地場・旬・自給

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身近な観光と小さな輸出に活路を

2024-06-24 04:40:32 | 地域


 日本はここ数年円安と言われて居る内に、何だか日本の経済力の低下を認めざる得なくなってきた。経済が強い優位な国ではなく、物作りが普通の国になったと考えた方が良さそうだ。今から40年前になるが、最先端技術である半導体生産で日本が世界一だった時代があったのだ。

 日本製品の方が安全性が高く、しっかりしたものだから良いというようなことは、もう無い。その名残がいくらかメイドインジャパンにあるが、メイドインジャパンが粗悪品の代名詞だった時代もあったのだ。日本製だから、信頼されると言うことは消え始めている。

 その象徴が自動車産業のデーター偽装事件だ。ほぼすべての自動車会社が政府の安全基準を、ごまかして通過していたのだ。自動車はまだ日本が優位なものの一つだと思っていたが、そうではなくなり始めているという、焦りがあるのだろうか。

 会社の弁明会見を聞いていると、ごちゃごちゃごまかしているが、結局は人間の劣化に由来していると言わざる得ない。倫理観の強い人、社会正義を持った人がその場に居なくなったのだ。どうせ分らないだろう。この程度のことは対したことではない。日本人がこういうゆるい無責任な人間になってきたと考えるほか無い。

 見張っていなければ、バレなければ適当なことをやれる人間が現われたのだ。大きく言えば日本人が持っていた、ある意味不思議な誇り高さが失われたのだ。その原因を考えなければ成らない。この人間の劣化の一番表れて居るのが、自民党の裏金キックバックだろう。

 丁寧な民主主義政治を行うには、お金がかかるのだと副総裁が主張している。もしかしたら本当に自民党の代議士は政治をそのように思い込んでいるのかも知れない。代議士が生きている世界では、お金以外で人間が動くことがないのだろう。人のためにとか、国のためにと言うような価値観は失われた。

 しかし、生活をしていて接する人は昔よりも優しくなった。他人のことを配慮する人間が多くなった。人のために自己犠牲で生きる人も沢山居る。日本人が劣化してきたという気はしない。何かそういう拝金主義的階層が構築されてしまい、そういう人達が社会を支配し始めたのかも知れない。

 接することが多い、絵を描く人とか、農業に関わる人というのは、ある意味アーミッシュのような存在で、特殊な階層の人達なのかも知れない。確かにお金のことを考えるならば、到底私のやっているようなことには関係もしてこないのは当然かも知れない。

 日本が特殊な国ではなく、ごく普通の国になるのは、当然のことなのかも知れない。江戸時代の鎖国で日本はかなり特殊な人間の国になっていたはずだ。狭い地域の中で、先祖と同じ仕事をして、狭い地域の中に暮らし、他に行くこともなく生涯を終えることが普通だった。

 それが、欧米の帝国主義に翻弄され、日本も遅ればせながら、帝国主義国家を模倣し、植民地まで作るような愚かな国に成り下がる。それが、敗戦という形で終わる。その敗戦の反省から、ひたすら経済に向かって働き、高度成長を達成する。それが50年続き、当然豊かな時代に成長した人間に、組織を支える人は入れ替わったわけだ。

 気付けば、日本人は倫理を失っていたのだ。国の品格を落としたのだ。慌てて、学校教育で倫理教育を取り入れたわけだが、そんなことは全く無意味だ。自民党議員の倫理喪失を見れば、民主主義にはお金が必要なのだと言うことになる。拝金主義が現実の社会教育になっている。

 一番の悪影響は政府の奨励する、投資である。不労所得を是とする倫理観である。不労所得が悪い事だとは思わないという人が、実に増えてきた。要領よく金儲けをして何が悪いんだという人が増えた。ほとんど両者の間で、この価値観について話し合うことが出来ない。

 たしかに、政府がこんな状況の中、カジノで儲けようという国になったのだ。株式投資の何が悪い。そう考える人を否定は出来ない。売春を合法化して、観光客を集めようという国さえあるのだ。何が悪いのだと言われれば、価値観の相違としか言いようが無い。

 株式投資とカジノと売春と同列にするなと言うことだが、国家がそういう非倫理的なことを国の運営に、利用しないのは当たり前の事だ。日本ではもうその当たり前が通用しなくなっているのだ。日本は競馬競輪パチンコ、と確かに賭博王国であった。しかし、いつもそういうことには後ろめたさはあったのだ。

 まさか今になって、金儲けのためにカジノを誘致しようと言う発想の愚劣さに驚く。公営賭博やパチンコをどう縮小するかが日本社会の、課題のはずだ。確かにそういう怪しげな所に、パー券を大量に買って貰っているのが自民党である。それが裏金になって、ばらまかれているのだ。

 円安観光である。この機会に多くの外国人に来て貰うことだ。オーバーツーリズムと言うが、上手くゆけば地方の消滅が、外国人によって救われるかもしれない。日本の中山間地の魅力は外国人ならばひとしおのはずだ。どんな形で観光に結びつけるかは工夫次第だ。

 私は日本中の田んぼを見て歩いた。それがどれほど魅力的なものかを絵を描いて知った。その魅力は里地里山の人間が作り出した自然に馴染んだ暮らしの魅力である。田んぼを取り囲む農村の暮らしには日本人を作り出したものがある。日本の中山間地の暮らしは、今でもかなり特殊なものだ。

 そして小さな円安輸出である。これだけ円が下がり、ますます下がるとすれば、日本のもので海外の方が売れるものがでてくるはずだ。それは自動車とか半導体というようなものではなく。伝統工芸品などで、日本人にはもう高くて生活のためには買えなくやったようなものの中に、素晴らしいものがある。

 日本では成立が危ぶまれる伝統工芸品が、海外に販路を求めれば成り立つものもあるかも知れない。水彩画を描いていて、和紙など素晴らしいものがある。この紙の魅力は日本以外にはないものだ。何しろ、ルネッサンス時代のヨーロッパの画家達が評価した紙だ。

 まだかろうじて伝統工芸は維持されている。海外に活路を見いだすことは政府が力を入れれば可能かも知れない。伝統工芸品の輸出のための政府機関を作る必要がある。伝統工芸の保存だけでなく、海外への販売を政府は担う必要がある。円安は良い機会になる可能性が高い。

 小さな輸出。身近な暮らしの観光。円安を機会に、日本が発想を変える機会なのだ。日本の当たり前の良さを知ってもらうことは、日本の平和外交のにも成るだろう。誰でもが、輸出を出来るような、行政機関を作るべきなのだろう。
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ぽっんと一軒家強盗事件

2024-05-23 04:18:42 | 地域


 長く山北の丹沢の山中で暮らしていた。お隣のない、山の中のポツンと一軒家である。子供の頃は山梨県の藤垈の一番奥のお隣のない一軒屋のやま寺に暮らした。山奥から遠く街が見えるという暮らしである。いつも別世界を眺めているような暮らしだった。
 
 山の中の暮らしの楽しさは知っているつもりだ。食べ物を作り、採取する自給自足の楽しさ。川をせき止めての魚取り。沢ガニ取り。暗いうちから起きての竹の皮を拾う。箒草取り。竹の枝での箒作り。そして鶏を飼う、ミツバチを飼う。山羊を飼う。犬や猫が居る。生き物と共に暮らす楽しさ。

 自給の暮らしをするようになったのも、山の中が好きだったからだ。向昌院での暮らしは、山の中ながらかなり不安はあった。戦後のもののない時代だったから、田舎の山村でも泥棒が結構いたのだ。明日の食べ物がないのだから、お寺のものならと言うことで、お泥棒さんが来ることになる。

 向昌院では精神病の患者の宿泊施設もやっていたので、様々な人が出入りをしていたと言うこともあって、患者さんが起した殺傷事件も起きたことがある。お寺はある意味福祉施設的な物でもあったから、食べるものが無いお乞ん食さん(そう呼んでいた)が、食べ物を貰えないかと来ることも時々あった。

 この時代になって、山の中で強盗事件が起きたのだ。ぽっんと一軒家強盗事件と報道された。栃木、長野、群馬、福島県で4月30日~5月14日、山間部で、住宅を狙った緊縛強盗事件が相次いで発生。4県警は情報交換をしながら、容疑者の絞り込みを進めた。そしてベトナム人の2名が捕まった。

 この事件が報道されたときから、外国人が関係していると思えた。そうした先入観を持っていること自体が申し訳ないことだが、日本人ならばそんな馬鹿馬鹿しいことをするとは思えなかったからだ。山中の家に、盗んでお金に換えられるような物品があるとは思えない。キャシュレスの時代だ。お金も置いては置かないだろう。

 日本人であれば、そういう辺りの事情はだいたい考えて分るだろう。もし山の中で、盗んで価値のあるようなものや現金がおいてあるのならば、当然それなりの対策がしてあるはずだ。防犯は完璧にした上で、セコムと契約ぐらいしているだろう。上手く行くはずがない。

 だから、可能性があるとすれば、キャッシュカードや通帳を狙うことになる。そんなことをしても、現金を引き出す現金引き出し機で足がつく。今回の強盗事件もすぐに、警察がキャッシュカードの交換に来る強盗犯を、待っていて捕まえる準備をしていてのだろう。割合簡単に捕まったのだ。

 しかし、この事件で分ったのは、山の中とは言え、かなりの防犯カメラがあり、そこに犯人の乗っていた車が移っていた。それを調べて行くとだいたいの足取りが見えてきたのだ。防犯カメラ設置反対という、国の監視を嫌う人が居たが、もうそれどころではない防犯カメラ設置賛成だ。犯罪抑止力になっている。

 外国人が犯罪に関係すると、どこか発想が違うのだ。あの山の中に暮らしているのだから、何かあるだろう。簡単に押し込めるだろう。近所に家がないのだから、見つかりにくいだろう。それくらいあやふやな情報で安易に犯罪を犯す可能性がある。

 今回殺さなかったからまずかったというので、この先強盗殺人になりかねない。これから人口減少時代に入る。ポツンと一軒家暮らしでは、病気や事故の可能性もあるから、行政機能として連絡の受け手を担う、定時連絡機能が必要になる。

 何か価値観や、行動原理が違うようだ。だから、申し訳ないが外国人が関わっていると想像してしまったのだ。移民社会になれば、日本も安全な国ではなくなる。外国と同じになるのは当たり前だ。企業の論理で外国人労働者が導入が進んでいるが、暮らしの安全性に対して、どう責任は取ってくれるのだろうか。

 今度出来た永住許可の取り消しの新たな規定では、税金を滞納すると永住権が取り消されることになった。技能研修制度は育成就労制度似変更になる。受け入れる職種を介護や建設、農業などの分野に限定される。 特定技能への移行には、技能と日本語の試験に合格する事が条件になる。

 日本は産業の都合で、外国人を都合良く、なし崩し的に受け入れようとしている。しかし、日本社会はまだ外国人との関わりを、受け入れた状態ではない。バイデン大統領に日本人は外国人が嫌いな国だからと言われることになるのだろう。

 確かに日本人同士は、分りやすいのだ。顔色でだいたいのことを見抜ける。ちょっとした表情の変化で、相手の心理を判断している。以心伝心で言わないでも分るのだ。輪島で地震被害に遭ったインドネシア人が、避難所で食べてはいけないと思い食料に手を付けずいたという。

 これは狭い島の中ではなおさらのことだ。他所から来るものは同じ日本人でも、ナイチャーであり、気を付けなければならない人達なのだ。当たり前の事だ。それでも石垣島はナイチャーになれている。石垣島は移住者の方が多い島である。例えば崎枝は戦後開拓で宮古島から移住した人達だ。

 台湾から来た人達も沢山居る。石垣の農業を近代化した人達である。私はそもそも差別を受けたとか、ナイチャーだからと言うようなことは意識したこともないし、気にもかけない。そもそも人にどう思われるかというようなことを考えない性格である。嫌われても平気な人間である。フランスではかなり差別を受けたが、私もフランス人が嫌いになった。

 自分が、好きなことをやれればそれでいいだけなのだ。もちろん嫌われるようなことをやらないつもりでも、ナイチャーだから気に触ることはままあるのだろう。それで、差別を受けているとしても、それが当たり前なのだろうと考えて、受け入れた上で関わっている。

