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水彩人展感想

2017-09-30 05:20:10 | 水彩画

昆野朋代さん 同人推挙 「木道のある風景」10号

水彩人に参加して本当に良かった。今回も素晴らしい絵に出会えることができた。昆野さんは19回展には4点出品している。小さな絵しか描かれない人だ。水彩画の色の美しさというものを教えられる。今までも素晴らしい人だと思っていたが、いよいよ佳境に入った。水彩の色の美しさを教えられる。自分がまだまだ至らないという事がよく分かる。これほどの美しい緑の絵がかつて存在したのだろうかと思った。水彩という材料の美しさはここまで行けるのだと感服した。筆触で語られたものが静かに漂い揺らいでいる。水彩というものの色はこれほど輝きがあり、強いものだと示されている。絵を見る楽しみというものは、作者の目に従うという事のようだ。大きさにも由来しているのだと思う。マチスが示したように、小さな赤と大きな赤は番う色。紺野さんの絵の美しさはこの小ささにある。小さいからこそ水彩画の妙なる色彩が現れる。

昆野朋代さん 「夏の湿地塩園」 10号

水面の描き方の美しさ。モネの絵が水彩になりさらに深くなったかのようだ。モネ以上の目に出会ったことがなかったが、個々には昆野さんの目がある。最近はやりのアメリカン水彩の方々も水面を良く描く。水面の表現というもの。技法や、観念で見ていては、こういう心にしみてくる水面にはならないだろう。描写というものの奥になるもの。水彩人の求める姿勢。

昆野朋代さん 「緑の中の道」 10号

三点掲載させてもらった。一枚と思ったのだが、余りに素晴らしく3枚記録しておきたいと思った。もう一枚秋の絵を出されている。全部で4点である。写真ではその絵の魅力の半分も伝わらない。微妙な色調とその肌合いに水彩はある。

 

 

栗原直子さん 「いずこへ」80号

いつも栗原さんの世界がある。素晴らしい絵を出してくれている。語られている栗原世界がある。この美しい絵を見ない人は損だと思う。水彩画というものがどれほど幅広い表現があるのか、水彩人の仲間は挑戦している。水彩人展は10月5日2時までである。入場無料なので、ぜひとも観て頂きたいと思う。まだまだ良い絵があったので、感想2を改めて書きます。

 

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出来なかった宿題

2017-09-29 04:26:21 | 水彩画

小学生の私は宿題を忘れてしまう子供だった。家に帰れば学校のことをすっかり忘れてしまい思い出さなかった。もう何をして遊ぶかばかりだった。翌朝学校に行く段になって、そこにあるカバンをそのまま持って行く。その日の授業の教科書が分からないから、大体は学校に置いてきてしまう。忘れ物は毎日のことで、自分ながらに手の負えない子供だった。後先が続かない何か病気だったのではないかと今は思っている。聖路加病院の精神科に連れて行かれたくらいだから、私自身の気づかない心配がほかにもあったのだろう。聖路加病院にはいとこにあたる人が、看護婦さんをしていてきっとその人に相談して、連れてゆかれることになったのではないかと思う。自分でもそのころのことを思い出すと、いつも頭の中がグルグル回っていて、物を続けて考えられないような状態を思い出す。何かしら毎日落とし物をしてしまう。何かが頭に表れて、他のことが分からなくなっていた気がする。いつの間にかそういう事は無くなり今に至る。と思っているがそうではないかもしれない。

なぜ急に子供の頃の病気のことを思い出したかと言えば、忘れたのではなく出来なかった宿題があったからだ。それは国語の宿題だった。小学校4年生の初めのころではないかと思う。句読点の問題である。句読点を入れることで、2つの意味になる文章を考えて来なさいという宿題が出されたのだ。難問である。これにはまってしまった。「文章の句読点の入れ方で2通りの意味になる文章を考えなさい。」もうこのことが頭に離れなくなって、1ヵ月ぐらい考え続けた。今もその宿題を解いていている事がある。まとわりつかれて考えていた。それでそのおかしな宿題が忘れられないのだ。ところがそんな文章はどうしても思いつかなかった。いよいよ、先生は黒板に順番に名前を呼び、みんなが考え付いた言葉を書いていった。だんだん私が近づいたのだが、その時、私がまた宿題をやってこなかったと思った隣の確か斎藤君が、自分は2つできたからこれを言えばいいと教えてくれた。

ところがその言葉を見ても、それが正しいとは思えず、順番が来てできませんでしたと答えるしかなかった。出来なかったのは私ぐらいだった。しかしその黒板の事例がすべて間違っていると私には思えたのだ。その宿題には今も答えられないでいる。クラスの人たちの正解は意味が2通りになる単語を答えていたのだ。しかし、そんなところに句読点が入るとは私には思えなかった。「川霜野村の子供たち」を「川下、の村の子供たち」に置き換える。これなら正解という事だった。これではないのだ。文章全体の句読点を頭の中で想像し続けた。文集の意味が変わるという事ではないのか。普通の句読点の入れ違いで、意味が違う文章を考え続けた。要するに発想が固まってしまい、柔軟性がない。この文章を読み返しても句読点の入れ方で2通りの意味になるものはまず見当たらない。ところがその後何かの文章を読んでいて確かに発見した。極めて難しい国語の問題だと思う。

絵を描いて居るとこういう状態が常である。どちらでもいいようなどちらでも悪いような。回答があるようでないようで、頭の中がグルグルと渦巻き続ける。分からない難問を眺め続けている。だから私が絵を描くというのは、ほとんど絵を眺めているという事になる。もがくこともあるが、大抵はぐうたらしながら考えている。行動として絵を描いて居るのは1,2時間である。絵を眺めているのは1か月であり、1年である。ものによっては数年後にその回答が見つかる絵もある。突然これはダメだ、回答がないと、分かることもある。しかし、数学者は難問を解くという事に人生を費やす。解いて意味が有るのかどうかは分からないが、ともかく難問にかかわってしまうのだろう。絵も数学の難問に近い気がする。回答に至る道はさまざまである。数学の難問と同じで、回答に意味が有るのかどうか。たとえ回答に至ったとしても、その回答は大多数の人にはどうでもいいことなのだろう。ただ、絵にかかわり始めてしまい、解かずには死ねないような気持である。

 

 

