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地場・旬・自給

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鳥インフルエンザ豊橋で発生

2009-02-28 09:21:35 | Peace Cafe
愛知県は27日、豊橋市南大清水町のウズラ飼育場の二羽から高病原性鳥インフルエンザのH7亜型ウイルスが検出されたと発表した。定期的な抗体検査の中で発見されたものである。一ヶ月に1回やっていたものと考えるのが妥当であろう。一ヶ月の間に、20%の感染に広がったのか。今ある情報からすると違法ワクチンからの抗体と言う事はない。ワクチンなら10羽中2羽だけと言う事はない。可能性が一番高いのが、野鳥からの感染と言われている。野鳥には常に鳥インフルエンザが潜在化してウイルスは存在している。今回のものは弱毒性の高病原性鳥インフルエンザウイルス(H7亜型)ということである。うずらの状態は日常と全く変わらないそうだ。このうずら養鶏場で32万羽いるらしい。実際の羽数は28万羽、恐いのは28万羽の感染連鎖である。もし、7回以上の感染連鎖が起これば、強毒化する、可能性も出てくる。既にパンデミックは弱毒のほうが、危険だとか言うインチキ情報が出ている。

可哀想なことではあるが、全て淘汰すると言う判断しかないのであろう。ただし、厳重な監視の下で、感染している個体の経過は見てみる必要はある。パンデミックなどという、新しい言葉を使えばいかにもそれらしいが、弱毒のH7型のウイルスなど、自然界には常在していて、継続して抗体検査をしていれば、必ず繰り返し発見されるものだ。全ての鳥を監督下に置くことなど、できるわけがないが、今の思想は野鳥の全て淘汰する所まで行きかねない。問題は、こうした弱毒のウイルスの、感染連鎖から起こるウイルスの突然変異なのだ。感染が繰り返される間に徐々に毒性を高めるような、変異をすると言う事は、既に学問的に確認されている。しかし、1万羽以下程度では7回つまり、現在の10羽中の2羽と言う状態は、せいぜい3回の程度の感染の繰り返しであろう。1000羽以下の場合は2回以内で納まる。これでは変異の可能性はほとんどない。

今回の感染は昨年暮れに韓国で発生していた。弱毒のH7ウイルスと同系と考えるのが妥当だ。そこからか、そこに存在した野鳥からか、日本に渡った鳥が感染源と推理される。季節的にもその可能性が高い。今回も閉鎖鶏舎の詰め込み形式の大規模工場的養鶏場で起きた。いかに野鳥の進入をネットなどで阻止した所で、外部からの感染は防げない。上空からの映像では、野鳥の侵入など先ずないように見える構造である。防げないという事を、前提に対応を考えなければならない。誰だって病気になりたくないが、必ず病気になって生き物は死ぬものである。完全防御の思想は既に崩壊している。どう、病と寄り添って、妥協線を見つけるかだ。強毒化しなければ、むしろこの弱毒のウイルスなら感染したほうが良い。それが自然の姿だ。自然界から、ウイルスを排除できない以上、上手く折り合ってゆくしかない。

またまた、政府の間違った対応を原因とする、誤解される情報が広がり、養鶏は良くないものという、イメージが広がっている。「仕方がないが、近づきたくないもの。」と言うイメージがこう言う事から増幅される。28万羽をただ淘汰する。そうした無意味な予防法しか、とれない動物虐待を続けていて良いものか。大規模養鶏を禁止すれば良いことだ。1万羽以上を一箇所に飼育することを禁止すれば良い。生き物は大量生産大量消費するようなものではない。卵は1個230円位するもので、そのレベルで食べればいいものだ。安ければ良いというような思想がおかしいのだ。大規模畜産は人間の消滅につながるようなリスクを秘めている。人間の手に負えない新しい病気をもたらす、リスクである。そこまでして、安い卵を作り続けることは、次世代に対する。責任を放棄しているようなものだ。

このブログは家畜保健所の方も読むと聞いております。もし私の見解がおかしいとするなら、是非その意見を寄せていただけるとありがたいです。

昨日の自給作業:醤油の大豆の準備1時間 累計時間:18時間
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エルサレム賞の村上講演

2009-02-27 05:49:28 | Peace Cafe
村上春樹氏のエルサレム賞、授賞式講演は小説家らしい、内容のあるものだ。アカデミー賞での、「おくりびと」「つみきのいえ」の受賞。日本が文化と言う形で、発信できることの意義の大きさ。日本文化は例えば、日本食。世界で健康食と言う事で、広まっている。中華料理のように、中国人の移民した人達が、生計の為に中華料理屋を始めたのとは違う。全体的に見れば日本人が出張って行って、広めた訳でもない。段々に評価が高まり、健康的に評価できる料理であると言う事から、一部に浸透し、その味覚まで評価が高まったようだ。それはフランスのミシュランでの評価にまで現れるようになった。そもそも、日本食とは日本人の暮らしである。暮らしの凝縮した姿が食事となって現れた姿ではないか。今や、日本で失われ始めている、日本人の暮らしが評価されていると言っても良い。

おくりびとに表現された、日本人の死生観。死者として去ることは去るが、生者と連なりながら、お山の方から見守ってくれている存在。つみきのいえは見たわけではないが、加藤久仁生監督の手作りの記憶のようなものらしい。それぞれの感触がいかにも日本の文化に沿っているのではないか。そこが評価されたのではないか。アメリカ人でさえ日本文化というものに、理解を始めたのではないか。そして村上春樹氏のイスラエルでの講演。残念ながら、村上氏の本は読んだことがない。今回の講演録を読んで、作品も読んで見たいと思った。壁と卵の小説家らしいイメージの深い例え話。おくりびと争った本命と見られた作品もイスラエルのものであった。どこか審査の投票をする人達に、イスラエル作品を今評価する訳に行かないといった、意識も働いたのではないか。

壁はやはり嘆きの壁を連想する。「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。(一部抜粋)ここでいうシステムとは、個としての人間存在の尊厳を超えて、増殖する仕組みの事であろう。金融システム、投資ファンド。官僚制度もそうかもしれない。一人の人間の自由に生きると言う事を、制度として阻害してゆく、社会の在り様の事を意味しているようだ。

日本文化がこういう形で評価されることには、深い符合を感じる。日本人が江戸時代に閉じた形で育んで育てた日本の文化の価値。行き詰っていよいよ、世界各国が国家資本主義のような形に入ろうとしている。がんじがらめの末期的社会構造を、構築し直す糸口を探している。そのときに、新たな価値観の存在を探っているのではないか。競争とか、成長とか、でなく。ありのままを評価し、認め合うこと。他者を否定するのでなく。他者の存在を受け入れる姿勢の事。アメリカは又中国の人権の事を問題にしている。確かに問題はある。しかし、アメリカにも人権問題は幾らでもある。人種差別も解決したなどと言わせない。格差社会を是認する、能力主義だって、人権問題ではないのか。アメリカ型の価値観を贅沢ができる豊かさを、ヨシトスル文化を、どのように乗り越えるか。日本文化の意味を世界に噛み締めてもらいたい。それはもちろん日本人が、我が身を振り返ると言う事である。

