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地場・旬・自給

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タミフルの薬害

2007-02-28 05:53:05 | 身辺雑記
化学的に作られた薬というものは遠ざけている。この25年、いわゆる薬という物を服用したのは、肋間神経痛のときに漢方薬を一度と、歯を抜いた時に麻酔の注射を使ったぐらいだ。石鹸も歯磨き粉もよほどの事が無い限り使わない。必要が無いからだ。と言って何となく汚らしいというのがある、という自覚が若干無いわけではないが、子供の頃から汚いほうが好きだったのだから、しょうがない。だから、タミフルで錯乱してなどという話を聞くと、情けなくて耐え難い思いだ。これに対する厚生省の判断の愚かさは、程度が低すぎる。インフルエンザで、薬を飲むなど普通必要の無いことだ。消化しやすい物を食べて、静かに寝ていればいい。寝ていたく無いなら、暖かい部屋でぶらぶらしていればいい。時間が来れば必ず治る事だ。病気になるのも、体が必要とした事だ。

インフルエンザについては、鶏の事もあるのでそれなりに勉強してきた。ワクチンという物がある。これも使わないほうが身体にいい。ワクチンによる免疫と、自然毒から感染して出来る免疫とは本来似て非なるものだ。風邪のウイルスはインフルエンザだけではない。何百とある。それを全てワクチンで対応できるわけも無い。ウイルスは感染の連鎖で、変化してゆく。この変化に追いつくようにワクチン作ることなど出来ない。しかし、ワクチンを使うとそれほど重症にならないという人が多いのも事実。これは似たウイルスには効果が、いくらかある交差免疫とか言うらしい。しかし、ワクチンで感染しない、という事が無いのも事実。大切なのは、この免疫という物を獲得する能力の育て方だ。ワクチンで簡単に免疫を得ると、身体は免疫を獲得するシステムを、培う事ができない。自然のウイルスに感染して、苦労して免疫を得ることで、身体は新たなウイルスに遭遇する能力を養う。

病気にはかかる必要がある。そしてそれを乗り越える事で、成長する。これは、身体だけでなく、心の問題でもある。大病して成長した人間と言うのはよく聞く事だ。人間に起きる事で不要な事は何も無い。自然の中で生命が出来る過程で、そうした試練もあるべきものとして、存在する。病気だけを毛嫌いして、先行してワクチンで予防するなど、必要最小限にしておいた方がいい。インフルエンザについて言えば、かかったところで、よほどの事が無い限り、養生の範囲で乗り越えられる。こんなことを書くと、変わった宗教にのめり込んでいると決め付ける人もいるだろう。しかし、現実はタミフルを服用して恐ろしい事が起きている。ワクチンを打ったがための事故も多々ある。

タミフルも、インフルエンザワクチンも国は備蓄が必要と言っている。備蓄が足りないといって、報道も騒いでいる。これは軍備と同じだ。期限がすぐに来て廃棄しなければならない。製薬会社は使おうが使うまいが、これで大もうけしている。ダイオキシンもそうだった。国民をだまして、安全、安心とか言って、科学的知識の無い新聞・テレビ報道は、すぐそれに踊らされ、お先棒を担ぐ。タミフルやら、ワクチンの備蓄に税金を使うなどとんでもない事だが、これに反対するまともな政治家もいない。インフルエンザの恐怖に、何故これほど煽られたか。備蓄で大もうけしている製薬会社があるからだ。それを是とする世論が存在するからだ。その世論を形成しているのが、報道であり、政治家だ。それはもう個人の手に負えないことだが、簡単に薬を使うことは危険なことだと言う事は知ってほしい。
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田んぼのおもしろさ

2007-02-27 07:59:33 | 稲作
野菜、果樹、等色々作物はあるが、田んぼほどおもしろいものはない。最近冬水田んぼの話を聞く機会が多いい。環境調整能力というか、多様性の保全に冬水田んぼがいいという話だ。布マルチの話も何度か聞いた。不耕起田んぼの事、直播田んぼ、ひこばえ農法というのも聞いた事がある。棚田という環境そのものの保全という活動も多いい。ともかく耕作法が多用だ。しかも様々な角度からのアプローチがある。体験型農業というと、田んぼが多いい。田んぼでの活動が基本になって広がってきたのは、農の会も一緒だ。色々の条件から、みんなでやらざる得ないというところがおもしろい。稲のように、多様さに対応できる作物も少ないだろう。奥の深さも格別である。だから、名人も現われるし、先輩から教わる重要性もでてくる。観察力を磨くとか、協力する精神を培うとか。

今度4月1日に『メダカサミット』が桑原で開かれる。桑原では、地元の青年団と青年会議所が合同で、田んぼの耕作を行ってきた。この活動の原点になったのが、沖津さんという地元の方の、地域の自然を守ろうという行動だった。沖津さんは河童のような少年時代を送り、現在小田原の植え木組合の代表をやられている方だ。人柄も魅力的だし、少年のままの純粋さで、桑原の自然を守ろうとしてきた。その気持ちに、多くの人がうたれた。そして何としても協力したいと、言う気持ちになった。農の会でも放棄された田んぼを耕作しようとなった。桑原では、一枚の放棄地も無い、そんな風にしたかった。10年前くらいの事だろう。その後紆余曲折があり、現在のように、青年会議所が田んぼを主体的に行う。全国でも珍しい、しかし、全国の青年会議所の組織の中でも、注目され評価される活動になった。地域の環境が保全される為には、地域の農業が継続されなくてはならない。この一点にメダカが集まってきた。

田んぼの多様性は、生き物だけで無い。集まってくる人間も多様だ。○○農法というまるでマルチ商法のようなものも関わってくる。何故か、これは日本人の根底にある信仰だと思う。仏教が渡来するはるか昔、稲作が始まった。弥生人が稲を携えて渡来した、こんな風に私たちは小学校で教わったが、今では稲作の歴史は更に古く、縄文後期にはすでに稲作が行われていたらしい。この稲作の多様性が、日本人を形成した。日本人の信仰や、風習、しぐさ、考え方、稲作の影響は大きい。日本的というものの多くが、例えば美意識とか、無常観とか、精神に食い込んでいる影響も様々だと思う。だから、さすがのお金の影響も田んぼまでは中々入り込めない。その意味で、里地里山づくりも田んぼの活動を中心にすることが、おもしろいと思う。