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水彩人出品作のこと

2017-09-28 04:16:27 | 石垣島

 第19回水彩人展には3枚の石垣島で描いた絵を出品した。石垣島の名蔵湾を畑の上から描いたものだ。この場所ほど美しい場所は見たことがない。時期はそれぞれに違うのだが、同じ場所で同じ気持ちで描いたものだ。美しいと感じているそのままに描いている。絵を描こうという訳でもない。美しい景色を写し取ろうという訳でもない。目が見ている世界を描けるものなのかを探ってみた。その結果3枚の違う絵になった。当たり前のことかもしれないが、違う絵になっていることに自分としては不思議がある。その時々で目は違うものを見ている。このことを考えるために、3作を出品した。石垣島で制作している連作ではこのほか3つの場所があるのだが、今回は名蔵湾にした。次は農道の絵にしたいと思う。そして田んぼの絵も続けるつもりだ。石垣島ほど自分を引き付ける場所はない。その惹きつけられる理由は、静かな気持ちになれるという事がある。風景が目が見ているものをそのまま描けばいいと語りかけてくれるのだ。

絵画制作をするというより、風景に向って「描画禅」を行っていると考えると一番近い。描画禅などというものがある訳ではなく、これも造語だ。私絵画を突き詰める一つのやり方だと考えている。自分というものを深めてゆくための制作法のようなものだ。ただひたすら意識を去り、目になって風景の前にいる。その目が見ている世界を意識の操作を出来るだけ排除して、画面に映してゆく。その時にはこざかしい絵画的知識を出来るだけ排除する。それは排除するという意識も持たないようにする。ただ静かな気持ちで、目になる。そうすると絵画する意識で見ている世界とは違う世界に向かう。その向かう先が何なのかはよくわからないのだが、しばらくはこうして制作してみようと考えている。石垣島に出会えたことは幸運と言わなければならない。石垣島という異空間の場が、そういう自分を呼び覚ましてくれたのだろう。

結果それを絵と言って良いのか。絵という訳には行かないのか。そういうことを知りたいと考えて、今回3枚並べて出品している。絵を前にすると、どうやって描いたかは思い出せない感じだ。想像することは出来るのだが、絵を描きだし終わるまで2時間ほどなのだが、絵を描く道具になったように、没頭してしまい頭を使わず描いている。その結果として、今まで習得したような、様々な要素が立現れてくるようだ。それが絵画なのかはよくわからないが、私絵画には近づいているような気はしている。人間は学んだもので出来ている。言葉もそうだし、考えること自体が学んだことによっている。その学んだものの奥に自分というものがあるのかどうか。もしあるとすれば学習したものにどのように上乗せ、色付けしているのかを知りたいと思っている。自分というものを知るために描いているのかもしれない。と言って、描かれたものは絵らしきものである。絵らしきものが、果たして何であるか。それを水彩人に並べることで確認したいと考えている。

目になって描くという事は、反応で描いているという事になる。反応によって出てくる絵が、私の絵と言えるのかどうかそれもわからない。分からないことであるが、今はそれに従ってみようと考えている。反応する目を養い育てることが私が生きるという事の一つの現れになる。良いものを見るという事。良い世界を知るという事。自分らしく日々を暮らすこと。そういう事が反応する自分というものを作る。自給農業をすることもそういうだろう。自分の生き方が自分を作っている。その出来た自分が絵を描くこと。その絵は自分の確認という事になる。確認してより自分を進める糧にする。自分が進むという事、生きるという事を明らめること。自分が生きるという事を全うするという事。そうしたことに絵を描くという事が繋がるのではないかと期待している。

 

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アベ政権の終わり方

2017-09-27 04:10:43 | Peace Cafe

アベ政権は権力の私物化という事で、弱体化を始めた。最後のあがきが、追及逃れの解散である。そもそも安倍氏の出自を考えれば当然の帰結かもしれない。安倍晋三氏を総理大臣役として立ち上げた鵺がいる。鵺は自分の欲望を満たすために、総理大臣にしたと思われる。安倍氏は自分がデクノボウ人形であるという事もあまり認識がなかったのかもしれない。知っていればまさか、加計氏とゴルフに興ずるようなアホなことはなかったはずだ。まして、アベ夫人が森友学園の名誉校長を引き受けることもないだろう。すべては鵺の誘導に従い、自分の意思で動いているかのような気持ちにさせられた不幸による。安倍氏も長く権力についている間に、役者であることを忘れていることも多くなった。まるで自分がすべてを取り仕切っているような、錯覚に陥り国会でくだらないヤジまで飛ばすようになった。ではその鵺の実態とはどこにあるのだろうか。いくつかキーワードは発見できる。「靖国神社・憲法改定・アベノミクス・構造改革特区・諮問会議」

こうしたキーワードのその奥に誰がいるのだろうか。というような疑問である。日本会議というものがそうだ、という人も居た。いや竹中平蔵が関係する組織だろうという人も居た。祖父、父親と続く怨念だという人も居る。私にはどうも明治政府の亡霊どもではなかろうかと見える。つまり亡霊の思いの集合体が鵺存在である。明治帝国主義思想の実現できなかった恨みの塊である。分かりやすく言えば、帝国主義戦争をやって敗れ、いつかもう一度敵討ちを果たすというような怨念の塊。敗戦した悔しさに、いつか見て居れと開き直った人たちの、敗者復活戦である。具体的な亡霊の姿を出現させたのが石原慎太郎であったこともある。何とかもう一度強い日本を取り戻し、中国をたしなめ、アジアを導くというよう不遜な態度である。もちろん石原氏が具体的に鵺だというのではない。鵺は時に石原氏に乗り移ったのではなかろうか。それが明治の亡霊の仕業に見える。もちろん亡霊というのは例えだ。日本では明治帝国主義思想と呼ぶ他ないようなものが清算されていないという事なのだろう。

自民党という政党はそいう亡霊の作り上げた政党なのかもしれない。軍事力の日本の復活の同志のようなものだ。保守政党というものは常にそういう傾向はあるのだろう。ところが世界経済のグローバリズム化によって、国家というものと大企業という存在が別の動きを始めた。経済は一国の経済政策ではどうにもならないことになっている。それが日米同盟であり、TPPだった。アベノミクスが立ち上がり好調に見え、雇用が改善した。しかし、政策が成功したというより、そういう世界経済の一時の流れに過ぎない。株価や為替や物価上昇。黒田異次元政策の結果とは到底思えない。この黒田方式は一時的な効果であり、長く続けるとその反動というものが、必ず生ずる。企業は国を超えて動き出す。アメリカファーストに引きずりまわされる、日本出身の企業の姿。経済政策即国際競争力という考え方が、国内の不均衡化を生み出している。安定した国力、例えば食糧生産力。こういうものが衰退を始めている。

