地場・旬・自給

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踏み分け道

2007-05-31 15:41:04 | 身辺雑記
道がどんな手順で出来るのか。興味深い物がある。古道と言うのは、案外に峠道だ。歩きやすい平野部の道ではない。平野部が、安心できないとか。川の氾濫などで、いつでも流される危険がるとか。色々の事情で、山の中に道が出来たようだ。その意味では、獣道と言うのはいつもそうで、藪の中に不思議な道が出来ると、それは猪の道だったりする。そこが歩きやすいので、つい人も歩いたかもしれない。歩いていて見て分かるのは、猪の道も林の中を斜面との折り合いで、適当に歩いている。つまり、踏み分けたぐらいで道になるのは、日陰と言う事だ。平野部の日当たりの強い場所では、草が覆ってしまい、実に歩きにくい事になる。笹薮が入ればそれはされにこんなな事になる。踏み分け道がいつの間にか道になるには、日陰伝いに歩かなければ成らない。

そんなことを思ったのは、毎朝の散歩だ。一日1往復。犬2匹と。私だけが歩く。それこそ後は獣と、たまたまの人だ。それで道らしくなっているのは冬の間だ。それこそ段々道は広がり、立派になってくる。林の中はこの季節になっても、少しも変わらない。わずかに道端に青木などが広がってきたかな。と言う程度だ。それが、林が切れると全く様子が違う。両側から、草が覆い始め、日に日に踏み分けた後は、狭まってゆく。だから、手の届く範囲で、枝を折り、草を抜きながら歩く。それでも毎日やっていれば、一応道として機能する。それでも朝方行くと足元は朝露でぐっしょりと濡れる。でも猪もやはり道を歩きたいらしく、足跡やら、掘り返したところに出くわす。猪と共同作業かと思うと、なんだか嬉しくなる。

こんな風に踏み分け道を作ると言うか、歩いていると、歌道とか、画道とか、書道とか、何にでも道をつけた本当の意味が想像される。たぶんに気の長い繰り返しを感じさせる。獣が通り、旅の人が通りすぎ、繰り返し踏んで行く土地。そこが通りやすい姿に、時間と共に変わって行き。草も生えにくくなる。いつの間にか、村人にも公認され、行き来の往来の本道になって行く。そんな風に時間が込められた形が、タオのような気がする。道教と言うものが中国にある。それは中国の民俗そのもののようだ。あらゆる習俗をひっくるめて、道教は出来ているらしい。タオというものが、宇宙と人間の根源的真理を表わすとすれば、その元が踏み分け道のイメージであることは、そう遠くない想像に思えてくる。

何か日本人は眉をしかめて、道というものを、偉そうなものにし立てて来たようだ。日常の繰り返しのことを道と言ってもいいような気がしている。暮らしの日々は踏み分け道作りのような気がする。だから方角と、行き先は決めておきたい。それは、タヌキや猪連中ともそうは違わない意識でだ。偶然鹿等に出会うと、彼らは先ずきょとんとする。家の犬も一瞬理解が出来ない顔をする。騒ぐのはその後だ。この一瞬の空白は、意識世界の空白に生き物が存在していて、その一瞬に戻ってきたような感じがする。宇宙的な世界から、俗世間のほうに降りてきたような感じを受ける。この意識下の空白感を持って、無為に、ただただ歩く事ができれば、散歩道ぐらいは出来てくる。もちろんこれは、サンポドウと読んだりしたらまずい。その道は日向には無理なのだ。林の中や、山陰にいっそりと出来て行く、暮らし道という自分の痕跡が、自分の生きている周辺に、踏み分けられている。
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内閣府の世論調査

2007-05-30 13:08:16 | Peace Cafe

調査は、今年1月から2月にかけて、全国の成人1万人を対象に面接方式のアンケートを実施した結果を集計したもの。有効回収数(率)は5585人(55.8%)と言う事。業者に下請けさせてこんなもんでいいのかな。同調査は内閣府が調査会社に委託して行っているようです、2006年と2007年に調査を担当したのは、社団法人中央調査社。若い人たちの回答率が、20歳代で男女とも30%台、また男性では30、40歳代で40%台と低い一方、総じて年代があがるごとに回答率が高まっている。一体こういう状況で、世論が把握できる物だろうか。統計学的にみれば、有効と言う事らしいが、この統計的手法と言うのが実感がない。いずれにしても実情に基づき判断しなくては、おかしなことになる。新聞報道ではこの世論調査結果を、「社会意識に関する世論調査」で、「日本が悪い方向に向かっている分野」(複数回答)は「教育」が36.1%で第1位になった。と言う事を取り上げている。

世論調査は、安倍内閣に誘導されている、と私は考えている。面接方式、でしかも20歳代では回収が、30%にとどまる様な、調査に信憑性があるとは思えないのだ。教育というところに誘導しようと言う意図が内閣にある。と言う事がわかる世論調査と考えたほうがいい。安倍首相は教育再生会議に国民の意識を傾けようとしている。現在日本で一番深刻な問題は防衛に関する憲法9条の改定の問題である。何しろ、時の総理大臣が、憲法9条改定を口にして、選ばれているのだ。全てはその線で、考えて置かなくてはならない。それは先ず、置いておくにしても、教育が悪いから、問題があるから、いじめがある。この論理はおかしいのだ。いじめの第一原因は格差社会だ。貧富だけでなく、国民の社会的意識もバラバラになってきている。こうした、社会的要因を抜きにして、学校のいじめだけを取り上げる事は、問題を矮小化する。

その証拠に、いじめは学校だけではない。例えば役所の中などですごいものがある。不登校成らぬ、不登庁、不登社は相当の数がある。もちろんいじめるのは、同僚だけでない。市民もストレスがたまっている。ちょっとした事で、切れてしまい。弱い立場の行政職員に当り散らす。正直可哀想な場面も多々ある。だから、行政の職員は全く、消極的で暗い。なかで、たまたま元気な人も居たわけだが、久し振りに偶然会うと、なんだかおかしな様子になっている。元気だっただけに、心配になるほどの変わりようだ。試みとして、役所や会社の中で世論調査をやるといい。本当に名前がわからない形で行われたら。その出てくる実体はすごいものになるだろう。と言ってそれだけが真実ではない。真実は、方角を見据えて初めて見えてくるものだ。安倍首相の憲法改定の方角で、全ては見えていると考えるべきなのだ。

