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足柄平野の放射線量の測定

2011-05-31 07:08:18 | Peace Cafe
足柄平野の放射線量の測定は、行政の測定値と同じであった。小田原の合同庁舎で行っている。今日でいえば、0,05マイクロシーベルト。足柄上の合同庁舎で、0,03マイクロシーベルト。測定するようになってからほぼこの値であるが、この値は私たちの測定と大きくは違わない。この値は、ガンマー線測定器の値である。測定機の機種も、私たちが測定したものとほぼ同じ。型式の違いぐらいのようだ。測定機器には、様々な測定法があり、違う数値が出るタイプのものもある。放射線にはα、β、γとある。そのうちこのタイプはγを測定している。この辺が難しい。全線量測定をすると、また違う値が出て来る。一般的に3倍くらいの値が出る。この意味が良く分からない。なぜ、ガンマー線だけで行政は良しとしているのか。多分だが、取り込まない限り、つまり内部被ばくしない限り。ガンマー線以外は人体に影響が無いからということのようだ。

判断は自ら行うしかないのだが、原発爆発前の放射線量を調べて、それと比べてみている。そして、小田原で耕作して行くしかないし、大丈夫だという結論に至った。今回の測定値は、福島原発事故以前の数値に、ほぼ戻っていることを示している。しかし、放射能の作物への移行計数は重要なことだ。土壌に降り積もリ浸透したものはまた別である。今回、3千数百ベクレルある荒茶の山がある。そこに測定器を近づけても、測定値は0,1程度にしかならない。土壌が100ベクレルぐらいであるとは、根府川の測定値である。これでは空間線量にはさして影響しないだろう。土壌は以前とは違う数値である。空間線量と土壌放射能含有は異なる。チェルノブイリの時にも、世界中の核実験の時にも、日本は汚染された。レベルを考えなければ世界中どこでも放射能については、逃れることのできないものとしてやってきた。年間1ミリシーベルトが許容範囲という、表現は、自然放射能に加えてという意味らしい。事故以前の自然放射能が、自然と言っても人間の仕業が大半であるが、1ミリから10ミリくらいの幅がすでにあるのだから、それに加えて、リミットをどこに考えるかの問題だろう。

現在の小田原の空間放射線量は、原発事故以前の川崎のレベルである。あるいは関西の数値である。誰も川崎は、関西は放射能が危ないから住まない方が良いなどとは、言わなかった。すくなくとも、川崎は小田原の2,3倍はあったのだ。繰り返すが、だから小田原は安全と決めつけていい、などとは言わない。それをどう考えるかだ。少なくとも土壌の中には、以前無かった放射能が増えたのだ。子供が泥遊びが出来ないなどというのは、良くないことだ。どの程度まで大丈夫かの、確信が欲しい。ダイオキシンやその他の焼却場から出ている可能性のある、様々有害物質においても、知らないがために気にも留めていない物質も多々ある。専門家の中には、その危険性を強く指摘している人たちもいる。だから溶融炉を作らせてはいけないと考えている。現代社会はリスクというものが見えない形で広がっている。

多くの人が、不安を抱えている。理由は2つある。政府が信頼できない事が、最大の原因。すでに犯罪的レベルである。もう一つは、悪質ともいえる不安を煽る情報が、インターネットで飛び交っている。不安な人間の心理として、最悪の場合を積み重ねて行きがちである。お茶畑の土壌の調査結果は、近く出て来る。どのくらいの土壌の汚染で、どのくらい作物に出るのかが問題なのだ。場合によっては昨年のお茶の状態も調べなければならない。これから、原発汚染をかわしながら暮らすしかない。幸いと言っていいのか、うまく付き合えば、小田原なら何とかなる範囲のようだ。子供の頃すぐ草笛を吹いたものだ。ピーピー鳴らして土手を歩いた。あれは今は駄目だ。除草剤の危険が明らかにある。うちの犬は草をすぐ食べてしまうので、それで死んだと思われる。子供の暮らしのリスクは、増加している。
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原発事故の解決方法

2011-05-30 04:43:27 | Peace Cafe
原発事故の収束が見えない。素人が解決策など分かろうはずもないのだが、小出先生がラジオで明確な意見を述べられていた。まず、今の状況は解決に向かって居るどころか、終息へ向けた道筋にすら立っていないこと。まず正しい現状認識に立たなければならないこと。当初から言われてきた、冷却が出来ないということに原因がある。大量の高濃度汚染水の処理が障害に成っている。汚染水の処理は一時間でも早くやらなくてはならない。ところが、10週間経過した今も、何の前進もない。この愚鈍、無能、決断力の欠如。情けないやら、今更ながら怒りが溢れて来る。この間唯一良かったことは、再臨界に成らなかったことぐらいだ。どうすればこれほどひどい対応でいられるのだろう。原発というものの、必然性としてやむえないものであるなら、原発というものは即刻停止するのが当たり前のこととなる。怒りで思考が停止してしまうほどだ。

小出先生が言われるには、汚染水の除去。タンカーに汚染水を入れて、柏崎刈羽の廃液処理施設まで運ぶのが最善の策。柏崎までピストン輸送して処理する。これだけである。問題はあるそうだ。タンカーの操縦士の被ばく。柏崎での処理能力の限界もある。しかし、それどころではない、もうこれしかない緊急事態であると言われていた。政府にも提言しているそうだ。しかし、政府は無視しているそうだ。怖ろしい事態だ。アルバ社が処理施設を傍に作るとか、処理タンクを緊急に作るとか言っている。しかし、時間がかかるという点に問題がある。今や垂れ流しで冷却している。注入する水の量を減らせば、温度がすぐ上がってくる。汚染水は溢れ出ている。当たり前である。穴だらけだ。一時保管している建屋だって漏れだしている。このままでは怖ろしい量の汚染物質が海に流れ出すままに成りかねない。もうこうなれば人類の生存に対しての罪悪は許されないほどのものに成る。

タンカー案は3月にはすでに出ていた。にもかかわらず取り上げられずに、事態の悪化に向かっている。その原因の一番は政府が状況の深刻さを自覚していないからである。あの楽観的な工程表を作れば、その通りなると、空想しているかのようだ。当事者東電の他人ごとのような官僚的対応。1カ月たって見直しするかと思いきや、何とかなると相変わらずの、鈍感。なぜ、タンカー方式が駄目なのか。接岸が難しい。汚染水の処理が出来ない。台風が来たらどうする。作業員が被ばくする。確かにタンカー方式に問題もあるだろう。少々の問題があろうとも、このままではだめだということである。アルバ社にお願いするなら、柏崎の処理施設の改善だろう。その方が早い。ともかく緊急を要する。ああもう10週無駄にしてしまった。

