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6月初めの小田原の農作業

2024-06-06 04:06:43 | あしがら農の会


 写真は田植えの終わった翌朝の欠ノ上田んぼだ。苗は5葉期のもので、田植え直後からそこそこの深水にしている。深水にしても欠ノ上田んぼの苗は活着がいい。翌朝には活着の証拠である露をつけている株があった。充実した田植えが出来て、大満足であった。
 
 小田原の6月は田植えだ。欠ノ上田んぼの田植えが、6月1日にあった。以前は6月1週目と2週目に分けて行われていたが、今回は6月1日だけで5反全部が終わった。30人ほどの参加だった。30人とはいえ、5反を一日で手植えの田植えするのは余りないのではないだろうか。

 以前よりも広がって5反あるのに、一日の手植えだった。中央の水のないところは、今年は大豆にする。減反奨励金目当てではない。ここで大豆を作れば、大豆は水が好きと言うことを確認できるだろう。花の咲く頃水がないと実がつかない。去年はそれで実付きが少なかった。

 田植え準備として5月30日に苗取りを行った。苗取りは急きょ日にち変更だったにもかかわらず、11名の参加で予定通り終わった。全体に今一つの苗だった。確か6週育苗にしたはずだが、硬さがある点は良いのだが、伸びと分げつが今一つだった。8度まで下がった停滞した日があった為かもしれない。

 苗は一週間延ばしたからといつて、1㎡100gまきでの成育限界がある。1週延ばすならば、80g蒔きにした方がいい苗になる。面積的な問題と苗取りの困難さがあるのだろうが、1本植30×40㎝にして、苗数を減らせば、何とかなるのではなかろうか。苗8割。

 そう今年の植え付けは欠ノ上ではすべて、30㎝×40㎝植えで行った。私の提案で、田んぼ全体で試すことになったので、少し怖い。昔の尺角植というのは、33×33は1089になる。30×40㎝は1200になる。それほど大きな差はない。

 むしろ日当りを考えた側の南側の40㎝が良い効果を上げると思われる。これは上手くゆけば将来有機農業の定番になる可能性がある。石垣島の渡部さんが考えた方法だ。これは記録しておく必要がある。合理性のある事だから、良い結果が出そうな気がしている。

 田植え後の4日間、田んぼの水回りを引き受けた。月に一度しか来れないのだから、こういう時に頑張らねば。水が落ち着くまで細かな入水口、排水口の管理が必要になる。きちっと整備されている田んぼは少なく、どこも水口と水尻を作り直すところからだった。

 18枚田んぼの中を水路は行く。これで流れ水状態が生まれ、初期水温が上がるのだ。これを良い水位の状態に落ち着かすまでには、繰り返し、調整が必要がある。それでも4日に帰るころには何とか、水は収まってきた。もう一息というところで、帰ることになった。

 水位の調整は安定するまでが難しい。雨も降るし、川の水位もかわる。上流の他の田んぼが代かきで水を使うという事もある。あれこれ想像しながら根気よく調整してゆく。一番上で入水量を変えても、4,5時間経たなければ、結果は見えない。一応は上手く収まった。

 次は溜池の草刈り。田植えの終わった翌々日天気が上がったので、溜池の草刈りをした。かなり草は伸び始めていたが、池の中のカキツバタの周辺まで、草刈りが出来た。広川さんが加わってくれて4人体制でいくらか余裕が出来た。

 カキツバタを植えたのは2017年4月のブログに書かれている。最初に10株ぐらいを購入して植えた。少しづつ広がっているので、草刈りもやりがいがある。もう数年したら、上の池はカキツバタが一面になりそうだ。カキツバタを植えてから、6年ぐらいだ。舟原溜め池整備10年構想だったから、もう一息である。

 夏になったら、カキツバタを植え替えてしまうという考えもあるだろう。カキツバタが、覆いつくして群落になれば、雑草も生えなくなるはずだ。出てくるのは、ガマの穂と、イグサだ。何かに使えれば、いいのだが、イグサの方は強いので籠など編めそうに思うが。

 3つめの農作業が大豆畑の周囲に溝堀。これはかなり重労働だった。田んぼ1辺の溝掘りをして、それで限界だった。なんと渡部さんは3辺やった。しかも私の溝よりかなりしっかりしたものだった。昔なら半分ぐらいは出来た。それだけ体力が落ちたと言うことだろう。

 それでも田植えはみんなと同じに出来たからまだ良い。朝9時から夕方5時半まで作業が出来た。身体も特に痛みが出たというようなことはなかった。サウナ効果であろう。帰り際に入った、船橋グランドサウナで、完全に身体が回復できた。

 昨年大豆は病気が出て、種と使うのが難しくなった。それで欠ノ上田んぼの一枚を使って、新しい畑で種取り用に大豆畑を作った。これが上手く行けば、種の更新になる。小糸在来種保存会が、千葉にありそこで種を分けてもらった。そこでも昨年は不作だったそうだ。

 去年の大豆は全国的に出来が悪く、今までの有機大豆の取り組みが難しくなった地域もあるらしい。これから、日本の大豆も、気候の異常高温に対してどう対応して行けばいいのか課題が多い。今年の田んぼの大豆畑は興味深い。上手く水を入れて、異常高温への対策が出来ればと思う。

 大豆はやはり水が必要だ。台湾の大豆では、水は良くないと言われていたが、どういう事だろうか。ことし、田んぼの大豆がうまく行けば、大豆をもう少し増やしてもいいのだろう。18番田んぼは大豆にすることが出来るだろう。大豆は需要が大きい。また自給には筆数のものだ。

 そして最後の農作業に麦刈り。今年は雀に大分食べられた。刈り取れないかとがっかりしていたのだが、私のいる間になんとか刈り取りをしようと、励まして強行した。最終日できつかったのだが、出し尽くしかけていた体力をもう一度絞り出した。サウナに行ったおかげで、なんとか筋肉痛を緩和できた。

 家の脇の麦までは出来なかった。申し訳なかった。渡部さんにお願いするほかない。玉ねぎの収穫も出来なかった。それほど、他の農作業で目一杯だった。それでも、なんとか2カ所2反近くの麦畑の刈り取りが出来た。まずまずだろう。

 収量が少ないのは仕方がないことだが、雀の急増も、別の角度から見れば何か良いことがあったんだろう。自然は人間だけのものではないのだ。受け入れるほかない。小田原の農作業も80までは何としても通うつもりだ。80過ぎても迷惑にならなければ続けたい。

 一日土砂降りの日があった。その日は農作業が出来なかったので、篠窪に行き絵を描いた。もう一日描ければよかっったのだが、農作業が目的なのだから、仕方がない。絵はこう言うときに描くと良いものが出来る。今度の日曜日に展示したい。

 

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小田原の春の農作業

2024-05-02 04:18:39 | あしがら農の会


 タマネギ畑。表面に撒いたソバカスからそばの芽が出ている。そばは抜かないで、そのままで様子を見ることにした。そばがコーティングされている状態で、そば以外の草は生えていない。この後そばは自然に枯れるだろうと、見ているが、果たしてどうなるだろうか。現在玉ねぎは健全に育っている。


 舟原溜池の麦畑。麦畑は後家の隣と総世寺裏にある。あわせて2反5畝ぐらいある。







 こちらは昨年反収500㎏という新記録を打ち立てた麦畑。家の脇の畑で管理は渡部さんがしている。昨年は採れすぎて倒れたと言うこともあり、大豆を栽培した後に肥料は入れないで、今年は麦を蒔いた。今年も良く出来ている。

 繰返しソバカスを入れてきたので、土が格段に良くなった。大豆との輪作の効果もあるのだろう。功成ればほとんど肥料を入れないでも、収穫まで行ける。種まきだけは一緒にさせて貰った。その後の管理は渡部さんが一人でやってくれている。


 溜池の上の畑の麦は、まだ土壌が十分ではない。しかし大豆との輪作を繰り返している内に、だいぶ良くなってきた。全くの山を開墾した畑だ。今年は普通の麦畑ぐらいにはなった。家の脇の畑に較べると分ゲツが少ない。それでもそれなりに大きな穂がついているから期待はできる。


 ジャガイモ畑。奥に私の畝があるのだが、手前の渡部さんの畝が出来過ぎで盛り上がり、良く見えなくなっている。私のものは男爵で、3キロを植えてある。今回追肥をして、土寄せをした。悪くないと思っている。

 目標は20キロだが、15㎏ぐらいは行けるか、どうだろうか。五倍なら良しとするほか無い。今回は追肥をして、土寄せをした。来月もう一度土寄せするつもりで、軽い土寄せにした。畝の両側はだんだん深い谷になってきた。これがジャガイモには良いと思う。

 渡部さんの畑は高畝方式である。大抵の作物を高畝栽培している。それがまた良く出来るので、農の会で高畝をする人が増えた。基本の肥料はソバカスである。ソバカスを渡部さんはそば向上に毎週引き取りに言ってくれている。田んぼにもそれを撒く。米ぬかの代わりに撒くのだが、米ぬかよりも良いかも知れない。



 溜池のカキツバタ。今回も溜池の草刈りをした。溜池の草刈りは小田原に来たらできるだけすることにしている。早めに刈っておけば、それほど大変ではない。今回上の溜池の畔が壊れていた。次回来た時には直したいと思う。畔から流れ出る水路を作り、中央の排出口は使わないようにしたい。

 この写真では分りにくいが、右側には白いクレソンの花が群生している。五月末にはすべて刈らないとだめだろう。他にも雑草が増えてきているので、片付けたい。その際、株分けもやろうかと思う。そうすれば早く溜め池全体がカキツバタになるだろう。



 

 舟原ため池は放置されて荒れ果てていた。初めて舟原ため池に行ったときにはまだ美しいため池で、水を満々とたたえていた。そしてオシドリの番がいたのだ。あの光景が忘れられず、いつか美しい姿を取り戻したいと考えて、少しづつ整備している。今年はカルガモの親子がいた。

 今年はちょうどカキツバタが咲いているときに、小田原に来ることができた。何時も少しづれていた。上の溜め池の半分くらいまでカキツバタは広がった。もう一息で上の溜池全体が、カキツバタになる。そうなれば、見ごたえが出てくるはずだ。近隣にはないほどのカキツバタ池になる。

 カキツバタは日本古来からの美しさを示している。アヤメやショウブもあるが、やはりカキツバタが本来である。カキツバタは田んぼと繋がっているものだと思っている。だから溜池にカキツバタを植えた。日本に田んぼが出来た時に、カキツバタも溜め池に植えたと思っている。日本人の美意識はそこから培われたのだと思う。

 水源がある。水源の近くには簡素な家がある。そして家の脇には、疎水がある。水が少し下ったあたりに、ため池が作られる。溜池にはカキツバタが植えられる。溜池に一度蓄えられた水は、緩やかに棚田を下ってゆく。そして一面の田んぼが広がり、田んぼの水は川に戻り海まで下ってゆく。

 この姿が、日本の水田の基本形になる。これから中山間地は放棄されて行く事だろう。地域が失われて行く。その時に、自給農業を考える人が居れば、もう一度この形を作れば言い。難しいことではない。シャベルだけでも出来るはずだ。40歳の頃の私なら、出来たことだ。


