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第119回 水彩画 日曜展示

2022-07-31 04:50:45 | 水彩画
第119回 水彩画 日曜展示






797「天草牛深湾」
2022.7








798「廃園」
2022.7






799「桜の下」
2022.7








800「のぼたん農園」
2022.8







801「のぼたん農園ひまわり」
2022.7





802「開南の田んぼ」
2022.7






803「削られた大地」
2022.7







804「岩礁」
2022.7






805「丘を行く道」
2022.7







806「海まで」
2022.7


 小田原に行く前の作品である。何か動いているのだが、どう動くのかは分からない。年をとって、肩の力が抜けた。と言うようなことが1番嫌いだ。ここからだと力んで描いて行きたい。いつも精一杯自分という物にぶつかりたい。

 まだとうていそこまで入っていない。虚っぽいでっち上げたところが見える。今更見栄を張ったところで何の意味もない事は身に染みている。それでも格好付けてしまう自分が居る。自分が生きているという絵になれば、それでいいことだ。

 一日一枚。生涯探求でいこう。結論など出ないでも、ただひたすらそこに向かえば自分に我慢が出来る。絵が出来ないとしても、努力しなかったと言うことだけは自分の命にまずい。まだ絵が描けるのだから、前向きにやって行く。

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ひこばえ農法の情報を集める。

2022-07-30 04:32:29 | 楽観農園


 ひこばえ農法をネットで調べた。3つの文章があり、参考にしたい。よく、よく読むために、ブログに転載させていただいた。こういうことはやっていいのかどうかわからないが、今のぼたん農園でやっている実証実験の為なので、許してもらいたい。

越的高収量・高水生産性水稲ヒコバエ栽培法のメカニズムと環境負荷低減効果の解明


山岡 和純 国立研究開発法人国際農林水産業研究センター, 企画連携部, 再雇用職員 (70463883)
溝口 勝 東京大学, 大学院農学生命科学研究科(農学部), 教授 (00181917)
木村 匡臣  近畿大学, 農学部, 講師 (80725664)

 本年度は、熱帯多年生イネ栽培の高収量メカニズムの解明および環境保全面の評価のため、以下を実施した。
(1)熱帯多年生イネ栽培試験については、共同研究機関であるミャンマー農業研究局DARの試験圃場において各種比較栽培試験を実施した。コンクリートタンク試験水田の試験結果から、前作稲収穫前後4週間を土壌乾燥条件で水管理した再生稲の籾収量は、飽和条件で水管理した場合に比べて50%以上増加すること、また、前作収穫後に行う再生作のための追加的な株刈りには増収効果は認められないことを明らかにした。また、試験圃場でのコンバインハーベスタを導入した再生稲栽培試験では、手刈りによるものと同等の収量が得られることを確認した。
(2)イネの生育・環境等のモニタリングについては、コロナ禍でミャンマーDAR試験圃場や東京大学生態調和農学機構の慣行水田での試験ができなかったため、代わりに茨城県土浦市宍塚のSRI水田に気象センサー、水位センサー、生育調査カメラを設置して、ICT技術によるフィールドモニタリングシステムを構築した。また、ドローンを用いてイネの背丈を観察する手法を開発した。
(3)熱帯多年生イネ栽培の環境負荷低減効果については、ミャンマーDARにおいて、熱帯多年生イネ栽培法及び慣行移植農法による水田からの栄養塩類の排出負荷量を計測するための実験対象水田区画を選定した。そして、試験水田圃場における田面水を定期的に採水し、栄養塩類の分析を実施することにより、その濃度の時系列データを取得した。

 ひこばえ農法がミャンマーで日本の研究者によって、研究されている。来年3月までの研究という事だが、ぜひともその成果を公開してもらいたい。今公表されている情報は稲刈り前後4週間乾田状態にすること。
 
 そして、稲株の狩り戻しには意味がないという事が書かれているが、この実験ではスマトラ島の株の切り戻しには意味がないという結論だが、本当なのかまだ疑問が残る。これだけ読むと、どのような実験をしているのだろうかと思う。

 もう一つの実証実験が農研機構が九州で行っていることがわかる。

福岡県筑後市にある農研機構九州沖縄農業研究センターの試験圃場において、生育期間の気温が比較的高かった2017年と2018年に、研究用に開発された多収系統を用いて行いました。両年とも、3月中旬に苗箱に播種・生育させた苗を4月中旬に本田に移植し、1回目稲を8月中旬(早刈、出穂からの積算温度7)900℃)又は下旬(遅刈、出穂からの積算温度1200℃、多収品種では標準的な収穫時期)に地際から50cm(高刈)又は20cm(低刈)の高さで収穫した後、2回目稲を11月上中旬に収穫しました(図1)。また出穂は、1回目稲が7月中旬で、2回目稲が1回目稲を早刈すると9月上中旬に、遅刈すると9月中下旬になりました。なお、稲体の窒素を常に高く保つため、追肥を1~2週間毎に行いました。
1回目稲を遅刈すると、1回目稲は早刈に比べて登熟8)が良くなり、精玄米で180kg/10aの増収になりました(図3)。また、このときの2回目稲は、早刈に比べて出穂が遅れ、気温の低下により登熟が悪くなったものの、成長に利用可能である非構造性炭水化物9)が切株に多く残った(図2c)影響で籾数が減少せず、30kg/10aの減収(高刈と低刈の平均値)に留まりました。このため、1回目稲と2回目稲の合計収量は、150kg/10aの増収(高刈と低刈の平均値)になりました(図2b)。
1回目稲を高刈すると、2回目稲は低刈に比べ、非構造性炭水化物や緑葉(葉面積指数10))が切株に多く残った(図2c、d)影響で籾数が増加するとともに登熟も良くなり、精玄米で190kg/10aの増収(早刈と遅刈の平均値)になりました(図2b、図4)。
以上のことから、1回目稲を十分に成熟させた時期に地際から高い位置で収穫することにより、1回目稲と2回目稲の合計で多収となることが明らかになりました(図3、図4)。なお、生育期間を通じて気温が高く日射量が多かった2018年には、生産現場の平均収量(福岡県で0.50t/10aの精玄米収量)のおよそ3倍に当たる1.47t/10aの粗玄米収量(精玄米収量で1.44t/10a)に達しました。

 ここでは実際の手法については、詳しくは書かれていないので、実験の実態が分からない。乾田状態と切り戻しをどうしたのかをもう少し詳しく、知りたい。

 以下山岡氏という日本でのこの研究の中心に動かれている方の文章がある。少し長いが、かなり詳しく書かれているので、参考にしたいので転記させて貰った。
 
 開発の現場から SALIBU:蘖(ひこばえ)で目指す第二の「緑の革命」
 山岡和純 農村開発領域主任研究員 国立研究開発法人国際農林水産業研究センター 
 1. はじめに-蘖(ひこばえ)って何? ヒコバエの話をしますと、「どんな蠅でしたっけ?」などと訊ねられることがありま すが、蠅ではありません。これは、刈り取り後のイネの茎から自然に出る側芽が伸びた 「孫生 ひこば え」のことで、漢字では「 蘖 ひこばえ 」などと書かれ、学術的には「再生イネ」とも呼 ばれます。

 日本では通常、イネの「孫生え」は、成長しても穂が出る前に枯死するか、 穂が出ても中身が空のことが多く、田に鋤きこまれるか、わずかに実ったものが家畜の 餌にされますが、熱帯・亜熱帯地方では、苗から育てたイネの 20~50%ほどの収量が 得られ、前作の補完(追加)として主食用に収穫されることがあります。しかし、収量 が低い蘖の生産は常に一代限りで打ち切られて、その収穫後は播種から始める通常の栽 培に戻されます。蘖の収穫後に再び蘖を育てるなどということはあり得ませんでした。 ところが、ちょっとしたある工夫を加えて育てますと、播種して苗から育てたイネと 同等以上の収量が「再生イネ」からも得られることが発見されました。

 この方法は播種、 代掻き、田植えが不要で、収穫までの日数も苗から育てるより 10~20 日短縮できるの で、蘖の収穫後に再び蘖を育てるということを繰り返すと、2 年間で 7 回ほど最初のイ ネと同等の収量で収穫できます。

 通常の二期作ですと 2 年で 4 回の収穫なので、年間の 収量が 2 倍近くになり、しかも、一作当たりに要する肥料の量は同じで、農業用水の消 費量は 5~6 割減ります。これにより年間の水生産性が著しく向上します。 通常の蘖(左)と SALIBU 農法技術による蘖(右)では一 株あたりの側芽(分げつ)の数が大きく異なる。(インドネ シア西スマトラ州で) 

 SALIBU 農法技術による 2 年 7 作と通常の 2 期作(2 年 4 作)の播種・収穫時期の事例 2 

 この画期的な蘖農法はインドネシアのスマトラ島が発祥の地です。当地の農業技術評 価試験場の支所に勤務していた Erdiman 研究員が、農民たちを助けたいと考えて開発 した新技術で、現地農民が蘖のことを指して呼んでいる SALIBU(もともとはインドネ シア語の「SALIN(複製)」と「IBU(母)」との合成語)という用語を用いて、SALIBU technology と名付けました。

 ところが、誰もこの新技術をまともに研究として取り上げ ず、インドネシア以外では全く知られていません。そこで筆者は彼と相談して、この技 術をミャンマーで研究して世に知らしめようと、2 年前に活動を始めたところです。 

 2. 西スマトラの高地稲作での蘖栽培 世の中には常識と思われていることが事実に反することが度々あります。イネは世界 各地で一年生植物として栽培されています。ミカンやリンゴやブドウなどの果樹のよう に、何年も生き続けて繰返し収穫できる多年生の作物ではなく一年生の作物だと常識で は考えられています。

 国際標準産業分類(ISIC)第 4 次改訂版(仮訳)の「詳細構造と 説明」にも、他の穀類や野菜と共にコメの栽培は「非多年生作物の栽培」欄に位置づけ られています。

 ところがイネは、そもそも熱帯地方では多年生植物として生存でき、蘖 による穀物(ラトゥーン・クロップ)を何世代にもわたって繰返し収穫できる生き物な のです。ただし、その性質の強さには栽培品種間で差異があり、大きくはアジアイネで あるオリザ・サティバ亜種のインディカ、並びにアフリカイネであるオリザ・グラベリ マ亜種の品種と比較して、オリザ・サティバ亜種のジャポニカとジャワニカ(熱帯ジャ ポニカ)は、多年草としての性格をより強く有していることが知られています。

  また、蘖は省力的に栽培できるものの収量が著しく低いので、その収穫後は播種から 始める通常の栽培に戻すのが常識とされてきました。インドネシアのスマトラ島西スマ トラ州ブキティンギ市近郊のマトゥール村(標高 1100m)でも、以前から農民たちが蘖 を栽培してきましたが、やはり収量が低く一代限りでした。

 ここは赤道直下にも拘わら ず標高が高く気候が冷涼なので、農民たちはKurik Kusuik 及び Lumut Kurik Kusuik という耐寒性のイネ品種を栽培していましたが、これは播種から収穫まで 145 日を要 する晩稲でした。通常作がもしもの不作に陥る事態に備えて、彼らは一部の水田で蘖を 追加的に栽培、収穫し、リスクを分散していたのです。 

 イネの場合は蘖農法と呼びますが、 植物の株と根を残して側芽を出させ、 これを育てて穀物等を収穫する手法は 一般的に「株出し栽培法」と呼ばれ、サ トウキビ、バナナ、ソルガムなどの作物 では合理的な収穫量が得られる確立し た農法とされています。

 例えば宮古島 のサトウキビでは右図のように、株出 し栽培が 2012 年以降拡大し 2017 年に は全体の約 6 割を占めています。 出典:宮古毎日新聞(2017 年 11 月 16 日)

  3 イネの場合に蘖栽培が広がらないのは、従来の蘖農法には欠点が大きく 2 つあり、一 つは穂数も 1 本の穂に実る籾数も少なく反収が低いことと、もう一つは同じ株から生え る複数の蘖の成長速度に差があり、出穂時期や収穫適期がバラバラになることでした。 

 このため、一度に全て収穫しようとすると未熟米や過熟米が多く発生するので、それを 防ぐには適切に熟した穂を選択して 2~3 回に分けて収穫する必要があり、収穫作業の 効率を著しく低下させ農民に不評でした。

  3. SALIBU 農法技術の誕生~筆者との出会い 2007 年に妻の実家があるマトゥール村を訪れた Erdiman 研究員は、農民たちから蘖栽培の欠 点について相談を投げかけられ、蘖の栽培と成 長の観察を 2 年間続けた後、収穫後に残る切り 株を当時主流の 15~20 ㎝よりも短く、圃場面ギ リギリまで刈り込み、かつ一定期間は土壌を湛 水せずに湿潤に保つことを思いついたのだそう です。

 その後も栽培試験を続け改良を重ね、2014 年に筆者が初めて現地(西スマトラ州のタナダ タールという標高 500~600m の地域のパリア ンガン村)を訪れた時には SALIBU 農法技術の 栽培手順がほぼ確立していました。

  まず、収穫は通常の収穫よりも 1 週間早い生理的成熟期に手刈りで、地表面から 25~40cm 程 度でいわゆる穂刈りをします。その収穫の 1~2 週間前に次世代のための 1 回目の施肥を行い、 このとき施肥と同時に落水して、以降 3~4 週間程度の間、土壌水分をフィールド・キ ャパシティー(湛水せず地表に水はないが、土壌内は水分で満たされている。圃場容水 量ともいう)の状態に保ちます。

 彼によれば、収穫適期である生理的成熟期の判断は、 見た目で稈 かん (イネの茎のこと)や葉が黄茶色に色づくもまだかなり青みも残っており、 穂にも帯緑色籾の割合が通常(たとえばコシヒカリでは 10~15%とされている)の 2 倍程度の割合で残っている段階とします。

