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中国で子供の呼吸器疾患が急増

2023-11-30 04:20:28 | 暮らし



 中国はここ何カ月かで呼吸器疾患が急増したと報告している。一部の病院では一万人を超える子供が詰めかけたという。中国メディアは、小児病院に長蛇の列ができている様子を報道している。WHOも中国政府に状況を問い合わせている。また新型ウイルスかという不安が広がるが、違うと考えて良い。

 中国当局はこの疾患について、インフルエンザ、新型コロナウイルス感染症の原因ウイルスSARS-CoV-2、通常なら子どもたちに軽い症状しか引き起こさない一般的な細菌だとしている。この情報が正しいかどうかについてはWHOもコロナの前例があるために、懸念して、確認を繰り返している。

 コロナの時も隠蔽して済まそうとした。そんなことではすまないのが、新型ウイルスである事は、さすがの中国もよく分かっている。中国の政治体制の隠蔽体質が不安を広げている。中国当局は、既知の病原体であるマイコプラズマ菌、RSウイルス、インフルエンザ、新型コロナウイルスを病原として挙げている。

  中国以外でも、韓国とフランスで同様の肺炎症例が増加しており、主な原因としてマイコプラズマが疑われている。 それほど思い肺炎では無いという。大気汚染と、コロナ隔離からの解放が原因と考えてほぼ間違いが無い。

 アメリカではインフルエンザによる入院患者数が2010年以来の最多を記録した。感染症の増加は、パンデミック対策の緩和後に見られる一般的な現象といえるだろう。 日本も今年のインフルエンザ流行は、しばらく流行が無かった結果と見て良い。

 新型コロナでウイルスからの隔離が徹底して行われた。特に中国では。日本でもインフルエンザの流行が起きた。隔離の結果病原菌に体しての免疫力が低下していると思われる。汚いはきれい。きれいは汚いである。無菌室から出てきた子供達が、様々な菌に弱いのは当然のことだ。

 中国北部一帯は大気汚染で肺は弱っている。黄砂も頻繁に飛んでくる。PM2.5警報が今年も出ていた。大気汚染は徐々に緩和はされているが、黄砂の方は抑えることができないでいる。黄砂が来れば家から出られない状況は続いているのだ。

 わたしは今でもコロナやインフルエンザ感染に対して、人混みではマスクをしている。年寄はそのくらい気を付けたた方が良いと考えている。感染すれば重症化する可能性が高い。コロナで学んだことだ。野外では必要ないが、人が集まる密室はマスクが必要だ。

 先日小田原に行った時に感じたのは小田原ではマスクをしている人が多いと言うことだった。スーパーでは全員がマスクをしていた。石垣島ではマスクを見かけなくなっている。この違いには驚いた。やはり石垣島気質は解放を好むのかも知れない。

 中国では徹底したコロナ対策が取られていたから、子供達の病原菌に対する免疫力はかなり低下しているのではないか。中国の大気汚染は日本の昔と変らないほどだった。日本でも川崎病とか、四日市ぜんそくと言われるものが、経済成長期には全国に広がった。

 石炭の埋蔵量の多い中国では安価な燃料として、石炭が燃やされることが多い。日本でも60年前の学校の暖房は石炭ストーブだった。小学校ではストーブ当番と言うものがあった。朝早く学校に行き、石炭、薪、新聞、用務員室に行ってもらって来る。みんなが来るまでに、教室を暖かくしておくのだ。

 他所のクラスより遅れてしまうと、煙突が煙を吸い上げにくくなり、火を付けるのに苦労をする。家でも風呂焚き係だったくらいなので、率先してストーブ当番をやったものだ。一番先に用務員室に行く為に、まだ学校の門が開いていないうちに、学校に着いて待っていた。

 学校の煙突からは、何本もの黒い煙が立ち上る。これが大気汚染の原因になった。多分中国の農村部の貧しい家庭では、今でも工場や家庭で石炭が燃やされているのでは無いだろうか。北部は日本より寒い。しかも、砂漠化も進むばかりで、黄砂も頻繁に飛んでくる。子供達がマスクを外せば、何が起こるか想像が付く。

 中国でも公害問題を解決すべく、強引すぎるほどの抑制策が採られており、ここ10年徐々に改善されてきている。短期間の改善は中国の良い側面である。それでも、日本やアメリカに較べると、2倍程度の汚染状況になったところである。以前は10倍もPM2.5があった。

 新しい感染症がまた発生して、それを隠しているのではないかと言う疑いがある。とされているが、そうではないと思う。もしその可能性があれば、中国はコロナで都市封鎖をした経験がある。今度も同様の措置を執るはずだ。前回の失敗で懲りているはずだ。

 しかし、中国の子供達の肺が弱く成った、このことは確かなようだ。コロナの流行によって、衛生環境が劇的に改善された。衛生観念が広がった結果、細菌やウイルス、寄生虫や汚染物質の少ない、清潔すぎる環境で生活するようになったことで、免疫能力が訓練されなくなり、新たな病原菌対して過剰な免疫反応を起こしやすくなった。 

 私の場合、養鶏業を始めて、病気になりにくくなった。特に風邪にかかることが無くなった。それまでは良く風邪を引く体質だったのだ。家畜を飼育する農家で育った子供は、非農家で育った子供にくらべて、抗体値が低くアレルギー症状が少ないとされる。

 抗生物質を乳児や幼児に過剰に投与すると、腸内に棲む常在細菌叢が変化するため、アレルギーになりやすくなる。私たちの腸内には、諸説あるようだが、約40兆個、重さにして1〜1.5kgの細菌が棲み着いており、人間の細胞数よりも多いと言われる。免疫にも深く関与しているといわれている。

  中国で子供達に肺炎が起きているのは、多分こんな事だろうと思う。中国のことだと、必要以上に悪く考えようという、政府や報道が待ち構えている。仮想敵国だからだろう。こんな歪んだ姿勢では良い結果には成らない。日本人の不安を煽るようなことは止めた方が良い。

 中国と仲良くする以外に世界平和はない。アメリカに洗脳されては成らない。アメリカは自国の安全の為に、中国と日本を戦わせようと考えているのだ。岸田政権は信じがたいほど、アメリカの言いなりになってしまったのだ。アメリカ眼鏡をしているのだろう。

 いずれにしても、この冬は日本でも様々な感染症の流行が予測される。年寄は気をつけるに越したことは無い。よく寝て良いものを少し食べて、適度な運動をする。そして人混みには行かない。どうしても行くときには、マスクをする。この冬を乗り切れば、状況は良くなるはずだ。

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のぼたん農園の11月27日

2023-11-29 04:30:48 | 楽観農園

 のぼたん農園に戻って、早速畑や田んぼを見て回った。11月末でも朝の一番気温が下がる時の温度が、22度以上が続いている。昼間は曇っていたが、25度もあった。こういう気候で、作物がどのように育つのかが、まだよく分かっていない。

 それなりに出来るものもあれば、まったくだめなものもある。昨年麦は11月蒔きでそれなりに出来たので、今年も蒔いてみた。パン小麦である「ミナミノカオリ」である。九州辺りでも可能な品種だが、果たして石垣島でも小田原程度に出来るのかどうかはまだ分からない。

 写真は田芋である。去年も乾いてしまって枯れかかり、溜め池の脇に移した。そこで生き残ったのだが、下の田んぼに植えてみた。また乾いてきているので、枯れないでくれれば良いのだが。あまりに乾くようなら、下の井戸から水をあげるつもりだ。




 ジャガイモは芽が出てきたところである。植えて2週間目の様子。何白石ばかりの畑なので、どうなることかと思っている。種芋が8種類もメークマンに売られていたので、みんな植えてみた。どれがよいできになるかである。かなり差が出ている。

 一番好きな男爵は、一キロも植えたのだが、二週間経って一本だけしか芽が出ていない。石垣には向いていないのかも知れない。種芋は悪くは無かったはずだ。今の発芽の様子では悪くない品種もあるので、この後のどんな品種がよい生育になるのか、楽しみである。



 石垣島で採れたジャガイモと、玉ねぎでポテトサラダを作るのが今の目標である。自給農業はお米だけでは当然だめだ。麦、大豆、ジャガイモ、玉ねぎ、この辺りの保存できる作物は作りたいものだ。大豆が2回の試験栽培で上手くゆかないので、種を何とかしなければだめだ。

  台湾では大豆は8月蒔きが上手くゆくらしい。きこうてきにそういうことらしい。今からでは間に合わないかも知れないが、11月蒔きも明日にでも、今からでも試しに蒔いてみる。だめでもやらないよりはいい。

 玉ねぎ苗は4種類植えて見た。ソニック、ネオアース、Ok黄苗。晩成小金。根付くのかどうか。玉になるのかどうか。塔が出るのか。玉ねぎ栽培はなかなか難しいものだ。ともかく草取りだけは徹底してやろう。叢生栽培では玉ねぎは出来ないだろう。



 3番田んぼの荒起こしをした。大分石が出たので、大きいものは拾った。まだ20㎝もある石が出てくる。大変な石混じり土壌であるが、何とか持ち出して減らしてきた。石は田んぼで生まれているとしか思えない。ともかくもう一度石拾いをした。

 今度は堆肥を入れて置きたい。肥料分が少なく、基肥としての堆肥をかなり入れなければ上手く育たない。堆肥撒きも水の無いときならやりやすいので、どこかでタイミングを見て、やりたいものだ。田植えまであと1ヶ月はある。堆肥は早すぎても良くない。

 周りにある草は、つる性の牧草である。これが田んぼの水の中にもすぐ伸びてくる。刈払機で刈れるだけ畦から離して田植えをしなければだめだ。田んぼ雑草がまるで違う。コナギ、クログワイ、も無いわけではないのだが、今のところそれほど田んぼには広がらない。




 苗代部分である。2度目耕した。堆肥を撒いてもう一度耕したので3回耕耘した。いつから水を入れるかである。土曜日にやってみようかと思う。苗がすんなり大きくなることがまずの目標である。イネ作りは苗作りだ。苗作りは苗代作りである。

 十分に準備された土壌が必要だ。十分な肥料と、適度な水分量である。ネヅミや鳥に食べられないように、隙間の無いネットを掛ける。一番石垣で寒い時期に苗が作れるというのは、実に有り難い。この時期に種を蒔けば5月には稲刈りになる。雨の前に稲刈りが出来る。