 これは小田原の家の上にある、自分で作った家。ピンクに咲いているのがシャクナゲ。平塚の県立のフラワーガーデンと言ったとおもうが、植物園で交配して、植木屋さんに配布したものと言うことだ。欠ノ上の小林さんの田んぼに、あったのものだ。

 田んぼにするときに、それを買い取り私の所にマゴノリさんが移植してくれた。実生からのものだと言うが、30年生ぐらいには成るのではないか。随分立派なシャクナゲになった。花はもう終わりだった。小田原に越してからもう20年は経つだろうから、最初に植えた木は随分大きくなった。ビワ、柿、しでコブシ、月桂樹、レモン、あじさい、ミカンのキヨミ、あじさいのおもしろいものは消えた。

 今回の小田原は1週間だった。半分絵を描いて、半分農作業をしたぐらいだろう。それでも、麦畑の草取りも、ジャガイモの追肥土寄せも、タマネギも、お茶摘みまで出来た。摘んだお茶は製茶されて、送って貰えることになっている。そしてため池の作業も何とか出来た。

 こうして小田原を離れて石垣島に来て、5年が経とうとしている。それでも小田原に行けば仲間として受け入れて貰える。今回も数年ぶりに会えた人が何人も居た。今度石垣に来てくれるという人も居た。本当にありがたい、嬉しいことだ。

 溜池の草刈りをして、その後溜池の絵を描いた。自分が作った場所を描く。これは最高の仕事だ。モネが庭を造り描いたという気持ちが良く分る。美しい場所を心を込めて作る。そしてそれを絵にする。のぼたん農園もそうだ。絵を描きながら、もっと良い場所にして行こうと考える。

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11月のあしがら農の会

2023-11-24 04:12:52 | あしがら農の会

 秋の美しい空。春眠暁を覚えずで、小田原に来てからよく眠れる。今日は寝坊をした。寝坊をするようなことは久しぶりである。ほど良く寒くて、よく眠れるようだ。眠ることほど健康に良いことはないので、だいぶ体調は良いのだろう。

 来てすぐに畑、田んぼ、溜池と見て回った。欠ノ下の柿畑が例年にないほど良い実りだった。いつもはヘタ虫にある程度やられているのだが、今年は何故かヘタ虫の発生がなかったようだ。その上に当たり年だったのだろう。見事に進なりである。しかし、誰も収穫しないというので、収穫して石垣に送ることにした。

 石垣では柿はない。柿が出来ないこともないのだろうが、カキが売られていても内地から来たものしか見たことがない。みんなも書きが珍しいと言っていたことがあったので、のぼたん農園の仲間にお土産にしようと考えた。1時間半ほどで、手提げかご2杯収穫した。

 早速ダンボールに詰めて宅急便で出す準備をした。渡部さんがいつも手伝ってくれるので、上手く荷造りが出来た。そうしたらまだ余っている。特に熟し過ぎの柿が詰められないので余っている。これで柿酢を仕込んだらいいと思うと言ったら、早速ガラス瓶を出してくれた。いっぱいに詰めて暖かいところに置いた。

 柿酢はヘタまで入れる柿酢が貴重なのだ。これは売られていない。ヘタは心臓に良いと言われている。ヘタまで仕込みに入れて、酢にする。これを毎朝少し舐める。果物酢は簡単にできて、美味しいし、健康にも悪いはずがない。次に小田原に来るのが楽しみである。



 篠窪の秋の景色である。この色彩が何とも言えない見事さだ。みかん畑と秋の山。いつも描く風景なのだが、今回はまた特に良い。夏が暑くて一気に寒さが来るから、紅葉は美しい。年々気が大きくなって畑が見えにくくなってきた。しかし、みかんの類が美しく色づいているのが、目が覚めるほど美しい。

 早速、描き始めた。小田原に来るたびに同じ場所を描く。篠窪を描くのが楽しみなのだ。そして絵を今までに描いた篠窪の絵と較べてみる。自分の今が分かるような気がする。良くなったかどうかというのではなく、自分らしく絵が進んでいるかどうかの確認である。

 何か少し近づいたかもしれないと思えた。もしそうなら嬉しい。方角が間違ってはいないかもしれない。そんなことは考えても仕方がないことなのだが。日々の一枚である。小田原に来てこうして絵を描くことが、石垣で絵を描くことに大きな刺激になっている。目が変わるというか、目が覚めるという感じがする。






 舟原元治の溜池のカキツバタである。竹の棒が指してあるところに、一ヵ月前に来た時に移植したカキツバタがある。上手く全部のカキツバタも活着したようだ。これで池の手前側はすべてカキツバタになるようだ。これからはカキツバタの回りの草とりを丁寧にしようと思う。

 溜池の管理もいつまで続けられるかはわからないが、動ける間はやらせてもらうつもりだ。小田原市にお願いして管理を任せてもらったのだ。その責任がある。美しい場所にしたい。そう思ってカキツバタを植えた。美しいカキツバタが一面の場所になれば、必ず誰かが管理を引き継いでくれる。

 11株から始めたものが段々に広がっている。あと3年あれば、全面がカキツバタになるだろう。そうなれば、ちょっと見ごたえがある。草取りもいらなくなるはずだ。たぶん諏訪の原のざる菊園と並んで花の名所になるはずだ。それが舟原溜池の目標である。

 これは順調に進んでいる。問題はまだ管理を引き継いでくれる人が現れない点にある。今回下見をしたときに気づいたのだが、中央の堤防が水漏れをしていた。その為に上の溜池の水が少し浅くなっていた。早速翌日、渡部さんが付き棒とたこ(とんとん)を運んでついてくれた。かなり突いたのだが、上手く水が止まった。

 今回はこれで止まったので、大事にはならなかった。叩いて土手全体の土を占める作業は時々やらなくてはダメなのだろう。その分土を足す必要がある。2月には下の池の石垣からの水漏れを止める土木作業を予定している。この時にあわせて土を入れてついておきたい。ともかくこまめな手入れである。

 今回の農作業で重要な物は大豆の収穫になる。土曜日に参加するつもりだ。大豆は今のところそれなりによさそうである。ただ実が入るころに、雨がなかったので空の鞘がかなりある。大豆はかなり水分が必要である。だから畔大豆が良く出来るのだ。

 280キロの予測をしている。毎年みんなで収穫量当てクイズをしている。一番近い人が大豆が貰える。私は昨年大当たり。今年も当たるかな。みんなはもう少し多く予想しているようだが、どうも実の入り具合が、そのくらいの感じがしたのだ。

 今回はタマネギの苗を5種類買った。秦野の地場産ずジバサンズである。種類が多いというのでわざわざ行ってみた。これを石垣に持って帰り、植えてみたいと思っている。もしかしたらうまくできる品種があるかもしれないと考えてのことだ。石垣ではタマネギ苗はない。

 タマネギも作る人は居ない。できないのかもしれない。試しである。半分は小田原で植えて、半分は石垣に持ち帰るつもりだ。たぶんダメだと思ってはいるが、挑戦しないでダメと決めつけることもつまらない。もしかしたら、いつももしかしらばかりなのだが、たまに上手く行くことだってある。

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9月4日の農の会の作物の状態

2023-09-05 04:01:35 | あしがら農の会


  舟原上の大豆畑。ともかく株が元気だ。元気すぎて実が付かないか心配なぐらいだ。花もだいぶついているし、小さな身もあるから、今年はかなり行くだろう。反収で200キロを超えたことが2009年の収量で書かれている。反収150キロが全国平均。北海道が200キロ。今年は250キロぐらい行くのではないだろうか。

 農の会の畑を見て歩いた。まず、家の脇の大豆畑がすごい出来である。ともかく丈が高い。1mあるものもある。これでは葉バカリ山のホトトギスかと心配になるほどだが、葉もそれほど虫に食われていないし、ともかく葉がしっかりしていて、色つやが良い。上出来ではないだろうか。

 去年の 全国の平均の10a当たり収量は169kg だから、それを上回ることは間違いがない。小糸在来種という収量の少ない在来種を有機農法でさいばいしている。反収で全国平均をはるかに上回ることは、もう農の会では当たり前のようになっている。

 これが専門の農家ではない者たちが、自給の為にやっている農業なのだ。手をかけさえすれば、農薬や化学肥料を使わないでも、農家より収量が上がるのは当前のことなのだ。そうでないなら、自給農業が遊び農業になってしまう。使わせていただいている、農地というものに申し訳が立たない。




 溜池の一番上の畑。新しい畑だった3年前はほとんどとれなかった。一年一年収量が上がるようになった。みんなが手をかけて草とりをしていることもある。一番の原因はそば殻を繰り返し入れてきたことだろう。今年の夏の草とりはかなり大変だったが、これだけ成長してくれれば、汗を流した甲斐がある。

 長野の大盛堂生産農場 の大沼さんは大豆を17ha作って、反収500キロというから驚異的。大豆は長野県や北海道の気候があっているのか。大沼さんの大豆は背丈が1.5mという。大豆も1mを超える大きさにならなければ多収は出来ないのだろう。

 そこまで大きくしてどうやって実を沢山つけるかが技術なのだろう。大沼さんの品種は銀嶺で農の会は小糸在来種である。銀嶺は長野の試験場が作出した長野の気候に合った品種だ。多収も出来るという事なのだろう。いつかそんな大豆づくりまで到達したい。

 

 9月4日の欠ノ上の10番田んぼ田んぼ。満作の出来と言える。このまま自然災害がなければ、畝取りは確実だろう。農の会の欠ノ上田んぼでは有機農業で連続的に10年は畝取りを続けている。確かに有機農業は草取りなどで手間はかかるが、有機農業の方が作物にとっては優れた栽培法だという事が、ここでもわかる。

 有機農法で田んぼを栽培して、畝取りが出来ない場合は栽培法のどこかに問題がある。肥料が足りない人が多い。有機農法と言うと、無肥料とか、不耕起栽培とかについ意識が行く。何をやってもいいが、畝取りできることを目標にしなければだめだ。満作の作物が一番良い作物なのだ。

 9月末が稲刈りになりそうだ。今年は凄い株の出来なのに、倒れていない。背丈は105㎝平均ぐらいだろう。止葉が50㎝で幅2㎝平均。一穂のお米の数は125粒平均はあるだろう。一株23穂以上だろう。全体で見ると、サトジマンよりもハルミの方が出来がさらに良い。倒れるギリギリの線だ。

 どこの田圃も甲乙つけがたく管理が良い。全体に水管理が良かったのだと思う。間断灌水の効果だろう。畔がしっかりしているので完全な水管理が出来る。田んぼの中の均平がとれている。19ある内の15番がマンゲツモチで、いくらか倒れているのが気になる所だった。どうもウイルス病が出ている気がする。



 中央の三角田んぼが種籾の田圃である。どこの田圃も良く出来ている。すべて1本植の30㎝角植である。有機の田んぼはこのように、穂が黄色みが出て来ても葉のみどりが落ちてこないで緑を保つ。この段階で葉が黄色くなる田んぼは根が弱いために、早く枯れたのだ。

