地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

芸術の力

2011-03-31 04:45:46 | 水彩画

次々に押し寄せる作業をこなしていたら、3月が終わろうとしている。昨日はアンデパンダン展のカヨ子さんの作品の搬出に行った。この間水彩人展も29日に終わった。長い展覧会であった。初日、銀座の一枚の繪の会場で打ち合わせを始めようとした時に、大震災が起きた。17日は会場で制作をした。畑にあった菜の花を持って行き描いた。こういう時に絵を描くということは、どういう意味があるのか少し考えた。絵の力を信じて描いてみた。絵はメッセージである。菜の花の絵は一枚の繪の方で、チャリティーにしてくれるそうだ。確かに絵がいくらかのお金に成るなら、義援金という支援もある。しかし、私の絵が被災者の心に響き、このような時にいくらでも役立てるのかどうかが問題なのだろう。絵の力が問われる。

20代絵を描いてみようと考えたのは、大学の混乱の中であった。あのときも一つの分岐点であった。絵を描くことで世界を変えられないかと思い描き始めた。今でもそう言う気持ちを捨てた訳ではないが、道がはるかに遠いということは認めざる得ない。いったい40年間何をしてきたのか。ある音楽家が、音楽で震災を応援すると言われていた。なるほど偉いものだと思いきや、7回も海外で募金のコンサートをして、義援金を集め送ったというのだ。それでは音楽の力の意味が違う。被災者がその音楽を聞いて、平和な気持ちになったり励まされるかどうかが、音楽の力ではないか。絵が役に立つかどうか。そのことはこの間、水彩人展を開催していて、頭に引っかかリ続けたことだ。見える方は当然少なかった。被災地で開催すればいいのか。そう言うことでもないだろう。絵に出来ること。

被災された方の中に、私の絵と心の通ずる方がいたら、その方の暮らしの中に私の絵が存在してもらいたい。その方が生活の再建をされてゆく過程を、共にしてもらいたい。もしそう言うことが出来たら絵も役立つのではないだろうか。私の大叔父はピカソから直接絵を2枚もらった。困ったらこれを売って絵を続けろと言われたそうだ。しかし、良く考えてみると大叔父はその絵に励まされて絵を生涯続けたのだと思う。広島で2次被爆して、パリから戻ってそれほどの時間は許されなかった。桑原福保(1907−63年)という人である。甲府の武田神社の傍で絵画研究所をやっていた。沢山の子供たちが集まって絵を描いていた。油川の家の長男として生まれたが、絵を描いたために家を出ることになったと聞いていたが、真実は知らない。

絵がどのように役に立つのか。芸術が存在するとすればこうした転換期にこそ意味が無ければならない。大上段に構えてみたところで、私の絵が代わり映えする訳でもない。学生の時にハンドマイクの怒号の中で絵を描いていたことと、爆発しかかる原発を前にして絵を描くことは、繋がっていない訳ではないはずである。黄色い菜花が、どんな絵だったのか気に成るところである。写真の作品は畑とその向こうにある林の絵である。畑が終わり、林に続くあたり。木々が境界を示している。木々の間には不思議な闇がある。この奥は耕作地とは違う世界ですよ。と告げている。人間の手入れの自然界との微妙な駆け引きを感じる。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しい村づくり

2011-03-30 04:24:23 | 地域
関ヶ原の合戦の最中に、関ヶ原の農民は変わらず畑を耕作していた。という話を読んだことがある。被災地の復興事業として、中山間地での暮らしの再編をしたらどうだろうか。現代日本では中山間地の集落が消えて行く。東北地方でも春は近い。人が来てくれることを待ちわびている集落は、いくらでもあるはずだ。この機会に日本再生の村づくりを始める。村全体の移住を支援してゆけば、日本全体の方向性が見えだすはずだ。一人100坪の土地があれば、人間は最低限生きて行ける。都会的な机上の解決策でなく、住民発の日本再生策を提案して行くことだ。大きな機会に立ち会っている。この大災害を日本の新しい転換点にしたい。人間らしい暮らしとは何か。この原点に立ち、日本の国土を見直してみる。人さえいれば、原発などなくても集落の暮らしが続けられる。

新しい村づくりに、不可欠なことは技術である。自給の食糧生産には、1日1時間の労働と100坪の土地。これには自給技術が不可欠なことである。身体を使う技術は、1日1時間のはずが、1日10時間働いても、何も収穫が出来ないこともある。楽しい自給生活に成るか、苦しい暮らしに成るかは、身体が覚える技術である。私の場合は、20年やって最近やっとシャベルより鍬の方が使いやすい作業があることが分かった。今では農家の人すら、身体が忘れかけているかもしれない。トラックタ―より早くて合理的な、手作業もある。脱低酸素化社会とはそう言うことだ。必要な最新技術は大いに取り入れて、自然の循環の中に人間の暮らしを織り込んでゆく。日本列島という地域では循環する社会が、江戸時代に一度は出来あがった。そこに最新の技術を循環の視点から見直し、取り入れる。半分の面積で、倍の食糧生産が出来るはずだ。

視点を変えてみれば、日本の自然に恵まれた国土が見えてくるはずだ。競争を止め、協働を目指す。相手を滅ぼすのでなく、支え合う。そうしたことを観念ではなく、日々の暮らしとして反映させて行く。江戸時代の悪かったことを挙げればきりがない。民主主義が無かった。人権が軽視された。身分制度があった。男尊女卑の封建社会であった。科学的な考え方が不足した。こうした問題点踏まえたうえで、地域社会を再構築させることではないか。ある意味、こうした江戸時代の封建性は、抜けがらとなっていまだ地域を覆っている。これが厭で地域を離れ、都会へ移り住む人が多かった原因のひとつのだろう。能力のある人間から抜けて行く社会は、力を失い空洞化する。おりしもダッシュ村は原発に近い。どうしたのだろうか。都会の消費生活が、都会人の夢の村を一瞬に崩壊させる。都市的論理の崩壊を目の当たりにする。

村づくりにはまずインフラ整備である。「医療、福祉、教育、交通、通信」ネットワークづくりからである。国の責任で、基盤的なところを固める。無駄な箱作りなど全く要らない。実は福島県飯舘村ではそうした新しい村づくりが始まっていたのだ。小田原市の環境再選検討委員会の委員長の小澤さんのブログにそのことは書かれている。新しい村作りが軌道に乗り始めた矢先、汚染の集中する地点に成ってしまった。にもかかわらず、避難指示も自宅待機すら出ていない。皮肉な現実。皮肉と言えば、原発を持っているということは、原子力時限爆弾を抱えているということのようだ。もしテロがあれば、自暴自棄となった国の暴発が、日本の武力による自衛が不可能であることが、誰の目にも明らかになった。平和憲法は原子力の放棄も、意味しているようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