日本人の置かれた、この哀れな状況。海水注入を止めろという指示をしたしないの国会喚問。現場の吉田所長の独断でこの馬鹿げた指示が、なんとか無視されていた。多くの人の命を救ったのかもしれない。もしこのまま海に汚染水を垂れ流していたら、もう日本は国際社会にまともには顔を向けられない。タンカー方式が何故、2ヶ月も無視されてしまったのか。それとも十分考慮され、何か隠されている障害でもあり、不可能だということなら、状況は言われているより悪い。水曜日にやっと、お茶と土壌の結果が送られてくることになった。相当に高いことは覚悟しているが。土壌の公表の仕方を検討して行かなくてはならない。足柄平野一帯の空間線量の測定を行った。ほぼ。行政の発表と同じであった。このことはまた細かく報告する。
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久野川魚9300匹死亡

2011-05-29 04:09:38 | 地域
久野川の中流域に於いて、魚が9500匹も大量死した。5月13日のことである。翌日を含め95キロの魚を小田原市職員が回収した。驚いたことに即座に、焼却処理してしまった。その為、原因の究明が出来ない状態となってしまった。この件に関して、この間地元自治会に対しても全く連絡のないまま今日まで来てしまった。27日に成って、里地里山協議会からの要請で久野公民館において、自治会長にも集まってもらったうえで、小田原市環境保護課の課長と職員の2名が、当日の状況説明を行った。時系列的にかなり細かい記録が残されていた。にもかかわらず、魚の死亡原因の究明に対して、何もしていないという不思議なことであった。何故即焼却したのだろう。何故、科学的分析の為に県に依頼しなかったのだろう。一部でも冷蔵保存しておくというのは、普通のことだと思う。そうしたことは市の事故処理マニュアルにある。うっかりしたと言ってしまっていいことだろうか。

なにしろ時節柄、放射能不安が存在する。インターネット上で冗談のように放射能汚染で死亡したなどと流れている。警察にも通報があり、すぐに駆けつけている。事件性が無いということで捜査もせず帰ったそうだ。警察はそんなものかもしれない。行政はそれではいけない。何か特殊な事情が存在するのか。今一つすっきりしない事件である。今わかっていることは、10時ごろ、坊所川との合流地点付近で、大量の魚が浮きあがっているという通報があった。すぐ環境保護課の職員が駆け付けたが、すでにその付近では死亡した魚は流されてしまっていた。まだ汚染物質の流出などがあると行けないので、上流へとたどりながら目視で調査を続けた。欠ノ上公民館付近で3匹の死亡魚を発見する。この間1キロほどには、2匹の死亡魚しか見つからない。欠ノ上付近の農地の様子などを見るが、田んぼなどの耕作は当日していなかった。昼ごろに成ると、下流域からの通報が何件かあり、魚の回収を行う。魚の回収は翌14日にも行う。

まず疑うことは、溶存酸素量の不足、水温の上昇、水量の減少。しかし、当日は水量も多く、暑い日でもない。魚が死ぬような状態ではまったくない。とすると、農薬の放流か、工場の排水か、汚染土壌の流出か。久野里地里山協議会では、河川の水質検査を続けてきた。久野川のことは会員の関心の一番高いところである。今回のような大量死は、かつてなかったことだそうだ。何があったのだろう。私なりに周辺の原因に成りうる個所を歩いてみたが、不明である。本当に、残念なことは死んだ魚を調査せず、検体保存もせず、あわてて燃やしたことだ。行政の習い性に成っている、隠ぺい体質というか、事なかれ主義というようなものが、影響したのだとおもう。問題化しかねない証拠は捨ててしまう。放射能でも高い値が出たら困るので測定は行わない。県の責任だと逃げている。小学校の校庭ぐらいやるべきである。

行政には今回の事件の経過報告とマニュアルに比べて何が抜け落ちたか。そして、これからの課題として、どうあるべきかを書類にして報告して欲しいと要求した。課長は行うとの解答であった。適等に謝ってやり過ごそうという態度は許してはならない。これで何も無ければ、ああ上手く行ったというだけに成る。どうしても何かが隠されている気がしてならない。当日欠ノ上付近での大きな農作業は記憶にはない。夏に成ると、久野川では欠ノ上の淀みで中学生が飛び込みをして遊んでいる。もし原因が特定できないまま終われば、子供たちの水遊びにもリスクが伴う。意図的に誰かが何かを流し込んだという、犯罪行為も想像される。なぜなら、最近消火器を何百本も壊して回るものがいるのだそうだ。住民としては注意を喚起して行かなくてはならない事態である。
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放射能測定法

2011-05-28 04:22:31 | Peace Cafe
放射能濃度の測定法はばらつきが大きい。大まかに言えば、政府や原発関係機関から出て来る値が低い。市民レベルでの測定は、高い値が出て大騒ぎに成りがちである。測定法に統一が無い為に混乱が起きている。政府の考えている空間線量の測定法は、「1〇メートル以上」か、「屋上から3メートル以上」との指針。放射能は海外から飛んでくるものと想定していた為だろう。これではさすがに生活レベルの放射能汚染には対応できないというので、神奈川県の行う小田原測定は、地上1メートルに決めている。多くの研究者からの声で、地上1メートルにしようというデーターも増えてきているので、是非ともこのやり方に統一してもらいたい。個人が線量計ではかる場合、地上にくっつけるように測定している映像を良く見る。そして、極めて高いというような理解に成ることもある。空間放射能線量は生活への影響を見極めるものだから、1メートルに統一する必要がある。

土壌の放射能測定の場合もっと深刻なばらつきがある。国の土壌の測定法は、5センチの表土を剥がして、その下15センチの土壌を採って測定するというのである。農水省の今回の事故に伴う測定法は、土壌表面から15センチということのようだ。しかし土壌に草が生えていなければ、ある程度は正確な値が出るだろう。しかし、草地となると草の吸収分はわかりにくいことに成る。また、耕転してしまった土壌でも当然低く出る。広島大学の研究では、表土5センチに90%の放射性物質は存在するとされている。緊急に土壌採取法の統一が必要である。生活レベルでの不安は表土の汚染状態である。表土測定と、15センチ測定と、表土を取り去った測定と、分けて考える。報道の危険な表現は、結果の数値だけを測定法抜きに、書いてしまう。これでは不安だけを増幅するので、迂闊に数値の公表が出来なくなる。

もう一つは、水の影響である。コンクリートであれば、表面の放射能は流されてゆく。そこは放射能濃度の低い場所に成る。雨どいの浸透舛のような水の流れて溜まったところは高濃度に成るだろう。汚泥はそうとう高濃度に成っている。しかも、セシュウムは水溶性だということだから、流れて結局は海に行く量も多いことだろう。土壌中では、ミネラルや土自体に結びついて、あまり動かないものでもあるらしい。1960年からのセシュウムの減少幅は案外に少ない。空間線量では、どのくらいが許容範囲か。年間1ミリシーベルトというものが出てきた。20ミリからの突然の文部省の変更である。当然必要なことであった。これは自然放射線による被ばくに加えてという意味と考えるのだろうか。日本列島の自然放射線レベルは、平均0,11マイクロシーベルト/時間となっている。小田原での数値は、0,05マイクロシーベルト当たりが出ていて、平常な値となっている。ところが同じ場所を持参の線量計で測定すると、0,12前後となる。何故なのか。やっとこの意味が今回分かった。国は、全放射能を測定しているのでなく。ガンマー線を測定しているのだそうだ。