 最後まで根が活性化していて、活動を続けていれば、13,14,15番目の葉は光合成を盛んに行い、穂を充実させてゆくことになる。特に15番目の大きさと葉の幅と暑さが重要だ。ひこばえ農法では、この3枚でやる農業のようだ。

 健全に病気を出さずに、穂を充実させるためには間断灌水が必要だと考えている。間断灌水をすることで、田んぼの後半の土壌を腐敗させずに、根に肥料を供給できるものにして置く。間断灌水の期間にとイネが花を咲かせ、受粉することには水が必要になる。湿潤土壌なら問題がない。

 当然穂肥が十分になければ、穂の粒張りが多くはならない。そして、水分が18%ぐらいになるまで稲刈りはせずに粘る必要がある。最後の1週間の頑張りで、5%の収穫量が増える。1本植の苗の場合、どうしても穂の出のばらつきがある。遅れて出た穂が十分実るために時間を稼ぐ必要がある。


 これは舟原田んぼの酒米の山田錦である。良い生育である。現在120㎝の背丈がある。穂数は30を超えている。この後倒さないで育てられるかどうかが課題だろう。理由は分からないが、水口の方が生育が進んでいる。水管理の問題かもしれない。

 以前山田錦で畝取りしていたが、その時もこういうお化けのような株にしなければ畝取りは出来なかった。この後どう倒さないで行けるかこの後の水管理にかかっているだろう。干しのタイミングではないが、それでも一度干しを入れた方がいいのだと思う。

 

 農の会では稲刈り前に、機械整備を行う。9月2日であった。ちょうど間に合って出ることができた。新しい、籾摺り機が来たので、その据え付けを担当した。調子は良さそうであった。ただ籾がなかったので、実際に試せなかったのがいくらか心残りであった。

 
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農の会の田んぼがすごいことになっていた。

2023-08-07 04:54:29 | あしがら農の会


 石垣島には2日に戻る予定だったのだが、沖縄付近で停滞してしまった台風のお陰で、飛行機が欠航になり、8日まで帰れない事になった。石垣島の「のぼたん農園」の仲間にも迷惑をかけている。新しい田んぼの準備など、全く困ってしまうが、自然の前には耐えるほかない。

 飛行機が長く欠航すると、回復するまでに時間がかかるという事が分かった。溜まっていた乗客が早く飛行機を予約しようとするから、どんどんだぶついてゆき、予約が取れなくなるという事だった。これからは台風シーズンの飛行機は十分注意しなければならない。

 次に9月2日から来る予定だったのだが、これも一度キャンセルした。怖くなった。水彩人展の直前ではまずいので、余裕を見て取り直すつもりだ。これは費用が高くなっても仕方がないことなので、早めに小田原に来る予定を立てるほかない。2地点居住の問題点だ。

 小田原の夏は暑かった。昼間は石垣島より暑かった。箱根の長尾峠まで行き涼しい場所で絵を描いていた。小田原の家の冷房を渡部さんが付け替えてくれたので、夕方から冷房を入れて、ゆっくり寝ることができた。朝の今は涼しい。この朝の清々しい感覚は石垣島ではないものだ。

 石垣島の朝は野外でも30度ある。風があれば何とかなるが、基本一日中冷房を入れていなければ暮らせない。暑さで石垣島暮らしを諦めたという友達が話していたのだが、まさにその通りだと思う。最近の気候では冷房がなければ石垣島では暮らせないだろう。

 小田原ではまず大豆の草とりに参加した。4台の耕運機で大豆の畝間を中耕してゆく、その後を手作業で草取りをしながら土寄せをする。草は結構多くて、驚くほどだった。また8月後半で草取りをやるという事だった。大豆の生育は悪くはないが、雨がないせいか今一つの所もあった。

 雨が大豆播種後、ずーと降っていないのだそうだ。捕植した株がその為成育できなかったらしい。それでも枯れなかったのだから良かったという事だろう。大豆は播種後の雨が多く影響する。播種するときは参加した。その後すぐに雨になり、発芽は何とかなったわけだ。

 その後雨が降らないから、大豆の成長は遅れている部分がある。それでも何とかなっているのは、大豆の会の栽培技術がかなり優れているからだと思う。土壌によって雨がない影響も違って現れる。特に、家の脇の畑は湿り気が上から来てる。このおかげで大豆が良いのだと思う。

 大豆の会の方法で、石垣島でも大豆栽培をやりたい。今年の大豆の実験では、何とか「小糸在来種」に実が付いたところまでだ。きちっとした実になるかはまだわからないが、もしかしたら何とかなるかもわからないと思っている。その実を播いて見て、継続性があるのかを見たいと思っている。

 小田原の家の脇の畑の大豆は昨年は反収300キロぐらいになった。今年の大豆畑も、素晴らしいできである。雨が降らないという状態が嘘のようだ。今年は過去最大の収量になると思われる。ともかく株が揃っている。どこを見ても悪い株がない。

 豊かな土壌が作物をつくる。草は生えてきた小さい内の根が張らない内にとると言われていた。小さければ間を足でかき回すぐらいで草が取れる。早めに土寄せで取る。このやり方をのぼたん農園の大豆畑に生かしたいと思っている。様々条件は違うとは思うが、いつか収穫300キロまでいつかたどり着きたい。



 欠ノ上田んぼのイネの状態は以前から目指してきた理想的なものだった。止葉が幅2㎝以上長さが60㎝以上。株の高さが1m以下。過去最大と言える30センチある大きな穂が出始めている。分げつ数は25ぐらいだろうか。このまま行けば、畝取り間違いなしだと思う。

 苗の数は1本植の30㎝角だ。株の状態を見ると丁度良い感じである。田植えの時の大きさが、5葉期2分げつ。大きさとして30㎝少しあった。良い苗だから良くなるとは思ったが、予測通り素晴らしい状態になった。こうした畝取りの状態をもう10年以上継続しているだろう。有機農業の優秀さを表している。

 栽培方法の基本は私が書いた「小さな田んぼのイネ作り」という自給の為のイネ作り方法に従っている。私が石垣に移住した後の、4回目のイネ作りである。私が田んぼをやっていた時よりも、安定している。私はいつも実験的で試行錯誤ばかりしていた。良く考えればあの頃の結論が今の形なのだろう。

 本格的な自給農業を学びたいのであれば、欠ノ上田んぼに参加することだ。分配されるお米が120キロ。参加費1万円。現在15名位の参加者がいるが、まだ数名は参加が可能だ。全くの初心者でも参加できる。ここでイネ作りの基本を学び、次に自分の田んぼを始めればいい。一年参加してもらい、人が見極めれられれば、農地の紹介も可能だ。

 溜池の草刈りをした。暑くて早朝からやったのだが、長くは続かなかった。ほとんどを渡部さんが一人でやってくれたようなものだ。でも少しでも協力で来た事は嬉しかった。溜池も私が離れてから、どうなるかと心配だったのだが、来た時に草刈りをしたり、洩れる所に土を入れたりで、何とか維持が出来ている。

 その間にカキツバタが成長して、綺麗に咲くようになった。カキツバタがこの溜池を守ってくれると思っている。美しい花が咲く場所がごみ捨て場になるはずがないと期待している。小田原市も小田原市所有の溜池なので、整備の材料は提供しえくれている。これがなければ続かないところだった。

 先日、聞いた話では和留沢の市に寄贈された土地で、環境部が管理していた場所が農作物が栽培されているというので、栽培が禁止されたという。話によると、市会議員だれかが環境部に苦情を言ったために、おかしなことになったらしい。環境課の管理地である以上、農業はいけないというのだ。

 その市会議員はどうやって管理をすればいいというのだ。費用もないのだ。ボランティア活動で管理をしてきた。その市会議員など、一度も参加したこともない。背景には何か不愉快な意図があるように思える。農の会にかかわることには、何でもかんでも邪魔したいという人間がいる。

 まあ、欠ノ上田んぼを見てもらいたい。有機農業で10年間畝取りを続けている。地域の平均収量を20%多い。条件の悪い、棚田である。この実績だけは、見ればわかる。これが不愉快と感じる人間がいるのだから、地域というものは怖い。
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あしがら農の会30年の報告

2023-07-29 04:26:22 | あしがら農の会


 あしがら農の会は設立され、30年が経過した。30年の時点での経過報告を冊子にしたいと思っていたのだが、無理そうだ。勝手にブログで、30年報告をする。あしがら農の会は、山北での開墾生活で自給が出来るようになって、足柄地域全体のみんなの自給に進みたいと思って作ったものだ。

 30年経ち、大きな組織になった。安定して続いている。私が小田原を離れてから、さらに組織は安定した。もちろん問題はあるのだろうが、良く継続され各活動ごとに立派な収穫を上げている。日本に必要な組織だから、こうなるだろうと初めから考えていたので、驚いているわけではない。

 足柄地域は農地の面積から言うと自給できる可能性がある。一人の自給が100坪の農地で出来たのだ。その計算であれば、有機農業で食糧自給は可能なはずだ。ところがそのことは誰も信じないし、やろうともしない。少しづつ始めて見ようという事だった。

 山北の山中で自給自足で暮らしていた。その農地のお隣の畑の所有者が川口さんというかただった。川口さんはMOAの方で、地域ごとに有機農業の組織を作りたいという考えを言われていた。その活動と私が呼び掛けていた、農の会の活動と重なり、山北で最初の農の会の活動が始まった。

 その背景には農業は経営できない。農業を続けたくとも続けられないことになる。農業者はこれからも減少してゆくにちがいない。農業者でない人間が農地を利用しないと、耕作放棄地が増加してゆくことになる。この認識は、30年前も今も変わらない。ただ30年前は予測であって、今は現実である。

 大企業農業は増加してゆくだろう。普通の農家はさらに経営が苦しくなるだろう。そして農家を止める人がさらに増える。一方で食糧自給を考える小さな自給農業が増えてゆくだろう。自給農業は経営ではないから、やりたいと思う人たちが始める。農業にはそれだけの魅力があるから当然の予測だ。大きな農業と小さな農業に二分されると考えている。

 あしがら農の会は農地が放棄されてゆくことをなんとかしたいと考え山北町で設立したものである。農地が放棄され、弱い場所が出来ると、それを悪用しようという人が現れる。廃棄物処理場や最終処分場である。その反対運動で各地で苦労していたのだ。

 その中心に活動していたのが、酒匂川グリーンホーラムという組織だった。グリンホーラムを立ち上げた山田純さんとの出会いがあった。一緒に反対運動を続けている内に、反対しているだけでは何も生まれない。何かを生み出す活動をしなければ、ダメだという事になった。その活動の一つに農の会の活動が加わることになる。

 あれから30年が経過して、予測通りに農地の放棄が進んでいる。農業者が農家経営が出来ないのだから、新規就農を奨励しても、農地面積は減少を続けている。あしがら農の会の役割は大きくなっていると言える。新規就農者の就農は経営的に厳しいものである。新規就農の政府の補助は手厚いものであるが、それでも経営が難しい。

 普通の市民が土日の農業を行い、自給できる形を提案してゆくことが、ますます重要になっている。政府も小さい農家を奨励するという事で、農家要件を小さな面積でも可能にしている。そうした自治体が増えている。副業を持つ小さな農家になるためにも農業技術を学べるあしがら農の会は、良い足掛かりになっている。

