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裁量労働制の拡大

2018-02-28 04:03:05 | Peace Cafe

▼裁量労働制 あらかじめ想定した労働時間に賃金を払う「みなし労働時間制度」の一種。一般的に法定労働時間を超えると残業代が支払われる。裁量労働制を導入すれば、実際に働いた時間と関係なく、労使で合意したみなし労働時間を働いた時間とする。厚生労働省の「13年度労働時間等総合実態調査」は、裁量労働制で働く「平均的な人」の労働時間は9時間16分で、一般労働者より1日約20分短い。双方のデータの算出方法が裁量労働制は1日の労働時間を調査したのに対し、一般労働者は残業時間だけを調査するなどデータに不備が見つかった。野党は問題のあるデータをもとに法案の策定作業を進めているとして撤回を求めている。--日経新聞

厚生労働省が出したデーターが意図的に裁量労働制にしても労働時間が増えることはないという作為があるようだ。なぜそこまでして裁量労働制をとり言えれたいのだろうか。企業の発想が限界にきているのではないのだろうか。ワタミの渡辺社長は一面正しい。正しいけれども裁判には負けた。負けて謝罪もした。然しその主張を変えた訳ではないだろう。目標として夢を描き、その夢に向かい全力を費やす。それは企業の内で働いていても同じではないか。ワタミの社員に夢として全力で働くことを要求した結果、ブラック企業になった。企業の要求に喜んで応じているかのような態度をとらざる得ないのが、雇用されている側の心理ではないだろうか。特に創意的発想を必要とする職種では、労働時間を限界無く必要とするだろう。電通の事例はそれを示している。国際競争力のある企業という事になれば、定時退社社員だけでは競争力がなくなるという事なのかもしれない。

良い絵を描いた天才たちのなかに、絵を描くときに一日8時間と決めた方が良いなどと考えた人は居ないだろう。北斎だって、ダビンチだってきっと限界無く仕事をしたのだと思う。描きたいときに描きたいだけ描く、それで死んだとしても本望というのが大抵の絵描きだ。絵を描いていて調子が出てきたが、5時になったから終わりにする人は居ないだろう。少なくとも今の私はそう考えている。企業も競争に勝つために卓越した天才を必要としている。一部の極めて優秀な人材が、自由に働き、成果を上げてくれるのでなければ企業が存続できないと考えているだろう。自己責任で労働時間を自由に設定してもらう必要がある。その結果どれほど労働時間が増えても構わないという考え方が、裁量労働制なのだろう。そうした考えを取り入れなければ、競争には勝てないというのがアベ政権の背景にはある。要するに裁量労働制の法の運用と一般的な労働の意味の違いである。

ところがこの法律が悪用されれば、過労死の原因になる。裁量労働制が単純労働職場においても悪用されるという事になる。ブラック企業がグレー企業として存続されることになる。何が創造的労働であり、何が単純労働なのかだろう。給与のために働くという資本主義の矛盾である。だから、国会での議論を聞いていると、働くという事の価値感があいまいなままの議論で、どこか陳腐である。誰もがやりたいことをやりたいだけ、やるのが良い。やりたくないことはやらない。そうはいかないので給与で我慢してもらう。それは本当の人間の生き方であろうか。やらされるところが問題なのだ。やりたくはない、仕事だから我慢してやる。これでは良い発明など生まれない。全ての人間がやりたいことをやりたいようにやるのであれば、裁量労働制の法律はいらない。それでは競争に負けるというのが、日本の焦りである。

問題は裁量労働制になって実際に長時間労働になるのかどうかである。必ずなるだろう。平均的にはならないの可能性はある。しかし、一部の分野の一部の人が過労死するようなことは必ず起こる。そしてその長時間労働が合法的であったと、裁量労働制で自らの選択であったという結果が生まれるであろう。その選択が周りの空気の圧力で押し付けられたものかもしれない人なのかもしれない。つまり企業で働くという事は常にこうした限界が存在している。90%の人間には問題が起きない裁量労働制であっても、10%の人間には危険な制度になりうる。農業者が勝手に長時間労働で過労死しても誰も何も問題にはしない。最低賃金もない。同じ労働といってもまったく意味が違う。そう思うとこの議論が空しく聞こえてくる。

 

 

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2017年の稲作から

2018-02-27 04:20:50 | 稲作

そろそろ、2018年の田んぼが始まる。始まる前にもう一度昨年の稲作を思い出しておく。ご飯は毎日頂いているが、充実した安心できる味がする。今年もお米が足りなくなることはなさそうである。神奈川県は反収500キロぐらいだ。小田原はそれよりもすこし低かった。秋の長雨、日照不足が影響していて、一昨年よりは少し多いいが、全国平均より少ないという事らしい。そういえば、2年連続で後半の天候がかなり悪かった。それで倒伏をした所が出た。今年も天候が悪いことを覚悟していなければならないだろう。悪天候の中欠ノ上田んぼは畝取りを達成した。600キロぐらいだから、反収で100キロ多く取れている。自然農法でやっているのだから当然のことだと思っている。稲という植物の最善の環境を作り出そうとしているのだから、収量が多くなるのは作物の原理だ。問題は最善の環境はたやすくは出来ないという事になる。手間がかかる。しかし、手抜きをしてそこそこでいいという気になれないのは、性分である。手抜きをしたくなる気持ちが生まれたらやめようと考えている。だから70歳を定年と考えている。それまでは何があろうと、やり切るつもりだ。

夏の田の草取りほど、苦しい農作業は少ないだろう。除草剤を使わないお米を希望する消費者は一度は体験して欲しいものだ。草があれば必ず減収する。夏に草がないようにするにはどうすれば良いかである。草を抑えられる手を打てるかはすべての自然農法農家の課題であろう。昨年は、そこそこの草の状態であった。今年はさらにそれを磨きたい。夏には苦しむほどの草はなかった。草が減少した原因を考えてみると。1、年々草をとり尽くしてきた。2、土壌が良くなり、トロトロ層が形成されやすくなった。3、コロガシを適期に頻繁に行った。4、初期深水が出来た。5、田植え前1か月のソバカス撒きが功を奏した。6、田植え直後のソバカス撒きも良かった。7、緑肥の直前の漉き込みの効果。8、先手先手の草取り。8、冬稲わらで田面を覆ったこと。様々に行った対策の綜合的効果で草が少しづつ減ってきているのではないか。それらの作業時間の合計と、除草剤を撒く時間と較べれば、経済合理性は明らかに除草剤が優位だ。ただ、稲作が趣味であるとすれば、あるいは伝統的文化であるとするならば、手取り除草の稲作が勝っている。

先日、MOA自然農法の人から、笹村のやり方を普及してはならないと言われた。理解がないことだとがっかりした。手がかかりすぎるという事のようだ。そうであるとしても、自然農法が慣行農法以下の収量で良いはずがない。それを認めてはならない。その自然農法のどこか問題があるからと考えるべきだ。次の課題は倒伏対策である。倒伏すると稲刈りに時間がかかる。しかし、多収の稲を目指すのであれば、わずかな悪天候で倒伏してしまう。倒伏しない稲で畝取りするのが目標である。それが安定的には出来ない。倒伏する場所がある。水が湧いている場所だ。欠ノ上田んぼで言えば、どうすれば水の湧きを減らせるか。水路から田んぼの下に水が回りこんでいる。これをどのように減らすのかである。まずは湧く場所に土を入れて少し高くしなければならない。高くすれば、すぐ水が引く。加えて水管理である。倒れそうな場所をどのように乾かしてゆくか。ここに矛盾があるから、難しいのだが、今年もできる限り挑戦したい。

〇春分の日に海水選をする。水温が以前より上がり、春分の日の浸種では発芽してしまうようになった。そこで、鳩胸に成ったら冷蔵保存をすることにしする。発芽が早まり、揃うはずだ。