普通の国、美しい国、こんな言葉にだまされてはならない。軍事大国日本が本音だ。軍事的にも優位な国に成り、アメリカのようになりたいのだ。それ以外で尊敬される国に成る自信がないから、こう言う惨めな選択になる。世界に人々に心底愛される国になる自信があれば、軍事力など目を向けない。経済進出が、本当の意味で、世界諸国の為になっているなら、軍事的に保全する必要などないはずだ。どこか後ろめたいのだ。搾取している意識があるから、武器がなければ不安なのだ。
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好機を逃す

2007-05-29 14:39:49 | 身辺雑記

クマタカの鳥インフルエンザ感染の始末記。周辺のアカネズミ17匹から、ウイルス発見できず。やらないよりいいけれど。こんな仕事するのはホントにあほらしかっただろう。3ヶ月経って今更何を。インフルエンザのクマタカを3ヶ月隠していたのだ。バレタカラ、やらないわけにも行かないから、一応と言う事だろけど、何で最初に隠したのだろう。以前大分の趣味家の家で鳥インフルエンザが出た。そのとき、いち早く報告して、その趣味の飼育者は県知事さんから表彰された。何のこっとやら。ところが、そのチャボをすばやく県は燃やしてしまった。ウイルスの確認も保存もなし。何と言う隠蔽体質か。インドネシアでは大統領が、ウイルスの提供を断った。それぐらいウイルスは重要なのだ。それを、ひたすら燃やした、気の効いた愚か者はどこの誰だ。茨城では不法ワクチンだ。農水省はそれ以外考えられないと発表しながら、ついに曖昧に終了。どれも、これも、好機を逸失している。わざとかな。意図的かな。世界でのトリインフルエンザの流行は若干衰えを見せ始めた。

次に好機を逃したのが、原発の事故隠し。何と隠せる事故の殆どが隠されていたようなものだ。何故こう言う事になったかの方が、重要な事項。地域住民との約束など、全く無視して、平気で事故隠しを繰り返してきた訳だ。やはり、原発は東京の中心に作ればいい。新潟の原発から電気を持ってくるのに、30%の輸送ロスになるそうだ。問題の多い施設は、反対のいえない過疎地に持って行くと言う事が、すでに住民差別の発想だ。事故は、改善の第一歩のはずだ。間違いがより良いものを作る、原点である事を忘れている。そんな事は、どこの工場でも常識だろう。それが出来ないのは、技術者の中に、原発が安全な物にはならない、と言う諦めがあるからだと、聞いたことがある。この危険なものの中で働く人達は、危険に麻痺するしかない。大したことはない。こう気持ちを騙す以外、平静に働いていられないだろう。だから、事故があっても大した事じゃないから、言えば、大げさに扱われるだけだから、隠しておこう。こんな気持ちになるのだろう。もちろん経営者は、バレテ止められたら大変だ。と言う事だろう。

そしてタミフルの副作用。これも後から、後から出てくる。何故今更と言う事を良く分析しておく必要がある。何か言い出せない、空気があったのか。おかしいと思う人は何故、もっと強く発言しなかったのか。それでもタミフルを備蓄する。これって一年で、廃棄できる。正義をかざしながら堂々と税金の無駄遣いが出来る、すごいアイデアだ。タミフルの効果など、ほって置いても4日で治るインフルエンザが、3日で治る程度の効果だという人も居る。
いずれも理由は一つ。ダイオキシンが悪い。温暖化が問題だ。こうした正義をかざして、議論の余地を失くすことを、環境ファッショと言う。絶対悪を作っているのは、作っている人が居るのだ。疑う観点が必要だ。水戸黄門の印籠ではないが、ダイオキシンを持ち出せば、要らない溶融炉まで造れた。溶融炉等、日本に3機ほどあればいいものだ。それを各地域に作るなど、馬鹿げている事だ。温暖化を持ち出せば、全てが正義になる。新聞やテレビの正義面は大いに発揮できる。温暖化を騒ぐのもいいが、環境ファッショにしてはいけない。原発のお化けが必ずでてくる。

要するに報道陣が、後追いだけしているのだ。本来未然に告発するのが、報道の使命だ。コースターが危ないなら、事故の前に言え。その調査能力がないのだ。起きてからやいのやいの言うのは、誰にでも出来る。
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いやしと言うことば

2007-05-28 13:21:58 | 身辺雑記

友人と2人で、暇人同盟を作っている。何故って、毎日、こんなにながながとブログを書いている暇があるぐらいだから、相当に暇人に違いない。と言う事に決めたのだ。その暇人のもう一人が、ムーチョ・ササキさんである。ムーチョさんはウクレレ演奏家だ。牧紳二さんの系統ではない。正統な、親子でウクレレ・コンクールに出場するような音楽家だ。作曲もする。小田原ではちょっと知れてきた、かな。ピースカフェのテーマを作詞作曲されて、歌も歌う。シンガーソングライターというか、メッセージロッカー。ウクレレのロッカーという感じかな。その暇人ムーチョが、いやしを、怒っているのだ。暇人らしくなく怒っている。作詞家でもあるから、言葉には敏感というか。しかしお互い結構忙しい暇人かもしれない。

ムーチョいわく、さっきラジオ聴いてたら、(愛を知った僕は)こんなにもやさしくなれる。みたいな歌詞が飛び込んできたので、内心「でた、でた、またか」と思ってしまった。と書いている。返す刀で、海援隊の「贈る言葉」で、人は悲しみが多いほど、人にはやさしくできるのだから・・・も許せん。という訳だ。なるほど、いやし風潮に腹を立てているな。甘えんじゃない。こんないやみったらしい、やさしさの押し売りが、許せるかい。と言うことだろう。もっともではあるが、暇人らしいかどうかはちょっと疑問。

「いやし」という言葉が急に世の中に蔓延したのは、大江健三郎氏のノーベル文学賞受賞記念講演からだと思う。本人も失敗したと思っているだろう。そんなつもりじゃなかったのに。芸術はいやしだと言い切ってしまった。その時代性としては、この言葉には、変な匂いが付いていなかったから、別段誰もおかしなことを言っているとは思わなかった、と思う。少なくとも、甘ったれるんじゃないなどという、批判が起きたとは聞いていない。このいやしと言う言葉は、使って見ると案外に何にでもはまったのだ。音楽はいやしだ。ゴッホの絵にはいやされる。あの俳優はいやし系だ。ところが、やたら使われるうちに、いやし空間の住宅設計。とか、いやしを演出するお宿。いやしの国○○。当然、鼻について、嫌う人が増えてきた。褒めたつもりの、この絵にはいやされる等という感想には、怒り出す絵描きも出て来た。そんな甘い気持ちで描いていません。などと力みかえる人もいる。いやしは今やどちらかと言えば嫌われる言葉になった。

