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地場・旬・自給

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舟原の溜池

2011-07-31 05:50:01 | 地域
舟原には、足柄平野に残る数少ない溜池がある。下の欠ノ上の田んぼの為にの貯水池である。この溜め池は現在使われてはいない。使われなくなってこの管理もだんだんに負担になってきていたようだ。昭和30年代までは、満々と水をたたえていて、夏になればみんなが泳ぎに来ていたそうだ。欠ノ上は久野川に接した集落であるが、坊所からやはり江戸時代に手掘りのトンネルを掘り、水を引いていた。舟原にはその昔は、3つ溜池があったという話だ。水車も5台あったというから、もしかしたら、水車と関連があるという可能性もある。いずれ江戸時代後半、水車の導入が進んだようで、足柄平野全体では、200は下らない数の水車があったという話も伺った。いや、それどころの数ではないというお話もお聞きした。こういうことはじっくりと調べてみる必要がある。小田原電力の基礎的な資料に成る。おおよそ、一つの水車で5軒くらいは暮らせる発電が出来るらしい。

舟原溜池の事であった。舟原の自治会の呼びかけで、溜池の草刈りが行われた。すぐそばで田んぼをやっているので、時々は草刈りの手伝いに行っている。昨日は森の仲間達のグループが子供たちのワークショップを行って居て、総勢20人位の参加になった。午前中いっぱい頑張ったのだが、まだまだ片づけるだけでも先は長そうである。それでも池の輪郭が見え始めて、昔大勢の子どもたちが泳いでいた情景が目に浮かぶようだった。やはり使って居ないということは、駄目なものである。田んぼをやり、この池の水が必要であれば、自然管理が生き届くはずである。自然環境を守る為にボランティアで活動するのでは、限界がある。2年前までは欠ノ上の生産組合が人をお願いして、整備をしてくれていた。今回は舟原の自治会長さんが声を掛けてくれたことは大きな前進である。以前からきれいにしたいとは思っていたが、地域の関係者の了解なしに、勝手なことをする訳にもいかない。

溜め池に水が通年あるということは、地域の動植物の多様性の保全には、大きな要素になる。いずれもう少し水位を上げなければだめだ。昔は溜池は毎年掻い掘りをした。それは地域の行事でもあり、魚などとれたものを配り、そこの泥は畑の肥料になった。子供の頃の藤垈の向昌院の池の掻い掘りも何年かに一度はしていて、下の田んぼに溜まった泥を流し出して、田んぼを良くすると言っていた。何故か必ずウナギが出て来る。これをかば焼きにして食べれるというのが、一番の楽しみだった。舟原の溜池には、生き物は乏しい。何年か前地球博物館のKさんに調べてもらったが、溜まった土壌が腐敗していて、生き物にはとても悪い状態だと言われていた。今はイノシシのぬた場状態で、以前は無かった葦が一面に茂っている。水面はどこにも見えない状態である。やはり、溜池は溜池として保全すべきだろう。

たぶんこの溜池の水を使っていた、田んぼだったと思われる所は現在、放棄農地になっている。南側が樹木で覆っていることも、放棄された原因ではないだろうか。車も入れないように見える。溜池を再生するということは、その水を使った農業も再開されるということでないとならない。公園のように整備するというのでは、その管理を行政が行うのか、ボランティアが行うのか。どこまで行っても負担のある形が残る。農業の中で循環が始まるのが一番である。もし地域農業者が田んぼの再開が出来ないのであれば、市民が参加する形の農業が可能である。小田原のような都市近郊であれば、田んぼに参加したい、市民は存在する。農家の方が、世話をするのも難しいようなら、農の会のような組織が間に入り、手伝うことは出来る。何とか地域の農家にも利益に成る形で、新しい仕組みが出来ないであろうか。
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段ボールコンポストの配布

2011-07-30 04:17:31 | 環境関連
生(いき)ごみクラブでは段ボールコンポストの配布を続けている。様々な機会に出掛けて行っては説明をし、無料配布をしている。今年の配布数が1000件なのだが、今現在、650個である。あと350個あるということに成る。昨年度は4月から配布を始めて、1カ月の間に1000件集まった。今年は出足では、400件ぐらいにとどまり、後は配布活動で数を上乗せしているところである。今年度の配布も原発事故が無ければ、すぐ1000件に達したと思うのだが、新しいことに取り組むような心境になれない、と言うのが普通の人の感じ方ではないだろうか。背中を少し押してあげないとならない。それでこちらから出て行って、配布の活動をしている。やり方を説明しながらは居るしているのだが、皆さん段ボールコンポストの事はご存知で、やろうかと思っていたという方がほとんどである。小田原では随分定着してきた。

今年は、朝ドレファーミーというJA西湘の販売施設の前で2度やらしてもらった。前回が60件で、今回が50件と配布した。小田原の世帯数の約10%の8000件の家庭で段ボールコンポストをやっているという状況を作り出す事が、目標である。計画としては5年計画である。3年目で2000件が実行してい居て、4年目、5年目で倍増して行くと考えている。それはごみ処理の有料化が実行されるとみているからだ。たぶん今の市長は用心深い性格だから、選挙前にはやらないだろうと思う。しかし、2期目になればごみ有料化に取り組まざる得ない。その時に、段ボールコンポストの取り組みは倍増して行くと予想している。現状では、段ボールコンポストは市民のボランティア精神に依存している事業である。小田原を、環境を、何とかしたいという気持ちが根底にあり、この事業が広がっている。その小田原市民のボランティア精神だけに依存していては限界がある。

2年目までは段ボールコンポストの基材は、行政が無料配布してくれる。しかし、3年目からは有料と言うことが今の方針である。これは正直段ボールコンポスト継続の新しい壁である。どちらが行政にとって経費の節減に成るかである。基材の有料化で10%の人が止めたとする。継続500件のうち50件が止めると見なければならない。一件の生ごみの量は年間、200キロはある。増える生ごみの総量10、000キロ。この処理費はキロ40円として、40万円の経費増である。500件の人に無料基材配布を続けたとすると、おおよそ60万円程度の経費である。60万円を惜しんで40万円を失う方が望ましいというのが、今の行政の計算である。恒久的経費は出来る限り削減しなければならないという考えがある。もうひとつに、生ごみが減っても処理費が減ったかどうかわからないという、理屈がある。収集費は同じだし。作業人件費も現状変化がみえない。

見えていないだけで、生ごみは確実に減っているのだ。小田原の生ごみが無くなり、収集が週一回で済むようになったとすれば、ごみ処理費は今の半分以下に成る。そんなことはあり得ない。と考えてしまう為に、生ごみの処理に展望が持てないのだ。1000件の配布でも、そんなことはあり得ないと多くの人が決めつけていた。今も8000件など夢物語だと笑う。先日もごみオタクの集会で小田原の取り組みに失笑をした人がいた。今までごみ問題にどっぷり漬かってきた人たちは、市民の力量を信用していない。何度も裏切られ挫折して、諦めてオタクになったような人が実に多い。小田原の取り組みでも今まで環境運動に熱心だった人の中には、この取り組みをせせら笑うような人がいる。ところが、小田原市民は違う。地域の為に何かを表現したいと感じている普通の人が無数にいる。段ボールコンポストは市民力を引き出す方法なのだ。
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自給自足は出来るのか