アベ鵺政権は末期を迎えている。鵺である以上最後の亡霊としてのあがきをするだろう。憲法改定である。明治憲法の復活である。嫌悪する占領下の憲法では、敗戦の屈辱が拭い去れないのだ。そのように鵺亡霊に操られているのが、安倍晋三という人間である。日本が戦争をしたこと自体が間違いだったのだ。戦争をせざる得ない道を歩んだことが間違いだったのだ。そしてまた、戦争への道を歩もうとしている。これがアベ政権の末路の姿だ。アベ政権の終焉とともに、明治の亡霊の始末をしなければならない。今度の選挙の意味は、明治帝国主義の復活になるのか、つまり日本ファーストになるのか、あるいは平和な安定国家になるのか。の選択の選挙である。国民が日本ファーストとが良いと選択する可能性がある。それはアメリカやイギリスも歩んでいる、崩壊の道だ。相手を滅ぼすことで自分が良くなるという構図を人間は越えなければならない。もしそれができないのであれば、人類は終わりを迎える。それが今度の選挙の意味としなければならない。

 

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水彩人展始まる。

2017-09-26 04:04:22 | 水彩画

 

19回「水彩人展」が東京都美術館で開催されます。

9月27日~10月5日まで開催されます。

10月2日は休館日になります。初日は14時からになりますので、ご注意ください。最終日は14時までです。

水彩人が始まる。

19回 「水彩人展」まとめ 

一般応募数 114名 応募総数 286点 入選者数 85名 展示点数 87点 

同人出品者数 22名 会員出品者数 30名 合計 137名 総展示数 205点

同人推挙 金田勝則 昆野朋代 西涼子 

会員推挙 畔上 撫子 宇都宮 敦子 榎 圭子 甲本 祥子 

展示は今日の午前中に行う。21日の搬入日以来、様々な準備作業があり、いよいよ今日開展になる。毎回、開催までは気が気ではない日が続く。公募展の開催は間違えが許されないという事があり、神経を使うチェック作業が大変なことになる。グループ展とはこの点が大きく異なる。それでもこうして公募展にしたことで、多くの仲間が集まることができた。30年前、5,6名で始めた水彩画の研究会がこんな形になるとは思っても居なかった。水彩画というものが、どうも研究が足りないのではないか。美術大学でも学科すらない。しかし、水彩画ほど日本人に適合する表現はないと感じている。自分たちで研究する以外にないと考えて、月次でやっていた。その気持ちは今も全く変わらない。しかし、137名で開催する展覧会となると、様々な思いがあるのだろう。大きく変貌したともいえるし、原点のままともいえる。いずれ、水彩人の声明文にある。

現代美術は、一見急速な進歩を遂げ、
自由で広大な世界を開いたはずであった。

しかし今日、絵画は 自由とは反対に自らの方向性を失い、
細分化され、窒息状態に陥っている。

刹那的な方法論をふり回したり、
短絡的に新しい表現方法に頼ることが、

絵画の本来もっていた大らかな豊かさを 失うことに
拍車をかけてしまったのではないか。

我々が ここに示すひとつの試みは、
これ以上「外」に向かって切り開こうとする姿勢よりも
むしろ「内」に向かっての探求である。

水による最も単純で素朴な方法を課することは
大きな制約となるが
それは絵画に自由な豊かさを
取り戻す為の 最良の手段になりうると考える。

水彩の可能性や在り方を、
他に追従することなく求めていきたい。

 

1999年 夏   水彩人

宣言文は松波さんが書きあげてくれたものだが、水彩人を立ち上げた全員の共通した思いだ。水彩人が立ち上がるまでに、10年があり、それからまた19年が経過しようとしている。私の水彩画のすべてがここにある。もし水彩人がなければ、ここまでこれなかっただろうと思う。23日午前中をかけて、絵の批評会を行った。互いの絵に対し、本音で発言があった。私も人を傷つけてしまうようなきつい失礼な発言もしたと思う。しかし、感じたすべてを話してこそ水彩人の場だと思っている。会期中も互いの絵に対する本音を語りあう。そういう本気の場にしたいと考えている。そこで公開の批評会もある。また、絵を語る会も行う。水彩人は今までにない公募展だと思っている。

是非とも、ご来場いただき忌憚のないご意見をお願いいたします。

 

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タマネギの発芽

2017-09-25 04:02:15 | 自給

燻炭の所だけ先に発芽したセルトレー。9月24日播種1週間の写真。25日になって全体が発芽してきたが、やはりまだ差がある。

今年もタマネギ苗を何とか作ろうと頑張っている。品種はネオアース。播種日が9月17日。18日に畑に設置。畑はそばかすを撒いて2度耕運した。その上に山土とソバ糠とえひめAIで発酵させたものを覆土した。その上に、セルトレー288穴と200穴をしっかりと押しつけて、設置した。設置した後に、またもみ殻燻炭をざっと撒いた。実は時間が遅れて真っ暗な中やった。もみ殻燻炭を撒くことで発芽が良くなり、良い苗になるのではないかと考えているからだ。畑の土をよくするので、燻炭が好きだという事もある。以前から、大豆を苗で作っていた時も、燻炭を使っている。蒔いたポットの上から燻炭を3ミリほど覆っておくと、何故かよい結果を得るような気がしていたのだ。今回もタマネギ苗作りでやってみた。自信がないので、勝手に適当にやっただけだ。自分の所には多めに蒔いておいた。その結果燻炭がまかれた場所だけ早く発芽しているのだ。嬉しい発見だ。こういうことがあるから面白い。

これなどは10ミリぐらい固まって落ちてしまった場所。実験だと思いそのままにしておいた。観察が好きなのだ。そして、嬉しい結果として、厚い燻炭層を突き破り発芽しているのだ。どういうことなのだろうか。4つの可能性が想像できる。1、日光を遮る効果。土だけの場合、浅い覆土だと光がタネにまでわずか透過して当たることもある。すると発芽が遅れる。2、燻炭の上から、水を与えると、燻炭の中を水が通り、種に届く。この時に発芽を促進する微量要素があるのかもしれない。燻炭で水が浄化される。あるいは燻炭が乾燥を抑える。3、燻炭を被せると、地温が上がるので発芽が早まる。4、この間雨も2度降ったので、燻炭を溶かしながら雨も降っていたと考えられる。発芽を促進するというより、種が持っている発芽を抑制する原因が取り除かれるのかもしれない。原因はともかく燻炭の利用は続けることにしたい。

 

