合の良い品種を作り出そうと、ここ100年間の品種改良で、全く野生種とは違うような性格のものになっていると考えられる。野生の稲と似てはいるが、100倍も多く実がなるのものになったのだ。

 この人工的に作られている栽培品種は2つの方向がある。一つは人間が美味しいと思えるものだ。作物も商品であるので、改良は売れるものになる。果物であれば、消費者が好むもの、甘くて、柔らかくて、簡単に食べれるように改良されている。

 もう一つの方向は、化学肥料や農薬への対応力である。作物は肥料を吸収する能力が高められる改良がある。野生種の稲であれば、それ程栄養のない土壌で実を付けなければならない。しかし、改良された稲は化学肥料を吸収する能力が高められていて、無肥料では十分には生育できないようになっている。

 多分稲の品種では50種類ぐらいは作ったと思うが、同じ作物とは思えないような、性格がある事を経験してきた。その中で、小田原で作ったもので自分の栽培に合っている品種はサトジマンであった。平成6年~平成16年 に育成されたものとある。2004年に出来た品種だから、20年前のものだ。今でも小田原で畝取りが出来ている。

 神奈川県の奨励品種には2005年には成った。奨励品種を栽培するようにしていた。それは、苗作りを失敗することがまだ多くて、奨励品種であれば、急遽購入も出来るという安心感があったからだ。2005年には作り始めているはずで、その後自家採種を続けてきた。

 食味も好きで一番好きなお米だ。長年このお米を食べてきたので、この味こそお米だと感じるようになったのかも知れない。味は個別性の強いもので、美味しいと言われるお米でも、べつに、と言うものも多い。自分にとって美味しいが一番で作り続ける。

 ところが、このサトジマンを石垣島でも作りたいと考えたが、作って見て、全く栽培が出来なかった。きちっとしたサトジマンの形に育たなかったのだ。葉が10枚くらい出たところで、小さな穂が出てしまい、この品種では十分な栽培はできないと実感した。

 同時に栽培した、ひとめぼれも栽培状態は悪かったが、サトジマンよりはまだ良かったと言える。そこで、ともかく沖縄県が奨励品種にしている「ひとめぼれ」「ミルキーサマー」「ゆがふもち」やってみようと言うことで栽培実験を続けている。その当面の目標はその稲の特徴を知ると言うことである。

 それは「ひとめぼれ」であれば、宮城県の古川農業試験場で行われた栽培の結果と較べてみて、同等の生育をするかである。例えば葉は15枚の品種である。背丈は81から82㎝の品種。ところが、石垣島で作ると、葉は12枚が最高で、70㎝程度で出穂してしまう。これでは良いお米は出来ないはずだ。

 有機農業で稲を栽培すると、小田原の経験では葉は標準通りで、背丈は10センチは高くなる。葉の出る速度はほぼ7日で一枚である。これは10年以上測定した結果である。ところが、石垣島では5日で一枚の葉が出てしまう。栽培期間自体が1ヶ月以上短くなる。

 もう一つの奨励品種の「ミルキーサマー」も昨年から作っているが、同様の悪い結果だった。そこでまず目標は「ミルキーサマー」が中央農業総合研究センター谷和原圃場と宮城県古川農業試 験場で作られている標準の作柄にすることを、第一目標にした。背丈が84㎝である。

 これも沖縄名護の農業センターの実証実験では72㎝ぐらいまでの株になっている。これを何とか84㎝、15枚の葉で栽培できないかを、目標にした。結論から言えば、多分不可能と言うことと考えて良いというのが、現状である。

 のぼたん農園で一番健全に育ったものは、40㎝角植えのもだった。育苗期間は12月3日播種で1月13日5葉期の田植えである。3番田んぼでは、1月6日田植えで4葉期の苗であった。この田んぼでは12枚しか葉が出なかった。この結果から見て、大苗栽培で行う方が良いと推測している。

 餅米品種の「ゆがふもち」では6葉期の田植えをした部分が、鹿児島県の農業開発育成データーとほぼ同じ株に育った。「ゆがふもち」を栽培した2番田んぼも40㎝角植えである。満作にするには、6葉期に近い株を、40㎝角植えにするということは、育成方法としては間違いがないようだ。

 ただこれでは収量は半分になる。何年か土壌をよくするどりょくをして、結果が良くなれば又別かも知れないが、今のところは土壌を良くする方向も見えているわけではない。腐食を増やすと言うことを目標にしているが、まだその方法を実践しては居ない。実践しないことは無いことにしている。農業では理屈や理論など、たいしたものではない。