直ちに、想定外

2011-03-29 04:45:34 | Peace Cafe
「直ちに、想定外」管政権と報道各社が作り出した言葉である。責任逃れの巧みな言葉である。実に今の時代を表している。正面から問題にむかい合おうとしない逃げの思想。東電と政府は明らかに初期対応で、ごまかしを行った。そのゴマカシが尾を引き、大事故の重要な初期対応を誤ってしまった。この地震は想定通りのものである。そしてさらに想定されているのは、東海で起こる大地震である。必ず起こるものなのだ。それを政府と東電と報道で、想定外であると刷り込もうとしいる。福島原発は40年の耐用年数を過ぎ、20年も引き延ばす東電のあこぎな利益追求が生み出した想定内の事故と言わざる得ない。安いからこそ原発を選択してきた結果。経済原理主義の恐ろしさ。起きてしまったことはともかく、次に歩み出す必要がある。原発の廃止だ。

福島原発10キロ圏から避難してきた人たちに、NHKがアンケート調査をしていた。「原発は必要であるか。」というものだ。何と52%の人が必要と答えている。これは洗脳の結果なのではないか。正しい判断が出来ないようにされてしまっている。家を失い、以前のような暮らしは出来ない状況である。多分戻れないだろう。何かおかしくないか。原発が絶対的なものでるために、人間の思考を停止させてしまう、信仰でも生まれているのだろうか。「原発の安全神話、放射能は怖くない。」洗脳。そう思い込まない限り、原発を見ながらは暮らせないという気はする。目をそむけているうちに、原発の精神支配が起こる。原発の恩恵、基地の恩恵。お金が人間の精神をむしばみ変えて行く。過疎地であればある程、迷惑施設を地域経済の為にということで受け入れる。その為には地域総ぐるみの洗脳が行われてきた。原発が無ければ資源のない日本は立ちゆかない。米軍の基地が無ければ沖縄の経済は崩壊する。

民主党のある議員は「都会のそばに原発を作った自民党政権に責任がある。」と、発言していた。過疎地域なら切り捨てても問題はない。経済への影響が少なかったということらしい。人間の事など少しも見えていない。これほどひどい政権があるものだろうか。大本営化した報道では原発を止めようという意見は出ない。サンケイでは低炭素化社会への転換をこの事故で止めてはならないとしている。「直ちに」放射能は人体を壊す訳ではない。4年後くらいにがんが発症しはじめる。今日明日に影響が少ないのは、放射能の性格にすぎない。政府や東電が言い逃れで使うのはまだしも、大学の先生が軒並みこういう言葉を使う。御用学者という言葉が出ているが。はっきりと、原発利権学者と見た方がいい。原発のおかげで今の地位を獲得した人たちだ。原発を安全で経済的なエネルギー施設と、間違った学問をでっちあげてしまった人たちだ。反原発では教授に成れないとしたら、どんな学問をしてきたか見える気がする。

「想定外」とはまさに学問の敗北だろう。あの津波や地震が想定できないなら、そもそも地震学者とは言えない。責任をとって国立大学や公共機関は退職してもらいたい。もっと大きなものが最近スマトラであったではないか。想定外でないことが素人にも分かることだ。人間のための科学はどこへ行ったのか。政府や企業の望むところを想定するだけなら学問はいらない。人間は一般に経済を優先して安全を軽視する。そこに科学的なメスを入れるのが、学問の科学の役割である。日本が方角を変える、戦後最大の機会を迎えている。今なら日本は間に合う。充分に間に合う。この大災害を希望につなげることが出来るなら、多くの亡くなられた方々の無念も、少しは慰められることだろう。現代の信仰ともいえる拝金主義を止めること。人間らしい暮らしを深めること。精神の豊かさこそ、安心な暮らしであること。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湘南タッズの状況2

2011-03-28 04:21:43 | 地域
27日日曜日午前中は土振るいの作業を行った。田んぼの苗土である。4号古墳のまごのりさんの圃場の土を頂いた。作業は一日かかるところだったが、昼ごろ雨が降りだしたりして、急遽中止になった。それならということで、急いで湘南タッズまで駆けつけることにした。一緒に居た、岩越さんや山室さんも行ってくれることに成った。収容する犬舎を広げるということで、大工仕事の手伝いがいるということだった。知り合いの大工さんにあちこちお願いしたのだけれど、他の仕事が入っていて、それも春休みの間に終わらせるという仕事で、どうにも動いてもらえる人がいなかった。作業は今日明日にでもすませなければならない。心配しながら出かけてみたら、すでに立派な建物が、出来上がりかかっていた。以前ドックランに成っていた場所に、3連の長屋のようになっていた。

タッズさんの呼びかけで、全国から応援が集まっていた。7人ほど働いていたので、素人が手を出すのも邪魔な状態でもない。補助の仕事があれば、手を貸す程度であったが。最後の頃には少しづつ作業も手伝えた。緊急事態なので、全体のコーディネートが難かしい。有難迷惑すれすれ状態もままあるようです。背景が善意なだけに、管理者が相当に大変だと思うので、手伝いに行く人は配慮を十分行ってください。5時過ぎにドアを残して、完成した。中に全国から送らてきたケージを並べて、立派な犬舎が出来上がった。大きなケージが30くらいは並べられた。出して遊ばせる場所も2か所で来た。「UKC JAPAN」のドックレスキューがこの活動を支えている。出来上がった犬舎も早速掲載されているので、見てもらいたい。犬の世話にも10人ほどが集まりこまめに動いていた。犬の美容師さん達なのか、カットをしたり洗ってあげたりで、充分の世話が出来ていた。

タッズさんたちは、すでに今晩はまた福島に行かれるということで、準備をされていた。福島にまで出かけて手伝うこともかなわないので、行けるときには犬の世話に行きたいと思っている。これからは長期戦に成るだろう。救助した犬たちが落ち着いてくれるまでが一仕事である。飼い主と引き離されて、心配でたまらない犬たちをどのようにケアーして行くか。静かで暖かい環境を作り出さないとならない。被爆した犬たちは、獣医さんに診察してもらった上で、連れてきて別の隔離された部屋に入れてある。健康には全く問題ない状態。この活動にはすでに様々な中傷があるらしいです。何も動こうとしない人たちは、動いている人たちにやっかみ半分で、理屈をこねまわし、水を差します。常に犬ねこレスキューにはそうした人たちが付きまといます。デマに惑わされないようにして下さい。UKCの社団法人としての信用の基に動いています。