2011-07-29 03:50:18 | 自給
それなりの数の人が、自給自足がやれるならやってみたいと考えているようだ。嬉しいことである。有難いことに、このブログもそのつもりで読んでくれる人もいる。失業して、農業が出来ないかと考えたという人が、先日も訪ねて見えた。職業としての農業は極めて難しい。農産物を販売して勤め人の給与を得るということは、よほどの能力と条件が必要になる。農業を仕事として、出来る人はスーパーマンである、と話した。そうした常識から農業を考えて、自給自足など無理だと思う人が普通だと思う。私もそうだった。時々書いてはいると思うが、再度自給生活の条件を整理しておく。例えば、自給生活には鶏を飼うと、合理性がある。それだけでもう無理だ、と思う人がおおいいのだろう。日本の社会には、鶏を飼う条件がない。それ以外にも農地の問題等、社会自体が自給自足的に暮らす人を制限する仕組みがある。電力が独占であるように、食糧生産も農業者の独占体制である。

食糧の自給自足は可能である。一日一時間の労働と100坪の土地があれば可能である。4年間毎日、自給の為の労働時間をメモしているので、参考にしてもらえばいい。この時間で、自給自足分の倍以上の農業生産を上げている。少なくとも小田原と違わない気候、土壌なら一般的には可能である。条件を先に書いておけば、相撲取りではないが「心・技・体」である。身体を一定動かす事ができること。当然だが体力が最も必要条件。年齢でいえば14歳から70歳ぐらいの体力が必要。次に自給の農業技術が必要。難しいことではないが、ある程度の知性が無いと技術は身につかないようだ。この技術は学び理解する必要がある。そして心である。農的な暮らしが好きであるということ。精神論ではなく、身体を動かす仕事は身体で覚えて行く。好きでやっていると、日々が吸収であるが、嫌いだと多分苦しいだろうから身につかない。個人の側では、以上が条件である。

具体的な必要量と面積。米は月に5キロ。小麦は1キロ。大豆は、500グラム。野菜は、庭先で可能な量、鶏卵20個、鶏肉時々。普通の人はこの程度は最低食べる。田んぼで年60キロのお米を作るには、30坪あればいい。大豆はその畔で作り、麦は裏作でやる。野菜も30坪で何とかなる。小さくともハウスが欲しい。鶏は1羽。これは理屈であるが、一番狭い自給の面積は、100坪である。それで鶏も飼うことが出来る。鶏が作り出す肥料で、充分田畑の堆肥が出来る。夫婦と子供2人なら、1反1000㎡の面積があれば可能である。労働時間は、お父さんだけが働くとすれば、毎日食糧の為に2時間は働く必要がある。これは週末に集中させるなら、2日農作業をする、土日百姓でも大丈夫ということになる。東京に努めているお父さんが、通勤しながら自給自足をするということは現実にあることなのだ。農の会にもそうした暮らしを志向している家族が何家族かおられる。

以上のように誰にでもできる条件はある。理論的にはマイクロ水力発電でエネルギー自給は出来る。しかし独占を守るための法の壁がある。農業も同じことで、法の壁のほか、様々な日本の社会の伝統的壁が存在する。その壁は、必要で出来た壁であり評価すべき壁なのだが、地域の農業の状況変化があまりに大きく。法的制度も、地域のあうんの対応も、めまぐるしい変化の途上にある。よって、同じ足柄地域でも、行政により、人により、地域により、同じことにはならない。個々の事例により異なるが、熱意があれば切り開ける性格のものである。地域で新しい人が農作業を始めるということは、気掛かりな面も必ずある。まず人間しだいである。協力は出来る限りさせていただく。この地域のことであれば、情報の提供もできる。
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中国鉄道事故

2011-07-28 04:08:18 | Peace Cafe
日本の報道は事故の内容より、中国政府の対応のひどさに焦点を当てている。確かに慌てて列車を壊して埋めたという事実は、すごいの一語である。中国政府の構造を如実に表している。それはいかにも福島第一原発事故の日本政府の対応ぶりを思い起こさせる。中国政府ほど荒っぽくは無いが、日本政府のやり方の方がはるかに、陰険であくどい。地域住民の命をないがしろにする冷酷さは、悪意に満ちていた。想定外を叫び続けながら、原発の大爆発を予測し、そのパニックを想定し住民を切り捨てた対応をしていた。中国政府は商売最優先である。その前提で幹部の顔色が第一の重要項目である。幹部はこの事故を隠蔽しろと言うに違いないと、現場が顔色を読んで判断した。中国の現場は国際感覚が乏しいから、埋めてしまえば何とでもいえる、と思い込んだのだろう。さすがの判断と幹部からほめられると確信した人間がいたのだ。異論と言うもの存在しない社会。

日本政府と現場東電との関係は違った。とっさの判断が案外に民族性を表すものである。政府も東電も阿吽の呼吸で、最悪の場合周辺地域住民を犠牲にした方が、国全体としてはいいと考えたのだ。全体を優先すると言えば聞こえがいいが、稲藁放射能汚染でもわかるように、判断と言うものが出来ない結果そうなってしまうのだ。政府がオタオタするだけで、判断、決断はない。成り行き任せで実はすべてを東電出先が動いていただけ。初期判断ミスどころではない。そして原発御用学者は等しく判断できず、発言すれば直ちに人体に影響は無いぐらいであった。思い切ってすぐ埋めてしまった中国現場の対応の方が、ある意味正しい。原発は最初から埋めてしまう方針で、どんどんコンクリートで固めてしまえばよかったのかも知れない。どうせ理屈は後追いなのだから、何故東電は埋めてしまわなかったのかと、そんなことも今では政府では考えているだろう。

本当に残念なことに、日本の政府は実行力、判断力と言うものは無い。中国のように実行が先行するというのも確かに怖いが。流されるままである。流れ着いた先で事が起こると、あれこれ部外者のような意見を述べるにとどまる。政治家もほとんどがそのようなものであった。明確な意図を国民に示し、方向付けをしようとした人は河野太郎氏位である。その河野氏は現在自民党では役職停止処分の身である。物言えば唇寒しで、今や政治の世界は民主主義国家とは程遠い状況にある。中国共産党の一党独裁、現場実行主義がうらやましい位である。原発の事故に至る道筋を考えてみると、誰もこの国家方針に意見を言えない状況となっていた。意見があると、先行して叩く構造が出来上がっていた。この原子力マフィアの仕組みは、利権を共通目的として実に有効に機能していた訳だ。ここにむしろ日本的組織の良さと限界が見える。方向が正しい時には力を発揮するが、間違えを正す機能を持たない組織。

日本の組織の決断力不足。足は引っ張るが決断は出来ない。政治家の多くが電力会社からの献金を受けてきた。建設業は大きな仕事を受注してきた。原子力推進の学者は、優遇され尊重される。報道機関は莫大なコマーシャル収入を得る。地域社会が送電線収入や多額の補助金と仕事をもらう。批判勢力を封じ込めるチェック機関ががんじがらめにある。批判論文には徹底したあらさがしを行い、学会での地位を低下させる。NHKでわずかな批判的内容があった時にでも、NHK上層部に対して徹底的な圧力を加える。安全神話を作り上げるための、あらゆる分野にわたる用意周到な組織づくりが行われてきた。ダム建設、道路建設。等公共事業の多くもこうした構造を持っている。すべて日本の社会の細部にまでわたり、何も決断できない不思議な構造が出来上がっている。発言をする、決断をする、行動する、ということを用心深く自己規制する社会。
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小田原の土壌放射能