芸術がいやしだ。という大江氏の考え方は、実は相当に厳しい物だったと想像される。少なくとも私はその話を聞いた時おもった。そんな事は、大江氏の小説を読んで見れば明白だ。環境音楽のような物ではない。不協和音に満ちている。小説を書くと言う事で、生きることを切り抜けてきたと言う事が、芸術はいやしである、の中身なのだと思う。相当に思いつめた、ぎりぎりの救済という意味にとるべきだ。ナールイ時代の語感が染み付いてしまった言葉は怖い。難しい。自己愛的なニュアンスはこの言葉にそもそもあったのかどうか。癒やすは傷が治ると言う事。怪我などで開いた部分がくっついてゆく事のようだ。だから、そもそも自分の内部にキズがあるという、ことを自分で言ってしまうことで、私は大変なんだ。と人に見せてしまう甘ったれた感じがこの言葉に加わったのだろう。癒やしと言う言葉は使わなくても、そんなことっていろいろあるな。暇人らしい観察ができたかな。
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岩堀鮮魚店

2007-05-27 08:54:33 | 地域
昨夜は、小宮農園で岩堀さんから引き売りの話を、お聞きした。大変貴重な、おもしろい話がざくざくと出てきた。岩堀鮮魚点は1929年小田原市前川に開業した。一号線沿いのモダンな建物の魚屋さんですぐ分かる。開口、おじいさんが80年前、始めた引き売りは、今最先端の仕事だ。と言われる。近所のお年寄りからも、久野にも引き売りが6軒あったと聞いた。その6軒は農家で、自分の所で作った野菜をリヤカーに載せて、売って歩いたのだそうだ。十分それだけで暮らしていたのだそうだから、何かやり方を工夫すれば、今の時代こそ出来そうな販売法なのかもしれない。今は一軒も残っていない。でもちょっと違う形で、雑貨まで載せた車を見ることがあるから、私の住む集落にも何らかの形で、引き売りは来ているのだと思う。その車が、どうも和留沢と言う奥の集落のほうに行くのを見たことがあるので、奥の16軒の集落にとっては、貴重なストアーなのかもしれない。

岩堀さんによると、小田原でも鮮魚の引き売りは10軒ではきかないだろう。と言う事だ。警察による許可事業らしいので、今度制度を含め、聞きに行って見たいと思っている。岩堀さんの引き売りの原型はおじいさんが店を始めると同時に、出来たものだ、むしろ引き売りを中心に続けられてきた。3ぶんの2は引き売りでの販売だそうだ。実際の引き売りは11時の出発して、5時30分ごろ戻るそうだ。11時までに鮮魚を販売のしやすい形に準備することが、早朝からの仕事。その前に当然、魚市場に仕入れに行く。更に、2時ごろから魚市場で手伝いをするのだそうだ。この50年は続けてきた。「手伝い」によって培われた関係で、仕入れがスムースに行くらしい。これは岩堀さんのお父さんが、岩堀さんが困るほどの働き者で、作り上げてきた形らしい。

岩堀さんの場合は、奥さんと2人で改造軽トラ2台を連ねて、出かける。軽トラは2年で買い換えるそうだ。エンジンが3年するとガタがくる。魚は氷と一緒で重い。おおよそは田島、下曽我方面だそうだ。月・金コースと火・木・土コースがある。全体で130件ほどのお客さんが居る。50年の付き合いの方も居る。商品には値段は書かれていない。これは驚く。お客サンさんが、あれとこれとあれ、と言う具合に選んで、それを足し算して、ハイ幾ら。と言う具合だそうだ。そこには、すごい信頼関係が作られている。岩堀さんは子供の頃から、そうした環境で育った人だから、人との関係の呼吸が分かっているのだろう。ちゃんと人と向かい合える関係性が、引き売りの良さだと言われる。夫婦で行くのがいい。岩堀さん夫妻は実に見栄えのするご夫婦なので、特にそうだろう。

農の会の宅配と、実のところ似ていると言うのが、見えてきた。130件のお客さんとの向かい合い方。これを何より大切にしている。例えば時間は絶対にずらさない。その為にフリーのお客さんがたまたま居たとしても、途中で閉めて先に進む事さえあるそうだ。暴風雨で休んだら、病気デモしたかと電話を掛けてくる。課題は世代交代。長いつきあいと言う事は、老齢化。お年寄りは、引き売りを喜ばれる。お嫁さんが入ったときにどんな関係が新たに作れるか。広げるつもりはないので、新しいお客さんは特に募集したりしていないそうだ。今の関係を大切にして行けば、その継続を地道にしていれば時代の方が変わってくる。と言われていた。
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中国江蘇省鎮江市

2007-05-26 05:22:15 | 自然養鶏
中国に行くことにした。中国江蘇省鎮江市というところだ。飛行機も嫌いだし。家の毎日の事に追われている。全てをカヨ子さんがやらなければならない。それは無理なほどの仕事だ。又、それは他の人に頼めるような事でもない。困った。普通の事なら決意できなかった。私の父は7年間中国に軍人としていた。中国語も普通に話せたそうだ。軍人としては珍しく。中国人に接していたのだと思う。それは民俗学の学徒としての生き方だったようだ。中国人の人間としての本当のところを誰よりも詳しいといつも言っていた。それは柳田先生に学んだ姿勢で、中国の事を知ろうとしたからだ。と言っていた。もちろん軍人としての日々の、細かな日常は分からないが。精一杯柳田先生の弟子である誇りを持って生きようとしたようだ。敗戦の後、関係した中国の人にこの後、猛烈なインフレが起こるから、全ての金銭を、物に変える様に伝えて分かれた、と言っていた。会いに行きたい、友人や先生がいる。と話していた。不思議な兵隊だったと思う。

日本の過去行った無残な事を考えると、私が出来る事が、頼まれるような事がいくらかでもあるなら、断る事はできないと思った。しかも、今回の依頼は、中国の農家の人に直接自然養鶏を伝えて欲しいと言う依頼だった。中国の現状に対する認識は、報道の一般の範囲にとどまる。特に農業の実情に関して、殆どしらない。以前、中国に行った時は、趣味で鶏を飼う事は禁じられていた。鶏を見たかったのだが、全く出来なかった。北京動物園に、尾長鶏がいたのを子供の頃見た、等と中国の人から言われた。今は、そのいなくなっていたはずの趣味の中国鶏が、かなりの数出てきている。金魚の切手まで批判の対象になった。にもかかわらず、今は何千種と言う金魚が消えていなかった事がわかっている。中国の人の暮らし、と情報の乖離。ある中国人画家に筆の事を尋ねた。中国にはいい筆があるはずだ。いい紙があるはずだと考えて捜したのだ。ところが何と私は銀座の鳩居堂の筆だ。と言われ見せられた。しかし、実際には筆は中国にすごいものがあった。