今必要なことは、市民レベルで現状を科学的に正しく把握する。そしてもし高濃度のポイントがあれば、東電なり、政府なりに通報して、測定をお願いする。それをやらさせなければならない。その上で、対策を考える。原発の事故対応に日本人の劣化を見る。肝心の水の注入をしていたのかどうかすら、政府が把握すら出来ない。到底原発などコントロールする能力はない。こういう中で、測定の結果は、科学的事実だからと言っても、即公表できる状態ではない。今日農の会では、広くあしがら平野を測定してみる予定である。そして、地域差があるのか。大まかな汚染の濃度を把握する。もし、必要な地点があれば、行政にそれを連絡し、測定してくれるようにお願いしたい。こうした行為自体が、事の鎮静化を望んでいる農業者からしてみれば、不満かもしれないが。実態を科学的に把握することからすべてが始まる。
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TPP滑り込み論

2011-05-27 04:08:47 | Peace Cafe
TPP加盟が11月に議論もないまま、滑り込もうという考えが、どさくさの水面下で進んでいるらしい。TPPと原子力発電は同じ考えに支えられている。原発の背景には、原発マフィアが存在するように、実はTPPの裏にも、TPPマフィアが存在する。東日本大震災、そして福島原発事故のすきを狙って、論点をすり替えてしまい、日本が沈没しないためにを掲げて、TPP滑り込み加盟を画策しているという。原発の問題では事故が起こるまで、その危険性を裁判所ですら認めなかったように、TPPの本当の問題点を想定外にしている。日本の農産物の国際競争力は、唯一のよりどころは安全安心であった。清らかな水で作られた果物。こういうイメージが定着していた。ところが今回の事故で、日本の農産物のイメージは地に落ちた。今後日本の農産物の輸出は考えない方が良いだろう。日本農業は自給ということで、その成立を真剣に考える他道が無い。

TPPを結ぶ不利条件が原発事故で増して来た。この現状でTPP参加を発言するのは、日本の国益とは別観点である。今でも経団連は原発推進を力説している。安全性についての論議もしないうちから、日本経済の為には、原発は必要だと叫んでいる。それは、日本経済のためと言いながら、狙いは大企業の利益の為には原発は必要だという意味である。亡国論である。企業利益の為には、少々の国土の放射能汚染などどうでもいいのだ。企業利益以外関心が無い人たち。TPPを結ぶことが企業の利益につながる可能性は確かにある。企業の生産品の輸出に関税が無いのだから、工業製品の輸出には有利になるだろう。しかし、それが日本人の利益に繋がるとは限らない。農業者の利益には全くならない。そして、大半の日本人の利益にもならないということが、徐々に明らかになってきた。誰が一番儲かるかと言えば、特に農業輸出国アメリカである。お友達であるアメリカにケチを付けたくはないが。しかし、アメリカの主張する自由競争は強者有利の論理である。能力主義は能力の高いものに有利な考え方だ。

「能力差別は乗り越えられるか。」絵を描いていると、良い絵とダメな絵があることが分かる。マチスのような天才の描いた絵は、かけがえが無いし、人類の宝だ。しかし、絵を描くということが変わって来ている。良い絵を描くために絵を描くのでなく、自分の絵を描くということが重要になってきている。良い絵を鑑賞するということに加えて、自分の絵を制作するという意味が人間にはある。傑出した絵が存在しえない時代になった。絵を描く価値は、良い絵を描くということではなく、自分というものに向かい合う行為としての意味。そんな絵の描き方に成ってきたということだろう。現代人にとって、できた絵以上に描くという行為に重要性がある。今の時代に少々よかろう絵も、少々悪かろう絵も、事物として比較したところで意味が無い、ということに成ってきている。これは絵画の客観価値にしがみついている、既存絵画関係者には認めがたいことではあろう。相変わらず、能力差を主張したがるのは、絵画の周辺の拝金主義である。

人間が食べる食品は普通に良ければいい。差別化は極力控えた方が良い。食糧の生産においては、1番を目指すような精神は捨てなくてはならない。安心安全が販売戦略のはずが無い。当たり前のことだ。TPPの最大の問題点は、生存を支える基本的な食料というようなものに、競争を持ち込み、強者が支配しようとしている点である。確かに一面、能力主義は、尊い人間としての努力ということと結びついている。人間から能力主義を捨てたら、向上心を失い人間は努力しなくなるという不安があるだろう。それは他者と比較する西欧的文化と深く関連している。立身出世こそ自己実現とした、明治政府のまやかしである。これからは政府から与えられた目標でなく、自らの思想に立脚した自己実現ということを、深く文化として探る必要がある。この点でも江戸時代は参考に成る。立身出世もなけば、大金持ちに成る希望もない社会。そこでどう自己実現を図るかが模索された。

昨日の自給作業:草刈り種まき3時間  その他書き忘れお茶作業4時間 累計時間:20時間
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玄米卵放射能不検出

2011-05-26 04:09:13 | 自然養鶏
笹村農鶏園の卵は放射能汚染されていなかった。やっと速報値の結果が出た。大丈夫だと思ってはいたが、結果が出るまでそれなりの不安があった。小田原の野菜は、ホウレンソウ、タマネギと不検出である。生梅も極めて低い値である。当初、小田原で放射能汚染が広がるなど、横須賀のデーターや、水道水の測定からまさかあるまいと考えていた。それが、お茶の測定で高い値が次々に出て、消費者の不安は広がった。早速行政に対して土壌を含めて広く測定を行うよう要請はしたが、行わない。結局は自分で測定する以外ない。そこでいろいろの測定機関に当たったが、満杯ということで、全く進まなくなってしまった。そこで再度県行政に対し要請した。もう不検出が繰り返されている茅ヶ崎の分をひとまず休止して、問題が起きた地域の野菜、特に土壌をするべきだろうと申し上げた。

小田原関係では、梅とホウレンソウタマネギが行われ、不検出か極めて低い値であった。それでも、これが曽我山方面ではないかという消費者の不安がある。箱根東斜面でも行わざる得なくなっていた。測定機関が見つかりできることになった。「有害化学物質削減ネットワーク」という組織である。仕組みとしては、ここで一時的に測定を行い、問題があれば京都の小出先生の再検査をお願いするという流れである。ここで、23日測定がおこなわれ、卵については不検出という結果であった。当然のことであるし、そうでなければ困るのだが、ひとまずは良かった。今与えている餌が昨年収穫されたものが中心であること。行政のデーターでは、水の汚染はない。問題があるとすれば、緑餌である。相当に迷ったところである。野菜で検出されていないのだから、緑餌の汚染レベルは低いと考えた。緑餌はこの間も与えていた。与えなくては、鶏の健康に良くない。

