地場・旬・自給

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赤クロバー

2009-04-30 06:16:29 | 稲作
赤クロバーが田んぼ一面に咲いている。なかなか美しいものである。田んぼもレンゲでやったり、菜の花でやったりした。麦を蒔いたこともある。今度は赤くローバーである。いずれ何か作らないといけないと考えている。土を良くするには、地面に何も茂っていない状態は良くない。できるだけ、変化があることがいいと思っている。毎年、レンゲでなく、菜の花でなく、冬の間に作る作物の方は変えて行くことがいい。いずれ何十年か経ったときそういう結果が現れると思っている。それは畑でも同じで、空けておくのが一番良くないようだ。連作障害というような意味ではない。土を良くして行くコツのようなものが、地面を裸にしないという事にある。生き物が豊かに成ると言う事だと思う。多様な生物が存在することで、一部の偏った、生き物が偏在することを抑える。だから畑も、自分の力量以上に広くない場所を、こまめに管理することが、いい土を育むことになる。

田んぼの場合は、毎年稲を作る。これは極端な形である。何かに偏りがちであるものを、水が流れ込むことで、上流部のやまからの恩恵を受ける。そのために、何千年も同じ作物を作りながら、豊かな土壌をつく出だせる。人間が作り出した究極の農法である。自然を手入れする範囲で利用させていただく。無理なく、大きな改変を行うことなく、自然の豊かさを減ずることなく、自然に馴染んだ農法。しばらくレンゲを続けようと考えていたのだが、昨年レンゲの食害が起きた。タコゾウムシである。クローバーなら大丈夫かもしれないと考えて、クローバーから変えてみた。今の所発生していない。アカクローバーにしたのは、美しい花を楽しんでもらいたいと言うのもあった。新しく来た人間は、とかく目障りなものだ。一生懸命に成ればなるほど、不安を与える。せめて、新参者の畑や田んぼは花が綺麗だくらいはあっていい。

上の果樹園は今菜の花が、種になったところだ。1反の菜の花で、60キロの種が取れる。これは少ないのかどうかは知らないが、昨年はそうだった。油の自給と言う事を考えると、どうしても行いたい。60キロで20リットルぐらいの油が絞れるらしい。食用はどうにかなりそう。灯りの方は行灯と言う事はなかなか難しい。昔はどこにも油屋さんがあり、種を持ち込めば、油と交換してくれたらしい。物々交換はありがたい。二宮尊徳の人物伝にそのようなことが出てくる。その油で金次郎は勉強をする。勉強をする為に先ず、菜の花を作る所が良い。菜の花を作ると、稲が遅れる。この辺がなかなか微妙で、作業の折り合いをつけるには、少々、工夫と努力が要る。6月中旬以降の田植えと成る。それでもいいのだが、頭の切り替えが出来ないとならない。田んぼと菜の花では頭が仕組みが違う。

豆科作物が5月号の「現代農業」の特集である。様々な利用法が出ている。今年は、畑でも大豆に挑戦するつもりだ。今まで畑で上手くいったことがないので、何とか挑戦してみたい。結局水分不足、風害、など色々あったが、畑で挑戦してみたいと考えている。小豆とかインゲンとか、乾物で保存がきくマメ科作物を作ってみたい。豆と言うのは、あまり食べられなくなっているが、保存が利く点で興味がある。マメ科作物との輪作体系と言うのが、とても畑の土を良くするようだ。豆の後は良くない。と言う話も聞く。土壌で何が起きているのか。麦の間にアカクローバーを混載することも出ていた。麦の穂が少し膨らんできた。そろそろ、ネットをかけないといけない時期が近づいてきた。ネットは大変なので、案山子ぐらいで、済ませたいところである。
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農水の減反廃止シュミュレーション

2009-04-29 04:53:11 | 稲作
農水省では減反を廃止した場合のシュミュレーションを作った。5つのパターンがある。減反を10万ヘクタール強化した場合。キロ306円。現状を続けると、243円。完全に廃止すると、162円。これが農政改革特命チームでの10年後の予測である。減反を廃止した場合の姿をまず、国民に知ってもらう。その上でどれを選ぶかを選択してもらおうと言う事になる。日本全体で生産できるお米の量は、およそ1,400万トン。必要な量が831万トン程度である。実際に生産されるお米の量は、885万トンになっている。もし、キロ100円の価格上乗せをすると。1000万トンで1兆円が必要となる。減反を一切廃止すると。1兆円の価格保障をしないと、農家は稲作を経済行為としては行えなくなる。一方から言うと、食べる人にとっては、1兆円食費が下がると言う事は、ありがたいことであろう。定額給付金のようなものである。

10年後の農家の姿を想像した時、このシュミュレーションには、大きな欠落があることが分かる。10年後の農業就労者数の予測だ。減反を廃止しようがしまいが、2020年には稲作農家数はが半減し100万戸を切る。農業センサスでは予測している。半減した農家が、減反を廃止した時、現時点より60万ヘクタールも稲作地を増加できるのだろうか。到底信じがたい数値である。当然小規模農家の減少数が中心であろうが、その分が大規模農家あるいは法人の面積増加に繋がっていない現状がある。大規模営農が可能な地域は、日本全体では限定されている。東北、北陸、北海道の一部地域。国土全体を考えた時に、稲作をそうした地域に限定し、他地域では継続困難になってしまう事も問題がある。日本の国土保全、安全保障において、稲作がどのような位置づけになるか。ここが重要に成る。

地域の特性を見極める必要がある。稲作を考えるに当り、全体で一つのシュミュレーションではない。各県のシュミュレーションを行うべきだ。さらに各市町村レベルでの、将来像を想定する必要がある。例えば、足柄地域で言えば、学校給食利用を中心に行う。この場合、価格がキロ100円安くなれば、その分給食内容がよくなる。地域の農産物、海産物が利用できるようになる。行政がその100円を買い取り価格に上乗せする。これは教育予算として、国が補填する。一方、減反が廃止され、より大規模に稲作が行えるようになる地域では、コスト削減が可能になる。法人参入もよりスムーズにすすむ。そのような地域ではキロ50円程度の補填で済むかもしれない。各自治体ごとに、将来の地域像に基づき、稲作の姿を想定する必要がある。今のままでは、耕作する人材が居なくなる。農業も技術的な仕事で、親子代々の伝承がなくなった今、人材育成から行わなければ成らない状況にある。

安ければ良い。と言う時代の風潮である。小売業は安売り競争である。生活が苦しい。格差社会が顕著化し、路頭に迷うものが増加する状況では、安売りも仕方が内面もあるが、安売りは消耗戦である。競争の中で食品が劣化して行く。長い目で見れば、悪い事である。食品は適正価格で販売されたほうがいいものである。お米が生産費以下で販売され続けることは、間違いである。大きな崩壊に繋がる。生産過剰分を食糧援助に回す。10年後には、必ず食糧危機時代が来ている。世界の人口増加と、肉食化を考えれば、食糧危機は必ず来る。そのときに備え、日本の水田を維持することは、日本人の使命とも言える。世界には日本の棚田水田以上の、不利条件地の水田がいくらでもある。総合的に見て水田ほど優れた農業はない。当面少し高いかもしれないが、10年後に、農水のシュミュレーションがいかに間違っていたかに気付くのでは遅い。
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豚インフルエンザ

