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40年老朽原発は安全なはずがない。

2021-04-30 04:21:55 | Peace Cafe

里芋の渡部式高畝である。上部にみえるものがそば糠である。

 福井県にある関西電力美浜原発3号機(美浜町)と高浜原発1、2号機(高浜町)の再稼働に、杉本達治知事が同意した。とんでもない話だと思う。福島原発事故で分かるように、もう一度原発事故があれば、日本は終了だ。福井県だけの話ではない。

 もう一度事故が起きない保障など何処にもない。耐用年数が40年だった原発が何故、耐用年数が伸びるのかがわからない。それではそもそも最初に決めた40年がおかしいだろう。他の機械で耐用年数が伸びるようなものがあるだろうか。ご都合主義である。

 原子炉圧力容器と、これを覆う原子炉格納容器は修繕も交換もできない。特に圧力容器は放射線や高温によってもろくなり、衝撃に弱くなる「経年劣化」が起きる。この耐用年数が40年だったのだ。圧力容器は頑丈に見えるが、放射線の一種である中性子線が当たり続けると材料の粘りが低下して脆弱化する。

 時間とともにどのくらい脆弱化するかは、実験データなどをもとにした予測式で求める。予測式の計算結果は圧力容器からあらかじめ取り出せるようにしてある試験片の測定値と比較し、ずれがないか確認する。高浜1、2号機ではいずれも4個の試験片を取り出して比べたところ、測定値と予測値はほぼ一致していたという。その耐用年数が40年だったのではないか。

 さまざまな原因でできる構造物表面の微細な傷を、超音波や高周波の電流を使って検出する方法もあるらしい。原発を40年を超えて使うのは、こうした手法を総動員し異常の兆候を早い段階で検知できることが前提になっている。実際には、事前に問題点を捕捉すること等出来るとは到底思えない。

 そもそも電力会社は、稼働していない期間を40年間の耐用年数から除外して欲しいと要望している。おかしいではないか。稼働していない時でも核燃料は存在する。経年劣化は変わらず進んでいる。どんな機械であっても、使っていなくとも劣化は進む。この主張は耐用年数をどうしても伸ばしたい苦肉の策としか思えない。

 無理やり延命するのは新しい原発がもう作れないからである。新設できないのは当たり前のことだ。原発事故が日本人の精神をどれだけ痛めつけたか考えるべきだ。私自身は人生観がねじれて変わるほど、辛い日々を過ごした。土地という物が放射能で汚染されるという、有機農業をやるものとしての辛さである。

 原発事故は取り返しのつかない事だったのだ。本来、事故後すべての原発を廃止すべきだったのだ。それが日本の償いであり、責任の取り方という物だ。今またトリチューム汚染水を海洋投棄するという。何というご都合主義か。

 東電は汚染水を完全に放射能を除去すると言っていた。それが出来ると言ったのだ。忘れたのだろうか。そして、凍土壁で地下水の流入は止まると主張し莫大な費用をかけた。できるわけがないとこのブログでも書いた。可能な方法は大きなダムのような壁を山側に作る以外、流入水は防げるはずがない。

 東電は納得してもらうまで、汚染水を海に流さないと言った。このことももう忘れている。すべからくぐじゅぐじゅである。そのさなかに老朽原発の再稼働である。老朽原発再稼働ほど日本の劣化を見せているものはない。耐用年数の過ぎた原発にしがみ付く以外に、方法が見いだせない事態。

 本来日本は再生可能エネルギーに転換すべきだったのだ。10年前衰え始めていた日本が再生する唯一の道が再生可能エネルギーだったのだ。自然エネルギーや蓄電池の輸出国を目指せばよかったのだ。国民がもう原発はこりごりという世論があった。苦しくとも、国の方角を変える良い機会ともいえたのだ。災い転じて福となす道があった。

 ところが、政府はまたぞろ原発にしがみ付いた。なんと情けないことか。温暖化対策には老朽原発にしがみ付く以外にないというのが、政府の主張である。確かに一見そう見える。その理由は再生可能エネルギーへの取り組みがあまりに弱いからである。その反省がない。

 西ドイツは福島原発事故を教訓として、脱原発を目指し、ほぼ達成した。やれる国はあるのだ。日本がやれないのは政府の無能が一番の原因である。2番目はそのダメな自民党を支持する国民の方が多いという事だ。既得権である原発を手放せない人たちが、原発にしがみ付いて離れなかったのだ。

 既得権益者は自民党と癒着しているのだ。莫大な補助金で企業を回している。一度甘い汁を吸った者はもうそこから離れられないのだ。情けない限りだが、この既得権を代表したのがアベ政権である。だから新しいことは起こりようがなかった。最悪最長の安倍政権で、日本は後進国化した。

 それが新自由主義経済という、強い者がより有利という馬鹿馬鹿しい競争主義である。確かに一部の人間や企業は大いに潤ったのだろう。ところが大半の日本人が下層国民という事になった。格差社会である。そして、先進国とは到底言えない貧困率の国に落ち込んだ。これでは国の活力が衰退する。

 現状はアジアの中堅国という事だろう。昔は中国の原発が心配だったが、いまや日本の老朽原発の方がはるかに恐ろしい。IAEAの査察が必要なのではなかろうか。日本に原発を稼働させる能力がまだあるかどうかの審査である。どうも人間の劣化の方で事前審査で失格ではないか。

 テロ対策の安全装置が壊れたまま置かれていたという。柏崎刈羽原子力発電所で、テロ対策などのために設置された監視装置が長期間にわたり故障していたことを明らかになった。外部からの侵入を許す恐れがあり、規制委は「極めて深刻だ」として4段階ある安全上最悪とした。

 東電は福島原発の事故を起こし、まだ反省をしていない。もし核燃料がテロ集団に盗まれていたら、どのようなことになるのか。さらに、柏崎刈羽原子力発電では施設内に他人のIDで出入りしていたという。たぶん常態化しているのだろう。すべてが安全基準以下である。

 そして今度は、関西電力で老朽原発の再稼働である。柏崎刈羽原子力発電では福島原発事故の前に起きた、新潟地震の時に配電盤から大きな火災を起こした。あの時本気で安全対策を見直していれば、福島原発事故は防げたのかもしれないのだ。

 あの時も大したことのない火事だ。配電盤が燃えただけだと主張して誤魔化していた。実際は福島原発事故で分かったように電力喪失が大事故になりかねないのが原発なのだ。あの時に原発電源の徹底検証をしておけば福島原発事故は防げたかもしれないのだ。

 老朽原発の再稼働の関西電力は多額のわいろを貰っていた。関西電力の八木誠会長や岩根茂樹社長を含む役員など20人が、3億2千万円相当を受け取っていたことを明らかにした。 こんな会社に老朽原発の再稼働を許す必要は全くない。
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イネ苗床の管理の3つの要点

2021-04-29 04:39:28 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 苗床の管理は的確に行う必要がある。苗作りは稲作で一番神経を使うものだろう。苗についてまとめて考えてみる。目標とする良い苗いと考えるものは、滞りない生育をした緑色濃い5葉期2分げつである。

 長いこと黄色い苗しかできないで、苦労してきた。やっと黄色にならない健全な苗が出来るようになり、畝取りが出来るようになった。苗の生育は5葉期で5週間が理想の生育の早さである。それより遅いのであれば、何か成育を疎外している理由がある。

 もちろん黄色い苗であれば、5週間で3葉期程度である。ということは8週間ぐらい苗床において、5葉期になって植えるのか、あるいは3葉期で止まってしまい、田植えをするのかになる。


 播種三日目で発芽した状態。

 自給の為の小さな田んぼのイネ作りは手植えである。3畝までの手植えは一人で一日で出来る。田植え機を使ったとして、機械の準備やら掃除やらを考えれば、同じ一日仕事になる。その上に、一年一度の機械は肝心な時に動かいないかもしれない。小さな田んぼは機械はいらない。

 5葉期2分げつの苗を手植えで行うことは、畝取りするための重要な条件になる。自給の為のイネ作りはイネのもつ力を十分に発揮させるものだ。その一番の要因が苗床における苗作りである。苗半作と言われてきたが、これは江戸時代の苗床でのイネ作り以来のことなのだ。

 まず、保温である。江戸時代はきっと保温に苦労をしたのだろう。田植えは今よりもひと月は遅かった。温度が高くなければ苗は健全に育たない。子供の頃油川のおばあさんの実家の石原家で見た苗床は、常に目の届く家の脇にあった。そして昼間は障子がかぶせてあった。夜はその上から油紙をかけてあった。

 現代では穴あきビニールを掛けている。ビニールを掛けることは保温であるが、それに加えてスズメに食べられることを防いでいる。穴あきビニールの優秀なことは、案外に地表面の温度が高くなり過ぎないことだ。穴から高温の空気は抜けてゆく。

 35度くらいまでだ。トンネルの上部は穴から高温の空気が抜けてくれる。上部の温度は50度を超える。水のある地表面は高温になり過ぎない。重要なことは種のある高さの温度が下がり過ぎず、上がり過ぎないことだ。

 意外に穴あきビニールと脇からの空気で中の温度が調整できる。温度は朝と昼に計測する。重要なことは1週目から、3週目までである。特に気温が高くなる後半ビニールをめくるなど、調整が必要になる。ビニールを外すのは雀が食べなくなった時である。3葉期ぐらいか。


入水口は酸素が混ざるように噴水型にしている。
 
 次が水管理である。発芽までは水をかぶっていても大丈夫だ。発芽してからは水を控えなければならない。水没を避ける。朝・夕と水を入れてすぐに止める。湿りが足りなければ昼間も行う。それ以上は水を入れない。土が濡れていれば、充分である。

 苗の成育の高さに合わせて、水没しない様に水を入れる。私たちの苗床は4畝ある広い苗床なので、高低差がどうしてもある。深くなるところにあわせて水管理する。これが意外に難しい。水没するようなら、水を切ってまた水を入れるを繰り返す。

 苗が2葉期ぐらいになれば、水を張っても沈まなくなる。そこからは水位を保ち、稲の成長に合わせて、水位を上げてゆく。水はわずかに動いていて、十分にある状態が良い。

 3つ目が苗床の土壌管理である。苗床には十分な肥料がなくては良い生育にならない。2,5葉までは種の力で生育する。それ以降は発芽した根が土から肥料を吸収して成育を始める。この時に十分な肥料がなければ、苗は育たない。

 ただし、有機農業では化学肥料のように即効性のある肥料はないので、秋から冬の間に苗床の土づくりを特別に行う。米ぬかやそば糠を1か月おきくらい、田んぼとしては少し多肥になるかという位撒いておく。緑肥がない場合なら、撒くつど耕す。