昨日の自給作業:ホウレン草など種蒔き、タマネギ土寄せ1時間 累計時間:17時間
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確定申告

2009-02-26 06:20:38 | 身辺雑記
確定申告が終わった。青色申告会に申告に行く。複式簿記とかいう形式で申告する。これが私には理解できていない。貸借対照表とかいう物があるのだが、実はこれが理解できない。カヨ子さんがすべてやってくれている。高校生のときは数学は別に苦手ではなかったし、受験科目にも数学はあった。それなりにはこなせたつもりだった。ところが、会計の考え方が理解できない。理解できないと言うのはおもしろくないので努力はしたのだが、ついに駄目で諦めた。それでも申告には一緒に行かなくてはならない。当然の事で、私が当事者でカヨ子さんに給与を毎月10万円づつ払っている。だから扶養家族は居ない。10万円づつ払うのは損だと言う人も居る。もう少し上手く、節税にならないというような助言を聞く。そう言う事もあろうかと思うが、税金の具合はわからないが、扶養しているつもりも、されているつもりも、お互い今のところはない訳で、10万円の給与は最低限と言う事である。

私には、あれこれ収入があるのだが、養鶏からはない。これも良く判らないのだが、私には給与はない。さらに判らないのは、必要経費という奴だ。例えば地代の10万円。これは借りているから必要経費と成る。それではこの土地を購入したらどうなるか。必要経費がなくなるだけと言われた。農地は買うものじゃない。必要な費用なのだから、毎年減価償却させてもらいたい。そうか償却される訳ではないか。自家消費というのもある。本当の所を言えば、自家消費分は自分から購入しなければいけないのだろうか。しかし、だいたいに販売できない、卵を食べている。廃棄物処理費をむしろもらった方が良いのか。何しろ養鶏は頑張れば頑張るほど、全体では苦しくなるようにできている。いい加減にやれれば、そこそこになる。農業の中の努力は、反映される部分がない。例えば、緑餌を50グラム与えるか。70グラム与えるかは、税金では見えないだろう。

絵の方の税金と成るとさらにわからない。例えば購入した絵の具の内、売れた絵に使った分だけ、経費となる。しかし、たまたまその一枚を買いたいという人が現れるのであって、その一枚だけの必要経費と成ると、販売価格から見れば、経費はないという事になる。その絵を描きに、海外まで行ったとしてもその旅費は関係がない。税金の方から見れば、私の絵を描くことはまるで、養鶏以上に分類の外である。それでも、できるだけ正直に、節税対策のようなことはしないで、申告をする。絵がたまたま売れれば、記載しなければわからないようなことだが、記載する。私の収入は書かなければ、不明になるようなものが多いいのだが、全て記載するようにしている。野菜の販売でも、わずかではあるが記載する。節税ができる税金の仕組みと言うのが、どうにも納得がいかない。それも消費税賛成の一つの要素である。

税金は、せめて一部でも目的税にして欲しい。私の税金が、インド洋の給油に使われ、アフガニスタンでの、アメリカの主張する誤爆につながるようでは、節税したくなる。これだけには使わないと言う目的税でもいい。政治というのは結局の所、税金の使い方がどどのつまり。良い政治とは、税金を上手く使う政治だ。これからは税収減少の時代になる。増える前提で全てが、進められていた。減ってゆく中でいかに上手にやるかが問われている。行政が直接行うことは、減少させるしかない。市民的に担う部分が増える。この新しい関係が問われている。行政そのものであれ、医療であれ、福祉であれ、消防であれ、警察であれ、縮小するしかない。江戸時代の自治の仕組みを再現する必要がある。基本、自給自足である。今年の税金は幾らになりますと、額が出ると、いつもそのことを急に思い出す。
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有機農業モデルタウン計画

2009-02-25 09:02:27 | 地域
1 地区の立地条件(自然的条件(気象・土壌等)、社会的・経済的条件)
① 自然的条件(気象・土壌等)
 ・  気象は、表日本気候区に区分され、年平均気温は、16℃前後、年間降水量は2000mm前後、日照時間は比較的多く、冬季は降雨が少なく黒潮の流れる相模湾に面しているため比較的温暖である。冬季積雪はない。
・ 土壌は、水田土壌は沖積土壌が、畑土壌は火山灰土壌が中心であり、比較的生産力は高い。
・ 小田原市は、神奈川県の西部に位置し、市全体の面積は114平方Kmのうち、4割が箱根の外輪山と曽我丘陵の山林となっているが、すくなくともその50%は以前は畑として耕作されていた。2割が酒匂川のもたらした、沖積平野であり、肥沃な農地である。市の中心部を貫流する酒匂川流域に広がる水田地帯の稲作と、箱根山麓から伊豆半島にかけての蜜柑。東部の曽我丘陵の梅を主体とした果樹に大別される
・ 富士・丹沢・箱根に源を発する酒匂川、狩川、早川の3つの川が流れ、湧水は自噴井をはじめ到る所に存在する。水資源の豊かな地域である。
② 社会的・経済的条件
・ 小田原市は、新田開発など農を中心に殖産興業の指導者として有名な二宮尊徳を輩出した土地で、北条氏の城下町として古くから栄え、神奈川県では耕地面積は2番目の広さを持つ。
・ 人口は、約20万人(平成20年現在、県内の約3%)であり、神奈川西部の中核的な都市のひとつとして、大企業の工場や研究施設や地場産業も多く、小田原港から水揚げされる新鮮な魚を利用した伝統的なかまぼこなどの食品加工産業もあり、農林水産業と各種産業による安定した就業先も多いい。
・ 交通においても新幹線、JR東海道線、小田急線、大雄山線などの電車網が整い、東名高速道路、小田原厚木道路など自動車網で首都圏や中京・関西圏へのアクセスも良好である。通勤や首都圏市場への流通面でも恵まれた環境にある。
・ 地域内に多数の都会的消費者が存在する。地場産業としての有機農業の展開が期待される条件がある。
・ 箱根・熱海と言う国際的観光と隣接し、近年郊外型レストランの展開も進んでいる。有機農産物等の差別化食材への、要望度は高い。
・ 自然農法が昭和30年代から取り組まれ、有機農業技術の蓄積が存在する。JAS認証も果樹においては最初の認定を受けている。養鶏においても、地域の食品残さを利用した発酵利用の自然養鶏が存在する。
事業の実施方針
1、地区の現状と課題
①地域の環境保全上の課題
・ 農地と住宅の混住化がすすんでいるため、化学肥料や農薬を使用する農業による、地下水や河川、大気の汚染の低減が、居住者より求められるようになっている。
・ 急傾斜地の果樹園が耕作放棄され、傾斜地の崩壊が、住居地域に危険を及ぼすことが危惧されている。
・ 農業の衰退により、北原白秋によって日本一美しい丘陵と呼ばれ、童謡「みかんの丘」が作詞された丘陵地帯。茶木茂によって荻窪用水を取材して「メダカの学校」の作詞がされた。その日本一と言われた里地里山環境の保全が危うくなってきている。
②地域の農業振興上の課題
・ この西湘地域は、かつて温州みかんの主産地であったが、輸入果樹や国内産地との競合による価格の低迷、国内消費の減退等の影響により年々産地は衰退し、農業者の高齢化、過疎化が進行するとともに、耕作地放棄地が増加している。
・ 平坦地では住宅地と農地の混在により、農地の集積による大規模農業化が難しい現状である。
・ 周辺丘陵地では急傾斜地が多く、農道の未整備地区も多く、大型農業機械の導入が困難である。
・ 少数の自然農法による化学肥料農薬を使用しない栽培方法に取り組む農家が昭和30年代から存在した。その技術が一般化せず、個々の農家のワザとして潜在化してしまっている。
③地域を活性化する上での課題
・ 地元に多くの都会的消費者がいるにもかかわらずので、地元のニーズに対する適切な供給流通体制を整備がおくれているため、課題となっている。
・ 箱根・熱海と言う国際的観光地を、隣接地域に持ち、差別化した食材の要望が高いにもかかわらず、情報の整理ができないため、流通につながっていない。
・ 専業農家の減少で遊休農地の増加、里山の荒廃が進んでいる。有機農業者の高齢化、後継者不足も現実の問題になってきている。
・ 現在小田原市には市内に約234haの遊休農地があり、内90%以上がみかん畑からの遊休農地となっているが、遊休農地は一方から見ると、日本のリベリア呼ばれるほど景観が良く。都会からの摘み取り園的転換が出来れば、大変有望な地域である。駐車場整備や、地域全体での統一的取り組みが期待されるところである。
2、有機農業を核とした地区の農業振興の方針
① 小田原市の方針である、食品残渣や剪定クズの堆肥化を共に推進して、土壌の回復に努める。
② 新規就農者への情報提供を行ってゆく。農地の紹介、有機農業技術の指導、農業者住宅の斡旋などをおこなう。
③ 地域住民に対する、宅配システムの確立。地元スーパーマーケットに於ける、有機農産物の販売コーナーの設置。学校給食への納入。JA西湘との協力してファーマーズマーケットに於ける販売。などを通して、地産地消を推進する。
④ 箱根・熱海の旅館組合、レストランのシェフの会などと商談会を行い、流通のシステムの構築を行う。
⑤ 神奈川県農業総合研究所と連携をとり、歴史ある自然農法技術を、誰でも取り組める農業技術として確立する。その為に作物ごとに、実施農家の農場を実証圃場として設定し、詳細なデーターを蓄積する。
⑥ 広く行われている、各団体の消費者啓蒙活動を、より効果が上がるように連携協力体制を作って行く。
⑦ シンポジウムやセミナーを開催し、広く地域の住民に有機農業の啓発を行う。
⑧ 県の地球博物館の協力をいただき、畑・田んぼの生き物調査をおこない。有機農業の生物多様性に対する基礎的データーを蓄積する。
⑨ ホームページを使った情報の提供を行い。消費者や新規就農者と直接連絡を取れる体制を作る。
⑩ 市民参加型の農業を、有機農業者がリードし、地域全体での農業への理解を高めてゆく。
⑪ 景観の良い遊休農地を、摘み取り園として総合的見直しを行い、必要な道路整備、駐車場整備を行う。
⑫ 県条例に基づく、美しい久野里地里山事業と、連携をとり、久野地域に有機農業の集積を行う。