〇ドブの匂いが出たら、燻炭を撒いてコロガシをする。

〇穂揃い1か月前の穂肥をソバカスぼかし、場所によっては二見の堆肥を試してみる。

〇干し田のタイミングを慎重に見極め、倒伏を軽減する。

 

 

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畔草をどうするか。

2018-02-26 04:05:41 | 稲作

畔の草は出来る限り刈らない方がいいと考えている。田んぼという稲だけが生えている単一の環境に違和感を感じている。農業というものは大抵の場合、単純化してしまうという意味で自然破壊の一面がある。それは綜合的に見てゆくと稲にとっても良い環境とは言えないのではないだろうか。この視点から産まれた農法に田んぼの草は抜いてはならないという、川口式自然農法というものがある。指導いただいたことはあるが、田んぼの草をとらないほどの自然の姿を思想として求めるにもかかわらず、何故に田植えをするのでしょうか。と田植えの意味を質問したことがある。まったく無視をされ回答をされなかった。福岡式自然農法のように、究極の自然状態を求めるのであれば、直播に進むはずではないかとおもう。ただ福岡農法は挑戦したことはあるが、難しすぎると思った。私はそれに反して田んぼのなかは稲以外の草はすべて収量を減少させる原因になっていると考えている。コナギ一本さえ収量の減少につながる。いろいろ試行錯誤したが、多収するためには草取りは不可欠である。

畔の草は田んぼの中の草とは別ではあるが、やはりつながる環境である。畔草は実際には何度も刈っている。みんなでやる田んぼでは子供も来る。畔草に足をとられるようなことは避けたい。田植え前、追肥前、稲刈り前。の3回は刈りたい。ただそれが稲によいのかどうかという意味では、刈らない方が良いという考えは捨てきれない。この場合、稲刈りが終わったら畔草を刈るというのが、最善という事になるのだろうか。植物には他の雑草との共存を好むものもあれば、嫌うものもある。叢生栽培にはタマネギが作れるならやってみたいが、出来ない。稲の性格は他の草を嫌う事もないが、他の草より弱い印象だ。競争すれば負ける植物である。肥料分の取り合いをすれば、他の草に肥料分をとられてしまい、実りを減らしてしまう植物に見える。そこで畝取りするために、草をすべて取ることにした。草さえなければ、自然農法の稲は慣行農法の稲よりも多収になる。それは当たり前のことで、管理は大変だが、自然農法の土壌は稲にとって最善の環境だからだ。

新規参入者として、自給目的で田んぼをやらっているからだ。農家の眼は厳しものがある。農家の方より多く収穫して初めて、認知してもらえるという社会環境だった。このことは畔の草刈りには影響して来た。畔の草がある方が稲には良いのではないかという観点をもちながらも、畔の草を刈らない訳には行かなかった。その為に、本当の意味で畔の草が稲の為にどういう影響があるのかは、観察することはできなかった。ただ、畔草はある方が稲の植物的環境としてはいいのだろうという想定は何時もしている。田んぼの中は稲に単純化している。せめてその周囲に草が茂みになり、生き物の住処になっている状態を作り出せれば、田んぼの中の単一化を緩和できるのではないか。田んぼの稲の病害虫も減るのではないかと考える。その茂みが虫の住処になって、稲の病害虫の原因になるというのが、普通の考え方であるかもしれないが。底を確かめたいと思いながらついによくわからない。田んぼの単一世界をを畔草の多様性で調和して、極端化を避ける方が、病害虫は減少するはずという考え方をしている。その意味では畔を彼岸花だけにするというような姿も、良くないのだと考える。

しかし、作業の為には草は刈らざる得ない。田植えの時に畔に草の茂みでは困る。稲刈りの時も同様であろう。作業の前に草を刈るというのが現実的な対応である。追肥の前にも草はない方が楽だ。とすると作業の前に刈るという考え方が現実的ではなかろうか。畔の水漏れを探すには畔草はない方が見つけやすい。畔がきれいな方が、田んぼの水の見回りが楽で、観察が良くできる。虫の問題、風の問題、病気の問題、畔管理の問題。南側の高い草が日陰を作るのは困る。日陰になるとすれば、南側だけは刈るという事もあるかもしれない。もうひとつある。美しい田んぼとはどんな田んぼなのだろうという事。畔がコンクリートの田んぼは問題外である。畔並みシートも良くない。草がある畔と、無い畔では、有る畔の方が美しいと私は感じている。田んぼの絵を描いていてそう思う事がある。さらに突き詰めれば、田んぼがほどほどにある状態が、一番良いのではないか。農の会の田んぼでは、田んぼ地帯よりも、久野の田んぼの方が多収になっている。

 

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アベノミクスの実態

2018-02-25 04:40:54 | Peace Cafe

アベノミクスが安倍政権の経済政策だ。選挙に勝利したので、このままゆくらしい。いまさらではあるが、もう一度考えてみたい。3つの方針が立てられている。1、大胆な金融政策。2、機動的な財政政策。3、民間投資を喚起する規制緩和による成長戦略。内閣府のホームページによると、その成果が続々開花中という事である。一方、破たんしているという主張も多い。このアベノミクスという経済政策が一向に理解できないで来た。

〇大胆な金融政策というのは、日銀はどんどんお金を発行して、円安誘導をしているということになる。ところがそのお金がうまく国内で回っているかと言うとそうでもない。銀行や企業内で溜まっているらしい。その為なのか2%の物価上昇は2年で達成どころか、4年経過して最近ではむしろデフレの不安が言われだしている。さらに大胆になるというが、黒田総裁は約束を果たせなかったら止めるといっていたはずだ。2年が過ぎ、4年が過ぎ、まだ止めない。

〇財政政策というのは公共投資を拡大するという事らしい。1兆円を超える赤字を抱える国の財政である。機動的なと言っても、実際には返済の当てのない、さらなる赤字を増やしている事になっている。公共事業の増加で人手不足と資材高騰にはつながっただけだ。オリンピックの建設費のべらぼうな増加等がそうした結果だ。もう機動的な財政政策などできない状況ではないのか。

〇規制緩和の方はどうもお友達の加計学園問題で分かったように、地方での大学開設の規制緩和と東京での大学定員抑制等のちぐはぐ極まりない結果。都合の良い時だけの規制緩和と言えるのだろうか。地方活性化のための規制緩和なのだろうか。女性活躍とか地方創生とか、標語は踊るが現実には絵空事で、そんな実感はどこにもないのではないか。アベノミクスの為とは思わないが、待機児童の増加。地方の疲弊は広がるばかりである。

現状の日本の経済は緩やかな回復基調が過去最長続いている。馬鹿げた分析が言われる。すでに経済指標が現実にそぐわなくなっている。アメリカの経済回復に連動して株価が引きずられているに過ぎない。世界では2つの傾向が明確になり始めている。後進国と言われる国が、資本力や技術力を高め、自国生産を増やしている。その結果、世界の貿易は増えなくなくなり始めた。中国が典型的で貿易量を下げながら、GNPを増加させている。同時に、各国で自国主義が芽生えている。アメリカファーストという形で、日本企業であってもアメリカで生産し、アメリカで販売するという形がとらされる。こうして経済は新たな局面を迎えていて、アベノミクスとは違う要因で動かされている。確かに円安傾向が導かれて、日本企業の競争力が高まったという事はあるが、それは輸入製品の値上がりという事でもあり、資材や燃料の高騰という事はある。日本人の収入増加にはならない。生活費は上がり、消費が伸び悩む。さらに格差を広げるという結果だけが目立ってきた。