 その趣旨は、株(稈と根)の活力が少しでも 多く残っている間に収穫するということです。 土壌水分をフィールド・キャパシティー状態に保ったまま、収穫の 1 週間後に動力草 刈機を用いて、穂刈りで残った長さ 25~40cm の株(稈束)を地表面から 3~5cm のと ころで再切断します。

 その 1 週間後に深さ 1~3cm 程度の灌水を開始して湛水状態を保 ち、その 1 週間後に蘖が 15~20cm 程度に育ったら湛水深を通常の 5~10cm に保ち、 1 週間以内に次の 4 点を実施します。

 ① セパレーション・アンド・アディション(分げつの多い株から分げつの少ない株 に根付きの稈の束を一部移植し、株の大きさを均等化する)、 稲株を示す Erdiman 氏(2017 年 5 月) 4 

 ② インサーション(気中根が多い株をその位置で数 cm 土中に押し込む)

  ③ ウィーディング(除草。落ち穂から出た芽や、異常に早い出穂稈も雑草と見なし て除草する)、

  ④ 2 回目の施肥 セパレーション・アンド・アディションは、慣行農法で言うところの田植え後の補植 に相当します。株の大きさ(有効分げつの本数)を均等化することで欠株を防ぎ、各株 の成熟速度をそろえます。出穂時期や収穫適期を均等化する上で重要な作業です。

 イン サーションは浮き株の土中への挿入です。親稲の稈にはいくつかの節があり、蘖の芽は いずれかの節から分げつするのですが、できるだけ地表面に近い節からの分げつが望ま しく、土壌中の節からの分げつが最も理想的です。何故ならば、蘖の芽が出る節から根 も生え、この根は蘖に直結して水分と養分を土中から吸い上げるからです。

 もし、蘖の 芽が出た節が地表面から離れてい ると、節から出た根は気中根となり 時間と共に劣化して朽ちるので、そ の蘖は水分と養分を吸収するのに 古い親の稈と根を使わざるを得な くなります。このような蘖は栄養不 足で稈が細く弱々しく、穂も小さく なります。

 そのため、気中根が目立 つ株を見つけたら株全体を土中に 数 cm 押し込むのです。ウィーディ ングは、湛水状態よりも雑草が生え やすいフィールド・キャパシティー 状態の下でとくに重要な作業です。

  再切断から 4 週間後に灌水を中 断し、湛水状態からフィールド・キャパシティー状態に戻して 2 週間維持します。再切 断から 6 週間後に 3 回目の施肥と 2 回目の除草を行うとともに、再び灌水を開始して 湛水状態を保ちます。

 そして親稲の時と同様に、収穫は通常の収穫よりも 1 週間早い生理的成熟期に行い、その収穫の 1~2 週間前に次世代のための追肥を行います。 上記の手順を数世代にわたり繰り返すことで、2 年間で 7 回の収穫を目指します。

 そ の間に反収は落ちないので、原理的には 3 年でも 4 年でも続けられるはずですが、西ス マトラ州の農民によれば、次第に土壌が硬く締まってくるので、多くの農民は 2 年間以 内に再び耕耘、代掻きを行ってリセットしています。

 筆者は 2017 年 5 月にタナダター ルを再訪した際に、同地域の 460 名の農民全員が同農法技術を実践し、さらにメイン・ クロップ(親稲の収穫物)とラトゥーン・クロップ(蘖の収穫物)が同価格で市場に出 荷されている事実に接し、同農法技術への現地農民からの信頼と消費者からの支持を実 感しました。

  親株の根元 の節から生 えたヒコバ エ 親株の根元 から生えた ヒコバエに 直結した根 親株の桿の地表 面から離れた節 から生えたヒコバ エ 親株の古い桿 親株の古い根 親株の古い桿の 節。ここから生 えた気中根は既 に枯死 親株の根元の節から生えるヒコバエと地表 面から離れた節から生えるヒコバエの違い 5 

 4. SALIBU 農法技術で栽培された蘖は従来の蘖とどこが違うのか 苗から育てた通常の移植栽培イネと比べて 20~50%ほどの収量しか得られなかった 従来の蘖が、SALIBU 農法技術の下では何故 100%かそれ以上の収量が得られるので しょうか。100%の収量が得られることで蘖から蘖へと連続的に栽培する発想が初めて 生まれ、SALIBU 農法は改めて「熱帯多年生イネ栽培法(Tropical Perennial Rice (ToPRice) Farming System)」として世界にデビューしていく道が与えられたのです から、この点を明らかにすることが極めて重要です。 

 上の二枚の写真を比較すると判りますように、一言でいうと通常の蘖は茎葉が十分に 成長しきらないうちに栄養成長から生殖成長に移行して出穂してしまいますが、 SALIBU 農法の下では通常の移植栽培によるイネと同様に、まず茎葉が十分に成長し てから出穂します。 

 イネの蘖栽培に関する研究は、1950 年代以降多くの研究者によって盛んに取り組ま れてきました。その分野は、草丈などの形態学、植物生理学、成長速度、品種特性、分 げつ能力、生育期間、代掻き均平と親株の移植間隔、親イネの収穫時期、親株の切断長、 肥培管理、水管理、温度および光の強さなどの多岐にわたっています。

 フィリピンの国 際稲研究所(IRRI)では 1986 年頃より、それまで蓄積された膨大な知見と共に、より システマティックに研究成果を取りまとめる作業を開始し、イネの蘖を研究する 26 名 の研究者の参加を世界各国から得て、1988 年にテキスト”Rice Ratooning”を取りまと め、その後の研究のベースを構築しました。その後現在に至るまで、世界中の研究者に よりイネの蘖に関する数多くの研究が取り組まれたものの、何れの研究においても蘖イ ネの穀物(Ratoon crop)の収量は、その親イネの穀物(Main crop)の収量の概ね 20 ~50%程度の範囲にとどまるとの結論であり、このため Ratoon crop の栽培と収穫は Main crop の収穫を補完するための一代限りとするのが当然の常識となっていました。 

 蘖の栽培を二代続けるよりも、蘖の収穫の後は株を土に鋤き込み代掻きを行って、播種 から行う通常の栽培で 100%の収量を得る方が良いに決まっているからです。 

 隣接する区画において同条件 で栽培した同品種の親イネを 同時期に収穫し、親イネの株 の切断処理方法を変えて比較 した。

 左は IRRI が推奨する 地表から 15~20cm で切断し た通常の蘖、右は同 5 ㎝で切 断しその前後各 2 週間土壌水 分条件を圃場容水量に保った SALIBU 農法技術による蘖 

 通常の蘖は分げつも少なく草 丈が伸びきらないうちに出穂 するがSALIBU 蘖は出穂せず に栄養成長を続ける

  6 地方の農業技術評価試験場の研究者であった Erdiman 氏は、英語の読解や会話が不自由なため、IRRI のテキストや英語論文による数多くの研究の蓄積に触れる機会があ りませんでした。このため研究者の世界の常識に囚われることなく、膨大な過去の研究 蓄積を肯定も否定もせず、ただ純粋に農民のために蘖の成長の様子を日々観察し、試行 錯誤を繰返したのです。

 そして問題解決の鍵は「親株の桿の根元から蘖を生えさせる」 ことにあり、そのために「穂刈り(地上高 25~40cm の高刈り)で収穫した後に、地表 面から離れた節が取り除かれるように親株の桿を 3~5cm に再切断する」ことを基本に 据えたのです。

 そして、土壌水分を収穫の前後の 4 週間、インドネシア語で「マチャマ チャ」と呼ばれる「フィールド・キャパシティー」状態に保つことが、この親株の切断 長と並ぶ重要なポイントであることを発見したのです。

 収穫時に単に親株の桿を地上高 3~5cm で切断することは、世界中の各地で日常的に 行われています。この切断長をいろいろと変化させて比較する研究も過去に多数行われ てきました。しかし、通常は収穫の少し前から土壌を乾燥させ、かつ、穂が十分に熟し 乾燥が進んでから収穫するので、その間に株と根が弱ってしまい、地上高 3~5cm で切 断しても根元から多くの蘖が生えてくることはありませんでした。

  Erdiman 氏は、親株の切断時まで株と根の活力を保ち、株元から多くの蘖を生えさ せるために、農民の話に耳を傾け、試行錯誤と工夫を重ねて、 西スマトラ州の 同じ村で高さ 40 ㎝程度に育った 通常の蘖(左) と SALIBU 農法 技術による蘖 (右) SALIBU の蘖の姿 は、一見して通 常の移植イネと 見分けがつかな いほど旺盛な成 長を見せる 

 株を 5 ㎝程度に再切断した 3 週間後の SALIBU 蘖で、セパレ ーション・アンド・アディション(株の大きさの均等化) を行う直前の状態(上)。順調に成長した蘖は分げつが旺盛 で、茎葉が十分に成長するまで出穂しない(右)

  7 ① 通常の収穫時期の 2~3 週間前に湛水状態から落水し土壌水分をフィールド・キ ャパシティー状態に保つ
 ② 上記と同時に次世代の蘖のための施肥を行う 
③ 通常の収穫よりも 1 週間早い生理的成熟期に、地表面から 25~40cm 程度で穂刈 りによる収穫を行う
 ④ 収穫の 1 週間後に動力草刈機を用いて親株の桿を地上高 3~5cm で再切断する 
⑤ 再切断の 1 週間後に深さ 1~3cm 程度に湛水して浅い水深を保ち、その 1 週間後 から湛水深を通常の 5~10cm にする という手順を確立しました。

  まず、この作業手順のうち、④の再切断作 業を動力草刈機で行うことにより、この作業 は労働負荷が著しく軽減されました。この発 明は Erdiman 氏の大きな功績です。

 穂刈りで 残った 25~40cm の桿を一週間置いてから再 切断する理由は不明ですが、彼の経験から一 週間置くことが最適とされています。筆者の 観察によればこの一週間の間に蘖が成長し、 長さ 10~20cm 程度の葉が多数繁ります。

 これ らの葉で光合成により炭水化物が生産され、 親株や根に栄養が蓄積され、活力が増進され ている可能性があります。 そして③はこれまでの農民の収穫作業を 1 週間早く行うだけのことですし、②はちょっ とした追加作業に過ぎません。

 これらの②~ ④の作業は明快でわかりやすく農民達も直ぐ に実行できます。 一方、①と⑤は地味な水管理作業ですが、実はこれらがとても重要な作業なのです。 

 上述したように、①は土壌の乾燥を防ぎ、③とも相まって株と根の活力を保つことに貢 献します。地表面が湛水していて泥濘んでいると足場が悪くなり、収穫作業の労働負荷 が高まりますので、フィールド・キャパシティー状態に保つというのは、収穫作業を無 理なく行うのに必要な程度まで地盤の支持力(地耐力)を高めつつ、湿潤土壌で根を保 護するという絶妙な土壌水分管理です。

 そして⑤は、再切断直後のイネ株にとって最も 危険な「湛水による完全冠水」を防ぐための水管理となっています。親株の桿を 5cm 以 下の高さで切断する研究は過去にも多数行われていますが、フィールドで栽培試験を行 う場合にこのタイミングで大雨が降ると親株が完全冠水して窒息し、死滅してしまうこ とがありました。このため、親株の桿を短く切断するのは危険な行為とされてきたので す。

 ⑤では農民達に、再切断の 1 週間後まではフィールド・キャパシティー状態を保ち、 その後は深さ 1~3cm 程度に湛水して 1 週間後まで浅い水深を保つことを求めていま す。

 8言い換えればこれは、水田からの排水のコントロールをしっかりと行いなさいとい うことです。農民達は日々水田の状況を見に出かけ、地表面に水が湛水していないか、 湛水深は浅いかを敏感に観察してきめ細かく水管理をしますので、その結果として自然 に完全冠水の危険を回避することができるのです。

  5. SALIBU 農法技術による増収効果と水資源節減効果 結局、農民たちにわかりやすい方法で、親株と根の活力を最大限維持すると共に、完全冠水のリスクを回避して、蘖の成長過程を慣行農法による移植苗の成長過程にいかに 近づけるかが、SALIBU 農法技術の神髄であると言えます。

 前頁の⑤の作業の後に、セ パレーション・アンド・アディション(株の大きさの均等化)やインサーション(気中 根が多い株をその位置で数 cm 土中に押し込む)といった作業を行うのも、その延長線 上にあります。

 慣行農法による移植苗の成長過程に極限まで近づけることで、親イネの 穀物(Main crop)収量と同等の収量を目指すのです。 このことを体系的に解明する先行研究はこれまで行われていません。

 穂刈りによる収 穫の後 1 週間おいて再切断することによる効果についても、品種による違いも、株によ る穂数の違いも、蘖が出やすい節との関係もわかっていません。

 今後は栽培学の分野で のこれらの仮説を体系的に検証する研究が望まれます。現在筆者は農業水利の立場から、 SALIBU 農法技術が水生産性を如何に向上させるのかを解明すべく、ミャンマー連邦 共和国の農業畜産灌漑省農業研究局(MOALI/DAR)と共同で、試験ほ場を設定してフ ィールド研究を進めています。

 その過程で SALIBU 農法技術と慣行農法の反収等の比 較データも得られることになります。農業研究局の施設内に 2017 年 1 月と 6 月に 2 か 所の試験ほ場を設定して、試験栽培とデータ収集を始めています。 同局ではこれに先行して、1.8m×2.4mの大型ポット 15 個で SALIBU 農法技術の連 続栽培試験を実施しており、現在は第 6 世代のラトゥーンクロップの収穫を迎えようと しています。