 苗床の土は細かく耕し、水を入れたならば少し深めの丁寧な代掻きを行う。土を深めに柔らかくして置けば、苗取りの時に楽になる。3畝の田んぼなら、1メートル幅で3メートルになる。できる限り丁寧作業を行い表面を水平にする。

 この「温度、水、土」の3要件を調整することで良い苗が出来る。すべては稲の本来の資質を引き出すことにある。初期こじらせると、イネは十分な生育が出来ず、畝取りは出来ない。イネ本来の力を発揮するためには初期生育がイネの植物として万全な状況が必要である。

 イネの種の播種は1㎡200g~100gで、面積があるなら疎であるほど良い。これで2畝分の1本植えの播種量である。不安もあるのでもう少し広く、もう少し多く種を播いた方が安心。種は出来るだけ均等に播き、その上から燻炭を被せる。さらにぼかし肥を軽く撒いておく。

 今年は久しぶりに直播の実験を行っている。これはもう30年前からやっているやり方である。簡単に言えば、苗床のような状態の田んぼを1畝で始めたのが最初である。田植えをせずに1畝ぐらいだから、種をすじ蒔きにした。


3,3m×3,3mの実験田

 直播用の実験の田んぼである。30センチの幅で線をひき、線に沿って種をまいた。発芽してから、間の苗を取り除いて、30センチ間隔の直播田んぼにする。その取り除いた苗を発芽しなかったところに捕植をしたい。

 畝間、株間、はころがしで除草をした。1畝ぐらいであれば、このやり方でそれほど手をかけずにできた。そして60キロ採ったのだ。これが私の稲作の始めた時の形である。
 
 塩沢という丹沢の不老山の奥で、1反の田んぼをやった。歩いて30分も行かなければならない田んぼだった。1反に筋蒔きをして、同じように株間のあまり苗で周辺の田植えをした。確か糯米を作り、餅つきをしたはずだ。

 やはり、苗床のように土づくりや保温が出来るのはそう広くては無理である。実験の直蒔きの場所も保温は行っていない。鳥にやられない様にネットだけは張ってある。穴あきトンネルの苗床とどのような違いが出るか、楽しみにしている。

 自然農法を目指すのであれば、やはり直蒔きである。イネを移植するというのはやはり自然ではない。出来れば、直播をやりたいと考えていたのだが、最終的に草に負けた。雑草の勢いが強くて、どうしてもイネが負けた。

 あまりに手がかかるので、苗床で苗を作るようになった。それでもいまでも直播をやってみたいという気持ちはある。福岡農法の様な素晴らしいものを自給のイネ作りで実現できたならば、最高である。以下その構想である。

 1メートル幅の苗床を作る。穴あきビニールトンネルの中かに、30センチ畝の筋蒔き3本の苗床を作る。苗床としてもつくる。30㎝間隔で、間に育った苗を間引く。間引いた苗を他の部分に移植する。苗床と直播と不耕起田植えの混合とする。

 苗床の両側に田植えする。田んぼ中央に1mで、両側に3mずつ植えれば、7m幅の田んぼになる。14mの長さであれば、100㎡の田んぼになる。自給の為の小さなイネ作りとしては今より前進形ではないだろうか。

 これは一人でやる場合の話ではあるが、14メートルのトンネルを2本作り、この倍の14mの正方形の田んぼであれば、200㎡の田んぼで120キロを目指すことが出来る。

 苗床に水を入れると同時に田んぼ全体に水を入れ始めれば、苗を作っている間の5週間で苗床の周りは、代掻きをしないでも、不耕起水田としてほぼ田植えが出来る状態になっているかもしれない。それなら草も減るだろう。こうした妄想をしては試してみたくなるのだ。
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残念だが、オリンピックは中止

2021-04-28 04:06:07 | Peace Cafe


 篠窪のみかん小屋。この小屋の農家の方は、そばで車を止めて絵を描いて居たら、わざわざみかんを持ってきてくれた。なんと暖かい方かと感動した。それも篠窪がすきになった理由のひとつだ。嫌なことがあっていかなくなった写生場所もある。
 
 残念なことだと思うが、オリンピック中止を決断せざる得ない時が来た。ここで東京がコロナ非常事態宣言という事は、もう一日も早く中止を決断するほかない状況だ。コロナの変異の速さを見ると、しばらくは感染は拡大してゆくだろう。

 精進してきた選手のことを思うと、開催してもらいたいとは思う。しかし、さすがに今の状況では開催は無理だ。選手には我慢をおねがいするほかない。選手としては4年後は考えられない人も多いだろうから、辛い悲しい選択であることは確かだが、状況は限界に来ている。
 
 オリンピックを強行して、コロナで死ぬ人が増えたのでは何のためのオリンピックなのかわからなくなる。オリンピックは平和の祭典なのだ。コロナ蔓延下の開催は無理だ。オリンピックをやれば、必ずコロナ感染が増加する状況になるだろう。もうこれ以上判断を先延ばしにはできない。

 先進国と比べてワクチン接種が遅れたことが最大の理由だ。これは日本という国が後進国入りしたことの証だ。衰退を正面から受け止める以外にない。国力がいつの間にか衰退しているのだ。国の安全保障が変わっていることに、いまだに気づかない国になった。

 そもそも世界が、代表選考会を開催できず、選手を選ぶことすらできない種目もある。日本は開催国だからどうしてもやりたい気持ちは強いとは思う。しかし、参加国が一部になることはすでに確実だ。その上に参加しても万全な選手は少ないことだろう。大半の人がワクチンが打てないなかでの開催は無理だ。

 医療対応をオリンピックに向けることはできない。コロナで医療崩壊している。病院に行けないで家で死なれたコロナ感染者がいる。余力があるのならば、まず大阪に集中しなければならない。オリンピック開催時に東京で医療崩壊が起きている可能性もある。

 大阪ではすでに医療崩壊が起きている。自宅療養を強いられた患者の方がすでに10名も亡くなられている。これは全く他人ごとではない。誰もが自分に迫っていることだと考えるべきだ。もう絶対に感染できない新しい事態なのだ。

 スポーツ観戦は大好きだ。特にオリンピックとなれば盛り上がる。日本選手の出場ほど楽しみなものはない。こころから頑張ってほしい思う。余りに選手に感情移入してしまい、心配で直視できないほど観戦がすきなのだ。オリンピックのテレビ観戦ほど楽しみなものはない。

 それでも出かけて行ってまで見たいとは思わないのだから、好きと言っても少し違うのかもしれない。前の東京オリンピックの時に切符が一枚あったが、兄に譲ったぐらいだ。わざわざ見に行くのは面倒くさかった。それでもテレビで見たいものでは一番である。開催されれば、テレビの上映一覧の雑誌を買ってきて、その間はテレビの前に張り付いているに違いない。どこで開催しても一緒である。

 東京開催は反対だった。オリンピック誘致などとんでもないと思っていた。が、開くとなれば楽しみにしていたのだが、今回は止めるべきだと思う。今はすべての力をコロナに向けるべきだ。何しろ政治的には日本政府はほぼ無能と言えるような迷走状態だ。本当にオリンピックを開きたいなら、経済的犠牲に耐えるべきだった。

 日本中が、コロナ疲れである。医療関係者の疲れはもうピークに達しているのだろう。一年も命がけで頑張り続けてくれているのだ。これはもう人間の限界が近いと見なければならない。集団で看護士さんが止める病院が出ている。

 看護士さんに申し訳ないばかりだ。少なくとも政府は非常事態を出す都度に、特別手当を出すべきなのだ。何故出さないのかがわからない。たぶん経済効果がないぐらいに考えているのだ。そういうくだらない政府だから、なにもかも期待はできない。

 オリンピック中止の決断など菅政権には到底できない。菅氏を見ていると決断力がないと見える。世論が開催できないと先行して主張するほかないと思う。何故ベットが足りなくなるのかがわからない。時間的猶予があったのに、何の手当もしていない。治まるに違いないぐらいの甘さしかもっていないのだ。

 経済に後ろ髪をひかれて、判断力が欠落している。コロナが収まらなければ、経済もダメなのだ。経済がだめになり、自殺する人が増えることはある。しかし、コロナが蔓延すれば経済はダメになるのだ。何度も書いたことだが、老人の外出制限以外に解決策はなかった。今はこの手も変異株で危なくなってきた。

 聖火リレーをやるくらいならば、もう一年延期を打ち出せばよかったのだ。そうすれば、もしかしたら認められたかもしれない。ここまで来てしまうと、もう中止以外の選択が無くなっているのではないか。残念なことだし、選手には申し訳がいが、中止の決断しかない。

 無観客でも水泳の日本選手権によるオリンピック選考会は面白かった。無観客でも十分楽しめた。ただ、思ったよりも記録が悪かった人がかなり居た。コロナの状況で十分な準備が出来ていなかったと思える。コロナが収まったところで、違った形で選手を称える大会をしてはどうか。

 オリンピック延期が決まった時に、2年延期説もあった。今思えばそれが正しい判断だったのだ。ワクチン接種が進めば開催できるという考えだった。2年延ばせば、ワクチンはさすがに進んでいると判断できた。ところが政府の判断は甘かったのだ。まともな判断力のない政府である。日本の後進国化は政府から始まっている。日本は根本からやり直すほかない。

 一年で何とかなるという根拠のない予測が大きく外れたのだ。このまま開催すれば、コロナで練習もままならない国もたくさんある。中国が大活躍するオリンピックになるに違いない。何しろコロナを抑えているのだ。中国選手はそもそもいま海外に出てこない。

 感染を避けて、国内で練習に励んでいることだろう。中国の国威発揚の場になるだろう。こうなるとアメリカは出ない選択をする確率は高まってくる。アメリカが出ない選択をしたら、日本がやりたくてももうやれない。その前に日本政府は自分の責任でオリンピック中止の決断をした方がいい。

 選手の皆さんには本当に申し訳がない。許してもらうしかない。コロナを抑え込めなかった政府と、国民すべてに責任がある。ただ、オリンピックを目指して頑張ったことは、必ずそれぞれの選手の宝になったはずだ。努力できたという事が尊いと思う。

 こういう事態に陥った原因の一つは、オリンピックの経済効果の目論見がある。それで今でも中止の決断ができないのだろう。NHKの今日の聖火リレーを見ると情けなくてつらい。一日も早く中止の結論を出さなければだめだ。止める以外にもう道はない。
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石垣島と甲府盆地の風景の違い

2021-04-27 04:45:53 | 水彩画


 畔際に立つのは柿の木である。この下にある田んぼなので、柿の下田んぼという事になった。柿の葉という物は美しいものだ。新緑も良いし、紅葉も美しい。このボルガの舟歌の様な耕運の様子も柿の木にふさわしく良い。

