地場・旬・自給

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米価格過去最低水準

2010-10-31 04:24:38 | 稲作
稲刈りも終わって、ほっとしたところだ。しかし、私のような農協出荷でない農家にとっても、今年の米価は気が気ではない。農林水産省は28日、2010年産米の9月の業者間取引価格が60キロ当たり1万3040円となったと発表した。1キロ217円。驚くべき価格である。戸別補償の悪い面が出ている。農協出し米農家にとってはどれだけ安くても関係ない話なのだ。赤字分は税金で補填してくれる。こんな構造がまともである訳が無い。困るのは自主流通で頑張っている意欲的農家だ。自分なりに付加価値を付けて、独自の販売ルートを立ち上げ、消費者に直接販売する。美味しいとか、環境保全とか、安全とか、地場とか、お米に特徴を付けて、それなりの価格で販売をする。こういう人には戸別補償は関係のない事なのだ。一定以上の価格だから当然のことだ。しかし、世の中にさらに安いお米が出回る中で、どうしたって販売は鈍る。繰り返し主張してきたとおり、戸別補償は意欲のない米農家を温存する結果になる。戸別補償には展望が無い。日本農業がこのことで道が開けるなど、もらう農家だって誰も考えていない。

当たり前のことだが、商品は消費者と生産者があって、両者の意図のバランスの取れた所で売買が成立する。それが自由経済である。そこに低価格商品だけ、政府が補助金で底値を決めれば、もうそれは商品ではなくなる。いくらでも構わないお米が、余るほどある中で、商品としてお米を流通している農家は、やっていけるのだろうか。本来政府が育てなければならない意欲のある、商品としてのお米を、競争力ある生産農家をつぶすことにならないか。政府は国際競争力のある、農作物を作れと一方で主張する。同時に、そうした農家の出鼻をくじくような、戸別補償制度である。間違った政策であっても、間違ったなりの筋が通っていれば対応法もある。戸別補償は確かに、票にはなるだろう。努力しないでも一定の価格補償がうけられるのだ。日本の農業を何とかしようという中核となる農家を、今年の米価で潰してしまっていいのか。

補助金の使い方が間違っている。悪平等では、農家の努力は引き出せない。努力する者が報われるのでなければ、資本主義経済は機能しない。田んぼをやるということにも様々である。その様々な努力に応じて、補填するのでなければならない。たとえば、この地域は治水的に田んぼを残す必要がある。治水効果として、一反2万円を提供させてください。この地域の田んぼは、里地里山の保全にとって、重要度が高いので、続けて下さる農家の方には1反3万円払いましょう。あなたの田んぼは生き物を育む環境保全に有効な農業をしているので、是非1反4万円出すので、田んぼを続けて下さい。子供たちの食育に寄与している田んぼなので補助します。このように努力をしてほしい方向を、指し示すのが農政である。一律での価格保証制度は、さらに状況を悪化させる。本気の農家を育てる政策が、新しい農業者の登場を促すはずだ。

日本の農業にとって、稲作は根幹である。大きな展望を緊急に立てる必要がある。余って困るではなく、採れるお米をどのように有効に使うかは、政治が方向づけを行う役割である。世界は飢餓が広がっている。そうした国の援助に有効に使うべきである。お米で援助することをもっと積極的に模索すべきだ。日本の国際援助は工業製品を輸出するための、足がかりを作るためのものになっている。道路を作る、港湾を作る。ダムを作る。それも無駄ではないだろうが。人道的援助的として飢餓を救うことも必要である。お米が余るなどということは、世界単位で考えれば、夢のような話だ。余剰米を1兆円で買い上げ、すべてを支援に回す。それは日本の安全保障である。緊張の高まる国際関係の中で、世界に貢献する日本を主張して行く手段になる。
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犬の糞の処理

2010-10-30 03:58:52 | 環境関連
葉山町の燃やせすごみの分析調査では、生ごみの4分の1がペットの糞だったそうだ。だいたい1軒の家の生ごみは毎日500グラム程度である。我が家では、大型犬が2匹いるから、犬のフンの方も大体同じくらいはある。これを生ごみに入れてしまい処理をするというのだ。こんなものを焼却炉で燃やすのだから、味噌もくそも一緒であって、焼却処理はたまらない。フンには重金属が入っている訳ではないから、乾電池が混ざることよりはよほどいい。東京都のように水銀が基準を超えて、ときどき炉が停止するよリはましかもしれない。東京都のように何でも一緒で燃やしていいですよという分別の少ない方式では、電池の混入だって防げないことになる。犬の糞は穴を掘って埋めればいいのだけど、その場所も無いという人がいる。トイレに流そうにも、小石や木くずが混ざっていたりして、分解不能で浄化槽が困る。犬のフンを処理するには段ボールコンポストが最適である。

そこで犬の糞処理、段ボールコンポストのやり方である。これで一年間使ったものである。段ボールも変えずにそのままである。高さで70センチある大きな段ボールである。中には木くずおがくずが入っているだけだ。中央部に穴を掘っては入れている。全体をかき回すことはしない。周囲は乾いている。多分段ボールの半分より下は乾燥した状態であろう。これで、毎日犬のフンを上から掘っては入れて行く。それで一年たった。全体としては確かにだんだん量は増えた。しかし、倍にはなっていない。見た目30%ぐらい増えたかというところである。重量にすれば10倍ぐらいの、20キロある。糞を食べて減らしているのは虫である。季節によっていろいろの虫が現れるものだが、現在は水アブの幼虫である。コンポストトイレと同じである。

フンというものは生ごみよりはるかに分解が早い。人間より犬の方が消化力がいい。意外なことだが、臭いは全くしない。そろそろ、どこか畑に入れてしまおうかと思っている。もし実証圃場で使っていいのなら、これを入れ見るのもいいがフンではみんなが嫌うだろう。犬の糞というものは肥料にもならないと昔から言われているから、多分肥料分は少ないのだろう。それだけ犬の消化力はすごい。段ボールコンポストが分解がいくらでも継続するのは、虫が食べてくれているという方法がいい。しかし現代の社会環境では、ご近所迷惑になるなどどこでもできる訳ではない。犬のえさに塩分が無いということもある。実はどんな段ボールコンポストでも虫が食べている。虫が小さく微生物と呼ばれれば見えないだけだ。ダニの類から徐々に見えるようになる。そうなるとギャーと大騒ぎになる。しかし、大半のダニは人間に害にはならない。

それではミズアブの成虫が我が家で見ることがあるかというと、これが不思議なことに案外に見ることが無い。成虫にならないで終わるものが多いようだ。たまに見かけるものはコウカミズアブが多い。昔は便所虫と呼んでいた。畑のコイダメにはあたり前に居たが、刺す訳でもないし無視されていた。自給の暮らしに近付くということは、虫と仲良くなるということである。虫も排除しない。すべてと折り合いをつけるということで、良い距離を保ち、誰も何も否定しないということだ。消毒は排除の思想である。必ずそのつけは自分に返ってくる。このあたりが一番難しいことになりそうだ。犬の糞処理段ボールは実は防災グッズでもある。水がで無くなったら、使えない水洗トイレより、いざとなったら人間の役に立つ。