タッズさんに伺った方針をお伝えしておきます、「こうして犬舎も出来たので、一時預かりはもうしばらく見合わせる。」ということです。沢山の申し出くださった方には待機していて下さい。犬たちの状況が安定するまで待って下さい。そして、犬たちの状況が落ち着いたならば、飼い主さんとタッズさんと一時預かりして下さる方と、十二分に意思疎通をした上で、タッズのスタッフが届けるとことを基本にするそうです。普通のレスキューと今回は違います。便利な犬の斡旋と考えるような人には、絶対に犬のお渡しは出来ない。被災された飼い主さんには犬が命綱のようなものです。それをお預かりするという重要な役割なので、やたらな方にお願いはできないと言われていました。何千、もしかしたら何万の犬が被災した訳です。出来る限りのことをしたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暮らし術

2011-03-28 04:13:27 | 
農家に教わる「暮らし術」――買わない 捨てない 自分で作る――農文協から出た最新の本である。これはまるで自給自足のバイブルのような本だ。暮らしのだいたいの所が網羅されている。これで自給生活が出来る。とまでは言え無いが、楽しくなること請け合いである。実は私の鶏の飼い方が、取り上げられている。だからという訳ではないが、とてもいい本である。生ごみ堆肥から(3種類もある)土間の作り方まで、農の会の教則本のようなものである。これから農の会に来た人には、必ず読んでもらうようにしよう。暮らしを知っていた農家も、急速に消えていっている。50年前は当たり前に農家のおじさんたちが協力して、土間を作っていた。釜戸も作っていた。屋根も葺いていた。ほとんどの道具は自給していた。ある時様々な貴重な技術が一気に消えていった。気がついた時にはほとんどの暮らしの技術が消えていた。

鶏の飼い方について言えば、農家の鶏の飼い方は前近代的なものとして、駄目なものに位置付けられた。世界で最も優れた飼育法だったにもかかわらず。あっさりと日本鶏の飼い方が、消え去った。犬のえさがドックフードに成ったように、鶏の餌は配合飼料に変わっていった。変わるのはまだしも、以前の餌の作り方は、どんどん消えていった。お風呂の作り方がある。ドラム缶風呂も、本格的な五右衛門風呂もある。こういう工夫自体が暮らしの面白さだと思う。使う必要性もあるのだが、作ること自体が楽しくなる。食べ物を作ることと同じだ。お米を作るのは、労働ではあるが、楽しみでもある。何故楽しいかと言えば、人に管理された、監視された労働者の労働ではないからだ。自分の暮らしに必要であるから働く、この労働は時間当たりいくらで労働を売る訳ではない。この違いが大切なところである。暮らしとはそもそもそういうもので、狩猟民が狩猟をすることは暮らしの一要素であり、基本的労働ともいえるが、それは楽しみそのものでもある。

この本に出て来る暮らし術は、その術の全貌から言えば、ほんの一部である。「竹で作るハウス。」何とも面白い発想である。竹の暮らしでの利用は本当に失われてしまった。竹ほど使い道のある材料はない、竹を使った暮らし術という本があっても良い位だ。そうやって日本人は暮らして来た事が分かる。伝統工芸と言われるものの中でも、竹を材料にしたものがかなりある。茶道の道具など極限と言える竹利用だ。今や竹は迷惑な植物の筆頭に成っている。つい50年前までは屋敷周りの一角に竹藪というのは、当たり前の配置であった。そう地震の時は逃げ込むことに成っていた。あの素晴らしい繁殖力が、仇に成って目の敵である。現代農業でもどうやって竹を退治するかの暮らし術が取り上げられている。

ここにある暮らし術は現代農業の記者が歩き回って集めたものがもとだ。農文協は入社すると、どの社員もまず農家回りをするらしい。これで退社する人も結構いると聞いている。農家のおやじやかあーちゃんと気心知れないで、農文協はないという不思議な出版社らしい。多分農家を回っていれば、それまでのバーチャルの世界が、一変するはずである。農家がすでに見えなくなリ始めている。舟原という農村のはずの場所に暮らしていて、いわゆる農家だなというような家は、無くなってしまった。農家は工夫する。工夫を楽しんで暮らして来た。こうやった方が良いよ、というちょっとしたことに満ちている。そのちょっとしたものを見つける目が無くなって行く。この本は楽しい。読みながらぜひその工夫の山に分け入ってもらいたい。そしていつの日か、農家になれるかもしれない夢を見てほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の行方

2011-03-27 04:32:23 | Peace Cafe
日本は全く大丈夫である。つくづく鈍感力である。親しい2家族が海外に一時避難するという。全く、そんな必要を感じない。原発の爆発が怖いとか、放射能が不安だとか言うが、大したことではない。いままでもあったりすくだ。今でも小田原であれば浜岡の原発のリスクの方が大きいと想定する。日本にとっては大きな転換点を迎えたと言える。この機会を生かせるかどうかである。日本の行方は暮らしを変えられるかどうかにかかっている。さすがに今まで、0,3%の人しか気づいていなかったことを、このたびにことで、一ケタ上がり、3%ぐらいの人たちは気付いたと思う。もう一息である。2,3カ月は何も決断できない政府に付き合って、「冷却だ冷却だ。通電通電だ。」と一喜一憂させられるのであろう。放射能の汚染もそこそこするだろう。しかし大したことはない。気おつければすむ程度のことだ。日本人の平均寿命は幾らか下がるだろう。それでもまだ長寿国である。

安全は比較である。絶対の安全などない。慣れているから車に乗れる。車に乗っている時のリスクの方が、自宅退避よりリスクは高い。安全の原理主義者に成ってはならない。絶対の安全などありえない。生まれて死ぬまでの間の過ごし方だ。必ず死ぬのである。それを受け入れられない現代人。死というものに直面できない。死は常に身近にある。その上で、命のある時を十二分に、生きる。鈍感力である。17日の事故を聞いた時、我が家では種を買いに行った。種さえ確保しておけば、ひとまず安心という訳である。小田原のレベルの放射能汚染は何の心配もいらない。人体への影響は直ちにも、永遠にも無い。そもそも地球は放射能に汚染されているのだ。地域によっては、福島県レベルで暮らしている地域すらある。海外に逃げたところで、リスクが減るとは限らない。政府は信頼できないが、科学的データーは信用していい。各種組織が出しているデーターを比較しても、徐々に落ち着いてきている。