2011-07-27 04:06:52 | Peace Cafe
西大友にある大豆畑の土壌放射線量の結果が出た。全セシュウームで21ベクレルであった。これは土壌を表土から、15センチの深さまで採取して測定したものである。すでに3月11日以降に耕された土壌である。そのやり方が正しいか、間違っているのかの議論はあるが、政府のやり方に合わせないと比較のしようがないので、15センチまでの土壌を取って測定してもらった。この値は、作物に影響が出るようはことは全くないと言っていい値である。測定はだいぶ前にお願いしたのだが、やっと結果が出てきた。今はさらに依頼が多くなり、さらに時間のかかる状態らしい。これで小田原の土壌の測定結果は4つになった。これで土壌の放射能汚染の状況がだんだんに見えてきた。今結論めいたことは言ってはならないが、あくまで推測として、放射能汚染と言うのは偏るということだ。同じ小田原でも10倍から20倍くらいの上下の振れがあるだろう。高濃度の地域でもさらに濃縮されてゆく地形がある。

福島、宮城、栃木、の稲藁から極めて高濃度の稲藁の汚染が起きた。これは農家にとって重大な事件だ。このことをどういうことかと良く良く見極めて、様々なことを類推する必要がある。本来素人の私のようなものが書くことは、誤解のもとに成る危険もある。しかし、農水省は想定外で、原因究明をしているのかどうか。対策すら混乱している訳で、全く期待できない。東北では、稲藁が冬の田んぼに置かれていることが普通にあるそうだ。寒さと雪が降るということで、稲藁の扱いが他の地域とは違うようだ。また、放射能の汚染が起きたために、稲藁の扱い、動きにも若干不自然さも生じた。農業者、業者の責任を問題にしているのではない。田んぼに置かれたままの稲藁は、雪や雨にぬれる。条件によっては、雪や雨が降った時だけ用水の水が冬でも入るような所もあるようだ。雪が降り積もることもあり、冬の間の田んぼの水管理があまり気にしていない人もいるようだ。

雪や雨にぬれた稲藁はしばらくすると乾く、乾けば溜まっている周囲の水を吸い上げる。又降る。又吸い上げるを繰り返しただろう。そして放射能を濃縮していった。お茶の葉に降り積もって新芽に集まる仕組みと同様で、放射能特有の状態を作る。似たようなことは草原などでも起きている。枯れ草など、土壌以上に高濃度に成っている可能性がある。できる限り生草を含めて、枯れ草を集めて埋め込んでしまうこと。落ち葉や枯れ草を堆肥には使わない。と言っても山全体が放射能がある訳で、木材の放射能汚染の問題はこれからのことだ。木材を現段階ですべて切りだしてしまえば、材としては放射能汚染なく使える。今は樹皮と葉や枝だけが汚染されている。放射能は根から吸収されるとしても、古い材に浸透することはほとんど無いから、年輪表面の2011以降を廃棄すれば問題ない。早急な対応が、太い材では有効な方法ではないだろうか。

植物の根からの吸収は、降り注いだ大気の放射能物質からの吸収とは比べられないほど低い。小田原の土壌放射能汚染は、一番高い地域の表土であっても、1000ベクレル程度と推測される。この場所で、移行計数が一番高い作物を栽培したとしても、100ベクレルを越えることはない。政府の安全基準は500ベクレルと言うことであるから、子供であっても高い作物が100ベクレル以下であり、大半の作物は不検出の状態なのだから、影響は極めて低いと言える。それでも不安な人は多いと思われるが、稲藁の汚染を見ると、すでに地域性で考えるだけでは駄目である。堆肥など汚泥を使うものもある。稲藁や草が食べさせられないなら、堆肥として使うならと考えた人もいる。間違うと畑に放射能がたまる結果もある。販売されていた腐葉土1袋から1キロあたり1万1千ベクレルを検出したと秋田県が発表。焼却灰がコンクリート材料に成る。海の汚染がどうなるかも、何かが出ない限り想定外である。科学的に連鎖を推測することしかない。
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酒匂川と久野川

2011-07-26 04:42:06 | 地域
地域にとって川は水土を表現する、大切な情報と言える。足柄平野には、酒匂川が中央に大きく流れていて、存在感が大きい。箱根山系の東斜面を源流とする、久野川と早川がそれぞれに相模湾にそそいでいる。私が暮らす舟原は久野川のやや上流部の集落である。地勢的に酒匂川水系とは、様々に異なる小河川である。育った山梨の藤垈の集落は、笛吹川に流れ込む境川の最上流部分であった。土がほとんどない、といいたくなるほど石が多い土地である。その為畑をやるということは石を取るということだった。その畑の土も、大水が出るとすっかりと流されてしまい、河原に戻ってしまう畑も多かった。山で植林が始まってからは、水害は毎年のごとく起こった。舟原の土壌にほとんど石が無いことは、嬉しいやら有難いやらで畑を耕して拍子抜けだった。同じような山と川への距離であるが、土壌の性格はまるで異なる。藤垈でも田んぼは舟原と同じくらいの棚田であったが、川そのものが水持ちが悪く、水不足が普通だった。

久野川の水を使って田んぼを行って居る。田んぼを始めたのは、越してくるより3年ほど前だったので、14年間久野川の水で田んぼをやったことに成る。この間川の変化はつぶさに見てきたつもりだ。先日の6号台風では、箱根一帯で500ミリを超える雨が降った。舟原付近でも時間雨量で30ミリあったから、かなり強い雨であった。久野川は今年初めて茶色に濁った。最近濁らなくなっていた久野川が久しぶりに濁った。しかし、翌日には流れ自体はまだ強かったが濁りは消えた。一方酒匂川の方は、まだ濁っている。一度濁れば1週間は濁り水が流れる。いかに酒匂川上流の丹沢山系の山が荒れてきているかである。今から14年前坊所で田んぼを始めた頃の久野川は、10ミリ程度のちょっとした雨でたちまちに濁り、濁リは長く続いた。田んぼにたちまちに赤土の被膜が出来てしまうほどであり、雨が降ったら急いで入水口を止めて、濁りが無くなるのを、今か今かと待っていた状況であった。何故このような変化が10年間にあったのかが重要である。

山で表土が出ている場所が減ったのだ。一つには畑が減った事があると思う。舟原から上流部にある畑で野菜があちこちで作られていた時は、雨のたびに畑から茶色の水が流れ出ていた。畑からの土壌流出は相当深刻だと思っていた。和留沢に行く林道が茶色の川に成るのは普通の事であった。それに加えて山での土木工事が続いていた。林道工事が多かった。最近工事が減っている。不景気で工事が出来ないということか。市長が交代して、土木工事が減ったということか。舟原を通過するダンプカーの台数がめっきり減った。今でも、工事車両と思しき車が通ると、気にしてみているが、だいたい地域で分かっている車が多い。以前は、何故こんなに土砂を運び出すのかと思うぐらいダンプが行き交うことがあった。林道の作り方で、土砂が流れるそうだ。そうした困った林道でも、時間とともに土砂の流出は減少する。

