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井戸水工事

2009-07-31 04:42:10 | 自給
井戸水の工事をした。家の一番上まで、井戸水が上がるように工事をした。高低差で20メートル。距離で40メートルある。その間4箇所に蛇口をつくり、使えるようにした。この井戸水は越してきた10年前は出が悪く、使えない井戸だった。近所の人も井戸は出なくなったといわれていた。それでも、使っていれば、詰まりが取れて、段々に出が良く成ると思い、せいぜい使っていた。やっはり、考えたとおり、以前より良く出て使えるようになった。それでは、この際、上の鶏小屋まで、水が出るようにしようと考えた。上のハウスでは、種蒔きやら、育苗もやるので、水が欲しいとは以前から思っていた。しかし、考えてから3年経過した。やりたいと思っていても、なかなか踏み切れないものだ。最小限の家もいよいよ完成した。こちらは岩越さんのお陰である。難しくて、窓が出来ないで困っていたら、岩越さんにお願いできることになった。

最小限の家にも水がいるし、決意して工事を始めた。2日間かかった。水道工事というのは、難しい所はない。ただ根気良く丁寧に、順番に進めれば完成する。所が途中いくつか設計変更やら、コース変更やらおきた。その為、材料を買いにビーバートザンニ5回も行く羽目になった。あれが足りない、太さが違う。金属とはつなげない。距離が足りない。仕事は段取りと言うが、段取りが悪すぎる。手順が悪いのはもう諦めて工事を進めた。穴掘りをほとんどかよ子さんがやってくれた。暑かった。これだけの高さをポンプが上げられるかと心配したが、意外に力があって難無く上がった。一番上でも結構水のでは良かった。途中一番の難関は物置小屋の裏の狭い所を工事していて、蜂に刺された。蜂の巣が結構あちこちにある。最小限の家の手すりにもあった。しかし刺されても大して、痛くもなかった。

そうこうしていたら、午後は大豆畑での水抜き工事を、Mさんがユンボを出してくれると言う事になり、井戸水工事を急いで終わらせて、3時には大豆畑に行った。こちらは、Mさんがユンボで掘ってくれたので、ほとんど見ていただけだった。途中ユンボが水路脇の路肩の弱いところで傾いて、肝を冷やした。電話で救援を頼んだりして、一息入れようと言うので、飲み物を買いに行って帰ったら、工事を再開していた。何とかアルミのはしごを使って抜け出たそうだ。危ない所だった。6時にはそちらの工事もうまく終了した。水はドンドン抜けているのに、ドンドンたまっている。この工事はやってよかった。このままでは大豆は危機だった。去年より上の田んぼからの、漏水の量が半端でない。田んぼになるかと言うほど、水が入っている。

工事工事の一日だったが、何とか、どちらもいい結果に終わった。最小限の家の方も、立派に完成したので、酒匂の花火に間にあった。これからの季節、ここで夕食をするのが、気分がいい。見晴らしもいいから、清々する。月を眺めるにももってこいである。近い内に泊まろうと思う。夏の間は、最小限の家にとまるのもいいだろう。セルフビルドは、専門家との連携がないと大変だ。岩越さんのお陰で、難しい所はやってもらえたし。Mさんのお陰で、大工事が出来た。上手く手伝ってもらえる連携。しかも自分が出来る所は自分でやる。いい仕事ができた。
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年収300万円以下が50%

2009-07-30 05:51:00 | Peace Cafe
2009年度の経済財政白書では、日本経済の深刻な状態が指摘されている。企業内失業者が607万人いるそうだ。労働者数が6,412万人。完全失業者数は5月時点で347万人だから、働くべき仕事がない人が、954万人と言う膨大な数である。農業者数が500万人、販売農家数で179万戸。どれほど失業者がいるかがわかる。働きたい人の16%が仕事がない。企業内失業者と言うのは、給与は出ているのだから、それでも、企業は経営が続けられるのもすごい。企業の農業進出は、無給で出来るのにやらないという事になる。高給取りの社員が、仕事がないので工場の庭の芝生の草むしりをしていると言う話があった。それぐらいなら畑をやればいいのにと思うが、それでも農業はやらないほうがいいと考えている。いずれにしろ、働く人の10人に1人は仕事をしていない状態。そんな話は何時までも続く訳がない。どこかで企業にも限界が来る。

格差の方も当然広がっている。年収300万円以下の人が50%を超えた。企業は非正規雇用を切り捨て解雇しているが、あいかわらず、雇用者数では非正規雇用の比率は増大している。企業の中に余剰人員があふれている状況で、正規雇用はとても出来ないというところだろう。一方、最低賃金を上げるそうだ。農業分野での雇用はいよいよ困難が増す。困難が増すだけでなく、国際競争力は遠のくばかりである。農業は一次産業で、労賃が直接生産品に結びつく、産業である。コストが直であるから、企業のように余剰人員を大量にかかえるなど考えられない仕事である。国が考えるべきは、農業分野の雇用労働者でなく、自営する農業者を育てる方法である。当面は農業法人での雇用には、現在補助金制度がある。この補助金と言うのが案外曲者で、どこのどの農業法人でも、気軽に簡単に利用できるようにはなっていないらしい。と言うのは、すこし読んでみたが、面倒くさいので考えない事にした。

自然養鶏業が企業経営として成り立つか。成り立つなら、どこかの企業がやりそうなものだ。私は、この点では何度も相談を受けている。実際に始めた所も2箇所あった。しかし、正確な所は知らないが、その後止めたらしい。現在、ワタミが私と同じような規模でやっているぐらいである。そのワタミも北海道せたな町では撤退したとある。農業生産法人の経営を支援する「日本農業再生パートナーズ」が23日発足した。農業経営の現実は厳しく、農業生産法人の経営破綻(はたん)や予備軍が増えているという。発起人には整理回収機構(RCC)の奥野善彦前社長やワタミの渡辺美樹会長のほか、農林水産省の事務次官経験者や農業生産法人の代表ら16人が名を連ねている。農業生産法人や農家から、年間百数十件の支援要請や相談があるという。大型ハウスで順調にトマト栽培を続けている農業生産法人でも数億円に及ぶ初期投資が経営を圧迫している例や、飼料用トウモロコシが高騰し何億円ものエサ代が焦げ付く寸前といったところもある。ぜひともワタミの渡辺さんには成功例を見せてほしいものだ。

にもかかわらず、景気は回復傾向にあると、又以前の繁栄にもどる。こう言う幻影を作り上げている。その幻影が、954万人の働けない人を生み出している。企業は又以前のようになるから、我慢して、雇用を続ける。失業者も景気が良くなれば、以前のような割の良い仕事があると考えている。そう言う形の再生はないという事を、政府はきちっと表現すべきだ。経済白書では輸出の予想外の落ち込みが、こうした緊急事態を生み出したとしている。その上で、経済の再生を輸出の回復に期待している。アメリカや中国経済回復が全てである。もう、海外に依存した産業の構造から、脱するべきではないか。貧しくとも、自立した国家を目指すべきではないか。100%が年収300万円の国になれば、格差はない。それの方がよほど健全だと思う。
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エコトイレとダンボールコンポスト