 ナイチャーは何を考えているか分らない人間なのだ。その意味ではベトナム人が良く理解できないのと似ているのだろう。石垣島にはベトナム人も働きに来ている。ベトナムでも田舎の方の人だから、石垣島ならば田舎だから大丈夫と思ってきたと言われていた。優しそうな青年だった。

 日本は外国人労働者を受け入れなければ成り立たないと言われている。しかし、その受け入れがバイデン大統領が口にしたように、国民的な合意形成がないまま、企業の都合で強行されてきている。将来を考えれば、ますます困難さがますばかりだと思うが、今の企業の都合が優先されている。

 ぽっんと一軒家事件やアメ横殺人事件を見ると、日本の社会はどんな方向に進むべきか、腹を割って考えるべきだと思う。江戸時代の鎖国は成功した選択だったわけだ。日本社会がAT革命時代の中で、落ちこぼれつつある。これからどうあるべきなのか。十分に考えなければ成らなくなっている。

 これだけ円安が続くようならば、外国人労働者という意味では、次の時代には減少するだろう。ベトナム人がオーストラリアで働くとか、産油国で働くと言うことの方が、有利さがある。日本語を学んでも将来性があるとは言えない状況になってきた。

 それでも、日本は外国の観光客は来てくれる国である。素晴らしい国土の国であり、日本人の人の顔色を判断し、配慮する性格が外国人には優しく写るのだろう。観光客を受け入れるにしても、外国人労働者がいなければ出来なくなっている。この点どんな工夫がいるのだろうか。ロボット接客なのだろうか。人に会わないホテルはある。

 日本人は内向きと言われることを恐れる必要もない。自分の力で自立して生きて行ける国になることが、むしろ重要である。食糧だって自給すべきだし。アメリカの属国でいつまで居る必要もない。むしろ中国とも仲の良い国になることの方が、日本の未来にはプラスになるはずだ。

 
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消滅都市

2024-05-04 04:08:58 | 地域


 東京の住宅街を散歩した。街散歩は例え東京でも楽しい。あまりに美しい花飾りがあって写真を撮らしてもらった。石垣にこれがあっても、美しいと感じたかどうか。こうした美しい花飾りが10個ほど並んでいる。思わず写真を撮らせてもらい、ここに載せてしまったが、スミマセン、お許しください。

 消滅可能性都市とはあまりに衝撃的な表現だ。50年前の映画の「日本沈没」を思い出す。沈没予測は正しかったので、今まさに、日本は沈没しかかっている。何故、ここまで言わなきゃ聞いてくれないだ。そんな気持ちが消滅の言葉に現れている。

 どこの地域が消えると言われているのかと思い、資料を見ていると、沖縄には消滅都市はなかったという事で安心した。この消滅は人口推計だけを見ていて、ミサイルが飛んでくると言うようなことは、度外視している。軍事基地がこれ以上増えれば、人口の減少に繋がるに違いない。

 戦争で消滅するという事が考えられていない。ミサイル基地の島になるという事で、人口が極端に減少するという事は考えられていない。どうも推測がおおざっぱ過ぎないだろうか。どういう根拠で消滅が言われるのか。20歳から39歳の女性の数の推定らしい。これなら、20年先まで人が移動しないという前提ならば正しい。

 この消滅都市を細かく見てゆくと、少し消滅の意味がおかしくなる。人口が減少しても、若い女性が多くいると理由は様々だが、大学病院が出来て永続都市になった所も在る。多良間島は人口は1058人から、681人に減少するが、若い女性が女性が60人で変わらず。だから持続可能。この推定はやはりおかしい。

 宮古島と石垣島は25年後人口は微減というところだが、20~39歳の女性の数では宮古島より石垣島の方が、減少が少ない。人口の減少も少ない。その理由の想像が出来ない。何故宮古島の方が女性が減ると想定できるのだろうか。その辺の推定理由が知りたい。

 与那国島の場合、自衛官がかなりの割合で駐屯している。この場合自衛官は何時転勤になるか分らない。また中国との緊張が高まれば、当然家族は離島する。こういう要素を全く考えていない、人口推計と地域消滅というのでは、どんなものだろう。

 今年の出生数を基にして、25年後の20~39歳の女性数を割り出すというのは、余りにおおざっぱ過ぎて、推定の根拠が甘い。石垣島でも、宮古島でも、人口の変化は移住者の存在である。多良間島には高校がないのだから、多良間島から一度は離れる。そうした離島の条件など加味しないと、推定は出来ない。






 100歳になる2050年のことだが、生きているとすればと思い、安心はした。744の全自治体の40%で、2050年までに20代から30代の女性が半減し、「最終的には消滅する可能性がある」とした分析をしたという。確かに沖縄には若い女性の移住者は多いから、消滅しないというのは分かる。

 消えてゆく、過程にある町で暮らしているというのは、楽しいものではないだろう。シャッター商店街では味気ない。石垣島と西表島で100年の歴史ある学校が閉校になる報道があったので心配をしていた。地元で暮らす人々にとって、学校が閉校になる事は、どれほど寂しい思いだろうと思う。きっと未来が失われてゆくような感触だろう。

 一方で沖縄の「自立持続可能性自治体」は17と出ている。どういうことかと思えば、若年女性人口の減少率が20%未満にとどまっている65の自治体を「自立持続可能性自治体」 としている。その中に、多良間村、竹富町 が入っている。石垣島、宮古島、与那国島が入っていないのに、八重山の島々は入っている。これだけ見てもこの推計が大雑把なことが分かる。

 日本で65しかない未来が明るい自治体の中に、八重山諸島の島々が入っているのだ。間違いだとしても、なんと素晴らしいことか。それはけた外れに美しい島だから若い人が集まる。これは善意の間違えか。本当は与那国島も入るはずだったが、自衛隊ミサイル基地が出来て、人口減少に転じてしまった。本当はどの島も人口減少は続いている。

 若い女性が自衛隊の島に移住するわけがない。住民投票で自ら選んだ道なのだから、仕方がないとは言え、残念だった。あの頃自衛隊が来れば人口が増えると、在りもしない妄想に騙されてしまったのだ。結局、与那国町長は軍港も希望している。飛行場も米軍と共用である。

 誰がミサイル基地のそばに移住してくるものか。自衛官だって、家族には来てもらいたくないはずだ。想定ほどは自衛隊の家族が暮らしていないという事も最近聞いた。そうだろう、高校のない島に、家族で暮せないだろう。自衛隊高校でも作るのか。せめて自衛隊診療所は作るべきだ。

 消滅してゆく理由ははっきりしている。暮らしにくいからである。その暮らしにくいは人によって違うとしても、はっきりしているのは若い女性が嫌だという町は、未来が危ういという事のようだ。女性の方が移動するという事なのだろうか。そんな先でもまだ男性が家督を継ぐというような考えがあるのだろうか。

 女性も2050年にはあまり結婚はしないだろうから、どういう暮らしを八重山の島でしているのだろうか。若い女性という意味は子供が生まれる可能性という事なのだろうが、未来の社会を若い女性を子供を産むものとして良いのだろうかと思う。それは正しい予測の立て方ではないのかもしれない。

 そもそも、人口が減少すると、何故良くないのかというところから考えるべきだ。経済は人口が大きい方が大きくなるという、企業の論理である。一次産業でほとんどの人が働いているのであれば、人口が減少しても問題は起きない。人間の幸せな暮らしと、人口は関係しない。

 この消滅都市の発想は自治体が経営破たんして、倒産し消滅するという事なのだ。人口が減れば、税収が減る。税収が減ると今運営されている公共施設や生活インフラが維持できないという意味である。それは当たり前のことだが、早くいらないものを止めるほかない。でかすぎる公会堂など閉鎖するしかない。

 地方自治体は自立経営するくらいの覚悟で運営されるべきだ。小田原ではお堀端に文化会館を作った。文化会館は本来、商売が出来るような地価の高い一等地に作る等、愚の骨頂だ。街の周縁部で十分である。小田原には風光明媚な文化会館敵地がいくらでもある。それこそ行政が一夜城辺りを整備すれば良い。

 周辺部の土地の安い場所に、つまり耕作放棄地や、荒れた山間部に、そうした公共施設を集中させればいいのだ。病院、市役所、県の出先機関、警察、図書館、文化施設、老朽化したものから移転させて、集中させれば、バスの運営が出来る。街の中心地はあくまで、観光対象の商業施設にする。

 市の土地に商業ビルを作って、商売をするくらいの発想をすべきだ。これからの行政は経営感覚を持たなければ、消滅つまり、倒産する時代が近づいている。人口が半分になっても、調和するように縮小しながら、新しい関係を見つけなければならない。人口減少で消滅など、弱気すぎる考えだ。

 
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食料・農業・農村基本法の改正

2024-04-22 04:58:43 | 地域


 食料・農業・農村基本法は、農政の基本理念や政策の方向性を示すものとして1961年に作られた。しかし、それからの63年間、その法律は何の役にも立たないまま、農村は衰退を続けてきた。今では経済が農業中心の村は少ないことだろう。農業者は老齢化し、多くの地方社会が消滅を始めている。

 (1)食料の安定供給の確保、(2)農業の有する多面的機能の発揮、(3)農業の持続的な発展と(4)その基盤としての農村の振興、を理念として掲げ、もって国民生活の安定向上及び国民経済の健全な発展を図ることを目的としている。法律である。

 この農水省の挙げる言葉がいかにも空しく響いてくる。食料安全保障と言うことが、今度の改正では最重要課題となっている。当然のことで、何十年も政府は食糧自給率の向上と言いながら、向上どころか下落を止めることすらできないでいる。

 その守れない理由は、本来守るべき、普通に働く農家が生活が出来ないからだ。農家が世間並みに生活できるのであれば、これほど農業人口が減少をするはずがない。農業人口が維持されるようでなければ、食料の安全保障は出来ない。日本の環境も守れない。

  では、今度の法改正で、農業に向かう若者が増えるだろうか。間違いなく増えない。三菱総合研究所の予測では、これまでの政策を継続した場合、2050年の国内農業経営体は2020年対比80%減少の18万経営体、農業生産額は半減し4.3兆円となる見通しとある。これまでと違うと言えるものになっては居ない。

 日本の農地の地形の条件から、大規模農家による 集積には、限界がきている。その大規模農家の存在により、10〜30ha程度の地域の大きい水田農家の経営継続が厳しくなってきている。生産コストの増加・米価の下落が原因している。農家では生活が出来なくなっているのだ。

 その主たる原因は大規模企業経営の農家は、上手に補助金を貰いながら、経営をしている。普通の農家はその企業農家と競争関係にある。米価は企業農家によって下げられている。一方で機械や燃料コストは、急激に上昇している。この先普通の農家には全く明るい見通しが見えない。

 今度の農業基本法の改正で、何か新しい展開があるのだろうか。そう思いながら、内閣府の出している方向性を何度も読んでみた。どうだろうか。

 以下内閣府が出している、食料・農業・農村基本法の改正の方向性についてを書きだしてみる。

 現在、地域農業のあるべき姿を策定する「人・農地プラン」の延長で、「地域計画化」が法制化され、農地の集積を通じた地域の農業ビジョンづくりが集落ごとに求められている。
 ① 生産基盤の確保に向けた担い手の育成・確保とそれ以外の多様な農業人材 の役割の明確化 ・担い手の育成・確保を引き続き図りつつ、農地の確保に向けて、担い手とともに 地域の農業生産活動を行う、担い手以外の多様な農業人材も位置付け 
② 農業法人の経営基盤の強化を新たに位置付け ・農業者が急速に減少する中で、食料供給に重要な役割を果たす 農業法人の経営基盤の強化も位置付け ああ 
③ 将来の農業生産の目指す方向性の明確化 ・食料の安定供給を図るためにも、 スマート農業の促進や新品種の開発などによる「生産性の向上」、 知的財産の確保・活用などによる「付加価値の向上」、 「環境負荷低減」といった将来の農業生産が目指す方向性を位置付け ・特に、より少ない農業者で食料供給を確保しなければならなくなる中で、 サービス事業体の育成・確保を位置付け 
④ 近年増大する食料・農業のリスクへの対応の明確化 ・防災・減災や既存施設の老朽化への対応も視野に、農業水利施設等の基盤の 整備に加え、保全等も位置付け ・家畜伝染病・病害虫の発生予防・まん延防止の対応についても位置付け 
⑤ 農村振興の政策の方向性の明確化 ・農村との関わりを持つ者(農村関係人口)の増加や農村RMOの活動促進、 多面的機能支払による「地域社会の維持」を位置付け ・農泊の推進や6次産業化など地域資源を活用した産業の振興を位置付け ・鳥獣害対策や農福連携などについて明確