酒匂川は昨年氾濫した。確か今年と同じように丹沢に500ミリの雨が降り、橋が流され、江戸時代からの水防の堤まで決壊した。以前は酒匂川は暴れ川で氾濫を繰り返した。富士山の宝永の噴火以降火山灰が大量に降り積もり、河床が浅くなったということが大きな原因のようだ。酒匂川の治水の歴史をみると、川を安定させ、水田を維持するということがどれほど大変なことであったかが分かる。酒匂川の濁った水の色を見ると、この上流部がダムが相当に問題なのだと思う。このダムを放流することが濁りが続く原因のような気がする。酒匂川から取水した田んぼの用水も、まだ濁っている。田んぼまで濁ってしまった。久野川が翌日には濁りが消えたことは、とても良い兆しだと思う。

昨日の自給作業:田の草取り2時間 累計時間:47時間
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小田原市のメダカの保全

2011-07-25 04:04:52 | 環境関連
栃木県で古代のメダカの遺伝子を保持した系統が見つかった。その報道である。日本に生息するメダカは、大きく3グループ15集団に分類される。栃木県内では「関東固有集団」「東日本1」「瀬戸内」「北部九州」など6集団が生息しており、大半の生息地には複数の集団の個体が混在していた。しかし、市貝町の小貝川と那須烏山市の大川の計3地点ではサンプル採取した計88匹すべてが「関東固有集団」で、単独生息地と判明した。小田原市の酒匂川鬼柳、桑原地区に生息する小田原メダカも神奈川県に残る唯一の固有種として、記録されている。小田原市ではこの貴重な野生メダカを市の魚として、取り上げ保全活動に力を入れてきている。メダカを市内の家庭に配布し、増やしてもらう活動「メダカのお父さんお母さん制度」を続けている。同時に生息地の保全して行くために、地域の自治会や、生息地を守る会保護団体と協働して、小田原メダカ会議を続けてきた。

この4月の恒例の市役所人事異動で、環境保護課のメダカ担当者は新任の人に変わった。以前の人はとても良く勉強されており、メダカの専門家ともいえる知識を持っていた。新任の方も熱心ではあるが全く知識のない人である。先日の久野川の魚の大量死の事件でもわかるように、環境保護課では何かと、ちぐはぐなことが起きている。環境保護課でヒメダカの配布を行っていたのである。「メダカをおわけします」と張り紙があったので、あれっと思いつつ、実は、、、産地は市役所の噴水の池。あきらかに、ヒメダカが混じっている。調整池やヒョウタン池の駆除のことも、情報としては知っていたようですが、市役所のめだかが、それらと同等なものと思えなっかったのか、駆除したメダカの処理方法の伝達がうまくされていなかったのか、とにかくちゃんと遺伝子のことが認識されていなかったことに驚き。もし、小田原メダカの遺伝子に、緋メダカの遺伝子が交雑したら今までの努力がすべて水の泡に成ってしまう。このような緊急報告が、メダカの保全活動の会の代表から入った。

めだかの保全で重要なことは、メダカの固有性なのだ。そう言うことを市民にも、行政にも理解してもらうために、シンポジュームを何度も行い、徐々に認識を高めてきていたと喜んでいた。その昔、加藤市長もシンポジュームの司会をしたこともあった。それが今に成ってこんな事態が起こるとは全くの後退である。水も淀めば腐敗をするというので、人事異動があるのだろうか。いつも引き継ぎと言うことがない。情報が断ち切れて0からの再スタートに成る。腐れ縁を断ち切るのは大切なことだが、メダカを何故保全するのかの意義すら確認できないようでは、行政の一貫性と言うものが維持できないだろう。本来生涯を通しては同じことをするくらいの専門性が必要な仕事もある。行政職員が交代しなければならない理由もあるのだろう。それならそれでしかがたない。交代に際しては、1カ月程度の担当部署の前任者と重なる研修勤務を行うべきだ。そして何が大切な部署なのかを、十分に知らなくてはならない。

今までにも役所に行って余りに前任者と話が食い違いで、前任者に立ち会ってもらったことが何度もある。その時思ったことは、こうして担当が交代することで、行政は責任逃れをしているということだ。市長も議会も変わる。市の施策も変化する。行政の職員も人間だから、協働している間には心が通い合い、つい永続性の必要な将来のことにまで口にしてしまうこともある。それが人間だから、夢を語り合うのが当然だと思う。その位でなければ協働と言う形で一緒に仕事は出来ない。しかし、市長も議会も変わり、市の方針も変わる。市民協働と言う時に、こういう行政の一貫性のない体制を変えなくては、市民側が小田原を良くしようと、どれほど入れ込んでも、空しい結果に成るだけである。行政職員は、時期が来たら交代する、その期間だけの機械的な役割に成ることで自分を保つ。これではいい職員が育つ環境とは言えない。

昨日の自給作業:田んぼの草取り3時間 累計時間:45時間
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永続性ある社会

2011-07-24 03:29:43 | Peace Cafe
あえて手に余る大きなテーマを書いているのは、転換期に置いては誰もが次の社会について、当事者として意見を出すべきだと考えるからだ。農地の私有制度の廃止。大規模農業地域の確立、都市近郊自給農業地域、中山間地の環境保全農業。と言うことで前回の文章ではおわった。

その前提となる、日本人がどんな社会を求めているのかということが定まらない限り、農業のあり方も決まることは無いだろう。日本人が求める豊かな暮らしとはどんな暮らしなのか。経済と幸福とはどう関係するのか。終わりなき欲望を求め続けているのが、現代社会なのだろう。それは資本主義経済と言う拡大再生産を求める仕組みが根底にある。テレビでは、必要もない商品が欲望を刈りたてるように、ひっきりなしに宣伝されている。消費拡大がすべてに優先されるコマーシャリズム。より経済的な豊かさに至れば、人間としての成功があるという辺りが、大方の了解事項となっているように見える。資本主義経済と言うものが、その前提で成立している。もし人間と言うもののその欲望が抑え切れないものであるなら、人間はこうして終焉を迎えるのであろう。人間が変わり得るという期待しかない。欲望というものは麻薬的なもので、一度堰を切ると、その力は悪魔的に増してゆく。競争に勝つことが目標の社会は、どこまでも安心立命のない社会となる。

現状の悲観的な状況から思うと、あくまで以下は理想論である。農地の私有制度の廃止をして、農地は第3者機関への登録とする。海における漁業権のようなものを考える。農地の耕作権を耕作する者に与える。現状所有している者には、すべてに耕作権を与え所有権を無くす。そして耕作をしなければ、耕作権を失う。農地は財産的なものではなくなる。耕作者を失った農地は、すべての者に入札する権利がある。企業であれ、個人であれ、耕作の目的と方法を提出し、耕作権の対価は示す。審査を受けて耕作権を獲得する。審査時に耕作者が提示する。土地によっては対価を払う場合もあり、対価を受け取る場合もある。つまり耕作地と決めた場所は、どれほどの対価の支払いが生じるにしても、国は対価の支払いを行う。以上の前提として、農地の地域区分を明確にする。大きくは3区分として、さらにその内訳を決めて行く。農地は永遠に農地であり、日本の社会が自給して行けるだけの面積を確保する。

