舟原には、足柄平野に残る数少ない溜池がある。下の欠ノ上の田んぼの為にの貯水池である。この溜め池は現在使われてはいない。使われなくなってこの管理もだんだんに負担になってきていたようだ。昭和30年代までは、満々と水をたたえていて、夏になればみんなが泳ぎに来ていたそうだ。欠ノ上は久野川に接した集落であるが、坊所からやはり江戸時代に手掘りのトンネルを掘り、水を引いていた。舟原にはその昔は、3つ溜池があったという話だ。水車も5台あったというから、もしかしたら、水車と関連があるという可能性もある。いずれ江戸時代後半、水車の導入が進んだようで、足柄平野全体では、200は下らない数の水車があったという話も伺った。いや、それどころの数ではないというお話もお聞きした。こういうことはじっくりと調べてみる必要がある。小田原電力の基礎的な資料に成る。おおよそ、一つの水車で5軒くらいは暮らせる発電が出来るらしい。
舟原溜池の事であった。舟原の自治会の呼びかけで、溜池の草刈りが行われた。すぐそばで田んぼをやっているので、時々は草刈りの手伝いに行っている。昨日は森の仲間達のグループが子供たちのワークショップを行って居て、総勢20人位の参加になった。午前中いっぱい頑張ったのだが、まだまだ片づけるだけでも先は長そうである。それでも池の輪郭が見え始めて、昔大勢の子どもたちが泳いでいた情景が目に浮かぶようだった。やはり使って居ないということは、駄目なものである。田んぼをやり、この池の水が必要であれば、自然管理が生き届くはずである。自然環境を守る為にボランティアで活動するのでは、限界がある。2年前までは欠ノ上の生産組合が人をお願いして、整備をしてくれていた。今回は舟原の自治会長さんが声を掛けてくれたことは大きな前進である。以前からきれいにしたいとは思っていたが、地域の関係者の了解なしに、勝手なことをする訳にもいかない。
溜め池に水が通年あるということは、地域の動植物の多様性の保全には、大きな要素になる。いずれもう少し水位を上げなければだめだ。昔は溜池は毎年掻い掘りをした。それは地域の行事でもあり、魚などとれたものを配り、そこの泥は畑の肥料になった。子供の頃の藤垈の向昌院の池の掻い掘りも何年かに一度はしていて、下の田んぼに溜まった泥を流し出して、田んぼを良くすると言っていた。何故か必ずウナギが出て来る。これをかば焼きにして食べれるというのが、一番の楽しみだった。舟原の溜池には、生き物は乏しい。何年か前地球博物館のKさんに調べてもらったが、溜まった土壌が腐敗していて、生き物にはとても悪い状態だと言われていた。今はイノシシのぬた場状態で、以前は無かった葦が一面に茂っている。水面はどこにも見えない状態である。やはり、溜池は溜池として保全すべきだろう。
たぶんこの溜池の水を使っていた、田んぼだったと思われる所は現在、放棄農地になっている。南側が樹木で覆っていることも、放棄された原因ではないだろうか。車も入れないように見える。溜池を再生するということは、その水を使った農業も再開されるということでないとならない。公園のように整備するというのでは、その管理を行政が行うのか、ボランティアが行うのか。どこまで行っても負担のある形が残る。農業の中で循環が始まるのが一番である。もし地域農業者が田んぼの再開が出来ないのであれば、市民が参加する形の農業が可能である。小田原のような都市近郊であれば、田んぼに参加したい、市民は存在する。農家の方が、世話をするのも難しいようなら、農の会のような組織が間に入り、手伝うことは出来る。何とか地域の農家にも利益に成る形で、新しい仕組みが出来ないであろうか。
舟原溜池の事であった。舟原の自治会の呼びかけで、溜池の草刈りが行われた。すぐそばで田んぼをやっているので、時々は草刈りの手伝いに行っている。昨日は森の仲間達のグループが子供たちのワークショップを行って居て、総勢20人位の参加になった。午前中いっぱい頑張ったのだが、まだまだ片づけるだけでも先は長そうである。それでも池の輪郭が見え始めて、昔大勢の子どもたちが泳いでいた情景が目に浮かぶようだった。やはり使って居ないということは、駄目なものである。田んぼをやり、この池の水が必要であれば、自然管理が生き届くはずである。自然環境を守る為にボランティアで活動するのでは、限界がある。2年前までは欠ノ上の生産組合が人をお願いして、整備をしてくれていた。今回は舟原の自治会長さんが声を掛けてくれたことは大きな前進である。以前からきれいにしたいとは思っていたが、地域の関係者の了解なしに、勝手なことをする訳にもいかない。
溜め池に水が通年あるということは、地域の動植物の多様性の保全には、大きな要素になる。いずれもう少し水位を上げなければだめだ。昔は溜池は毎年掻い掘りをした。それは地域の行事でもあり、魚などとれたものを配り、そこの泥は畑の肥料になった。子供の頃の藤垈の向昌院の池の掻い掘りも何年かに一度はしていて、下の田んぼに溜まった泥を流し出して、田んぼを良くすると言っていた。何故か必ずウナギが出て来る。これをかば焼きにして食べれるというのが、一番の楽しみだった。舟原の溜池には、生き物は乏しい。何年か前地球博物館のKさんに調べてもらったが、溜まった土壌が腐敗していて、生き物にはとても悪い状態だと言われていた。今はイノシシのぬた場状態で、以前は無かった葦が一面に茂っている。水面はどこにも見えない状態である。やはり、溜池は溜池として保全すべきだろう。
たぶんこの溜池の水を使っていた、田んぼだったと思われる所は現在、放棄農地になっている。南側が樹木で覆っていることも、放棄された原因ではないだろうか。車も入れないように見える。溜池を再生するということは、その水を使った農業も再開されるということでないとならない。公園のように整備するというのでは、その管理を行政が行うのか、ボランティアが行うのか。どこまで行っても負担のある形が残る。農業の中で循環が始まるのが一番である。もし地域農業者が田んぼの再開が出来ないのであれば、市民が参加する形の農業が可能である。小田原のような都市近郊であれば、田んぼに参加したい、市民は存在する。農家の方が、世話をするのも難しいようなら、農の会のような組織が間に入り、手伝うことは出来る。何とか地域の農家にも利益に成る形で、新しい仕組みが出来ないであろうか。