 トラックターが田んぼに入ったところで、ミカンの木を抜根した場所にもぐってしまった。やっと引き出すことができたが。どうしようかという事で、耕運機で代掻きをすることにした。土の出ているところや深すぎる所では耕運機は動かなくなった。水を多くして、前で一人が引っ張りながら耕した。

 山室さんが1000円で耕運機を東さんに直前にくれたのだそうだ。何というめぐりあわせか、早速役立つことになった。8馬力の耕運機なので、結構力があった。かご車輪はないのだが、大きな代かき用のタイヤがあったので、これに付け替えた。

 案外に具合が良くて、余り負荷のない場所は一人で耕運が出来た。かご車輪でもないのによくできたものだ。この作業を見ていた大瀬さんが、自分の持っているかご車輪を貸してくれることになった。2回目の田植え前の代掻きは、かご車輪を付けてやることなった。何か良い巡り合わせがあり、有難いことだ。

 そう2回代掻きの予定なのだ。1か月水を張り管理する。田んぼの様子を見て、二回目の代掻きをしたいと考えている。もしかしたら代かきはしないかもしれない。初めての田んぼだから、様子を見ながらである。

 10年以上前には白鴎病院の裏の田んぼを、耕運機で代掻きをしたことがある。その時あまり良い代掻きにはならなかった。しかし、今回やってみると案外浅く耕せて耕運機も悪くない。柿の下田んぼでは今後もむしろ耕運機代かきにしたらいいと思う。アラオコシはトラックターでやることにすればいい。どのみち一日の作業である。耕運機ならば軽トラで移動できる。
 
 話は突然絵のことに変わるが、初夏の石垣島からいかにも日本の春らしい小田原に来て、風景の違いに驚いている。樹木の様子がまるで違う。濃いジャングルのみどりと春の淡い緑の違いは別世界。樹木が風景の大半の表層をなしているのだから、風景自体の印象は同じ自然とは思えないほどである。

 まだ桃の花の残る塩山から笛吹の風景を描きながら、自分の中に沁みついていた、眼の中に残っている記憶の中の色を思い出している。この色を目に焼き付けながら絵を描いていた。その色彩を石垣島で新しい色に転換しようとしていた。強い、極めて強い緑だ。

 小田原に来て絵を描いていて、何かがゆすぶられている。戸惑いもあるが、春の甲府盆地の優しい風景と自分の繋がりを改めて見直している。実に繊細である。こんなにも微妙な色合いの中で育ったのかと思う幸せを感じた。この色を子供の私が感じていたという事に感謝したい気分である。

 この色になじんでいるというか、美しいと感じるのはやはり生まれた時からの色彩だからだと思う。たぶん砂漠の世界の人には、砂漠の色があるのだろう。子供のころに目にした色彩はその人を作り出しているのだと思う。

 色で絵を描くようになったのは、この色が好きでこの色を再現したかったからに違いない。この色の調子を見ていると私が自然に許された気持ちになる。これは石垣島と較べると凄いことだ。石垣島の自然は跳ね返される。とても入っていけない強さがある。

 石垣島に暮らすようになって、この甲府盆地の甘い自然が稀有なものであったことに気づいた。子供の頃から染みついた自然なので、その際立った複雑さをただ受け入れていた。このあまりに柔らかなあいまい色はじつは特殊なものだったことに改めて気づいた。

 今日は篠窪に描きに行くつもりだ。いつも描いていた篠窪で確かめてみたいと思っている。水彩画を何故選択したのかがわかるような気がしている。この関東の自然の色は水彩画でなければ表わすことが難しい色彩ではないかと思う。それにしては何故この色と調子で日本画は描かれなかったのだろうかと思う。

 日本画の色彩は私の見る自然の色には見えない。このあたりには日本人がやり残した絵があるような気がする。中川一政の絵は最高のものだと思うが、私の見ている自然の色とは違う。やはり油彩画の色である。西洋画の色である。ヨーロッパに学んだ哲学がどこか見え隠れする。

 自然の大きさにもっと許されていい。この自分の中に沁み込んでいる色彩がそういう事を言っているような気がする。自然は受け入れてくれるものだ。自然にゆだねて絵を描いていいのではないか。作り出す必要はないと思う。自分という物が自然をどのように受け止めるかの方の問題ではないか。

 受け止める器であると自分を自覚する。そして、その自分という物を深めてゆくだけではないか。田んぼを何故やってきたのかという事になる。田んぼをやる自分が田んぼを描くためだろう。自分が食べる食べ物を作るという事が自分が生きるという事だと見定めようとしてきたのだとおもう。

 自分が自然を見ている。その見え方は自分の深まりで変わる。自分が変わることで絵も変わる。代わり映えしないのであれば、自分が自然の何たるかをまだ受け止め切れていないという事なのだろう。それほど自然は全体である。人間は自然の下に生きていることを改めて感じる。

 石垣島と小田原を行き来することは自分が絵を描くために、大きな要素になっている。石垣島に行く前には考えていなかったことだが、前進するための重要な材料になっているようだ。いつまで小田原に来れるかわからないが、来れる間は田んぼを続けさせてもらいたいと思う。あと2,3年は大丈夫だと思うが、何しろコロナ・パンデミックというようなとんでもないことが起きている。

 絵を描くことと田んぼをやることは、密接に関係している。不思議なことだが、大きな違いはないとまで思う。この感覚は田んぼと絵を描くことの両方をやっている人以外にはわかりにくいことだろうが、間違いなく不思議な形でつながている。

 午前中は絵を描く。午後は田んぼをやる。これくらいの配分が良いのかもしれない。逆だと疲れて午後に絵が描けない。石垣島でもし田んぼを手伝う事になったらば、午後少し手伝う位が良いのだろう。午前中絵を描くという事は変えないことにして。

 昨日は午前中は篠窪に描きに行き、午後は柿の下田んぼの排水口づくりをした。その後今日からもう一度、甲府盆地を描きに行くので、その準備をした。とても期待をしている。今度こそ何か描けるかもしれない。
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広島補選で自民党敗北

2021-04-26 04:27:07 | Peace Cafe


 広島といういつも自民党が選ばれていた選挙区で、自民党が補欠選挙で負けた。公明党が全力で支援しても選挙で負けた。菅政権のコロナ無能力。人事での人間支配。そしてあからさまな安倍氏肝いりの金権選挙。

 それでも自民党は勝つのだろうと思っていた。何しろ、2人区で独占を目指したほどの地域だ。しかも、あれほどのアベー河井法相の金権選挙が普通に行われてきた選挙区である。こんなバカげた自民の壁は崩れないと思っていた。

 感覚が敗北慣れしていたことを反省している。他の2つの補選では当然自民党は敗れた。次の衆議院選挙は9月までには必ずある。ここで野党共闘で頑張るチャンスが巡ってきた。このままでは日本が本当に後進国になる。次の選挙は野党にとっては最後の選挙だと思って、挑んでほしい。

 野党では経済が心配だという声はあるのだと思う。確かにこの経済の落ち込みは戦後最悪のものだろう。ここで野党で大丈夫かと思うのは自然だ。前回の民主党の失敗で国民は野党という物にコリゴリしているに違ない。あの失敗の原因は官僚の政権に対する非協力である。どうせ、次は無くなる政権に貢献しない方がいいと多くの官僚が考えたのだ。

 官僚の協力を得られない政権は機能しない。しかし、その結果アベ政権官房長官菅氏の官僚を引きずり回す自民党が登場したのだ。官僚は私たちが民主党をやっつけましたと自慢げだったことだろう。ところが、忖度して選んだ自民党は官僚にとっては最悪の地獄の政権だったのだ。

 忖度官僚だけが優遇されるとんでもない世界では人は育たたない。官僚の質とレベルの低下は目に余るものがある。官僚の世界が人間をダメにする世界になっている。このコロナの蔓延状況の中、厚労省の役人が夜中の12時まで大勢で酒を飲んで、パンディミックを起こしたほどのひどさだ。信じられないことである。

 許しがたい以上にもう駄目だと思える。仕事に対する重要なものが失われつつある。こんな官僚にしたのはまさに安倍政権長い支配である。9年間も人事で嫌な思いを続けていれば、職場環境は最悪に違いない。仕事に熱意など期待できるはずもない。

 官僚の中にはまだまだ眠っている力があるのだと思う。今度もし、自民党が敗れれば、官僚の中の良心派が目覚めるはずだ。野党政権はそう簡単にはつぶれないはずだ。今まで抑えられてきた官僚が新しい政権を支えて、新しい政治と行政を目指す意欲的な人が登場することを期待できる。

 今の若い人は人間の質はとても良い。我々以前の世代よりも人間の質だけは間違いなく良い。菅さんのような陰湿な人は少ない。育ちが我々より良いのだと思う。状況が変われば良い仕事をしてくれるはずだ。特に、女性を半分にすべきだ。そうすれば、かならず、良い仕事をしてくれるようになる。

 自民党は広島で敗北するくらいだから、このまま選挙は出来ないだろう。もちろんすぐに解散してくれたならば、自民党政権は終了する。解散せずに、任期切れの9月まで引き延ばすだろう。その時にどういう状況になっているかである。

 この後菅政権が心底反省して、立派な政治をしてくれるようになれば、それはそれでありがたい。まず、4月までに回答を出すよう言われていた、学術会議に対して、人事の撤回を表明する。そして、賄賂体質のいかがわしい議員たちの除名。二階幹事長の交代。

 カジノ誘致の中止。貧困の撲滅。原子力発電の廃止。辺野古米軍基地の工事停止。琉球列島への自衛隊ミサイル基地建設を撤回。3つの領土問題を国際裁判所に審議を依頼。食糧自給国家を目指す。能力主義からの脱却。やるべきことは山のようにある。

 野党には政策選挙をやってほしい。マニュフェスト選挙である。1,憲法裁判所の設置の検討。2、原発からの脱却と再生可能エネルギー3,日本の平和主義を世界示してゆく。4,食糧自給の国づくり。5,教育の企業的能力主義から人間教育へ。6,自衛隊の国土防衛隊への転換。7,女性雇用の義務化。

 野党連合は具体的な政策で自民党と戦ってほしい。国民が野党連合に一番不安なのは政策の一致が出来ないで、結局ぐずぐずになるだろうという事なのだ。だから、ここは野党間で話し合いを持ち、日本の未来のために小異を捨てて大同についてもらいたい。