昨日の自給作業:小麦畑の堆肥撒き2時間 累計時間:39時間
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夢のごみ処理法

2010-10-29 04:02:05 | 環境関連
夢のごみ処理法などない。暮らしの中で一人一人がごみ減量に、取り組む以外方法はない。しかし、繰り返し大企業は、ごみ処理を有望産業としてとらえて、その施設建設で利益を上げたいと、「夢のごみ処理法」を提案する。思惑で、次から次に新しい夢のごみ処理法を提案する。国も「夢の処理法」で、一気に問題が解決すると騙された振りをする。そう思いたいがために、乗せられてしまう。今、盛んに進められているのは大型溶融炉による、1300度場合によっては1500度と言う高温でごみを混合焼却して、灰すら出ないという方法である。これは焼却灰の最終処分場の確保が出来なくなったために、起こっていることだ。溶融炉の安全性は確認されたものではない。私の調査では将来に禍根を残す、絶望的な方法なのだが、このことは以前にも書いているし、また次の機会に問題点をまとめて書いて置きたい。今は、15年ほど前盛んに夢のごみ処理法として、もてはやされたPDF法の問題点が明らかになったことを書きたい。

「夢の新エネルギー」として、全国88自治体が導入したごみ固形化燃料(RDF)。お隣の小山町と御殿場市がいち早く取り入れた。そして、財政的に破たんしてその処理問題で行政と企業との訴訟まで起きている。その作るという時から、出来上がった時、そして現在の状況まで、見させてもらった。小田原市はこのごみ処理法「PDFの顛末」を充分に事例研究しなければならない。夢の処理では、元神奈川県知事で環境省の事務次官をされた人が、社長になって、エコループという「夢のごみ処理」会社を山北に作ろうとしたことがあった。理想的な処理施設を作って、全国から処理困難物を集めて処理しようという構想と読めた。下水道の無い酒匂川の上流部にそんな施設を作り、とんでもない話だということで、反対運動を必死に行った。何とか阻止することが出来た。その後、開成町の露木町長はあれは最善の夢の処理法だったと言われるので驚いた。焼却施設を持たない町の町長はごみのことが他人事だ。理想だというなら、開成町で誘致すればよかったのだ。

PDF法とは一言でいえば、一切合財のごみを粉砕して、石炭のように固形化する。そして燃料として販売しようというものだ。誰が考えてもそんな危険な燃料が売れる訳が無い。御殿場にあったPDF反対の市民団体は、建設前にごみ処理費の増大を試算して、2から3倍になると主張していた。行政と企業はPDFが売れるから処理費は半減すると言っていたのだ。企業はいかにもというモデル試算を作り、理解力のない行政を騙して、事業を推進した。反対運動の市民の方が先見の明があったことは、今になれば誰にだってわかる。当時は「夢の処理法」に負けた。一気解決という理屈には弱いのだ。問題は身近にPDFで作った燃料を使う、工場があるかどうかである。計画では市民が無料で薪ストーブで使うなどという馬鹿げたことまで言われた。引き取り手が無く、御殿場から岩手まで運んで処理していた。しかもPDFを使う工場は、この危険な燃料を安全な処理が出来る「夢の工場」出なければならない。結局利用段階で費用がかさむから、PDFは売れるどころか、引き取り手も無いものになる。

何時の日か、何でも入れれば消えてしまう、ドラえもんのごみ処理機が完成したなら、地球も消えてしまうだろう。循環の輪は断ち切ってはいけない。人間の暮らしが、循環の輪を滞らせることが問題なのだ。暮らし方を変えることなく、より快適に、より便利に、こうした方向に進めば進むほど、問題の行き詰まりは大きくなる。ごみは出さない。各自が処理する。江戸時代のようにとことん循環させる社会の仕組みを模索しない限り、ごみ問題は解決できない。自分で処理できないような製品は作らないこと。儲かるからと言って、ゴミを出すような商品は製造禁止にする。PDF全国88の行政は処理施設を持てあましている。その愚かな選択を、日本中に広告をしている。小田原市は、ごみ処理の一番遅れた町で結構。あちこちの失敗事例を充分に研究して、各自が、ごみを減らす以外ないという原点に戻れば、今の処理施設で十分だという、小田原評定青い鳥計画である。
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宇宙人鳩山元総理大臣

2010-10-28 04:07:39 | Peace Cafe
鳩山氏は自ら「総理大臣を一度やった人間は、影響力が残るから、今季で議員は辞める。」と発言した。普天間基地移転問題で、アメリカと交渉することも出来ないで辞めさせられた時のことだ。最悪の総理大臣であったが、この期に及んで、どういう根性だろう。辞めないと前言を翻した。議員という種族には、こういうたぐいの輩が実に多い。何にしがみついているのか。体裁のいい理由は付けるだろうが。利権に尽きる。本当の力量がある人間なら、総理を辞め、議員を辞めてからこそ、その力を発揮出来るはずだ。この国難を見るに見かねて辞めないそうだが、前言を平気で取り消す節操がない人間が、この国難を何とか出来る訳が無い。日本のことを心配してくれるなら、自分の言葉にに責任を持つこと。

鳩山氏は政治家としてはだめだが、友愛政治塾の指導者ならその才能をよく発揮するだろう。教育者の資質はある。教育者に不可欠な理想を持っている。理想を持つというのは当たり前のようだが、今の時代なかなかそういう人はいない。いわゆる生まれが良いということになるのだろう。残念なことに理想と現実の距離がつかめていなかった。理想を実現するためには、理想的でないこともしなければならない。ようするに政治家には不向きな人だ。人間には、その人その人の役割がある。その役割を自覚しないようでは、力を発揮することはできない。一度総理大臣をやった議員が辞めるのは、ひとりの人間としての生き方として当然である。辞めない人間は政治の悪い面を担うことになる。元総理大臣の影響力を使うのは鳩山氏らしくない。細川氏はその点立派だった。そして鳩山氏はまた、口では立派なことを宣言した。それならやせ我慢でも貫くのが友愛の人間のはずだ。

広島県では知事が育児休暇ださうだ 広島県の湯崎英彦知事(45)は26日、同日誕生した第3子と対面するため一部の公務をキャンセルした。都道府県知事として初の「育休」となり、今後約1カ月間、公務を調整し時間帯を区切って育児や家事に取り組む。何とも呆れた県知事だ。政治家はどうして、権力者であるという認識が欠落しているのか。権力の集中する知事という役割を自覚していない。任期中育児休暇が必要だと考える人間なら、知事は無理である。知事の法的な役回りを考え違いしている。四六時中、取り組んでもらわなければならない仕事である。権力を持つということは、私的な自己存在を否定せざる得ない。育児休暇を男性が取るのはいいことである。当然の権利である。それを社会一般のことにしなければならない。しかし、例外があることも当然のことだ。知事はだめだ。それは男女平等とか、労働者の権利とか、そういうものとは違う。その当たりの意味をはき違えている。