苗土の中にも30%ほど燻炭は混ざっている。一日1回は水を撒いているのだが、意外に乾くものだ。

東京に展覧会の準備で行かざる得ないので、蒔くのは夜中か朝暗いうちになる。それでも面白くて忘れるという事はない。種が目を出す姿ほど面白いものはない。命が沸き出でる。という感じがする。子供の頃から鶏を飼っていて、卵を孵化するという事の面白さで、鶏にはまり込んだ。どんどん孵化をしてしまい。藤垈のおじいさんの家でも、東京の家でも、鶏が沢山いることになった。そのまま今日がある。その命が沸き出でる感じが、絵を描くというところにもある。何かが導き出される感じだ。絵にも命がある。自分の中の種が芽を出すのであって、自分が絵画という、あくまで自己表現というような意思的なものとは別のような気が最近はしている。こういうことはネギの発芽とは少し違うとは思うが、自分の中ではどこか繋がっている。

 

 

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生きずらい世界に

2017-09-24 04:07:57 | Peace Cafe

生きずらい世界への入り口にいる。もう片足ぐらいは入っているようだ。気付いた時にはどっぷりとつかっているというものだ。嫌なことだが、歴史という力学はそんな繰り返しを示している。自分は幸運に良い時代に生きることができたようだ。戦争のはざまに人生があった。希望のある時代に生きることができた。希望は残念ながら、砕け散りそうだ。焦げ臭いにおいのする世界の足音が響き始めた。何がいけなかったのかという自責の念と、同時に大き流れというものは誰にも止められないものだという諦めの思いもある。人間という動物が、競争心を克服できないということが良き事であり、そして悲惨に至る事でもあるようだ。あらゆる動物にそれなりの競争心はある訳で、それが生存競争であり、その種が生き残ってきた要因でもある。今あるすべてのものが、競争に勝利した生き物であろう。勝つものがあれば、敗れて消えてゆくものがある。そして新たに誕生する種もある。生存競争を制御できないのだろうか。

生きずらいと感ずることは、競争の激化してきたという事なのだろう。人間という生きものは知能が肥大化して、知能で競争する生物になった。知能が肥大化し過ぎて生存の危機にまで到達したのではないか。人類の変化の速度はあまりに加速度的である。知能を他の存在を打ち負かすことに集中させている。このまま行けば競争の末に全滅して終わることになる不安だ。それを食い止める叡智があるとすれば、能力競争をどのようにコントロールできるかだ。現状の世界は自分さえ良ければ、他者はどうなろうとかまいやしないという、滅びの道をひたすら進め始めている。第2次世界大戦の経験で次に戦争をすれば、人類は破滅するだろうという思いから、一国主義の危機を回避してきたのが人類の希望だった。EUの誕生など、希望が少しづつ広がったのかと思えた。その岐路に今ある。

軍事競争以上に経済競争が激化した。グローバル企業が世界を支配するようになった。国家以上の経済力の企業というものが登場した。企業が国家に勝利し、操作する世界。国家でも競争に負けたものは能力不足という事で、衰退せざる得ない深刻な状況を迎えている。その結果、テロが頻発するようになっているのだろう。良くなるために頑張ることが、全体の生存を脅かす。北朝鮮とアメリカの対立はまさにその結果なのだろう。アメリカファーストを認めるという事は、北朝鮮ファーストを認めるという事になる。何故、北朝鮮ファーストが許されないかの説得力はない。アメリカがファーストを捨てるという前提があって、北朝鮮の核ミサイル開発が許されないことになる。世界最強の国アメリカが自分だけ良ければ構いやしないと断言してしまえば、北朝鮮が何をやろうが構いやしないという事になってしまう。それでは人類は滅びに道に入るという事を、気づかないアメリカという国の愚劣さ。正直者トランプ氏だから表面化しただけのことだ。

今の若者たちには本当に申し訳の立たない状況を残すことになった。生き抜くのは極めてつらいことになりそうだ。私はどんなに長生きしてもせいぜい、2050年のという100歳の老人が珍しくないというところまでだろう。それまでに次の世界戦争がありそうな雲行きである。若者たちは競争に乗り出す生き方をすべきなのか。競争を降りてしまい、個人的な生き方を模索すべきなのか。迷わざる得ない時代に入っている。日本ではアベ政権がまさにアベファーストの解散をやろうとしている。これほどひどい独善的な解散を、つまり日本の事や国民の事より、アベ一族の生き残りのために解散をする独善。安倍氏は深く頭を下げ謝罪したのではなかったのか。そして、丁寧な説明をすると公式に発表したのだ。ところが、説明をしないままアベファースト・解散である。ここで国民が投票行為で歯止めをかけなければ、この国のソフト独裁が保証されたことになる。

 

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猫ともぐらし

2017-09-23 04:10:33 | 暮らし

リン2001.5.25に生まれ オス 小田原 鴨宮

リンちゃんはまれにみる頭脳の猫である。これほど人間を理解している猫は少ないのではないかと思う。人間の表情を読み取り、先に行動している。例えば、もう人間が席を立つと思えば、いつの間にか膝から降りる。頭の中が見透かされているような猫だ。

ウズラ2001.6.16に生まれ メス 横須賀

優しい猫である。なんでも控えめでかなり気を遣うたちの猫である。怒る姿を見たことがない。いつでも甘えたいものだから、様子をみている。臆病なので、リンちゃんの様子次第で人に来ることができる。

サーヤ2002.2.19に生まれ メス 大津

シャムネコで他の猫とはなじまない。不安げで可哀想なようだ。いつも一人でいる。しかし、一度人に甘え始めるとよだれを流すほど喜んでしまう。どこか悲しい猫だ。

すず2006.4.11に生まれ オス 小田原 下曽我

かなり大きな猫だ。乱暴者に見えるのだが、一番の臆病で、いつも最初に逃げている。行動が大胆なところもあり、突然他の猫の脇に飛び降りて驚かす。驚かすつもりが自分がびっくりしてしまい、逃げ回る。

 

ルル、2011.4.01に生まれ メス 飯館

飯館から来た活発な猫。虫を取るのが好きで、よく加えてくる。トカゲも捕まえては食べてしまう。そして吐く。人のいなくなった飯館で、野良ネコとして子供の頃暮らしていたらしい。その影響が行動残っている。

らら、2011.4.01に生まれ メス 飯館

一番野性的な猫だ。様々な鳥を加えてくる。人間とは一定の距離があり、独立独歩である。他の猫の行かない高い木の上を飛び歩く。但し、うちの猫の中では最下位にいるらしく。逃げてしまう。ところがよその猫とは堂々と渡り合っている。

 

 