 また、2番田んぼでも、6番田んぼでも、特に生育の良い部分は土壌が深い場所である。まだ作られて2年間という土壌なので、土壌が十分ではないと言うこともあり、どうしても耕土の浅い部分は良い生育にはならないようだ。やはり土壌を豊かにしなければ、有機農業では満作に出来ないと言うことも分る。

 稲を30㎝角で満作に育てることが最終目標になるが、ひこばえ農法を行う場合は、40㎝角も悪くないと考えている。ひこばえ農法では、2回目、3回目と、分ゲツ数が増えて行く。そのために粒張が悪くなってしまう。40㎝角で根の生育範囲を広げて、肥料を多くすれるようにすると言うことも一つの方向かも知れない。
 
 現在、1番田んぼでは台光という品種を栽培している。これは由来の分らない品種であるが、現在ひこばえを育てている。田植え栽培の一回目より、明らかに作柄が良くなっている。1月13日に一期作の稲刈りをして、6月が2回目のひこばえの収穫になる。ゆっくり生育して、背丈は140㎝になっている。インディカ種とジャポニカ種の交雑した株のようだ。

 餅米的な品種なのだが、種籾をいただいたときには、うるち米という話だったが、どこかで自然交雑したものかも知れない。予定では少なくとも3回は収穫してみるつもりだ。それでどこまで良い生育が維持されるか検討したい。もし、成績が良いようなら、ひこばえ用品種として栽培を続けたい。
 
 
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猫と水牛を飼っている。

2024-05-20 04:54:09 | 身辺雑記


 今1匹だけ猫が居る。「ルル」である。水牛は3頭居る。「わかば」「さくら」「のぼたん」である。みんな名前がある。ブログを書いている今は、猫が膝に来ている。甘えるわがまま猫である。農園に行けば、水牛が寄ってくる。どちらも可愛いが、家畜と猫はさすがに違う。

 水牛は放牧してあるので、毎日紐を引っ張って、飼われている事を認識させている。時々水牛を綱で繋いで置いた方が、家畜として扱うためには良いと言われる。しかし、水牛だって自由に歩き回れる方が良いだろう。餌だって食べ放題だ。

 繋ぐとすれば、水を運ばなければならない。これが案外大変な作業になる。だから繋ぐのは、池のそばになる。今なら池のそばにいくらでも草があるので、溜め池掃除を兼ねて、水牛もすこしづつ繋いでいる。これは動物虐待に当たるのか当たらないのか、いじめている考えはないが。

 猫のルルは福島の原発事故現場周辺で、事故直後に生まれた猫である。だから今13歳と言うことになる。ルルは家猫で、外には出さない。猫の場合外に出すのが、動物虐待になるらしい。猫に選択権があるとしたら、自由な外暮らしで、危険な中で暮らすのと、家暮らしで安全に暮らすのではどちらを選ぶだろうか。

 ルルは最近急に弱ってきた。あまり食事が食べれなくなった。ペット病院で見て貰ったが、特に腎臓に悪い数値があると言うわけではないそうだ。でも猫は食事が細く成ると、そう長くないことが多かったので、心配している。確かに痩せては来たが、様子が良い日もある。

 小さい頃彷徨い歩いて、餌も食べれずに育ってしまったために、身体も小さく弱い猫なのだ。もしかしたら、産まれたのが原発事故現場から遠くない場所と言うことなので、小さな頃に放射能の影響を受けたために、身体が弱いまま育ったのかもしれない。汚染された食べ物しかなかったはずだ。

 身体は弱い猫だが、気は強い猫だ。小さいくせに、他の大きな猫を脅かしていた。身体が倍もあった白黒ブチのスズをいじめて困った。スズは気持ちの優しい猫で、歳も大分上なのに、何でもルルのやりたいように任せていて、何かあれば逃げてしまい、絶対に手を出さなかった。猫の性格も様々である。

 ルルの弱ってきた姿を見ていると、ペットはもう飼えないという気持ちになる。何十匹も猫や犬の死を看取ってきて、そのつらさには、いつも耐えかねるものがある。何度も金魚や鶏も含めて、死の立ち会いを重ねても、犬や猫に死に慣れるということはない。

 ある意味両親の死よりも、辛いものがある。母も父も一緒に暮らしていて、看取った。父も母も覚悟のある人だったので、私が打撃を受けると言うよりも、生きると言うことの全貌を見せて貰ったという感じがした。寂しいことであるが、受け入れられた。ありがたいことに自分のことより私のことを考えてくれた両親だった。

 確かに死んでもう居ないと言うことはあるが、今でもよく相談をしたり、教えられたりしている。両親は私よりも大分高級な人間だったのだ。両親が立派と言うこともあるが、私が相当にだめ人間なのだ。だめでも仕方がないとやってきていままできてしまった。

 犬や猫の場合、私が保護者なのだ。手の中で保護している、大切な物を失うという感じには、耐えがたい辛いものがある。石垣に来たときに5匹の猫が居たのだが、今はルル一匹になってしまった。毎年1匹づつ死んだと言うことになる。年寄猫ばかりで、一番若いルルが残った。なんども辛いものがあり、次に猫を飼うという元気がない。

 猫を又飼う。犬を又飼うという気力が湧かない。しばらく前までは、今度はまた犬が飼いたいと考えていた。子供の頃から小田原で暮らしている頃まで、犬をいつも飼っていた。向昌院にいた甲斐犬のクマが最初の犬である。最後の犬が死んでから、猫だけを飼うように成った。

 最後の犬はやはり、福島から来たセントバーナードである。おとなしい優しい犬だった。死ぬまで間、一緒に暮らしたという感じだった。預かって、死ぬのを見届けるというような役割だった。この優しい犬からも教えられることが多かった。飼い主が行方不明になり、その後辛い環境が続いたのに、人間を信頼していた。

 福島から来た犬は他にも飼ったが、それは原発のそばに繋がれたまま、置き去りにされ1ヶ月餌を食べないで、弱り切っていた。その犬でさえ健気だった。飼った犬は立派な奴ばかりだった。十分世話が出来たのか恥ずかしいぐらいだ。犬は真面目で一途だ。裏表がない。私がだめな奴なのに、どの犬もせめないで許してくれた。

 だから、犬を又飼いたいというのは、犬に助けて貰いたいという感じがある気がする。ルルが弱ってきているから、犬ならば強い気持ちで飼えると思うのかも知れない。まあ犬だって死ぬことには変りはない。もう生き物は飼えない歳のかもしれない。

 まだ猫が膝の上に居る。猫に助けられて書いているわけだ。のぼたん農園で助けられているのは3頭の水牛だ。のぼたん農園に行く楽しみが、水牛に会うことだ。水牛は家畜として飼っているのだが、結局ペットのように飼っている。福仲先生は繋いでおけと言われるのに、放してあげたくなる。

 放しておくと従わなくなると言うことなのだが。そんなことはない。毎日金属ブラシで擦ってやる。これで手名付けることが出来る。左手で紐を引っ張って従わせておいて、金属ブラシで擦る。紐で引くと水牛は従わざる得ないと言うことを理解している。水牛は想像できないくらい頭が良い。

 ワカバは3ヶ月種付けのためにのぼたん農園を離れていた。戻ったときにはのぼたんは母親を忘れていると、言われていたが私には信じられないことだった。のぼたんは2歳3ヶ月なのに、戻った母親のワカバを見て、またお乳を飲んでいる。

 私は可愛がるばかりだから、甘く見られているのだが、紐でしばらく引っ張ってやると、自分が従っているという意識が出来るようだ。しかし、のぼたん農園で産まれた、のぼたんは少し違う。さくらやわかばは他で育った、のぼたん農園に来た水牛なので、甘えるという感じではない。

 のぼたんは、産まれたときからのぼたんの傍にいるので、関係が大分違う。まあ、かなりペット的な水牛になったと言える。のぼたん農園では他所で育つ水牛は違う飼い方なのだと思う。放し飼いの水牛は日本では他には居ないだろう。放牧で自由に育ったからといって野生的になるという事はない、といえるだろう。

 しかも大勢の人に特別に可愛がられてきた。人間がどういうものかの理解がのぼたんは少し違うようだ。家畜として育ててないので、仕事を出来るかという点では問題があるが、多分やらせればやってくれると思う。人間と居ることは好きだし、頭も良いので何をやるのかはすぐに分るはずだ。