昨日の自給作業:田んぼの苗床への堆肥まき。 累計時間:16時間
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もがりと石文

2009-02-24 05:36:59 | 身辺雑記
「おくりびと」がアメリカのアカデミー賞で評価された。アメリカ人も変わってきた。こう言う映画を評価するようになった。「スリル、スピード、サスペンス」だけでもなくなってきたことは良いことだろう。この映画の感想は以前書いたので、今回は書かないが、この映画の後、「もがりと石文」の事は何度となく、反芻するように考えていた。いずれも縄文以来の日本人の死生観。父の死。母の死。長い時間大きな痛手になった。この肉体を痛められたような傷は、死ぬまで持ち越すしかないものとして、身体に残っている。死によって切り離される苦しみ。なんとも致し方ない。先日、もう20年も指導を戴いて来た、自然農法の石綿さんが27歳のお嬢さんを亡くされた。肺炎だったそうだ。真っ白になってしまった姿で、空白になったものは埋めようがないと言われた。その空いてしまった穴の深さ。「もがり」と言う事を考える。仏教とか言う思想的なものが渡来する前の世界。

死者は現世から離れる前に、しばらくのもがりの期間がある。縄文人の埋葬形態などからも推測される。本来的な日本人の死者の位置づけ。死者はどこかに行ってしまうのでなく、自分を見守ってくれている者になる。そして、年に一度は戻ってきてくれる。と言うような意識。生きる者と死んでゆく者が別れを確認する期間が存在した。それは何年もかかることもあるだろう。特に自分の子供との別れは、又別で、自分の家の前に子供を埋葬する。様なこともあったらしい。もがりは死でも、生きているでもない、死んでしまった子供と残された親との対話の時間である。と書いたのは井上靖氏。幸いにそうした苦しみは味あわないが、弱い私などは父、母の死で、すっかり痛められた。そして、対話を続けてきた。何かにつけ、父親と相談する。思わぬときに母親の声を聞く。去って行ったのではなく、見守ってくれている存在。

今や、ぶっつけ初七日。こんな言葉に象徴されるように、死者との別れも、慌しい儀式として、過ぎる。せめて49日くらいは家に居る魂としての存在はあるはず。あっという間に、火葬に回される。少しも自分の体の方は、その準備ができない。現世が忙しすぎて、又日本人らしい合理主義で、死者との別れ方を、今風に改めた。合理化せざるえない姿は、昭和天皇の死が、年を越すようにもって行った努力に現れていた。死すら調整される。死を前にした時全ては等しくなる。道元の言う所である。土葬の記憶の方が、私には親しい。人が死に、墓穴を掘る。そして又埋めなおして、お墓を作る。山奥のお寺に生まれた為に、親しくそのことに接することができた。死者の墓穴は小高く盛り上げる。土饅頭とよんだ。一年が経つ頃、その小さな山がボコッと沈む。その時、「ああ何次郎さんも、仏さんになったなぁーこと」もう墓石をおいてもいいことになる。

「石文」脚本の小山薫堂氏によって入念過ぎるように、準備している「おくりびと」での石文は、父との和解。父と子を結ぶものとして用意されている。この石文の用意は、向田邦子氏の文章からヒントを得たという。映画を見たときこれは蛇足だと思った。少し、わざとらしいくないか。やりすぎたと感じた。私にとっては石文は最後にお棺の釘を打つ石。この石に様々な思いを託し、お棺の上に投げ入れて、土をかける。別れの心の石。石に託するもの言葉以上の、文字以上の奥深さ。石にしか託せない心の世界の存在。文字のない時代の、より複雑な奥深い心のありよう。ほんらい石文は石に刻まれた文字のことだろう。消えない印としての石文。永遠性。永遠と朝露のごとき生命。あのアメリカ人のなかに、おくりびとを見まもる心があることを確認できた。
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水彩人展の今後

2009-02-23 06:16:21 | 水彩画
水彩人の会議が行われた。朝から一日掛けて行われた。夜も飲みながら話が続いた。10回の開催と言う、水彩人の初期目標が終わり、新たな出発である。10月4日から東京都美術館で11回展が予定されている。今回から小野月世さんが正式な代表となった。事務所は松田憲一さんとなった。これまでの水彩人の活動の総括から始めなければならない。水彩人の第一に目標とした所は水彩画の探求であった。そもそも、水彩画とはどんな素材なのか。何に向いていて、どう使うのが最善なのか。この掲げた目標には当然異論があった。素材はあくまで素材であって、そのときに応じてあれこれ使えば良い。目標にすること事態が、おかしい。こう言う意見は当初から根強く、今でも内部でさえ同じ意見が繰り返し言われている。一理あるからだろう。

しかし、このことを目標にしたことは宣言文にあるとおりである。水彩人宣言文を書いた人は、松波氏である。そして、みんなで微調整し、熱い思いを込めて合意したものである。水と言う最も素朴な材料に立ち返り、現代絵画の閉塞状況を打ち破ろうとした。その方法として、外へ対する活動でなく、内側に立ち戻ってみようとも、宣言した。この10年間考え付く、全ての方法を駆使して、この目標に挑戦したつもりである。その結論として、水彩画の本質とは何かに到った。10年間の自分なりの結論のつもりである。一方、絵画の現状と言えば、自壊作用を始めた。この認識は、10回展の記念画集(¥1500円)の冒頭の、美術評論家瀧氏の文章にも見られる。芸術としての一手段の絵画の終焉と言ってもいいのだろう。芸術と言う思想としての枠自体が、絶対的なものと考えられていたが、実は短命に終わった。100年の生命もなかった。

芸術と言う、言葉による枠付けを問題にしないとしても、表現手段として社会的意味はともかくとして、装飾としての絵画手法自体が陳腐化し始めている。現代絵画というような枠組みの方は、活動が存在するのかどうかと言うほどの状態になっている。東京都現代美術館での企画展が何か社会的な意味を持っているのだろうか。入場者はどの程度居るのだろうか。しかし、その一方に、私的芸術と言うような、新たな動きが見える。実に個人的であり、内的な世界。水彩画にもそうした潮流は見られる。たまたま出会うことがある。つぶやきのような、独り言のような、ひそやかなものであるが、何か、生命の本質に触れるような、光るものに出会う。しかし、こうした控え目な、ささやきのように存在するまだ名前のない「もの」は、人目に触れることもめったにない。もちろん公募展というような、張り合うような世界とは隔絶している。

今芽生え始めている。本質的でありながら、ごく当たり前すぎて、見過ごされている表現手段に着目をしたい。小品である。水彩画の最も力を発揮して言う世界。これが、水彩人展の11回からの目標ではないか。こう主張した。たぶん、と言うか、当然だったのか、理解された感じはしていない。有態に言われてしまえば、素人の手なぐさみの趣味のお絵かきと、何が違うのか。たぶん全く違わないのだが、描く人が違う。描く人に天賦の才があるのだろう。つぶやきだから、努力とか、勉強とは、距離がある。頑張ってどうなるようなものでもなく。だいたいの場合、美術学校などに行くような発想の人には、縁のない分野。生き方がそのままでてきているのだろう。過去の絵で言えば、モランディーが一例。しかし、それを超えるようなものに、日本では出会うことがある。そして、それはアブクの様なものだから、そのまま消えてゆく。
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自給の条件

2009-02-22 05:47:30 | Peace Cafe
食糧自給をやろうと考えた時、幾つかの条件がある。先ずは、どんな地域なら可能か。暖かいに越したことはない。体験した場所は、山梨の藤岱は標高400メートル。山北の家が標高350メートル。問題は冬である。どちらも雪が大量に降ったときは1メートル積もる。寒さでいえば、マイナス10度を越える事もある。この辺りの条件なら何とか自給できる。緯度的に言えば、福島県辺りまでか。岩手県には兄が居るので、何度も行っている。出来ない訳ではないが、条件が相当に変わるはずだ。出稼ぎを組み合わせた先人はさすがである。佐渡の大工職人とか、新潟の杜氏職人。冬場の山仕事と言うのもあるので、日本で出来ないところはない。江戸時代は北海道以外では、やっていたことだ。しかし、たのしい自給となると、暖かい所が、出来れば冬でも作物の作れる、雪の少ない所を選びたい。山北と小田原では必要面積が半分になる。労働時間も半分になった。

日照の条件。山北、藤岱、共に日陰の北斜面であった。これも出来れば避けたい。南向きが一番に決まっている。次は西向き。夕日が当るほうが、土地は一般にいい。同じ南向きでも陽だまりがいい。屏風と言うそうだ。北側から、あるいは地域によっては、西側からも吹き抜けないと土地。暖かさが貯まって行く土地。自然に則した方法でやりたいとすると、日当たりは大きい。鶏の産卵は20%は違う。当然、畑の生産量も20%以上違ってくる。贅沢を言えば、ゆるい南傾斜地。平ら地は水でも大気でも停滞する。後ろに山を背負っていること。山からの地圧、水圧がある土地。山の頂上のような土地はいけない。こんなことまで揃う土地は少ないが、湧き水がある場所なら、最高である。

その場所に茂っている樹木の姿を良く観察する。100年の木があるか。30年の木があるか。いずれにしろ。良く観察するとその土地の性格を反映している。枝振りを見れば、風の強い所か判る。木の生えている根際の姿を見れば、土地の安定性がわかる。地すべり的な場所なら、木は傾きJのような形になる。土の性格も大切である。近くに火山があるような所は火山灰の堆積がある。そうした所は多い。掘って良い山土なら大丈夫。石の多いい所も良くない。動かせないような石がある所はどうにもならないが、小さな小石混ざりも作物にはいけない。客土されたような土地は、よほどの注意が要る。以前池を埋めた土地に住んでいる友人が居た。その家の下には大きな金属の塊があるようで、実に具合が悪かった。今は産廃や残土によって谷間に埋められ、表面だけきれいに客土した土地、と言うのがある。運動公園などになっていたりするが、概観は適地であることがあるので要注意。

そして人情。自分の気質に合う所。私は小田原の舟原気質がドンピシャだった。海気質。山気質。結構日本人も多様だ。閉鎖された狭い地域では、自分が溶け込めるかどうか。大きな要素に成る。何度も足繁く通って見る事。自給だから他人は関係ない。そう言う事は全くない。自給をしようとすれば、助けてもらわなければ、不可能である。自然に暮すと言う事は、1人で暮すという訳ではない。地域の中で暮すと言う事で、むしろ、全てをやらせていただく。そんな気持ち出なければ、自給はできない。これは、大げさでも、自分だけ偉そうに言うのでない。自給をするという意味が、曲がっているととてもおかしなことになる。社会に反した自給では、労多くして、得る物が少ない。人間の力は、自分ひとりでは半分ぐらいしかでない。自給生活においては、できる限り自分の為だけでないという事を心掛けないと、力が出ないものである。
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お抱え市民団体

2009-02-21 07:34:16 | 地域
市民団体は、行政に対して、独立したものである必要がある。行政の不足部分をボランティア的に、補完するものであってはならない。市民活動は、行政と緊張感を持って、対峙していなくてはならない。その為には行政の役割、市民の役割、これを明瞭にしておかなくてはならない。江戸時代には当然こうしたことは、厳然と区分けされ、その仕組みが崩れると、地域そのものが崩壊し、離村と言う最悪な事態も起こった。そこに暮すと言う事が、運命的なもので固定されたものであるから、地域、、こうした基本単位の在り様は相当に練りこまれたものである。地域での相談事の方式は実に念入りで、長時間を要した。3日3番の泊り込みの相談ごと、こう言う事も珍しいことではなかった。今の暮らしは、地域に根ざしてはいない。収入も地域外からえる。生活基盤のすべてが、地域外から得ている。これは地方であれ、一般の事だ。自立自給の暮らしは、それこそ限界集落と不当に呼ばれる場所くらいだ。

市民団体である以上、内容も傾向も当然様々である。神奈川県内の広域ごみの進捗状況を、教えてもらっている中で、市民参加で進めた地域があると聞いた。所がその参加市民団体が、自治会中心であったそうだ。市民参加と言った時、人数を限定しない、直接民主主義的なものから始めなければならない。当然、市全域が関わるような、大きな問題ではなく。防犯灯を地域のどこに設置するか。と言うような所から、練習を始める必要がある。今の暮らしはそう言う事が、誰かにお任せされている暮らしである。任された人が大変苦労して、客観性を配慮しながら、良い落し所に治めている。こうした、面倒のない仕組みが、慣行的に続けられている間に、実は、自治会への加盟率が急速に下がり始めた。先日もそのことを書いた。つまり、自分にとって必要な地域の暮らしが失われている。

暮らしをまとめる、地域の仕組みがなくなった中で、地域の新しい方式が見つけられるか。一つの方向が、テーマコミュニティーと呼ばれるもの。たとえば、地域で公園を作りたい。このことに感心のある人が、公園に関して相談する、コミュニティーを作る。行政がそこに対し一定の予算措置をする。この大原則は、情報の共有化だ。知らなかったというようなことは、万が一にも避けなくてはならない。ここを担保するのが、行政の役割。情報の統括発信が、これからの行政の役割。現在も様々な、市民団体が活動している。しかし、行政にとって都合いい組織と、都合の悪い組織が、使い分けられている。都合いい組織の代表が、自治会である。連合自治会が、城下町ホール賛成推進の要望書を出したことは、記憶に新しい。これが上層部と、市当局との連携であったことは想像できる。こうしたやり方は、違法行為だろう。

市民組織のなかにも、行政主導で動いているものがある。お抱えと言えばいいのか、取り込まれたというか、あるいは政策的組織と言うような、飼いならされた組織が準備される。市民参加をうたい、民主主義を表明したうえで、形式を重んじるためである。市民参加の協議会方式がうたわれた時に、市民参加を都合よく見せるには、不思議な組織を準備することになる。市民組織と行政が癒着していれば、何の意味もなくなる。行政と市民は新しい形を模索する必要がある。今までのやり方では、本当の市民参加は失われてゆくだろう。まず、両者の学習が必要だ。「美しい久野里地里山協議会」はこの点を、模索しなくてはならない。行政のできること、市民のやるべきこと。ここを明確にしてゆく。行政は、事業の透明性の確保。情報の共有化。市民は実際の行動。これが基本ではないだろうか。
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市会議員のブログ

2009-02-20 05:05:27 | Peace Cafe
小田原市でも、市長をはじめかなりの数の市会議員がブログを書いている。一度読んでもらうと、どんなことを考えているのか、もちろん市民向けのポーズに満ちたものなのではあるが、大いに参考にはなる。
加藤憲一市長今村よういち俵鋼太郎武松忠大村学佐々木ナオミひやま智子小松久信加藤仁司田中りえ子飯山茂雄奥山孝二郎原田としじ、」(名前をクリックすると、ブログに行きます。)
内容の評価、判断は、私なりにはあるのだが、市会議員と言う事に成ると、どうも敷居が高くて、率直に意見は書けない。28名議員は居るらしいが、実は名前すら、知らない人の方が多い。どんな考えなのかはもちろん、存在すら気付かない。

どの市会議員がどの議案に賛成したのか、反対したのかも、判らない方が良い。と言うのが、今の小田原市議会の意見である。市民からすると、何を考えているのかどんな人なのか、全く不明である。だから、義理人情の世界。地域のしがらみ、組織がらみ。党がらみ。様々な領域性から選ばれている。例えば問題化した城下町ホールが、ほぼリコールに近い形で、市長を降ろしてしまった。しかし、この間市会議員はどう考えて、今どうしようとしているのか。明確なことは、よくわからない。当時の市会議員全員が賛成であったように聞いている。ところが、問題化してくると、我も我もと反対の様な姿勢をみせた。ところが、その後の議会での発言と成ると、ぬえのようでとらえどころがない。それではとブログをよんでも、どうも判断させないように書いてある。数人は明確な人も居る。

ブログ自体は無料である。何故、ブログをやらない議員が居るのだろう。意見を表明しないことこそ、身の安泰。ブログに意見を書けるようにして、おかしなことになっている人もいる。長いこと更新していないと、何となくブログに向う、つまり市民に伝えようと言う姿勢のあり方はみえる。議員には義務化したらどうだろう。議会中継とブログの組み合わせ。市議会もおもしろく成ると思うのだが。議会中継は結構見ている、というより、聞いている。仕事をしながら、流しておく。あれというところを、チェックする。やはり市議会は、自分の暮らしに直結している。出かけてゆくのはよほどの事でないと、無理なので議会中継はありがたい。そこにブログが加われば、各議員の考え方、やっていることが、見えてくる。議員は市民が雇用していると言う側面もある訳だから、ブログぐらい義務付けても、問題はないはずだ。

各議員についての感想は避けるとして、加藤市長のブログは最近おもしろくなくなった。内容に具体性がほとんどない。どんな小田原にしたいのかが、どうも見えない。もちろん抽象的な意味では、繰り返し示している。例えば市民参加の市政。しかし、これは前小澤市長も良く言っていた。市長になる前はもう少し、具体性があった。当たり障りを避けているのだろうか。同じに方向の見えない文章ではあったが、広報で読む前小澤市長の、短文はなかなかの名文だった。特に辞める最後の文章は、今でも思い出す。人間が感じられた。小田原ではないが、ブログの文章で辞めることになった、議員がいる。訴訟云々まで問題化して、議員を辞めると言う事で決着をつけた。と聞いた。こう言う事があるから、公人のブログは本音で書かない。しかし、お隣の開成町露木町長のブログはいい。内容がある。忙しいから更新できない議員の方は、参考にするといい。
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おほうとうを打つ

2009-02-19 06:28:17 | 自給
私にとって「おほうとう」は一番のご馳走である。特にカボチャのほうとうである。子供の頃お婆さんから教わったおほうとう。味は染み込んできた物で、何にも変えがたいものである。おととい、そらやさんから小麦粉が分けてもらえたのだ。待望である。杉崎さんの小麦粉を以前分けてもらったのだが、急にそらやさんの宅配先から、小麦粉のどうしてもの注文があり、私の大事に保存してあった小麦粉を、緊急に回した。その時の条件が、そらやさんの小麦粉が挽けたら、分けてもらえると言う約束だった。何故、そんなにこだわるかと言えば、他に変えがたい美味しさだからだ。杉崎さんの小麦粉も確かに美味しい。そらやさんの小麦粉も又別の美味しさがある。味で言えば、そらやさんのほうが、野生味がある。杉崎さんの粉はととのった良さがある。小麦粉も実に様々な味で。お米と同じくらい味が違う。一番美味しかったのは、甲州赤小麦で、これは記憶の中の究極の味である。

昨日は田んぼの相談があったので、5人分のほうとうを作った。粉は600グラム水は250CC。塩が20グラム。と言ってもおおよそ。料理はその場その場で違う。計るようでは美味しくない。昔は先ずは粉をふるったが、そんなことはしなくても大丈夫。粉を鉢にあけて、塩ぬるま湯を半分混ぜる。振り上げるように混ぜる。粒状になったら、残りの水を固さを見ながら加える。腕に自信があれば、水は控え目。そのほうがほうとうの特徴が出る。さらにすき挙げるように混ぜてゆく。段々に固まってきたら、軽く固めて、ビニール袋に入れる。3時間寝かす。その後は踏み延ばす。繰り返す。又寝かす。踏み延ばす。良い延び加減になったら、菊練りで空気を抜きながら丸める。丸めたらビニールに戻して、1時間。さらに踏み延ばす。このとき良い形に出来れば四角く踏んでゆく。足で延ばせる限界まで来たら、今度は棒に巻き付けて、打つ。本当にトントンと打つ。繰り返し延ばして、もう切れるというところまで延ばす。そして切る。包丁が下手なので機械を使う。

この間汁を煮ておく。先ず5人分なら、どんぶり6杯の水を沸かしながら、煮干を加える。煮干は極上品がいい。結構味に影響する。里芋、人参、カボチャ。これを煮トロケル手前まで煮る。薄口醤油、酒、味醂を1対1対1のあわせ醤油で、ちょうどより少し薄味に整える。味噌は入れない。ほうとうと言えば味噌仕立てとなるが、甲州でもそれは地域と家で違う。菜花を別に用意しておく。切った生のうどん生地をそのまま入れる。ここがほうとうのとろみの出る特徴。10分から15分だが、好きな硬さまで確かめながら煮る。うどんがほぼ煮えた頃、菜花を加える。汁が多めにどんぶりに分けたなら、「玄米卵を落す。」これは絶対に必要。昨日も1個落すのが夢だったと言う、卵談義になった。薬味のネギ、七色とうがらし。

全ておばあさんから教わった。おばあーさんは塩を捏鉢に塗り付けて、調整していた。塩を入れると固くても練りやすくなる。鶏の世話、草摘み、山菜取り、きのことり、おばあさんに随分教わった。ありがたいことである。メインのカボチャは半分の量入れた。結構美味しかった。半年取っておいた立春カボチャも充分おいしい。まだいくつか温存してある。おばあさんも冬のかぼちゃのほうとうの為に、カボチャを保存していた。菜花の苦味となかなか合う。彩りもいい。この料理の費用は農の会購入したとして一人前、166円だ。粉600グラムで390円。カボチャ150円。菜花100円。人参50円。煮干30円。あわせ醤油50円。玄米卵55円。塩など5円。最高の贅沢がこの価格である。そらやさんの小麦は、運がよければ、まだ分けてもらえるかもしれない。
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農地の不在地主

2009-02-18 05:49:52 | 地域
農業会議所が06年12月末現在の農地の利用実態を全国の農業委員会1844団体に尋ね、1397団体が回答した。不在地主農地の面積を答えたのは730団体で計20万624ヘクタール。1団体平均274.8ヘクタールだった。残り667団体は面積を把握していないが、平均から推計すれば全国で約50万ヘクタールに達し、全国の農地約400万ヘクタールの約8分の1が不在地主農地の可能性がある。
私が借りている土地にも、東京の地主さんのものがある。いわゆる不在地主と言う事になるのだろう。1反づつ、ご姉妹から借りている。この土地は驚くことに、家の建てられない宅地である。この事情は農地ならではの、不思議な結果。推測なのだが、その昔、東京の財産家の方が、海の一望できる素晴しい丘の上に、農地を購入した。その昔だから、そう言う事もできたのだろう。案外に駅からも近く、引退後の住まいと考えたとしても不思議はない。たぶん昭和40年代になって家を建てようと、農地を宅地に変更したようだ。そんなことも可能だったようだ。そして、いよいよ建築されようとして、亡くなられてしまう。そしてそのお嬢さんのお二人が、土地を相続する。

その土地は、当然誰も耕作するものでもなく、長い年月が過ぎてゆく。その間、全くの関係ない人が、黙って隅だけ家庭菜園を始める。他は荒れ放題のままになる。地主さんのお二人は見に来るわけでもなく。そのまま、過ぎていた。それらの事情があって、私に借りてもらえないかと言う話があるところから来る。地主さんと相談してみると、きちっと管理してくれるなら、全部をすっきりとさせてくれるなら、と言う事でお借りできることになる。既得権のように作っていた人に納得してもらい。これは大変だったが。今は畑をやっている。このお二人のように、農業者ではないし、農業など考えても居ない人が、相続で農地を所有してしまい。しかも、その先のさらに農業に縁のない人の所有になり始めている。実は我が家も、那須に土地があって不在地主である。2箇所土地がある。利用したい人は居ないものだろうか。やはり相続でそう言う事になった。きっと荒れて迷惑になっているだろう。

農地の8分の1が不在地主。これは農政の方針の混乱が原因である。既成農業者以外の農業参入を禁止したこと。農地の転用基準のなし崩し的曖昧さ。大きな方針がない為に、その場その場の農業者の要求を受け入れた、政府の態度の結果である。農地に関する法の縛りが、他の法との整合性がない。一方産業としても、全く他産業とは、異なる論理で作り出されている農業。こうした、成り行き任せの結果が、ついにここまで来たと言う事になる。農地の価格が同じ条件の宅地に較べて、20分の1。これでは、法の網をすり抜けて、宅地化しようという人が、後を絶たないのは当然の事だ。最も成功した農業者は実質不動産業者である。農地は農産物を作る生産の場のはずだ。この原則を忘れている。このことを建前にした、日本らしい失政。

ここにきて、株式会社の農地所有が新たな問題になりそうだ。企業が農業に参入すること自体に問題はない。農地は企業が所有し資産となる。企業全体の収支の中で、損益が計算される。農地は新たな、価格を持つことになる。宅地が利用価値から離れて、投資的資産となり、乱高下した。同じに、農地が利用価値から、株式会社の資産的評価になる。株主はどう見るか。これは、小さな農地で暮してゆく、小さな農家にとって、困ることにならないか。特に、農地を借りて、新規就農を計画する人には、困ることにならないか。新規就農はとても困難なことである。増えてもらわなければ成らない所だが。足柄平野で企業的農業が成立するとは、私に思えない。現実に少しも広がる兆候はない。企業が所有すれば、法律の網の目がさらに複雑化して、もうほぐせない様な状況になりそうだ。農地の国家所有。こう言う事はできないのだろうか。
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中川財務大臣の異変

2009-02-17 04:49:40 | Peace Cafe
中川財務大臣の様子がおかしかった。いかにも泥酔した状態で、記者会見をした。これがG7後の世界の注目する場であったから、問題化した。同日、日本の国内総生産が年率換算で12,7%の下落が、発表になる。麻生首相は今回の金融危機は諸外国に較べて、日本は問題が少ない。など、意見を述べたばかりだった。麻生政権は今の日本の状況を把握していない。自民党内ではついに真打登場で、小泉元首相が、麻生氏の態度に苦言を呈する。四面楚歌。どことなくへらへらしていた麻生氏の表情も、引きつり始めている。一方、春闘における連合の主張は、賃金の値上げである。全てがバランバラン。この状況では、肝心の農業改革も、食糧自給も、どこかへ押しやられそうで、心配になる。やはり、落ちる所まで落ちなければ、転げ始めた石は止められないと言う事か。

輸出によって、日本人は分不相応な暮らしを、させてもらった。これではいけなかったのだ。輸出中心の経済は、屋上屋を重ねるような、危うさの上に成立している。それは、経済先進国の中でも極端なゆがみである。こうした危うい均衡の上に成立している経済は、何時バランスを崩すか、時間の問題だったのだ。アジアの経済は、全体に輸出依存である。特にアメリカへの輸出である。アメリカの消費が落ち込めば全てが連鎖的に、崩れ始める。アメリカの大量消費の暮らしは、必ず崩壊する。つまり、戦争の継続まで含めての大量消費である。暮らしの必要不可欠なものでの消費の姿ではない。その消費を支える形で、日本を含めたアジアの経済は成長してきた。これが健全な姿のわけがない。近い内に総崩れすることは目に見えていた。アジア諸国は外資の導入で、生産物は輸出。こうした経済モデルは日本型である。

経済成長、日本モデルの崩壊。日本独自の修正資本主義とも呼ばれた。平等分配がいつの間にか、資本の利潤追求を是とする、国民総投資家になってしまった。家を作るにも、それが投資として有利であるかが、大きな要素になった。金融社会がいつの間にか、暮らしを覆っていた。借金をしてマンションを買って、人に貸す。こうした事を有利に展開する為の、住宅ローン減税。労働者としての立場は、連合が主張するような、この状況においても、賃金の値上げである。つまり、労働を賃金として売り渡している。私の所のような小さな養鶏場でも、出来れば働いてもらいたい仕事がある。働いてもらえるなら、養鶏場も継続できる。障害のある友人に働いてもらってきた。さらに働いてもらおうにも、最低賃金が壁になり、継続ができない。その話を県の労働組合の人に話したことがあった。障害者雇用の補助金云々と、建前論だけで、現実は少しも見えていなかった。

人間が幸せに生きてゆく。どんな経済状況であろうとも、このことが最も大切である。生きる目標を持てることだ。それは大企業に勤めたとしても、その企業の目的と、自らの生きる方向が重なるなら、幸せである。それを賃金の関係にしてしまうのは、つまらないことではないか。もし賃金の事で仕事を判断するなら、農業など、全く無駄である。政治の状況が最悪に陥っているのも、金銭と言う価値しか、信じていないことによる。中川氏の第一の落ち度は、財務大臣の能力がないのに引き受けたことである。風邪を引いているなら、イタリアまでの長旅など、無理である。まして、機内で飲酒したなど、責任感の欠如である。中川氏は顔さえ出せばいいくらいにしか認識していない。この記者会見を途中で止める者が周囲に居ないと言うことが一番怖い。白川日銀総裁は隣に座っていながら、平然としているのは何故か。秘書のものは、同行していないのか。危機管理が全くなっていない。
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68回水彩連盟展

2009-02-16 04:42:14 | 水彩画
4月に新国立美術館で水彩連盟展が開催される。私が始めてこの団体展を見たのはまだ旧東京都美術館で開かれていた頃で、一風変わった展覧会だった。まさかそこに出すことになるとは思わなかったが、今は止めてしまった、端名さんと言う一水会の人が、金沢大学の先輩だった。その方から大学の先生だった、二紀会の林建造先生を紹介された。このように、連盟だけに他の会での活動を中心にされている人が、集まってい出来ていると思った。水彩連盟展だけの会員と言う人もいると言うのは、後でわかった。小史を見てみると、私が出品をしたのは39回展と言う事のようだ。この年から、長沢節さんが、辞めたというか、辞めさせられたことで判る。私としてはキッシュアート部門という、不思議なおもしろさに魅かれて出品してみたので、騙されたような気分になった。その頃はあちこちの団体に、挑戦のような感じで出していた。その頃は、団体展と言うものに、少し権威のようなものが残っていた。

水彩連盟展に出してみると、当然権威のようなものは無く、とても親しみやすい所だった。若い出品者が居ると、わざわざ声を掛けてくれるような人が居た。何となく、癒しの場のようになった。当時は殺伐と絵の競争世界で、取っ掛かりを探そうとモガイテイタ。もちろん関わりが深くなってくると、この小さな世界の中もなかなか、ややこしい人間関係が存在するようで、今はそういうところとは距離を置いて、純粋に出品させてもらうだけの立場である。何かに関わっていれば、とうに長沢先生と同じことだっただろう。運営をしてくれている人達に、いい気なものだと言う意見があるのは知っている。ただ、民主的でない組織と言うのには、耐え難いのだ。

今年の出品作はM150号である。ほぼ描き終えた所である。早春の何も無い畑を描いた。この絵を描いていて、自分の絵を描く役割りの様なものがあるかもしれないと思った。大それたことではなく、「川越の小江戸情緒を描く作家」と言うような芸術とは無縁の役割だ。もちろんそんな紙芝居のようなことを、芸術と混同している場合があるのは、知ってはいる。イラストのような、と表現して、イラストをやる人に差別用語だ、と言われるような意味なのだが、畑の美しさについては、私以上に知る人は、幾らでも居るだろうが、それを描くと成ると、役割かなと思ったと言う事だ。河童を描いて知られる、小川芋銭という絵かきは、本当は農業に暮らし、農業に生きる人を描いた。農に生きる人と心通じ合える人だった。そんな意味で、今時代の中で農に生きる姿を、畑の美しさとして描いてみる。

畑はとても美しいものだ。自分が耕してみて、風景を作り出す意味がすこしわかってきた。なぜ耕作放棄地が美しいのか。よく耕作された畑が、少しも自然と破調にならないことも知った。そして、人工造林がなぜ味気ない風景に成るのか、なぜ里山が美しいのか。人間と自然の関わり方にあるのだと思う。ここでの美しいは、美味しいと同じで、何の客観性もない。美しいと芸術も直接の関係はない。私はそんな風に絵画というものを考えてきた。その末にと言うか、ある意味諦めてと言うのか、畑を描いて見ようかと、おそるおそる思った。それは猫好きがネコちゃんを描くのとにている。せめて百姓芋銭の目で、今の荒れ果てようとする農業の現場を、正面から、絵を描く目で見て見る事も必要なことかと考えるようになった。
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農地価格の動向

2009-02-15 05:00:34 | 地域
足柄平野の農地価格は下がってきている。農地の価格は20年くらいのスパンで見ても、徐々に下がっている。特にここ5年間の動向は、大きく下がってきている。農地の取引は少ない。その上に農地を売るという場合、背景に事情がある場合が多い。その実態を公表しない心理も働く。不動産屋さんが仲介すると言う取引の方が少ない。理由は価格が安い為に、同じ法定手数料では間尺に会わない。私が久野に越してくるきっかけになった、亡くなられた小林栄一さんは、そのことを解決するために、農業の不動産を扱う仕事をしたいと、言われていた。農地の取引価格で参考になるのは、農業委員会通信のようなものがあり、実際の取引価格が載っていた。私が見聞きした、価格とそう離れていなかったので、これが実態と言えると思った。先日農業委員会に行った時にも、その通信をもらおうと思ったが、置いてなかった。

農地価格がなぜ気に成るかと言えば、農業の先行きを示す指標となる。一般の宅地価格との開きを見る。現在、舟原付近の宅地は坪10万円となっている。私が舟原に来たとき、10年前坪30万円と言っていた。実取引は25万だった。農地の10年間の変化の方は、当時坪5万円と言っていたものが、現在1万円に成っている。農地の下がり方が大きい。この農地と、宅地の乖離が、不自然な現象を起こす。テレビで報道していた。農地の転用の問題だった。農地として、一年間貸すと8万円の地代の農地が、何と700万円で雑種地として貸している。あらゆる手段で、農地の転用を計る。優良農地から虫食いになって行く。現在小田原でも、その圧力は強い。田園優良住宅が使われている。農地を資産として維持している、多くの農家にすると、自分が販売するのでないにしても、農地価格が上がる政策のほうを好む。

実は、農地の情報に詳しい方から、1反60万で取引されたと言う話を伺った。坪2千円だ。入り口の狭い車の入らない農地だそうだ。値崩れは、政府の無策から来る。農業に対して、方針がない。現在、抜本的対策をすると、言っているが信用されていないことを、意味する。もし、本当に農家が暮せるような施作を政府が、打ち出してくれると感じるなら、農地は下げ止まる。昨日は、あしがら農の会の定例会があったのだが、4名も初めて参加された方が居た。この地域で、市民的な農業、あるいは、本格的な新規就農を目指そうと言う方、既に始めているが、農の会と連携をとりたいという方々だ。皆さん20代だった。そうした新しい動きは着実に動き出している。それぞれに真剣に自分の人生の事を模索している。こうした新規就農の動きは、今の所、農地価格とは関係がない。

農業の確立なく、国の安定はない。農業の確立のためには減反政策の廃止が、第一である。この悪政は、農家の誇りを傷つけた。国の本たる食糧生産の基盤を、揺るがせた。米が余るようになった。アメリカのパン給食が日本人の食生活を変えた。パンのほうが今風だと思わされてしまった。パンを禁止すれば、お米は余らない。もちろんそんなことはできないが、学校給食ではパンは止める。米の最新の製粉施設を全国の農協は持つ。誰でもコイン精米のレベルで、製粉できるようにする。米粉パン。ビーフン。話は、又それてしまったが、坪2000円が出てくるようでは、農地は着実に蝕まれていっている。まだ下げ止まり感は無い。1反、1万6000円が借地料である。これが実質利用価値である。反60万円と言ってもまだ、37,5年分だ。借りていた方が賢い。
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中国の大旱魃

2009-02-14 06:06:32 | 環境関連
中国では近年、旱魃が繰り返し起きている。国務院(政府)が設置した対策指揮本部によると、北京市のほか河南省、安徽省など12の省・自治区・直轄市。昨年10月下旬以降、一帯にまとまった雨が降らず、作付面積にして約1030万ヘクタールの範囲で、冬小麦が枯れたり成長しないなどの被害が出始めた。429万人と家畜207万頭分の飲料水が不足し、指揮本部は「小麦生産地を襲った50年来の干ばつ」と指摘する。黄河の水が海に流れ込まない状態である。以前から、南にある長江から、巨大な導管で北に水を送り込む計画が進められている。しかし、南の長江も水位が極端に下がり、私が見たときは5メートルほど、以前より水位が下がったと言っていた。水質汚染が、限界を超えている。洞庭湖の富栄養化がすすみ、緑藻が繁茂した状態となっている。洞庭湖自体が年々小さくなり、今や中国一の湖水ではなくなっている。

中国から連日黄砂が飛んで来ている。九州の農地では土壌の酸性化深刻な状態で、毎年ペーハー調整が必要と、先日、赤嶺氏の講演では話されていた。今日は小田原でも黄砂の観測がされる可能性があるそうだ。黄砂も砂漠の砂だけならいいのだが、中国で環境汚染された化学物質が、大量に押し寄せることになる。日本海側のほうが、疫学的に乳がんの発生が高いと言う記事を読んだこともある。旱魃で恐いのは、汚れた水を農業に使わざる得ないことだ。日本の化学肥料、および化学農薬の単位面積当たりの使用量は、世界一である。この深刻な状況を日本では、雨がかろうじて救ってくれている。土壌に蓄積せず、水に流してくれている。しかし、旱魃の中国と成ると、全ては土壌に残留することになる。この化学物質が土壌を砂漠化してゆく。文明は繁栄した、果てに、砂漠化する。

中国のうなぎは、イメージとして食べることができない。その養殖池の状態が、日本で言う池とはそもそも違うのだ。淀んだ死に水になる。水と言うものが流れないし、浸透をしない。その死に水にかろうじて、酸素を送り込んで、養殖をするしかない。「命の水」中国はこの貴重な水を軽んじてきた。水が汚れると言う事に、感覚的に日本人とは違うものがあった。水は高きから低きへ流れる。このイメージが無い大陸。田んぼを作っても、入水口と排水口は地形から、決まってくる日本の地勢。水への信仰は、稲と共に日本人の成り立ちに関わる。今旱魃にあっている小麦は6月に収穫される。中国の主要食糧である。中国政府が改めて、食糧危機にはならないと、声明を出すほどだから、よほど深刻な状況と考えなければならない。4大輸出国の一つオーストラリアが、よほどの異常気象だ。世界の食糧状況も楽観はできない。

私の小さな畑の小麦は順調な生育だ。30坪作っている。近くには湘南小麦プロジェクトと言うものがある。「ブノワトン」パン屋さんの高橋氏が提唱している。以下、現代農業の記事から。「30キロ6000円で小麦を購入している。自分で製粉してパンにするようだ。平塚の転作小麦農家、加藤忠秋氏と市川氏。30キロ4000円までなら、と考えていたが、補助金がなくなり、2000円以下になる。これでは作る気にならない。神奈川県の小麦生産量は95t。湘南エリアでは18トンをこのお二人が作る。」小麦がキロ200円なら作る。1ha作って、100万円。これでは生活ができない。圃場の条件が北海道とは違う。オーストラリアとは違う。私の作った経験では、キロ500円以下では作れない。しかし、自分で食べる分には、幾らであろうが、かまわないのだが。
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