この日本をあきらめる訳にはいかないではないか。小田原での土壌汚染も、全く心配の範囲ではない。どうにもならないことは受け入れること。受け入れて、浜岡原発の廃止を要求する。次には日本のエネルギーそのものをより安全なものに移行して行く。さすがに、政府も想定外を、想定に入れるだろう。世界もそうした要求をするだろう。そうなれば原子力を安いなど言えなくなる。拝金主義日本だから、それ以外の要因で、原発を止める気にはなれないだろう。今回起きたことの経済的事実を直視させることである。福島の避難所でのアンケート調査ですら、半分の人が原発は必要としている。それだけ経済的恩恵を受けてきたという。土地を追われるようなことに成ってすら、東電の恩恵や雇用を有難いと考えている。

日本は江戸時代に戻ることである。豊かな文化の国に成ることである。人間の幸福とは何か。生きるということをどれだけ深く味わうことが出来るかだと思っている。鈍感である方が、腰を据えて深く潜り込むことが出来るのかもしれない。今気がついて、原発を廃止すれば、日本の国土は全くこの程度でどうに成るものでもない。大切なことは、この事故で気が付く日本人がどれだけ増えるかである。もし10%になれば、大丈夫である。必ず変わる。日本は立ち直る。敗戦以来の貧困から、経済以外見えなくなってしまった日本人。その行き着く先はやはりこういうことだった。この経済だけの道の先に、心豊かな世界が待っているはずはなかった。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸学

2011-03-26 04:14:13 | 自給
チャボやら、金魚が子供のころから好きだった。凝るという言葉がぴったりの趣味である。当時本屋さんで、こうした本を見つけると、必ず趣味と実益という副題がついていた。江戸時代は趣味に後ろめたさはなかったが、戦後の経済に傾斜した社会では、実益という副題が無ければ売れなかったのだろう。チャボで養鶏をするなどという本まであった。加藤孫後という著者名だったと思うが。さすがに金魚で養魚というのは無いだろう。子供が江戸趣味というのでは、相当に顰蹙をかいそうだが、我が家では何故か奨励された。父は大正時代の子供時代はブルドックのブリーダーを目指したようだ。困った血筋というものだ。チャボを初めて分かったことは、江戸時代の方が上だということである。昭和にはいない良いチャボがいた。赤笹のチャボが好きだったが、そんなチャボは見つからなかった。何故、貧困な封建社会に、すごいチャボがいたのか。

この不思議から始まった。金魚のランチュウは津軽ランチュウというものがあったらしい。江戸とは別系統でそういうものがあった。津軽の華族さんが皇室にお嫁入りする時、多分新聞でそういう話を読んだ。そんなことにしか興味が無かったということだ。江戸幕府に秘蔵のランチュウを献上したのと、津軽の御姫様とを結び付けた話があったのだろう。何故、百姓一揆の餓えに苦しむ東北でランチュウか。ランチュウを飼うのはなかなか難しい。ましていいランチュウはめったに出ない。当時、小国鶏を飼っていたのだが、これも尾に刺しがはいらないで、脚が黄足というものは難しかった。結局は凝りに凝った秘伝がある訳だ。生涯ランチュウに没頭して、ボウフラを探しあるいて終わった人が、ランチュウの作出者となっていた。何故そういう一生が送れたのかが分からなかった。学校で勉強などしないで、文鳥をもっと飼いたかった。ああ江戸時代に行きたいと思う子供だった。

結局回りまわって、30代後半に成って山北の山暮しに成った。出来ないはずの自給暮しを始めた。これが、意外に簡単だった。そこから江戸時代の循環型社会のことが、一気に分かってきた。田中優子氏と石川英輔氏は江戸時代の暮らしを例えば和服を着て暮らしてみる。こういうことをしている。私の場合は江戸時代のお百姓と同じようにしてみたら、江戸時代は楽だったという驚きだ。ここに何か嘘がある。自給というのは、100坪の土地と、1日1時間の労働で可能だ。何かが違う税金か。江戸時代の税の方が、実は今より安いという説も見受ける。どうも江戸のインフラ整備は銀輸出にあったらしい。家康の思想はなかなかのものだったらしい。花田清輝氏の「前近代的なものを否定的媒介にして、近代の超克する。」江戸時代を否定したのは明治政府の政策であるということに気付いた。家康のタヌキおやじである。

江戸の循環型思想は、発展というものを拒絶する。今ある自分と向き合う。自己たる存在は何か。生きて死ぬ哲学としての人間に向き合う。ランチュウの向こうにあった自分というもの気が付く。何故これほどチャボ三昧に暮らしたかったのかが、少しづつ身体が切り開いてくれた。ボウフラの代わりにミミズの養殖までやってみる。ミミズを鶏に与えると病気に成る。緑餌を取りに与えると病気に成る。薬で予防しなければ病気に成る。という、近代養鶏のおかしさに気づく。近代養鶏はチャボを作れない。尾長鶏を作れない。文化を失ってしまった近代社会。経済に追われる社会の見直しには、江戸時代の見直し以外ない。それは日本一国のことで無く、人類の生存に相応しいあり方。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緑のカーテンの作り方

2011-03-25 04:20:17 | 自給
この夏は暑くなりそうだ。冷房なしで暮らせるようにしなければならない。自給生活としては、夏場家を緑で覆うことである。急に屋根緑化と言っても難しいので、緑のカーテンを作るのはどうだろう。昔なら「すだれに朝顔」の夏の風物詩である。植物は水分を沢山蒸散しているので、夏の夕暮れなど、葉っぱに内水などしてやると、涼しくなること請け合いである。種をまくなら今がちょうどいい時期である。窓辺は朝顔か、夕顔で毎年覆っているのだが、今年はもう少し屋根まで登るような植物が良いと考えている。かぼちゃが一番である。肥料さえやれば、2階建の家でも一年で完全に覆えるほどの勢いがある。子供の頃、仮設した小屋に住んだことがある。大きな穴を掘って、急ごしらえのトイレを作った。トイレを埋めた後にかぼちゃの種を蒔いた。それが延びること伸びること、夏には家を完全に覆っていた。それ以来、夏の屋根にはかぼちゃだと考えて、舟原でも何度も試みて成功している。

まず、かぼちゃは苗で作った方がいい。今どき3月から4月種を蒔く。かぼちゃは食べようなどと思わないで、いや、食べてもいいのだが、美味しいのを食べようなどとは思わないで、ぐんぐん茂らせること。草勢が旺盛とあるものを選んだ方がいい。窒素肥料を出来るだけ多めに入れる。入れ過ぎかと思うほど入れても、かぼちゃは平気で大きくなる。堆肥の中からかぼちゃは発芽するほど、肥料分に強い。苗づくりは3月に入ればすぐ種を蒔いてもいい。暖かいところで管理することである。種をまいたら、同時に植える予定の所に出来れば60センチ深さも60センチ以上の大きな穴をあけて、鶏糞たい肥を20キロ入れて、土となじませておく。一間に1本植えれば大丈夫である。一本で1軒を覆ったこともあるが、2,3本植えた方が確かである。