鶏の事はどこへ言っても同じだと思っている。いい卵とは何か。食べ物はどうあるべきか。そんなことはどこでも同じ事だ。私が伝えることは、毎日やっている普通の事を普通に伝えることだけだろう。特別の事をやっているわけでもないし。誰でも出来る事だ。このことが中国の経済の中でどうなるのかと言う事は、考えれば怖い事だが、それもまた基本は同じだと思っている。人間が日々生きる。ものを食べる。それはどこへ行っても、「地場・旬・自給」が大原則だ。その私なりのやり方を伝えたいと思う。人は、100坪の土地があれば生きることが出来る。そんなことは中国では当たり前かもしれないが、気候的に違うのかもしれない。しかし、伝えられる事はアレンジしないほうがいい。そうした自給的な暮らしに鶏が合理的なこと。

鎮江市との間では、日中の農業共同計画が進んできたようだ。私の役割は実践的技術を伝えるという段階のようだ。どうも、計画では自然養鶏が実践できるように、度々行くことになる。しかし、それは現実として無理な事なので、一回で全てが伝わるように、して来たいと思う。
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地域コミュニティーの再生

2007-05-25 05:22:44 | 地域
農水省は農村住民の互助活動再生を目指すそうだ。「美しいふるさとづくり」事業(仮称)として、農村に古くからあった「寄り合い」の復活や地域ビジネスへの支援をモデル的に展開する。農村の伝統的な共同体機能は、生産活動や農村生活の基盤となってきたが、担い手だった50-60代の生産者が引退期を迎え、次世代への継承が危ぶまれている。農水省はこうした共同体の維持には「地域の若者や女性のほか、都市住民も参加しやすい、新しい形のコミュニティーを作る必要がある」と判断。欧米で注目されている、住民らの協調した行動が社会の効率性を高めるとする、共同体の考え方「ソーシャル・キャピタル」(社会関係資本)を取り入れて活性化するという。農水省には確かに、期待できる動きがある。たぶん農水省の中でも、農村は効率化し、企業が、大資本が参入するしかない。こういう荒っぽい考えと、地域を暮らしの場所として、再生してゆく考えとが、せめぎあっているのだと思う。

新規就農者には地域コミュニティーにどのように受け入れてもらえるかが、今までの課題だったが。地域の構成要員として、むしろ積極的な担い手としての期待が、加わって来ている事を感ずる。現代農業の5月の増刊号の特集「農的共生社会」を読むと、すでに起きている新しい流れが見えてくる。自治と自給で「格差」を超える。と副題がある。その通りで、格差の基になる経済優先主義に変わる、新たな価値観の創出がテーマだ。生きると言う事にじかに触れる場面では、格差は存在してはいけないものだ。ところが、農村を企業化しろ。大資本の支配下に置け。こういう政府主流の動きは強い。これを押し返すように、農水省の中にも本質を観ている人達はいてくれる。ここに期待し、小さな動きかもしれないが、後押ししよう。

自治会と言うものがある。加盟率全国1と小田原では言われている。この自治会と言うものが、名前とは裏腹に、全く自治の精神を失い、行政の出先機関のようになっている。上からの指示に従い動くだけになっている。その結果、自治を行う仕組み自体が存在しない。街灯をつける位置を決める。どのような相談を行い、決めるのか仕組みも集まりもない。自治会長が副自治会長と相談して決める。全てが上から、下への方向だけがある。自治会総連合と言うものがある。その理事会が、勝手に市に対して、陳情書を出している。誰に諮ることもない。当然、陳情書を出せるような仕組みが出来ていないのだから、自治会総連合の意思は、どこの誰が決めたのか。たぶん代表のみの考えで、陳情書が出せる。自治会構成員の意思はどこにも反映していない。しかし、市議会ではこの陳情に基づき市民の総意として答弁がされている。自治を自ら捨てた姿だ。

農業が国の構成の基本にあることを、参議院選挙での地方票が欲しい安倍総理は、繰り返し発言だけはしている。民主党の小澤代表は食料は100%自給とまで言う。誰もが、建前としては、農業を大切にしてくれる。しかし、現実には農業をやる人は、団塊世代が抜けた後は、暗澹たるものがある。地域の共同体機能はその生産基盤、経済的基盤があって形成されてきた。経済とは別にどのように共同体を機能させるのか。暮らし向きと言えばもともと経済の事だ。日本人の価値観が、経済的価値に傾斜し切っている中で、地域社会を別の価値観で再生できるのか。あしがら農の会の挑戦はたぶんここにあるのだと思う。
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はしかの予防接種

2007-05-24 05:02:22 | 身辺雑記
大学生のはしかが、流行して大学が閉鎖になっているようだ。このことは健康と国の対策の推移が現れている。子供の頃はしかに感染した。「いのち定め」と言われたそうだ。はしかは通り抜けなければ成らない、赤ん坊の関門だった。「そのころは衛生状態が悪くて」と時に言われるような時代で、赤痢で死んでしまう子供も珍しくなかった。衛生だけでなく、栄養状態も悪かった。小学生になってからかかって、大きくなってからかかると大事になるからなど、言われていた。はしかのワクチンなど行われていなかった。ワクチンは、1960年ころから普及したようだ。ウイルスによる病気は、特効薬はない。対処療法だけだ。かかれば、その子供の体力によって乗り切るしかなかった。そこで、はしかで死ぬ子供もいた。私達の世代で、1000人ぐらいははしかを乗り越えられなかったのだろう。

はしかの予防接種が今になってさかんに言われている。ワクチンに予防を止めたら又「いのち定め」になると考えなければいけないのだろうか。小児死亡率の改善は目覚しい。今でも、子供が1割以上、10人に一人は死んでしまう国の方が多いい。工業先進国は0、6%程度のようだ。日本はこの点改善された。現在、予防接種を受けていない。大学生年代は1割ぐらいのようだ。ところが感染者を調べると、必ずしも、予防接種を受けていない人だけではない事が見えてきた。つまり弱毒化して作るワクチンは、万人に完全な免疫を造るわけでない。ところが、自然感染した人で、いのち定めを通り抜けた人は、完全な免疫を得ていた。この違いが、ワクチンで作られる免疫の性質なのだろう。