安倍政権が出来て以来の4年半の経済の推移をみると、GNPで見ると1,3%の成長という事である。これは景気回復どころか、低迷が言われた民主党政権時代よりも実は低成長なのだ。そして実質賃金の低下が起きている。国内の賃金格差の拡大である。能力主義、競争主義が奨励されている。競争から落ちこぼれそうな不安から、将来不安につながり、貯蓄を増やす以外選択の道を持たない。国民は将来への希望を感じられず、不安を日に日に高めている。当然、消費は低迷を続ける。アベノミクスが続々開花中というのは内閣府だけの妄想である。アベノミクスの妄想が、日本経済をさらなる危機を招いている。農業にも国際競争力という事が言われる。米を輸出できるようにする。大規模機械農業の奨励、補助政策。この結果導かれているのが、小さな農家の消滅である。経済を度外視して守ってきた農村が崩壊を始めている。それが地方消滅に拍車をかけている。

世界経済の最大の課題は、先進国の不安から産まれた自国主義とグローバル企業の関係ではなかろうか。日本政府が行わなくてはならないのはその対応である。アベノミクスなどという一国内の次元ではないのだ。自由貿易という形の経済の在り方が、国家主義という枠を取り払うように思えていた。民族や思想を超えて経済取引が増加すれば、国家間の対立構造は取り払われるという姿を、共産圏の崩壊で予測された。所が世界では新たな対立が生まれ、世界の深刻な格差がテロ国家を生み出しているのだ。将来への希望のない世界経済の枠組みの中では当然冒険主義の登場が起こる。アベ政権のトランプ依存がいかに危険なものか、その深刻な危機は迫っている。それでも国民が安倍政権を選択するという事は、ソフト独裁のイメージ戦略にはまっているという事だろうか。

 

 

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アメリカの銃問題

2018-02-24 04:08:31 | Peace Cafe

アメリカのフロリダの高校で17名が撃ち殺された。アメリカではここ40日間に18件の学校での銃の事件が起きている。とラジオが言っていた。これが事実であれば何という恐ろしい国であろうか。日本でも毎日悲惨な事件が報道されるが、それでも日本が安全な国だと言われるわけである。そんな危険な学校に子供たちが行かなければならない国アメリカ。どれほど豊かな国であろうとそんな国は良い国とは言えない。暮らしたくない国だと思う。よその国のことは書かないことにしているのだが、アベ政権が目指している国が、アメリカらしいので見過ごすわけには行かない。安倍氏がどこを目指しているかは発言がないのでよくわからないのだが、若いころアメリカに暮らし、アメリカの豊かさを羨望のまなざしで見ていたのではなかろうか。アメリカになりたいというより、トランプになりたいのかもしれない。瑞穂の国日本を目指すかのような文章を残しているが、やっていることからすると美しい国とは正反対の弱肉強食のすざましい国が目標に見える。日本の方角がアメリカらしいので、アメリカの銃規制の問題は看過できない。

トランプ大統領は、高校での銃撃によって死亡した関係者と面談をした。その席での発言は、「教師がロッカーに銃を持っていれば多くの命が救われた。」というものだった。そして、学校に銃を備えて置く教師にはボーナスを出すというのだ。教師に銃の名人が居たならば被害は広がらなかったというのだ。まったく恐ろしい考えの大統領である。アメリカの学校教師は警官のように、銃の訓練を行うようになるのであろうか。警察官の様な武力を持った人間が、教育者としてふさわしいと考えているようだ。教師が銃を持って教室を守っている。そんな教育の場が安全で良いとはいえない。武力に対しては武力で対抗するしかないという考えなのだろう。そのやり方では必ず、銃犯罪は増加する。教師が暴力で生徒のなかの不満を抑え込もうとする。警官による人種差別的に市民を銃殺も起きている。今度は教師が生徒を撃ち殺す事件も起きるだろう。銃で皆殺しにしたいと思うが、銃を教師が持っているからやれない。こういうところに追いつめられる人間が溜まってゆく。力で暴力を抑えれば、その抑圧された暴力はどこかほかの警備の弱い場所で暴発するだろう。

こうした力で支配するような教育環境では事態は悪化する。競争社会で増加してゆく不満層が、教育の中で競争ではない価値観を見つけ出す機会をさらに失う事になる。競争に敗れたものに行き場のない環境を作ることは、人間を育てる教育ではない。教育は一人一人に応じて行われなければならない。優秀な人間を育てるために、その他大勢の人間が犠牲になるような教育は教育の名に値しない。戦う知識を身につける場が教育ではない。競争に敗れたとしても、人間の価値は少しも変わらない大切なものだという事を、伝えることが教育の理念である。それを具現化するものが公教育でなければならない。多様な価値があり、それぞれの人間が、それぞれにとってその人間のすばらしさを掘り下げるという姿が生きるという事だ。教育を企業の競争に、国の競争に役立つ人間を作る機関と考えているのではなかろうか。確かにそれが世界の潮流なのかもしれない。日本も遅れまいと、企業に役立つ教育改革に躍起である。

優秀な人間が一人いれば競争に勝てる。後は屑でかまわないという社会は、克服されなければならない社会だ。優秀な人間には優秀な人間の役割がある。その優秀さで社会全体に貢献してもらいたい。優秀であればあるほど、社会への貢献を考えるような人間が育つ教育になってほしい。ホリエモンやスーパーコンピューターのPEZY 社の齊藤元章社長頭のような人間が目標では困る。頭脳が優秀な人間が、一瞬にして世界を滅ぼすような兵器の開発に躍起になるような教育に向っている気がする。多様な価値が受け入れられる国こそ豊かな国であるはずだ。競争に敗れた劣る人間であってもすべての人が、必要とされている社会であってほしい。自分が頑張ることが、人の為にもなるという社会。そうした人間を育む教育。学校を考えるという事は、社会がどこに向かうかという事だ。社会の矛盾は子供に表れる。今アメリカで起きている悲劇を日本の教訓にしてほしい。

 

 

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明治維新の見直し

2018-02-23 04:12:25 | Peace Cafe

日本人には明治維新というものを美化する人たちが沢山いる。実は薩長革命政権の宣伝教育に洗脳されてしまった人たちだと思わざる得ない。あるいは鞍馬天狗映画に騙されているのだろうか。その代表が佐藤栄作氏であり、安倍晋三氏である。明治政府は江戸幕府を覆した、革命政権である。当然やるべきことは自分たちの正当性の宣伝である。文明開化、脱亜入欧、軍国主義、天皇主義、明治帝国主義の確立。いかに徳川政権が堕落した、封建主義支配であったかをあらゆる分野で洗脳を試みた。ザンギリ頭を敲いて見れば文明開化の音がする。オッペケぺ・オッペケぺ・オッペケペッポー・ペッポ、ポ。と庶民としては笑い飛ばしやりすごす以外になかった。明治維新政府の権力争いは、戦争をやって敗れる道以外の何物でもない。ところが今の時代に維新の会を名乗るやからが存在するように、日本美化の原点に明治政府の革命政権がある。鎖国の頑迷な小国日本が、世界に伍す大日本帝国に生まれ変わったような馬鹿げた宣伝に載せられた空っぽ頭である。150年経過してもいまだ歴史を客観的に見ることができない人たちがいるという事だ。

明治政府の失敗の結論が、第二次世界大戦の敗北である。それは明治維新75年して戦争に敗れた歴史。そしてその後の75年は反省に基づく、経済大国樹立を目指し挫折した歴史になろうとしている。そしてまたぞろ、経済がだめなら、武力があるさ。と憲法改定というより、新たな自民党革命政権を樹立しようとしている。歴史に対する反省がない。今度の平成が終わりつぎの時代を、またぞろ、明治維新のような武力競争だけの理念なき時代に入ることを良しとしている。勇ましければ正しい訳ではない。かっこ悪い戦わない臆病な道こそ、本当の勇気ある選択だ。自民党は憲法改定を主張するのであれば、どのような日本国を目指すのかを明確にすべきだ。まさか今度のアベ自民党政権は、脱亜ニューアメリカ。ではなかろうな。一度は口にした美しい国日本とは、どんな国なのか言ってみろ。言ってみろ。アメリカになりたいと言ってみろ。アベの瑞穂の国なぞ下請け工場稲作にすぎない。国際競争力のある農業とは、日本文化としてどういう位置づけなのだろうか。何の文化もない国になれという事になるだろう。自民党革命憲法を言うなら、明確にアメリカの手下として、世界の岡っ引きになるのだと白状しろ。