 台光の出穂である。12月1日が穂揃いと言うことで良いぐらいだろう。まだまだ脇から穂が出てきているので、20以上の穂には成りそうだ。穂は割合大きい。かなり穂はバラバラに出てきている。株の背丈は120センチぐらいはありそうだ。

 今のところ倒れる感じはない、がっちりした株になっている。40㎝角に植えた御陰かも知れない。今日周りにネットを張る。キジと鴨がきているので、張らないと食べられてしまうだろう。なかなかネットは難しいが、風よけにも成るので、できる限り張ってみるつもりだ。


 小麦「ミナミノカオリ」が発芽を始めた。まあまあ揃って芽は出たようだ。もう少し生えそろったら、12月9日辺りで、耕運機で畝間を耕耘しようと思っている。草押さえである。その時葉色が悪いようなら、もう一度堆肥を追肥しようかと思う。


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生成AIはどこまで使えるか。

2023-11-28 04:16:30 | 身辺雑記


 企業で生成AI(人工頭脳)を利用しないところがあれば、必ず倒産するだろう。生成AIがうまく取り込めないほど、組織が立ち遅れているのであれば、次の時代には通用しないのは当然のことでもある。しかし、生成AIと言うものを上手く取り入れるためには、企業と生成AIを繋ぐ専門家が必要なのだろう。

 今や将棋指しで将棋ソフトを使わない人は居なくなった。そして「みる将棋」という新しい世界が開けている。藤井聡太8冠の新しい将棋と言うこともあり、将棋を指したことの無い人が、将棋の対戦を楽しみにして、ネット中継や公開対局に集まっているのだ。

 囲碁界がスポンサーの撤退が進んでいる中、将棋は新しい棋戦が産まれるほどの人気なのだ。将棋のエンターテイメントかが進んでいる。藤井聡太が選ぶ3時のおやつが人気デザートになる。そんなどうでも良いようなことを事細かに情報化して楽しんでいるのだ。

 また解説をする棋士も、司会役をする女流棋士も、それを仕事として本格的に取り組んでいる。解説のためのした準備が稔密になった。何しろ一時間以上の長考がある。一時間も時間を持たせ無ければ成らないのだ。棋士と一緒になって、考えていられる観衆は少ないはずだ。

 コンピュターが出てきた時と同じことだ。コンピュターは使う必要ないという組織は、存続できないことは誰にでもわかる。それは農業だって、自給農業だって変らない。然し絵の会などでは手書きで十分だという頑迷派がいまだに存在する。メールは当てにならないので、信用できないから速達にしろなどという人がいまだにいるのだ。

 人工頭脳(AI)はどのように使うのかが問題になる。と偉そうに書きながらも、人工頭脳と言い切って良いのかはよく分かっていない。コンピュターと言えば便利な機械のことだと分かるが、IT(情報技術)とかAI(人工頭脳)とか言われても、正確な意味は分かっていない。ソフトとアプリの違いもよく分からない。

 これは必要に応じて、様々な人工頭脳が登場するだろうから、むしろ何が必要なのかという事が分かれば、それに応じて開発されることになる。そういう意味では大抵のことが置き換えられ、どうしても置き換えられないものが人間の仕事となるのだろう。

 農業分野ではトラックターの操作など、人間がやるよりも、AIを取り入れた機械なら、はるかにうまく運転することだろう。特に稲作では田んぼの均しや、耕土の深さなどGPS(人工衛星から位置を測定する機能)搭載で、耕運機能が入力されたトラックターでなければ、一枚3haもある田んぼを平らにするのは不可能になる。

 ITを使い土壌の状態や肥料の状態をたちどころに判断して、AIを使い気候の変化にも対応し、GPSを使い作業を行う農業になることだろう。そういう今までは農業名人のカンと読みでやっていたようなことが、置き換えられてゆくと思われる。名人はめったにいないが、耕耘ソフトは複製が利く。

 人間というものが今まで特徴としていた思考する能力というものがどう変るかが問題なのだろう。藤井聡太8冠があそこまで強くなれたのは、最新のAIを使いこなしたからだ。プロセッサには「AMD Ryzen Threadripper」シリーズ を使うとある。

 プロセッサとはコンピュターの機能になるハードディスクのことだ。CPUと言う。CPU稼働して計算をしている。だからこれが頭脳部分と言うこと。制御装置、演算装置、データを一時記憶するレジスタ、メモリなどの記憶装置とのインタフェース、周辺機器との入出力装置とのインタフェース、などから構成される。 
 
 世界で一番優秀なプロセッサーを作った会社の社長は台湾系のアメリカ人でIBMに在籍したリサ・スーさんという女性である。藤井聡太氏が一番会ってみたい人にあげたことで、対談が実現した。次の最新型を開発中なので、出来たら提供すると言うことになっている。藤井聡太8冠はそのコマーシャルに起用されている。

 藤井聡太氏の姿は次の時代を考える時に、参考になる。どうも天才以外は必要なくなるのかもしれない。リサ・スーさんのような人さえいれば良い。藤井聡太に当たる人が、どんな部門でも活躍を始めるのだろう。その補佐をすると言ってもあまり役割は無いのかも知れない。
 
 大半の人間がその能力差の明らかな中で、劣るではなく、異なる人間の生き方を模索することになる。どんな生き方が可能なのかはよく分からないが、下手をすると支配されることになる。よほどこの格差社会の在り方を研究する必要がある。

 人間が機械的な労働から切り離されて、人間らしく生きる事が可能な社会が出来るのかも知れない。アーミッシュのような過去の生き方を良しとする人もさらに現われるのだろうが、新しい社会の中で、よりよい生き方を模索することになると考えて良いのだろう。

 一番危険なのは独裁国家である。超有能な人物がコンピュターを使って国民を支配する社会である。習近平ならば、そういう社会の方が、国民が豊かになり、幸福であるとして、人間を支配してしまう可能性が高い。政治体制はよほど今より優れたものを考え出さなければだめなのだろう。

 やはり民主主義の方がましなのだろう。問題は民主主義の悪用を避けなければならない。民主主義がどのように生成AIを利用するかである。人間よりも優秀な人工頭脳が考える政治を、どのように取り入れるかである。具体的な政策を考える上での参考の仕方である。

 例えば大阪万博は行うべきかをデープランニングに質問をする。この回答をどう利用するかである。取り入れた方が間違いの無い社会は、数年先には具体的にあるのだろう。ところが政治家が馬鹿扱いされるわけだから、きっと避ける。

 しかし、各報道機関はどこどこの人工頭脳ではこういう回答だと。こぞって掲載するはずだ。なるほどそれが正しいと国民は考える。何故政治家が正しい選択をしないのかと、不満が膨らむことになる。その時独裁になるか、コンピュターに従う国民に従うべきなのか。
 
 空想科学の世界だったものが、日に日に近づいている。現在の生成AIは弁護士試験を受けると、トップ一割に入るという。跡数年で、人間には追いつけないものになるはずである。そうなったときに裁判はしてもらうなら、生成AIを選択できるようにして貰いたいものだ。

 そうして憲法違反を判断してもらいたい。スタッドミサイルの配備が、憲法違反であるかないかを判断してもらいたい。憲法違反の政治が終わりになるはずだ。政治が一番難しいことになる。そもそも、投票はITを使って行うようにすべきだろう。それで不正が起こるようでは、そもそも社会が成り立たなくなる。




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日本の閉店セールは続く

2023-11-27 04:18:33 | 暮らし


 石垣島に戻った。朝の気温が22,4度ある。冬の気候が小田原とはまったく違う。石垣に来て4年の間に13度まで下がったことが2度ほどあるだけだ。冬は石垣にいると身体が楽である。冬は石垣島で、夏は軽井沢という人がいる。良い選択かも知れない。

 植物は移動できないのだから、田んぼも石垣流を見付けなければだめだ。8月27日に「台光」の種を蒔き、田植えが9月28日。そして11月27日の今が多分出穂期である。田植えから2ヶ月というのはいかにも早い。予想では年末から正月に稲刈りになる。今日のぼたん農園に見に行くのがとても楽しみだ。

 小田原では田んぼに緑肥が撒かれていた。岡本さんと、斉藤さんの田んぼはヘヤリーベッチを蒔いていた。例年より早い生育に見えた。雨が降っている成果も知れない。大豆の収穫を11月25日に行って、翌日が雨だった。今年は良いタイミングでの収穫になった。

 玉ねぎの苗を150本秦野の地場産ズで買ってきた。石垣で植えて、栽培試験のつもりだ。4種類あったので、ソニック。O’K黄。ネオアース。晩成小金。良く育つ奴があれば、それをやってみたい。そもそもこの時期に苗を植えて良いものかどうかもまだ分からない。

 苗を植える前に、もう一度堆肥を蒔いて、耕しておくつもりだ。そして石を拾う。あれだけ拾っても、耕せばまた石が出るに違いない。早めに苗は植え付けてしまいたい。小田原に行った時に苗を買ってくる方式で上手くゆくなら有り難いのだが。

 ジャガイモは11月植えと言うことで、先日メークマンに種芋が色々種類があったので、7種類これも試験栽培で植えてみている。上手く行くものがあれば良いのだが。前回は失敗だった。あれだけネズミがいるというのも良くないのかも知れない。

 ジャガイモはお米の次に好きだから、どうしても栽培したい。一度で良いから石垣島のジャガイモで、ポテトサラダを作るのが夢だ。粒辛子とゆで卵と、リンゴを入れたポテトサラダを作る。砂糖は入れないで、柿を入れるのも良いかも。今年の小田原は柿の当たり年で、どこでも柿が満開の花のような光景だった。

 ハヤトウリがあちこちに転がっていたので、二つ拾ってきた。これをのぼたん農園のどこかに植えてみる。大きな木のそばに植えて絡みつかせるのが良いかと思っている。できるだけ機械小屋のそばが良いだろう。なかなか丁度良い木が無いようだが、湧き水の上辺りが良いだろうか。

  画材はEBEYかアメリカのAmazonで購入していた。今は円安が極端で、買うのを控えている。もう少し円高にならないかとじりじりと待っている。日本の円安は政府の経済政策の結果始まったことだ。円を出来るだけ安くして、日本の輸出企業の経営をよくする。そうすれば、その波及効果が日本全体に及ぶだろうと考えた。