このことからも、「ワクチンを全員に義務付ければ、はしかは制圧できる」こうした考えが間違っている事がわかる。米国も、二回接種しないと小学校入学を認めない徹底した予防対策を進めた。しかし現実にははしかの患者は存在する。ワクチンの効果は10年位のようだ。にもかかわらず、ワクチンを受けさせない保護者を、反社会的な存在のように決め付ける考え方もある。受けさせないと言う事は、1万人の内の1人となって死ぬかもしれない。リスクを背負っている。又受けさせる親も、国も、100万分の1ぐらいの死のリスクを背負う事になる。健康を願い、わざわざワクチンをして死なせるのだから、少ないとはいえ、問題は存在する。でもそうした子供が、自然感染したときに死なないのかと言えば、たぶん危うい因子があったと考えられる。いずれ生き死にの、深刻な問題ではあるが、死は逃れられない問題である以上、人間は受け入れなくてはならない。

ワクチンの是非を、決め付ける事が良くないと思う。子供の状態により、親は判断すべきではないだろうか。この子供は自然感染しても、十分乗り切れると判断できる健康様態なら、自然感染も選べる。当然ワクチンを選択した方がリスクが少ない場合もある。但し、自然感染とは違うと言う事は、自覚して置くべきだろう。いのち定めを通過する事は、子供の必要な関門でもあったのだ。ないほうがいいのは確かだが、あった事に意味も存在する。人間も生物として、種の保存を考えた時、このままの、つまり弱い因子がいのち定めされないまま、混入して行った時。どこかで生物としての限界が来る可能性がある。大切な事はそのことを含めて、新たな医療法を、模索すべきだと思う。ウイルス性の感染症対策が、ワクチン頼りというところに問題があるのだろう。はしかに感染しても、リスク無く乗り切る方法が見つかれば、自然感染を選択できる。
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農の会の宅配

2007-05-23 06:18:53 | あしがら農の会
昨夜は遅くまで、農の会の生産者会議があった。不定期に、必要に応じて開かれる。20人くらいが集まった。昨夜は農の会の活動と、宅配の活動の関係について話し合われた。ここは一番大事なところで、極端に言えば、設立以来話し合っているのかもしれない。農の会には、今年から、三つの主たる活動とされている「田んぼの会」「大豆の会」「お茶の会」がある。そして、昨日の集まりがあった「宅配(生産者)の会」この関係が難しい。昨夜も問題になったが、生産者即宅配による販売をしている訳ではない。全体としては、人が増えるに従い、農の会でのかかわりも多様になってくる。そして、宅配にだけかかわりたいと言う人も、登場する。ついにというか、当然の成り行きかもしれないが「宅配にだけ関わる事も良い。」と言う意見が出た。

農の会の設立主旨である「地場・旬・自給」この自給の精神とかけ離れていないだろうか。農の会の考え方と一致できるなら、と言うカッコつきで。農の会とのかかわりを販売だけに限定する生産者を受け入れる。農の会の構成人員がいくら多様であるとしても、さすがに、そこまで行くと成立しないと、わたしは思っている。農の会の設立主旨は自給であって、販売は補助的な活動だ。販売が主目的であるなら、純粋に販売目的の組織を作った方が、スッキリ分かりやすいと思う。そうした組織はいくらでもあるし、会社組織でそう言う事をやる方が、本道だろう。農の会の設立主旨は、あくまで市民農が、自給してゆくことになる。しかし、自給と言ってもその余剰が出る。その余剰を協力し合い販売する。これが主目的だった。

新規就農者を支援してゆくと言う事も、大切な事業だ。しかし、これはあくまで「支援」が農の会の範囲だと思う。自立できたところで、販売の形態は独立してゆく。これが健全な形ではないだろうか。独立後も協力できるところは協力してゆく。農の会に入っても生活できない。こういう意見があった。なるほど、農の会を就職先のように思う人もいる。危険なことだと思う。一方に、農の会に世話になっているわけではない。と言う反発心を感じる。「世話になっているのだから、農の会の仕事もしろ。」こう圧迫を受けているように感じるのかもしれない。この点は私の提案の仕方は注意が必要。農の会は、販売組織でない。農の会の主たる使命は「地場・旬・自給」で示される。市民的自給の支援だ。自給のために、田んぼをやりたいと言う人、自給のための野菜の生産の農地を捜す協力。多数でやることで、合理的に生産できる。味噌作りのような活動を行う。

一人ひとりの農家としての生計は、その人が模索する以外ない。大変困難な道だ。農の会のできることは、そのスタートの肩を押すぐらいではないだろうか。日本の農業政策が間違っているから、普通の人には農業経営が出来ない。いつもこの問題が背景にある。一定期間が経過したら、農の会から自立してゆく。こうした形が自由に選択できる方が、健全ではないだろうか。それが、角の立つような競争関係で無く。協力し合う良い関係も取れるはずだろう。依存関係がない事が重要だろう。その点農の会は微妙なバランスの上で、進んできた。この所新しい新規就農者は入っていないが、市民農的な参加者は、少しづつ増加している。時代の方向だと思う。市民農の仕組み、活動のあり方。これを模索してきた農の会だと思う。
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小田原市広域ごみ処理計画

2007-05-22 06:05:40 | 環境関連
現在実施計画の策定中だ。昨日7回目となるが、環境政策課に行った。昨年2月末に、一回目に行った。そのときは、実施計画を立てているというので、驚いて聞きに行った。何を言っているのだかわからないまま、4月に成ると、広域の行政が集まり、協議会が出来るから、それを待ってくれと言う事だった。しかし、すでに広域化が、方向つけられている。これは大変な事になった、ゴミは本来小さく見える形で処理しないと、おかしくなる。広域化そのものに問題があるのだ。そこで、久野の環境を守る会を中心に、現在焼却炉がある、当事者として2回目、10人ほどで出かけていった。その時も訳の分からない事を言っていたが、ともかく10月までに実施計画が定まるから、そこで説明すると言う事だった。それで、10月に3回目行った。遅れていて、何も出来ていないと言う事だ。

11月に成れば出来ると言う事で、4回目聞きに言った。更に遅れているという。それだけでなく、一切住民には説明しない事にした。これが結論だと、宣言した。連合自治会長や、市会議員に対し、説明すると約束していた事を、覆した。これには驚いた。そこで、連合自治会長に直接聞いてもらう。しかし、理由も無く、住民説明はやめた、の結論が出たと言うのだ。しかし、3月には、作って、県に提出する。その後なら、出したものについては、説明できると言う。3月に行く。5回目だ。4月に成ったら出来るから、そのときに。そこで、4月に行く。6回目だ。ところが、又一月延びた、結論がでない。そこで、昨日、7回目聞きに行く。何とまだ、各市町村の調整がつかない。それで、いつ出来るかわからない。こういう返事だ。今度は申し訳ないから、出来る日にちは言えないと言う。