2009-07-29 04:32:18 | 環境関連
段ボールコンポストで犬の糞の処理を始めた。犬小屋の隣に置いてある。いつでも気軽に、コンポストの中に、糞を入れられるようにしてある。2週間が経過して、とてもいい調子だ。コンポストの量が増えることもない。いやな臭いがすることもない。2匹の犬がいるので、糞の量は結構ある。日に1キロ以上ある。この糞が消えてゆくのだから、ダンボールコンポストは、すごい消化能力だ。と言っても糞が消えてゆくのは、昆虫の力が大きい。黒い4ミリほどの甲虫である。ガムシ科のものではないかとおもわれる。糞を食べる虫だが、不快感は少なく、小さなコガネムシと思えば、嫌悪する必要はない。今まで犬の糞は畑の堆肥の中に放り込んでいた。畑まで持ってゆく手間が億劫なものだった。散歩中の糞を持ち帰るとしても、どう処理したらいいか。困っている人は多いいだろう。一番聞くのは燃えるゴミとして、出してしまうと言う話だ。

ダンボールコンポスト普及の最大の、ハードルは、虫の発生にある。不快昆虫が発生するから、やりたくないという人がほとんどである。室内で生ごみを処理する時は、特にこの点が問題になる。アルコールスプレーで処理するなど、発生を最小限にとどめる方法を模索してきた。しかし、自然の循環の主要な部分を昆虫は担っている。それほど毛嫌いしたら、可哀想ではないか。現代人の暮らしが、ムシを忌み嫌うようになったのは、コマーシャルの影響が強いだろう。「ルーチョンキー」と叫ぶ、谷啓さんの印象は残っている。ゴキブリの排除が近代化。最近は見えない菌類まで、排除が及んで、除菌がコマーシャルで繰り返されている。さらに、臭いまで忌み嫌われる。私などは、加齢臭の標的である。においはとても大事な情報だ。大事な臭いがなくなれば、初期の発見には支障をきたす。なにか、犬の遠吠えのようで、書きながらも時代に遠くなりにけり。

犬の糞を処理する段ボールは犬小屋の隣にある。糞をほおりこんで簡単にかき回すだけだ。かき回さなくても、放り込むだけでもなくなるだろう。翌日にはまっ平らになっている。表面のラインが出来ている。そのラインが一向に上がってこないから、無くなっている。中を見ないで処理すれば、虫嫌いの人でも可能かも知れない。大半の虫は、人に迷惑をかけるわけでないので、付き合いが長くなれば、親しむ事ができる。
実は、あまりの好成績に第2段階には行った。衛生派の方は、この先はイメージに問題があるので、読まないで下さい。
ダンボールコンポストの防災グッズ化である。災害が起きて、ごみの回収がない。断水が起きて、トイレが使えない。ダンボールコンポストトイレである。都会での災害時に困るのはごみと、トイレだったと言われている。

エコトイレの利用法。普段から、ダンボールコンポストを使っていれば、ごみ処理に困ることはない。さらに、ダンボールコンポストを使った、非常用トイレを開発すれば、災害時には大いに役立つ。という訳で実験を始めた。若田さんの作った、希望実験室に勝るとも劣らない。貴重な身体を張った実験である。理論的には人糞は犬の糞より簡単なはずだ。消化力が人間は弱いから、栄養満点で、虫も好むはずだ。尿は入れない。尿は尿でかんたんに処理できるので、また別の機会に書く。予想通り、完全に消化している。虫の活動が活発化した。以前より蝿が集まってくる。しっかりと覆いの布をしないといけない。人に判るほどの、臭いがするわけではない。ダンボールトイレの新時代到来。1家に1台防災グッズとして、ダンボールコンポストは養成しておく必要がある。普段から、生ごみを処理して、いざと言う時はトイレにも利用する。
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派遣村のその後

2009-07-28 04:58:39 | Peace Cafe
派遣村の登録者は630人いたそうだ。そのうち実行委が現在住所を把握している人は260人。その人達にアンケートを行った。回答を寄せてくれたのは108人。就労が確認された人となると、わずか13人という。この結果をどう考えたらいいのか。就労しない90%の人は、適職がないからより、働く意欲が弱いと考えた方がいいのではないだろうか。働く意欲が弱いと言う結果を、一言で行ってしまうと、日本の社会のあり方が大いに関係している。それは教育や社会環境や格差と呼ばれる企業体質がある。と同時に、働きたくない本人の問題とでもある。派遣切りが言われた時両論に分かれた。派遣と言う制度を悪用した、企業の利益至上主義批判。一方、派遣と言うような宙ぶらりん状態を望む多くの就労者の意識の問題。資本主義経済の金権主義、とも言える人間不在。価値観の喪失に伴い、自己存在の方向づけが出来なくなる個々の人間。経済的成功から脱落した時、経済以外の価値の存在に目が向かない現実的絶望感。

自殺者が予想どうり、過去最悪のペースらしい。生きる力の衰退。日本という国家の仕組みの問題であり、同時に地域社会の崩壊しかかっている姿である。過去の地域社会が良かったなど少しも思わない。むしろ、堪らない、ひどい地域の仕組みであったが、良くも悪くも目が行き届いていた。個人主義が尊重され、個人が生きると言う事は、あくまで個々人の責任と意志が尊重される。と言う建前なっている。社会とい枠組みには方向性もいらないし、価値観思想もなくていい。私もそうした思想の真っ只中で、教育を受け、主張して生きてきた。所がこのやり方では能力主義、金権主義が巾を利かすようになってしまった。弱肉強食。大・小の「ホリエモン」が蔓延る社会。そう言えば、自民党から立候補までした。勝者の思想。日本はどこに行けばいいのか。

生活保護者の増大。働きたいが、職業がない。そう言う事ではない場合の方が多いい。あえて言いきってしまえば、気にあう職業がない。働く意欲が弱い。その原因は個々で、まるで違う。こう言う、書きたくもない、暗い話を書いたのは、農業の就業が若い人の間で増えてきたことだ。農水関係で、4月15日から6月30日までに雇用された2500人のうち、農業1226人、林業1081人、漁業53人の計2360人。目立ったのは20代。農業では43%、林業では27%、漁業では38%と、いずれも最も高い割合を占めた。次いで30代で、農業では30%、林業で25%、漁業で28%に上った。最も雇用数が多い農業では10代も8%おり、8割以上が30代以下となった。この事実を見ると、若者こそ期待できる。その兆しが見えて、嬉しくなったのだ。

農水関係の仕事が、見直されてきている。日本はこの若者達の行動に、希望をかけるしかないと思う。国はこの流れが本流になるよう、最大限の力を注ぎ込むべきではないか。今、行うべき投資は、将来の日本のための投資でなければならない。15兆円もかけた補正予算の行く先は、現在苦しんでいる企業の救済が主目的になっている。これはカンフル注射のようなもので、一時的には凌げるかもしれないが、根本的課題解決には程遠い。意欲を持って農林水産業に就農した、若者達。雇用してくれた様々な組織を、なんとしても盛り上げて欲しい。こうした、身体を使って、食糧を生産しようという素晴しい青年達がいる。これはとても貴重なことだ。健全な日本の兆しではないか。身体を使って働く意志のある若者の生活が、成り立つような社会でなければ、健全な社会とは言えないだろう。
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タスポの情報が検察に