小田原にも鳩山さんはいる。何時までも議員を続けたいあまり、所属していた政党を辞めた人すらいる。選挙民がいけない。そういう人がまた選挙に出てきても選んではならない。またそういう議員に頼ろうという市民の気持ちが実に弱い。身内に甘い。そういうことが利権政治を生み出すことを自覚すべきだ。市会議員を続けてもらいたいほどの能力があるなら、2期ぐらいで辞めてもらい交代して行くのがいい。本当にやりたいことがあるなら、元議員の立場で十分に出来る。その能力が無いなら、議員をやっていたこと自体がおかしいだろう。鳩山氏であった。総理大臣としての鳩山氏は評価できないが、この人の作る友愛政治塾なら、松下政経塾よりは良くなるかもしれない。人間なかなか自分の役回りというものを自覚できない。自分が生まれてきた役回りを自覚できないまま、空転する人の方がなんと多いことか。
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小田原ゆる体操クラブ

2010-10-27 04:07:28 | 地域
小田原でもいよいよ「ゆる体操」が始まった。開成町では街の体操として取り入れるそうだ。露木町長はさすがである。先日農の会の定例会で、ゆる体操を一度体験させてもらった。これがなかなかいいもので、是非とも定例でやりたいということになった。なにしろ農業をやっていると、同じ姿勢の作業が一日続く。夕方気がつくと身体がすっかり固まってしまい、ギシギシ音を立てるというほどになる。これは60過ぎてから、目立ってきた現象である。このまま行けば、どこかおかしくなるに違いない。と、不安な中無理な作業を続けていた。農文協では爽体操とか言うのを奨励しているが、本を見てやっては見たが、どうも努力の要る体操のようだ。この点だらしない人間には「ゆる体操」である。頑張んないでください。ダラダラしてください。これは疲れた身体には有難い。私としては、風呂屋でぶらぶら、だらだらするのにもってこいである。怪しくなっている、「膝、腰、肩の手当」になれば、言うことない。

藤崎先生がまた、とてもいい。ゆる体操をとてもいい感じで伝えてくれる。こういう事には、良い気が満ちないといけない。これは分かりにくいことなのだが、いやいややるのでは意味が無い。緊張してやるのでもまずい。真剣だけど、ゆるゆるでなければまずい。そういう良い気を指導者が発していることは大切だ。絵を描くと良く分かる。その昔、春日部洋先生と一緒に描きに行くと、良い絵が描けた。そのことが自分の絵の勉強にとても大切なことになった。影響とか、そういう具体的なことというより、不思議な雰囲気に引き上げられるような感じだった。そうして眼から鱗が一枚一枚落ちて行った。声楽の人が、出なかった高音階の声を、先生が引っ張って出せるようにしてくれると言われていた。多分絵の私の体験と近いことだと思った。ゆる体操を家でやっても、身につくものは少ないと思う。やはり良い先生に学ぶということは、進歩の第一歩である。

「小田原ゆる体操クラブ」はみんなのクラブである。みんなのサークル活動で、指導員の藤崎先生に来ていただいている形である。尊徳記念館で毎週第2水曜の夜7時からやることになった。前回は9名の生徒だった。1,500円である。入会金とかないから、一人でも多くの人にこの体験をしてもらいたい。知らない人でも構いませんので一度だけでも体験に来て観て下さい。部手にゆる体操協会とは縁もゆかりも無いのですが。前回は大変な稲刈りの前日、充分ゆる体操をした。これが、翌日厳しい肉体労働を9時間続けたにもかかわらず、筋肉痛なしである。62歳でこれは驚異的だと思うが、どうだろう。少し自慢である。この自慢をみんなに味わってもらいたい。

ゆる体操は身体を緩める体操である。筋力を付けるというのでなく。筋肉のこわばりをほぐすもののようだ。多分、やる前からなんであるが、気持ちの方も緩める体操ではないかと内心思っている。実はこっちの方に期待がある。なにしろこの文章でもわかるように、心のこわばりは相当のものである。文章がついつい固くなる。心の緊張やこわばりはなかなかほぐすのは難しいものだ。しかし、心と体はつながっているらしいから、身体の方がふにゃふにゃになれば、案外精神の方も少しは柔軟になるのではないかと、大いに期待しているのだ。なにしろ、知り合いが言うには体操が終わって、びっくりしたのは、みんなの顔がゆるんで変わって居たというのだ。これは良い。非常に期待できると思った次第だ。どこの誰でも参加できるので、是非来ていただきたい。何故か、このゆるい仲間が増えて、みんながゆるゆるになるのは、とてもうれしいのだ。
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2010年の稲作

2010-10-26 04:10:43 | 稲作
見事に今年の稲作も一巡した。田んぼには後片付けの藁束が残るぐらいで、まつりの後のようで少しさみしい景色である。稲作をするということが、景色を作っているということが良く分かる。景色を作れる仕事が出来る。これほど愉快なことはない。棚田が注目されて、棚田100選などと観光地のように言われるが、身近な田んぼ一枚、一枚が暮らしの景色を豊かないしている。舟原田んぼを写真に撮ったり、絵に描いたり、それは様々な人が楽しんでいる。通りがかりの人が、美しいと目にとめてくれる景色を作る仕事。お天道様に認めてもらえるような、有難い仕事である。田んぼには冬の緑肥となる、クリムソンクローバーが蒔かれている。稲が無い間、田んぼが花畑になる。麦を作れればいいのだけれど。これが案外に作業的に難しい。畑は沢山あるのだから、田んぼに作るより畑に作ろうというので、今年は少し広げて麦を蒔く。

今年の田んぼは豊作であった。やはり棚田にはこの暑い夏は悪くなかったようだ。さなごも無い訳ではないが、粒張りも全体としては悪くはない。合格点のお米になった。ハザ掛けしてからのイノシシの襲来さえ無ければ、9俵は行った。実際は1300キロの収量で、8,66俵である。手植えの田んぼでは、限界に近い収量かと思う。土づくりの方向が間違っていない事が確認できる。もう少し土が良くなれば、畝採りも夢ではないかもしれない。土が良くなると言っても、本当の成り立ちまでは分からないが、体験的な土づくりでは「腐食を増やすこと」だと考えている。但し、単純に藁を漉き込むようなことでは、土を痛めてしまう。藁を入れたいなら、藁を堆肥化して、その堆肥を入れる。冬の緑肥も腐食を増やすためである。この場合でも麦を作り漉き込むというような土を痛める。イネ科の植物は漉き込まない。表面に使うか。堆肥化して入れる。身に沁みて、土づくりは腐食を増やすことに尽きる。

もう一つの柱が、良い水を使うことである。今年は6月に入って、水温が上がった。これは何か不安な兆候で、山全体に何かが起きていると感じた。やはり記録的な猛暑になった。水温が1度上がれば1俵増えるという、棚田の話は本当であった。水温の確保を来年も最重要項目と考えたい。土が良くなれば水持ちが良くなり、田んぼの水温は上がる。同時に夏場の流し水管理である。夜温を下げるために、夕方から入水して朝止める夏場の水管理を行う。深水管理。深水に耐えるように畔をしっかりと作りなおす。田んぼ全体の平均を保つように、土の移動も行う。最後まで水を保つことは必要なことだが、収量が増えるということは、倒伏することにもつながる。干し田をどう入れるかは課題である。最後の10日は水を切るとして、出穂までの干しをどう入れて行くかである。どのタイミングで干すのが一番稲にとって障害が少ないのか。干すことで、土壌微生物は変わる。このことが土の腐敗とどのようにかかわるのか。研究課題である。

そしてイノシシ対策である。イノシシに60キロ以上のお米を食べられてしまった。ハザ掛けしてからのことである。心にとって衝撃的なものだった。罠でなんとか捕まえたい。ハザ掛けを田んぼやらないで、天日乾燥することも考えなければならない。機械小屋のハウスにしっかりとしたハザ掛け用のパイプを設置して、置くのもいいと思う。いずれイノシシは大問題である。今年は舟原田んぼの仲間に様々なことがあった。それでも田んぼで会うことはできた。会って何か伝える言葉も見つからないのだけれど、お互いに田んぼはとって少しは支えあえたのではないかと思っている。そういうことも含めて田んぼなのだと思う。みんなで元気に田んぼが出来るのが一番である。来年も今の形で田んぼが出来そうである。体力的にはいくつまで出来るのであろうか。80歳でも田んぼをやっている人はいるようだが。せめて、70歳まではやりたいものである。
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水土の再生3

2010-10-25 04:23:36 | 自給
水土の再生には、日本人という人間集団の再生がまず必要である。工業化社会、資本主義の競争社会で、変わってしまった日本人を再生できるかである。今の社会で行われている教育と言われているものは、そういう工業化社会の都合のいい、資本主義の競争に適合した人間を作る教育である。計算が早い。これは一番であろう。指示どおりに動く。これは何番目くらいになるだろうか。受験を頑張る事が出来る、そしてランク付けの中で競争する。実に都合よくシステム化されていて、競争ロボットに洗脳されているようなものだ。日本の現在おかれた状況は、その方角の先が見えなくなっている。もともと競争に勝利することだけが目的。その先どこへ行けばいいのか、迷走飛行である。大きな方角が定まらないのだから、対処療法しかない。教育はその中で、すっかり混乱しているようだ。教育からすっかり変えないことには、水土の国は作れない。

農業を教育との関係で考えた時、体験農業ということになる。学校田んぼの事例がたくさんある。農協や、生協などでも、沢山の体験農業のメニューが提案されている。それは教育のようなもので、私が考えていいる教育とは、全く違うものである。国としてもそういう体験農業を食育という範囲で、推進している。農の会の活動をそうしたものと混同して、参加してくる人もいる。農の会の活動は、それとは似て非なるものが、本当の目的である。本気で農業に取り組むという人生の選択は、すでに日本社会では、反社会的思想になりかかっている。だから、農業者が老齢化して、人口が急減している。少なくとも多くの農家の親は我が子が農業を選択することを望んでいない。農業で暮らしていけるとは考えていない。出来れば学校で優秀で、地元の企業なり、お役所なりに勤めて、家を守りながらやってほしいと考える。

子供が農家の一員として働くことである。それが可能な社会に戻ることである。末は博士か大臣か。士農工商という身分制度がなくなったのは良かったが。その目的の転嫁が富国強兵であった。当時の世界が帝国主義時代でその波に飲みこまれた。しかし、資源の乏しい日本に存在したものは、日本人というものだった。日本人を磨きあげる以外、日本という国を存在させることすら難しかった。その中で教育も、競争をやりぬいた。そして、成果を上げた。その成果を産んだ日本人という存在。大半の国民が水田農業に暮らしていたということにある。水土を尽くす工夫をありとあらゆる場面で、徹底することで生きてきた。これが日本人という素材を磨きあげていた。それは芸術分野でも、実によく表れている。その意味では、天皇家が武力ではなく、水土の中心に居たと推測できる。

学校田を本当の意味でやるなら、子供だけでやらせることである。平らな地面に田んぼを作らせればいい。自分で工夫してみる。学んでみるということはそこから始まる。今となると大人でも実は出来ない。子供なら出来るかもしれない。現在の大人は、悪い教育の結果。自分の目で見て、物を判断する能力はほとんど失われている。それは水田をやってみたらわかる。何も見えないのだ。水田というのも、棚田がいい。コンクリートで固められた工場のような田んぼでは、半分しか学ぶことはできない。水というものがもとで管理された。蛇口をひねれば出て来るようなものだということでは、水土を学ぶことは難しい。工夫に工夫を重ねる。今なら、汚染をどう避けるか。こういうことを含めて、水は総合的なものである。忽ちに、森の問題、海の問題に気づくことになる。循環の中で田んぼが行われていることに気づく。こんなことは教科書にも書いてある。しかし、こういうことは身体で覚え込まなければならないことだ。繰り返し繰り返し身体を使いながら、身につけて行くことだ。

昨日の自給作業:番茶の収穫6時間 籾すり4時間 累計時間:37時間
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瀬戸屋敷の廃止

2010-10-24 04:02:51 | 地域
農の会でもときどき使わせていただいている施設に瀬戸屋敷という江戸時代の大庄屋の屋敷がある。開成町という小さな町で維持管理している。瀬戸家の末裔の方が、土地屋敷すべてを開成町に寄付したことから始まったものである。確か補助金もかなり使って,今のように外部の者も使えるような施設にしたと思う。近くには尊徳記念館もあるので、二宮尊徳の生家が残っている。こちらは江戸時代末期の中農の家であろう。もう少し下の普通の農家の家というものは、すでに残っていない。本来は普通の江戸時代の農家の全貌こそ残すべきものである。暮らしの可能性がそこにはある。瀬戸屋敷は壮大なものである。足柄平野で一番の庄屋の家であった。家の中に水が引かれていて、水車小屋がある。農の会ではこの水車でお米をついて、精米までしたことがある。大きな米蔵であった土蔵では、農の会芸術祭を開催したこともある。自分の絵をそうした中で見て見ることはとても良い体験になった。

開成町での露木町長はとても先進的な人だ。開成町の旧家出身の方で父親も町長を長くされたそうだ。そして、NHKに勤務していたのをやめて、開成町の町長になった。確かに有能な方で、国の地方行政刷新の審議会の委員などもしている。しかし、その審議会でも渦に巻き込まれたように結果は出せないではいる。意欲のある方だから、開成町でも事業仕分けを取り入れようと考えた。事業仕分けを昔から提案してきた、構想日本の協力で事業仕分けを行った。その結果瀬戸屋敷の廃止が決まった。本来なら、その仕分けに従うべきだ。それが町長の責任である。ブログの様子では、そんな決意をしたようには見えない。気に入らない結果は受け入れない。気に入った結果は利用する。これがどうも仕分けの利用の仕方のようだ。仕分けのつまみ食い。

小田原市でも仕分けを行った。何一つ生かされていない。生かされたと言えば、はやりの仕分けを取り入れる、先駆的な市長というイメージアップだけである。一種のパフォーマンスである。仕分けで廃止が決まったら、従うという覚悟が無いなら、仕分けなどやらなければいい。自分が廃止したいとか、いらないと考えてはいるが、市長から福祉部門の廃止など主張すればマイナスイメージになる。だから、仕分けを使う。仕分けで廃止が宣言されたからを理由にしようということである。多くの場合廃止の決まった事業は外部委託が進む。多分瀬戸屋敷も外部委託で済まされることだろう。瀬戸屋敷の価値を事業仕分けした人間が理解できない。国の仕分けでは有機農業の価値が理解できず廃止がされた。ありがちなことである。瀬戸屋敷の未来的価値、有機農業の意味。これを部外者に理解しろという方が無理である。そうした価値を切り捨てて毎日生きているのが日本人である。

瀬戸屋敷は未来的価値として構成されなければ、明治村のようなものだ。ノスタルジックな観光施設である。そんなものはいらないというのが、当たり前の判断であろう。多分瀬戸屋敷のコンセプトがまだ曖昧だ。古い立派なものだから残そうというなら、小田原城が史跡なのか、公園なのかで、立派な森を切り払うことの是非が今問われていること同じだ。瀬戸屋敷をこの機会に何であるかを問い直すべきだ。問い直せないなら廃止。瀬戸屋敷が出来るといので、このことを提案したことがある。取り合ってももらえなかった。瀬戸屋敷の何たるかが定まっていないから、観光スポットなのか、文化財なのか、公民館なのか、見えない不思議な施設になっている。「暮らしの再生の拠点」これが本来の目的ではないか。
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イノシシの被害続く

2010-10-23 04:39:18 | 稲作
イノシシにやられた。何とか逃れていたのだが、今年の稲はついにやられた。ハザ掛けしてから連日やられてきた。精神的にダメージがある。ため息の連発である。ため息をついて何とかこらえている。それでこのことに触れられないできた。ああ一年頑張ってきたのに、イノシシのおかげでなんということか。ショックが大きいものだ。耐え難いものがある。肉親を失ったような、それは大げさか。お米をキロいくらで考える人には、1万円落としたというぐらいのことかもしれないが、ああ全く違うものだ。岩手の兄が冷害の年に自殺者が急増するので、回っていると言っていた。そのお米に対する思いは少し理解できた。このどこにも持ってゆけない理不尽。お天道様につばを吐いても、どうにもならない絶望感。たかがお米が100キロ食べられても、大したことはないはずなのだが、そういうものではない。ああもったいない。

最初は上の家のお米を食べていた。一番山際である。随分柵がしてあるがそれでも回り込まれてしまう。柵ですっかり囲めれば可能だが、複雑な地形だし少々の手間では無理な気がする。1枚の田んぼをすっかり踏みつぶしてしまった。その次は下の家である。下の家は去年もやられたから、やはり柵を作った。しかし今年もやられた。1枚の半分をつぶされた。上の田んぼの稲刈りが終わり、下の田んぼの稲刈りも終わった。ハザ掛けをしないから、田んぼから餌が無くなった。さて我が舟原田んぼだった。高く、ハザ掛けをしたが、何のことはなく届いてしまった。用心が足りなかった。なにしろ道路際まで歩きまわるようになったから、どこからでも入れる。昨日と今日、夜何度か見に行った。歩いている。1頭の60キロぐらいの中イノシシだ。随分と太っている。お米をたっぷり食べて栄養充分である。イノシシというよりコロコロ豚のような体形だ。

イノシシが暮らしている以上。来年はハザ掛けは出来ない。さてどうする。機械乾燥にはしたくない。二通り考えられる。普通にコンバインで稲刈りをする。今までより楽なことだ。そのお米を旧養鶏場の床にブルーシートを広げて、干す。扇風機をかけておけば案外に早く乾くだろう。これは前から考えていたことで、長雨にやられることも無いし、ハザ掛けが多風で倒されることも無くなる。毎日掻き回しだけは行う。多分3日もあれば乾いてしまう気がする。もう一つはハザ掛けを旧養鶏場で行う。養鶏場の中に何段にもパイプを渡し、すべてのお米をこの中で乾燥させる。これは運搬が課題だろう。ケイトラで運べば、小屋の中まで入れるから、ケイトラ20往復ぐらいだろうか。一回の往復に30分なら、2台を交互に使えば5時間あれば運べる。可能なことかもしれない。バインダーで刈る人が二人。車まで運ぶ人二人。車で運ぶ人を二人。懸ける人が二人。8人がいれば可能か。

実はもう一つ思い切ったやり方がある。イノシシを退治することだ。くくりわなを仕掛ける。だいたい出て来る獣道もわかっている。住んでいる場所も目干しはつく。これにはまずくくりわなの資格をとることだ。集落での了解も得ないといけないだろう。くくりわなは人間がかかったとしても、危険という訳ではないので、了解してもらえるかもしれない。上の田んぼの方、下の田んぼの方と、相談で進めたらどうだろうか。今年は旧養鶏場の下で麦を作る。これはイノシシはどうだろうか。電柵をしなくてだめなのかもしれない。様々大変なことである。しかし、全国で今起きていることは、この状況よりはるかに深刻なことが起きている。山の中の集落の谷戸田であれば、もう防ぎようもなく諦めざる得ないだろう。ということは集落そのものが消えて行くということになる。

昨日の自給作業:稲刈り9時間(籾袋61袋) 累計時間:27時間
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舟原雨量計

2010-10-22 04:18:21 | 地域
舟原には雨量計がある。雨が降り出すと、何度も見る。見ると言っても出かけるというのではなく、パソコンの画面で見れるのだから、有難い。箱根から南足柄まで雨量の細かな変化が分かる。これでこの後の舟原の雨量の変化、久野川の水量の変化が予測できる。こういうことは農業をやっているものにはどれだけ有難いことかわからない。多分行政も防災に使っているのだろう。ところがこの雨量計が、先日の小田原で時間雨量の新記録が出た時に、舟原は壊れていたのだ。全く肝心の時に役に立たないのだから、がっかりである。危険を押して水源を閉めに行った。その前に見て置こうとして、出来なかった。それでこの雨量計を管理している。神奈川県の方に、連絡を入れた。そうしたらきちっとした対応をしてくれた。以下がその時のメールである。

平素より神奈川県雨量水位情報のホームページをご利用いただき、ありがとうございます。
お問い合わせの舟原観測所(小田原市久野)の雨量値の表示について、回答いたします。
舟原観測所の雨量値は、雨量計から得られた雨量値を無線機を用いて県小田原土木事務所に送信し、県の通信網によりインターネットにて公開しています。
無線機の電源は東京電力の配電網が付近にないため、太陽光発電設備を使用しています。
雨量値が表示されないことが度々あることの原因について調査しましたところ、バッテリーの劣化により蓄電が十分に行われず、曇りや雨の日、夜間に無線機が停止し、観測所から雨量値の送信ができなくなっていることが判明しました。
今後、バッテリーを交換いたしますが、バッテリーの納入には、1ヶ月以上の期間を要するため、10月末頃に復旧する見込みです。
それまでの間、ご迷惑をお掛けしますが、何とぞご了承くださいますようお願いいたします。

なお、今回の回答に当たりましては、河川課 防災グループ ○○(電話)が担当しましたことを申し添えます。――以上引用

有難い返事をいただいた。行政からこれほど明快できちっとした対応をしていただいたのは、初めてのことで感激してしまった。どの道おざなりなことなかれで終わると思っていたのだ。本当に失礼な思い込みであった。行政は変わってきている。

田んぼをやっていると雨量計はとても役に立つ。箱根に降る雨と、舟原の雨では降り始めも、雨量も全くに違う。舟原で何時ごろから降るかも少しわかってきた。小田原土木の雨量計と舟原でも違う。最近のゲリラ豪雨では地域差がとても大きい。小田原市役所で新記録の雨量があったが、実はもっと大きな雨量を舟原では依然記録した事がある。その時は土砂崩れが何か所でも起きた。今回、そういうことはなく、市役所の方で記録的豪雨だったのだと思う。この時は小山町や山北町から南足柄にかけて、さらなる豪雨で友人の養豚場でも土砂崩れが起きた。昭和38年の豪雨に匹敵するものであったようだ。実は38年当時は正確な雨量記録が無く、比較はできないのだが酒匂川の氾濫や塩沢川の崩壊などからの推測であるが、今回以上であったのかもしれない。記録とは今後の災害対策にとても重要なことである。先日も最高気温が草に覆われていて取り消しになったところがあるが、こんないい加減なことでは肝心な場面で役に立たない。この程度のことは、地域の人にお願いできないものだろうか。舟原でやることがあるなら引き受ける。

八ッ場ダムの建設中止問題でも、利根川のもとになる、治山治水の総合計画の基礎データーこそ重要である。山の雨量と、川の流量が正確に積み重ねられることで、山の持つ保水能力の変化が表れて来る。山北の沢水生活の経験で知ったのだが、山の樹木はわずかな植樹や木の成長で全く変化してくるものである。一年で変わる場合もある。すべては現場のデーターの地道な積み重ねである。数値というものは長いこと睨んでいると、見えて来るものがある。今年の六月の水温の上昇変化が、何を意味していたのか。その後の異常高温を含めてとても気になっている。一年間久野川の水温測定するだけでも、いろいろのことが分かるはずだ。誰でもやれることなのだから、市民が取り組むというのはこういうところからではないだろうか。私がやっているのは、田んぼの取り入れ時期だけである。
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一括交付金

2010-10-21 04:19:28 | 地域
「一括交付金」は民主党のマニュフェストで強調され、鳩山内閣でやることが決まった。その時の責任者が今の管氏なのだから、当然、管内閣も強力に進めるはずである。そもそも地域主権ということは、地方分権改革推進法に基づき進められていることで、法律的にはすでに既定の事実である。住民に最も身近な基礎的自治体を重視した分権を推進し、基礎自治体の能力・規模に応じた権限と財源の移譲、国と地方の二重行政の解消により、地域主権を推進していくこと、としている。地方分権が財政の権限移譲に基づくことは当然のことである。これは、大きく言えば、国の各省庁の権限や規模を縮小して行くことである。予測通りであるが、官僚の抵抗が起こっている。「小田原市に一定のお金を渡し、道路でも学校でも病院でもこのお金の範囲で、何にでも自由に作ってください。」「でも、こんなことをして大丈夫なんですか。」と言っている訳だ。

11年度予算の概算要求に盛り込まれた公共事業目的などの投資的補助金3.3兆円のうち、各府省が「一括交付金への転換が可能」と報告したのは、全体の0.1%以下の28億円にとどまった。投資的補助金とは、建設などの補助金で、すべてを地方に移譲することになっていたものである。官僚は総論では反対が出来ないが、各論では99,9%否だと言っている。ここで、注目しなければいけないことがある。今まで何もやろうともしなかった管内閣が、法律に基づいて行う、11年度の予算に一括交付金を乗せられるかである。片山総務大臣はその為に、その能力と考え方から、民間から起用された。その是非はともかく、管氏がどれだけの人物なのかのリトマス試験紙。どうもうすら笑いを浮かべながら、何も手を打てないで終わる気がしてならないのだ。これはすでに法律で決まっている国内の問題だ。官僚との力比べのようなものだ。批判勢力時代の管氏はパフォーマンス上手だったとされている。本当はどうなのかが今わかる。

地方の方も、何やらあまり自信が無いのか、そんなには喜んでいなようだ。たとえば下水道の補助金の地方への移管。都市部で下水道を作っていた時代の国の基準で、地方への補助金を決めて行けば、地方によってはおかしなことが起こるのは当然のことである。下水道など初めから、地方に任された財源の中で、細やかに対応した方がいい。そのようなことは保育園、道路、あらゆる分野に及ぶだろう。所がこうした投資的補助金はすべて地方に移管するはずが、99,9%不可能だ、が官僚の現実の壁。地方の方では、一括交付金で来るのは良いが、その額が心配なのだろう。今までより、減らされると考えている。自由に使えるなら、40%あれば同じ仕事が出来る。と発言していた知事もいたのにどうなっているのだろう。ともかく国も地方も税収不足である。

地方への一括交付と言えば、法の考え方から言えば、住民に最も身近な基礎的自治体小田原市である。ところが、どうも神奈川県のようだ。この辺はどうなるのか良く分からないが、神奈川県分は幾らと、国が決めてくれて、県は各市町村にどう分けるになるのであろうか。国が各市町村に額を決めるしかないない。しかし、一体どんな基準になるのか、人口、面積、実績、何かしら基準が無ければ、もめて仕方が無い。各市町村の取り合いになる。こういうところに政治屋が介入して、汚職の温床になる恐れがある。共産党は福祉の切り捨てになる。消費税導入につながる。いつもの主張だが、投資的補助の問題なのだから論点自体をすり替えている。消費税は必要と考えている。地方への一括交付は必要なこと。地方の行政が地域に暮らす者にとって、身近であり最高の存在。地方議会の審査研究能力の向上。市民の地域社会への参加者意識の高まり。すべてはここからである。
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稲作高温障害

2010-10-20 04:35:34 | 稲作
稲作主産地で1等米比率が過去5年間の平均に比べて下がっていた。神奈川県は8.6%全国第2位。新潟(75%→19%)、埼玉(89%→45%)、福島(91%→66%)、富山(83%→59%)で著しい。あしがら地域でも高温障によると思われる、品質の低下が目立つ。粒が小さく、くず米が多い。舟原については、まだ分からない。黒米のアントシアニンの蓄積が少なく、一緒に炊いても、白米が染まらないようなことになった。夏の暑いお天道様が立派なお米を作ってくれる。過ぎたるは及ばざるがごとしで、頭の切り替えにしばらくはかかるようだ。