広域化が、そもそも問題がある。だから、住民に説明も出来ないで、秘密裏に進めている。現在遅れているのは、環境課の職員の話では、分別のレベルの調整だそうだ。そんなことで、1年も延びるのか。この間広域ごみ処理問題は、市議会での説明もないまま、広域化を既定路線のごとく進められている。一体、環境課に何の権限があって、勝手に進めているのか。これが全ての分野での、小田原市の行政のやり方だ。ゴミを減量するのは市民だ。市民が自分の事として、ゴミの事を考えなければ、絶対に増えてゆく。県環境課も広域の説明会を、5年ほど前に小田原で行った時、、今までのやり方を根本から変えて、県民と共にゴミの事を考えて行くと、宣言していた。当然の事で、それでなければ、広域化など出来ない事を知っているからだ。県の方が先に苦労してきて、分かっている。エコループの事を思い出してみれば分かる。

小田原市は、各市町村と何を根拠にすり合わせなどしているのか。ゴミ処理の方法は、環境政策課が、決めるような事ではない。まして、広域化となれば、生ゴミの堆肥化とか、様々な課題がでてくるはずだ。現状を良くする為の広域化を県は主張していた。それならば、当然行わなくては成らないのは、市民の意見聴取だ。住民説明会を先ず行う。そして、市民の総意を集める。そして、市民を含めた、ゴミ処理の審議会を作る。そこで、充分小田原のゴミについて考える。そのやるべきことをやらないのが、小田原市の手法だ。結論を出すまで、一切市民には説明しない。もう取り返しのつかないところまで、進んでから、市民に決定を示す。その決定に対し、免罪符として、意見書の提出の機会を与える。それで意見は聞いた事にして終わりだ。聞いただけでもう何も変えやしない。こんなやり方を当然として、何も意見を出さない市議会というのは、何なんだろう。
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お茶摘みが終わって

2007-05-21 06:17:10 | あしがら農の会
お茶畑の一回目の草取りが終わった。赤ちゃんまで入れて、23名の参加だった。12時半に終わった。今回は、お茶の木を刈りつめて、低くするのが主な作業だった。根本さんと、中原さんと、笹村で交代でやると言う事で始めた。根本さんが、50%、中原さんが、30%、笹村が、20%ぐらいやって、終わった。つまり、根本さんは全部をやったと言う事だ。二人一組でやる作業だからだ。しかも、エンジンのついた、重たいほうを、上に持ち上げた姿勢で、全部をやってくれた。それでも、終わってから刈り込みバサミで、機械の刈り残したところを、全部まわって刈っていた。疲れた様子が無かったから、日頃の鍛錬の違いが身に染みた。と話したら、年齢が違うと言われた。まぁたしかに認める。最近怪我の治る時間が、随分掛かるようになった。

晴天に恵まれ、気持ちの良い草取りだった。周辺の草刈もほぼ終わり、畑の中の、つる草採りも完全に出来た。立派なお茶畑になった。ことしは、極端な暖冬、低温と雨の春。摘み時が定まらず、困りました。9日が農の会の手摘み作業としてはいい日程だった。下の畑が、生葉180キロ。えびちゃんが一人で10キロ。12日は摘みやすいが少し大きくなりすぎた状態だった。上の畑で、240キロでした。山條さんが一人で、10キロ摘みという新記録でした。これは、昔の手摘みの農家の平均値だそうです。全体で、1日240キロも新記録でした。参加グループ数は、9日が、21グループ。50人ぐらい。12日は27グループ総数は100名沢山の子ども達で、楽しく、事故もなく良かったです。私の家では、22キロ生葉を摘んだ。一年のお茶が確保できた。

今年は、お茶工場の手違いもあり、返金があった。それでいつも借りている。刈り込み機を購入したいと思っている。刈り込み機があれば、農の会で新しくお茶を始める人がいても、使うことが出来る。問題はお茶の販路だそうだ。今晩相談する事になっている。農の会は、新規就農してきた人と、市民的に自給農をする人。そして購入したり、時に作業に参加したりする。つまり、お茶摘みだけに参加したりする人で構成されている。誰にでも分かる事は、この3者の関係のとり方が、難しいと言う事だ。3者とも同じ方向が確認出来れば問題ないのだが、沢山の人が居るのだから、一人ひとり、若干の方向の違いが出てくる。これがもっと大きくなれば、栽培基準の検査すら必要になるだろう。つまり、大きくなる事はいい事だけではない。

海さんが代表になるにあたって、「田んぼの会」「大豆の会」「お茶の会」これを農の会にしようという提案があった。皆も了解した。では、それ以外の活動は、特に「宅配」は大きな部門だろう、と言う事になった。さらに、それ以外はサークル活動と言う事で提案された。よくは理解されないまま、現在に到っている。お茶摘みに参加する人にとっては、お茶摘みが、サークル活動と言えば言えるのだろうから、農家の人とは距離が違う。お茶摘みを農の会としての主活動として、とらえ支える人が居ないと成立しない。ではお茶の会は何なのかといえば、まさに農の会の設立主旨そのものだ。耕作放棄地を少しでも減らす為に、市民が農業に参加してゆく。根本さんは仕事を休んでまで、支えてくれている。皆が帰ってしまったお茶畑で、一人刈り込みバサミで、黙々と刈り続けていた。
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水彩人研究会

2007-05-20 05:54:36 | 水彩画
残雪の残る、志賀高原木戸池で3日間絵を描いてきた。水彩人の研究会だ。水彩人という絵の会は、研究会を行う事が、会則で決まっている。それは設立した時の思いが込められている。もう一つ会則で決めたことが、展覧会を行い、その絵について、批評会を行うことだ。絵を描いてゆくことを、どのようにして深めてゆくか。もし、一人で発表、研究するだけでなく、仲間で研究してゆくとするなら、どんなやり方がいいか。理想を求めて、「水彩人」を作った。10回はやろうと言う事で、続けてきたが。厳しいが故に、設立のメンバーでも辞めた人が出ている。設立時が7名。現在が、15名が同人である。その研究会参加者を中心に運営している、組織にちょっと分かりにくい「しるべ」と言うものがある。この範囲が今回整理したら、91名だった。だから、水彩人関係者は112名となる。