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石綿薫さんの農場

2017-09-22 04:26:50 | 自給

素敵な畑のすてきな石綿ご夫妻。キャベツ畑の前で。      

松本の石綿薫さんの農場を見せて頂いた。やはりすごい農場だった。石綿さんは農業分野の天才の一人である。以前自然農法国際開発センターにおられた。その頃指導を受け農業の考え方の様なものを教えられた。あれから農業技術への興味が開花されたともいえる。今はHappy Village Farm」を松本市の波田町でやっている。トマトを中心にして、5,6種類の野菜を作られている。6反の広さだそうだ。トマトのハウスが1,7畝位ある。無加温で作られている。9月20日のトマトがみずみずしく若木のようにできていた。その栽培の全容は私のレベルでは想像すらできないので、もうヒントになるというようなことすらあまりなかった。作っているトマトは自分が作出した品種という事。石綿薫さんはそもそも種苗会社におられて、トマトの作出の専門家だったそうだ。そこを止められて、自然農法国際開発センターに移った。そこでトマトの自然農法で可能な品種の作出をされていた。トマトの作出では著名な方である。夫人も農工大の頃からの同級生で、先に就農されたのだそうだ。

トマトはセルトレーに種まきをして、2度植え替えて9センチで仕上げて、定植すると言われていた。そこには秘密にしたいほどのノウハウがあるらしい。どうも八上げた時の土の量が重要らしい。私にはわからない。トマトの種まきの時に何とトマト葉ネギの種1粒とトマトの種を1粒蒔くのだそうだ。そしてその両者はそのまま、最後まで共に暮らして両者が収穫されている。まさにコンパニオンプランツの完成版である。この時期ですでに10段を取り終わって、次の収穫を迎えているとのことだ。私は1度だけ10段採ったことがある。それはオリザ農園から頂いた苗で作った時だ。やはり苗が重要なようだ。味覚を重視されているそうだ。夫がトマトは嫌いだそうで、その口に合うものを合格とする。来年はタマネギの種とトマトを同時播種して、タマネギの方はセットタマネギにしてみようかと言われていた。植物を土に返してゆくだけで、特に肥料に当たるものは入れないという事だ。そうするとカリだけは減少してゆく。そこで来年は藁が入れられるようになると言われていた。藁さえ肥料が増えるので入れないのかという驚きがあった。土壌の循環の世界が深い。トマトの水やりは11時と明確に言われていた。人間の都合ではなく、トマトの都合があるのだろう。意味が有るのだろうが、私にはわからない。

その後、自然農法国際開発センターに行った。キャベツ等の展示圃場である。全く虫に食べられないキャベツである。モンシロチョウ他虫はいっぱいいる。しかし虫はキャベツの結球部分は食べない。以前モンシロチョウが白い煙のように見えるほどいたが、結球部分はきれいだった。YR優緑という品種だそうだ。しかしこれは他所の種苗会社の品種だそうだ。食べさせてもらったのだが、少し硬いが味も悪くない。来年はぜひこれを作りたいと思った。品種の重要性というものを思い知らされる。その土地その土地に合う、自然農法に適合する品種。そういうものがあるのだろう。自然農法国際開発センターでは様々な種子を作り、販売もしている。

 

そして驚いたのがこの大豆。100サヤ以上ついている。品種は中千成だそうだ。これは長野ではよく作られていると言われていた。5畝位あっただろうか。これぐらい量を作れると説得力がある。是非ともほかの作物でもこういう作り方を見せてもらいたい。有機農業は慣行農法よりも優れた農法であるから、収量も多いい。という事にならなければ、手間がかかる訳だけで普及など出来るわけがない。この後田んぼの方にいった。田んぼでは波田ろくたんという作出品種とコシヒカリを作っているそうだ。草はない。しかし収量はもう一つ。幡多6反は多収品種で味的にはいまいちと言われている品種。それでこの収量では私は納得がいかない。無肥料圃場というのもあるのだが、ここは6俵ぐらいに見えた。分げつもほとんどとれていない。4本植えて4本のままという株すらある。その圃場を理想の方向の圃場だと言われていた。これには違和感を感じた。やはり宗教的なのか。たぶん米の生命力が強いとか、腐敗をしないなどと言われるのだろう。すべての前提になる収量が普及のための展示圃場で低いのでは、これはダメだと思うのが普通ではないだろうか。稲刈りが終わった時に土壌に全く肥料のなくなる田んぼが良いと言われていた。しかしそんなことに何の意味が有るのだろう。昔は田んぼでは裏作をやるものだ。肥料を取り尽くす田んぼでは困るではないか。田んぼは参考にはならなかったというか、だから有機農業は普及できないのだろうという、参考になった。

 

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丸ごとロールキャベツ

2017-09-21 04:19:10 | 暮らし

料理は普通にする。面倒なことはしないが、いろいろ工夫して作る。記録するほどのものではないのだが、丸ごとロールキャベツは気に入っているので書いておく。私が考えたやり方なので、短縮料理である。大体は朝コーヒーを入れながら作る。手早く30分以内で作る。時間のかからない、煮込み料理というのが特徴かもしれない。今日は栗ご飯を作り、電気釜を仕掛けてある。

まず、キャベツの中を刳り抜く。芯の所に包丁を入れて回しながら作る。キャベツはボールの中に入れて作業すると、素早くできるし力が入る。芯が取れたらばあとはスプーンで刳り抜いてゆく。刳り抜いたキャベツは炒め物などに使う。料理している間にコーヒー5杯分を入れて、午前中にだいたい飲んでしまう。奥にあるポリタンクが汲んである湧き水。この水でコーヒーを入れる。料理も作る。この料理はキャベツを刳り抜く手間がなれるまではかかるところが難点であるが、慣れてくると5,6分で出来るようになる。

刳り抜き終わったら、中に入れる肉を準備する。肉は出来れば美味しいものが良い。前は家の鶏を食べるときにミンチにして使っていた。今は合挽ミンチの良質のものが手に入れば一番であるが、何でもよいともいえる。肉はハンバーグのように作る。400グラムくらいの肉に、タマネギのみじん切りを小振り一個ぶん。キノコも悪くない。味付けは好みであれこれ入れるが、昆布茶とピパーツトとガラムマサラを入れるのが私の好み。塩、コショウ、砂糖で味の調整。少し味は濃い目にする。煮込んでいる内に外に味が染み出てゆくからだ。

鍋に入れたところ。少し肉が足りなかったので、ベーコンで蓋をした。鍋の中でキャベツが浮いた状態だが、だんだん沈んでゆく。弱火で2時間煮込む。電磁調理器はタイマーがあるので、心配なく任せられる。煮込むスープはトマト味である。トマトホール缶を一缶使う。そこに日本酒としょうゆを加え味の調整をする。ここで濃いめのスープが酸っぱくてうまいという感じまで調整しておく。