2009-04-28 05:04:06 | Peace Cafe
WHOが警戒水準を3から4に上げた。世界全体への感染の拡大が予測される。ウイルスの研究は遅れているのか、正確な情報は少ない。その中でも判るのが、WHOという存在の判断力の欠如だ。前回の会議で、4に上げるべきとは誰でも考える。5の必要もあるとさえ思う。いかなる理由で、3にとどめていたのか。初期防疫こそ最重要であるのは誰にでも判ることだ。WHOの専門家と称する人達がこの程度のレベルであると言う事は、よくよく覚えておかなければならない。幸いなことに、メキシコ以外では死者が出ていない。これも理由は判らないが、アメリカではかかった人が軽微なインフルエンザ病状である。何が違うのか。先ずこのことの調査に当らないことには、判断が難しい。麻生首相の判断は良かった。WHOの甘い決断力のない態度の中、すばやく空港での防疫体制を固めた。メキシコからの帰国者には迷惑であろうが、追跡調査をお願いするしかない。出来る限りの自宅待機。

ここからは素人考えであるが、いくつかを推測してみる。
「メキシコで何故豚インフルが起きたか。」メキシコでは弱毒の鳥インフルが常在していた。強毒鳥インフルのワクチンの使用も許可されている。こうした環境で、養豚業も主要な輸出産品として、大規模経営がされている。しかも、豚インフルも常在していた。鳥インフルに感染した鶏を蚊が吸う。そして、豚に感染を移す。同時に、人間のインフルの患者も、蚊が刺し、その後豚もさす。このことが起こる環境が頻繁に存在したのではないか。結果、豚の体内では、人間のインフルウイルスと、鶏インフルの二つが存在する条件が出来る。その豚が他の豚に感染を広げる。そして連鎖が起こる。この間に、人間起源のウイルスと鶏起源のウイルスの蛋白の混合が起こる。こうした過程で、新しい人人感染が可能な、ウイルスに変異する。豚を念入りに調べること。これが予防する、最善の方法である。鶏の防除以上に、豚を慎重に調べておく。

「何故、メキシコだけ死者が出ているか。」メキシコではかなり前から、人感染が起きていたのではないか。2,3ヶ月前から存在した可能性が高い。じつは感染者は何万人の単位ではないか。そしてその大半が回復している。しかし、一部の他の病気を持っていた人。あるいはインフルエンザウイルスにたいして、悪い特殊な反応を起こす人が、死にいたる重症になる。メキシコ人の病気に対する対処が、病院へ行くのはよほどの場合と考えているのではないか。風邪くらいでは病院にはかからない。この新型インフルはそれほど恐い病気でないかもしれない。感染力は強いが、病原性はそれほど強くない。
「若年層に感染者が多い。」これは鳥インフルの感染でも見られることだが、今回もどちらかと言えば、若い人に多い。年寄りの方が免疫力が低くなっていると思われる。しかし、インフルエンザでは若い人がリスクが高い。インフルエンザの免疫が、交差免疫によって、自然免疫の場合他のウイルスの免疫でも効果がある可能性がある。

今から、ワクチンの製造を騒ぐようでは全く無意味である。もしこれが、強毒のウイルスであれば、既に何万人もの死者に広がっているだろう。新しいウイルスが出てから、後追いで、ワクチンを作るなど泥縄である。新しい病気が生れないようにするしか、人間が生存する道はない。その為には家畜の大量飼育。大量消費の習慣をやめる以外にない。食べ物は安ければ良いようなものではない。安い食べ物の生産の為に、怖ろしい病気が生れ、大変な費用が掛かる。今回の事を教訓に、大規模畜産を禁止することが、唯一の人間が生存する道である。これからさらに、怖ろしい病気を生み出すに違いない。生み出しておいて、ワクチンを作る愚かしさ。必ず、何の手も打ちようもない、手に負えない病気が登場するだろう。まだ間にあう。いまのうちに、大規模畜産を禁止する事だ。肉など、めったに食べなくてもいい。

昨日の自給作業:苗の植え付け1時間 累計時間:22時間
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農地法の改正

2009-04-27 04:54:28 | 地域
農地法改定が行われる。17年の大きな改定の方向を具体化するもののようだ。
▽所有から利用促進に転換する 。
▽一般企業にも貸借可能になる。
▽貸借期間を20年以内から50年以内に延長する。
▽違反転用への罰則強化、違反法人は1億円以下の罰金。
▽農業法人への出資規制緩和、農商工連携は50%未満まで。
農地法の改定の主眼は、食糧自給体制の構築にある。平成17年に、企業参入が可能になる改定を行った。ワタミなどが参入した。残念ながら、結果としては耕作放棄地が減少し、食糧自給率が向上するような変化はなかった。さらに、企業参入に期待した方式を推進しようとしている。効果があるとは思えない。

農業に企業が参入しても、経営は無理である。一般、肉体労働並みの賃金を払い、企業が収益を上げるようなことは不可能な産業である。可能であるとしてもそれは、限定された一部の農作物である。農業全体に企業参入が起こるようなことは、あり得ない。農業は日本では、成立しない産業である。原因は、輸出を基幹とした産業構造にある。もし企業が農業進出を考えるなら、ベトナムとか、中国とかに農場を作るであろう。安い土地で、安い労働力で、気候に適合した農産物が生産できる。もし、日本で農地を取得すると言う考えを持つなら、当面農産物の生産からの直接の利益を目的としたものではないだろう。補助金目的である。土地の集積による資産的投機目的である。余剰労働力の有効利用。土木機械の有効利用。色々考えられるが、日本で農業を行い、農産物から純粋に利益を上げることは不可能である。米が生産調整をやめたらば、半値に成るという試算が出た。他の農産物は生産調整をしていない。半値になっている状態。

企業が参入した結果、どう言う事が予測できるか考えておく。一応は農業をやると言う事で、農地を取得するが。倒産する。撤退する。そうなれば良いだが、その前に資本の考える利潤に基づく発想。企業は利益目的である。起こりそうな事
(1)農地を堆肥と称する廃棄物の投入場所にする。
(2)農業地帯が殺風景な工場地帯のようなところになる。
(3)利益追求のあまり農業公害の多発。
(4)化石燃料の膨大な使用。食糧以外の生産地の可能性。
(5)農産物に更なる低価格競争が起こる。
(6)手のつけられない、企業所有の塩漬けの農地。
(7)利益の出ている有望作物だけが、虫食いにされる。
企業が国際競争力のある、農業を行い。食糧自給率を挙げるような農業の先例を作れないことは、3年間の試行で理解しなければならない。農地法の改定はほとんど無意味なことになる。