「しるべ」の事を少し書いみる。しるべが実際に動き出したのは、4年前になる。それまで、水彩人は立ち上げてすぐから、研究会を行い、参加者を一般に広く呼びかけた。そのときは20名くらいの人が参加したと思う。記憶では、小諸の方で、水彩人小品展も行いながら、やったと思うが、それは2回目だったか。何しろ、やれることは何でもやろうと言う事で、大原町の水彩画美術館で展覧会をしながら、講習会をやると言うのもあった。そんな風に、年に1,2回研究会を行い、よびかけているうちに、40名くらいの常連的に参加する人が出てきた。そこで、その参加者が更に成長してもらうには、制作した作品を発表することが必要ではないかとなった。その展覧会の4回展も、9月10日から、銀座東和ギャラリーで水彩人との、合同展として開かれる。

木戸池温泉ホテル
での研究会は15年ほど前に水彩連盟展で、行ったのが初めてだった。50名も集まる研究会を、充実して行えるような、施設はめったにない。それで、度々使わせてもらうようになった。田の原湿原、と言うところがあって、そこは、佐久間象山が田んぼを可能か実験をした。と言う嘘の様ないわれがある。幕末の人だから、間違いはないだろう。1610メートルと言うのは、もし耕作ができれば、日本最高地点となるだろう。前は野菜畑もあった。そんなところが魅力的なのだ。ここにホテルが出来たのが、昭和8年とある。ホテルの片隅に不思議な銅像があるのだが、たぶん作った人だろう。中々な風体をしている。

水彩人研究会は私にとっても、重要な機会だ。この3日間は寝ないで絵を描くぐらいの覚悟で、全身で絵を描く。絵以外の事は考えない。絵を書く目になってすごす。ありがたい3日間だ。こんな時間を持てる事は、たぶんほかでは得られないことだろう。5月の木戸池は生命が生まれてくる、胎動のような、自然が目覚め始める姿が、鮮烈だ。山の中腹から、突然のようにこんこんと水が流れ出て、川を作る。雪解けの水が、いたるところから湧き出てくる。芽吹きだした木々は、まだ寒さにピンク色芽を、小さく様子を見ている。残雪の間からみずばしょうの鮮やかな、黄緑。いのちの姿が血を吹く様に、全貌をさらけ出す。自分がいのちとして、その自然とわずかにでも対峙できるのか。ともかく、それだけになろうとして絵を描く。何を描くのか、どんな物になったのか。そうしたことも良くわからないが、ともかく、今年の研究会も終わった。
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自給的に生きる その4

2007-05-19 15:31:27 | 身辺雑記
意識の問題
生きると言う事の実相が、自給に生きる奥に横たわっている。その日々の実態の積み重なりから、意識の中に徐々に積み重ねられる層がある。その積み重ねられる、日々の意識の層のようなものが、その生きると言う事を実在化してゆく。知識的に知る事で、解ったような気に成ってしまう愚かしさから離れ、体験的に肉体が覚えることとの決定的な深さの違いのような物を重視したいと思ってきた。飢餓と言うものを、書物の研究で知ると言う事と、飢えのなかに生きる事を通して、その恐怖感を伴って知る事の違い。飢えという体験の実感を持って、想像するような考え方こそ、人間の生命の根源には、唯一意味がある。といっても、何でも体験主義的にというのでなく、少なくとも食という生き物の基本と成るものについては、体感しない限り殆ど意味がないと思う。

春ジャガイモの周辺の草を抜いた。草の生える状態には、むらが色々ある。草の種類も、スギナとハコベが主に生えているが、その生え方の状態には、畑の中の微妙な条件にしたがい、色々変化がある。そこにカラシナが混ざる。そして肝心のジャガイモがある。これをどのように観察して、どうジャガイモのを収穫につなげるか。ここには一種の感覚が存在する。例えば、叢生栽培を、不耕起栽培を、多様な農法があるとしても、どの栽培法を選択するかは、その自給の性格による。その選択は偶然であったにしても、自給の性格によるだけでなく。栽培法によって自給の性格が生じる。栽培法から来る日々の積み重ねが、自給という意識を生命に浸透させてゆく。生命の性格が、そこから定まる。農業はその人間を作り変えてゆく。

水田を中心に行う者。畑作を中心に行う者。畜産を中心に行う者。それが、自給的農業に近いものであればあるほどに、そのあり様はその人間のあり様を作り上げてゆく。水田の耕作が日本人的性格を形成したという考え方は、文字通りのもので、恐ろしいほどに、その感性の形成に影響を与える。畑作も同様なもので、麦を中心に耕作してきた、ヨーロッパ人は麦作りの影響下にあるといえる。白人を遊牧民的という考え方もあるが、私にはとてもそうは思えない。麦作りの何か、無駄の多い。得るものが少ない。条件の悪い感じある。もちろん他民族の事はよく解らない。畜産、養鶏を行う。これは生命的である。命の循環の姿の中にある。古代エジプトでは養鶏が盛んであったらしい。これは独特の文明の性格を現しているかもしれない。イスラエル人も鶏を好むそうだ。エジプト、ユダヤ、と養鶏は繋がっているかもしれない。

自給の暮らしには鶏は居たほうが好い。鶏を含んだ循環を考えていると、私には都合の良い輪がイメージできる。鶏は要に居る。その循環の周辺の輪に、様々な作物が位置づけられる。お米があり、野菜があり、大豆がある。
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ぬる湯とぬるま湯

2007-05-18 11:24:45 | 日帰り温泉
いつもゆく、スーパーセントーの「コロナの湯」にはぬる湯というのがあり、一番人気だ。長くはいる人は私が行った時にもぬる湯に居て、帰るときにもまだ入っている。たぶん寝込んでいるのだ。ぬる湯は露天風呂で、気持ちがいい。その上幾ら入っていてものぼせない温度だから、寝込んでしまう人が居て当然だ。子供もぬる湯が好きだ。プールだと思って遊んでいる。暴れるのでは困るが、少々の事は構いやしない。この前は隣の植木に盛んに水をかけている子供が居た。何せ塩水の温泉だから、すぐ木が枯れる。「そんなにかけると木が枯れちゃうよ。そっちのが枯れてるのは、この前来たときかけたからじゃない。」と話しかけると、離れた所に居た叔父さんが。「今日始めて連れて来た。」とすごんだ。孫なのだろう。そんなら少しは何とか言えよ。とは思ったが「そうだったの、間違ってごめんね。」と子供にはあやまった。昔はマナーにうるさい年寄りが必ず居て、風呂屋は子供が怒られるところだった。子供はこのぬる湯をぬるま湯だと思っている。「ぬるま湯に行こうよ。」などとお父さんに大声で言っている事がある。大した違いがないが、「ま」が抜けていて間抜けだから、まが多すぎるとどうなるのだろう。やはりテンポが悪い。まさに間抜けに「ぬる」に行こうという青年も居た。名前が呼ばれるぐらい、愛されていると言う事じゃないだろうか。