時代は転換期にある。明らかに日本の立ち位置は変わっている。経済大国の可能性は完全に消えている。当然のことで、戦後70年の日本の優位性はすでにない。ごく当たり前に世界の一国である。日本が世界1になるようなこともない。普通に世界と助け合う一国にならねばならない。競争主義を捨てない限り、また明治の夢に先祖返りするだけである。その道は戦争の道である。間違いなく戦争が待っている。まずは、日本がどこに向かうかを示すのが政治の役割であろう。これがないと日々の暮らしに追われることになる。経済という共通価値感だけが、浮かび上がる。お金の価値だけが前面に出る。日本は世界の希望になれる国だ。江戸時代鎖国の中で、貧しいながらも見事に美しい瑞穂の国を生きていた。またそれに戻れというのではない。家族を大切に、友人を大切に、助け合い。励まし合う当たり前の暮らしを次の時代にこそ実現する。自己実現を目標にする社会だ。

その多くのヒントは江戸時代にある。江戸時代の日本人のように、平和憲法に従い生きることが出来れば、世界が次の戦争に突入しないで済む。まずは食糧の自給である。私自身食糧自給を達成したときに、初めて安心に暮らすことができるようになった。絵が売れないとしても、学校の教員をやめなければならないとしても、食べるものを自分の手で作り出せるという日々の暮らしがあった。売れるわけもない、商品価値のない絵を、みすぼらしく販売しなければならないという耐えがたい屈辱から離れることができる。売れそうな絵を描くというような才覚はなかった。自分というどうにもならないものが、自分の世界の絵を描きたがっていた。そんな自分でも食べるものを自分の手で作ることができるという場所に立脚できた。これで自由を確保してやって行けると安心立命した。日本にもそうあってもらいたいものだ。

 

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憲法と参議院合区

2018-02-22 04:10:39 | Peace Cafe

昨年の7月ごろ自民党内の憲法検討会では参議院の選挙区を一県最低一人という事を憲法に明記すべきという案の議論を始めた。そして、9か月経過して憲法に参議院の議員配分を明記するという考えを、憲法に明記すると決まったようだ。何で、憲法に書き込まなければならないことなのか、意味不明のことだ。現在も法律で定員の配分を行っている。法律で配分すればいいことである。法律で解決できることをわざわざ憲法改定を行うなど、憲法の意味を軽んじている。参議院を廃止して、衆議院だけにするという意見も自民党には強い。確かにこういう改定であれば、憲法に明記しなければならないことであろう。定数の配分を憲法で決めなければならないとすれば、日本の民主主義はそこまで機能していないという事になる。党利党略で有利な小選挙区制を手放さないのが、自民党である。最大の政党が自らの有利に向けて選挙制度を変えようという事は、まさに独裁政権が永遠の政権担当を憲法で保障しようという時に行うやり方である。

法律改正で済む問題を憲法に明記すると主張する根拠は、憲法に武力主義を盛り込む改正を曖昧にしようという戦略に過ぎない。法律で済むことを様々憲法に盛り込むべきという条項が提案されている。すべては憲法9条の問題をあいまいにすべきという策略である。いま議論すべき憲法の問題は9条2項の武力不保持である。他の憲法の問題をこの問題を薄めるために使う事は、日本の憲法の平和主義をどのように考えて行けばいいのかを、国民が向き合う事を避けて通ってしまう事になる。この手法はアベ政権がいかにも姑息な集団であることを示している。9条に自衛隊を持つことを書き加えるというのが、アベ政権の憲法改定案のようだ。拡大解釈を広げよう案である。今までも、自民党は憲法の精神を逸脱する拡大解釈をしてきた。今や海外に戦力を派兵可能にまでしてしまった。ここに自衛隊を書き加えることで、完全に平和主義が崩すことができると考えているに違いない。

自民党の大半の議員の本音の考え方は、こんな生ぬるいごまかしの憲法改正ではだめだとかんがえている。完全に9条2項の武力不保持を削除せよ、という意見であるのは間違いない。石破提案では明確にそのことが主張されている。それで国民が受け入れるかどうかの判断に迷っているに過ぎない。そこまで言えば反発を食うかもしれないという戦略だけが見える。3項として自衛隊を書き加えることで、1,2項を拡大解釈で覆せるから問題はないという、実にアベ政権らしい姑息な主張なのだ。憲法を軽んじている。国民を甘く見ている。確かに、アベ政権は危険で巧みだ。公明党が容認できる範囲を見定めている。石破案では公明党は共同提案できない。しかし、加憲と以前から主張している公明党案に便乗して、公明党を取り込みながら、憲法の精神の拡大解釈を可能にし、憲法の本質を変えてしまおうという考えだろう。アベ政権らしい現実主義である。

何故、武力不保持の憲法9条があるかといえば、第2次世界大戦では、周辺諸国にとっては日本は恐怖の帝国主義国家の側面があった。帝国主義的に東アジアに覇権を持とうとしたのだ。台湾、朝鮮半島を植民地として、満州国を傀儡政権として樹立する。アジア全域の盟主にならんとした歴史がある。その内容の解釈は様々あるだろうが、支配された側にしてみれば、日本は恐怖の暴力国家に見えて当然である。ナチスドイツと同盟を結ぶ様な現代で探せば、北朝鮮のような手に負えない国だったのだ。国民は火の玉になって軍事競争の奴隷のように駆り出されていたのだ。9条はその贖罪をこめたものでもある。日本は根本的に生まれ変わり、武力不保持で平和国家として歩むので、許してもらい、付き合っていただきたい。貿易もしてください。こうして戦後経済成長を遂げることができたのだ。今になって時間が経過したので、9条に自衛隊を書き加えますでは、世界はまた日本が武力主義国家になるのではないか。油断できないという眼で見られることになる。日本の平和憲法は世界の希望なのだ。

 

 

 

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見るということと空になること

2018-02-21 04:23:07 | 水彩画

私は写生で絵を描く。写生をするということは、良く見るという事そのものである。見るという事も様々あるが、それを別にすれば考えないで描くという事でもある。見るという事の第一の機能は、目の前にあるものを認識するという事である。絵を描くうえでの認識は考える認識ではなく、感じ取るという認識の仕方である。バラをバラであると認識するのは日常の確認である。その認識の在り方の幅はかなり大きいものである。梅原龍三郎の薔薇といわれる。薔薇をどのように見て認識するかは人それぞれのものになる。絵に描かれたバラの見方によって、人生を変えるほどの衝撃のある認識が示されることもある。生のバラの花がどれほど美しいとしてもその様な主張はしていない。バラのビロードのような赤い色が美しいとか、その花びらの感触まで表わされているとか。そんな認識であれば、絵を描く意味はない。実際のバラの花の方が美しいだろうという程度のことになる。あるいは写真のように巧みに描けるという技術が評価されるという、芸術とは無縁の職人的問題である。

薔薇の絵が素晴らしいものであるというのは、もう薔薇の花を超えて、描いている人間の素晴らしさが画面に表れた時なのであろう。薔薇の花を描いたものではあるが、描く人間を絞り出しているという事が芸術的表現になる。