ジレンマはあったが、緑餌を与える選択をした。その選択は間違っていなかったということでホッとしている。良い卵を作るという事に努力している。緑餌をたくさん与えるということは、鶏の健康を守るためには、必須条件だと考えている。1日1羽に100グラム。せめて50グラム以上。それほどに草を食べる鶏を育てなければならない。緑餌が病気を克服して行く手段なのだ。ところが、これが汚染されている可能性がある。私はこのレベルなら、食べさせていいという選択をした。今までの経験から熟慮した結果であった。それでも、小田原のお茶から出た時には、少し不安はよぎった。しかし、卵は違う。まだそう確信があったので販売は続けた。そして、今回の不検出の結果である。これは、これから生涯にわたって放射能に付き合ってゆく上で、科学的知識と、冷静な判断が必要ということに成る。

どうやって汚染を避けて行くか。汚染を逃れる作物は何か。どうやって子供たちの健康を維持すれば良いのか。これから様々な情報が出て来るだろうが、正しく学ぶ必要がある。例えば国の土壌調査では、表土5センチを除いて、その下15センチを取り出し測定している。ところが、表土5センチに90%の放射能がとどまっていることが分かっている。つまり、国は値を低く見せかけようとごまかしを行っているとしか考えられない。国の出す値を鵜呑みにしてはならない。今回小田原の土壌のお茶では高い値が検出された畑の、表土を測定してみている。この数値は独り歩きしては危険なので公表はしない。今後、広い範囲の畑を線量計で測定をして、問題のある個所があれば、土壌調査をするという流れにしたい。どんな畑が汚染が低いのか。どうすれば低くなるのか。取り組んでゆかなければならない。
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どんな国を目指すのか

2011-05-25 04:23:21 | Peace Cafe
結論から書けば、日本は自給型の国づくりを目指す。自給型とは言葉の通り、衣食住の基本的な生産品を自給できる国である。エネルギーも自給できる国である。江戸時代できていたことである。今ならもっと合理的な形で可能なはずだ。それが歴史から学ぶということだろう。幸い人口も減少してきた。この未曾有の大惨事を大転換の出発点にする。国民一人ひとりの自覚の上で、次の社会の形に向けて、議論を始めなければならない。年金でも、CO2の問題でも、今の社会の暮らしを維持するために、未来の人たちを犠牲にしている。その最たるものが、原発から出る死の灰である。その処理法すら分からないのに、今電気が安くできるはないものだろう。その論理を支えているのが、経済戦争に負けたらどうする。一番でなければ、経済競争に勝たなければ、そう追いまくられ続け、日本は破れたのだ。

「原発マフィア」経済産業省や電力会社のOBで造る原子力安全・保安院、資源エネルギー庁原子力立地・核燃料サイクル産業課、原子力発電環境整備機構、元「動燃」(動力炉・核燃料開発事業団)の核燃料サイクル開発機構、電力10社、原発ゼネコン(原発工事一切を請け負う大手の総合建設業者)、日本原子力学会。これらの頂点の機関として内閣府に原子力安全委員会。みんなで渡れば怖くないである。今回の事故で明らかになったことは、日本国民の安全とか、未来の暮らしとかいうものはすべて切り捨てて、利権構造の確立に躍起となっている集団の存在。今回の事故対応は、今更検証するほどもなく、原子力利権の防衛が先であったことが見える。日本は法事国家ではなく、犯罪を犯した国家である。チェルノブイリ事故当時のソビエト連邦より人権が軽視されている。今なお原子力犯罪の被害者が、福島には何十万人も存在し、放置されている。

衣食住のを支える基本産品、エネルギーを含めて自給できる国づくり。他国を搾取しないでも自立できる国づくり。TPPが進めば、強者有利な結果に成ることは、目に見えている。競争の公平原理は、強者の論理である。自由を隠れ蓑にした能力主義である。強いものは正当な競争を主張する。その原理に従う弱者には保護を与える。その方が経済合理性があるという論理づけ。どうしてもそこに至ってしまうのが資本主義。この20年の日本の変化を見れば、誰でも本当のところを体感していることだと思う。体感はしているが、それしか道が無いように思いこまされてきたのだと思う。東電のあのコマーシャルを思い出してほしい。温暖化防止という美名を掲げて、危険を見えなくした。一番でなければ、駄目だという経済の仕組み。勝ち抜かなければ日本に未来はない。これは戦時国家の国民洗脳そのままである。そんな発言を要領よくしている者が、出世し重宝されてきた。

すべては、この国が世界の経済戦争に敗北しそうな、不安感から来ている。それは戦後というより、維新以来の日本の列強に伍して、というような競争意識が出発からあったのだ。隣国の友人であるはずの、朝鮮や中国を遅れた国のように馬鹿にしてきた愚かさ。黄色人種のコンプレックスを抱えてしまった日本国。政府に洗脳された日本人。弱いがためにいじめをしてしまう心理。その黒船に破られた、鎖国国家という特殊性が、その後の競争心が大和魂とかいう美名。競争の論理から来る精神論に成り、ひたすら経済戦争に打ち勝つべく、公害もなんのその、原発をやらないで負けてしまえばどうなるのだ。この国の価値を経済で1番に成る事として頑張った。経済が大事なことではあるのは認める。しかし、それを支える心の豊かさ、おおらかさのない経済では、人間の劣化につながる。日本人の各分野での劣化は、今回の原発事故対応を見れば、今更ながら明らかである。
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塩麹を作る

2011-05-24 04:21:48 | 自給
塩麹を重宝に使っている。もう日常化しているので、改めてということでもないのだが。是非とも試みてもらいたい。漬けものが、実に簡単にビニール袋で出来るというところが有難い。例えば、避難所生活でなかなか漬けものがという方には、是非ともお薦めである。塩麹は塩と麹と水を混ぜて、1,2週間置けばいい。塩は麹の20%~30%水はひたひた程度で良い。野菜でも良いし、肉でも、魚でも、お豆腐などでも良い。何でも簡単に発酵食品にしてしまうのだから、すぐれものだ。その上結構味わいが深まる。野菜の漬けものでは、糠漬けより気に行っている。醤油も付けないでそのまま食べるのだが、そのものの味を感じることが出来る。さんまの塩焼きでも1,2時間塩麹をまぶして置いて食べると、良いものである。肉でも少し漬けこんで焼いてみると、肉の臭みが緩和されて、食べやすくなる。万能調味料である。

味噌、醤油、塩麹は調味料3点セットではなかろうか。ビニール袋はジッパー付きのものを専用にしておけば、1カ月使っても何でもない。塩麹はペットボトルに入れて、冷蔵庫に入れてある。これならちょっとおしながら、適量加えられるので、しゃじを汚す事もない。ビニール袋に入れてから、振り回してやれば、上手く全体に回る。特別の使い方はないのだが、タンパク質の変化が面白い。豆腐はチーズ化する。生卵を3週間漬けこんでみている。ピータンのようにならないかと期待している。発酵食品は奥が深く一種の文化である。ここで展開されている何兆という微生物の活動を想像する。それを食品として、食べてお腹の中でもその活躍を期待する。酵素とか、微生物とか、その具体的な意味合いまではわからないが、冷蔵庫の無かった時代、食糧の保存という中で生まれてきた。素晴らしい食文化だ。