大規模農業地域に置いては、生産性の向上が求められる。農地の集積、機械化の為の農地の整備など、統一した目標のもとに整備が進められる。大規模農業地域に置いては、一定面積以下の耕作は出来ない。大規模農業が可能な道路や倉庫等を含め、基盤整備を進める。
都市近郊を中心に作られる自給的農業地域は、都市住民が自給目的に農地を利用する。ここでの専業農家の役割は、農業技術指導や、日常管理の請負などを主目的とする。都市住民で食糧自給を望む者は近郊地域に暮らしの基盤を作り、周辺農地を借りうけて自給的耕作をおこなう。
中山間地には、国土保全を主目的とした環境保全農業を転換する。中山間地の豊かな保持が日本の自然エネルギーの創出に成るととらえ、循環する農業の構築を目指す。

以上のような農業を行うと言うことは、TPPには加盟ないということに成る。経団連の米倉会長が主張するように、大企業は海外に流出して雇用が無くなると言うことも、一つの予測である。又それは悪いことではない。利益以外に思考停止してしまった企業には、海外に是非逃げ出してもらった方が日本社会の為になる。目先の競争だけに目を奪われるような思想からの転換を、社会全体が持たない限り、世界の終末が遠くない。日本が江戸時代に、鎖国と言う政策によって実験した、成長しない社会。循環して行く社会。経済成長を求めない社会。このモデルこそ、世界の次の可能性である。この循環する社会をもう一度、科学的な進歩によって獲得した技術を利用して、日本モデルを作り出す事。それは今の日本の経済的な豊かさは失うことである。しかし、ここで歩みを変えない限り、未来がないことは明らかになってきた。

昨日の自給作業:小麦の選別2時間 累計時間:42時間
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農業技術と科学技術

2011-07-23 04:08:32 | 自給
原発事故以来、科学技術と言うものの革新の先に、人類の終末が待っていると言う思いが強くなった。戦後教育が科学主義というものに置かれてきたことは、戦前の精神主義偏重の偏った教育の否定から始まった。科学という人類共通に開かれたものへの信頼と期待があった。個人崇拝や信仰的狂信によって社会が動かされてはならないという反省が、戦後の方向の一つにあったのだろう。よりどころとしての科学主義。その道は、歴史の浅いアメリカと言う国の単純な正義と結びついて、日本の教育や社会全体に広がった。もう一つの柱が、いわゆる民主主義である。地域でいえば、教育委員会、農業委員会、自治会、婦人会、青年団等々である。草の根的な当事者全員参加型の民主主義が、理想社会の基盤として提唱された。日本人がどう選択したのかは別にして、日本国憲法と同様にアメリカの占領政策の一環として有無を言わせず、過去社会を清算し、新生日本を作り出した二つの理念である。

農業においては。科学技術的農業が伝統的百姓農業を越えるものとして、提唱される。その科学的農業の行き着く先は、遺伝子組み換え農業であり、機械化農業であり、化学肥料と農薬を多投入する農業であり、適地に大資本を注ぎ込んだ、大規模プランテーション農業である。それが人類の利益であるという展望。その弊害は、大多数の地域が必ず競争に敗れることである。条件不利地域では、利益が上がらないために、農業が継続できなくなり、農地が放棄される。日本一国の勝ち負けの問題ではない。日本が目指すべき農業は、日本の人口が食糧自給できて、生産が永続できる農業である。農業が輸出産業であってはならない。適地における大規模農業の推進。都市近郊における自給農業の保証。中山間地における地域維持のための農業の確立。その3方向が政策的に、矛盾なく提唱されなくてはならない。

農業が東アジアで4000年の永続性を得たことを重視する必要がある。それは、日本の江戸時代にもっとも洗練を迎える農業技術であり、人間力に依存した技術体系である。自然と言うものをとことん観察し、折り合いを見つけて行く。自然を改変するのでなく、手入れをしながら最小限の変化の中で、人間の暮らしを織り込んで行く技術。生産性を犠牲にしても、土を育み、子孫に良い田畑を残す技術である。それは江戸時代の里地里山の人間力的技術である。どこまで科学技術が進んだとしても、手植えによる田んぼの合理性はある。人間が田植えの作業から受ける感動のような自然から学ぶものは、変わりなく存在する。人が稲と言う作物を、信仰するほどに深く見て行くことは、技術と言うものと精神が不可分にあることを暗示している。自給的農業を深く行うということは、社会の方角を、拡大再生産ではない、自然のレベルに人間を併せて行くことに成ってゆく。

現代の自由競争を公平とする社会であれば、そもそも基盤が不利な地域に暮らしを立とうとする者がいなくなるのは、当然である。農業には有利地域もあれば不利地域もある。科学技術は有利地域をより有利地域に導くことは得意であるが、不利地域にかろうじて残ってきた伝統的農業技術が駆逐されることに成りがちである。そして不利地域そのものが滅びて行くことに成る。不利益地域など存在しないことが、本来の農業技術である。不利地域であることを受け入れて、その土地の生産性に合わせた形の暮らしを生み出して来た。今永続性を考えなければ、大規模プランテーション農業が強い農業だろう。農地が死んでしまって気がつくのでは遅い。日本は自給農業を唯一の目標にする。農地の私有制度の廃止。大規模農業地域、都市近郊自給農業地域、中山間地の環境保全農業。さらに続ける。

昨日の自給作業:大豆の残り苗の植え付け1時間 累計時間:40時間
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強い農業を作るための政策提言

2011-07-22 04:12:42 | Peace Cafe
「強い農業」を作るための政策研究会というものがある。座長が山下 一仁氏キヤノングローパル戦略研究所主幹。緒方大助氏らでぃっしゅぼーや代表取締役社長。唐笠 一氏パルシステム専務。他15名で、政策提言を出している。大雑把な言い方に成るが、「TPPに加盟すること。農地制度を自由化し企業参入。農協制度の廃止。大規模化して国際競争力のある強い農業を作ろう。」という政策提言である。日本の農業を滅びさせる考え方、考え方と言うより妄想が、繰り返し出てくる。農業は強い弱いと言う競争の原理で見てはならない。強い農業論は原子力政策と同じで、企業の利権を死守するためと考えた方が良い。強い農業の提言と言いながら、優先課題は小さい農業の淘汰が主目的である。巨大トラックタ―の進路に邪魔な小石があるイメージである。強い農業が日本で成立するかどうかは別にして、経営観念のない小さい弱い農家の存在が、大規模農家成立という企業参入の障壁に成っていると考えてのことだと思える。

農業が輸出産業の足を引っ張っていると言う間違った前提がある。農民の集団としての主張を分裂させることが、農協の否定という形で目的となっている。勤勉で能力の高い、輸出産業の足を引っ張るという、農業に対する汚名である。税金でも優遇され、アパート経営で農業を片手まで暮らしている連中と言う虚像の創出。このことは原子力のイメージ戦略を思い起こせば、同列である。国際競争力のある農業は日本に特殊解以外は存在しない。競争力のない原因を農家のあり方に向けている。これも作られた神話である。国際競争力とは何か。弱肉強食の強いものの論理である。弱者には、自らに敗者たる責任を持たせる。怠け者だから、頭が悪いから、努力が足りないから、様々な理屈を付けて、勝者に成る機会は平等にある、という工業社会の前提を受け入れさせられる。

南極や砂漠の農業と日本の農業が競争すれば、日本の農業は勝つだろう。農業は気候風土に従うべきものである。水資源の量にも限界と偏在がある。勝者は初めからプランテーション農業である。そこには農奴は居ても、農民はいない世界だ。巨大な企業農業が勝つ世界である。人間生存の基幹となる、食糧や水は、商品化してはならない。移動させずに、その土地の生産力に合わせて、土地に相応しい数の人間が暮らすことが、幸福な暮らしの大前提である。収奪的な農業を行い、土地を疲弊させながら、当面の利益に向かう農業が、国際競争の果てに農業の勝者に成る。永続性のない農業である。そんな農業と、日本の4000年の永続農業が競争することが、望ましい訳がない。日本の国土を荒らしてしまい終わりに成る。

日本が向かうべき農業は、自給農業である。個人の自給に始まり、地域の自給。そして日本と言う国の自給である。その為に、日本の輸出産業の競争力がそがれることがあるとしても、日本の未来を考えれば、望ましい結論となる。日本の農業が輸入農産物に敗北してきたのは、農家の責任ではない。アメリカを中心とした輸出農業奨励政策がもたらしたものだ。この提言ではTPPに加盟しても稲作でも影響を受けない。こう言い切っている。希薄な根拠で、その道の専門家たちが、(らでぃっしゅぼーやパルシステムが加わっていることは覚えておく。)こんな妄言をでっちあげる背景には、悪意があると考えた方が良い。新しい理念で日本農業を見直すべき時だ。食糧と言うものはどうあるべきものか。これから始まるだろう、食糧不足の時代を前にして、人間の存立基盤としての、自給思想を失ってはならない。食糧は自由貿易すべきものではない。農地を個人所有から外し、水と同じような思想で管理すべきだ。考えている具体的方策は明日書いてみたい。
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稲藁の放射能汚染に関する疑問

2011-07-21 06:06:53 | 環境関連
稲藁の放射能汚染についての全国調査が行われることになった。50万ベクレルと言う放射能汚染が稲藁で起きた。この原因について、疑問が山済みである。この疑問が氷解しないまま、今年の秋に成ることが怖い。何故、稲藁にこれほどの汚染が起きたのかを、明らかにする必要がある。それは放射能汚染の実態が見えてくる可能性があるということと、その性格も把握できるかもしれない。今わかっていることは、かなりの広範囲に稲藁が汚染されていることである。そして、その稲藁は3月11日時点で田んぼに置かれていたであろうことである。何故、田んぼに置かれていたのかがまず疑問であるが、牛の飼料用の稲藁ではなかったと思う。飼料に使うなら、秋に刈った後何らかの保存処理を行うはずである。雪の降る東北の田んぼで、田んぼに置いたままであった稲藁とは一体どういう稲藁だろうか。田んぼに置かれた稲藁が、乾燥と濡れる状態を繰り返しながら、放射能を吸着して、濃度を高めて行くようなことがあるのか。

稲藁を飼料として販売する業者が存在する。宮城県の業者が何と三重県の畜産農家にまで販売している。この稲藁は、ロールサイレージされていると考えていたが違うのだろうか。飼料としての価値は、雨ざらしでは相当に下がるはずである。春まで雨ざらししてあるような稲藁は、半分風化が始まっているはずだ。東北では、雪で覆われてまた違う野外での保存法があるのだろうか。今の推測できるのは、この敷き藁用の稲藁を飼料として与えてしまったのではないかと言うこと。いずれにしても稲藁の流通を見ると、日本全国放射能はあらゆる地点に拡散している。橋本宙八さんがこれからは日本のどこに居ても内部被ばくの問題だ。と繰り返し言われていたことが思い起こされる。稲藁を深く考えてみることは、他の食品の事も推測できることに成る。

100キロ離れた地点で50万ベクレルの汚染があったという意味。新聞情報だが、間違いは無いのだろうか。岩手県の稲藁も汚染が分かった。宮城県からも出ている。お茶のように乾燥して濃度が高まったとしても、10万ベクレルである。田んぼに水が流れ込んでいたのか。普通は田んぼは冬は乾かそうとするが、入水口を開いて、冬水田んぼにしていたのだろうか。藁のある田んぼでそんなことがあるだろうか。ともかく、100キロ圏では田んぼはやってはならない状態と思われる。現在田植えはされているのだろうか。収穫されたお米の汚染が問題になる。土壌の5000ベクレル以下の汚染が稲作の条件となっているが、果たして、田んぼごとの調査などしていないのではないか。入水をした時期。水系の問題。4月地点で田んぼに水を入れたとすると、それ以降田んぼが汚染された可能性も高い。米どころ東北のお米がどうなるのだろう。本気で調べる必要がある。稲藁が50万ベクレル出た田んぼの土壌調査はしたのだろうか。行政は想定も出来ない、指示も出来ない、結果調べない。調べてぼろが出ることはしないのだから、食べる人が考えるしかない。

ごみ焼却場の焼却灰の汚染状況の地図を作ると良い。ごみは暮らしの指標である。焼却灰(飛灰)の状態で地域の汚染状況は見える。千葉では何と7万ベクレルと言う状態である。東京はやはりかなり高い1万ベクレル越えもある。横浜2400ベクレルで小田原1000ベクレルである。一度の調査では、正確度にかけるが、大雑把に言えばやはり距離に比例している。300キロ離れた、焼却灰1000ベクレルの小田原でもお茶は高濃度に汚染されたのだ。ただし、今この地域の農産物に100ベクレルを越えるものはない。子供たちがどこまで食べていいのかは、難しいが。大人には全く問題がない、と私は考えている。明日22日夜6時15分からマロニエで被曝予防勉強会が行われる。内容は未知数だが参考にはなるかもしれない。何としても今年の田んぼは本気で増産しなければならない。

この後専門の人から、稲藁について教わった。肉牛の肥育には稲藁が不可欠で、その稲藁はわざわざ栄養価が低いものを与えるのだそうだ。肉の脂が、黄色くなるのを稲藁で抑える、仕上げ法。より良い肉を作るために、前々年の稲藁をわざわざ与える技術もあるそうだ。その為寒く雪のある田んぼに立てて置いておくことも普通の事だそうだ。
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説明会の意味

2011-07-20 03:54:12 | Peace Cafe
様々な事業で説明会と言うものが行われる。マンション建設のための説明会、ショッピングモールの説明会。埋め立て処分場の説明会。墓地の説明会と言うのもある。今回、玄海原発の説明会でやらせメールが浮かび上がった。メールだけではない、この説明会自体が、再開の為の通過儀礼のような、やらせのようなものだ。一応手順を踏んだという証拠づくり説明会。これは行政の得意なアセスメント手法も同じだ。一応意見は聞いたというだけのことである。過去何度も説明会と言うものに出たし、アセスメントに意見書も出した。説明会の開催そのものを阻止したこともある。説明させてしまえば終わりということもある。説明を聞かないで、反対というのも理屈に合わないのだが、説明会を開いたので、これで手順を踏みました。という結論が見えているので困る。反対運動などにかかわらなかった人に、説明会を開かせてはならない。と言うような意見は不思議に聞こえるだろう。説明会の形式化を避けるためには、分かり合うまで行うのが本来である。

民主主義は志だといった人がいる。志が低ければ形式民主主義に出来る。手順に成る。始まる前から結論ありきの事業が普通である。第2東名高速道路の建設の進め方で、このことを身に沁みた。20数年前この話が出た時、相当に研究し、全く不要な道路であると考え反対した。20年経ってそのことが間違って居なかったと確信は深まっている。その時この道路を作る必要があると考えたのは、どんな機関で、どんな手順を踏んだのかを説明会で何度も聞いたが、明確な回答がなかった。名前を言うとどんなことをするか分からないというのだ。しかし、日本の進路の判断をした人の名前が分からないのでは、どうにもならない。その哲学が知りたかったのだ。まだ当時は拝金主義によるとまで考えていなかった。日本の進路の考え方に違いがあるのだと思っていた。だから話せばわかると思っていた。しかし、原子力発電所の進め方を見て、つくづく、汚い拝金主義に染まっているに過ぎないことが分かった。経団連会長米倉氏の発言を見ればそれ以外感じられない。

金儲けをしたいから、嘘で固めて安全神話を作ってきた。あのテレビ説明会の不自然さ。佐賀県知事は良い説明会であった。十分の説明がされたとした。何たる形式主義者か。玄海町の町長は地元土建業で、九電から仕事をもらう立場。こういう人が町長に選ばれ、知事に選ばれる選挙結果。こうやってみんなで安全の神話を作り上げたとしても、原発の困難な問題は変わらない。今も、原発が無ければ停電してしまう。日本の産業は競争に負ける。すべて神話への道である。議論なしにそういう結論がある。九電が作った6つの想定意見通りである。荒唐無稽をもっともらしく説明して行くのが、原発説明会である。自由な話し合いが行われ、住民の素朴な疑問に分かりやすく答えるような、本来の説明会が繰り返し行われるべきだなのだ。考え方がかみ合いはしないが結論なら、説明会方式は形式民主主義を育てることに成る。

民主主義は昔の日本には無かったかと言うと、そうでもない。日本独自のものごとの決め方と言う寄り合い方式があった。「小田原評定、久野寄り合い」という言葉が残っている。水の分け方から学んだ方式である。平等とも公平とも違うが、命がけの利権の調整が行われた。そうして、寄り合いで話を決めて行くための、ごとのまとまりの必要性。村の意思統一の成立。そして地域全体の調整。それは権力による調整よりも、民衆自体が必然性を持って行った、意見調整の方法だった。水争いで起こる、利己主義と集団の利益。集団同士の対立と調整の必要。この経験から、日本なりに充分話し合うことの必要性が認識された。何かを決めるためには、2日や3日泊まり込みで話し合いを進めたそうだ。時間制限なしに意見が出尽くす事が優先された。普通の人が意見を出し合うには、時間が必要である。例えば地域で、水力発電を行うこと。舟原の集落にあったという五つの水車を復活すること。こういう具体的事例で、とことん話し合うことから始めてみたらどうだろうか。
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大豆土中緑化法の手順

2011-07-19 04:23:39 | 自給
大豆の苗の定植が終わった。忘れないうちに記録しておく。7畝の畑に2メートル40幅で、長さ24,5メートルのベットが10ある。一つのベットに5列大豆苗を植えた。株間は40センチにしたので、60株である。一つのベットで300株植えることに成る。それが10あるのだから、全部で3000株の大豆の苗を植え付けたことに成る。苗作りは、苗箱で行うのが水やりなど具合が良かった。一つの苗箱で、7×10本植えた。日程は来年の参考に少し手直しして記録しておく。苗箱挿し木は10人で3時間。定植作業は、20人で3時間と言う所のようだ。

手順1、7月1日
15箱の苗箱(332mm×473mm×90mm )に6分目程度に山土を入れる。そこに一面に成るように、大豆を蒔く。おおよそ250粒程度ではないか。大豆を蒔いたあと水をかけてから、パオパオをかけ、その上から4センチほど土をかぶせる。そして再度水を十分に与える。苗箱は水平に置かないと、土の湿り気が偏る。

手順2、7月4日(3日の事もある)
箱の底からねが出てきているのを確認できたらなら、パオパオごと土を取り去る。大豆種の状態は豆もやしのように根がのび、大きな白い双葉が開きかかっている。この間外に置き雨がかかっても構わない。余り乾くようならば、水をやる。ここから白い種に日光を当てて、緑化に入る。

手順3、7月6日(5日の事もある。)
1日ないし2日間直射日光に当てる。曇りであれば長く。雨ならさらに長く3日。子葉が緑に成るまで充分に日に当てる。これが土中緑化の意味。茎が赤みが差すくらいが良いようだ。緑になったら、種がすっかり見えなくなる程度に土を入れる。水をしっかり与えて、土が隙間に入り込むようにする。

手順4、7月9日(これは本葉がしっかりと8の字に成るまで待つ。)
断根・摘心・挿し木を行う。ばらつきがあるので、早いものから行い、2度に分けた方が賢明である。天候と水やりにより前後する。だいぶ余裕があるが、良いものだけを使うつもりで行う。水が多ければ早くなる。15箱の苗を50の苗箱に7×10で挿し木するが、子葉の良くないものは使わない。茎が太いほどいい。80%使うことで苗は足りる。できれば子葉の根元まで土に差し込む。茎全体から根がでる。みんなでの作業の1回目。挿し木した苗箱をそれぞれが持ちかえっても良い。

手順5、7月18日(1日の種まきから2日は前後するのは止むえない。)
大豆苗植え付け。苗は寝かせて植え付ける。作業はベットがうまくできていたとして、20人で3時間程度。植え付けた後は水が必要。植える前に土が湿っていた方が良い。夏の晴天時では、苗が一気にしおれるので注意が必要。長靴、手袋が必要。

注意点
大豆畑は必要な時水が使える田んぼの跡地が良い。連作では特に問題は起きない。田んぼ跡地なので、粘土なので塊りに成りやすい。干し田の時を見計らい、耕す。細かく良く耕した方が良い。ベットは出来るだけ高めに作りたい。ベットの間が水路に成る。

以上が大豆の苗作りのまとめである。3000株植えてあるということは、1株100グラムとしても、7畝で300キロの収量はある。これは日本の平均収量の2倍と言うことだ。目標は大幅に大きくなる。今まで大豆は1反作り、200キロあればよくできたということだった。今年は畑を7畝に狭くして、何とかそれは超えたい。花の咲く頃の追肥と、水入れを行う。ベットを十分にトラックタ―で耕した場合、雑草が出てくるタイミングがどの程度遅れてくれるのかも注目である。大豆が草負けしないで生育してくれれば、ある程度の草は許容範囲としたい。草を刈って追肥を行うのか、草のあるままで追肥をするのか。このあたりの加減を検討したい。土が軟らかいから、削りっ子やくさ太郎で早い内に草を取るのも良いかもしれない。

昨日の自給作業:大豆植え付け2時間 累計時間:39時間
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飯田哲也氏の話

2011-07-18 04:05:55 | 地域
小田原の駅ビルで飯田哲也氏の講演を聞いた。実はこの方はマスコミ、テレビでも良く取り上げられる人らしい。小田原市で市長が意見を伺う、アドバイザリースタッフのようなものに、飯田氏をお願いしたという話だ。「小田原電力」をやったらどうかと言われた。構想は面白い。しかも、そこに向かう市民と行政で作り出す仕組みが重要とのこと。まことにもっともな考えである。市長の日記でもそのあたりのことに触れている。自然エネルギーの地域自給構想を進めて行かなくてはならない。現代農業の7月号「水&エネルギー自給」に飯田氏が書かれている文章がある。ごく当たり前に読んだ。世界を広く見渡し、知識が豊富な、未来を大きく見ている人が、普通に自然エネルギーの時代を書いている。そこへの道筋が重要と繰り返し言われていた。

市民の役割は何度も言われてきたことではあるが、現実には進まない。問題は市民側にあるのではなく、その仕組みを提案する行政が、この問題を見えていないと思う。市民協働と言った場合の行政の役割の重要性に気が付いていない点が大きい。市民が市行政や自治会と言うものから距離を置いている現状をとらえきれていない。ここに踏み込むにはきれい事では済まない。小田原市民は盛んに鼓舞され、大いに市民協働をしている。しかし、協働であるはずの行政職員はどう位置付けられているのかが示されたことがない。行政は今までのままでは駄目だという認識がない。生ごみでいえば、がんばる市民が段ボールコンポストで節電である。一方行政は、電動生ごみ処理機の補助である。恥ずかしい姿だと思わないのだろうか。市庁舎内の自動販売機は、動いている。電動生ごみ処理機に補助金を出す行政に対して、飯田氏はどんなアドバイスをするのだろう。生ごみ堆肥化検討員の報告書でもこうしたことは何度も伝えてきたが、行政は動かず。市民の意識に比べ行政の未成熟が、小田原の現状である。生ごみ堆肥化への道筋を行政は宣言すらしていない。

まず、行政がきちっと政策を立てられるのか。生ごみの堆肥化ではも市民の努力だけは強調されるが、行政の行うべき役割がさらに重要なのだ。例えば剪定枝を燃やさずチップ化して、市民に配布する位すべきだ。役割はいくらでもあるが、今のところ行政は一部動き出した位か。自然エネルギーを小田原電力と言う形で行うなら、言いたいことは、考え方は山ほどある。しかし、その前に行政の役割の自覚をしてほしい。「行政はこういうことを引き受けるから、市民にはこういうことをしてほしい。」明確に行政として役割分担を主張して欲しい。行政職員の経費の削減のために、市民を活用しようでは話にならない。具体策である。希望する自治会の公民館の屋根に太陽光パネルを付ける。その発電量と経済性を自治会で共有し、太陽光パネルの普及のきっかけにする。もちろん行政も補助を出す。舟原で付けるなら、一定費用を寄付しても良い。希望者の10年間自治会費の先払いなどどうだろう。

小田原電力は良いアイデアである。理想論としてでなく、これを現実化すること。具体的に展開をする手順を示すこと。その為にまた検討委員会を作るとか、市民参加とかいうもっともらしい形式論が出て来る。行政自体の方角として、具体的な手順を示さなければならない。生ごみ堆肥化検討委員会では具体策を示した。小田原市行政はその検討結果を生かそうとしていない。形式論だけのきれいごとでは、何も進まない。命を守る小田原市とか、盛んにきれいごとは言うが、率先して放射能の測定をしようとはしない。角の立つことは出来る限り避けようという、曖昧さが目立つ。小田原電力は国との戦いである。このままでは、きれいごと部分だけをパフォーマンスされ、それでだけで終わりが予想される。そうはさせる訳に行かない、重要課題である。このことは、地域から自給エネルギーを立ち上げ、国を変えてゆく気概で取り組まなければならない。

昨日の自給作業:大豆の植え付け2時間 累計時間:37時間
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福島の牛出荷制限

2011-07-17 04:03:30 | Peace Cafe
汚染の可能性の高い牛肉は福島県南相馬市の6頭、浅川町の42頭、郡山市などの84頭の計143頭で、少なくとも35都道府県に流通したことが判明した。喜多方市は福島第一原子力発電所から約100キロ・メートル離れている。また、郡山市の1戸の稲わらから検出されたセシウムの最高値は、1キロ・グラムあたり50万ベクレルに上った。立命館大学安斎名誉教授によると、50万ベクレルの稲わらを毎日1キロ、4カ月食べ続けた牛の肉の放射性セシウムは1キロ当たり約6万ベクレルに成るという。それを人間が200グラム食べても内部被曝(ひばく)は0・2ミリシーベルトで「健康に被害が出る程度ではない」(安斎名誉教授)ということにを発言している。「野ざらしにされていた稲わらがあり、それが餌になっていたのは想定外」と農水省の担当者。畜産の担当者が、その程度の想定が出来ないという人間であっていいのだろうか。

今さらながら、政府の無能ぶりが遺憾なく示されている。何もせず、決定すれば福島県全頭出荷停止と言うような、飛躍した話が突然出て来る。今回の事件を想定し、指摘した政治家はいなかったのか。事が起きてから文句を言うだけが政治家ではない。被災地のボランティアに出掛けていて、頭を使う暇がなかったのか。議員の皆さんは何をしているのだろう。多分畜産農家の皆さんにしてみれば、ごく普通のことだし、毎年のことだったのだろう。政府のパニックを起こさないためのニセ情報が効きすぎている。100キロの距離で、藁が50万ベクレムと言う値に成る場所がある。こうした場所に子供達が居た。今もいる状況だ。野外の藁がと言うことは、土壌もそうした値に成る場所があるということに成る。50万ベクレルの土壌であれば、移行係数が0,001の作物でも汚染の可能性がある。米が0,1と言われて、5000ベクレルで作付が出来ないことに成っている。かなりの作物が汚染の可能性があるということに成らないか。確かに、藁が特殊ということはある。しかし、100キロの距離で50万ベクレルである。

政府はことが起きてから騒ぐ位しか出来ない。牧草は危ないと思ったから対応したと言うが、そうではない。牛乳から放射能が検出されてから、大騒ぎをした事を忘れない。直ちに健康に影響がないと、風評被害を起こさないように、がんばろう福島である。それでは海産物はどうか。川魚の問題もある。どうせたたちに健康に影響がない、と言ってごまかすに違いないから。自分で考える必要がある。風評に踊らされていると言われようが、確実なものを食べておけばいい。海ではどういうことになるのだろうか。薄まって大したことにならないのか。どこかに沈みこんでゆき、海洋深層処理のように収まらないのか。拡散しないまま、固まって層に成って、海流に乗ってどこまでも流れて行くのか。海洋の専門家はこういう時にこそ、積極的に発言してもらいたい。もちろん、発言はあるが、見落としているのかもしれない。

この50万ベクレルの藁の場所ならさすがに値に出るかもしれないが、1万ベクレル程度では、空間線量を計っても大した数値への影響が出ないはずである。周辺の低い部分と極端には変わらない所が困るのだ。行政が空間線量を計るようになったのは、問題が出ないということを確認できたからだ。そのものを計らない限り実態は把握できない。先日NAOさんと言う方が教えてくれた。東京都の焼却場の値、小田原の値。これを見ていると、小田原の実態が少し見える。小田原は低いと言うことだ。お茶の汚染で驚かされたが、東京の焼却場よりも低いということに成る。ごみは暮らしの実態を反映する。是非、継続して計測してもらいたい。東京でも実に値が不自然なところがある。採取された方法が違うとか、排気ガスの処理法が違うとか、小田原の実態を知るには、焼却場の継続的な測定である。空間線量が同時に計られているが、これは0,06マイクロシーベルトであり、前回より低くなっている。剪定枝の持ち込みの時期があるのか。

昨日の自給作業:田んぼの草取り1時間 草刈り1時間 累計時間:35時間
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