松下幸之助の出世話に、風呂屋の段がある。まだ貧乏生活の時代に、銭湯に行ったそうだ。そうしたらお風呂のお湯が浅かった。それで、かき寄せたけれど、かき寄せたけれど、深くならない。(そんな馬鹿なとは思うが、一応逸話ですから)それで今度は向こうに押しやった、幾ら押しやっても減らない。ナルホド、と閃く。さらに、人が一人、二人と増えてきた。段々混んで来るとお湯が増えてくる。そうか、とここでも閃く、そして、ナショナル電気が繁盛した。何に閃いたか。東城先生のように、お風呂は上半身は入っていけない。腰湯までだ。それで健康に成った。そうではない。相手に押しやれと言うのだ。かき寄せたところで増えないなら、押しやっていた方が、人様は有難い。どうせ戻ってくるのだ。私は後段の人が増えれば、お湯が増えると言う方がずっと好きだ。沢山人がいると言う事が大切だ。こちらの閃き。結局、混んでるお風呂屋さんの方が、好きなのだ。混んでいて嫌だと言う人がいるが、トンでもない。ごちゃごちゃ人が居るところがいいのだ。そこが銭湯の良さだ。ちょっとすいませんね。詰めてくださいね。譲り合いお湯が増える。後段の方に重点を置く人は、企業家ではないのだろう。

入浴法は決まっている。先ず、体を洗う。1回目のサウナに入る。13分程度。そのあと、野外のフロで腰湯5分。そして、水風呂、これも腰までで、200歩。もちろん歩き回るわけではない、足踏み力強く200歩。2回目のサウナ10分。そして腰湯。又、水風呂で200歩。そして、3回目のサウナ10分。そして、最後の腰湯。ここは時間調整。大抵は5分。出る時間が打ち合わせてあるので、それに会わせる。なんか書いてみると慌しい風呂だ。別に急いでいるわけではないがいつもこうなる。もしかしたら、周りの人はおかしな人が来たぞ、と思っているかもしれない。もちろんなるたけ控え目にはしているが、余り人目は気に成らない方なのだ。一番いい風呂の入り方を、自分の体の反応に従い、探したくなるのだ。入浴前後で、800~1000グラム体重が減る。肩こりがなくなった。疲労回復が早くなる。リフレッシュできる。風呂には居る時はフロだけに集中して、一切他の事はない。こうした入り方をしていると、草津の湯長を思い出す。実に厳しいものだ。

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畑の準備

2007-05-17 05:07:15 | Peace Cafe
夜の内に雨が降り出した。昨日はもうぎりぎりまで、走るように畑の作業をした。雨が降ると思ったので、苗をたくさん植えた。大豆の会の畝立ても終わった。水がついても大丈夫なように、田んぼの畦のように高畝にした。誰かが、何でこんなに早く大豆の準備をするのか、と言われた。それは、私も思ったことで、誰でも同じ事を考えると見える。7月半ばに大豆は定植する。今から2ヶ月の間に草だらけになるだろう。去年もそうだった。そう、近々田んぼに水がくると言う事なのだ。水が来たら、すっかりぬかるんでしまい、にっちもさっちも行かなくなる。それでこんなに早くに、大豆畑を準備したのだ。昨日のうちに松本さんが耕運機で綺麗に耕してくれていた。お陰で随分楽をさせてもらった。人数も8人いたので、たちまちに終わってしまった。時間に追われていたので、あり難かった。

早く終わらせて、家の方のトウモロコシやら何やらを植えつけなければならなかった。トウモロコシは今年はちょっと力を入れている。200本以上の苗を作った。去年のそらやさんの見事なトウモロコシで、子供の頃を思い出したのだ。子供の頃お婆さんが毎年作ってくれた。夏の間。毎日食べられるように作ってくれた。それで風呂焚き当番だったので、風呂焚きの時に、トウモロコシを焼くのだ。これがおいしかった。何であんなにおいしかったのか分からないのだが、その後もあんなにおいしいものを食べた事がない。今作ったところで、あのトオモロコシが食べられるわけではないが、毎年挑戦はしてきたのだ。去年そらやさんは早作りをした。6月中に収穫したと思う。虫が出ない内に採ってしまうというやり方だ。あまりに綺麗で、見事だったので今年はやってみたいと思ったのだ。それで、一度目は芽が出ず、失敗。2度目何とか、苗が成功して、いつ植えようかとあせっていたが、ついに植えることができた。

同時に、キュウリ、なす、ピーマン、スイカ、オクラ。この辺の苗を植えた。カボチャと、トマトは、まだ植えていない。来週のつもりだ。少しづつ、たまねぎを収穫しているが、本当に良くできている。私としては上出来の部類だ。ジャガイモもそうだが、少しづつ収穫だが、6月までには綺麗に収穫して、その後に、サツマなどをやるつもりだ。竹の子芋をやはり来週に植えるつもりだ。菜花を順次引き抜きながら、色々を植えてゆくつもりだ。そうすれば、余計な草も生えないし、良い具合に風除け、日よけになる。水遣りが厭だから、今日、雨降りのつもりで夕方に植えた。的中した。こういうのは大体読める。日和見主義だからか。

4月の天候が悪く。苗作りに失敗した。芽が出なくて、蒔きなおしたものが沢山ある。長年、保存してきた、キュウリも、3本しか苗が出来なかった。インゲンはついに絶えてしまった。それほど、いいものという訳ではないから惜しいわけではないが、自家採種する楽しみと言うのはあって、品種の良し悪しだけではない。記念のような物だ。その3つだけ残った種は加藤さんが、まだ集荷場で畑をしていた頃、畑で大きくなったキュウリが落ちていて、いかにも蒔いて欲しいと言う状態だった。つまり大きなキュウリが腐って落ちていた。どうも採取には腐らせる事も必要なようだと聞いていたので、試しに拾ってきた。案外に蒔いてみると、いいキュウリが取れる。病気も出ない。それで、続けてきた。農の会には、自家採種種苗の交換会ができた。どうも人に出せるような、種はないので、まだ入れてもらってはいない。
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