 何度も読んでみたが、何か画期的な方向性は見えない。期待したいのだが、どうも政府はだめらしい。とても次の農業に理解のある人が、この法律改正には関わっていた。だから、特別に期待していた。所が結果は全く違っていた。

 長いこと、検討を重ねてきたにもかかわらず、良い考えが出なかったと言うことになる。企業優先の政府や自民党の大規模、機械農業の考え方に押し切られている。いつもの農業政策の繰返しに過ぎない。これでは、三菱総合研究所の予測のように、農業はさらに衰退するに違いない。

 この基本法の検討過程では存在した、農家への直接の補助金の制度は作られなかった。結局の所、大規模企業農業だけしか、生き残れない現状は温存されたのだ。本来、政府が目指すべき事は、国民すべてが農業をやる国を目指すことだ。希望する国民が食糧自給できる条件を国は提案することだ。

 市民が農業をするとすれば、例えば大豆を作りたい場合、脱粒機の貸し出しが必要である。小麦を作るとすれば、コイン製粉所が必要である。お米を作るとすれば、コイン脱穀所が必要である。小型機械の貸し出しや、水路の整備、農道の整備を公共の力で補助しなければ、市民の農業は広がらない。

 そうした市民の農業を、迷惑だと、あるいは不愉快なものだとしてきたのが、既存農家であり、農協であり、地域社会であった。その結果、農業者の側
からは、打つ手が示せないまま、中山間地や離島の農村が消滅してきたのだ。農地の利用集積のために、そうなるように進めてきた。

 農村は競争の原理では維持できない。共存の理念がなければ、継続が出来ない。ふるさとを守りたいという思いはある。しかし、資本主義の経済競争と同列の企業農業が中心になったときに、ふるさとを維持してきた経営力の弱い農家を守ることが出来ないのだ。

 農村がなくなることで、日本の自給能力は急激に弱まってしまった。いまできることは、市民が自分で始める以外にない。誰の手助けも借りずに、自給を始めることだ。それぐらい世界の危機は迫っている。まず自助だと菅元総理大臣が言っていたでは無いか。

 市民が自ら食料を生産することが、食料の安全保障の一番確かな方法だ。政府には手段がない。と諦めた言うことを表明したようなものだ。戦後の食糧難時代が再来するかも知れない。市民が自分で食料生産をやるほか無い時代が、そこまで来ている。

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「町中華」の話

2024-03-04 04:07:08 | 地域


 町中華は石垣にも沢山ある。
「大富」沖縄県石垣市登野城555-6
「高さんの店」沖縄県石垣市登野城168-7
「金華園」沖縄県石垣市新栄町2-12
「湖南楼」沖縄県石垣市新栄町2-7
「心心」沖縄県石垣市石垣156-26
「太門」沖縄県石垣市美崎町8-6
「蓬莱閣」沖縄県石垣市浜崎町2丁目1-7
「楼蘭」沖縄県石垣市美崎町7-8
「龍翔園」沖縄県石垣市浜崎町2丁目1-17
「琉家」沖縄県石垣市真栄里185-5

  食べログにでていた石垣の町中華一覧である。沢山あるので驚いたのだが、何とすべての店で食べたことがある気がする。コロナ前のことなのだから、あの頃は外食ばかりしていたということになる。今は弁当持参でアトリエカーで食べているが、それはコロナ後の暮らしである。

 「町中華」は新しい言葉である。10年くらい前に生まれた言葉のような気がする。ユーチューブを見ていると、町中華という言葉がよく出てくる。中華鍋を振ってチャーハンを作る、見惚れるような映像が沢山ある。町中華というジャンルのお店があるらしいと言うことを知った。

 すごい勢いで手早く作る。家庭には無い強火力で一気に作る。その分時間をかけて早朝から材料の下準備をしている。もちろんスープには手が混んでいる。どこの店でもチャーハンとラーメンと餃子が売りのようだ。この3つがあるというのを町中華の条件にしたらどうだろか。

 昔、一緒に暮らしていたおばさん夫婦が中華惣菜屋をやっていたので、仕込みの仕方はだいたい分かる。餃子とか肉団子とか、持ち帰れる中華惣菜の商品開発を一緒にしたこともある。今思えば、ラーメンやチャーハンの持ち帰りも考えれば良かったかも知れない。

 ラーメン屋とか、中華そば屋とか、子供の頃は言っていた気がする。ラーメン屋でもチャーハンはあった。今はラーメン屋と言えば、ラーメン専門店になったので、チャーハンも無い店が多い。中華とは中国のことである。不思議な命名である。海外で和食の店が、大和とか、日本とかというようなことになる。

 これとは別に高級中華料理店というものがあると言うのは知ってはいるが、行ったことはたぶんない。石垣でも何とかホテルの中華料理の高級レストランというものがあるが、あまり行きたくはならない。出てくる中華料理も高級になると美味しそうなイメージが無い。

 高級レストランも好みで無いが、街の洋食屋というと行きたくなる。ただ洋食のオムライスやハンバーグは家でも出来る。だからそれ程は行かない。町中華のラーメンでもチャーハンでも、家で作るものとは似て非なるものだ。横浜の中華街にいっても、〇〇大飯店などという店は避ける。それよりも庶民的な中華屋さんを探している。

 貧乏性と言うこと、いや貧乏と言うことがある。大きな立派なお店ほど落ち着いて食べる事ができない。外食するほか無い場合は、できるだけ庶民的なお店を選んでいる。お金がいつも無かったと言うことが原因しているのだろうけれど、高級嫌いは食べ物だけで無い。

 グリーン車とか、プレミアムクラスとか、どこか許しがたいような耐えがたい気分がある。差別に対する反発である。お金で差別するのかという気分だ。もちろん本当はそうではないことくらいは、分かってはいる。安いほど偉いという気分で生きているので、仕方がない。

 町中華は私でも入りやすい。上に挙げたものはネットに出ていたのだが、多分どこも一度は食べている気がする。コロナ前のことだ。どこもそれなりに美味しいお店だが、コロナで閉じていた店が多かった。テイクアウトをやってしのいでいた見せもある。そしてそのまま止めたお店もあるようだ。

 小田原周辺には中華のチェーン店のような店がかなりある。例えば、石垣市と同じ規模の南足柄市にも数店ある。しかし、石垣には王将もないし、バーミヤンも無い。その変わりにいわゆる町中華のお店がある。これが結構楽しいものだ。バーミヤンや王将のアルバイトの作る自動チャーハン製造機のチャーハンも美味しいのだが、やはり中華鍋を振って作って欲しい。

 石垣の町中華にもラーメンは当然ある。ラーメン専門店はまだ数店しか無い。やはり、八重山そばがあるので、石垣ではラーメンは食べないことにしている。小田原に行った時食べるくらいで良いと思っている。ラーメン屋が石垣島に増えないことを願っているが、最近増え始めてきたのでちょっと不安だ。

 ついでのことだが、石垣島にもそばの美味しいお店が一軒ある。「ひらのや」という本格的な日本そばがある。まだあるかも知れないが、どうしてもそばが食べたくなることが一年に一度くらいある。大抵は年越しそばである。年越しには八重山そばでは無く、日本そばが良い。

 町中華で良く行くのは大富(おおふ)である。美味しい。営業時間中はほぼ満席。まあ並んでは居ないが、座れないぐらいに混んでいる。観光客は余り居ない。久留米ラーメンの「大砲ラーメン」は何と1時間半待ちで入らなかった。どれほど上手いか知らないが、お腹が減ってラーメンを食べに行き、1時間半待ちは無いだろう。電話予約が欲しい。

 町中華は日本食と言っても良いと思う。中国の食堂とも、台湾のお店とも違う。台湾系の町中華チェーン店が最近はあるが、日本に併せて少し代えているような気がする。定食セットメニューが多い。ビールまで組み合わせになっていたりする。

 日本の町中華はかなり美味しい方だとは思うのだが、やはり味は台湾の方が上のような気がする。中華でも味が濃くないのだ。日本の町中華の味付けは少し濃いめの気がする。歳をとり脂っこいものや、塩気の強いものは避けているので、入るのを少しためらうようになった。

 台湾の味が淡泊な分、香料や薬味が工夫されている。餃子は日本は焼き餃子だが、台湾は水餃子になる。台湾の牛そばは美味しい。牛の出汁の取り方が違う。石垣にも牛そばはあるが、台湾のあの牛ぞばの出汁の上手さは出せていない。そう塩気が少ないのに美味しい。

 
 
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2月の小田原での農作業

2024-02-26 04:18:49 | 地域


 雨ばかりの小田原だった。この雨が石垣島で降ってくれればと思うばかりである。2月24日土曜日、一日だけ雨が降らない日があった。この日を溜池の整備の日に当てていた。何かの力が、晴れた作業日を引き寄せたと思った。こういう経験は何度もある。天我に味方する。

 この日がもし雨ならば、溜池工事は最悪な展開になった。トラック2台分の土が、この日の9時に運ばれたのだ。降ろしてもらう場所は道路の脇で早くどけなければ、成らない場所なのだ。工事現場までは一輪車で滑る鉄板の上を運ぶのだ。雨に濡れた土は重い。危なくて、工事は中止するほかない。

 当日は17人の人が集まってくれた。一人以外はすべて農の会の人たちだ。農の会の仲間の思いが結集する。こんなに有難いことはない。心より農の会の仲間に感謝をした。作業は一人一人が、精一杯やった。それで一日かかるだろうと予測していたものを、何と午前中で終わらせたのだ。



 これでしばらくは溜池も水を維持できるだろう。たぶん溜池を守るという事は、常にこうした工事をして行くという事だ。以前は舟原の溜池は、欠ノ上の水利組合が管理作業を年2回やっていた。しかし、欠ノ上でも田んぼをやる人が減少して、管理の維持が出来なくなった。

 管理が出来ないくなった途端にごみ捨て場と化した。どこの悪徳業者化が目を付けたのか、ごみで溜池は埋められてしまった。こんな悪徳ごみ業者が多い。熱海の住宅地の不法投棄土砂崩れを生じさせたのだ。舟原の周囲にはこういうごみの不法投棄があちこちにあった。私の養鶏場もそういう場所に作った。

 溜池をなんとか復活させようと清掃を開始した。たぶん、20年ぐらい前の話だ。農の会の仲間と久野の里地里山協議会の仲間で、こうした荒れ果てた場所を農地に戻そうと、活動を開始した。その一つが今の欠ノ上田んぼでもある。4か所の整備をした。国の補助事業として行われた。

 溜池管理の問題はかなり複雑で、所有者が明確ではない土地だった。国の土地だと言われてはいたのだが、調べた結果、旧久野村の所有地のままであった。という事は小田原市が合併したのだから、この土地は小田原市のものにできないかと動いた。



 何とか小田原市の土地にしてもらうことが出来た。小田原市の溜池であるなら、欠ノ上の水利組合に、水利権を正式に放棄してもらう事が出来た。欠ノ上の自治会長さんにはお世話になった。今後は小田原市が管理しなければならないという事になった。そうした契約書を作成した。

 そして、小田原市と里地里山協議会の間で、管理委託書を作った。小田原市は必要な工事材料は提供してくれる。そして、溜池の管理は里地里山協議会の者が行う。小田原市は舟原ため池を史跡として、表示もして行くという事だったのだが、まだ看板を作られていない。

 しかし、実際の所の管理は、農の会の仲間が行っている。草刈りは年4,5回必要になる。水路の清掃なども年2回は行う。私が小田原に来た時にやらしてもらうことにしている。舟原に越して来た時に、この溜池にオシドリの番が泳いでいた。あの光景にもう一度戻したいと思っている。



 今回の工事は溜池の水漏れ箇所に、泥を入れて道を作る工事が中心だった。泥にセメントを混ぜながら、歩ける程度の幅の土手をつくり、洩れている石垣の脇を高くした。これだけで午前中かかるとみていたのだが、10時半ごろには終わった。次に中央を仕切る土手の水漏れの補修。