場所は日当たりの良いところがもちろんいいが、それほど日照が無い場所でも、日当たりを目指してぐんぐん伸びて行く。苗の本葉が出てきたら、いつでも地面に植えていいが、暖かくなるまで苗場で管理した方が、安心である。植えこんだら、竹の棒を家の屋根まで伸ばす。そしてかぼちゃの生育に合わせて、紐で結わえてやる。風で折れてしまうのがかぼちゃの一番の欠点だ。屋根まで登る頃には、枝分かれもしているので、上手く窓を覆うように誘導してやるのが良い。屋根にはネットを張れば安定して伸びる。台風に備えて、あちこちを止めてやれば親切である。そのうちあちこちで実もなりだすだろう。10センチほどになったら、紐で支えをしてやる方がいい。余りいじると駄目になるので気おつけて触ること。指をさすと落ちると言って子供の頃、おばあさんから怒られたものである。

かぼちゃでは少々風情が無いという人は、ひょうたんやへちまも丈夫で緑のカーテンにはうってつけだ。趣味と実益を重視する人なら、トマトやキュウリ、最近ではゴーヤなど、よく見かける。ベランダでやるなら、プランターで十分に出来る。そんなものもないというなら、厚手のビニール袋に段ボールコンポスト堆肥を入れて、そこで管理すれば、一銭もかからず食の自給体験が出来る。夏野菜の花は、それなりにいいものである。茄子の花など色合いが深い。充分に管理をすれば、窓を覆うぐらいのことは出来るはずだ。窓辺にプランターを置いて置き、今の時期はサヤエンドウ。この後はトマトというのが、最近の我が家のやり方であるが、かぼちゃをさらに加えてみる。今年の暑い夏が今から待ち遠しくなる。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湘南タッズの状況報告

2011-03-24 05:57:58 | 地域
昨日はタッズさんは福島第一原発の10キロ圏の5頭を、飼い主さんと保護に行くと言われていたが、どうされたであろうか。現在7名と車3台で原発周辺の引き取りを行っている。湘南タッズは寒川にある。とても分かりやすいところだ。寒川の駅の脇を通る、45号線を北に向かって、2キロほど行ったところである。そこに分かりやすい表示があるので、すぐ分かる。犬の一時預かりは始まっている。東北から特に福島から、現在30頭ほどが連れてこられている。そしてすでに一時預かりに10数頭が各家庭に移った。一時預かりを希望する人は、直接引き取る体制で、湘南タッズに出掛けて可能な条件を伝え、充分混乱の内容にお願いします。責任者は上杉さんと言われます。ボランティアも入れ替わり立ち替わりなので、情報の確認をしっかりして下さい。緊急時の為、誤解が生じて活動を非難する人が出ています。飼い主さんと、タッズさんと、引き受け手と、充分に確認の上で一時預かりをお願いします。

昨日の状況では、湘南タッズの責任者の上杉さんが灯油を持ってきてもらえればと言われていた。当面のケージや犬の餌は足りてきていると思われます。1、必要な人員は届けられた荷物の整理。一日中何かしらあります。2、仮設の小屋を作る作業。すでに一棟は建てられているが、さらに必要になると思われる。大工技術のある人が居て欲しい。3、犬の世話をしてくれる人がいたら、有難い状況だと思う。協力に行かれるのは大いに有難いことだが、上杉さんの邪魔にならないように配慮した協力が必要。4、放射能汚染をした犬を別に飼わなければならないということで、現在家を作りなおしていた。この造作作業が必要。結局失礼なようではあるが、現金が必要であろう。タッズさんの所で募金活動も行っている。

小田原でのいくつかの組織個人に協力のお願いをした。皆さん犬や猫の事には何とかしてあげたいという思いに溢れているので、何とかなりそうである。基本は笹村が間に入ることで、混乱が起こる可能性がある。すべては上杉さんと直接充分話し合った上で、各人の責任で進めてもらえるようにお願いした。現段階では湘南タッズで収容できる範囲である。将来的には京都の方にも連れて行くと思われるので、一時預かりについてはそう緊急ではないと個人的な判断をした。必要な時には笹村に連絡を入れてもらうことにした。一時預かりが緊急に必要になったら、このブログでも掲載する。

この活動に疑問を出す人もいるが、私はタッズさんと面識があり、人間的な信頼で動いている。間接的な情報だけでは、不安は当然あろう。犬・猫レスキューの世界は、ある意味クレーマータイプの人もいる。ストーカー行為も頻繁に起こる。ともかく、情報だけで判断しないこと。上杉さんに会い、タッズさんに会い、その人間を見極めることである。タッズさんはブリーダーである。しかし、いわゆるブリーダーではない。私が犬を譲ってほしいと話した時、顔を見ない人間にはお分け出来ない、京都まで来る気持ちが無いようでは、駄目だと言われた。ピットブルという誤解された不幸な犬種を救おうとブリーダーを始めた方だ。その純粋な気持ちは、その後の保護活動に自然につながった。今はこれ以上書く余裕もないが、自己責任でそれぞれが動いて欲しいと思います。今後この活動で何かあれば、笹村はその責任を担います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発設計は想定が悪かった。

2011-03-23 04:56:15 | Peace Cafe
原発設計は想定が悪かった。政府の原子力安全委員会の班目春樹委員長の22日の参院予算委員会における、東日本巨大地震による東京電力福島第一原子力発電所の事故に関しての発言である。読売新聞によると、班目氏は2007年2月の中部電力浜岡原発運転差し止め訴訟の静岡地裁での証人尋問で、非常用発電機や制御棒など重要機器が複数同時に機能喪失することまで想定していない理由を問われ、「割り切った考え。すべてを考慮すると設計ができなくなる」と述べていた。福島氏はこの証言を取り上げ、「割り切った結果が今回の事故につながった」として謝罪を求めた。班目氏は「割り切り方が正しくなかったということも十分反省している。原子力安全委員会は原子力安全、規制行政に意見を言う所だが、抜本的な見直しがなされなければならないと感じている」と語った。国は放射能拡散予測のシステムを持っているが、その生データーが出ると誤解を呼ぶとして、公表していない。

政府の原子力安全委員会が、安全の為でなく、原発推進のための組織であったことが明確になった。原子力安全委員会は国単位のものではだめだ。各国が国益を重視して、安全をないがしろにしている可能性がある。IAEAのような組織の中に、中立公正な安全委員会を設け、世界中の原発を徹底監視しなければならない。現在ではアメリカの原子力安全委員化は機能しているらしい。IAEAの元報道官の方によると、日本に原発の危険性に対し、1996年の段階から問題点を厳しく指摘したそうだ。所が全く東電は取り合わなかったそうだ。同じく2006年に国会で共産党議員もこの問題を取り上げたが、なにも改善されなかった。誰も気づいていなかった訳ではない。この自然災害を想定し、対応が不十分であることは、アメリカの専門家からも指摘されていたのだ。アメリカ政府の対応が最初から不信感を伴って居るのは、この背景があるからだろう。