- 高温障害とは何か。整理しておく。-
登熟期に27℃以上の高温が続くと,乳白米など白未熟粒が生じ,籾の充実度が落ちる現象.
受精障害: 開花期の高温による不稔の発生
登熟障害: 登熟期間中の高温による未熟粒および白濁粒の発生
白未熟粒: 乳白粒,心白粒,基白粒,背白粒,腹白粒の総称
ー要因ー
登熟期気温の上昇 。出穂期の前進と盛夏との重なり分げつ期高温による籾数過剰。 少肥化傾向による登熟期の窒素栄養不足。地力低下や作土層浅耕化など土壌管理の影響。登熟期の早期落水傾向 。作付け品種,経営規模など営農的要因。圃場の気象・用水環境の変化。移植時期の遅延。適正籾数への制御・誘導
ー対応策ー
疎植栽培。肥効調節型肥料の利用。早期落水の防止。地力向上と作土層確保による根系生育促進。高温登熟性の高い品種導入。作期分散や圃場地力の均一化,圃場環境・用水環境の改善
「晩生品種を使う」 「栽植密度」 「水管理」 

●適切な水管理には、田んぼの温度を下げる、登熟後半まで光合成を維持するなどの効果があります。
●登熟期に1~2日おきに間断かんがいします。
●夜間通水をして、飽水状態(ヒタヒタ状態)をできるだけ収穫間際まで続けます。
●「胴割粒」の発生は、登熟前半の、特に昼の高温で助長されるので、登熟初期にかけ流しかんがいをして抑えます。
●用水量が増えるような水管理法(かけ流しかんがいなど)は、水利慣行の制約に注意します。
「土づくり」 
●高温障害が発生しにくいのは、堆肥がしっかり入り、作土深20cm以上の圃場。
●高温の年でも収量が安定して高い圃場は、堆肥を長年入れ続けている田んぼ。
●登熟後半に安定して窒素栄養が行き渡ると、収量が増えるだけでなく、高温登熟障害が軽くなる。。
●作付直前に稲わらなどを施用すると、生育初期の窒素が不足するので注意します。

ー施肥法ー
●穂肥の時期に窒素が徐々に稲に供給されると、高温などの天候不良でも、順調に登熟が進みます。
●籾数が抑えられ、出穂前に茎に貯める炭水化物(貯金のような役割があります)が増え、しかも登熟期の窒素栄養が確保されるからです。

以上あちこちの情報を集めたもの。明らかに小田原でも起きているし、今後はいつでも高温障害を頭に置いておかなければならない。頭の切り替えが出来るだろうか。特に低地の酒匂川河岸地域での「きぬひかり」の作付は、止めた方がいいのかもわからない。水路が温かくなるような所では、かけ流し管理でも水温の低下は限界がある。サトジマンでも夏場の暑い時期を外す効果は少ない。晩生種をとりいれるとしたら、品種の検討も必要になる。まだ、高温対策の新品種は問題点もあるようで、取り入れる気にはなれない。
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中国の反日暴動

2010-10-19 04:52:13 | Peace Cafe
中国で起きていることは、とてもも見えにくい。発端は日本で行われた中国大使館への抗議デモにある。中国政府は尖閣諸島の漁船拿捕を、そのまま裏返してフジタ工業の社員を逮捕した。日本では船長だけ残して20日間留置していた。フジタの社員もまず3人を返して、同じように20日ほどしたら、4人目も返した。これは中国政府のシグナルと考えた方がいい。日本がやるならやるぞということである。中国大使館の抗議デモは驚くほど右翼的な傾向があった。若いごく普通の人に見える人が、愛国心らしきものから、中国大使館に抗議をする姿は、とても異様に見えた。もう一つ異様なのは、このことがほとんど報道されなかったこと。しかし、中国政府はこのデモに対して抗議声明を出している。「中国は日本政府に対し、重大な関心を持っていることを伝えた」としています。そのうえで「国際条約の義務を履行し、日本にある中国の大使館や領事館、それに職員の安全をしっかりと確保するよう求める」参加人数でも主催者は3200人。警察は2800人。

人間の数が中国では、10倍だから中国政府としては、三万人規模のデモを起こすだろうと想像していい。これは日本へのシグナル。日本人は鏡が無いと自分のことが分からないようだ。中国政府はこう言っている。中国で予定されたデモは、暴徒化した。この点が日本との一番の違いである。中国の格差社会はやはり10倍であろう。失業者と富裕層が社会主義を標榜しながら、当然のごとく存在する。中国の社会主義は世界の資本主義と競争するための、有利さを引き出す社会主義と考えていい。日本では道路を作る。ダムを作る。河口堰を造る。民主的に進めるということは、多様な意見がある訳で出来ないということになりがちである。三峡ダムの2倍もある巨大ダム、チベット高原をダム化しようなどという、極端な考え方すら中国では登場する。

中国社会主義の格差を有利に展開する考え方。大量の失業者を背景に労働賃金を安いまま抑え込んでいる現状。通貨政策に良く表れている。一方に富裕層に資本を集中することで、合理的に集中的に資本投下が行われるように誘導する。農業分野でも同様で、キノコの栽培プラントを見学したが、日本よりはるかに大規模な工場であった。一つの集落が全体で、社会主義的に同一方向の農業を目指し、産地化を行う。土地所有制度がそもそも、純粋には個人所有ではないので、そうしたことが一気に行われる。また、人間の能力格差がやはり日本の10倍である。一群の有能な人は極めて有能である。所が有能でない人も10倍存在している。この舵取りは政府としてもときに見誤る。今回の暴徒化したデモは、政府としては予想外の部分もある。

この格差社会が爆発する可能性である。中国の規模となれば、力で抑え込むことは不可能。食糧問題が一番の着目である。中国は高度成長期で格差は開く一方であるが、生活水準は最下層の人たちも向上している。そうできる間は何とかなるだろうが、食糧の不足が起これば忽ちに暴動化する。中国で一番必要なことは、ごく普通に生きる大半とも言える農民が、普通に暮らせるようにすることである。中国こそ自給的農業を、緊急的に見直す必要がある。今の中国の目指す農業はプランテーション的農業である。大規模合理化は中国では一見当然に見えるが、このままでは所得格差から大量の離農が起きるだろう。農村の空洞化。その時に社会的な調整弁として、自給的農業の確保が必要だと考える。実は中国の農業の近代化は日本より進んでいる。有機基準でも日本以上に広がっている。GAPの基準では日本の数倍に及ぶ。日本がごまかしのエコファーマーとかいう基準を作っている間に、中国は先へ進んでいる。大丈夫か日本。
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喫茶店がらんどう