 これがアベノミクスの実際であったわけだが、この考え方がまさに、第3の矢が登場しなかった理由である。通貨を安く抑えるために金利を無くしたのだ。今もそれが続いている。金利が無い国だから、海外から円を買う人が減った。これが投資立国の矛盾だ。

 この間韓国や台湾は、自国通貨を下げることなく、自国の製品を高くても売れるものに買えるように努力をした。安易な安売り商売をしなかったのだ。最先端技術を模索して、その結果新産業の創出が出来た。スマホや半導体などの新産業が創出され、国力が一気に成長した。

 日本政府が安売りしか思いつかなかった理由は、挑戦する意欲の衰退だったのだろうと思う。活力がないつぶれかかった商店には、安売り合戦しか考えられなかったのだ。確かに日本政府の輸出産業の保護は成功し、企業は利益を上げてきた。その利益は国民に回されるはずが、内部留保に収まってしまった。

 意欲のない企業が安売りの結果得た利益が、貯金や投資に回るのは必然だったのだ。新しい産業を興すためには、意欲的な気持ちが大事だ。敗戦後に何とか立ち直ろうとしたような、前向きの活力である。敗戦と産業の崩壊という状況の中、何クソという思いだけが、日本を支えたのだ。

 ところが、アベ政権にはあるのは、企業を守り、企業が助けてくれるだろうという、後ろ向きな気持ちが強かったと思われる。そして、表面的な外交政策だけを振りまいて歩き、日本はアベノミクスで衰退してしまった。歴史に残すべき悪政である。

 ところが、岸田政権になっていかにも不人気だ。その理由がアベの時代が良かったという若い層が多いと言うことらしい。なんとなく想像できる。まるで見せかけだけだから、一見最もらしいのだ。それに騙されてしまったのだ。アベノミクスは買いだとアメリカの証券取引所で叫んだ。全くのウソだったでは無いか。

 その結果起きたことが賃金の低下である。そして労働生産性の低下である。社会は転げ落ちるように格差社会に進んだ。悪循環が始まる。日本人の意欲の低下、新産業分野では世界の流れから取り残されてしまう。IT化ではナンバーカードに見られるように、後進国を自覚せざる得ないことが明らかになった。

 岸田政権が不人気というのも当然であるが、今の日本はアベノミクスの後遺症にあるので、岸田政権は尻ぬぐいが出来ないというだけなのだ。やはり、こういう結果になったことの原因は、日本のアメリカへの依存心であろう。何クソを失った日本には、独立国の誇りを持てなくなった。

 日本のために頑張る。などという事は確かにおかしいことなのだが、戦後の日本の経済成長は、敗戦後の何くそという頑張りだった。日本社会の伝統的な因習や、身分制度や、家制度が崩れた。誰でもが同じスタートラインに立ち、頑張ればなんとかなるかもしれないという、未来の展望に意欲を燃やした。

 しかもアメリカは日本を属国に仕立てあげ、前線基地化して、世界戦略を展開した。例えば朝鮮戦争、ベトナム戦争と、アメリカは日本の基地から戦争を続けたのだ。それが軍需特需のような結果となり、日本は経済成長を続け、日本発の新技術の産業を生み出すことができことになる。

 しかしアメリカからの属国化を受け入れることで、日本人の持っていた気概が失われていった。いつの間にか、食糧自給さえ諦めてしまい、主食のコメ生産から、輸出可能な農産物を奨励する国になった。食べるものがなくなれば、アメリカが売ってくれると考えている。

 瑞穂の国である国の成り立ちを忘れたカナリア。国の根幹が緩んでしまい、集団としての意識を失ったと言える。日本人は誇りのある百姓の国だったのだ。武士道の国などと言うのは明治アチャラか政府の妄想である。90%が世界一の百姓だったのだ。

 コメづくりは文化であるとも言われる。日本人の大半が農民であり、米作りに従事していた時代、日本人の性格や資質はコメづくりで培われたものだったのだ。赤とんぼを見て懐かしいと感じる感性は、秋の収穫を待つ田んぼの記憶なのだ。そうしたものは日に日に薄れてゆく。たぶん団塊の世代が消えて行けば、消えてゆく記憶なのだろう。

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第187 水彩画 日曜展示

2023-11-26 04:08:41 | 水彩画
第187 水彩画 日曜展示

 今小田原に来ているが、今回のものは石垣で描いたものです。






315「ゴムの木」
2023.11 中判全紙








316「風のソルゴー」
2023.11 中判全紙






317「赤花がさく」
2023.11 中判全紙








318「海越しの富士」
2023.11 和紙 15号







319「木」
2023.11 サムホール







320「草原の海」
2023.11






321「鳥海山」
2023.11 6号


 なぜか近景が現れてきた。あまり気付かなかったのだが、画面の下をどう描くか、あれこれやっている内に近景の何かが現れていた。それは一つの結果だから、それでいいと思っている。画面が自分らしくあれ。自分が納得いく空間であれ。そう考えているだけである。

 筆触も少し変わった。たぶん紙を変えたからだろう。紙が変わると筆触は変わる。最近いろいろの紙で描いて見ている。変えたいという気もいがあるのだが、ついつい慣れたファブリアーノの中判全紙で描くという事になりがちである。これは意識して変えてみる。

 そろそろ年賀状を準備している。時間をかけて少しづつ描いてみようと思っている。大判はがきサイズである。いろいろの紙でいろいろの絵を描いてみる。これが良い勉強になるのだ。いつも今年で最後かなと思うのだが、今年はまだ頑張れそうだ。





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池田大作氏死去と公明党

2023-11-25 04:14:42 | 楽観農園


 日本の政治を最もダメにしたのは、公明党の存在である。創価学会という後ろ盾を持った宗教政党が日本の政治のキャスティングボードを押さえ続けたことが、政治思想というものを衰退させた。有権者の政治の選択を、例えば中国に行ってパンダを貸して貰うというように矮小化させたのだ。

 いま中国との間にある政治課題は、中国と経済関係を回復させられるかにある。日本の多くの企業は本音ではそれは願っている。日本の報道は企業の中国撤退ニュースを必死に流しているが、まさかそんな馬鹿なことがあるはずがない。中国とかかわりたい、それをなんとかして欲しいが本音だ。

 秋の日はつるべ落とし、岸田の日もつるべ落し。年内政権交代が言われ始めた。岸田があまりにアメリカの言いなりだからだろう。安倍内閣は日本の暗黒勢力の操りだったが、岸田内閣はアメリカの傀儡政権と言っていいほどアメリカの代弁者である。

 アメリカに従って、反中国の先方にさせられている。中国はアメリカ叩きは危険が大きすぎるので、あくまで日本たたきという状況になった。この結果が日本の再軍備である。攻撃的武力の保持である。中国が仮想敵国説がまるで本当のこととして進んでいる。

 中国仮想敵国構想は、アメリカの利益ではあるだろうが、どこが日本の利益なのだろうか。アメリカの代理戦争を日本がやれという事になる。そんな馬鹿なことが出来るか。アメリカは日本にウクライナになれと言っているのだ。それに乗せられているのが岸田政権と、日本の大半の報道機関である。

 こんなひどい状況になってしまったのも、公明党の存在にある。725万世帯と言われた、創価学会勢力が日本のすべての地域でキャスティングボードを握ったのだ。石垣島の基地誘致も最後の決め手は公明党市会議員の基地誘致賛成で決まった。何が平和の党だ。悪魔の手先ではないか。

 ここにきて池田大作氏の死去の公表である。本当はもっと昔に死んでいたのではないか。ここまで引き延ばして、何とか創価学会崩壊を食い止めようとしていたに過ぎないのではないか。大川敬法氏の死去。統一教会の宗教法人取り消し。新興宗教団体は今転換期の危機感の中にあるだろう。

 なぜ、創価学会は急激にここまで巨大な新興宗教組織になったのか。ここには日本の家族制度の崩壊がある。戦後地方社会から大量の若者が都会へ出てきた。その都会の新集団は宗教を持たなかった。寺の檀家ではなかった。故郷の家族は既成宗教の檀家に組み込まれていた。

 都会に出た若い世代は、何も持たないところから何とか一家をなそうと頑張って働いた。しかし、新世代としてはつながりもなく、厳しい環境である。ここに現世利益を協議とする創価学会が登場した。創価学会勢力で支え合おうという事になる。

 創価学会勢力が協力し合う飲食店や商店が生まれてゆく。学会員であれば、歌手になっても一定の入場者は確保される。絵画の世界にも創価学会系と言われる組織があった。工場なども同様で学会員同士が暗黙の了解で助け合いを行い、何も縁故のない都会で何と生活を成り立たせた。

 ある意味新興宗教は都会の片隅で肩を寄せ合った、格差集団だったのだ。若い根っこの会という組織があった。都会に集団就職で出てきた若者たちの集まる組織だった。高度成長期当時、都市に流入した勤労青年たちによって、多様なサークルがつくられた。

 歌声喫茶のようなものをイメージすればいいのだろうか。会員数3万2000人の最大規模にまでなった。若い根っこの会は加藤日出夫という農大出身で、あの大根踊りの発案者だという。加藤氏は哲学を持つ人で、この組織を宗教にも、政治団体にも距離を置いたものにしたのだ。

 創価学会も様々な形で新しい都会流入者を、現世利益で取り組んでゆき組織を拡大する。それは逆に地方にも波及するようになり、最終的には720万人という巨大宗教組織になる。大きくなればなるほど、組織内の利益循環が回り始める。知り合いの大工さんが入会すると仕事があると言われていた。

 ところが、社会状況が変わって新しい入信者は激減する。初期の入信者は死んでゆく。会員数は半減したと言われている。これから団塊の世代が減って行けば、当然会員数は激減するだろう。組織の危機や、公明党の分離などが言われてきた。

 ここで池田大作氏の死去が発表された。95歳だから、もう発表せざる得なかったのだろう。いずれにしても2010年以来、まったく消息がなかった。しかし、この10年間が池田氏死後の準備期間だっと創価学会自身が、だから心配はないと自ら述べている。

 13年間寝たきりだったのかそこで死んでいたのかはわからない。いずれにしても公明党は統制下降気味の所へ、池田氏の死去発表である。自民党との関係はどうなるのだろうか。いったん選挙協力を止めると発表した、東京選挙区も、協力の再開がすでにされている。