 あしがら農の会は有機農業で行っている。その有機農業技術は30年の試行錯誤が積み重ねられ、優れたものになっている。どの作物でも一般の農家の収量を超えている。有機農業の優秀性を証明していると思う。畝取りする田んぼが複数ある。小麦の収量が反収510キロになった。ジャガイモやタマネギや大豆も有機農業の本来の力を引き出し多収している。

 農の会の有機農業技術を普及するために、有機農業塾が行われている。指導は根守さん、吉宮さん、渡部さんによって行われている。月一回指導日があり、野菜の有機栽培技術を習得することが出来る。みんなが並んで自分の畑を作りながら、自学自習である。この同じことを並んで行う方式が勉強になる。

 有機農業塾ではその技術を普及するために、塾を開催している。根守さんの優れた指導と、渡部さんの大きな労力によって、野菜の有機農業技術が確立されている。ここまで高い生産性のある、有機の農業塾は他にはないだろう。ここから新しい農業者が育っている。

 農業機械を共同購入し、機械小屋を作り管理している。機械の管理は課題になっている。そうした費用は会費ではなく、各参加者が実費を払うという事で経営されている。農の会には会員名簿もないし、会費というものもない。小さなグループが集まって、農会全体が出来ている。この仕組みがうまく行った原因だと思っている。

 本来政府が農業機械の貸し出しを行うべきだと思う。そうすれば耕作放棄地は減少させることが出来るはずだ。非農家の農業は機械で行き詰まる。機械に詳しい人がいない。ちょっとした故障で農機具屋さんを頼んでいたのでは、莫大な費用が掛かってしまう。

 政府は農業者を支援するのではなく、農業者の入り口に対して支援をすべきだ。技術が高くなければ、有機の農業者にはなれない。これからの農業は有機農業である。特に自給農業をする人で、農薬を使いたいと考える人は少ないはずだ。農家だって自分の食べる野菜に薬を使わない人は多い。

 農の会通信は石井さんが編集を行い月一回発行されている。ホームページがあり、通信はそこにも掲載されている。良く長い間通信が継続されている。頭が下がる。石垣島で一番びっくりされたのがこの通信の存在だった。月例ですかと驚かれた。

 全体では200人くらいが参加していると思われる。田んぼの会が立ち上げ最初からあったもので、今でも一番活動が大きい。お茶の会と大豆の会も20年くらいの歴史があり、会員数も多い。ジャガイモの会、小麦の会、タマネギの会は、大豆の裏作で空いている畑を使う事で活動をしている。

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有機農業で小麦反収520キロ

2023-07-03 04:18:47 | あしがら農の会


 2023.7.2 農の会の田んぼ 小田原久野観音堂下。バス停から見たところ。毎年畝取りをしている。誰でも上から見ることが出来ます。ことしも順調な生育状態。水管理はみんなで交代でしている。幅の広い畔の草刈りも良くされている。

 2023年のあしがら農の会では、舟原の私の家の隣の畑で小麦反収520キロを記録した。過去最高の収量である。全国平均では441キロ。北海道が一番多い。神奈川県の平均収量が242キロ。神奈川県の近隣農家の倍以上の収穫量である。品種はミナミノカオリ。どれほどあしがら農の会の有機農業が優れているかが分かる。

 農の会では小麦の会があり、協働で栽培を行っているが。それとは別に渡部さんが家の脇の畑で小麦を作っている。種まきと収穫と選別は私も参加することができた。良く出来ていたのだが、実は収穫前の箱根からの吹きおろしの風で、木が倒されるほどで、麦も倒されて手刈りをした。強風がなく、綺麗に収穫出来れば600キロに達した可能性があった。

 今日とうみで選別をして収量を計量するのだが、2畝の面積で102キロの収穫になった。反収では510キロになった。これは農の会での過去最高の収量になった。たぶん暖地での小麦栽培ではかなり多い方の収量のはずだ。これはもう渡部農法と名付けて良いところまで完成した。

 無肥料、無農薬を基本として作っている。ソバカスや米ぬかを使う事はある。渡部農法は土寄せとそば殻を草抑えに使うところが特徴である。そのほかの作物では、ジャガイモ、タマネギ、大豆、サトイモなども同じような農法で作っているが、すべてが無肥料無農薬で多収という結果を残している。お米でも畝取りをしている。
 
 草を出さないところが特徴である。草は出てきたものは手取りもするのだが、それよりも草を出さないというところに特徴がある。ソバカスやウッドチップをマルチのように使う。土寄せとそば殻マルチで結果どの畑も高畝になる。ジャガイモや里芋などは溝から計れば70㎝の高さになる。

 これは半端な高さではない。万里の長城と冗談で言っているほどだ。ジャガイモの会では隣で作ると風よけになるし、水が流れてこないのでありがたい。というほど高くしっかりした畝になる。どの野菜でもうまく作るのだが、手をかけて管理を徹底している。農の会の有機農業塾でも作業は渡部さんが担ってくれている。草取りや草刈りもどんどんやってくれている。

 以下自然農法で小麦を作っている人のホームページからコピーさせてもらった文章である。一般に有機農業はあるいは自然農法は収量が低いと決めつけている。これは栽培技術が自ら低いと宣言しているような文章に読める。

「有機栽培は有機質肥料を使用して栽培するオーガニックな農法です。
自然栽培は無肥料で栽培するオーガニックな農法です。
同じオーガニックでも、肥料を使う使わないの違いは、もの凄く大きくて、こと「肥で育つ」と云われる小麦では、その違いは甚大なものになります。
前回、有機小麦は慣行小麦の約7割の収穫量で試算しています。
自然栽培小麦は、慣行小麦の約1割から多くても約5割、自然栽培での収穫量はバラツキが大きくて一概に言えませんが、経験則から反収3俵として試算を進めます。」

 農の会の栽培ではありえない考え方だ。そもそも有機農業と自然農法を分けて考えること自体がおかしいと考える。化学肥料を使い農薬を使う一般的な農業がある。慣行農業とよばれる。分類としてはそれと有機農業だけである。有機農業は法的な基準で言われている基準に従うものだ。

 有機農業の基準の中でいろいろ分けたいと考えるのは趣味の領域の話である。叢生栽培、不耕起栽培、自然栽培、様々であるがまず正しい作物の栽培であれば、農薬や化学肥料を使う農業よりも収量が多いはずである。収量が少ないのはどこか、栽培におかしいところがあるからと自覚しなければならない。

 作物が満作になることがすべての大前提である。化学肥料や農薬を使うと作物が最高の出来になりにくいという事だ。だからそういうものを使ってはならないのだ。信じがたいという人がいれば、小田原にあるあしがら農の会の圃場を見に来たらいい。久野に点在する畑で、実践が行われている。

 農の会の農業を勉強をしたいという人がいたら、有機農業塾に入り学ぶことも出来る。熱心に学んでいる仲間がいる。コメ、麦、大豆、タマネギ、ジャガイモ、それぞれに部会形式で栽培がおこなわれているので、そこに参加することも出来る。大豆は小糸在来種という多収できないと言われる最高においしい品種で多収している。

 この大豆で味噌を作る会も行われている。この手作り味噌はそれは美味しいものだ。私の健康の基礎になっている。もう25年は作っている。この大豆づくりは3反分で行われている。家の畑では小糸在来種で渡部農法で栽培し反収200キロ越え。全国平均は169キロ。

 7月2日に播種をした。30人くらいの人がいた。子供を入れれば40人の規模である。味噌づくりの時には100人くらい人が集まるのではないかと思う。MAGOの森で味噌づくりが行われる。これは実に楽しい集まりになる。理想の共同体が出現したような愉快な気分になる。それが小田原に通う理由である。

 渡部農法を記録すべきだと思っている。渡部農法は有機農業塾で野菜作りも行われている。ここでも高畝栽培がおこなわれている。すべてに多収であるところが特徴だ。多収の無農薬栽培である。肥料はウッドチップとソバカスとそば殻で、それほどの窒素分は入れない。炭素循環農法に近いかもしれない。

 健全に行われる有機農業は一般の農業よりも収量は多い。有機農業の人で収量が少ないことが当然のように主張する人は、自分の技術不足を反省してもらいたい。有機農業は究極の農法である。作物は満作になるから、最高の収量を記録することになる。

 不耕起栽培でもよい、自然栽培でも良い、作物を満作にする事が出来るのであれば、収量は慣行農法よりも上回るものであるはずだ。収量が地域の平均よりも下回るのであれば、何かそこには問題があるはずだ。有機農業は農薬や化学肥料を使わない結果、作物にとって良い環境になるのだから、収量は多い。当たり前のことだ。

 現在のあしがら農の会の栽培技術は、完成の領域に入ってきた。特に渡部さんの力で、水準が一段と上がった。その農業技術を記録しておく必要がある。次の時代に必ず役立つ技術だ。食糧不足になる。食品の価格は高騰する。今から自給農業で備えるべきだ。

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6月の小田原の農作業

2023-06-05 04:36:23 | あしがら農の会


 月に一度小田原に来る予定でいる。6月の初めには2週間来る計画でないと、作業が終わらない。来れるかどうかは石垣の農作業との関係がある。今年は石垣の方で、稲刈りと脱穀があり、台風対策という事もあった。それで1週間以上は来れなかった。帰ってまた稲刈り、ひこばえ農法の研究がある。

 今年は6月は月初めと月末と2度来る事になる。今回の小田原は田植えである。その田植えを十分にできずに、少しだけやらせてもらった。田植え前の準備が大変なのに、それに参加できなかったのは、残念で、申し訳のないことだった。例年以上に素晴らしい田んぼになっていた。

 タマネギとジャガイモの収穫が出来たことは嬉しかった。と言ってもこれも日ごろの管理をしていないのだから、偉そうなことは言えない。楽しいところだけをやらせてもらう状態である。出来ればと考えていた、家の脇の麦刈りはやった。たぶん反収で言えば、300キロはありそうだった。麦の会の方の麦刈りは、やりたかったが出来なかった。

 麦の会の方の参加はもう私の参加は無理なのかもしれない。会としての参加者の意識が減ってきている。会としてできないのであれば、個人の麦畑にした方がいいのかもしれない。地場の小麦は生産すれば、買い手はある。手伝いがいるならその手伝いくらいならできる。そこまですることはないのかもしれない。みんなで決めてもらうほかない。

 家の脇の2畝の麦畑の麦刈りである。倒れていたので、手刈りである。倒れたのは結局のところ、出来過ぎである。2畝で60キロあるだろう。冬風が強いという事もある。箱根からの吹きおろしが、舟原は通り抜ける。木が倒されることもあるぐらいだから、かなりのものだ。肥料を控えた方が良いかもしれない。



 最後になって、台風くずれの豪雨でやられたのは痛かった。それでも小田原にいる内に刈るだけはやれたのはまだ良かった。と言ってもこの後脱穀まで雨の続く中、やらなければならない。手伝いたいのだが、帰えれば石垣ののぼたん農園の仕事が待っている。