2010-10-18 04:04:42 | 地域
「がらんどう」新規開業
南足柄のスーパーヤオマサの真向かいに、友人が喫茶店を始めた。正直とても繁盛するとは思えない場所である。しかし、始めた。東京の三軒茶屋で40年も喫茶店をやっていた人だ。コーヒーの味には自信があるらしい。1杯300円というのは破格に安い。らしいとうのは、私がコーヒーの味が良く分からないので、残念ながらそうとしか書けない。蘊蓄やら能書はあるらしいが、そちらも私には聞いたところで分からない。ともかく独特なのは、店の作りだ。作りというか、全く作らないというか。ほぼ普通の家を訪ねるような感じだ。玄関からごめん下さいと、入っていく。呼び鈴を鳴らしたり、挨拶をする必要はないようだが、靴は脱いで上がる。思い切った店づくりである。確かにアットホームと言えば、これほどアットホームな造りはない。遠い知り合いのお宅のリビングでくつろいで、コーヒーをいただいている感じだろうか。

「からんどう」の店主のご先祖は、何しろ三軒茶屋の名前の由来となる、「しがらき(後の石橋屋)」「角屋」「田中屋」のその一軒のお茶屋である。店の名前は「我蘭堂」がもともとのお店だ。その長年親しまれた伝統の三軒茶屋を離れて、大山道をたどり、秦野からさらに大雄山まで来て今度はひらがなの「がらんどう」という店を始めたというのも、何かの因縁か。ご夫婦でやられている。二人ともとても、とても優しい人である。間違いなくくつろぐ場所になるだろう。ご主人は野球をやられていたという大きな人である。大きいから怖いということはなく。静かな穏やかな方である。奥さんはとても優しい感じの、涼しげな方だ。ご主人は久しぶりでお会いしたら、歳相応であったが、奥さんの方はこちらに来て若返ったように元気であった。女性はいつでも強いものである。

お二人がこちらに来たのには、少し、ほんのわずかだが責任を感じている。もう何年か前に久しぶりに我蘭堂に寄ってコーヒーを飲んだ。その昔三軒茶屋に住んだことがある。用事で立ち寄っても、今は知り合いがいる訳でもない。それで、ふらっと思い出してあの懐かしい場所に行って見たくなって、立ち寄った。そんな感じのお店だった。その時、何気なく「小田原の方に行かれたそうですけど、小田原の方はどうですか。」そんな話になった。お二人は以前、歳をとったら、どこか東京を離れたい。軽井沢の方にそのつもりで土地を準備している。そんな話を聞いた記憶があった。年取ったら暖かい方がいいですよ。その点小田原なんていうことない。などと話していたのだ。そこでいつもの小田原自慢を一くさりした。小田原は暮らすなら言うことはない。住所や電話も伝えた。その時は、こっちで喫茶店を始めることなど繋がっていなかった。

それが突然・・・・、はがきで「今度、南足柄で喫茶店を始めました。」である。それはびっくりした。相談してくれたら、場所探しなど協力したのに。残念なことをした。ともかく思い切った選択で、お店が始まっている。とりあえず、訪ねて見た。確かにあの「我蘭堂」のコーヒーである。この素晴らしい大胆な選択が実り豊かなものになるよう、わずかながらでも協力したいものである。出来ることなど何もないのだが、今度行くときは、水彩画ぐらいを持って行こう。きっと飾ってくれるだろう。全く誰へのお願いだかわからないのだが、どなたでも訪ねてあげて見て下さい。夜は6時30分までやっているそうだ。今度は食事など出来るようになった。車は2台は止められる駐車スペースがあった。
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稲刈りが終わる

2010-10-17 04:09:43 | 稲作
舟原田んぼの稲刈りが終わった。10月13日だった。ほぼ例年通りの日時である。暑かったり寒かったリ、気候変動が目立つ一年だったが、結局のところ収まる所に収まった。自然というものらしいと、感心する。雨は記録的豪雨。それで日照時間も最多。何とか稲は持ちこたえてくれた。立派なものである。昨年の稲刈りは10月24日で少し遅めだった。今年は中盤から、5日ほど生育が早まっており、出穂、穂ぞろいと1週間以上早まった。そして稲刈りでは、昨年より10日も早い稲刈りになった。と言っても、これはおととしと同じで例年通りである。ハザ掛けをした感じでは収量も平年作といえるようだ。新しい田んぼでの有機農法の4年目。難しいところのはずだが、善戦したと言える。種まきが4月18日だった。昨年と同じである。これは1週遅らせる方が良かった。苗作りの4月に凍害が出るほどの寒さがきた。お茶がやられ、柿がやられ、梅は壊滅だった。そんな状況で苗の生育は初期とても悪かった。自然農法は自然にそのまま影響される。

来年の課題としては種まきを遅らせる。苗をもう少し安定して育てることが重要である。以前から思うと、1週づつ2週は遅らせてきている。4月24日くらいの播種。これなら霜はもうない。田植えが、6月2週目の日曜でこれは動かさないで、種まきを1週遅らせる。育苗期間を7週間50日前後にする。最初の頃は9週育苗にかけていた。7週で5葉期を目指す。播種を遅らせることで、寒さを避けられる可能性が高まる。その代わり、初期生育を少し早めるために、ビニールトンネルの手間をかける。この点は熟慮。田植えは、6月12日(日)を予定すればいいだろう。となると穂揃いが8月21日の誕生日前後。穂揃い後2カ月で稲刈り。稲刈りが10月16日か23日を設定。今年は、初期に草を出してしまった。ソバカス抑草が北海道の水彩人展に行ったために、手抜きになった。これが後々に影響した。田植え後1週間の大切な時期をもっとよく管理したい。

来年は舟原田んぼを始めて、5年目になる。耕作放棄されて2年があったので、土もほぼこちらの考えてきた方向になってきている。トロトロ層が形成される土壌になっている。これはうれしい成果。もっとトロトロ層が形成されるよう、土作りに専心したい。来年の一番の課題はトラックタ―の上手なかけ方である。毎年気に入らない状態である。代かきを浅く、同じ深さでやりたい。田んぼ全体の土の平均を出すのもやりたい。これが出来ていない。耕盤が弱い。トラックタ―が沈み込む。これはこの田んぼの昔からの特徴だそうだ。下2枚はいつもぐずついていたそうだ。だからどうしても、アラオコシが深くなり、一部倒れる稲が出た。その意味でも苗床は来年は上の田んぼにしたい。代かきを上手にやること。もう一つは畔回りをぐるりと掘ること。それで水漏れを減らす。これも毎年の課題である。

反省ばかりが出てくるが、トロトロ層以外にも、良くなったこともある。生き物が増えたこと。カルガモの親子が、この田んぼで暮らしたて、子供が3羽育ったこと。キジも良く来るようになった。雀が減ったこと。イノシシの難を逃れたこと。イノシシは多分3回入った。しかし、少し倒したぐらいで、大きな被害にはならなかった。それでも被害が無い訳ではない。下の家田んぼも上の家の田んぼも、随分とやられた。雀も上の家には、くっついてしまい離れなかった。あれこれ困難をかわしたことは大満足。一番の満足は、これでまた一年のお米が確保できたこと。収穫の喜びとか言葉では言うが、これ以上の喜びはない。嬉しい、ウレシイ、とても安心なことだ。また一年、自分の作ったお米で生きてはいける。

昨日の自給作業:草刈り草取りとニンニクの植え付け、2時間 累計時間:20時間
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