2009-07-27 05:07:58 | Peace Cafe
タスポはタバコの自動販売機の成人認証カードである。この情報が検察当局から、日本たばこ協会に情報提供の要請があり、当人に断りなく情報提供していたことが分かった。従来より、クレジットカードや携帯電話の使用履歴は捜査当局に使われてきた。国家による情報管理が、どんどん進んでいる感じがして、気持ちが落ち着かない。私はあまり出歩かないし、携帯電話も使わないから、それほどカードを持っていない。それでもビサカードを持っている。インターネットの料金の支払いは、カードでなければいけないというので、仕方なく、7年ほど前に郵便局でカードを作った。郵便局はビサカードの年会費が無料だったからだ。最近、郵便局が、郵貯銀行に変わって、送られてきたカードにはビサカードがなくなったようだ。と言う事は、このインターネットはどうなるのだろう。全くわからない。何故振込みでいけないのか訳がわからない。

カードと言うシステムを信用できないのだ。分からないから信用できないと言うのもあるが、そこにある情報を簡単に、第3者が利用するおそれを感じる。パスモといったカードがある。スイカといのもある。電車にも乗れるし、コンビにでも買い物が出来るらしい。らしいと言うだけで、実態はまるで知らない。友人と行動を共にすると、駅で切符を買うので待たせてしまい恐縮する。どうも携帯電話の中に、このカードが組み込まれているらしい。加えて「得をする」というのもあるらしい。クレジット機能もあるらしい。想像をふくらませるだけだが、搭載の携帯電話を持ち歩けば、現金という物を持ち歩かず、全てがすんでしまうと言う事なのか。と言う事は、一人の人間の行動が全て把握できると言う事になりやしないか。これを集めて分析すれば、電通のような企業には、大いに役立つだろう。

電通だけではない、権力を握ろうとするものにも重要な情報になる。検察としては、タスポの情報があれば、犯罪の立証ができると言う、場面はあるだろう。しかし、問題はグレーゾーンだ。どこまでの情報収集が許されるかは、大いに議論されなければならない。権力による電話の盗聴が事情によれば、法的に許されている社会である。日本には「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」が存在する。検察・警察が盗聴をやるやらないという事は別にして、存在すると言う事の意味が大きい。犯罪も抑止するし、国民の自由な行動も抑止しかねない。憲法違反の法律であると言われるゆえんである。権力はグレーゾーンを広げる。例えば、平和パレードを行えば、一人ひとりの顔写真を取っている。何気ない行為に見えるが、そう言う事には実に熱心である。こんなことを書くと、恐くて平和パレードにさえ、出れないという人もいるだろう。しかし、現場を確認しているので書いておく。

タスポの情報提供は、水面に現れた氷山の一角である。記録された情報は全て流れ出る。そう考えた方がいい。それを防ぐ手立ては、カード加入者の側にない。銀行の情報であろうが、行政の情報であろうが、担当が犯罪行為に走れば、全てが流出する。厳密な情報管理の手法が確立されていない。確立していないまま、国民総背番号制に匹敵する、情報管理が進んでいる。コンビニでの買い物行動の分析から、特定個人の思想的傾向の分析を行うことは、可能なのかもしれない。もちろん細部について全くの無知だ。必要以上に怖れている傾向はあるだろう。しかし、タバコの自動販売機を廃止すれば、タスポとやらがいらない事はわかる。人間らしい交流のある社会に戻る為のコストは惜しむ必要はない。スーパーのポイントカードも、お得ではあるが、使いたくないのだ。この一年こいつの買ったのは、あきれてしまう。などと他人に見られているのは、どういうことやら。

機能の自給作業:長ネギの定植準備など2時間 累計時間:29時間
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狂犬病ワクチン注射は必要か

2009-07-26 05:05:39 | 身辺雑記
「 狂犬病:予防接種わずか4割」 狂犬病予防法に基づき、すべての飼い犬に義務付けられている。 国内では1950年に狂犬病予防法が施行され、飼い犬の市町村への登録と年1回のワクチン接種が義務化された。国内で犬にかまれて発症した狂犬病患者は54年を最後に確認されていない。半世紀以上、国内発生がないことが人々の危機意識を弱め、近年は登録率、ワクチン接種率とも低下。ペットフード協会の調査による国内の犬の飼育匹数(07年度)は推定1252万匹に上る。そのうち厚生労働省調査による市町村への登録匹数は約674万匹、ワクチンを接種した犬は約510万匹にとどまる。登録率は54%、接種率は41%。
まだまだ、摂取する人が多いいことに驚く。私は狂犬病のワクチン接種をしていない。これは義務違反である。後ろめたい気持ちがないわけではないが、犬の事を考えると可哀想で、ワクチン接種は出来ない。

とんでもない奴だと思われる方もおられるでしょうが。私自身もワクチンという物はしない。基本、医師にもかからない。ワクチンというものが、完全なものだとは考えられない。今回のパンデミックが言われる、豚由来のインフルエンザも80歳以上は免疫があると。驚くべきことが確認された。これは70年前に流行したインフルエンザに感染した為に、起きている事の可能性が高い。所がインフルエンザワクチンの免疫力とは、一年限りのものとされている。80年も続く自然免疫と、ワクチンによる免疫とは、何かの違いがある。今の科学では証明されてはいないが、結果は違いを表している。私はこの違いは、交差免疫と言われるような、類似の病気に感染しにくくなる、免疫力も違っていると考えている。だから、自然状態で病原菌に感染し、発病させないこと。これがとても重要と考えている。

アメリカでは4万人の豚由来インフルエンザ感染が確認されているが、推定では100万人の感染といわれている。さらに、300万人の免疫が確保されたと考えていいだろう。発病せずに免疫を確保する人も多いいはずだ。1人が明確に発病したら、100人が免疫を得たと考える。これが生き物の、生存の法則である。そうやって地球と言う環境の中で生き残ってきたのだ。狂犬病がどれだけ流行しても、野犬がいなくなるわけではない。狂犬病予防法は国内に狂犬病がいることを前提にして出来た法律である。50年以上発生していない状況は、国内には全く狂犬病の病原菌が存在していない事を意味する。行うべき事は、犬の輸入の際の検疫を完全に行う事。これは成功している。また、不法輸入される犬がないように、徹底した管理をすること。これで、狂犬病は防げる。それが55年間日本で発病がないという結果である。

船員が不法に持ち込むおそれがある。こう言う指摘がある。船で犬を運んでくるために1週間以上の時間が必要である。もし狂犬病が潜在化していたら、この間に発病する。密輸入するものも、商取引であろうからその程度のチェックは出来るはずだ。日本国内で起こることはほとんどない状況である。国内に入る事の防止に全力を傾注すべきだ。それでも万が一、発生したなら、それからワクチンを摂取すれば間にあう。犬を放し飼いにしている環境ではないから、それからでも蔓延は阻止できる。55年も国内での発生がないのに、国内に存在する事を前提にした法律に縛られる事はない。実はこの法律を死守しているのは、ペット病院である。狂犬病ワクチン接種が経営の戦略になっている。ペットがお医者さんにかかるなどと言う事は、昔はなかった。その道筋を開いたのが、狂犬病ワクチン接種だと思う。
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太陽光発電買取価格倍増

2009-07-25 04:31:58 | 環境関連
太陽光発電の電力会社が買い取る価格が、倍増する。実にありがたい話だ。実現したら、一気に太陽光発電は普及するだろう。ところが
「太陽光発電、全世帯で負担 コスト料金に転嫁、来年4月から」
 経済産業省は23日、総合資源エネルギー調査会の小委員会で、電力会社が、家庭や学校などの太陽光発電の余剰電力を買い取る際の費用を電気料金に転嫁する新制度案の概要を提示した。料金を転嫁する対象は全世帯とし、2010年4月から上乗せを開始する。上乗せ額は、11年度は標準家庭で1カ月当たり30円程度、15年度には最大で100円程度になる見通しだ。

大体の新聞がこの調子で書いてある。これを読んで、意味が理解できなかった。家庭の負担が増える。これだけが強調されている。確かにそのとおりなのだが、太陽光発電の普及において、通らざる得ない道だ。簡単に言えば、記事が片手落ちになっている。そもそも電力には原価に差がある。水力発電の電気にしたい。原子力発電にしたい。各家庭が選べるようにすればいいのだ。太陽光発電の電気はコストが買い取りだから、明確だ。確かに水力発電が高いだろう。総合的にかんがみて、判断しなければならない。原子力発電のコストも、末代に及ぼすリスクまで含めてコストを出す。政府が負担している部分、周辺住民対策費なども見えるようにすべきだ。そうした客観コストをだして、選択性にするのが本来である。何が高いか安いかは、今の状況ではわからない。考え方によって、価格は変わる。

環境の為に、未来の人間の為に、少々高くても、再生可能エネルギーの方がいいと言う人もいるはずだ。すでに、グリンエネルギーと言う制度がある。いくらか電気代から寄付して、グリンエネルギーを普及すると言うのだ。私も入っていた。所がこの寄付で運営されている団体の行動が、少々おかしかった。東京電力の原子力事故隠しに対し、何の発言もしない。何度か質問も出したが、ハッキリした反応がない。まるで、東京電力の提灯持ちのようなのだ。それで止めた。今回の太陽光発電の買取価格倍増が、正当なものかどうかは、正直判断材料がない。分かるのは、太陽光発電をやっているものは得をすると言う事だ。もうそこまでしない限り、CO2削減の国際公約は果せない所にきている。日本の家庭の全ての屋根が太陽光パネルになれば、家庭電力は余る。各家庭の電気自動車ぐらいまかなえるかも知れない。

京都議定書以来の日本の態度は、大問題である。平和国家と言いながら、エネルギーに対して、優柔不断な態度を続けている。CO2の削減は、コスト高なのだ。経済至上主義のアメリカと日本は、この辛い選択が取れないのだ。国際競争力に影響することを怖れている。原子力は使わないと言う、ドイツの選択はドイツの産業にとって、大きな負担だろう。それでも、やりぬきたいというドイツ国民の英明さを学ばなくてはならない。報道は各家庭の負担増ばかり書いているが、事業所も負担増は同じだ。家庭負担の月額100円を問題にしているが、消費量の低い家庭の契約料金を100円値下げしたらいい。10A契約が273円である。これを173円にする。使わない努力をしたら、負担増にならな暮らしを選択できるように、同時にしたらいい。無駄に電気を使わないことが、本来の目的である。

昨日の自給作業:種蒔き準備など1時間 累計時間:27時間
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夏の畑

2009-07-24 05:36:38 | 自給
田んぼはやることがない。今干しているが、水の駆け引きもないから、稲の変化を見に行くだけで、大して面白くない。少しづつ太くなり、茎数が増えている程度。まして、今年は干しに入ってから雨続き。梅雨末期の豪雨である。梅雨明けとかもう信じる方が間違っている。そうした昔の季節感を残していると、大間違いをやらかす。全く油断していなかった。大雨が来ないで、梅雨が明けるわけがない。そう思うことにしている。今朝は累計雨量で50ミリを超えた。こんな状態だから、日曜から、5日目経って土にひびすら入らないから、つまらないまま、今日は再度水を入れる。8月の良いタイミングでもう一度干すつもりでいる。そこで草刈でもやれば良いのだが、これが雨で斜面は危ないので、続けては出来ない。雨を眺めている。蓮池にどれだけ水がたまるかが、楽しみだ。屋根の水は全て池に流れこむ。池には蓮と稲があるが、美しく成長している。

池を眺めながら考えるのは、夏の畑の事だ。先日の松本さんの勉強会で、農家は畑を片付ける。と言う事で、秋冬を見据えた、農作業を教えていただいた。その成果を出したい。種を先ず買いに行った。そして育苗トレーも10個買ってきた。この春成功したので、苗は育苗トレーで作る事にしたのだ。そこで、雨背を見ては畑に出る。「サクサク王子」を蒔いた。サクサク王子は蔓なしインゲンである。味がとてもいいそうだ。インゲンはああ見えて、とても味が違うものだ。上手いとカラシ醤油で、どんぶり一杯食べる。この命名からして、多分若取りして繊維分がないのではないか。インゲンはこのところ自家採種していたので、王子さんは初めて作る。種を育苗箱に蒔いて、雨ざらしでいいか。大抵は問題ない。雨は水に酸素が混ざっているから、腐ると言う事はない。ずぅーと濡れているが、元気に大豆は成長している。

トオモロコシも8月1日に蒔く予定だ。早いのと、遅いのを2通りやる。早いのは今頃まで食べ続ける。毎食でも良いぐらいウマイ。その畝を3列準備した。200粒蒔く。4こづつ食べて、10月ごろ50回か。トラタヌ計画。トウモロコシは充分に発酵の進んだ鶏糞を入れる。畝底に撒いて土と馴染ませておく。2週間したら種が撒ける。8月に照準を合わせて、キャベツ、カボチャ、キュウリ、ハクサイ、の苗作り。トレーも買ったし、後は用土だ。山土は充分貰ってある。クンタンとピートモスを混ぜる。ピートモスは心苦しい。お許し下さい。実はクンタンも買ってきた。中国製50リットル695円。重ね重ね、お許し下さい。用土は種を蒔くタイミングで、作る。作り置きは良いことがない。育苗トレーが何故いいのか。水遣りにムラが出来ない。移動が楽。根の延びがいい。要するにベターを狙うぐうたら向き。

今年は、太陽消毒を試みる。これはそらやさんに教えていただいた。種を蒔くあたりの畑に、肥料分を入れて、耕して、雨に打たせる。その後透明ビニールで覆う。1ヶ月経った所で種を蒔く。蒔いた種の植えには、上手く柔らかな草などで覆う。これで、ネギや人参のくさがだいぶ抑えられるそうだ。太陽消毒と言うより、地表部分の雑草の種対策。いつも草にやられて、ろくに人参ができない。細かく草をとるというようなことが出来ないのだ。草を摘まむ、タイミングをいつも逃す。まだいいと、もう駄目だ。の繰り返し。夏の暑さを上手く使うのが面白い。ネギ苗も当然作れない。タマネギは今年は苗がある程度は出来たが、長ネギが駄目だ。長ネギも苗を買う事になる。そろそろである。こうして中半端である事を気にしないでいないと、続きやしない。

昨日の自給作業:畝たて、種蒔き2時間 累計時間:26時間
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イオンの農業参入

2009-07-23 04:31:07 | 自給
イオンは農地リース方式を活用し。牛久市で2・6ヘクタールの農地を確保し、キャベツなどの露地栽培のほか、ハウスで小松菜や水菜を生産する。初年度は約300トンを生産する計画で、千葉、茨城県を中心とした関東地方のジャスコ約15店で販売する。3年後には、農地を15ヘクタールまで広げる予定。コスト構造を見直すことで独自ブランド(PB)で2~3割程度安く販売できるという。

キャベツの露地栽培をやるらしい。2、6ヘクタールからのスタートである。2~3割安く販売できると言う、社長の発言がさもありなんと言う所だ。差別化して、国際競争力のある野菜を作るなどとは、けして発言しない。どちらかと言えば、農家から野菜を買い叩く、そのための野菜生産じゃないの、と言う風に農家としては、穿って聞こえる。イオンがやろうが、農家がやろうが、この程度の面積の野菜生産で価格差が出るというのは、市場の仕組みを無視した行為だ。我々の直売もそのとおりだが、イオンがやるというのは、意味が違う。大半を市場を通して購入しているのだろう。市場を育てると言う役割を捨てていることが、見えてくる。自分さえ良ければいいという事になりやしないか。競争なのだから、当たり前だろう。多分、ほとんどの人がそう思うところ。安くていいなら文句ない。しかし、そうやって、イオン以外の農家が無くなって困るのは、買って食べる人だ。

しかし、イオンの試みが、計画通り広がって成功するとは、到底思えない。「3年後には、農地を15ヘクタールまで広げる予定。」という。成功してもイオンの規模からしたら、あまりに小さい。ちょっとした野菜農家1軒分。農の会より小さい。本気とは到底思えない。イオンの野菜の1%にもはるかに届かないだろう。それでも、消費者にはアピールできる。ニュースでも取り上げられる。政府には褒められる。この辺の効果を見ている。イオンの野菜は自社生産。こんな風に思わされる人もいる。正確に見る人でも、社会意識の高い会社だと思うかもしれない。もしかしたら、株価も上がったか。いずれ企業の農業参入は流行りだ。セブン&アイ・ホールディングスも既に始めている。和民は早くから始めたが、たいした広がりになっている訳ではない。むしろ、何故販売先がありながら、広がらないかの方を考えてみるべきだ。

それは単純に、輸入農産物と価格で対抗するなど誰にも出来ないからだ。イオンだって、和民だって、お米を作るとは言わない。輸送コストとか、新鮮とか、他の要素が比較して大きい野菜だ。それもあくまでイメージ戦略の範囲の事。本物に似た嘘が、消費者好み。虫も死なない、安全な殺虫剤を使ってます。と言うような類。私がイオンで、農業に参入するなら、この10倍の規模で始める。30ヘクタールで始めて、3年後300ヘクタールを目指す。せめてアメリカの農家並み。その計画が見えないなら、本気では取り組めない。コストパフォーマンスがその程度の規模でないと、考えようがない。政府の政策では、その規模が推奨されている。もしかしたら、実はそういうところを、狙っているのだが、今からそう言う事を出してしまうと、周辺農家から不安視されて、成るものもならないと考えているのかもしれない。いずれどっちに転んでも損の無い所を考えているに違いない。

自分で作るのが一番。イオンから買わないですむ幸せを思う。結局いつもの考えに戻ってしまう。食べ物を自分で作る安心。確かにそれは、条件によって難しい人もいる。今の暮らしはそういう所に、陥れられている。利潤だけを追う資本主義に、暮らしなどどこかへ追いやられてきた。人間らしく生きると言う事を犠牲にして、子供や家族の生活費を考えてきた。この不況は、暮らしを見直す、大きなチャンスだ。仕事がなくなり、路上生活に入る前に、自分の手で生きて見る。もちろん大半の人にその能力が失われている。自分の食べべる物を作る、体力も、気力も、感性も失われている。そういう教育を受けてしまった。今年60の私が、一日、1時間の労働で、自分の食べる物を作れる。先日見えた体験の人は、こんな毎日ですか。こんな作業が毎日ですか。そう繰り返し言われていた。よほど大変だったようだ。
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トムラウシ山の遭難

2009-07-22 05:18:57 | Peace Cafe
夏山の大きな遭難事故が起きてしまった。命を無くされた10名の方の、ご冥福をお祈りする。60を越えた人達が、大雪の旭岳から、トムラウシに縦走をしている。そう言う事が当たり前になった時代。小学生の頃、羅臼岳探検を北海道新聞社が行った記憶がある。自分が登山に良く行った、40年近く前、こういう点では様変わりしている。ある意味登山が昂じて、山北の山の中に住むようになって、山に行く気分がなくなった。学生の頃、30人を越える人数のグループのリーダーとして登った事も何度かある。美術部の白山登山である。年に3度もやったこともあった位だ。もちろん素人登山であるがしっかりした計画を立てた。真剣に行った。山小屋に泊まるとは考えなかったから、テントを持ちである。2泊3日が多かった。季節にもよるが、登山は危険がないわけではない。リーダーの判断力。これが何よりも重要である。メンバーは一人ひとりリーダーが最善の判断を下せる環境を作ることに最善をきす。2人で登るとしても、リーダーは明確でなければ成らない。

出発前の入念なミーティング。ここで日常から充分な頭の切り替えを行うこと。出来れば麓で1泊目を行う。そんなことをいつも計画立案では考えた。「山に行ったら、一番疲れたとき、一番やりたくない仕事を率先してやること。」これは父親から言われた事だ。父は昭和初年民俗学をやっていたので、随分山の中の部落に行っていた。いわゆる登山ではないのだろうが、山の民の暮すところをあちことを歩いていた。今回の遭難では、案内人が3人付いている。当然その判断ミスが全て。あれほどの悪天候を、何故体力の落ちている中、出発してしまったか。遭難当時、トムラウシ山頂付近の日中の気温は8~10度、風速は20~25メートルとあるが、もっと悪かったのではないか。天候が荒れればこの程度は特別の事ではない。天気予報が午後から晴れると言う事だ。私なら、出発の時間を思い切って遅らせる。天候の回復の状況を見る。最終判断は10時ごろにおこなう。頂上には行かない。天気が回復して、10時なら行動は可能。

トムラウシの夏は過去にも、凍死事故はあったはずだ。トムラウシの事故を調べてみると、裁判でガイドには有罪判決が出ている。ガイドなら充分承知のはずだ。何としても判断ミスが残念だ。なくなられたガイドの方は、低体温症で動けなくなった人に付き添って、ビバーグして、いっしょに亡くなられている。加藤文太郎の遭難を思い出す。一人でなら帰ることはできたはずだ。辛い事であったろう。加藤文太郎の遭難もそうだが、自分の予想の範囲を越えた事が起きた。メンバーの力量を量りきれなかったのだろう。良く分からないのは、18人のメンバーがこれほどバラバラになってしまった事だ。どこかで、止まる事ができなかったのか。バラバラに行動することはあってはならない。最初に低体温症で動けなくなったメンバーが出た所で、全員を止めるべきだ。充分体力がある者がいるなら、ガイドと2名で携帯電話が通じる所まで降り、緊急連絡。

2泊目のひさご沼避難小屋の位置が良くない。ここで泊まると短縮路の避難路が確保できない。ひさご沼非難小屋5時30分出発。北沼到着予定が8時半予定が、遅れて昼頃到着。この時点で一向は長くなり、バラバラ状態。3人のガイドの内、2人は動けなくなった人と共に違う位置でビバーグ。この時点で判断力がなくなり、指示なく、バラバラに下山を続けているようだ。かろうじて動ける人と、一人のガイドが、降り続ける。誰かが明確な指示を出しているとはとても思えない。このガイドの人も、遭難し倒れているところを発見される。何故集団を崩したのか。残念である。リーダーの不在。判断ミス。そうしたときどんな事が起きるか。どうしても、今の日本の姿を思い起こしてしまう。金融崩壊と言われた時、日本が経験を指導すると、麻生総理の揚々とした姿。日本は影響が小さいと判断した与謝野財務大臣の姿。二人には次に起こることがわかっていなかった。
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小田原市・箱根町・真鶴町・湯河原町の一般ごみの行方

2009-07-21 04:06:43 | 環境関連
7月27日 19:00より、ごみについての話し合いを持ちます。
久野区民会館 2F和室
内容
1.報告 佐々木ナオミ(小田原市議会議員) 今回の市議会の中で唯一この問題を取り上げてくれた議員です。
2.意見交換
主催者は 『地域のごみ』市民会議
お問い合わせは久野環事務局( kunokan@yahoo.co.jp )まで

いよいよ、行政による広域化の説明会が、8月末頃から行われると言う情報がある。「ごみ処理広域化の考え方」によると、日量320トンのごみの焼却処理が、小田原で行われる事が発表されている。一体誰がどんな責任で、こんな重大な決定をしたのだろうか。こう言う決定的な要素を、市民が関わる前提として決めていいのか。小田原の議会の委員会では、意見もなく素通りだった。どんな意識の議員の方々なのだろう。当然と考えているのか。気がつかないのか。ゴミの広域処理に対しての、市会議員の皆さんの意識の低い事には驚くばかりだ。市会議員をしていてもごみは出すだろう。自分のごみの処理法の肝心な所に、もう少し目を向けてもらいたいものだ。小田原で燃やすのが当然などと言う事は全くない。行政の担当部署の以前出した資料では、小田原で焼却するのが、一番お金がかからない。と何の根拠もなく決め付けている。根拠がないというのは、きちんとした廃棄物会計を行い、計算したことがないという事だ。佐々木議員の議会質問には、前向きに検討すると言うような曖昧に答えている。

広域のごみ処理が止む得ないと言う前提があるとして、その最初に、焼却炉の位置を決めるということなら、さらに、その場所は一番経済的合理性がある場所がいいという前提で、本当はどこなのか。先ず、土地の価格の安い所という考えがある。土地の取得費。焼却炉が出来る事で、土地価格は周辺まで下がる。一方、廃止される現在の3箇所の焼却炉周辺は、土地価格は上がる。住宅地域であれば、住宅も増える。人口増まで、様々な要素がそこには存在する。そうしたもろもろは、市民税にまで及ぶ。つまり、焼却場を造ると言う事は、将来の地域構想の一部である。一市3町の将来的街づくりの都市計画に基づかなくては、禍根を残す。そうしたことを一切せず、ただ、焼却炉は小田原の考えは、ごみの多いい所で、燃やすための輸送コストがかからない、こういう運転資金の一面からだけ見ているに過ぎない。この浅はかな推測だって、小田原が生ごみの焼却を止め、堆肥化となれば、一気に事情は変わってくる。

ともかく行わなければならないのは、将来の地域計画。その上でのごみ処理法の将来変化まで推測した、処理法の模索。次の時代は、ごみは資源として高度処理されるようになる。何年先かになるかは別にして、この流れは大きくは違わないだろう。と言う事は、ごみの焼却処理は工業的産業と見ておいたほうが良い。よって、工業地域に置く事が本来である。これからのごみは、処理リスクが高まる。一種の化学工場となって行くだろう。山林地帯、農業地帯、住宅地帯、商業地域、こういうところに置くようなものでなくなる。地形的に言えば、できるだけ下流域に作るべきものだ。本来なら臨海地帯。舟による輸送がコスト的にこれからの主流になる。しかし、現実には既にある、「久野諏訪の原」を有力と考える向きもあるが、全く将来に対する見識のない考えである。仕方がない。止む得ない。新しい所に迷惑施設など、とんでもない。こう言うことで、迷惑施設は経済合理性とは別のベクトルで、作られることが多い。

久野で暮す者はこのことを真剣に考える、大きな機会が巡ってきた。久野は堆肥化施設を引き受ける。こう考えるのが、一番いいと個人的には考えている。久野の将来は農業地域である。里地里山地域である。堆肥は利用量の多いい所で生産することに合理性がある。堆肥なら、農家自身の監視も頻繁に行う必要がある。農家が納得できないものは利用がすすまない。堆肥生産には臭いの問題が必ず伴う。剪定枝も久野は多く出る地域である。これも併せて処理できる。久野の堆肥場は経済合理性がある。現在の小田原市の焼却場のある場所に、堆肥場を作る。そして、焼却炉は別に考える。生ごみを含まない焼却炉なら、現在の箱根の物でも、しばらくは足りるくらいだ。臭いものにはかかわらない。それを、身の得と考えているとしたら大間違いである。
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大豆の定植

2009-07-20 04:40:13 | あしがら農の会
昨日は大豆会での定植が行われた。60名くらいの参加だった。始めて見る方が多いい。小さいな子供とたちが、20人は居たから、80人と言う事になるのかもしれない。それだけ子供が居ると、保育所状態である。西大友の畑の作業の人数は昨年と同じだったのだが、山北グループと分離して、2ヶ所になっている分参加者も増えている。全体では面積が2反。予定では午前中との事だったが、午後4時までかかった。今年は、ベットを大きくとり、1,8メートルの台の上に5列植える方式にした。これが案外に時間がかかった。草刈始めが9時で、終了が10時30分。そこから、植え付けて行った。40センチ角に定植した。90%ぐらい植えつけたところで、苗がなくなった。苗の出来がいまひとつ良くなかった。種に問題があると想像した。100粒の種なら、20は発芽しない。発芽してもいい苗にはならない。自家採種しているのだから、仕方がない。

苗の出来が悪い理由を整理してみる。
1、種の選別をする。選別を前段階で行い配る事にするか。あるいは選別法を整理伝達する。
2、土に肥料分があり過ぎる。特に購入したと思われる土。
3、水遣りが難しい。雨との関係。土が乾いた事が分かる方法はないか。
4、日陰にしか置けない。これはいた仕方がないが発芽はするはず。
5、鳩が心配で外に出せない。鳩除け紐の張り方指導。室内管理の工夫。
6、播種から植え付けまでの日数10日が少し短い。
7、コンクリートの上に直接置かない。土がない場合はダンボールを下にひく。
苗作りの注意書きを作り。配布したらどうだろう。失敗する事は悪い事ではないが、努力の仕方が分からないままでは技術向上がない。セルトレーより、育苗トレーの方が良く出来る。根痛みも特に感じられない。来年以降の、購入分では考える必要がある。

今年も全員がそれぞれに、一生懸命に取り組んだ。この空気がとても良かった。初めての人には、とても大変な作業だったと思う。しかし何年もやっている私にも大変な作業だった。体験農業が表面的でなく、全てをやりきるものになる。ここがとても大切だ。予定では、午前中作業だったのに、午後4時までかかった。それでもやりきる以外ない。農業の面白いのは、いつも新たな作業をしている所にある。臨機応変に、作業を組み立てながら進める。全てがお膳立てされたような、体験農業活動では、得られるものが少ない。苗でもまとめて作ればそれの方が楽だ。しかし、各自が種を蒔いて見る。なかなか上手く行かない。これがとても良い。だから私も、真剣に最善を目指して種を撒く。初めての人と何にも変わらない。実は、帰ってから、もう一度種蒔きを始めからやってみた。どこが問題なのか検証した。

昼ごはんを食べて戻ると、既に作業をしている人がいる。一人ではとても出来ない。と思いながら、作業に加わった。「一人はみんなの為に、みんなは一人の為に。」と言う言葉を思い出した。一人ではとても、大豆の苗を植え続けることは出来ない。500株苗を作った。一つの定植に30秒かかるとして。4時間30分。小麦作りが長らく中断していたのに、今年は何とかできた。それは、どうしても自給の醤油作りがしたかったからだ。醤油作りを大豆の会の活動に組み込みたかったからだ。一人では到底醤油作りは私には出来ない。それを大豆の会でやるのだと思うと、何とかやれる。不思議なものだ。人間だからだ。色々の人のエネルギーをもらえる。いっしょに苗を植えた力は、それぞれの中で蓄えられる。ちょうどヨイ人間の距離。

昨日の自給作業:大豆の定植、種蒔き、8時間。累計時間:24時間
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麦のことなど

2009-07-19 05:27:49 | 自給
自給を考えたら、当然麦も作る必要がある。小麦がなければ醤油ができない。麦を止めていたのは二つ理由がある。一つはスズメが恐ろしいほど寄ってくる様になったからだ。多分久野では諏訪の原で一箇所作っているぐらい。他では見ない。地域全体で作っていれば、スズメの害もだいぶ減るが。山北で作っていた頃、まるでスズメの繁殖をしているような状態になってしまった。収量も激減した。網をかけるというような、丁寧な作業は私には出来ない。間違いなく、毎年網を買い換えなければならないだろう。ぐちゃぐちゃにしてしまう。何でも大雑把になりがちなのだ。2反の田んぼに一人で網を掛けてしまう人がいた。毎年綺麗にたたんで、又広げる。唖然としてしまう。スズメの方は、田んぼでは風船案山子で上手く追い払っている。もしかしたら、麦でもある程度有効かもしれない。この点では、1年目の麦なら大丈夫だった。もちろん2年目以降が大変危ないのは良く分かっている。

二つ目の止めた理由。春は田んぼの事で頭が満杯で、麦までは無理と言う事があった。山北でやっていた頃は、田んぼの裏作でやったから、ほとほと、頭が疲労してしまった。田んぼのシュミュレーションを繰り返している。夢に見る。昨日松本さんが言われるには、それはまだ、「身体が覚えていないからだ」。と言われた。なるほど、松本さんはいつも本当のことを言われる。昨日の夜は、端境期の野菜作りの指導だった。松本さんは7箇所の畑が、全て1,5メートル畝巾になっていて、Bの畑の8番の畝は3年前は何を作って、その結果はいかようか。全てが分かるようになっているのだそうだ。そらやさんも、何やらノートに記載されている。漬物大根なら、何時どこの畑に、どんな種類を播種して、年内に収穫して、干した方が天候的に良い。などと言う事がびっしり記録されている。これは文学である。別にノートを見てやっているというようでもなく、聞かれると確認すると言う程度で、要するに、身体が覚えていると言う感じだ。

向き不向きがある。田んぼの方は20年の結果、確かに身体が流れを掴んできた。他所の田んぼでも、有機栽培の田んぼなら姿を見れば、大体必要なことがイメージできる。田んぼは私向きの瞬発力だ。野菜は継続の力が必要なようだ。
それで今年の麦。大麦の収穫を昨日7月15日に行った。1月に入って実験的にばら撒きで播種した大麦である。。無肥料、大麦が2坪ほどで2キロ。麦茶用である。さすがに、麦らしい味がして満足。ばら撒きにして、穂だけ摘んだ一応終わりまでやれたので、今年の所はこれでよし。小麦の栽培面積は1畝収量が36キロ。作業が後半、混乱して、倒した。草に覆われた。それでも何とか収穫まで行けた。焦った。この小麦をやらなければ、醤油ができないと言う一念からだ。随分落として無駄にしてしまったが、36キロは目標の30キロは超えたから、良かった。

麦をやると言う事は、田んぼの方が完全に身体に入っていないと難しい。あと一息。実は菜種は収穫できず。考えると情けなくなるが、こちらも来年の課題。麦で分かったのは、春になっての、良いタイミングでの草取り。まだ良い、まだいい、と思っているうち、暖かくなってきて、一気に草が蔓延った。収穫については、ハウスに干すつもりに、始めからしてしまった方が、分かりやすい。天候の読みがだいぶ楽になる。成功したのは、鶏糞堆肥の1ヶ月前の漉き込み。だいぶ畑が耕しやすくなってきたので、さしたる手間はかからない。充分畑を寝かしてから、麦を播種する。条間は30センチで大丈夫。点蒔き。少し厚め。今度は出来ればうどん用品種の種を手に入れたい。ウドン族は少数派、パン族に負けるてなるものか、と一人で思っている。
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小田原市議会を考える市民の会

2009-07-18 04:52:01 | Peace Cafe
「小田原市議会を考える市民の会」が出来た。麦の会が中心になって、市議会を考えてみようと言う会である。先日、マロニエで集まりがあり、24名が集まった。麦の会と言ってもよく知らなかったのだが、市会議員の賛否行動を公表を要求する署名活動を、先日行った団体である。麦の会と言う名前はとてもロマンテックで良いとおもうのだが、やはり農業団体だと思っていた。麦を作って、パンでも焼くという今風の集まりの会だと誤解してしまった。どちらかと言うと「一粒の麦」夏川豊彦著のキリスト教精神の方からきているのかもしれないが、麦となってたくましく社会を変えて行きたいと言う事のようだ。今回は呼びかけ人であって、あくまで新しく会を立ち上げようと、言う事だった。私も、前の署名でも協力はさせてもらった。その縁もあって今回声がかかった。

小田原議会はとても不思議な状態の場所である。その理由は、小田原気質からとか色々言われるが、制度上の不備が原因ではないかと思っている。その紆余曲折で、例えば、象徴的に「議員の賛否は」公開しないという事になる。その理由が、ふるっている。「賛否だけが、一人歩きする。」と言う事らしい。しかし、議会と言うのは多数決で事を決めて、賛否だけが意味がある仕組みである。「賛否に到る詳細まで、明らかにならない限り、誤解が広がる。」市民はその為に、議員をお願いしているつもりだが。議員はそれを市民に伝えてゆく所までが、仕事ではないのだろうか。どうも本質論というより、何かへそを曲げた理由があるとしか思えない。鈴木市議に恫喝の手紙が送られたと言う事が、問題化して、委員会で読み上げる椿事に到った。それほどの内容ではなかったが。あえてそういう行動に出て、この陳情を否決したと言う事ではないか。訴訟するはずが、していないから、そうとでも想像するしかない。

何が鈴木議員を代表する市議会議員の方々を、怒らせてしまったたか。市民が我々を指図するとは、「何を生意気な」。こう言う気分ではないかと、馬鹿げてはいるが、空想する。市会議員が先生である、まだそんな気分的状態が続いているのではないか。小田原議会特有に歴史的に成立した、慣例的手法があるのではないか。その手順を踏んで進めば、まさか、賛否の公表を否決することはない。そう言う事ではないのか。しかし、賛否の公表は議会の問題の小さな事だ。行政と議会が議論をして、より内容を深めてゆくと言う、本来の討議するための議会が成立していない点が最も困る。奇妙奇天烈城下町ホールで明らかになったように、肝心な事はほとんど理解しないまま素通りしている。先日の傍聴した委員会では、広域のごみは小田原で焼却する。こう言う重大事が初めて出てきたのに、質問もなく素通りした。後で問題化したとき、賛否が明白なら困るというのはこう言う所にもある。

参加者の一人が、全県的な福祉関係の活動をしている方がいた。その方は、県内の全行政に陳情を出し、全部を回るのだそうだ。その結果、伊勢原市の議会がすばらしいと言われていた。議員が問題に対しよくよく勉強していると言うのだ。出てくる質問を聞いていれば、当事者だからすぐ分かると言われた。陳情の理由をきちっと陳情者に発言させてくれるのが、二宮町と逗子?だったか。県内では小田原は閉鎖的な議会だと言われていた。

あえて賛否の公開に反対された議員の名前を挙げて記憶にとどめておく。鈴木美伸・飯山茂雄・大村学・横田八郎・奥山孝二郎・小松久信・三廻部周雄・俵鋼太郎・武松忠・加藤仁司・志澤清・植田理都子・堀村逸郎・今村洋一・細田常夫・井原義雄・谷神久雄・相澤博の18名である。
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「養鶏危機突破緊急全国大会」

2009-07-17 05:31:23 | 自然養鶏
「日本鶏卵生産者協会」が去年2月に臨時で開いた「養鶏危機突破緊急全国大会」の開催中止の圧力を、農水省が行った事を認めた。協会側は、自民、民主、両党の議員を招いていたが、事前に自民党側から「民主党議員しか招いていないのではないか」との声が出たことを受け、農水省生産局畜産部の担当課長らが、協会の幹部を省内に呼んで大会の中止を求めた。この時、課長らは自民党議員が怒っているとして、「一般論として、生産者への補助などの予算がつかなくなる可能性もある」などと話したという。

さもありなんの、仰天ニュースが出てきた。卵の事だからこれは他人事ではない。農水省の食肉鶏卵課には何度か行った事がある。トリインフルエンザに関してと、有機畜産についての質問に出かけた。農水の担当部署などと言うと、敷居が高い訳だが、養鶏をやっている以上、一度は顔を見て、直接話を聞きいておきたいと考えての事だ。充分の対応をしてくれたので悪い印象はなかった。今回の事件は内容が興味深い。民主党の筒井信隆氏が昨年の2月の話を、今になって持ち出した。しかも、農水がこの事実を認めている。ここに来ての自民党の凋落が哀れなようだ。自民党と官僚の関係がこれほどはっきりと出た事件も珍しい。官僚の天下り禁止が何故出来ないのかは、持ちつ持たれつだからということ。「養鶏危機突破緊急全国大会」すごい大会を開いたものだ。飼料価格の高騰が起こり、やってられないという焦りからだろう。

「自民党が怒っている。大会を中止しなければ卵価安定基金への助成金を切る」などと協会幹部に迫ったという。同基金は生産者の拠出と国の助成金で積み立てられ、卵の価格が基準価格を下回ると差額分の9割を生産者に補てんする仕組み。農業分野の補助金体質が、まざまざ情けない。当然だが、私の養鶏とは何の関係もない。補助金という物はかくも、人間をダメにする。補助金がなければ成立しない農業分野。卵を国民に安定して供給する義務がある。こう言う事を農水の担当者に言われた事があるが、そんな義務がどこかにあるのだろうか。卵が、今で言えば1個300円ぐらいだった時代もある。それはそれで受け入れれば良いだけだろう。問題は、安い卵が輸入されて、それが安定した食糧の供給とか理由がつけられ、国内の業者を潰してしまう事にある。そのために、日本の卵はありえない水準の低価格で生産されている。それが養鶏業を何でもありの世界にしてしまっている。

食糧は他の生産物と違う。WHOもそのことに気付く必要がある。食糧とか、水とか言う資源を、輸出入の対象にしてはならない。人間が生きる最低限のものは、本来そこで生きる事の可能な、人間の数と連動させるべきだ。「ヨーロッパの水を購入すると、アフリカに水が援助される。」こう言うコマーシャルがある。いかにも人道的なことのように流されるが、とんでもない話である。日本人は日本の水で充分である。延々と水を運び、何と馬鹿な事をしているのか。水は出来る限り暮らしている所のものを飲む。よほど悪い水でない限り、それが一番である。私は養鶏場の井戸水を運んで飲んでいる。10年この水で生きているが、大丈夫である。なかなか美味しい水だ。もし使いたい人がいたら、久野の人なら、お分けする。話はそれたが、卵も同じ。出来る限り近場が良い。身土不二とはそう言う事だろう。民主党議員を呼んだのは、時代の流れの先を見据えた養鶏協会の方策。農水事務次官は民主党の農業政策を、否定している。これも言わされたと言う事か。深い深い、癒着関係。しかし、それもそろそろ見切り時と言う事のようだ。

昨日の自給作業:麦の始末、草刈1時間 累計時間:16時間
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