 創価学会の場合、現生利益で結び付いた組織だから、簡単には壊れないと見た方がいい。然し全盛期の726万人から見れば、遠からず100万人ぐらいまで減少する可能性は大きい。それでも大きな組織ではあるが、政治勢力としてはかなり影響力が小さくなるとみていいのだろう。

 自民党が減少すれば、補完勢力公明党も合わせて過半数がとれないという可能性は高まっている。ここから日本の政治も様変わりが始まる可能性はある。野党もこの機会を逃さず、日本の方角を変えてもらいたいものだ。先ずはアメリカの基地化を止めて、中国との平和関係の構築である。
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創作に著作権は要らない

2023-11-25 04:06:27 | 水彩画

 創作に著作権は要らない。この美しい里山の景色を作り出したのは、ここでの人間の暮らしである。誰も入場料など取らない。素晴らしい暮らしがあり、素晴らしい景色が生まれ、それを味あわせてもらう。この素晴らしい景色を見せてもらうという喜びに勝るものはない。

 見るという事も創作である。創作すること自体が人間の喜びである。そのことを純粋に深めるだけでいい。創作から産まれたものはすべての人間に共通の価値である。創作者が権利を主張する必要はない。資本主義が限界に来たのは、創作に対する能力主義の問題なのだ。

 2019年、京都アニメーションが自分の作品を盗用したとして、勝手な思い込みで恨みを膨らませた。そして恨みを晴らすのだと、全くの筋違いの狂気で、放火をして社員36人が死亡、32人が重軽傷を負った 事件を起こしてしまった。被告の精神鑑定を行った医師が「被告は重度の妄想性障害で妄想は犯行の動機を形成している」とする鑑定結果を明らかにした。 

  若い優秀なアニメクリエーターの方が、これほど多く亡くなられた。日本のアニメ―ションは世界をリードしている。世田谷学園の美術部からもアニメーターになった人がいる。前途有望な青年たちが、ここで終わりになることに、どれほど無念だったのかと思う。思い出す都度鎮魂の思いは深い。

 逆恨みが狂気を育てたとしか思えない、ひどい犯罪である。まともな精神状況ではなかったのだろう。しかし、この事件と同じような盗用に対する抗議が、様々な制作会社に続いているという。小説であれ、音楽であれ、絵画であれ、デザインであれ、学問であれ、盗作の境目が難しい状況になっている。

 アイデアなどすべてが大きな違いはない。人間が考える範囲では、アイデアは出尽くしている。今や推理小説のトリックを、生成AIが考え出す時代だ。ジャイアント馬場さんが、水戸黄門のストーリーは5パターンで出来ている。これをプロレスに生かしていると、ネタバレをしたことがあった。

 京アニ事件での犯人が盗用と考えるようになったきっかけは、京アニが公募したコンクールへ出品した作品のことらしい。簡単な筋書きのような原稿を、たった一枚の紙に書いて応募したらしいのだ。これで盗用されたとしゅちょうするのは、作品の作られる過程というようなものをまるで理解していないからだろう。ラフな筋書きなどに盗用などあり得ない。

 しかし、アニメオタクのような人物が、引きこもりになりのめり込んで妄想の中で暮していて、被害妄想に陥ることはありそうなことだ。放火はしないまでも、とんでもないことを考え出す人が跡を絶たないらしい。自分が描いたイラストが盗用されたというような主張は跡を絶たないという。

 イラストなど人間を描いたのであれば大なり小なり似ている。それを盗用だと思い込んでしまう。目が二つあるでは無いかと言うことになれば切りが無い。しかし妄想を起す人にはそんな理屈は通らない。この妄想をどうすれば良いのかと言っても、どうにもならないだろう。

 そもそも、著作権という考え方をすべて捨てるべきなのだ。個人の発想に価値を付ける考え方は終わった方がいい。時代の状況に合わないのだ。良く分からないのだが、絵を描くのもAIの時代に入った。薔薇などどう描いたところで著作権などあり得ないだろう。私が描いた薔薇をまねられたなどと言ったところで相手にもされない。

 昔東郷青児が自分の絵の図柄に特許を付けたというような、本当かウソかわからないような話があった。つまり特許をとっておかなければすぐにも、真似られてしまうイラスト的な絵という事を言っていたのだろう。確か娘さんが、同じような絵を描いていた。

 絵画とは言えない形で一世を風靡したことはあったが、今では完全に廃れた。本物の絵画ではないから、作品の命は短かった。別段イラストレーターという事でも良かったのだろうが、それでは一枚の絵が一千万円なんて言うか価格では売れなかったという事になる。

 AIが作り出す画像は著作権がまだ整理されていない。デザイナーがタイポグラフィーとして文字を作るなどという作業は、もうAIの世界だろう。一文字一文字手描きして文字を作るというような気の遠くなるような作業が、数時間で出来てしまうのだろう。

 読みやすい丸文字で、手書き風。とか言えばなんとなくそんな文字を作りそうだ。例えば私が書いた手書きの文字をAIに入力すれば、笹村文字が出現するはずだ。もうこういう時代の中で、著作権などと言っているのは、ばかばかしくないのだろうか。

 たぶんそういう事で生計を立てている人がいるから、著作権を主張したくなるのだろう。しかし、もう機械任せにした方が安上がりな分野は日に日に広がっている。人間がやるべき仕事が変わって行こうとしているのだ。藤井将棋ではないが、人間の能力をコンピュターは超えたのだ。越えられても将棋は終わりではなかったのだ。

 こういう中で人間の意味ある行為とは何か。それを考えるべきだ。私は行為するそのことにあると思っている。結果に人間の価値を見るのではなく、行為にどれだけ充実したものを残せるか。藤井将棋は見る将棋というものを作った。今や見る将棋ファーンが沢山いる。

 人間が生きてゆくこと自体は、体力でも創作でも楽になるはずだ。農業でもあらかたの作業は機械がやれるようになる。しかし、実際の耕作の在り方を決めるのは人間である。人間がどうやれるかがこれからの生きるということになる。

 自分らしくあるだけでいい。自分の日々を充実できればいい。農産物は販売していい。創作物は販売してはならない。創作物を商品と考えれば、創作が創作ではなくなる。禅坊主が座禅を見世物にしてお布施を貰うようなことになる。

 芸術活動は創造するという事自体を純粋化すればいいだけなのだ。それが一日一日を生きるという充実になる。これが私絵画である。芸術は商品から離れなければならない。そうしなければ、資本主義末期の投資対象になり、人間の為の芸術から離れるばかりである。

 農業でも生成AIにかかわるとすれば、ひこばえ農法の10通りの方法を教えてください。と頼めば、いくらかでも役立つ方法が示されるかもしれない。そしてそれを実践して見る。この実践が人間のやるべき仕事ではないか。充実して農作業に生きるという事が、生きることの目的になればそれでいい。

 権利を主張して、その権利でお金を産もうという事が、能力主義の悪いところなのだ。能力主義が限界に達している。競争に敗れるものが人間の大半なのだ。そして敗者が今後も増加してゆくだろう。これが格差になる。それは国単位の争いにもなっている。

 現状ではそれを克服できるものであるはずの共産主義国の方が、能力主義の無残をさらしている。人間が能力主義を超えることのできる生きものであるのかどうかは分からないが、どこかで方向を変えなければ、人間が終わりになることだけは確かだ。

 
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11月のあしがら農の会

2023-11-24 04:12:52 | あしがら農の会

 秋の美しい空。春眠暁を覚えずで、小田原に来てからよく眠れる。今日は寝坊をした。寝坊をするようなことは久しぶりである。ほど良く寒くて、よく眠れるようだ。眠ることほど健康に良いことはないので、だいぶ体調は良いのだろう。

 来てすぐに畑、田んぼ、溜池と見て回った。欠ノ下の柿畑が例年にないほど良い実りだった。いつもはヘタ虫にある程度やられているのだが、今年は何故かヘタ虫の発生がなかったようだ。その上に当たり年だったのだろう。見事に進なりである。しかし、誰も収穫しないというので、収穫して石垣に送ることにした。

 石垣では柿はない。柿が出来ないこともないのだろうが、カキが売られていても内地から来たものしか見たことがない。みんなも書きが珍しいと言っていたことがあったので、のぼたん農園の仲間にお土産にしようと考えた。1時間半ほどで、手提げかご2杯収穫した。

 早速ダンボールに詰めて宅急便で出す準備をした。渡部さんがいつも手伝ってくれるので、上手く荷造りが出来た。そうしたらまだ余っている。特に熟し過ぎの柿が詰められないので余っている。これで柿酢を仕込んだらいいと思うと言ったら、早速ガラス瓶を出してくれた。いっぱいに詰めて暖かいところに置いた。

 柿酢はヘタまで入れる柿酢が貴重なのだ。これは売られていない。ヘタは心臓に良いと言われている。ヘタまで仕込みに入れて、酢にする。これを毎朝少し舐める。果物酢は簡単にできて、美味しいし、健康にも悪いはずがない。次に小田原に来るのが楽しみである。



 篠窪の秋の景色である。この色彩が何とも言えない見事さだ。みかん畑と秋の山。いつも描く風景なのだが、今回はまた特に良い。夏が暑くて一気に寒さが来るから、紅葉は美しい。年々気が大きくなって畑が見えにくくなってきた。しかし、みかんの類が美しく色づいているのが、目が覚めるほど美しい。

 早速、描き始めた。小田原に来るたびに同じ場所を描く。篠窪を描くのが楽しみなのだ。そして絵を今までに描いた篠窪の絵と較べてみる。自分の今が分かるような気がする。良くなったかどうかというのではなく、自分らしく絵が進んでいるかどうかの確認である。

 何か少し近づいたかもしれないと思えた。もしそうなら嬉しい。方角が間違ってはいないかもしれない。そんなことは考えても仕方がないことなのだが。日々の一枚である。小田原に来てこうして絵を描くことが、石垣で絵を描くことに大きな刺激になっている。目が変わるというか、目が覚めるという感じがする。






 舟原元治の溜池のカキツバタである。竹の棒が指してあるところに、一ヵ月前に来た時に移植したカキツバタがある。上手く全部のカキツバタも活着したようだ。これで池の手前側はすべてカキツバタになるようだ。これからはカキツバタの回りの草とりを丁寧にしようと思う。