今年も、幾つかの試みを行う。ミカン箱による苗作り。ポット植えの苗箱をベットに置くやり方。秋起こし穴あけ手蒔きの実験。そして溶存酸素量とコナギの関係の実験。田んぼは年一回の事だから、試してみたい事がたまってくる。このあと何年出来るかと思うと、実験が貯まってくる。去年の菜の花漉き込みが大失敗だった。これは菜の花の漉き込みの考え方と、米糠抑草との考え方は実は対極だったからだと思う。これを併せてやればより効果があると考えたのは、余計な考えだった。米ぬかの抑草効果が解明されないまま手探りで、次に進もうとしたのがいけなかった。それにしても、いよいよだと思うと、今から気持ちが高ぶってくる。
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小田原にCAPを広める会

2007-02-26 07:12:37 | Peace Cafe
今度出来た小田原市城北タウンセンターいずみでCAPのワークショップがあった。駐車場も十分あって集まりやすい施設だ。夜も9時30分まで利用できるそうだ。この会を主催されたグループは41名いるそうだ。極めて社会的意識の高いかたがたで、日頃教えられる事が多い。何故CAPと言う活動に関心があるのだろうと不思議だと思っていた。私には子供はいないし、出来るだけ子供を人間としてみるようにしたい、と考えている。横浜から、指導をされる方が3名来てくださり、CAP『子供への暴力防止』システム、そうまさにアメリカ的なシステムの解説があった。4年生に戻ってください。と言われた。子供の頃の記憶には自信がある。嘘だと言われるのだが、ハイハイしていた頃の事も鮮明に覚えている。4年生とたどると、頭の中が混乱、爆発したような、一種の痴呆状態だった。ここに戻ったから大変、良く理解が出来なかったかもしれない。

子供への暴力、特に「いじめ、虐待」が問題になっている。これは最近顕著になったのか、昔からあったのかといえば、明らかに最近起きているものは、以前とは本質が変わってきている。俺の子供の頃は、と言う視点で教師の子供に対する体罰を、今日の目で取り上げれば、まさに日々が暴力的であったわけだが、これを現代の観点で捉えるのでは、その本質が見えない。アメリカにおける暴力の問題と、日本における暴力の問題では、状況が相当に違う。草野さんといわれる講師の方の話では、今子供に起きている暴力が原因での子供の死は2,3日に一人。と言う最悪の状態だそうだ。これは交通事故死と同じ数だそうだ。親に虐待される子供の報道ほど痛ましいことなない。辛くて聞いていられない。こうした犯罪は極めて社会的でありながら、実は個別的であること。この個別性に踏み込まない限り解決などできない。

三つの問題点を感じた。
まず、システムで人間に対すると言う事が、生理的に耐えられない。人間は極めて個別的。同じように見えて、むしろその違いを知る事が大切。一つのシステムで、解決できるのは全部ではない。問題が起きるのは、何時も全体に入らない部分だ。

次に、アメリカのCAPでは『安心・自信・自由』が子供の三つの権利として考える。この人権と言う正義が危うい事は、イスラム圏で充分証明されている。北朝鮮では将軍様に頂いた。安心・自信・自由と言うものが存在する。日本には日本の歴史、文化と、社会状況がある。叫び声は、「O-」がいいと世界共通で対応する発想は無理。いざと言う時に出る声で叫べばいい。

さらに、暴力を子供というように限定して考えるのは間違い。実に暴力的な社会になっている。学校を会社とか役所とか、かえるだけで状況は同じ。人間が疎外されていると言う事が、問題の核心。昔は体罰と言う暴力が横行した。これは軍隊の影響。富国強兵で、国民を奮い立たせようと言う、間違った国のありようの反映。

子どもへの暴力防止はどうすればいいいか。
地域を回復させる事。地域社会が子どもを育てられるような、環境を作ること。
国家が暴力を捨てること。国家が暴力で、問題を解決しようという姿勢では、子どもへの暴力も増えるだろう。アメリカを見ればよく分かる。
親がまず、子供の人権を守る事。全ての大人が先ず自分の人権を守る事、その姿が子どもの人権を守る事になる。
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お茶作りの会

2007-02-25 07:29:38 | あしがら農の会
あしがら農の会3月定例会 『お茶会(議)』のお知もう8年目を迎えるお茶畑、そろそろ肥料を施したりの作業が始まります。製茶工場の予約も3月中にするんだそうです。無事、一服の時を迎えられるように、下記の予定で、会合を持とうと思います。今年も自給の一杯を味わいたい方はどうぞ起こし下さい。(初めての方も歓迎、差し入れも歓迎です^^)
日時・・・3月9日(金)18:30~21:15
会場・・・山北町 岸 の堀内亭にて
場所の案内は080-3002-8585 相原まで
① 協力者の紹介
毎年お茶作りには、参加者以外から、技術指導、機械の貸与、製茶、土地の貸借などで、多くの協力をいただいています。お世話になっている方の名前くらいは知っておきましょう。
② 鶏ふん撒きの日程
勢いの良い新芽になりますように・・・
③ お茶工場予約(茶摘みの日程決定!)
④ 参加人数とお茶の量のこれまで、
⑤ 作業の段取りや連絡の仕方の取り決め、
⑥ 仕事の分担
全参加者にとって、♪今日はお茶を摘みに行く日♪になるように、
駐車の案内、受付からお茶の袋詰めまで、簡単な仕事は分担しましょう。


今年はお茶摘みの会を少し相談する事になった。2年ほど前から、少しづつ自主運営が定着して、畑の管理も徹底された。昨年はお昼のお弁当の時には、汁物ぐらいは作ろうと言う事で、持ち寄りの鍋が作られた。このこと一つでもずいぶんの茶摘が楽しくなった。今までは、何か作るというと誰かの負担が増えると言う事で、やればいいのは分かっていながら、出来ない事が多かった。この持ち寄り鍋は、全ての負担をなくそうという考えからできた。「農の会鍋」と言うものかもしれない。味噌、醤油。何でも持ち寄る。野菜も、豆腐も、鍋に入れたいと思う物を、そのまま入れればいいようにして、持ち寄る。大鍋でお湯を沸かして、順次入れる。それを昼に食べると言うだけだ。手間が殆どかからないというところが特徴だ。それでいて、味は絶対に家では食べれない魅力的なものになる。

お茶畑自体の管理も、自主運営になって、雑草がなくなった。みんなが本気で取るから、つる草も随分減って、いい管理になったと思う。去年もいいお茶摘んでくると、田中さんから褒められた。坊所の茶畑は、実は条件がすごく悪い。一番は北斜面と言う日当たりの悪さ。それと車が入らない。機械を入れるにも都合が悪い。やめるなら最初にやめる畑だ。ところが、そういうところだからこそ、環境がすばらしい。坊所川の渓流沿いで、周りは竹薮。自然に囲まれた。お茶摘みは格別気持ちがいい。年々お茶も自然栽培になれて、他とは違ういい味がする。幾ら飲んでも、胸焼けがしないお茶。くどくない、爽やかな味だ。