絵画の画面においてはバラであろうが、雲であろうが、すべては画面を構成するムーブマンの材料といってもよい。と中川一政美術館の案内に中川一政の言葉として書いてあった。バラはその位置での色と線の意味に還元され、画面という空間を構成される材料となるに過ぎない。その材料で画面という空間の世界が、作者の人間の世界を表している。セザンヌのリンゴを見てこんな腐ったようなリンゴは食べたくないという感想を書いた人がいる。絵に描いた花を見て、何の花かわからないから駄目だと言った人がいる。絵というものの意味を間違って考えている。食べ物としてのリンゴの価値を引き写すような意味は絵画とは関係がないことだ。種類が分かる花の絵であるなら、ボタニカルアートが最善であろう。ここのあたりを誤解して絵というものを見ても絵の真髄から離れてしまう。絵というものは作者の人間と対峙するものだ。作者と画面の対決の姿を見せてもらうようなものなのだ。そして、リンゴを見るということは、リンゴをとことん見るということからしか生まれない。セザンヌのリンゴに驚かされるのは、リンゴという存在の不思議とその存在の位置を見抜いてやろうというセザンヌの意思との関係の葛藤まで、画面から感じられるからだ。

この根底まで見るという行為の先に絵はある。にもかかわらず、ここで言う見るという行為はあくまで呆然として見ているものだ。自己存在に至る道は無念無想にある。絵を描く見るは全く呆然とした脳だ。何も考えていない。反応だけになっている。解釈をしようとして見る。構図を工夫する。絵画性とか、完成度とか、一切絵を描くという行為にはそいうものが紛れ込んではダメだ。そんなことをすれば、新しい地平に至ることはない。新しい発見が出来ない。過去の蓄積を表すことは職人的仕事であり、芸術の仕事ではない。自分を反応だけの存在にするという事で、新しい地平の発見に至るという事だ。良い絵を描こうということなど全く関係がない。ただ、見えているここにある何かを画面に表すことはできないかという機械になる。だから描かれたものには手順もなければ、結論もない。ただ呆然と見るだけになり、新しい世界に入ることだ。無念無想の空の世界にいて、目に映るものを受け入れている。

だからこそ、絵を言葉化することが必要になる。絵を描くときには言葉はいらない。一切無になるとは、理屈を捨てるという事だ。だからこそ、出来た絵の不思議を言葉化してみることだ。自分が描いた絵を言葉化することがここに必要になる。言葉化しないで感覚だけでやるのは子供の絵だ。言葉化することで初めてその次に行くことができる。言葉化するからといっても何か意味するわけではないが、自分の絵を言葉化できないという事は、そこで止まるだけである。感覚の良いという人は生まれもよいのであろう。育ちも良かったのであろう。意識化しないでも感性が豊かに育ち、そこまでの絵を感性だけで描くことができる。しかし、それを絵画にするためにはその感覚の絵の意味を言葉化する必要がある。それが唯一自分の絵を自分の存在と関連させて意味を深めてゆくことになる。この文章も私の絵の言葉化である。こうして自分の絵の描き方を文章化してみることで、確認できることがある。そして次に描くときの方角が見えてくる。何のために描いているのかという事が見えてくる。

 

 

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大企業の内部告発

2018-02-20 04:06:50 | Peace Cafe

昨年は日本を代表するような大企業の偽装事件が暴露され続けた。堰を切ったという事なのだろう。延々と当然のこととして続けられていた偽装製品である。安全品質基準の規定をないがしろにしていたという事件である。様々あったのだが、耐震ゴムがその耐震性として必要な数字に達していないにもかかわらず、数字を改ざんして品質基準を偽装した。自動車の最終検査を無資格者がやっていた。製品の品質基準という国が決めた数値がある。その基準は本来であれば第3者機関が確認するべきものなのだろう。検査が形式的なものにされていたのも経費削減だろう。いずれにしてもその原因は企業の経済競争に勝つためである。経費削減が安全よりも優先される。負けるよりは偽装の方がましという考える。在ってはならないことであるが、実は企業は常に偽装しているものではなかろうか。国も国際競争に勝つためにはあまり厳密な取り締まりはまずいという事なのだと思う。

ところが、フォルクスワーゲンで排ガスの測定偽装が暴露された。ドイツの企業でこれほど大規模な偽装があるくらいだ。世界中の企業で偽装は存在していると考えた方がいい。金属の強度がごまかされていて、それが原発で使われていたという事さえあるようだ。もうこうなれば安全というものが成立していないという事になる。企業を社内検査という性善説で見ていてもだめだという事なのだろう。企業はごまかせるところでは誤魔化す可能性が高い。第3者による検査体制に組みなおす必要がある。今までこうした偽装が表面化しなかったのは、企業内の馴れ合いという事に過ぎない。企業内部では偽装のすべてが当たり前に知られていたことのはずだ。この程度のことであれば、あっても仕方がないと考えた人ばかりだったのだろう。あまりそういうことを、どうでもよいようなことをうるさく言えば、職場の空気を壊すというような実態だったのだろう。それが人の命にもかかわる重大事であったのだ。コストを削減の競争の中で、安全や品質管理が軽視されている。

今回偽装が明るみに出た理由は、大半は内部告発のはずだ。この事実を黙っているのは良くないことだと考える人が出てきたという事である。企業内において内部告発をする、新しい人のことを考える。社会正義という側面から見れば、人間が良い方に変わったという事がある。一部ではあるが良質な人間が存在するという証であろう。内部告発者が出るという職場は良くなる可能性がある。実は企業のことではないが、卵というものを考えると、あきれてしまうような欺瞞に満ちている。今でも自然卵の嘘が普通に蔓延している。放し飼いの出来ない業者が、平飼いを放し飼いと誤解してもらうようにしているのが一般的である。こういうのも偽装の一つだと思う。私自身はできるにもかかわらずという思いから、養鶏業をやることになった。やってみて分かったことは業というものを信頼する方が良くない。自給というものを中心に考えた方がいいという結論になった。自給の卵が自分にとっては世界一の偽装のない良い卵である。

モノを売るという事自体に、見張らなければ油断できないような競争が生ずる。競争があれば、偽装しても競争に勝たねばならなぬという事態に追い込まれる。座して死を待つより、偽装しても勝利する道を選ぶ。スポーツでもドーピングという事が行われるのはそういう事であろう。私は人間とは将棋を指さないことにした。何故ですかと先日友人に言われた。それは人間との勝ち負けの競争が嫌になったという事である。愉快でないのでやりたくない。ある時相手が待ったをした。5段という段位の人が待ったをした。そこでそれはおかしいと思い、そういうことは止めようと話した。しかし、相手はそのくらいいいだろうというのだ。その態度が実に醜かった。勝つためにはルールを破る。またそれに耐えられない自分も嫌であった。今でも機械とは将棋を指す。プロの将棋棋士が、コンピューターを盗み見したとか、しないとかいう事件があった。これを疑った人も醜い。裁いた人も醜い。疑われた人は哀れである。内部告発をした正しい人が、評価される社会にならなければ。

 

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若い人の生きづらさ

2018-02-19 04:14:18 | Peace Cafe

若い頃に死にたくなったことは何度かあった。ただ、私の若い頃の時代はまだ混沌とした中に、希望が未来に光っているような気分があった。その根拠のない楽天的空気で助かった。今の時代はどこか閉鎖されている重さがある。ダメなものが入り込む隙間が年々小さくなっている。1960年代にはカニ族と呼ばれるような、無銭旅行の流行というようなものがあった。大きなキスリングを背負って無一文で旅に出るというような中に、何かが待っているような社会的雰囲気があった。私は自転車であちこちに出かけた。まだ中学生であったのに、松本、名古屋と自転車で行った。旅の途中に警察や小学校に泊めてもらったことさえあった。今そんなことが考えられるだろうか。放浪に憧れるという文化があり、それを受け入れる社会があったのかもしれない。古い時代にあった、文化というものが遠くの異国からの放浪者によってもたらされた記憶。若者に対する緩やかさ。ダメでも、外れても、何とかなる。同じでないものも生きる道はある。戦後から70年代までは若者が夢を持つことが許されていた気がする。