 溜池の管理もいつまで続けられるかはわからないが、動ける間はやらせてもらうつもりだ。小田原市にお願いして管理を任せてもらったのだ。その責任がある。美しい場所にしたい。そう思ってカキツバタを植えた。美しいカキツバタが一面の場所になれば、必ず誰かが管理を引き継いでくれる。

 11株から始めたものが段々に広がっている。あと3年あれば、全面がカキツバタになるだろう。そうなれば、ちょっと見ごたえがある。草取りもいらなくなるはずだ。たぶん諏訪の原のざる菊園と並んで花の名所になるはずだ。それが舟原溜池の目標である。

 これは順調に進んでいる。問題はまだ管理を引き継いでくれる人が現れない点にある。今回下見をしたときに気づいたのだが、中央の堤防が水漏れをしていた。その為に上の溜池の水が少し浅くなっていた。早速翌日、渡部さんが付き棒とたこ(とんとん)を運んでついてくれた。かなり突いたのだが、上手く水が止まった。

 今回はこれで止まったので、大事にはならなかった。叩いて土手全体の土を占める作業は時々やらなくてはダメなのだろう。その分土を足す必要がある。2月には下の池の石垣からの水漏れを止める土木作業を予定している。この時にあわせて土を入れてついておきたい。ともかくこまめな手入れである。

 今回の農作業で重要な物は大豆の収穫になる。土曜日に参加するつもりだ。大豆は今のところそれなりによさそうである。ただ実が入るころに、雨がなかったので空の鞘がかなりある。大豆はかなり水分が必要である。だから畔大豆が良く出来るのだ。

 280キロの予測をしている。毎年みんなで収穫量当てクイズをしている。一番近い人が大豆が貰える。私は昨年大当たり。今年も当たるかな。みんなはもう少し多く予想しているようだが、どうも実の入り具合が、そのくらいの感じがしたのだ。

 今回はタマネギの苗を5種類買った。秦野の地場産ずジバサンズである。種類が多いというのでわざわざ行ってみた。これを石垣に持って帰り、植えてみたいと思っている。もしかしたらうまくできる品種があるかもしれないと考えてのことだ。石垣ではタマネギ苗はない。

 タマネギも作る人は居ない。できないのかもしれない。試しである。半分は小田原で植えて、半分は石垣に持ち帰るつもりだ。たぶんダメだと思ってはいるが、挑戦しないでダメと決めつけることもつまらない。もしかしたら、いつももしかしらばかりなのだが、たまに上手く行くことだってある。

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ダメだから道が開けた。

2023-11-23 04:12:50 | 暮らし


 生きると言うことの現実は、失敗の連続だった。しかし失敗のように思えたことが、実は後々には役立つことばかりだった気もする。画家になれなかったという意味では、決定的な失敗に思えたのだが、それが却って、私絵画という自分らしい絵の描き方が出来ることになった。いま絵を描くことに邁進できている。

 画家の道を止めると決めた時はすっかりめげてしまい、なにも考えられなかったのだが、失敗したことを意味のあることだと思えるのかどうかで、生き方が決まって行く。失敗が成功の元というより、失敗が次の失敗の元だ。失敗がだんだん何でもなくなり、失敗承知で挑戦することの意味を考えうようになることができた。

 今もこの歳で、新しい農場を始めるなど、とんでもないかも知れない。感性まで生きているかどうかも分からない。失敗を恐れないで、次の希望を考えるとわくわくして来て、立ち向かうことがおもしろくて仕方がない。これは失敗を繰り返してきて、やってみれば何とかなると「楽観」で思えるようになったからだ。

 画家をあきらめようと思い、生前葬個展を今はなくなった文藝春秋画廊でした。案内状にはそのように書いた。きてくれた絵の友達から言われた。「これはずるいよ、これじゃ来ない訳に行かないじゃないか。閉店セールも一回だけにしてくれよ。」

 一回だけにしたわけでは無いが、それ以来個展はやっていない。絵を売ると言うことが自分には耐えられなくなったのだ。それでは絵描きというわけには行かない。商品絵画と戦うのが耐えられなかった。絵を投資と考えて買うという人に耐えられなかった。そんなつもりで絵を描いているわけではない。

 それから35年、画家では無いが、絵は描いている。そう決めてからの方が長いくらいになった。そして、私絵画の世界を見付けることになった。これが、大失敗が新しい世界を開くことになったのだ。今でも悔し紛れで、こんな変なことを言い出したと言われることがあるが、それでいい。

 画家を止めたことを心底良かったと思っているのだ。絵を販売して生活費にするよりも真実の暮らし方はある。絵を売って暮らさなければ絵が本ものにならないと言う、考えは間違っていた。絵を商品だとすれば、香具師のバイのネタを本物と考えたら大間違いという事になる。ガセネタだから良いのだ。

 絵を書くと言うことは修行なのだと今は思っている。修行は生きている限り続くものであって、成就すると言うことは無い。千日回峰行はそこが怪しい。だから、絵描きに成れなかったからと言って、それも一つの途中経過に過ぎない。宗教者としては乞食坊主も大僧正も何ら変わらない。

 もう一つの人生の大失敗は自分の鶏種を作ると言うことだった。これは子供の頃からの夢だった。その頃鶏の卵を365個産ませた人がいて、世界新記録とラジオで放送した。鶏を飼っていた私はそれならもっとすごい鶏を作ってやると思った。それから熱中して、自分の鶏種ササドリを作出した。

 ササドリは自家養鶏の鶏種である。自分の鶏でやる養鶏である。昔村々に存在した地鶏の養鶏である。これを再現しようとした。かなり成功に近づいたのだが、結局の所鳥インフルエンザにやられた。ご近所の人から、養鶏場が危ない場所のように言われた。

 警察署や家畜保健所や自治会長がそのことで押しかけてきた。私は社会のために自然養鶏をやってきたつもりだった。そしてササドリも実現しかかっている。これが世界中に広がれば、貧困は撲滅できるとまで、思い込んでいたのだ。それが、まるで危険なことをやっているかのように言われたのだ。

 これで完全に嫌気がさした。今までの苦労は何だったのか、世間はこれほどあほらしいものなのかと、馬鹿馬鹿しくてやってられなくなった。養鶏業を止めた。子供の頃からの夢が終わったときだった。ササドリは優秀な新しい地鶏になろうとしていたが、今は消えた。

 それが田んぼに変ることになったのだ。田んぼの有機農業で畝取りをしてやると、方向転換することのきっかけになった。農業の本丸を攻め滅ぼしてやるというような気持ちだった。自分から養鶏業を奪い取った世間を見返すような気持ちがあったのかもしれない。有機農業で慣行農業を凌駕してみせると考えたのだ。

 それから、5年ぐらいで畝取りを達成した。これを疑う農家は多かった。直接収穫を見せてもなかなか信じなかった。いつでも見に来て欲しいと。田んぼを見ればどれくらい取れているか分かるだろうと考えていた。私が専業農家を有機農業で上回ることが許せなかったのだろう。

 それから10年以上畝取りを継続している。今ではやっと農業者として受け入れて貰えたような気がしている。最近は有機農業で畝取りすることが普通になってきた。有機農業の方が優秀な農業という事が、証明されつつある。遠からず慣行農法は消えてゆくことだろう。

 養鶏を止めなければ、稲作への転換は無かった。有機農業の稲作の自給的方法を作り上げることができた。失敗が功を奏したとも言える。のぼたん農園では、ひこばえ農法に挑戦をしている。アカウキクサ農法に挑戦している。この毎日が面白くてたまらない。

 養鶏を止めさせられるに当たって。このままでは人間の感染症が必ず蔓延すると予言した。それはここに来てコロナのパンディミックで予測通りのことになった。あれほど私の主張を信じなかった人は、たぶん私の主張など忘れているだろう。

 今では鳥インフルエンザも全羽数淘汰では無くなった。治療法が出てきたのだ。同時に鳥インフルエンザが通用人間には感染しないと言うこともやっと理解が広まった。まあ、コロナでそれどころでは無くなったと言うことになる。あのとき感染が広がれば、ササドリも淘汰されるというのがあまりに理不尽に思えたのだ。

 失敗に終わる時は何とも苦しいが、それが次の目標を見つけることになった。今になってみれば、新しい目標に向って生きていることの方が大切なのだという事が分かった。だから、「のぼたん農園」の冒険にも乗り出すことができた。あれこれの失敗がなければ始めることはできなかった。

 実現できるかどうかは分からないのが生きるという事のすべてだ。明日のことは分からない。ただ目標を持ちそれに向い日々精進してゆく。生きる充実である。その一日をどれほど充実したものにできるかである。今日は小田原の舟原の溜池の直しを行う。溜池がカキツバタの群生地になるのが、夢の一つである。

 
 
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横尾忠則の「寒山拾得展」の不可思議

2023-11-22 03:41:15 | 水彩画


 先日、NHKネットに出ていた横尾忠則氏のインタビュー記事を読んだ。この人の絵の描き方は、良くよく私に似ていた。世間から見れば、私の絵の描き方が横尾氏に似ていたわけだ。つまり横尾氏も「私絵画」なのだ。多分今の時代に自分に向かって正直に絵を描くと、私絵画になりがちだと再確認した。

 ポーランドの田舎町で横尾忠則展を見つけて驚いて見たことがある。40年前のことだろう。まだポーランドが共産圏と言われた時代だ。その街で多分クラクフ近郊だったと思うのだが、日本人の絵画の展覧会が開かれたのは空前絶後のことではなかっただろうか。それくらい、「世界の横尾忠則」だった人なのだ。あのときの横尾氏はまだ45歳。

 その後横尾氏はイラストを止めて、絵描きになると、絵画を描き始めた。それまでのイラストと較べて、意味不明な絵になった。描きたいものを描いた結果意味不明になるのは、自分に入り込もうとしているからだと思えた。この後どうなるのだろうかと強い興味を持った。

 情報でつくるイラストを描くことには、天才だったと思う。そんな人でも自分とは何かは難しかったのだ。人目を捨てた途端に、人間は位置をとらえるジャイロを失う。そこから自分とは何かが始まるのではないか。結果として自分に至れる人と、見失ってしまう人がいる。

 自分に至るためには正しい方角を見定める必要がある。人間界をはなれて、自分のは中に入り込むことで、下手をすると世間を失って、独善に至るだけの人がいる。こうなるとつまらないことになる。私絵画で良いのだが、世界観という大きな価値観を失ってはならない。

