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老朽化コンクリート城問題

2023-07-31 04:58:45 | 地域


 小田原で城が再建されたのは私が子供のころの1960年のことだ。市民運動によって再建されたと書かれている。何でも深く考えない時代の勢いで、鉄筋コンクリート造りで作られたことになる。熱海に町内旅行で行くときに、小田原城脇を通過するとき、一瞬みんなで歓声を上げて眺めた。それからもう63年が経過している。

 63年という事は木造建築でない以上耐用年数が過ぎて、耐震補強をしなければ取り壊さなければならない。平成27年に補強工事を大大的に行った。木造再建運動も根強くあるのだが、延命策を現実的に行った。小田原評定らしく、決定的な判断は先延ばしにされたことが小田原城にふさわしい。

 お城ブームという事もあって全国に木造本丸再建の活動がある。中には元の形が分からないのに作ろうというところもあるそうだ。小田原城も完全に設計までわかっているわけではない。特に名古屋城の再建話が話題になる。木造再建の方向でかなり進んでいる。あの、バリアフリー問題はいかにも現代の再建問題だ。

 再建後の収支計画なども出ている。やり方次第で黒字化できると考えているようだ。私にはお城が黒字の施設になるとは信じがたいことだ。誰がお城など見たいものか。テレビでよくお城特集をしているから、お城に何度も行く人がいるのか。然し乗り鉄がいても鉄道は赤字路線ばかりだ。黒字化した場合はいいが、しなかった場合は誰が責任をとるのだろうか。たぶん名古屋市民という事になる。

 城というもんが嫌いだから、現在江戸時代から残っているお城以外は壊して公園にするのが一番だと考えている。日本には文化財指定されている城が12だかあるらしいから、それだけでもう十分である。何故嫌いなのかと言うと、日本の権力を見るような気がするからだ。嫌な武士文化の象徴だからだ。武具などが展示してあるのを見るとぞっとする。

 農業遺構は一切無視して、お城ばかり騒いでいるのが腹立たしいのだ。久野の棚田だって、小田原城以前から続いている棚田だ。行政がそういう眼でこの地域を見たことは、一度もない。そしてため池はごみ溜めにして埋めてしまった。天子台を掘り抜いた水路のトンネルは跡形もなくなった。

 歴史の断面は縄文時代出来るか。弥生時代なのか。古墳時代なのか。その後のことなのか。断面は重層的なものになる。古いからと尊いともいえない。重要な過去の区切りは、今につながる暮らしが見えるものである。久野で言えば久野に水田が作られ、人が多く済み始めたころの遺物であろう。

 小田原城では、江戸時代にこんなに木があったわけではないというので、巨木が大量に切られてしまった。どこに視点を置くかで歴史も変わる。歴史で何が大切か。大切なことは日本人の過去の暮らしである。お城など権力構造の遺構だろう。そうしたものを庶民が崇めるようでは恥ずかしくないだろうか。お城も多くの遺構と同じなのだ。

 名古屋城には、若武者の格好をした集団がいて何か演武をやっているらしい。歌舞伎者というのだろうか、正視しがたい見苦しいものだ。こういうおかしなものはアニメーションから派生しているのだろう。アニメゲームの大半が戦い場面なのだ。それも頭脳戦というよりも、指先の反応速度ゲームだ。

 お城ブームの背景を考えると、くだらない大河ドラマの影響もあるのだろう。大河ドラマというものを見たことはない。あんなものを作るNHKに視聴料を払いたくない。払いたくないがさすがにNHK党は嫌だ。私は問題ある期間の視聴料を払わないでいる。

 正式に払わない理由に関する質問状を出して、返事がないので判断のしようがないので、視聴料の払いを保留している。それなのに、一方的に繰り返し請求書が来る。何故、視聴者からの公開質問状に返事がないのか。督促が来た時に再度質問しているがいまだに返事がない。だから払うことも出来ない。なんと腹立たしいことか。

 NHKは批判精神を喪失した。NHKが大河ドラマという権力の歴史を、歴史のごとく放送しているのが、日本人を洗脳している。公共放送として、一体何を伝えることが役割と考えているのだろうか。文化のかけらもない。文化としての歴史をどのように考えるかの問題である。大河ドラマ張りのお城再建なら止めにしてもらいたい。

 権力者の歴史を崇めたいと考えるのは権力者だ。権力者になろうというような政治家の歴史認識は、権力の歴史なのだろう。それに乗せられている庶民の姿が、戦前の勝った勝ったとちょうちん行列をしている日本人の浮かれ姿を思い出してしまう。

 自分の足の下に続いている地獄の戦争が見えないのだ。報道の体制翼賛化とはこのことだ。お城ブームは軍国主義の足音である。お城など止めて、農業遺構で行こう。農業で日本人は生きてきたのだ。その原点を大切にした方が平和憲法の日本にはふさわしい。

 観光資源が増えるというのであれば、何でもかんでも悪いことではないだろうと、考える経済の時代である。観光の方向性を吟味すべきだ。石垣島にもグスク跡らしきものがある。フルストバル遺跡という。石垣が再建されている。戦時中軍隊がこの石垣を崩して飛行場の格納庫に使ったものを、再度戻したという事である。

 それでもすべてが戻された訳ではない。まだ当時の姿にはかなり遠い。当時の集落跡と考えることが正しいようだ。海の見える高台にあるという事は、海が見えることが意識されて作らている。宗教的な意味合いもあるのかもしれない。交易や漁業との関係もあるのかもしれない。集落には井戸や御嶽跡らしきものもあったと聞いた。

 当時の住居跡であれば、想像できる範囲で当時の住居址を再現する必要がある。歴史で大切なことは、当時の庶民の暮らしの手がかりである。アカヤオケハチの活躍よりも、当時の庶民がこの島で、どれだけ心豊かに暮らしていたかの方が大切なことだと思う。人頭税の弾圧だけではない。

 フルストバル遺跡を間違ってもオケヤアカハチの蜂起した城跡などにしないでほしい。ついでに書いておけば、石垣島で一番大切な遺跡は、多良間田んぼである。ここにはさまざまな庶民の歴史が現れている。多良間島に暮らしていた人は、何故石垣島迄来て田んぼをやらなければならなかったのか。石垣島の郷土史家からもこの場所は軽んじられている。

 あの美しい場所で何が行われたのかは、残すべきものだろう。税の徴収の問題がある。人頭税の時代である。薩摩藩、琉球王国の2重支配である。石垣島の安良地区の人たちとの関係はどのようなものだったのだろうか。多良間の人は納税のために石垣島で田んぼを作らなければならなかったと私は考えている。田んぼが好きだから石垣島で田んぼを始めたわけではない。

 歴史で大切なことは庶民の暮らしである。柳田国男氏はそのことを繰り返し書いている。そこを見直さなければ、この先の日本人の方角が見えてこない。島は予想外に豊かな場所だったのだ。柳田国男はマルクス主義歴史学者にも誤解されてきた。柳田国男を国粋主義だと見誤ったのだから情けない。

 老朽化したコンクリート城は熱海城と変わらない。早く取り壊し公園にするのが正しい選択である。
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第172 水彩画 日曜展示

2023-07-30 04:17:26 | 水彩画
第172 水彩画 日曜展示

 中判全紙 今回は「のぼたん農園」を描いたものを並べた。 まえに一度展示した絵は前の番号で出している。そのあと少し手を入れた。






309「草の海1」
2023.7







310「草の海2」






292「崎枝の耕地」
2023.6





311「緑の海3」
2023.7






992「のぼたん農園」
2022.12







293「のぼたん農園」
2023.6


 今週もなかなか絵が描けなかった。それでものぼたん農園の絵が少し進んできた気がしている。最初の309番の絵にまで来たという感じがある。草の海と、本当の海が逆さなってゆく。絵を描いたような気がする。絵を描くのと写生するの違いかもしれない。絵を描く感覚は、自分の線が引けている感じかもしれない。自分の意思が入った線で描く。

 写生の絵を説明すれば、自分の世界を求めず、眼に見えている状態をどう自分の絵という体裁の中へ、取り込もうかという事が絵を描くことになる。自分の体裁の絵とは、自分が良いと思う絵の体裁に合わせるという事だ。絵を創造するのではなく、すでにある絵の範囲で描くという事になる。

 「私絵画」の描くという事は、見えていることはあくまで参考である。糸口に目の前の風景を使うだけだ。見えている糸口から手繰り寄せながら、自分の世界観が現れてくるまで描く。それは絵として良いとか、悪いとかいう事にむかうわけではない。描いたものが自分の中の何かを探り当てればそれでいいことになる。

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あしがら農の会30年の報告

2023-07-29 04:26:22 | あしがら農の会


 あしがら農の会は設立され、30年が経過した。30年の時点での経過報告を冊子にしたいと思っていたのだが、無理そうだ。勝手にブログで、30年報告をする。あしがら農の会は、山北での開墾生活で自給が出来るようになって、足柄地域全体のみんなの自給に進みたいと思って作ったものだ。

 30年経ち、大きな組織になった。安定して続いている。私が小田原を離れてから、さらに組織は安定した。もちろん問題はあるのだろうが、良く継続され各活動ごとに立派な収穫を上げている。日本に必要な組織だから、こうなるだろうと初めから考えていたので、驚いているわけではない。

 足柄地域は農地の面積から言うと自給できる可能性がある。一人の自給が100坪の農地で出来たのだ。その計算であれば、有機農業で食糧自給は可能なはずだ。ところがそのことは誰も信じないし、やろうともしない。少しづつ始めて見ようという事だった。

 山北の山中で自給自足で暮らしていた。その農地のお隣の畑の所有者が川口さんというかただった。川口さんはMOAの方で、地域ごとに有機農業の組織を作りたいという考えを言われていた。その活動と私が呼び掛けていた、農の会の活動と重なり、山北で最初の農の会の活動が始まった。

 その背景には農業は経営できない。農業を続けたくとも続けられないことになる。農業者はこれからも減少してゆくにちがいない。農業者でない人間が農地を利用しないと、耕作放棄地が増加してゆくことになる。この認識は、30年前も今も変わらない。ただ30年前は予測であって、今は現実である。

 大企業農業は増加してゆくだろう。普通の農家はさらに経営が苦しくなるだろう。そして農家を止める人がさらに増える。一方で食糧自給を考える小さな自給農業が増えてゆくだろう。自給農業は経営ではないから、やりたいと思う人たちが始める。農業にはそれだけの魅力があるから当然の予測だ。大きな農業と小さな農業に二分されると考えている。

 あしがら農の会は農地が放棄されてゆくことをなんとかしたいと考え山北町で設立したものである。農地が放棄され、弱い場所が出来ると、それを悪用しようという人が現れる。廃棄物処理場や最終処分場である。その反対運動で各地で苦労していたのだ。

 その中心に活動していたのが、酒匂川グリーンホーラムという組織だった。グリンホーラムを立ち上げた山田純さんとの出会いがあった。一緒に反対運動を続けている内に、反対しているだけでは何も生まれない。何かを生み出す活動をしなければ、ダメだという事になった。その活動の一つに農の会の活動が加わることになる。

 あれから30年が経過して、予測通りに農地の放棄が進んでいる。農業者が農家経営が出来ないのだから、新規就農を奨励しても、農地面積は減少を続けている。あしがら農の会の役割は大きくなっていると言える。新規就農者の就農は経営的に厳しいものである。新規就農の政府の補助は手厚いものであるが、それでも経営が難しい。

 普通の市民が土日の農業を行い、自給できる形を提案してゆくことが、ますます重要になっている。政府も小さい農家を奨励するという事で、農家要件を小さな面積でも可能にしている。そうした自治体が増えている。副業を持つ小さな農家になるためにも農業技術を学べるあしがら農の会は、良い足掛かりになっている。

 あしがら農の会は有機農業で行っている。その有機農業技術は30年の試行錯誤が積み重ねられ、優れたものになっている。どの作物でも一般の農家の収量を超えている。有機農業の優秀性を証明していると思う。畝取りする田んぼが複数ある。小麦の収量が反収510キロになった。ジャガイモやタマネギや大豆も有機農業の本来の力を引き出し多収している。

 農の会の有機農業技術を普及するために、有機農業塾が行われている。指導は根守さん、吉宮さん、渡部さんによって行われている。月一回指導日があり、野菜の有機栽培技術を習得することが出来る。みんなが並んで自分の畑を作りながら、自学自習である。この同じことを並んで行う方式が勉強になる。

 有機農業塾ではその技術を普及するために、塾を開催している。根守さんの優れた指導と、渡部さんの大きな労力によって、野菜の有機農業技術が確立されている。ここまで高い生産性のある、有機の農業塾は他にはないだろう。ここから新しい農業者が育っている。

 農業機械を共同購入し、機械小屋を作り管理している。機械の管理は課題になっている。そうした費用は会費ではなく、各参加者が実費を払うという事で経営されている。農の会には会員名簿もないし、会費というものもない。小さなグループが集まって、農会全体が出来ている。この仕組みがうまく行った原因だと思っている。

 本来政府が農業機械の貸し出しを行うべきだと思う。そうすれば耕作放棄地は減少させることが出来るはずだ。非農家の農業は機械で行き詰まる。機械に詳しい人がいない。ちょっとした故障で農機具屋さんを頼んでいたのでは、莫大な費用が掛かってしまう。

 政府は農業者を支援するのではなく、農業者の入り口に対して支援をすべきだ。技術が高くなければ、有機の農業者にはなれない。これからの農業は有機農業である。特に自給農業をする人で、農薬を使いたいと考える人は少ないはずだ。農家だって自分の食べる野菜に薬を使わない人は多い。

 農の会通信は石井さんが編集を行い月一回発行されている。ホームページがあり、通信はそこにも掲載されている。良く長い間通信が継続されている。頭が下がる。石垣島で一番びっくりされたのがこの通信の存在だった。月例ですかと驚かれた。

 全体では200人くらいが参加していると思われる。田んぼの会が立ち上げ最初からあったもので、今でも一番活動が大きい。お茶の会と大豆の会も20年くらいの歴史があり、会員数も多い。ジャガイモの会、小麦の会、タマネギの会は、大豆の裏作で空いている畑を使う事で活動をしている。

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上野カプセルサウナ「SIZUKU]に泊まった。

2023-07-28 04:33:12 | 身辺雑記


 月に一回1週ほど小田原に行く。東京で用事があるので、そのついでに小田原に寄る。小田原に用事があるので、そのついでに東京に寄る方が実際かも知れない。どちらが重いと言うことでも無いのだが、2つ用事があるので月に1回石垣島を離れることになる。

 石垣島を時々離れることも必要な気がしている。何しろ2拠点生活を一応標榜しているのだ。目を改めると言うことがある。刮目するために場所を変える。見慣れてしまうと言うことは、絵を描く上で良くないことかもしれない。見慣れた上で忘れると言うことだろう。

 絵を描く為に見ると言うことは、小脳化する?まで見るというようなことだ。見ないでも分かっているのだが、その上で見ると言うことを大切にしている。記憶の中の風景なのだが、目の前にもある。見ているのだが、むしろ思い出して絵を描いている。

 見て忘れることは難しい。忘れた物を思い出しながら描くのはどうだろうか。これはさらに難しい。忘れられないほどまず見なければならない。親の顔と言っても描けるほど覚えている人はどれほどいるだろうか。自分の顔などほとんど見たこともない。

 このところ石垣島の農場が、かなり大変な作業が続いた。それから距離を置きたいと言う気分も無いわけではない。サウナに行くのは農閑期の湯治のような物ではないか。肉体労働者には必要なことだ。石垣島でもアートホテルのサウナには行くことがあるのだが、何故か、それほど行きたいとは思わない。

 石垣島の農業では農閑期など無いから、つまりいつでも農繁期の気候なのだ。いつでも田植えが出来るし、いつでも稲刈りが待っている。意識的に農閑期を作らないわけには行かない。と言って小田原には小田原の違う農作業がある。この農作業が楽しみなのだから、自給農業病の病膏肓である。

 身体を動かす事が一番信頼できる。頭よりは肉体を信頼している。動くことが好きなのだろう。だから坐禅よりも動禅である。ランニングが趣味という人がいる。高校生の頃陸上部の長距離班だったので、走ることは理解しているつもりだが、走ることを趣味的な物などとは到底言えなかった。

 楽しみでランニングしているという人の気分はいまだに理解しがたい。何故あんなに辛くて、嫌だったのに、走っていたのかと思う。辛いことだったからやり遂げなければならないと言うことだったと思う。途中で投げ出す自分が許せなかった。

 と言って走ることに目標があったわけではない。ある意味好きかってに、その日その日の限界まで走っていた。やはり、それは治療法だったとだと思う。陸上部に入った動機はノイローゼ改善である。聖路加の精神科に通った結果、運動でもするのもよいということである。

 ノイローゼと自分で思っていたわけではないのだが、回りがそう言うので、そうかも知れないぐらいだった。ともかくいたたまれない気持ちが強かったので、走って鬱憤晴らしをしていたのだろう。走ると走っている間は確かに忘れてしまう物があった。

 いたたまれなさは今も変わらないのだが、走る代わりに農作業をやり、絵を描いている。ひたすら何かをしていれば、忘れられることがある。忘れようとしていることが、耐えがたい物かすらよく分からないのだが、死ぬと言う現実かもしれない。今をひたすらに生きるというのは、死を忘れている時間。

 石垣島南の島空港を夕方に出ると、上野に夜中の0時前に着く。すぐに寝てしまう。上手く飛行機で寝ることが出来ることができた。シズクに着いたらサウナに何を置いても入った。そして眠た。

 最近上野のカプセルホテルも予約が取れないくらいに混んでいる。朝早く起きて、サウナに入り、気分を変えて東京の用事と言うことになる。前は上野のドウミーインに泊まることが多かったのだが、しずくのサウナが方が施設が良い。サウナも広くないといただけない。アートホテルのサウナは少し狭いのだ。

 カプセルで泊まることも今は慣れてしまい、家で寝るよりもむしろよく眠れるぐらいだ。本当はまずサウナにはいって、酒を飲んで寝ると言う、最高の手順にしたいのだが、どうだろうか。サウナには入り気分一心。酒はやめておいた。

 今度10月頃奈良に行くのだが、やはりサウナ優先で泊まれるところを探している。奈良健康ランドという所に泊まりたいと思っている。天理市にあるようだが、レンタカーを借りる予定なので、奈良周辺の天理市ぐらいであればどこでもかまわない。まだ他にもあるかも知れないので、少し探してみてから決めたいと思っている。

 奈良には大学の時の美術部の卒業旅行で行った。もう一度同じようなところを歩いてみたいと思っている。「あおに良し」というNHK連ドラがあったのだが、そのモデルになった日吉館という旅館に泊めてもらった。金沢美大の美術史の先生の紹介で、奈良巡りをしたのだ。当時奈良古仏巡礼が流行したのだ。

 日吉館は奈良に勉強に来る人しか泊めてもらえない旅館だった。格安で夕食にでる水炊きが美味しかった。もう文化を高めようという日吉館はない。日吉館だけではない。日本文化を大切にする人も場所も失われつつある。お寺や仏像は物だ。それを支える文化は人間だ。人間がいて始めて、仏像が文化になる。

 過疎化して行く地方。廃墟化して行く郊外。日本が失われて行くような危機感がある。日本人は大切にしてきたものを見失った。昔はもぅと貧しかったのだが、大切にしなければならないものをしっかりと持った人が各所にいた。そういう大切な人を中心に、日本は守られていたのだと思う。

 今回の1週間の小田原でも身体を使って作業をしたい。溜め池の草刈りは必要だろう。大豆の草取りはいるはずだ。このさきの小麦畑のことなども相談しなければならない。田んぼはどうなっているだろうか。これも気になるところだ。

 
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中国は寓話の国

2023-07-27 04:00:46 | 身辺雑記


 禅について時々考える。考えてもまるで分からないのだけど、考えている。絵を描いているときの心境は、禅の心境に近いのだろうなとは思う。自分と言う存在が、画面に対する反応になっている。禅は思量・不思量・非思量の関係性である。とよくいわれる。こういう分析はまだ分りやすい。

 禅は無念無想ではないと言うことになる。以下おもしろい話なので添付した。挿入されている話がいかにも中国らしくておもしろいのだ。中島敦が大好きなので、中国の逸話が特別おもしろいと昔から思っている。例え話で禅のような難しい話を分りやすく説明しようとする。

以下引用
 坐禅の実践のうえで思量・不思量・非思量の関係性を明確に、しかも具体的に提示された解説としてご紹介したいのは、橋本恵光老師の解説です。橋本老師は『普勧坐禅儀の話』(大樹寺山水経閣1977)において、『涅槃経』巻二十高貴徳王菩薩品の逸話を引かれて解説しました。非常に面白くしかも明確な解説なので、長くなりますが引用します。
 