海老名で連続9名が殺害された、前代未聞の異常な事件が起きた。不気味なことにこの信じられないような事件が、自殺願望の若い女性が誘い出されてしまって起きたという事だ。毎週一人が連続で殺害されてゆくというようなことがなぜ起きたのかである。SNSとかラインと言われるが、使ったこともないのでよく分からない。ともかく、若い人が良く使うネットの連絡方法らしい。無料アプリというものがあり、それを利用して、不特定多数の人と、情報を共有できるらしい。政治家などもこれを利用して選挙運動をしているという話を聞いたことがある。18歳選挙権という事でそういう事があるようだ。「猫の鼻炎について教えてください。」というので対応したら宗教勧誘だったという話を聞いたことある。相談に乗ってやるも危ないし、相談に乗ってくださいも危ない。背景の見えない人と、自分の命に関するような重大なことを相談するSNSというもの。SNSになら本音を語れるという若者たちの哀れ。若者とのつながりはSNSが一番のようだから、若者の緊急救援対応にSNSを使うことになったとテレビでは流れていた。

社会が夢が持てない。競争に負けるものの自己責任社会。社会の窮屈が若者が死にたくなる背景にある。個々の思いは様々であろうが、ダメなものや、力も能力もない若者でも、どこかに夢を持つことが出来そうな空気が、社会には残っていなければならない。ダメでもいいじゃん。人に勝たなくてもいいという思想が、競争を無くすので良くないとされる。ダメでもいいじゃん。ダメだからいいじゃん。私はいつもこう自分につぶやいている。絵を描くというのは常に失敗である。良く描けたと思うことなどまずない。またダメだの続きの中でやらなければならない。セザンヌだって、ゴッホだって、マチスだって、みんなヘタのダメだ。ところがそのダメだからこそ、本質に至れた。そしてダメだと躓いた人を感動させ、救済している。ゴッホはダメだと思い込んだまま自殺してしまったが。自殺したくなった人をどれだけ救済していることか。もし自殺したい気分の人がいたら、ゴッホの絵を見てみることだ。新宿のビルの中に向日葵がある。見てからでも死ぬのでも遅くはない。それで思いとどまったという人を2人知っている。

絵を描くという事はダメであることに耐えるというようなものだ。その点何十年の年月にずいぶん鍛えられた。自分に至るという事はそういうダメに直面するという事から始まる。ダメだと思わないような人間は、付き合いたくないものだ。 ああ今日も失敗である。良くなりそうだとかすかに思うところを、わざわざダメにして行く繰り返しである。あえて書けば、ダメであることを、ダメであるまま示そうというのが絵である。良さそうに描くなど、絵ではない。だから絵を描いて居れば、結構鉄面皮で生きられるようになる。上手そうな得意げな絵を見たら、絵の分からんチンと思う事にとして置けばいい。ダメのダメダメと負け続けても、愉快に生きる世界は広がっている。絶望は希望への道ともいわれる。せっかく絶望したのなら、その絶望が財産になると思えばいい。絶望を知らない奴よりよほどましな人間になれる可能性があると思っている。

 

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絵画を言葉化する意味

2018-02-18 04:33:17 | 水彩画

絵を言葉化しなければ進むことはできないと考えている。それは「絵を語る会」という形で実践している。冬季オリンピックで言葉化するという事を口にした選手が二人いた。一人はフィギュアスケートの羽生選手である。もう一人はハーフパイプの平野歩夢選手である。二人ともオリンピックを控えて、大けがをした。オリンピックの出場すら危ういと言われた。歩くことすらできない大けがである。身体を動かす練習もできないなか、技を言葉化していたという。一度できなくなった運動をもう一度取り戻すためには、言葉化する必要があったようだ。この二人はまさにスポーツの天才であろう。生まれついてすばらしい感覚を備えていたはずだ。4回転をする為に言葉化する必要はなかったという。運動の感覚で、持って生まれた感性で回転の感覚をつかみ磨いた。想像もできないほどの練習の末にその感覚が技として実現したのであろう。ところがこうした天性の感覚の二人が、技を言葉化することが大切だと揃って口にしていた。

高校の頃陸上競技をやっていた。インターハイ東京予選初戦敗退の弱小選手である。そのころ読んだ本に、棒高跳びの選手は知能指数が高くないと一流には成れないと書いてある陸上競技の指導書があった。空中での自分の姿勢を理解し、練習をして行くためには、高い知能指数が必要というのだ。長距離グループでただ走るばかりの自分は少し馬鹿にされたような気がした。走り高跳びは練習していたので、空中姿勢というものを理解するという事が、かなり難しいという事は知っていた。自分の運動を言葉化するなどという事は、考えたこともなかった。ひたすら体に覚え込ませる反復練習であった。何が悪いかを理解するという事は感覚だけでは難しい。問題を理解して、何を身に付ければ解決できるのかという事を分からなければならない。分かったうえで練習をしなければ、練習すらできないことになる。もちろんオリンピックでメダルを争うような人とは領域は違うと思うが、二人のすごい選手が感覚だけではだめだと主張していることが印象的だった。身体が充分に動かせない期間、技を言葉化していたというのだ。それが復活するカギになる。感覚の天才が、一度できなくなった技をもう一度再現するためには言葉化が必要だった。

絵を描くという事はまさに感性の仕事である。ほぼ百人のうち百人がつべこべ理屈を述べずに描けばいい。感覚がだめな奴だから、屁理屈で誤魔化すと主張する。私のようにあれこれ理屈を述べる奴は感覚が悪くて絵が分からない奴だからだという事になる。絵というものがお稽古ごとの先にあるものだと考えればその通りであろう。上手になるだけで良いのであれば、黙って職人仕事を磨けばいい。それをあえて描いているだけではだめだというのだから、顰蹙を買うのも仕方がないかもしれない。分からないで無暗に描いていることは、むしろ自分の絵をダメにすると思っている。ただただ描いていても悪くなるだけという絵描きばかりを見てきた。そういう人に限って口にする絵画論が精神論だったりする。そうしてマンネリの、ただみすぼらしい技術が示されているだけというの絵は、絵のように見えるものに過ぎない。公募展というものを見に行けば、ズラリとそういう絵が自慢げに並んでいる。

絵画の世界は、言葉を拒絶することで進歩を失った。この時代に即した美術評論というものがない。芸術と思想は連動している。言葉で絵画を分析し批判し、評価する文化自体が失われた。今もそれらしき絵画評論をうたう月刊誌が発行されているが、趣味で絵を描いている人や絵を販売したがる人に、その雑誌を定期購読してもらうことで経営を成り立たせている雑誌だ。絵を雑誌に掲載し、誉め言葉を書くというものに過ぎない。本当に恥ずかしい状況の絵画世界だ。自分の絵を言葉化するという事をこのブログでは繰り返し行っている。とりとめもない、恥ずかしいような陳腐なものかもしれない。しかし、それが自分のすべてである。人と較べてではない。自分の絵画世界を少しでも進めるためには、言葉化する以外にないと確信する。この絵は好きだとか、嫌いだとか、そんな判断で済ませていては、絵を描く人間とは言えないのだ。

 

 