 87歳になった横尾忠則氏はそのまま何とも言えない絵を描き続けている。今東京都博物館で横尾忠則展が開催されているらしい。「横尾忠則 寒山百得」展である。見ないでも分かっているので行かないが、私絵画がどういうものかは分かると思う。良い絵を描こうと言うことでは無いことだけはよく分かる。ある種のだらしがない絵になっている。

 横尾氏は若い頃にやっていたイラストレーターの仕事は、多分忘れたい仕事なのだ。世界を驚かせたあのイラストの世界を、「あれは、アイデアであり、自分の中から出てきた世界ではない」と思い、本当の自分に至ろうと考えたのだ。そうしたら、寒山拾得になったのではないだろうか。

 本当の自分など居ないというのが、あの横尾忠則のイラスト画ではないか。インチキをインチキと表現できたのだ。それが絵の面白さだ。だめなことをだめと表現できれば良いし、良いものを良いものと表現する価値と、何も変らないのが絵の世界だ。

 横尾忠則氏は勲章をもらった。国の評価した人はこの寒山拾得を素晴らしいと考えて勲章を与えたのだろうか。過去の栄光を評価したのだろうか。過去の栄光から抜け出て、こういうとんでもない絵画を描いたことを評価した勲章なのか。もしそうだとすれば、すごいことだと思うが。それは権威というものにはできないはずのことだ。

 何とも私には分からないことである。人間が生きると言うことは、やっかいなことである。100年後横尾忠則氏はどのように見られるのであろうか。まあそういうこともどうでも良いと考えているに違いない。一体誰が描いたんだろうというような絵を描きたいという、私絵画なのだから。

 私絵画で気を付けなければいけないことは、藝術の社会性と価値である。私絵画といえども、社会への表現でなければならない。それは人間だからである。私さえ良ければと言うのが、私絵画ではない。自分よりも回りのことである。ここが藝術の大切なところだ。周りのために自分に入るのだ。

 人間のための科学、人間のための学問、人間のための藝術である。これを忘れてしまえば、私絵画は藝術ではなくなる。私絵画は自分というものを探求すると言うことを目的として、絵画を描いて行く。自分の修行として絵を描く。その先には藝術による人間の救済がある。

 横尾忠則氏はアホになる修行と言われる。一体この絵は誰が描いたのだろうと、自分自身にもわからなくなるという事を言っている。まあアホの言う気ままな気分的な事だから、真に受けてはならない。修行を持ち出すところがそもそもアホポッくない。

 誰でもがそうしたアホに至れるわけではない。しかし、そういう方角を目指して、日々生きて行きたい。そういう修業努力を続けることは出来るはずだ。私で言えば日々の一枚である。そしてその方角を確認することではないか。横尾忠則氏の絵画が、そのアホの方角を進んでいるのかどうかだけが問題なのだろう。

 先日、Ksギャラリーで水彩人に関わる3人展をみた。よくできてはいるのだが、迫ってくる一人一人の世界観がない。絵が器用に作られている。水彩の怖いのはその水彩の持ち味で、そこそこの感じが出てしまい、絵のごとく見えてしまうことにある。アホからは程遠いことになる。これが描いている人、自身の眼を誤らせる。

 そこそこのいい感じは怖い。絵はだめでもその人のだめであれば、それがいい。横尾忠則の絵はそうした絵だと思う。あれでだらしないところがなくなればいいのだがと思う。だらしないのは性格なのだろう。私のだめはそういう意味では、「もっともらしい」ところかもしれない。

 高橋千賀子さん、山下美保子さん、米倉三貴さんである。Ksギャラリーでは抽象画の展覧会が開かれている。これは今時では珍しいかもしれない。このぎゃらりーの傾向のようなものがある。これは立派なことなのだと思う。20年ぐらい同じであったら、世間の方が変化している。

 世間の方が堕落したのだ。もう見渡せば商品絵画ばかりである。買ってください買ってくださいと、絵がよだれを垂らしている。売れそうなものに世の中は動いてゆく。時代が腐り始めているから、即物的なものしか受け入れられなくなっている。だから絵がいよいよ物欲しげになる。

 このてんが、横尾忠則氏は違う。もちろん自分の美術館もあるわけだし、今更絵を売らなければならないなどということももちろんないのだろう。この先に描かれる絵をまだ期待している。90歳を越えて修行が成就して、アホになれば、まだ大化けする可能性がある。私絵画の追随者として、そうなることを願っている。
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記憶障害と発達障害

2023-11-21 04:10:05 | 暮らし


 かなり忘れやすい方だと思う。というか、かなり覚えが悪い。記憶できない発達障害という病気があるらしい。学習障害とも言われる。重い方ではないと思うが、子供の頃は学習障害と言える状態だった思い返す。読書は好きだったのだが、漢字を書けるように覚えると言うことが出来なかった。

 理由がよく分からなかったので、あきらめていた。今考えてみれば、記憶障害とか、発達障害だったのかも知れないと考える。両親というか、父の姉の人がどこかおかしいと思い、いとこが務めていた聖路加病院の神経科に連れて行ったのだったと思う。

 家にある遺伝的な発達障害を見てきて、これは似たものだとおばさんは考えたに違いない。病院では神経をいくらか病んでいるというようなことを言われたようだが、当人の私は困っていたわけでもなかったので、心配はしていなかった。

 覚えようと努力はするのだが、普通の人の数倍の努力をしても、漢字テストではいつもだめだった。0点の時もあった。読めることは読めるのだが、書くことが出来ない。それでも格段の努力をすれば、いくらかは覚えられるという程度。記憶力が人より足りないと自覚せざる得なかった。

 人の名前が覚えられなかった。教師になっても生徒の名前がいつまで経っても覚えられなかった。今でも同じで、気を付けているのだが、人に嫌な思いをさせている。しかし、これは軽度の病的なものなので、許してもらうほか無い。多分、記憶力が悪いのは、発達障害の一種なのだと思う。

 調べてみると記憶障害ではないようだ。発達障害と記憶障害の共通する症状の一つに、つい先ほどまで見ていたものを隠した瞬間に思い出すことが難しいということがある。これは発達障害の即時記憶が苦手という点と、記憶障害の短期記憶が苦手という点が似ているからと記載されている。が、見たものをすぐ思い出せないと言うことでは無い。

 漢字を覚えるとか、九九を覚えるとか、ただ意味の繋がり無く記号を記憶をすると言うことが苦手なのだ。その人の名前は覚えにくいが、その人が誰であるかとか、前にあったことがある人だとか言うことは良く分かっている。その絵のことは細部まで覚えていて、作者の名前が出てこないということも良くある。

 まあこんなことをいくら書いてみても仕方がないのだが、英語も覚えることが出来なかった。記憶能力が低くても、何とか適当なフランス語で、フランス生活を送ることは出来た。記憶能力が不足しても、何とか生活はなったので、心配はいらないと言うことを書いておきたかったのだ。

 子供の頃の記憶は人一番克明である。小学校の同窓会などで、細部まで記憶しているのは、私だけと言うことが色々あった。風景に対する記憶は絵が描けるように細部まで克明である。興味のあることは人より記憶できて、意味に繋がりのないことは、どうしても記憶できない。脳の回路のある部分が欠けているような感じなのだ。

 だからなのか、忘れられない不愉快なことだけは山ほど在る。思い出したくもない嫌なことが、突然飛び出てきて、げっそりすることが頻繁にある。その都度後悔が湧き上がってくる。自分が悪いわけだ。馬鹿なことをやった。迷惑をかけた。不愉快な思いにさせた。ああだめだ、ダメだ。3日に一度くらい思い出して落ち込む。

 そんな耐えきれない記憶が数限りなくある。ひどい人間だと思わざる得ない。よくそれでもここまでやってこれたものだ。私なら怒ってしまっただろうに、世間の人は優しいものだと思う。悪い所に目をつぶってくれた人の方がはるかに多かった。もちろん怒らせて縁が切れた人も多々ある。またそのことが不愉快な記憶として蘇る。

 歳をとると言うことでも、嫌なことだけは忘れられるというものでもない。嫌なことは決して忘れない。あああのときの後悔。何時までも残る。こうして死んで行くのかと思うと、情けない。その場ですぐに気付いて謝れば良いのに大抵はそれが出来ない。

 振り返れば悔いばかり、前途は洋々、後は暗い。それなのだ。次へ次へと前に進むのは、後の魔から逃げているようなものだ。前への希望に向かっているときであれば、辛い記憶を忘れている事ができる。これから良くなるぞと思って、嫌な記憶から逃れているようなものだ。

 この過去の悪い記憶が蘇ることをフラッシュバックと言うらしい。これもまた発達障害の現れらしい。発達障害から来る「苦手の多さ、白黒思考、感覚過敏、対人不安」などから、悪い記憶が突然浮んできてしまうらしい。思い当たることが多い。 

 物は考えようである。希望に生きる事に熱中していれば、数限りない失敗を忘れていられる。努力しているつもりでいれば、だめだったことを乗り越えられる。正しい努力なのかどうかは分からないが、精一杯の努力をしていれば、仕方がないと思うことは出来る。

 日々の一枚を続けているのも、多分それなのだと思う。やらないで出来ないと言うことは耐えられないが、やってだめなのはまだ良い。絵を描くと言うことが良いのは、前描いた絵と今日描いた絵とを並べて比較が出来る所にある。

 自分が進んでいるのか交代しているのか、方向は正しいのか。描いた絵で確認できることがある。少なくとも心機一転のつもりで石垣島に来てから、日々の一枚を続けて、いくらか自分に入り込み始めた気でいる。過去のものまね出でっち上げた自分を放逸出来た気がしている。

 この歳になると、認知症の前兆のような、思い出せないことが良くある。これがひどくならないようにとは願っているが、この歳を取って物忘れをするというのと、記憶が出来ないと言う脳の欠落とはそもそもは別なようだが、最近には認知症予防の法が深刻である。

 発達障害の場合、変らない事へのこだわりがあるらしい。だから例えばパソコンに興味を持つとそれにこだわり、のめり込み特異な能力に至る人がいる。ハッカーとか言われる人にはそういう人がいるのではないかと思われる。私の場合過去の風景、目で見るものへこだわりがいくらか強いのかも知れない。