日本には日本独自の伝統的農業が存在する。利益を追求するための農業ではなく、暮してゆく為の農業。大多数の国民が農民であった時代。半工半農である。炭も作る。油も作る。衣服も作る。家も作る。道普請もする。が、食糧は自給する。エネルギーから、食糧まで、専業的でなく。それぞれの生業の中で、重なり合いながら、折り合いを付ける暮らし。自給自足的な経済に戻れというのでなく、自給自足的な食糧生産の方式を、最先端の工業社会に融合させる必要がある。
IT環境・医療・教育・福祉・行政機能。日本国中同等のレベルを作り出す。地方格差を存在させない。都市機能を下げる。集中させない。そうした全体の改変の中でしか、農業の復権はない。輸出企業を推進していながら、農業も守ると言う都合のいい論理は、そもそも無理なことなのだ。
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豚インフルエンザ

2009-04-26 04:56:36 | Peace Cafe
メキシコ、アメリカで豚インフルエンザが、人人感染を始めたようだ。まだどの程度の感染力を持っているのか。病原性の強度も良く判らないが、緊張する情報である。兼ねてより、鶏からの変異ではなく、豚からの変異の方が新しい流行の可能性が高い。と予測していた通りの事が起きた。WHOは鳥インフルエンザばかりを問題視して、豚からの変異、あるいは蔓延の方への注意を怠っていた。鳥の方のインフルエンザの人感染については、人人変異は先ずあり得ないと、当初から予測したとおりの経過を経ている。単純に、豚インフルエンザウイルスの変異と考えていいのかどうかも、少し疑問がある。もう少し、豚の方の調査が必要であろう。豚は、良くインフルエンザに掛かる。風邪を引きやすい動物である。しかし、免疫があり重症に成るようなことはない。だから、潜在化している場合もある。このウイルスの変異と言う奴が、いずれ曲者である。

家畜の逆襲。動物との関わり方において、人間は間違っている。生き物をまとめて、何百万も飼育することが、大きな危険を招いている。この自覚がない以上、繰り返しこうしたことは起こる。起こる度に事件は大きくなる。最後に人間は滅亡する。人間が行っている事は、自然界が何千万年かけて作り上げた、調和を壊していることなのだ。イスラムでは豚を食べない。仏教では4つ足を食べない。こうした事が戒律になったことには、理由がある。獣肉は美味しく、ふんだんに捕れる環境では、人間は大いに食べてきた。しかし、様々なアクシデントが起きたはずだ。食べたものが原因不明に死ぬ。そんなことが繰り返えされた経験を通して、肉食を禁ずる戒律が生れた。当たり前の事で、種として人間に近いものほど、人間が感染する病原菌を持っている。哺乳類を家畜として飼うことは、そもそもリスクのあることだ。その自覚を持つ必要がある。

ウイルスの変異。これについては、未解明の分からない事ばかりである。結論が出たような部分は少ない。一つに、感染の連鎖がある。ウイルスが強毒の変異が起こることがある。とは確認されている。また、感染の連鎖で、人人感染の起こす変異も起こりうる。感染の連鎖とは何か。7回程度繰り返しらしい。ウイルスが新しい宿主に、感染し違う環境に移る。これはストレスを伴うだろう。まして、その新しい環境が、よりストレスを強めるような環境であれば、例えばウイルスを防御する抗体、薬剤の存在、ウイルスの変異の可能性は上がる。これが繰り返される環境が、自然界には一般にない。イノシシの群れと言ってもせいぜい30頭。鶏でも同じくらい。水鳥などの群れで、1万くらいだろうか。もし、自然界でウイルスの強毒が起これば、死滅して終わる。これが何万年の歴史だろう。これが、先日の愛知のうずらなどでも、すぐ100万とか言う数が出てくる。

そもそも人間が1000万人とかが群れで居ることは危険だ。せいぜい一群1万くらいまでだろう。そうしたことがなければ、メキシコの豚インフルエンザはすぐ収束する。家畜は逆襲しているのだ。先日の愛知のうずらは抗体があった。つまり、病気には感染したが、直った。こうした理由で、つまり、人間のもしもの僅かのリスクで、160万の命が焼却処分された。こんなことをしていて、人間は許される訳がない。いつか、家畜の逆襲にあう。天に吐いた唾は必ず落ちてくる。最近のいらだつ日本人はパニックになりやすいので、冷静に対応してもらいたい。すぐワクチンと言う発想になるが、新しいウイルスにワクチンはない。ワクチンはリスクのあるものだから、安全性の確認を考えても、急場に間にあうものではない。だから、鶏に気を取られているWHOを批判してきた。まだ、情報も少ないので、情報を集める。とくに豚の状況の調査。ウイルスの分析。当然やるだろうから。先ずその結果待ち。
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おだわらトライフォーラム

2009-04-25 04:09:11 | 地域
小田原市では、現在、おだわらTRYフォーラムへの参加を募集している。新総合計画を作るに当り、おだわらトライフォーラムと言う手法を提案し、市民参加を呼びかけている。市民団体等が政策提言を行い、行政の提案も含め、無作為で抽出された市民が、各テーマを討議する。加藤市長の市民参加の形が具体化されてきた。斬新な手法であり、新しい挑戦だと思う。幾つかの市民団体に参加するものとして、政策提言ができるか考えている。所が問題は、テーマが既に設定されていることにある。63テーマとなっている。多分各課から、討議テーマとすべき課題を挙げていったのだろう。だから、この63のテーマの挙げ方に、総合計画立案において「市民と討議すべき内容は何か」と言う。今の小田原市の市民とのかかわり方が現れていると言えるだろう。農政課では「十郎梅のブランド向上を進めよう」「農業を通した都市市民との交流を広げよう」「小田原の森を身近に感じよう」の3本がテーマとされている。

小田原市農政課が市民や市民団体と議論をおこない、総合計画を内容あるものにする為に、引き出そうという課題が、この3つである。私なら「食の地域自給」「遊休農地をどう考えるか。」「里地里山の再生」この3本に搾る。環境政策課では5テーマ。「ごみをへらそう」「ごみの分別をさらに進め、資源を有効利用しよう」「もったいないの輪を広げよう」「身近な自然を大切にしよう」「ごみ堆肥化の地域循環を進めよう」「ストップ!地球温暖化」何となく行政の思想が分かってきた。自分が業務としてやっていることに対して意見を言われたくない。こう言う思惑が背景に潜んでいる。私なら「ごみの焼却」「広域ごみ処理」「製造者責任に対し」「ごみ会計の検討」この4つを提案する。