 これも毎年やらないと少しづつ洩れてしまう。その頃には砂利が運ばれてきたので、上の道路の崩れ箇所に砂利を入れる。これで一応は軽トラダンプが通れるようになる。その後さらに4回来た軽トラダンプの砂利を奥の道に降ろす。

 最後に、入水口にあるコンクリート管の中の土砂を取り除く。危ういところだった。完全に詰まれば、簡単には水が抜けなくなる。かろうじて水が通っていたので、何とかどしゃを取り除くことが出来た。この作業が終わるころに丁度弁当が来た。溜池の作業が午前中に終了。

 力を合わせて、みんなで作業することのすばらしさを痛感した。清々しい気持ちで作業を終わった。昼食が終わり、それならばという事で、ジャガイモ畑の区割りをして、ジャガイモを植えてしまおうという事になった。明日の予定だったが、明日は朝から雨予報である。

 手分けをジャガイモ畑の区割りなどを進めると、あっという間に仕事が進み、何と2時半ころにはジャガイモ、私の畝11mに男爵を4キロを植え終わる。これで20キロ採れるのが目標だ。仕事がはかどるので、この勢いで、小麦畑の肥料振りをやってしまおうという事になる。これも4時には終わった。すごい勢いだった。

 本当は3日に分けてやるはずの作業だったのだが、雨でやれないでいた。その作業が一日で全部やれてしまった。みんなの働き方がすごい。小田原に来ると私が一番手が遅い状況になる。それでも何とかまだついて行ける範囲である。いくらかでも役立てることが嬉しい。

 肉体的はかなり疲労したはずだが、気持ちは壮快の大満足。いつもそうなのだが、こうしたみんなとやる作業がやりたくて小田原に来ているのだと思う。動ける間は続けさせてもらいたい。溜池がカキツバタでいっぱいになるように頑張りたい。今年はカキツバタの回りの雑草を早めに取り除く予定。

 今回は、小麦とタマネギの草とりはやらないで済んだ。上手くそばガラのコーティングが効いている。そば殻を播いて、その上から米ぬかを播く。そして水やり。これでかなり雑草が防げる。しかも肥料になり、土壌をよくする。これは素晴らしい方法だ。
 

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小田原久野村の民主主義

2024-01-10 04:03:26 | 地域


 「小田原評定、久野寄り合い」という言葉がある。小田原の久野に暮らして「久野寄り合い」加えた言葉として小田原植木の近藤さんから教えられた。小田原評定という言葉が、何時までも話し合いを続けるばかりで、結論を出せないことを意味する。と現代的解釈ではされている。

 世間的には優柔不断というか、決断力が無い悪い話し合いを意味する。しかし、この言葉の久野の地元での解釈は違っていたのだ。「久野寄り合い」とは結論が出るまで集まって話し合いを続けることを意味しているのだ。簡単に結論を出さない。結論が出る過程を重んじ、とことん話し合うことの重要さを意味していたのだ。

 江戸時代の村の寄り合いでは、泊まりがけが当たり前で、結論は簡単に出さない事が重要だったのだ。だから時間無制限の話し合いになる。どのような話し合いでも、全員が納得が行く合意と言うことは無い。まあ仕方がないかという落としどころにたどり着くには時間が必要なのだ。

 現代の民主主義の議会は、時間制限がある。これが半端な気持ちを残している。国会の議論を見ていると、到底意味のある議論にはなっていない。話し合いをしたという形式重視である。多分見えない場所で調整が図られているのだろうが。国会の議論で内容が深まるというようなことは聞いたことがない。常に時間切れの尻切れトンボである。

 答える側の政府も、どうせ時間が来るまで、言わせるだけ言わせておけば済むと考えている。政府の結論は常に決まっていて動かない。後は議論をしたという形式を踏んでいるに過ぎない。せいぜい国民がその議論を見て、さすがに政府の主張はおかしいと見えるように、野党議員は追及をしているに過ぎない。

 本来の民主主義の話し合いでは、参加者全員が納得することが重要なのだ。例えば村で道普請をするという議題があるとして、その場所よりも優先すべき場所はどこどこだと考える人もいる。どこに優先順位を付けるかは十分な話し合いが必要になる。

 緊急対応が必要な場合もあるだろうし、今年はここをやるが、来年以降に、あそこはやろうと言うことも出てくる。それでは人足はどうする。必要な材料はどう手当をする。作業はどういう割り当てにするか。それなら、下準備はどこが行う。最後の打ち上げまで含めて、すべては総合的判断になる。

 よくよくすべて落ち度なく取り決めなければならない。話し合いには十二分の時間が必要なのだ。それが久野寄り合いの意味だ。話し合いによって、村全体の方角が定まったのだ。方角が定まらなければ、村での共同作業は出来なかった。

 小田原評定では月に2回定例会がある。そして、緊急的な臨時の寄り合いも呼びかけられた。民主主義は実に時間がかかるものなのだ。小田原評定ではこの徹底した話し合いで、家臣の団結が出来ていたのだ。江戸時代には江戸時代なりの民主主義は存在したのだ。

 久野寄り合いも全員参加のもあれば、部落ごとに代表が札入れで選ばれ、つまり選挙で選ばれた上での、代表が寄り合うという形もある。評議委員会のような形式になる。久野の自治会長をやらして貰ったので、どんな空気かは少し分かるのかもしれない。もちろんまったく様変わりではあるのだろうが。

 そもそも小田原評定がなかなか決まらない話し合いと言うことになっているが、その意味は変化したのだ。小田原評定は徹底的な話し合いで、重臣の意思の統一がされると言うことを意味していた。戦国大名北条氏に仕える評定衆による合議政治の典型であり、五代にわたって家臣・国人の裏切りが皆無に近い後北条家の強さの裏付けと考えられている。

 現代の形式民主主義が意味をなさなくなっている。議論に落としどころがないのだ。今国会で一番議論しなければならないことは、敵基地攻撃ミサイルの問題である。反撃能力という言葉を政府は使っている。中国がミサイルを撃ち込んできたときに、反撃しなければやられっぱなしになるという主張だ。しかし打ち込んでくればその時が終わりだ。

 従来の国防は専守防衛で、一切の敵国への攻撃能力を持たないことで、相手も攻撃をしてこないだろうという想定で、国際問題には平和的手段で交渉して解決するという、憲法に従う国の安全保障が図られてきた。ところがこの平和的手段が無意味と決めつけられている。努力すらなされないのが現状である。

 敵基地攻撃能力を持つと言うことは、果たして安全保障上、何が変るのだろうか。ここは本当の議論が必要な部分ではないだろうか。自民党の国防族は中国はいつでも台湾への軍事侵攻を行うと決めつけたところから、反撃能力の議論を始める。これはいかにも幼稚な議論に過ぎない。本気だとすれば、無能なのだろう。

 しかし、とっくに国防族の主張の期限を過ぎたが、中国は台湾侵攻を行わない。この先5年間間違っても中国の軍事侵攻はないと考えている。ここは議論を行うべき所ではないか。この先黙って5年間が過ぎたほうが、中国のアメリカに対する情勢は良くなるとみているからだ。黙っていれば有利になるのに、わざわざ危険な軍事侵攻をするほど、中国は無能な国ではない。

 中国の経済成長の方が、日本よりはるかに高い。5年経てば彼我の経済力の差はかなり離れている。世界での中国の立場も、5年後の方が今よりも、優位に立っているに違いない。確かに国防族の主張では、とうの昔に中国は経済崩壊しているという主張だった。いつも間違いを重ねている無能連なのだ。

 こんな連中の主張に従い、国の安全保障を考えることがいかに馬鹿げているかを考えなければ成らない。つまり、世界情勢を読み違えているのだ。だから、過去の経過を踏まえ十分な議論が必要になる。とことん話し合い、日本の国防は以下にあるべきかを考えるべきなのだ。

 民主主義は欧米から学んだと言うことになっている。確かに議会制民主主義は欧米から学んだものだが、すでに機能しなくなってきている。国会が形骸化したのだ。それは選挙制度が国民の感覚からずれているからだろう。小選挙区制の問題もあるが、それ以上にネット時代に投票所での投票という形が、感覚からはずれているのだ。ネット選挙を検討すべきだ。

 政府はあえて、政府が言いなりに出来る旧態依然とした選挙制度を良しとしている。現代のネット時代であれば、直接民主主義を取り入れた方法も、無理なく可能である。辺野古の国の代執行が正しいか否か。国民投票など簡単にできる。

  日本では国民投票があったことがない。在るのは憲法改正の国民投票だけである。石垣市であれば住民投票は条例である。市民が要求しても市長が拒否をした。裁判所もそれを違法とはしない。これでは日本は民主主義国家と言えるのだろうか。

 
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与那国島には花酒がある

2023-12-18 04:15:25 | 地域


 与那国島には「花酒」と呼ばれる華やかな泡盛がある。何かの花を原料に入れたわけではない。与那国島以外では泡盛を名乗ることが許されていない60度の泡盛なのだ。アルコール度数が60度あるので泡盛とは言えず、スピリッツと呼ばれるらしい。伝統的なものである。作り方は泡盛なのだから、泡盛と表記できることに最近な成った物だ。

 泡盛の度数を政府が決めるというのもまたあこぎなものだ。もちろん酒税法が関係している。泡盛の特別税率は沖縄返還に際して、沖縄の地元企業を保護するために、行われた。しかし、いよいよその軽減措置も段階的になくなることが決まっている。花酒はそもそも軽減措置を受けていないお酒と言うことになる。

 花酒がかなり美味しいのだ。毎日泡盛以外飲まない泡盛好きが書くのだから、まあそれなりの根拠はあると思う。毎日泡盛を飲んでいると、泡盛の違いが分かるようになる。古酒のおいしさが分かるようになる。分かったから偉いというものではないが、自分の好みのお酒を飲みたくなる。

 花酒の値段は一升瓶で7800円である。これを2倍に水で薄めればおよそ普通の泡盛になる。普通の泡盛は1升2千円くらいからある。泡盛を造るときに最初に揮発され出てくるものがアルコール度数が高いらしい。この最初の泡盛が60度の花酒になる。

 昔はアルコール測定器がないから、アルコールの度数を見極める方法に、高いところから泡盛を器に流し込み、泡の出方で度数を決めたらしい。度数の高い泡盛は、あぶくが花のように開いた、一番度数が高い花酒になった。と、言われている。これは美しい泡盛の話だと思う。やはり度数の高いお酒ほど美味しかったのだ。

 特に花酒を古酒にすれば、100年経ってもアルコールが飛んで行くとしても、まだかなりの度数がのこり、美味しかったはずだ。本物の100年古酒は花酒でしか造れないと言えるのかもしれない。琉球王朝時代はそういうお酒で、中国からの使節を接待したのだ。琉球の文化の力を表現した花酒。

 与那国の地元の方に花酒の美味しい飲み方を伺ったところ、冷凍室で凍らすほど冷たく冷やすのだそうだ。十分冷えている花酒を、わずかおちょこについで、飲むと一番美味しいと言われた。60度もあるお酒なので冷凍室でも、まったく凍らないというのだ。

 与那国島は台湾まで111キロ、石垣島まで117キロあり、周囲には早い潮流があり、小さな舟では行き来できない島。与那国島だけに残った花酒の歴史。周りの島との交流が難しい中から花酒は生まれて、生きのこった。与那国島の独特の歴史を花酒は表わしている。

 離島であるがゆえに医薬品がすぐには手に入らず、高アルコールの花酒は医薬品の代用としても使われてきたらしい。高いアルコール濃度のお酒を作る文化は台湾にもあるらしい。台湾ではアルコール度数の高い 58度高粱酒を飲む習慣が昔からあった。花酒は台湾の影響を感じるお酒である。

 中国にも高いアルコールのスピリッツがあり、これでやたら乾杯をさせられる。これをどんどん受けると、なかなかすごい奴だと信頼されるのだ。田中角栄はこの強いお酒で、周恩来と何倍でも乾杯をしたそうだ。何倍飲んでも角栄はまったく酔わなかったという。それ程緊張していたと後に語っている。