 それで絵を描いて、見えているものを確認したいという要求が出てくるのかも知れない。カメラアイと言われるものである。これで嫌な記憶が鮮明に残ってしまうらしい。私の場合、トラウマと言われるようなことは体験がなく、大体はつまらない自己嫌悪である。

 自尊心が強すぎて傷が付く。裏返しのような感じがする。誰もそれほど注目などしていないと言うことではすまない、何か自分の内的な問題のようだ。こういうことは発達障害の研究が進んで分かってきたことのようだ。そうだったのかと分かれば、それなりに安心する。

 軽度の発達障害的傾向があったと言うことは確かだ。それで今でも迷惑をかけているのも確かだ。しかし、この歳になるとすれど頃ではない。認知症の進行をどう止めるかだ。年々物忘れがひどくなる。どうすれば良いか脳トレなどと言うインチキ対処法まで気になる。

 こうしてブログを書く。絵を描く。農作業をする。太極拳を継続する。それでもだめなら仕方がない。何とか100歳まで持てば良い。万全とは行かなくとも、何とか持たせることが目標である。
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 のぼたん農園、3年目の田んぼ計画

2023-11-20 04:32:52 | 楽観農園


 一番田んぼ、笹村と吉盛さん
 「台光」を植えて、ひこばえ農法を試してみる。8月末に種を蒔き、9月末に田植え、現在出穂を始めたところ。1月始めに稲刈り。そこからひこばえの2期作。3期作と試みる。
 一回の収量は40キロ程度と考えて、三回の収穫で畝取りをめざす。

 二番田んぼ、ぬちぐすい診療所
 「ゆがふもち」を田植えして、一回だけの収穫を目指す。収穫以降の田んぼの管理法は未定。ここで苗代を作る。



 三番田んぼ、中川さんと笹村
 「ミルキーサマー」を田植えして、ひこばえ農法を目指す。中川さんには一期作を中心に関わって貰い、ひこばえ農法に関しては笹村が担う。



 四番田んぼ、渡部さん
 「ミルキーサマー」を田植えして、一回の収穫で多収を目指す。収穫後の管理は土作りを考えて行く。



 五番田んぼ、圷さん
 「ミルキーサマー」「台光」が現在植えられていて、不耕起田植えで、稲がどのように継続されて行くかを見て行く。現在3期作目のひこばえが成育している。ミルキーサマーの苗を補植用に使う予定。



 六番田んぼ、三線グループ
 「ミルキーサマー」を田植えする。現在、「とよめき」の3期目を観察しているが、ウイルス病が出て良い成育ではない。収穫をせず、ここで代掻きをして、田んぼ作りに入る方が良いかも知れない。



 七番田んぼ、ゆんたくガーデン
 「ミルキーサマー」を田植えか、あるいは直播きかで作る。現在田んぼの石拾い中。まだまだ石が多い。

 種籾は「ミルキーサマー」の種籾を1.5キロを下地さんから分けてもらい冷蔵庫にある。「ゆがふもち」は県の農研センターの大野さんから500グラム今日分けてもらう。

 11月18日か19日に苗代の準備を行い完了。27日か28日に浸種。12月2日か3日に苗代に播種。田植えが正月明けと言うことになる。稲刈りが4月中に終わる予定。

 各田んぼの田植えまでの準備は各田んぼが行う。水が全体に不足すると考えて、代掻きを何度も行い、与那国の天水田は水牛の踏み固めを六回はやったとある。水漏れを少しでも減らす。また、高低差のある田んぼは水牛を使い土移動をする。

 畦際に溝から、牧草が田んぼに入るので畦際を完全に草刈りをする。耕作中も草刈りが出来るように少し畦から離して、田植えを行う。一番田んぼは40㎝角で田植えをしたが、30㎝角にするか、40㎝角にするかは、各田んぼで決める。

 肥料を嫌う人が多いようだが、現在の土壌の状態では、肥料を入れなければ十分な稲の生育がない。無肥料ではよい田んぼは出来ないと考えている。よみがえりをこまめに々入れることが、現状では一番効果が高いようだ。十分な稲の生育にならないと、穂が早く出てしまうのが、石垣の気候のようだ。

 また、コロガシを十分に入れることが、土壌の腐敗を防ぎ根を十分に張らすことになるようだ。また間断灌水や時々土壌を湿潤状態まで乾かすことが、根の状態をよくするように見られる。上手く乾かしから、湛水に戻すの繰返しが重要と考えている。

 渇かした場合、水が溜まらなくなるので、コロガシを入れる必要がある。コロガシを入れられないのであれば、土壌を渇かすことは出来ない。コロガシを入れるためには40㎝角にうえたほうが、株の際の根がいた生ないので、稲のために良いような気がしている。

 アカウキクサは、まだ2年目とよく観察が出来ていないが、5月頃と、11月頃に広がる。もう少し通年で広げるためには何をすればよいか検討をする。確かにリン酸肥料が効果があることは分かったが、肥料を入れなければ広がらないのでは困る。

 2年経過して、ひこばえ農法を続けることは、一年中田んぼに関わらなければならず、グループによっては難しいと言うことは分かった。しかし、ひこばえ農法は自給農業技術としては、可能性が大きいと考えている。そこで、一番と三番と五番と六番はひこばえ農法を継続して、その可能性を研究して行く。

 土壌が田んぼらしくなってきたところもあり、今年の栽培はある程度良くなることが期待できる。風の対策があるので、苗は3本植えが望ましい気がしている。1本植えでも分ゲツはするのだが、風で倒される可能性がある。

 苗代のネズミ対策は昨年の苗代では成功した周囲に水を張り、ネットで覆うやり方を行う。そのやり方を何とか田んぼ全体に広げることが出来ないか、検討をする。ネットを4列に張れば田んぼ全体が直播きに出来る。このやり方の検討をしてみたい。

 ゴンベイで直播きをする方法も試みてみる。浸種を行わないで、発芽が上手くゆくかどうかも検討が必要。六番か、三番で試みてみる。ミルキーサマーでやってみたい。
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第186 水彩画 日曜展示

2023-11-19 04:23:23 | 水彩画
 第186 水彩画 日曜展示







307「犬吠埼灯台」
2023.11 10号







308「英太郎さんの田んぼ」
2023.11 10号








309「耕された土」
2023.11 15号 MBM紙









310「麦畑の準備」
2023.11  15号 MBM








311「きびの畑」
2023.11 15号 MBM








312「二本の木」
2023.11 15号 MBM





313「海」
2023.11 10号





314「別天地入り口」
2023.11 10号


 静かに描いていた一週間である。MBMの木炭紙で描いてみた。この紙は割合発色がいい。安定性があるのか、後で変色するのかは分からないが、しばらく続けて描いてみた。この紙で発色させるのは、塗り重ねが必要だ。色が洗われるまで時間がかかる。

 その待ち時間がおもしろい。だんだんに自分の絵が現われてくる。手順を考えることはしないので、あれこれ試行錯誤している内に、出てくるものがある。不思議に同じような色調になるのも不思議だ。ただ、こうだろうこうだろうと進めて行く内に自分の収まりの良い所で終わる。

 収まるところと言うのが、どこにあるのかは分からない。それが自分なのかどうかも分からないのだが、ともかくやれることは、絵を描き進めることだけだ。その結果が並べた絵である。もう少しMBMで描いてみて、その後和紙で描いてみようかと思っている。

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財務副大臣は何故税金を滞納していたのか

2023-11-18 04:00:38 | 暮らし


 自民党の神田憲次財務副大臣は固定資産税と都市計画税を9回にわたり、計344万3800円滞納していた。名古屋市の市税事務所から会社保有の土地や建物を差し押さえられたのは4回で、差し押さえから納付まで最長で4カ月以上かかっていた。まだ他に滞納があったという報道がある。 

 2013年、2014年、2022年にかけて自身が代表取締役を務める会社が保有する土地・建物の固定資産税を滞納し、差し押さえを4回受けていたことを明らかにした。相当にしたたかな、ちゃっかりな、うっかりな税理士である事が分かる。多分何か他の理由があるはずだ。まさかうっかりなんてはずがない。

 国会議員に対して、物件の差し押さえまで進むというのは、かなり不自然で異常事態である。常習者としてマークされていたらしい。366万円くらいの額だと言うから、国会議員の給与を押さえれば、払うためには十分な収入があるはずだ。どうも衆議院議員になって、税務署と戦うと行っていたという。

 税理士がやることだから、滞納して何かうまみがあるというのだろうか。税金の理解の範囲では、滞納して良いことなど一つも無い。まして、税理士であり、国会議員である人間が、滞納するなど悪い事ばかりである。例えばばれれば、選挙で不利になるだろう。何故滞納などしたのか本当に不思議な気がして成らない。

 選挙のこれからの対立候補は、相手の不動産の謄本を取ってみることだ。差し押さえなどすべてが記載されている。不自然な税金の滞納が見つかるかも知れない。それにしても、文春砲はすごい調査力だ。新聞社の調査報道能力は地に落ちている。すでにやる気概がない。やろうと思えば、財務相の大臣や政務官になった人のチェックはやれるはずだ。

 調査能力の低さのひどさの一番は岸田内閣だ。閣僚の辞任は、旧統一教会との接点が次々と明らかになった山際大志郎経済再生相、死刑執行を軽口に使った葉梨康弘法相、政治資金や選挙活動をめぐる問題のあった寺田稔総務相と続く。その後、秋葉賢也復興相と杉田水脈総務政務官を更迭した。

  さらに、9月の内閣改造以降、山田太郎氏が女性問題を報じられ10月26日に文部科学政務官を辞任。柿沢未途氏が公選法違反事件に関与した疑惑が浮上し、同31日に法務副大臣を辞めた 。そして、今度が神田憲次財務副大臣の税金滞納問題でまたしても辞任。

 何故、これほどひどい状態が続くかと言えば、岸田氏は自分で人事が出来ないからだろう。岸田氏に人事を司る力が無い。党内の様々な圧力の調整だけをしている。行ってみれば、順送り人事である。悪い事をやるような人間が選挙に強く、自民党内でのさばることが多いと言うことだろう。

 そして、杉田議員など相変わらず人権侵害発言を続けている。今やそれが売りなのだ。問題発言をして、法律ぎりぎりの線での炎上で、右翼のアイドル議員の座を狙っているのだ。そんなことは誰にでも分かるにもかかわらず、内閣に入れざる得なかったところに、岸田氏の力のなさが現われている。