昨年は、坊所以外に、前田さんのお茶畑、川口さんのお茶畑と参加者を募って行われた活動があった。こうしたところともいい連携が出来ればと思う。夫々が、その特徴があって、そして協力し合える形。個人の茶畑だからと言って、閉じてしまうのでは、普通の農家と同じになってしまい、いくらか高く売れるというだけの事で、永続性は無い。経済的な合理性があり、参加者の助力が生きるような形。お茶畑の活動は農の会ならではの、仕組みを見つける必要があると思う。
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管路収集システムの崩壊

2007-02-24 08:13:08 | 環境関連
ゴミの管路収集システムは夢のゴミ処理法と言う事で、70年代多摩ニュータウンでなどで設置された。90年代に入って資源ごみの再利用などを目的とした分別が始まると、投下されるごみは減少。分別のための収集車も復活した。処理量は計画の約7分の1の1日約8トンにとどまり、排出者からの料金では運営費(年間約1億円)が賄えなくなり、2005年に運用をやめ、収集車が回収している。これが今撤去費用も捻出出来ない無用の長物になっている。日本の行政に長期的な視野がないという典型的な例だろう。建築物では作ったものの半分くらいは、作らなければ良かったようなものだ。森林の長期展望の間違いほど、日本の国土を荒らしたものはない。私の小学生のころは、緑の羽根というのを、学校で買わされた。子供からまでお金を集めて、花粉症で迷惑ぐらいで終わったのだから、恐ろしい。

小田原のゴミ問題は何の進展もない。さすがにしつこい私も、最近は担当を尋ねていない。何故、西湘広域ゴミ処理計画が明確化されないか。これは小澤市長の政治的判断だと思う。大井町ではゴミ問題で町長が交代した。山北でもゴミの事で、町長が交代した。全国ではゴミ問題で市長が交代するというのは、普通の事のようにある。来年の市長選の争点にごみ処理広域化問題が浮上する事を恐れている。小田原にゴミを集めて処理するという、考え方を基本にして計画は進んでいた。アンケート結果という形で、新聞に提灯記事も出した。しかし、これがただではすまない、ことにさすがに気付いたのだ。例えば、箱根の旅館の出す膨大なゴミを、何故小田原で燃やさなければ成らないのか。湯河原から、あの細い道路をどうやって、ゴミを搬送するんだ。いくらでも火種がある。

市長の「ちょっと待て」が入ったと思う。何一つ明確にしないまま、一年が過ぎた。県の環境部を確認したところ、曖昧な返事ではあるが、早く広域処理計画を出すうように要請されていることは事実だ。期限はこの3月一杯だった。しかし、何も決まらない、と表向きは言っているこんな状況で、何を3月に出してしまうのだろう。これで出してしまうのが今までの小田原の行政手法だ。それをただの一人の市会議員もチェックしていない。もう市会議員は4月の選挙で手一杯で、それどころじゃない。3月の予算審議の議会では、止めた筈の城下町サミットは復活する。設計も出ていない城下町ホールの予算だけは出ている。こんな状況を市議会はどうする。

ゴミは大きい事はいいことじゃない。小さい処理ほど、減量できる。管路収集システムの崩壊はゴミを幾らでも出させようとした事にある。ゴミが増えなければ採算が取れない。予定の7分の1しかゴミが出なかったそうだ。それでよかったが、それで崩壊した。同じ事が、溶融炉だ。連続燃焼の必要から、ゴミを集める事になる。しかし溶融炉が国の方針だ。いや、業界の方針だ。市町村の合併がある。これも、市長交代の火種。広域化して、良いこと。悪いこと。これをきちっと分析すべきだ。国の補助金に目がくらんで、見失ってはならない。小さい集落の持つ誇りこれが消えてしまうような合併は最悪だ。ゴミ処理が小さい町ほど理想的に出来るのは、いくらでも事例がある。大きくして見えなくなれば、人間いい加減になる。それにしても小田原市役所は何をしているのだろう。やっぱり行ってこないといけない。
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市民自治とは何か

2007-02-23 06:12:41 | Peace Cafe
上原さんの講演会をきっかけに、市民自治と言う事を、考え続けていた。市民が自治を行うと言う事は、直接民主主義で行くと言う事か。間接民主主義を現在取っている以上、仕組みとしては市議会があり、行政があり、市長がいるという在りかたは、市民自治だろう。その上で、直接民主主義的手法をどうか見合すのかと言う事であれば、これは仕組みとして議論しないとならないことだろう。

先日、元ネットの市会議員であった。松本雅子氏とこのことで考えを聞かせてもらえる機会があった。松本雅子氏は小田原の歴代の市会議員の中でも聡明さでは際立っている。現在の制度が、仕組みとして、借り物なのだ。この仕組みを暮らしのレベルで、自分たちのものにしていないのだ。こう言われた。確かに日本には歴史的に地域の事を決めてゆく方法があった。ところが、これが民主的でないという事で、現在の議会制民主主義という多数決を基本とした仕組みで、やることになった。ところが、これがという単位に行けば、昔ながらの暮らしぶりがあり、それに基づいた動きも存在する。例えば、祭りとか、川の清掃と言う事になれば、何か違った論理が登場してきて、それにしたがって進められる。明治政府の天皇制による統治という考え方が、西欧から移植した制度を導入する事で、それまでの日本に存在した、ものの決め方を崩壊させたのだろう。だから、西欧の市民自治を幾ら研究したところで、日本人の心にしっくりとする、地域の事の進め方は生まれないのでないだろうか。

先日私の暮す、舟原で、街灯が一基つけてもらえることに成ったという。誰かがお願いしたのではなく、市からの連絡があったのだそうだ。それで、何処そこにに付けることにした。新年会の席でこういう報告があった。自治会長にしてみれば、相談する場もないし、自治会に何かを決めるルールがあるわけでもないから、副自治会長辺りと相談して、妥当なところに取り付けることに成ったのだろう。その妥当さはさすがで、何の異論も誰にもなかった。しかし、街灯が欲しいという人の場合はどうなるか。市行政に街頭の希望を直接申し出るのか。市会議員の知り合いにでも頼むのか。あるいは自治会役員さんへか。この辺のルールがよく見えない。

話し合いの風土、これが失われた、江戸時代の日本は話し合いの国だった。これは明治に入り失われた、一番の残念な文化だ。富国強兵、帝国主義、天皇制、その間に地域にあったものの決め方、精神が失われた。これは、そもそも日本にそうした話し合い文化がなかったと考えると、今後の方向を見出す時に、間違いそうな気がしている。今、久野では里地里山作りの相談がされている。行政からの呼びかけで、少しづつ進んではいるのだが、何かおっかなびっくりで、本音の議論のようなものがまだ出てくる空気になっていない。行政にしてみると、住民主体の新しい手法を提案している。つもりだろう。ところが、それが妙に及び腰の姿勢に映る。住民主体だからと言って、行政が消極的という訳のはずがない。住民の実行すると言う事と。また別に行政には行政の役割がある。これがまだ行政にしても見えていないと思う。