これがその朝食である。出来上がった丸ごとロールキャベツを4分割してだんだんに食べる。黒バナナヨーグルトは毎日食べる。バナナを黒くなるまで熟成させてヨーグルトをかけて食べる。このことは前に書いたかもしれない。バナナを熟成発酵させる。皮が黒い状態。ヨーグルトは時々自分で作る。ご飯はサトジマン。

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水彩人展近づく

2017-09-20 04:04:18 | 石垣島

写真撮影しているところ。これで絵葉書にした。

水彩人展は搬入日が9月21日だ。会期は9月27日から、10月5日までだ。絵はすでに額装を終わって箱にしまった。今回は車で東京都美術館に直接搬入する。今回は中判全紙3枚を出品する。小さい水彩画は手で持ち運べるサイズなので、今からでも興味のある人は参加できる。石垣島で描いたものから、3点を選んだ。同じ場所で描いた絵をあえて3点出した。何故、描くたびに絵が違うのかを考えたいと思っている。水彩人は公募展の形ではあるが、絵を描く仲間の研究の場だ。互いの絵を自由に議論できる場である。代表の絵だから、意見が言えないというような権威的な会ではまったくない。初出品の人でも自由に意見が言える環境を作ろうとしている。一度見てもらえばわかる事だと思う。権威的でない所が水彩人の良さだと思う。絵はそれぞれのものであり、比較するようなものでもない。それでも水彩人という展覧会として見えてくるものもある。並べてわかることも多いいものだ。良い意見を聞くことが出来て、一歩前進できるという場になっている。今年は絵を語る会を会場で、試験的に行おうと考えている。

最近他の公募展をあまり見ていないので、どんな状況になっているのか正確なところはわからない。ただ送られてくる雑誌などで、絵を想像して見てみると。50年前と同じような絵が並んでいるようだ。私には信じがたい絵がずらりとあるので驚かされる。巧みさを売りにしたような絵や創意工夫画が多く、作り絵が相変らず並んでいる。そういう絵が社会に対して何の役にも立たなかったのではないか。無くてもよかったのではないか。と私は考えている。芸術作品として社会に対して意味がないのであれば、装飾品としての意味で描いているのだろうか。絵の自慢げな表情が理解しがたいものだ。絵の世界が社会においては、変わっているにもかかわらず、なぜ絵の方は変わらないのだろうかと思う。変わらないから社会的な意味が消えたという事ではないか。指導している古い世代が、昔風の絵画観であいかわらず指導しているにちがいない。そしてそれを審査という形で選ぶ眼が古い絵のままだ。

絵を描いて居るという事は一人のことである。私絵画の時代に入っているのだ。絵を描いてそれで生計を立てようとか、絵を描いて有名になろうというような、あるいは社会に影響を与えようとか、明治的な立身出世を考えの時代は終わっている。日本にはもう有名画家という人は居なくなったのではないか。テレビに出ている絵描きというような存在はもういない。たまたまテレビで取り上げられる人も、まず一般の人は名前も知らない人である。世間的に知られている大家はちょっと私には思いつかない。横山大観や梅原龍三郎に比べれば別物と言わざる得ない。絵は職業という意味では別物になって、団体展がにぎわっている。情報過多の時代という事もある。いまさら手仕事でという事でもないのだろう。映像技術の様変わり。複製技術の進歩という事もある。ダビンチと並べてどうかという事になっている。絵画は社会共通のものというより、個人的なものに変化している。50年絵を描いてきての絵画の変貌だ。

水彩人は自分自身の絵の研究の為に作ったグループである。月例で絵を持ち寄り、研究会を開いていた。春日部洋先生を中心に集まっていた。そこから、銀座でグループ展を開くようになった。人が増えた。そして開催場所が閉じてしまいなくなった。そして開催場所を探し続けるうちに、東京都美術館にたどり着いた。東京都美術館では開催は団体展しかできないという規則があった。つまり、公募しない団体は会場の申し込みができないという事だった。そこで、会員を募集する団体という形で数回展覧会を変則的に行った。自分たちでは公募展のつもりは全くなかった。その頃新国立美術館が出来た。そして、そちらに移動する団体が多くあった。東京都美術館も改装し、新しい形で団体が新規に募集されることになった。そこで水彩人は団体展として正式に申し込み今に至る。しかし、絵を持ち寄り研究会をしていたころの原点を忘れてはない。今回、会場で公開で絵を語る会を行ってみるのもその続きである。自分にとって役立つ場にしたいと考えている。

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タマネギの苗作り

2017-09-19 04:10:07 | 自給

タマネギの苗床になる場所。2週間前にソバカスを入れて一回目耕した状態。

タマネギは苗が難しい。昨年失敗したので、今年は再挑戦する。今まで一度も上手く行ったことがない。今年はセルトレー288穴に種を蒔く。一人3枚に蒔いて、1時間半の予定。苗がどの程度できるかはわからないが、良いものを全体の中から半分ほど選べれば良いかと思っている。余ればほしい人は沢山いるだろう。17人まで募集している。今10人くらいだから、あと7人という事になる。もし17人そろうと、種の数で14688粒という事になる。2DLのタマネギの種は16000粒程度とある。種代は13000円。種は冷蔵庫に入れてある。どうもタマネギ苗は温度や湿度で劣化が起こるそうだ。だから紙袋のものは問題が起こること、根守さんが教えてくれた。そこで今年は缶のものを購入して冷蔵庫に入れてある。ひとつづつ失敗の要因をつぶして行かないと。

苗土を山。1度目の切り返しを終わり、数日発酵させた山。天気が良いので、覆いを取ってある。雨の日はシートをかぶせる。

タマネギの苗が良くできなかったのは、肥料不足と考えている。有機栽培で肥料を十分に与えるためには費用分のたっぷりとある苗土を作らなければならない。山土にそば糠を2袋加えてよく混ぜた。そこにエヒメAIを1リットルほどを薄めて加えた。翌日には良く熱が出ていた。これは播種までに3回切り返した。セルトレーは種の前日に土振るいを行った。

苗床は家の脇の畑に作る。8月半ばにまず草を刈り倒して置いた。9月3日、そばかすを撒いてトラックターで耕運した。枯れた草とソバカスを混ぜながら耕した。丁寧に3回耕した。16日にもう一回耕すた。ぎりぎりに耕せば、雑草の出が遅れる。土の状態も良くなるだろう。セルトレーの播種は9月17日におこなった。セルトレーを51枚並べて余ると8メートルくらいになる。まだ8mは残るので、そこには直播もする予定。土の問題がないので、今年は私の家の畑でやってみる。良く作物ができるようになった土なので、いくらか土の問題が少なくなると思っている。

機械小屋でセルトレーに播種して並べてあるところ。播種した人の名前が書いてある。苗土は発効し、振るった土に、30%くらいもみ殻燻炭を加えた。苗土がぼかし肥料のようなものなので、燻炭を少し多めに入れた。良い苗ができるかどうかはこの苗土にかかっていると思うのでかなり真剣におこなった。1穴1粒で一人900粒の播種をしたことになる。17人分で、51枚。赤タマネギが2枚。

苗土は山土を発酵させている。9月3日にそばかす20キロを混ぜながら、積み上げた。60リットルくらいの山である。振るった後、40リットルは残る予定。そこに燻炭を混ぜて、苗土にする。すぐに熱が出て来たので、7日になって一度目の切り返しをした。夏は発酵が早い。11日に2回目の切り返しをした。もう一回切り返して、ふるいにかけるつもりだ。振るった土と燻炭を混ぜて51枚に足りるだろう。余れば直播のベットにも撒くつもりだ。種を蒔いた後、例年燻炭を上から蒔く。燻炭が60リットルまだ残っている。私は燻炭がとても好きだ。籾摺りが終わると、どんどん燻炭づくりをする。そしてできるだけ保存しておく。なんにでも使う。特に苗を作る時には必ず使っている。

 

こちらは直播部分。畑の土の上に苗土を撒き、溝を付けて1センチ間隔に種を蒔いた。蒔き終わって覆土して、その上から燻炭を撒いた。そして水やりをした。写真は19日の今朝の様子だ。朝はしっとりと湿気が上がり、良い状態になっていた。

 

 

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解散総選挙

2017-09-18 04:48:41 | Peace Cafe

安倍政権は衆議院の解散総選挙を行う。その理由は自民党にとって、この時期の衆議院選挙が一番有利に働くだろうという判断だ。何たる馬鹿げた解散だろうか。大義名分なき解散どころか、疑惑隠し解散である。完全に国民が甘く見られている。総選挙を行えば自分への追及等消えてしまうとみている。これで自民党が選挙に勝つはずがないだろう。そこまで日本人を馬鹿な民族とは思わない。選挙を行うためには争点が必要である。政策的を国民に問う必要がある時に行うべきだ。国会において、議論が対立し、国民の判断を仰ぐ必要があるという時に解散総選挙を行う必要が起こる。そうでないのであれば、任期一杯衆議院議員の職務を全うしてもらいたい。アベ政権が今行うべきことは国会で、加計学園、森友学園の問題で浮かび上がった、官僚の忖度によって、許認可が動かされたのではないかという疑問だろう。それを判断するにはあまりにも材料が少ない。

森友学園問題では、学園長夫妻が詐欺罪で逮捕されている。その学園の名誉校長が安倍総理婦人である。そして、様々な補助金の詐欺とともに、学校用地の格安払い下げが行われたと疑わざる得ない状況だ。その払い下げた財務省ではその払い下げの過程をすべて破棄してしまい分からないとしている。しかし、財務省が安倍総理を忖度して、格安払い下げを行ったのではないかという事は、多くの国民には疑念がある。このままで解散総選挙をして、うやむやにしていい問題ではない。ここで終われば国民の政治不信は深まることだろう。そしてそれはむしろ諦めに繋がる。国民が政治を諦めてしまえば、独裁政治が始まる。加計学園に至っては、総理大臣の盟友とされる人物の、獣医学部の認可に忖度が働いたのではないかという事が言われている。この問題も一向に真相究明をしようとしない。両事件ともに原因が忖度にあるからだ。

安倍政権という長期政権に対して、上手く立ち回った方が得だというのが、官僚の姿勢ではなかろうか。それは自民党内にもある。安倍氏に対して異論など出さず、ただただ従っていれば、出世できるという体制である。議論が党内で起こらないような政党で良い訳がない。議員をまるで就職のようにとらえているとしか思えない。日本をよくするためになどと考えている議員はまず少ない。官僚の中にも、議員の中にも自分の保身以外には考えないタイプが増えてきているのではないか。競争に勝ち抜いている間に、自己本位の人間になってしまうのではないか。人のことを思いやることのできない人間になっているのではないか。もちろんそうでない人の方が多いい。しかし森友事件、加計事件の根底にはこうした濁った川が流れている。それは、国民全体の意識を反映したものなのだろう。国民全体が、自分が良ければよいという傾向が強まって来ているのだろう。能力主義競争の結果である。

衆議院の解散総選挙を行うのであれば、この濁った流れでいいのかという事を問うべきだ。「憲法を9条を守る。」「原発を廃止する。」この2点を対立軸とすべきだ。選挙は政策を掲げて争うべきだ。しかもこの2点に日本の未来がかかっている。原発再稼働を行い、憲法9条を無くせば、日本は明治の日本帝国に戻ることになる。北朝鮮と同じような国なると思えばわかりやすい。日本の未来にとって選択すべき問題はここにある。東電労組が下部組織にあるから、原発廃止を明確にできないなどあり得ない。東電労組であるからこそ、原発に未来がないことを知るべきだ。今度の選挙は日本の分かれ道である。これで自民党が勝利するようなら、よほどのう回路を考えるしかないことになる。麻生副総理の考えているように、静かな独裁への道を歩んでいるという事になる。恐ろしいことだ。

 

 

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Jアラートの精度

2017-09-17 04:38:45 | Peace Cafe

北朝鮮がミサイルを飛ばすので、Jアラートが繰り返し鳴らされる。これが精度が悪いうえに、瞬時に鳴らされる訳でもない。まずこの精度を上げるのが、国防力ではないだろうか。北朝鮮が発射したら即座に、日本の狭い線状の通過点だけ、Jアラートを鳴らす。これが正確にできるのであれば、いつでも打ち落とせるという事を示すことができる。今のように北海道を通過するのに、長野県でもJアラートが成るようでは、全く頼りない国防力が見せられるだけだ。韓国では北朝鮮がミサイルを打った後即座に、ミサイル実験をして対抗したそうだ。日本にはそんなことをする前にやることがある。完全に把握していて、いつでも打ち落とせるという事を示すことが、日本の防衛であろう。Jアラートは、臨時国会での解散を目指して、全国で鳴らされているのではないだろうか。北朝鮮危機を憲法改定に繋げようというのが、アベ政権の発想のはずだ。