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日本国はどこを目指すのか

2018-02-17 04:30:06 | Peace Cafe

アベ政権が目指している世界は、アメリカのような世界なのだろう。経済が一番の国である。トランプアメリカのやり方がモデルになるのだろう。アメリカで仕事をしていた、安倍さんはアメリカにあこがれたのかもしれない。豊かな国アメリカ。正義の国アメリカ。世界一の経済大国。自由主義、能力主義、競争主義の国。アメリカンドリームの国。確かにアメリカには底抜けの善良がある。宗教的倫理といえるような価値観がある。それは、大草原の小さな家のローラの夢のようなものだ。その理想が高ければ高いほど、一方に極端な差別思想が潜んでいる。賄賂の国中国で孔子思想が息づいているのと同じなのではないだろうか。戦後の日本はアメリカをモデルとして国づくりをした。あるいはさせられた。アメリカの中の善良な思想が日本国憲法に結実したのだろう。しかし、アメリカのなかの本音は、自分が勝者になるために羽手段を選ぶ必要はないというものだった。しかし、日本政府はそのアメリカの暗い本音を、国民に対し覆い隠しながら、まるで傀儡政権のようにふるまってきた。

1980年ごろの日本社会では盛んに価値観の喪失という事が言われた。戦後の復興期には明治政府が模索した大日本帝国の方角が間違っていたという事は、一億総懺悔として認識せざる得なかった。どこを目指すのかを見失った日本はアメリカの底抜けに明るい、自由主義に目標を定めた。その競争主義の負の側面には目を向けるどころではなかったのだろう。ともかく復興して敗北から立ち直らなければならなかった。日本民族は全面敗北をしたが、今度は経済で追いつき追い越せで行かなければならない。そして、日本人としての歴史的な価値意識を棚上げしておくことにした。武士道よりもトランジスターラジオのセイルスマンである。武力主義より、経済主義の方が平和で良い。今度は経済で勝つという希望が、反省の結果である。日本が何を目指すのかは問題にもされないまま、経済競争にまい進した。そのころの日本人の中にはまだ伝統的価値観が色濃く残っていた。

封建主義とか、地域主義とか、伝統的価値観を維持しながら生きている人がまだたくさんいた。農家であれば、先祖伝来の田畑を守ることが自分の役割と考える人が沢山いた。その生き方の原型は江戸時代のお家大事だろう。そうした日本人としてといえば、ほぼ共通理解が出来るような日本国を空想することが可能だった。その日本社会の共通の価値観がすれ違い始めたのが、80年代頃ではなかったか。首都圏への人口の集中によって、伝統を引きずらない新たな家族個人主義的日本人が登場する。しかし、その頃の日本人はまだ帰ろうとする故郷を持っていた。どこか今の自分の暮らしではないところに、本当の暮らしがあるような喪失感である。その喪失感の背景にあったものは失われてゆく日本的伝統文化なのだろう。故郷の光景というものが存在したのだろう。

アメリカのような社会に日本が成ってほしくはない。アメリカは確かに経済は豊かではある。しかし、銃を若者が乱射するようなことが頻発する社会である。にもかかわらず銃の規制には向かわない国である。銃を持って対抗すればいいというような、馬鹿げた国である。この愚劣な国を手本としてアベ政権は存在する。そのことは日本人のかなりの人々がアメリカの愚劣さを含めて、受け入れているとしなければならない。沖縄の米軍の態度を見れば、安倍氏の抗議などまったく効果がない。トランプに電話で直接抗議したと力んでいたが、何の意味もなさなかった。アメリカは日本の犠牲は、核の傘を貸してやっているのだから、当然の負担としか考えていないのだ。そしてアベ政権は沖縄の犠牲は、日本全体の為には止む得ないとしか考えないのだ。日本がどこを目指すのかだ。日本は美しい瑞穂の国を目指すとした。昔の安倍

   

 

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JAS有機の問題点

2018-02-16 04:16:41 | Peace Cafe

JAS有機農業基準は国の基準である。思想としての有機農業とは違うものだと思っている。あしがら農の会は有機JAS基準以上の農業を行ってきた。「地場・旬・自給」である。JAS基準というものはやってはいけないことが示されているに過ぎない。基準さえ守っていれば基準合格の農産物という事になる。この基準は消費者保護の為に決められたものである。消費者が騙されないように作られたものである。有機肥料を使っていれば、有機農業であるというようなまがい物の野菜が横行したことが、事の始まりであった。そしてこの基準は予想通り、有効に働かない結果となった。発想が待ちあっていたからだ。卵でいえば、JAS基準認定の卵はないと言えるのではないだろうか。しかし、家で鶏を飼えば有機基準に合致した卵は簡単に可能ではある。JAS基準に準じた農産物といっても、作りやすいものもあれば、困難なものもある。キューイは出来ても、みかんは難しい。野菜は季節で異なるし、同じキャベツでも可能な品種と、不可能な品種とがある。

有機農産物というものは全量の0.3%といわれていて、日本では20年一向に増加しない。20年も運用されて、一つも増えないことには理由がある。国はここを正確に分析して反省すべきだ。いまだ消費者が重視していない。消費者保護の為に作られたにもかかわらず、有機農産物のJAS基準を重視する消費者が増えないという事を考えてもらわなければならない。0.3%しかない農産物といっても、特定の種類の有機基準で作りやすい農産物に偏っているから、まずは売られていないだろうという有機野菜の種類もかなり多いい。ところが、有機農産物がそれほど高価にはならない。欲しい人がいて、量が少ないものなら値上がりするはずである。価格が高いものであれば、どれほど栽培困難な農産物でも生産することも可能になる。ところが、価格が安すぎて経営がいつまでも難しいというのが現状である。家庭菜園規模で自分で作るのであれば、価格はないから手をかけて作ることはできる。やはり家庭菜園が一番という事になる。自分が食べるためであれば、JAS有機農産物も生産可能なのだ。

問題は4つあると考えている。

1、消費者が有機農産物の価値をそれほど評価していない。価格さにそれが現れている。私は全国唯一といえる、有機基準に合致した卵を生産していたこともあったが、55円で販売していた。私自身がそれ以上の価格の卵は嫌だったからだが。自分が購入しないような価格の卵を販売する気はなかった。社会の何かがおかしいのだ。そのおかしさを直すために農業をやっていた訳ではない。自分が有機農産物を食べないにもかかわらず、有機農産物を販売する生産者では消費者の評価も得られることもないだろう。

2、有機農産物の良さが曖昧である。慣行農法の野菜が悪いという訳ではない。有機農産物は最高の農産物の方角を示している思想なのだ。思想に対して、国が基準で決めるようなことができるものではない。JAS基準というものが出来たがために、有機という思想がすっかり色あせてしまった。基準だけが独り歩きしている。なぜ有機なのかという思想は、繰り返し検証されなければならない。基準ではやってはいけない禁止事項だけが示されていて、やるべきことは何も書いてない。その結果や成果物である有機農産物では何の分析もされない。枯れかかった基準クリア―の野菜と、元気いっぱいの普通の野菜とどちらが人間の身体によいかは、人によって違うはずだ。冬にも有JAS機のトマトを食べたいでは、地域の農家を守ることはできない。

3、生産方法が確立されていない。生産者は手探り状態で有機野菜を生産している。家庭菜園レベルでは可能なことも、販売農家の生産規模では野菜では極めて難しいものもたくさんある。小さな農家であれば、その地域の土壌や気候に併せながら、生産方法を模索することは可能である。生産しながら学び研鑽している。大規模農家となると、結論の出た農法でなければ取り組むことは不可能である。特定の農産物に限られることになるだろう。

4、有機食品の問題よりも、加工食品の問題の方がはるかに大きい。外食や加工食品に含まれる、無限ともいえるような添加物の方が、人間の体に影響を与えている。購入するパンと家で炊くご飯とでは、パンの方が添加物の混入の可能性が高い。ここでの添加物の問題の方が、有機食品であるかどうかより現実的には大きな問題なのだ。外食や加工品に移行している食生活の中では、有機食品の問題は遥かに小さなことなのだ。