 本当は鶏を飼えばいいのだが、飼う気がどうしても起きない。やはり、鶏を飼うのを止めた理由が引っかかっている。重い気持ちで止めたのだ。サトウキビ畑の放し飼いというのは、可能性があるような気がしている。サトウキビ畑の回りに、2mのネットを張る。その中に放し飼いをしておく。

 サトウキビは背が高いから、鶏が葉を食べることはないだろう。サトウキビが小さい間だけ、鶏は別飼いをする。サトウキビの間を鶏が歩き回り、虫や雑草を食べる。糞がサトウキビの肥料になる。サトウキビがあれば、上からの鷹や鷲の攻撃も避けられるかも知れない。

 今は2列の50mほどのサトウキビがあるから、ここでまず実験をしてみる価値はあるかも知れない。その意味ではパイナップルも同じかも知れない。鶏はパイナップルの葉は食べないだろう。これは試してみなければ分らないことだ。鶏を飼う気になれるのだろうか。
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212 水彩画 日曜展示

2024-05-19 04:21:56 | 水彩画
212 水彩画 日曜展示

10号前後です。





 483「紀伊半島の漁港」
2024.5






484「山の湖」
2024.5








485「紀伊半島の漁港」
2024.5








486「古木桜」
2024.5








487「伊豆高原」
2024.5







488「岬」
2024.5



 10号前後の作品を描いた。やはり、中判全紙より小さいので、絵が早くできる。何とか日々の一枚になった。のぼたん農園では稲刈りの時期だ。稲の状態が気になりながら、絵を描いていた。いつも絵は変化しているのだが、それでいいと思っている。

 古木桜は和紙に描いている。久しぶりに鉛筆でデッサンをした。と言って桜を見てデッサンをしたのでは無く、頭に湧いてくる昔描いた桜をもう一度描いた。頭の中の桜は自由で良い。見て描いたときには桜の花の方に気が取られたが、今度は花のことは忘れていた。

 紀伊半島の港も良く思い出す。又描きに行きたいと思うが、違うところになっている気がする。変ってしまったかも知れないし、私の頭の中で変っているのかも知れない。どちらでも良いが、頭の中の景色は心地が良い。現実よりもずっと居心地が良い。

 カメラも持っていなかったし、写真を撮るようになったのはブログを書くようになってからだ。ブログに写真を載せたくなって、カメラを買った。今なら、スマホで良いのだろうが、まだスマホというものがなかった。絵の写真も残すことになった。

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田んぼを描くこと

2024-05-18 04:21:56 | 水彩画


 田んぼを描いている。毎日田んぼをやっているくらい好きなのだから、田んぼが描きたくなるのは当然のことかもしれない。田んぼの様子を見続けているし、見とれても居る。目の底には田んぼの様子が焼き付いている。わずかな色の違いも栽培の上で気になっている。

 同じ葉の色でも、良い緑もあれば悪い緑もある。稲穂の黄金色にも、良い黄金色の輝きもあれば、悪い黄金色もある。言うに言われぬ微妙な感じなので絵にも描けない。葉色版という色見本があるが、あれはすべて元気のない死んだ色だ。生きた色でなければ良いお米はとれない。

 絵を描けば当然田んぼが表れてくる。田んぼは空間に描かれた図形であり、色になる。空間は様々な横を通る線が通っている。水平線であったり、地平線であったり、くうかんのおくゆきを示す線がある。そこを道路や田んぼや畑が区切って行く。そのように風景は構成されているとも言える。それはすべてが生きたものである。生命ある風景である。

 その生きている風景の骨格とも言えるものを発見して、画面の中で構成し直すのが、生きた絵を描くと言うことなのだと思う。それは難しい計算をすると言うようなことではなく、手が描いている内に、絵の中の構造がだんだんに発見されるというのが実際の所だと思う。

 描いていると何故かだんだんこのように成るはずだとか、こう出なければならないというようなことが見えてくる。その場その場のことで、絵を通してある一貫としたようなものでもない。ここに山の稜線が来る。それなら水平線はこの辺りだ。では雲はこうはいらなければと、別段理由もないのだが、徐々に場所が定まって行く。

 特には、いらないものは取り、必要なものを加え、試行錯誤を定まるまで続けて行く。こうして絵が産まれてくる。この取ったり付けたりが絵を描くということのようだ。その時にとって定まるのか、描き方を変えて収まるのかというようなことが出てくる。色を変えれば済むというようなことも多い。