 田んぼの方の1週間の水回りも出来た。これは楽しい仕事だった。朝起きるとすぐにでも行きたくなるのだが、8時と約束をしたので、毎朝8時に出かけた。今日が最後になるが、描いている今も行きたくなるのを我慢している。水回りをしていると田んぼの様子が気になるものだ。
 
 もう8時には誰かが来ていて、一緒に見回った。田んぼの準備が良く出来ているので、実に楽な水回りだ。30分以上かかったことは一度もない。田植え直後から大きな問題はなく、微調整だけなので、手間はかからない。朝の田んぼを散歩するのだから、これは仕事とは言えないだろう。

 小田原に居た時には水回りが私の仕事だったことが長い。何十年もしていた。水回りが楽しくて、ついつい一日3回も行ってしまった。そんなに行く必要はないのだが、朝に水調整をすると、昼頃どうなっているかと思うと、ついつい出かけてしまう。

 
 マゴノ森の草刈りをした。大豆の会の人たちと大勢で、1時間ほど草を刈った。かなりきれいになった。草刈りは溜池も行った。溜池は予定日が雨が降りそうだったので、渡部さんと2人でほとんど草を刈った。予定日は晴れて大勢消えくれて、刈り取る草が少なく、物足りなくさせてしまったかもしれない。

 夕方も風呂屋に行くついでに、通り道なので3回目の水回りをしないではいられなかった。今回も朝以外も通るので見たくなるのだが、朝だけにした。これから持ち回りで朝30分の水回りを行う。朝の30分のみんなの共通の仕事にしたい。その意味で朝以外は行くのを我慢した。

 今年タマネギとジャガイモがとても良かったのは、天候のせいもあるが、土壌が出来てきたという事も感じた。裏作というか表作に大豆を作っている。この繰り返しが4年目になった。山の赤土ローム層の土壌を削って、段々畑にしたものだ。大豆の力を感じる。

 全く肥料分のなかった土で、良く畑の土になってきたと思う。大豆の会でそば殻や米ぬかを相当に入れている。大豆の残渣も漉き込む。そうした繰り返しで4年が経過して、良い土になってきた。良い土になれば、当然タマネギもジャガイモも良く出来る。5年で有機農業の土壌が作られるという事の実践例だろう。

 もう一つは高畝栽培がある。先日の豪雨もそれはすさましいものだったのだが、高畝の為作物に被害がない。雨が止んだ翌日の午後も、畝間が川になっている。それでも作物には被害がなかった。タマネギのベットが30センチ高。ジャガイモは50㎝はあった。

 ジャガイモは大きな高畝の中に2列にジグザグに植えらえている。ジャガイモは反収で言えば、3、5トン以上ある。これは全国平均反収3,231キロ以上の収量である。ここでも有機農業の優位性を示している。有機農業は手間はかかるが、収量は慣行農法に劣ることはない。これを誤解している人が実に多い。有機農業の人がいい訳に使う事もある。

 タマネギは最初に大きめのものを100個収穫したのだが、1週間の間に残ったものがまた成長していた。有機農業で大きなタマネギを作るのは難しいとされているが、今年のタマネギは売られているような大きなタマネギになった。玉ねぎも慣行農法を超えている。農の会の実力の高さを示している。

 有機農業だから収量の低いのは仕方がないというのは、努力不足なだけだ。叢生栽培とか、不耕起栽培とか、そいういう有機農業は収量は低いだろう。現代農業の科学的な成果を取り入れた有機農業を行えば、慣行農法の作物よりも活性化するのは当然のことである。自然の摂理である。

 小田原の農業は今回も充実したものだった。いつもやってくれている小田原農の会の仲間のお陰だ。特に渡部さんには感謝しきれない。機械のことで苦労しているらしいが、何か機械のことで渡部さんに恩返ししたいと思っている。良い形はないものだろうか。


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小田原欠ノ上田んぼの田植え

2023-05-30 04:14:19 | あしがら農の会


 一番奥でボーとしているのが私。みんなは真剣に田植えをしている。



  欠ノ上田んぼの全景である。写真の所が全体である。この写真の右側の方はまだ田んぼにしていなかった状態である。ここにあったみかん畑を片付けて田んぼにした。久野川沿いの3反ほどである。担当名は以前のもので今は変わっている。

 小田原に来てすぐに日曜日28日田植えをさせてもらった。何も田んぼ準備には参加していないので、申し訳ない田植えだった。しかし楽しい田植えだった。石垣島の台風対策などがあったので、田植えにギリギリ間に合っただけでも感謝しなければならない。

 「ゆく河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず」と鴨長明 は無常を書いている。田んぼにくる水は、元の水にあらず。元の水ではないが、同じ水である。石垣島の田んぼの水も、小田原の田んぼの水も水に変わりはない。水の恩恵を思うと、むしろ永遠が染みてくる。 

 今年の欠ノ上田んぼの田植えは60人越えの参加者だった。しかも、参加者がとても真剣に田植えに取り組んでいて、実に気持ちの良い田植えが出来た。かきのうえのメンバーが30人ぐらいだから、半分は体験参加なのだ。その人たちが真剣に作業をしていたことに、何か新しい方向を感じた。

 その体験参加者の多くの方が、有機農業塾の方々である。農の会で続けている活動である。有機農業の技術を学ぶ場を作っている。根守さんが塾長で、渡部さんが活動を支えている。この活動ももう5年以上になるだろう。私がまだ小田原に居たころ始めた。

 明治大学の黒川農場で行われている、市民講座である。そこのやり方を学んで、小田原で取り組んだ。根守さんという適任の方が熱心に活動を続けてきた。自画自賛になるが、他に例を見ないすばらしい活動になっていると思う。ここから新しい何かが必ず生まれるはずだ。

 有機農業を市民が取り組むというのは、自給活動であるのは確かなのだが、志の問題である。志がなければ有機農業をやってみようなどとは思わない。今の地球環境はこのまま進めば崩壊である。誰がどうやって止められるのかもわからない。やれることをやってみるほかない。それが、有機農業である。

 人間一人は有機農業で100坪の土地で毎日1時間働けば、食糧自給が出来る。これが私の身をもって実践してみた結果である。但し、この食糧自給は助け合って、協働で行わなければ実現できない。その共同の仕組みが、あしがら農の会である。石垣島の「のぼたん農園」も同じ試みである。

 1990年に山北で一人で田んぼを始めた。そのころに山北でMOAの人たちと有機農業研究会の活動を始めた。1996年に農の会の原型になる田んぼを谷峨の奥の不老山の山麓で始めた。やっとここまで来たという気がする。しかし、まだまだである。日本全体の流れを見ると、こうした自給活動は埋もれていて、火を消さないための努力が必死に続けられている。

 それは宮沢賢治のイーハトブなのだと思う。向かうべき理想郷であって、現実社会はさらなる拝金主義が覆い始めている。拝金主義的な考え方の人が、こうした自給活動にも加わる。その軋轢が生じる。宮沢賢治は苦しむ事になる。これが現実である。しかし、30年続いたのだ。

 農の会は希望だ。時代の主流にはならないものだろうが、失われてはならないものだと思う。志を心に秘めた若い人が現れている。その若い人はこのひどい時代の中で、私の若い頃よりもつらい挑戦をしているはずだ。何の力にもなれない訳だが、希望の火だけは消すわけにはいかない。

 私が小田原を離れて、もうすぐ5年になる。この間小田原の活動は成長し整ったもののになった。田んぼを見ると良く分かる。これほど整えられ田んぼは初めてである。崩れやすい棚田を良くここまで改善できたと思う。冬の間も畔を直し続けてきた。

 メンバー以外の田植え参加者にはここまで整備する作業のことは見えないだろう。しかし、みんなの力が合わさり、田んぼが出来ている。それは江戸時代も同じだったはずだ。もう私のやれることもないのだが、出来る限り参加させてもらいたいと思う。

 苗がとても良かった。苗箱に入れた燻炭の多い苗土が素晴らしい。5葉期4分げつの苗で田植えしたのは初めてである。苗を触ると固い。燻炭が影響しているのだと思う。こんなにしっかりした苗を作れる技術力は、他にはないのではないだろうか。

 有機農業は慣行農法よりも優れたものだという事が証明されている。有機農業の苗の素晴らしさは、手間暇を惜しまない作業で実践されている。この素晴らしい苗を作るために時間は、拝金主義には捻出できないものになる。最高の苗を作る、惜しまない努力がすごい。

 今年の田植えで画期的だったのは子供田んぼの田植えである。子供だけで植えた田んぼがあるのだ。20人ぐらいの小学生ぐらいの子供たちが、横一列になって、田植えをした。ちょっと涙が出るような眺めだった。現代の奇跡を見るような気持になった。

 昨日も水回りの後上から眺めて、子供田んぼがきちっと植えられている事が分かった。誰かが捕植をしてくれたのだろうか。この子供たちが生きる社会は世知辛いはずだ。どこかにイーハトブがなければならないと改めて思った。

 今年の新しい試みは水回りを交代で行う事になった。昨年の担当者が負担が大きすぎて、続けられないという事になった。今年は希望者が交代で水回りを行う。私もまず1回目の1週間を行う。来た時は必ず行えば、4週ぐらいは引き受けられるかもしれない。

 田んぼの水回りは20週だとすれば、5人が協力すれば、何とかなる。あと4人がいればと思うが今4人はいる。後1人いたら、何とかなる。こうした大勢でやる水管理がどうなるかは未知数だが、何とかなるはずだ。一日だけでもやってくれる人がいて、みんなでやることが出来ればより良い形になるかもしれない。

 農の会の活動に、世間の経済を持ち込まないことだ。「やれる人がやり、必要な人が貰う。」これは欠ノ上田んぼの最初の代表だった岩越さんの言葉だ。この気持ちがなければ、活動の本質に迫れない。たぶん若い人にはその気持ちがあったとしてもできない。本当の厳しい生活を迫られている。

 例年そうなのだが、田植えが終わり翌朝にはもうイネは根付いていた。これは凄いことだ。この停滞のない成長イネこそ、畝取りのイネ作りである。今年は冬の緑肥も良く育っていた。苗も良かった。田んぼの整備も立派にできていた。

 今日梅雨入りしそうである。天候次第ではあるが、立派な秋の実りが今から楽しみである。農の会の実りが、田んぼの実りに反映するように、余り手伝いも出来ないのだが、身体が動く間は何とか協力してゆきたいものだ。

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あしがら農の会の畑や田んぼの様子

2023-04-04 04:39:48 | あしがら農の会
 31日から小田原に来た。1,2日と農作業をした。

  舟原溜池のカキツバタ。水が順調に入り、元気な様子だ。株分けできなかったので、この秋には何とかやりたい。


 あちこちに株分けした株一株が大きくなった。手前の株をもう少し広げたい。


 全体で見ると、もう300株ぐらいにはなったのではないだろうか。


 タマネギ畑である。一番左側が私が植えた株である。かなり良い出来だ。ネオアースである。舟原で作る場合、冬の風が乾燥させてしまうので、穴あきビニールでトンネルにするのが一番良い。トンネルはよほどしっかりさせないと風で飛ばされる。