安倍政権はアメリカの意向を忖度して、中国を仮想敵国とすることで日本を危機に陥れている。これは石原慎太郎の外交戦略に、アベ政権が乗せられている姿だ。尖閣に自衛隊を常駐させろ、と日本の右翼は叫んできたのだ。その意図は、明治日本帝国の復活だ。軍事力を背景に日本の国威を発揚するというような馬鹿げた考えなのだろう。それは人類破滅への道であることは、日本は敗戦で学んだはずだ。ところが、日本がアメリカと戦争をして、降伏したことすら忘れている人たちが沢山いるのだ。もう一度、軍隊を強化し軍事力で世界に馬鹿にされない国になりたいという愚かな人たちが、復活してきている。しかも、この日本の軍国主義思想はアメリカの軍事力を虎の威として利用しようという、全く愚か極まりない思想だ。アメリカが日本にとって、まともな国である間はまだ良かった。ところが、トランプアメリカは、アメリカファーストという危険思想に溺れている。安倍政権はその尻馬に載って哀れな存在だ。

北朝鮮のミサイルは打ち落とすことはすでに出来ないのだ。もしできるのであれば、Jアラートでそれを示して、国民を安心させることだ。発射直後、日本に到達する前に、函館から、襟裳岬までを正確にJアラートを鳴らして見せてもらいたい。そんなことは不可能なのだ。北朝鮮が核ミサイルを持ってはいけないことは当然のことである。しかし、それはどの核保有国も同じことだ。日本は核廃絶に向けて努力をしなくてはならない。その努力は憲法に示された日本の方針のはずだ。国際紛争は平和的手段で解決しなければならない。アベ政権の行動は憲法を順守していない。憲法を順守しないで、憲法改定を主張しているのだ。軍事力の対抗がこのまま進むのでは、人類は破滅するという当たり前の事実を思い起こさなければならない。その前提で北朝鮮の暴発を止めなければならない。アベ政権はアメリカの安全の前に、日本人の安全を第一に考える必要がある。

中国との関係の改善である。日本が中国との関係を良いものにしていれば、北朝鮮問題はここまで深刻にならなかったはずだ。北朝鮮が問題国家であるのは、国家建国以来のことだ。その北朝鮮を核保有国にまで、育て上げたのは近隣諸国の責任が大きい。北朝鮮だけが孤立している。独立国家としての尊厳が保障されないままに、建国いらい来てしまった。小さな弱い国も対等に存在できることが世界平和である。日本はアメリカの軍事力を背景に、力の外交を目指して、徐々に軍事力を強化してきた。そして仮想敵国中国を作り上げ、北朝鮮をいつ潰してやるかというような、姿勢をとってきた。これが、東アジアの対立を深め、現在の危機を作り出したのだ。北朝鮮が日本人を拉致するというような、信じがたい行動をするような国であることは確かだ。しかし、どんな国であっても共存の道を探ること以外に、日本の平和はないのだ。

 

 

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健康長寿の農業者

2017-09-16 04:26:10 | 暮らし

農村では主力がお年寄りである。農業者の平均年齢が70歳を超えている。私は68歳になったが、まだ中堅というところか。農業は年寄りでも役立つ仕事である。長年の蓄積した知恵と技が生きる。畑や田んぼで働いている人を村で見かけると、80歳を超えた人の方が多い。早稲田大学では農村のお年寄りは元気で長生きなのではないかととの調査が行った。嬉しいことにその通りの結果が出た。引退から死亡までの年数は、農業者の男性は約八年、女性は約十一年で、それ以外の人と比べて男性は約二年、女性が約八年短かった。働けなくなるのが遅いのだ。死因も、農業者はそれ以外の職種の人よりも老衰の割合が高かった。調査では六十五歳以上で農業をしている人には入院の経験がない人が多いことも判明した。調べなくともそうだろうと思える結果ばかりだ。私もお陰様で入院の経験がない。手術をしなければならないような大病の経験もない。これほど幸運なことはないである。当面、70歳までは自給農業を続けたいと考えている。

健康長寿が農業のお陰だとすれば、農業は医療費の削減にもなる。日本が美しい瑞穂の国である由縁はこうしたところにも現れている。歳をとればとるほど身体を動かすという事は大切になる。家にこもりがちになれば、身体はたちまち衰える。1週間寝込むと、日常生活に戻るには1週間かかるというのが年寄りの身体だ。毎日身体を無理のない範囲で動かすことが大切になる。特に私のように座って、屈んで、絵を描いて居るものは意識して身体を動かす必要がある。自分の身体の維持の為も含めて、自給農業をやっている。先日、畑仕事は運動にはならないという説を強調する人がいた。運動というのはどうもマラソンをしたり、ウオーキングをしたりすることと強調していた。農業をやるべき人の主張だけにびっくりした。健康情報の一人歩きだの結果の気がする。自分で健康的な農業を考えることが大切なのだ。もし、農業をすることが運動にならないとすれば、それは農業のやり方がおかしいのだ。身体の扱いが悪いのだ。健康になるような農業のやり方を見つけ出す必要がある。

歩くことが健康維持に良いといわれる。それなら、歩く農業を行えばいい。私は毎日一時間は田んぼを歩いている。田んぼの周りをグルグル回る。田んぼを見るのが好きだから、一日2,3回は必ず行く。もちろん畑も見回る。畑を眺めて歩くのも実に面白いからだ。頼まれてもいないのに、人の田んぼや畑も観に行く。テレビを見るより面白いからだ。毎日面白い発見がある。不思議な見たこともない虫を見つけたりする。作物は毎日実りに向って変化をしている。それを見ているだけで尽きない面白さがある。そして、少しぐらいは作業もする。時にはかなりきつい作業もする。運動の為ではない。その結果否応なく毎日1時間以上歩き、力仕事も1回ぐらいは行う事になる。田んぼや畑は斜面にある。だから足元の悪ところを上り下りする。見回りをしながら、ちょっとしたことを行う。水漏れを直す。土のうを運ぶ。ヒエを見つければ入って取る。これは自分の所だけだが。

一番の運動は頭の体操である。身体の体操など知れたものだ。どれほど元気でもボケてしまえばどうにもならない。健康長寿に一番必要なことは、未来を予測して行動することだ。今日何時から雨が来るか。では田んぼの水はどう入れようか。その時期時期で、稲の状態でやることが違う。常に新しい課題に出会っている。これ予測し対応する。失敗もして、大いに残念にな事も多いい。悔しがり、来年こそ頑張ろうが、農業である。明日はどうなるのだろうと楽しみにして世話をする。その実りを美味しくいただく。この喜びこそ脳を活性化させる。それが自給農業であれば、自分への挑戦にもなる。どうすればいいのかを自分で考えてみる。だから毎年、前年以上の収穫を目指し続ける。どれだけ労働時間を減らせるかも課題にしている。理想の合理的自給農の在り方を模索する。

 

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