行政の役割は、専門家としての知識を持つ事。例えば、この林はどのように管理してゆくのがいいのか住民が迷った時に、専門家としてのアドバイスが出来る事。地域住民が時には大きな視野を持てないかも知れない、そうしたときに、外部事例などを示唆するなど、行政の役割だろう。もちろんそのための学習の機会を作るなども行政の役目だ。更に肝心な事は、住民の自主的な活動を法的な面でバックアップしてゆく事。例えば、里山地区に里山再生の為の施設が必要という時に、どう法規をクリアーしてそうした施設が作れるかを、フォローしてゆく。市民自治と言っても、法を破ることはできない。現在の行政は、ああできない、こうできない。と否定的なアイデアには長けていて、どうやって作り出すかのセンスにかけている。これを上部行政に掛け合い、クリアーする事が役割だろう。そして法そのものに問題があれば法の改正をお願いする、これも行政の大きな役割だ。
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高病原性鳥インフルエンザのその後の経過

2007-02-22 07:22:01 | 自然養鶏
宮崎県新富町で感染が見つかったのが、1月30日。今日は2月22日。この間日本では新しい感染はなかった。しかし、韓国では21日にまだ発生が続いている。何とかこのまま3月になれば、と祈っている。以下は全く素人の推理だが、以前より、目安にしているのは韓国の発症だ。韓国の状態を推測するに、韓国に高病原性のウイルスが常在はしていないと思う。やはり、鳥によって韓国に運ばれると思われる。これは前回の3年前と、今回の推移が、極めて似ていることで、見当をつけている。感染した、鳥の群れが、時期が冬と言う事で強い西風だと考えている。渡り鳥ではないと思っている。風に飛ばされる病鳥がいて、起こる。中国では常在している。この常在の状態がどんなものか。感染すれば死んでしまうのであれば、感染は広がらない。この辺の仕組みを、無責任に推理する。

中国では弱毒性のウイルスを持った、厳密に言えば、抗体を持った群れが北方より多数飛来する。その群れに、高病原性のウイルスを持った野鳥が水辺などで、混ざって生活する。その野鳥はすぐに死んでしまうかもしれないが、すでに弱毒の抗体を持った鳥は、高病原性であっても、感染はするが、発病をしないという状態になる。こうした、野鳥の群れが存在してしまうのではないだろうか。この群れは、死ぬ事はないが、高病原性のウイルスは持っている。移動しては感染を広げる事になる。そんな不思議な感染が起こる確率は低いが、そんな群れが存在しては、感染を広げる。今回の韓国へはそんな群れから感染した野鳥が飛来して、韓国の養鶏場を感染させている。その一部が、日本まで更に飛ばされてくるのではないだろうか。

だから自然がこの病気を吸収し、消滅させてしまう事は実はそう難しい事ではない。もし人間の養鶏場がないとする。自然界では、このウイルスが一渡り広がり、死ぬ物が死んでしまえば、ウイルスは生き残れない事になる。鳥の自然界での広がりや、渡りの状況から行けば、5年もすれば、落ち着くところに落ち着くはずだ。その時に、高病原性の抗体を持った鳥の存在が、現われると、若干違う事が起きるのではないか。現在、弱毒の抗体を持った鳥が日本で発見されている。これは本当に宝くじのようなもので、見つかると言う事は相当数は、弱毒の抗体があると言う事だ。更にウイルスを持った鳥を発見するとなると、これは困難を極めるが、居ない訳ではない。同様な経過で、多分何万年の間に起きた現象が、今人為的に起こされ、高病原性のウイルスを持った野鳥がいる状態になるとしたら、落ち着くところまではまだ大変な事になる。天はいた唾が、今ウイルスの雨になっている。

人間が鶏を百万羽とか言う単位で飼った。弱毒の鳥インフルエンザウイルスが入るのは自然の事だ。感染が火のように広がった。感染の連鎖が起きたに違いない。この中で、高病原性を獲得した。これは大規模養鶏が続く限り、起こることだ。ウインドレスなら、起きないなど、3年前は農水は発言した。ウインドレスには補助金を出すまで発言した。ところがその後、ウインドレスでばかり発症している。さすがに最近はそんな馬鹿げた事は言わなくなったが。相変わらず、消毒をしろと言っている。これは、全く何の効果もない。効果がないことは、農水の専門家も分かってはいるが、何か手を打っているように見えないといけないと言う事だろう。だから消石灰だ。これを撒くと、戦後の赤痢の発生した地域のように真っ白になる。いかにも対策をしているようにみえる。まぁ安いと言う事もある。どうせ効果はないのだし、費用は税金だ。
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地球博物館「水辺の再生を考える」

2007-02-21 05:54:42 | Peace Cafe
18日地球博物館で酒匂川の環境を考えるシンポジュームがあった。6回目の開催で『水辺の再生を考える』と言うテーマだった。専門の学者が、4名も内容の濃い話をしてくれた。先ず、大場信義氏蛍の研究をされてきた第一人者だそうだ。三浦の方で活動をされている。そして、トンボの事でいつも名前を伺う、苅部治紀氏。内水面研究所の勝呂尚之氏。そして、地球博物館の勝山輝男氏。自分には全く分からない事でも、専門の学問をされている方の話は好きだ。必ずおもしろい。観点が素人とはやはり違う。学問の偉さと言うものは、格別な物だと思う。素人でも、専門家的に詳しい人はいるが、やはり視野というか、奥行きの広さというか。話を聞いておもしろいと言う点では、専門の学者が一番だ。

大場氏は世界の蛍の生態から、自然の成り立ちのすごさ。絶妙さ語られた。蛍の点滅の微妙さ。周波数をたちどころに換えるメカニズム。その仕組みは今の科学でも解明できていないとの事。日本の西と東で源氏ボタルの周波が西はせっかちで、東はのんびり、背中の十文字ガラも、ないものから、明瞭な物まで、多様との事。東南アジアの蛍の木の話はなんとも幻想的。一本の木何故か数億の蛍が群がり、光り続ける。1匹の命は1週間。それが営々と継続されて、今に到るすごさ。しかし、開発でその一本が切られることで、全てが終わらざる得ない。だから守るべき1本の木、自然の核心がある。人間の暮らしと、自然との折り合いのつけ方。これもまた、自然の営みを調べてゆくと、自ずとそのバランスは見えて来る。決して悲観的に成ることなく、開発と、環境保全は対立だけでないと。実際に三浦半島での自然の環境の保全活動が、どのように展開されているか。大いに参考になるところだった。

苅部さんはご縁があり以前から、お話は聞いてきた。我々にとってはサナエトンボの事で、大変重要な活動をされてきた。苅部さん自身が酒匂川で高校生のとき確認したのが、最後だと話された。すると苅部さんは地元の人だったのか。昆虫好きの高校生が、研究者の道に進む。憧れる生き方をされてきたようだ。思えば、鶏好き少年だった点では、そう人には負けなかったと思うが、何がいけなかったか、紆余曲折できた。一番は、外国語が嫌いだった点にある。学問をやるには、2ヶ国語の関門がある。これだけで私には無理だと言う事が分かった。植物の新種の登録をする時に、ラテン語でないといけない。と聞いたことがある。そうしておかないと、素人の植物好きがやたら新種の確認を提出して困る。

勝呂氏は小田原メダカの恩人だ。隋分ご苦労をかけてきた。色々の場面でお世話になることが多いいのだけれど、行政と保護団体との折り合いのつけ方にいつも立っていて、苦労が多いいと思う。地球博物館の勝山氏は県が行った丹沢の自然環境調査の話をされた。まさに丹沢の開発と、自然保護の、折り合いのつけ方を提示した。基礎データーを採ると言う事は、何かを考える上で一番大切なことだろう。久野でも、学者に科学的な調査をしてもらう。これが、先ず最初に行う事のはずだ。素人の地元の人間や行政職員が歩き回っても、肝心の久野の里地里山の骨格が見えてこない。先ず環境実態の基本調査を、専門の学者に依頼する。その上で、動き出さないといけない。どうしても守らなければ成らないもの、妥協してもいいもの、湧き水の分布、植生の実態。耕作地の実態。人家の分布。人口の推移。業態の変化。文化的な歴史。始める前にやることはいくらでもある。
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山村の消滅

2007-02-20 07:41:23 | 身辺雑記
山あいなどの過疎地域は人口減少や高齢化が進み、今後、全国の2641集落で人が住まない消滅状態となる恐れがあることが19日、市町村を対象に国土交通省が実施したアンケート(昨年4月時点)で分かった。このうち422集落は10年以内に消滅する可能性があるという。1999年実施の前回調査以降、消滅した集落は191。
山間地で集落が消えてゆく。日本人の暮らしが変わってゆく。山間地の暮らしが好きな者として、実に残念な事だ。私の生まれた村は、今は笛吹市になった、山梨県の山間部藤垈というだ。そのの中の一番上の外れにあって、隣の家まで、300メートルぐらいある場所の山寺だ。その寺から先が山。空は、広がっている物でなく、三角形の物だと本当に思っていた、という位だ。そこでの暮らしの楽しさは、自然そのものだ。自然との付き合い方が、全てに楽しかった。どの家も当然の自給自足で、大抵の作物を作っていた。鶏も飼っていて、その世話をしていた事が今につながっていると思う。

よく山間部に行くと、平家の落人だとか、何とか天皇の何がしを貰っている書面があるとか言って、誇りが高い。実は私の祖父がその寺に縁があって入った。当然よそ者で、今の私とそう変わらない心境だったのだと感じる事がある。その誇り高い人達の間で、僧侶として暮してゆくと言う事は、中々大変だったと思うが、檀家から、経済的に自立する事を考えたのだと思う。5人いた子供が、夫々大学に行き、全員が教師を一度はした。私の母は長女で、戦後すぐのころ富士吉田で、教員をしていたらしい。山村での暮らしが出来たのは、自給自足をして、驚くほどつつましく暮していたからだ。たまに空き缶があれば用途が必ずあった。汚れた紙であっても、絶対に捨てなかった。ゴミなど全くなかった。燃料も自給。電球一つを持ち歩いて、必要なところにつけて明るくした。誰もその暮らしを十二分のものと思っていたし、豊かだと思っていた。

久野で里地里山づくりが動き出している。こうして山村が消滅してゆく中、久野がどんな形で残ってゆくことになるのか、想像する。どんな形の農業が生き残れるのか。どの位の人が住むことが適切なのか。ここでの経済活動だけで生きてゆける人は限られている。家族のうち誰かが、勤めに出て、誰かが田畑を守る。どんな作目が作られて、山は、どんな風に守られるのか。一体地域の人達だけで可能なのか。行政がこの段階で、何故、里地里山づくりを提案したのか。提案しておいて、腰が引けているのは何故なのか。市と県の担当者に、どんな形で久野の里地里山を守ろうと言うのか、具体的なストーリーを文章化して見せて欲しい。こうした事をお願いして、もう何週間もたつが、返事がない。行政は展望を持たないまま、漠然と、里地里山づくりを言い出したとしか思えないのだ。

山村が消えてゆく。そこには日本人の原点とも言える暮らしがあった。その意味と価値もしっかりとは確認されないまま、消えてゆこうとしている。それを何らかの方法で、大切にする。そこまではいいにしても、その後は地域の人の、あるいは都市住民のボランティアだとか、善意だとか、そんな物だけで維持しようとすれば、地域の人に負担がかかるだけだ。地域経済のなかで、つまり、税金など使わないで、里地里山が経済的に成立する為には、法的な対応が必要なのだ。地域経済に対するワク組みの改変。これがない限り、方向は見出せない。そのストーリーを書き出すことがない限り、地域の負担だけが残る事になる。
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大磯田んぼ

2007-02-19 06:42:23 | 稲作
二宮の中村さんを中心に、大磯で新しい田んぼのグループが出来る。先日、食と緑の人達が、宮城から冬水田んぼの実践をされている。岩淵氏をお招きして講演会をした。この講演会がすばらしい内容であった事は今も思い出す。特にネパールの暮らしを日本が目指すべきだ。この主眼・主張は重要だ。その時に来ていた、10人ほどの若い人達がいた。感じとして、食と緑の人ではないな、と思えた。何となく受身でない積極性を感じた。30分ほど遅れてきたので、最初のネパールの話が聞けなかったのだ。長い講演が終わってから、なんと、もう一度岩淵氏にその部分を講演してもらったのだ。この厚かましさと、熱心さが、独特だなと思った。東京で環境関係のNPOを立ち上げている、若い人達の仲間だ。私は、せっかくの機会に、冬水田んぼの事で聞いておきたい事が、色々あったのでがっかりして、帰った。

そのとき主催者の岩元さんと、冬水田んぼは関心があるのだがやらしてくれる田んぼがない。でももしかしたら、大磯では湧き水でやれる、すばらしい場所で出来るかもしれないと言う話をした。岩元さんは平塚の人で、八郷の方まで冬水田んぼをやりに行くような人だから、すぐ強い関心を示した。それで、私が帰ってからその青年達に、話したと言う事だ。それで若者達がやる気に成ったのだ。中村さんにその話をすると、早速地主さんに話をしてくれた。地主さんとの話がまとまったと言う連絡があった。今までも20代の人達と、田んぼをやった事はあったが、今回の人達は何か雰囲気が違う。持っている空気感が違う。今度の土曜日には、草刈をすると言う事だ。畦の建て直しもしたいと思う。作業をしながら、少し話が出来るといい。田んぼの話は改まるより、身体を動かしながら、畦でお茶を飲みながら、こういうのがいい。

田んぼのグループの仕組みはそれは様々だ。農の会では人の募集と言う事はしたことがない。しかし、必要な人員は増えてゆく。大きくなる事は、いい面もあるが、組織としては大変になるという面もある。最近はどの活動も、どちらかと言えば、人を集めないようにしている。どうやって、活動に来る人を制限しようかと言う話が出る。20ぐらいある個人田んぼまで含めた、様々な田んぼで、いつも人集めをしている田んぼは決まっている。理由は色々あるが、集まるところは、100人を越えるし、集まらないところは常に足りない。田んぼをやりたいと言う人は、実は幾らでもいる。その田んぼも、本格的なもので、田植え体験とかで、30分ばかり田植えをするようなものでない。有機農家と一緒のような、おもしろい田んぼをやりたいのだ。しかし、日常の水管理も出来ないのだから、そこまでは無理なのだけど、そんな関心がある。

新しい人の関係を求めている。言い過ぎかもしれないが、家族を求めているのかも。田んぼと言う共同作業の中では、夫々の人に夫々の役割がある。子供には子供の、お年寄りにはお年寄りの関わり方がある。住むところも違う。仕事も違う。年代も違う。だから却って、人間らしいかかわりと言うか、普通の暮らしでのかかわりを求める。地域も、子供の学校の関係も、全てを開放して関われるような、楽な関係がなくなった。「ダメでいいじゃん」のテーマコミュニティー。田んぼのグループはその実験をしているのではないだろうか。頑張るのもいい。しかし、その人がそこに居て、サボって昼寝しているのが、みんなの力になるような仲間。出来ることの有り難さが感じあえる。同時にダメな事が許してもらえる仲間。でも、すごいゆるい関係。それに加えて、なんかトレンディーじゃないとダメ。
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春の自給畑

2007-02-18 07:41:48 | 自給
春一番も14日に吹いて、例年より1ヶ月も早く季節が進んでいる。梅はとうに満開だ。農作業も気がせいてきた。最初の種蒔きは終わった。畑には堆肥冬の間に2度入れて、耕した。いつも雨が降るのを待って作業をする。雨の中やるのでなく、雨の前に作業をする。今年はいい間隔で雨が着てくれるので、作業は順調に進む。そのお陰で、田んぼでも畑でも堆肥を随分運ぶ事ができた。堆肥は改めて作るのではなく、養鶏場の床が堆肥小屋のつもりだ。米袋に詰めて、もう一度再醗酵させてから撒く。畑は撒いては、耕し、撒いては耕しと、繰り返しておいた。それでやっと、昨日雨が降る前に種蒔きをした。トウモロコシ、大根、コカブ、キャベツ、ブロッコリー、ニンジン。全体に早い感じだけれど、今年の天候なら、大丈夫だと思って、蒔いてしまった。

土がいい状態なので地温も高い感じがする。ハコベの生え具合を見ていると、多分、いいタイミングだと思う。苗土の醗酵も進めている。充分に醗酵を繰り返した。堆肥に雑草の種のない畑の土を混ぜて、更に醗酵をさせて作る。今日、ハウスでその最後の作業をする。昨年は肥料分が多かったようで、発芽が悪かった。肥料は殆どない状態がいい。でも充分に醗酵させて置く事が大切だと思う。この土で稲も箱播きを何箱かやる。稲の発芽、生育を見ていると土が上手くいったかが良く分かる。稲のほうも10箱ぐらい作ると苗とりが楽になる。10箱なら家の庭でも何とかなるだろう。9家族いるのだから、3箱ぐらい各自が栽培してくると言うのができれば、苗床は要らないと言う事か。

ビワの苗木を9本植える予定だ。以前、山北の家でも枇杷をだいぶ植えた。竹薮跡地の畑の中断を区切るように植える予定だ。枇杷はもちろん果樹を取るというのもあるが、葉をお茶にしたり、アルコール漬けにして、薬として使う。北側と、西側は椿があるので、もう少し足して植える予定だ。10本椿があれば、油の自給になる。南側にはお茶を植えようかと思っている。この辺りでは屋敷の境にお茶を植えたのが、お茶栽培の始まりだそうだ。屋敷周りにお茶を植えて、自家用に使ったらしい。お茶が栽培作物になったのは、それほどの歴史があるわけではないようだ。お茶で区切られた畑が多いいのは、その名残なのかと思う。15メートルのお茶の畝があれば、自家用には充分だ。もうそろそろ、苗木を植える季節になる。

花木としては、「姫コブシ」「四手辛夷(しでこぶし)」が好きだ。舟原にはこの企図してはちょっとない見事な木がある。おととし、その木のひこばえを貰ってきて植えたものが、根付いた。まだ小さな木なので、先が長そうなので、それはそれとして、少し大きな苗も買って来た。最小限の家の前に植える予定だ。家はやはり樹木と組み合わせて丁度いい。昔の日本の家は、柿が似合う。大きな柿の木と、かやぶき屋根の組み合わせの美しさは格別だ。それに較べて、お屋敷の松というのはなんとも好きになれない。大体庭に黒木を植えるという感覚が良く理解できない。庭には落葉樹を植えて、冬には明るく。夏には木陰、と言うのが感じが良い。アトリエにはそのつもりで柿を植えた。今丁度軒の高さまで伸びた。これが、屋根の高さまでのびないかと楽しみにしている。いずれにしても、もう苗木からという時間を待つのでは、結論を見れないことになるだろう。これは山北の家を計画したときと較べると、全く違う感覚だ。
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笹鶏の孵化

2007-02-17 06:27:55 | 自然養鶏
おとといから、笹鶏の孵化が始まった。120個の卵がフランキに入れてあった。一回目の孵化は、純系の赤、白を孵化するので、最も困難。大体農の会を始めたころから、純系の作出を始めたので、年1回の孵化なので、1993年以来の14代目の笹鶏と言う事になる。その前に数年の試行錯誤はあるが、その辺りから意識的に行うようになったと言う事だ。一時、純系の孵化、育雛共に困難になりかかったときがあった。今回の孵化は101羽だ。80%の孵化率だから、いいほうだと思う。特に指曲がりなど起きていない。日本鶏で純系で弱くなると言うのは、特出した形質をのみ重視して選抜する結果であることが示されている。強そうな健康な親鶏を選抜すれば、純系であるから弱いと言う事はない。赤系、白系共に雄鶏を入れ替えて、現在一代交配の種卵を貯めている。今晩フランキに入れることになる。今の調子で行くと、4月中に3回の孵化が終わる事になる。

4月に入ると苗床が始まる。これが大きな試練になる。気持ちがどうしても分散して、事故につながるのだ。それで、つい2回で終わる時も出てくる。今年もどうなるかはその時になってみなければ分からない。田んぼの方が、新しい試みをやるのでなければ、いいのだけれど、直播の方の実験的播種があるので、気持ちの集中が混乱する事になる。そういえば、毎年この間水彩連盟の絵を描く、これは何の問題もない。雛は、コタツ型の育すう施設に入っている。昨夜は一羽も外で寝るヒヨコは居なかった。床が、踏み込み温床になっているので、何処で寝ても暖かいので、つい外で寝てしまうのが居るのだ。それで中央だけ穴を掘り、深く掘り、周囲は堆肥を浅く積んである。すると、今度は中央へ押し合いへし合いになる。そこで中央を小高くする。中でぼた餅の様に寝ているのが一番いい。

昨夜は家畜保健所の人から電話があった。トリインフルエンザで、消毒を強化するというお知らせだった。農水の感染経路調査チームの報告がおとといあった。それによると、今回の感染原因は野鳥の直接の感染ではないとしている。一次的な感染が、渡り鳥であるというのが、周辺に渡り鳥が見受けられるという程度からの推測だから、確定しない方がいい。4つの養鶏場とも、鳥の侵入は考えにくい事、また養鶏場の入り口から感染が広がっているのでない事。そこで、ネズミやゴキブリのようなものが、2次的に感染を広げたとするのが、妥当と言う事のようだ。今回も養鶏場や処理班の人の血液検査はすでにしているのだろうか。どんな結果が出ているのか知りたいものだ。

ネズミやゴキブリが、原因だとすると、周囲を消毒すると言う事が、殆ど意味がないという事だ。農水がそれをあたかも消毒すれば、防げるよう発表しているのはおかしい。農水の本音は「打つ手なし」これが現実だろう。今までは、ウインドレスなら防げるごとき、見解を出していた。ところが、ウインドレスばかりで起きる。最大の防御法は鶏を健康に飼育する事だ。人のインフルエンザでも、誰もが感染するわけではない。お年寄りや、子供が中心だ。健康であれば、同じ条件でも感染しない。あれこれ消毒をする。狭いところに閉じ込める。そうして鶏が弱る。そこにトリインフルエンザのウイルスが来る、簡単に感染が起きる。だから、消毒などより、やるべきことは鶏を健康に飼う事に尽きる。それのほうが、明らかに感染の可能性は下がる。元凶となっている、動物虐待のような飼育法をやめてもらうことが、先決だ。
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田んぼのことなど

2007-02-16 07:08:08 | 稲作
あしがら農の会では、グループで田んぼを行っている。10幾つかあるグループごとに農法も違う、当然工夫も様々。全体のことは誰も知らない。冬水田んぼ、不耕起たんぼ、直播田んぼ様々だ。他所の事は余り口を出さない方が良いに決まっている。しかし、もう少し技術交流はあってもいいのかもしれない。舟原田んぼは、成苗手植え方式の田んぼだ。25アールの田んぼに、9家族が関わる予定。だから、900キロの収穫が目標となる。経費は1万円×9で9万円で押さえたい。地代と農の会の会費で、5万円かかるので、4万円が経費となる。作業は月一回。平均はしないが、12回以内にしたい。草を生やさない事が、絶対条件だ。

種籾は流し水で、1ヶ月浸種する。3月に入ったら始める。それを苗代に蒔く。苗代では蒔いた籾が見えない程度、土をかぶせ、その上から、クン炭なり灰をかける。今年は、竹の灰をかけてみる。スズメに食べられないように網を張る。この網を買い換えるかどうか。トンネルの方がいいという考えもあるが。どうしよう。一週間で発芽する。成長を追うように、水やりする要領で水位の上げ下げを行う。

田植えは5葉期苗を手植えする。稲刈り直後に秋起こしをして、レンゲ蒔いた。寒い間に鶏糞まき2回撒き、新しい田んぼだから、もう一回撒いて、海水も撒きたい。
4月に苗代種蒔き作業が一日、6月に苗取りが一日、田植えが一日。コロガシガ一日という配分になる。
苗はゆっくり2ヶ月をかけて5葉期にする。4月初旬種蒔き。6月初旬田植え。田植えは全く独自に考案してきたやり方でおかしなやり方だ。機械植えより手植えの方が人手さえあれば、総労働量は減ずる。田植え機でやれば、一人以外に作業がない。手植えの方が草が出にくいという意味で、全体の作業量は少なくなる。
今年も直播の実験はしたい。岡戸式直播機で、穴を開けて、手で土をかぶせてみたい。適当な時期にハンマーモアーで草を刈って、どうなるか。一枚だけでもこの方式で継続できれば、おもしろいのだが。

水入れから、田植えまでを短くする。平らな代かき、代かきは手植えが出来る限度まで、浅く行う。田植えの位置決めに、巾4メートルある大クマデで、縦横に線を引く。その交点に苗を1本植える。子供でも作業が手伝えるように、簡単で、分かりやすい工程にする。
植え終わると、すぐに水を入れて、土が見えなくなったらその日のうちに、米ぬかを反100キロ前後撒く。中に入り丁寧に撒く。水は当初から、8センチ以上の深水。だから畦はしっかり高く。1週間は水を外に流さない。その後転がしを入れる。1ヶ月は溶酸素量を増やす事を念頭に水管理を行う。水温は高くなく、減水深は大きく、淀みをなくし、流れ水管理。初期成育は極めて悪いが、コナギも生えにくいような気がする。お米が取れないでも草を生やさない気持ち。

このあと、畦直し作業が必要。しっかり高い物にしたい。どんどん打ち付けて、崩れない物に直す。高低差もそのときに少し直しておく。

溶存酸素量がコナギに対して、どんな結果を残すか。ともかく観察を続けてみたい。
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野生動物被害