 一番上の段のタマネギと、小麦。去年よりだいぶ良くなった。去年はまだ土が悪かった。大豆麦と連作していると、だんだん良くなる。


 ジャガイモが立派に成長していた。回りに敷かれているのが、そば殻である。そば殻が本効果があり、ジャガイモも良くなる。


 ジャガイモ畑の全体である。一畝ずつ名札がたっている。笹村の場所ででゃあるが、笹村が出来ないで、結局全部渡部さんがやってくれた。渡部流のたか畝栽培である。いつも一番良く出来ている。


 庭の桜が満開だった。庭のサクラも大きくなり過ぎた。小田原に越して来たころは2mくらいのものだった。ここに以前大木があり、それを切った後に出てきたものだ。

 
 家の脇の小麦、素晴らしいできである。過去でいい板成績が良いのではないだろうか。11月蒔きで、まだ穂は来ていない。


 ビールの醸造の講習会。黒柳さんの所で、ビール講習会があった。この日は発酵されたもののビン詰を行った。ビールづくりがいかに難しいものであるかが分かった。
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溜池工事、味噌づくりの会、田んぼの畔直し

2023-01-31 03:57:03 | あしがら農の会



 まず小田原に来た翌日、早速に溜池の工事をおこなった。準備段階で石垣から連絡を取り合いながら、何とか資材の用意をお願いしていた。13人の人が集まり、集中して作業をした。石垣に沿って土を盛り上げて、その高さまでは水が石垣の隙間に漏れて行かない状態に工事を行った。

 何度か溜池では石垣の穴にモルタルの目地で詰めるという事をしたのだが、それでは水漏れが止まらないところまで、穴が開いてしまった。石垣の中は空洞が相当にあると思われる。なかなか水漏れを止めるのは難しいものだ。そこで一定の高さまで土を盛り上げてしまう事にした。前から石垣際は浅かったから、可能だと考えた。

 少なくとも土を入れた高さまでは水位が保てるようになるはずだ。盛り上げた土の量は2トンダンプ2台分。その土をネコで運んで、溜池の下でセメントを土に混ぜながら積み上げていった。泥セメントである。前回も上下の溜池のダムを泥セメントで固めたのだが、水漏れは上手く止まった。



 今回はもう少し場所を広げて、工事をした。人数がいなければできない工事だったのだが、平日にもかかわらず、13人も集まってくれた。仕事を休んできてくれた人までいた。おかげで午前中に終わることができた。何しろ、午後雨の予報である。雨が降れば土が濡れてしまい、運ぶことも、工事も困難になる。

 全力で午前中に工事をやり切った。午後は予報どうりかなりの雨になった。みんなで気持ちをあわせて、協力するという事は実に爽快なことだ。こういうことが可能なのは、この工事が誰かの利益という事ではないというところにある。久野に人が集まり始めた江戸時代初期の農業遺構、元治の舟原溜池を何とか守ろうという事だけが目的だからだ。

 農政課がダンプ2台の土とセメントを10袋現物提供してくれた。有難いことだ。それがなければできない。こちらには一切予算がある訳ではない。里地里山協議会のボランティア活動という事なのだ。この溜池の再生は小田原での最後の仕事だと思っている。上手く完成まで持ち込めるところまで来た。

 溜池の掃除から始まり、10年がかりである。後世に残れば、未来の小田原の大切なものになると考えている。久野の傾斜地に、棚田が作られた時代。そしていまそれが終わりを迎えようとしている。溜池と棚田が具体的に生きたものとして、見える形で残されることが、久野の昔の暮らしを考える起点になると考えている。

 29日には味噌の仕込みを行った。諏訪の原のマゴノ森で大釜2つで行った。前日の午前中が大豆洗い、大釜の設置という準備作業。準備にも10人以上は集まった。いつもそうなのだが、味噌の仕込みは前日準備がかなり大変なのだ。ここでもみんなが積極的に準備をしていた。私が小田原を離れて、自主性がずいぶん増している。

 翌日のいよいよ仕込みは朝早くからやるとは思っていたのだが、6時に行ったときにはすでに大勢が集まっていた。10人以上いただろう。これも昔とは違う。誰もが自主的に集まり、やる気満々である。この空気が懐かしい。何か気持ちが朝からはやる。

 朝の内からどんどん集まり、80人にはなっただろう。早速にみんなが自分の敷物を敷いて、味噌を仕込む場所を作った。さすがに広いマゴノ森だけれど、かなり森の中全体が人であふれたのは壮観だった。私は車の中で味噌を仕込んだ。この方がだいぶ楽だ。

 大豆は11時ごろには煮あがった。それをみんなに配るだけで、1時間はかかった。すべて渡部さんが一人でやり切った。すごい体力である。全員に大豆を配り終えたころには早い人は仕込みが終わっていた。大きなみんなでやる活動は、コロナ発生以来久しぶりのことのような気がした。

 楽しいみんなの活動がなければ、農の会も元気が出ない。時々はなにかこうしたことをやりたいものだ。今度は収穫祭に餅つき大会ぐらいできないものかと話した。収穫祭も室内では難しいので、欠ノ上の田圃ではやれるのかもしれない。マゴノ森の野外収穫祭もその昔一度やったことがあった。

 欠ノ上田んぼの3か所の畔直しをした。こちらも軽トラ2台分の土が入った。水の入水口、排水口で水漏れが起きている。一度掘って埋め戻したが、周りもだいぶ傷んでいる事が分かった。これではまだまだ工事が続くことだと思う。ユンボを借りてきて、思い切って作り直さないとダメそうなところが多いい。

 土もかなり足りないので、今後土を購入して、田んぼのそばに置いておき、一気にやる必要があるのではないか。まあそんなことは今更私が口を出すことではないのだが。このままでは水管理が大変になるばかりだ。一度思い切って直さなければだめだろう。

 もっと畦全体を掘り取り直さなければ、水を入れてから壊れるはずだ。これでは十分な水管理ができない。田んぼを作ってから20年近くになる。もう手直しぐらいでは済まなくなっているようだ。結構大変なことになるが、そこまでやれるかどうかが問題である。

 新しい人が、3人参加していた。やめて行く人もいるが、入ってくれる人もいる。こんな楽しい田んぼの活動だから、いつまでも続くに違いない。楽しい自給活動。こういう場があるという事が大切なんだと思う。いつも子供たちが来てくれるが、ここで蒔かれた種が、必ず育つと思う。

 農の活動の良さは、みんなで協働するというところにある。協働して初めて自給が実現するという事を身をもってわかる。もちろん一人でも自給農業は出来る。しかし、みんなでやれば、労力は半減する。みんなの農業では初めて農業をやる人にも、その役割がある。

 その上に良い仲間が出来る。現代社会で信頼できる仲間が出来るという機会はなかなかない。一緒に汗を流して働くという事が大切なのだと思う。特に子供には良い機会だと思っている。時々子供を腹を立てて怒ってしまう。親のほうが緊張する。それでも子供は怒る時は怒った方がいいと思っている。そうしてだんだん子供はどこまでぐらいなら許されるかが分かる。

 道具を粗末にすること。田んぼの中をめちゃくちゃにすること。これは子供でもダメだ。段々に子供が働けるようになればいいのだが、それは別に期待しているわけではない。大人自信が面白と思ってやっていることを見る機会になればいい。嫌なことをやらせていいことなど何もない。

 今回も短期間であったが、いろいろやることができた。タマネギと小麦の畑も草がなく、きれいになっていて今回はやるようなことはなかった。穴あきビニールも少しもはがれた様子はなかった。早くからビニールを張った私のタマネギが一番活着が良く、期待が出来そうだ。

 
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小田原から台湾へ

2023-01-27 04:46:33 | あしがら農の会
 
 水牛のさくら、網をくぐり脱走するのを覚えたので、今は紐で繋いである。しばらくすれば、繋がないでも逃げなくなるかもしれない。入口が二重の扉になったならば、紐から放そうかとおもっている。水牛も紐がないとやはり元気が違う。放牧が一番だ。人間もその方が楽だ。

 今日から小田原生活である。一番寒い季節に、わざわざ温かい石垣島から来るのだから、身体を壊さないようにしなければならない。一昨年の冬に小田原に来て、身体がおかしくなった。今回の小田原生活には色々のことが詰まっている。今日初日の27日は、まずは溜め池の修復工事である。

 溜め池の一部で水漏れが起きていて、なかなか修復できない出来た。大きな木が石垣に根を張っていたのだ。その木が風でゆれるもので、根がだんだんに石垣を壊していった。石垣のそばに大きな木はだめだ。その木は切って半分に割り、溜め池の入口の丸太橋にしてある。

 漏れている石垣に沿って土を入れてしまい、細い道を作る。今までも途中までは道があったのだが、それを延ばすことにする。ドドノ程度の幅で出来るのかは土の量があるだけ入れたい。土をダンプ2台市が運んでくれる。セメントも小田原市が現物支給してくれることになった。

 小田原市の土地に在る溜め池で、管理責任は小田原市がしているため池である。その管理委託を里地里山協議会が受けている。以前は欠ノ上の水利組合が管理していたのだが、管理しきれなくなり、こういう形になった。ごみ捨て場に忽ちになってしまったのだ。

 この溜め池をカキツバタの群生地にする。そうすれば維持されると考えている。花は人を引き付ける。美しい花が咲いて居れば、それを汚そうとはしないと思う。また誰かがその花を、守ろうとしてくれると考えている。あと数年すれば、カキツバタの群生地と言えるだろう。

 今回市が用意しえくれた土を溜め池に入れる作業を行う。土はセメントと混ぜ込みながら、固めて行く。上の方は土だけで大丈夫だと思うが、石垣際の漏れているカ所はかなり深刻なので、泥センメントでしっかりと固める予定。人は7,8人は一輪車持参で集まってくれそうだ。

 修復地点が、土を運び込める場所から、30mある。ここを頑張って一輪車で運ぶ予定である。ともかく人手がなければできない仕事になる。天気ももう一つのようだし、どうなることか心配である。天気の回復を祈るばかりである。

 今回の工事が溜め池工事の最後のものになる。これ以上は修繕はいらないと思う。後は日常管理だけだ。2月に小田原に来たときに、草刈りをして、またカキツバタの移植をしようかと思う。昨年秋に移植するつもりが、出来なかったので、2月なら大丈夫だろう。

 28日は欠ノ上田んぼ修復工事がある。畦が弱くなっているらしい。こちらも出来ればユンボを入れて、大がかりな工事が必要だと思う。しかし、今回はそこまではやれない。今回畔直しをしながら次回の工事予定を考えておきたい。

 29日は大豆の会の味噌造りだ。いつも以上に盛大に行われるようだ。大豆も豊作だった。今回味噌造り参加費は無料である。なんと私が大豆生産量クイズのニアピン賞だったのだ。私などが当てたのはまずかったのだが、当たってしまったので仕方がない。

 30日は小麦の草取りか。玉ねぎの管理もある。どんな状態なのかは分からないが、やれることを探してやりたいと思う。欠ノ上の畦直しが終わらなければ、この日も続けて作業をやりたいと思う。小田原に来た時しか手伝えないのだ。

 そして、31日が水彩人の総会。今回は25回の記念展に向けて、色々準備がある重要な会議。記念展では展示主任の役であり。部屋ごとに特徴を出す、新しい試みを考えている。今回、水彩人同人会員をすべてに投票をしてもらった。その結果は、展覧会会場で表現される。

 大きな作品だけの部屋と、小さな作品だけの部屋とを設ける。今までは小さな作品が大きな作品の穴埋めのようになっていた。これでは一点一点を尊重した展示と言うことにはならない。未だに水彩人も作品は大きいほど偉いというようなおかしな考えがあったのだ。小さい作品はおおきなものの引き立て役ではないのだ。

 もう一つは水彩人の同人会員が考えている、水彩人の方角を示しているのでは無いかという絵を集めた室をつくる。そのためのに投票を行った。その部屋に飾られる人は、今回大いに頑張って選ばれた人に、水彩人に相応しい作品を制作して貰いたいと思っている。

 そして、いよいよ2月1日には台湾に向かう。やっと台湾に行けるようになった。台湾はコロナに対して厳しい制限をして、感染者の数は少なかったのだが、やはり一時は感染が広がった。やっと今年に入り、入国条件が緩和がされた。待ちに待った台湾行きである。

 今回は台湾で王さんという方にお会いできる。台湾の農業の種苗のことを色々聞かせていただくことになっている。聞かせていただいた上で、出来れば種苗店を尋ねてみたいと考えている。台湾の稲作、大豆、小麦その辺の事情を教えてもらいたいと考えている。

 台湾は食糧自給に真剣である。今も台湾の水土に適合する品種の作出を続けている。石垣島の気候は台湾に似ている。日本本土の品種を作っても十分な作柄と言うことにはならない。そこで、石垣島の水土に合う台湾の品種を作ってみたいのだ。持ち出しが禁止されていない品種を探してみたい。

 もう一つやってみたいことがある。台湾から石垣島に荷物を送ることだ。コンビニから荷物が送れるらしいのでそれも調べてやってみたいと考えている。送れるものが限定されているらしい。何が送れて何が送れないのかも調べたい。洋蘭は台湾から送ることが出来る。

 短期間の小田原滞在だが、色々おもしろそうなこと満載である。まだまだ動ける間はこうした2地域居住を続けたいと思う。そしてそのついでに台湾による。居住というか、2地域農業と言うことになるのかも。それでも石垣の農業の方がだんだん重くなってきている。小田原は参加者という範囲になってきた。

 溜め池の作業は大工事としては最後かと思っている。動ける間にここまで出来て良かったことだ。ここまで出来れば後は維持管理だけで良いことになる。余り動けなくなっても、草刈りぐらいはまだまだ出来るはずだ。続けていれば必ず道は開ける。

 それにしても、寒さは厳しい。外はマイナスの気温だ。石垣とは大違いだ。パソコンの前の温度計が14度である。このくらいなら寒いとは言えないのだが。暖かさになれてしまったのだろう。
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小田原の農作業

2022-12-01 04:51:16 | あしがら農の会


 今回小田原では、大豆の収穫。小麦の播種。玉ねぎの植え付け。この3つを行った。予定通りできた。こうして小田原の農作業が出来ることは、農の会のみんなの日ごろの活動があるからだ。それに加えてもらえうという事は、幸運というほかない有難いことだ。

 まだ寒さもきついことはなく、農作業には恵まれた季節であった。一週前の大豆の収穫はだいぶ雨に悩まされたようだったが、今週は作業中に雨が降ることはなく、その点は良かったのだが、やはり大豆が湿っていて、脱粒機が不調になってしまった。

 最近の農作業は天候の荒さに悩まされることが多い。例年通りという事がない。強い雨が降ると思えば、晴天が続いて乾きすぎる。その都度その状況にあわせる対応力が必要になる。農の会のようにみんなでやる農業はなおさら日程を組むことが難しくなっている。

 その結果もあって数人の人に作業が集中することになっている。そうした事前事後の作業を担う人がいてくれるから、活動が成り立っていることを参加者全員が考えて行かないといけないのだろう。暮らしてゆくことも、若い人たちはより厳しくなってゆくだろう。

 そうした中、活動の継続がどうすれば可能なのか、何が自分にできるのかを考えた小田原滞在であった。できれば生きている間は小田原に来たいのだが、身体が動かなくなればそれも無理だ。一年でも長く続けられればうれしいことだ。

 大豆は過去最高の収量であった。粒の形も大きく、まん丸になっていた。良くここまでの大豆栽培の技術を高めたことだと感銘を受けた。小糸在来種は特別においしい大豆ではあるが、栽培は難しいし、多収は出来ない品種である。小糸在来種を自然栽培で、これだけ完成した栽培法に至ったことは素晴らしい努力だと思う。

 大豆は良い土壌でなければうまく育たない。その上に肥料を必要とする作物である。大豆に肥料をやれば、はばかり山のホトトギスで、葉ばかり茂って実が付かないと言われる。しかし実際には適切に肥料を入れない限り、充分の収穫は得られない。農の会ではソバカスやそばガラを土壌に入れて、耕運を繰り返している。

 80cmの畝幅にして、耕運機で間を耕して土寄せと草抑えをしている。収穫が終わった時にはずいぶん高い畝が残っていた。そばかすを撒いてそれを土寄せをするという形で、大豆の出来が良くなったのだろう。80センチ幅でも隙間がないくらいの出来だった。

 農地をお借りして4年目にしてその成果が出てきたという事のようだ。特に総生寺裏の畑の土が良くなっていることを畑を歩いていても感じた。大豆は土づくりという事に尽きる。農の会では肥料と言っても、堆肥を入れる訳でもない。もちろん化学肥料を使うはずもない。

 作付けを麦と大豆で輪作している。その間にそばガラやソバカスや選定チップを投入している。草抑えの為に入れるそば殻も、効果があると思われる。投入量を調整することで年々大豆が出来るようになった。裏作になる小麦もかなり出来が良くなった。

 小麦は今年は、ニシノカオリとミナミノカオリの2種播種した。小麦を播くのが11月末という事で少し遅い気はするが、最近あまり寒さが来ないので、遅いくらいがいいともいえるのだが、いずれにしても大豆が終わらなければ、麦は播種できないというギリギリの線なのだ。11月中には何とかということになっている。

 今回も午前中に大豆の収穫が終わって、すぐにソバカス撒きをみんなで行った。そして午後に、トラックターで耕運しているその場で、終わったところから、小麦の播種を始めた。トラックターが舟原の畑を耕運してくれている間に、総生寺裏の小麦を播き終わった。

 40センチ間隔でごんべいで播種した。すぐに舟原の圃場に行き、トラックターが終わっていたので、小麦の播種を始めた。小麦は大豆と兼用のゴンベイで撒いたのだが、播種のローラーを2枚飛ばしにして蒔いて、1反あたり5キロだった。土壌の湿り気が多かったので、播種器の車輪に泥がへばりついて持ちあがり、少し不安定だった。

 購入したみなみのかおりの種は粒が小さかった。昨年収穫したにしのかおりのほうが2周り大きい。のうけんから購入した小麦種はできの悪い種なのかもしれない。キロ千円はしたようだ。そんなに高いのちょっとがっかりだった。

 播種の様子は土壌が雨の後の割には悪いほどではないと思う。これも土壌がよくなった表れだろう。排水性が向上した。播いた翌日の雨の天気予報が出ていたので、急いでやるほかないという事だった。予報通り雨になった。播いてすぐ雨が降ってくれれば、発芽は早いことになる。

 今年の小田原の11月は比較的暖かいから、小麦の播種時期としては11月28日は悪くなかったかもしれない。昔は11月11日を小麦の播種日としていた。それは戦後小田原で小麦を作った人から聞いた話だから、今なら28日でちょうどよいかもしれない。早く大きくなると寒さにやられやすい。

 小麦の播種が終わると、すぐにタマネギの会の区割りを行った。連作をしないジャガイモの畑と回しているので、上手く回せるようにしなければならない。日当たりの問題があるので、場所決めがなかなか難しい。結局タマネギは昨年のと同じ場所にして、上の畑の方に少し広げることにした。一人の幅を1.4mにした。

 私は昨年と同じ一番奥の場所を与えられたので、すぐに苗を買いに行った。みんなの苗床の作業には加わっていないので、購入苗でやるほかない。堀井商店で400本買ってきた。品種はネオアースである。晩生で持ちが比較的よく保存がきくので好みである。

 昨年作ったタマネギはちょうどなくなる所だ。高めのベットを作りトンネルをかけ終わるまで、2時から植え始めて、5時までかかった。小田原の今の季節の5時は真っ暗だ。4つの穴あきビニールトンネルをかける。舟原でタマネギがそれなりにできるようになったのは穴あきビニールトンネルのお陰だ。

 玉ねぎがなかなかできないので、試行錯誤した結果穴あきビニールをかける方法を考案した。それから舟原でも玉ねぎができるようになった。真冬は明星岳からの吹きおろしで、舟原では寒すぎるのだ。土壌が乾き、土が飛ばされてしまう。風のあたらない畑ならばなんとかできる。

 穴あきビニールは保温もあるが、土壌が風に飛ばされない効果が大きい。もう一つが飛んでくる虫を防ぐ効果がある。昨年は私だけがトンネルをして、他の人は穴あきマルチなどだったが、虫にやられてどうもうまく出来なかった。

 それでトンネルの良さをみんなも少しは感じてくれたようだ。玉ねぎというと穴あき黒マルチで作る人が多いい。本に出ているからだ。草が出ないということもある。どうも土壌をビニールでぴったりと覆うのは気持ちが悪いので、使わない。

 
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欠ノ上田んぼん7月26日

2022-07-26 04:15:16 | あしがら農の会
 ここは直播田んぼ柿の下田んぼのCである。一応私が担当なのだが、充分なことは当然できないし、皆さんがやってくれている。今回の小田原では拾い草や畔の草刈りぐらいはするつもりだ。

  小田原に来た。早速、田んぼを見て歩いた。欠ノ上田んぼの出来が素晴らしい。一番興味があった直播田んぼも、素晴らしい成長だった。直播がここまで良くなるという事が分かって、希望が湧いてくる。やはり、自給農業は楽でたくさん収穫がなければ、と思う。

 それにしても、欠ノ上田んぼ全体の出来が素晴らしい。特にマンゲツモチの状態が最高の出来ではないかと思った。この姿はかつてみたこともない良さだ。このまま行けば畝取り間違いなしの出来である。現在、穂ばらみ期である。120㎝はある株姿である。茎も太くて開帳型である。しかも、乱れがない。

 欠ノ上田んぼは全体に草が良く押さえられている。雑草はわずかでもあれば生育に影響する。稲作に除草は必要なことだ。稲作でも叢生栽培と言われる方がいる。たぶん、そういう栽培体系もあるのだろうが、どういう事になっているのか想像すらできない。

 たぶん、収量は6俵どまりだろう。そして生命力があるとか、力があるとか、病をいやすお米というようなことになるのだろう。自給農業で一番大切なことは、最小限の労働で、最大限の収量を得ることだと思う。化学肥料や農薬や化石燃料は出来る限り使わないでという条件だ。

 コロガシと手取り除草である。草を出さないうちにやらなければならない。草が出てからとるのではおそい。これからのぼたん農園でも草に苦労するようになるだろう。どうやって草を出さないかが課題になる。欠ノ上田んぼを見習わなくてはならない。

 直播で畝取りできれば初めての事になる。直播をしたⅭ田んぼは、田んぼにしてまだ2年目のことである。それでもずいぶんよくなっている。管理がとてもいいのだと思う。去年悪かったところがずいぶん改善されている。まだ一部に生育の悪いところがあるので、追肥をすることにした。

 柿の下田んぼはハルミである。特Aをとった神奈川県の全農が作出したお米である。全農作出のお米が奨励米になった初めてのものである。キヌヒカリとコシヒカリを交配した品種。畝取りは簡単ではないお米だと思う。完全に柿の下田んぼの栽培に適合した感じである。

 有機農業に向いたお米の一つだと思う。サトジマンも有機農業向きのお米だと思う。つまり、有機農業で畝取りできる品種である。そして、充分においしいお米だとおもう。味は主観なので、なんともいえないとおもうが、欠ノ上田んぼのお米はいつも美味しいと思って食べている。

 今年は梅雨明けが早かったので、初期生育がとても良かった。その意味では肥料を消耗している感じはした。しかし、これ以上追肥すれば、倒伏するだろう所まで来ている。ここは欲張らずに、この後土壌を固めてゆくことを考えるべきだろう。

 倒してしまうと、作業も大変になるし、収量も無駄にすることになる。それくらいなら、少し後半終了が下がるかもしれないが、もう穂肥は入れないでこのまま土壌と水とイネの力にかけた方がいい。間断灌水である。土壌に酸素を送り込むつもりで、水を入れては落すことを繰り返す。

 ただし、これからイネが花を咲かせる時期なので、きつく土壌を乾かすのは厳禁である。湿り気のある、水が無くなったと思ったタイミングで水を戻すことがコツだ。このやり方をすると、根が水を求めて深く土壌に入り込む。水を入れ続けると、どうしても上根だけが広がることになる。

 水がこなければ土壌の深いところに水を求めて入ってゆく。まあ地面が割れれば、そこから酸素が水とともに供給されることになる。根の環境が活性化されて、肥料分がイネが吸収しやすい形になるようだ。この辺はあくまで観察で感じているだけで科学的な検証をしたわけではない。

 昨年から、苗にヒエが混ざる現象が目立つようになった。その原因が分かった。畔にヒエが生えるようになったのだ。その種が落ちて、田んぼに広がるようだ。雑草はともかく実らせてはならない。種がこぼれれば、手に負えない。

 お米は最高の出来で作られたものが美味しい。しかも、化学肥料ではなく、土と水の力で作るお米が美味しい。欠ノ上田んぼの場合、20枚の田んぼを連ねて作っている。上の田んぼの水が徐々に下の田んぼに流れてゆく。最後の田んぼでは水は外には出さない。

 田んぼで水を作りながら、次の田んぼ次の田んぼへと水を受け渡す。最後の田んぼ以外は流し水管理である。田んぼの水は動いていることが重要である。最後の田んぼでも動かしているという事は必要なのだが、もったいないことなので、最後の田んぼでは水は浸透できる程度に上から流す。

 この水管理は20枚もあれば、極めて微妙な作業になる。私以外にはできないと思っていたのだが、なんと今の担当の東さんは私よりも完ぺきにこなしている。初めての年でこれほどの管理ができたという事は特別な才能があるのだろう。やはり絵を描く人なので、それだけの観察眼があるという事かもしれない。

 この作り方だと下の田んぼに行くほど出来が良くなる。水温のこともあるが、それよりも各田んぼで水が豊かなものになり、下の田んぼに入る。これを繰り返して、行くので下に行けば行くほどよくなる。田んぼの中で水は肥料分を増やしている。

 しかも、下の田んぼに行けば行くほど、汚染物質も少なくなってゆく。川から水を取り入れた時に、いくらかの汚染物質があるとしても、徐々に減じてゆき、最後の田んぼに入るころには、最も安全な良い水になっているはずだ。そして入れた水はすべて土壌に浸透させ地下水として、環境に戻してゆく。

 欠ノ上田んぼを復田して本当に良かった。1haぐらいの田んぼを作ったのだが、そのすべての田んぼが畝取りできる田んぼによみがえった。20家族以上がここでお米を自給できているのだ。農の会にはこうした田んぼグループが他にも10くらいある。他はもう少し小さい規模である。かかわり方は手伝い程度から、どっぷりはまったい人もいて、100家族ぐらいは自給の田んぼ活動をしていると考えていいのだろう。
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小田原の農作業

2022-06-29 04:33:24 | あしがら農の会


 6月25日、大豆の会の播種が半分終わった、総生寺裏の1反の畑。参加者は20人を超えたぐらいの人数だった。その前に早朝、欠ノ上田んぼの畔の草刈りをした。それに続けて、マゴノ森の草刈りを行った。すでに大勢が始めていた。涼しい内にやった方が楽だ。

 それぞれがどんどんやっていた。なにしろ、渡部さんは数日前に一通りの草刈りを事前にしたというのだ。雨の不安があるのでということを言われていた。今日の為である。理屈ではなくそういう気持ちが重なって活動が支えられている。

 まごのりさんとはゆっくり話も出来なかったのだが、マゴノ森がきれいに管理できるようになったことは喜んでくれていると思う。草刈り仕事は皆慣れている。草刈り機はほぼ全員が持っての参加である。20台を超えた草刈り機が1時間動けば、広いマゴノ森も一気にきれいになった。

 今回は六日間の小田原だった。短期間だけ小田原に来ることに、慣れなければならない。次に7月に来るのも短期間である。短期間気分転換に来るくらいの気持ちでいないいけないと思っている。もう少し小田原で作業がしたいがそれも出来ない。水彩人展のある9月は、1か月ぐらい小田原暮らしになる。水牛のことも心配になる。

 石垣ののぼたん農園も心配だし。なかなか十分なことはできないが、みんなにお世話になっている2地域居住なのだ。出来るだけこの体制で長く続けたいと思っている。私の役割もほとんど無くなってきた小田原生活だが、もう少し面倒を見てもらうしかない。まだ、幾らかは役に立てることもあるだろう。

 それにしても、家を管理してくれている渡部さんにはお世話になるばかりだ。今回も随分世話になった。それに見合うだけのことは到底お返しできていない訳だが、渡部さんにお世話になっている分を、のぼたん農園でお返しするほかない。

 のぼたん農園を自給農業の修学院離宮にすることが目的地だ。日本も世界も、転覆しかかっている。そんな警告をいくら発したところでもう無駄なような気がしている。しがみ付きたい人たちは不安が増して、強権を望む事になる。この先、政治は悪いところに落ち組んでゆく公算がつよい。

 ささやかなことでも、できることをやるほかない。私にあるのは自給農業の技術だ。たぶん経験のない人が、楽をしてお米を沢山とる技術は誰よりもあるつもりだ。これを伝えて役立ててもらう場を作るのが私の役割だと思う。まだまま船出したばかりの、のぼたん農園は方角は定まらない。なんとか形が定まるまでやり切りたい。

 と言っても体が動く間という期限がある。いつ病気になるかもしれない。何しろもうすぐ73歳である。それでもあと4年半頑張れるつもりだ。役割を全うするまでは、病気にもなれない。毎朝禅体操をして、身体を維持するつもりだ。

 今回の小田原ではまず、24日の夜に田中康介さんお通夜。これは悲しいお通夜だった。同志を失ったのは苦しい。康介さん本人が一番無念なことだったと思う。微力ではあるが遺志は引き継ぐつもりだ。康介さんのようには行くわけもないが、一緒に作った舟原ため池は必ずやり遂げる。

 最後にお会いして一緒に作業できたのも、溜池の草刈り作業だった。もうあの時は辛かったのだろう。長い闘病生活だったが、余りみんなに会いたくなさそうだった。それで私も会いに行かなかった。今思えば無遠慮でも会いに行きたかったが、そういう人だというのが、私の田中康介さんという人の理解だったので抑えた。

 思い出せば、欠ノ上田んぼを作ったのも康介さんのお陰である。自治会長の山口さんに繋いでくれたのも田中さんだった。田中さんの尽力がなければ進まなかった。地域の人が地域のために頑張ると、地域が動き出すという姿を見せてくれた。小田原という伝統の深い地域の中で、百姓として地域のことを動かすという事をやり抜いた人だった。

 私のようなよそ者にはわからない大変さがあったに違いないと思う。そういう事は決して口にする人ではなかった。強い人だったのだと思う。私を久野に惹きつけてくれた、久野の環境を守る会の人たちも、少しづつ亡くなられている。さよならだけが人生かとしみじみ。

 26日は田んぼの畔の草刈りは、朝の涼しい内でなければやれないほどの暑い日だった。引き続きマゴノ森で草刈りをしたことになる。欠ノ上田んぼは良い状態だった。コロガシが徹底して行われていて、草が少ない見事な状態。過去にないほどの見事な水管理。コロガシをしたり、草刈りをしたりしながら、田んぼに入ると田んぼが良く分かる。

 一本植えの苗が、開帳型の分げつを初めていて、見事な成長ぶりである。直播田んぼも悪くない。この後直蒔きがどうなってゆくのか興味深いものがある。小田原と石垣で並行して試せることはとても参考になる。直播の部分と田植えした部分の違いを見ると、直播は滞りのないという事がわかる。但し蒔き過ぎがどう悪影響になるか気になる。

 田んぼのころがしは26日午後の作業になった。午前中は田んぼの畔の強化だった。9番田んぼの草とりも少しやった。中に入ってみると小さいコナギがあった。小田原の田んぼの畔と石垣の畔は全く違うと思った。畔管理は小田原は大変な作業になる。

 コロガシは柿の下のAたんぼ。田んぼには入ってみなければわからない。その意味で、入って転がすと状態がわかる。まだ柿の下の土壌は十分な田んぼ土壌になっていない。土に粘りが少ない。それでも分げつは良くしている。ここまでは順調である。



 28日の午前中は舟原溜池の草刈りである。一ヵ月の間にかなり草が伸びている。毎月草刈りというのも大変であるが、これだけは何としてもやらせてもらう。溜池もだいぶ良くなってきたのだから、もう一息である。廣川さんも来てくれて、渡部さんと3人で2時間ほどで終わった。

 溜池の南東の角辺りに水漏れがある。これを塞がなければ下の溜池には水が溜まらない。石垣の水漏れを止めるのは大変なので、その手前に土を積んで作業道を作ってしまうのが水漏れを止めるには一番良いと思わる。この冬の作業だ。

 28日の午後になったが、玉ねぎ、ジャガイモを石垣へ送った。醤油味噌も石垣に送らなければならならなかった。玉ねぎは確かに一年分の365個以上ある。ジャガイモは段ボール人1箱だけの20キロぐらい。ジャガイモはそれなりには出来が、今年は量がもう一つであったが、面積も狭かった。

 短期間の小田原だったが、それなりに充実していた。田んぼの様子が良かったのが何よりである。来月ん10日ごろには田んぼ観測会をやる必要があるだろう。残念ながら今年は参加できない。梅雨がほとんどなかったという事で、イネはこのあと良くなるのではないだろうか。


 
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