 これ は、同局が所在する 首都ネピドー市近 郊のイエジン市付 近の農民が一般的 に栽培している Thee Htat Yin とい う比較的早生の栽 培品種を用いて、 2016 年 11 月にメイ ンクロップを収穫 し、その後 SALIBU 農法技術を適用し て栽培試験を続け 大型ポット試験栽培による親イネ~SALIBU 蘖第 1~5 世代の収量、草 丈、有効分げつ数及び地上部バイオマス量の推移しているものです。 

 その平均反収は、 メインクロップが 5.3t/ha、SALIBU 第 1 世代~第 5 世 代のラトゥークロ ップが 9.1t/ha、 6.9t/ha、11.5t/ha、 6.9t/ha、11.0t/ha と推移していて、 蘖の全世代で親イ ネの収量を上回っ ています。

  同局が 2017 年 6 月に設定した試験ほ場では、上述の栽培品種 Thee Htat Yin に加え て、晩稲の Sin Thu Kha 並びに早稲の Shwe Thwe Yin という 3 品種を用い、それぞ れ栽培水管理法として W1:SALIBU 農 法技術、W2:SALIBU 農法技術+AWD (間断灌漑)、W3:慣行農法(Control) の 3 通りで計 9 通り、これらの試験区 を 4 反復のランダム配置により 36 区 画、右図の通り配置しました。 

 このうち同年 10 月の豪雨洪水災害 によって再切断後の株が冠水被害を受 け、作付のやり直しを行った Shwe Thwe Yin を除く 2 品種は、同年 10 月 にメインクロップを収穫し、2018 年 1 月に第 1 世代の SALIBU ラトゥーンク ロップを収穫しました。

 その結果得ら れたデータを分析しますと、上述の栽培水管理法 W1 と W2 の SALIBU 蘖第 1 世代の両品種の収量は 4.59-5.91 t/ha で、親イネのメインクロップの収量 4.07-5.71 t/ha 及び W1、W2 と同時期 に栽培した W3(慣行農法)の両品種の 収量 3.41-5.10 t/ha と同等かやや上回 っていました。

 また、同年 4 月に収穫 した第 2 世代の SALIBU ラトゥーンク ロップでもデータを整理中ですが、収 Small farm pond Water source (tube well) Plastic hose (φ2 inch) Legend W1: SALIBU V1: Variety 1 W2: SALIBU+AWD V2: Variety 2 W3: Conventional V3: Variety 3 親イネ 蘖第1世代 蘖第2世代 蘖第3世代 蘖第4世代 蘖第5世代 草丈 (cm) 92.7 68.2 96 119.9 87.8 76.5 穂長 (cm) 22.95 19.89 25.3 25.23 21.86 19.59 有効分げつ数 (/株) 10 38.6 16 32.6 28.4 49.4 一穂籾数 (/穂) 126.94 92.37 92.75 127.2 112.43 117.9 一株穂数 (/株) 9.78 36 16 32.6 21 49.2 1000粒重 (g) 21.68 18.92 19.9 22.26 19.8 17.87 登熟歩合 (%) 81.94 60.15 68 64.37 62.22 56.08 地上部バイオマス量 (g/株) 22.41 73.74 53.88 123.85 63.41 161.91 収量係数 0.49 0.51 0.53 0.47 0.46 0.35 株の再切断日 (年/月/日) '16/11/18 '17/03/03 '17/06/14 '17/09/18 '17/12/25 収穫日 (年/月/日) '16/11/11 '17/02/22 '17/06/10 '17/09/12 '17/12/19 '18/04/03 各世代の生育日数 (日) 115 103 108 94 98 105 収量 (t/ha) 5.3 9.1 6.9 11.5 6.9 11.0 

 大型ポット試験栽培による親イネ~SALIBU 蘖第 1~5 世代の収量及び収 量構成データ並びに株の再切断日、収穫日、生育日数 10 量が 4.66-6.46 t/ha となるなど、同様の結果が得られています。 

 これらの栽培に要した灌漑水量から計算により得られた水生産性の値(1 リットルの 灌漑水量で生産できる穀物の重量で、単位は g/l)は、SALIBU 蘖第 1 世代の両品種で は W1 が 1.40-1.76 g/l、W2 が 1.47-1.92 g/l となり、0.61-0.73 g/l であった同じ時期の W3 の 2.3~2.6 倍となりました。

 つまり、同じ灌漑水量のもとで SALIBU 農法技術を 適用して栽培すると、慣行農法による栽培と比べて 2.3~2.6 倍の穀物が生産できると いうことです。これは、慣行農法で必要な苗代用水、代掻き用水が不要で、かつ、栽培 期間即ち灌漑期間が 2 週間程度短くなる分の用水量を節約できるからです。

 一作期あた りでは概ね 60%程度の灌漑水量を減らすことができます。 慣行農法では 2 年間で 4 回収穫するのに対して、SALIBU 農法技術を適用した栽培 では 2 年間で 7 回同等の収量で収穫するので、作付面積が同じままで前者から後者に 移行すると、計算上は年間の収量がほぼ倍増する一方で灌漑水量は年間 20%ほど減じ ることができるという、夢のような未来が描けることになります。 このほか現在ガーナでも、ガーナ大学と共同でフィールドに設置された 54 個のコン テナ(1m×1m)を使い、SALIBU 農法技術の適用による水生産性の向上について研究 を開始しています。 

 6. おわりに―第 2 の緑の革命へ向けて 以上まとめますと、SALIBU 農法技術は、上述のような大きな増収効果と水資源の節 減効果をもたらしますが、以下のような様々な特徴によりさらに重要ないくつもの効果 を発揮します。

  (1) 現地の小農が実践している水田稲作の慣行農法(品種、施肥、栽培法)をほぼ踏 襲しながら、特別な機械装備への投資を要せずに、株出し栽培(蘖農法、英語で は ratooning)技術の導入により、これまでと同様の反収を持続的に実現する 

 (2) 蘖が越冬できずに枯死または衰弱する日本、韓国、中国の大半、米国カリフォル ニア州、欧州などの温帯地方では導入不可能な農法で、冬がない常夏の熱帯地方 のみに有効な農法である

  (3) 大型コンバイン等による収穫が適さないため、機械装備と大規模経営による低 コスト化に馴染みにくく、手刈りで収穫する熱帯地方(開発途上国)の小規模農 家にのみメリットがある 

 (4) 稲作では田植と収穫時(二期作では年間計 4 回)に労働力投入が集中するが、例 えば最初の播種を 1 か月ずつずらして 3 区画で営農すれば 2 年間で 21 回、ほぼ 毎月の収穫(田植は不要)となり、労働力の分散投入が可能となるうえ、その度 に市場へ出荷して現金収入を得られるようになる 

 (5) 現金収入の機会の劇的な増加は、年収の増大と相まって、更なる発展のための投 資に対する貧しい小農たちの心のハードルを大きく引き下げ、これまで臆病で あった新品種や新農法の導入、パワーティラーや籾摺り機等の機械装備、地下水 灌漑施設の整備等に必要な投資に踏み出させる 



  SALIBU 農法技術に適した品種の選定、高収量が得られる生理学的メカニズムの解 明、通年にわたる還元土壌下での連作障害の可能性、収穫時期が通常と異なることによ る病虫害や鳥害の異常な発生への対応、作物は種子から育成すべきと考える保守的な稲 作農民による拒否反応など、解決していくべき今後の研究テーマは尽きません。

 しかし、 インドネシアでは既に、先に踏むべき研究段階を飛び越しSALIBU 農法技術を1万 ha の水田に普及すべく、2017 年1月に農業省が予算を計上したと聞いています。筆者 も微力ながら、ボゴール農科大学に働きかけて、同年 5 月に同国で初めての全国 SALIBU 農法技術セミナーを開催していただき、基調講演と意見交換を行いました。 

 コメは小麦、トウモロコシと共に世界の三大穀物と呼ばれ、FAO の統計によればア ジアを中心に、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカなど世界各地で年間約 1 億 5,000 万ト ンの籾が生産されています。

 現在の世界全体の小麦やトウモロコシの生産量もほぼ同量 です。国連の推計によれば、今世紀末の世界人口は 112 億人に達するとされています。 この人口を養う持続可能な生産を達成するためには、環境に優しい第 2 の緑の革命が必 要です。

 3つの報告を何度も何度も読んでみて、まだ実際の所は分からないという気がした。インドネシアスマトラ島で実施している方法と、農研機構の現状の判断では大きく違っている。農研機構の見方では稲刈り前後の1ヶ月水を落とす以外は意味がないと言う経過報告のようだ。

 のぼたん農園では様々に条件を変えて実施している。切り戻しせず1ヶ月水を落としている田んぼもある。果たして違いが出るのかどうか。ともかく観察を続けることにする。


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有機農業の稲作の満作の様子。

2022-07-29 04:31:02 | 暮らし


 今年も欠ノ上田んぼは良く出来ている。ほぼ畝取りが確定されたと言えるところまで来ている。疑う人がいたら、あるいは有機農法の満作の田んぼを見たいという人がいたら、ぜひ見に来てほしい。稲刈りは10月初めだから、それまでの間にくれば、様子がわかるはずだ。

 疑問点があれば、このブログのコメントから問い合わせて貰えば必ず回答する。すべての技術を公開するのが、有機農業をやるものの喜びである。そうして、有機農業が広がることが願いなのだ。

 有機農業は慣行農法より収量が少なくて当たり前だという人がいるが、それは努力の足りない人の甘えた発言に過ぎない。有機農業は必ず地域の平均収量を上回るはずだ。そうでないのは何かが間違っているに過ぎない。当然のことで、イネの本来の力を発揮させるのが、有機農業なのだから、当然満作になり収量は十二分に取れることになる。

 有機農業は稲を観察する力がないとできない。自然のその年の様子に従う必要もある。だから生きものの観察する能力が問われることは確かだ。それだけに良く出来た喜びも大きいものがある。私が田んぼをやっている、神奈川県と沖縄県は全国で反収が一番下の両県である。ここで畝取り出来ることは日本の何処でも可能という事だ。

 小田原の自然環境の中、もう10年ほど畝取りを継続している。有機農業は慣行農法より収量の点でも優れた農法なのだ。もう一度言いたい。疑う人がいたらぜひ来てみて欲しい。小田原駅から、2番乗り場から360円、諏訪の原公園行きのバスで、観音堂で降りて、進行方向左側の久野川に向う傾斜地の田んぼが欠ノ上田んぼである。

 誰でも自由に見ることが出来る。条件は決して良いとは言えない。日照も不足するし、水も不安定。その上、土壌も良くない。そして川沿いの崖に従った形の棚田である。全部で20枚に分かれている。1ヘクタールほどの場所になる。そのほか傍には農の会の田んぼがまだ1,5ヘクタールほどある。

 農の会には他にも例年畝取りをしている田んぼがある。農の会の田んぼは基本としては市民の自給用の田んぼである。自給用の田圃などと言えば、それだけでアーミシュのような、特殊な人たちと考える人もいるだろう。しかし、見て貰らえば、専業農家の田圃より整然と良く出来ている。

 農家よりも収量が多くなければ、自給の有機農業をやる甲斐がないと思っている。良い農法だから有機農業をやっている。安全とか美味しいという以上に、優れたイネの生理にかなう農業をやっているつもりだ。だから慣行農法よりも収量が多いのだ。それをどれほど認めない人が多いいことか。

 あえて言わせてもらえば、その原因は今までの有機農業の耕作者が、能力が低く収量が低すぎたためだ。こういえばそんな馬鹿なと思う人も多数いるだろうと想像される。だから、是非疑の強い人ほど、来て確認して欲しい。そうすれば、有機農業の優秀さを確認してもらえるはずだ。

 じゃあ、すべての面で有機農法が優れているかと言えばそんなことはない。手数がかかり、普通の農家には取り組みにくい農法なのだ。除草剤を1時間で蒔けばいいところを、コロガシや手取り除草で、併せて反当り20時間はかかる。そんなことはやれないというのが当たり前のことだ。ところが、これを5人の人でやれば、4時間の負担だ。市民の自給はだから可能なのだ。

 もう一つには販売の手間暇が要らない。宣伝したり、6次産業であるとか、お客様サービスを考えたり、食糧自給で入らない労力が山ほどある。販売しないで済むという事はずいぶん楽なことになる。売るとなれば、有機認証などという馬鹿馬鹿しい事務手続き迄必要になる。

 お前たちの田んぼが収量があることは小田原の特殊条件だとまだいう人がいるかもしれない。それなら、石垣島ののぼたん農園を見てくれと言いたい。残念ながらまだ始めて半年なので、牧場を田んぼにしたという段階だ。しかし、5年間で必ず実現するつもりでいるので期待してもらいたい。初めて7カ月ですでにかなりの成果が出てきている。石垣島田んぼ勉強会でフェースブックで探せば出てくる。

 今回の小田原では7月の農作業を行った。まず、田んぼの観察を3回じっくり行った。分げつは24平均とみていいようだ。もう少し増える可能性もある状態と言える。ハルミとサトジマンは株の背丈が110センチ平均ある。マンゲツモチは120㎝あった。

 ほとんどが1本植である。やはりイネは1本植えが健全なようだ。病気が出にくい。一番今年注目した。直播の田圃もあるが、これもなかなか良く出来た。労力的にかなり省力になるので、もう少し直蒔きを取り入れてもいいのではないかと思っている。初期の鳥害は黒い糸で防げそうだ。

 どの株も根元の茎の太さは太い。株の弾力もかなり強くていい状態だと思う。これだけしっかりした株であれば大きな穂が出て来ても、倒れないのが普通だ。問題は土壌が柔らかくなり過ぎると倒れると思う。この後間断灌水でどうやって土壌を固めることが出来るかが勝負。

 問題は土壌から水が湧いて居る所は土が緩くなり過ぎて倒れる可能性がある。これからどうやって水の湧いて居る所の土壌を固めるかが重要になる。倒れるぐらい育てなければ、畝取りは出来ないが、倒しても畝取りは出来ない。倒れるギリギリまで育てて、倒さないのが目標になる。

 この株の大きさが本来のイネの大きさだと思う。慣行農法のイネがもう少し小さいのは、除草剤などで十分に育っていないのだと思う。有機農法で草一つない状態で育てて、充分土壌が良くなっていたら、ここまで成長するのが健全な株姿だと思う。今年は生育は早く良くなったので、穂肥を与えるのは取り止めた。穂肥を与えなくとも、畝取りできる状態まで来ているからだ。

 田んぼの草刈りと、田の草とり。一日雨があったので、その日に行った。晴れていると、暑くてとてもできる状態ではなかった。汗疹が炎症になってしまって、体調が万全ではなかった。汗をかきすぎたという事がある。石垣島も今年は暑い。

 小麦と大麦のとうみがけを行った。小麦は急きょ狭いところに種まきをしたにもかからわらず60キロはあった。そして、大麦は230キロぐらい。これは基本、ビール用に使う。ビール会社と契約して栽培しているのだが、何しろビール会社の方がコロナでやられている。予定通りには進まない。

 小麦は製粉の試しも行った。精粉所に出すのではお金がかかり過ぎて無理だ。キロ500円もかかる精粉代ではとても自給では高すぎる小麦になる。そこで、自分たちで粉にすることにした。製粉機はあったのだ。上手く行けば問題点が解消する。小麦粉を少し持って帰れることになった。

 今回は溜池の草刈りは出来なかった。暑くて、汗疹がひどくて、とてもそこまでやれる体力がなかった。夏は溜池管理も少し我慢貰うほかない。秋に来た時に頑張ろう。今度小田原に来るのは9月1日になる。
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原理研究会からの勧誘

2022-07-28 05:46:06 | Peace Cafe


  安倍氏がテロで殺害されて、犯人の山上は殺害の理由を、自分の過程を破壊した統一教会の幹部を殺す代わりに、統一教会とつながりのある有力政治家である安倍氏を殺害したと自白している。安倍氏は実際に統一教会とかなり深いつながりがあったことが、次第に明らかになりつつある。

 小田原の国会議員である。井上義行氏は統一教会の賛同会員という事を明らかにした。井上氏はもともと安倍氏の議員秘書であった。農の会には高校時代同級生だった人がいて、詳しく安倍氏との関係は聞いていた。議員になるために紆余曲折を経て最後に、自民党の国会議員になった。

 選挙では何度も落選した。その為当選するために統一教会の支援を、安倍氏を通して受けたのだろう。その結果当選できたのだ。特別の支持団体もなく、特別の経歴がある訳でもない、見た目も普通の人である井上氏が良く当選できたと思ったものだ。

 安倍氏は岸伸介に始まり、3代にわたって統一教会から、選挙や議員秘書を協力してもらうという形で、支援を言えてきたわけだ。この経過を考えれば、犯人の山上が、教団の幹部の代わりに安倍氏を狙ったことはあながち間違いではないだろう。

 統一教会の資金は日本から得ていたとされている。日本から資金を得るためには、安倍3代とのかかわりは大きな力になったはずだ。一方安倍氏が総理大臣になるために安倍派の勢力を選挙で拡大するためには、統一教会も利用したことも確かだ。

 このように持ちつ持たれつの関係で安倍氏は総理大臣になった。しかも総理大臣になって、辞めた後迄ビデオメッセージを出したという事は、安倍氏は統一教会との間には、切る訳にはいかない暗い関係が存在するとみていのだろう。

 安倍氏は国葬になることを岸田内閣が一方的に決めた。世も末だとつくづく思う。岸田内閣は何故統一教会を結果的に支援してしまうようなことをやるのだろうか。深く深く自民党の中に統一教会が、浸透しているという事だろう。

 選挙という議員の弱いところをつかまれているのだ。自民党議員はパチンコ協会とか、賭博関係の団体の支援をえる。あらゆる利権団体が、政権与党を支援し、様々な見返りを得ている。金権社会であるから、こういう構図はどんどん強まっている。

 拝金主義社会だから、利益が出るという事がすべてに優先する。議員は当選という事が大前提になる。議員の当選は、能力主義とは言い難い。官僚は能力選別を経ているが、議員はどれほど汚いことを裏でやろうが、当選すれば利益が出せる。

 この構図を変えない限り、拝金主義社会の中での選挙はまともな民主主主義にはならない。安倍氏のように桜を見る会に地元の選挙民を招待するという手段まで取ることになる。しかも何の功績もない安倍氏を国葬にすると決めた岸田内閣にはそれだけの弱みと考えなければならない。

 50年以上前のことだが、金沢大学に入学したときからの1年間、必ず原理研究会に入会させる対象として徹底的に狙われた。週に一回ぐらい、探して会いに来る。会いに来て議論を振ってくる。例えば、大学の封鎖をどう考えるかとか、沖縄返還をどう考えるかなど、聞いてくる。

 封鎖は反対だった。その意味で原理研究会と同じ考えだ。沖縄返還は賛成だった。その意味で原理研究会と同じ考えだ。これですっかり有望な人材だと見られたのだろう。しかし、勝共連合どころか、その反対のかなり左翼的な思想を持っていた。

 そういう人間の方が、有望なのだと統一教会の人間は言っていた。統一教会は大学では原理研究会と名乗っていた。れっきとした曹洞宗の僧侶として生きていたつもりだから、統一教会のようなものを蛇蝎のごとく嫌っていた。どこからどこまでも遠いい存在と思っていた。

 その私をオルグしてきた、原理研究会の幹部の人は理学部の人で、中核派からよくぼこぼこにされていると聞かされていた人だ。原理研究会の金沢大学のリーダーという事だった。美術部の先輩にその人と同じ教室の人がいて、あいつには気お付けろと、教えてくれたわけだ。

 私が話しを避けないので、脈がある、絶対に入会させると言っていると教えてくれた。大抵の人は原理研究会を避ける訳だ。議論を避けたくない性格だったから、むしろ原理研究会の原理がいかにおかしなものかを説得していた。もちろん洗脳されている人間だから、全くの無駄だった。

 当時から統一教会は反共産主義を標榜しながら、おかしな宗教教義を主張する団体としか思わないかった。いわゆるカルト集団であるが、原理研究会を名乗るように、宗教と科学を統一する理論集団なのだと説明していた。

 実態は実に曖昧な理論構成で、何も統一などされていない。似非科学の一種だった。何故こんなでたらめな理論を信じてしまうのかと馬鹿馬鹿しい限りだった。それでもしつこく話しかけてくるのだが、むしろその理論のおかしさを徹底して説明するので、そのうちさすがに来なくなった。

 その後霊感商法でつかまり、やはりそういう連中だったのだと確認したのだが、いまだに続けていたとは驚いた。その原動力は自民党政治家との結びつきだ。自民党議員は選挙協力ぐらいに軽く考えているのだろうか。カルト集団を甘く見ている。

 日本の選挙制度がおかしすぎるのだ。少しおかしな団体だと感じても選挙の為なら利用しようと考えるような議員が当選する。一方に公明党と創価学会というどうしようもない組織がある。日本を悪くしているのが、結局のところ新興宗教である。

 社会自体が安定した理念を失った、末期的な状態なのだろう。だから拝金主義が広がるし、似非科学も、フェークニュースも、カルト集団も次々に現れるのだろう。よほど注意深くしないと詐欺にあうことになる。

 普段から信頼できる友人を持つことだとおもう。いつでも何でも話せる良い友人がいれば、おかしなものに巻き込まれない。相談できる人がいれば、冷静に考えることが出来る。これからさらに社会はさらに下ってゆくだろう。政治も助けてくれることはますますない。

 残念なことだけれど、この先ますます自助社会だ。せめて共助出来る友人を持つことしかない。そして自分を保つためのものを持つ。私の場合絵を描くことだ。絵を描くという確信があれば、心が落ち着く。まともな人間でいられるのだろう。


 
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議論を嫌う風潮

2022-07-27 04:10:01 | 身辺雑記

 
 今回の小田原はANAできた。朝8時5分発で、小田原の家に3時についた。飛行機は富士山の見える側の窓側に座ると決めているのだが、羽田行きは大島よりも三宅島寄りを通過する。富士山は遠くに見える。さすがに7月25日は雪がない。

 富士山を飛行機から眺めたいのは絵を描いているのだ。というか、富士山を見ると反射的に絵を描く目になってしまう。24日のぼたん農園の稲刈りが終わってから、富士山のを描いていた。その画面が運よく確認することができた。

 富士山を何故描くのか。こういうことを考えていた。富士山のそばで生まれたという事もあるかもしれないが、富士山の持つ精神性に感じるところがある。富士山はご神体である。何故、ご神体と感じるようになったのかというあたりが、自分の中にある何かを刺激する。

 そんなことは絵とはまるで関係がないとする絵を描く人が多いいだろう。しかし、富士山を描く人は少なくない。最近では文化勲章を頂いた、絹谷幸二氏の絵には現れる。つまり、日本人の記号なのだ。このあたりを本当は議論をして深めたいところだ。
 
 しかし、そんな議論を避ける傾向がある。議論をすることで、考えが深まるという事があると思うのだが、最近議論をしたことがない。そういえば世間でも議論している姿を見たことがない。口角泡を飛ばす場面に出会わない。裕行、とかいう人の論破というのは良くない。

 全く生産性のないこと論破ばかりだ。要するに揚げ足取りをして得意がっている場合がほとんどである。それでもついついそういう場面を見てしまうのは、私が議論好きだからだろう。議論はまず言葉の定義が重要である。議論をしてもそのずれが多すぎて、議論が不可能になっていると感じる。

 だから、揚げ足取りというのは、相手の主張する言葉の矛盾を突く方法だ。相手をへこませて黙らせるには役立つが、相手の主張のまだ表面化していない内容を引き出し、昇華させる役には立たない。議論は本来互いのために行うものだ。

 強い主張をしている人に同調してしまうことが多い気がする。おかしい、自分の考えとは違うと考えても、ついつい相手の主張を否定する意見を言わない場合が増えている。反ワクチンの人と、ワクチンについて議論する場面は何度も出会っている。
 
 なぜワクチン反対なのかを聞き出そうとするのだが、それが出来ない。ワクチンというような、まだ未解明の部分のあるものに対して、どう対応するかは実は人間の生き方にかかわる重要なことだと思う。ところが、これがどういうわけか、議論にはならない。

 なぜワクチンを打つべきでないと考えるのですかと聞いても、どうせ分かってもらえないから、話しても無駄だという空気感が出る。本当に無駄なのだろうか。たとえ陰謀論の主張でも、私には良く分からない陰謀論と信じる根拠は知りたいところだ。

 陰謀論派の人にしても、主張しても理解されないと考えているのだろうが、口にすることで自己確認が出来るはずだ。別段ワクチン反対派の人を否定するつもりもない。ただ同じ社会で生きてゆく上で、利害が対立している。ワクチンを打たない一番の問題点は医療崩壊である。

 これはワクチンを打とうが打つまいが同じである。誰もが交通事故に遭えば、助かる命も失われる可能性が出てきている。たぶん反ワクチンの人は風と同様のコロナで、何故大騒ぎして入院させるのかと考えているのではなかろうか。

 確かに病院に行く必要がない、コロナ患者が増えているのは事実だ。そういう人が検査のために発熱外来に行き病院が満杯になっている。やっと政府も検査キットを配って自己検査をして、陽性であれば電話対応で、自宅療養で済ますという方針が出てきた。

 はっきり言ってコロナが変異を続けていて、医療も対応が変わっている。しかし、病気に対する恐怖感は最初に植え付けられたままだから、熱が出ればパニックになる人はいくらでもいるだろう。こういう状態を解きほぐすためには論理的な議論が必要なところだ。

 故安倍氏の国葬もきちっとした議論にしなければならない。少しも議論がないまま、総理大臣が独断で決定してしてしまった。悪い風潮である。安倍氏の功績は歴代の総理大臣に比べて、傑出したものと言えるのかである。これは自民党の中でも意見は分かれる所だろう。

 最悪の総理大臣と考えてきた私にしてみれば、とんでもない人なのだが、この人の功績を評価する人は何がどう良かったのかを、日本の現状を見て、議論を展開して欲しいところである。今のところ誰もが総理大臣のお陰こんなに良いことがあったと言えるようなことを示していないように思う。

 そもそも成果にあげられているアベノミクスがどうして評価できるのかを数値をもって示してもらいたい。アベノミクスの第3の矢新産業は何だったのかを示してもらいた。私の見る所では日本の産業の中で矢の放たれていた、蓄電池、太陽光パネル、半導体などが、むしろ後れを取っていく過程の責任者に見える。

 最近の若い人たちは、意見が違う場合、議論をせず多数決にするらしい。じゃんけん民主主義というらしい。決めた責任者を出さない優しい工夫らしい。議論をするのは問題を明らかにして、第3の道がないかを模索するためだと思う。

 問題には必ず第3の道がある。対立する両者が譲り合って、受け入れ可能な案はある。これを否定してしまえば、民主主義というものは成り立たなくなる。実際ロシアの主張は民主主義的解決を拒絶している。そうでないのであれば、きちっとウクライナの穀物輸出を議論すべきだろう。

 もめ事を避けて、そのことを議論しないままでいれば、武力として爆発することになる。議論の結論は第3の道を探るためのものだ。尖閣問題を議論にあげないのは、自分を少しも譲らないという日本の態度にある。そもそも、尖閣諸島は日本のものではなかった。

 尖閣諸島は琉球国に所属したとはいえるのだろう。琉球国は日本でも中国でもなかった。琉球国は日本に一方的に帰属させられた国である。だから、尖閣も日本に帰属するというのは立派な主張であるとは思う。一点の曇りもないかと言えば、いくらかはあるのだろう。その辺をきちっと話し合い解決するという、民主主義国家としての当たり前の態度をとるべきだろう。

 議論を避けて良いことは何一つない。議論を避けることは一見平和的な解決に見えて、行き着く先は問答無用の暴力への道という事なる。ロシアのような軍事侵攻もあるが、普通はごく些細なことにしても、どちらかの権利が無視されている。

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欠ノ上田んぼん7月26日

2022-07-26 04:15:16 | あしがら農の会
 ここは直播田んぼ柿の下田んぼのCである。一応私が担当なのだが、充分なことは当然できないし、皆さんがやってくれている。今回の小田原では拾い草や畔の草刈りぐらいはするつもりだ。

  小田原に来た。早速、田んぼを見て歩いた。欠ノ上田んぼの出来が素晴らしい。一番興味があった直播田んぼも、素晴らしい成長だった。直播がここまで良くなるという事が分かって、希望が湧いてくる。やはり、自給農業は楽でたくさん収穫がなければ、と思う。

 それにしても、欠ノ上田んぼ全体の出来が素晴らしい。特にマンゲツモチの状態が最高の出来ではないかと思った。この姿はかつてみたこともない良さだ。このまま行けば畝取り間違いなしの出来である。現在、穂ばらみ期である。120㎝はある株姿である。茎も太くて開帳型である。しかも、乱れがない。

 欠ノ上田んぼは全体に草が良く押さえられている。雑草はわずかでもあれば生育に影響する。稲作に除草は必要なことだ。稲作でも叢生栽培と言われる方がいる。たぶん、そういう栽培体系もあるのだろうが、どういう事になっているのか想像すらできない。

 たぶん、収量は6俵どまりだろう。そして生命力があるとか、力があるとか、病をいやすお米というようなことになるのだろう。自給農業で一番大切なことは、最小限の労働で、最大限の収量を得ることだと思う。化学肥料や農薬や化石燃料は出来る限り使わないでという条件だ。

 コロガシと手取り除草である。草を出さないうちにやらなければならない。草が出てからとるのではおそい。これからのぼたん農園でも草に苦労するようになるだろう。どうやって草を出さないかが課題になる。欠ノ上田んぼを見習わなくてはならない。

 直播で畝取りできれば初めての事になる。直播をしたⅭ田んぼは、田んぼにしてまだ2年目のことである。それでもずいぶんよくなっている。管理がとてもいいのだと思う。去年悪かったところがずいぶん改善されている。まだ一部に生育の悪いところがあるので、追肥をすることにした。

 柿の下田んぼはハルミである。特Aをとった神奈川県の全農が作出したお米である。全農作出のお米が奨励米になった初めてのものである。キヌヒカリとコシヒカリを交配した品種。畝取りは簡単ではないお米だと思う。完全に柿の下田んぼの栽培に適合した感じである。

 有機農業に向いたお米の一つだと思う。サトジマンも有機農業向きのお米だと思う。つまり、有機農業で畝取りできる品種である。そして、充分においしいお米だとおもう。味は主観なので、なんともいえないとおもうが、欠ノ上田んぼのお米はいつも美味しいと思って食べている。

 今年は梅雨明けが早かったので、初期生育がとても良かった。その意味では肥料を消耗している感じはした。しかし、これ以上追肥すれば、倒伏するだろう所まで来ている。ここは欲張らずに、この後土壌を固めてゆくことを考えるべきだろう。

 倒してしまうと、作業も大変になるし、収量も無駄にすることになる。それくらいなら、少し後半終了が下がるかもしれないが、もう穂肥は入れないでこのまま土壌と水とイネの力にかけた方がいい。間断灌水である。土壌に酸素を送り込むつもりで、水を入れては落すことを繰り返す。

 ただし、これからイネが花を咲かせる時期なので、きつく土壌を乾かすのは厳禁である。湿り気のある、水が無くなったと思ったタイミングで水を戻すことがコツだ。このやり方をすると、根が水を求めて深く土壌に入り込む。水を入れ続けると、どうしても上根だけが広がることになる。

 水がこなければ土壌の深いところに水を求めて入ってゆく。まあ地面が割れれば、そこから酸素が水とともに供給されることになる。根の環境が活性化されて、肥料分がイネが吸収しやすい形になるようだ。この辺はあくまで観察で感じているだけで科学的な検証をしたわけではない。

 昨年から、苗にヒエが混ざる現象が目立つようになった。その原因が分かった。畔にヒエが生えるようになったのだ。その種が落ちて、田んぼに広がるようだ。雑草はともかく実らせてはならない。種がこぼれれば、手に負えない。

 お米は最高の出来で作られたものが美味しい。しかも、化学肥料ではなく、土と水の力で作るお米が美味しい。欠ノ上田んぼの場合、20枚の田んぼを連ねて作っている。上の田んぼの水が徐々に下の田んぼに流れてゆく。最後の田んぼでは水は外には出さない。

 田んぼで水を作りながら、次の田んぼ次の田んぼへと水を受け渡す。最後の田んぼ以外は流し水管理である。田んぼの水は動いていることが重要である。最後の田んぼでも動かしているという事は必要なのだが、もったいないことなので、最後の田んぼでは水は浸透できる程度に上から流す。

 この水管理は20枚もあれば、極めて微妙な作業になる。私以外にはできないと思っていたのだが、なんと今の担当の東さんは私よりも完ぺきにこなしている。初めての年でこれほどの管理ができたという事は特別な才能があるのだろう。やはり絵を描く人なので、それだけの観察眼があるという事かもしれない。

 この作り方だと下の田んぼに行くほど出来が良くなる。水温のこともあるが、それよりも各田んぼで水が豊かなものになり、下の田んぼに入る。これを繰り返して、行くので下に行けば行くほどよくなる。田んぼの中で水は肥料分を増やしている。

 しかも、下の田んぼに行けば行くほど、汚染物質も少なくなってゆく。川から水を取り入れた時に、いくらかの汚染物質があるとしても、徐々に減じてゆき、最後の田んぼに入るころには、最も安全な良い水になっているはずだ。そして入れた水はすべて土壌に浸透させ地下水として、環境に戻してゆく。

 欠ノ上田んぼを復田して本当に良かった。1haぐらいの田んぼを作ったのだが、そのすべての田んぼが畝取りできる田んぼによみがえった。20家族以上がここでお米を自給できているのだ。農の会にはこうした田んぼグループが他にも10くらいある。他はもう少し小さい規模である。かかわり方は手伝い程度から、どっぷりはまったい人もいて、100家族ぐらいは自給の田んぼ活動をしていると考えていいのだろう。
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瞑想と禅の違い

2022-07-25 04:27:23 | 楽観農園


 お釈迦様が悟りを開いたとされるのは瞑想していたときである。座禅をしていたわけでは無い。紀元前五世紀インドルンビニー での事とされている。母は釈迦が生まれるとまもなく死んだ。釈迦はラーマプッタ という人の弟子となり、瞑想の修行をする。たぶんヨガの一種の修行だったのだろう。

 しかし、その修行では道を見いだせず、苦行の道に入ったとされる。6年間苦行を続ける。どうしても悩みに落ち込み道が見つからない。苦行で身体を痛めて、疲労困憊になってしまう。苦行を離れ村はずれまでたどり着く。牛乳を村の娘から飲ませてもらい、身体を回復させることが出来た。

 ここでの苦行は例えば、「断食」、「熱い太陽の下に座る」、「水の中に立つ」、「雪の地方での裸での生活」、「両手を上げて片足で立つ」、「沈黙の誓い」 というような現代でも行われているタパスといわれるヨガの行者の行に近いものだろう。

 苦行で痛めた身体を回復した釈迦は菩提樹の木の下で、瞑想をして悟りを開くことになる。日本の禅宗では座禅をして悟りを開くとされているが、釈迦の時代のインドには、禅宗が言うところの座禅は存在していない。インドのヨガの瞑想と考える方が自然である。瞑想と座禅は似て非なるものである。

 瞑想は迷いから抜け出す方法である。瞑想の修行から始めた釈迦は、ただ瞑想をしていても、現実の世界の問題点の解決は出来なかった。そこで苦行をして自分を酷使してその果てに道を見付けようとするが、それでもその解決は出来なかった。そして、ただ身体を休めるように瞑想した時に悟りの気持ちになる。

 釈迦の修行の逸話は瞑想から苦行。苦行から又瞑想という流れで悟りを開く姿なのだろう。それから1000年後に達磨大師によって、釈迦の教えとしての仏教の修行法が、インドに伝えられる。その時点ではヨガ的な修行法に近いと考えていいのだろう。

 最初は瞑想が中国に伝えられたと考えていいのだろう。苦行と瞑想が渾然となるものだったのだろう。達磨は中国に置いて、9年間座禅修行をしたとされる。私は達磨大師が行っていた修業は穴の中にこもり、禅を行っていたと想像している。

 この面壁9年の逸話は、弟子の慧可 が作ったものの可能性がある。中国人である慧可は老荘思想の影響が強い、禅宗の体系を作る。インドから伝えられた瞑想がここで、座禅という修行法になって行く。しかしこの時点では、様々な修行の一つとして、座禅が取り上げられていたと考えたほうが適切ではないだろうか。

 それは空海が長安で学び、日本に伝えた密教の姿に近い修行法と思われる。空海が中国で学んだ仏教はインドから伝えれて、後の300年ほどの事である。中国化が進みつつある時代なのだろう。日本では山伏修行とどこか繋がりのある、千日回峰行もあれば、瞑想もある。座禅もある。曼陀羅を描く修行もある。経を読み続けるような修行もある。

 その後道元禅師が中国で学んだ時代はその後600年も経過してのことだ。この600年間の中国の仏教には、ヨガ的な物から老荘思想が加味されていたことだろう。座禅は独立した修行になっていたのだろう。様々な苦行も残されていたはずだ。しかし、道元禅師はその中で、只管打坐を提唱する。

 瞑想から座禅が明確にされることになる。これは道元の個性によるところが大きいと考えたほうがいい。禅を座禅に単一化する。経典から学ぶことさえ離れる。座禅以外の修行法をことごとく排除し、座禅に集中してゆくことになる。

 個人的な体験からすれば、座禅は極めて特殊な修行法に感じる。インドの瞑想によって、釈迦が悟りを開くまでの道筋は極めて論理的な世界である。ところが、道元が純化した座禅という修行法は、難解で、悟りを開くことができる人は、希有な人と言うことになる。

 座禅を試みて、挫折した者としてその困難さを実感している。例えば絵を描くなどと言うことは許されない修行だ。少林寺のように、拳法が修行がされるような姿は、曹洞宗には全くない。人間を極めるという意味で武道が修行にある事は不思議ではないが、ともかく道元は修行を座禅一つに絞り込む。

 このときから、瞑想と座禅は決別する。似て非なる物になった。座禅は瞑想から出発して、無念無想の空の状態を探求する、引き返せないような修行になる。ただ座ることで、考えることすら許されない世界となってゆく。実践主義である。

 瞑想は言葉のように静かに思いを巡らせる世界だ。瞑想によって心をリラックスさせ、ストレスからの解消。悩みから解き放たれる事が目的になる。瞑想は社員研修などで取り上げられることがある。ストレスが重なりがちな企業で働くことの中で、瞑想法によって精神の安定を保とうと言うことなのだろう。

 現代社会では瞑想がフィットネスと同じような意味で行われている。シャワーを浴びるような事に近いかも知れない。心身がリフレッシュするための方法として、瞑想法が現代社会で行われている。本来のヨガの瞑想とはまた別のものとして、実用瞑想法のようなものが行われている。

 禅は意志的に思考を閉じる。一切の雑念から離れる。悩みの解決することと禅はかけ離れた行為だ。むしろ悩みと一体化してしまうようなイメージかも知れない。座禅を行うことには心の問題を解決するというような目的はない。目的らしき者があるとすれば、自分の心の本来を気づき、その自分を受け入れると言うことに成るかも知れない。

 もちろん禅ではこうした解釈や、理解も受け付けない。このように禅を分析して、合理的な思考をしようとすることも拒絶する。ただただ座禅をすると言う行為を重んずる。心の弱い者が座禅をすれば、神経衰弱になるのが落ちである。だから一人で座禅を行ってはならないとされている。

 座禅修行による悟りへの道は尋常ではない危険を伴うようなものだと思う。これはあくまで私の理解であるが。現代の禅宗の中には、社員研修のようなことを行うところもある。多分に禅を社会の中で実用化しようとすれば、禅が瞑想に近づいて行くことになるのだろう。

 禅では企業で働くというようなことは想定すらない。どちらかと言えば反社会的な非生産的なところに自分を置くことになる。私の場合は絵を描くと言うことを禅のようにとらえている。これは実は禅で言えば間違ったことだ。絵を描くという行為になりきろうとしている。

 出来上がった絵のことを考えない。絵を描くという行為に意味を感じている。描くという行為を確認するための絵画作品という位置づけ。では瞑想法絵画なのかと言えば、それともどこか違う気がしている。
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第118回 水彩画 日曜展示

2022-07-24 04:07:40 | 水彩画
第118回 水彩画 日曜展示
  中判全紙の作品である。






787「三津浜富士」
2022.7






788「残雪の黒姫山」
2022.7







789「宮良川中流域」
2022.7







790「田ノ原湿原」
2022.7







791「箱根駒ヶ岳」
2022.7







792「建設中の漁港」
2022.7








793「下田港」
2022.7








794「永太郎さんの田んぼ」
2022.7








796「芦ノ湖富士」
2022.7


 今回は、やり過ぎた作品も、もう少しやる方が良いかと思う作品も、展示してみた。展示することで少し自分の絵が他人の眼で見れると言うことがある。ここで終わりで良いのか、これはやりすぎたのかと言う当たりをみている。

 水彩画を描く上で大切なことは、描き継ぐという所にある。一度描いて筆が止まる。そして何か感じるところがあって、その続きを描き始める事ができる。その時に気持ちよく描き継ぐことが大切だと思う。この描き次が2回のものも3回のものも、何回描いた分からないほど描くものもある。

 ところが1回だけしか描かないで終わりまで一気に進む作品もある。この辺のことはまだどうしてなのかはわからない。今はただ描くと言うことにしたがっている。随分違う絵も現われる。そういう訳の分からないこともふくめて今描く気持ちにまかせて進めている。
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のぼたん農園の緩やかさ

2022-07-23 04:44:56 | 楽観農園


 のぼたん農園が目指している方角の遠い先の先にあるものは、宮沢賢治の思い描いたような理想郷、「イーハトーブ」の自給自足の共同体なのだとは思う。宮沢賢治は黒板に「下ノ畑ニ居マス 賢治」と描き残して38歳で去って行った。「今ハのぼたん農園ニ居マス イズル。」

 しかしそのことは、結果的なことだ。共同体の旗を立てて、出発すれば間違いなく転覆する。はためく旗の風に押し流される。そんな失敗を何度か観てきた。賢治の夢を実現するためには、静かにこぎ出さなくてはならない。強い決意を秘めて、静かな気持ちで。

 大きな冒険ほど実は確実な日々の連続である。旗などたたんで目的地にむかうものだ。共同体は結果的なことで、自給のための技術の確立がないのでは話にもならない。理念は技術に現われる。正しい理念をもち、正しい方角に歩んでいて、結果が出ないはずがない。

 理念がだめならば結果が出ない。結果が出ると言うことは目標が間違いでは無いと言うことになる。有機農業が正しい理念の農業であれば、必ず植物は万全の成長をして、充分な実りをもたらしてくれるはずだ。慣行農法よりも収量が低いはずがない。

 お米が10俵採れたときに、始めて自給生活のことを語れば良い。お米がとれないのであれば、共同体などそもそも無理なことだ。共同体はひと先ずは置いておくことだ。その土地に合う自給のための技術を確立しなけなければならない。田んぼは10あれば、それぞれに違う。土が違う、水が違う。そのイーハトーブに合った農業技術を見付けなければ成らない。

 その農場では子供やお年寄りや女性や力の弱い者が働ける。機械をできる限り使わない技術。化石燃料をできる限り使わない技術。永続性のある技術。土壌が育ち何も持ち込まないでも、循環が継続されて行く技術。最も時間と労働力が少なくて済む技術。身体を作る美味しい食べ物が出来る技術。

 のぼたん農園という場所で可能な最も楽な自給農法を探さなければならない。自給農法には化学肥料や農薬はない。化学肥料など自分で作り出すことが出来ないのだから、使えるわけがない。農薬も自分で作り出せるものはえひめアイとかお酢ぐらいだろう。江戸時代に戻って農業をやると考えればいい。

 江戸時代の日本人には出来たことなのだから、現代の品種改良されたものであれば、より容易に自給農業ができるはずだ。自分の暮らしで確かめてきた自給農業は一日100坪の土地で1時間の労働をすれば出来るというものだった。

 現代人歪んで、頭が固まってしまったから自然の総合を観ることが出来ない。人間がほぐされなければ、自給農業は出来ない。柔軟に、臨機応変に、自然に従う農法である。小田原と石垣島ではまるで違うと言うことが、身に染みて理解できた。石垣流の自給の技術を2026年までには実現する。

 自給の技術は思想の色もなければ、傾向もない。ただ、結果的な技術の到達点があるだけのことだ。近代農業、大規模農業、機械農業、IT農業、プランテーション農業それらの技術よりも、自給農業の方が、優れた農業の方法だと考えている。

 繰り返すが自給農業は1日1時間100坪の土地があれば、可能な農業だ。しかも何時までも同じ場所で耕作が続けられる。このやり方であれば、日本という場所で6000万人は暮らして行ける。もう少し日本人が減れば大丈夫だ。もし人間が共同することが出来るならば、その倍の12000人が日本で暮らせる。

 問題は楽しく仲良くやれるかである。のぼたん農園は楽観の思想に基づいている。楽しんで未来を観るの楽観である。希望を描くと言うことだ。希望の共有が出来れば、楽しさが続いてゆく。安気に暢気に暮らすと言うことだ。辛い頑張る自給ではない。そこに技術というものがある。

 のぼたん農園は互いの自由を重んじ、協働する。やれる者がやる。やってくれた人に感謝をする。疲れたら休む。互いを思いやり許し合える場所だ。しかしそういうことも互いに暗黙に理解して、口にも出さず助け合って暮らす場所だろう。

 田んぼ10枚は一応埋まった。まだ八重山農林高校の田んぼは実現できていないが、予定には入れている。私のやる田んぼが最後の10番であるが、どうしてもやりたいという人が居た場合には誰かに譲っても良いと考えている。場所は準備された。そして船乗りがそろった。

 24日が最後の5番の稲刈りになる。この後は田んぼはひこばえ農法の研究になる。そして、農場の畑部分の整備を始めなければならない。畑の部分から石を取り除いて、大豆や小麦や野菜の栽培できるようにしなければならない。

 夏になり全体に草の繁茂がすごい。草もすこしづつは整理しなければならないが、水牛も暑くて、草のある場所に繋ぐことも出来ない。草刈りも暑くて無理には出来ない。今年の夏の暑さは例年より2度から3度高い。雨が降り涼しくなるのを待つほか無い。
 
 雨が1ヶ月ほとんど降らないが、水は湧き続けている。有り難いことだ。一度稲刈りで渇かした田んぼに水を戻しているが、少ない水ながら順調に戻るようだ。本当に有り難い土壌だ。田んぼに水を徐々に戻してひこばえ農法の研究を続けなければならない。

 今やるべきことは技術向上である。1人が100坪土地で暮らせる自給農業の技術の確立である。石垣の土壌が田んぼであれば、何とかなることは分かったが、他の作物ではどうなるのかはまだまったく分からない。小麦が作れるのかどうかも今のところ未知数だ。

 小麦は熱帯向きではない。そもそも冷涼な気候を好むものだ。果たして石垣に向いている品種があるのかどうか。九州辺りでは「南の香り」向いていると言うことのようだが、果たして石垣の気候で可能なものかどうかとても興味がある。

 台湾でも小麦の品種が作出され、生産されているようだ。「台中35号」と言うらしい。こうした品種が手に入れば可能なのかも知れない。台湾は最低気温が8度くらいに下がるらしい。石垣島は13度くらいまでだ。小麦は難しいのかも知れない。

 石垣島で小麦を作られた方の話では、反収50㎏だったと言うことだ。これではどうにもならない。せめて200㎏はとれないと農業というレベルではない。大豆に関してもそうだが、今後品種をどうするかを探って行かなくてはならない。

 のぼたん農園に適合した作物を、のぼたん農園の自然に調和した栽培をする。適切な作物とその栽培方法を見付けないかぎり、のぼたん農園のイーハトブ―は見つからないだろう。
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経済優先も限度を超えた。

2022-07-22 04:31:30 | 暮らし

 稲刈り前の7番田んぼ。手前の当たりは良く出来ていた。

 沖縄県のコロナ新規感染者数は初めて5千人を突破して過去最多を記録。これまでの累計の感染者数は30万5148人となり、30万人を突破した。県全体のコロナ専用の病床使用率は75・3%となった。八重山が84・1%と高まっている。重症者用の病床使用率は県全体で28・3%となっている。―――琉球新報

 石垣島では医療崩壊している。一般外来診療を閉鎖している。それでも行政は何も手を打たない。経済優先と言うことなのだろう。確かに経済も大事で、観光業を中心にした石垣島の経済は、危機の限界を超えたのだろう。

 コロナもまだまだ続きそうだ。沖縄の経済界の意見では、コロナが飲食関連では広がることはないと根拠のない主張をしている。どういうデーターに基づいてコロナは飲食からは広がらないと判断しているのだろうか。コロナが飲食店では広がらないその根拠を示して欲しい。

 これはまったく間違った見解だ。以前、石垣島のキャバレーで旅行客からクラスターが起きた。今現在の所制限をしていないのだから、間違いなく感染が起きている。閉じた空間でマスクもせずに密に接触すれば、感染が起こる。コロナ感染が飲食関連で起こることは、可能性が高い。単純に人が密に居る室内でマスクを取るからだ。

 先ずは、医療崩壊を解消するのが行政の勤めであろう。それが出来ないのに行動制限をしないというのは、医療関係者を追い込むばかりだ。お謹話拳では中等症の患者が待機ベットに居る間に亡くなられた。何か手を打ったのだろうか。看護師さんが3名本島から派遣してくれたというだけである。

 一般患者の診察が再開されたわけではない。相変わらず、医療崩壊が続いている。石垣島では医療があれば助かる命も危機に瀕しているという状態だ。これは本当に怖いことだ。もし交通事故があればどうなるか。心配はかぎりない。ともかく自助以外に無い状態。

 行政には何の手の打ちようがないのだろう。準備もなかっただろうし、経済だけで頭がいっぱいの状態。コロナなどたいしたことはないと考えている。行政がそう考えたら困る。確かにたいしたことがない場合もある。しかし、亡くなられる方も居る。

 今や、行政の言えるのは市民は努力して感染しないで下さいという呼びかけぐらいだ。困ったときの自助頼み。老人の外出禁止はどうだろうか。今更老人の行動禁止など言えないかも知れないが、医療関係者を楽にするには老人の感染を防ぐことが一番だ。老人を外出禁止にしたところで、経済の影響は少ない。

 コロナ感染を避ける一番は免疫力を高めることだ。同じ環境に居た人でも、免疫力の差で感染する人と感染しなかった人が居る。濃厚接触者でもより濃厚に接触したにもかかわらず感染しない人が居る。もちろんワクチンの有無もあるのだろうが、それ以上に身体の免疫力が高い人が、感染を逃れる。

 感染が子供達に広がっている。子供は学校に行かなくてはならないから、濃厚接触が怒りやすい。夏休みを早めるべきだと思っていたが、何もしないままやっと夏休みに入った。石垣の夏はマスクはしては居られない。行政からも野外や人との距離がとれるときは、マスクはしないようにと注意喚起がされている。

 感染した子供から家族に広がる。現状では島の公共の家屋の中ではコロナウイルスは存在すると考えるべきだ。感染したくないので、室内にはできる限りはいらない。仕方がなく入るときはものに触らない。止むえず触ったらば消毒をする。

 野外の空間ではウイルスは3時間しか生きていない。太陽光下では1時間生きていないと思われる。野外では2m離れていれば、マスクを外していても感染することはない。会話を控えて作業をするのであれば、マスクを外して作業しても問題は無い。

 免疫力が高ければ感染しない。免疫力を高めるためには、適度な運動をする。発酵食品を食べる。よく眠る。気力を高める。汚いはきれいを実践する。あるいはワクチンを打つ。今アルコール消毒が奨励されているが、確かに当面必要な場面もあるが、これは免疫力を低下させるので最小限にする。

 皮膚という者はウイルスのバリアなのだ。発酵利用の自然養鶏をしていた。餌をすべて発酵させて与えていた。その餌で鳥の健康を守っていた。エサには魚のアラなどを混ぜていた。アラを発酵させると骨は消えてなくなるが、皮は残る。皮は外からの菌のバリアになっている。

 皮は極めて強いバリア組織なのだ。その大切な皮膚を繰返しアルコール消毒するなどもってのほかである。皮膚についている様々な成分が持っている防御機能を崩壊させてしまう。きれいは汚い。汚いはきれいなのだ。石けんで洗うことさえ控えた方がバリアが保護される。

 皮膚は人類に備わった免疫機能である。何でも消毒すれば良いというのは浅はかな考えだ。人間は有史以来手を消毒することなどなかった。石けんで手を洗うなどと言うこともなかった。もちろんワクチンなどない。

 病原菌やウイルスとも接触しながら、免疫力の高い人間が出来ていた。高い免疫の出来ない人間は淘汰されてしまった。幼児死亡率の高いと言うことはそういうことである。現代社会は長寿社会になり、感染に弱い人も多数存在している。だからワクチンが必要なのだ。

 自然養鶏をやっていて分かったことは、弱い鶏を死なせる事が全体を健全に育てることになると言うことである。すべての雛を病気をさせないで育てるためには、普通は飼料に抗生物質が添加されている。これでは病気に感染しにくい鳥の群れは作れない。

 人間はどんどん病原菌やウイルスに弱くなっている。我々世代なら、お腹が痛くならないものを食べても、今の若い人なら食中毒になる可能性が高い。昔タイから来ていた留学生が、たまにタイに帰るとお腹が痛くなると言っていた。日本で衛生的な生活をしていて、免疫力が低下したのだ。

 老人もだんだんに自然免疫力が弱くなって行く。そして、最後には死ぬ。だから老人については別枠で考えないとだめなのだ。老人については公的医療は関与しないというなら別だが、同じに扱えば老人が医療の負担になって行く。

 日々の生活が汚いはきれいの暮らしであれば、免疫力は高くなる。直接コロナのウイルスに接触しなくとも、ウイルスに対する免疫力は交差免疫という、他のウイルスにも効果がある免疫が存在する。自助なのだから、それぞれが免疫力を高めるほかない。

 
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動禅と時間

2022-07-21 04:58:16 | 暮らし


 健康維持の為には毎朝の動禅体操だけは欠かせない。最近動禅体操は時間の合図でやっている。以前は背伸び立禅を300まで数えていたのだが、これがいくつまで数えていたかすぐ分からなくなってしまうのだ。分からないから、又数えてとついつい長くなってしまって困った。

 そこでアプリを探してみたら丁度良い太鼓が鳴る合図アプリがあった。太鼓が六分置きになるように調整した。「hinokoto」というアプリだ。このアプリの御陰で数を数えないで動禅が出来るようになった。そうしたら数に気をとられないで具合が良くなった。早くそうすれば良かったと思っている。

 そこで、300数える時間を六分ということにした。まず、最初に「スワイショウ」六分でだいたい100往復。スワイショウももう少ししても良いのだが、今は準備体操としてやっているのでこのくらいかと思う。これより少ないとどうも身体の活性化が起きない。

 前はイーチと往復しながら数を数えたのだが、それがなくなってスワイショウに集中できるようになった。当たり前の事だったが、数えていたときはそんなものだと思っていた。有り難いことに太鼓の合図が成るだけで、動禅をやるときの心持ちが変化をしてきた。

 スワイショウは今に伝わる最も古い体操と言われている。何千年もこの体操だけは残った。確かに身体を回す運動というのは、単純な動きでありながら、精神を酩酊させる目の回る効果があり、宗教の中にも取り入れられている。トルコのメヴラーナ教団の回転ダンスであるセマーはひたすら回り続ける。

 回転をして神の世界に入るという宗教は世界にいくつもある。目が回っている内に、瞑想というか陶酔と言ったような身体の状態になる。これが神の世界に入って行くトランス状態と言っても良いのだろう。そうしたことを極力廃した宗教的修行が座禅と考える。

 動禅は身体を動かし、禅の心境である空の世界に向かうものだから、両者の中間になるのかも知れない。スワイショウでからだわ振ることだけで、明らかに気持ちが変わる。やる気が出てくる。動禅を始めるときさあ―やるぞと言う日は10回の内2回ぐらいだ。

 10回の内5回はやりたくないという気持ちをスワイショウで振り切る。スワイショウだけやればいいと、気持ちを引き立てて始める。ところがスワイショウをやっている内にいつの間にか、では8段錦と言うことになる。いままでスワイショウだけで止めたことはない。

 スワイショウは インドのヨガの中から生まれたと想像している。ヨガの流派によっては、やはりスワイショウから始める。それが達磨大師によって、禅の哲学と共に中国に伝えられる。インドのヨガについてはよく分からないが瞑想と言うことが言われる。

 瞑想というものと禅とは違う。禅は無念無想で空の状態を求める。瞑想は思いに入り込むというような印象がある。ヨガはまったく知らないので、本当のことは分からない。動禅は瞑想ではない。瞑想もしない。空という状態に心を置こうとしている。

 瞑想には心を静かに、自然と一体になるような心境のことなのだろう。「気をそらさずに『今、ここ』に存在することのみを意識する」ということ。具体的には、心を落ち着かせ、過去の苦い出来事や未来の心配事、仕事やプライベートにおける不安といったストレス要因を一切考えず、今の自分にだけ自然と意識が向いている状態 と説明があった。

 達磨は1600年前にスワイショウのことを記録しているという。達磨とは別に中国にそもそもあったと言う説もあるようだが、座禅という修行法が達磨大師によって中国に伝えられたとすれば、スワイショウもインドから伝えられたと考えるべきだろう。

 ただ達磨大師が伝説的な存在であるとしても、大きな流れでインドから中国に仏教の流れに従い、ヨガの行のようなものが渾然となって入ったと考えることは無理がない。それが老荘思想と総合化されながら、仏教の行に整理されていったのではないかと思われる。

 8段錦は太鼓2つで12分である。ただし8段目の背伸び立禅を別にしての7段までである。8段錦は太鼓の合図はあってもなくても同じことだが、背伸び禅が太鼓がなくては出来ない。

 太鼓の合図でまず踵落としをする。背伸びからストンと身体を落とす。これを20回行う。これは骨を丈夫にする体操である。最初強く行うと頭まで響くので、最初は軽く行うが、慣れてくればさして響かなくなる。そして背伸び禅に入る。

 背伸び禅は揺らがない努力である。これもだんだん慣れれば微動だにしなくなる。それでも心の置き所でふらつく。ふらつきで心の置き所の悪さが分かる。心の集中が深まれば、身体もふらつかなくなる。背伸び禅の良い所はふらつきを無くすための努力に集中できるところである。

 数を数えていたことから解放されて、気持ちよく集中が出来、身体のふらつきが減った。これを3回繰り返す。数を数えることから解放されたので、出来れば3回繰り返すのではなく、太鼓3回そのまま背伸び禅が出来るようになった。時間から解放された御陰だ。

 最後に太極拳を太鼓2回の12分で行う。ユーチューブなどで行われている太極拳は多くの場合早すぎるとみている。陽名時先生は12分と言われていた。太極拳が動禅の一つであるとすれば、能や琉球舞踊のような動きが良いと思っている。

 思いを形に集中させてゆく為の動きはかなりゆっくりなものである。止まるところはぐっと止める必要がある。ゆっくりを意識し過ぎるのも良くないと思っていたが、太鼓の合図で12分がよく分かるようになった。

 6分太鼓8で48分で一通りが終わる。そして最後に立禅を良い呼吸で行う。良い呼吸とは自分が考える最も良い呼吸のことだ。これで大丈夫だなと言うところで終わりにする。最後に共同前が出来たことに感謝して黙祷礼拝。

 すべて眼を閉じて行っている。太鼓の音だけが聞こえる状態。目は本来であれば半眼。半眼とは目は薄く開いているのだが、視覚の無い状態。これが出来ない。半眼が出来るようになるまで、眼は閉じている。これは背伸び禅を行うときによく分かる。

 背伸びをしていてふらつかないためには目を頼りにする。太極拳も同様で、目で身体のふらつきを調整する。眼を閉じることで視覚でないもので、身体のふらつきを調整する。三半規管なのかも知れないが、そういう感覚を呼び覚ますことが出来る。
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石垣島のコロナの状況

2022-07-20 04:44:20 | 暮らし

  2番溜め池に睡蓮が広がってきた。熱帯睡蓮のチィナと言う品種である。三株購入して始めたのだが、今では八株になった。溜め池の思わぬ所から自然に睡蓮が出てくる。咲いた花が種になり、流れ着いてすぐに芽を出すようだ。一株大きな株があってそこから広がった。

 溜め池の表面に睡蓮の葉が一杯に広がれば、コナギが出てこないで有り難い。それにしても何という良い空間だろう。ここにはヒカゲヘゴの大きな木がある。そして斜面にはのぼたん。そして上にはカトレヤやデンドロガキに貼り付けてある。

 一番の溜め池はミズオオバコ、水ワラビ、アカウキクサ。石垣島の三つの絶滅危惧種の水草がある。3番溜め池はまだ何も広がっていないので、どうしようかと考えている。そして4番溜め池は、今日も水牛のさくらが水浴びをしていた。

 石垣島は日本で一番コロナ感染が広がってしまった場所である。石垣島の感染状態を考えてみると、コロナウイルスがどういう形で蔓延してゆくのかが見えてくる。感染しないために人混みの室内を極力避けている。野外ではマスクをしないで人と会っているが、むしろマスクを外すことは精神衛生上重要なことだと思っている。

 病気にならないためには、気を衰えさせてはならない。気力の充実が大事。コロナ感染だって弱気であればかかりやすい。元気でいるためには家に閉じこもるのではだめだ。のぼたん農場で身体を動かして、みんなで働けば気力が湧いてくる。良い気が維持できれば、免疫力が向上する。コロナにかかる可能性が減る。

 よく寝て、身土不二の食べ物、発酵食品を食べて、動禅体操をする。免疫力は高まるはずだ。免疫力が高まれば感染しにくい身体になる。例え、感染したとしても重症化しないで回復するかもしれない。明日は73歳である。当然身体も衰える。これを食い止めるためには日々の暮らしの質を高めてゆくほかない。

 日本全体で見ると感染した人が1000万人を越えた。石垣島は5万人の人口で感染者が1万人を超えている。つまり、日本全体の倍くらいの感染者数である。病院は医療崩壊しているとされた。一般の医療も閉じられてしまった。

 今現在感染している人の総数は、毎日300人前後が感染していて、10万人当たりでは3434人。1717人の感染者が存在するということなのだろう。検査をしない人が倍居ると一般に類推される、3434人のコロナ感染者が今現在石垣島にいることになる。12人の内一人が感染していると言うことになるのか。

 このような状態になることを怖れて、3回目のワクチンを打った。もしワクチンを打たないで年寄が感染して、重症化すれば医療の妨げになる。これが嫌だった。ワクチンに副反応がある事は承知している。20代に肺結核をしたことがあるので、コロナになれば重症化する可能性が高い可能性がある。

 ワクチンを打ったからと言って必ず感染しないとは言えない。それでもワクチンを打たないで、感染して重症化して医療の迷惑になることは我が身が耐えがたい。エクモはお断りする覚悟だ。医療崩壊の状況でのせめてもの気持ちだ。

 打てるようになったら4回目のワクチンも打つつもりだ。ワクチンは打ってそれでも感染したというのであれば、まだ医療にかける負担にも耐えられる。これはワクチンを打たない人は医療から外せという主張ではない。命のことはそれぞれのことで何が正しいなどと言うことは考えない方が良い。

 ワクチン拒絶派の人が、ワクチンを無理矢理打たされて、死ぬ場合だって無いとは言えない。それぞれの判断で対応すれば良いと思う。それぞれが自分のこととして判断し、他人の批判はすべきではない。デマになりかねないようなことは極力発言しないことだ。

 床屋に行きたいのだが、行けないで居る。どう考えてもその床屋さんにコロナ患者の人が散髪に行ったと思えるからだ。何しろ石垣の感染者数は累積で言えば5人に一人が感染したという数字である。今現在では12人に一人ぐらいの感染。かなりの人が、計算上では24人に一人ぐらいの感染の自覚無い人が、生活をしているはずだ。

 正直怖い状態である。生活に不自由している。どうなることかとおびえている。先日、奥さんは高熱が出て、コロナの検査をしようと病院に2人で行った。ところが病院ではもうPCR検査のキットがないと言うことで、検査が出来なかった。仕方がなく、翌日、ユーグレナモールにある抗原検査所で検査してもらった。陰性だった。ホットしたところだ。

 石垣島ではPCR検査の材料が未だに足りない。3年経ってもこの状況だ。病院は医療崩壊である。日本がじつは医療後進国であると言うことがよく分かった。医療も自己責任と言うことなのだろう。自己免疫力を高めなさいと、政府が医療も自己責任と言っているのだろう。

 それにしてもどんな病気にも成れない。生ものはしばらく食べることはしない。もし食中毒になっても病院がないのだ。車の運転も相当に注意している。そうだ、先日の老人運転講習では、スピードの出し過ぎ。カーブではもっとスピードを落とすようにと言われてしまった。

 40キロは出すようにと言われたので、教習所のコースを40キロで走るのかと勝手に考えてしまった。調子よくどうだ上手いだろうと、すいすい走った。指示が明確でない。説明が良く理解できないのも認知症検査か。本当は良く八重山方言が聞き取れなかったのだ。耳の検査もしていたのだろう。

 ほんらいであれば石垣島の暮らしはコロナには感染しにくいと考えていた。自然が充分にある。強い太陽が照りつけている。何が他の地域の2倍以上の感染者を産んだのだろう。観光客と言うこともあるのか。それよりも石垣島の人との距離の近い暮らしが原因のような気がする。

 冷房をかけないで家で寝るのは相当に熱中症の危険がある。路上寝の方が安全なのかも知れない。ゆんたくが好きと言うこともあるだろう。集まって何でも話すのだ。上手く人を笑わすことが一番えらい。会話を楽しむ文化。これを室内でやって感染しているのかも知れない。

 具志堅用高さんがまさに石垣らしい偉人だ。日本一強かったボクサーがお笑い系である。パンチドランカーというわけではない。すごく頭脳明晰な人だ。そういう文化なのだ。偉そうにだけ見えてしまう人間は、一番評価の低い島だ。どうやって笑わせるかを努力している。

 

 
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ひこばえ農法と自給農業

2022-07-19 04:19:48 | 楽観農園

 高刈りした株からはすぐに小さな穂が出てきた。普通に刈った株からもすぐに穂が出てくる。これではひこばえ農法にはならない。野鳥の餌になるという意味では良いのだろうが、農業という意味ではきちっと苗を出させて、そろって成長させなければならない。

 ひこばえ農法はスマトラでは2年で7回の収穫になるらしい。つまり、どんどんずれて行くようだ。石垣島では成功すれば、2年6回の収穫になる。4つの田んぼがあれば、毎月どこかの田んぼで稲刈りと言うことになる。これはずいぶんの作業分散になる。

 7月1日に収穫したとして、再生して次の収穫は120日後であれば4ヶ月後の11月1日。ここからは気温が下がるので、たぶん5ヶ月とみて、4月1日となる。3回目が8月1日。4回目が12月1日。5回目が5月1日。6回目が9月1日。

一年中、毎月どこかの田んぼで稲刈りがあると言う状態になる。この状態は、自給農業には絶好の農法になる。のぼたん農園には10枚田んぼがあり、毎月一番適切な田んぼの稲刈りをしてゆく。稲刈りが毎月あると言うことはコロガシが毎月あることになる。水牛の代掻きもやろうと思えば、毎月どこかで出来る。

 のぼたん農園は自給の体験農場である。のぼたん農園に来てもらい、田んぼの自給体験をしてもらうのが大きな目標である。今はその最初の年で、始めて田んぼをやる人達が1年目の体験をしている。徐々に外部から体験に来てもらえるようにしたい。

 確かに自分の食べるお米を食べるために、のぼたん農園の活動に参加しているのだが、しばらくの間は自分が食べると言うことよりも、活動を伝えて広げてゆくと言うことが、一番の目的になる。一度でも参加して貰った人にはお米を差し上げて食べてもらいたい。

 1週間のぼたん農園で体験すれば、稲作の一年の流れを体験することが可能になる。10の田んぼで生育の段階が異なる稲を見ることが出来る。そして、体験参加者はのぼたん農園の新米を食べることが出来る。体験参加者は作業をきちっとこなしてもらう代わりに参加料は実費にする。

 宿泊は近くの方が格安で宿泊させてくれると言うことになった。食事は自分で自炊できるようにしておけば、ほとんどの人に無理なく自給体験が可能になるのではないだろうか。のぼたん農園で自給を体験して、今度は石垣島で自給農業を始めて貰えれば、最高である。

 のぼたん農園は利益を出すための事業ではない。地代が払えてまわって行きさえすれば、自給農業の体験農場は目的が達成される。現在の参加者10グループはのぼたん農園で自給しながら、参加者の手助けをして自給農業を伝える。参加者はそのお礼に作業を手伝って行く。

 機械小屋を準備中である。この小屋を石垣島で有機農業をやる人の協働作業場にしたいと考えている。籾すりをしたい人、精米をしたい人。小さな農業をする人の、小さなライスセンターである。販売も徐々に模索してゆきたいと考えている。

 のぼたん農園参加者は毎月新米を食べることになり、保存という心配がなくなる。石垣島では、気温湿度が極めて高く保存がかなり難しい。常に新しいお米を食べるという方法であれば、保存の不安が軽減される。小さな籾保存庫があれば充分だろう。

 ひこばえ農法で一人で自給するのであれば、あくまで計算上のことだが、10㎡ぐらいの小さな田んぼを4枚を耕作して、毎月稲刈りをするというのが一番省力的と言うことになる。40㎡で毎月5㎏のお米が収穫可能になる。これだけ小さければ、水も随分少なくて済む。

 これが毎月10㎏お米を買うという家なら、20㎡の田んぼが4枚あれば良い。80㎡である。自給農業は小さければ小さいほどよい。しかもそれが、共同の田んぼであれば労力は一人農業の半分でということになる。200㎡の田んぼを4枚10家族で行えば、随分楽な自給農業になる。

 のぼたん農園では10米の田んぼがあるから、ここで25家族分の自給が出来ることになる。あるいは10家族が自給して、後は希望者に販売するというのも良いだろう。そうすればそれが運営費になる。やれる人が働き、必要な人が食べる。この究極の目標に近づけるかも知れない。

 田んぼのまわりの湿り気のある畦の畑には、大豆畑が100㎡あれば良い。大豆が出来れば、味噌醤油が自給できる。100坪の自給のためにはまだ150㎡がある。これが果樹とお茶と野菜の畑と言うことになる。今後は畑の整備と言うことになる。

 この150㎡を出来れば10家族でまとめれば、1500㎡の果樹園と常備野菜畑に出来る。玉ねぎ、ジャガイモ、里芋、サツマイモ、カボチャ、大豆の裏作には麦が良い。防風林にはお茶が良いだろう。溜め池のミズオオバコや水ワラビも野菜になる。

 もしひこばえ農法が石垣島で実現すれば、石垣島が自給農業の島として世界にアピールが出来る。1家族100坪一日1時間の自給農業が実現できる。これは台風の来る石垣島では食料の安定供給と言うことにも成る。自給の島石垣島の新しい魅力に出来るかも知れない。

 このことを想像するとわくわくしてくる。ちむどんどんしてくる。なんとしても成功させるつもりだ。新しい冒険の方角が定まってきた。サリブ農法である。もうひとつがアカウキクサによる水草緑肥農法である。この2つの農法を完成させることが、のぼたん農園の冒険目標になる。

 スマトラ島では2年すると代掻きをしていると言うことだ。たぶん雑草の問題が起こるのではないか。除草剤を使わないのだから、雑草対策も考えてゆかなければならない。田んぼの土壌がどのように変化するかを見極めながら、良い土壌に育ててゆくように考えなければならない。

 現在、5枚の田んぼでひこばえ農法を比較しながら観察している。様々なやり方をしている。0番と1番田んぼは三週間して3から5㎝で切り戻した。0番はほぼ水を入れ続けている。1番は一週間だけ乾かした。2番田んぼは一週間で深く刈り戻した。そして、水は二週間程度乾かし気味にした。

 3番田んぼは稲刈り一週間後に深く切り戻して、二週間乾かした。4番田んぼは水を張り続けている。ここでは一部手前を稲刈りの時に高刈りにして、稲刈り後一週間で深く刈り戻した。まだ経過観察で、興味津々で観察している。

 この間アカウキクサは目立たなくなった。水を入れたならば、又戻るのだろうか。アカウキクサの生育条件はなかなか難しい。水草緑肥も上手く繁殖させるためには様々な工夫が必要なようだ。まだ冒険は始まったばかりだ。目標の五年間はまだ4年半ある。

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安倍氏国葬反対。

2022-07-18 04:13:37 | Peace Cafe


 時代が衰えてくると、訳の分からない宗教を名乗る悪徳組織が登場する。オウムも、統一教会もその一つだろう。統一教会が悪質な霊感商法的組織である事は間違いがない。たまたま反共産主義を標榜し、それを建前として、権力と結びつこうとした組織だ。

 この点で保守政権と利害が重なったに過ぎない。統一教会と安倍晋三はまったく関係がないと、統一協会側は発表したが、それは明らかに嘘だ。嘘をつかざる得ない暗闇が奥深く続いている。そうでなければ、2019年にビデオレターを受け入れるわけがない。

 統一教会は日本の保守政党に食い込み、様々な関係を構築してきた。そして最近でも、安倍氏を看板に使った霊感商法をやっていたのは明白だ。関係がないなどとは絶対に言わさない。証拠があるかどうか、ばれるかどうかは別にして、客観的な状況証拠はそろっている。

 安倍氏と統一教会には深い関わりがあったと考える方が自然だ。元総理大臣がいかがわしい宗教まがい組織にビデオメッセージを送ったのは、よほどの事情があったことと考えなければならないだろう。安倍氏にその程度の常識がないとも思えない。

 霊感商法に使われることを覚悟でビデオメッセージを送らざる得なかったのだ。その行為の危うさは十分承知しながらも、そうせざる得なかっただけの理由はあると考えなければならない。その理由は何だったのだろうか。この事が明らかにならないまま、国葬を行えば、結果的に統一教会を押し上げることになる。

 どのように考えても安倍氏は統一教会の恩恵を受けていた。安倍派の選挙なのか、あるいは資金なのか。義理があったのだ。弱みがあったとも言える。統一教会を安倍氏は利用したいと考えていたに違いない。それは統一教会だけでなく、日本の反共勢力に対して、安倍氏が取り続けてきた煮え切らない態度の原因だろう。

 その安倍氏一族の姿勢を利用して、日本の右翼勢力が鵺となって安倍晋三という虚像を作り出したのだ。武力主義の国にしたいという、日本を軍事国にしたいという意志の塊なのではないだろうか。その安倍氏がコロナ対策で嫌気を感じて、総理大臣を辞めてしまったのは、鵺にとっては痛恨の出来事であったはずだ。

 もしかしたら、前回の辞任もそうだが、鵺組織から圧力と操作がきつくなり、逃げ出した可能性も考えられる。しかし、安倍氏を利用したい圧力組織がそれでは済ませないと言うことで、岸田政権に変わり、危機を感じて安倍を又動かし始めたという動きを感じた。

 岸信介と統一教会創立者文鮮明とのふかい関係がある。ここにはアメリカの進駐軍の画策があったとされている。A級戦犯裁判で減刑を行うので、米軍に従えというのがアメリカの方針だった気がする。だから岸信介はアメリカの言いなりの総理大臣として安保改定を行った。

 文鮮明という人は日本でKCIAと協力して統一教会を広げた。そしてアメリカでも似たような活動を繰り返した。統一教会はアメリカでは最近トランプと関係を持ち安倍氏と同様にビデオメッセージを寄せている。欧米ではカルト宗教として認識 されているにもかかわらずである。

 統一教会は政治家には利用価値のある組織とみられるように動いてきた。安倍の祖父岸信介は過去密接な協力関係にあったことは事実だ。米軍資金やKCIAとの関係が言われている。今も安倍氏と統一教会が何らかの繋がりある可能性は高い。そうでなければあれほど評判の悪い統一教会にビデオメッセージは出さない。

 統一教会は文鮮明没後、後継者の争いがあり夫人が後継代表になった。しかし息子の中に別派として活動しているグループが存在する。統一協会内には様々な暗闘が続いていると言われている。その対立と今度の事件は関係していないのだろうか。想像でしか過ぎないが、どうも不自然さが際立つ。

 安倍氏は迂闊だった。あのアベ夫人の関わった安倍記念小学校事件と同じ迂闊さである。桜を見る会事件だって、犯罪ではないそうだが、身内を大量に招待するなど褒められた物ではない。そういう人間を国葬にしろと言う人が居るらしい。とんでもないことだ。殺されたことはひどいことではあるが、殉教者的に扱って貰うような人ではない。

 しかし統一教会と関係している自民党国会議員は200名を超えていたという話もある。議員秘書を統一教会は推進しているらしい。怪しげな宗教は様々な手を用いて、権力に結びつこうとする。だから、政治家は基本的に新興宗教と関わっては成らない。

 現在自民党は憲法改正に向かっているはずだ。するとどこかで安倍を神格化しようという動きが出てきても不思議ではない。憲法改正に命を捧げた人物と言うことになる。新聞社や報道も、この方向を後押しするに違いない。相当に危ないことになってきた。

 国葬は取りやめるべきだ。日本の衰退を続けた安倍政権である。許しがたい政権だと思う。その判断は殺されたからと言って少しも変わらない。どういう理由で殺されたかも、結局の所どうでも良いのだろう。国葬にしたのは憲法改定と結びついている。

 安倍氏のテロ殺害を憲法改定に利用されてはならないと言うことだ。憲法改定は静かに冷静に判断しなければならない。ロシアのウクライナ侵攻を受けて憲法を変えるというようなことは良くない。安倍氏の彼岸だったから憲法を変えると言うことも良くない。

 憲法改定の前に、憲法裁判所の設置の是非を国会で審議すべきだ。憲法裁判所が出来れば、改定された憲法の拡大解釈が制限される。憲法判断を国会から司法に分離すべきだ。まずそこから始めないと、いくら憲法を変えたところで無駄なことになる。

 民主主義を守るためには憲法裁判所が必要だ。それは独裁政治を防ぐことでもある。国家権力も三権分立の議会制民主主義を尊重することで、独裁者の出現を防ぐことになる。安倍氏を持ち上げるところに何か、嫌なにおいを感じて成らない。

 安倍氏の評価は二分している。アベノミクスが大失敗だという声と、良くやったという評価がある。原発事故以降、再生エネルギーを日本の新規事業に転換すべきだったところを、既存利権を守ったために機会を失った。これがアベ政権の一番の失敗である。

 そして莫大な財政赤字を残した。その立て直し策も打ち出せないのが現状である。日本が周辺諸国からも遅れ始めた現実を見れば、安倍氏を評価できるはずもない。日本を先進国から脱落させた一番の責任者が安倍晋三であろう。

 外交で言えば、プーチンを調子づかせた責任をどう考えるのか。プーチンの盟友とまで発言した責任がある。日本に様々に損害を与えたのも安倍氏である。プーチンと親しかったと自慢するなら、ウクライナ侵攻を止めろと電話したのか。プーチンのウクライナ侵攻ではプーチンに連絡も取れない。弁解も批判も出来なかった。

 沖縄に暮らすものとして言わせてもらえば、沖縄を日本の防人にした責任もある。防人にするのであれば、それだけの恩恵もなければならない。沖縄の安全を守るためと言いながら、沖縄は基地負担と、中国からの攻撃の危険が増しただけだ。

 こんな安倍氏を国葬にするなどもってのほかである。あえて書いておけば、吉田茂の国葬は賛成だった。何でも自民党に反対というわけでもない。
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第117回 水彩画 日曜展示

2022-07-17 04:24:23 | 水彩画
第117回 水彩画 日曜展示
大きさはすべて中判全紙です。






780「北アルプス」
2022.7






781「岸辺の村」
2022.7






782「宮良川の実り」
2022.7





783「桜咲く」
2022.7





784「永太郎さんの田んぼ」
2022.7






785「光る富士」
2022.7







786「暮れる妙高岳」
2000年頃の絵



 最後の絵はたまたま引き出しの奥から出てきた絵。他のさくひんは最近の作品。今回展示してから整理することにした。今描いている絵と20年以上前の絵では少し違っている。一番は色が違うと思う。つまり絵の考えが違っていたのだと思う。

 絵が昔より良くなったのかどうかは分からないが、今の方が色彩の画面になっている。色に対する意識が働いている。色が立ち上がるまで描いている。良い感じにならないとしても、色がどうにかなるまで絵を描いている。曖昧さが少なくなっているような気がする。

 もう一つ変わったと感じたのは筆触である。昔の絵は筆触で表現しようとして、筆触に意識して変化を付けている。今も筆触への意識は強いのだが、できるだけ平板な形にしている。筆が変わったと言うこともあるかも知れない。以前は上野の池之端にある不朽堂の宮内さんにつくっていただいた白鳳という筆である。今はコリンスキーの10ミリ前後の筆を使っている。

 
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