 納税の義務は日本国憲法第30条「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」 と決められたものである。私も当然払っている。のぼたん農園でも払っている。滞納したことはない。滞納すれば、世間の利息よりも高い延滞税が付くからだ。

 言い訳としては忙しかったので、任せきりで人に任せたために起きたと、国会で答弁した。しかし、4回も納税を忘れてしまうような税理士が、人に任せにして置いて良いものだろうか。そんなはずはないだろう。本人が承知で、滞納していた事は間違いない。

 愛知県では税金党というおかしな政党があったくらいだから、何税金に特別のものがあるのだろうか。税理士事務所をやっていた人が衆議院議員になった。この人の税理士事務所は繁盛していたかも知れない。何しろ財務副大臣が付いていれば、税務署も甘くなる、かもしれない。

 この人は一応税理士事務所はやっていたが、開店休業らしい。雇われていた取締役もいたらしいが、この人が議員には何年も会っても居ないと言うから、名前だけを貸していたのだろうか。そもそもは東京で設立した会社らしいが、名古屋にビルを6400万円購入して、移転した。銀行からの借金だという。

 賃貸ビルにしてあるそうだ。一部に自分の事務所を置いたらしい。ところが実際には賃貸は行われてはいない。何かおかしいではないか。ビルを投資対象の物件としたと思われる。しかし、転売するのであれば、再押さえが何度も入るというのは、物件の経歴に残るので、そう望ましいことでもない。

 しかし、何らかの理由があり、物件の経歴に差し押さえを残そうとしたのかも知れない。他にも悪い所からの借金があり、ビルが抵当に取られないための手段ならあり得るかもしれない。税金の差し押さえよりも優先されるものは確かにない。

 財務相は増税を目指している。財政が破綻しているからだ。税収以上に使ってしまっているからだ。1000兆円を超える借金のある国だ。まったく情けないことだ。政府を差し押さえる権利が誰かにあるのだろうか。国債を発行しているのは政府だ。

 お金の出入りというものがその政府の状態を一番表している。だから予算員会というものはあらゆる質問が行われる。政府が何をやるにしても結局はお金が動く。お金の出入りを分析すれば、今の日本の在り方が見える。1000兆円も借金があるということは、政治が破綻していると言うことに違いない。

 何しろ日本人一人に1000万円超えの借金があるのだ。4人家族なら、4000万円超えの借金だ。これでは到底差し押さえようすらない。我が家なら2000万円を返さなければならない。これが出来ないならば、神田財務副大臣のように、差し押さえになる。

 確かに国の財政にまで手が回らないので、人任せにしていた。いつの間にか差し押さえられていたのだ。自民党政権に人任せにしたのが間違いだったのだ。私は自民党には任せたくないと言い続けていたのだが、日本人の多くの人が任せてしまった連帯責任をとらされているのだ。ああ情けない。

 財政の状況は最悪なのだ。この状況でも中国が攻めてくるから、軍事費を倍増しようというのだ。中国と仲良くするのにはお金はかからない。何とか中国と仲良くしてもらい、軍事基地など建設しないことだ。アメリカから押しつけられたアメリカの国防戦略だ。

 アメリカに借金で首が回らないから、軍事力強化は無理です。と言えば良い。アメリカは武器を販売して、軍事産業を回したいのだ。無い袖は振れない。同盟国なら理解してくれるかも知れない。理解してくれないなら、縁を切るほか無い。それが同盟国のはずだ。話がずれた。
 
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日本には3つの領土問題がある。

2023-11-17 04:40:50 | Peace Cafe


 世界は戦争の時代に入りかかっている。ウクライナ戦争も何時になっても終わりそうもない。ロシアの無謀な軍事侵攻が何故行われたのか。そして今度はガザ戦争である。やはりハマスは自分たちが壊滅的な攻撃を受けることが分かっているのに、イスラエルに対して殺戮を行ってしまった。

 戦争が勝利のための計算もなく、ただ怒りにまかせて爆発してしまう。そのために何万人という人が死んで行くのだから、あまりのことである。例え戦争に勝利したとしても、問題は深まるばかりで、解決されるものは何一つない。

 こうした世界情勢を受けて、日本も軍備を増強する方向だ。今までは専守防衛と一定の節度を持った防衛の方針であったが、ついに北京まで届くミサイルを配備することになった。攻撃こそ防御だと言うことになった。日本が攻撃型武力持つことで、戦争の危険度が上がった側面もある。

 戦争の時代に入り、日本の安全保障をどうしたら良いのかは改めて考えなければ成らないことは、確かにあるだろう。すでに起きている経済戦争への対応が、防衛力以上に深刻な、現実的な問題である。食料とエネルギーをどう確保するかである。

 すでにロシアからのエネルギーが止まっている。今度は中東からのエネルギーが不安定化するだろう。自然エネルギーへの転換の遅れた日本は、同エネルギーを確保するのか深刻な問題になる。そして食糧供給である。異常気象が続いている。世界は人口増加である。日本が食糧自給を怠ってきた。食べ物がないと言うことはエネルギー以上に深刻である。

 この世界的危機に、どう日本は対応すれば良いか。今こそ平和外交である。そんなものは何の力も無いというのが、大方の見方であることは分かっている。それでももう一度平和外交を見直す以外に、日本の安全保障はないと確信している。

 平和外交とは今に本に存在する隣国との問題を、平和的に解決することからだ。ウクライナも、イスラエルも、戦争の火種を抱えていた。それを解決できないままにしていて、ついに今の戦争に突入してしまったのだ。平和外交がどれほどのことが出来るか、頼りないとしても戦争の火種は消さなければならない。

 尖閣諸島、竹島、北方4島である。中国、韓国、ロシアとこの問題で火種を残している。放棄してしまえば、火種がなくなるのだから、それが一番ましな方法だと思う。日本には何千の無人島がある。その一つだと思えば、我慢も出来る。領土という火種がなくなれば、かなりの財政の支出が減る。

 何故単純に放棄が出来ないかと言えば、火種を残しておきたいと政府が考えていることが一番の原因である。もちろん領土が広ければ良いという欲もある。その島の海底に資源が眠っているとか、島の領海の漁業資源が大きいとかである。

 北方4島の場合は、ふるさとだと言うこともあるので少し違うところもあるが。領土に対する主権を譲ると、国を売り払ったというような、民族感情が出てくる。愛国者が領土を譲ることで、何か日本国の大切な物を失ったという心理に陥る。

 近隣3カ国との領土問題を考えるときに、過去の歴史を引きずっている。過去の行きさつを根拠にして、歴史的に明白に日本のものだと主張することが繰り返されている。それは互いのことで、戦争をしたり、植民地にしたりした、負の歴史を引きずっているのだ。

 負の歴史のすべてが、明治政府の帝国主義に始まっている。領土拡大欲が強くて、大東亜共栄圏、アジアの盟主というような、妄想を抱いて軍事的に近隣諸国に進出をしたのだ。その謝罪が不十分と言うことが、相手国の不満になっている。当然の前提として考える必要がある。

 日本はこの負の遺産を清算できないでいる。例えば、韓国に対して日本の謝罪と誠意の印として、竹島を韓国の領土であると認めた方がよいと思うが、これが出来ない。了見の狭い愛国者が多くて、領土を譲るような政府に投票をしないからだ。

 米100俵である。今食べてしまわず、種籾にすれば良いのだ。竹島を譲ることで、韓国と仲良くなれば、どれほど日本の利益になるだろうか。もちろん過去の歴史的な領土の権利の問題はあるが、結局の所そうした歴史的な権利など、どこで歴史を切り取るかで変ってくるのだ。

 これから未来志向で考えれば、中国や朝鮮とよい交流をして行くことが、日本の国益である事は間違いない。明治帝国主義によって、謝罪しなければならない歴史を日本は持ったのだ。小さな島の領有権を譲るぐらいはこれからの交流による恩恵を考えれば小さなものである。

 中国との間には尖閣諸島の問題がある。尖閣諸島は歴史的に見れば琉球王国の領土であろう。その後薩摩藩も、幕府も、明治政府も、琉球王朝を一方的に日本国に取り込んでしまった。中国と交渉して、尖閣諸島問題は国際裁判所に判断を仰ぐことががよい。

 どのような判断になるとしても、第三者機関が決めたことに両国が従うことだ。火種を残したまま、中国を仮想敵国としておくことは、日本の危険を増すばかりである。政府は日本の再軍備の理由付けのために、尖閣という火種をわざわざ残している。尖閣をミサイル配備の理由にしただけだ。

 そして北方4島である。これはすでにロシア人が暮らす島になってしまった。ロシアのウクライナに対する態度を見れば、いつまで経っても解決できる事は無いだろう。北方4島はこのままにしておいても、日本側が黙っていれば日本に攻撃する火種にはならない。

 日本はロシアと無駄な返還交渉などしないことだ。アベ政権は手柄を焦り、プーチンと盟友だなどと、くだらないことをしていた。アベは友人が行ったウクライナ侵攻に一言もなかった。日本の問題はせいぜいロシアに対するアメリカへの基地の提供ぐらいが、危険な要素である。

 結局世界の戦争はアメリカが介在している。世界の警察だったから当然ともいえるが、アメリカの圧倒的な軍事力があったとしても、ベトナム、アフガン、イラク、ウクライナ、ガザ、どの戦争でも何も解決できないアメリカという世界警察なのだ。

 アメリカに依存した安全保障が、そう安定したものではないと言うことだ。日本の選択としては、中国との平和交渉である。東アジアの安全の為に中国が軍事的な威圧で、状況変更を試みないようにすることだろう。軍事力で対抗したところで意味が無い。

 中国は商人的判断をする国だ。一帯一路政策も中国の交易路の確保である。交易路に位置する国が中国の友好国になれば、互いに利益があるという発想だろう。それがアメリカから見れば、あるいは日本から見れば、交易路の安全が脅かされると言うことになる。

 あくまで経済の問題なのだから、軍事的な解決ではなく、交渉で互いの利益を探ることは出来るはずだ。中国と日本の対立関係を利益とするのがアメリカである。日本と中国を戦わせて、背後で操ろうとしているのだ。ウクライナも、イスラエルと同じである。

 日本の平和外交の重要な要は、アメリカの支配から抜け出ると言うことかもしれない。
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