発酵食品が免疫力を高める。こういうことが良く言われる。しかし、生活があわただしくなり、なかなか糠床の管理まで出来ない。機密性が高い住宅では、管理はより一層難しくなる。糠床を冷蔵庫で管理するなどというのは、何か不自然なことである。それなら塩麹にしてしまえば、手軽な工夫で似たような効果が得られるはずである。味噌汁と漬物を欠かさず食べる。そして汗をかく労働をして、塩を出す。放射能は発がん性を高める。それなら、免疫力を高める発稿食品が悪かろう訳が無い。福島の小学校では、校庭で遊べない。子供が泥んこになって遊べないような環境では、汗もかけない。身体をこれから作りだす時に、ヘトヘトニなるまで外で遊び呆ける。これは貴重な身体づくりだ。当分放射能とは付き合わざる得ない。日常の食べものを注意深く変える必要がある。

塩麹は継ぎ足し継ぎ足しで行けるものだから、一度作ってしまえば、足しながら自分の使いやすい塩加減にして行ける。麹は自分で簡単に出来るから、一度に作ってしまえばいい。作って塩も混ぜてしまい、保存する。それを必要に応じて、塩麹に加えて行けばいい。これから作ってみたいのは、いかの塩辛である。これを塩麹で漬けこむ。その意味では、イワシの塩麹漬を長期保存すれば、アンチョビに成るかもしれない。ニンニクとローリエとトウガラシを加えれば良いだろう。塩麹で漬けこめば鮮度の問題が減るかもしれない。鶏肉の塩麹漬燻製、これもいい。一晩塩麹漬にした、鶏の骨付きもも肉を、冷蔵庫で乾かす。そして燻製にする。醤油漬け燻製とは違った良さが出るだろう。今週中にはやってみたい。それにしても、早くキュウリ茄子の季節にならないかと待ち遠しい。
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箱根:奥和留沢見晴らしコース

2011-05-23 04:07:57 | 地域
美しい久野里地里山協議会は3年目の活動に入った。今年度の最初の事業として、山につつじを戻す活動を行った。5月21日30数名の人が参加した。加藤市長も一員として参加し、つつじの植樹をおこなった。市長はもともと登山家であるし、農業もやっていたので汗を流して気分も良かっただろう。奥和留沢見晴らしコースは晶文社の「箱根」の地図にも記載された。素晴らしい登山道に成ってきた。何といっても、つつじをたどれる登山道だ。昨年植えた100本のつつじは、96本が見事に活着した。さすがに植木屋さんが仲間に多いからだろう。植える場所の指定。その後の手入れと、心がけが違う。会のつつじの畑には、まだまだあるし、毎回の参加の際の500円の寄付も貯まっている。山が元に戻る日も夢ではない。

将来的には、久野川渓流沿い10メートルには杉檜の植林は止めて、もみじを植えて奥入瀬にしたい。すでにもみじの実生はいくらでも生えているのだから、杉檜を切り払いさえすればすぐ元に戻るだろう。課題は川沿いの土地の所有者の特定である。その上でお願いをしてゆきたい。実は、コースの途中にある植物の久しぶりの復活があった。笹を整理しただけで、戻ったのだ。無くなってしまったらいけないので言えないが、ちょっとした手入れが、いかに重要なことなのかが分かる。「山の仲間たち」のMさんが、大きな選定の両手バサミを持ってきていた。これが実に有効であることが分かった。私などは、のこぎりを持っていってしまい何の役にも立たなかった。実践不足である。ちょっとした手入れである。植え込んだつつじを邪魔している枝を、パチンと切ってやる。たったこれだけで、随分違ってくる。手入れの思想を目の当たりにした。今はつつじを山に戻す活動であるが。本来なら、これも違う。つつじが再生するような、環境を作ってやることだろう。

しかし今のところの活動としては多くの人が目を向けてくれることが重要である。つつじの登山道を取り戻すというのは、里山の活動として悪くはない。来年の春の植樹は、つつじの花をたどりながらにしたいものだ。箱根山麓は杉檜を植林をする前は、ミツバツツジの植生であったようだ。春先山の色が違って見えるほどだったというから、そんな日が来てほしいと夢見ている。小田原市には、職員として林野庁から出向してきている職員がいる。その人も参加者として加わってくれた。10年くらいは久野に住んで、山の事、林業の再生に取り組んでくれるそうだ。またとない良い機会に成る。都会のそばにある林業地域の意味。山仕事を生業とする人はほとんどいなくなり、山は荒れてしまった。農業でも成立が困難になっている。山がどのように管理されるのが良いのか。この難しい問題を共に考えて行ける。

里地里山協議会は、年会費2000円で、現在会員は26名である。久野の人がたくさん入ってくれて、自分達のふるさとの山という気持ちに成ってくれることが一番である。そうして、通りがかりに枝一本かたずけてくれる気持ちだけで、山は良くなってゆく。里地も良くなってゆく。100本の植樹をした。2回目だったから、200本である。春秋に2回続けて行く。盗まれるだろうとみんなで話してはいたが。前向き考えてやってみようと決めたことだ。4本が半年の間に消えている。96%残っているのだから、良しとしなくてはならないだろう。つつじの道として、奥和留沢見晴らしコースが、評判に成る日も遠くない。登山道として利用者が増えることは、何より嬉しいことである。養鶏場に行くとき時々出会う。つい声を掛けたくなってしまう。小田原駅から、諏訪野原フラワーガーデン行きのバスにのる。20分ほどの「和留沢入口」で下車。そこからは久野川沿いに歩けば道標もしっかりあるので、分かりやすい道である。和留沢ののどかな集落も魅力がある。そこから先は久野川の渓流も素晴らしいものに成る。今は絶好の季節である。是非一度は来て下さい。
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福島から来た犬

2011-05-22 04:06:26 | Peace Cafe

福島の南相馬市から、一時預かりの犬が到着した。飯館村からの5羽の鶏と一緒に来た。犬については、おおよその状況を伺ったが、情報に間違えがあってもいけないから、詳細はここでは書かない。セントバーナードの雌の推定10ヶ月ぐらいかと思われる。性格は温厚で、こんな人間に対して警戒心のない犬は見たことがない。それほど愛嬌がある。誰に対しても甘えてごろごろしている。お座り、お手、伏せを勝手にしては、かまってもらいたがっている。体重は45キロぐらいだろうか。やせている点が少し気に成る。皮膚病がいくらかある。食欲はさすがに旺盛で、洗面器一杯という口である。糞の状態は良い。下痢もない。一晩泣いた。寒川の湘南タッズでは、大勢にかまってもらって人気者だったから、寂しくなってしまった。大きいけれどまだ赤ちゃんが抜けていない。手がかかるかわいいやつである。