 いずれにしても、何かをしたから解決するというようなことではない。何も考えないままに、反応だけを頼りに、収まるまで続けて行く。この収まると言うことは、実はどうして起こるのかが不思議なことが起こる。いつか、絵がピンと立ち上がってくる。それならこうすればよりピンとすると言うだけである。

 このピント立ち上がる感触は、絵に命が籠ったと言うことなのだ。絵が生き物になった感じである。葉色版の緑が死んだ色であるが、良い稲の葉色が生きた緑であるのとの違いのようなものだろう。田んぼから湧き出ている強い生命力は、わたしの目には印象的なものだ。この生命が絵に乗り移ったときに、絵はピンとする。

 だから絵ができたと言うより、何か安定を得たというような気がして終わる。最近ある意味「し上げる」というようなことがない。仕上げなければピンとする感じにならないと言うことがないだけだ。どうでもピンとすれば後のことはそれでいいと言うことになる。

 しかし、だんだん時間がかかり困ってる。なかなかピンとしないのだ。あれこれの試行錯誤が限りなく続く。何か生きているという違うものが、厳密化を要求している。結論が分っているから厳密化していると言うより、分らないことが多くて、切りがないと言うことの方が近いかもしれない。

 絵を描いている人なら似たような経験は誰にもあるのかも知れない。ないのかも知れないし、全く違うのかも知れない。ともかく次に進むことだけを期待している。何に向かっているのかと考えても、自分に向かっているとしか言えないのだ。だから方角はないに等しい。

 自分の世界観を絵にする。観ている世界の生命を、感じて、見て、絵の上で作り上げようと言うことをしている。世界の空間は無限で、広大であるから命が存在する。それを画面という小さな平面のなかに、模式図的に再構成しようとしているのだから、それは当然一筋縄ではいかない。

 そういうことではあるのだが、自分たるものの確立がないのだから、だめで曖昧な自分の世界観と言うことなのだろう。でっち上げてもしょうがないことだし、どれほどインチキでもインチキな自分であればそれはそれでしょうがないというようなことなのだろう。
 
 そのインチキの中に、偽物ではあるのだが、偽物を演じている私のような者が見え隠れしているような感じなのだ。これはこれで前よりは良いと思う。前の自分は、良さそうな自分を借りてきた他人の絵画から作っていたのだから、見栄えはいくらか良いがそんなものは、絵ではないと思いだした。

 ダメになって良かったというのも変なことだが、多分このだめをところをとんやることが、私絵画の道なのではないかと思っている。良いだけが絵ではないと言うこと。その覚悟だけは出来たのかも知れない。今日は絵が描けるのかは分らないが、ともかくアトリエカーで出掛けて、のぼたん農園で絵を描く。

 日々の一枚である。絵は大脳で描くものでは無い。小脳の反応で描くものだ。絵は考えてはだめなものだ。それなのに思想や哲学がなければならない。自分の人間全体が、絵を描くと言うことに反応して行かなければならない。反復運動の練習である。

 歩くことを忘れない。歩くことをしたことの無い人が歩けるようになるのは、大変なことだろう。それでも歩けるようになれば、いつの間にか考えないでも適切に歩くことが出来るようになる。その歩き方はその人間を表わしている。その人間が作り出した歩き方だからだ。

 歩き方講習会でナンバ歩きや忍者走りを覚えたとしても、忘れるまで歩かなければ、その人にとって良い歩きにはならない。こういうのがよい歩き方なのかと、考えながら歩いている内はあくまで学んだ歩き方で、その人らしい歩き方ではない。

 むしろ歩き方など学ばなかったときの方が、ずっとその人らしい歩き方をしていたはずだ。学んだことで自分なりに合理的な歩きだったものを崩して失ってしまったのだ。だから、ナンバ歩きを忘れるまで、歩き続けなければ自分の歩きにはならないのだ。

 学んだことを忘れるには、学んだ時間だけかかる。しかもはるかに忘れることの方が難しい。努力して身につけた良いと思う行いを失おうというのだ。まるでバカみたいな、無駄なような話しだ。所が、忘れかけてみると、何かまた自分と絵の上で遭遇できる。

 このたまたまの遭遇を頼りに、その方角に進むほかない。絵を描く航海には羅針盤もない。自分を捜して行く生き方にも羅針盤はない。その捜して行くこと自体を、道としてそれを良しとするほかないのだろう。そもそもその道には目的地すらない、達成できないような道らしい。
 
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