日本政府の安全に対する考えは、あくまで格安のエネルギーとしての原子力発電である。テレビコマーシャルでもそのようなものがあった気がする。原子力は廃棄物の処理保存費用、原子炉そのものの廃棄費用。そしていったん事故が起きた時の国土の再生の費用。すべてに極めて割高なエネルギーだ。日本の年金と一緒で、将来のことを全く無視して進められてきたものなのだ。行き詰まって困るのは、次の世代の人たちだ。我々世代はその恩恵を謳歌した。その後始末を次世代にすべて残してゆこうとしている。日本の経済優先の思想はまさにその日暮らしだ。確かに、安全を軽視し、後始末をないがしろにして、じこがおきたらごまかしてしまう。これなら原発は安いエネルギーを生み出す。例えば、30キロ圏内の土地が使えなくなって、東京電力がすべてを買い上げるとしたら、どのくらいの費用がかかるか。こうしたもろもろすべてが電気代に上乗せされることになる。間違った道を歩んでしまった。

せめて、まだ戻れる。浜岡原発は想定の上でも、福島より危険度の高い施設である。テレビ報道では早速にも、浜岡原発が津波にもどれほど安全な施設であるか、まやかしの提灯記事を流した。報道は批判精神をほとんど失っている。「直ちに人体に影響はないので、安心して下さい。」戦時中の大本営発表と何も変わらない。灰色一色ではないか。すべての色があり、判断するのは当事者たる受けてである。安全基準を作るということは、それ以上は人体にいずれ影響があるからである。「将来人体に影響がある恐れがあるので、注意してください。」これが正確な報道が伝える表現であろう。屋内待機の30キロ圏内の避難所では、チェルノブイリ基金の医師の方によると、お年寄りが大半だそうだ。普通の判断である。細胞分裂の活発な子供たちんが、身体の小さな子供たちが、影響が強いと考えるだろう。リスクを報道せず、パニックを起こさないという発想は、間違っている。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食品の放射能汚染

2011-03-22 04:44:12 | Peace Cafe
神奈川県の野菜を食べても大丈夫である。政府の群馬の野菜まで出荷自粛をした、間違った情報発信による不安の増幅。これまで日本では、輸入食品の検査だけで、食品の放射能汚染を規制する基準を設けていなかった。原発事故を想定していなかった証拠である。今回、国際基準で測定したところ、基準値を超えている。これは放射性物質を測定している。放射線量を計っているのでない。この点人体の影響という意味では、かなり実際的なものと言える。今回のような事故が無いにしても、放射能基準値を越えてしまう食品はあるはずである。今まで輸入食品以外、やら無かったこと自体が、原子力行政の抜け穴だった。今の段階では魚貝類についはやっていない。福島原発の周辺の海水汚染の測定では、放水口で126倍の放射性物質が測定された。そく、魚介類は食べない人が出るはずである。用心深いのは良いが、非科学的な行動は意味が無い。

仲間からのメールである。

「宅配をしている皆様」
夏野菜・田んぼの準備で忙しくしている所だと思いますが、今も続く余震、福島原発事故について私たちが考えていることを聞いて下さい。

政府は今の所、原発事故の放射能は微量でただちに健康には問題ないと発表していますが、もし影響を受けるとすれば小さな子供たち、妊婦や胎児が一番危ないとされています。私たちも(二人のお子さん)の事が心配です。

どこかに避難しようか考えましたが、今畑を離れてしまうと、夏野菜の準備はできないし、田んぼも田起こし、種まきできなければ一年間米作りができません。

原発の問題がこれから先がどうなるのかがわからないので、どのくらいの期間なのか何とも言えない状況なので困ります。今も色々悩みつつ、それでも実家に一時疎開しようかなと考えています。
まだお客さんにも何も言ってないし、ご迷惑をおかけするのは承知ですがしばらく宅配をお休みしようかなと思っています。
とりあえず今週は配達するつもりですが、来週以降まだ畑にある野菜などの件でみなさんに相談したいです。

何か意見、良い考えなどあったら連絡下さい。

何ともつらい。頑張って農家をやって来た彼らを見てきただけに。こんな理不尽なことはない。何も出来なかった、私自身の責任を感じざる得ない。神奈川の野菜の放射性物質の測定はまだやっていない。心配な農家は農協に相談しろとは驚きである。国の基準である。自分が食べるものとしては、汚染していようがいまいが。この土地で出来たものを食べるしかない。受け入れるしかない。逃げ出すわけにも行かない。放射能という見えない恐怖から、悪い方へ悪い方へ考えてしまう人がいる。きちっとした情報を捉え。揺るがないことである。政府の発信するデーターに、信頼性が薄い点は問題だ。では政府発表以外で無いかと探すと、横須賀基地の原子力空母のチェックがある。このデーターを国のものと比較すると、ある程度の安心がある。神奈川県の衛生研究所の日常のデーターは興味深い。放射能の濃淡は日常的に相当にあるもののようだ。事故に備え、こういう作業は重要である。

調査した野菜や牛乳の一部から検出された。神奈川の水道水から出た。厚木米軍基地では室内待機。慌ててはならない。数値的には大したことではない。こういうことを書くのは、まだ諦めていないからである。たとえ原発がコンクリートで埋められ、日本の国土が汚れてしまったとしても、気がついて道を引き返すことになれば、十分に間に合う。こういう分岐点で、一人ひとりがどんな行動をとるか、あるいは取れないか、そのことだけは確認し、見届けたいと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人の再生の為に

2011-03-21 04:16:29 | Peace Cafe
日本が未曾有の災害に見舞われた。福島原発の大事故によって、復興の足がかりさえ見出しにくい状況に落ち込んでいる。これほどの事故が起きたにもかかわらず、原子力発電の是非を問う声が弱い。浜岡原発では、近隣自治体の理解に時間をかけるなどと、この事態を見ながらも怖ろしい判断を示している。今回の事故は、今後幸運が続いて、一応の収束が出来たとしても、放射線物質による汚染が残り、末代まで大きな障害を残す事に成るだろう。この機会に、原子力利用の国民投票を行うべきではないだろうか。それでも原子力を選ぶとしたときに、日本人をあきらめることにしたい。多分政府と産業界は相変わらず、原子力にしがみつくと、思われるからだ。この事故の対応も見ても、幸運を期待して対応をしていることが良く分かる。もしかしたらうまく行くかもしれない。の連続である。効果が出ない場合の次の手段を、用意しておくことが出来ないようだ。