名前はまだない。あったとしても分からないので、付けてやって欲しいとのことだ。福島の福ちゃんにしようか、草馬はどうだろうかなどと言っているのだが。安心のアンはどうだろうか。早朝散歩に田んぼまで行ったのだが、この犬なら、他所の犬と出会っても全く大丈夫のようだ。セントバーナードでも、攻撃性のある犬もいない訳ではないが、その点は安心だ。やっぱりアンかな。顔に愛嬌があるから、この犬は誰にでも好かれる。しかし、お手をする時まるで犬パンチだから、子供など面くらうかもしれない。少し躾た方が良いだろう。老人ホームや幼稚園への訪問犬に成れるかもしれない。一番の問題は我が家の雷田である。ドンチャンをとられると思うので、まず大騒ぎするだろう。人に対しても、ドンチャンが可愛がられたりするのを極度に嫌う。やきもちを焼いているというのか、守ろうというのか。ドンチャンとの関係をまず、作ってそれからである。少し時間を掛けたい。

鶏はデカルブかなと思われる。5羽である。輸送の途中でも産卵をしていた。2歳半にはなっていない気がする。とさかの状態から、1歳半よりは上である。とてもかわいがられて飼われていた鶏である。人慣れしている。実に大人しい。飯館村のおじいさんおばあさんが飼われていたそうだ。この鶏がいるので、家から避難できないということで、泣かれていたそうだ。もうこの鶏とは会えない。返してもらうことはないから。と言われていたそうだ。生活すべてを奪われるつらさが伝わってくる。大切に飼いたいと思う。当分は卵を産んでも廃棄した方が良いだろう。今福島で起きていることは、一体どう考えればいいのだろうか。事故が招いた不幸は、もう取り返しがつかないことである。多くの人生を奪ってしまった犯罪行為である。その元凶である、1から4までの廃炉の決定が昨日やっとでた。あんなものが直せる訳が無いだろう。まだ5,6号機は保留状態が続いている。東電は謝罪するなら、まず、原子炉の廃止を決めた上で、許しを請うべきだ。

と書きながらも、残念なことに今使って居るこの電力にも、柏崎の原発電力が加えられている。せめて、自然エネルギー電力制度を作り、原子力の電気と分けてもらいたい。価格も別枠にする。再生可能エネルギー電力は、いくら。火力はいくら。原子力はいくら。死の灰の処理費もぜひ入れてもらいたい。汚染水1トンの処理費が1億円。馬鹿高い原子力電力だ。そして、電力の独占を止めさせることだ。独占体制を止めないことには、自然エネルギーの利用は広げようにも広がらない。中小の自然エネルギー会社を認めれば、忽ちに、風力、水力などは広がる。そう動物のことだ。強制退去に成っている飯館村の家畜はどうなるのだろう。犬や猫たちにはどんな対応が取られているのだろうか。3000匹のペットがいると聞いている。2ヶ月もたっているのだ。その程度の対応策は、政府東電が責任を持って明確にするのが当たり前のことだ。何も見えてこない。人間が飼うということは、その責任が共にあるということだ。
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頭山とマスデバリア

2011-05-21 04:22:53 | 身辺雑記

頭山である。生えているのは桜である。花見とまでは行かない。

マスデバリアである。こちらは見事に開花である。

昨年植木鉢作りから行った、盆栽の栽培の結果報告である。なかなか鉢と植物の折り合いが良くなってきたと思う。マスデバリアは暑さにとても弱いラン科植物である。コロンビアの高山のような所に自生している。ギアナ高地を想像すればと思っている。想像である。想像しているだけの方が良い様な、想像を絶するところであろう。そう言うところに、こんな花がひっそりと咲いている。その特徴を推測しながら作った植木鉢である。この花は、交配種であるので、だいぶ丈夫なものに成っている。なかには、水道水では育たないとか、栽培がとても難しい蘭である。鶏でも、犬でも、金魚でも、洋ランでも、難しいものほど魅力があるということが、不思議に共通している。私が植物をある程度見られるようになったのは、蘭を栽培した経験からである。東京で暮らしていた頃のビルのベランダ温室である。

中国ではよくあるのだが、ベランダを窓で覆ってしまい、幅半間の長さが2間半。南向きのビルの6階であった。ここを3段にして、ここを密林にしてランを栽培した。湿気が部屋の方にまで充満していて、そこに暮らしていた。絵を描いていた。都会の中の密林に逃げ込んでいた。その狭い温室で、その頃先端の交配であった、フラグミペデュラムの交配播種、育成までしたのである。山北に越した当座は、蘭栽培に相当力を入れていた。山の中に暮らしていてまで栽培する必要が無かったことが、だんだんに分かり、止めてしまった。だから、このマスデは久しぶりのラン栽培である。スーパーで売っていたものだから、正式な名前も分からない。マスデがスーパーで売られているというのも、変わったものだ。丈夫なものになったということだろう。

ストロベリーポットに成っている。マスデが植え込まれるのだから、中南米のイメージと縄文のイメージがごっちゃになっている。ポケットごとに一株づつ植えてある。根が鉢に張り付いてきてくれればいいのだが、まだそうはなっていない。中が空洞に成っていて、水を入れると染み出て来る。今はちょうど良い浸み具合に成っていて、一日に5センチくらいの水位減少である。当初は15センチくらい減少した。できればこういう形の鉢で、壺のようなものを作ってみたい。鉢の周りにいくつかのポケットがあって、そこに、パフィオペデュラムのデレナティーを植えてみたい。その壺はベトナム風であってほしい。黒い瓦のような色で、シンプルなホルム。しかし瞑想的な雰囲気をたたえている。とすると丸いよりも角鉢でポケットも四角いものが相応しい。できればそこに布をからませておく。布は不織布を更紗風に染めたものが良い。

そう言うものを作る時間は来るのだろうか。ちょろリさんが小田原を離れてから、焼き物から少し距離が出来てしまった。実は今ちょろリの兼藤さんは名古屋で展覧会を開催している。行ってみたいのだが、これもなかなか難しい。それでもう一つ思い出した。宇宙が内側にある器を作る予定だった。中から光が溢れだして、壁に模様を描くのだが、その照明器具が器に成っていて、空けると容器の内側に宇宙のイメージが広がっている。外は焼き締のようなできる限り何気ない調子である。そして、内側は深いブルーを基調にした、絵模様がある。あたま山を忘れていた。このシュールなイメージも鉢に風格が出てきて収まってきた。自然の味というものは、なかなかのもである。思わぬところに沁み出てきた模様が良い。そう言えば、まだ兼藤さんの置き土産の粘土がある。一人で作ってみるのも悪くはない。
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原発を乗り越えられるか。

2011-05-20 04:19:04 | Peace Cafe
福島原発事故のシンポジュウムは6月19日13時からとに成った。場所は現在探している。一緒に開催してくれる人を募集しています。飯館村の状況を伺いながら、小田原に暮らすものは何をやるべきか。何が出来るのか。そんなことを考える場にしたい。小田原も被災地の一つになった。原発事故は今海を通して、空気を通して、全世界に広がっている。小田原の汚染を踏まえて、「原発は乗り越えられるのか。」を模索したいと思う。農の会での実行委員会の話し合いでは、エネルギーに依存し大量消費する暮らしの方が、問題であったのではないか。30%のエネルギーの削減は、生活の見直しで可能な範囲である。むしろ、脱化石燃料という意味で、自然エネルギーなのではないか。循環型社会に向かうためには、暮らしそのものを考えなければならない。今回福島の事故から3〇〇キロ離れた小田原で、汚染がこのタイミングで表面化したことは、福島で暮らす人とつながったことである。原発が他人事ではなくなった。被害者としてどのようにこの事態に立ち向かわなくてはいけないのか。

飯館村の状況に詳しい、小澤祥司氏。いわき市の橋本宙八氏、川内村の風見マサイ氏に来ていただくことが出来る。小田原のお茶生産者からも発言をお願いしたいと思っている。大地に根ざして生きている人間の眼で、この原発事故がどう見えているか。生の声を聞かせてもらいたいと考えている。福島の地べたに根付いて生きる人間。そこで暮らしてきて、避難しなくてはならなくなった人間の思い。汚染された場所に踏みとどまっても、その場所に生きようという人間の生の思い。それぞれの状況を伺いながら、次の時代への転換の機会として、この大事故を捉えなければならないと考える。原爆を落とされた国、日本。原発の大事故を起こしてしまった国、日本。この国に生きるものとして、人類全体の為に、次の暮しの姿を提案する使命が与えられているような気がする。もしこの事態でも懲りずに原発つしがみつくようでは、人類そのものがそう遠くない内に死に絶えることに成るだろう。

前向きな思いにはなかなかなれないできたが、岩越さんが立ちあがって手を挙げてくれた。この機会に、土とともに生きようという人間の希望の火に、風を送り込みたい。原子力エネルギーを取り巻く、膨大な利権の世界を思うと、市民に出来ることなど、いかにも限られているかに見える。おおくの被害者がほとぼりのさめること、やり過ごすことでかわそうという心理に陥る。しかし、その土地に暮らしているということは、何にも代えがたい揺るがせない権利である。ほんらい、誰もこの憲法で保障された、権利を侵害は出来ない。今福島で起きている強制退去は、憲法違反だという人がいるそうだ。今回の政府の事故対応は、棄民政策が見え隠れしている。福島の子供たち、特に飯館周辺の子供たちには明確にリスクがある。全体のためには仕方がないと押し付けられて来てしまった放射能のリスク。権力というもののあらわな自己保身の姿が見える。

やっと19日に卵とお茶と土壌を放射能の測定に送った。次から次に測定して欲しいという声が届いている。ともかく、3件ということなので、どこの土が良いかということになった。汚染物質が降り注いだ裸地でないと、状況が正しく測定できない。お茶畑に近いところでそういう場所を探して、表土2から3センチを1キロ採取した。測定は、恣意的なものであってはならない。どこなら高くなっているか、地形や風向きで分かる人もいる。逆を言えば、低く出そうと思えば出せるものでもある。行政というものは、基本的に低く出ればいいという気持で測定を行うのだろう。ということは、各自が測定をしない限り、安心というものは得られない。そこに暮らし、そこで出来るものを食べる。市民の測定運動をはじめなければならない。そして測定費用を東電に要求してゆく。こんなことに成ってしまえば、農家が農地の汚染状況を測定したいというのは当たり前のことだ。子供の親が学校の測定をしたいというのは普通のことだ。食べ物を売る者、教育に携わる者の責任でもある。
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タッズ湘南の近況報告

2011-05-19 04:00:08 | 地域
福島原発から逃れてきたダイ君は死んでしまった。

ダイ君から沢山の事を学ばせてもらった。ダイ君は原発の危機を身をもって知らせてくれた。すべてを変わりに受け入れて、何の苦労も掛けずに、静かに息を引き取った。犬の健気さはつらい。最後の一週間ぐらいで、やっと気を許してくれた気がした。作った甘酒を我慢して飲んでくれた。甘酒に最後の望みを掛けたのだが、時すでに遅かった。リンパに腫瘍が広がっていたので、相当に苦しかったと思う。食べたものが収まらない。こちらも苦しかった。やっと気持ちが立ち直ってきたので、再度、一時預かりを行うために湘南タッズに行って来た。現在300頭余りを保護したそうだ。これから避難が始まっている飯館村の犬や猫をどうするか、タッズさんは奮闘しているようだ。本当には動こうとしないで、建前きれいごとを主張する。獣医師会や、愛犬の会が障害になるらしい。行動のない団体は、「黙っていろ、きれいごとを並べるな。」そう言いたい。

まるで寄付集めの詐欺まがい行為、あるいは売名行為としか思えない建前活動が、右往左往している。口だけ並べ立てる輩が一番悪い。タッズさんのように具体的に動かれている組織を隠れ蓑に使い、迷惑行為を繰り返す組織もあるようだ。タッズさんはそうした行為が、犬を助け出す障害に成ることを憤慨されていた。一匹の犬の命だけがタッズさんの関心なのだ。保健所の臨時職員と言う形で動くのであっても構わ無いからと言われていた。湘南タッズには大勢の手伝いの方が見えていた。テキパキと作業をされていて、すごいものである。散歩に連れ出そうとした時一匹の犬が、突然暴れ出した。首輪を掴んだ手を離さない。宙を飛びまわるように暴れる犬を若い女性が、離そうとしない。大したものである。ともかく大きい犬が狭いところに居るのは困るだろう。バーニーズの素晴らし雄犬とセントバーナードの雌犬がいた。このどちらかを預かってもらえたらと言うことだった。

セントバーナードを預かることにした。雄犬では、雷田と喧嘩に成っても困る。先日行った時もいた犬だから、結構長く成っている。早く故郷に戻れるように願いながら、しばらくはのんびりと暮らしてもらおうと思う。とてもかわいい犬なので、飼って情が移るに違いないから、別れる日が遠くないことを覚悟しながら飼いたいと思う。いずれ、湘南タッズに避難犬が滞留するのでは、まずい。広く皆さんの協力を頂き、一時預かりを広げなければならない。新たな引き取りが可能になるように協力しなければならない。翌日に成ってタッズさんから飯館村の鶏を7羽預かってもらえないか。おじいさんとおばあさんが、鶏が居て避難できないと言っている。避難が先である。犬と一緒に、土曜日に引き取りに行くことになった。
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放射能汚染の食品のリスク