部門の中にはとてもシリアスなテーマ「自治会についてかんがえよう」地域政策課。こんなものもある。私が考える側面とはまるで違う意味の提案なのかもしれないが。じつは、どのテーマも繋がっていて。「身近な自然を大切にしよう」という漠然としたテーマだって、大げさに言えば世界金融システムと関連する。それが暮らしというものだと思う。そうではあるが、ごみについて広域処理が避けられているのは問題である。今ごみ処理において、緊急の市民的課題である。ごみ広域処理を検討課題にせず、ごみの事を考えることなど不可能である。100億円の巨額な費用が掛かる計画が市民に何も知らされず、意見もまったく言えない状況で、着々と進行している。市議会においても、まともな議論はされたこともない。市民に意見を言わせたら都合の良くないこと、これこそ、大いにテーマに上げ、暮らしとは何かを考え、行政の役割、市民の役割を認識することが重要ではないか。火葬場は地域に対して、説明もなく広域化されてしまった。市民もぼやぼやしていられない。

農業で言えば、小田原と言う恵まれた土地で可能となる、地域内循環こそ重要である。どうすれば地域自給が可能になるか。これを市民が話し合うことに意味がある。しないで出来た沢山ではない作物が、なぜ地域で消費されないのか。なぜ、農家が経営できなくなるのか。市民はそれに対して何が出来るのか。議論すべきテーマは極めて重要で、豊潤であるとさえいえる。議論を避けなければならない理由は何か。なぜ行政は正面からこのことをテーマにしないか。業には立ち入らないと言う事か。そう言う事ではないようだ。行政の考える市民像が、少し違うのではないだろうか。悪く言えば、意見の分かれるようなテーマでの、難しい議論は無理だと見ていないか。市民団体として、このように限定されたテーマ内で意見を出すことは難しい。これで充分に市民の意見を取り入れた総合計画に成るとは、残念ながら思えない。テーマの選定のやり直しが必要。少なくとも、「その他のテーマ」と言うジャンルを設け、意見募集をすべきだ。

昨日の自給作業:種蒔き1時間 累計時間:21時間
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悪法:産業再生法成立

2009-04-24 04:54:46 | Peace Cafe
公的資金を活用した一般企業への資本増強策を盛り込んだ産業活力再生特別措置法(産業再生法)改正案が22日、参院本会議で自民、民主、公明党などの賛成多数で可決、成立した。政府は月内にも改正法を施行、支援企業の選定基準を示す。支援対象として、「国内従業員数5000人以上」など、破綻(はたん)すれば雇用への影響が大きい企業を想定している。

ひどい法律が出来た。今起きている経済の状況の変化を、理解出来ていないゆえであろう。大企業優遇の最たるものだ。大きな会社が倒産すれば影響が大きい。小さい所はかまわない。経済は平等でなければならない。それはゆがみを生むからだ。資本主義経済の唯一の長所は、自由な競争にある。難かしい理屈もあるだろうが、私の所のような最小の養鶏場でも、その10万倍の規模の養鶏企業も、卵を売る経済に於いては同じ条件でなければ成らない。私も一銭の補助も受けていないし、企業養鶏場も同じでなければ原則が崩れる。それが自由競争の原則である。崩壊しかかった大企業というものには、崩壊する理由がある。理由は様々であろうが、時代の変化に対応できない、企業体質になっているのだ。それが健全な資本主義社会の、大原則である。アメリカが日本の失敗から学べ。としていることを丸で税金で企業を救済することのように考えるのは間違いだ。経済政策は迅速に行なわなければ、効果がない。こういう意味だ。

企業を国有化する。国有化して世界の経済競争に立ち向かう。これは逆行ではないか。自由主義経済から、国家計画経済にすると言う事か。これもまたアメリカ追随と言う事か。アメリカは競争に勝つためなら何でも正義になる。自由競争が有利なときは、農業分野の開放まで迫って、小さな国の自給の農業まで崩壊させてきた。所が一旦、自国の自動車会社が経営破たんすると成ると、自由競争どころか、まるで国営企業のように保護を始める。アメリカの主張する正義は、いつも自分が競争に勝つための正義である。自分が不利になることを主張することはない。強者が強者の地位を保全する自由競争。何でもアメリカの真似をする日本は、早速企業の倒産を避ける、法律を作る。経営難にある大企業を認定し、政策金融機関である日本政策投資銀行が公的資金で優先株などを購入して出資する仕組みだ。出資した企業が破綻し損失が出た場合には、国が税金で補てんする。

企業が倒産しかかる原因は、その企業にある。農業分野を見ればよくわかる。大企業が進出などしない。儲からないことはやらないのが資本の流れだ。儲からないことを理念だけで行えば株主訴訟になる。儲かると考えていた仕組みが儲からなくなるにはそれだけの理由がある。輸出依存にある。輸出依存によって、肥大化した企業を支えることなど、どれほど税金を投入して不可能なことだ。企業が大きく舵を変えるべきだ。アメリカが駄目なら中国だ。こう言う発想ではさらに、大きな破綻が待っている。破綻は小さい内の起きた方が増しだ。だから大企業の倒産の影響が大きいから、保全すると言う発想になるのだろうが、それはシロアリの喰っている家の屋根を直しているようなものだ。日本経済の土台を変えなければ、意味がない。政府がてこ入れをする企業を決めるらしいが、これは、企業献金の貢献度によるのだろうか。

経済は縮小し、暮らしも質素になるだろう。当然の姿に戻るだけだ。今の日本人の暮らしは、危ういアメリカと言う土台の上に、間借りしているようなものだ。しかし本来の日本人は、こんな情けない姿ではない。日本人の優秀性は、循環社会の見事な創出にあった。特殊な条件下ではあったが、小田原は小田原としての経済の自立があり、足柄地域の自給という事が行われていた。問題点もあるが、未来を切り開く要素が、たくさん潜んでいる。封建制、差別、飢餓、一揆、悪い要素が注目されてしまうが、過去の日本人がつちかった知恵を、今こそ復活させ、日本人が日本で暮せる仕組みを作り出す良い機会だ。潰れるものが潰れるの仕方がないことだ。潰さないということは、問題を温存すると言う事になり、結局大きな悲惨につながる。自由競争ぐらい残してもらわなければ、情けないじゃないか。
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草刈の開始

2009-04-23 06:08:10 | 自給
草刈は農作業の中で一番時間を取られている。4月22日今年始めての草刈をした。久し振りの草刈機の登場で、機械の調子が悪く。背負い式の方は直しに出さなければ駄目なようだ。幸い小さい方はかかりは悪いのだが、動き出せば調子がいい。そもそも機械の事は興味がないので、何度教わっても肝心なことをすぐ忘れてしまう。それでも草刈機のような使用頻度の高いものは、ある程度の修繕が出来なければ、話にならない。近い内に順番にチェックしてみるつもりだ。それでも駄目な時に、額田さんにお願いしたい。先日額田さんは機械講習会をしてくれた。農の会の機械関係の責任者でもある。電子関係のエンジニアで、会社を経営されていたのだが、辞められて小田原の農家に戻られた方である。農機具屋さんとは違い、何にも判らない、我々のような者にもわかるように、農機具の整備法を教えてくれる。お陰で、以前調子の悪かった、発酵機も今は調子よく動いている。

額田さんに機械を見てもらうときは、先ず1000円を払いすることになった。治る直らないでなく、叩いて動き出しても、ガス欠で動かなくても、1000円は払う。それぐらいみんなが機械音痴で迷惑をかけていると言う事。一目治らないという見立てをいただいても、1000円。今まで好意に甘えすぎてきた。しかし、今度は好意に対して、お金を払っているのだから、と言うような気持ちが出てきたらいけない。いずれやって見なければ判らないのだが、規則で何かを決めなければならないというのは、良い事ではない。むしろ悪い事である。悪い事ではあるが、そのようにせざる得ないと考える人が、出てきたというところに、農の会の今の状態が、あるのだろう。人が増えると言う事は、大変なことである。農業高校では、農業機械の講習があって、トラックターの分解までできるようになったという話を伺った。農業高校の素晴しさを実感する話であった。

草刈機は草の状態で、軽いほうが疲れないこともある。笹が混じるような所なら、背負い式の方が良い。これから、頻繁に草刈をする。草が良く生えることは、土が良い状態にある一つの条件である。いい土になったら、草が生えないと言う事は、全くありえない。畑として利用するのに適した土に変わり、草の種類が代わると言う事はある。ただし、土は何万年もそこに存在し、作られてきたものである。そう簡単に変化はしない。機械で客土するようなことをすれば別である。畑をやりながら、自分なりの頃合い、折り合いをつけて行くもののようだ。私が今耕作している場所は、400年は確実に耕作されていたに違いない場所だ。可能性としては、1000年を超えるかも知れない。だから、土壌が云々といえるほどの観察力もないが、働いていてその過去の耕作された人との繋がりが嬉しくなる。この先に繋げて行く思いも深まる。

これから週に一回は草刈が続くだろう。それを減らしてゆく工夫をしたい。草が生えているから良い。そんな草生にしてゆきたい。菜の花を1反ほど蒔いて、とても美しかった。今種になってきている。菜の花の中には、30本ほどの果樹が植えられている。なの花のあと、何かいい緑肥作物を蒔く予定だ。菜の花はこれで、昨年の経験では60キロの実が取れる。その実を絞れば油になる。40リットルにはなると言う話だ。昔なら油屋さんにもって行けば、油と交換してくれた訳だ。明かりの分を考えてもかなりの量である。今年も油を絞ることはできないが、栽培が自給の循環に取り込めることは段々判ってきた。田んぼに蒔いたクリムソンクローバーは急速に量を増してきた。後一月どんな変化になるのか、興味深い。草刈をするより、草を生やす。これを上手く取り込む。これが大切な課題。

昨日の自給作業:草刈1時間 累計時間:20時間。
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農業技術の継承

2009-04-22 05:00:52 | あしがら農の会
農家になれるか、成れないかの一番の分かれ道は技術の確立にある。それは別にどんな職業でも当然の事であるが。身体を使う職業では、決定的な要素になる。まして、有機農業となれば経験的な蓄積を、頭と身体で身に着けなければできない。それは、農家規模となると、技術の深さ、組み立てが根本から違ってくるようだ。田んぼの技術は1反以下では別の事になる。多分、畑でも同じだろう。田んぼ1反を上手くまわす技術が身につけば、田んぼ農家といわれる規模でも可能だと思う。技術が何より重要であること。そしてそれを継承する仕組みを作らなくてはならないこと。私としては、自給自足の技術の継承は、いつでも受け入れるつもりでいたのだが、今度田んぼの技術を継承する田んぼをやることにした。田んぼ学校。現在生徒は4名。一年ここで学べば、来年は一人で耕作できるようになる。教えることは学ぶことだと言うから、知識を整理する良い機会となるだろう。

モデルタウンの事業の一つにしたいと考えている。それは有機農業はとくに技術の確立が重要だからだ。技術がないと、同じことが数倍の労力が必要となる。農薬、除草剤を使わないのだから、ただでさえ労力の必要な農法である。それをどうにかして、省力的に行なわなければ農家には成れない。庭でやる程度なら、誰にでも可能である。1反を超えてやるとなれば、技術がなければ、身体が参ってしまう。ついでに体力の事を考えると、農業を行う体力はほとんどの現代人に失われている。江戸時代の4分の1、戦前の半分の体力。化学肥料を使わない農業を体力的に行えない身体になっている。昔の人はやっていた、と言うのは別の話である。体力が基本は当たり前で、先ず働ける身体にならなければ、身体を壊す。まして、昔と違って、定年帰農などと、60過ぎてすごいことを考える。

現代人は体力不足をカバーするためにも、技術の確立が不可欠となる。有機農業の技術は、工夫する精神に支えられていなければ成らない。自然の中で植物を栽培すると言う事は、常に見えない先を読むことになる。遅霜が来るか。雨が降るか。何時種を蒔くか。発芽率はどのくらいになるか。先を読む感覚が磨かれなければならない。微生物の働きは月の運行とも関連している。鶏の餌の仕込を続けてきて何となくは感じる。堆肥を入れる日にち一つ、いい日がある。しかも、あれこれ順番がある。こうしたことが身につくかは、観察する感覚の鋭敏さによるだろう。この感性の方も、現代人にはないといってもいい要素。体力がない、感覚がない。つまり、体力と感覚とを培いながら育っていかない限り、有機農業はできない。

そう言う事は結局、一緒に暮して親が子供にいつの間にか伝えるような技術だろう。農家も結局職人。有機農業ではその仕組みがすでに失われている。それが、研修と言う事になるのだろう。研修システムの構築。国の研修もある。卓越した個人の研修もある。民間組織の研修施設も相当数ある。ここならばと言うお勧めはない。個人の場合は、個人の思想まで研修する。宗教団体主催もどうもいただけない。ごく普通のものが必要だと思っている。農業技術に勿体をつける必要はない。技術を継承できれば良い。一番合理的なのは、違う技術を比較しながら見れることである。なぜ違うのか、違っているとどう結果に現れるのか。その点、小田原の有機農業協議会の研修活動は、新規就農者にとても可能性のあるものになるだろう。何十年のベテランから、大きな企業的農家まで学ぶことが出来る。同じ道の先を行く新規就農者もたくさんいる。
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韓国の人工衛星打ち上げ

2009-04-21 04:32:58 | Peace Cafe
韓国も7月にロケットを飛ばすらしい。これについては人工衛星と報道でも一応普通に書いている。韓国との関係が協力関係国になってきた姿である。しかし、この打ち上げが、北朝鮮との軍事的バランスの中で、進められてきたし、日本もその中にいることは考えておく必要がある。このロケットも日本の上空を通過しそうだ。このロケットの一段目がロシア製であると言う事は興味深い。落ちたらば一段目のロシアの技術を理由にするのだろうか。アメリカは非協力と言う事か。日本の申し入れか。価格の点か。しかし、韓国の衛星打ち上げには、三菱重工業の技術が提供される。日本が受注して、種子島から打ち上げる。ビジネスと、軍事的関係。衛星やロケットには、月探査が子供の夢をかなえる。と言うような平和イメージを作りながら、実は全てが軍事的な力関係であったことは、米・ロの宇宙開発競争を考えればよくわかることだ。

北朝鮮のロケットはミサイルで、韓国や日本のロケットは衛星打ち上げとして、別の事にするのかは二枚舌。韓国では今回北朝鮮のロケットを衛星打ち上げという報道もある。日本で全てがミサイル一色である。しかも、自民党の国会議員の何人かは、日本の核武装まで主張を始めている。アメリカでも日本の核武装に対する警戒、あるいは奨励の論議がされているらしい。どうも核武装を論議もしないことは、北朝鮮への抑止力にならない。と言う事が主眼のようだ。議論することは少しも悪い事ではない。田母神氏のように、憲法遵守が義務とされる公務員が、憲法に反する発言をしたり、議論を提起するのとは、意味が違う。国会議員の発言はむしろ、国民的議論に載せるべき内容である。北朝鮮が核武装して、日本に何時でも原爆を落せる状況にある。この状況を踏まえて、日本の平和への道をどう想定するかは、いま最重要な岐路である。

デビ夫人に対し右翼が街宣を仕掛けたようだ。北朝鮮に何度も訪問し、北朝鮮擁護の発言をしているからのようだ。北朝鮮擁護の議論も大いに存在すべきだ。一辺倒は良くない。それを暴力によって押さえ込もうとすることは、北朝鮮の独裁国家体制と同じレベルで、論議になる。あくまで民主的姿勢で、このことを論議することが、平和への道筋だと思う。力には力で対抗する。泥棒と警察と言う形。泥棒となる国家が存在すると想定する。まさに、北朝鮮のように国際的警告に一切耳を貸さない、国家の存在である。しかし、アメリカもそうではないだろうか。自分の正義に対しての異論に、一顧だにしない。そうして、北朝鮮に対して唯一影響をもてる中国の立場を崩してしまった。中国を国連で追い詰めることは、平和への道を閉ざすことになる。議長声明で溜飲を下げると言う事はある。国際社会が一致して批判していることを示す必要もある。しかし、その上で、中国の北朝鮮に対する影響力を高めてゆける、道を残さなければ成らない。

核武装には核武装で、対抗する。この道は人類が滅亡する道である。それは、広島長崎に原爆を投下された日本が主張しなければ、どうしてもならない。又それが一番効果が高い日本の主張である。核保有力のある日本が非核3原則を持ち、これを世界に主張することが、北朝鮮に対して国際的抑止力に繋がる。現実としては、アメリカに対して、非核化のアプローチをすべきだ。アメリカが核廃絶の道をとる。それが世界の潮流に成るように、努力すること以外、平和への道筋はない。アメリカの非核化こそ、世界の非核化に繋がる。そうした努力を先ずすべきだ。テロとの戦い、などというごまかしの論理に基づく、アメリカの言いなりでは、アメリカの力の低下する状況では、日本の未来は危うい。

昨日の自給作業:水路の修復1時間 累計時間:19時間
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稲、種撒き終わる。

2009-04-20 05:33:55 | 稲作
舟原田んぼ、めだか田んぼ、の種蒔きが無事完了した。舟原分が280穴のセルトレーで200枚。これで2反5畝ぶん。めだか分が200穴を31枚。5畝ぶん。天候にも恵まれ、順調な種蒔きができた。赤松さん2名、岩越さん、まごのりさん、酒巻さん、木村さん、青沼さん家族4名、石井さん。笹村2名。高橋さん、佐藤さん2名、力石さん、岡本さん家族3名。20名の種蒔きだった。午後には、永塚田んぼの種蒔きがあるので、1時には必ず終わる予定で進めた。朝8時からの作業で、12時にほぼ終了した。途中休憩はなし。疲れたら各自勝手に休むと言う事で、作業の流れは滞らないように続けた。午後からは田んぼにセルトレーを運び、代かきをしてあった、120センチ巾のトレー置き場に順番に並べた。二列になったが、深いところ浅い所が、少しある。この作業に2時間掛かった。

セルトレーの苗土は8が山土、1がくん炭、1がピートモス。ピートモスは少し実験的に試してみた。輸入品だし、本来使うべきではないのだが、事情もあって少し試した。今年も相変わらず、あれこれ実験しながらの進め方になる。播種を1週置きに3回に分けるつもりだ。最初に蒔いたのが、12日の月の田んぼの分。もう芽が1センチほどに伸びている。19日が舟原分。そして、めだか田んぼ分を来週に少し加える。5葉期の大苗で植えたいので、どのタイミングがベストに成るか。播種時期を試している。もう一つが、パオパオとラブシートがどの程度差が出るかも、試している。200穴と、288穴の違いも比較する。苗は重要なことなので、最善の流れを探りたい。私たちの取り組んでいる方法は、自給用の田んぼの一番良い方法である。普通の農家から見れば、馬鹿げたようなものだろうが、これが案外合理性がある。

手植えの方が、機械植えより合理性があるなど、信じられないだろうが。全体の労働時間ではそうなるのだから不思議だ。苗作りも様々変遷しながら、あちこちの方法を取り入れて、現在の所まで来た。種籾を100グラムづつ分けて、浸種する所もあるぐらいで、そのほうが良いというのは、愛情の問題である。愛情がわけば、熱心さが増して、全体では効率が良い。こんなのは、昔の田植えが競技会であったという、話と同じようなことだろう。作業の途中に面白い話を出来ると言う事も、とても大切なことだ。たまに会う仲間だから、近況報告やらイベント案内など、そうした連絡も暮らしにはとても、大切になる。昼食は、最小限の家のベランダで食べた。広がる菜の花畑に続いて、舟原の美しい春の景色が広がっていた。この春満喫が絶妙で、楽しい集まりになった。

今年は、初参加の人が何人もいた。鬼柳、舟原、月の田んぼと合同での作業になった。3つが親類の田んぼとして、連携してゆこうと言う話になった。近年希望者がいても、参加を受け入れられない状態があった。今年はモデルタウンの中で、新規の取り組みも始まる。是非助け合いながら良い活動にしたい。希望者が、各田んぼの個性に合わせて、選択できて、例えば永塚田んぼのように、田んぼの楽しさを味わい尽くそうというグループ。新永塚田んぼのように、農家的生産を目標に完全自給を目指す田んぼ。山北たんぼでは、個人田んぼとグループ田んぼの結合を模索している。田んぼのグループで、大豆栽培も併せて行う予定だそうだ。各田んぼが個性を発揮している。今度やるめだか田んぼは「技術の学校」にする。一年学べば、自分の田んぼが始められる。そんな学校のような田んぼにするつもりだ。

昨日の自給作業:種蒔き6時間 累計時間:18時間
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明星岳登山道開き

2009-04-19 05:18:22 | 地域
明星岳登山道開きが行われた。写真は頂上での加藤市長を囲む参加者の様子。私は最後尾担当だったので、この時はまだ、尾根に出た頃だっただろう。何しろ、70人以上が隊列を組んで登って行ったので、20分は先頭と差が開いた。朝夕見上げている山に、こうして地域の人達と登れるだけで、感無量だった。小さい子供から、お年寄りまで、それは幅広い年齢の方々が参加してくださった。広報で参加者の募集が行われた。当日、急な参加をされた人なども入れて、登山道開き式には100名を超える方が参加してくれた。とくに、地元和留沢の皆さんが早朝より何かと準備をしてくれていた。いつもは静かな和留沢の美しい集落も、この日はよそ行きで、とても華やいでいた。和留沢は花で集落中が整えられているのだが、4月18日と言うどこもかしこも花が添えられたような、良い日となった。

100人の人が集まると成ると、先ず心配となるが駐車、何の混乱も無く完了した。準備万端。開通式典には、市長、市議会議長、地元小中の校長先生、と参加戴いた。式典では、向山神社宮司によって、神事が厳かに行われた。行政の事業では今は神事は行わないと成っているそうだが、里地里山協議会の主催と言う事で、皆さんの合意で、神事を行う必要があると決まった。やはり、山に対する畏敬の念を表わすには、神事によって登山道の開通を祝うことがしっくり行く。地鎮祭、ふいご祭り等でもお願いすることはあるが、今回ほど、気持ちを込めて加わることが出来たことは無い。これは宗教とはべつの物のだ。山という存在との対し方では無いだろうか。そして、太鼓の演奏。これが場に相応しく、実にすばらしいものだった。テープカットを行い、太鼓の鳴り響く中記念登山の開始。全てが順調に進んだ。

とても見事な式典になり、主催者として誇りを感じたが、実はほとんどが行政の人の準備であった。全く休日返上で準備万端整えてくれた。今回の「うつくしい久野・里地里山協議会」の共同体性は、地域の運営の良いモデルケースになる。地域の人が何を行い、行政が何を行うか。こうした分担、役割の精査が必要だと思う。やって見なければ分からない事が多かった訳だが、行政は配慮が行き届いている。全体を見渡す能力が高い。地域の人は行動力することできる。少しづつでも大勢となれば相当の事が可能となる。4年間、会議だけでも20回を数える。そのことを通して、随分互いに気持ちが通ずるようになった。最初の頃は、団体交渉のような、不信感をあらわにした会合だった。目的も明確に出来ないまま、新しいボランティアの刈り出し方のような、不思議な進み方だった。自治会の活動なのか、地域の農業者の活動なのか、はたまた環境運動なのか。先が見えない中進んできた。まだ、これで良しという訳ではないが、スタートラインにたったことは確かだ。

これから、いよいよ事業の開始になる。地域の人の生業にどれだけ役立つことが出来るか。ここにかかっているのだと思う。地域にある農林業が、活性化されて始めて、里地里山は手入れが行われる。豊かな山に成ると言う事は水が良くなると言う事。水が良くなれば、田んぼも良くなる。海も良くなる。全体の循環の要になるのは、地域の農林業が生きてくることにある。久野地域は豊かな恵まれた条件の場所である。ここで農林業が存続できないようでは、日本中どこだって、存続など出来ない。茶業。植え木業。鉢物。田んぼ。野菜。柑橘。キューイ。今残る姿は、この悪条件の中、生き残ったとても強い姿なのだと思う。これらの生業の連携がとれ、より生き生きとして来ることが大切なのだろう。今日は田んぼの種まきであるが、こうした一つの事が、全体の中でどう生きてくるのか。楽しみになる。
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政治家の定年制

2009-04-18 04:41:07 | Peace Cafe
自民党は参院比例区の70歳定年制を廃止するようだ。あの中曽根元総理、宮沢元総理にすら定年を建前に引退を押し付けたにもかかわらずだ。麻生政権になって、全てが先祖返りしている、らしい。そもそも、自民党が定年制を作った意味も、追い出すための手段だったのかもしれない。今度の変更は何を意味するのか、どうしても加えたい70歳以上の人がいると言う。片山虎之助氏が焦点のようだ。山本一太氏のブログに、面白いことが書いてあった。政治生命をかけてブログを書くと言う決意だ。自分のたち位置をブログで表現しようと言う事らしい。それが、肝心な時の抑止力に成るというのだ。例えば70歳定年について、自民党執行部批判を痛烈に書いている。そうしたことに対する、自民党内部の圧力という物が、あるのか無いのか、このブログをチェックしておくと良い。出来れば、コピーしておき比較する。何が書かれ、何が消されるのか。

定年とはなにか。散々養鶏業60歳定年を発言してきた。それは60歳以降はもう残り時間も少ないのだから、生れてきた自分の、純粋にやりたいことを遣り尽す。そういう思いだった。だから、70歳でも政治をやりつくしたいなら、やればいいだけだ。自民党の比例区に入れてくれと言うような、不純とは少し意味が違う。ただし、歳相応と言う事は大切だと思っている。今の今こそ、全てである。59歳8ヶ月の今を自覚して生きたいと思う。農の会では代表は2年交代である。水彩人も2年交代である。私がかかわり意見が反映できる、組織ではいつもそう言う事を主張してきた。それが出来ないような組織は、大体に民主的ではない。もちろん民主的が全てではないから、それでもいいのだが、次に送る仕組みこそ、その組織の本質を表す。と考えてきた。

名誉とか、権威とか、面子とか、そうしたものは純粋に生きる為には、障害になるだけだと思ってきた。やりたいことが充分にやれるためには、どうでもいいことは出来る限り、こだわらない。政治家からそういう要素をすっかり取り除いけたら、どんなに良くなるかと思う。自分を捨て駒に出来るような人材が、どれだけいるかが、その組織、国の力量だと思う。日本人はそうした美学の民族だったらしいが、どこで変わったのか、変わらなかったのか。大体道徳観念と言うのは、不足部分こそ力が入る。儒教の道徳心が言われれば言われるほど、儒教国の賄賂体質が見えてくる。孔子もきっと耐えられなかったのか、など思いたくなる。本質武士道的でなかった日本人。いさぎの悪い定年廃止。

昨夜、100歳のおばあさんのお通夜に伺った。斎場の入り口におばあさんの写真が飾られていた。さすがに、立派な写真だった。幸せそうな家族の写真が並んでいた。100歳まで農家を支えられたに違いない、姿だった。そう有りたいとつくづく思った。舟原でもそうしたお年寄りが見事に農作業を続けられている。別段当たり前のように、畑に通う。畑でしばらく見ないなと思ったら、葬儀の回覧が回ってきて驚く。なぜ、あんなに元気に働かれていたのに。ある日、急なことに亡くなられてしまう。風景の中の点描であった姿が、自然にそういうものとして存在した姿が、失われてしまう。寂しいことだが、出来れば自分も学びたいと思う。
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冤罪とでっち上げ