あえて日本人の未来を考えてみたい。日本という地域にはこれと言って資源があった訳ではない。日本人が勤勉に働けて、感受性が豊かで、手先が器用であった。この地にわたり住んだ種族が、この地で獲得した能力が日本という国を形成した。これが日本が戦後の復興が出来た主たる要素である。ただし、その復興の方角が、経済の価値にだけ向かってしまった失敗が、今現われている。今から50年前の小学校では、資源はないが豊かな変化のある自然環境があり、そこに暮らす人間が日本の可能性だと、普通に教えられていた。この日本列島に暮らす日本人は、どのようにして生まれたかである。それは農業を行う人としてである。この民族は農業によって培われ、出来上がった。特に稲作農業である。それは、稲作を20年ほどやってみれば身体で分かることである。例えば私の絵はその分かってきたことが現われたものだ。特別のものではないし、当たり前のことだ。

日本人の危機は、暮らしを失ってきたことにある。草花を育てられない人がいる。その人にかかるとシャボテンすら枯れてしまう。日常の暮らしが無い人である。日々の暮らしをしていないうちに、植物の様子を判断する能力を失ってしまう。それは農業にかかわってみると、じつに大切な要素だということが分かる。何千年稲作を行ってきた日本人は、明日の日和見をし、月の運行を眺め。風の色を感じる人間に成らざる得なかった。皮膚感覚で、すべてを読むような微妙な繊細な感性を育てた。日本の芸術文化は農業者独特の世界を深めたものと言える。武士道とか、日本精神とか、一段上のような意識が間違えのもとであった。百姓の文化が武士道の根本にあるということだ。禅の思想をいくらか学んだが、まさに農業者なら、改めて宗教観と言わないでもすませるような、身近な考え方である。土と水にかかわる生き物すべての話である。

水土である。水を管理するためには、人と人のかかわりが生まれる。その管理技術の高さは、不可欠であり、絶対的な土木技術であったはずだ。多くを中国、朝鮮から学んだはずである。技術は権力を産みながら、水路を引き、集落を形成して行ったことだろう。その水をめぐる、争いごとと、その調整して行く能力こそが、日本人の人間のかかわりを形成してきた。それは一言に封建的と言っていい、暗い、重い、不愉快な世界でもあると同時に、社会を形成する日本人である。これを捨て去ろうとしてきたのが、明治維新以来の庶民の思いであったのかもしれない。あの不愉快さを捨てたことは良かったのだが、それに伴って存在した「父の力・母の力・ご先祖様のお陰」とでも呼ぶべきものを失った。日本人が稲作を神にささげた意味をもう一度、否定的媒介としなければならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ペットの緊急救助

2011-03-20 04:17:57 | Peace Cafe


京都のタッズ
さんが、ペットの救出のために東北に入った。避難所にペットを連れては入れないというので、ペットを見殺しにしなければならない。保健所に任せろといわれたという。居ても立っても居られないということになった。素早くタッズさんは行動した。まずは、寒川町の湘南タッズに犬を一時的に送るという。昨日16頭が送られてきた。昨日午後手伝いと思って出掛けた。ガソリンを節約したいが、これだけは外せないと思ってあえて出かけた。着くと物資がどんどん届いているところだった。ざっと見たところ、ケージだけで、50ぐらいは準備されていた。さすがタッズファミリーの行動力である。タッズファミリーはタッズさんと信頼でつながっている仲間だ。餌の袋もいくつも届けられていた。犬の引き受けに来ていた若い二人やその他スタッフが3名。そしてタッズ湘南の若い御主人。きびきびと活動されている姿が頼もしい限りである。この後100匹単位で来ることに成るらしい。明日こちらに運ばれてくる犬たちがいるといわれていた。

一頭丸顔の可愛らしいラブラドルがいた。毛色が独特なところが実に愛らしい。大きな雄である。良く見ると左前足が怪我をしている。足先から10センチくらいのところが腫れて皮膚が、剥けた所がある。痛たがっている訳ではないので、骨に異常はないのだろう。崩れてきた家に挟まれてのけがなのだそうだ。飼い主はその場で家に押しつぶされ亡くなられたそうだ。その怪我かと思うと、東北の被災地のことが、急に距離が近づいて、胸が熱くなる。すぐ連れてか行ってやりたくなったが、タッズさんに連絡を取ると、いろいろ条件があるらしく、整理がつくのを待った方が良さそうだった。若い二人はビーグルを連れて帰ると言われていた。里親に成るのか、一時預かりをするのか。

原発の立ち退き地域で起きていることである。犬を置いて行って下さい。出来ないなら、保健所に引き取ってもらってください。殺しなさいということである。もし、私が同じ立場なら、避難所に犬や猫や鶏を置きざりにして移れるだろうか。それは出来ないし、したくもない。迷惑であろうがその場に止まる。原発を阻止できないでいることを悔んで、諦める。大昔、犬の病気で入試をふいにしたことがある。犬ごとに気を取られてどうする、そのように祖父に言われた。禅宗の僧侶であったから、そう考えたのだろう。犬を見捨てるような立派さならいらない。駄目で良いよ。そう思った。犬と猫と鶏と共に暮らすということは、助け合って暮らしているということである。犠牲に出来るようなものではない。

当面は寒川の湘南タッズで、犬たちの世話のお手伝いがある。協力できる方にはぜひお願いをしたい。その後には、里親の募集。一時預かりがあるだろう。半年一時預かりしてください。もし、半年経っても引き取り手が無い場合は、笹村の責任で引き受けます。ともかく緊急的なことでもある。出来る限りの協力をしたいと考えている。タッズさんへの信頼である。タッズさんのされることに協力したいという気持である。小田原市でも行政の対応が昨日から始まった。被災者への救援物資の受け付けは市役所。アリーナへの1000人規模受入れ。食事は各自でやってもらうというようなことらしいが、それは無理だろう。小田原市民が協力して、支援体制を作り出そう。昨日から何度も、報徳記念館のキャンセルの電話が入っている。こちらも動いていて、対応できなかった。こんなことメール一本で済むのに。多分キャンセルの通知だけで、何人もの職員が一日潰してしまったのだろう。すでにキャンセルを了承して連絡している。現場は混乱する。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自給の暮らし

