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移民法が成立

2018-11-30 04:58:41 | Peace Cafe

衆議院では移民法が成立した。あるいは外国人労働者差別法が成立した。日本の労働者人口が危機的に減少しているから、緊急対策として外国人労働者の導入を始めなければならないという理由だ。建前としては、外国人研修生と名付けている。この間衆議院の委員会や、議会では、議論らしい議論は行われていない。何でも賛成の公明党がいるから、議論など必要はないというのが実態。議論など無駄なことだというままに、移民法が成立してしまった。この法律をおかしいと思いながらも、背に腹は代えられないと賛成の人も多いとは思う。それくらい肉体労働を伴う職種は人手不足である。コンビニも、ファミレスも、正月は休むと言っている。正月から店を開くようにするには外国人労働者を入れるしかないのだ。正月から開業し、一日でも多く営業すれば、利益が増える。企業というものは利益を追っているのだから、正月から店を開くなどという、日本文化を破壊するようなことを始めたのだ。とんでもないことが、平然と進んでゆく。

国会ではどうせ話し合っても無駄。国民に議論を見せるのも無駄。話し合ってみたところで、議論がかみ合わないだけだ。という事なのだろう。公明党と維新の会だったか、金魚の糞のようにくっ付いているだけの党が、賛成に回る格好つけで、法案の修正をした。何という形式主義か。この移民法案は中身が全くない。外国人労働者の受入が、どのようにでも可能になるざる法である。要するに運用次第で、どうとでもなるというアベ政権お得意の形になっている。立憲民主党の山尾議員が単純労働者とはいったいどういう職を言うのかと質問していたが、安倍デクノボウ総理大臣は何か答えただろうか。「私の口からそのことを明確に述べることは、望ましいこととは思えませんので、この場でのお答えを控えさせていただきます。」という事であった。総理大臣が口にできないような差別が起こるのだ。応えることがはばかれるような差別につながる法案なのだ。もちろんすべては運用次第という事になる。玉虫色と言えばきれいごとで、実は日本人の一番悪ところが、掘り起こされる法案になる。

韓国の最高裁判所で相次いで、徴用工に対する補償を日本企業に命ずる判決が出た。これを安倍晋三氏は国際司法裁判所に提訴すると言った。是非ともやるべきだ。そして明確にすべきだ。日本が勝訴するとは思えない。世界の常識は、日本帝国が朝鮮半島を植民地支配していた。戦時中には当然、朝鮮地域の人も軍事産業に徴用し、強制労働させていた。こういう共通認識である。この強制労働させられた人々に対して、補償をしていないという事は許されないという判決になる可能性がある。もちろん、ロシアに抑留され、強制労働させられた日本人もロシアから補償をされるべきだ。日本が韓国に対して賠償責任を果たしたから、企業には徴用した労働者への補償の責任がないとまで、言えないのではないか。少なくとも韓国政府が日本からの賠償金を個別の労働者への支払いに回したのでなければならない。だから、韓国政府に対してそうした取り決めがない以上。個人は無視されたことになる。

外国人労働者が今のまま増加して行けば、日本社会に日本人の下に位置する、新しい階層が生まれることになる。今まで行われてきた外国人研修生が本当に研修の為に来ていると考える人は居ないだろう。こうしたマヤカシの下に成立する社会が健全な訳がない。大多数が労働力不足の穴埋めである。国連では人権上問題があるという指摘までされている。世界で分断が始まっている。国家間の競争が激化し、苦しい国はより苦しくなってゆく状況だ。貧困による難民が大量にあふれだしている。このことと、外国人研修生問題は絡み合っている。ご都合よく、安い労働力を導入できるとは到底思えない。相当に危うい綱渡りになる。「じゃあ、このまま国際競争に負ければいいというのか」というのがアベ政権の本音であろう。たぶん、日本全体がそいう怯えの中にいる。あのドイツさえ、メルケル首相が移民受け入れを制御したが、ついに退陣である。やるべきことは日本がどういう国になるかという国会議論だ。議論を信じるから議会があるはずだ。何も議論がないという事が、ひどすぎる。

 

 

 

 

 

 

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原子力に拒否権はない。

2018-11-29 04:54:00 | Peace Cafe

日本の原子力政策は失敗に終わった。「原発協定に拒否権をはない。」と東電の副社長が発言して、謝罪をした。つい本音が出たのだろう。拒否権など与えられないまま、日本の原発は推進されてきた。失敗を改むるに恥ずることなし。始めたことを間違っていたので、清算するという事が日本の社会では困難を極める。過去の考え方が間違っていたと認める事が難しい組織なのだろう。失敗を認められないがために、新しい方角が示せないことになっている。原子力を断念できないがために、再生可能エネルギーの展開が出来ないでいる。福島の原発事故でさすがに、原子力を放棄すると思われたが、政府にはその姿勢がない。愚かなものだ。日本は新しい時代を切り開く力を失っている。過去にしがみ付き、昔は良かったと嘆いているに過ぎない。国際競争力と言いながら、過去の枠組みに固執しているに過ぎない。そんな日本という国柄から、国際競争力のある企業は抜け出そうとしているのではないだろうか。ゴーン代表を良しとするのが、企業というものだ。

つぎの時代に成長してゆく国は、過去の栄光を抱えていないがために、自由である。自由であるから可能性がある。日本では原子力廃棄物が負の遺産になる。処理方法に展望がないまま、核廃棄物は増え続けている。廃棄物の受け入れ地を探すと言っていたが、説明会自体が動員をかけたやらせでしかできない。廃炉が増えてゆく中、完全な行き詰まりである。ごみ処理が出来ないで、生産を続けるなどという事がまともなことの訳がない。こんな当たり前のことが何故政策変更が出来ないのかである。既得権益の問題であろう。原子力利権に絡み合う有象無象の壁があるのだろう。今更、原発を再稼働させて、太陽光発電を停止させるなど、あり得ない選択である。日本という国の競争力を、考えた時にはエネルギー輸出国になる道である。つまり、原子力を超えた再生エネルギーの発電技術を輸出する国である。

 プルサーマルは、再稼働した関西電力高浜原発や四国電力伊方原発、九州電力玄海原発で実施中。政府と電力会社は国内外に保有する余剰プルトニウム削減のため、今後も順次プルサーマルの原発を増やしたい考えだが、使い終わったMOX燃料は再処理されないため、全て廃棄物となる恐れが出てきた。

 電力会社が出資する日本原燃は、青森県六ケ所村で使用済み燃料の再処理工場とMOX燃料の加工工場の建設を進めているが、総事業費は約十六兆円と巨額で操業延期も続く。MOX再処理には新たに「第二再処理工場」を造らなければならないが、さらなる費用確保は困難な情勢だ。

日本の社会は多分今こういう壁があちこちにできているのだろう。この壁を取り払うという建前で、規制緩和というようなことが言われた結果が、加計学園の獣医学部のようなことが起きた。規制緩和と言いながら自由なはつらつとした感じが全くない。利権が集中してゆく為に規制緩和も利用される結果になっている。再生エネルギーしかないと認識が出来れば道はおのずと見えてくる。何時までも原子力を温存しようというくだらない考えにしがみ付くがために、方法が見つからないだけなのだ。再生エネルギーは蓄電の方法が鍵と言われている。蓄電の技術の研究に国家プロジェクトとして取り組むべきだ。日本には新しい技術を開発できるような能力が無くなってしまったのだろうか。

パソコンのモニターを買うつもりで、調べていてもう日本製というものはほとんどないという事に気づいた。パソコンもたぶん同じなのであろう。国という単位で競争できない分野が新しい産業で増えているようだ。国の考え方が、産業では枠組みは消えているのだろう。ゴーン社長が犯罪者であろうが、企業としてはその能力を利用すべきだという考えになる。利潤というものがすべてに優先されなければ、競争力は高くならない。国家と企業の関係。ここが私にはうまくとらえられない。国家プロジェクトというような考え自体が、通用しないという事なのだろう。多分政府も都合よく国家や、国際競争力を持ち出しはしているが、どう関係してくるのかは捉えていないのだろう。次の社会の構成が見えないがために、過去にしがみ付いてしまうという事があるのだろう。

 

 

 

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緑内障と丸ごとみかん

2018-11-28 04:44:47 | 暮らし

現代農業の11月号に緑内障の記事を載せて貰った。11月号はもみ殻大活用でなかなか面白い企画になっている。

緑内障を発見したのは、日帰り人間ドックに行った時だ。全く自覚症状はなかった。思い当たることもない。深刻に落ち込んだ。人間ドックに行ったのは、65歳になって一度位は人間ドックも良いかと、計測好きからだ。そのことは前に書いた。病院嫌いは病気のレベルなので、医療も自給する生活を続けてきた。そこへ降って湧いたように緑内障がきた。平常眼圧の緑内障という事になる。暮らしの中に原因はあるのだろうが、たぶん遺伝的なものもある。小田原には全国から患者が来るような、有名眼科病院がある。そこに出かけた。先生「緑内障ですね。両眼ですね。直りません。失明まで進むこともあります。」一刀両断である。私「私絵を描くのです。見えなくなる訳に行かないのです。」先生「眼圧を下げる眼薬を毎日寝る前にしてください。」私すがりつくように「でも眼圧は高くないのですから、希望がないという事ですか。」先生「直ることはないです。現状維持ができるかもしれません。」これで診察は終わり。

それから、様々な情報を探した。そして眼に良いだろうという事はあれこれ試してみた。薬嫌いだから、眼に良いというサプリメント等、信じる気にはなれなかった。一塁の希望もない。これは辛いものだ。2ヵ月に1回病院に行く。その度に先生「変わりありませんか。」私「目が疲れるようです。」先生「3分の1は見えてないのですから、当然疲れますよ。」私「見えてはいます。」先生「見えていれば、御の字と思ってください。」こんな風に1年が過ぎ、2年が過ぎた。

ある時、温州ミカンの皮が緑内障に効果が。という記事を見つけた。東北大学の先生が、緑内障の進行を止める効果のある何かの物質を発見したというのである。藁をつかんだ。それから、丸ごとみかん生活である。皮ごとみかんをジューサーに入れて絞って飲んでしまうのだ。スムージー状態になる皮もかなり含まれる銃サーである。みかんがある間は毎日5個を絞って飲む。びっくりだがこれが結構おいしいのだ。

自然栽培でみかんを作っている。やっとこのことが生きた。皮まで食べるのであれば、さすがに購入したみかんという訳にはいかない。ずいぶんみかんを枯らして、自然栽培でみかんを枯らさない栽培法を見つけた。夏の間から、みかんの根元に、そばかすを大量に撒く。これを繰り返す。そして2本あるみかんの木の1本は青い内に実をとってしまう。これもジュースにする。あるいは絞って使う。みかんの木には隔年で実を成らす。一年ごとにおやすみをさせてあげる。こうすると消毒を全くしないでもみかんの木が枯れない。今、やっとみかんが色づき始め実っているのだが、この時期でも葉の緑色は他所よりも濃い。一年中他所より緑が濃い。元気いっぱいの様子である。

そして、1年が過ぎた時に視野検査をすると、何と左目は完全に見えるようになっていた。より悪い右目も、少し回復した感がある。私「先生、直ったではないですか。」先生「なるほど、前回の検査が失敗でしたね。」私「でも右眼もだいぶ視野が回復してきたようにも」先生「そうですね。視野検査に慣れてくるとこういうことも起こりますね。」緑内障は医学的には回復することはあり得ないという医学結果。こうなるとますます、丸ごとみかんである。丸ごとみかんは生きる希望である。さすがに緑内障が治ると思っているわけではない。エセ科学は大嫌いだ。直らないとしてもである。もしや、もしやの丸ごとみかんである。人間希望を失えば、元気を失う。元気を失えば、病気も悪化する。

わずかな希望という光が必要なのだ。その光を目指して、努力をする。丸ごとみかんなど陳腐だと言えば陳腐なことなのだろう。しかし、これは有機のみかん農家の希望になるかもしれない。皮を食べるのだから、農薬は嫌だろう。その上、皮ごと食べるからこそおいしいという事を発見したのだ。毎日みかん5個を食べて、体重がまったく変わらない。もう何十年も170㎝、54キロである。丸ごとみかんを信仰してから、みかん分だけカロリーは増えているはずだ。それはたぶん、これも多分で申し訳ないのだが、丸ごとみかんにある様々な薬効が体調を整えてくれているように思える。

どこかで、丸ごとみかんのスムージーの販売を始めてくれないものだろうか。

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主食作物を作る意味

2018-11-27 04:06:30 | 稲作

同じ農業をするのでも、私にとっては主食を作る農業は位置づけが違う。主食を作ることは生きる為の食という意味になる。食糧自給率を考える場合でも、主食は別に考える必要がある。麦を主食とする文化。ジャガイモを主食にする文化、トウモロコシ、タロイモ、農耕民族が誕生する歴史の中で、それぞれの主食文化が形成されたはずだ。日本という国はお米を主食に選らんだ。日本の気候と地形と土壌が稲作に向いていたのだろう。日本にやってきた様々な技術は、日本列島という地域の中で熟成された。世界にはさまざまな稲作技術がそれぞれに展開されたが、日本では国づくりの基本として、稲作技術の普及が進んだ。荘園制度の作られた平安時代に日本全体に広がった。6世紀ごろから、すでに日本全体に広がっていた稲作が、洗練された水田稲作として、とくに江戸時代に徹底整備されてゆく。鎖国された環境の中、各藩でこぞって新田開発を行い、水田技術の改良がされ、お米の増産が計られる。稲作によって安定して暮らすという事が出来るようになる。

弥生時代には先端技術だった稲作は、土俗的な民族文化と融合しながら、米信仰を生み出す。主食のコメは日本人の生活を一変させるほどの豊かさをもたらした。その稲作が、日本人というものを変えてゆくものになった。独特の地域形成をもたらすことになる。水というものを通して、人の暮らしが集団として成立する。地域の協力が不可欠な稲作。田んぼや水路を作るという水土事業のために、より大きな集団の力が必要とされてゆく。またその稲作技術が日本の全般の技術力を育むことになる。より優れた稲作をするためには、自然観察力が必要とされる。水のかけ引きひとつで、稲の生育は変わってゆく。里地里山の自然を大きく改変するのではなく、手入れを通して、上手く調和を作り出す。これが日本人の感性を育てる。良い里山が良い田んぼを作る。里山の薪炭林の林が、良い水を作り、田んぼに絞り水を運ぶ。田んぼは特別な肥料を入れることなく、3000年の循環する農業を可能にした。3000年同じ場所で暮らすことが可能になるという意味。美田を残すという意味。ご先祖と、子孫と向き合いながら生きる文化。これが稲作文化なのだろう。

麦を作ることも麦文化というものを形成したはずだ。ところが、麦というものの性質が、永続農業には不向きな作物であったのかもしれない。三圃式農業というものが考えられる。休耕する年を入れ、家畜を放牧する。収量が低く永続性があるというほどには安定しなかったようだ。ヨーロッパは狩猟民族という歴史教科書の説明がある。縄文時代の日本人はやはり狩猟民族的側面がある。あらゆる民族が狩猟採種の時代を経ている。そして、弥生時代からコメ作りによって農耕文化に変化する。ヨーロッパも同じで、狩猟民族の時代があり、麦を作る時代に変わる。麦を選択したヨーロッパの人たちは、領主制のような統治形態が複雑化してゆく。多様でひとくくりにはとらえきれない民族文化を形成してゆくことになる。民族の移動も麦の収量と連作の問題がある。定住する文化がおぼろげなものになる。近代化が早く、民族文化の消滅も一足先であった。そこには、麦を主食に選択するほかなかった、気候と地形と土壌の結果という事をもある。生産性が極めて低く、近代農業に移行するほかなかった。そのことから、プランテーション農業の展開に繋がってゆく。

トウモロコシを選択したインカ文明がやがて行き詰まった原因は、トウモロコシというものの作物的限界というものがあったと言われる。連作の問題、肥料の問題、生産性の問題。日本人がお米を主食に選択できた幸運がある。東洋3000年の水田技術を学ぶことができた有難さがある。遣隋使が一番に学んだものは、稲作の水土技術であったはずだ。宗教や芸術や、政治や学問も学んだのであろうが、それ以上に主食を作る技術を学んだはずだ。中国の稲作農家に住み込んで農業研修生をやった大和人がいたはずだ。そのことは歴史に多くは書かれてはいない。江戸時代のその主食を作る技術が極限まで磨き上げられる。限られた面積で、効率よく主食生産をする技術が完成する。これは、世界でも優れた水田技術である。但し、近代農業技術とは違う技術体系である。この3000年の循環農業の技術を再評価することが、日本人の競争とは別の生き方を生み出すことになると考えている。



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外国人労働者受け入れ反対

2018-11-26 04:35:04 | 暮らし

人手不足だから移民を受け入れると政府は主張している。ご都合主義と思わざる得ない。日本の労働力不足にはさまざまな要因があり、外国からくる人で穴埋めすることでは済まない。基本的な社会構造の問題から起きていることだ。政府は移民ではなく、技能研修生の受け入れ拡大だと、誤魔化し通そうとしている。このずる賢いやり方がアベ政権らしい。国民も自分の生活の為に良ければ、このごまかしを受け入れようとしているのではないか。労働力が不足している職場の賃金を上げればいい。給与体系が、知的労働重視になっている。肉体労働を嫌う日本人も、給与が辛さに見合うほど高ければ働くはずだ。農業分野でも、人件費を高く考え農産物の価格を高くすべきだ。労働力不足は外国人労働者ならば安く使えるという考えに過ぎない。受け入れの法案が不十分であっても、困るのは外国人労働者なのだから、少々のことは構わないという姿勢が見える。今回のいい加減な外国人労働者の受け入れが、ひどい人権侵害につながる。しかも、なし崩し的に実質移民の受け入れ状態になるに違いない。もし、どうしても外国人労働者を入れるというのであれば、正面から移民問題として取り組まなければならない。

この人手不足は、肉体労働を嫌う日本人という問題なのだ。安すぎる肉体労働の労賃の問題なのだ。これを正面から考えてみるべきだ。農業分野、漁業分野、工事現場、介護職。身体を使う労働を外国人に任せていいはずがない。外国人労働者導入の先行した韓国では、韓国人の就職難が起きている。職業に偏向が起きている。割りの良い仕事、きれいな仕事、上の階層の仕事と、えり好みするようになる。社会が分断され始めている。日本で暮らす人々が人種的に日本人であろうが、無かろうが構わないが、等しく同じ社会で同じ人権を持って気持ちよく暮らしたい。フランスや韓国は6%の外国人労働者だそうだ。という事は職場によっては偏在が起こるのだから、半分は外国人労働者という職場が普通になる。地域によっても半分は外国人という社会になる。これは移民を受け入れた社会と同じ事だろう。こうした前提で考えた上で、起こるであろうと問題を想定して、解決法があるのかを検討する。無理なのであればやめるべきだ。

日本は間違いなく、世界でもトップクラスの外国人労働者に不慣れな国だ。そのことから悲惨な研修生の置かれた立場が見えてくる。技能研修生の逃亡に繋がっている。その実態調査が不十分と言われている。初めから逃亡するつもりで日本に潜り込むために来る人もいる。日本人と結婚することで、日本人になるために来る人もいる。不法就労の方が儲かると知って、職を代わる人もいる。犯罪的行為の方が儲かるというので変わる人さえいる。一時的に働きに来ているという立場であれば、それは旅の恥は掻き捨て的である可能性が高くなる。しかも、常識や、社会通念の違う国から日本に来るのである。良くない結果になることを考えておく必要がある。外国人労働者を緊急対策に利用するのは間違いだ。日本社会が大きく変化し、根本が崩れ始める原因を作るだろう。深読みかもしれないが、アベ政権の本音は、階層化し分断の始まっている日本に、外国人労働者というさらなる下層階級を作ることで、ガス抜き効果を狙っている気配を感じる。肉体労働を低賃金で固定する結果になる。

行うなら移民を受け入れるべきだ。その覚悟を持ち、法的にも移民を受け入れる体制を整備する。日本社会が本当に移民に耐えうる社会とは思えないが。先ず移民を受け入れた国の現状を研究すべきだ。ほとんどの移民を受け入れた国が、移民受入制限に向っている。アメリカは移民社会である。移民でできた国だ。今も移民を大量に受け入れている。何が、アメリカの成功になったのか。他にもたくさんある移民の国と何が違うのか。そして今になって、メキシコ国境に壁を作ると主張して、不法移民は拒否している。世界の格差が広がっている。国が崩壊するような状況が拡大してゆく。国が崩壊状態であれば、人は逃げ出してゆく。その逃げだした人々の行き先が、経済先進国という事になる。この安価な労働力を上手く利用した国が、国際競争力を高めるというような、人権無視の状況が生まれようとしている。競争に勝つために、手段を択ばないという事は、勝利者をもむしばむことになる。この点をよくよく検討しなければ。


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舟原溜池の秋

2018-11-25 04:19:04 | 地域

石垣に行っても美しい久野里地里山協議会の活動は続けるつもりでいる。この会は住所に関係なく参加できることになっている。動ける間は参加させてもらいたい。久野でお世話になった方々との良い関係を続けたいと思っている。欠ノ上田んぼも里地里山協議会との関連がある。一か所3畝だけ協議会として神奈川県と協定を結んだ田んぼがある。この田んぼの管理だけは、動ける間は自分が続けたいと思っている。この田んぼの地主さんが小林栄一さんで私を久野に誘ってくれた人だ。もう亡くなられたのだが、縁を忘れたくない。もう一つある。舟原ため池の活動も、まだ軌道に乗っていない、ため池保全活動を里地里山協議会の役割にお願いした、私の責任がある。会として小田原市と契約を結んでいる。この2つは出来る限り継続したいと考えている。田んぼの方は水管理までは出来ないとしても、田植えや稲刈りに来るぐらいは、昔の藤垈では普通にあったことだ。盆暮れ正月は奉公人の帰省だが、田んぼの手伝いで帰省するという人もいた。

 

ため池に秋がいつまでも来ないと思っていたのだが、さすがにここにきて秋らしくなってきた。あまりきれい名も色づきではないが、草はさすがに枯れてきた。冬の間は草刈りの必要がないのでありがたい。突然、水が来なくなった。昨年は冬の間もいくらかは水が来ていたのだが、今年は全く沢の水が途切れた。こういう年もあるのか、あるいは沢のどこかで何かが起きたのか。まだ調べてはいないが、不安になる。こういう年にはたぶん久野川から水を回したはずだ。今でも水を回すことは不可能ではないが、水の問題は歴史的なこともありそう簡単ではない。これを解決出来るのは役所の役割だろう。水の少ない内に直さなければいけない箇所がある。田中さんは12月やると言われていたが、私が小田原にいる間だと良いのだが。

 

美しい久野里地里山協議会は今年農林水産大臣賞を受賞した。地域の農業者の村づくりが評価された。村づくりの事例として、神奈川県から選ばれるのは久しぶりのことらしい。あまりよく内容は分かっていないのだが、こうした賞を受賞したことから、新しい会員が増えて欲しいものだと思っている。こうした機会を利用しての広報的役割ももう少し行政が担うべきではないか。市の広報にうまく乗せてもらいたいものだ。会員の多くは久野の農業者として中心になっている方だ。極めて忙しい。何をするにも、その忙しい人が無理をして出て、活動することになっている。申し訳なくてならない。確かに農業者の人は実践力が高い。市民ボランティアと呼ばれるような人では、なかなか代替えが出来ない。しかし、将来の活動を考えれば、新しい人の参加は不可欠なことになる。

 

カキツバタが楽しみである。何とか根付いているようだ。来春は花が来るのだろうか。一面がカキツバタになれば、人を呼ぶことだろう。人が来るようになれば、ため池は管理もされてゆく。カキツバタを植えることを批判して、里地里山を止めた人がいた。ビオトープの方が良いというのだ。ビオトープにしたら、外来植物の荒れ地になってしまったではないか。地球博物館の研究員もカキツバタを植えることを、今無い植物を持ち込むのは良くないと言われていた。ではどうすれば、溜池の荒れ地化を防げるというのであろうか。小田原市役所はため池が小田原市の所有地であるという意識はあるのだろうか。自分の土地は自分で管理するのが当たり前のことだ。耕作放棄農地を良くないと、呼びかけていながら、小田原市の土地を耕作放棄しているようなものではないか。ちゃんとやってくれなければ、とお願いしたら、そんな市有地はいくらでもあると、市の方がうそぶいていた。別段草刈りの手伝いなど来なくてよい。行政でなければできないことを探してやる。この姿勢がなければ、市民協働等絵に描いた餅になる。

 

 

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小麦大麦の播種

2018-11-24 04:10:58 | 自給


昨日小麦と大麦を蒔いた。例年11月11日に播くことにしていた。今年は23日になってしまったので少し、遅くなった。小麦が3畝、大麦が1畝だけである。今年の作物の様子を見ていると、冬が遅れているので、少し遅れたぐらいがちょうどよいのかもしれない。例年11月11日に雪の便りが、今年はちょうど今頃である。大豆は7月7日の七夕と決めていた。別に理由はないのだが、覚えやすいのでいつの間にかそう考えるようになっていた。3月3日のひな祭りは農作業開始日。などと自分なりに決めていた。根拠はないが、なんとなく奇数の日が重なるので、面白いと思いそう覚えていた。小麦を作るのも今年が最後になるのかもしれない。冬の間、小田原に長くは居ないような気がする。やはり冬の過ごしやすい、石垣に行きたくなるのではないだろうか。昨日タマネギ畑の準備もした。という事はタマネギの苗作りは最後に失敗で終わりという事か。若干情けないものがあるが、充分という事はなかなかないものだ。


麦の播種は久野の三国工業の上に借りた、新しい畑である。例年は大豆の後に小麦は播いていた。ところが今年はまだ、大豆が収穫前である。こんなに大豆が遅れた年は経験がない。20年は作ったが、12月に入っての大豆の収穫は経験がない。大豆の後はジャガイモを作りたいという話もあり、予定していた小麦の播種の場所が大豆の収穫が終わっていたとしても、でき無くなっていた。それではと、舟原田んぼの下で、岩本さんがトマトを作っていたところでやるという事になった。その予定でいたら、今度はそこは薬草を作るという事になった。いよいよ、小麦はもうやらないのかと思っていた。種を残すだけでもやった方がいいのに、と思っていたら、欠ノ上田んぼの地主さんにお礼のお米を持って行ったらば、空いている畑があるのでやらないかという話があった。その場所が三国工業の上の畑である。緩やかな傾斜で2反という事だったが、結局4畝という事になった。前からやっていた方がいて、まだやりたいという事らしい。それはそれでいいので、ともかく1年間4畝だけ先ずはお借りするという事になった。

すぐに、ソバカスを20袋入れてトラックターで耕した。2日だけだが間を空けて、小麦と大麦を播種した。麦の会は5名の参加希望者が居るが、種まきは4名の参加だった。朝8時から1時間ほどで播くことができた。ゴンベイ播種器で播くので始めればすぐ終わってしまう。本当はそばかすを撒いてもう少し日を空けたかったが、すでに遅れているので、急いで播くことにした。冬の間なので、生ソバカスでも肥料当たりすることはないという事にした。70㎝の畝間を空けた。畝間を耕運機で間を耕して、草取りと土寄せをする。少しは楽。4畝ぐらいなら、手でやってもさほど違わないが。様子次第だ。麦は追肥が重要。2度は追肥をしたい。追肥もソバカスがいい。燻炭が沢山あるので燻炭を撒けば霜抑えになるかもしれない。草取りは大体初めての畑では問題がない。続けていると、ネズミ麦やカラス麦が出てくる。

麦を終えてから、タマネギの準備に出かけた。場所は諏訪の原圃場。こちらはすでに渡部さんがトラックターで耕し始めていてくれていた。こちらには17人参加なので、区割りを17名分作り、あみだくじで場所決めをした。私は8番だった。ベットは1メートル幅で長さが11m。かなり去年より広い。両側に60㎝の通路がある。通路になる予定の場所を掘ってベツトを盛り上げる。ベットが高くなっていると、草取りが楽だからだ。去年は黒マルチを使う場所と、使わない場所とを比較をした。しかし、結局のところ黒マルチをしたからと言ってよくできたわけではなかった。草取りが少し楽という事もあったが、相当に厳重にしたのだが、風に吹き飛ばされ、面倒くさいことになった。張るのも面倒だし、ごみも出す。自給タマネギには黒マルチはいらないというのがける論だ。しかし、冬の間はトンネルをやろうと考えている。久野の畑は寒すぎてタマネギにはきついようだからだ。

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家庭イネ作りのまとめ

2018-11-23 04:44:00 | 稲作
農の会では25周年記念の冊子がほぼ完成した。表紙の打ち合わせが終われば、印刷に出す段階まで来た。農文協で出させてもらう自分の「家庭イネ作り」の本は本来ことしの春に原稿が出来上がる予定だったものが、延びて来春になりそうである。農の会のイネ作りの方が逆転して先にできたことになった。両方を同時に進めることも出来なかったこともある。ここから自分の方の「家庭イネ作り」の原稿にはいる。3つの方針がある。
〇自給イネ作りが大切なものである主張。
〇有機イネ作りは優秀な栽培法である実践紹介。
〇誰にでも可能な技術としての科学性。

イネ作りを始めたのは、30年前からである。山北の山の斜面を開墾して田んぼを作った。全く経験のないまま自給自足の暮らしへの思いだけで始めた。田んぼを作る原点からやってみたことが、とても良い経験になっている。機械力を使わず、シャベルだけで試行錯誤をした。そして20年経過し、10年前ころから安定した技術になった。その方法は江戸時代の農法に近いものになった。なるほどこれが、3000年の循環農法なのだと納得できるものになった。永続性、再現性のある技術という意味である。それは自然の変化に応じる対応力がある技術である。イネ作りには100枚あれば100の違う栽培がある。土壌や水が違えば、同じことでは通用しない。大切なことは稲の状況を見てそれに応ずる、状況判断である。1年で出来ないことも、5年後にはできるという目標を確立させた、土壌環境の育て方である。ここは再現性のある技術になっている。どこでも誰でも同じようにやれば可能だ。農の会の多くの仲間と100か所の田んぼ失敗を重ねながら耕作した結果、そういう事が確信できた。

稲作を大量生産の工業製品と同じものにしようとしたのが、近代農法なのだろう。そこそこのに出来で良いから、機械化して、安価なコメ作りを目指した。機械力を使う技術に稲作技術は変化した。当然、化学肥料を使う。予防的に農薬も使う。土壌を育むというより、どんな土壌でも可能な農業技術が探求された。しかし、そうした農業は生産農家には向いているとしても、家庭菜園のような「自給のイネ作り技術」には不向きな農法になっていた。例えば、農協で作られる機械植えの苗を購入することが普通になった。この苗で作る以上限界がある。対応力のある苗は出来ない。田んぼで自家採取した種を用い、苗床で作る苗とは、雲泥の差になる。最高の苗は5葉期の苗である。機械植えが難しい。しかし、自給の為のイネ作りであれば、手植えが可能になる。自給のイネ作り技術は、近代農業の技術とは違っていたのだ。しかも自給のイネ作りの方が、多収できる上に、素人にも可能なものだった。このことに気づいて、どうしても本にまとめたくなった。

江戸時代の人はお米が命の根源であり、信仰の思いさえ持っていた。人間が生きる基本が食べ物にあるからに違いない。食足りて礼節を知る。生きる前提が食である。食が工業製品と同列になることで、食の意味が不明瞭になった。このことから、日本人の生きるという事まで不明瞭になったのではないか。日本という国は食糧の自給が40%であっても、輸入すればよいという不安定な国になった。誰もが、コンビニに行けば何でもあると思い暮らしている。自然災害のたびに、その油断が指摘される。生きるという意味の曖昧さに繋がっている。主食のお米を作るということに家庭イネ作りの意味があると考えている。自分で家庭コメ作りをしてみる価値は、自分の生きるという事の再確認になるのではないか。過程コメ作りは生きる確認の為に行うという事を書いておきたい。

だからこそ、コメ作りの技術は簡単で誰にでもできるものでなければならない。コメ作りは日本の水土に適合していて、野菜よりもはるかに簡単なものになる。田んぼという非日常の空間が、壁を感じさせているかもしれない。土を汚いという意識、これを取り除きたい。田んぼの土壌と土が手順さえ間違わなければ、自然という偉大なものが、自分の力を助けてくれる感謝。畑の雑草よりも田んぼの雑草の方が管理さえ間違わなければ、抑制されたものになる。一人の自給に60キロのお米が必要だとすれば、100㎡の田んぼで良い。これほどお米は生産性が高い作物だ。古代文明が今に続いているのは、米作り文化だけである。お米が主食に最も適合していることは間違いがない。気候変動にも最も対応力が高い作物なのだ。しかも、環境を維持し保全してゆく力を兼ね備えている。水が環境に対して緩衝材になる。水のかけ引きさえ間違えなければ、体力はなくともできるのが稲作だ。

こういうことをこれから1か月かけて、まとめてゆきたい。

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日産ゴーン会長の犯罪

2018-11-22 04:08:15 | Peace Cafe
日産ゴーン会長の犯罪が明らかになった。驚くことはなかった。そうだろうと思うばかりだ。企業というものは自己利益の為に動いている。建前としては社会貢献などきれいごとを言っているが、現代の企業は企業のことだけになっている。一企業主義、国際競争力の結果という事なのだろう。日産のゴーン会長が内部の謀反にあったという事になる。50億円というような所得隠しをした犯罪者でも、テレビでその手腕を評価する人が相次いで登場している。ゴーン氏は有能だったというのだ。中国を高度成長に導いた、登小平氏は「白い猫でも黒い猫でも、鼠を捕る猫が良い猫だ」と時代の先を読んだ名言を吐いた。ゴーン氏は黒い猫だったのだろう。そもそも10億円の年収を貰うというので、日本社会ではびっくりしてしまった。当人は堂々と世界の経営者の給与水準から見れば、別段高額ではないと居直っていた。倒産しかかった日産の建て直しを達成したほど優秀なのだから、それに見合うお金は当然のこと。世間はそういうものかと説得された。ところがその裏でもう10億円誤魔化した。どれほど有能であろうと、そんなにお金をもらう必要は全くない。世界がどんな意地汚い世界に変わろうと、日本は美しい国であってほしい。

この嫌らしい風潮がいまだもてはやされているホリエモン主義というものであろう。儲かれば正義という考え方だ。こうした考えが蔓延している。これが能力主義の最終形であろう。この背景にある考えは、無能な人間は屑だという考えになる。無能であろうが、有能であろうが、人間としての価値は変わらない。これが従来の人権に対する考え方である。しかし、人間には価値のある人間と、価値のない人間が存在するという事になり始めている。省庁の障碍者雇用のごまかしなど、まさに本音が暴露された事件であろう。能力主義は最後の差別なのだ。能力主義が突破できない限り、世界は対立が深まり、爆発に向う。芸術の分野は時代の先を行くと言われる。天才画家によって、新しい絵画が確立された時代が20世紀であれば、つぎは自分の為の芸術の時代になる。装飾絵画とか、イラストとか、アニメとか、実用の平面作品は職人として残るが、芸術行為が内的な別分野になる気がする。絵画の芸術としての意味は、作品を制作するという側の意味に集約されてゆく。

つぎの時代は、能力主義とそれに抵抗する内向きに生きる人間の時代なのだろうか。企業社会が能力主義と利益主義に特化してゆく中、人間が生きるという事はまた別のものとして、分離されてゆくという事ではなかろうか。人間が生きるという原点は別段優れた人間だけのものではない。能力が無かろうが生きる権利もあるし、そういう最低限の条件が無くなれば、社会は成立していない。今後社会の分断が深刻化し、経済格差もさらに大きく広がるであろう。分断された社会は力で制御する社会になる。富裕層がいつも警備に取り囲まれて檻の中で豪勢に生きる社会である。対立は深まり、最後には暴動や革命に至るに違いない。これはマルクスの予測した未来に似ている。そうなる前に社会は変わらなければならないはずだ。それが、修正された新資本主義のはずであった。利益を独占せず、分かち合う資本主義。有能な人間こそ、このままでは世の中不愉快なものになると気づかなければならない。有能であるからこそ、能力のないものを助けるような人が現れなければならない。

残念ながら最近、かなりあきらめ気味である。ゴーン氏やホリエモンに勝てそうもない。ああいう、厚かましい人間と対抗することを考えるだけで、疲れて諦めてしまう。もうそういう事は忘れて、弱い者同士力を寄せ合い生きるしかないのではと考え始めている。敗北主義かもしれないが、敗北しても自分の人生を良く生きたい。こういう能力主義の世界になると、むしろ怖いのは弱い者同士のいがみ合いである。弱いものは虐げられて、猜疑心が強くなり、汚くなりがちである。弱い人間こそ、清らかに生きることができるかである。その為には自給生活を大切にする必要がある。農業分野にも、おかしな国際競争力が叫ばれ、ホリエモン的新規就農者が登場している。そういう人間がもてはやされる社会。こういう意地汚い人間を地域農業に近づけないことだ。そうしないと、地域の農業がめちゃめちゃにされることになる。悪貨は良貨を駆逐する。ホリエモン農業者が、心優しい新規就農者を食い物にすることになりかねない。最近これを一番恐れている。

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下村博文自民党議員とは何者なのか。

2018-11-21 04:00:01 | Peace Cafe
下村氏は憲法審査会のまとめ役である。にもかかわらず、憲法がどういう意味のものか理解できていないのではないか。憲法を普通の法律と同列に判断しているようだ。野党が職場放棄しているという驚くべき発言である。憲法に関しての議論は自民党案を基本にして、修正して国会に出すというような法律レベルの判断だ。下村氏は「女性記者が次官からセクハラを受けたことを、週刊誌に売ること自体がある意味で犯罪」と発言したことがあった。その講演でさらに、「日本のメディアは日本国家をつぶすために存在しているのかと、最近つくづく思う」と語っている。まったく驚くべき政治家である。さすがアベ忖度政治家である。何か意図的な行動なのだろうか。あるいは単に無知蒙昧な政治家という事か。日本国家というものをつぶすために存在しているのが、いまやアベ政権ではないかと言いたい。アベ政権はこういう意味不明の人間を憲法を取りまとめる立場にして、適当に操縦する。日本の女性記者は大いに声を上げて欲しい。日本の女性蔑視の実態を正す必要がある。一人の問題ではない。一人の声で終わらせればさらにひどいことになる。勇気を出して告発した人間が、犯罪扱いで終わる。福田元事務次官が居直った背景には、下村氏の様な保守党議員や官僚の根深い女性蔑視の意識があるからだ。今度は下村女性蔑視議員が憲法を取りまとめるという。 ここで終わらせないという事は、まず早急に福田氏を懲戒免職にしなければならなかった。職務が果たせないから辞職など、何を勘違いしているのかと思う。冤罪なので裁判闘争をするそうだ。本当にやっているのか。女性の記者全体を甘く見ている。日本の国民の目を甘く見ている。私の所にまで、福田氏を擁護するコメントが来る。そういう事が巷に広がっている。人間というものの尊厳は等しく万人にある。日本国憲法に示された人権という物への理解が欠けているのだ。権力の上に立つものほど、厳しい人権に対する認識が必要である。日本が人権後進国であるという事を深く反省しなければならない。政府はこの事件が国会審議を妨害しているとして、野党の態度を批難している。憲法審査会と同じ構図である。審議拒否の前に審議に入れる前提を作るべきだ。この事件を曖昧にしている国を日本とは呼んでほしくない。余りに恥ずかしいことだ。

下村氏は文科大臣の時に加計学園から政治献金200万円貰っていた。今回の撤回した発言の言い訳を自分のホームページに掲載している。全く問題を理解できないでいる。理解力が足りない人なのか、悪意が黒い腹の中にあるとしか思えない。こんな女性蔑視の、憲法無理解の人が日本の教育を再生を主張するなどおこがましいのではないか。明らかに福田氏の発言を信じて、女性記者の発言を疑っていたのだ。まず被害者の声に耳を傾けるのが、人間の在り方だ。偽りの告発であるかどうかの方向にすぐ意識が行くという事が問題なのだ。まず上に立つ人間が、被害者に寄り添う事だ。下村氏の生い立ち伝によると、幼少時に父が死んだ。貧困の中で育ち、教育は権利だと考えるようになったとある。なぜそのような人が、弱いものの側に立てないかである。弱いものの側に立ち、たとえ騙されても構わないではないか。強い者の側の主張に便乗しての発言を恥ずかしいと思わうべきだ。下村氏は、生い立ちを思い起こして、この被害者の声を疑う感覚がどこから来たかを反省するところからやり直すべきだ。そして憲法に関して、根本から議論をすべきだ。自民党案の修正の前に、憲法とは何か。立憲主義をどう担保できるのか。憲法裁判所を作らないで良いのか。そういう議論から始めなければ、憲法の改定は出来ない。 下村氏はいよいよ、憲法改定を担う自民党の責任者になった。人権意識の低い忖度人間だからこそ、自民党は憲法改定を任せて良いと考えているのだろう。むしろ、人権問題や教育勅語を語ることによって、アベ内閣を支えた貢献で、自民党の憲法改正推進本部長に下村博文氏が任命されたのだろう。何のための憲法改定なのかが見えてくるようだ。

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石垣の住民投票請求

2018-11-20 04:06:00 | 石垣島
石垣島では自衛隊ミサイル基地のすでに設置準備が進んでいる。既成事実化するために、今年度中に着工しようと防衛施設庁と中山市長とで画策している。来年度に入ると新環境条例による、環境アセスメントを行う必要があるからと言われている。その前にかたちだけでも着工しようという、姑息な考えで進められている。すでに地境杭の敷設を行い、隣接地に立ち入ったというのでもめ事も起きている。一方で、石垣の若者たちが中心になって、自衛隊配備の是非を問う、住民投票の請求が現在行われている。11月末日までに1万名の署名を集めるという事である。現在4000人の署名が集まったと言われていた。もし、多くの住民が希望する結果になれば、与党議員の中にも2名の方が、住民投票に賛成するという事である。住民投票をしたとしても、自衛隊誘致が決まるという考えだそうだ。住民投票を行うことになるかどうかは、それほど時間のかからない間に決まりそうだ。それを待たないで着工するというのは、問題がねじれる原因になる。

米軍辺野古基地拡張でも似たような経過をたどったために、現在でも住民の分断が起きている。性質の悪かった仲井眞知事は、辺野古反対を選挙では主張していたにもかかわらず、辞める直前にどんでん返しで基地着工を承認した。これが辺野古問題を捻じ曲げ、長引かす原因になっている。どういう結果になるにしろ、住民投票を行い住民の考えを確認すべきである。与那国島では住民投票を行い、基地建設を認めて、基地が設置された。その結果は住民自身が引き受けるのが、民主主義である。私は基地はない方がいいと考える人間である。しかし、そこに暮らす人間が必要だという事で選択するのであれば、それが最優先されるべきだと考える。それは与那国の選択でもそう考えて、このブログでも以前そう書いた。石垣島で大切なことは、地方自治の民主主義の手順である。防衛に関しては国の専権事項であるからと言って、住民の意思を無視していいはずがない。住民と十分に話し合い、理解の行き届いたうえで、住民投票を行う。そしてその意思が最も尊重されるべきものだ。スイスが永世中立を保ち、国民皆兵を引いている背景には、直接民主主義がある。住民が自己本位で国のこと等考えないというような、住民を低く見ることは民主主義ではありえない考え方である。

石垣に基地があることが、石垣の安全につながるのかどうか。まず、住民は自分の命を守る観点で判断するであろう。所が、石垣に日本の防人に成れというのが、日本会議の主張である。日本の保守層は自己本位なのだ。沖縄に犠牲を強いるのが、アベ政権の一連の行為である。尖閣諸島を棚から降ろしたのは、石原都知事である。尖閣を問題化して、中国の脅威を煽ろうという考えである。中国が日本を占領してしまううような危険な国家であることに、国民が気付いていないという、馬鹿げた発想による行動だった。トランプ一国主義が世界の緊張を高めている。力による対立はいつか爆発につながる。強いはずのアメリカが、実は中ロの共同戦線に対抗するには危ういとう軍事分析が国防総省から出ているそうだ。アメリカはさらに軍事力を強化することだろう。ロシアも中国も同じ歩調をとるだろう。こうした軍事大国の疑心暗鬼の軍事力の拡張合戦が戦争につながる。日本の軍事力など、たかが知れている。せいぜいアメリカの捨て石作戦にされて終わりである。

軍事力に頼らない平和外交以外に世界平和はない。日本国憲法がいくら理想主義的であろうとも、崇高的な目標であろうとも、これ以外の道に世界平和はない。だからこそ、自衛隊は専守防衛つまり、国土保安隊に戻すほかない。災害支援隊でもいい。外国からの攻撃を、自然災害と同列に考え対処する。軍事力で相手の攻撃を抑えることなど、すでにトランプアメリカさえ不可能という事だ。これだけ核兵器が広がってしまった状況で、日本が核武装もできない軍事力であれば、あくまで専守防衛をうたいつづけるべきだ。それが平和外交の理念的背景になる。日本は絶対にあなたを攻撃はしないし、出来ない。この条件を保つべきだ。生半可の武力を持つことが大きな危険になる。こういう世界情勢と憲法の大前提で、石垣島にミサイル基地が必要かどうかを考えなければならない。攻撃力のないミサイル探知機器なら必要なのかもしれない。確か与那国島はそうではなかったか。ただし探知機能こそ場所を知られては軍事力にならない。当然船や、潜水艦で探知する方が効果的であろう。

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ブログの点検とその意味

2018-11-19 04:27:05 | このサイトについて
石垣の引っ越しを終え、二地域居住になるにあたり、ブログについて考えておく。 自覚として中レベルのブログである。井伏鱒二さんが好きで、あのような文章を書きたいと思うが、とうていそれは無理。大雑把で、適当な内容が沢山ある。誤字脱字不統一は数知れずで読み返して気付くと恥ずかしくなる。矛盾や誤解も多々ある。それは私の農業のやり方と同じことである。大雑把で、適当な自給農である。しかし、稲作では畝取りはしている。自然養鶏では自負がある。大雑把で、適当だからこそできたことだ。ブログもこの点では怖れていない。正確であることや、矛盾を避けようとしたら、行動ができなくなる。農業をやるという事は、大体の見込みで進まなければならない。自然を相手にする実践というものは、いつも方角を見て、風見をする。方角を見るという事はカンが重要である。大局観が重要である。細部にとらわれず、大局を見なければ方角は見えてこない。細部に矛盾があろうとも、おおよそ方角が伝わることを重視して書いている。多分、絵を描いてきた経験で出来たやり方である。

決めてきたことがいくつかある。まず、毎朝必ず書くという事である。旅行先であろうが、どれほど忙しい田植え時期であろうが、毎朝必ず書く。そうしないと、続けられないからだ。続けるとは平和憲法を守りたいという願掛けである。憲法を守るために私のできることは少ない。デモも時々行く。抗議文も書いて送ることもある。選挙では一番憲法を守ってくれる政党に投票する。しかし、ほとんどなにをやろうとも平和憲法が危うい。何もできることがないようにも思える。せめてもの思いで、祈願のように毎日ブログを書くことにした。今や、書いている間は憲法が守れるというような信仰の気分にまでなっている。以前は誤字の指摘や、矛盾点の指摘など頂くこともままあった。能力不足でもやるしかないので、謝るほかない。大切なことは平和憲法への祈願である。平和に関する文章は二割程度のすることにしている。もちろんすべてが平和につながるのであるが、直接的に平和に関して書くのは、時々書くと決めている。そうしないと平和に興味のある人以外は読まなくなるからだ。

政治的なことばかり書いていると、興味を持って読む人がいなくなる。稲作技術や、自給農のこと等も書いてある。その興味でついでに読んでくれたならば、なんか憲法の事も書いてあるな。という調子にしたい。本音で言えば、平和という事は暮らしという事だと思う。自分が喧嘩ばかりしていて、平和もないものである。平和に日々暮らしている。そのことが大切なのだと思う。私自身の暮らしを表現する。これがピースカフェブログの実際である。日々の暮らしのいい加減さも含めて、書くことにしている。まあ、格好をつけてしまい、なかなか実態というものは案外に書けない。自慢話は嫌味になるからできるだけ避けるようにはしているが、実際には多いかもしれない。コメントいうものを書いてもらう事にしている。時々書いてある。以前は必ず、わたしなりの反応を書いたが、全く無駄だという事が分かったので、今はコメントとして公開して、一ヵ月ほどしたら消すことにした。不愉快なものは読まずに消す。その位の対応がちょうどかと思うようになった。

ブログをあちこち読んでいると、ずいぶんとレベルの高いものもある。学ばせていただき、学べるものが沢山ある。努力をしなければとは思う。このGOOブログというものが出来てから2001年だそうだ。最初の記事は2006年のことだから、できて5、6年目の頃から書き始めたことになる。今度大きく変わると連絡があった。ブログも随分と変化があるようだ。期待して読んでいても、止めてしまう人が多いものだ。私の場合は、ブログが書かれなくなった時は病気なのか。死んだときだろうと思う。最近、百歳時代という。という事は来年は30歳である。つまり、次の年は29歳にしようと思う。逆算してゆくと百歳が分かりやすい。そのつもりで計画が立てられる。いまはあと31年かと思いながら、絵を描いて行こうと思う。毎朝ブログのお灯明を上げることにする。

 

 

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石垣、小田原2地域居住

2018-11-18 04:20:03 | 石垣島

やっとアトリエのものの配置が決まった。石垣の暮らしが始まった。楽しみにしていたが朝の散歩。石垣の街の中を歩きたい。昨日歩こうと思ったら、雨になり歩けなかった。今日は明るくなったら出かける。散歩という事はしたことがない。それだけの余裕がなかった。畑と田んぼの見回りである。これが日課だった。意味のことをするという事が、できない性格でもある。今度は石垣の街を散歩する。海まで歩いてゆき、戻ってくる。できれば毎朝の習慣にしたい。そう思って出かけようとしたら、突如である。石垣らしい激しい雨が降り始めた。今日はもう小田原に戻らなければならないが。散歩にだけは出かけようと思う。小田原の方でやりたいことが山済みで、すぐに戻る。また12月には石垣に戻り、石垣の暮れと正月という予定である。冬の間は暖かい石垣が良いに決まっている。小田原に戻りやることは「家庭イネ作り」の本の原稿をまとめるつもりだ。1か月ぐらいあるので、これに集中する。その間に、自給祭があり、名古屋での水彩人展がある。年賀状を書く。妙高岳を描きに行きたいなどと、やりたいことが次々とある。まず、一人で暮らす小田原はどうなるか。忙しすぎるのは良くないな。

小田原の家は絵を描くように配置変えを終えた。そこで、心機一転で年賀状を書いてみようと思っている。石垣への引っ越しの挨拶状でもある。毎年年賀状一枚一枚に絵を描いている。これが面白いので続けている。絵を描く自分の中の何かが開かれることがある。そうかと気づく事が毎年ある。250枚くらいを一気に描くから、見えなかった自分の何かが開発されるような感じになる。自分の中の絵を描く、契機になっている。そういう意味では、みんなで絵を描きに行く写生かとか、絵を語る会も同じように気持ちを切り替える場になっている。2地域居住も場を変えることに意味がある。小田原にいることと、石垣にいることが、絵を描くうえでよいことになってくれればとおもう。自分を超えるためには何かを変えなければだめだ。それが石垣なのだろう。

猫はあちこち探検しているが、まだキャットウオークには上らない。外に世界があることに興味も持たない。餌もちょっとしか食べない。石垣を探検して歩いてはいるが、まだキャットウオークには上っていない感じだ。肩の力が抜けていないのだろう。石垣のキャットウオークにのぼり、石垣が自由に自分の眼で見れるようになりたい。ゴッホはオランダから、都会のパリに出る。そして光あふれるアルルへ、アルルの光を日本のように明るいと書いている。石垣の光は日本で一番明るい。星空はまばゆい。五日、自分の眼で当たり前に自然に石垣を見たい。石垣の当たり前の絵を描きたい。それがどんな絵のかを、見てみたいのは自分自身である。 一村が描いた奄美は観光イラスト画だ。野心が捨てきれていない。あれは嫌だ。ああいうものを評価する世間が悪い。異国情緒等石垣もほとんど小田原と変わりはない。この変わりのないところこそ、意味がある。普遍だ。特異な場所を、得意になって描くのはいやらしい。よくある日本人のパリ風景である。私絵画は何を描くのかといえば、自分の眼で見たものだ。期待される絵画から自分の絵を逆算するのが一番よくない。つまらなくて、かまわない覚悟はしておきたい。さてどんな年賀状になるか興味のある方には送りますので、メールをください。