 ある国の王が国政をゆだねることのできる智臣を得ようと思い、大勢の家来に向って、“都の端から端まで群衆の中を、油を一杯に満たした器をもって、ひとしずくもこぼさないように運ぶものはないか、いささか考うることがあるから自信のある者は名乗って出よ”と命を下したところ、事のむずかしさに、いずれも、しりごみして容易に受けようとせぬ。ようやく一人、応募者があり、さっそく行なうことになった。王は別人を付して抜刀をしたまま随わせ、ひとしずくでもこぼしたら直ちにその人を切り捨てることを厳命した。飛んだことになったとは思ったが、いまさら何とも仕方がない。それこそ命がけで群衆の中を縫うようにして、万全の気配りを怠らず、ついに目的地に達した。王は喜んで大臣にして国政をゆだねたという。(中略)

 この油を運ぶ心持ちで、思量・不思量・非思量の三角関係が極めて自然に、その融和状態を完全に確保しつつ活動を続けていることが味わわされる。うつわをささげ運ぶ命がけの心の働きは、無念無想などの心持ちとは全然、様子の違うことは誰でも見当がつく。これが坐禅のうえに適用されれば兀兀地の思量は、いわゆる念恵の保全、回光返照の退歩、了々として常に知ることだとハッキリ分る。かように心がギリギリ一杯働きながら何の余念も萌すべき隙は一点もなくして、心がギリギリ一杯働いていることすら心付かないで働いている様子は、思量がそのまま不思量になっている趣きだ。不思量ではあるが、身体中、どこに狂いが起っても直ちに気がついて立てなおすというよりも立てなおることができるのは、不思量の思量が全身にみちているからである。

 すると思量と不思量と世の中では全く正反対の心境として扱っているものが、何等の媒介的手段も仮り(マ)ない(マ)で思量は思量、不思量は不思量の特性はいささかもくらまさずして、しかも完全な妙融状態を呈して対立的なありさまは全然ない。この特殊性態と妙融状態とを極めて自然なことばでひとつかみに表現のできる名前が、どうしても入用だ。この要求に応じたものが非思量という名称である。

 思量・不思量・非思量の三角関係を理論のうえから参究を進めていこうとすると、むずかしそうに扱われることが、油を運ぶたとえで見当をつけてかかることにすると、まことに造作なく誰にも納得がいく(186~188頁)。

 油をこぼさないという一点に集中する。集中することで他のことが消えて行く感覚を重んずる。この一点に集中することで、邪念の湧いてくることがなくなる。集中して邪念を消す力を試したのだろうか。あるいはバランス感覚の良い肉体の持ち主こそ、政治をつかさどるべきと考えたのか。

 森鴎外の小説に「寒山拾得」がある。取れない頭痛を湯飲みに入れた水に意識を集中させることで、直してしまう話である。これは寓話である。寒山拾得という、風狂の僧の中に仏を見る。寒山は詩を作り、十徳は僧が食べるお米の籾すりをしていたらしい。どうやって籾すりをしていたのか興味が湧いてくる。

 私の禅はむしろ邪念の塊である自分という物に直面することである。くだらなさに面と向かうこと。ダメなことを受け入れること。禅をそういうダメこそ禅で行くと言うぐらいの思いで、禅と向かい合うことにしている。私は道元ではないし、及びも付かない。

 果たして国王は何を試したのだろう。もしこれが実話であるならば、愚かな国王というほかない。こんな国王に統治された国ではこまる。むしろ油をまずすべてこぼしてから、都の端まで歩む者はいないだろうかと私は思う。あるいはまったくこぼれることなど気にせず、油をまずすっかりこぼしてしまい、都の端まで歩くのも良い行いだと思う。その人で良いのだ。それで殺されるなら本望ではないか。くだらない君主に仕えないですむ。

 仕官したいので試験を受けるということがすでに、愚か過ぎることである。太公望も直針で釣をしていて仕官する話。中国の逸話は王に使えることを良しとするものばかりだ。王になる話よりも王に仕える話というところが中国らしい。

 油をこぼした人民を殺せなどと命ずる王に仕えるのはくだらないではないか。ここでは油をこぼして歩いて、王の命令を一切気にしない。つまり生死を超えている存在の意味を示すのも良いかもしれない。油をまず流し捨てて、王には仕えることはないと言うことを示してから、歩けばこぼす物など何もないと言うことを示すのも良いかも知れない。

 ここでは油をこぼさない集中している心境の逸話を思量・不思量・非思量の三角関係を理論と言うことで見ている。禅の心境とは油をこぼさない心境は違う。失敗してはならないというような、不自由の中に禅は存在しない。全くの自由である。禅であれば、油をこぼして歩いて良いのだ。そんなことはどうでも良い世界が禅である。

 絵を描いていて間違った線などないと言うことになる。引かれた線がその絵なのだ。問題はその線が自分だと言って良いものにまでなっている、と自覚できるかである。この間違いも含めて、自分であると言えるかだろう。絵を良く描こうと言うことが違っている。自然を写そうと言うことも違う。
 
 絵が自然に立ち現われてきた物になるまで描くほか無い。只管打画である。ただ描くことが出来れば、それでいいのだ。出来た絵を当必要は無い。私が自分の絵を問うのは、至らないからである。至ると言うことは無いのかも知れない。何とか至りたいと言うことが、私の乞食禅の修行なのだ。
 
 寒山拾得にはもう一人の僧が登場する。頭痛を治した豊干 という僧である。この僧は実在した人らしい。豊干 も詩篇を残したらしいから、3人で一人なのかも知れない。豊干禅師は 天台山南西の国清寺の住職であった。虎にのっていたと言われる。

 寒山詩というものがある。禅僧が物を残すと言うことには疑問もある。住職であった豊干禅師は詩を書いたらしいから、それを寒山拾得に託したと言うこがあるかも知れない。井伏鱒二の「寒山拾得」は漂泊の絵師の話だ。泊まった旅館に掛かっている絵を模写して、売り歩く話だ。

 寒山拾得の図を漂泊の絵描きとその友人は、その笑いを競演する話だ。寒山拾得図は不思議な笑いを描いたものが多い。笑う姿の中に悟りがあると言うような図なのかもしれない。日々を笑いながら生きる事ができればそれでいい。
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「ChatGPT」の未来

2023-07-26 04:31:33 | 暮らし


 先日、のぼたん農園のラインで「ひこばえ農法」について、ChatGPTで質問してみたというコメントが入っていた。それをここにのせさせてもらう。

石垣島でお米のひこばえ農法を成功させるにはどうすればよいですか?

①米の品質を最適化するために、米栽培方法と管理を正しくしてください。
②畑のサイジングを適切に行い、改善可能な場所まで稼働率を上げてください。
③独自の研究を行って、多年生植物を栽培する技術を向上させてください。
④水の管理を完全に守り、農場の設備、施設、また何かを勉強して技術を向上してください。
⑤臨海栽

刈り取った後にすぐに幼穂が出てしまいます。それはなぜですか?

米垣島では、臨海栽培としての米栽培が多いため、植物の成長段階が重なることが原因です。臨海栽培では、水分の枯渇を防ぐために大量の水を足して米を耕します。これにより、表層土壌中の種子が体を構成する形で培養され、すぐに幼穂が出てしまうのです。

つまり、刈り取り後に水を枯らせば、ひこばえ農法は成功するのですか?

いいえ、それだけでは不十分です。お米をうまく栽培するには、必要な環境に合わせた土壌の酸化還元度を確保し、浸水肥料を正しく配給することも必要です。また、種子の種類や量なども選択する必要があります。

石垣島のひこばえ農法に適したお米の種子は何ですか?とよめき?ミルキーサマー?ゆがふもち?

最適な種子は、ゆがふもちとミルキーサマーの二種類です。ゆがふもちは穀類栽培に適した高品質の種子なので、ツミ付けに適しています。また、ミルキーサマーは、あらめ穀類に近い品質を持つ種子なので、お米の栽培に適しています。

ひこばえ農法を成功させるために、刈り取り後にすぐに幼穂が出てしまった場合は、穂を摘み取った方がよいですか?

その場合、穂を摘み取ってしまうのはよくありません。米栽培では、幼穂が、枯死しない限りは穂を摘み取ることを推奨しません。なぜなら、摘除すると根系が壊れてしまい、養分を取り込む植物の形成が阻害されるからです。低温多湿にして防風施設などを整えて管理することで、植物の成長を最適化します。

 以上がChatGPTに質問した応えだそうだ。まだまだの段階だと言うことが分かる。実践の上で参考になる答えは一つも無かった。気がついたことは「とよめき」がひこばえ農法に向いていないという情報は、私以外に発信していないはずだ。私のブログもチェックを入れたのだろうかと思うところだ。

 ChatGPTが社会を変える為にはあと5年はかかるだろう。情報を集めるためにどれくらい有効になるかである。最近中国では「ひこばえ農法」が広く行われていると言うことが、言われるようになった。その実体がなかなかインターネットでも分からなかった。ところがあるときから中国の情報がわかるようになった。

 中国語で検索をしたのだ。中国語と行っても「再生稲」ではなく単純に「再生稻」と検索したらずらずら出てきたのだ。もちろん中国語で出てくるので、それを翻訳ツールで日本語に翻訳してもらい読んでいる。翻訳はまだまだおかしなところが多いが、想像力をたくましくすれば意味が採れる。

 その中でおもしろかった事があるので、まずそちらのことを書いておく。ひこばえ農法は1700年も前から行われてきたと言うこと。その技術としては気候的に2期作可能な地域がひこばえ農法で広がると言うこと。2期作をひこばえ農法で行えば、短期間で2期作が可能になると言う技術だ。

 興味深いところでは、ひこばえ米は漢方として食べられていたという情報があった。姫米と呼ばれたサナゴ米が軽いお米として珍重されたように、ひこばえ米にはひこばえ米の成分の偏りが起こる可能性はある。特定の病人食には向いているというようなことがあるのかも知れない。

 その意味で、7回も連続で収穫するというスマトラ島のサリブ農法とは大分意味が異なるようだ。のぼたん農園で耕作してみて、サリブ農法については今のところまったく不明としか言いようが無い。ひこばえ農法とサリブ農法は違うものだ。同じ物として取り組むと混乱が始まる。

 ひこばえ農法が中国で広がっているのはそれに適した品種が分かってきたと言うことがあるようだ。その品種についても、色々挙げられている。早生品種で、早く一期作を収穫して、ひこばえの2期作を寒くなる前に収穫するという考えが基本。この点石垣では1年間に3期作を作るという考えが良いのではないかと見えてきた。

 1月種まき、一回目を5月稲刈り。2期作を8月稲刈り。3期作を11月稲刈り。そして荒起こし、代掻きと田んぼを作り直して、翌年しの耕作に入る。そのまま継続するよりも、病気などが断ち切れて、安定収穫が出来るような気がしている。サリブ農法は止めて、「ひこばえ農法」で進める。

 ChatGPのことだった。今現在の間違いの多さを問題にしたところで、無意味である。情報の集め方が早くなれば、精度はどんどん上がって来て実用的に参考になるはずだ。実際の石垣島の農業で役立つ物になるには、10年はかかるのかも知れない。

 ChatGPは社会を大きく変えることは間違いが無い。中国のひこばえ農法の情報が手に入ったことで、ひこばえ農法を考える上で、情報量が一気に増えた。情報を自分で探して集めるよりも、ChatGPで集めることが出来れば、その効率は一気に高まる。

 1時間かけて探している物が、瞬時に可能になれば、医療とか。司法とか。政治とか。重要な場面での判断に役立つはずである。もちろん、その背景には農業の実践があって、農法の情報が役立つように、医療の広い知識と実践がある人が利用して役立つと言うことだ。

 もし、何も知らない人が知ったかぶりでChatGPを利用しようとすれば、大きな間違いに繋がる可能性はある。それは生成画像AIを考えてみれば分かる。人間を越えた画像生成が可能になる。絵画と言うものを制作したことが無い人でも技術抜きに画像が作ることが出来る。

 例えば絵画評論家が自分の絵画を作ると言うことが可能になるだろう。将来美術史家が、シルクロードにあった、幻の絵画を作り出すことだって出来るはずだ。ダビンチが描こうとして描けなかった絵画も制作することが出来る。しかし出来ないのは、描くという芸術行為に伴う人間の問題である。

 制作すると言うことで人間は、人間自身を探求している。「私絵画」の時代が近づいている。人間が生きるという根源にあるものは「自分の存在の探求」である。なんで生まれてきたのか。死んでどこに行くのか。描くという行為の中に、自分の存在の根底にふれる感覚やその成長を感じる物がある。

 人間が生きると言うことにChatGPは役立つ物に違いない。しかし、どこまで行っても生きるという回答を出してくれるわけではない。生きるという体験を感じることが出来るのは、人間として生きているからだ。この原点だけはどこまで行っても自分の中に見付けるしかない。
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新しい車を購入した

2023-07-25 04:12:39 | 暮らし


 石垣島では車の購入がとても難しい。私が購入したい車はダイハツハイゼットトラックの比較的新しいものである。ところが石垣島で散々探したが、売られていない。中古屋さんを五軒ほど回り、ダイハツの看板のある新車販売の店でも聞いたのだが、新車は半年待ちだと言われてしまった。

 半年も絵を描くなと言うわけには行かない。それは私にとっては大げさではないほどの問題だ。アトリエカーで絵を描くことが日々の生活の中心なのだ。確かに車の衝突事故を起したことは行けない。私にはまったく落ち度はない。両者の車が大破してしまった。

 幸い身体はなんともない。上手くかわしたものだ。三橋さんに言われていた、「命は最後の1秒で決まる。最後まで意識を持って、事故をいくらかでも軽くするための努力をしろ。」この言葉の御陰である。ぶつかり、跳ね飛ばされて行くまで、しっかりと意識して、身体を守った。

 心配を多くの方におかけしたようだが、両者の車が壊れたが、両者が無傷だった幸運。相手が居眠り運転である。せまい2車線の道路で、対向車線に暴走してきたのだ。まさかそのまま直進してくるとは驚いたが、直前に必死にハンドルを切り、左前20㎝だけが衝突をした。

 車は横回転をしながら、後ろに飛ばされたのだが、それで衝撃が回転方向に変わったわけだ。だから身体への負担が小さくて済んだ。意識して衝突したことが良かったのだと思う。また思いだして書いてしまったが、今は車の購入で苦労している話だった。

 一時は諦めて、小田原で渡部さんに頼んで買って貰おうかと思ったのだが、探して探して、鹿児島の中古車屋さんに新古車が見つかったのだ。良かった。ところがこの車屋さんは、次々に訳の分からない費用を上乗せしてきた。足下を見られたわけだ。何とも不愉快で止めにした。

 次にカーセンサーで探して探して、平塚の自動車屋さんにあった。小田原に行った時購入して、東京の有明港から送れば良いと考えた。これは要領が慣れているから出来る。ところが平塚の自動車屋さんが嫌だという。近所の人以外には売らないというのだ。売らないという物は買えない。

 さらに探している内に大分で車が見つかる。ほぼダイハツのハイゼットの新車だ。価格も普通。車屋ドイというお店。電話で社長と話したのだが、とても良い人に感じた。鹿児島と大分では大違いだ。まあ人によるわけだが。電話だけですぐこの車に決めた。

 安心してお金も振り込んだ。書類が届いたら、今度は石垣の行政書士さんが車を登録してくれて、それでナンバーをもらって車に付けてからいよいよ、大分港から送られると言うことになった。8月初めには遅れるから、8月の初旬には車が来る。

 車が来たら、今度は奥平自動車に持って行き、荷台にアトリエを載せてもらわなければならない。荷台の煽りの留め金にぴったりはめ込めるはずだが、これはやってみなければ分からないところがある。合わなければ切断して溶接のし直しになる。さてどうなることか。

 保険のこととか、よく分からないことばかりだが、まあ何とかなるだろう。保険については、おなじ損保ジャパンの保険会社に入っていたので、割合スムースに進んだのではないかと思う。事故の責任は100%相手にある。わたしに1%でも責任があるといわれたらおかしい事故だ。

 私が支払う物は一切無いと考えている。車が元のように使えて、新しくなり、アトリエが問題が無く上手く使えればそれでいい。気になるのはどうも窓の開け閉めが少しおかしい。まあ乗せてみれば何とかなるとも考えている。窓がスムースに開かないくらいはたいしたことではない。

 車の免許を取得したのは40歳を過ぎていた。車など使わない暮らしをしようと考えていたし、東京にいたときには必要も無かった。しかし、山北に移住してから、だんだんに開墾生活に車が必要になった。最初は原付バイクの免許を取得した。それで水など山の上まで運んだ。

 学校に行くときに、東名高速のバス停までは原付バイクで通うようになった。それを数年続けて、ついに車の免許を取ることにした。開墾生活が一段落した頃だ。その時に春日部先生にこの一年は絵など描かないで良いから、車の運転に専念しろと言われた。写生で絵を描くには車ほど重要なものはないと言う教えだった。

 確かにその通りだった。免許を取ってから、日本全国を絵を描いて歩くようになった。車でどこまでも出掛けて行って絵を描いた。春日部先生がここはおもしろいよと教えてくれて、そこに行くと言うことが多かった。日本中北海道から九州四国と絵を描きに通わないところはないと思う。

 それでも沖縄は絵を描きに行きたいとも思わなかった。何か自分の描く風景とは違うという感覚があった。それが今では石垣島の風景ばかり描くようになったのだから、不思議な物だ。石垣島には田んぼがあったからだと思う。田んぼのない風景に一番惹きつけられる。

 もちろん田んぼでなくて、海であったり、湖であったりしても良いのだが、水のある風景に引かれたのだと思う。そのうち自分が田んぼをやることもあり、田んぼへの興味が深くなっていった。人間の生きると言う切実な姿が、田んぼに現われているような気がしてきた。

 太古の自然という物には興味は無い。人間の自然との関わり方の方に興味がある。畑であったり、耕作放棄地であったり。人間が暮らしのために自然に関わった農地という物に興味がある。人間の生きる姿がある。そこが何とも悲しいというか、燃えている感じがする。人間が手を入れて関わり、また自然に戻って行く姿。

 自分にはそういう物が描ければそれでいいのだろう。まだまだその本当のところまでは描けないが、すこしづつそこに向かい進んで行きたい。進んでいるつもりでいる。慌てているわけではないので、遠回りしながら、いつかそこまで行く日を考えている。

 車を買ったことだった。ハイゼットトラックの農用スペシャルというものである。待ち遠しい。石垣島では車を買うのはなかなか難しいと言う経験。アトリエカーは車を買い換えるのが難しいという話。荷台の様子がすこしづつ変化しているらしい。

 おなじ車体を探すためには車体番号を付き合わせなければならない。それでもよく分からなかった。後は仕方がないので、現場あわせでお願いするほか無い。車に乗せるのだから、しっかりと固定しなければ怖いことになる。何とかなると思っている。
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のぼたん農園の田んぼの整備

2023-07-24 04:11:26 | 楽観農園


 のぼたん農園の田んぼの整備を続けていた。かなり大変な工事だった。今までで一番の大工事だったかも知れない。連続5日間朝から晩まで工事を続けた。それでやっと完成にたどり着いた。今回の工事で、のぼたん農園の大きな土木工事は終わったと言える。

 のぼたん農園の大きな形が出来上がった。東側に水牛の放牧場。西側には上部に機械小屋。そして水源の林を作る場所。その下が溜め池と田んぼへと続く。そして一番下に井戸。中央には上から下までまっすぐに道があり、それを横切るように2本の道がある。全体はメッシュの鉄編みで囲ってある。

 田んぼの配置は中等道路より上部の田んぼが7枚で1反5畝。下部の田んぼ5枚で1反1畝。併せて2反6セの田んぼが12枚になった。水があるときは下まで耕作できるが、水が足りない今年のようなときは上部の7枚だけを耕作すると言うことになる。この面積で13家族が自給できると言うことになった。

 ひこばえ農法が完成すると、毎年3回の収穫がある。3回の平均が五俵だとしても、1畝の年間の収穫量は90キロと言うことになる。我が家のお米の消費量からすると、1畝60坪だけで良いと言うことになる。1軒の自給面積が狭い。これなら管理が楽だ。60坪のコロガシ。草取り。田植え稲刈りなら、年寄でも出来る自給の田んぼ。こうなれば、26家族分の田んぼになる。

 今回中央道路と左右を横切る横断道路がかなり整備された。田んぼへの出入りが以前より安全で楽になった。以前はトラックターの田んぼへの出入りに、おおきな段差があり、難しい状態だった。時々でられなくなった。道路からの出入りを大分直した。これで田んぼを平らに代掻きをすることが出来るようになるはず。

 作業性を良くするために、道路の整備を行ったわけだが、作業を楽にする目的が結局のところ、美しい圃場環境になった。道が広がったので、稲刈りの時の脱穀作業なども道でかなりゆったりと出来るはずだ。田んぼの日常の管理もかなり楽になったはずだ。

 田んぼは鳥よけと風対策でネットが入り巡らされている。ネットと草が絡んでかなり面倒くさいことになっている。台風が来ると言うこともあるので、ネットの張り直しをしたいと思っている。この点は次の課題として取り組まなければならないだろう。

 台風が近くを通りそうなので、防風ネットの補強がいる。防風ネットがあれば、ある程度は稲が守れるとみている。直撃されればそれはダメだろうが、台風は直撃と言うのは希で、せいぜい10%ぐらいだろう。そばを通ることが大半である。確率的に言えば、ネットで風から稲を守ることが90%は有効と言うことになる。

 暴風ネットなど台風には無駄だと、大半の人が言う。それは直撃の台風のすさましさが頭に残っているからだと思う。そばを通ったときのことを思い出さないからだろう。大型台風直撃の時にすべてが飛ばされるのは仕方がない。せめて、小さな台風やそばを通過したときには稲を守りたいと考えている。重要なことは完全にではなく、ほどほどにと言うことだ。

 田んぼの番号の変更と担当を整理すれば、上の溜め池脇の元0番田んぼを1番田んぼと呼ぶことにする。笹村担当。2番田んぼがぬちぐすい診療所。3番田んぼが中川さん。4番田んぼが渡部さん。5番田んぼが圷さん。東側の列に移り、6番田んぼが三線グループ。7番田んぼがゆんたくガーデン。と言うことになる。

 下は8番、9番、で東側に移り、10番、11番、12番となる。ここはジャガイモ、玉ねぎ、小麦、大豆、サトウキビ。など、色々の作物を作ることにする。一番水が入る可能性が高い8番には田芋を作りたいと考えている。今は溜め池に保存してあるので、機会を見てやりたい。

 溜め池は今回少し狭くなったのだが、また元の大きさに広げるように準備は今回した。半年して土が固まったら広げることが出来る。ともかく雨が降らないので、水不足は深刻である。苦労したのだが今は雨が降らないことを受け入れることにした。お天道様の事だから、従う以外にない。

 ひこばえ農法は中国では1700年も昔から行われていたと現代農業にでていた。利用されている品種も大分分かった。ネットを中国語で検索すればいくらでも出てくる。Shanyou 63、Dyou 63、Shanyou 64、Weiyou 64 など。Y良友9918、Y良友2、春良友608など、収量が多く、耐病虫性、耐倒伏性、再生能力が強く、初生米の生育期間が130〜140日の品種を選ぶとある。

 技術的なことでは余り細かく書かれたものはまだ見つからないが、かなり広がっている様子は分かった。そしてすべてがひこばえからの再生稲で、あくまで少ない葉で穂を育てる方法である。インドネシアのサリブ農法とはその点で違うようだ。

 今のところの様子では再生された稲とうよりも後から分ゲツしてくる株を育てる方法だ。それで十分収穫があれば良いと言うことになる。どの程度収穫があるかは分からないが、沖縄で行われている2期作とおなじ程度には収穫がありそうだ。

 幼穂形成が払拭され、再生された稲であれば、15枚の葉がでるはずだ。少なくとも13枚の葉がでなければおかしい。しかし実際の所はせいぜい4,5枚の葉で穂を付けてしまう。しかしすでに根は大きく形成されている株なので、4,5枚の葉でもそれなりの穂になる。

 中国のひこばえ農法は、この方法を栽培の上で洗練した物のようだ。加えて、品種がひこばえ農法向きに選抜されている。これは重要なことに思われる。ひこばえが健全に多く再生される品種がある。病気に強い品種がある。多くは冬には稲が枯れる地域のようだ。

 石垣では冬も稲は枯れないので、栽培を続けることは出来る。この点を利用すれば、年3回の収穫までは無理なく出来るのでは無いだろうか。年3回収穫して、代掻きをして、もう一度苗代からやり直すというのが、むしろ安全で確実な方法のような気がしてきた。

 年3回収穫で1回の収穫は多くは望まない方が良い。せいぜい五俵止まりが良い気がしてきた。これはまだそんな気がするという範囲だが、一〇俵を3回もとると言うことになると、土壌の問題が起きてくるのではないだろうか。健全に育てるという意味では、五俵を3回ぐらいが良いように感じている。

 田んぼの永続性を考えると収穫しすぎると言うことにも無理が生じる。アカウキクサで土壌に肥料成分が入る量と収穫するお米の量には良い配分があるのではないだろうか。藁や籾殻や値を戻すとして、アカウキクサと併せた、腐植の量の問題があるのではないだろうか。

 また湛水を続けることによる土壌の酸素不足になる問題も出てくる。コロガシとアカウキクサ、そして時々土壌を渇かすことを繰り返す必要が出てくる。湿潤土壌の管理を研究する必要がある。これからの研究課題である。

 田んぼの整備が一段落したので、これからは農法に集中して行きたいと思う。今月は1番田んぼの新しく担当になったので、ともかく石拾いをしたいと思う。根気よく石を拾うことが、これからの管理には大切になるだろう。
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第171 水彩画 日曜展示

2023-07-23 04:52:02 | 水彩画
 第171 水彩画 日曜展示





308「草の海」 中判全紙
2023.7

 途中だった絵を描き上げたものが今週唯一の作品。アトリエカーが無いこともあるが、のぼたん農園の土木工事が5日間続いたこともある。日々の一枚が出来なかったことは残念なことだが仕方がない。早くアトリエカーを直すことが重要になる。

 前は30分休憩でもアトリエカーの中で絵を描くことが出来た。今回はそういう余裕が全くなかった。石垣島の夏の景色はどこかすさましいものがある。燃えたぎるような熱量がある。この草の海を何とか描いてみたい。見えているのだからきっと描ける。

 今日から再度日々の一枚を再開したい。作業はまだ続くのだが、短時間でも描きたい。むしろ描きたい気持ちが溜まってきている。描けなかった間に、描きたい物が見えてきたような気もする。残念な1週間だったが、また頑張りたい。

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夏の肉体労働も悪くない。

2023-07-22 04:09:23 | 楽観農園


 いつも来るカンムリワシだ。良くなれていて、人のすぐそばまで来る。触ったことはないが、触れそうな距離まで近づくことが出来る。カンムリワシは特別天然記念物である。100羽程度が石垣島に生息すると言われている。この地上に存在する100分の1である。

 のぼたん農園では毎日何かしら身体を動かしている。絵ばかり描いていることもあるのだが、それでも1,2時間農作業をしない日はない。これが絵を描く上で気晴らしになり、良いような気がしている。今回の田んぼの整備では、朝8時30分から、夕方7時頃まで3日間連続で働いた。今日もう1日作業があるから、4日関連ぞきうである。

 石垣の強烈な暑さの中何とかなった。身体に問題が起きなかった。まだまだ肉体労働ができる身体だと言うことが分かった。良く熱中症が問題と言うことが言われるが、今のところは大丈夫だ。水分補給は良くしている。昼ご飯もしっかり食べている。暑くても食欲は減らない。

 熱中症になった事が一回ある。はサウナに行ったときで、普段の農作業で熱中症になったことはない。サウナで熱中症になったときも、自分で対応できる範囲だった。この時の経験で熱中症のことがある程度理解できた。思考能力が低下すると言うことだった。熱中症である事が自分で分からないのだ。

 熱中症と言うものを体験できたので、その後肉体労働中にどういう状態だと、この後熱中症になるかが分かるので、事前に対応が出来るようになった。熱中症は身体が弱っているときになりやすいようだ。水分塩分を取ると言うが、普通に冷たいお茶を飲んで休んでいれば大丈夫だ。


 建設途中の道。

 去年と一昨年連続で、強烈な陽射しで皮膚が炎症を起してしまった。病院は極力避けているのだが、皮膚科の病院に行かなければならないほどになってしまった。それから日除けには気をつけている。今年は今のところ何とかしのいでいる。やはり、ワークマンのUVカット作業着を着てから調子が良い。

 腕には2重にUVカットの腕カバーをしている。去年は腕からやられた。もちろん長袖は着ている。昔から、農作業に長ズボンと長袖は当たり前だったのだが、石垣では重ね着をしなければ、ひどい日焼けになることがある。長袖に腕カバーを縫い付けてある。これで腕からの日焼けは何とかなっている。

 次の問題は首筋である。つばの広めの帽子は常にかぶっているのだが、それでも首筋がやられる。それで最近は手ぬぐいを首に巻いている。汗をかけば手ぬぐいで拭くことも出来るので具合が良い。いつもマフラーのように手ぬぐいを巻いていると暑苦しいのだが、これも農作業の必需品だ。

 一体型の肩から背中腕を覆う、UVカットカバーも有効。石垣の夏の陽射しは強烈だ。服を突き抜けてすぐ火傷になる。石垣の夏5年目ですこしづつこの強烈な陽射しに成れてきたと言うこともあるかも知れない。顔や手は日に焼けているが、火傷になることはない。



 中央の道路は整備が終わった。

 身体がまだなんとか使えると言うことが嬉しい。あと何年動けるかは分からないが、何とかあと3年は一日中働ける体力が欲しい。3年すれば、なんとかのぼたん農園の大きな作業も一段落するはずだ。今回かなりきつい肉体労働を、それは私の体力の範囲でと言うことだが、乗り切れたのは、うれしい。

 肉体労働にはやり遂げた充実感がある。3日目は朝から道路造りをやった。福仲先生が来る前に道を整備した。福仲先生が見えてからは田んぼの整備をやった。石拾いもやったが、これはなかなか厳しくて完全には出来なかった。それでも8番田んぼの整備は終わった。

 0番田んぼの拡張もだいたい目途は立った。後もう少し土を出して高さを合せれば完成する。なかなか良い雰囲気になってきた。1番の溜め池も悪くない。だんだん池の整備が進んで来た。前よりも良い池になった。ここまで来るのに2年以上かかったことになる。


 
 0番田んぼの整備が進む。

 自分の体力で、正面からのぼたん農園に向き合い、整備をしているのが良い。修学院離宮を後水尾上皇 が造営したと言っても、人に命じて作ったのだろう。それではちょっと面白さが減じたに違いない。身体を張って作った肉体労働者が真実の喜びを知ったはずだ。

 肉体でやれると言うことほど素晴らしいことはない。生きているという醍醐味である。その身体で作り上げる物が、自分の食べるものを作るための田んぼである。何という農作業の素晴らしさであるかと思う。自分の食べるものを作れると言うことが素晴らしい。その上にその生産の場である田んぼまで作れる。

 こんな肉体の喜びは他にはないだろう。身体を張らなければ感じられない物だと思う。もうこういう経験は出来ないと思っていたのだが、石垣島に来て、やらせてもらうことが出来た。良い仲間がいるからだ。一人ではここまで出来るはずが無かった。



 8番田んぼの整備。

 石垣に来て、様々な方に出会うことが出来た。身体を使って田んぼを始めた御陰だ。有り難い経験をさせて貰えた。今年も少しだがお米も収穫が出来た。5年計画である。だんだんに良くしてゆけば良い。五年間肉体でのぼたん農園の建設にぶつかってゆきたいと考えている。

 今回の土木工事は今日一日で終わるのではないかと考えている。今日も軽油を買ってからのぼたん農園に行かなければならない。


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のぼたん農園の田んぼの土木工事

2023-07-21 04:23:57 | 楽観農園


 のぼたん農園では田んぼの土木工事を行った。ユンボと軽トラダンプの作業だ。工事をしなければならなかった一番の理由は水不足である。今年の石垣島は例年の半分以下の雨量だ。特に崎枝地区は雨が少ない。島の地形では雨が一カ所に集中することが多い。何故か今年は崎枝付近は雨がない。

 島中の湧き水が涸れてきているという話も聞いた。ダムの水も減少しているらしく、節水注意が行政からでている。田んぼの稲作は水がないと言うことが致命的だ。特に天水田で雨が降らなければ、深刻なことになる。色々対策をしているのだが、今回の田んぼの土木工事はその一つだ。

 のぼたん農園では一番下に井戸を掘り、田んぼから浸透している水を再度汲み上げている。それでも全体の井戸に回るほどの水はない。田んぼは湛水していると言うより、湿潤状態で維持されているという状態だ。何とか水を入れなければならないのだが、ままならない。

 そこで、田んぼの配置を変えて、水源に近い上部に田んぼを集めることにした。0番田んぼを2畝の田んぼに直す事にした。0番が一番井戸に近いのだから、水に関しては一番安心な田んぼだ。この田んぼを広げると言うことは、遊水池を広げると言うことにも成る。

 田んぼの番号については、今度は0番田んぼを1番田んぼにすることにした。0番田んぼは畑は無い状態になる。新しい1番田んぼも広げられるだけ広げると、2畝ぐらいになりそうだ。どの田んぼもおなじ大きさが良いかと考えている。大きさが違うと作業量もグループごとで違ってくるからだ。

 もう一つの工事は8番田んぼが少し短かったので、広げる工事をする。去年作った田んぼなのだが、土が足りなかったので、少し短い田んぼになってしまった。この田んぼを直して、2畝ある田んぼに直すつもりだ。番号は振り直して、1番からまっすぐ南に5番田んぼまでとし、そして東側に6番、7番となる。

 全部で7つの田んぼと言うことになる。今現在7グループなので、この7つの田んぼを、それぞれのグループが充実させて行くことがこれからののぼたん農園のやることである。担当のグループがその田んぼについては、完全にやりきる形である。

 石垣の田んぼは手強い。様々な試練が起きている。「とよめき」にウイルス病が出たのも初めての経験である。やはり亜熱帯のためだろうか。それぞれ担当の田んぼがやりきらないと、どうしても荒れてしまう。荒れたところが一部にでも出来ると、全体が良くないことになる。

 これから広げた0番田んぼで「台光」という台湾の品種を作ってみるつもりだ。「とよめき」とは違う品種であれば、耐病性があるかも知れない。「西表安心米」の那良伊孫一さんと言う方が、昔から作られている品種と言うことである。この方は無農薬でやられていたというから大丈夫かも知れない。しかし大きくなる品種のようだ。

 このお米は西表で作られている品種だ。他では調べても分からない。台光と言う名前からして、台湾から伝わったお米の生き残りかも知れない。「とよめき」にウイルス病が広がっているので。「とよめき」に変わる品種を探さなければならない。台光はその候補である。味が良ければ良いのだが。

 「ゆがふもち」「ミルキーサマー」は石垣の気候でも何とかなりそうな気がしている。耐病性もある程度はあるようだ。これに「台光」を加えた、3品種で今年の2期作は進めようかと思う。品種についてはひこばえ向きの品種を今後も探って行かなければならない。

 中央の道路を高くすることにした。理由の一番は現状では田んぼへのトラックターの出入りが難しくなっている。畦が高すぎるのだ。田んぼの土を畦にすくい上げるので、畦が不自然に高くなり、歩きにくい。畦は歩きやすくなければならない。

 畦を低くして、道路からの出入りがしやすいようにする必要が出てきた。トラックターの横転事故は田んぼへの出入りで起こる。事故を未然に防ぐ為にも道路と田んぼの関係を見直したい。道路が低いために大雨の時に河になるので、土が削れて低くなってきたと言うこともある。

 道路の水は田んぼに入るようにした方が良い。田んぼから染み出た水が道路を流れると言うこともあった。道路を高くして踏み固めることで、田んぼから染み出る水を減らすことが出来るだろう。田んぼへの出入りが容易になるように中央道路のかさ上げを行い、全体の作業性を直した。

 8番(新7番)の畦が低いと言うことも直せれば良いのだが、今回その位置には入れないだろう。畦際を穂って畦を直すという手作業を根気よく行うと言うことしかないかも知れない。新7番も今回の直しで良い田んぼになると思うので、色々田んぼの整備をしたい。

 いずれにしても0番か8番が私の担当の田んぼになるか分からないのだが、どちらかに決めて、担当カ所の整備を進めたい。これからは自分の担当田んぼに集中して整備をしたいと考えている。今までどうしても自分の田んぼが手抜きになっていた傾向がある。

 1番溜め池も直した。溜め池はだんだん腐敗してきた。草にも覆われてしまった。草刈りが追いついていなかった。溜め池の中に牧草が入り込み、草取りが出来なかった。コナギが増えたことが不安だった。今回ユンボでコナギも根こそぎ取った。

 溜め池をできるだけ深く広くした。そのこともあって田んぼの前の畦は低くした。前よりため池付近の雰囲気は整備されたかも知れない。大きな土木作業は今回で最後になるだろう。3番放牧地の入口に車が戻れる場所も作った。水牛を見に行くときに便利になるだろう。

 そのために、バナナと扇芭蕉の並木道も少し土をいててかさ上げした。ここは通る機会が少ないので、道自体が草に覆われてしまい、通りにくくなっていた。今度は道を平らに直したので、ハンマーモアーで簡単に通ることが出来るだろう。3番放牧地の中まで入ることが出来る。

 今回0番田んぼ前の土をどけたので、かなり土がでた。今まで土を入れたい場所はあったのだが、土が足りないこともあって、直せないでいた。それを軽トラダンプであちこちに土を配り、思い切った直しが出来た。軽トラダンプは随分と役に立った。

 軽トラダンプは今はのぼたん農園に通うためにも使っている。それが昨日作業中に、突然空気が抜けてしまった。それはホイールが石に当たり、曲がったためだそうだ。前から空気が抜けるとは思っていたのだ。何とそれも福仲先生が直してくれた。

 福仲先生は本当にすごい。何でも直すことが出来る。今回の田んぼの直しは私には出来ない。田んぼを平らにすることがとても難しい。ユンボで直していると平らにするどころかだんだんでこぼこになる。直し方は何度も見て分かっているのだが、真似しても出来るものではない。

 特に畦の作り方がすごい。畦を固めながらユンボで傾斜を付けて、固めて行く。しっかりとした漏れない畦になる。今回水が足りないので最後の平らにする作業は出来そうもない。残念である。毎回のことだが、福仲先生がいなければのぼたん農園は出来なかったとつくづく思う。

 
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ロシアとミャンマーと北朝鮮。そして中国

2023-07-20 04:19:30 | Peace Cafe


 ミャンマーでは軍事クーデターが起きた。2021年2月1日、ミャンマーで国軍がクーデターを企図し、民主主義政権が終わった。やっと出来た民主主義政権を、ミャンマー国民は熱い支持をしていたにもかかわらず、軍事政権は民主主義政権の中枢人物を処刑してしまった。

 そして、ミン・アウン・フライン総司令官が国家行政評議会議長に就任し、軍事独裁者として支配している。 アウンサンスーチー政権がクーデターで壊滅され、今も監禁状態である。軍事政権はデタラメな政治を行い、経済は破綻状態になっている。内戦状態も続いている。

 子供の頃小学校の映画鑑賞で見た「ビルマの竪琴」そして中学生の時に読んだ、世界ノンフィクション全集に入っていた。「カチン族の首カゴ」でビルマという国の印象が作られた。ビルマには様々な民族がいて、仏教国らしい優しさの国と言うことだった。そこに日本軍は攻め入ったと言う悪行。

 ミャンマーの軍事独裁の政権の、最悪の状況に対して、世界中が何の手立ても打てない。日本政府も見て見ぬ振りをしている。民主主義を守るという意味では、やっと芽生えたミャンマーの民主主義が暴力によって潰されたのだ。このままで良いはずがない。

 しかし、アメリカも、中国も、ミャンマーには上手く関わる事ができないようだ。民主主義はもろい物だ。反政府勢力と軍が結びつけば、忽ちに民主主義政府は失われる。日本だって同じことだ。民主主義は国民が大切な物だと認識して、いつも守るという気持ちでいなければならない。

 ミャンマーは落ち目の暴力国家ロシアが登場し、関わりを持とうとしている。ミャンマーの経済は崩壊に進んでいる。経済統計すら出せない状況らしい。通貨の下落が続いている。国民の協力が得られない軍事政権で国家の衰退が進んでいると言うことだろう。

 そこに戦争で経済崩壊中のロシアが介入の形でミャンマーに近づく。7月からミャンマー国際航空が両国間の直行便を就航し、最大都市のヤンゴンと第二都市マンダレー、ロシアの首都モスクワ、中部ノボシビルスクを結ぶ路線を、週1便ずつ運航する。 ミャンマーの入国者数月に2〜3万人程度にまで落ち込んだままである。

 ロシア人は1200人余りと、全体の1%程度に過ぎない。 ロシアから観光客に来てもらう計画自体が、どこか馬鹿げている。ロシア人が観光に出掛けるなどと、いつまでそんな余裕があるのだろう。それなら中国からの観光客に期待したいところだが、中国はミャンマーの独裁政権と一事は関係を持とうとしたが、中国は現在距離を持っている。

 中国の言いなりにはならない軍事政権だからだ。そもそもミャンマーは中国に対して、歴史的な敵対心が強い。しかし、ミャンマーの行き詰まった経済のてこ入れに、中国は関わりを持とうとしている。中国は軍事政権であろうが、民主主義世間であろうが、同じことである。

 5月には中国の秦剛国務委員兼外相がミャンマーのミン・アウン・フライン総司令官とクーデター以降で初めて会談したが、中国はミャンマー国軍との関係を冷静かつ慎重に見極めようとしている。関わりは持つが、慎重にと言うのが、今の中国の態度である。

 そもそも中国は、ミャンマーの開発を全面的に支援しようとはしていない。以前国境地帯の中国資本の中国向けのミッソン水力発電ダム 計画が、欧米の介入もあって、アウンサンスーチー政権下、環境保護に対する世界中からの反対もあり、中止になったことがある。

 中国の圧力に対して、警戒が強いと言うことでの中止とも言われた。中国は国境に近いこのダムの電力を利用しようと考えたていたらしい。また中国に近いミャンマー北部開発を中国主導で行おうとしていた。中国に対する警戒心は民主的政府も、軍事独裁政府も変わらないと言うことだろう。

 そこで、戦時体制で行き詰まっているロシアに近づこうとしている。もう藁にもすがると言うことなのだろうが、つかんだロシアが頼りになるかどうかは疑問だ。ロシアは世界から孤立して行く中で、民主主義国家から批判されている諸国連合を目指しているのだろう。

 それは北朝鮮も同じような動きをした。北朝鮮はロシアのウクライナ侵攻を支持している。軍国3兄弟だ。中国を取り巻く3つの軍国主義国家が奇妙な連携を持とうとしている。中国に助けられている3つの国だが、やはり中国一辺倒になることが恐ろしいということもあり、対中国を意識した連携でもある。何とか3カ国が連携を取る形で、中国牽制が出来ないかと言うことになる。

 ロシアと中国の関係は急速に深まっている。貿易額はどんどん増えている。通過も脱ドル価と人民元化が進んで行く。ウクライナ侵攻を機に、新しい経済圏が生まれてきたと言えるのだろう。ここにインドがどう加わるのかと言うことが出てきている。

 ロシアのウクライナ侵攻はやはり、予想したとおり、漁夫の利を得た中国が一番上手く立ち回っている。困ったロシアの資源やエネルギーを輸入できる。と言っても増加は限定的だ。むしろ中国のロシアへの輸出の伸びが大きい事に驚く。

 2022年の中国の対ロシア貿易は、輸出額は前年比12.8%増の762億6,480万ドル、輸入額は43.2%増の1,122億2,531万ドルだった。これにより、中国側の貿易赤字は359億6,051万ドルとなり、前年から252億550万ドル拡大した。 ドルになっているが、ドルで行われてはいない。

 中国のウクライナ戦争和平の仲介は結局成果を上げなかった。中国にとって、ウクライナ戦争は商売に利用できるものなのかも知れない。中国はロシアに軍事物資の輸出は、提供はしない。ロシアよりもウクライナとの関係を重視してきた外交の歴史がある。

 中国は軍事国家ロシアに対して油断したことはない。軍事衝突をしたこともある。中国はこの機会にロシアが衰退してしまうことが一番望ましいと考えているだろう。それは欧米各国も同じことだろう。軍事国家ロシアはどこの国にとっても迷惑な存在なのだ。

 それは、北朝鮮も、ミャンマーも、ベラルーシュも、同じことである。軍事独裁国家連合が作られても、上手く行くはずがない。独裁者同士は欲得でしか動くことはない。ここに中国が加わるとは考えたくない。中国はおなじ独裁でも商業の独裁政治である。と見ている。

 世界は不安定化して、日本もそのなみにもまれ巻き込まれている。岸田政権は何の方針も示さないままに、憲法違反の軍事態勢に進んでいる。それは極めて危険な道だ。民主主義国家であるはずの日本は、岸田政権の驚くほどのアメリカの手先化を押しとどめる必要がある。

  
 
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ひこばえ農法の整理

2023-07-19 04:10:26 | 楽観農園


 「ひこばえ農法」では「とよめき」のひこばえはそれなりにしっかりした穂を付けてきている。写真は8番田んぼ。20本ぐらいは穂を付けるのではないかと思われる。収穫的には一期作が鳥に食べられたりしたので、ひこばえの収穫もほぼ同じくらいはあるのではないかと思われる。

 今回2回目の「ひこばえ農法」の試験栽培をして、自分なりの栽培の方針までは行かないが、方向は出てきた気がする。さらによく観察していて、気付くことを探して行きたい。先ずは今までの所を忘れてしまわないように、ここで整理し記録しておこうと思う。

 「アカウキクサ農法」についても、現在まで分かってきたことと、今後の課題をまとめたいと思う。のぼたん農園ではこの2つの農業技術を確立して、何も持ち込まないで出来る、お米の収穫を継続する方法を目指して行きたいと考えている。

「ひこばえ農法の整理」

 1,稲刈りをする時期は早刈りでも、遅刈りでも、ひこばえは変わらない。
 2,田んぼの水は湿潤状態くらいで維持することが良い。
 3,土壌が豊かな物になっていないとひこばえ農法は出来ない。
 4,ひこばえは葉を4,5枚で止葉を出し、穂を付ける。
 5,4,5枚の葉を6,7枚に出来ればより良くなる。
 6,特に止葉は大きく60㎝。幅2センチ。厚い葉を付ける事が目標。
 7,品種によって、ひこばえの出方は異なる。
 8,ウイルス病などの病気がひこばえで広がるので、ウイルス耐性が必要。
 9,株を切り戻す意味はない。
 10,穂を抜いて穂をそろえると穂揃いが良くなる。
 11,一期作の稲を遅刈りする方が良さそうだ。
 12,高刈りすることで出てくる稲の葉の数を増やし、大きく出来る。
 13,土壌が良くなるまでは追肥が必要になる。

「アカウキクサ農法の整理」

 1,アカウキクサが十分繁茂し、漉き込み直播きをすると、他の肥料はいらない。
 2,アカウキクサの増殖の適温は20度から30度である。
 3,リン肥料を必要とする。
 4,自然に新陳代謝を繰り返すが、田んぼでは夏場繁茂しない。
 5,バットグゥアノを試してみたい。
 6,アゾラが特定外来生物として駆除対象なので、注意が必要。

 まだ分からないことは多いわけだが、去年の段階から見れば、かなり成果を上げている。実際の収穫ができると言うことがまず第一歩である。農業は結果次第だ。収穫だけが問題である。畝取りまで行けばその農法に到達したと言うことになる。

 どれほどの知識があり、実践をしているにしても、畝取りが出来ないのであれば何か間違っている。努力が足りない場合が多い。自然農法、冬期湛水、不耕起栽培、叢生栽培、何でも良いのだが、畝取りが出来ていなければまだ不十分な農法であると自覚しなければならない。

 目指している「ひこばえ、アカウキクサ農法」も畝取りが出来たときに始めて、正しい農法と言える。それが出来るまでは未完成な農法である。現状ではその意味で、まったくダメな農法である。人に勧めるどころではない。ただ、この方法には、可能性が大きいと考えている。

 アカウキクサはアゾラの一種である。現在のぼたん農園で増殖させている物は、石垣島の固有種である。特定外来植物のアゾラとは異なる。専門家に特定していただいたものである。アカウキクサは絶滅危惧種である。駆除すべきアゾラとは似て非なるものである。
 
 自給農業はできる限り機械を使わない事が望ましい。出来れば、手作業だけで出来ることが望ましい。しかもできるだけ省力的な物でなければならない。また少ない水で可能と言うことも重要になる。大規模な農地では無く、ちょぅとした、山際の棚田で可能な農法にしたい。

 「ひこばえ、アカウキクサ農法」はその点でも石垣島は可能性が高い。小さい自給農家向きの農法として研究を続けたい。もしその方法が確立できたならば、アジアの島々では可能性が広がるのではないだろうか。だんだん方向も見えてきたところである。

 
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土地開発の無残な結果がある

2023-07-18 04:17:05 | 楽観農園


 ひこばえの様子。4,5枚の葉で穂を付ける。少ない葉をどれだけしっかり育てるかが重要。特に止葉をどれだけ大きく幅広の厚い葉に出来るかで、穂の大きさ粒張りが決まってくる。これから葉を育てる良い方法を探求して行くつもりだ。農総研のひこばえの研究では1期作の半分の収量と言われている。

 小田原の私の家のそばにも、南足柄市塚原にグリーンヒルという、1970年代に大規模開発をして出来た「住宅なのか別荘分譲地なのか 」と言うものがある。今でも空き地があり、販売が続いている。開発された頃よりも価格は下がっている。やはりあれはバブルと呼ばれる、不思議な膨張だったのだ。
 
 開発が始まったころ、東京を離れたいという気持ちが強かった頃で、写生をして歩くついでに、小田急線の栢山駅から歩いてどのくらいの場所か、探しながら尋ねてみた。その頃はグリンヒルまで昼間もバスがあった。条件は何とか東京に通える場所である。その点は可能な場所だった。

 しかし管理の仕組みに問題があった。管理組合が最初から無いのだ。テニスコートや公園などもあるのだが、それをどこの誰が管理するのかが見えない。役所に確認に行ったが、道路の管理なども行政はやらないとはっきり言っていた。これでは買うわけには行かない。

 東京には寝泊まりは出来る場所があったので、学校にはそこから通い、土日と週末東京近郊の山の中で暮らせればと考えていた。その頃房総半島とか、伊豆半島、埼玉の丘陵地帯など、関東一円のギリギリの地域の山の中を探し歩いていた。最終的に山北に土地を見付けて移住して、開拓暮らしをしたわけだ。

 新聞にグリンヒルの広告が出ていた。当時はそうした不動産広告が新聞に良く出ていたものだ。広告の中では健全な開発に見えた。多くの広告は鉾田市の大洋村のように見えた。見に行く気にもなれないものが大半だった。こうした土地開発はひどい結果になるだろうと考えていた。

 バブル時代では土地は必ず値上がりするということで、投資先として様々な開発された土地が注目されていたのだ。今考えれば驚くような条件の土地が、不動産会社が投資目的の開発に力を入れていたのだ。投資だから実際には使わない人も多いから、上手く転売して利益を上げた人もいるのだろう。

 新聞には不相談の広告欄というものがあり、様々なおとり広告のようなものがでていた。慣れてくると、どれがおとりなのか、希望のある物件なのかは見えてくるものだ。グリンヒルのような、大規模開発はそれは関東一円至る所にあった。今は原野に戻ったところが大半である。

 おとり広告は割安な物件であるが、様々なおもしろい問題点がある物件である例えば、崖が売り地なのだがそれには触れずに、その上に少しの平ら地、下にも平ら地というものがあった。ウソではないのだが、微妙な土地。この物件は長い間繰返しおとり広告に使われていた。

 新聞広告だけ見ると、ついうまい話で連絡をしたくなるのだ。不動産屋さんは先ずはその土地を現地案内はするのだが、それは買う人がいるはずもない。それから売りたい物件に誘導してからが、商売である。買い手もわざわざ遠くまで来たので、案内だけはしてもらおうと巻き込まれて行く。

 おとりが上手く行ったのかどうかは分からなかったが、長く新聞広告を切り抜いて比較していると、何度もおなじおとりが掲載されるので、実体が見えてきたのだ。もちろん良い物件だって無いわけではないし、良い不動産屋さんにも出会った。

 当時はインターネットというものはないから、情報は現地に行き訪ね歩くか、新聞広告しかない。不動産屋さんと言っても地元の昔からのお店もある。こうしたお店を尋ねると、私のような者は対象外で、実に場違いな感じだった。何の話をしているのかとちんぷんかんぷんだった。

 新聞に載せるような業者の多くは、バブルに便乗しようとかなり胡散臭い人達もいたのだ。話はそうした不動産屋さんの方がすぐに通じた。それで決めたいと思うような物件もあったが、決断までは行かなかった。決めなくて良かったと今は思っている。

 不動産屋さんというものは、本来見るからにいい人でなければ出来ない仕事だ。出会ってこの人は信頼できるという人でないと、土地の購入を決断が出来ない。いい人の不動産屋さんは成功した。不動産屋さんは千三つ屋と言われることがある。千の内3つぐらいしか本当のことはないつまりウソばかり語る人。

 こうして探し歩いた最後に山北町に土地を見付けて移住したわけだ。その前段に、長い土地探しの時間がある。アーサーミラーの「セールスマンの死」である。大学の時の英語の教科書だった。あの広島弁の先生は良い先生だったのに名前を忘れた。印象に残っている。セールスマンは農園を作る夢を描き続けながら、実現せず死んでしまう。

 夢を描き続けることで、現実の不条理を忘れようとしたのだ。私の土地探しも似たようなものだが、少し違うのは、中学生の時にすでに土地探しを始めていた。東京に違和感があり、育った藤垈の向昌院のようなところで暮らしたいといつも思っていた。

 長い土地探しの結論は、別荘地はだめと言うことだった。大規模開発の投資用物件など論外である。だいたいに管理会社が頼りない。中には管理はしないで売りっぱなしの所多々ある。管理がない別荘地など、販売が終われば荒れ地化して行く。管理会社が売り終われば倒産するという場合もよくある。

 伊豆では沢山の別荘地を見た。管理会社はしっかりしていると思われたが、入る気がしなかった所もある。伊豆の池田20正規美術館の周辺はそうした別荘地だった。一体どういう人が住むのかと当時から不思議だった。そもそもあの美術館は見に行く人がいるのだろうか。友人が個展をやったが、余り人は来なかった。そのような施設が伊豆に沢山ある。

 別荘地の住民は年寄ばかりで、10年後を考えたら怖いようだった。布団を干すのを、商品を届けてくれるお店の配達人に頼むというような状態なのだ。近所に暮らしていて見て見ぬ振りは出来ない。まだ若かった私には年寄に紛れて行くのは出来ないことだった。

 投資などを考えて土地を購入するのは間違っている。移住した山北のその土地は私が開墾したのだが、今も人が暮らしている。良い場所だったので、今暮らしている人も快適なはずだ。今になればその家は建築後35年は経過するわけだが、何の問題も無く、立派に暮らしている。

 その家の建て方ではすぐに壊れると多くの人が忠告をしてくれた。結果を見れば分かるように、まったくそんなことはなかったのだ。地元の人の言うことはだいたいが偏見である。何かいちゃもんが付けたくて、欠陥を指摘する。それでいて無視するとだいたいの人が、親切で言ってあげているのに、不遜な奴だと言うことになった。

 家や土地を買うのに投資目的と言うことが一番悪い。自分が最高に生活するために買うのだ。石垣に家を建てたときも50年は大丈夫な家だと言われたが、そんな必要は無い。私が死ぬ頃壊れれば良いのだから、30年壊れなければ大丈夫だとお願いした。

 石垣島でも投資のために農地が買われている。仮登記をして、その土地を抵当に入れているのだ。だから農業者では無い人が、農地を使わずに仮所有している。本来であれば、農地の仮登記だから、有効期限が10年程度である。仮登記している間に、その人が農業者になるという事が本来の仮登記である。

 こうして動かせなくなった農地は、県の農業公社が解きほぐす以外に方法はない。農業公社には弁護士さんもいるはずだから、法的に行政が関わり生きた土地に戻す必要がある。しかし、実際にはそうした動きを県の農業公社がやった事例は石垣島ではないようだ。

 
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おっくうの克服 

2023-07-17 04:16:50 | 暮らし


 やらなければならないことをなかなかやりきれない。今も頭の中に残っている。この先やらなければならないことでやれない課題が気がかりである。のぼたん農園の作業は終わりがないほどある、考えれば楽しいことだし、やりたいことなのだが、片付けるためにはまだまだ日にちがかかる。

 サトウキビを植えたい。フレールモアーで草刈りをしたい。果樹のの畑の整備をしたい。牧草地いに増えてきている、水牛の食べない、ネズミノオを何とかしなれば。井戸の回りを埋めなければ。0番田んぼと8番田んぼを広げなければならない。

 これがいつも頭に残っている。残っているのだが、だいたいの時間絵を描いては昼寝をしている。それは別に悪くないのだが、やらなければならない農作業に気が重い。なかなかやりきれない。今片付けることが多すぎる。暑いからもある。体力が落ちたこともある。

 すぐにでもやればいいのに、色々積み残していることがある。やりきれないことが頭に残り重い。おっくうを受け入れることはなかなか難しい。嘆いていたのでは仕方がないので、おっくうと上手く付き合う以外にない。完全克服ではなく、妥協の仕方である。

 出来ているのはほんの一部である。やりたいと思うことは山ほどあるが、それがなかなか進まない。残念ながらそれが日々の現実である。体力が無いとか、疲れていると言うよりも、おっくうな気分の方が問題なのだ。何故、やるぞと立ち上がれないかと、気分が重くがっかりしてしまう。

 それでも気力をだしてかろうじて少しずつ進める。考えたくは無いのだが、歳の性かも知れないと思うところもある。以前は確かに考えたすぐそばから、進めることが出来た。一日でやれる量が確かに減っている。このおっくうを押しやるためには、少しでもやることである。


 手を付けると言うことが重要。すこしづつでもやることで気分が変わる。おっくうに負けてしまうと、気分が落ち込む。おっくうだと思うときは、いくらかてを付けることにしている。わずかでもやり出すと、気持ちが変わる。なんかやれそうだなと思えてくる。やらなければと思い、ただ考えていたときとはまったく違う。

 おっくうだなーと言う気分は中学生の時もあった。勉強をしなければと思うと、すぐにモヤモヤに取り込まれた。おっくうの中に迷い込んだ。勉強をするのが大変というより、嫌だなぁと言う気持ちにやられていた。やってしまえばたいしたことが無いことでも、始める前の重さはすごかった。だいたいは机の整理からしていた。

 どうすればやる気が出るかと言うことを考えている内に、好きなことは少しもおっくうではないと言うことに気付いた。鶏や犬の世話をおっくうだと思ったことがなかった。学校に行く前にやっちゃ場に行き野菜くずをもらってきて、鶏に餌をやる。面倒くさいとか、大変など思ったこともなかった。

 おもしろくて仕方がなかったのだ。それが宿題をやらなければとなると、ああ面倒くさいおっくうだと言うことになった。好きなことをして、生きて行く夢にしなければならないと思うようになった。好きなことならいくらでも出来る。努力というような言葉もいらない。それが絵を描くと言うことになったわけだ。

 自給生活を始めて、自給のために農業をすることをおっくうだと思ったことはない。何しろ、自分に課したルールとして、5年と言う期限もあった。自給できたものだけを食べるということにしたから、頑張って作物を作らなければ食べるものがない。随分山に入って食べ物を探した。

 お腹が空いて、食べ物を食べるのをおっくうと思う人はいないだろう。それでも年寄の中には、ものを食べるのがおっくうというような病状の人もいる。生きるというのは大変なものだ。おっくうを克服して、元気に日々を生きることが年寄の課題のようなものだ。

 今、のぼたん農園でやりきれないことに潰される気分は、いいことではない。仕事をやりきる計画を立てなければならない。計画を立てて、何とかやりきれると言うことが分かれば、もう少し気分が違ってくるだろう。計画より遅れるにしても、終わりが見えていれば違う。

 老人性うつ病というようなものがあるらしい。気をつけなければならない。うつ病を発症すると、気分が落ち込む、注意力が散漫になったり、物事への興味や幸福を感じない、やるきが出ない、食欲が落ちる、眠れないなどの症状が出る。記憶力の低下を認めたり、判断能力がなくなったりなどの症状も出るために、認知症ととても間違われやすい。とある。

 おっくうに負けないためには、やりたいことを、やれることからやる。この地道な行動以外にない。やらないで考えているのが一番悪い。考えている内にだんだん気持ちが重くなってくる。全部がやれないとしても、少しでも手を付けることで、状況が変わる。勢いがでて、元気になることもよくある。

 仲間が必要である。たぶん一人ではおっくうに負けてしまう。仲間に助けてくれと言えることが重要だ。のぼたん農園には35人の仲間がいる。力を合わせることだ。そしてすこしづつ前に進む。前に進んでいることが確認できれば、気持ちが前向きになる。自分一人のためだと思うと力は出ない。

 昨日もネット張りを圷さんにお願いした。一緒にやったら何とかすぐ出来た。気がかりだったが片付いたので、良かった。一人ではでない元気も他の人と協力してやるなら、何とか成る物だ。

 やっていることの意義を考える必要がある。中学生の時に勉強をするのがおっくうだったのは、勉強の意味に実感がなかったからだ。自分の生きると言うこととまったく繋がりを感じないことを、義務的にこなす馬鹿さ加減に耐えられなかったのだ。

 今も少しも変わらない。のぼたん農園をやりきることの意義を正しくとらえることだ。のぼたん農園は石垣島の未来に繋がっていると、正面から考えることが出来れば、仲間と力を合わせることが出来る。今までも仲間が助けてくれた。そしてこれからも仲間がいる。

 
 
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