2011-03-19 04:35:01 | 自給
こうして大災害が起きて見ると、自給の暮らしが良いことが分かる。都会ではスーパーからお米が消えているという。確かに、食べ物を買うしかない暮らしでは、無いとなれば大変なことに成る。普段お米などめったに食べない、外食派もともかく買っておこうということだろう。この一人のともかくが起こると、何でも忽ち無くなる。海草が放射能汚染に良いとなれば、慌てて食べることなることだろう。日常少しづつ食べていることが大切であって、急に食べだすのもどうかと思う。これからの時代、「地場・旬・自給」だと考えたのは20年ほど前であるが、悲しい災害でその重要性が再認識される。災害が起きて見ると、流通が途絶える。忽ち生活が困難になる。東京で暮らしに困るような、崩壊があった訳ではないが、都会の暮らしが実に危うい綱渡りであることが見える。外食暮らしが明日をおしれない不安定なものであることが分かる。

『地場』は地域の循環である。できる限り小さい範囲の循環を作る。一つの集落が単位となる。そこで基本食料の循環を作り出す。80個ある舟原集落であれば、ある程度の循環は可能となる。人口が200人の集落であれば、一人100坪として、2万坪の農地である。7ヘクタールの農地である。舟原は山際の集落であるが、そのくらいの農地は確保可能である。多分江戸時代の集落はそのくらいが基本単位であったのだろう。それはその土地で出る廃棄物を含めた、循環もその地域で行えるということである。糞尿の循環まで含めて農地への還元が可能ということに成る。

『旬』はエネルギーの有効利用である。自然に即して暮らす。食べ物は自然環境の中で作る。その土地で手に入るエネルギーを工夫して利用する。里山はエネルギーである。薪炭林の重要性。再生しながらエネルギーを確保できる範囲の暮らし。自然を大きく改変せず、折り合いをつけながら、手入れをしながら、自然の中に暮らしを溶け込ませてゆく。大きく破壊せず。人間の方から自然に身を寄せて行く旬を感じる暮らし。里山は食糧生産地でもある。1日一品は里山から得ることが可能である。

『自給』は自ら作るとことである。食糧を確保するには一人100坪の土地と1日1時間の労働で可能である。一切の化石燃料を使わず、可能ということである。まずは誰もが自給だけは行う。勤めに出るものも、土曜日曜に7時間の農作業を行う。これだけで、食糧は確保できる。これは小田原の姿である。冬場農作業の出来ないところは沢山ある。農作業が出来るときに2時間働くことである。その分冬場に他の仕事に専念すればいい。家を作るとか、水路を作るとか、佐渡の大工さんが小田原の家を作るようなものである。

先端技術と同じことで、自給を支えるためには技術である。江戸時代集積した技術はとても貴重なものである。その技術と仕組みを再構築する。その上で、現代が獲得した科学技術の中で、永続性のある技術を選び出し利用する。そうすれば、化石燃料など全く使わないとしても、この日本の国土で、江戸時代の倍の人間が暮らせるだろう。まだ人口は多い。自給の暮らしは都市の消滅でもある。スーパー堤防はいらないのである。津波の来るようなところに住居を置かない。水田であれば、津波で壊滅的な結果に成っても、また作り直せる。日本全土に分散して暮らす。必要最小限の暮らしの構築。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発事故の対応の見極め

2011-03-18 05:44:37 | Peace Cafe
今回の原発事故が最悪の展開をしている。想像通りとは言えるが、原発の廃止をできなかった自らに残念な思いが強い。若い人たちに申し訳が立たない。いつか来るとは思っていたにも関わらずだ。原発事故で次々に明らかになる現状。原子力発電施設というものが、研究所の実験レベルのものをそのまま巨大化して、営業用にしたものであるということだ。営業用にする際に、いかに格安に作れるかが追求されている。原子力による電力が格安であるとは常々言われてきたことだ。それは安全性とか、未来永劫続く廃棄費用とか、こうした事故対応とか、広大な汚染除去等々。一切を抜きに考えてきた、ということである。例えば、今一番深刻な停止後の使用済み核燃料の保管場所が、原子炉の上部の空き空間のような場所に配置されている。水をかけようとして届かない高さである。本来地下施設に置いておくべきだろう。非常用電源系統のもろさなど、驚くべきものである。

書きたくもないが、事故当初から東電はこの事故の全体を把握していない。一番やらなければならなかったのは、非常用電源の再敷設である。5日目に成ってやっと気がついたようだ。まだ引けていない。もう引いたところでどの程度有効であろうか。塩水をかけることをためらっていたのが、最初の対応である。地震時に停止してある、点検中の炉はひとまず安全であると考えたようだ。何か隠していないとすれば、素人でも気づくお粗末さである。そのくらい能天気だから、これほど危うい施設で働いていられたのかもしれない。この点では、石原都知事の天罰発言は同感せざる得ない。早急に事故対応を変更し、チェルノブイリのように、コンクリートで覆う方向に行くべきだ。これ以上放射能物質をまき散らすことは、世界に迷惑をかけるばかりである。そして全原子力発電所を停止する。経済的な打撃はあるだろうが、日本人一人ひとりが責任を取る以外にない事である。

テレビコマーシャルで、原発推進を述べて来た方々、今回の事態に至った責任を深く、悲しく感じてほしい。無知からとはいえ、自らが人類に及ぼした甚大なる被害の、一端の責任があることは自覚してもらいたい。そして、原発廃止の先頭に立って欲しい。騙されてコマーシャルに利用された人が反旗を翻せば効果は高い。原発の安全性を高めるということは、そもそも不可能なものなのである。それは、安価な電力が主目的だからである。高くても良いならグリンエネルギーを選択する。経済の問題ではない。思想の問題である。日本の家屋の屋根すべてにソーラーを付ければ、原発は不要である。車は電気自動車として、家庭で充電をする。エネルギーの自給である。そう言えば、電気自動車の本を送ってくれた、Sさんのマンションに地震の一晩は居させてもらった。

先日から江戸時代の循環型思想を調べていた。日本の進むべき、循環型のモデル的姿がある。今後そのこと少しづつ書いてみたい。まず気付くことは、大きな思想が背景にあるということである。仕方が無いからとか、遅れていたからではない。あえてその方向を選び、安定型社会。発展しない社会を目指した。江戸時代も当初は、銀輸出による資金でインフラ整備を進める。しかし、一定の時期が来ると開発志向を止める。新田開発なども一時期を除いて、初期以降は少ない。人口の安定化もおこる。今考えていることではあるが。循環型の技術主義と言っていいのではないか。農薬や化学肥料を使う近代農業技術の永続性の技術思想より深いものがある。人類が今の方向を変えることは容易ではない。しかし今回の原発事故は、方向転換の契機に成る可能性はある。気付いた人から始めてみる。段ボールコンポストを始める。この一つが出来なければ、何も変わらない。この一つが出来れば、全体が変わるだろう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする