小田原で城が再建されたのは私が子供のころの1960年のことだ。市民運動によって再建されたと書かれている。何でも深く考えない時代の勢いで、鉄筋コンクリート造りで作られたことになる。熱海に町内旅行で行くときに、小田原城脇を通過するとき、一瞬みんなで歓声を上げて眺めた。それからもう63年が経過している。
63年という事は木造建築でない以上耐用年数が過ぎて、耐震補強をしなければ取り壊さなければならない。平成27年に補強工事を大大的に行った。木造再建運動も根強くあるのだが、延命策を現実的に行った。小田原評定らしく、決定的な判断は先延ばしにされたことが小田原城にふさわしい。
お城ブームという事もあって全国に木造本丸再建の活動がある。中には元の形が分からないのに作ろうというところもあるそうだ。小田原城も完全に設計までわかっているわけではない。特に名古屋城の再建話が話題になる。木造再建の方向でかなり進んでいる。あの、バリアフリー問題はいかにも現代の再建問題だ。
再建後の収支計画なども出ている。やり方次第で黒字化できると考えているようだ。私にはお城が黒字の施設になるとは信じがたいことだ。誰がお城など見たいものか。テレビでよくお城特集をしているから、お城に何度も行く人がいるのか。然し乗り鉄がいても鉄道は赤字路線ばかりだ。黒字化した場合はいいが、しなかった場合は誰が責任をとるのだろうか。たぶん名古屋市民という事になる。
城というもんが嫌いだから、現在江戸時代から残っているお城以外は壊して公園にするのが一番だと考えている。日本には文化財指定されている城が12だかあるらしいから、それだけでもう十分である。何故嫌いなのかと言うと、日本の権力を見るような気がするからだ。嫌な武士文化の象徴だからだ。武具などが展示してあるのを見るとぞっとする。
農業遺構は一切無視して、お城ばかり騒いでいるのが腹立たしいのだ。久野の棚田だって、小田原城以前から続いている棚田だ。行政がそういう眼でこの地域を見たことは、一度もない。そしてため池はごみ溜めにして埋めてしまった。天子台を掘り抜いた水路のトンネルは跡形もなくなった。
歴史の断面は縄文時代出来るか。弥生時代なのか。古墳時代なのか。その後のことなのか。断面は重層的なものになる。古いからと尊いともいえない。重要な過去の区切りは、今につながる暮らしが見えるものである。久野で言えば久野に水田が作られ、人が多く済み始めたころの遺物であろう。
小田原城では、江戸時代にこんなに木があったわけではないというので、巨木が大量に切られてしまった。どこに視点を置くかで歴史も変わる。歴史で何が大切か。大切なことは日本人の過去の暮らしである。お城など権力構造の遺構だろう。そうしたものを庶民が崇めるようでは恥ずかしくないだろうか。お城も多くの遺構と同じなのだ。
名古屋城には、若武者の格好をした集団がいて何か演武をやっているらしい。歌舞伎者というのだろうか、正視しがたい見苦しいものだ。こういうおかしなものはアニメーションから派生しているのだろう。アニメゲームの大半が戦い場面なのだ。それも頭脳戦というよりも、指先の反応速度ゲームだ。
お城ブームの背景を考えると、くだらない大河ドラマの影響もあるのだろう。大河ドラマというものを見たことはない。あんなものを作るNHKに視聴料を払いたくない。払いたくないがさすがにNHK党は嫌だ。私は問題ある期間の視聴料を払わないでいる。
正式に払わない理由に関する質問状を出して、返事がないので判断のしようがないので、視聴料の払いを保留している。それなのに、一方的に繰り返し請求書が来る。何故、視聴者からの公開質問状に返事がないのか。督促が来た時に再度質問しているがいまだに返事がない。だから払うことも出来ない。なんと腹立たしいことか。
NHKは批判精神を喪失した。NHKが大河ドラマという権力の歴史を、歴史のごとく放送しているのが、日本人を洗脳している。公共放送として、一体何を伝えることが役割と考えているのだろうか。文化のかけらもない。文化としての歴史をどのように考えるかの問題である。大河ドラマ張りのお城再建なら止めにしてもらいたい。
権力者の歴史を崇めたいと考えるのは権力者だ。権力者になろうというような政治家の歴史認識は、権力の歴史なのだろう。それに乗せられている庶民の姿が、戦前の勝った勝ったとちょうちん行列をしている日本人の浮かれ姿を思い出してしまう。
自分の足の下に続いている地獄の戦争が見えないのだ。報道の体制翼賛化とはこのことだ。お城ブームは軍国主義の足音である。お城など止めて、農業遺構で行こう。農業で日本人は生きてきたのだ。その原点を大切にした方が平和憲法の日本にはふさわしい。
観光資源が増えるというのであれば、何でもかんでも悪いことではないだろうと、考える経済の時代である。観光の方向性を吟味すべきだ。石垣島にもグスク跡らしきものがある。フルストバル遺跡という。石垣が再建されている。戦時中軍隊がこの石垣を崩して飛行場の格納庫に使ったものを、再度戻したという事である。
それでもすべてが戻された訳ではない。まだ当時の姿にはかなり遠い。当時の集落跡と考えることが正しいようだ。海の見える高台にあるという事は、海が見えることが意識されて作らている。宗教的な意味合いもあるのかもしれない。交易や漁業との関係もあるのかもしれない。集落には井戸や御嶽跡らしきものもあったと聞いた。
当時の住居跡であれば、想像できる範囲で当時の住居址を再現する必要がある。歴史で大切なことは、当時の庶民の暮らしの手がかりである。アカヤオケハチの活躍よりも、当時の庶民がこの島で、どれだけ心豊かに暮らしていたかの方が大切なことだと思う。人頭税の弾圧だけではない。
フルストバル遺跡を間違ってもオケヤアカハチの蜂起した城跡などにしないでほしい。ついでに書いておけば、石垣島で一番大切な遺跡は、多良間田んぼである。ここにはさまざまな庶民の歴史が現れている。多良間島に暮らしていた人は、何故石垣島迄来て田んぼをやらなければならなかったのか。石垣島の郷土史家からもこの場所は軽んじられている。
あの美しい場所で何が行われたのかは、残すべきものだろう。税の徴収の問題がある。人頭税の時代である。薩摩藩、琉球王国の2重支配である。石垣島の安良地区の人たちとの関係はどのようなものだったのだろうか。多良間の人は納税のために石垣島で田んぼを作らなければならなかったと私は考えている。田んぼが好きだから石垣島で田んぼを始めたわけではない。
歴史で大切なことは庶民の暮らしである。柳田国男氏はそのことを繰り返し書いている。そこを見直さなければ、この先の日本人の方角が見えてこない。島は予想外に豊かな場所だったのだ。柳田国男はマルクス主義歴史学者にも誤解されてきた。柳田国男を国粋主義だと見誤ったのだから情けない。
老朽化したコンクリート城は熱海城と変わらない。早く取り壊し公園にするのが正しい選択である。