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石垣島の住民になって

2018-11-17 04:32:22 | 石垣島

猫5匹が石垣島の住民になった。飛行機の中はどうだったのだろう。とても心配だった。石垣空港ではなかなか、出てこないので心配でハラハラしてしまった。やっと出てきたのだが、じっとしていた。家に着くまでニャンともスンでもないのでますます心配になった。家に着いて、ケージを開けてやってもきょとんとして出て、来ない。2,3分して、のそのそと出てきたと思ったら、一斉に素早く隠れてしまった。3時間ぐらいは出てこなかった。その後うろうろあたりを探り歩いている。何とか大丈夫だったようだ。最初に出てきたのは、一番臆病なサーヤ、次に出てきたのは、2番目に臆病なうずらだった。一番強気の、ララは出てきたのは最後だった。まだ、落ち着かないようだが、何とかなりそうで安心した。よほど不安だったのだろう、今もまとわりついている。何か様子の違いが受け止めきれないようだ。

 

人間の方も本来の出来は猫と同じなのだろう。頭で理解するから、石垣に来たのだという事になるのだが、空気に慣れるまで、水に慣れるまで、土に慣れるまで、数年はかかるのだろう。かかるようでなければおかしいことになる。猫の反応のように時間をかけるという事も大事。昨日は持ってきた醤油で、石垣のマグロを食べた。これはすばらしいおいしさだった。今日は持ってきた2年物の味噌で味噌汁を作ってみる。石垣の水とあうだろうか。今年の二年物は小田原ではおいしいと思えた。小田原の水にあっていた。石垣の水との相性が気になるところだ。お風呂に入ってみて、石垣の水も悪くないと思えた。今までもホテルのお風呂には入っていたのだが、水を感じるほど落ち着いて、いなかったようだ。感触が小田原の水とは違う。小田原の水の方が肌に合うという感じだが。これも慣れなのだろうか。こんなことは大したことではないのだが、こういう事で絵も違ってくるのかもしれない。今回は絵を描けない。仕方がないことだが、残念。

身土不二という事がある。大豆を作るとその土地の大豆になるためには、時間がかかると思う。いくら丹波の黒大豆が美味しいからと言って、小田原で作ると違うものになる。何度もいろいろの大豆を取り寄せて作ってみて、食べてみて、丹波の黒大豆は丹波で作るのが一番である。小糸在来種を作っているのだが、この豆もだんだんおいしくなった気がしている。千葉県の大豆なのだが、小田原の水土になじんだ。この大豆で仕込んだ、味噌、醤油が絶品である。なじんだ私の舌がそう思わす。これから石垣の身体になるのだろう。39歳から69歳まであしがら地域で暮らした。69歳から99歳まで石垣で暮らしたいものだ。できる限り石垣のものを食べる。石垣島のすごいところは、石垣地域の有機農産物でほぼ暮らせる。こんな島は世界にも少ないだろう。キューバぐらいか。人口5万人の島で考えれば、数少ないのではないだろうか。50年前は世界中がそうだったのだろうが。身土不二の島石垣島は文化の奥が深い。

「八重山諸島は芸能の島と言われています。」アートホテルでの毎晩8時からの結心(ゆいぐくる)コンサートでの枕詞である。毎晩コンサートのあるホテルが、5,6か所あるのではないか。町の民謡酒場は30以上ありそうだ。となるとそこで歌者は育つのではないか。八重山民謡を学ぶために石垣に来たという人にも合う。芸能と食の島。食といえば、泡盛の古酒(クウス)だ。100年を超えるものがあったそうだ。1斗甕を3つ用意する。その3つを順次継ぎ足してゆく。古いものを飲んでは飲んだ分だけとなりの甕から移す。新しい甕には新酒を継ぎ足す。玉那覇酒造さんに玉の露をお願いした。これを順次クウスにしてゆく。これが石垣の暮らしのしるしだ。飲むというより、未来の誰かのためにクウスを残したいと思う。100年先の石垣の暮らしを思って今日を暮らす。クウスを作るという事はそういう文化なのだろう。石垣にこうした文化が生まれたのは、二重三重に支配されたからだ。自分たちの存在の場を文化に作り上げた。

 

 

 

 

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石垣島に猫が来る

2018-11-16 04:24:16 | 石垣島

アトリエの天窓、よいひかり。

石垣島引に猫が来る。今日昼頃に羽田から石垣まで5匹の猫が飛んで来る。猫の引っ越しが相当に悩ましいことだった。わたべさんが羽田まで車で送ってくれる。石垣島では猫を外に出せない。外に出たら戻れなくなる可能性がある。そこで、半年前から猫は家猫にした。長年外を遊びまわる猫として暮らしていたので、猫としては不満がある。時々は逃げ出していたが、だんだん家の中でも大丈夫になった。一番外に出たがる。福島から来た野生ネコのララが意外に外に出たがらなくなった。一番心配だったララが脱出を一度もしなかった。何時も鳥を捕まえては見せに帰ってきたララがどうしてと思うが、ネコというのは不思議な生き物だ。先に私が来て、受け入れ準備だ。まず、新築の匂いが問題。良く開け放ち空気を入れ替える。風がかなり通り抜けて、匂いが気にならなくなった。次は荷物の片付け。今日一日では出来ないから、自分のものから片付ける。

アトリエの床の様子。メープル材 

一晩、窓を開けたまま寝た。静かな夜だった。素晴らしい住環境である。11月に窓を開けたままでまだ暑いというのだから、すごい。インターネットの接続も終わり、やっと家がWi-Fi環境になった。新しいルーターにしたのだが、少し手間取った。バッファローのWTR―m2133hpというのだが、強い電波が飛ぶというのだが、それほどでもない。何か調整が悪いのか、石垣の電波が弱いのかこれからテレビを見えるようにしなければならない。こちらも手ごわそう。テレビを壁掛けにしなければならない。電気屋さんに頼むとこの器具を付けるだけで2万円と言われた。当然自分でつける。1時間で出来る工事だ。除湿機の接続もしなければならない。排水管に直接つなぐ。これで24時間運転が可能になる。アトリエの棚も作るのだが、今回はそれはできそうにない。

アトリエで大事なのは、床と天井。壁は当たり前に大切だが、壁は絵を邪魔しなければいい。壁は単調であればいい。壁は壁紙にした。絵を両面テープで止めてみるので、実験してみて、大丈夫な壁紙にした。床は明るくて、天窓からの光を反映してほしい。床は脚への感触まで気になる。当然明るい方が良い。一日光を眺めていてわかったことは、昼か五日書きたい。10時半までは南向きの窓も日が差さなくなるという事。朝日から10時半までの光が家の中に入る。これも予想通りでそういう窓の配置にした。窓から見えるお隣の庭が絵になる。描いてみた。明日には猫と入れ替えで小田原に行く。しばらく慌ただしいが、慣れなければ。

石垣の受け入れ荷物の搬送は、八重山港運がやってくれた。相当困難だったと思う。狭い道をなんとか2トンロングを入れた。2トンロングが入るという事が分かった。1時から始めて、5時半までかかった。6人の仕事だった。引っ越し仕事が毎日あるそうだ。最近のことだそうだ。石垣はいよいよ本格的な賑わいになりそうだ。なかなか丁寧な運び込みで、聞いていた粗い仕事とは大違いだった。毎日引っ越しをやっていれば、養生の仕方など、手慣れたものだ。開封設置という事で、ベットの組み立てから、洗濯機の設置までやってくれた。仕事の合間に聞いたのだが、やはり、石垣にコンテナで運ぶことは可能らしい。有明港に琉球海運のが支店あるからそこに相談すればいいらしい。沖縄輸送サービスというらしい。次に絵などを運ぶときは、家から2トントラックで荷物を運び、有明で自分で積み込む。石垣港で自分の車で、運び出す。ゆっくりやれば自分でもできそうである。

 

 

 

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