 与那国島には現在3つの泡盛酒造所がある。そう書かれているが私は探したが2つしか分からなかった。崎元酒造所は、与那国島で一番歴史のある酒造所。1927年(昭和2年)に農業を本職とした17人の出資者が共同設立したとある。酒造所の存続と与那国島独特の花酒文化を守るために1971年に崎元酒造所に改名し現在に至る。

 現在崎本家一族で花酒を作っている。泡盛600年の歴史を伝承する昔ながらの古式地釜蒸留機を使用し、少人数で伝統的な手造り製法で泡盛、与那国島のみで造られる高濃度泡盛、花酒(はなざけ)を製造している。息子さん兄弟が跡を継いでいるので、未来に繋がっている。

 滅多に花酒を飲むことはない。特別なときの楽しみで花酒は飲む。普段は玉那覇酒造の玉の露43度の古酒である。引っ越してきて以来、甕で熟成させているのだ。これをほぼ飲んでいる。これもなかなか美味しいと思って満足している。

 ただ、泡盛は随分もらったし、何かの機会に買っている。買って小田原に行き、小田原からまた石垣に戻ってきたものもふくめてかなりある。それもすこしづつ飲んでいる。だから、自分の仕込んだ甕の泡盛が古酒になったのものを、ぐいぐい飲むのはまだこれからの話だ。

 先ずは様々な泡盛の瓶入り古酒を飲みきるのが先だ。ヤフーオークションで古酒を見るとつい買ってしまう。色々美味しいものだ。あまり買っているといつまで経っても、古酒の甕に行き着かない。まあ古酒が熟成されているから、それはそれでいいが、酒が飲めなくなる前に飲まなければ何にもならない。

 それでいいとは思うが、やはり特別の日には花酒だけは飲みたい。先日の石垣島祭りでは花酒を出す屋台があり、ありがたく飲ましてもらった。それは炭酸割だった。炭酸でわってもさすが花酒で美味しいのだ。あまりのおいしさにびっくりしてしまった。満天の星の下で飲んだせいかもしれない。

 泡盛飲み方には色々あるが、確かにハイボールのようにして飲むと、飲みやすい。水で半々ぐらいに割って、一晩あるいは数日寝かして飲むのを「前割り」というとか、通が書いている。これはどういう飲み方か不思議な気がする。アルコールがいくらか抜けてしまいそうで心配になる。

 この前割をさらに燗を付けて飲むという人もいるそうだ。何か変な飲み方だ。どうせ泡盛は60度もある強いお酒を水割りして34度あるいは25度を作っているのだ。これをさらに水で割ったからと言って、何が前割だ。何ともおかしい。しかし、酒というのはそういう運託を並べて飲むところが良いのだろう。

 炭酸割りでも十分のアルコール度があるから、飲み応えがすごいものだった。はなざけを飲んでいたら、路上寝に成りかねない。花酒を墓場に亡くなられたご先祖様と一緒に埋葬する。8年たつと洗骨を行う。そのときに花酒を使い洗うという。

 そして、ご先祖様の前で、酒盛りをする。それは味わい深いご先祖様の味がしただろう。洗骨の意味を感じる。伝えてゆく心がこもっている。そのためには花酒でなければだめだろう。強い酒を飲んで、はらわたに染みるて来る何かがあるに違いない。


 
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老朽化コンクリート城問題

2023-07-31 04:58:45 | 地域


 小田原で城が再建されたのは私が子供のころの1960年のことだ。市民運動によって再建されたと書かれている。何でも深く考えない時代の勢いで、鉄筋コンクリート造りで作られたことになる。熱海に町内旅行で行くときに、小田原城脇を通過するとき、一瞬みんなで歓声を上げて眺めた。それからもう63年が経過している。

 63年という事は木造建築でない以上耐用年数が過ぎて、耐震補強をしなければ取り壊さなければならない。平成27年に補強工事を大大的に行った。木造再建運動も根強くあるのだが、延命策を現実的に行った。小田原評定らしく、決定的な判断は先延ばしにされたことが小田原城にふさわしい。

 お城ブームという事もあって全国に木造本丸再建の活動がある。中には元の形が分からないのに作ろうというところもあるそうだ。小田原城も完全に設計までわかっているわけではない。特に名古屋城の再建話が話題になる。木造再建の方向でかなり進んでいる。あの、バリアフリー問題はいかにも現代の再建問題だ。

 再建後の収支計画なども出ている。やり方次第で黒字化できると考えているようだ。私にはお城が黒字の施設になるとは信じがたいことだ。誰がお城など見たいものか。テレビでよくお城特集をしているから、お城に何度も行く人がいるのか。然し乗り鉄がいても鉄道は赤字路線ばかりだ。黒字化した場合はいいが、しなかった場合は誰が責任をとるのだろうか。たぶん名古屋市民という事になる。

 城というもんが嫌いだから、現在江戸時代から残っているお城以外は壊して公園にするのが一番だと考えている。日本には文化財指定されている城が12だかあるらしいから、それだけでもう十分である。何故嫌いなのかと言うと、日本の権力を見るような気がするからだ。嫌な武士文化の象徴だからだ。武具などが展示してあるのを見るとぞっとする。

 農業遺構は一切無視して、お城ばかり騒いでいるのが腹立たしいのだ。久野の棚田だって、小田原城以前から続いている棚田だ。行政がそういう眼でこの地域を見たことは、一度もない。そしてため池はごみ溜めにして埋めてしまった。天子台を掘り抜いた水路のトンネルは跡形もなくなった。

 歴史の断面は縄文時代出来るか。弥生時代なのか。古墳時代なのか。その後のことなのか。断面は重層的なものになる。古いからと尊いともいえない。重要な過去の区切りは、今につながる暮らしが見えるものである。久野で言えば久野に水田が作られ、人が多く済み始めたころの遺物であろう。

 小田原城では、江戸時代にこんなに木があったわけではないというので、巨木が大量に切られてしまった。どこに視点を置くかで歴史も変わる。歴史で何が大切か。大切なことは日本人の過去の暮らしである。お城など権力構造の遺構だろう。そうしたものを庶民が崇めるようでは恥ずかしくないだろうか。お城も多くの遺構と同じなのだ。

 名古屋城には、若武者の格好をした集団がいて何か演武をやっているらしい。歌舞伎者というのだろうか、正視しがたい見苦しいものだ。こういうおかしなものはアニメーションから派生しているのだろう。アニメゲームの大半が戦い場面なのだ。それも頭脳戦というよりも、指先の反応速度ゲームだ。

 お城ブームの背景を考えると、くだらない大河ドラマの影響もあるのだろう。大河ドラマというものを見たことはない。あんなものを作るNHKに視聴料を払いたくない。払いたくないがさすがにNHK党は嫌だ。私は問題ある期間の視聴料を払わないでいる。

 正式に払わない理由に関する質問状を出して、返事がないので判断のしようがないので、視聴料の払いを保留している。それなのに、一方的に繰り返し請求書が来る。何故、視聴者からの公開質問状に返事がないのか。督促が来た時に再度質問しているがいまだに返事がない。だから払うことも出来ない。なんと腹立たしいことか。

 NHKは批判精神を喪失した。NHKが大河ドラマという権力の歴史を、歴史のごとく放送しているのが、日本人を洗脳している。公共放送として、一体何を伝えることが役割と考えているのだろうか。文化のかけらもない。文化としての歴史をどのように考えるかの問題である。大河ドラマ張りのお城再建なら止めにしてもらいたい。

 権力者の歴史を崇めたいと考えるのは権力者だ。権力者になろうというような政治家の歴史認識は、権力の歴史なのだろう。それに乗せられている庶民の姿が、戦前の勝った勝ったとちょうちん行列をしている日本人の浮かれ姿を思い出してしまう。

 自分の足の下に続いている地獄の戦争が見えないのだ。報道の体制翼賛化とはこのことだ。お城ブームは軍国主義の足音である。お城など止めて、農業遺構で行こう。農業で日本人は生きてきたのだ。その原点を大切にした方が平和憲法の日本にはふさわしい。

 観光資源が増えるというのであれば、何でもかんでも悪いことではないだろうと、考える経済の時代である。観光の方向性を吟味すべきだ。石垣島にもグスク跡らしきものがある。フルストバル遺跡という。石垣が再建されている。戦時中軍隊がこの石垣を崩して飛行場の格納庫に使ったものを、再度戻したという事である。

 それでもすべてが戻された訳ではない。まだ当時の姿にはかなり遠い。当時の集落跡と考えることが正しいようだ。海の見える高台にあるという事は、海が見えることが意識されて作らている。宗教的な意味合いもあるのかもしれない。交易や漁業との関係もあるのかもしれない。集落には井戸や御嶽跡らしきものもあったと聞いた。

 当時の住居跡であれば、想像できる範囲で当時の住居址を再現する必要がある。歴史で大切なことは、当時の庶民の暮らしの手がかりである。アカヤオケハチの活躍よりも、当時の庶民がこの島で、どれだけ心豊かに暮らしていたかの方が大切なことだと思う。人頭税の弾圧だけではない。

 フルストバル遺跡を間違ってもオケヤアカハチの蜂起した城跡などにしないでほしい。ついでに書いておけば、石垣島で一番大切な遺跡は、多良間田んぼである。ここにはさまざまな庶民の歴史が現れている。多良間島に暮らしていた人は、何故石垣島迄来て田んぼをやらなければならなかったのか。石垣島の郷土史家からもこの場所は軽んじられている。

 あの美しい場所で何が行われたのかは、残すべきものだろう。税の徴収の問題がある。人頭税の時代である。薩摩藩、琉球王国の2重支配である。石垣島の安良地区の人たちとの関係はどのようなものだったのだろうか。多良間の人は納税のために石垣島で田んぼを作らなければならなかったと私は考えている。田んぼが好きだから石垣島で田んぼを始めたわけではない。

 歴史で大切なことは庶民の暮らしである。柳田国男氏はそのことを繰り返し書いている。そこを見直さなければ、この先の日本人の方角が見えてこない。島は予想外に豊かな場所だったのだ。柳田国男はマルクス主義歴史学者にも誤解されてきた。柳田国男を国粋主義だと見誤ったのだから情けない。

 老朽化したコンクリート城は熱海城と変わらない。早く取り壊し公園にするのが正しい選択である。
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核のごみ最終処分場誘致の対馬

2023-07-13 04:22:39 | 地域


 核のごみ最終処分場誘致を進める対馬。まず書類審査をお願いするだけで20億円貰えるのである。本当に誘致するかどうかはともかく、このお金で島起こしが出来ると考えるのだろう。対馬市では6月、土建業など4団体が経済活性化につながるとして、文献調査受け入れを求める請願を市議会に出した。 

 核のゴミ処理場が経済の活性化とは考え方が間違っている。自分たちの仕事が出来ると言うことだけだろう。公共事業を仕事にしてきたつけが回ってきたのだ。どこの離島でも公共事業で回っている。自分たちで対馬活性化の努力をするほかなかったのだ。と言ってそれは極めて難しい。この記事を呼んでどれだけの人が申し訳ないと考えてくれるだろうか。

 対馬の人口は、藩政時代には 3 万人、明治末期で 5 万人、そして昭和 15 年で 5 万 7 千人、その後、昭和 35 年までは増え続け、ピーク時 7 万人近くまでにも なった。 その後、人口は減少しはじめて、  2023年6月1日推計人口26,805人 。急速な減少である。典型的な離島過疎地である。

 江戸時代よりもかなり少なくなった。江戸時代は自給自足を基本として、対馬は3万人の人が暮らしていたのだ。対馬の人口減少の姿は多くの離島の深刻な現実なのだ。全国では無人島になる島が増え続けている。近い将来には人の住んでいる離島の、消滅時代が来る。

 領土問題で僻地の国境の離島にこだわり続ける意味は見直さなければならない。もし国境の離島が国防の上で重要とするのであれば、自民党はそのような主張をしている。それは人の住んでいる島であるべきなのか。無人島に自衛隊が駐屯すれば良いのか。こうしたことをまず明確にする必要がある。

 自衛隊基地を作る際には、政府や防衛施設局では、必ずその島の人を守るためだと虚偽の防衛論を述べる。これは幼稚なごまかしなのだろう。実際は島民を守るどころか、島民を危険に巻き込んでいるだけだ。自衛隊がいない。ミサイル基地がないのであれば、離島は敵国から無視されるだけだ。

 誰もが基地を作ることの目的は島を守るためではなく、日本全体を守るためだと理解している。自宅の隣に基地が出来ることを喜ぶ人はどこにもいない。いや、石垣市長中山氏は喜んでいる。自衛隊が石垣島の住民を守るために有効だと主張している。石垣島に基地がなければ、攻撃してくる国に無視されるにもかかわらず。

 先日は波照間島の避難計画が立てられた。波照間島から危険な石垣島にまず逃げてくるのだそうだ。そしてまた九州にまで避難する計画である。避難する船もないし、ダメな計画だが、どこの誰が考えても波照間島にそのままいるのが一番安全だ。

 何のために波照間島を攻撃するというのだ。アメリカ軍は日本軍のいない島を攻撃などしなかった。戦争はそんな無駄なことはしないのだ。波照間島の島民はわざわざ危険な石垣に何故逃げてこなければならないのか。まるで沖縄から九州に避難しようとして、アメリカの潜水艦に沈没された、学童疎開船対馬丸事件を思い出せ。

 市長を始め誘致土木業界の錦の御旗「自衛隊は離島の住民を守るために来てくれている。」が主張になっている。本音では自衛隊基地も核のゴミ捨て場も変わらない。住民には迷惑施設である。ミサイル基地=核の永遠の保管場所=補助金が必要。どこでも建設業関係者は仕事があれば良いと考えている。当然な事だ。

 与那国島は現在人口1,689人。1872年1、327人。最多時の人口が1949年6,306人。戦後の密貿易時代に最多を記録している。このとには100軒もの歓楽街が立ち並んだという。実人 口は15,000人 を越 えたと言われている。現在の10倍の人が与那国島に暮らしていたことがある。

 今のままで20年が経過すると人口は江戸時代とおなじ1400人程度になるとされている。実際には1000人を下回るだろうという人もいる。私は自衛隊が来たためにもっともっと減っている気がする。自衛官が250人で人口の20%、ミサイル基地が出来れば遠からず半分の人が自衛隊関係者になる。

 これからさらにミサイル基地が計画され増加が見込まれている。自衛官が来て人口が増加すると言われて、島起こしのためには自衛隊が必要と考えた人も多かった。たが、自衛隊を嫌って与那国を離れた人で、人口増加はなかった。このままではその他の人口は公務員とお年寄りだけの島になると考えておいた方が良い。

 与那国島はとても美しい島である。何の産業もない島という人もいるが、とんでもないことだ。これほど美しい魅力的な島は滅多にない。水もあるし農耕地もあるし、若い頃なら与那国島に移住した。しかし、ためらった。自衛隊が来るというのではさすがに止めるほかなかった。今の雰囲気を考えると、止めて良かった。

 自衛隊が駐屯する基地の島に移住はしたくない。与那国島を見に行ってそのことは確認できた。自衛隊基地は島の風景に異質なのだ。あの殺風景な建設物がある島には暮らしたくないと思った。その判断は正しかった。自衛隊は観光業には大きなマイナスである。

 与那国島は台湾からの観光地として大いに賑わう可能性のある島だ。台湾に行ってみれば分かることだが、台湾の観光地もどこもおもしろいのだが、台湾以上に与那国の自然は魅力的だ。島の中央部のヨナグニサン館のある辺りを魅力的な地域することが出来るだろう。台湾の人達が沢山訪れる島にすることは可能だ。

 台湾から隔日ぐらいに船便が必要だ。船便は格安にする。その船は政府の責任で運用する。政府は与那国島が観光で生計が立てられるように努力をしなければならない。温泉を堀り、宿泊施設を作る。それが防人の島にした責任だ。原発を作ったことと何も変わりが無いのだ。何故、そうした堅実な取り組みがないのだ。

 与那国島の活性化計画に国の予算を出さないのであれば、離島防衛の塗り固められたウソが白日にさらされることになる。無人島の防衛と言うことではつじつまが合わなくなる。それは有人国境離島地域(14地域)の共通の問題である。

 今与那国ではシャルター建設が言われている。市庁舎を作り直しその地下にシェルターを作りたいと言うことらしい。ともかく仕事が欲しいと考えている与那国島の土木関係者はこの計画にとても乗り気である。このように島自体の自衛隊依存が高まる。

 対馬の核のゴミ誘致計画も島の将来の不安から出てきたものだ。対馬にも自衛隊基地がある、ミサイル基地も出来る可能性がある。14の離島が衰退し始めている。特に礼文、利尻、奥尻の北海道の国境の離島が、無人島になるのでは無いかと言われている。

 礼文島は、1955年には1万人近くの人が暮らしていた。現在は人口約2600人 。10年後の推計値では1800人となっている。急速に人口減少が進んでいる。これは離島ではなくとも、日本全国の中山間地、特に北海道で普通に起きていることだ。

 問題は国境の自衛隊が駐屯する基地の島が無人島で良いのかという問題だ。この問題をきちっと議論しないと、離島に暮らす人達が追い詰められることになる。基地を作るなら、基地のためにも、その島の人が暮らせるようにしなければならないはずだ。その費用も国防費である。

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石垣島暮らしの面白さ。

2023-06-17 04:55:39 | 地域


 石垣島に暮らして、田んぼをやっている。水牛を飼っている。そして毎日絵を描いている。最高の暮らしを出来ている。こうしたいああしたいと考えても出来ないことも多いの生きると言うこと。石垣島に暮らして考えていた以上の暮らしをすることが出来た。この暮らしを一年でも長く続けたいものだ。

 石垣島の人口はこれから減少してゆくと予測がでている。自衛隊員が600人も来たから、5万人は越えるだろうと市長は考えていたそうだ。5万人を越えたときに。市を挙げてお祝いのお祭りをすると言うことが発表されていた。ところがどうだろうか。越えると予想された5月末時点でも、残念ながらあと45人不足で5万人を超えない。

 何とか6月こそと期待している。私も5万人超えを楽しみにしていたのだ。実際のところで言えば、住民登録をしていない人が1万人はいると言われているから、その人達の内45人が登録してくれれば、5万人超えのお祭りが出来る。6月が最後のチャンスになりそうだから、また登録を解除すれば良いのだから、この機会に是非協力を。

 どうしても越えたいというので、最後の手段として敵基地攻撃ミサイル基地を誘致するというのだけは止してほしい。自衛隊員が増えれば、必ずその後人口の激減を招く。与那国島も基地が出来れば人口が増加するという触れ込みであったが、基地が出来て人口は減少を始めたのだ。石垣島でも同じ事が起こる気がする。

 基地の島に移住したいと考える人は普通は居ない。桜井女史でも百田右翼作家だって防人の島には住まない。他人事なら色々強気のことを語るが、防人当事者にはならないのだ。基地のない平和な南の島だから石垣島は人口増加を続けて来たのだ。この島を防人の島にするなど悪魔の仕業だろう。

 日本全国の島が無人島化している。かつて人が暮らしていた島でも毎年無人島になっているのが現状である。島を返してもらったところで住む人も居ないのだ。人口減少は島だけではないが、ほとんどの島が存続の危機を迎えている。その点では石垣島の人口増加の健闘は画期的である。

 日本で一番美しい海。そして田んぼの広がる田園風景。島の中央にそびえる山深い於茂登岳。確かに西表島の自然の濃度は深い。田んぼもある。ところが生活をするためには、自然が深すぎる。病院やホームセンターなど若干生活インフラが不足している。石垣島に買い物に来なければならない。石垣島は小田原程度にはすべてがそろっている。

 石垣島の魅力は自然の輝きである。基地の方を見なければ良いだけのことだ。ミサイルが落ちてくるのを忘れていれば良いだけのことだ。基地の島のリゾート計画はどうかと思うけど、石垣のお歴々はどうもそっちの方向に進みたいらしい。これ以上自然破壊をしたら、リゾート計画は成り立たなくなる。自然豊かなリゾートを、リゾート施設が壊す。存在基盤の自己矛盾も甚だしい。

 石垣島に引っ越して5年になる。その大分前から通っていたから、石垣島に大分なじんだようだ。石垣島の90%というたまらない湿度の高さ。じめっとした暑さも、かなりなれてきた。去年の今頃は冷房を入れなければ寝られなかった。6月になって連日の熱帯夜なのに、よく寝ている。何でも慣れるものだ。

 やはり、石垣島の魅力は私には田んぼだ。石垣島では一年中田んぼが出来る。これは夢のようだ。毎日田んぼに関わることが出来る。やりがいがあるし、毎日がなにかしら作業があるし、発見である。実におもしろい。とくにひこばえ農法に熱中しているので、飽きることが無い。ひこばえを何時間も眺めていることがある。

 ひこばえ農法は出来ると信じなければ続けられない。何とも難しい。難しいからやりがいがある。このことに取り組めたことに感謝したい。この先何年かかるかは分からないが、何としても実現できるまで、やってみるつもりである。

 二期作の方はひとまず置いておき、ひこばえに挑戦したい。二期作はおおよそ一期作に競べて収量は半減すると言われている。だから、ひこばえ農法が収量が半減するとしてもそれくらいなら仕方がないことなのかも知れない。ひこばえがしっかり発芽してきたとしても、条件の悪い季候が影響してしまう可能性が高い。

 先ずはひこばえがきちっと発芽させられるかどうかである。何か見落としていることがあるような気がして成らない。一度土壌を乾燥を入れなければならないのだろうか。その点では8番田んぼはひび割れになるような乾燥した時期がある。この後の観察が重要。

 それよりも水を切ることが出来ない0番田んぼの方が、良い状態かも知れない。0番は水が常にあるから、むしろひこばえ農法には向いているのかも知れない。0番田んぼを二畝ある田んぼに直したい。その方が、ひこばえ農法に挑戦し安いかも知れない。「ゆがふもち」のほうが「とよめき」よりも向いているのかも知れない。

 果樹の方は植えてから4ヶ月は経ったが特に枯れた木はないようだ。果樹は気長に考えなければ成らないが、一応はスタートは切れたように思う。バナナは一度大きくなり、今年は成るのかと思えたのだが、何とイノシシに幹を大分かじられてしまった。

 猪柵で農場全体を囲ってから、イノシシの侵入はない。これは大変なことではあったが、一安心のことだ。大勢の人の協力があって完成までこぎ着けた。ジャングル化したしげみをユンボでどけて進むような大変な柵作りだった。柵の点検も時々しなければならないのは変わらない。

 次の課題はサトウキビ栽培である。なかなか取りかかれないのでもどかしい。畑は準備できているのだから、進めれば良いのだが、稲刈りが終わらなければみんなにその余裕はないだろう。一人でやるには気力が足りない。サトウキビの株出し栽培は、水牛を飼う場合どうしても必要になる。

 水牛は家畜だから、ただ放牧しているというのでは良くない。何か定期的に出来る仕事が必要だ。田んぼの代掻きだけでは3匹には不足だ。サトウキビ畑の耕耘畝立て、サトウキビ絞りなど、もう少し水牛の農作業を増やしたい。サトウキビ絞りは水牛メリーゴーランドにしたいと思っている。

 そして、絵である。絵はこのところのぼたん農園で描くだけになっている。もう少し石垣島の他の場所に描きに行きたいものだ。北部地域の開拓集落にも絵に描いてみたい場所がいくつもある。野底付近はおもしろい。大里付近もおもしろいところがある。平野付近にも良い田んぼがあった。

 のぼたん農園に張り付いていて、他の場所に行けなくなっているのは少々問題だろう。午前中はのぼたん農園で午後は他に描きに行くというようにしようかと思う。まだ石垣島でも見ていない場所もある。特に野底ヤーペーは頭に残っていて描いてみたいと常々思っている。先ずは野底展望台から描いてみよう。

 野底集落の畑も耕作放棄されたところがある。あの辺りの段々畑も記憶に残っている。一度開拓集落と放棄された畑も絵にしてみたい。のぼたん農園は午前中だけにして、午後は他に回るというのがこれからは良いかもしれない。そう考えただけでおもしろい気持ちが湧き上がった。

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カルト集団と日本人

2022-09-05 04:01:06 | 地域


 世の中が不安定化して、カルト集団が現れる。統一教会問題が今は騒がしいが、オウムのようなさらに過激な集団がいつ現れても不思議ではないような社会かもしれない。オウムも相変わらず存在がなくなったわけではない。

 今は知られていないカルト組織が、日本に存在する可能性が高い。今日は政治を諦めたと言いながら、あれこれ不満やるかたない気持ちを書く。もう、止した方がいいかと思いながら。

 何故カルト集団が登場するかと言えば、社会が方向性を失ったからだと思う。日本の社会はその意味で安定していたと言えるのは江戸時代まで200年もさかのぼらなくてはならない。鎖国して経済を停滞させて安定化した。江戸時代は現代の感覚からすれば、身分制度のある封建社会という不愉快極まりない社会であったわけだが、カルト集団が登場する余地は少なかった。

 社会が安定するためには地域社会において共通の基盤があり、誰もが受け入れている社会通念がある状態が必要だ。社会倫理が成立している社会かもしれない。正しい人間がいた社会と言えるかもしれない。親が子供にこんな人間になりなさいと言えるような次の時代を信じられる社会と言えるだろう。

 今の社会は地域というもの自体の成立が弱くなっている。個人に分散した社会。個人が孤立しても生きて行ける社会。人間が個人に分かれた時に、一人一人が安心立命して生きることは出来ない。そこに反社会的な、つまり社会に損害を与えるようなカルト集団が登場して、その孤立し未来を見失しなった人間を悪用しようとする。

 安倍氏が不愉快であった理由はこの所にある。つまりカルト集団の張りぼてだったからだ。統一教会はその暗闇の正体の一つに過ぎない。日本会議のような組織もいわばカルト組織と考えてもいいだろう。右翼革命を目指している集団である。そのほか、パソナグループや電通に象徴される企業だって、ある意味カルトと考えておいた方がいいのかもしれない。
 
 杉田水脈氏が政務官に就任したことにはさすがに驚いた。杉田氏は炎上議員である。わざわざ問題発言を繰り返し、自民党極右派アイドル議員の座を狙っている人だろう。政務官に就任したという事は、その意味では杉田氏の炎上作戦は功を奏して自民党の黒い組織に支持されたのだ。

 岸田氏に見る自民党の劣化は日本の劣化である。統一協会と関係を持った議員を今内閣に入れることは、統一教会問題に間違った方向を作ることになる。安倍氏の国葬も同じことだ。日本の政治の葬式になりかねない。おかしいことをしても、選挙に勝てばすべて許されるという話になりかねない。

 様々な組織が倫理を失い、反社会的な行為を行う。その象徴的な位置に安倍氏は置かれた。だから、自分で行動していたとは思えない。一番の長期政権と言うが、病気を理由にして総理大臣を2度も辞めさせられた。しかも、その後も自民党を裏で支配しようとして暗躍させられていて、テロで殺される結果になった。

 その安倍氏が国葬というのだから、日本は完全に倫理を失っている。安倍氏が日本のために行動したことなど全くなかったではないか。北方領土問題や、北朝鮮との拉致問題。中国仮想敵国。何も解決できなかったどころか。より悪化させたのが安倍氏ではないか。

 アベノミクスは企業優先の経済政策である。黒田氏が誘導している円安は確かに企業に利益が出て、庶民は生活が苦しくなる。税金とは違う形の、国民から絞り上げる方法である。日本では所得の増加が物価に追いつかない。企業は利益を出している。

 政府のコロナ患者の把握方法が迷走している。こんなことすら、判断できなくなっている。患者数の把握方法を変えるべきと言い出したのは全国知事会だったかと思う。保健所や医療機関の負担が大きすぎるから、負担の軽減を図るということだった。それなりに理解できることだ。

 ところが、軽症患者をコロナ感染者の登録から外すと、コロナ患者ではないのだから、コロナ対応の薬が使えなくなると言う。軽症だと思って自宅待機していたら、死んでしまったという人が後を絶たない。何しろ一日300人超えの死者がいる状況なのだ。

 政府は各自治体の判断に任すとしていた。4つの県が医療機関の負担を現ずる方法に変えたのだが、朝令暮改で政府が全国統一の方針を出すことになった。又戻すというのか、新たな軽減策が出てくるのか。はっきりしているのは政府にコロナ対応能力がないという事だろう。

 コロナ対応は自助でお願いしますというのが、日本政府はあらゆる場面で自助でお願いしますなのだ。政府と官僚に距離が生まれたのだろう。アベスガと人事で官僚支配をしていた。出世したいだけの佐川局長のような人は、ひたすらアベ忖度をして、報告書の改ざんまで支持していた。

 しかし、確かに官僚や検察はアベスガの言いなりに動いていた。日本の官僚は人事操作以外では政府の言うとおりには動かないという証明かも知れない。岸田内閣はコロナ対応でも、まともな方針すら見失った。もう政府がどれほど無能でも驚くこともなくなった。それを選ぶのは日本の有権者なのだ。

 官僚の扱いが出来ないのだろう。コロナの総数把握の方針はそもそも政府が考えるようなことでは無い。コロナ対策の専門委員と医療系の官僚が考えるべきことだろう。たぶんその中で意見が分かれていても、まとめる能力のある人がいないために、良い方針が出せなくなっているのだろう。

 官僚と政府の関係の実際の所はまったく分からないが、岸田氏の原子力不拡散の外交も話にもならない。日本は被爆国として、非核保有国として、もっと核保有国に対して主張して良い。そうでないとすれば、北朝鮮の後を追うと言うことになる。それで世界は終わりになる。

 日本に平和外交があるとするなら、核不拡散で動くほかないはずだ。小さい、弱い、核を持たない国も、核保有国に脅かされて良いはずがない。ロシアのように、核保有国が核を持たないウクライナに核爆弾で脅しをかけるなど、世も末だろう。

 北朝鮮の選択が正しいと言うことになる。世界中が核保有を始めるだろう。当然日本もそういう選択をする。つまり、世界はおわりだ。どこかの狂気の独裁者が核のぼたんを押すことになる。想像もしたくないが、プーチンの行動を見ると、無いとは言えないことになる。

 書かなない方が良かったかもしれないことを書いた気分だ。社会が危ういところに来ている気がする。人間はこのまま悪い方に行ってしまいそうだ。
 
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農ガール、農ライフ

2022-08-05 04:04:03 | 地域


 「農ガール、農ライフ」垣谷美雨著を読んだ。羽田空港で待ち合わせ時間に、ブックストアーで飛行機の中で読むために買った。買いたいような本が見当たらなくて、農という字があるので買った。むやみに買った本としては当たりの方だと思う。石垣までひとっ飛びだった。

 飛行機の中は退屈するので本があると助かる。この本は羽田から読み始めて、調度石垣に着いた頃読み終わった。なかなか本の作り方が上手で、一気に読ませてくれる本だった。読みやすいようにあれこれ仕組まれた本という印象である。

 農業や新規就農に関する事を面白おかしく書いた本だ。今農業は日に日に状況が変わっているから、もうこういう状態はどこにもないと思う。10年は前の話なのだろう。新規就農者が農地を借りられない。特に女性には貸さないなど、小田原にはない。石垣島でも女性だから貸さないというようなことはないと思う。

 新規就農する場所によるが、石垣島だってあと5年もすれば状況は変わるだろう。実は新規就農で一番大事なのはどこで始めれば成立するかである。それには触れられていない。日本では昔のお百姓さんという形の普通の農家は必ずなくなる。かやぶき屋根の家がなくなって行くのと同じことだ。維持が出来なければなくなるほかない。

 経営できない産業はなくなる。なくならない農業は企業的農業と自給的農業である。特殊な形態の農家は伝統産業的に存在するのかも知れない。普通の農家は極めて存在しにくいのだ。それは統計的数値が明確に示している。石垣島の未来予測でも、農地の減少が示されている。それでいいというのが行政の考えである。

 主人公は未婚の女性である。現実には是非来て欲しいと考える地域がほとんどのはずだ。だって、大きな農家の息子さんが嫁探しをしているなど、日本全国普通にある事だ。未婚女性が地域に来れば、地域の人と結婚して家族を作る可能性は高い。農業希望の未婚女性が排除されるのは希有な事例だろう。まあお話だから、おもしろく書いたと言うことに違いない。

 もちろん働ける子供の居る家族ならさらに歓迎される。子供が減少して、小学校や中学校が閉校になる危機なのだ。今の現状は農業希望者は決して排除されていないと言うことだけは、体験者として書いておきたい。ひつこいようだが一昔前の話だ。

 農の会に新しく参加した女性が、農業委員会に農家資格の申請の相談のために行った。すると後日、農業委員会におられた方が家まで来たそうだ。何か調べるのかと思えば、農地を世話をして上げる。農家になれる方法があると見えたそうだ。家まで来てくれて親切だと思ったら大違いだった。

 実はその農業委員の方は、その女性と婚活だったのだ。家に来てくれれば好きな農業をさせて上げるという話だ。もちろん有機農業も良いだろう。その女性は見た目が飛び抜けてすばらしいというわけではないのだが、どこに行っても忽ち男性に気に入られ、結婚して欲しいということになる不思議な人なのだ。

 そして、結婚して、離婚して、又結婚して、離婚してと言うことを繰り返してきた人だ。詳しくは知らないのであくまで話を盛っていると考えてもらった方が良い。今はすばらしいひと結婚して安定している。子供も生まれしあわせに農業をしている。

 この本の舞台はなんとなく小川町くらいの関東の近郊のような感じだ。小田原と置き換えても良いのかも知れない。農業大学校に通うことになるようだが、学校の指導が有機農業らしい。これは私には驚きだった。そんなところがあるのか。まさかだー。

 もしそういうことがあるとすれば、小川町辺りかとつい思い出された。神奈川県では有機農業は指導してくれない。指導できる人が居ない。有機農業は有機農業が出来る土壌でなければ難しい。有機農業向きの土壌の存在する農業大学校は極めて少ないだろう。それでもなんとなく、公的機関が有機農業を指導するように変わってきているのかも知れないと感じる。

 農家の婚活パーティーに出る話も、話としておもしろいが主人公のような女性が出るというのは無理がある。止むえず出るような設定がないと。あちこち無理がある話だが、お話だからそれでも良いのだろう。婚活パーティーはテレビでも時々やるくらいだから、話としてはおもしろい。まして、哀れな嫁の来てのない農家の親父をさらしものにして笑いがとれる話だ。

 婚活ドタバタ劇は結構人間くさくておもしろい。ただ、農家側の男性のひとりとして読ませてもらうと、どうも納得がいかない。それほど農家の親父はだめ親父かとため息が出る。そうかも知れないが、それほどではない。この悪いイメージが実際の所蔓延しているのかと言う実感。

 今の時代に農業を続けている人間は実は相当に優秀である。優秀でなければすでに止めざる得ない状況が続いてきている。もう長年耐え抜いた強者だ。能力が高いから、止めない工夫をして継続している。ただ、仕事一筋と言うことはあるのだろうから、女性には縁がないのが普通だ。素晴らしい独身男性が農業者にはいる。

 ブロガーも登場する。元大手新聞記者の女性ブロガーである。そういえばブログを利用して、結婚詐欺をしていた人が居た。それを思い出した。私も毎日ブログを書いているが、73歳になるので、婚活の必要はない。16年毎日書いているだけで、これが他の事に繋がる実感はまるでない。ブログを書くことはブログの中で完結している。

 何故ブログで収入を得ることができるのかと言うことが不思議なのだが、この人は商品の紹介を上手くブログに滑り込ませるらしい。この人がこういうのだから、買おうかと成る。この人のブログで商品を紹介して貰えると、売り上げが伸びる。こういうブログがあると言うことなのだろう。

 今ではブログではなく、インスタとか、フェースブック、ユーチューブと言うようなものなのか。まあ、よく分からない世界だ。インターネットは日進月歩の分野なのだから、10年以上ブログを続けていると言うこと自体が、ポンコツなのだろう。

 そして顛末の行く先は、農ガールが経営を成功させる。ブロガーの学生時代からの友人の御陰で、めでたしめでたしと言う筋書きである。1番おもしろいのが経営なのだから、もっと様々な成功事例を載せて貰いたいきがする。農家が成り立つのはそれは様々なことになる。

 2つとして同じような成功事例はない。いつも特殊解なのだ。新規就農者が成功する一般解はない。だからどれほど突飛な成功でも良いのだ。あれこれの特殊解を書いて貰いたかった。それぞれに感動の物語がある。婚活以上に興味が湧くはずだ。