結局のところ、JAS有機基準が有機農家を育てられなかったのだ。むしろこの基準が有機農業の普及を妨げているのが現状だと考える。

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大豆の会のはじまりまでーー2

2018-02-15 04:12:51 | 自給

山北に住み始めたのは1988年39歳の時だ。1986年に土地を購入し開墾を始めて3年目だった。荒れ果てた杉林の伐採と、畑の整地に休日毎に通い2年かかった。完全に移住したころには自給自足の実現を本気で試す気になっていた。杉林を一本づつきり開いてゆくと、その場所は富士山も相模湾も見えるなかなかの場所だった。シャベル一本ですべてをやる。機械力を使わないと自分なりのルールを決めた。山を切り開き平地を作り野菜を作る。田んぼも作らなければならない。すべての水を集める装置も作った。巨大な水槽を幼稚園が廃棄するので頂いて、組み立て水を貯めた。そのころはインターネットの情報もないから、すべては思いついたままの試行錯誤である。稲作の本はあっても田んぼの作り方などどこにも書いてない。農家の人に聞いてみても田んぼの作り方を知っている人は居なかった。地面を掘り、一面に粘土を運び込んで層を作るのだともっともらしく教えてくれた人さえ居た。

田んぼを作るには平らな地面をまず作る、大雨の日に雨の中その平らな地面をかき回した。すると徐々に水が溜まり、田んぼが出来た。あっけないほど簡単なことだった。山に降る水が最後は田んぼに入るようにしたので、一度溜まり始めた水は無くなることはなかった。早速、直播の稲作をやってみた。見事な稲になり、秋には立派な収穫になった。面積は30坪くらいだったが、1俵のお米が収穫できた。何とかこれで一人の人間のお米が確保できた。自給が本格化することになる。初めての稲作にもかかわらず、意外に簡単なことだった。冬場は麦を作った。翌年は田んぼを倍に広げて2人が食べれるようになった。野菜もいろいろ作れるようになったのだが、必ず山菜を山で採取して1品は食べるようにした。いろいろやってみると、自給自足の食事には保存が重要だという事が分かった。それが味噌づくりを始めることに繋がって行ったが、そのことはまだ後に書く。

山北有機農業研究会という仲間を作ることになる。これが農の会の始まりである。ただいつからというよりも、周辺の有機農家をお訪ねしてお手伝いをしては、農業の先生が出来てきた。私の家の隣でみかん畑をやっていた人から畑を借りて、畑を隣地にまで広げていた。その方が川口さんでMOAの人だった。川口さんからこの地域で有機農業の組織を作りたいので協力してほしいという話が来た。山北に越してから3,4年目の1992年だったと思う。いっしょにMOA関係の方の家を訪ねたりした。1994年3月に川口さんの家で、MOAの前田さんと相談をした記録がある。この時、今までのつながりをまとめて、組織を作ることを相談した。この日が農の会の正式な始まりの日だったようだ。前田さんは心の実に暖かな人で、二人で夜遅くまで未来の農業組織作りの話をした。前田さんはその後転勤された。

山北の町会議員だった瀬戸さんの奥さんが戦後の生活改善クラブの活動でいろいろされていたのだそうだ。保存食のことなどとても詳しく、また面白くて参考になった。味噌づくりを最初に教わったのは瀬戸さんである。味噌の溜まりを醤油として使えば、結構使えるなど話してくれた。ご近所の農家の方など誘ってくれて、一緒にいろいろ勉強することになる。MOAの指導員の方が来てくれたこともあった。大仁農場の見学にも行った。徐々に新しい農業仲間が増えていった。あれこれ学習会をしている内に、仲良くなり、一緒に田圃をやらないかという話になる。養鶏をやっていた友人から田んぼにできる土地があるので、やってみないかというお誘いがある。みんなで意気込んで準備を進めた。ところが自然農法でやるというなら、水をお前たちにはやらないという拒絶に出会う事になる。当時はまだ自然農法にそれほどの反発があったのだ。この拒絶がむしろ、活動に本腰を入れるきっかけになる。共同の田んぼがやれるようになるのは、その後塩沢の奥で田んぼを始めるまで、時間がかかった。

この顛末は次回3回で。

 

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石垣島の家づくり

2018-02-14 04:38:50 | 石垣島

石垣島の市街地にある桃林寺裏に土地は見つかった。似たような土地が市街地には3つ出ていた。そしてもう少し坂を登ったあたりにも土地は出ていた。どれが良いのかは皆目わからなかった。今もわからない。行ったときにはここがそうだったとつい見てしまうが、土地が動いた様子はi今のところないようだ。車が入れる家。静かな場所。買い物に歩いて行ける場所。眺めはいらない。風の強いところは困る。アトリエを作る面積があれば良い。結局、今の場所が中では一番目立たないという事で決めた。不動産屋さんに買い付け申込書に判を押してお願いをした。ところがこれが進まない。購入まで半年もかかってしまった。地主さんは大阪の方だった。投資物件として石垣島の土地をあれこれ売買している人のようだ。その方と直接会ったのは、土地の売買の日が初めてだったのだが、半年も前から購入を申し込んでいたという事を話したら、びっくりして不動産屋さんに怒りだした。売りたいから申し出ているのに、なぜすぐ進めてくれなかったのだという事である。全く同感であった。半年間何故売買が進まなかったのか今もわからない。その間あれこれ詮索してやきもきしていた。

石垣島では一つの不動産屋さんがその土地を扱うと他の不動産屋さんはその土地には手を出さないようだ。だから他の不動産屋さんにお願いはしてみたのだが、ダメだった。何とか最初の不動産屋さんが進めてくれるのを待つほかなかった。その近所にある設計事務所の方に何か問題があるのか相談をした。購入したら建築をお願いするので、不動産屋さんに進めるように話してもらいたいという事である。何度か様子を聞きに行ってくれて、少し進み始めた。別段何か問題があるので進まなかった訳ではなかったという、キツネにつままれたような話だ。石垣での進み具合はそのようにゆっくりしたものらしいという事で受け取るほかない。今度はその設計事務所での進捗が止まった。購入したのだからすぐ建築に向けて進めるようにお願いした。ところがそれから今まで1年近くかかっても、まだ設計が終わらない。これも何故なのかはわからない。最近になって横浜から、石垣に移住された若い設計の方が担当になり進み始めている。

あれこれ打ち合わせをネットで行っている。週に2,3度やり取りをしながら、設計を詰めているところだ。この事務所はオープンシステムというやり方なのだそうだ。一括して建築業者にお願いするという事ではなく、一つ一つの作業を個別の業者に依頼してゆくらしい。その施工管理もこの事務所でやってくれるという事らしい。建築費の10数%をこの設計事務所に払わなければならない。それでも建築会社に直接任せてしまうより安くできるのだと主張されている。これは終わってみなければわからない。いずれにしても、小田原にいて石垣に家を作る。施工管理を信頼してお任せする以外にない。そうこうしているところで先日、石垣で家を作っている人を紹介された。養鶏のことで昔からの知り合いの方のおじさんである。先日お会いして石垣の建設の状況をいろいろ教わることができた。もう少し前に知り合っていれば、この方にお願いすればよかったとも思うが。いまさらそういう事は出来ない。

4月着工の予定である。10月に完成の予定である。建物は鉄筋コンクリート作りである。アトリエが6×8×3mある家ということだけが条件である。木造の方が良いと思ったが、石垣は台風が通り過ぎる場所で、これだけ空間があると木造では危なくて無理だと言われた。後は出来るだけコンパクトなものをお願いしている。庭などはなく作る。駐車スペースがあり、草が生えないようなものにする。閉じてしまえば、安心して空けて置ける家にしたい。10年間は石垣島で絵を描きたいと考えている。先のことはどうなるかわからないことだが、それぐらい描くつもりでいる。老人向き住宅という事になる。引っ越しの大変さを思うだけでが重くなるが、石垣島に行けると思うと元気が出てくる。

 

 

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