2009-04-17 07:06:17 | Peace Cafe
防衛大学の教授の痴漢疑惑事件の無罪が最高裁で確定した。満員電車には乗れないと発言した、弁護士が居た。何かの間違えでそうした事件に巻き込まれたら、もう逃れようもない。こうした事件で著名な事件は植草一秀元教授である。本人は冤罪であると、一貫して主張したが有罪となった。そして、再犯までして逮捕された事件である。報道からの情報しか持たない一般のものとして、どう判断したらよいか、わからないままである。本人が否定したままで、真相がわからないという事は、罪も償われていないと言う事なのではないか。こうした時の報道情報というものが、どれほど信頼できるかにある。裁判官は自分が扱う事件の報道記事は読まないようにすると言う。世論の動向などが客観的判断を妨げる可能性がある。陪審員制度が始まる。裁いて欲しい裁判になるとは思えない。

専門家が客観性を維持するために、訓練し、努力して、最善を尽くす。それでも判断できないような、意見が割れる事件が相次ぐ。こうした社会状況で素人の陪臣員が正しい判断を下せるのだろうか。しかも、最近の報道はエンターテイメント的感性である。用心深さがまるでない。興味を引く様に盛り上げて作ってしまう。舞鶴の女子高校生殺人事件では容疑者の扱いは、人権侵害ではないだろうか。もし、犯人でない可能性を考えると、怖ろしいものがある。世論というものが、人為的に形成される恐れがあるものだ。もし、特定の人物を社会から抹殺するために、罠を仕組むことはありえないか。その人物を殺すようなリスクを犯すより、卑劣犯として、落とし込むと言う事はありえないか。小沢代表に対する西松事件に於ける、検察の取った行動は、何だったのだろうか。麻生政権の圧力とは思いたくないが、そうした謀略の意図があれば、出来ると言う事は示している。そんな謀略が起こり得ないようにするのが、報道の使命だ。

健全な社会とはこうした「見えない力」が、一切働かない社会である。見えない不安の存在が少ない社会であろう。公明正大であり、全てが白日の下で行われる社会である。そのために日々注視して行動する必要がある。公正さを支えるために、とくに、とくに報道は最大の注意を払う必要がある。現在の報道で一番失われているのは、事件のその後の報道である。カラスが南足柄で死んでいた事件。全国紙では結局この事後報告を見つけられなかった。神奈川新聞によると、全くの原因不明が報告されている。視聴者読者が興味を引きそうな時は、飛びつく。しかし、その後については結論が出ても報道すらしない。これが結果、垂れ流し報道となる。朝日新聞社襲撃事件のガセネタ掲載事件。週刊新潮は誤報を認めたが、自分も騙された被害者ぜんとしている。

高橋洋一教授の日帰り温泉施設、脱衣所での時計置き引き事件。私には真相は分からないが、なんとも不思議な事件。冤罪の可能性も考慮に入れざる得ない。有能すぎる人が、愚にも付かない行動を取ることもある。それにしても、なぜこれが警察情報として外部にもれたか。普通この程度の事件で警察からの報道発表はない。著名人故。大麻事件で大きく取り上げられる、運動選手、タレント、大学生。犯罪の抑止的影響。もしも、高橋教授を気に入らないと考える力が、付け狙う。そして陥れる。さらに気に成るのは、その後の報道規制。真相は別にして、対応には何か見えない意図が働いていそうだ。問題はその扱いではないだろうか。本人が犯行を認めていると言う、この部分だけ警察が出す。その後の経過は一切の報道なし。何やらおかしな社会がにおわないか。
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あしがら農の会通信84号

2009-04-16 06:50:06 | あしがら農の会
あしがら農の会では毎月通信を発行している。先日鈴木編集長に伺うと、600部ぐらい作るそうだ。この通信から、農の会のことを知ってくれる人も多い。それぞれの記事が、並列的に並べられている。統一した考えとかがある訳で無く、一人一人がそれぞれの考えを書いて並べている。それが面白いところだと思う。違いを違いとして認め合えると言う所が、農の会の一番の特徴だろう。4月号の記事に養鶏をやられてきた、Yさんが養鶏業を止めると言う事を書かれていた。私も養鶏業を定年して隠居。と発言してきたことを、少し考えさせられた。「なぜ農を始めたのか。目的は何だったのか。」こう書かれていた。そう言えば、Yさんにはそう質問をされた事もあった。Yさんは企業を定年退職されてから、足柄地域に見えた。当時、塾をやりたいといわれていた。Yさんも書かれているのだが、多くのひとは「農業が好きでかかわっていたい。」こう答える。

私の場合も、こういう暮らしが好きだとしか言いようがない。だから定年だと言うのは、とても誤解されるだろうと思いながら、あえて宣言してきた。それは、より作物を育てること、鶏を飼うことに深く接したい。業をはずすことによって、続けたいことを純粋にやって見たいと思うからだ。一人で全てをやる体制に入って、100日以上が過ぎたわけだ。予定では、8月の60歳の誕生日をけじめにしようと考えていた暮らしが、ある事情が生じて、数え年に早まった。やっぱりこんな暮らしが好きなのだと言う事以外でてこない。いまや、束縛は無い。やらなければいけないとか、仕事だからとか、立場上とか。そういう全てを抜きにした時、毎日何をするかと言う事になる。今までやってきたことと、同じことをやっている。結果云々とか、この先とか、そういうものもほとんど無い。目的というような感じはいよいよない。

好きなことを充分やらせてもらっているのだから、こんなに幸せな幸運なことはない。やることがあるとすれば、農業が好きでやりたいという人の、手助けはしたい。鶏を飼いたいと言う人が居たら、その手助けをしたい。とは思う。自分ひとりでこの幸運を終わらせたら申し訳がない。ちょっと前までは、大半の日本人は農林漁業に暮していた。その幸せ感の中で生きていた。その厳しさというものを忘れている訳ではないが、自給自足の暮らしというものは、一日1時間の労働で、済んでしまうようなものだ。だから、昔の人は暇を持て余していた。さて今日は何をするか、と言うような毎日のはずだ。だから貧困で発展性も乏しい。そうした暮らしは克服されなければならない。そう決め付けるような、否定的なものなのか。もしそうだとすると、私の毎日はその否定されるべき、前近代的な日々と言う事だろう。

通信には地球博物館の苅部さんが、毎回中身の濃い記事を巻頭に書いてくださっている。今回は、モートンイトトンボの事が書かれている。このありふれたイトトンボが絶滅に瀕しているそうだ。ありふれたと言うのは、いくらでも居た記憶しかないからだ。そんなイメージだけで名前も知らなかったが、当たり前のイトトンボのことのようだ。この前まで当たり前だった、農村の暮らしが実は絶滅に瀕していて、「なぜ、農業をやるのか」と問い直すようになったのだと。私こそ、幸せのトンボだなぁー。そう思った。軽部さんによると、このイトトンボが日本の田園に戻る可能性は充分にあるそうだ。ちょっとした田んぼ農家の気遣いで、生息が維持されるそうだ。だから、良い農家の田んぼごと、飛び飛びにイトトンボが生き残ってきたそうだ。♪幸せのトンボよーどこへー。
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