2011-05-18 04:12:25 | Peace Cafe
放射能のリスクはとても分かりにくい。はっきりしていることは、「子供はリスクが高いこと。」「体内被曝と外部被曝では全く違う。」「距離が離れていても、油断は出来ない。」そして自分で最終的な判断する以外ないこと。政府の発表は矛盾している場合が多々ある。お米が500ベクレル汚染される場合と、お茶が500ベクレル汚染される場合は、人体への影響は異なる。お茶は煎じてどれだけ溶け出すのかが問題。お米でも玄米と精米では相当に違うはずだ。不安と言うものは目を曇らせる。どうしてもリスクの原理主義に陥りやすくなる。農薬のリスクを2つに考えるグループがある。有機農業の人たちと、慣行農法の人たち。あくまで考え方であり、農薬への不安の大きさと受け止め方の問題だろう。有機農業を行うものの中でも、有機JAS基準を守ればよしと言う考えの人もいれば、農地にに一切のものを持ち込まないという考えの人もいる。食の安全は思想の問題と言っても良いのだろう。

農の会の人の中でも、今年は耕作をしない。作っても食べることは出来ない。この考えも見事であるし、正しい考え方である。一切のものを持ち込まないでやろうとしてきた農地作りが、福島の原発事故で、無にされたのだ。これほどつらい悲しいことはない。福島にはそうした生き方を求めて、新しい村づくりともいえる活動が点在していた。テレビが作り出したダッシュ村とはちがって、人生そのものをダッシュ村づくりの中で生きてきた人たちがいた。先日小田原を訪ねてくれた橋本宙八さんご家族もその一人だと思う。今度来てくれることになった。漠原人村のマサイさん。それはそれは福島の阿武隈山系は美しいところだった。高い山がある訳ではなく、なだらかで奥深い山が延々と連なっている。そこに暮らしを求めて入っていた人たちがいた。そこに、今回の原発事故が起こり、遠く小田原にまで高濃度の死の灰が飛んできた。因縁というものを感じる。

ここに導かれたというような気持ちに成る。人間に生き方を変えろという警告が出ている。どこからと言われると、完全なる無神論者だから、地球からとでも言えば良いのだろうか。その役割がおまえにもあると言われている気がする。当然出来ることなど何もないのだから、段ボールコンポストをかき回している位であるが。食の安全であった。放射能hはどこからと言って線引は出来ない。自然界の放射能であっても、人体のリスクの一つなのだ。すべての物質はリスクがあると考えた方がバランスがとれる。良いものも、悪いものもない。加減良く取り入れて、ほどほどのところで死んでゆくのが生き物である。母がセロリばかり食べるようになったことがある。主食と言えるレベルである。病気がそうさせたのか、そんなことをしたから病気になったかは分からないが、ともかく身体を壊した。

農薬も良いとか、放射能も良いとかいうことではない。完全に排除しようとすれば、生きる場所は無い。安全についての政府の引くラインは当てにならない。政府の発表するデーターも信頼性が低い。政府は事を小さく見せようとしているに過ぎない。農産物でも、小田原と言う範囲にでも地域によって全く異なる。福島から飛んできたものだ。NO2の測定活動をやってよく分かっている。17日にホウレンソウと生梅が測定に出されたそうだが、どこの畑のものかが問題である。今や自分の畑は自分で調べない限り、安心と言うことにはならない。その上で、どこまでを安全とするかは、自己判断である。これは自給する自分の問題である。農の会に置いて販売する農産物は、あくまで自給の延長である。私の卵は、私の引く安全のラインの農産物である。生きるという意味では、やはり食は自給ではなかろうか。
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小田原の土壌の放射能汚染

2011-05-17 04:50:40 | Peace Cafe
ここにきて、新茶のシーズンである茨城でもお茶がセシュウムに汚染されていた。やはりお茶は少し他の作物とは違う汚染の仕方をするようだ。新芽に樹木が貯めていた、栄養分が集まって行く。その時にカリウムと同じような過程で、セシュウムが新芽に集中した。葉面散布した化学肥料が、その年の新芽を大きくするということに似ている。100キロ程度の距離の地点と300キロ地点の小田原のお茶が同じような汚染状況である。放射能の汚染の広がりについては、距離だけでは考えられない部分がある。土壌の汚染状況について、もう少し詳しく知りたい。小田原の土壌の汚染については、97べクレル(根府川)と言う3月30日の測定が1回だけある。これだけですべてを判断して安全であると、県のホームページでは、今でも表示している。にもかかわらず茶が安全では無いので、自粛しろと訳の分からない言い方に成った。自分で測定する以外安全確認は出来ない。

田んぼでは、土壌のセシュウムが5000ベクレルになると、玄米が500ベクレルに成るとされている。移行計数0,1と言うらしい。97であれば、10ベクレル程度と言うことで良いのだろうか。お米の場合年間100キロ食べる訳だから、お茶とは違うことに成る。お茶の移行計数は8ぐらいあるということに成る。水田土壌でいえば、福島県では何万ベクレルもあるところが広がる。それでも一番低い南会津市では100程度で小田原と変わらない。距離で判断できないというところである。野菜の移行計数は、葉物野菜については移行計数はお米より低く、又トマトやナスのような、果菜類はお米と同等かそれよりは高いのではないか。小田原ではこれから、梅であるが梅を測定してみれば、このあたりは相当見えてくるはずである。タケノコでは高い値が出ているところがある。やはり新芽は高い値が出る。芋類は移行計数は、0,1より高いと見なければならない。農水省は移行計数を早急にホームページに出す必要がある。

いずれ政府や行政に期待しても無駄なことだから、生産者は各々自分で測定をしなければならない。同じ小田原でも畑によって違うということになる。と言って、検査機関は満杯で、当分やってもらえないでいた。まごのりさんが友人の藤原さんのところで出来るということを調べてくれた。有害物質削減ネットワークと言うところである。早速お願いして、20日に測定してもらえることになった。卵、土壌、お茶をまずお願いした。今月一杯には、結果が出るようだ。田植えには間に合う。セシウムは自然放射能として土壌には一定量ある。小田原の測定はない。あくまで推測だが、その量は5から20ベクレル前後だったとみられる。ただし、地中5センチから20センチの測定である。それと比べて現状がどのレベルかが分かれば判断が出来る。いずれにしても、福島市の小学校の校庭が7、627ベクレルで問題ないとされる。さすがにこれは疑問だが、100ベクレル程度で不安がることは神経質すぎるのかもしれない。

農の会の田んぼや畑には、子供たちが集まる。安心して活動に参加してもらうには、正確な調査が必要である。この費用は東電に対して要求すべきものなのかもしれない。そんなことを言っている場合ではないので、ともかく調べることである。そして線量計を購入して、比較して行けばある程度のところは判断できるはずである。小田原市では、今となって県にお願いして合同庁舎で測定している。無駄とは言わないが、数値に問題が出ないだろうとなってからの対応にすぎない。加藤市政の特徴である。今小田原市が問題にしなくてはならないのは、剪定枝の焼却である。新芽に集まる放射能が、焼却炉で燃やされていることである。お茶の新芽は濃度を越えていたのである。樹木の新芽を燃やせば、周辺に放射能が降り注ぐことにならないか。そうした基準が無いから、構わないではすませられない。せめて判断がつくまで、飛散しないように、剪定枝はどこかに積みあげて置いておくべきではないか。
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