 野党間で、憲法と国の安全保障を取りまとめて欲しい。憲法についても野党間で詰めて議論してもらいたい。その議論の始まりは憲法裁判所からだ。どれほど素晴らしい憲法であっても、アベ政権のように内閣法制局の人事操作で、拡大解釈をして憲法をないがしろにするようなことが出来なくする必要がある。きちっとした憲法裁判所が出来上がったときに憲法改定に進めばいい。

 国の安全保障において自衛隊は必要ではある。但し、敵国攻撃のための武力ではなく、国土防衛としての自衛隊である。災害対策を主たる業務にする。その延長に敵国からの攻撃の防御を行う体制を作る。例えば、オスプレーは必要だと当初から考えてきた。オスプレーの安全性をどのように高めるかだ。日本の国土の状況に合わせた対応を現実的にしてほしい。

 敵国の攻撃は、直接の武力攻撃よりも、経済封鎖であり、情報戦である、細菌テロも考える必要がある。新しい安全保障を担う自衛隊に、武力主義から転換してもらいたい。もしそうなれば、国民から愛され信頼される自衛隊になる。

 自衛隊の内部は良く見えないが、核ミサイルに対して、竹やりで対抗しているようなイメージになっている。IT攻撃に対して、精神論で対抗しているように見える。コロナ対策がクルーズ船ででたらめだったのは、自衛隊が細菌戦の研究をしていないからだ。

 野党連合はここで本気になって、日本のために頑張ってもらいたい。野党のすべてがまともだとは当然思わない。自民党に入れてもらえないので、野党になったような人もいる。いっぺにすべてが良くなるとは思わないが、少なくともこの次の選挙で、国民が期待できるような制作選挙を打ち出してほしい。

 しかし、3つとも野党が勝利したことは大きい。嬉しい。この流れを生かさなければならない。生かすことが出来る土台は選挙民が作り出した。野党は国民に分かりやすく、新しい時代を示してもらいたい。
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第50回 水彩画 日曜展示

2021-04-25 04:43:19 | 水彩画
                                     第50回 水彩画 日曜展示






237「下田の海」
2021.4






238「石垣の海」
2021.4






239「小田原の海の朝」
2021.4





240「山北の山藤」
2021.4






241「黒姫高原」前に描いた絵を続けて描いた。
2021.4






242「飯縄高原」インドの水彩紙
2021.4 前に描いた絵の続きを描いた。






243「信濃川河畔」
これも前に描いた絵の続きを描いたものである。
2021.4

 海の絵は自由だから面白い。雲もそうだ。どう描いてもそれらしく見える。余りに多様だから説明という物が要らない。出来れば、何でも海や空のように自由に描けばいいのだろう。

 形のあるものになると、説明という物が出てくる。説明という物はいらない。説明しないでそのもののリアルさに迫れればいい。雲や海のように。

 小田原で久しぶりに農作業をしている。合間に絵を描きに行く。これが昔からの小田原の暮らし。農作業と絵を描くことは相性がいい。絵を描くときは田んぼの作業のように。田んぼの作業の時は絵を描くように。

 いつもそう思っていた。農作業をやっているときに絵が出来てくるという経験は何度もある。これを描きたいという物に気づく。描きたいものが見えてくるという感じだ。それを実際に描こうとすると、少しづつ違ってゆく。

 せっかく見えているのに、見えているものが、絵にならない。でも見えているのだから、いつか絵になると思い描いている。
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新しいく田んぼを作る

2021-04-24 04:06:00 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 柿の下田んぼは2反弱ぐらいのみかんの耕作放棄地であった。たぶんここも60年前くらいには田んぼであった時代があった。そしてみかんに転換した。それが放置栽培になって、その後放棄されていた。理由はこの畑には歩いてしか入れないからである。

 道路がないのであれば、田んぼは難しかったのだろう。トラックターも田植え機も入れないのでは、今の農業としては田んぼは無理だろう。しかしみかんだって道路がないのだから、経営としては大変だったに違いない。それだから最初に放棄されてしまったのだろう。

 そこをなんとか田んぼに戻そうと考えて、お借りした。5枚に分かれている。田んぼにするのは1反5畝である。石垣はだいぶ壊れていた。土地もかなり傾斜をしていた。田んぼに戻すには一苦労する場所のようだ。


 トンボで田んぼを平らにしているところだ。みんなが手伝ってくれて、作業が進んでいる。この田んぼで2畝60坪ぐらいである。これが小さな田んぼイネ作りでのモデル的な大きさになる。すべては機械を使わないで手作業でやろうと思えば出来る大きさ。

 奥に川がある。右側には田んぼがある。この降りてゆく道も新しく作った道である。大変な作業だったと思う。この作業には参加できなかった。一枚上の田んぼは水を入れただけで水はすぐにたまった。これは予想外のことだった。

 60年前のこととは言え、一度田んぼだったという事はそれより前の300年間田んぼであったわけだ。土はそう簡単に移動はしない。田んぼであったところを田んぼに戻すのはまだ楽である。これが一度も田んぼではなかったとこの場合、代掻きをしなければ水は溜まらない。


 右側の水路から臨時に塩ビ管を配管してある。ここだけ独立して水を入れるときの為だ。代掻きをするときには水が沢山いるので、配管を加えた。最終的には水は4枚を順繰りに巡るようになればと考えている。そして高さ順にA→B→C→Ⅾと水が回り、Ⅾからの排水はほとんどないというのが良いと考えている。

 水を入れたのが、21日ごごである。午前中に水路掃除をして、川から水が入るように整備をした。午後水を入れると意外に水持ちが良い。トラックターで何度もアラオコシをしてあったので、水は簡単にたまったようだ。

 しかし、当然というか予想した通り、畔からは水漏れが起きた。それを塞いで歩いて、一日目は終わった。Cまで水が行ったという状態だった。Ⅽは他からも水を入れた。2方向から水が入るので水がたまった。それをトンボで均しているのが最初の写真である。



 欠ノ下ではなく、柿の下田んぼだそうだ。柿の木の下の田んぼ。Aに水が満杯になったところだ。その下がBで奥に少し塩ビ管が見えているのが山側に流れている水路から水を取る塩ビ管だ。水が上手く回るようになったらば、この塩ビ管からの入水はしない方がいいと考えている。

 水が来ない場合を考えて、水は十分にある状態でなければ代かきが出来ない。一日目は水がどこまでたまるかを水漏れ箇所を塞ぎながら調整した。こんなに溜まりやすいとは思わなかった。トンボで均した程度で、何と水はⅭまで水がたまった。


 下の乾いて見えるのがD田んぼ。これで入水量を減らして、一日目を終わり帰った。翌日6時に行ってみると、なんと水があるのはCだけだった。小さく洩れていた穴が広がってすべて水が流れ出てしまった。早朝2時間かけて穴をふさいだ。

 2日目の作業は代掻きである。ところがここでトラブル。トラックターがA田んぼに入った途端にのめり込んで動けなくなった。これには参った。それから、トラクターを上げるのに半日かかる。みかんの根を抜根した穴にはまった。やはりCのように小さな田んぼの手作業には意味がある。

 畔の水漏れの直しを進める。これはかなり大変な作業であった。一つ一つ畔をシャベルで穴を掘り、つき棒で固めながら、土を戻した。上手く治ったところもあるが、治らないままの所もある。それでも何とかDまで水が行った。

 

 これが新しい欠ノ下田んぼの全景である。欠ノ下という名前にになったのは欠ノ上の下の田んぼという事である。欠とは崖を意味している。諏訪の原台地から久野川への南斜面にできた集落が欠ノ上という集落である。

 昔は住宅のある場所の裏側まで田んぼだったのだが、今は農の会がかかわる田んぼが半分以上になった。江戸時代の初期に田んぼが広がっていった地域だと思われる。古い家の伝承では、江戸初期から続いているという家が何件かある。

 



 
 夕方23日の作業が終わったところ。いつかこの景色を描いてみたいと思う。絵を描くという事は、草刈りから始まり、田んぼを作るという作業があって絵になるもとが出来るのだと思う。大変な作業ではあったが、実に楽しい作業であった。

 この楽しさはやったもの以外味わう事が出来ないものだろう。与えられた楽しさではない。自分が生きるための労働である。自分が食べるものを生み出す田んぼが出来る。自給自足を身をもって知るという事になる。大切な体験というのは人間の生き方にかかわることなのだと思う。田んぼを作るという体験は一度はやってみても良い、貴重なものだとおもう。

 今日はいよいよ、柿の下の種まきである。以下根守さんから来た、苗床の配置図である。
(柿の下田んぼ+冨田田んぼ+東田んぼ)
苗床の長さ24m。巾1m。
そのうち14mがはるみ、さとじまんが8.5m、山田錦が1.5m。

・はるみ
乾燥量で3kg→川に浸けて4.2kg。
柿の下A,B,D約1.1反用に2.8kg(苗床)、Eに1.4kg(直播き)する。
袋は分けていないので、目分量で2/3を苗床に播く。
・さとじまん
乾燥量1.2kg→川に浸けて1.7kg。
柿の下C2畝と冨田田んぼ4畝の合計6畝分ちょうどあるので、
これを苗床に播く。
・山田錦
乾燥量0.7kg→川に浸けて1.0kg。
東田んぼ1畝分だと乾燥量0.2kgで足りるので、1/3程度を苗床に播く。

★直播部分については、またあとでまとめて書きたいと思う。
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NFTアートの出現

2021-04-23 04:26:53 | 水彩画


田賀亮三「さみしいあなた」F60

 NFTアートとは、唯一無二の形態に処理されたデジタルアート作品という事のようだ。次の時代の主流の絵画の様な芸術の方法になるかもしれない。その将来性が重視されたこともあって、75億円で作品が取引されたというので注目されている。

 10数年間日々記録した写真を、コラージュしたものと言う。いかにもつまらなそうだけど、私アートの一種なのかな。それよりも75億円のインパクトの方が大きい。美術の世界はやはり商品の時代なのだろう。

 自分のことで言えば、自分の描いている毎日の水彩画を写真を撮り、カタログレゾネの形にして、それをNFT化して発売することが出来るかもしれない。例えば、2021年笹村出作品レゾネというような形があるのではないか。

 細かな仕組みについては理解できていないが、10年後くらいにはかなり具体的なものになっているのかもしれない。一つには作品の記録方法になりそうだ。笹村出全作品がNFT化されて、デジタルとして保存される。これなら、美術館のようなところに行けば、あらゆる人の作品がある。という状態が作れる。

 そうした公的美術館の中に記録保存機関があれば、安心して制作できるというものだ。別段自分の作品を残したいという意味よりも、この時代の意味は数百年後にはっきりしてくると思う。その時の資料として、この時代に行われていた芸術作品のことを俯瞰する必要があると思っている。いわゆる表現芸術が衰退し、芸術制作自体に意味を見出すような時代への変化。というような意味で。