2007-02-15 07:43:53 | 自給
小田原では深刻な野生動物被害が続いている。昨年から、何処でも同じようだが、猪が、街中まで出るようになった。10日には酒匂川の河口に鹿が4頭出てきて山に戻すのに大騒ぎだった。小田原市では一人になってしまった環境課の職員がそちらに行っていて、メダカサミットの打ち合わせに出れなかった。酒匂川河口にはどうやって出てきたか、という話になった。箱根の方からでは、小田原の市外を抜けて行かないとならない。どうも曽我山の方、あるいは大磯の方からくるらしい。猪の出没が結構目立ってきているそうだ。二宮辺りはどう通り抜けるのだか分からないが、先日行った運動公園辺りの様子では、放棄された谷戸田に潅木が茂り、生き物の住処としては絶好になっている。案外街場が住みやすいのは、ネオンが恋しい中年飲ん兵だけじゃない。

以前にも書いたが、ツバメの巣が雛もろとも捨てられた事件があったが、ツバメは人家に巣を作ることが、安全だと考えている。タヌキでもハクビシンでも、天井裏や縁の下の方が安全だと考え始めている。山の方に食べ物がないというのも、一概には言えない。主なる原因は犬の放し飼いがなくなったことだと思っている。私が育った、山梨の山村では、何処の家でも猪追いの犬を飼っていた。おじいさんの家には芦安から貰った甲斐犬の襟がいた。夜になれば必ず放した。この犬は活動的で、山中を走り回っていた。この犬のお陰で、猪が出なくなった。みんながそういっていた。隣の芦川の方では、富士の演習のせいで、猪が大挙押し寄せるようになり、こんにゃく以外出来なくなった。だから集落に柵をめぐらし、その中には猪を入れないようにしていた。昔だって野生動物の被害は多かった。但し、専業の猟師さんも結構いた。猟師さんのところの犬の子供を貰い、それを夜になると放すのだから、犬どもは夜には群れになって山を走っていたのだろう。それで、犬の害があったと言う事はまったく聞かなかった。むしろ都会のほうが、野犬の害は問題になっていた。

暮し方が、野生との付き合い方が、もっと巧みだったと思う。最近は田んぼでのスズメの害も、結構目立つ。昔は秋になるとスズメ追いがあった。谷の一番の上部の狭くなったところに、霞網を仕掛ける。3キロほど下の谷の入り口から、「ほーいほーい」と掛け声を上げながら、横一列になり、長い竹竿をもった青年団の人達が、追い上げてゆく、スズメは群れになって徐々に谷の上に上ってゆく、そして一網打尽。そのスズメは甲府の焼き鳥屋が1羽10円で買ってくれるといっていた。今は、霞網は法律違反だ。ミカンだって、柿だって、栗だって採らない家が結構ある。これが色々出没する原因になるのだ。昔は柿が取り残されるなど、考えられなかった。採らないなら、誰かにとってもらわないといけない。

里地里山の暮らしが戻れば、色々解決するはずだ。野生動物を排除するのでなく、上手く折り合いをつけて、暮してゆくのが楽しい。奥が深い。日本の昔話をみれば、タヌキも狐も、河童まで結構上手く付き合っていることが分かる。犬を放す事が、法律で規制され、一見安全になったように見えても、犬との付き合い方が分からない人間が出て来るだけだ。人間が始末が悪いのだが、結局犬の責任にされる。本来犬は人家の周辺にうろつきながら、いい距離で人と関わって、暮らしを形成してきた。そして、犬から人間が学んだ暮し方がたくさんある。犬には犬の役割が明瞭だった。暮し方が崩れて、野生をおかしくしたのは、人間のほうだ。
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久野里地里山発表会

2007-02-14 07:46:45 | 里地里山
3月18日午前10時から、諏訪の原のフラワーガーデンで久野の里地里山作りの発表会が行われる。昨夜、第6回目の勉強会で、詳細を詰めた。全体の里地里山の説明には丹沢ドン会から、片桐氏が講師として来てくれる事になった。当初、里地ネットワークの竹田氏、よこはま里山研究所の吉武氏を行政は提案していたが、久野で行う活動には適合しないので、むしろ活動としては、全国的である。丹沢ドン会が秦野にあるのだから、事情の似ている中での先行事例として、話をお願いした方が良いと言う事になった。里地里山の担い手の中心は、地域の生業として農業を行っている人であることは、間違いがない。先ず、その中心を固める事が、今の段階では重要だと思う。久野では生業に直結する活動を、里地里山作りの活動と位置づけたい。城山の事例の炭焼きだとか、古道の再生とか、言う活動はとかく遊びとか教育とか言う、二の次の事になる思う。こんな活動に、忙しい地域の人が狩り出されるのは、反対だ。

事例報告として、坊所で、長く自然農法をされてきた石綿さんを中心とした活動報告。石綿さんはあしがら農の会の顧問でもある。果樹の有機基準を日本で最初に取得した一人である。5つのグループの農業指導をされている。1、MOA自然農法小田原産地支部。 2、久野小学校学校田 3、CLCA子供と生活文化教会の田んぼ 4、旭丘高校の田んぼ 5、あしがら農の会の田んぼ こうした指導をしながら、有機農業農家を専業としてやられている。もう一人が、舟原で峯自然園を始められた一寸木さん。舟原から、久野川を上流に1キロほど登ったところで、川の自然を生かした。自然園をされている。小田原で最も美しい渓流がある。渓流釣りや、バーベキューで、それは大勢の人が楽しんでいる。

「みんなで花壇を作る、これが里山活動だ」と、昨夜の6回目の勉強会でも配布資料に書いている。それでいて、地域の農業とか、林業については、触れていない。感覚が少しづれている。6回の集まりで、「里地里山を守るのは地域の実業である。」全く同じ発言を繰り替えしている。例えば、諏訪の原には地域林業家、杉山林業がある。森林ボランティアの活動とは比較にもならない実績を上げている。杉山林業さんの活動に対し、きちっとした評価をしていくことが、久野の里地里山活動になる。それは、田中康介さんの茶業も同様だと思っている。お茶畑から、製茶工場まで一貫生産している。こうした活動で、どれだけの茶畑が守られているか。こうした事を地域で、あるいは行政が、きちっと評価しなければいけないと思う。

以上のような考えを、実は県と、市に事前に提出した。必ず返事が欲しいと、付け加えた。昨夜は何らかの話があるかと思ったが、触れられることすらなかった。勉強会では出来るだけ控えていたいと思うので、何も発言しなかったが。ちょっとひどくはないだろうか。正式に意見を出したかかわらず、触れもしないという事は、ルール違反でないだろうか。自分の意見だけが正しいとは思っていない。いろいろの考え方があり、それを自由な話し合いをする中で、合意できるところに進めればいい。ところが、行政が、里地里山をどのように再生しようと考えているのか見えない。これが出て来ない事には、本論に入れない。本論に入らないまま、フラワーガーデンのイベントをしてしまうのは、困る。どうも行政は3月中に一つイベントをやりたいらしい。
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