 まあ、羽田から気がついたら、石垣島である。退屈せずに過ごすことが出来た。それ以上のことはないのだから、文句を言ったら罰が当たる。充分に楽しく読ませていただいた。農ガールも大変なことだ。相談してくれたら、もっと良いアドバイスが出来たのにと、残念だ。
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魅力度ランキングなど本気にしては

2021-10-20 04:00:32 | 地域


 群馬県知事が、群馬県の魅力度ランキングが下がったというので、訴えてやると記者会見で吠えていた。群馬県民としての気持ちは分からないでは無いが、ネットのランキングに一喜一憂するのは無意味だ。ネットでの人寄せの材料程度の、ランキングが横行している。

 怒るならこの根拠の無いランキングをニュースのネタにして、〇〇県がまた魅力度ランキングの最下位になったなど、時間つぶしのネタに使うようなテレビの報道のほうである。最近のテレビは調査能力がないから、ネットから適当な面白ネタを拾ってきて垂れ流している。まったくテレビ報道の自負心が無い。

 石垣島では連日のように石垣市が11位になったと報道している。一位が札幌市で二位が京都市である。これは行ってみたい場所ランキングというようなものかもしれない。暮らしたい街ランキングならまだ分からないでは無いが、まさか札幌市に暮らしたい人が一位というわけも無いだろう。それなら人口が減るようなことは無い。

 ネットをよく見ている人なら、馬鹿馬鹿しくてそんなことで怒ったりするはずが無い。知事ともなると忙しくて、ネットサーフィンどころでないので、こうしたいい加減なランキングがどれほど適当な作りなのか分からないのだろう。良い方だけうまく利用すれば良いだけのことだ。

 幸せ度ランキングなどと言うと、自分の地域はどのくらいかなどとつい比べる気持ちが湧いてくる。本格的な調査も無いわけではないが、ネットに出回るだいたいのランキングは実体など何の関係も無いような安易な調査である。石垣市の市長がどれほど問題人間かなどランキングには出てこない。

 ついちょっとクリックしてみようかという気持ちを呼び覚ましさえすればいいだけのものだ。企業コマーシャルを入れて、アクセス数を稼いでいるにすぎないものが山ほどある。つい引っかかって、無意味な誘導に乗せられて10以上もあるページを最後までクリックして読んでしまうことがある。

 いったい誰が仕組んでいるのか、購入した子犬が熊だったという話を延々と興味を繋ぐ文章にしてあるだけの無意味なものをついつい二回も読んで仕舞った。結論を書いてしまえば誰も読まないので、いかにも次の展開を読みたくなるように、何なのか、何なのかと読みつなげて行く、書き方はうまい。次のページをクリックさせる技術を競っているのだ。

 最近はまたあれかと思うから引っかからなくなったが。ネットというものは一見おもしろそうな記事を次々とたどってしまうものだ。例えば、円安に関して読み始めると、それに関係するだろう記事に飛べるようになっている。ついついサーフィンになる。

 こういう記事は有料ものが多い。だから、途中でお代を請求されたところで終わる。さらに、無料で読めるものはないか、他をあれこれ探してみる。さらにさらにと、ついつい読みつなげて行く。そのうちなるほどという記事に当たることもある。そうした記事を載せているものをブックマークしておく。

 サーフィンの波をかき分けている内に、興味のありそうなランキングというものが割り込んでくる。多くの人が競べると言うことが好きなのだろう。特に住みやすい街ランキングというものは目立つ。先日読んだと思うのだが、一位だったか、上位に白山市が入っていた。

 白山市は 河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、 松任市、美川町、鶴来町、白峰村、が合併して出来た新しい市だ。河内村に美術部の友達が住んでいたので、どんな場所だかよく知っている。鳥越村には大学の寮があった。ここに行ってスキーをよくした。

 鶴来の街は独特の雰囲気があって住みたいくらいに好きだった。50年前に歩き回ったことが何度かある。白山神社の独特の杜がいい。最近も懐かしくて行ってみたが、50年前の山の中の街というような賑わいの感じはなくなっていた。

 これらの地域をひとまとめにして白山市と言われてもどうもしっくりこない。魅力度と言われてもどこに焦点を当てているのか混乱してしまう。山村らしい魅力がある。水田地帯の良さがある。当然そう言うのでは無い気がする。人口の増えて都会化した松任や三河の街場の方だけを見ているのだと思う。整った住宅地である。

 群馬県はランキング下位で怒ってしまったらしいが、ランキング下位に関しては上位以上に根拠の乏しいひどいものだ。まったく怒るにあたら無い。それでは上位だけを示せばいいようなものだが、下位グループの方が案外に興味を引くので、下位の方まで発表するのだろう。

 こんなもの誰も本気で読んではいないだろう。作るがわもそこそこの程度の意識である。だけれども、当事者となると別の気持ちで読むことになる可能性がある。魅力度が低いと名指しで言われれば、気分は悪いのは当然のことだ。

 これが魅力のある温泉ランキングで、群馬県の草津温泉が一番になればついつい気分が良くなる。根拠は同じぐらい適当なものであれ、上位に関してはいかにも根拠があるかのように受け入れてしまうのだろう。ところでこの魅力度ランキングで一位だったのは北海道である。

 一帯北海道のどこが一番になるほど魅力があるというのだろうか。私ははっきり群馬県の方が魅力を感じる。北海道は寒くて暮らしにくいナンバーワンかと思う。だから人口減少が大きいのだろう。白山市だってそうだ。ジトジト雪の頃を考えたら、暮らしにくい場所としか思えない。

 日本海側の県が人気が案外にあるが、暮らしたことの無い人の意見に違いない。鳥取とか島根とか、素晴らしいところだとは思うが、暮らすには大変なので人口減少が進んでいると思うのだが。まあ、白山市には友人が多いので悪くは思っていない。第一中川一政美術館がある。

 気にしてつい見ているのは日帰り温泉ランキングである。この二年間は行かなくなってしまったが、絵を描きに言っては日本全国の日帰り温泉に入れて貰った。一日絵を描いて、日帰り温泉に入る。まさに極楽である。あちこちで入れて貰ったが疲れが取れる。石垣島のホテルでも入れてくれるところが、二つあるが、温泉では無い。

 コロナが収まったらば、アトリエカーで全国日帰り温泉巡りの写生旅行をしたい。まず福岡に車を送っておいて、車をと合流して全国の日帰り温泉に立ち寄りながら、絵を描くつもりだ。来年の9月頃なら可能になっているだろうか。

 石垣の田んぼが終わり、水彩人展の前後である。この頃なら小田原の稲刈りでもある。うまく日程が組めれば、是非行きたいものだ。行ける体力がある間に是非とも行きたい。この時には全国日帰り温泉を踏破するつもりだ。そして、オリジナルの日帰り温泉ランキングを発表したい。

 
 
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舟原ため池のカキツバタ

2021-10-04 03:58:26 | 地域

草刈り前


草刈り後

カキツバタ株分け後

 小田原市久野舟原に江戸時代初期にできたと言われる溜池がある。小田原市の貴重な農業遺構として整備をさせて貰っている。小田原では唯一の溜池であり、江戸時代初期の貴重な農業遺構である。この場所は小田原市の市有地である。

 美しい久野の里地里山の会が管理委託を受けて整備をしてきた。だいぶ状態は良くなり、以前の溜池の姿が戻ってきている。年5回ぐらい草刈りをしなければならない。今回も小田原に来ている間に草刈りをした。田植えと重なったので、3人での草刈りになった。

 今回は溜池の中のカキツバタの株分けをしたかった。秋に株分けをするようにしている。カキツバタはずいぶん増えて、見ごたえが出てきている。これを溜池の上の池全体に広げれば、その美しさで溜池も誰かが保全を続けてくれるのではないかと考えている。

 カキツバタは通販の園芸店から購入したものである。そこにあったものではない。最初10株を購入して植え付けたが、すべて枯れた。翌年もう一度植えて寝ずいた。それが今は350株にはなった。ここまでくれば、もう一息で池の半分くらいまで広がり見ごたえが出てくるだろう。ため池の整備が出来ることが小田原に来る目的の一つである。

 上下の2つの池の境目にある堤に太い管が3本埋められているのだが、その管の周りから水が漏ってしまうようになった。冬の水が減少した時期に、ここを直すつもりだ。池に水が溜まっていれば草はある程度抑えられる。水が溜まるようにしなければならない。

 カキツバタを選んだ理由はここが一つ下の欠ノ上集落の田んぼの為の溜池だったからだ。田んぼに似合う植物はやはりカキツバタである。あの目の醒めるような青は田植えを始めた淡いみどりによく似あうと思う。そして、水生植物の中では管理が特に必要がなく、自然に自生してくれる楽なものだからだ。

 農業遺構である溜池に花を植えた意味は、美しい場所になれば農業遺構として潰されないと考えたからだ。もともとは溜池は4つあったそうだ。ところが、3つにはごみを運び込んいつの間にか埋めってしまったのだ。市有地だったのだから、管理が不十分だったという事だろう。

 唯一、車では入りにくかった一番上の溜池だけが残された。それでもごみで半分は埋もれていた。管理されない場所はいつの間にかごみ捨て場になる。ごみを少しづつ片づけてきたが、まだ土の下にはごみがある。ごみを集めてそこでたき火をして燃やしていて、怒られたこともある。


 
 溜池の周りには田んぼや畑がある。ここは酒米の山田錦の田んぼだ。とても良くできている。この田んぼは麦とイネの二毛作を続けている。これで2年目である。1年目よりずいぶんよくなった。2毛作を続けると土壌が良くなるという事を見せてもらった。

 20年前は一番上の溜池の半分だけが唯一残されていた。そのあたりだけが水を満々とためていて、オシドリのつがいが泳いでいた。たぶん芦ノ湖あたりと行き来していたのではないかと思う。その美しさがあまりに印象的で何とかこの溜池を美しい場所として残せないかと考えた。

 それから20年間紆余曲折があり、やっと権利が明確にされた。小田原市の所有地に明確になった。書類上は旧久野村の登記が残されていた。それ故に、小田原市が合併したときにその権利は小田原市に移管されなければならなかったものだったのだ。

 そして、溜池の管理契約を里地里山の会で請け負う事になった。管理者がきちっと存在しない限り、小田原市も正式な登記に移すことがためらわれたという事もある。もともとの水利権は欠ノ上の集落にあった。一年に一回草刈り管理をしていた。

 ところが、欠ノ上ではその水を利用して田んぼをやる人が減少した。水利組合での管理が負担になり、管理が出来なくなった。その為に業者にお願いして草刈りをするようになった。欠ノ上の水利権者に権利を放棄してもらうことを小田原市が依頼して実現をした。

 年5回の草刈りをする。この冬には溜池の中間にある水漏れをなんとか塞ぐつもりだ。大豆の会の収穫が11月第3週。その翌週あたりが大麦の播種。この前後に工事をしたいと思っている。2日間あれば工事は可能という事だった。


 溜池の上にある農の会の大豆畑である。全体で2反少しあるのだろうか。鹿が来るので高いネットで張り巡らせている。ため池の周りの放棄農地は今はあしがら農の会で耕作している。この大豆の収穫が11月第3週という事である。その前後にはまた小田原に来る。

 カキツバタの株分けである。1日目の10月2日は草刈りで精いっぱいだった。頑張ってやり過ぎて少し疲れた。3日にカキツバタの株分けを行った。午前中楽しんで作業した。大株になっているところをシャベルで切り分けて、まだカキツバタのない場所に植えこんでいった。

 一昨年、昨年と植え替えは枯れる株もなく、倍、倍と広がった。今年植えれば2列になり、池の3分の1ぐらいになるだろう。いつか上の池はカキツバタが一杯になり、それを見に人が来てくれるようになるに違いないと思っている。

 舟原ため池が出来た江戸初期に久野は水田が一気に増えたようだ。そして集落には人が増え、久野村が出来た。そうした久野の人の暮らしの歴史を感じることのできる大切なため池だと思っている。久野で田んぼがいつまで続くのかも不安である。

 小田原城が武士の遺構とするなら、庶民の遺構である溜池は、私にはずっと重要だ。なくなることで、人間の暮らしの歴史が見えなくなる。いつか小田原城よりも、舟原ため池の価値の重要性が理解される時代は来るはずだと思っている。
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