 デジタル化の良いところは記録の保存が小さくて、ほぼ無限で、確実という事である。NFTは商品としてできたものだろうが、管理方法と考えれば、さらに有効なのではないか。お願いすれば永久保存してくれる仕組みもできるような気がする。

 私自身は版権という物はないものと考えている。描いている水彩画は誰でもが自由に利用してよい。むしろそうしてくれた方が嬉しいと考えている。自分の為に絵を描いているのではあるが、それをいくらかでも使えると考えてくれる人がいればうれしいと思っている。

 だから、いつか誰かが利用したくなるような作品にまで到達したいと思っている。ただ、私の作品を必要とする人が、同時代に存在するかどうかは分からない。それでも私絵画という芸術行為の時代が来ると考えている。その時に初めて意味を持つのかもしれないとどこかで考えている。

 問題は現在の技術水準では水彩画の場合やや問題がある。デジタル映像だけでは不十分である。現物として、作品を再現できるだけの情報量がなければならない。それは何といっても現物に勝るものはないのだが、ある程度までの再現技術は出来つつある。

 その再現技術に必要な情報をNFTに加えておく必要があるだろう。NFT作品から、原画に近いものが再現できる仕組みである。これが実現するにはまだ、30年くらいはかかるのかもしれない。私が生きている間にギリギリ可能なのかもしれないくらいだろう。

 私はそれを50年前に予測していた。学生の頃そう考えて制作をしていた。未来にそうした世界が出現して、ゴッホもボッチチェリーも宗達も北斎も、笹村出も同列な中で、誰もが自分に必要な作品を選択して鑑賞することが出来る時代が来る。その前提で制作をする必要があると考えていた。

 その50年前考えたことは間違いではなかったと思う。このことで、自由美術の田賀さんと、大議論になったことがあった。それを思い出したので、作品をお借りして展示させてもらった。田賀さんは金沢美大の1期生の人で、どこか東京で制作する金沢系の人のリーダーのようなところがあった。

 思い出したので反デジタル主義だった田賀さんのことを少し書く。田賀さんはフランス語の先生もしていた。アテネフランセの先生だったかと思う。友人がやはりそこに勤めていたという事もあり、親しくなった。最初はやはり金沢美大の庄田常章さんの紹介である。

 田賀さんの三浦半島の家にまで行くほど親しくなった。田賀さんの奥さんが洋ランを栽培していたので、その趣味の関係があった。洋ランではどちらかと言えば私が栽培指導をするような関係だった。あの頃パフィオペディルムに本気だった。交配をするまでになっていた。

 田賀さんの個展会場はいつも若い人たちが、溢れるように集まって、喧々諤々の議論をしていた。水島さんや醍醐さんともそこでお会いした。自由美術に出していたわけではないが、仲間のような気分で加わっていた。毎週のごとく誰かの個展会場で、盛り上がっていたわけだ。

 ある意味私の青春時代という事なのだろう。私もひっきりなしに個展をして、田賀さんも必ず見に来てくれた。もうどちらも画廊自体がないのだが、史染抄ギャラリーと美術ジャーナル画廊である。あの頃は絵画作品を1点主義で考える時代は遠からず終わるという主張は、誰もが認めなかった。認めないどころか、そういう考え方は反芸術的だという事だった。

 田賀さんは金沢の人らしい理論派だった。舌鋒鋭く議論をしてくれた。そんな理屈っぽい絵描きはあまりいない。田賀さんの絵は理屈ではない。不思議な空気が画面に漂っていて、匂いがある。確かにこの匂いは、デジタルアートになると消えるのかもしれない。それでもいろいろな意味で影響を受けたと思う。

 絵画は商品として、投機対象として扱われた全盛期である。デパートで扱うこれから値上がりする若い作家展。というようなものが芸術新潮で特集があった。そこで羽生出という人を知った。その後東京芸大の教授になった。スケタ―ではなく、将棋指しでもなく、絵描きである。出が同じだから記憶した。投機対象としてはどうだったのだろうか。

 何かの製品や制作にそのNFT作品を材料にして展開するという人が、材料として購入するという事もあり得るのではないか。出版社が版権という意味で確保するという事もあるのかもしれない。例えば、江戸時代の風景画というようなデジタル画集を作る材料である。江戸時代にあったのならばの話である。

 もちろんそのNFT作品を印刷物におこして展示するという事もあり得るのではないだろうか。ホテルなどが購入して、装飾に利用するという事もありうるかもしれない。個人が気に入った人の作品を購入して、部屋のあちこちに飾るとか。

 よくわからないところが、原画との関係がどうなるのかという事である。原画が別に存在して、その原画は作家のものなのだろうか。作家はその原画を別に販売するという事もあり得るのだろうか。たぶんこのあたりはまだ整理されていないという事なのだろう。

 そういう事が自分とは関係がないと大半の人は考えて、絵を描いているにちがいない。それがまだ絵描きというものの、それらしい姿だと、思っている製作者も多いいのだろう。然しそれは、19世紀的発想が残っているだけだ。もう全く違うところに絵画は来ている。それが21世紀だとおもう。

 
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政府のコロナ無策

2021-04-22 04:24:26 | Peace Cafe


 政府はコロナ対策を見失っている。その被害を一番受けているのが医療関係者ではないか。医療関係者がすごい頑張りを続けている。コロナと向き合っている。感謝しても余りあるものがあるほどの、頑張りである。ところがまた第4波である。政府の無策は悲しくなるほどのものだ。

 こういう事になることは多くの人が予想していたことだろう。にもかかわらず、政府は何もせず、有効な手立てを打てない。手立てを打てないどころか、医療関係者の待遇改善すらできないでいる。ベットの確保も準備ができない。大阪や沖縄では医療崩壊が近づいている。

 これが日本の現実なのだろうが、政府の能力の低さも際立っている。同じくらいの経済規模のアジアの国でもなんとかコロナを凌いでいる。日本はまさかのていたらくである。政治家の世襲制によるレベル低下が原因しているのだろうか。

 医療関係者が頑張っているから、それでいいというのが政府のやっていることに見える。先日、看護士さんが40名集団で退職した病院の記事が新聞に出ていた。さすがにもうやっていられないという事だろう。当然のことだ。こんなことがいつまでも続き、終わりが来ることが見えない。誰だって限界が来る。

 しかも、第4波は過去最大になりそうである。せめて早急に看護士さんに特別手当を出してほしい。これは最低限の政府のやるべきことである。ここを凌がなければ、悲惨なことが待っている。コロナで重症化したとしても病院に入れない状態である。治療も受けられず患者が死んでゆく事態である。

 菅氏は口ではコロナ対策に全力で当たると言いながら、何故非常事態宣言を終わりにしたのか。大阪の事態を見れば、総理大臣がアメリカに行くどころではないだろう。これが全力でコロナ対策を当るという事であれば、この人の全力はあまりに非力だ。早く変わってもらわなければだめだ。

 たぶん、アメリカでお互いの息子のことで愚痴をこぼし合って、ハンバーガーを食べ忘れたのだろう。確かに情けないところで意気投合はしたかもしれない。陣頭指揮にあってコロナと対決すべき場面ではないのか。もう国民全体がコロナ疲れに陥っている。

 マスク生活はいい加減うんざりである。しかし、コロナは感染力を増したのだ。今までソウシャルディスタンスが2メートルだったものが、2,5mになっているかもしれない。レストランで食事すること自体が危ないと考えるほかない。

 若い人がもうコロナはどうでもいいという気分になってきている。当然のことである。若い人から、いろいろを奪い過ぎている。精神的に行き詰まり状態になっている。だから、教育現場などではかなり対応が緩くなっている。

 学校の様子を外から眺めていてそう見える。地域によって違うかもしれないが、石垣島ではそう見える。コロナ慣れもあるのだろう。緩くしなければ心が萎えてしまうという現実がある。この社会状況の変化を政府は見えていない。

 小池知事が「東京に来ないでください。」ときつく言っていた。しかし、来ないでくれと言うより、来ないで済むようにしてくれというところだろう。誰だってコロナの渦中に入りたくはない。入りたくないが、入らざる得ない状況の無残。

 コロナは変異をして感染力を強めた。もう一段変異をして、感染すれば必ず死んでしまうような病気に変わる可能性もないとは言えないのだ。感染の連鎖という事はそういう事を生み出す可能性がある。だから、今は最後のコロナとの戦いなのかもしれない。

 ここで敗れれば、スペイン風邪以上の被害が世界に起こるようになるかもしれない。今できたワクチンも忽ちに効果がなくなる可能性さえある。何としても一度コロナを治めなければだめだ。経済とか言っている場合ではないのだ。

 経済が大事というなら、今はコロナを抑えることが経済にとって一番重要になっている。経済を保ちながらでもない。経済が中断してもコロナを押し込める以外にない。もう、聖火リレーなどやっている場合ではない。昨日の聖火リレーという番組がある。

 たまたま見てしまった。その県出身のタレントの方が、ニコニコ笑いながら、オリンピックを頑張りましょうと挨拶をしていた。そこに大勢の観客が集まっていた。なんでこんな馬鹿馬鹿しいことを今やらなければならないのか。選手のことを考えたら、一人でも感染者を減らすことだろう。選手に迷惑をかける聖火リレーになっていることが分からないのだろうか。

 聖火リレーがタレントの踏み絵になっているのかもしれない。これを断れば、自分の意見のあるタレントの枠に入る。つまり、面倒くさい人の枠に入れられる。当然、観光大使は無理になるだろう。この世間的な変わりが辛い。こういう忖度社会をもう乗り越えていいのではないか。

 今やれることは一日も早くワクチンを打つことだ。50%超えれば、全体に効果が出てくるようだ。先ずは65歳以上の老人がワクチンを打つ。これで医療関係はだいぶ楽になるはずだ。6月一杯ぐらいでやらなければだめだ。すべての力をここに結集しなければならない。

 海外ではワクチンボランティアがあるらしい。全くの素人の人が、ワクチン注射まで扱っている。あらゆる手立てを考えて、一日でも早く老人のワクチンを終わることだ。老人が終われば、すぐに成人のすべてにワクチンを打つことだ。

 まだ今のワクチンが効果がある。その間に何とかコロナを抑え込まなければ、大変な事態が待っている。9月までに全員にいきわたるワクチンが来るという事なら、その間にすべて人がワクチンを打てる体制を作るほかない。

 最近他所の国で出来ることが日本ではできなくなっている。この点心配であるが、ワクチンを最優先に考えて、行政は全力で当たってもらいたいものだ。そしてこの間にも日本製ワクチンの製造を頑張らなければだめだ。コロナは一度終わっても、また再燃する可能性も高い。

 
 
   
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舟原溜池の整備

2021-04-21 04:00:56 | 地域


  舟原ため池 草刈り前の様子。この後綺麗に草刈りをした。

 小田原に戻り、早速作業をした。大麦畑の除草と溜池の草刈りである。久しぶりの農作業で気持ちが改まる所があった。健康体操をするより、農作業をする方が私の身体は求めているようだ。久しぶりに仲間と顔を合わせて話せたことが心の薬のようである。

 欠ノ上の下に新しく開いた1反5畝の田んぼはきれいにできていた。21日には水を通すことにした。水を通すためには水路の泥揚げと、水路の調整が必要である。先ずそこから始める。水を入れてどうなるか、去年まで荒れ地だったのだ。想像するだけでおもしろくて仕方がない。

 一番に、予測されることはなかなか水がたまらないだろうという事。そして、田んぼの均平がとれていないだろうという事。水がたまらないという事は新しい田んぼでは普通のことだ。普通田んぼという物は何十年も耕作することで出来上がってゆくものだ。

 4枚に分かれた田んぼ全体に水が回るためにはかなりの時間がかかるだろうという事がある。たくさんの穴が地面の表面にあることだろう。それを代かきをして塞ぐわけだが、初めての田んぼであればそう簡単に水がたまらないから、代掻きがまずできない。

 やり方としてはよほど大量の水を一気に入れることだが、今度の欠ノ下の田んぼはそういう事は無理だ。もう一つは大雨の時に代かきを行う。これは案外に上手く行く。家の脇に田んぼを作った時には、準備万端整えて雨を待った。雨が降り出して頃合いを見て、一気にありったけの水を入れて、代掻きをした。

 一度水がたまりさえすれば、案外に少量の水でも水は溜まっているものだ。これは小田原当たりの土の性質なのかもしれない。見た所石垣島の土であれば、いつだって代掻きをすれば水が漏れなくなりそうである。乾いたら今度は日干し煉瓦のようになる。土壌はそれぞれで違う。

 荒れ地から田んぼに戻するという最初の一年は手入れの連続と考えなければならない。場合によっては大きく陥没が起きたり、代掻きでトラックターが動けなくなったり、様々なことが予測される。注意深く手入れを続ける必要がある。

 今日からその新しい田んぼへの入水が始まる。又何が起きたかは書きたいと思う。水が田んぼの土に沁みてゆく様子ほど期待の膨らむ農作業はないだろう。これがやりたくて今回小田原に来たようなものだ。素晴らしい田んぼに仕上げるぞ。

 舟原溜池はきれいだった。小田原当たりの木々の美しさを良く表現している。新緑の色合い多様で微妙で、絶妙だ。石垣島に行き改めて関東周辺の春の色のすばらしさを感じる。紅葉のことを言う人もいるが、やはり新緑の方が上だろう。

 この春の木々の緑は絵を描きやすい。石垣の濃い緑に満ち溢れた色は絵にするのは難しい。しかし、この難しさに挑んでいる内に、そのことが絵の強さに繋がってきたような気がしている。淡い緑を甲府盆地で描いていてそのことを改めて感じた。

 草刈りは農の会の仲間がすぐ集まってくれて、何と1時間ほどで終わった。有難いことだ。こういう共同作業ができると元気が出る。みんなでやり切った気分ほど良いものはない。そして仕事が終わり、あれこれ世間話を聞かせてもらった。

 溜池には多分今日にはカキツバタが咲くのではないか。カキツバタの青は平安の優雅な青。田んぼの花カキツバタ。何とか根付かせようとしたのだが、ついに成功した。10本ぐらいの苗を植えたところから始めたのだが、今は100本を超えただろう。この勢いで行けば、来年は上の池の半分ぐらいが埋まるのではないだろうか。鼠算で増えている。

 来年は舟原溜池のカキツバタとして売り出せるのではないだろうか。花は人を呼ぶ。人が来てくれるようになれば、舟原溜池は残ってゆくだろう。そうすれば、舟原溜池という江戸時代初期の農業遺構が残ることになる。それは久野地域に人が増えた歴史でもある。これから生活という物が見直されてゆけば、農業遺構の価値はお城どころではなくなるはずだ。

 溜池の上には玉ねぎ会の畑と、ジャガイモの会の畑がある。これが実によくできていた。去年畑を整備した甲斐があった。きっとここを畑に戻したことを亡くなられた下田さんも喜んでくれていることだろう。下田さんのやられたことが生きてきている。

 こうして久野の耕作放棄地を農の会は切れな耕作地として管理を続けている。もう久野だけで5haぐらいはあるのではないだろうか。市民の力も馬鹿にならないものだ。25年してここまで力が付いたという事である。農の会方式はどこでも、誰でもできる。

 ところがなかなか他では聞かない。何故だろうかと思う。たぶん、資本主義社会の価値観と離れているからではないかと思う。できる人がやる。必要な人が貰う。こういう価値観は農の会でもいつでも覆されている。それでも幾人かの人が理解している。

 社会主義を理解できる人が、10人のうち一人いれば何とかなる。農の会の延べ人数が200人だとすれば、20人のために頑張れる人がいれば大丈夫なのだ。この世知辛い競争主義社会の中で、人の為を貫くのは大変なことではあるが、それがその人を磨いて輝かせていると思う。



 タマネギの会では種から、タマネギ迄をついにやり遂げた。ちょっと自慢していいのではないだろうか。簡単そうに見えて、タマネギを有機農法で種から作れる力は、農家でも少ないはずだ。これがやれる力が農の会にはできたという事になる。



 ジャガイモは実は植え付けの時に居なかった。それで残念ながら諦めていた。ところがなんと、みんなで私の分まで植えてくれたのだ。実は感激してしまった。何という心暖かいことか。農の会を始めたことは間違いではなかった。
 


 
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日米直接首脳会談はどうなったのか。

2021-04-20 04:22:35 | Peace Cafe


 今回の日米首脳会談はコロナ緊急事態下である。菅政権はどうしても一番先にアメリカを朝貢したかった。オリンピック開催と対中国政策において、アメリカの力を借りる以外に道が見つからないからである。アベ政権の外交政策の空白の結果である。

 アベ政権はずいぶん海外に訪問はしたが、具体的な成果はなかった。それはアベ政権の方向が間違っていたからである。領土問題は重視していたかのように振舞ってはいたが、成果どころか緊張を高め解決は遠のくばかりであった。

 懸案の北朝鮮問題でも、拉致された日本人の救出をアベ政権の最大課題だと口にはしていたが、結局わずかも成果が出なかった。つまり8年間がまた無駄に過ぎ、それだけ風化が進んでしまった。アベ政権は看板は掲げるが、具体的には少しの結果も残せなかった。

 その原因は日本の国際的な立ち位置のアベ政権下の後退である。あらゆる分野で日本が劣化を進めた8年間である。経済政策の間違った結果である。予想した通りの過去最悪のアベ政権である。その官房長官である菅氏が、政権を引き継いだのである。期待はできない。

 政策の間違いは新自由主義経済という、能力競争にある。これが日本人のちからをそいでしまった。力を合わせて一人では出ない力を生み出してきた。日本的共同が失われた。

   農業分野においては、国際競争力のある農産物に力を入れる。一例がリンゴなどの果物である。確かにこうした輸出競争力のある品目は伸びた。ところがその背景にある、大多数の農産物は衰退をした。

 国際競争力のないものは止めればいいと考えているのだから、当然の結果である。農業の位置づけが間違ってしまった。何といっても地方社会では農業が地域社会を形成する要素になっている。それは経済に占める比率だけでは見えない社会全般にわたるものであった。

 それは江戸時代から続く農本主義ともいえる。自給国家の形から産まれたものだ。その終わりが来ているのが、地方社会であろう。地方を維持してきた人間の意識が政府からないがしろにされている。それは経済優先の競争主義を絶対の正義として押し付けた結果である。

   社会のために見えないところで支えていた力が衰えてしまった。日本的な共同の力が失われた。力があるものが、それにふさわしいだけとるのが当たり前になった。農業は社会の基盤のようなものだ。農業は産業だけでない意味が存在した。

 農業が地方社会からも追いやられたのだ。どれほど立派な農業を経営していたとしても、経済の規模で評価がされないものになった。その結果地方社会の骨格のようなもの、価値観のようなものが変化をきたした。

 そして外から来た資本が地方社会を動かし、地方社会の誇りの様な価値観が失われた。地方社会を衰退させとた。農業までもが外の資本と労働力に依存する結果になった。こうして、農業分野すでに基幹産業ではなくなりつ、地方社会でも存在意義を失いつつある。

 しかし、国家の安全保障と環境の保全には農業は不可欠なものである。その不可欠なものを経済競争力がないから、弱まっても良いというのが、アベ政権の思想であった。ところが骨格を失った国家は、目先の実のない経済に流れてしまい、国家の力を急速に衰えさす結果となった。

 それは半導体分野を見ればよく分かる。日本はこの分野では世界一の時代もあったのだ。ところが今は競争力を失い、外資に依存するような状態である。IT分野では完全な後進国化している。コロナで露呈した日本の社会の能力低下はみじめな状況である。

 ワクチン製造で見るように、日本には開発能力が失われてしまったのだ。実に残念なことに、今すぐお金にならないことに準備するような仕組みがない。10年前の高病原性鳥インフルエンザの流行に際して、ウイルスという物が全く解明できていなかった。

 ところが今度のコロナが起きてみると、諸外国はウイルスに対する研究が10年で様変わりするほど進んでいたのだ。そしてその結果が今回のワクチン開発に生かさせている。日本ではワクチンの開発は2,3年はかかると当初からされていた。未だできていない。まだ1年はかかるのだろう。
 
 力を衰退させつつある日本国である。宗主国アメリカに依存を高める菅氏としては、おっしゃるとおり従います。という以外に隷属国としての対応はないだろう。経済だけにしか意識がない日本政府が、対中国経済のマイナスをどう考えるかだけなのだろう。

 菅氏のアメリカ朝貢はそこそこであったと言われている。すべて言いなりなのだから、そう見えるだけだ。お土産にワクチンの優先購入がいただけた。しかし日米共同のうらになにが隠されているのか、これから見えてくると思われる。

   台湾を日本政府が口に出して、同じ価値観を共有する国家と口に出して言ったこと、あるいは言わされたことはよかった。対中国については曖昧なだけでは駄目だ。日本の方向を示し、その原則に従い関わる。経済優先だけでは日本は行き場を失うことになる。

   結局のところ日本は独立しなければならない。そして、東アジアにある、品格の高い文化国家を目指すことだ。お金はほどほどにして、心豊かに暮らすことを大切にすべきだ。豊かな日本列島はそれができる場所だ。そのよい見本が台湾である。


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石垣島で農の会方式の田んぼが始まるかもしれない。

2021-04-19 04:13:49 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
 
 竹富島と石垣島の間を帆船がゆく。40人乗りの船だ。



 タイトル「自然農法の水田見学会」と「小さな田んぼのイネ作り勉強会」
講師 笹村出氏(小さな田んぼでイネ作りー農文協)著者
日時 5月9日(日) 
集合 13;30分名蔵公民館
趣旨
前半:石垣島で何十年も継続された自然農法の田んぼがあります。石垣島の自然に即応したすばらしい耕作がされています。自然農法の田んぼの風を感じてみませんか。

後半:自給のためのイネ作りをあしがら平野で30年間、200名で続けています。この活動の話をさせて貰います。イネ作りは野菜より、ずっと簡単です。だからお米は主食になったのです。自然農法の田んぼを冬期湛水すると、田んぼが生物多様性の維持に繋がります。赤土の流出も防ぐことが出来ます。名蔵アンパルに隣接する水田であれば、ラムサール条約の指定地に編入の可能性もあります。

13;30分名蔵公民館→下地さんの水田(名蔵)→中新城さんの水田(新川)→⒖:00頃、結ケアセンターククル(大川)笹村出氏「自給の田んぼ運動」勉強会→終了16:30分頃
参加費 150円、保険料150円(任意)

主催:アンパルの自然を守る会
連絡先 山崎 090-6785-8692
山崎雅毅
アンパルの自然を守る会
090-6785-8692
フェースブック
https://www.facebook.com/anparu.org

 石垣島で農の会方式の田んぼが始まるかもしれない。小さな自給のための田んぼである。石垣島では田んぼを始める事が無いように、決意していたのだが、どうも成り行きで、避けてばかりとは行かないようになってきた。

 石垣島でも自給の田んぼをやられている方はきっといるのだろう。いままでの所では、自給の田んぼかなと言うようなものはまだ見つけてはいない。ただ、自給の田んぼをやってみたいと言われる方には何人かお会いした。関わると、田んぼをやりたく成りそうなので、なんとなく近づかないようにしてきた。

 田んぼをやることは小田原を最後にして、石垣島では始めない決意をしていた。しかし、名蔵アンパルで良く絵を描いている。周辺には素晴らしい田んぼが沢山ある。もったいない放棄された田んぼもかなり存在する。水張りだけでもすれば良いのにと思ってきた。

 名蔵アンパルとは湿地のことである。名蔵湾沿いに一〇キロほど続く、湿地がある。昔は一面マングローブあるいは湖だったのだろうか。その一部は田んぼになっている。水は於茂登岳から流れ出る水が豊富で、田んぼとしての条件は良い場所である。

 アンパルとは網を張るという意味らしい。湿地で漁業をしてきたのだろう。古くから人は住んでいたと思われるが、やはりマラリヤの発生地で、名蔵には住まないで、川平や石垣から通って農業をしてきた人が多かったらしい。

 名蔵アンパルはラムサール条約の協定地である。湿原を守る世界の条約である。湿原の持つ水鳥を主とした生物多様性を大切にする環境運動である。釧路湿原の丹頂鶴。伊豆沼のマガンの飛来地。など日本でも51カ所もあるが湖が多く、琵琶湖などもそうである。

 ラムサール条約の大切なところは、「交流・学習、賢明な利用、保全・再生。」の3つが柱になっているところだ。環境運動に良くある、環境原理主義ではないと言うことになる。環境に望ましい形の農業であれば、むしろ利用が推進されている。ここが世界自然遺産などとは意味が異なる。

 その柱が水田である。宮城県の伊豆沼・内沼は田んぼの溜め池機能として残された沼である。周囲は広く田んぼで囲まれている。その田んぼの中には冬期湛水をするところもあり、田んぼを湿地として生物のために生かしているのだ。

 田んぼが水鳥の餌場になってきたのは、佐渡島のトキ、豊岡のコウノトリなど良い事例だろう。こうした餌場である、田んぼに生き物がいなくなったことがトキが絶滅した理由である。コウノトリは危ういところで、豊岡の有機水田運動で救われたのだ。

 田んぼを湿地として考えるという「賢明な利用」が重要な考え方である。環境原理主義者の中には、一切手つかずの自然こそ尊いものとして、農業利用を毛嫌いする人も少なくない。特に農薬を使うと言うことで、自然の破壊行為と考える人もいる。

 しかし、農薬を最小限に使う稲作であれば、荒れ地にしておくより、総合的に考えれば、田んぼは環境を豊かに育むものである。とくに、冬期湛水を行うことで、水を貯水するようにすれば、生物の多様性を維持する大きな役割を担うことになる。

 田んぼを放棄して、荒れ地に戻る経過を見ていると、乾燥化してしまうことが多い。湿地に戻るのではなく、乾いた荒れ地になって行く。それは水を保持する機能が衰微していることと、水道水などの貯水ダムによって、流入水そのものが減少している事に由来している。

 それ故に農薬を最小限使いながら、行う稲作農業であれば、むしろ放棄するよりも生き物のためになることもある。決して環境をあらすものでないと考えるべきだ。赤土の海への流出を防ぐ機能、地下水を豊富にする機能、洪水を防ぐ機能。など環境に田んぼは大いに役立つものである。

 農業利用という意味では湿原を乾燥させて、サトウキビやパイナップルを作ることが一番問題がある。ラムサール条約流に言えば、これは賢くない利用である。赤土の流出が起こり、珊瑚が死に絶えて行く。湿原なくなることで、多くの生物が生息できなくなっている。

 カンムリワシを守るためにも、水田は重要である。冬期湛水の水田はカエルの生息地である。カエルを増やせば、鳥たちの餌に困ることはない。

 ラムサール条約に言われる、交流・学習を考えれば、自給のための小さな田んぼを行うことは、未来の環境保全をする人を広げて行くという意味で、極めて重要なことになってくる。自分の食べるものを作るというのであれば、農薬を使わないと言うことは普通のことになる。

 そして、小さな自給の田んぼであれば、農薬や化学肥料を使わない有機農業であっても、十分な生産性の上がる田んぼができると言うことを実戦することが出来る。この小さな実践が必ず他の農家にも影響を与えることになる。

 どうすれば雑草が生えないのか。どうすれば、化学肥料を使わないで多収出来るのか、これはその場所で実践して見つけ出す以外に方法はない。田んぼは10枚あれば、一〇種類のやり方がある。石垣島の土壌に見合う方法は石垣島で見つけるいがいにない。

 以上のようなことを石垣島に来て以来考えていた。そして、名蔵アンパルの環境を守る会に出会った。そして、考えをつい話してしまった。そこから話が始まり、石垣島で有機の田んぼをやってきた干川さんと出会うことになる。

 干川さんは四〇年前石垣島に移住されて開墾から初めて、石垣島で有機農業を実現された方である。とても立派な方で、見識がある。他の有機農業者の方を紹介していただいた。石垣島にもすばらしい農業者がおられる。こうした方と出会うと、いよいよ、何もしないではいられないような気分になってきた。

 名蔵アンパルの環境を守る会の事務局長の山崎さんという方から、石垣の塩の専務の東郷さんを紹介していただいた。海が汚れたらよい塩が出来ないという事もあり、環境保全にとても熱心な方で、農地を購入して利用して行くことを考えられている。名蔵アンパルの田んぼを保全して行くと言うことを熱心に考えられている。

 だんだん、形が見えてきたようなところである。次の段階は自給の田んぼに取り組んでみたいという人に呼びかけると言うことになる。これは以前からの感触では、すぐに集まると思われる。今回見学会と自給の田んぼの話を聞いてもらい。一歩前進できるといいと思っている。
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第49回 水彩画 日曜展示

2021-04-18 04:50:07 | 水彩画
                                     第49回 水彩画 日曜展示

 すべてファブリアーノの中判全紙である。






230「大里の田んぼ」
2021.3







231「箱根駒ヶ岳」
2021.3







232「宮良川中流域」
2021.3







233「崎枝半島の田んぼ」
2021.3






234「下田夕照」
1992.9 描き始めた。2021年に少し手を加えた。






235「波のある日・海」
2021.4





236「月光の海」
2021.4


 山の絵海の絵とさまざまである。何故こうも違う絵を描いているのか。描いていて、途中で分からなくなり止めた絵が沢山あるのが一因である。その途中までの絵を見ていると、この先が分かったような気がすることがある。

 それで進めて見ている。石垣島で風景を描きに出かけたまま、箱根の芦ノ湖で描いた絵を続けて描いている。どういうことかとも思うが、描きたくてしょうがなくなるのでそれに従っている。描けそうな気がした絵を車に積んである。

 最後の月夜の海の絵は石垣の夜の月に輝く海を見ている。描きだしたのは小田原の海である。夜の海の絵も良く描く。昼間の海を見ながら、夜の海を思い出しながら描いている。夜の海は眺めているだけである。見ているだけである。

 昼間描くのは夜の記憶の中の海である。それでいいのかどうかそういう事は分からないが、今はそういう風に絵を描いている。そんな風に描きたいという気持ちに従っている。記憶の中の海が絵として見えてくる。記憶の海と絵としての海が重なってくる。

 それは駒ケ岳も、御岳山も、同じことである。見ているものが記憶の中で凝縮されている。しかし、記憶だけでは描くためには何かが足りない。空間の成り立ちのようなものを、今見ている風景の中で確認している。おかしな描き方なのかどうかよくわからない。
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犬や猫の店頭販売やペットのネット販売禁止へ

2021-04-17 04:12:01 | 暮らし


 フランスの話であるが、犬や猫の店頭販売やペットのネット販売が禁止になる。日本も一日も早くそうなってほしいものだ。動物を飼うと言うことの責任の問題である。普通の商品として生き物を扱ってはならない。ペットが捨てられたり、殺処分されたりしている現状ほど、非人道的なことはない。

 先日動物愛護条例違反で逮捕された人がいた。コロナで海外旅行が出来なくなって、そのストレス解消で様々な動物を限界を超えて買ってしまったという。動物が被害者である。こんな人に動物を売ってしまうペットショップにも責任があるだろう。

 販売したお店の人はこの人が動物を飼える人なのかどうか、分からなかったはずがない。この人に動物を売ると言うことは動物を虐待すると言うことなのだ。売るときに買う人の動物を飼える資格のある人かの認定をする義務がお店にはあるはずだ。

 しかし、日本のペットショップでは売れれば後のことなど知っちゃ事無いという態度である。石垣島でもペットの販売チラシが入ることがある。こういうものには、飼う人の条件も同時に掲載する義務があるだろう。飼うスペースがあるのか。散歩は出来るのか。飼う責任者は決められているのか。ペットにかかる費用は大丈夫か。

 先日、殺処分をしているところの人のお話を読んだ。一度殺処分を依頼した人から、電話があったそうなのだ。あわてていて、まだ殺処分されていないかと言うのだそうだ。やはり一度は殺処分を依頼したが、思いとどまってくれたとホッとした。

「まだですよ」と言うと。すぐ行きますというのだ。ああ良かった、考え直してくれたのだそうだ。殺処分をする仕事はつらい。これこそ非人道的な気持ちにさせられる仕事だ。飼い主さんには人間らしい気持ちが残っていてくれたのだ。

 すぐやってきた人は「首輪を返してくれ」といったのだそうだ。フランスで飼った高い首輪をさせたまま、殺処分に出したので、あわててしまったというのだ。首輪を返してあげると、ああよかったと何もなかったごとく、犬に挨拶もなく帰って行ったそうだ。

 こんな哀れなことがあるだろうか。こんな人間に動物を飼う資格はない。首輪という物の方が、犬という命よりも大切など考える人間になったらおしまいである。こんな人間には動物を飼う資格がない。こういう人が動物を飼えなくしなければない。

 今の日本の犬や猫の飼い方は、不十分すぎる。猫は放し飼いにしてあげたほうが良い。世界中がそうだ。ところが日本では猫が放し飼いできる環境がない。それでもどうしても猫を放し飼いにしてあげたいのであれば、去勢手術や、ワクチンはした方が良い。

 去勢もせずに放し飼いをしている人がいるから、不幸な猫が増えるばかりなのだ。去勢手術の費用が惜しいなら、猫を飼うのを諦めるべきだ。生き物を飼う、飼い主の基本条件を決めなければならない。不幸な猫や犬が増えないために、ペットショップの禁止。ネット販売の禁止はしなければならない。

 ペットを売るためには基本の条件が必要である。ペットを飼うためには資格が必要である。命に対する重さを自覚できなければならない。かわいいからだけで動物を飼うと言うことは許されないことなのだ。売れれば後のことは責任をもたいペットショップは犯罪を生み出している。

 それは金魚であれ、鈴虫であれ、少しも変わりはない。命を粗末に扱うと言うことは、自分の精神の大切な物を失うと言うことになる。ペットショップの経営者は、お金以外にも大切なものがあることを知らなければならない。

 動物を命として認識できないような悪い環境で育つ子供は、命の大切さを知ることがない。自分の心の隙間を埋めるためだけにペットを飼うのは良くない事なのだ。ペットは人間として何が大切なのかを教えてくれる物だ。私はペットから随分と学んだ。生きると言うことの在り方を一番教えてくれたのが、私が飼った犬たちだ。

 動物を飼うと言うことは自分が学ぶと言うことである。私は人間として生きる姿勢を犬から一番教えられた。もし粗末に犬を飼えば、それは自分という物を粗末にしていると言うことになる。犬はどれほど粗末にされても飼い主に対して忠実である。そのことに鈍感で居られると言うことはすべてに鈍感な人間になると言うことだ。

 動物の生きる姿から、自分の生き方を学ぶと言うことが犬や猫を飼う重要な目的である。特に子供が成長の過程で動物から学ぶことは沢山ある。ただ可愛いから、自分が癒やされたいからと言って、犬や猫は飼わない方が良い。自分が癒やされ回復できると言うことは自分が本気で、動物と向かい合うという行為があってこそのことだ。

 ただ可愛いから飼うと言うことでは、生き物を飼ったところで、人間として育つべき心がむしろ自分をむしばまれることに成る。みすぼらしいこころに成ってしまう。生き物を飼うと言うことはよほどの覚悟を持って行わなければ、自分という人間をひどい物にしてしまう原因になる。

 特に小さい子供に動物を買い与えると言うことは、保護者はよほどの姿勢を持たなければならない。動物虐待のような飼育を親が子供に見せると言うことは、子供をダメに育てていることになる。実際にひどい動物の飼い方をしている家の子供のなかに、その兆候を感じる経験が何度かあった。

 ひどい人間だから、ひどい飼い方をしていると言うこともあるが、ひどい飼い方をしている内に、大事な心の痛みをすり減らしてひどい人間になっていると言うことも充分に考えられる。特に成長期の子供が動物とのかかわりで受ける影響は大きなものがある。

 子供の頃、犬の餌を忘れたことがある。その時父から、ご飯を食べさせてもらえなかった。犬がどんな気持ちだったのか考えてわかるまでは、ご飯を食べさせないと言われた。

 夜遅く泣きながらエサをやると、犬は少しも私に対して何も怒らない。いつも通りに喜び勇んで餌を食べてくれた。あれほど後悔したことはない。悪いことをしたとつくづく情けなかった。それから二度と餌を忘れることはなかった。
 
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おもしろい人になりたいなあー

2021-04-16 04:11:57 | 身辺雑記


 人の心に気持ちが届くような、おもしろい人に成りたいものだ。テレビに出てくる多くのお笑いの人達はその達人なのだと思う。自分を笑いものにしながら、人の気持ちを愉快にさせてくれている。ああなりたいと思いながら、どちらかと言えば人を緊張させてしまう人間という自覚がある。

 自分の周りにある、何とかしなければならないと言うことばかりに気持ちがいってしまう。例えば、石垣島の自衛隊基地のことなど、関わらないようにしていたい。絵を描いているためには気にしない方が良いのはわかりきっている。しかし黙っているわけに行かない性格である。そうなるとついつい引きつって緊張人間になってしまう。

 気持ちが引きつっていれば、どうしたって人を緊張させてしまう。笑いを引き出しながらと言うことができない。それでもみんなが笑い合えるような親しみやすい活動でなければ、成功しないのだろうと思う。その点石垣島の若い人達は明朗で快活に、自衛隊基地の阻止を目指していて、実に見事だ。

 ナイジェル・カンバーランドと言う人が、成功している人の習慣100という本を書いている。こういったノウハウ本は読んだこともないのだが、その目次にある100を読んでみて面白かった。そのうち10ほどは自分が自分になるための習慣でもある。

●1 夢を持っている
●10 一生、学び続けている
●23 健康に気を配っている
●34 年をとることを受け入れている
●44 自分を大切にしている
●55 今、実行する
●61 健康的な食生活をしている
●79 自然と接する機会が多い
●89 呼吸を大切にしている
●91 日記をつけている

 100の内10は一致していた。しかし、会う人を楽しくさせる。と言うのが入っていないのが不思議だ。成功するという目標がたぶんお金もうけのことなのではないだろうか。目的が違えば、当然違ってくる。絵を描くことでさえ、一人では出来ない。普通の人間が自分をやり尽くすと言うことは、天才とは違う道筋が必要と思っている。

 残念なことに天才でないことだけは確かなので、ごく当たり前の人間が自分をやり尽くすことを成功だと考えている。凡人の道はただただ努力をして行くことではないかと思う。それでも天才の到達点には至らないだろう。それは致し方ない運命である。自分をやり尽くせれば、本望である。他と比較したところで始まらない。

 この100は大勢の名声を得た人の寄せ集めの人生訓なのだろう。私の場合で言えば、人生の成功とは自分になれると言うこと以外にないとおもっている。成功は一人一人で違う。人には失敗者と思われるかもしれないような、自分だけの成功もある。

 他人が考える人生訓のようなものは10中9はむしろ私には無意味だ。成功とはそれぞれのものだから、一般論は余り役立たない。最近の世の中での成功と言えば金儲けばかりである。年収一億円以上の人の習慣というような本もきっとあるのだろう。

 絵を描くという日々の修行である。楽しい良い修行なのだが、これがなかなか難しい。私を知るために必要な習慣は絵を描き続けること以外にない。絵の描き方があるとすれば、それは禅の心境で絵を描くことかと考えている。絵を描く境地が絵に表われてくるのを待っている。これがままならない訳だ。明らかな修行不足である。乞食禅も難しい物だ。

 自分をやり尽くすと言うことだと思う。今日一日、やり尽くせば良いだけのことである。明日どころではない。そう気持ちを定めるほか無い。絵はまだまだの道のりである。やっと足がかりをつかんだ程度である。いままでの60年を超える年限、何故やり尽くせなかったのか残念である。

 その都度精一杯やっていたつもりでも、生きるというのは、ほとんどが見当違いである。正しい方角を定めることが何よりも難しい。実に無駄骨ばかりを積み上げている。たぶん欲が道を間違えさせているのだろう。この欲に溢れた乞食禅も私そのものだというところが難しいところだ。

 絵が描くと言うことが良いのは、そういう自分の愚かさや、至らなさが表われているところだ。何もごまかしようがない。絵がまだまだなのは、自分のまだまだが最大の原因である。見えない物は描けないに決まっている。どのようにもがこうとも見えているところまでしか描けない。

 見えていないのに描けているとすれば、それは人が作り出した絵という物のまねである。これが一番危険なことだ。どれほどつたなくとも、絵らしくなくとも、自分の観ている世界を探す以外にない。そのことに気付いただけでも良かったとするほか無い。

 今はここまでである。計画としてはまだ28年ある。100歳まで生きて絵を描くつもりでいる。そこまでやってダメなら諦めも付くだろう。昨日より今日の絵の方が少し良いかもしれない。そういう気持ちで書いている。

 一般に絵を描いている人を見ると、その絵描きの生涯で良かった時代は若い時という人が大半である。その良くなった時の絵を一生涯模写して終わる。そんな絵描きがほとんどである。あれだけは嫌だ。私の場合は、残念だか、幸運なのか分からないが、褒められたこともない。

 スタート地点がすごく低いから、わずかづつでも良くなると言うことが可能である。今になってこういうことかと、誰でもが若い頃気付くことに、今頃気付いている。そうして、去年よりいくらか今年の方がましかもしれない。おととしより、去年の方がましかもしれない。まあ自己判断だから、本当かどうかは分からない。

 どれほど歩みが遅くとも、すこしづつ進んで行ければ、到達できる可能性はある。到達するところは別段難しいところではない。自分の限界までである。敗北主義のようにも見えるが、それが私絵画の到達点である。それでいいのだと思う。

 絵もおもしろい方が良いと思う。見た人が笑えるようであれば一番である。それにはまず私がおもしろい人にならなければと思うが、これは絶望的である。それでも絵は笑えると言うことは無いとは言えない。ゴッホの絵を見て、思わず涙を流した人は多い。

 私の絵を見て思わず楽しくなったというのであれば、本望であろう。
 
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